玉淀河原
寄居北条まつり会場、その昔のある日(1954年頃)
(2018/10/18公開 2018/10/29加筆)
(2018/10/18公開 2018/10/29加筆)
※目印は撮影位置です
玉淀河原を会場とする「寄居北条まつり」が始まったのは1963(昭和38)年(出典:埼玉歴史探訪 寄居とは(寄居町)水谷勇三)、この写真は、それを遡ることさらに8年前頃の玉淀河原の様子です。樹々の枝が見えており、季節はおそらく春、写真右の枝に白く見えるのは桜の花かもしれません。会社の花見の一コマといったところでしょう。左下に寄居の地酒「白扇」が写っています。その酒蔵「藤﨑摠兵衛商店」は2018(平成30)年に長瀞に移転しました。背景の建物は既にありませんが、2017年の時点で石垣 が残っていました。次のストリートビュー(2017年4月)をご確認ください。しかし、寄居町が提案した『悠久の歴史と爽やかな自然の中で賑わいあふれるまちづくり寄居玉淀河原を親水公園として整備を含む事業』が埼玉県の財政的支援事業として採択されており(出典:埼玉県ふるさと創造資金 主な採択事業(平成30年度第1回))、石垣ももう無くなっているかもしれません。(2018/10/18公開)
手もとだけですが、賑やかな宴の様子をご想像願います。地酒白扇(HAKUSEN)ひっぱりだこです。あれ、よく見ると違うのが混ざり込んでいます。「・・・AKI」のラベルの酒の正体は?
2枚の写真からラベルの文字をつなげると…「KIYOTAKI」となります。上越市にあった高山酒造店が醸造していた「清滝」と思われます。
白扇を醸造している藤﨑摠兵衛商店は寄居町から移転しましたが、同じ埼玉県内の長瀞町にあります。一方、清滝は新潟県のお酒です。新潟に縁がある誰かが持ち込んだものと思われますが、今となっては確かめようがありません。ところで、かつて「清滝」という日本酒があったことはラベル(リンク:日本酒ラベルギャラリー 新潟県)と王冠(リンク:お酒王冠・銅板ミュージアム 新潟県)から偲ぶことができます。写真ラベルにある漢字は、「清」の崩し字と思われます。しかし、リンク先のラベルと王冠とは書体が異なっています。高山酒造店を「上越市にあった」と記載しましたが、1971年合併(高田市と直江津市の)により上越市となる前、昭和29年当時は高田市にありました。
この日、撮影者は川(荒川)の写真をほとんど撮っていません。吊り橋だった頃の正喜橋を背景としたこの写真ともう1枚別の写真があるだけです。撮影者の関心はもっぱら人物と宴会に向けられていたと思われます。別の写真についてはページを改めて紹介する予定です。(2018/10/29加筆)
10月29日はこの写真の撮影者の命日です。撮影者はこの日、玉淀河原での宴の席で「白扇」「清滝」のことも話題にしながら賑やかな時を過ごしたと思われます。写真にはシャッターを切った人の何らかの思いがあったはずです。その思いとは別に、時代も場所も移り変わってしまいます。古い写真をただ懐かしむのではなく、当時の様子や事情を重ね合わせ、撮影者の思いに寄り添うことで、何かを未来へ伝えていくことができないだろうか? それが、古い写真を掲載することにした理由のひとつです。
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