栄西(1141年~1215年)は宋に2度渡り、臨済宗の禅とともに茶の文化も日本に持ち帰った人。
日本で初めての茶書、喫茶養生紀を執筆しました。
喫茶養生記の冒頭は「茶は養生の仙薬なり、延齢の妙術なり」との記載で始まります。
吾妻鏡には、建保2年(1214年)に、二日酔いに苦しむ将軍源実朝に茶とともにこの本を献上したと記載されています。
上下盃酌数順に及び・・・相当飲んだ様子が記録されています。
当時将軍源実朝が宿酔のため猛烈な頭痛を起こし、治療の法が無く困っていた折、これをきいた栄西がさっそく茶をすすめ、一巻の書を献上したのである。このことが鎌倉幕府の記録書として有名な「吾妻鏡」の建保2年(1214年)2月4日の条に、「将軍家(実朝)いささか御病悩。諸人奔走、但し是れ若しくは去夜、御淵酔の余気か。ことに葉上の僧正、御加持に候するの所、此事を聞き、良薬と称して、本寺より茶一戔召し進めらる。而して一巻の書を相い副え、これを献じ令しむ。茶徳を誉める所の書なり。将軍家其の感悦に及ぶ。」とある。ここで葉上の僧とあるのは、日本臨済宗の開祖栄西禅師であり、茶徳を誉める所の書は言うまでもなく「喫茶養生記」であった。ところが、その効著しく、頭痛が忽ちにして癒えたので、実朝の帰依するところとなり、日本全国に茶の栽培を奨励するに至った。
《狭山茶場史実録:吉川忠八、昭和47年より引用》
喫茶養生記 最初の部分をキャプチャしました。
薬としての位置づけがされている様です。
公式記録に残された二日酔い。まさに歴史に残る二日酔いです。
「続日本史こぼれ話」という本にこの本の要約を見つけました、以下、該当部分を《》内に引用します。
続日本史こぼれ話古代・中世 山川出版社 p138二日酔いの妙薬より引用
《いわく、人の一生を保つ源は養生にあるが、そのためには心・肝・肺・脾・腎臓の五臓を案ずることが大切である。そして五臓にはそれぞれ好みの味である五味がある。肝臓は酸味を好み、肺臓は辛み、腎臓は鹹味(塩辛い味)を好む。そして好みの味を多く摂取すれば、その臓が傍らの臓に対して強くなりすぎて病となる。要するにいろいろな味の食品をバランスよくとれということなのであろう。
ところが、辛・酸・甘・鹹の四味は日常的に摂取しているが、苦みは常にあるわけではない。それゆえ四臓が常に強くなり、心臓が弱くなってしまう、というわけである。
また五臓は、目・耳・鼻・口・舌の五体につながっている。もし眼病であれば肝臓が痛んでいるのだから、酸性の薬をもって治すべきである。同様に耳病ならば腎臓の為に鹹性の薬、鼻病ならば、肺のために辛性の薬、口病ならば脾臓のために甘性の薬、舌病ならば心臓のために苦性の薬がよい。
心臓は五臓の君子であり、苦味は五味の上味であり、茶は苦味の上首である。身体が弱って意気消沈しているのは心臓が弱っているためであるから、頻りに茶を喫すれば気力強盛となるであろうというわけである。》