このページの文章は、『ひゃくとりむし』の編集者である中西元男さんの了承を得て、筆者が投稿した原稿をウェブサイト用に編集したものです。引用する場合は[河野勝行.2018.私的アサギマダラ考.ひゃくとりむし (436): 5223–5225](20181221日発行)としてください。

私的アサギマダラ考

アサギマダラの「渡り」は世の中に知れ渡りつつあり、マーキングのために捕虫網を持っているがゆえ一般市民から声をかけられたとき、渡りをする蝶にマーキングしている旨説明すると興味を持って話を聞いてもらう機会も増えてきた。アサギマダラの名前と「渡り」を知っている一般市民はもはや珍しくない。

だだっ広い濃尾平野の真ん中の尾張一宮の市街地で少年時代を過ごしたので、近所でアサギマダラを見ることはなかった。初めてアサギマダラを見たのは小学校2年のお盆の頃、木曽御嶽山の濁河温泉にある父親が勤めていた会社の保養所に連れられて行ったときである。このとき、ちょうどキベリタテハの羽化時期であったらしく、キベリタテハをたくさん採集し、おそらくそれが原因で本格的に昆虫採集にはまった。アサギマダラは空高く滑空しているのを見たが、この時は採集できなかった。次に見たのは小学校4年ぐらいのときの秋の遠足である。知多半島の付け根にある聚楽園の大仏に行ったのだが、この時も上空を高く飛ぶアサギマダラを見ただけで、やはり採集できなかった。もっとも、学校の遠足だったので捕虫網は持参していなかった。今思えば、これらは渡りの経路になりえる場所である。

その後進学で京都に移った頃、蝶の渡りと言えばアサギマダラではなくイチモンジセセリであった。関西のグループが組織的にイチモンジセセリのマーキングを行ったが、その後すぐ下火になってしまったと記憶している。あんな小さな蝶にマークを付けようと言うのだから、手間がかかってしまうし、とても一般市民の興味を惹くようなものとは思えない。アサギマダラのマーキングは1980年代に入ってから行われるようになったそうだが、今のようにインターネットも無かったので、全国で組織的に行うことは極めて困難だったと思われる。先駆者の苦労が偲ばれる。

その後就職して半年の福山での勤務を経て盛岡で7年半過ごし、久留米で4年間過ごすまではアサギマダラとの縁は切れていたが、1997年に石垣島に転勤してやっとアサギマダラが身近になった。ちょうどインターネットが一般にも普及し始めた頃でもあった。

石垣島では自分でもマークしたが、その個体が再捕獲されることは期待していなかったし、じっさい再捕獲されたという情報は得られなかった。北から飛んできた個体は2匹捕獲した。1匹は和歌山県、もう1匹は高知県でマークされた個体だった。この頃にはマーキングに参加する人も増え、アサギマダラの渡りの実態が目に見えるようになった時期だと思われる。それと同時に、それまで昆虫になどほとんど興味の無かった人がマーキングに参加するようになった時期でもあったと思われる。2003年に『旅をする蝶アサギマダラ』(宮武頼夫・福田晴夫・金沢 至 編著)が月刊むしブックスとして刊行されたのもマーキング人口の増加を後押しした可能性がある。また、アサギマダラを呼び寄せる植物を人為的に植えるようになったのもこの時期だったと記憶している。ミズヒマワリもその一つだったが、後に特定外来生物に指定され、駆除されるようになった。

2004年に三重県に転居し、アサギマダラを求めて野登山に行ったりしたが、この頃から「うつ」に陥り、車を運転するのも億劫で、アサギマダラから少し遠のいた。しかし、「鈴鹿市の岸岡山にもアサギマダラが来る」という話を聞いて、2014年から通い始めた。その年は1匹もマークできなかったが、翌年最初にマークした個体が台湾の澎湖島で捕獲された(河野 2018,ひらくら 62: 57–59)のに気を良くして、その後毎年数回通うようになった。

アサギマダラから遠ざかっていた間にもマーキングする人は増え、再捕獲データは蓄積され、アメリカのオオカバマダラと同等以上に実態が明らかになってきたように思われるが、総説的な学術報告は出されていないようである。これは非常に残念なことであるが、まとめるのが困難であることも理解できる。アサギマダラの渡りは欧米には知れ渡っていないと思われるので、誰方かが英語で書いていただけることを期待している。

自然界に生じる現象は全て統計的な過程、すなわち「偶然」に左右されているから、そのように捉えて理解する必要がある。アサギマダラの生態も統計的に理解する必要があるのだが、統計というのは必ずしもヒトの自然な感覚と適合しないようで、理解できない人の方が圧倒的多数派であるように感じられる。マスコミなどの取り上げ方も、多くの場合「最大値」で語られることが多く、実態が適切に紹介されている例は少ないように思われる。

よく取り上げられる「最大値」は大抵の場合偶然に左右された「ハズレ値」であるから、本質の理解にはあまり役立たないだけでなく、時と場合によれば害悪にすらなりえる場合がある。また、再捕獲された個体数より圧倒的に多い「再捕獲されなかった個体」をどのように理解するのかも難しい。それ以前の話として、ランダムサンプリングとは程遠い方法で調査されているから、もともとのデータの扱いそのものも難しい。

外来種のミズヒマワリだけでなく、フジバカマなどを人為的に植えるという活動が盛んになってきたことも厄介なことだと感じている。それによりアサギマダラをたくさん呼び寄せることができればマーキングの効率は格段に良くなるのは確かである。場合によっては一般市民も集めることができる。しかし、人為的行為によって制御された生態は自然な姿とは言えるのかどうかと疑問を持つ。しかし、そんなことを言えば「お前は面倒な奴だ」と言われそうでもある。

そんなことを思いながらも、今年も自宅から出向くのに都合が良い鈴鹿市の岸岡山に電車で通っている。ここはアサギマダラが多いどころかかなり少ない場所だと思うが、家を出てから30分ぐらいで到着できるので、便利なことこの上ない場所である。マーキングできなくても(2018年は10月以降6回現地に赴いたが、マークできたのはたった3匹であった)、天気が良い日に展望台から海を眺めているだけでも気持ちが良いから、それでストレス解消になる。データが一つでも増えれば、真の姿に少しでも近付くことができるというのは統計学的な真理である。ストレス解消のついでに1匹でもマークできれば自分にとってのアサギマダラの生態解明への貢献だと思っている。