このページの文章は、『ひゃくとりむし』の編集者である中西元男さんの了承を得て、筆者が投稿した原稿をウェブサイト用に編集したものです。引用する場合は[河野勝行.2020.「萬金丹」と卵寄生蜂.ひゃくとりむし (466): 5585–5578](2020年8月21日発行)としてください。
このページの文章は、『ひゃくとりむし』の編集者である中西元男さんの了承を得て、筆者が投稿した原稿をウェブサイト用に編集したものです。引用する場合は[河野勝行.2020.「萬金丹」と卵寄生蜂.ひゃくとりむし (466): 5585–5578](2020年8月21日発行)としてください。
伊勢の国の伝統薬に「萬金丹(まんきんたん)」というのがある。腹具合が悪いときに飲むと効果があるらしい。子供の頃、「鼻糞丸めてマンキンタン」などと口走った記憶もある。尾張の国に住んでいても名前を聞いたことがあったのだから、それだけ有名だということだろう。
去年の正月のこと、伊勢参りに行った内宮前の「おはらい町」で「萬金丹」の幟が掲げられている店を見つけた。ここ5年以上、色々身体の具合が悪いと地元の漢方専門医を受診して漢方薬を処方してもらっているので、そこでわざわざ「萬金丹」を買う必要は無かった。しかし、同じ店で「萬金丹」の成分生薬が配合されている「萬金飴」というのが売られていたので、糖分補給のついでに腹具合も良くなれば一石二鳥ではないかと買い求めた。生薬の味がするので普通の黒飴とは異なるが、悪い味ではない。
今年の正月にも伊勢参りに行った。「萬金丹」の幟が掲げられている店を見つけたので、「萬金飴」を買おうと思ったのだが、どうも様子が変だった。「萬金飴ありませんか?」と訊いたところ、「うちは薬屋です。お菓子は置いてません」と、つっけんどんな返事。どうやら間違った店に入ってしまったようだった。要するに「萬金丹」を扱っている店は複数あり、入ったのは商売敵の店だったようだ。
「萬金丹」には6種類の生薬が配合されているが、「萬金飴」にはそのうち3種類が配合されている。甘草(かんぞう)と桂皮(けいひ)はこれまでに飲んだ漢方薬の多くに配合されているので知っていたが、もう一つの阿仙薬(あせんやく)というのは知らなかった。しかし、これが「萬金丹」を「萬金丹」たらしめている生薬であることは伺い知れた。「Wikipedia」によれば、「正露丸」や「仁丹」にも配合されているらしい。
話は時を遡ること約20年、石垣島に暮らしていたときのことである。別のところ(Kohno 2002;河野 2014)にも書いたが、カメムシの成虫に便乗して、カメムシが産卵するとカメムシから降りてカメムシの卵に産卵する卵寄生蜂を見つけた。カメムシに便乗する卵寄生蜂の発見は日本初だったが、海外では少ないながら古くから知られており、いくつか文献が見つかった。そのうちの一つ、Schneider (1940)の93ページにはカメムシの触角と頭部と胸部に止まっているタマゴクロバチ科の卵寄生蜂の図が描かれている。この図のことは、その後も深く印象に残っていた。しかし、『東インドにおけるガンビール栽培における害虫とその防除』というこの論文の表題から、この論文が害虫の問題を扱ったものであることは理解していたものの、この「ガンビール」が何かについては気に留めていなかった。しかし、「缶ビール」に響きが似ている「ガンビール」という名前はほんの少しだけ印象に残った。
そこで「萬金飴」の阿仙薬のことである。今はインターネットで検索すれば、とりあえず何かの手がかりが得られるから本当に便利である。20年前にはそんなことはなかった。「Wikipedia」も無かったのである。そこで「Wikipedia」を使って「阿仙薬」のことを調べたら、「ガンビールノキ」というのがヒットした。アカネ科の植物で薬効成分が含まれているらしい。この時も「缶ビール」に響きが似ている印象だけが残った。
ある日のこと、そろそろ定年が近づいて、職場の書棚の整理を始めたところ、当時苦労して手に入れたSchneider (1940)のコピーが発掘された。その表題に書かれていた「Ganbirkulturen」という文字を目にして、「ああ、これがあの阿仙薬だったのか!」とカメムシの卵寄生蜂と「萬金丹」が20年の時を超えて結びつき、奇妙な縁であることに感激してしまった。
いま件のカメムシの卵寄生蜂を初めて発見していたなら、Schneider (1940)もインターネットを使って無料で読めるし、ガンビールが阿仙薬であることはすぐわかるから、こんな感慨に浸ることも無かったであろう。当時インターネットが十分普及していなかったことは良かったことなのだろうと思う。
引用文献
Kohno K (2002) Entomological Science 5: 281-285. https://ci.nii.ac.jp/naid/110003374787
河野勝行 (2014) 月刊むし (525): 30-36.
Schneider F (1940) Mitteilungen der Schweizerischen Entomologischen Gesellschaft 18: 77-207. https://doi.org/10.3929/ethz-a-000090810