盧仝(ろ・どう、生年不詳-835年)は中国・唐代中期の詩人。
范陽(北京市)の出身。出世の志なく、若いときから少室山(河南省)に隠棲して学問を究めた。
諫議大夫※に召されたこともあるが辞して仕えなかった。
代表作『月蝕詩』は、当時の皇帝、それを取り巻く宦官等の権力争いを810年11月にあった月蝕に例え風刺した。また『走筆謝孟諫議寄新茶』は友人の孟諫議からお茶をもらった際の感謝を表し、中でも一碗~七碗まで飲んだ時の表現は有名、この詩も終盤の数行は地位の高い人は人民の苦しい暮らしが解るはずがない等と風刺を効かせています。
唐という大帝国14代皇帝文宗の時代、皇帝と宦官の権力争いの渦中、宦官一掃計画が失敗「甘露の変」、盧仝は、たまたま当事者、宰相王涯の邸で会食していたところ、事件とは無関係と主張したものの、一緒に処刑されたとのことです。茶を愛し、玉川泉から水を汲んで茶を煮出し玉川子と号しました。
以下はその代表作のひとつ『走筆謝孟諫議寄新茶』です。
※諫議大夫(かんぎ‐たいふ); 中国の官職の一。政治の得失を論じ、天子をいさめるのを任務とした。
茶をうたう詩ー『詠茶詩禄』詳解 著者 石川忠久 99から105ページより引用
筆を走らせて孟諫議の新茶を寄するに謝す
筆を走らせて、諫議太夫の孟さんが新茶を届けてくれたのに礼を言う。
日高きこと丈五睡り正に濃し
日も高い、昼に近い頃、ぐっすり寝ていると、
軍將門を打ちて周公を驚かす
軍の武将がドンドン戸を叩いて夢をさました。
口に伝(い)う諫議書信を送ると
諫議さまからのたより、と口に言う。
白絹斜めに封ず 三道の印
白絹に包み斜めに封して、三つ印が押してある。
緘を開けば宛(さな)がら諫議の面を見る
封を開けば諫議の顔を見るここちだ。
手に閲(けみ)す月団の三百片
送って生きた団茶三百個、手に取って見る。
聞くならく新年山裏に入ると
聞けば、新年になると山へ入るそうな。
蟄(ちつ)虫驚動して春風起こる
山では虫が穴から出、春風が吹くと、
天子須(すべか)らく陽羡の茶を嘗(な)むべし
天子さまは陽羡の名茶をお飲みになるきまり。
百草敢へて先ず花を開かず
草木がまだ花を咲かせないうちに、
仁風暗に結ぶ珠琲(しゅひ)の蕾(らい)
めぐみの風が美しいつぼみを結ぶ。
春に先にじて抽出す 黄金の芽
春に先だち黄金色の芽が伸びると
鮮を摘み芳を焙(あぶ)りて旋(たちまち)封裹(ほうか)す
新芽を摘み火で焙(あぶ)ってすぐに密封する。
至精至好且つ奢らず
素晴らしさは最高だが、つつましやかな茶の性(たち)。
至尊の餘 王公に合(かな)う
植物の中で最も尊いゆえに王公にこそふさわしい。
何事ぞ便(すなわ)ち山人の家に到れる
それがどうしてこの隠者の家へなど届けられたか。
柴門反(かえ)って關(とざ)して俗客無し
紫の扉は固く閉ざしているので俗人は来ない。
紗(さ)帽頭を籠(こ)めて自(みずか)ら煎喫す
頭巾で頭を包み、自分で淹れて飲む。
碧雲風を引いて吹き斷えず
碧(あお)い雲のような湯気は風を呼んで立ち上がり
白花光を浮(う)かべて碗面に凝る
白い花のような泡は碗の表面にびっしり浮かぶ。
一碗喉吻(こうふん)潤ほひ
一碗飲めば、のどや口が潤い、
兩碗孤悶を破り
二碗飲めば、胸のつかえが取れ、
三碗枯腸を搜(さぐ)れば
三碗飲んで、ひからびた腸をさぐってみれば、
唯だ文字五千卷有るのみ
中には「無為自然」があるばかり。
四碗 輕汗を發し
四碗飲めば、軽い汗がでて、
平生の不平のこと
平生の不平不満が、
尽く毛孔に向かって散ず
すっかり毛穴から飛んでゆく。
五碗 肌骨清く
五碗飲めば、肌や骨が清らかになり、
六碗 仙靈に通ず
六碗飲めば、仙界に通ずる。
七碗 喫し得ざるなり
七碗はもう飲めない。
唯だ覺ゆ 兩腋(えき)習習として清風生ずるを
ただ両脇(わき)からシューと清風が吹き出すようだ。
蓬萊山
かの仙人が棲む蓬莱山は、
何処にか在る
いったいどこに在る。
玉川子
われ、玉川子は、
此の清風に乘じて歸り去らんと欲す
この清風に乗ってそこへ行こうと思う。
山上の群仙 下士を司どり
山上の仙人たちは下界を治める。
地位清高 風雨を隔つ
その地位は清らに高く、風雨を隔てた向こう。
安(いずく)んぞ知るを得ん百万億の蒼生の命
幾万幾億の人民の命が、
墮ちて 顚崖に在りて辛苦を受くるを
がけの下に落ちて苦しんでいることを、どうしてわかろうか。
便(すなわ)ち諫議の為に蒼生を問う
そこで諫議に人民のことを尋ねます。
到頭還(ま)た蘇息を得るや否や
いったい人民は息を吹き返せるでしょうか、と。