御神燈 松山神社内
伊勢参宮記念の石灯籠(1954年頃)
(2019/06/11公開)
(2019/06/11公開)
※目印は撮影位置です
石灯籠の笠に積もった雪、それを見上げるように撮影した石燈籠の写真(1954年頃)です。灯籠はかなり大きく、人の背丈より高さがあることがわかります。灯籠には「御神燈」の文字が刻まれています。その下にも何か文字が刻まれているようですが、中央の「太」の字以外は判別できません。御神燈であることは確かなので、撮影者の生家近くの神社を探せば見つかるだろう、そのように軽く考えていました。しかし、八雲神社(東松山市本町)、日吉神社(同・日吉町)には石灯籠は存在せず、松山神社(同・日吉町)と菅原神社(同・大字松山)には石灯籠がありますが形が異なります。足を延ばして箭弓稲荷神社(同・箭弓町)を調べてみても該当するものはありませんでした。さぁ困ったぞ。灯籠以外の手掛かりは何も写っていません。遠くに竹藪らしきものは見えますが…。
石灯籠を単体で撮影しているからには、撮影者にとって何らかの思いがあるもの、地元ではそれなりに有名なものかもしれない…と踏んで文献を当たってみました。しかし、詳細な記述は見つかりませんでした。ただ、「埼玉の神社 大里 北葛飾 比企」(埼玉県神社庁 1992年刊)1,111pの松山神社境内略図に『灯籠 伊勢参宮記念』という記載が見つかりました。早速その位置をストリートビュー(2015年7月)で確認。ありました、間違いありません。御神燈は社殿の前に対で置かれているものという先入観があり、社務所側の庭、しかもファンス越しに単独で建っていたので見落としていました。同じ形です。社務所の屋根の向こうには竹藪もあります。
2019(令和元)年6月9日撮影。石灯籠は当時のまま、周囲の樹木は空が見えないほど茂っています。また、当時は無かったフェンスで区切られています。
灯籠の文字は「永代御神燈」(※永代は右から横書き)でした。台座の文字は「伊勢(右から横書き) 太ヽ神楽 溝中」です。その右面には(左面、後面にも)関係者の名前が刻まれています。
太々神楽とは、伊勢神宮での祈祷のひとつで、御饌に加えて御神楽を鑑賞するもののようです。想像するに、かつて松山神社氏子の皆さんが大勢で伊勢参りに出かけ帰った後で記念に御神燈を奉納したことがあった…そんなところでしょうか?
それにしても、撮影者は石灯籠をなぜ被写体に選んだのか、いまいちわかりません。雪景を狙うのであれば、神社本殿や近くの上沼、八雲神社の方が見栄えのよかったでしょうし、他の雪の写真には人(多くは身内)が写り込んでおり、人物写真の要素があります。撮影者はこの石灯籠に何か特別な思いがあったのでしょうか? いずれにしても、この写真の撮影場所を探さなければ、伊勢参りをした人たちが灯籠を建てたことも知らなかったでしょう。神社境内に御神燈を建てた人たちがおり、それを写真に残した人がいて、その写真の撮影場所を探し当てた人がいます。それは歴史に刻まれることではありませんが、人々の営み・思いが受け継がれていくことも時としてある…のです。(2019/06/12公開)