キャブトン
CABTON,ホンダベンリイJ型、1954年頃の二輪車事情
(2017/02/16公開 2019/08/20改稿)
(2017/02/16公開 2019/08/20改稿)
寺の屋根を背景に撮影したバイクの単体写真です。燃料タンクに「CABTON」の文字が読み取れます。調べてみたところ、写真はキャブトンVG型という1953年に発売された500ccの大型バイクでした。1954年に発売されたキャブトンRTFの価格が205,000円(出典:戦後昭和史-国産大型バイクとスーパーカブの価格推移)ですので、このVG型も同等の価格であったと推測されます。1954年国家公務員(大卒)の初任給は8,700円(出典:人事院-国家公務員の初任給の変遷(行政職俸給表(一)))の頃です。多くの人が年収全てつぎ込んでも手が届かなかったものと思われます。1954年公開の映画「ゴジラ」に「キャブトン」のカレンダーポスターが写るシーンがあるそうです。ちなみに写真は、撮影者の自宅付近で撮影したもので、背景屋根は曹源寺(東松山市)です。
キャブトン右側面はこちら。1954年カメラが珍しかった頃、バイクを単独撮影したり、この写真のようにまたがって記念撮影したり、撮影者のキャブトンに対する思いが伝わってきます。このバイクを製造したみづほ自動車製作所は1956年に倒産しています。
1953年に発売された90ccの小型バイク「ホンダベンリイJ型」です。なお、当時90cc以下のバイクは原付に区分されていました。発売当時の価格は99,000円(出典:Honda-HONDA Collection/HONDA BENLY J)でした。
燃料タンクに「羽のマーク」と「BENLY」の文字が何とか読み取れます。その右側のストライプの中には「HONDA」の文字があります。
前輪カバーに東京電力の旧マークと「東京電力」の文字が入っています。その下に「サービス」+1文字(判別不能)が確認できます。ホンダベンリイJ型が東京電力の社用バイクに採用されていたということでしょう。左フロントフォークに正体不明のパーツが取り付けてあります。空気入れか何かでしょうか?
1954(昭和29)年当時、どのくらいの人がバイクを所有していたのでしょうか? 前図は「合併誌」(東松山市役所 1955年12月25日発行 p73)からの引用です。自転車と自動車の普及イメージはこんなもんです。「合併誌」p63に「単車312」という数値があります。交通ページの諸車内訳の数値ですが、詳細(原動機付自転車の振り分け他)が不明ため、単純にバイク台数とは言い切れません。とりあえず、1954年の東松山市の世帯数6,612戸(出典:合併誌p48)を321で割ってみると「約21戸に1台」になります。
1954年当時、キャブトンのは時代の最先端のバイクのひとつだったはずです。それが、わずか数年で製造会社が消えるなんて誰も思ってもいなかったことでしょう。自動車産業はまだ黎明期でした。やがて道路が整備されモータリゼーションの全盛期を迎えます。コンビニやチェーン店が次々と開店し、物流に支えられ物に満ち溢れた時代が来ます。それもやがて曲がり角を迎えます。最先端と思っていたものが時代遅れになり、永久に続いていくと思われたものが役目を終えていきます。それが世の常です。キャブトンというバイクがあったことも、いずれ人々の記憶から消えていくことでしょう。(2019/08/20改稿)