行幸堤の桜
伐採された幻の旧権現堂堤の桜(1943年)
(2017/03/21公開 2018/09/22加筆 )
※目印は撮影位置です
「戦後米軍の幸手進駐にて桜を伐採する。(燃料として全戸に配給)」(出典:県営権現堂公園 桜まつりの歩み)という記載があります。つまり、この写真の桜の木が花を咲かせたのは2年後の1945年春が最後ということになります。その後、改めて桜が植栽され権現堂堤の桜として賑わうことになるのですが、桜並木の位置が少し変わりました。写真の行幸堤部分は国道4号線となり、当時の面影は全く残っていません。国道沿いにある「行幸堤之碑」の説明板の地図でそのことが確認しできます。(2018/9/22修正)
当時は薪を燃料としていた
当時は薪を燃料としていた
左の写真は昭和30年代初期のものですが、伐採された桜は、煮炊きや風呂の燃料に使われたことでしょう。当時は生活に欠くことのできない燃料でした。(2018/09/22追加)
戦時下のお花見の様子
戦時下のお花見の様子
写真に「行幸堤 ○○君 18.4.15」と記載があります。昭和18年4月15日に撮影されたものです。第二次世界大戦の終戦は1945(昭和20)年ですから、この写真が撮影されたときは戦時下ということになります。桜まつりの歩みに「昭和18年 戦争中でも当地では花見は実施していた。」(出典:県営権現堂公園 桜まつりの歩み)と記載されています。それが本当であることはこの写真が裏付けています。
桜の木の近くに和服に人物が確認できます
さらに遠くには大勢の人が桜並木の下にいる様子が見られます
(2018/09/22追加)