谷津遊園ボート池

遊の字が消されて谷津園だった頃(1940年代初期)

(2018/11/10公開 )

※目印は撮影位置です

この場所が谷津遊園(戦時中は谷津園と改称)であることは別の写真から見当がついていました。詳細は後述します。問題は、谷津遊園のどこかということです。次の絵はがき「京成電車経営 谷津遊園地〔其一〕〔其二〕」(リンク:船橋市西図書館/船橋市デジタルミュージアム 郷土資料館・絵葉書91,同92)に、同じ屋根の建物が写っています。絵はがきは年代は遡りますが、同じ谷津遊園であることがわかります。次は、建物の名前と池の名前です。谷津遊園のパンフレット(リンク:谷津遊園めもりぃず証言集「証言10. 谷津遊園のパンフレット」)で見ることができます。それによると建物は「寶龍閣」、池は「ボート池」です。

寺社の屋根ではなく…

木に囲まれた寺社のように見えますが、絵はがきにあるように壁のない四阿です。近くに遊具(滑り台)があったりしますので、こども向けの建物だったのかもしれません。

写真中央上部で切れている文字は「口」ではなく「谷」です。奥の建物に「谷」の文字が確認できます。

谷津遊園は1982(昭和57)年に閉園しました。跡地は住宅地等になり当時の面影は全くありません。かろうじて残った「谷津バラ園」がその片鱗を伝えるのみです。(2018年現在)谷津遊園についての詳細は、下記参考サイトをご参照ください。ところで、戦時下は「谷津遊園」を「谷津園」と称していました。「遊」という字はけしからん、そんな屁理屈がまかりとおっていた時代だったのでしょう。もっとも、いつの時代でも言葉遊びじみた屁理屈のゴリ押しは珍しいことではありません。そして戦時下にボート遊びをしていた学生がいたこともまた事実です。(2018/11/10公開 )

■参考サイト

船橋市西図書館/船橋市デジタルミュージアム (郷土資料館-郷土資料館・絵葉書-91〜96

谷津遊園めもりぃず (証言集、関係資料ほか)

谷津遊園情報局 (アトラクション、現在の谷津遊園跡地ほか)