1773年12月26日アメリカ先住民に変装した植民地の急進派が、ボストン港に停泊していた東インド会社の船を襲撃し積み荷の茶を海に投機しました。(ボストン茶会事件)
積み荷の「茶」を海に投機しするという茶会事件がアメリカ独立戦争の引金の一つとなりました。≪お茶ハンパない≫です。
アヘン密輸から、アヘン戦争、香港島割譲まで、目を覆いたくなるような事態の背景には、茶、絹、陶磁器等の品目を輸入して、モーニングティー、アフタヌーンティー等イギリス家庭の優雅な生活習慣がありました。その優雅な生活を支えるため戦争が行われた訳です。≪お茶ハンパない≫です。
大きな題名にする必要もないけれど、富士山栗原園の新説?を思いついたので書いてみたいと思います。【注意】ただの思い付きです。
古い読み方を継承しているのがティー、それに対し「茶は南方の嘉木である」という茶経という本を書き、茶という専用の漢字を作りそして新しい読み方が与えられた、それがチャではないでしょうか。今から千年以上前に、本、文字、読みと大プロモーションが行われた、その後、お茶は税金をかけるまでになった。まさに、≪お茶ハンパない≫です。
常にアルコール分を帯びた飲料しかなかった中で、お茶を淹れることで水を飲用することが出来るようになった訳です。まさに、≪お茶ハンパない≫です。