このページの文章は、『ひゃくとりむし』の編集者である中西元男さんの了承を得て、筆者が投稿した原稿をウェブサイト用に編集したものです。引用する場合は[河野勝行.2020.アサギマダラ考.ひゃくとりむし (461): 5525–5527](20206月1日発行)としてください。

アサギマダラ再考

最近三重県で(全国的か?)盛んになっているアサギマダラ誘致(?)のためのフジバカマの植栽について、中西元男さんは“釣り堀”に例えられた(ひゃくとりむし 434:編集後記,2018)。それをあまり意識していたわけではなかったけれど,筆者もフジバカマ植栽に批判的な文章を発表し(ひゃくとりむし 436: 5223–5225, 2018),それに対して中西さんから好意的な意見をいただいた(ひゃくとりむし 436: 5226–5228, 2018)。それらを受けて,河北均さんからアサギマダラの生態に関する考察とともに、「フジバカマ畑は“釣り堀”ではなく“トラップ”である」という意見をいただいた(ひゃくとりむし 457: 5473–5476, 2020)。河北さんの意見は尤もなことであるが,同時に「(いずれにせよ)アサギマダラの移動に何らかの影響を及ぼしているだろう」という点において,言葉の例えの違いはあまり大きな問題ではないと筆者には思われた。

さて、あらためて書くが、アサギマダラの生態は実に不思議である。幼虫はキジョランなどのキョウチクトウ科(クロンキスト体系ではガガイモ科)の植物の葉を餌としており、それに含まれ、脊椎動物に対して毒性を示すカルデノライド(Cardenolide)を成虫になっても体内に蓄え、鳥などの捕食を免れているという。成虫になっても、フジバカマなどの花蜜に含まれ、やはり脊椎動物に対して毒性を示すピロリジジンアルカロイド(Pyrrolizidine alkaloid)を摂取する。その理由は、毒成分の補給という意味だけでなく、オスが配偶行動のために必要なフェロモンを作るためにそれが必要だからだということであるが(本田計一博士らの研究成果による),進化の過程でなぜこんな生活史上の制約が課されてしまったのか,なかなか理解しづらい。しかし、その性質を持ってしまったがゆえに、“釣り堀”(あるいはトラップ)でアサギマダラを効率良く集めることが可能になっている。

長距離移動する性質の進化についても謎は多い。これについては,微小卵をキジョランなどの葉の表面に産んで,それを食べたアサギマダラの体内で生育するマダラヤドリバエ(アサギマダラに特異的な寄生者ではなく、いろいろな広義のタテハチョウ科に寄生できるようである)という寄生性天敵の存在が大きな影響を与えただろうという平井規央博士による説が有力である。

具体的な研究事例は知らないけれど、夏季のアサギマダラの主要な繁殖地である本州中部以北の高原ではマダラヤドリバエのアサギマダラに対する寄生率が低いことは容易に想像できる。この寄生者が休眠する性質を持っていなければ、低温乾燥で寄主やその餌である植物の葉がなくなる冬を乗り切るのは難しいであろうし、休眠する性質を持っていたとしても、「夏に気まぐれでやってくる寄主」であるアサギマダラを利用するのは極めて効率が悪いことであろう。筆者は中部地方以北の高原に群れ飛ぶアサギマダラを実際に見たことはないけれど、随分個体数が多いらしい。再捕獲された事例数から推察すると初夏に北上する個体数は秋に南下する個体数と比べると遥かに少ないと思われるわけだが、夏を過ごす場所でそれだけ多くの次世代成虫を生産できているというのが事実ならば、マダラヤドリバエの寄生によって死亡するアサギマダラは少ないはず、とも言える。これに対して、本州南端に位置し、幼虫越冬も観察される紀伊半島での調査によれば、そこでのマラダヤドリバエの寄生率は高いそうである(平井規央博士らによる研究による)。

冬季の主要な繁殖地である南西諸島でアサギマダラの幼虫は常緑のキョウチクトウ科(クロンキスト体系ではガガイモ科)の植物であるツルモウリンカやサクラランなどを利用しているらしいが、ツルモウリンカはリュウキュウアサギマダラの主要な寄主植物であり、これにもマダラヤドリバエの卵が産まれ、リュウキュウアサギマダラの体内にもマダラヤドリバエが侵入するが、マダラヤドリバエはリュウキュウアサギマダラの体内ではうまく発育できないとのことである(平井規央博士らの研究成果による)。リュウキュウアサギマダラは逃げ出すことなく寄生者に対抗することに成功し、アサギマダラは寄生者から逃げ出すことを選んで、それぞれの生活環を進化させたわけだが、その違いは偶然で「たまたま」の違いだったのだろうと想像するし、寄生者に対する抵抗力も移動能力も身につけられなかったら、淘汰されてしまっていたであろうことは想像できる。

河北さんは神島という地域におけるアサギマダラの移動を考察されており、その起源の時期を最終氷期以降に想定されているようであるが(ひゃくとりむし 457: 5473–5476, 2020)、それほど狭い地域に限定してしまうのは適切で無いように思われる。ここまでに筆者が書いてきたことから想像すれば、日本列島周辺におけるアサギマダラの移動の起源はもっとずっと古く、日本列島が大陸から離れたとされる鮮新世、ないしは日本海の原型ができたとされる中新世中期あたりまで起源を求められる可能性が高いと思われる(筆者は自分が生まれる前の人類社会の歴史だけでなく、古生物学もずっと苦手としているで、にわか勉強したことを告白しておく)。アサギマダラの移動性の進化を考えるのであれば、フジバカマによる“釣り堀”(あるいはトラップ)があろうがなかろうが、河北さんも書かれたように、違いは些細なものに違いない。

しかし、“釣り堀”を設置してマーキングの効率が良くなっていることは疑いないのであるから、“釣り堀”の設置者はアサギマダラにちゃんとマーキングして、しかるべきところ(例えば、メーリングリスト、とか)に報告して、その後の経過にも注意を払って欲しいものである。なぜなら、個々の移動記録の一つずつの積み重ねがアサギマダラの移動の実態の解明に近付く唯一の道であるからである。最近、マーク個体の再捕獲をメーリングリストに報告しても応答率が悪くなっていると感じているが、大いに気になっているのである。自分がマークしたアサギマダラが再捕獲されるかどうか、あるいは何処で再捕獲されるのか、気にならないのだろうか?