小河内ダム
完成直後のダム付近のようす(1957年頃)
(2019/08/08公開)
(2019/08/08公開)
※目印は撮影位置です
撮影者はコンクリート壁にカメラを置いて撮影しています。ストリートビューで見るとこのあたり(2017年7月)です。右に見えている水面は奥多摩湖、そう、ここは奥多摩町にある小河内ダムの堤頂部です。両サイドに転落防止のコンクリート壁が設置されています。壁の上面はカメラを置くのみならずならず、乗って歩けそうです。ストリートビューでは、危険防止ため、そこにパイプ状のガードが追加設置されています。ちなみに小河内ダムで撮影された仮面ライダー第1話、1971(昭和46)年の時点でガードは増設されていませんでした。さて、人物の後に見える、縦長の2つの構造物は手前がエレベーター塔、奥が展望塔です。背景の古墳風?の小山には、現在は奥多摩湖を見渡せる展望広場、頂上広場が整備されています。
詳細は文末参考サイトをご参照いただくとして、小河内ダムの竣工は1957(昭和32)年11月26日(出典:東京都水道局)です。さて、この写真がいつ撮影されたかを探っていくことにします。
コンクリート打設に使われた重機ケーブルクレーンが残っています。ダム完成前後、1952(昭和32)年の可能性があります。
工事殉職者87名の慰霊碑除幕式が行われたのは1958(昭和33)年3月(出典:日本ダム協会-ダム便覧-小河内ダム)です。ストリートビューでみるとこちら(2017年10月)です。
同じ日に撮影された写真に奥多摩バスの車両が写り込んでいます。奥多摩湖までの急行バスの運行開始は1961(昭和36)年(出典:昭和平成の長距離バス・交通年表 1.1 バス路線(昭和))です。
奥多摩バスの写真から判断すると1961(昭和36)年以降ということになります。しかし、4年も工事用重機を放置したとは考えられません。奥多摩バスは定期運行のものではなく、撮影者一行がチャーターしたとも考えられます。昭和32年10月10日の福生新聞(福生市立図書館 福生デジタルで公開)に奥多摩振興株式会社が広告を載せています。キャッチコピーは「楽しい御旅行は親切、安全な奥多摩バスで!!」とあります。この写真撮影時に奥多摩バスの車両が小河内ダムにあったとしても不思議ではありません。
慰霊碑は除幕式前に完成していたはずです。どのくらい前かは不明ですが、「小河内ダム竣工50年の歩み」 (東京都水道局浄水部管理課 2007年11月刊)に掲載された「竣工時の小河内ダム全景写真」に、慰霊碑らしきものが写っています。そして、この写真にはケーブルクレーンがはっきり写っています。最初の写真に戻りまして、ダム湖(奥多摩湖)が水を湛えていますので、ダムは完成しています。撮影者一行の服装から季節は晩秋頃、1957(昭和32)年末と推測されます。余談ですが、ダム工事現場までの資材輸送のための専用鉄道が敷設されていた時期があります。撮影者一行は鉄道関連の職員ということもあり、完成したダムをいち早く視察させてもらえた、そんな事情も絡んでいたのかもしれません。
気持ちよさそうにベンチでくつろいでいるのようすが伝わってきます。周辺の自然は今も変わっていません。一方でベンチの「森永ミルクチョコレート」の文字がときの流れを感じさせます。乱雑におかれた板片は観光地として整備途中のせいでしょうか? 一行は同じ日に「深山橋」で記念撮影しています。それは、また別の機会に…。(2019/08/08公開)
小河内ダム竣工50年の歩み 東京都水道局浄水部管理課 2007年11月刊
福生新聞 第170号昭和32年10月10 日福生新聞社 ※福生市立図書館 福生デジタルで公開
東京都水道局(広報・広聴-水道局のPR施設-小河内ダムの紹介)
東京動画 東京都公式動画チャンネル(都政情報-広報-都政記録- #昭和の東京シリーズの一覧-小河内ダム ~ダムに沈む小学校~(昭和32年9月))
日本ダム協会-ダム便覧-日本のダム-ダム名一覧[お] あいうえお順-小河内ダム-ダムの書誌あれこれ(1) ~小 河 内 ダ ム~)
昭和平成の長距離バス・交通年表 (1.1 バス路線(昭和)-昭和36年-1961.3.26)
福生市立図書館 (福生デジタル-福生の新聞-福生新聞-170号(昭和32年10月))