嵐山渓谷と松月楼

料亭を通り抜けてボート遊び(1945年頃)

(2018/10/10公開 2018/11/01加筆)

※目印は撮影位置です

長瀞か玉淀あたり…と見当をつけ探してみましたが全くわかりませんでした。かなり古い写真なので同じ景色は残っていないのでしょう。そして、偶然見つけたのがこのサイト「嵐山町旅の達人 嵐山の沿革」。そこに紹介されている写真がほぼ同じ、手前の簡易な橋、奥の建物、ボートを浮かべている点までそっくりです。もちろん同一写真ではないし、撮影年も異なっています。しかし、同じ場所を撮影したものであることは疑う余地がありません。場所は武蔵嵐山、川は槻川、奥の建物は「松月楼」という料亭旅館、全容が一気に判明しました。「昔は槻川をせき止め、ボートを浮かべたりしていた」ことも紹介されています。ただ、紹介写真は「昭和初期の絵はがき」で、撮影年の特定には至りませんでした。松月楼については、別サイトですが「昭和のはじめ、庄田友彦氏によつて創立された料亭。細原の入口を軛(くびき)し、遊覧客はこの庭内を通つて半島に出る仕組みになつている。」(出典:嵐山町web博物誌「松月楼」)という説明があります。

松月楼から川へ下る道があることが確認できます。向こう岸が不自然に横一直線になっているように見えます。その理由は次の写真で説明します。

槻川をせき止めている様子がわかる写真です。中央に小さく橋が、その手前に浮かんでいるボートが写っています。そして京都の嵐山に擬えた山容全体も写っています。(2018/10/10公開)

川をせきとめている部分のアップです。

川に渡した橋と手前のボートのアップです。

貸しボート小屋でしょうか? 岸辺に建物があります。

松月楼も橋も後に無くなり、川をせき止めてボート遊びをすることもできません。松月楼のその後や嵐山渓谷については文末の参考サイトでご確認ください。(2018/11/01加筆)

■参考サイト

嵐山町(施設案内-観光・産業-観光・文化・自然-嵐山渓谷について)

嵐山町旅の達人(学ぶ-嵐山の沿革)

嵐山町web博物誌(郷土史アーカイブ-第3章:産業・観光-第1節:景勝・名所-1957松月楼)