中国で製法が確立した紅茶は17世紀にはヨーロッパに紹介されます。そしてイギリスでは喫茶の大ブームが起こります。貴族の習慣が庶民にまで広がりました。
これを背景に中国(清朝)から、イギリスへは茶、絹、陶磁器を輸入し、代金として銀を支払う貿易が始まりました。
その結果、この貿易はイギリスの慢性的な輸入超過となり大量の銀が清へ流出しました。
1773年イギリスはこの状況を打開するため、清のアヘン吸引の習慣に目をつけ、アヘンをインドで栽培し、清へ密輸することを開始しました。
清国でのアヘン吸引は庶民にまで広がり、アヘン代金として大量の銀をイギリスが回収することとなります。
清国では銀の価格高騰も含めこの状況を憂慮しアヘン没収・廃棄を行います。
1840年、これに対して不満を持ったイギリスは武力で自由貿易を認めさせることを決定、広州で艦隊攻撃を仕掛け(アヘン戦争勃発)、イギリス軍が勝利します。
1842年、南京条約で香港島割譲や賠償金の支払い等を決め、清の半植民地化開始へとつながります。
アヘン密輸から、アヘン戦争、香港島割譲まで、目を覆いたくなるような事態の背景には、茶、絹、陶磁器等の品目を輸入して、モーニングティー、アフタヌーンティー等イギリス家庭の優雅な生活習慣がありました。その優雅な生活を支えるため戦争が行われた訳です。≪お茶ハンパない≫です。