桶川国民学校
桶川小学校-桶川南小学校-そして今?(1946年)
(2019/07/07公開)
(2019/07/07公開)
※目印は撮影位置です
「桶川町立国民学校 昭和21.2.18」写真アルバムにメモがありました。後に桶川小学校となる木造校舎前での集合写真です。外壁は板張り、ガラス窓は木枠、ひび割れたガラスは和紙を貼って補修、内側にはカーテン…、当時としてはありふれた光景です。この桶川国民学校は、翌1947(昭和22)年に桶川小学校に名称が変わっています。そのあたりの経緯は「桶川小の変遷」(桶川市立桶川小学校サイト内)に写真とともにわかりやすく記載されています。ということで、この写真が今(2019年)の桶川小学校の場所で撮られたかというと、そんな単純な話でありませんでした。桶川国民学校が桶川小学校に名称が変わったのは事実、それは「桶川小の変遷」にあるとおりです。だだ続きがあります。1957(昭和32)年に桶川小学校は「桶川南小学校」「桶川北小学校」の2校に分かれ、さらに2007(平成19)年に両校を廃校とし「桶川小学校」が新設されています。よく読まないと理解できません。この写真の桶川国民学校を起点として名称変更の流れを整理すると次のとおりになります。
変遷は上記のとおりです。現在(2019年)の桶川小学校の建物は桶川北小学校から引き継がれ、桶川国民学校は、桶川小学校、桶川南小学校と名称変更を経て「廃校となったまま」ということです。また、写真の建物は1960(昭和35)年に建て替えのため取り壊されています。
集合写真を切り貼りし、桶川国民学校当時の校舎のイメージを再現してみました。もちろん厳密なものではありません。中央に玄関、両側に教室が配置されていたと思われます。右の二宮金次郎像が設置昭されたのは1940(昭和15)年11月3日です。(出典:桶川小の変遷)
左上に桶川北小学校、右下に桶川南小学校が見えています。中央下端は桶川駅です。
前空中写真より13年前、右下に桶川小学校があります。校舎は国民学校当時と同じ。桶川北小学校はありません。
写真に写っている先生と児童は長く交流があったと聞いています。戦後間もなく、物資も情報も十分に行き渡らなかった頃、学校でどのようなお話がされていたか聞いてみたい気がします。しかし、その思い出の場所も今は何もない広場(2019年1月のストリートビュー)になり、かつてのように子どもたちの声が響くことはなさそうです。(2019/07/07公開)