日本茶の輸出量は増大していきましたが、1890年代からはインドセイロン紅茶が登場し、次第に競争力が無くなっていきました。
また、アメリカではコーヒー嗜好がたかまり、インドセイロン紅茶の需要も拡大したことから、大正9年(1920年)を契機に海外市場からの撤退を始め、国内市場拡大に取り組むようになりました。
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