小部経典(クッダカ・ニカーヤ)

 

11. ブッダヴァンサ聖典(仏種姓経)

 

【目次】

 

1. 宝玉の歩行場の部(1)

2. スメーダの切望の物語(82)

3. ディーパンカラ覚者の伝統(269)

4. コンダンニャ覚者の伝統(300)

5. マンガラ覚者の伝統(338)

6. スマナ覚者の伝統(370)

7. レーヴァタ覚者の伝統(404)

8. ソービタ覚者の伝統(433)

9. アノーマダッシン覚者の伝統(463)

10. パドゥマ覚者の伝統(492)

11. ナーラダ覚者の伝統(521)

12. パドゥムッタラ覚者の伝統(554)

13. スメーダ覚者の伝統(585)

14. スジャータ覚者の伝統(616)

15. ピヤダッシン覚者の伝統(652)

16. アッタダッシン覚者の伝統(679)

17. ダンマダッシン覚者の伝統(705)

18. シッダッタ覚者の伝統(730)

19. ティッサ覚者の伝統(754)

20. プッサ覚者の伝統(782)

21. ヴィパッシン覚者の伝統(807)

22. シキン覚者の伝統(844)

23. ヴェッサブー覚者の伝統(872)

24. カクサンダ覚者の伝統(902)

25. コーナーガマナ覚者の伝統(929)

26. カッサパ覚者の伝統(958)

27. ゴータマ覚者の伝統(1009)

28. 覚者たちについての雑駁なる〔言説〕の部(1033)

29. 遺物(遺骨)の細別についての言説(1053)

 


 

 

11. ブッダヴァンサ聖典(仏種姓経)

 

阿羅漢にして 正等覚者たる かの世尊に 礼拝し奉る

 

1. 宝玉の歩行場の部

 

1.(1) そして、世の君主にして娑婆の長たる梵〔天〕(ブラフマー神)は、合掌を為し、優れ勝る者なき方(ブッダ)に乞い求めた。〔梵天が言った〕「ここに、塵少なき類の有情たちが存在します。法(教え)を説示してください。この〔世の〕人々を慈しんでください」〔と〕。

 

2.(2) 明知と行ないの成就者たる如なる方(ブッダ)に、光輝を保ち最後の肉身を保つ方に、対する人なき如来に、一切の有情にたいする慈悲〔の思い〕が生起した。

 

3.(3) 〔世尊は言った〕「まさに、これらの天〔の神〕や人間を含む者たちは知らない。〔彼らは問う〕『最上の人たる者は、この覚者は、どのような者であるのか。神通の力は、さらに、智慧の力は、どのようなものであるのか。世の利益となる覚者の力は、どのようなものであるのか』〔と〕。

 

4.(4) まさに、これらの天〔の神〕や人間を含む者たちは知らない。〔わたしは答える〕『最上の人たる者は、この覚者は、このような者である。神通の力は、さらに、智慧の力は、このようなものである。世の利益となる覚者の力は、このようなものである』〔と〕。

 

5.(5) さあ、わたしは、無上なる覚者の力を見示するのだ──天空において、宝玉で装飾された〔瞑想のための〕歩行場を造作するのだ」〔と〕。

 

6.(6) 地居〔の神々〕たちは、〔四者の〕大王たち(四天王)は、三十三〔天の神々〕たちは、そして、耶摩天〔の神々〕たちは、かつまた、兜率〔天の神々〕たちは、化作〔天の神々〕たち(化楽天)は、他化〔天の神々〕たち(他化自在天)は、さらに、また、すなわち、梵身〔天の神々〕たちは、〔全ての者たちが〕歓嘆し、広大なる〔歓呼の〕声を上げた。

 

7.(7) そして、天を含む地は、光り輝くところとなった──さらに、世の中間域である無覆にして多々なる〔地獄〕も。そして、漆黒の闇は、そのとき、打破されたものと成った──〔世尊の〕稀有なる神変を見て。

 

8.(8) 天〔の神〕や音楽神や人間や羅刹を含む〔世〕において、広大にして巨万の輝きが生じた──この世において、さらに、他〔の世〕において、〔すなわち〕両者において、そして、下に、上に、さらに、横に、幅広く。

 

9.(9) 最上の有情たる方は、優れ勝る者なき方は、〔世の〕導き手たる方として、〔世の〕教師たる方として、天〔の神〕と人間に供養され、〔世に〕有った。偉大なる威力ある方は、百の功徳の特相ある方は、稀有なる神変を見示した。

 

10.(10) 彼は、優れた天〔の神〕(梵天)に乞い求められた眼ある方は、そのとき、義(目的)を〔あるがままに〕注視して、最上の人たる方は、世の導き手たる方は、〔瞑想のための〕歩行場を造作した──見事に仕立てられた〔歩行場〕を、全てが宝玉で化作された〔歩行場〕を。

 

11.(11) そして、世尊は、神通と指摘と教示の三つの神変における自在者として〔世に〕有った。世の導き手たる方は、〔瞑想のための〕歩行場を造作した──見事に仕立てられた〔歩行場〕を、全てが宝玉で化作された〔歩行場〕を。

 

12.(12) 一万の世の界域における最上のものたるシネール(須弥山)の山々を、柱であるかのように、次第次第に見示した──〔全てが〕宝玉で作られている歩行場において。

 

13.(13) 一万〔の世の界域〕を超え行って、勝者は、〔瞑想のための〕歩行場を造作した──側〔面〕には、全てが黄金で作られている〔手すり〕が〔化作されている〕──〔全てが〕宝玉で作られている歩行場において。

 

14.(14) 〔歩行場は〕均等なる戸柱が集をなし、黄金の延べ板が敷かれ、全てが黄金の手すりが、両側に化作されている。

 

15.(15) 宝珠と真珠の砂礫がちりばめられ、化作された〔全てが〕宝玉で作られている〔歩行場〕は、昇り行く百光〔の太陽〕のように、一切の方角を照らす。

 

16.(16) その歩行場に、慧者は、三十二の優れた特相ある方は、〔一万の世の界域に〕遍照しながら、正覚者は、勝者は、歩行場において歩行した。

 

17.(17) 天の、曼陀羅花を、蓮華を、珊瑚樹を、全ての天〔の神々〕たちが集いあつまり、歩行場において振りまく。

 

18.(18) 一万〔の世の界域〕の天〔の神々〕たちの群れは、歓喜した者たちとなり、彼(ブッダ)を見る。満足し欣喜し歓喜した者たちとなり、〔彼を〕礼拝しながら、〔その場に〕平伏する。

 

19.(19) そして、三十三〔天の天神〕たちは、かつまた、耶摩〔天の天神〕たちは、さらに、また、兜率〔天〕の天神たちは、化楽天〔の天神〕たち、自在天〔の天神〕たちは、彼らは、勇躍する心の者たちとなり、悦意の者たちとなり、世の導き手たる方を見る。

 

20.(20) 天〔の神〕や音楽神や人間や羅刹を含む者たちは、龍たちは、金翅鳥たちは、さらに、あるいは、また、妖精たちは、彼を、世〔の人々〕に利益と慈しみ〔の思い〕ある方を、天空に屹立する円月のような方を、見る。

 

21.(21) 光音〔天の天神〕たちは、遍浄〔天の天神〕たちは、広果〔天の天神〕たちは、さらに、有頂〔天〕の天神たちは、極清浄の白衣をまとい、合掌を為し、〔その場に〕立つ。

 

22.(22) また、栴檀の細片を混ぜ合わせた、五色の曼陀羅花を解き放つ。そして、そのとき、宙においては、諸々の衣を振り回す。〔神々が言った〕「ああ、勝者は、世〔の人々〕に利益と慈しみ〔の思い〕ある方です。

 

23.(23) あなたは、命あるものたちにとっての、そして、教師たる方です、そして、幟です、旗です、そして、支柱です、行き着く所です、そして、立脚地です、そして、灯明です、最上の二足者たる方です」〔と〕。

 

24.(24) 一万の世の界域における天神たちは、大いなる神通ある者たちは、満足し欣喜し歓喜した者たちとなり、〔世尊を〕取り囲んで、礼拝する。

 

25.(25) 天神たちは、さらに、天女たちは、清信した者たちとなり、満足した意図ある者たちとなり、人の雄牛たる方を、五色の花々によって供養する。

 

26.(26) 天〔の神々〕たちの群れは、彼を見る。清信した者たちとなり、満足した意図ある者たちとなり、人の雄牛たる方を、五色の花々によって供養する。

 

27.(27) 〔神々が言った〕「ああ、世における稀有なることです。未曾有にして身の毛のよだつことです。このようなことは、過去に有ったことがありません。稀有にして身の毛のよだつことです」〔と〕。

 

28.(28) 天神たちは、各自の居所に坐って、彼らは、大いに笑喜しては笑喜する──天空において、稀有なることを見て。

 

29.(29) そして、虚空に依って立つ者たちは、地に依って立つ者たちは、草路に住する者たちは、満足し欣喜し歓喜した者たちとなり、合掌を為し、礼拝する。

 

30.(30) すなわち、また、功徳ある者にして、大いなる神通ある、長き寿命の龍たちも、歓喜した者たちとなり、最上の人たる方を、礼拝し、供養する。

 

31.(31) 諸々の合誦〔の声〕を転起させる──宙において、曲がりなき風のなか。諸々の皮太鼓を奏でる──天空において、稀有なることを見て。

 

32.(32) そして、諸々の法螺が、まさしく、さらに、諸々の銅鼓が、さらに、また、多くの小鼓が、空中において、奏でられる──天空において、稀有なることを見て。

 

33.(33) 〔神々が言った〕「未曾有にして身の毛のよだつことが、まさに、今日、わたしたちに生起しました。常恒なる義(目的)の実現を、〔わたしたちは〕得ます──瞬時に実践されたのものとして、わたしたちに」〔と〕。

 

34.(34) 「覚者である」という、彼らの〔声を〕聞いて、まさしく、ただちに、喜悦が生起した。〔彼らは〕「覚者である」「覚者である」と発話しながら、合掌を為し、〔その場に〕立つ。

 

35.(35) 諸々の驚嘆の歓呼を、さらに、諸々の「善きかな」の歓呼を、叫喚と感動〔の声〕を、そして、様々な種類の人々が、合掌を為し、空において転起させる。

 

36.(36) 〔彼らは〕歌い、そして、囃し、かつまた、奏でる。そして、〔両の〕手を打ち、かつまた、舞う。また、栴檀の細片を混ぜ合わせた、五色の曼陀羅花を解き放つ。

 

37.(37) 〔神々が言った〕「偉大なる勇者よ、すなわち、あなたの〔両の〕足において、輪の特相があり、旗と金剛と幟があり、卍の鉤がちりばめられているように──

 

38.(38) 形姿()において、戒において、禅定(定・三昧)において、そして、智慧(慧・般若)において、同等の者なき方であり、解脱において、法(真理)の輪を転起させること(転法輪)において、〔過去と未来の〕同等の者なき者たちと同等なる方であるように──

 

39.(39) あなたの身体において、〔生来の〕性向の力として、十象の力があり、法(真理)の輪の転起において、神通の力をもってしては等しき者なき方であるように──

 

40.(40) このように、一切の徳を具し、一切の支分を完備した、偉大なる牟尼を、慈悲の者たる方を、世の主たる方を、礼拝せよ。

 

41.(41) 敬礼を、そして、賛嘆を、そして、敬拝を、賞賛を、そして、礼拝を、そして、供養を、あなたは、〔その〕全て〔を受ける〕に値します。

 

42.(42) 彼らが誰であれ、世において、敬拝されるべき者たちであり、彼らが、敬拝に値するも、偉大なる勇者よ、全てにおける最勝者として、あなたに、同等の者は見出されません」〔と〕。

 

43.(43) 大いなる智慧あるサーリプッタ〔長老〕は、禅定と瞑想(禅・静慮)における熟知者は、まさしく、ギッジャクータ〔山〕(霊鷲山)に立ち、世の導き手たる方を見る。

 

44.(44) あたかも、美しく咲き誇るサーラ〔樹〕の王のような方を、空における月のような方を、正午の太陽のような方を、人の雄牛たる方を、眺め見る(※)。

 

※ テキストには olokesi とあるが、PTS版により oloketi と読む。

 

45.(45) 光り輝いている灯明台のような方を、昇り行く若き太陽のような方を、〔一〕ヴヤーマ(:長さの単位・一ヴヤーマは約二メートル)の光に染まった慧者を、世の導き手たる方を、見る。

 

46.(46) 〔サーリプッタ長老は〕五百の比丘たちを、為すべきことを為した者たちを、如なる者たちを、煩悩()の滅尽者たちを、〔世俗の〕垢を離れる者たちを、瞬時に集めた。

 

47.(47) 〔サーリプッタ長老が言った〕「〔世尊は〕ローカッパサーダナ(世界の浄化)という名の神変を実示しました。わたしたちもまた、そこにおいて、赴いて──わたしたちは、勝者を敬拝するのです。

 

48.(48) さあ、全ての者たちが赴くのです。わたしたちは、勝者に尋ねるのです、疑いを除き去るのです──世の導き手たる方を見て」〔と〕。

 

49.(49) 彼らは、「善きかな」と答えて、〔感官の〕機能()が統御された賢明なる者たちは、鉢と衣料を取って、〔先を〕急ぎつつ、〔世尊のもとへと〕近しく赴いた。

 

50.(50) 煩悩の滅尽者たちとともに、〔世俗の〕垢を離れる者たちとともに、最上の調御における調御者たちとともに、大いなる智慧あるサーリプッタ〔長老〕は、神通によって、〔世尊のもとへと〕近づいて行った。

 

51.(51) それらの比丘たちに取り囲まれた、大いなる衆師たるサーリプッタ〔長老〕は、天〔の神〕が空にあって戯れているかのように、神通によって、〔世尊のもとへと〕近づいて行った。

 

52.(52) そして、善き掟の者たちは、咳払いとくしゃみに気をつけて、尊重〔の思い〕を有し敬虔〔の思い〕を有する者たちは、正覚者のもとへと近づいて行った。

 

53.(53) 近づいて行って、〔彼らは〕見る──〔他に依らず〕自ら成る方を、世の導き手たる方を、天空に屹立する慧者を、あたかも、空における月のような方を──

 

54.(54) 光り輝いている灯明台のような方を、まさしく、空における雷光のような方を、正午の太陽のような方を、世の導き手たる方を、〔彼らは〕見る。

 

55.(55) 五百の比丘たちは、全ての者たちが、世の導き手たる方を見る──清らかな湖のような方を、美しく咲き誇る蓮華のような方を。

 

56.(56) 合掌を差し出して、満足し欣喜し歓喜した者たちとなり、〔世尊を〕礼拝しながら、〔その場に〕平伏する──〔世の〕教師たる方の、輪の特相ある〔足〕にたいし。

 

57.(57) 大いなる智慧あるサーリプッタ〔長老〕は、コーランダ〔樹の花〕に等しく同等なる者は、禅定と瞑想に巧みな智ある者は、世の導き手たる方を敬拝する。

 

58.(58) 鳴り響く黒雲のような者であり、青蓮に等しく同等なる者である、大いなる神通あるモッガッラーナ〔長老〕は、神通の力をもってしては等しき者なき者である。

 

59.(59) そして、熱せられた黄金の似姿あるマハー・カッサパ長老もまた、払拭〔行〕(頭陀)の徳における至高〔の地位〕に置かれ、賛嘆され、〔世の〕教師たる方に褒め称えられた者である。

 

60.(60) すなわち、天眼者たちのなかの至高の者であり、大いなる衆師である、アヌルッダ〔長老〕は、世尊の最勝の親族であり、まさしく、遠からざるところに立つ。

 

61.(61) 有罪と無罪についての〔熟知者であり〕、許しの可否についての熟知者である、ウパーリ〔長老〕は、律における至高〔の地位〕に置かれ、〔世の〕教師たる方に褒め称えられた者である。

 

62.(62) 繊細にして精緻なる義(道理)を理解し、言説者たちのなかの最も優れた衆師である、マンターニプッタ聖賢は、「プンナ(円満者)」という名で〔世に〕聞こえた者である。

 

63.(63) これらの者たちの心を了知して、喩えに巧みな智ある牟尼は、疑いを断ち切った偉大なる勇者は、自己の徳を言説した。

 

64.(64) 〔世尊は言った〕「そして、有情の衆と虚空は、さらに、諸々の終極なきチャッカ・ヴァーラ(輪囲山・鉄囲山:世界の周辺にあって世界を囲んでいる山)は──それらの突端は知られず、それら〔の数量〕が四つのアサンケイヤ(阿僧祇:不可算不可測の巨大数)となるも、これら〔の数量〕では、無量なる覚者の知恵を識知することはできない。

 

65.(65) すなわち、わたしの神通の変異であるが、どうして、これが、世における稀有なることであろう。他に多くの稀有なることがあり、未曾有にして身の毛のよだつことがある。

 

66.(66) すなわち、わたしが、兜率〔天〕の衆のうちにあり、わたしが、サントゥシタという名の者としてあるとき、そのとき、一万〔の世の界域の神々たち〕が集いあつまって、合掌し、わたしに乞い求める。

 

67.(67) 〔神々が言った〕『偉大なる勇者よ、まさに、あなたのための時です。母の子宮に生起したまえ。天を含む〔世の人々〕を超え渡しつつ、不死の境処を覚るのです』〔と〕。

 

68.(68) すなわち、兜率〔天〕の衆から死滅して、〔母の〕子宮に入ったとき、そのとき、一万の世の界域が、大地が、揺れ動いた。

 

69.(69) すなわち、わたしが、まさしく、正知の者として、母の子宮から出たとき、〔神々は〕『善きかな』の歓呼を転起させ、一万〔の世の界域〕が揺れ動いた。

 

70.(70) わたしの入胎と等しき者は存在せず、出生から離欲において〔等しき者は存在せず〕、わたしは、正覚における最勝者であり、法(真理)の輪の転起における〔最勝者である〕。

 

71.(71) ああ、世における、稀有なることである──覚者たちの徳の偉大なることは。一万の世の界域は、六つの流儀に揺れ動いた。そして、大いなる光が存在した。稀有にして身の毛のよだつことである」〔と〕。

 

72.(72) その時点において、世尊は、世の最尊者たる方は、人の雄牛たる方は、勝者は、天を含む〔世の人々〕に見示しながら、神通によって歩行した。

 

73.(73) 歩行場において、まさしく、歩行しながら、世の導き手たる方は言説した。すなわち、四ハッタ(長さの単位・一ハッタは約五十センチ)の歩行場にあるも、途中から戻ることなくあるかのように。

 

74.(74) 大いなる智慧あるサーリプッタ〔長老〕は、禅定と瞑想における熟知者は、智慧の完全態(般若波羅蜜)に至り得た者は、世の導き手たる方に尋ねる。

 

75.(75) 〔サーリプッタ長老が尋ねた〕「偉大なる勇者よ、最上の人たる方よ、どのようなものとして、あなたの、〔覚りのための心の〕導引(成仏の決意)は〔有ったのですか〕。慧者よ、どのような時に、あなたによって、最上の覚り(菩提)は切望されたのですか。

 

76.(76) どのようなものとして、布施は、そして、戒は、離欲は、智慧は、さらに、精進は、〔有ったのですか〕。どのようなものとして、忍耐は、真理()は、〔心の〕確立(加持)は、慈愛()は、そして、放捨()は、〔有ったのですか〕。

 

77.(77) 慧者よ、世の導き手たる方よ、どのようなものとして、あなたによって、十の完全態(十波羅蜜:布施・戒・出離・智慧・精進・忍耐・真理・心の確立・慈悲・放捨)は〔為されたのですか〕。どのように、諸々の近小〔の完全態〕は満たされたのですか。どのように、最高の義(勝義:涅槃)の完全態は〔満たされたのですか〕」〔と〕。

 

78.(78) 尋ねられた〔世尊〕は、カラヴィーカ〔鳥〕の甘美な鳴き声ある方は、彼に説き明かした──〔人々の〕心臓(心)を寂滅させながら、天を含む〔世の人々〕を笑喜させつつ。

 

79.(79) 過去の覚者たる勝者たちの説示したものは、〔覚者たちが〕熱中したものであり、覚者たちの相伝によって伝えられたものである。過去の居住(過去世)に従い行く覚慧によって、〔世尊は〕天を含む〔世の人々〕にたいし、世の利益を明示した。

 

80.(80) 〔世尊は答えた〕「喜悦と歓喜を生むものを、憂いの矢を除き去るものを、一切の得達の獲得を、わたしの〔語るところを〕、心を為して聞きなさい。

 

81.(81) 驕慢の削除を、憂いの除去を、輪廻の完全なる解放を、一切の苦痛の滅尽を、〔聖者の〕道を、真剣に実践しなさい」〔と〕。ということで──

 

 宝玉の歩行場の部は〔以上で〕終了となる。

 

2. スメーダの切望の物語

 

1(82) そして、十万カッパ(:時間の単位・極めて長い時間)〔の過去〕において、さらに、四つのアサンケイヤ(阿僧祇:不可算不可測の巨大数)〔の過去〕において、美しく、意が喜びとする、アマラ(アマラヴァティー)という名の城市が〔有った〕。

 

2.(83) 十〔種〕の音声から遠離せず、食べ物と飲み物が集結し、象の音声があり、馬の音声があり、さらに、太鼓と法螺貝〔と歌詠と鐃(シンバル)と銅鑼と琵琶〕と車〔の音声〕があり、まさしく、そして、「喰えよ」「飲めよ」〔と〕、食べ物と飲み物によって立てられた〔音声〕があり──

 

3.(84) 城市は、全ての支分が成就し(施設や設備が完備し)、全ての生業(経済活動)を具し、七つの宝を成就し、種々なる人々が群れ溢れ、天の城市のように富み栄え、功徳の行為〔の果〕ある者たちの居住所となる。

 

4.(85) アマラヴァティーの城市において、〔わたしは〕スメーダという名の婆羅門として〔世に有った〕──幾千万の蓄積ある者として、多大なる財産と穀物ある者として──

 

5.(86) 〔聖典の〕読誦者にして呪文の保持者として、三つのヴェーダの奥義に至る者として、特相(占相術)における、かつまた、古伝における、自らの法(教え)における完全態に至った者として。

 

6.(87) 静所に赴き、〔そこに〕坐って、そのとき、わたし(スメーダ)は、このように思い考えた。「さらなる生存(再生)は、まさに、苦しみである。そして、肉体の破壊(死滅)も、〔苦しみである〕」〔と〕。

 

7.(88) 生の法(性質)ある者として、老の法(性質)ある者として、病の法(性質)ある者として、そのとき、〔まさに〕その、わたしは〔思い考えた〕。「不老にして不死なる平安〔の境地〕を、寂滅〔の境処〕を、遍く探し求めるのだ。

 

8.(89) それなら、もう、種々なる死骸に満たされた、この腐敗の身体を捨て放って、去り行くべきである──〔一切に〕期待なく、義(目的)なき者となり。

 

9.(90) その道は、存在するし、有るであろう。その〔道〕は、有りえないわけがない。その道を、遍く探し求めるのだ──生存()からの遍き解き放ちのために。

 

10.(91) たとえば、また、苦痛が見出されているとき、まさに、また、安楽も見出されるように、このように、生存が見出されているとき、生存から離れることもまた、求められるべきものとして〔存在する〕。

 

11.(92) たとえば、また、暑気が見出されているとき、他にも、冷気が見出されるように、このように、三種類の火(貪瞋痴の三毒)が見出されているとき、涅槃も、求められるべきものとして〔存在する〕。

 

12.(93) たとえば、また、悪が見出されているとき、善もまた見出されるように、まさしく、このように、生が見出されているとき、生なき〔あり方〕もまた、求められるべきものとして〔存在する〕。

 

13.(94) たとえば、糞のなかに落ちた人が、〔清水で〕満たされた池を見て、その池を探し求めないのは、それは、池の汚点ではないように──

 

14.(95) このように、諸々の〔心の〕汚れ(煩悩)と〔世俗の〕垢を洗い清めている者が、不死の池が見出されているとき、その池を探し求めないのは、不死の池における汚点ではない。

 

15.(96) たとえば、敵たちに遍く包囲された者が、去り行く道が見出されているとき、その人が逃げないのは、それは、曲がりなき〔道〕の汚点ではないように──

 

16.(97) このように、諸々の〔心の〕汚れによって遍く包囲された者が、至福の道が見出されているとき、その道を探し求めないのは、曲がりなき至福〔の道〕における汚点ではない。

 

17.(98) たとえば、また、病んでいる人が、医師が見出されているとき、その病を治療させないのは、それは、医師における汚点ではないように──

 

18.(99) このように、諸々の〔心の〕汚れの病によって遍く責め苛まれ苦しんでいる者が、その師匠を探し求めないのは、それは、導き手における汚点ではない。

 

19.(100) たとえば、また、人が、首に結び縛られた死骸を忌避して、安楽ある独存の自在者となり、自ら、〔死骸を〕解き放って、去り行くべきであるように──

 

20.(101) まさしく、そのように、種々なる死骸の積み重ねである、この腐敗の身体を捨て放って、去り行くべきである──〔一切に〕期待なく、義(目的)なき者となり。

 

21.(102) たとえば、便所において、糞を、男や女たちが、〔一切に〕期待なく、義(目的)なき者たちとなり、捨て放って、去り行くように──

 

22.(103) まさしく、このように、わたしは、種々なる死骸に満たされた、この腐敗の身体を捨て放って、去り行くのだ──便を為して、小屋を〔離れ去る〕ように。

 

23.(104) たとえば、また、老朽し破損し浸水する舟を、〔舟〕主たちが、〔一切に〕期待なく、義(目的)なき者たちとなり、捨て放って、去り行くように──

 

24.(105) まさしく、このように、わたしは、九つの穴があり、〔不浄物が〕常に漏れ出る、この身体を捨て放って、去り行くのだ──老い朽ちた舟を、所有者たちが〔捨て去る〕ように。

 

25.(106) たとえば、また、人が、物品を携えて、盗賊たちとともに赴いているなら、物品の略奪の恐怖を見て、〔彼らを〕捨て放って、去り行くように──

 

26.(107) まさしく、このように、この身体は、大盗賊と等しきかのようなものであり、善なる〔功徳〕の略奪の恐怖あることから、これを捨棄して、去り行くのだ」〔と〕。

 

27.(108) わたしは、このように思い考えて、幾百の千万の財産を、富裕の者や貧窮の者たちに施して、ヒマヴァント(ヒマラヤ)へと近しく赴いた。

 

28.(109) ヒマヴァントから遠くないところに、ダンミカという名の山がある。わたしには、美しく作られた庵所があり、見事に造作された草庵がある。

 

29.(110) そこにおいて、五つの汚点を避けた〔瞑想のための〕歩行場を造作し、八つの徳を具完した神知の力を将来した。

 

30.(111) そこにおいて、九つの汚点を具した衣を捨棄し、十二の徳を具した樹皮の衣を着衣した。

 

31.(112) 八つの汚点に満ち溢れた草庵を捨棄し、十の徳を具した木の根元へと近しく赴いた。

 

32.(113) 〔種を〕蒔かれ〔人の手で〕育てられた穀物を残りなく捨棄し、無数の徳を成就し〔自然に〕転起した〔野生の〕果実を取った。

 

33.(114) そこにおいて、坐ることと立つことと歩行において、〔刻苦〕精励をもって〔自己を〕精励し、七日以内に、神知の力に至り得た。

 

34.(115) このように、わたしが神通に至り得たとき、〔自らの〕教えにおける自在者と成ったとき、ディーパンカラという名の勝者が、世の導き手たる方が、〔世に〕生起した。

 

35.(116) そして、〔彼が〕生起し、生まれ、覚り、法(教え)の説示あるとき、瞑想の喜びを供与された〔わたし〕は、〔それらの〕四つの形相を見なかった(前兆を見逃し覚者の生起に気づかなかった)。

 

36.(117) 辺境の地の境域において、〔人々は〕如来を招いて、満足した意図ある者たちとなり、彼の至り来る道を清める(道を清掃し整備する)。

 

37.(118) その時点にあって、わたしは、自らの庵所から出て、諸々の樹皮の衣を打ち震わせながら、宙を赴くが、そのとき──

 

38.(119) 満足し欣喜し歓喜した者となり、感嘆〔の思い〕が生じた、〔大勢の〕人を見て、空から降りて、まさしく、ただちに、人間たちに尋ねた。

 

39.(120) 〔わたしは尋ねた〕「満足し欣喜し歓喜した者となり、感嘆〔の思い〕が生じた、大勢の人がいます。誰のために、道は清められるのですか──曲がりなく至らしめる道として」〔と〕。

 

40.(121) 彼らは、わたしに尋ねられ、説き明かした。〔彼らが答えた〕「覚者が、世における無上なる方が、ディーパンカラという名の勝者が、世の導き手たる方が、〔世に〕生起しました。彼のために、道は清められます──曲がりなく至らしめる道として」〔と〕。

 

41.(122) 「覚者である」という、〔その〕言葉を聞いて、まさしく、ただちに、喜悦が生起した。〔わたしは〕「覚者である」「覚者である」と発話しながら、〔彼らに〕悦意を知らせた。

 

42.(123) その場に立って、満足し、畏怖の意図ある者となり、〔わたしは〕熟慮した。「ここに、諸々の〔功徳の〕種を育てるのだ。まさに、〔この〕瞬間が、〔おまえを〕過ぎ行くことがあってはならない(瞬時でさえも、虚しく過ごしてはならない)」〔と〕。

 

43.(124) 〔わたしは言った〕「すなわち、〔あなたたちが〕覚者のために〔道を〕清めるなら、わたしに、一つの箇所を与えてください。わたしもまた、〔道を〕清めます──曲がりなく至らしめる道として」〔と〕。

 

44.(125) 曲がりなく清めるべき、わたしの箇所を、彼らが与えてくれた、そのとき、「覚者である」「覚者である」と思い考えながら、わたしが、道を清める、そのとき──

 

45.(126) わたしの箇所〔の清掃〕が終了しないうちに、ディーパンカラ〔世尊〕は、偉大なる牟尼は、四の百千の者たちとともに、六つの神知(六神通:宿命通・天眼通・他心通・天耳通・神足通・漏尽通)ある者たちとともに、如なる者たちとともに、煩悩の滅尽者たちとともに、〔世俗の〕垢を離れる者たちとともに、勝者は、曲がりなき〔道〕を行った。

 

46.(127) 諸々の出迎え〔の波〕が転起し、多くの太鼓が奏でられる。歓喜した人や神たちは、「善きかな」の歓呼を転起させた。

 

47.(128) 天〔の神々〕たちは、人間たちを見る。そして、また、人間たちも、天神たちを〔見る〕。彼らは、両者ともどもに、合掌の者たちとなり、如来に従い行く。

 

48.(129) 天〔の神々〕たちは、諸々の天の楽器によって、そして、人間たちは、諸々の人間の〔楽器〕によって、彼らは、両者ともどもに、〔楽器を〕奏でながら、如来に従い行く。

 

49.(130) 天の、曼陀羅花を、蓮華を、珊瑚樹〔の花〕を、虚空と天空を赴く神たちは、方々に振りまく。

 

50.(131) そして、天の栴檀の細片を、さらに、優れた香りあるものの全部を、虚空と天空を赴く神たちは、方々に振りまく。

 

51.(132) チャンパカ〔の花〕を、サララ〔の花〕を、ニーパ〔の花〕を、ナーガ〔の花〕やプンナーガ〔の花〕やケータカ〔の花〕を、地面を赴く人たちは、方々に投げ上げる。

 

52.(133) そこにおいて、わたしは、諸々の髪を解き放って、そして、樹皮の衣と皮の〔衣〕を、泥のうえに広げて、わたしは、〔身を〕投げ出し、横たわった。

 

53.(134) 〔わたしは言った〕「覚者は、わたしを踏みしめて、徒弟たちと共に赴いてください。泥のうえを踏みしめることがあってはなりません。それは、わたしの利益のために成るでしょう」〔と〕。

 

54.(135) 地に横たわったわたしの心に、このような〔思いが〕存した。〔わたしは思い考えた〕「〔それを〕求めるなら、わたしは、今日、わたしの諸々の〔心の〕汚れを焼き尽くすであろう。

 

55.(136) 〔誰にも〕姿を知られず、ここに、法(真理)を実証したとして、わたしにとって、何になるというのだろう。一切知者たることに至り得て〔そののち〕、天を含む〔世〕において、〔わたしは〕覚者と成るのだ。

 

56.(137) 独りで超え渡ったとして、強さを見示する人士であるとして、わたしにとって、何になるというのだろう。一切知者たることに至り得て〔そののち〕、天を含む〔世の人々〕を〔彼岸へと〕等しく超え渡すのだ。

 

57.(138) 最上の人士たる方(ディーパンカラ)にたいし為された、わたしのこの献身によって、一切知者たることに至り得て〔そののち〕、多くの人民を〔彼岸へと〕超え渡すのだ。

 

58.(139) 輪廻の流れを断ち切って、三つの生存を砕破して、法(真理)の舟に乗って、天を含む〔世の人々〕を〔彼岸へと〕等しく超え渡すのだ」〔と〕。

 

59.(140) 人間たること、徴表の得達(男性に生まれること)、〔菩提の〕因、教師と会見すること、出家、徳の得達、さらに、〔覚者への〕献身、〔涅槃への〕欲〔の思い〕(意欲)あること──〔これらの〕八つの法(性質)の結集あることから、〔覚りのための心の〕導引は等しく実現する。

 

60.(141) ディーパンカラ〔世尊〕は、世〔の一切〕を知る方は、諸々の捧げものの納受者たる方は、わたしの頭の側に立って、この言葉を説いた。

 

61.(142) 〔ディーパンカラ世尊は言った〕「見よ──この苦行者を、激しい苦行の結髪者を。これより、量るべくもないカッパ(:時間の単位・極めて長い時間)〔の未来〕において、世における覚者と成るであろう。

 

62.(143) ああ、カピラという呼び名ある喜ばしき〔都〕(カピラヴァットゥ)から出て、如来は、〔刻苦〕精励をもって〔自己を〕精励して、為すに為し難きことを為して──

 

63.(144) アジャパーラ樹の根元に坐って、如来は、そこにおいて、粥を受けて、ネーランジャラー〔川〕へと近づくであろう。

 

64.(145) ネーランジャラー〔川〕の岸辺において、粥を食し、その勝者は、〔見事に〕整備された優美なる道をとおり、菩提〔樹〕の根元へと近づくであろう。

 

65.(146) そののち、菩提道場に右回り〔の礼〕を為して、無上なる者は、偉大なる福徳ある者は、アッサッタ樹(菩提樹)の根元において覚るであろう。

 

66.(147) この者の生みの母は、マーヤーという名の者と成るであろう。父は、スッドーダナという名の者と〔成るであろう〕。この者〔の姓〕は、ゴータマと成るであろう。

 

67.(148) 煩悩なく、貪欲を離れ、心が寂静となった者たちであり、〔心が〕定められた者たちである、コーリタ(モッガッラーナ)が、さらに、ウパティッサ(サーリプッタ)が、至高の弟子たち(二大弟子)と成るであろう。アーナンダという名の奉仕者(侍者)が、この勝者に奉仕するであろう。

 

68.(149) 煩悩なく、貪欲を離れ、心が寂静となった者たちであり、〔心が〕定められた者たちである、ケーマーが、さらに、ウッパラヴァンナーが、至高の女性の弟子たちと成るであろう。その世尊の菩提〔樹〕は、『アッサッタ』と呼ばれる。

 

69.(150) チッタが、さらに、ハッターラヴァカが、至高の奉仕者たちと成るであろう。ウッタラーが、さらに、ナンダマータルが、至高の女性の奉仕者たちと成るであろう」〔と〕。

 

70.(151) 等しき者なき方(ディーパンカラ)の、偉大なる聖賢の、この言葉を聞いて、歓喜した人や神たちは〔言った〕。「覚者の種子です──まさに、この方(スメーダ)は」〔と〕。

 

71.(152) 諸々の叫喚の声が転起する。〔彼らは〕拍手し、かつまた、笑喜する。一万〔の世の界域〕の天を含む〔世の人々〕は、合掌を為し、礼拝する。

 

72.(153) 〔人々が言った〕「すなわち、世の主たるこの方(ディーパンカラ)の教えを、〔わたしたちが〕亡失することになるなら、未来の時において、この方(正覚したスメーダ)の面前に有るのだ。

 

73.(154) たとえば、川を超え渡っている人間たちが、対岸を亡失して〔そののち〕、下流の渡し場を収め取って、大河を超え渡るように(場を変えて渡河するように)──

 

74.(155) まさしく、このように、わたしたちの全てが、すなわち、この勝者を逸し去るなら、未来の時において、この方の面前に有るのだ」〔と〕。

 

75.(156) ディーパンカラ〔世尊〕は、世〔の一切〕を知る方は、諸々の捧げものの納受者たる方は、わたしの行為()を賛じ称えて、右足を引き上げた。

 

76.(157) すなわち、そこにおいて存した、勝者の子たちは、わたしに、右回り〔の礼〕を為した。天〔の神々〕たちは、人間たちは、さらに、阿修羅たちは、敬拝して、立ち去った。

 

77.(158) 僧団を有する世の導き手たる方が、わたしの見えるところを通り過ぎたとき、そのとき、〔わたしは〕臥しているところから起きて、結跏を組んだ。

 

78.(159) 安楽なるままに安楽の者と成り、歓喜なるままに歓喜した者と〔成り〕、そして、そのとき、喜悦に満ち溢れた〔わたし〕は、結跏を組んだ。

 

79.(160) 結跏で坐って、そのとき、わたしは、このように思い考えた。「わたしは、瞑想において、自在者と成った者であり、諸々の神知において、完全態に至った者である。

 

80.(161) 千の世において、わたしと等しき聖賢たちは存在しない。諸々の神通の法(性質)において等しき者なき者として、〔わたしは〕このような安楽を得た」〔と〕。

 

81.(162) 結跏を組むとき、わたしに、一万〔の世の界域〕の住者たちが、大いなる咆哮を転起させた。〔神々が言った〕「絶対に、〔あなたは〕覚者と成るでしょう。

 

82.(163) すなわち、菩薩たちが、過去において優れた結跏を組むときに見られる、諸々の形相があります。今日、それらが見られます。

 

83.(164) 寒さは、過去のものと成り、そして、暑さは、止み静まります。今日、それらが見られます。絶対に、〔あなたは〕覚者と成るでしょう。

 

84.(165) 一万の世の界域は、騒音なく、混乱なきものと成ります。今日、それらが見られます。絶対に、〔あなたは〕覚者と成るでしょう。

 

85.(166) 諸々の大風は、吹かず、諸々の流水は、流れません。今日、それらが見られます。絶対に、〔あなたは〕覚者と成るでしょう。

 

86.(167) 陸に生じる〔花々〕は、水に生じる花々は、〔それらの〕全てが、まさしく、ただちに、花ひらきます。今日、それらもまた、全てが花ひらいています。絶対に、〔あなたは〕覚者と成るでしょう。

 

87.(168) もしくは、諸々の蔓草であろうが、諸々の樹木であろうが、まさしく、ただちに、果を荷とするものと成ります(実を結ぶ)。今日、それらもまた、全てが結果しています。絶対に、〔あなたは〕覚者と成るでしょう。

 

88.(169) そして、虚空に依拠し、地上に依拠する、諸々の宝玉は、まさしく、ただちに、輝きます。今日、それらの宝玉もまた、輝きます。絶対に、〔あなたは〕覚者と成るでしょう。

 

89.(170) そして、人間のものであれ、さらに、天のものであれ、諸々の楽器は、まさしく、ただちに、奏でられます。今日、それらもまた、両者ともに響き渡ります。絶対に、〔あなたは〕覚者と成るでしょう。

 

90.(171) 色とりどりの花々は、まさしく、ただちに、空から降ります。今日、それらもまた、降り注ぎます。絶対に、〔あなたは〕覚者と成るでしょう。

 

91.(172) 大海は、〔水が〕引き、一万〔の世の界域〕は、揺れ動きます。今日、それらもまた、両者ともに響き渡ります。絶対に、〔あなたは〕覚者と成るでしょう。

 

92.(173) 一万〔の世の界域〕の地獄においてもまた、諸々の火は、まさしく、ただちに、寂滅します。今日、それらの火もまた、寂滅しています。絶対に、〔あなたは〕覚者と成るでしょう。

 

93.(174) 太陽は、離垢なるものと成り、星々の全てが見られます。今日、それらもまた、見られます。絶対に、〔あなたは〕覚者と成るでしょう。

 

94.(175) 降雨なしに、水は、まさしく、ただちに、大地から湧き出ました。今日、それもまた、大地から湧き出ます。絶対に、〔あなたは〕覚者と成るでしょう。

 

95.(176) 諸々の星群は、諸々の星宿は、空の圏域において遍照します。ヴィサーカー(星宿名)は、月と結び付いています。絶対に、〔あなたは〕覚者と成るでしょう。

 

96.(177) 洞窟を巣とするものたちは、洞穴を巣とするものたちは、自らの巣から出ます。今日、それらの巣もまた、打ち捨てられました。絶対に、〔あなたは〕覚者と成るでしょう。

 

97.(178) 有情たちに、諸々の不満は有りません。まさしく、ただちに、満ち足りている者たちと成ります。今日、彼らもまた、全てが満ち足りています。絶対に、〔あなたは〕覚者と成るでしょう。

 

98.(179) そのとき、諸々の病は、止み静まり、かつまた、飢餓は、消失します。今日、それらが見られます。絶対に、〔あなたは〕覚者と成るでしょう。

 

99.(180) そのとき、貪り()は、些細なものと成り、怒り()と迷い()は、消失します。今日、それらもまた、全てが離れ去っています。絶対に、〔あなたは〕覚者と成るでしょう。

 

100.(181) そのとき、恐怖〔の思い〕は有りません。今日、これもまた、見られます。その徴表によって、〔わたしたちは〕知ります。絶対に、〔あなたは〕覚者と成るでしょう。

 

101.(182) 塵は、上に舞い上がりません。今日、これもまた、見られます。その徴表によって、〔わたしたちは〕知ります。絶対に、〔あなたは〕覚者と成るでしょう。

 

102.(183) 好ましくない香りは、立ち去り、天の香りは、香り行きます。今日、その香りもまた、香りただよいます。絶対に、〔あなたは〕覚者と成るでしょう。

 

103.(184) 形態なき者たちを除いて、天〔の神々〕たちの全てが見られます。今日、彼らもまた、全てが見られます。絶対に、〔あなたは〕覚者と成るでしょう。

 

104.(185) およそ、地獄に至るまで、まさに、〔それらの〕全てが、まさしく、ただちに、見られます。今日、それらもまた、全てが見られます。絶対に、〔あなたは〕覚者と成るでしょう。

 

105.(186) 諸々の壁は、諸々の戸は、そして、諸々の岩は、そのとき、妨げと成りません。今日、それらもまた、虚空と成っています。絶対に、〔あなたは〕覚者と成るでしょう。

 

106.(187) そして、死滅は、さらに、再生は、その瞬間において見出されません。今日、それらもまた、見られます。絶対に、〔あなたは〕覚者と成るでしょう。

 

107.(188) 〔道心〕堅固に、精進を励起してください。退転することがあってはなりません。進んでください。わたしたちもまた、これを識知します。絶対に、〔あなたは〕覚者と成るでしょう」〔と〕。

 

108.(189) 覚者(ディーパンカラ)の言葉を聞いて、さらに、同様に、一万〔の世の界域の住者〕たちの〔言葉を聞いて〕、満足し欣喜し歓喜した者となり、そのとき、わたしは、このように思い考えた。

 

109.(190) 「覚者たちは、二様の言葉なき者たちであり、勝者たちは、無駄な言葉なき者たちであり、覚者たちに、真実を離れる〔言葉〕は存在しない。絶対に、わたしは、覚者と成る。

 

110.(191) たとえば、天空に投げられた石が、絶対に、地上に落ちるように、まさしく、そのように、最勝の覚者たちの言葉は、絶対にして常久であり、覚者たちに、真実を離れる〔言葉〕は存在しない。絶対に、わたしは、覚者と成る。

 

111.(192) たとえば、また、一切の有情たちにとって、死が、絶対にして常久であるように、まさしく、そのように、最勝の覚者たちの言葉は、絶対にして常久であり、覚者たちに、真実を離れる〔言葉〕は存在しない。絶対に、わたしは、覚者と成る。

 

112.(193) たとえば、夜の滅尽に至り得たとき、絶対に、日の出があるように、まさしく、そのように、最勝の覚者たちの言葉は、絶対にして常久であり、覚者たちに、真実を離れる〔言葉〕は存在しない。絶対に、わたしは、覚者と成る。

 

113.(194) たとえば、臥所から出た獅子には、絶対に、吼え叫ぶことがあるように、まさしく、そのように、最勝の覚者たちの言葉は、絶対にして常久であり、覚者たちに、真実を離れる〔言葉〕は存在しない。絶対に、わたしは、覚者と成る。

 

114.(195) たとえば、妊娠した有情たちには、絶対に、荷を降ろすこと(出産)があるように、まさしく、そのように、最勝の覚者たちの言葉は、絶対にして常久であり、覚者たちに、真実を離れる〔言葉〕は存在しない。絶対に、わたしは、覚者と成る。

 

115.(196) さあ、〔人を〕覚者と為す諸々の法(性質)を、〔わたしは〕弁別するのだ(吟味考究する)──こちらからも、さらに、あちらからも、上に、下に、十方に、およそ、法(真理)の界域(法界)に至るまで」〔と〕。

 

116.(197) 弁別している〔わたし〕は、そのとき、第一のものとして、布施の完全態(布施波羅蜜)を見た──過去の偉大なる聖賢たちによって歩まれた偉大なる道を。

 

117.(198) 〔わたしは、自らに言い聞かせた〕「おまえは、この第一のものを、まずは、〔道心〕堅固に為して、受持せよ。布施の完全態に至れ──すなわち、覚りに至り得ることを、〔おまえが〕求めるなら。

 

118.(199) たとえば、また、等しく満ちた水瓶が、どこの誰のものであれ、下に為されたなら(ひっくり返されたなら)、残りなく、水を吐き出し、そこにおいて、遍く守ることがないように──

 

119.(200) まさしく、そのように、乞い求める者たちである、下劣なる者や高尚なる者や中等なる者たちを見て〔そののち〕、残りなく、布施を施せ──下に為された水瓶のように。

 

120.(201) まさに、これらが、これらのものだけが、諸々の覚者の法(性質)と成るのではない。諸他のものをもまた、〔わたしは〕弁別するのだ──それらが、覚りを成熟させる諸々の法(性質)であるなら」〔と〕。

 

121.(202) 弁別している〔わたし〕は、そのとき、第二のものとして、戒の完全態(持戒波羅蜜)を見た。過去の偉大なる聖賢たちによって修習され、慣れ親しまれた〔偉大なる道〕を。

 

122.(203) 〔わたしは、自らに言い聞かせた〕「おまえは、この第二のものを、まずは、〔道心〕堅固に為して、受持せよ。戒の完全態に至れ──すなわち、覚りに至り得ることを、〔おまえが〕求めるなら。

 

123.(204) たとえば、また、犁牛が、どこにおいてであれ、尾が引っ掛かったなら、そこにおいて、死へと近しく至り、尾の先端を破損させることがないように──

 

124.(205) まさしく、そのように、おまえは、四つの境地(戒律条項による統御としての戒・感官機能における統御としての戒・生き方の完全なる清浄としての戒・日用品への依拠としての戒)において、諸戒を円満成就させよ。一切時に、戒を遍く守れ──犁牛が、尾の先端を〔守る〕ように。

 

125.(206) まさに、これらが、これらのものだけが、諸々の覚者の法(性質)と成るのではない。諸他のものをもまた、〔わたしは〕弁別するのだ──それらが、覚りを成熟させる諸々の法(性質)であるなら」〔と〕。

 

126.(207) 弁別している〔わたし〕は、そのとき、第三のものとして、離欲の完全態(出離波羅蜜)を見た。過去の偉大なる聖賢たちによって修習され、慣れ親しまれた〔偉大なる道〕を。

 

127.(208) 〔わたしは、自らに言い聞かせた〕「おまえは、この第三のものを、まずは、〔道心〕堅固に為して、受持せよ。離欲の完全態に至れ──すなわち、覚りに至り得ることを、〔おまえが〕求めるなら。

 

128.(209) たとえば、獄屋にある人が、〔そこに〕長く住し、苦痛に苦悩し、そこにおいて、〔もはや〕貪欲を生まず、解き放ちだけを探し求めるように──

 

129.(210) まさしく、そのように、おまえは、一切の生存()を、諸々の獄屋のように見よ。生存からの完全なる解き放ちのために、離欲に向かう者と成れ。

 

130.(211) まさに、これらが、これらのものだけが、諸々の覚者の法(性質)と成るのではない。諸他のものをもまた、〔わたしは〕弁別するのだ──それらが、覚りを成熟させる諸々の法(性質)であるなら」〔と〕。

 

131.(212) 弁別している〔わたし〕は、そのとき、第四のものとして、智慧の完全態(智慧波羅蜜)を見た。過去の偉大なる聖賢たちによって修習され、慣れ親しまれた〔偉大なる道〕を。

 

132.(213) 〔わたしは、自らに言い聞かせた〕「おまえは、この第四のものを、まずは、〔道心〕堅固に為して、受持せよ。智慧の完全態に至れ──すなわち、覚りに至り得ることを、〔おまえが〕求めるなら。

 

133.(214) たとえば、また、行乞している比丘が、下劣なる者や高尚なる者や中等なる者たちを〔等しく見て〕、家々を避けることなく〔歩み〕、このように、〔身を〕保ち行くもの(食物)を得るように──

 

134.(215) まさしく、そのように、おまえは、全ての時に、聡明なる人に遍く問い尋ねながら、智慧の完全態に至って、正覚に至り得るのだ。

 

135.(216) まさに、これらが、これらのものだけが、諸々の覚者の法(性質)と成るのではない。諸他のものをもまた、〔わたしは〕弁別するのだ──それらが、覚りを成熟させる諸々の法(性質)であるなら」〔と〕。

 

136.(217) 弁別している〔わたし〕は、そのとき、第五のものとして、精進の完全態(精進波羅蜜)を見た。過去の偉大なる聖賢たちによって修習され、慣れ親しまれた〔偉大なる道〕を。

 

137.(218) 〔わたしは、自らに言い聞かせた〕「おまえは、この第五のものを、まずは、〔道心〕堅固に為して、受持せよ。精進の完全態に至れ──すなわち、覚りに至り得ることを、〔おまえが〕求めるなら。

 

138.(219) たとえば、また、獣たちの王である獅子が、坐ることと立つことと歩行において、畏縮なき精進ある者として有り、常に、励起した意ある者として〔有る〕ように──

 

139.(220) まさしく、そのように、おまえは、一切の生存において、〔道心〕堅固に、精進を励起せよ。精進の完全態に至って、正覚に至り得るのだ。

 

140.(221) まさに、これらが、これらのものだけが、諸々の覚者の法(性質)と成るのではない。諸他のものをもまた、〔わたしは〕弁別するのだ──それらが、覚りを成熟させる諸々の法(性質)であるなら」〔と〕。

 

141.(222) 弁別している〔わたし〕は、そのとき、第六のものとして、忍耐の完全態(忍辱波羅蜜)を見た。過去の偉大なる聖賢たちによって修習され、慣れ親しまれた〔偉大なる道〕を。

 

142.(223) 〔わたしは、自らに言い聞かせた〕「おまえは、この第六のものを、まずは、〔道心〕堅固に為して、受持せよ。そこにおいて、二様の意図なき者となり、正覚に至り得るのだ。

 

143.(224) たとえば、また、地が、まさに、清らかなものであろうが、さらに、清らかならざるものであろうが、置き去りにされる全てのものを耐え抜き、おまえに、敵対を為さないように──

 

144.(225) まさしく、そのように、おまえもまた、全ての者たちの敬仰と軽蔑に忍耐ある者となり(毀誉褒貶に心を動かさず)、忍耐の完全態に至って、正覚に至り得るのだ。

 

145.(226) まさに、これらが、これらのものだけが、諸々の覚者の法(性質)と成るのではない。諸他のものをもまた、〔わたしは〕弁別するのだ──それらが、覚りを成熟させる諸々の法(性質)であるなら」〔と〕。

 

146.(227) 弁別している〔わたし〕は、そのとき、第七のものとして、真理の完全態(諦波羅蜜)を見た。過去の偉大なる聖賢たちによって修習され、慣れ親しまれた〔偉大なる道〕を。

 

147.(228) 〔わたしは、自らに言い聞かせた〕「おまえは、この第七のものを、まずは、〔道心〕堅固に為して、受持せよ。そこにおいて、二様の言葉なき者となり、正覚に至り得るのだ。

 

148.(229) たとえば、また、明星(金星)が、まさに、天を含む〔世〕における秤として有り、時間において、あるいは、季節や年月において、道から外れることがないように──

 

149.(230) まさしく、そのように、おまえもまた、諸々の真理において、まさに、道から外れてはならない。真理の完全態に至って、正覚に至り得るのだ。

 

150.(231) まさに、これらが、これらのものだけが、諸々の覚者の法(性質)と成るのではない。諸他のものをもまた、〔わたしは〕弁別するのだ──それらが、覚りを成熟させる諸々の法(性質)であるなら」〔と〕。

 

151.(232) 弁別している〔わたし〕は、そのとき、第八のものとして、〔心の〕確立の完全態(加持波羅蜜)を見た。過去の偉大なる聖賢たちによって修習され、慣れ親しまれた〔偉大なる道〕を。

 

152.(233) 〔わたしは、自らに言い聞かせた〕「おまえは、この第八のものを、まずは、〔道心〕堅固に為して、受持せよ。そこにおいて、おまえは、〔心が〕揺れ動かない者と成って、正覚に至り得るのだ。

 

153.(234) たとえば、また、山の巌が、揺れ動かず、しっかりと確立し、諸々の激しい風に動かず、まさしく、自らの拠点に立つように──

 

154.(235) まさしく、そのように、おまえもまた、〔心の〕確立において、一切時に〔心が〕揺れ動かない者と成れ。〔心の〕確立の完全態に至って、正覚に至り得るのだ。

 

155.(236) まさに、これらが、これらのものだけが、諸々の覚者の法(性質)と成るのではない。諸他のものをもまた、〔わたしは〕弁別するのだ──それらが、覚りを成熟させる諸々の法(性質)であるなら」〔と〕。

 

156.(237) 弁別している〔わたし〕は、そのとき、第九のものとして、慈愛の完全態(慈波羅蜜)を見た。過去の偉大なる聖賢たちによって修習され、慣れ親しまれた〔偉大なる道〕を。

 

157.(238) 〔わたしは、自らに言い聞かせた〕「おまえは、この第九のものを、まずは、〔道心〕堅固に為して、受持せよ。慈愛をもってしては等しき者なき者と成れ──すなわち、覚りに至り得ることを、〔おまえが〕求めるなら。

 

158.(239) たとえば、また、水が、まさに、善き〔人〕と悪しき人にたいし、等しく涼やかに充満し、塵や垢を流し去るように──

 

159.(240) まさしく、そのように、おまえは、利益ある者と利益なき者にたいし、等しく慈愛〔の心〕を修めよ。慈愛の完全態に至って、正覚に至り得るのだ。

 

160.(241) まさに、これらが、これらのものだけが、諸々の覚者の法(性質)と成るのではない。諸他のものをもまた、〔わたしは〕弁別するのだ──それらが、覚りを成熟させる諸々の法(性質)であるなら」〔と〕。

 

161.(242) 弁別している〔わたし〕は、そのとき、第十のものとして、放捨の完全態(捨波羅蜜)を見た。過去の偉大なる聖賢たちによって修習され、慣れ親しまれた〔偉大なる道〕を。

 

162.(243) 〔わたしは、自らに言い聞かせた〕「おまえは、この第十のものを、まずは、〔道心〕堅固に為して、受持せよ。堅固なる秤として有る者(分け隔てなく公平に接する者)と成って、正覚に至り得るのだ。

 

163.(244) たとえば、また、地が、まさに、置き去りにされた清らかならざるものと清らかなるものを、これらを、両者ともどもに放捨し、激情と随貪〔の思い〕を避けているように──

 

164.(245) まさしく、そのように、おまえは、楽と苦にたいし、常に、秤として有る者と成れ。放捨の完全態に至って、正覚に至り得るのだ。

 

165.(246) すなわち、覚りを成熟させる法(性質)として、それら〔の十の法〕が、まさしく、これだけのものが、世にある。それより上なるものは、何一つ存在しない。そこにおいて、〔道心〕堅固に、〔自らを〕確立せよ」〔と〕。

 

166.(247) これらの〔十の〕法(性質)を、〔それらの有する〕自ずからの状態(自性)や自ずからの効用や特相を、〔わたしが〕触知していると、法(真理)の威光によって、大地が、一万〔の世の界域〕が、揺れ動いた。

 

167.(248) 地は、揺れ動き、響き渡る──圧縮された甘蔗の〔搾り〕機具のように。油の〔搾り〕機具のなかで輪が〔回転する〕ように、このように、地は、揺れ動く。

 

168.(249) 覚者(ディーパンカラ)の給仕において、およそ、衆として存したかぎりの、その〔衆の人々〕は、動揺しながら、そこにおいて、気絶し、地に臥す。

 

169.(250) 幾千の鉢と、そして、数百の瓶は、互いに他とぶつかり、そこにおいて、粉砕され撹拌された。

 

170.(251) 怯えわななき、恐れ、恐怖し、迷走し、悩める意図ある者たちが(※)、大勢の人たちが集いあつまって、ディーパンカラ〔世尊〕のもとへと近しく赴いた。

 

※ テキストには byāthitamānasā とあるが、PTS版により vyādhitamānasā と読む。

 

171.(252) 〔人々が尋ねた〕「何が、世に有るのでしょうか。善きことでしょうか、さらに、悪しきことでしょうか。世〔の人々〕の全てが、悩まされています。眼ある方よ、それを除き去ってください」〔と〕。

 

172.(253) ディーパンカラ〔世尊〕は、偉大なる牟尼は、そのとき、彼らを説得した。〔ディーパンカラ世尊は答えた〕「〔冷静〕沈着に成りなさい。この大地の揺れ動きに恐怖してはいけません。

 

173.(254) すなわち、『世における覚者と成るであろう』〔と〕、わたしが、今日、説き明かした、彼が、勝者によって慣れ親しまれた、過去からのものである法(真理)を触知し──

 

174.(255) 彼が、残りなく、覚者の境地たる法(性質)を触知していると、それによって、この地が揺れ動いたのです──天を含む〔世〕において、一万〔の世の界域〕が」〔と〕。

 

175.(256) 覚者の言葉を聞いて、〔彼らの〕意は、まさしく、ただちに、寂滅した(安堵した)。全ての者たちが、わたしのもとへと近づいて行って、ふたたび、また、敬拝した。

 

176.(257) 覚者の徳を受持して、〔道心〕堅固に、意図を為して、そのとき、〔わたしは〕ディーパンカラ〔世尊〕を礼拝して、坐から立ち上がった。

 

177.(258) 天〔の神々〕たちと人間たちの両者は、天の〔花〕と人間の花を〔取って〕、坐から立ち上がりつつある〔わたし〕に、花々を等しく振りまく。

 

178.(259) 天〔の神々〕たちと人間たちの両者は、そして、彼らは、安穏を感受する。〔彼らは言った〕「あなたが切望したものは、偉大なるものです。それを、求めたとおりに得てください。

 

179.(260) 一切の疾患は、〔あなたを〕避けよ。憂いは、病いは、消失せよ。あなたに、諸々の障りが有ってはいけません。すみやかに、最上の覚りを体得してください。

 

180.(261) たとえば、また、時に至り得たなら、花ある木々が花ひらくように、まさしく、そのように、偉大なる勇者よ、あなたは、覚者の知恵によって花ひらきます。

 

181.(262) すなわち、彼らが誰であれ、正覚者であるなら、十の完全態を円満したように、まさしく、そのように、偉大なる勇者よ、あなたは、十の完全態を円満してください。

 

182.(263) すなわち、彼らが誰であれ、正覚者であるなら、菩提道場において覚るように、まさしく、そのように、偉大なる勇者よ、あなたは、勝者の菩提において覚ってください。

 

183.(264) すなわち、彼らが誰であれ、正覚者であるなら、法(真理)の輪を転起させたように、まさしく、そのように、偉大なる勇者よ、あなたは、法(真理)の輪を転起させてください。

 

184.(265) たとえば、満月における月が、完全なる清浄のものとなり、遍照するように、まさしく、そのように、あなたは、意が満ちた者となり、一万〔の世の界域〕に遍照してください。

 

185.(266) たとえば、ラーフ(阿修羅の一類で日蝕や月蝕を引き起こすとされる)から解き放たれた太陽が、熱によって輝きまさるように、まさしく、そのように、あなたは、世から〔自らを〕解き放って、吉祥によって遍照してください。

 

186.(267) それらが何であれ、川であるなら、大海へと流れ行くように、このように、天を含む世〔の人々〕たちは、あなたを終極に流れ行け」〔と〕。

 

187.(268) 彼らによって奉賛され賞賛された、〔まさに〕その〔わたし〕は、十の法(性質)を受持して、それらの法(性質)を円満成就させながら、そのとき、山林に入った。ということで──

 

 スメーダの切望の物語は〔以上で〕終了となる。

 

3. ディーパンカラ覚者の伝統

 

1.(269) そのとき、彼らは、僧団を有する世の導き手たる方を受益させて(ディーパンカラ世尊とその僧団を供養して)、帰依所として、彼のもとへと近しく赴いた──ディーパンカラ〔世尊〕のもとへと、〔世の〕教師たる方のもとへと(ディーパンカラ世尊に帰依した)。

 

2.(270) 如来は、或る者を、〔三つの〕帰依所に至り来ることにおいて確たるものとした──或る者を、五つの戒において、他に、十種類の戒において。

 

3.(271) 〔彼は〕与える──或る者には、沙門の資質を、四つの最上の果(預流果・一来果・不還果・阿羅漢果)を。彼は与える──或る者には、等しきものなき法(性質)である〔四つの〕融通無礙〔の智慧〕(無礙解:義・法・言語・応答の融通無礙)を。

 

4.(272) 人の雄牛たる方は与える──或る者には、八つの優れた入定(八等至:四色界禅定と四無色界禅定)を。〔彼は〕授ける──或る者には、三つの明知(三明:宿命通・天眼通・漏尽通)を、六つの神知(六神通:宿命通・天眼通・他心通・天耳通・神足通・漏尽通)を。

 

5.(273) その〔心の〕制止(瑜伽)によって、偉大なる牟尼は、人の衆を教え諭す。それによって、世の主たる方の教えは拡張し、〔世に〕存した(世に広く知られた)。

 

6.(274) 大きな顎をもち雄牛の肩をもつ方は、ディーパンカラという名ある方は、多くの人たちを〔彼岸へと〕超え渡し、悪しき境遇(悪趣)を完全に解き放つ。

 

7.(275) 覚らせるべき人を見て、百千ヨージャナ(由旬:長さの単位・一ヨージャナは軛牛の一日の旅程距離)でさえも、瞬時に近しく赴いて、偉大なる牟尼は、彼を覚らせる。

 

8.(276) 第一の〔法の〕知悉(現観)において、覚者は、百の千万(倶胝)の者たちを覚らせた。第二の〔法の〕知悉において、〔世の〕主たる方は、九十の千万の者たちを覚らせた。

 

9.(277) さらに、すなわち、覚者が、天〔の神々〕の居所において、法(教え)を説示したとき、九十の千の千万の者たちに、第三の〔法の〕知悉が有った。

 

10.(278) ディーパンカラ〔世尊〕には、〔世の〕教師たる方には、三つの集まりが存した。百千の千万の者たちのために、第一の集いが存した。

 

11.(279) さらに、ナーラダの峰において、勝者が、遠離のために赴いたとき、煩悩の滅尽者たちが、〔世俗の〕垢を離れた者たちが、百の千万の者たちが、共に赴いた(第二の集い)。

 

12.(280) 偉大なる勇者が、スダッサナの連山におられる、その時には、偉大なる牟尼は、九の千の千万の者たちとともに、〔雨期の滞在を〕充足した(第三の集い)。

 

13.(281) 十の、二十の、千の者たちに、法(真理)の知悉が有った。一者の、二者の、〔法の〕知悉は、数〔の観点〕からは数えようもない。

 

14.(282) ディーパンカラ世尊の、善く清められた教えは、そのとき、拡張し、多く知られ、繁栄し、興隆し、〔世に〕有った。

 

15.(283) 四の百千の者たちは、六つの神知ある者たちは、大いなる神通ある者たちは、ディーパンカラ〔世尊〕を、世〔の一切〕を知る方を、一切時に取り囲む。

 

16.(284) その時点にあって、彼らが誰であれ、人間の生存を捨棄するとして、〔いまだ〕意図に至り得ていない、学びある者(有学)たちは、彼らは、〔識者たちに〕非難される者たちと成る。

 

17.(285) 見事に花ひらいた〔聖なる〕言葉は、阿羅漢たちによって、如なる者たちによって、煩悩の滅尽者たちによって、〔世俗の〕垢を離れる者たちによって、一切時に光り輝く。

 

18.(286) 〔ディーパンカラ世尊が生を受けた〕城市は、ランマヴァティーという名であり、スデーヴァという名の士族が〔父として〕、スメーダーという名の生む者が〔母として有った〕──ディーパンカラ〔世尊〕には、〔世の〕教師たる方には。

 

19.(287) 十の千年のあいだ、彼は、家の内に住した(在家生活を送った)。ハンサー、コンチャー、さらに、マユーラー〔という名〕の、三つの最上の高楼が〔有った〕。

 

20.(288) 三の百千の〔装いを〕十二分に作り為した女たちが〔有った〕。パドゥマーという名のその女が〔妻として〕、ウサバッカンダが実子として〔有った〕。

 

21.(289) 四つの形相を見て、象を乗物に〔家から〕出た。欠くことなく十月のあいだ、勝者は、〔刻苦〕精励をもって〔自己を〕精励した。

 

22.(290) 〔刻苦〕精励の行を歩んで、牟尼は、意図するものを覚った。梵〔天〕に乞い求められ、〔そのように〕存しつつ、ディーパンカラ〔世尊〕は、偉大なる牟尼は──

 

23.(291) 偉大なる勇者は、〔法の〕輪を転起させた──ナンダ林園のシリー・ガラ(吉祥の家)において。シリーサ〔樹〕の根元に坐り、異教の撃破を為した。

 

24.(292) そして、スマンガラが、さらに、ティッサが、至高の弟子たちとして有った。サーガタという名の者が、奉仕者として〔有った〕──ディーパンカラ〔世尊〕には、〔世の〕教師たる方には。

 

25.(293) まさしく、そして、ナンダーが、さらに、スナンダーが、至高の女性の弟子たちとして有った。その世尊の菩提〔樹〕は、「ピッパリー」と呼ばれる。

 

26.(294) タプッサとバッリカという名の者たちが、至高の奉仕者たちとして有った。シリマーが、コーナーが、〔至高の〕女性の奉仕者たちとして〔有った〕──ディーパンカラ〔世尊〕には、〔世の〕教師たる方には。

 

27.(295) ディーパンカラ〔世尊〕は、偉大なる牟尼は、八十ハッタ(長さの単位・一ハッタは約五十センチ)の高さがあり、灯明台のように、咲き誇るサーラ〔樹〕の王のように、美しく輝く。

 

28.(296) 偉大なる聖賢には、彼には、百千年の寿命が〔有った〕。彼は、〔世に〕止住している、それまでのあいだに、多くの人民を〔彼岸へと〕超え渡した。

 

29.(297) 正なる法(教え)を輝き照らして、大勢の人を等しく超え渡して、火の塊のように燃え盛って、彼は、弟子と共に、涅槃に到達した者となる。

 

30.(298) そして、その神通も、かつまた、その福徳も、さらに、〔両の〕足における、それらの輪宝も、その全てが、消没したものとなる。まさに、一切の形成〔作用〕(諸行:形成されたもの・現象世界)は、空虚なるものではないか。

 

31.(299) ディーパンカラ〔世尊〕は、〔世の〕教師たる方は、勝者は、ナンダ林園において、涅槃に到達した者となる。まさしく、そこにおいて、彼の勝者の塔があり、三十六ヨージャナの高さとなる。ということで──

 

 ディーパンカラ世尊の伝統が、第一となる。

 

4. コンダンニャ覚者の伝統

 

1.(300) ディーパンカラ〔世尊〕の後に、コンダンニャという名の〔世の〕導き手たる方が、無限なる威光ある方が、無量なる福徳ある方が、量りようのない〔徳〕ある方が、〔獅子の如く〕近づき難き方が、〔世に生起した〕。

 

2.(301) 忍耐をもってしては、地の如く。戒をもってしては、海洋の如く。禅定(定・三昧)をもってしては、メール(須弥山)の如く。知恵()をもってしては、空の如く。

 

3.(302) 〔五つの〕機能(五根)と〔五つの〕力(五力)と〔七つの〕覚りの支分(七覚支)と〔八つの聖なる〕道(八正道)と〔四つの〕真理(四諦)の明示が〔有った〕。覚者は、常に明示した──全ての命あるものたちの利益のために。

 

4.(303) コンダンニャ〔世尊〕が、世の導き手たる方が、法(真理)の輪を転起させているとき、百千の千万の者たちに、第一の〔法の〕知悉(現観)が有った。

 

5.(304) そののち、他にもまた、〔法を〕説示しているとき、人や神たちの集いにおいて、九十の千の千万の者たちに、第二の〔法の〕知悉が有った。

 

6.(305) すなわち、異教の者たちを撃破しながら、法(教え)を説示したとき、八十の千の千万の者たちに、第三の〔法の〕知悉が有った。

 

7.(306) コンダンニャ〔世尊〕には、偉大なる聖賢には、三つの集まりが存した──煩悩の滅尽者たちのために、〔世俗の〕垢を離れる者たちのために、心が寂静となった者たちのために、如なる者たちのために。

 

8.(307) 百千の千万の者たちのために、第一の集いが存した。第二〔の集い〕は、千の千万の者たちのために。第三〔の集い〕は、九十の千万の者たちのために。

 

9.(308) その時点にあって、わたし(ゴータマ・ブッダ)は、ヴィジターヴィンという名の士族として〔世に生起した〕。限度としては、海を限りに、わたしは、権力を転起させる。

 

10.(309) 百千の千万の〔世俗の〕垢を離れる大いなる聖賢たちを、世の至高の主たる方(コンダンニャ)と共に、最高の食べ物によって満足させた。

 

11.(310) コンダンニャ〔世尊〕は、〔世の〕導き手たる方は、覚者は、彼もまた、わたしのことを説き明かした(授記した)。〔コンダンニャ世尊は言った〕「これより、量るべくもないカッパ(:時間の単位・極めて長い時間)〔の未来〕において、世における覚者と成るであろう。

 

12.(311) 〔刻苦〕精励をもって〔自己を〕精励して、為すに為し難きことを為して、偉大なる福徳ある者は、正覚者となり、アッサッタ〔樹〕(菩提樹)の根元において覚るであろう。

 

13.(312) この者の生みの母は、マーヤーという名の者と成るであろう。父は、スッドーダナという名の者と〔成るであろう〕。この者〔の姓〕は、ゴータマと成るであろう。

 

14.(313) コーリタ(モッガッラーナ)が、さらに、ウパティッサ(サーリプッタ)が、至高の弟子たち(二大弟子)と成るであろう。アーナンダという名の奉仕者(侍者)が、この勝者に奉仕するであろう。

 

15.(314) ケーマーが、さらに、ウッパラヴァンナーが、至高の女性の弟子たちと成るであろう。その世尊の菩提〔樹〕は、『アッサッタ』と呼ばれる。

 

16.(315) チッタが、さらに、ハッターラヴァカが、至高の奉仕者たちと成るであろう。そして、ナンダマータルが、ウッタラーが、至高の女性の奉仕者たちと成るであろう。福徳あるゴータマには、彼には、百年の寿命が〔有るであろう〕」〔と〕。

 

17.(316) 等しき者なき方(コンダンニャ)の、偉大なる聖賢の、この言葉を聞いて、歓喜した人や神たちは〔言った〕。「覚者の種子です──まさに、この方(ヴィジターヴィン)は」〔と〕。

 

18.(317) 諸々の叫喚の声が転起する。〔彼らは〕拍手し、かつまた、笑喜する。一万〔の世の界域〕の天神たちは、合掌を為し、礼拝する。

 

19.(318) 〔人々が言った〕「すなわち、世の主たるこの方(コンダンニャ)の教えを、〔わたしたちが〕亡失することになるなら、未来の時において、この方(正覚したヴィジターヴィン)の面前に有るのだ。

 

20.(319) たとえば、川を超え渡っている人間たちが、対岸を亡失して〔そののち〕、下流の渡し場を収め取って、大河を超え渡るように(場を変えて渡河するように)──

 

21.(320) まさしく、このように、わたしたちの全てが、すなわち、この勝者を逸し去るなら、未来の時において、この方の面前に有るのだ」〔と〕。

 

22.(321) 彼の言葉を聞いて、わたしは、より一層、心を清信させた。まさしく、その義(目的)を遂行しながら、大いなる王権を、勝者にたいし施した。大いなる王権を施して、彼の現前において出家した。

 

23.(322) 経典を、さらに、また、律を、九つの支分ある教師の教えを、〔その〕全てを、完全に学び取って、勝者の教えを荘厳した。

 

24.(323) 坐ることと立つことと歩行において、そこにおいて、〔気づきを〕怠ることなく〔世に〕住みながら、神知における完全態に至って、わたしは、梵の世へと赴いた(梵天界に再生した)。

 

25.(324) 〔コンダンニャ世尊が生を受けた〕城市は、ランマヴァティーという名であり、スナンダという名の士族が〔父として〕、スジャーターという名の生む者が〔母として有った〕──コンダンニャ〔世尊〕には、偉大なる聖賢には。

 

26.(325) 十の千年のあいだ、彼は、家の内に住した。スチ、スルチ、さらに、スバ〔という名〕の、三つの最上の高楼が〔有った〕。

 

27.(326) 三の百千の〔装いを〕十二分に作り為した女たちが〔有った〕。ルチデーヴィーという名の女が〔妻として〕、ヴィジタセーナが実子として〔有った〕。

 

28.(327) 四つの形相を見て、車を乗物に〔家から〕出た。欠くことなく十月のあいだ、勝者は、〔刻苦〕精励をもって〔自己を〕精励した。

 

29.(328) 梵〔天〕に乞い求められ、〔そのように〕存しつつ、コンダンニャ〔世尊〕は、最上の二足者たる方は、偉大なる勇者は、〔法の〕輪を転起させた──諸天のなかの最上の城市において。

 

30.(329) まさしく、そして、バッダが、さらに、スバッダが、至高の弟子たちとして有った。アヌルッダという名の者が、奉仕者として〔有った〕──コンダンニャ〔世尊〕には、偉大なる聖賢には。

 

31.(330) そして、ティッサーが、さらに、ウパティッサーが、至高の女性の弟子たちとして有った。善きサーラ〔樹〕が、菩提〔樹〕として〔有った〕──コンダンニャ〔世尊〕には、偉大なる聖賢には。

 

32.(331) そして、ソーナが、さらに、ウパソーナが、至高の奉仕者たちとして有った。まさしく、そして、ナンダーが、さらに、シリーマーが、至高の女性の奉仕者たちとして有った。

 

33.(332) 偉大なる牟尼は、彼は、八十八ハッタを超える高さがあり、星々の王(月)のように、正午の太陽のように、美しく輝く。

 

34.(333) 百千年のあいだ、まさしく、そのあいだ、寿命が見出される。彼は、〔世に〕止住している、それまでのあいだに、多くの人民を〔彼岸へと〕超え渡した。

 

35.(334) 煩悩の滅尽者たちによって、〔世俗の〕垢を離れる者たちによって、地は、様々な彩りあるものとなり、〔世に〕存した。すなわち、星々によって、空が〔光り輝く〕ように、このように、彼は、光り輝いた。

 

36.(335) それらの龍たちもまた、量りようのない〔徳〕ある者たちであり、〔心の〕動乱なき者たちであり、〔獅子の如く〕近づき難き者たちであり、落雷のように〔光明を〕見示して、大いなる福徳ある者たちは、彼らは、涅槃に到達した者たちとなる。

 

37.(336) 勝者の、そして、その無比なる神通も、さらに、完全に修められた知恵も、禅定も、その全てが、消没したものとなる。一切の形成〔作用〕は、まさに、空虚なるものではないか。

 

38.(337) コンダンニャ〔世尊〕は、最も優れた方は、覚者は、チャンダ林園において、涅槃に到達した者となる。まさしく、そこにおいて、彩りあざやかな塔廟があり、七ヨージャナ(長さの単位・一ヨージャナは軛牛の一日の旅程距離)に直立している。ということで──

 

 コンダンニャ世尊の伝統が、第二となる。

 

5. マンガラ覚者の伝統

 

1.(338) コンダンニャ〔世尊〕の後に、マンガラという名の〔世の〕導き手たる方が〔世に生起した〕。世の闇を打破して、法(真理)の松明を保持した。

 

2.(339) 彼の光は、他の勝者たちよりも、より以上に、無比なるものとして存した。月と日の光を打ち砕いて、一万〔の世の界域〕に遍照する。

 

3.(340) 覚者は、彼もまた、四つの最上の優れた真理()を明示した。〔明示された〕それぞれの者たちは、真理の味を飲み干して、大いなる闇を除き去る。

 

4.(341) 無比なる覚りに至り得て〔そののち〕、第一の法(教え)の説示において、百千の千万の者たちに、法(真理)の知悉が有った。

 

5.(342) インダ神(インドラ神)の天の居所において、覚者は、法(教え)を説示した。そのとき、千の千万の者たちに、第二の〔法の〕行知(法の知悉)が有った。

 

6.(343) すなわち、転輪〔王〕のスナンダが、正覚者のもとへと近づいて行ったとき、そのとき、正覚者は、最上の優れた法(真理)の太鼓を打った。

 

7.(344) そのとき、スナンダに随行する人民として、九十の千万の者たちが存した。彼らは、全てもろともに、残りなく、「来たれ、比丘よ」〔と言われる〕者たちと成った(出家した)。

 

8.(345) マンガラ〔世尊〕には、偉大なる聖賢には、三つの集まりが存した。百千の千万の者たちのために、第一の集いが存した。

 

9.(346) 第二〔の集い〕は、百千の千万の者たちのために。第三〔の集い〕は、九十の千万の者たちのために。煩悩の滅尽者たちのために、〔世俗の〕垢を離れる者たちのために、そのとき、集いが存した。

 

10.(347) その時点にあって、わたし(ゴータマ・ブッダ)は、スルチという名の婆羅門として〔世に生起した〕──〔聖典の〕読誦者にして呪文の保持者として、三つのヴェーダの奥義に至る者として。

 

11.(348) わたしは、〔世の〕教師たる方のもとへと近づいて行って、彼を帰依所に赴いて(マンガラに帰依して)、正覚者を筆頭とする僧団を、香料と花飾によって供養した。香料と花飾によって供養して、牛乳によって満足させた。

 

12.(349) マンガラ〔世尊〕は、最上の二足者たる方は、覚者は、彼もまた、わたしのことを説き明かした。〔マンガラ世尊は言った〕「これより、量るべくもないカッパ〔の未来〕において、この者は、覚者と成るであろう。

 

13.(350) 〔刻苦〕精励をもって〔自己を〕精励して……略(311-320参照)……。この方の面前に有るのだ」〔と〕。

 

14.(351) 彼の言葉を聞いて、また、より一層、心を清信させた。十の完全態の円満のために、より以上に、掟を〔心に〕確立した。

 

15.(352) そのとき、喜悦を増進させながら、優れた正覚に至り得るために、わたしの家を、覚者にたいし施して、彼の現前において出家した。

 

16.(353) 経典を、さらに、また、律を、九つの支分ある教師の教えを、〔その〕全てを、完全に学び取って、勝者の教えを荘厳した。

 

17.(354) そこにおいて、〔気づきを〕怠ることなく〔世に〕住みながら、〔四つの〕梵の修行(慈・悲・喜・捨の四無量心)を修めて、神知における完全態に至って、わたしは、梵の世へと赴いた(梵天界に再生した)。

 

18.(355) 〔マンガラ世尊が生を受けた〕城市は、ウッタラという名であり、ウッタラという名の士族が〔父として〕、ウッタラーという名の生む者が〔母として有った〕──マンガラ〔世尊〕には、偉大なる聖賢には。

 

19.(356) 九の千年のあいだ、彼は、家の内に住した。ヤサヴァー、スチマー、シリーマー〔という名〕の、三つの最上の高楼が〔有った〕。

 

20.(357) 正味三十の千の〔装いを〕十二分に作り為した女たちが〔有った〕。ヤサヴァティーという名の女が〔妻として〕、シーヴァラという名の者が実子として〔有った〕。

 

21.(358) 四つの形相を見て、馬を乗物に〔家から〕出た。欠くことなく八月のあいだ、勝者は、〔刻苦〕精励をもって〔自己を〕精励した。

 

22.(359) 梵〔天〕に乞い求められ、〔そのように〕存しつつ、マンガラという名の〔世の〕導き手たる方は、偉大なる勇者は、〔法の〕輪を転起させた──最上の優れたシリー林において。

 

23.(360) スデーヴァが、さらに、ダンマセーナが、至高の弟子たちとして有った。パーリタという名の者が、奉仕者として〔有った〕──マンガラ〔世尊〕には、偉大なる聖賢には。

 

24.(361) そして、シーヴァラーが、さらに、アソーカーが、至高の女性の弟子たちとして有った。その世尊の菩提〔樹〕は、「ナーガルッカ」と呼ばれる。

 

25.(362) まさしく、そして、ナンダが、さらに、ヴィサーカが、至高の奉仕者たちとして有った。まさしく、そして、アヌラーが、さらに、スタナーが、至高の女性の奉仕者たちとして有った。

 

26.(363) 偉大なる牟尼は、八十八ラタナ(長さの単位・一ラタナは約五十センチ)を超える高さがあり、彼から、幾百千の光が放たれる。

 

27.(364) 九十の千年のあいだ、まさしく、そのあいだ、寿命が見出される。彼は、〔世に〕止住している、それまでのあいだに、多くの人民を〔彼岸へと〕超え渡した。

 

28.(365) たとえば、また、海洋における諸々の波が、それらが、数えることができないように、まさしく、そのように、彼の弟子たちは、彼らは、数えることができない。

 

29.(366) すなわち、マンガラ〔世尊〕が、世の導き手たる方が、正覚者が、〔世に〕止住したあいだは、そのとき、彼の教えにおいて、〔心の〕汚れを有する死は、存在しない。

 

30.(367) 法(真理)の松明を保持して、大勢の人を等しく超え渡して、火煙のように燃え盛って、彼は、偉大なる福徳ある方は、涅槃に到達した者となる。

 

31.(368) 諸々の形成〔作用〕(諸行:現象世界)の自ずからの状態(自性)の義(意味)を、天を含む〔世の人々〕に見示して(一切世界の無常・苦・無我なることを示して)、火の塊のように燃え盛って、滅却に至った太陽のように(西に沈む夕日のように)──

 

32.(369) マンガラ〔世尊〕は、覚者は、ヴァッサラという名の庭園において、涅槃に到達した。まさしく、そこにおいて、彼の勝者の塔があり、三十ヨージャナの高さとなる。ということで──

 

 マンガラ世尊の伝統が、第三となる。

 

6. スマナ覚者の伝統

 

1.(370) マンガラ〔世尊〕の後に、スマナという名の〔世の〕導き手たる方が、一切の法(性質)をもってしては等しき者なき方が、一切の有情たちのなかの最上者たる方が、〔世に生起した〕。

 

2.(371) そのとき、彼は、メーカラの都において、不死の太鼓を打った。法(真理)の法螺貝を兼ね合わせた、九つの支分ある勝者の教えを〔説いた〕。

 

3.(372) 彼は、諸々の〔心の〕汚れに勝利して、最上の正覚に至り得て、〔世の〕教師たる方は、城市を、最上の優れた正なる法(教え)の都を、造作した。

 

4.(373) 間断なく、屈曲なく、真っすぐで、広大にして幅広き、大いなる道を、彼は造作した。最上の優れた気づきの確立(念住・念処)を──

 

5.(374) 四つの沙門の果を、四つの融通無礙〔の智慧〕を、六つの神知を、八つの入定を、そこにおいて、〔大いなる〕道において、拡大した。

 

6.(375) 彼ら、〔気づきを〕怠ることなく、〔心に〕鬱積なく、恥〔の思い〕と精進を具した者たちは、それぞれの者たちが、これらの優れた徳を、安楽なるままに取る。

 

7.(376) このように、この〔心の〕制止によって、大勢の人を引き上げながら、〔世の〕教師たる方は、第一に、百千の千万の者たちを覚らせた。

 

8.(377) 偉大なる勇者が、異教の衆徒たちを教え諭した、その時には、千の千万の者たちが、〔法を〕知悉した──第二の法(教え)の説示において。

 

9.(378) すなわち、天〔の神々〕たちが、さらに、人間たちが、意図を一つにする和合者たちとなり、止滅〔の境地〕についての問いを、さらに、また、疑念ある意図のことを、尋ねたとき──

 

10.(379) そのときもまた、法(教え)の説示において、止滅〔の境地〕の遍き提示において、九十の千の千万の者たちに、第三の〔法の〕知悉が有った。

 

11.(380) スマナ〔世尊〕には、偉大なる聖賢には、三つの集まりが存した──煩悩の滅尽者たちのために、〔世俗の〕垢を離れる者たちのために、心が寂静となった者たちのために、如なる者たちのために。

 

12.(381) 雨期を住した世尊が、〔雨期の〕充足を宣言したとき、如来は、百千の千万の者たちとともに、〔雨期の滞在を〕充足した(第一の集い)。

 

13.(382) そののち、他に、〔世俗の〕垢を離れるカンチャナ山の集まりにおいて、九十の千の千万の者たちのために、第二の集いが存した。

 

14.(383) すなわち、天の王たる帝釈〔天〕(インドラ神)が、覚者と会見するために近しく赴いたとき、八十の千の千万の者たちのために、第三の集いが存した。

 

15.(384) その時点にあって、わたし(ゴータマ・ブッダ)は、大いなる神通ある龍の王として〔世に生起した〕──名としては、アトゥラという名の、増長した善なる〔功徳〕の蓄積ある〔龍〕として。

 

16.(385) そのとき、わたしは、龍の居所から出て、親族たちと共に、龍たちの諸々の天の楽器によって、僧団を有する勝者に奉仕した。

 

17.(386) 百千の千万の者たちを、食べ物と飲み物によって満足させた。各自に一組の布を施して、帰依所として、彼のもとへと近しく赴いた。

 

18.(387) スマナ〔世尊〕は、〔世の〕導き手たる方は、覚者は、彼もまた、わたしのことを説き明かした。〔スマナ世尊は言った〕「これより、量るべくもないカッパ〔の未来〕において、この者は、覚者と成るであろう。

 

19.(388) 〔刻苦〕精励をもって〔自己を〕精励して……略……。この方の面前に有るのだ」〔と〕。

 

20.(389) 彼の言葉を聞いて、また、より一層、心を清信させた。十の完全態の円満のために、より以上に、掟を〔心に〕確立した。

 

21.(390) 〔スマナ世尊が生を受けた〕城市は、メーカラという名であり、スダッタという名の士族が〔父として〕、シリマーという名の生む者が〔母として有った〕──スマナ〔世尊〕には、偉大なる聖賢には。

 

22.(391) 九の千年のあいだ、彼は、家の内に住した。チャンダ、スチャンダ、さらに、ヴァタンサ〔という名〕の、三つの最上の高楼が〔有った〕。

 

23.(392) 六十三の百千の〔装いを〕十二分に作り為した女たちが〔有った〕。ヴァタンシカーという名の女が〔妻として〕、アヌーパマという名の者が実子として〔有った〕。

 

24.(393) 四つの形相を見て、象を乗物に〔家から〕出た。欠くことなく十月のあいだ、勝者は、〔刻苦〕精励をもって〔自己を〕精励した。

 

25.(394) 梵〔天〕に乞い求められ、〔そのように〕存しつつ、スマナ〔世尊〕は、世の導き手たる方は、偉大なる勇者は、〔法の〕輪を転起させた──最上の都のメーカラにおいて。

 

26.(395) サラナが、さらに、バーヴィタッタが、至高の弟子たちとして有った。ウデーナという名の者が、奉仕者として〔有った〕──スマナ〔世尊〕には、偉大なる聖賢には。

 

27.(396) そして、ソーナーが、さらに、ウパソーナーが、至高の女性の弟子たちとして有った。覚者は、無量なる福徳ある方は、彼もまた、ナーガ〔樹〕の根元において覚った。

 

28.(397) まさしく、そして、ヴァルナが、さらに、サラナが、至高の奉仕者たちとして有った。そして、チャーラーが、さらに、ウパチャーラーが、至高の女性の奉仕者たちとして有った。

 

29.(398) 覚者は、彼は、高さにして、九十ハッタの高さがあり、価値ある黄金の似姿があり、一万〔の世の界域〕に遍照する。

 

30.(399) 九十の千年のあいだ、まさしく、そのあいだ、寿命が見出される。彼は、〔世に〕止住している、それまでのあいだに、多くの人民を〔彼岸へと〕超え渡した。

 

31.(400) 超え渡すべき者たちを超え渡して、そして、覚らせるべき者たちを覚らせた。第八〔夜〕の星々の王(月)のように、正覚者は、完全なる涅槃に到達した。

 

32.(401) そして、煩悩の滅尽者たちである、それらの比丘たちも──そして、同等の者なき方である、その覚者も──無比なる光を見示して〔そののち〕、すなわち、大いなる福徳ある者たちは、涅槃に到達した者たちとなる。

 

33.(402) そして、その無比なる知恵も、さらに、それらの無比なる宝玉も、その全てが、消没したものとなる。一切の形成〔作用〕は、まさに、空虚なるものではないか。

 

34.(403) スマナ〔世尊〕は、福徳を保持する方は、覚者は、アンガ林園において、涅槃に到達した者となる。まさしく、そこにおいて、彼の勝者の塔があり、四ヨージャナの高さとなる。ということで──

 

 スマナ世尊の伝統が、第四となる。

 

7. レーヴァタ覚者の伝統

 

1.(404) スマナ〔世尊〕の後に、レーヴァタという名の〔世の〕導き手たる方が、喩えなき方が、同等の者なき方が、無比にして最上の勝者が、〔世に生起した〕。

 

2.(405) 梵〔天〕に乞い求められ、彼もまた、法(真理)を明示した──範疇()と界域()の〔差異を〕定め置くことを、種々なる生存において〔いまだ〕転起なきものを。

 

3.(406) 彼には、法(教え)の説示において、三つの〔法の〕知悉が有った。数をもっては説かれようのないものとして、第一の〔法の〕知悉が有った。

 

4.(407) すなわち、レーヴァタ牟尼が、アリンダマ王を教導したとき、そのとき、千の千万の者たちに、第二の〔法の〕知悉が有った。

 

5.(408) 七日ののち、静坐から出起して、人の雄牛たる方は、百の千万の人や神たちのために、最上の果において教導した。

 

6.(409) レーヴァタ〔世尊〕には、偉大なる聖賢には、三つの集まりが存した──煩悩の滅尽者たちのために、〔世俗の〕垢を離れる者たちのために、善き解脱者たちのために、如なる者たちのために。

 

7.(410) すなわち、第一〔の集い〕に集いあつまった者たちは、計数の道を超越した者たちとなる。百千の千万の者たちのために、第二の集いが存した。

 

8.(411) すなわち、また、智慧をもってしては等しき者なき者である、彼の〔法の〕輪を随転させる者(至高の仏弟子)が、その〔弟子〕が、生命の憂慮に至り得た病者として存した、そのとき──

 

9.(412) 彼の病を問うために、すなわち、そのとき、近しく赴いた牟尼(沈黙の聖者)たちは、千の千万の阿羅漢たちとなり、第三の集いが存した。

 

10.(413) その時点にあって、わたし(ゴータマ・ブッダ)は、アティデーヴァという名の婆羅門として〔世に生起した〕。彼のもとへと近しく赴いて、わたしは、レーヴァタ覚者を帰依所に赴いた(レーヴァタに帰依した)。

 

11.(414) 彼の、戒を、さらに、禅定を、無上なる智慧の徳を、強さのままに賛嘆して、わたしは、上衣を施した。

 

12.(415) レーヴァタ〔世尊〕は、〔世の〕導き手たる方は、覚者は、彼もまた、わたしのことを説き明かした。〔レーヴァタ世尊は言った〕「これより、量るべくもないカッパ〔の未来〕において、この者は、覚者と成るであろう。

 

13.(416) 〔刻苦〕精励をもって〔自己を〕精励して……略……。この方の面前に有るのだ」〔と〕。

 

14.(417) 彼の言葉を聞いて、また、より一層、心を清信させた。十の完全態の円満のために、より以上に、掟を〔心に〕確立した。

 

15.(418) そのときもまた、〔まさに〕その、覚者の法(教え)を、思念して増進させた。「すなわち、わたしが切望したものである、〔まさに〕その、法(教え)を、〔わたしは〕将来するのだ」〔と〕。

 

16.(419) 〔レーヴァタ世尊が生を受けた〕城市は、スダンニャヴァティーという名であり、ヴィプラという名の士族が〔父として〕、ヴィプラーという名の生む者が〔母として有った〕──レーヴァタ〔世尊〕には、偉大なる聖賢には。

 

17.(420) そして、六の千年のあいだ、彼は、家の内に住した。スダッサナ、ラタナッギ、さらに、飾り立てられたアーヴェーラ〔という名〕の、三つの最上の高楼が〔有った〕──功徳の行為によって発現したものとして。

 

18.(421) そして、三十三の千の〔装いを〕十二分に作り為した女たちが〔有った〕。スダッサナーという名の女が〔妻として〕、ヴァルナという名の者が実子として〔有った〕。

 

19.(422) 四つの形相を見て、車を乗物に〔家から〕出た。欠くことなく七月のあいだ、勝者は、〔刻苦〕精励をもって〔自己を〕精励した。

 

20.(423) 梵〔天〕に乞い求められ、〔そのように〕存しつつ、レーヴァタ〔世尊〕は、世の導き手たる方は、偉大なる勇者は、〔法の〕輪を転起させた──ヴァルナ林園のシリー・ガラ(吉祥の家)において。

 

21.(424) ヴァルナが、さらに、ブラフマデーヴァが、至高の弟子たちとして有った。サンバヴァという名の者が、奉仕者として〔有った〕──レーヴァタ〔世尊〕には、偉大なる聖賢には。

 

22.(425) まさしく、そして、バッダーが、さらに、スバッダーが、至高の女性の弟子たちとして有った。覚者は、〔過去と未来の〕同等の者なき者たちと同等なる方は、彼もまた、ナーガ〔樹〕の根元において覚った。

 

23.(426) パドゥマが、まさしく、さらに、クンジャラが、至高の奉仕者たちとして有った。まさしく、そして、シリーマーが、ヤサヴァティーが、至高の女性の奉仕者たちとして有った。

 

24.(427) 覚者は、彼は、高さにして、八十ハッタの高さがあり、昇り行くインダの幟のように、一切の方角を照らす。

 

25.(428) 彼の肉体に発現した、諸々の無上なる光の花飾は、もしくは、昼であろうが、夜であろうが、遍きにわたり、〔一〕ヨージャナに充満する。

 

26.(429) 六十の千年のあいだ、まさしく、そのあいだ、寿命が見出される。彼は、〔世に〕止住している、それまでのあいだに、多くの人民を〔彼岸へと〕超え渡した。

 

27.(430) 覚者の力を見示して、世において、不死〔の境処〕を明示しながら、あたかも、燃料の消滅ある祭火のように、執取〔の思い〕なく、涅槃に到達した。

 

28.(431) そして、その宝玉の輝きある身体も、さらに、その同等のものなき法(性質)も、その全てが、消没したものとなる。一切の形成〔作用〕は、まさに、空虚なるものではないか。

 

29.(432) レーヴァタ〔世尊〕は、福徳を保持する方は、覚者は、彼は、大いなる都において、涅槃に到達した者となる。そこかしこの地域において、遺物(遺骨)は拡張し、〔世に〕存した。ということで──

 

 レーヴァタ世尊の伝統が、第五となる。

 

8. ソービタ覚者の伝統

 

1.(433) レーヴァタ〔世尊〕の後に、ソービタという名の〔世の〕導き手たる方が、〔心が〕定められた方が、心が寂静となった方が、等しき者なく対する人なき方が、〔世に生起した〕。

 

2.(434) 勝者は、彼は、自らの家において、意図を退転させた(在家生活から心を遠ざけた)。全一なる覚りに至り得て、法(真理)の輪を転起させた。

 

3.(435) 下は無間〔地獄〕に至るまで、さらに、また、上は有頂〔天〕に〔至るまで〕、ここにおいて、〔その〕中途において、一なる衆〔のみ〕が有った──法(教え)の説示あるときに。

 

4.(436) その衆のために、正覚者は、法(真理)の輪を転起させた。数をもっては説かれようのないものとして、第一の〔法の〕知悉が有った。

 

5.(437) そののち、他にもまた、〔法を〕説示しているとき、そして、神たちの集いにおいて、九十の千の千万の者たちに、第二の〔法の〕知悉が有った。

 

6.(438) また、他にも、ジャヤセーナという名の士族の王子が、林園を育成して、覚者に引き渡した、そのとき──

 

7.(439) 眼ある方は、彼の祭祀(供養)を賛じ称えながら、法(教え)を説示し、そのとき、千の千万の者たちに、第三の〔法の〕知悉が有った。

 

8.(440) ソービタ〔世尊〕には、偉大なる聖賢には、三つの集まりが存した──煩悩の滅尽者たちのために、〔世俗の〕垢を離れる者たちのために、心が寂静となった者たちのために、如なる者たちのために。

 

9.(441) ウッガタという名のその王が、最上の人たる方にたいし、布施を施す、その布施においては、百の千万の阿羅漢たちが集いあつまった(第一の集い)。

 

10.(442) また、他にも、都の衆徒が、最上の人たる方にたいし、布施を施す、そのとき、九十の千万の者たちのために、第二の集いが存した。

 

11.(443) すなわち、勝者が、天の世に住して〔そののち〕、〔下界へと〕降り行くとき、そのとき、八十の千万の者たちのために、第三の集いが存した。

 

12.(444) その時点にあって、わたし(ゴータマ・ブッダ)は、スジャータという名の婆羅門として〔世に生起した〕。そのとき、弟子を有する覚者を、食べ物と飲み物によって満足させた。

 

13.(445) ソービタ〔世尊〕は、〔世の〕導き手たる方は、覚者は、彼もまた、わたしのことを説き明かした。〔ソービタ世尊は言った〕「これより、量るべくもないカッパ〔の未来〕において、この者は、覚者と成るであろう。

 

14.(446) 〔刻苦〕精励をもって〔自己を〕精励して……略……。この方の面前に有るのだ」〔と〕。

 

15.(447) 彼の言葉を聞いて、また、欣喜した者となり、畏怖の意図ある者となり、まさしく、その義(目的)を獲得するために、わたしは、激しく〔道心〕堅固に為した。

 

16.(448) 〔ソービタ世尊が生を受けた〕城市は、スダンマという名であり、スダンマという名の士族が〔父として〕、スダンマーという名の生む者が〔母として有った〕──ソービタ〔世尊〕には、偉大なる聖賢には。

 

17.(449) 九の千年のあいだ、彼は、家の内に住した。クムダ、ナーリナ、パドゥマ〔という名〕の、三つの最上の高楼が〔有った〕。

 

18.(450) 三十七の千の〔装いを〕十二分に作り為した女たちが〔有った〕。マニラーという名のその女が〔妻として〕、シーハという名の者が実子として存した。

 

19.(451) 四つの形相を見て、高楼をとおり〔家から〕出た。七日のあいだ、最上の人士たる方は、〔刻苦〕精励の行を歩んで──

 

20.(452) 梵〔天〕に乞い求められ、〔そのように〕存しつつ、ソービタ〔世尊〕は、世の導き手たる方は、偉大なる勇者は、〔法の〕輪を転起させた──最上のスダンマ庭園において。

 

21.(453) そして、アサマが、さらに、スネッタが、至高の弟子たちとして有った。アノーマという名の者が、奉仕者として〔有った〕──ソービタ〔世尊〕には、偉大なる聖賢には。

 

22.(454) そして、ナクラーが、さらに、スジャーターが、至高の女性の弟子たちとして有った。そして、覚者は、目覚めている者は、彼は、ナーガ〔樹〕の根元において覚った。

 

23.(455) まさしく、そして、ランマが、さらに、スダッタが、至高の奉仕者たちとして有った。まさしく、そして、ナクラーが、さらに、チッターが、至高の女性の奉仕者たちとして有った。

 

24.(456) 偉大なる牟尼は、五十八ラタナ(長さの単位・一ラタナは約五十センチ)を超える高さがあり、昇り行く百光〔の太陽〕のように、一切の方角を照らす。

 

25.(457) たとえば、美しく咲き誇る山林が、種々なる香りによって燻じられているように、まさしく、そのように、彼の〔聖なる〕言葉は、諸々の戒の香りによって燻じられている。

 

26.(458) たとえば、また、海洋が、まさに、見る〔だけ〕で満足するべきではないように、まさしく、そのように、彼の〔聖なる〕言葉は、聞く〔だけ〕で満足するべきではない。

 

27.(459) 九十の千年のあいだ、まさしく、そのあいだ、寿命が見出される。彼は、〔世に〕止住している、それまでのあいだに、多くの人民を〔彼岸へと〕超え渡した。

 

28.(460) 教諭を、さらに、教示を、残りの人々にたいし与えて、献火のように燃え尽きて、彼は、弟子と共に、涅槃に到達した者となる。

 

29.(461) 覚者は、〔過去と未来の〕同等の者なき者たちと同等なる方は、そして、彼も──力に至り得た者たちである、それらの弟子たちもまた──その全てが、消没したものとなる。まさに、一切の形成〔作用〕は、空虚なるものではないか。

 

30.(462) ソービタ〔世尊〕は、優れた正覚者は、シーハ林園において、涅槃に到達した者となる。そこかしこの地域において、遺物(遺骨)は拡張し、〔世に〕存した。ということで──

 

 ソービタ世尊の伝統が、第六となる。

 

9. アノーマダッシン覚者の伝統

 

1.(463) ソービタ〔世尊〕の後に、最上の二足者たる正覚者として、アノーマダッシン〔という名の覚者〕が、無量なる福徳ある方が、超越し難き威光ある方が、〔世に生起した〕。

 

2.(464) 彼は、一切の結縛を断ち切って、三つの生存を砕破して、不退転に至る道を、天〔の神々〕と人間たちに見示した。

 

3.(465) 海洋のように不動なる方として、山のように近づき難き方として、虚空のように終極なき者として、咲き誇るサーラ〔樹〕の王のような方として、彼は〔有った〕。

 

4.(466) 覚者を、彼を、たとえ、見る〔だけ〕でも、命あるものたちは、満足した者たちと成り、弁じている言葉を聞いて、彼らは、不死〔の境処〕(涅槃)に至り得る。

 

5.(467) 彼の、法(真理)の知悉は、そのとき、繁栄し、興隆し、〔世に〕有った。第一の法(教え)の説示において、百の千万の者たちが、〔法を〕知悉した。

 

6.(468) そののち、他に、〔法の〕知悉において、諸々の法(真理)の雨を降らせているとき、第二の法(教え)の説示において、八十の千万の者たちが、〔法を〕知悉した。

 

7.(469) そののち、他に、まさに、〔諸々の法の雨を〕降らせているとき、そして、命あるものたちを満足させているとき、七十八の千万の者たちに、第三の〔法の〕知悉が有った。

 

8.(470) そして、偉大なる聖賢には、彼にもまた、三つの集まりが存した──神知の力に至り得た者たちのために、解脱〔の境地〕において花ひらいた者たちのために。

 

9.(471) そのとき、八の百千の者たちのために、〔第一の〕集まりが有った──驕慢と迷妄を捨棄した者たちのために、心が寂静となった者たちのために、如なる者たちのために。

 

10.(472) 七の百千の者たちのために、第二の集いが存した──穢れなき者たちのために、〔世俗の〕塵を離れる者たちのために、寂静なる者たちのために、如なる者たちのために。

 

11.(473) 六の百千の者たちのために、第三の集いが存した──神知の力に至り得た者たちのために、涅槃に到達した苦行者たちのために。

 

12.(474) その時点にあって、わたし(ゴータマ・ブッダ)は、大いなる神通ある夜叉として〔世に〕存した──自在〔天〕において、幾千万の夜叉たちのイッサラ(イーシュヴァラ神・自在神)として。

 

13.(475) そのときもまた、優れた覚者のもとへと、偉大なる聖賢のもとへと、彼のもとへと、近しく赴いて、僧団を有する世の導き手たる方を、食べ物と飲み物によって満足させた。

 

14.(476) そのとき、清浄の眼ある牟尼は、覚者は、彼もまた、わたしのことを説き明かした。〔アノーマダッシン世尊は言った〕「これより、量るべくもないカッパ〔の未来〕において、この者は、覚者と成るであろう。

 

15.(477) 〔刻苦〕精励をもって〔自己を〕精励して……略……。この方の面前に有るのだ」〔と〕。

 

16.(478) 彼の言葉を聞いて、また、欣喜した者となり、畏怖の意図ある者となり、十の完全態の円満のために、より以上に、掟を〔心に〕確立した。

 

17.(479) 〔アノーマダッシン世尊が生を受けた〕城市は、チャンダヴァティーという名であり、ヤサヴァントという名の士族が〔父として〕、ヤソーダラーという名の者が母として〔有った〕──アノーマダッシン〔世尊〕には、〔世の〕教師たる方には。

 

18.(480) 十の千年のあいだ、彼は、家の内に住した。シリ、ウパシリ、ヴァッダ〔という名〕の、三つの最上の高楼が〔有った〕。

 

19.(481) 二十三の千の〔装いを〕十二分に作り為した女たちが〔有った〕。シリマーという名のその女が〔妻として〕、ウパヴァーナという名の者が実子として〔有った〕。

 

20.(482) 四つの形相を見て、駕篭〔を乗物〕に〔家から〕出た。欠くことなく十月のあいだ、勝者は、〔刻苦〕精励をもって〔自己を〕精励した。

 

21.(483) 梵〔天〕に乞い求められ、〔そのように〕存しつつ、アノーマダッシン〔世尊〕は、偉大なる聖賢は、偉大なる勇者は、彼は、〔法の〕輪を転起させた──スダッサナ庭園において。

 

22.(484) そして、ニサバが、さらに、アノーマが、至高の弟子たちとして有った。ヴァルナという名の者が、奉仕者として〔有った〕──アノーマダッシン〔世尊〕には、〔世の〕教師たる方には。

 

23.(485) そして、スンダリーが、さらに、スマナーが、至高の女性の弟子たちとして有った。その世尊の菩提〔樹〕は、「アッジュナ」と呼ばれる。

 

24.(486) ナンディヴァッダが、シリヴァッダが、至高の奉仕者たちとして有った。まさしく、そして、ウッパラーが、さらに、パドゥマーが、至高の女性の奉仕者たちとして有った。

 

25.(487) 偉大なる牟尼は、五十八ラタナを超える高さがあり、彼の光が、昇り行く百光〔の太陽〕のように放たれる。

 

26.(488) 百千年のあいだ、まさしく、そのあいだ、寿命が見出される。彼は、〔世に〕止住している、それまでのあいだに、多くの人民を〔彼岸へと〕超え渡した。

 

27.(489) 見事に花ひらいた〔聖なる〕言葉は、阿羅漢たちによって、如なる者たちによって、貪欲を離れた者たちによって、〔世俗の〕垢を離れる者たちによって、美しく輝いた──勝者の教えとして。

 

28.(490) そして、〔世の〕教師たる方であり、無量なる福徳ある方である、その〔覚者〕も──無比なる者たちである、それらの組となる者たち(二大弟子を筆頭とする聖弟子たち)も──その全てが、消没したものとなる。まさに、一切の形成〔作用〕は、空虚なるものではないか。

 

29.(491) アノーマダッシン〔世尊〕は、〔世の〕教師たる方は、勝者は、ダンマ林園において、涅槃に到達した者となる。まさしく、そこにおいて、彼の勝者の塔があり、二十五〔ヨージャナ〕の高さとなる。ということで──

 

 アノーマダッシン世尊の伝統が、第七となる。

 

10. パドゥマ覚者の伝統

 

1.(492) アノーマダッシン〔世尊〕の後に、最上の二足者たる正覚者として、名としては、パドゥマという名の、等しき者なく対する人なき方が、〔世に生起した〕。

 

2.(493) 彼の、戒もまた、等しきものなきものであり、禅定もまた、終極なきものであり、優れた知恵は、数えようもないものであり、解脱もまた、喩えなきものである。

 

3.(494) 無比なる威光ある方には、彼にもまた、法(真理)の輪の転起において、三つの〔法の〕知悉が存した──大いなる闇を運び去るものとして。

 

4.(495) 第一の〔法の〕知悉において、覚者は、百の千万の者たちを覚らせた。第二の〔法の〕知悉において、慧者は、九十の千万の者たちを覚らせた。

 

5.(496) さらに、すなわち、パドゥマ覚者が、自らの実子を教え諭したとき、そのとき、八十の千万の者たちに、第三の〔法の〕知悉が有った。

 

6.(497) パドゥマ〔世尊〕には、偉大なる聖賢には、三つの集まりが存した。百千の千万の者たちのために、第一の集いが存した。

 

7.(498) カティナ奉献の時において、カティナの衣料が作成されたとき、法(教え)の軍団長を義(目的)として、比丘たちは、衣料を縫い合わせた。

 

8.(499) そのとき、〔世俗の〕垢を離れる者たちである、それらの比丘たちが、六つの神知ある者たちが、大いなる神通ある者たちが、〔一切に〕敗れることなき者たちが、三の百千の者たちが集まった(第二の集い)。

 

9.(500) また、他にも、彼が、人の雄牛たる方が、山林のなかの住居へと近しく赴いた、そのとき、二の百千の者たちのために、〔第三の〕集いが存した。

 

10.(501) その時点にあって、わたし(ゴータマ・ブッダ)は、獣たちの征服者たる獅子として〔世に〕存した。山林において、遠離を増進させている勝者を、〔わたしは〕見た。

 

11.(502) 〔覚者の両の〕足を、頭をもって敬拝して、彼に、右回り〔の礼〕を為して、三度、咆哮して、七日のあいだ、勝者に奉仕した。

 

12.(503) 七日ののち、優れた入定から出起して、如来は、意によって思い考えて、千万の比丘たちを導き入れた。

 

13.(504) 彼らの中央において、偉大なる勇者は、彼もまた、そのとき、〔わたしのことを〕説き明かした。〔パドゥマ世尊は言った〕「これより、量るべくもないカッパ〔の未来〕において、この者は、覚者と成るであろう。

 

14.(505) 〔刻苦〕精励をもって〔自己を〕精励して……略……。この方の面前に有るのだ」〔と〕。

 

15.(506) 彼の言葉を聞いて、また、より一層、心を清信させた。十の完全態の円満のために、より以上に、掟を〔心に〕確立した。

 

16.(507) 〔パドゥマ世尊が生を受けた〕城市は、チャンパカという名であり、アサマという名の士族が〔父として〕、アサマーという名の生む者が〔母として有った〕──パドゥマ〔世尊〕には、偉大なる聖賢には。

 

17.(508) 十の千年のあいだ、彼は、家の内に住した。ナンダー、ヴァスヤサー、ウッタラー〔という名〕の、三つの最上の高楼が〔有った〕。

 

18.(509) そして、三十三の千の〔装いを〕十二分に作り為した女たちが〔有った〕。ウッタラーという名のその女が〔妻として〕、ランマという名の者が実子として存した。

 

19.(510) 四つの形相を見て、車を乗物に〔家から〕出た。欠くことなく八月のあいだ、勝者は、〔刻苦〕精励をもって〔自己を〕精励した。

 

20.(511) 梵〔天〕に乞い求められ、〔そのように〕存しつつ、パドゥマ〔世尊〕は、世の導き手たる方は、偉大なる勇者は、〔法の〕輪を転起させた──最上のダナンチャ庭園において。

 

21.(512) そして、サーラが、さらに、ウパサーラが、至高の弟子たちとして有った。ヴァルナという名の者が、奉仕者として〔有った〕──パドゥマ〔世尊〕には、偉大なる聖賢には。

 

22.(513) まさしく、そして、ラーダーが、さらに、スラーダーが、至高の女性の弟子たちとして有った。その世尊の菩提〔樹〕は、「マハーソーナ」と呼ばれる。

 

23.(514) まさしく、そして、ビッヤが、さらに、アサマが、至高の奉仕者たちとして有った。そして、ルチーが、さらに、ナンダラーマーが、至高の女性の奉仕者たちとして有った。

 

24.(515) 偉大なる牟尼は、五十八ラタナを超える高さがあり、彼の、等しきものなき光が、遍きにわたり、方々に放たれる。

 

25.(516) 月の光も、日の光も、宝玉や祭火や宝珠の光も、それらは、全てもろともに、打破されたものと成る──勝者の最上の光に至り得て〔そののち〕。

 

26.(517) 百千年のあいだ、まさしく、そのあいだ、寿命が見出される。彼は、〔世に〕止住している、それまでのあいだに、多くの人民を〔彼岸へと〕超え渡した。

 

27.(518) 完熟した意図ある有情たちを残りなく覚らせて、残りの者たちに教示して、彼は、弟子と共に、涅槃に到達した者となる。

 

28.(519) 蛇が、老い朽ちた皮膚を〔捨棄する〕ように、木が、古くなった葉を〔捨棄する〕ように、一切の形成〔作用〕を捨棄して、彼は、炎のように、涅槃に到達した者となる。

 

29.(520) パドゥマ〔世尊〕は、優れた勝者は、〔世の〕教師たる方は、ダンマ林園において、涅槃に到達した者となる。そこかしこの地域において、遺物(遺骨)は拡張し、〔世に〕存した。ということで── 

 

 パドゥマ世尊の伝統が、第八となる。

 

11. ナーラダ覚者の伝統

 

1.(521) パドゥマ〔世尊〕の後に、最上の二足者たる正覚者として、名としては、ナーラダという名の、等しき者なく対する人なき方が、〔世に生起した〕。

 

2.(522) 覚者は、彼は、転輪〔王〕の長男にして、正嫡として可愛がられ、花飾や装飾品を〔身に〕付け、庭園へと近づいて行った。

 

3.(523) そこにおいて、広大なる福徳ある木が存した──形姿麗しく、大きく、清らかな〔木〕が。その〔庭園〕に到達して、〔彼は〕坐った──〔まさしく、その〕マハーソーナ〔樹〕の下に。

 

4.(524) そこにおいて、終極なく、金剛の如き、優れた知恵が生起した。それによって、諸々の形成〔作用〕を、〔それらが〕興起しては倒壊するのを、〔あるがままに〕弁別した。

 

5.(525) そこにおいて、一切の〔心の〕汚れを、残りなく取り去った。全一なる覚りに、さらに、十四の覚者の知恵に、至り得た。

 

6.(526) 正覚に至り得て、法(教え)の輪を転起させた。百千の千万の者たちに、第一の〔法の〕知悉が有った。

 

7.(527) 偉大なる牟尼は、龍の王のマハードーナを教え導きながら、そのとき、神変を為した──天を含む〔世の人々〕に見示しながら。

 

8.(528) そのとき、天〔の神〕と人間たちのための、〔まさに〕その、法(真理)の明示において、九十の千の千万の者たちが、一切の疑念を超え渡った。

 

9.(529) 偉大なる勇者が、自らの実子を教え諭した、その時には、八十の千の千万の者たちに、第三の〔法の〕知悉が有った。

 

10.(530) ナーラダ〔世尊〕には、偉大なる聖賢には、三つの集まりが存した。百千の千万の者たちのために、第一の集いが存した。

 

11.(531) すなわち、覚者が、覚者の徳を、〔その〕因縁と共に、〔人々に〕明示したとき、そのとき、〔世俗の〕垢を離れる者たちが、九十の千の千万の者たちが、共に赴いた(第二の集い)。

 

12.(532) すなわち、龍のヴェーローチャナが、〔世の〕教師たる方に、布施を施すとき、そのとき、勝者の子(弟子)たちが、八十の百千の者たちが、共に赴いた(第三の集い)。

 

13.(533) その時点にあって、わたし(ゴータマ・ブッダ)は、激しい苦行の結髪者として〔世に生起した〕。空中を歩む者として、五つの神知における奥義に至る者として、〔世に〕存した。

 

14.(534) そのときもまた、わたしは、〔過去と未来の〕同等の者なき者たちと同等なる方を、僧団を有し従者を有する〔覚者〕を、食べ物と飲み物によって満足させて、栴檀によって供養した。

 

15.(535) そのとき、ナーラダ〔世尊〕は、世の導き手たる方は、彼もまた、わたしのことを説き明かした。〔ナーラダ世尊は言った〕「これより、量るべくもないカッパ〔の未来〕において、この者は、覚者と成るであろう。

 

16.(536) 〔刻苦〕精励をもって〔自己を〕精励して……略……。この方の面前に有るのだ」〔と〕。

 

17.(537) 彼の言葉を聞いて、また、より一層、意図を笑喜させて、十の完全態の円満のために、激しく、掟を〔心に〕確立した。

 

18.(538) 〔ナーラダ世尊が生を受けた〕城市は、ダンニャヴァティーという名であり、スデーヴァという名の士族が〔父として〕、アノーマーという名の生む者が〔母として有った〕──ナーラダ〔世尊〕には、偉大なる聖賢には。

 

19.(539) 九の千年のあいだ、彼は、家の内に住した。ジタ、ヴィジタ、アビラーマ〔という名〕の、三つの最上の高楼が〔有った〕。

 

20.(540) 四十三の千の〔装いを〕十二分に作り為した女たちが〔有った〕。ヴィジタセーナーという名の女が〔妻として〕、ナンドゥッタラという名の者が実子として〔有った〕。

 

21.(541) 四つの形相を見て、徒歩で〔家から〕出た。七日のあいだ、最上の人士たる方は、〔刻苦〕精励の行を歩んだ。

 

22.(542) 梵〔天〕に乞い求められ、〔そのように〕存しつつ、ナーラダ〔世尊〕は、世の導き手たる方は、偉大なる勇者は、〔法の〕輪を転起させた──最上のダナンチャ庭園において。

 

23.(543) バッダサーラが、ジタミッタが、至高の弟子たちとして有った。ヴァーセッタという名の者が、奉仕者として〔有った〕──ナーラダ〔世尊〕には、偉大なる聖賢には。

 

24.(544) ウッタラーが、まさしく、さらに、パッグニーが、至高の女性の弟子たちとして有った。その世尊の菩提〔樹〕は、「マハーソーナ」と呼ばれる。

 

25.(545) ウッガリンダが、さらに、ヴァサバが、至高の奉仕者たちとして有った。そして、インダーヴァリーが、さらに、ヴァンディーが、至高の女性の奉仕者たちとして有った。

 

26.(546) 偉大なる牟尼は、八十八ラタナを超える高さがあり、価値ある黄金の似姿があり、一万〔の世の界域〕に遍照する。

 

27.(547) 彼の、〔一〕ヴヤーマ(:長さの単位・一ヴヤーマは約二メートル)の光ある身体から、〔光が〕方々に放たれる。間断なく、昼夜のあいだ、常に、〔一〕ヨージャナに充満する。

 

28.(548) その時点にあって、誰であれ、遍きにわたり、〔一〕ヨージャナにおける人たちが、松明や灯明を燃やすことなく、覚者の諸々の光によって覆われた。

 

29.(549) 九十の千年のあいだ、まさしく、そのあいだ、寿命が見出される。彼は、〔世に〕止住している、それまでのあいだに、多くの人民を〔彼岸へと〕超え渡した。

 

30.(550) すなわち、空が、星々によって、様々な彩りあるものとなり、光り輝くように、まさしく、そのように、彼の教えは、阿羅漢たちによって、美しく輝く。

 

31.(551) 輪廻の流れを超え渡るために、残りの実践者たちを〔教示して〕、法(教え)の橋を堅固に作り為して、人の雄牛たる方は、彼は、涅槃に到達した者となる。

 

32.(552) 覚者は、〔過去と未来の〕同等の者なき者たちと同等なる方は、彼もまた──煩悩の滅尽者たちであり、無比なる威光ある者たちである、それら〔の弟子たち〕もまた──その全てが、消没したものとなる。まさに、一切の形成〔作用〕は、空虚なるものではないか。

 

33.(553) ナーラダ〔世尊〕は、勝者にして〔人の〕雄牛たる方は、スダッサナの都において、涅槃に到達した者となる。まさしく、そこにおいて、彼の優美なる塔があり、四ヨージャナの高さとなる。ということで──

 

 ナーラダ世尊の伝統が、第九となる。

 

12. パドゥムッタラ覚者の伝統

 

1.(554) ナーラダ〔世尊〕の後に、最上の二足者たる正覚者として、パドゥムッタラという名の勝者が、揺るぎなく海洋の如き方が、〔世に生起した〕。

 

2.(555) まさしく、醍醐のカッパの者(最高の劫に生を受けた者)として、彼は〔世に〕存した。すなわち、覚者が生まれた、そのカッパにおいては、善なる〔功徳〕が増長した人民が生まれた(積善の者が生を受けた)。

 

3.(556) パドゥムッタラ世尊の、第一の法(教え)の説示において、百千の千万の者たちに、法(真理)の知悉が有った。

 

4.(557) そののち、他にもまた、〔法の雨を〕降らせながら、そして、命あるものたちを満足させているとき、三十七の百千の者たちに、第二の〔法の〕知悉が有った。

 

5.(558) 偉大なる勇者が、〔父である〕アーナンダ〔大王〕のもとへと近づいて行き、父の現前へと近しく赴いて、不死の鼓を打った、その時には──

 

6.(559) 不死の太鼓が打たれ、法(教え)の雨を降らせているとき、五十の百千の者たちに、第三の〔法の〕知悉が有った。

 

7.(560) 全ての命あるものたちの、教諭者として、教授者として、超渡者として、〔法の〕説示の巧みな智ある者として、覚者は、多くの人民を〔彼岸へと〕超え渡した。

 

8.(561) パドゥムッタラ〔世尊〕には、〔世の〕教師たる方には、三つの集まりが存した。百千の千万の者たちのために、第一の集いが存した。

 

9.(562) すなわち、覚者が、〔過去と未来の〕同等の者なき者たちと同等なる方が、ヴェーバーラ山に住したとき、九十の千の千万の者たちに、第二の集いが存した。

 

10.(563) さらに、〔彼が〕遊行〔の旅〕に出たとき、村や町や国からの八十の千の千万の者たちに、第三の集いが存した。

 

11.(564) その時点にあって、わたし(ゴータマ・ブッダ)は、ジャティラという名の国人として〔世に生起した〕。わたしは、正覚者を筆頭とする僧団を〔招いて〕、食事と共に、布地を施した。

 

12.(565) 僧団の中央に坐って、覚者は、彼もまた、わたしのことを説き明かした。〔パドゥムッタラ世尊は言った〕「これより、百千カッパ〔の未来〕において、この者は、覚者と成るであろう。

 

13.(566) 〔刻苦〕精励をもって〔自己を〕精励して……略……。この方の面前に有るのだ」〔と〕。

 

14.(567) 彼の言葉を聞いて、また、より以上に、掟を〔心に〕確立した。十の完全態の円満のために、断固として激しく、〔道心〕堅固に為した。

 

15.(568) そのとき、異教の者たちは、全ての者たちが、排除され、意が離れ、失意の者たちとなり、誰であれ、彼らを世話せず、彼らを国土から排斥する。

 

16.(569) そこにおいて、全ての者たちが集いあつまって、覚者の現前に近しく赴いた。〔彼らが言った〕「偉大なる勇者よ、あなたは、〔世の〕主たる方です。眼ある方よ、帰依所と成ってください」〔と〕。

 

17.(570) 慈しみ〔の思い〕ある方は、慈悲の者たる方は、全ての命あるものたちの益を探し求める方は、至り得た全ての異教の者たちを、五つの戒において確立させた。

 

18.(571) このように、混乱なきものとして、さらに、異教の者たちから空無なるものとして、〔その僧団は〕存した──自在者と成った者たちによって、如なる者たちによって、阿羅漢たちによって、様々な彩りあるものとなり。

 

19.(572) 〔パドゥムッタラ世尊が生を受けた〕城市は、ハンサヴァティーという名であり、アーナンダという名の士族が〔父として〕、スジャーターという名の生む者が〔母として有った〕──パドゥムッタラ〔世尊〕には、〔世の〕教師たる方には。

 

20.(573) 十の千年のあいだ、彼は、家の内に住した。ナラヴァーハナ、ヤサ、ヴァサヴァッティン〔という名〕の、三つの最上の高楼が〔有った〕。

 

21.(574) 四十三の千の〔装いを〕十二分に作り為した女たちが〔有った〕。ヴァスダッターという名の女が〔妻として〕、ウッタマという名の者が実子として〔有った〕。

 

22.(575) 四つの形相を見て、高楼をとおり〔家から〕出た。七日のあいだ、最上の人士たる方は、〔刻苦〕精励の行を歩んだ。

 

23.(576) 梵〔天〕に乞い求められ、〔そのように〕存しつつ、パドゥムッタラ〔世尊〕は、世の導き手たる方は、偉大なる勇者は、〔法の〕輪を転起させた──最上のミティラ庭園において。

 

24.(577) そして、デーヴァラが、さらに、スジャータが、至高の弟子たちとして有った。スマナという名の者が、奉仕者として〔有った〕──パドゥムッタラ〔世尊〕には、偉大なる聖賢には。

 

25.(578) そして、アミターが、さらに、アサマーが、至高の女性の弟子たちとして有った。その世尊の菩提〔樹〕は、「サララ」と呼ばれる。

 

26.(579) まさしく、そして、ヴィティンナが、さらに、ティッサが、至高の奉仕者たちとして有った。まさしく、そして、ハッターが、さらに、ヴィチッターが、至高の女性の奉仕者たちとして有った。

 

27.(580) 偉大なる牟尼は、五十八ラタナを超える高さがあり、価値ある黄金の似姿ある方として、三十二の優れた特相ある方として、〔世に有った〕。

 

28.(581) 諸々の冊も、諸々の戸も、さらに、諸々の壁も、木々も、諸々の山岳の連なりも、遍きにわたり、十二ヨージャナにおいて、彼にとって、妨害となるものは存在しない。

 

29.(582) 百千年のあいだ、まさしく、そのあいだ、寿命が見出される。彼は、〔世に〕止住している、それまでのあいだに、多くの人民を〔彼岸へと〕超え渡した。

 

30.(583) 多くの人々を等しく超え渡して、一切の疑念を断ち切って、火の塊のように燃え盛って、彼は、弟子と共に、涅槃に到達した者となる。

 

31.(584) パドゥムッタラ〔世尊〕は、勝者は、覚者は、ナンダ林園において、涅槃に到達した者となる。まさしく、そこにおいて、彼の優美なる塔があり、十二ヨージャナの高さとなる。ということで──

 

 パドゥムッタラ世尊の伝統が、第十となる。

 

13. スメーダ覚者の伝統

 

1.(585) パドゥムッタラ〔世尊〕の後に、スメーダという名の〔世の〕導き手たる方が、〔獅子の如く〕近づき難き方が、激しき威光ある方が、一切の世における最上の牟尼が、〔世に生起した〕。

 

2.(586) 清らかな眼の美しい顔立ちの方は、大きく真っすぐな輝きある方は、一切の有情たちの益を探し求める方は、多くの者たちを結縛から解き放った。

 

3.(587) すなわち、覚者が、全一なる最上の覚りに至り得て、スダッサナの城市において、法(教え)の輪を転起させたとき──

 

4.(588) 彼にもまた、法(教え)の説示において、三つの〔法の〕知悉が有った。百千の千万の者たちに、第一の〔法の〕知悉が有った。

 

5.(589) また、他にも、勝者が、彼が、夜叉のクンバカンナを調御した〔とき〕、九十の千の千万の者たちに、第二の〔法の〕知悉が有った。

 

6.(590) また、他にも、無量なる福徳ある方が、四つの真理を明示した〔とき〕、八十の千の千万の者たちに、第三の〔法の〕知悉が有った。

 

7.(591) スメーダ〔世尊〕には、偉大なる聖賢には、三つの集まりが存した──煩悩の滅尽者たちのために、〔世俗の〕垢を離れる者たちのために、心が寂静となった者たちのために、如なる者たちのために。

 

8.(592) すなわち、スダッサナという名の城市へと、勝者が近しく赴いたとき、そのとき、煩悩の滅尽者たちである、〔それらの〕比丘たちが、百の千万の者たちが、共に赴いた(第一の集い)。

 

9.(593) また、他にも、デーヴァクータにおいて、比丘たちに、カティナ〔の衣料〕が奉献されたとき、そのとき、九十の千万の者たちに、第二の集いが存した。

 

10.(594) また、他にも、すなわち、十の力ある方が、遊行〔の旅〕を歩むとき、そのとき、八十の千万の者たちに、第三の集いが存した。

 

11.(595) その時点にあって、わたし(ゴータマ・ブッダ)は、ウッタラという名の学徒として〔世に生起した〕。わたしの家には、蓄積された財産として、八十の千万〔金〕がある。

 

12.(596) 〔その〕全部を、〔その〕全てを、僧団を有する世の導き手たる方にたいし施して、帰依所として、彼のもとへと近しく赴いた。そして、〔わたしは〕出家を乞い願った。

 

13.(597) 随喜を為しつつ、覚者は、彼もまた、わたしのことを説き明かした。〔スメーダ世尊は言った〕「三十の千カッパ〔の未来〕において、この者は、覚者と成るであろう。

 

14.(598) 〔刻苦〕精励をもって〔自己を〕精励して……略……。この方の面前に有るのだ」〔と〕。

 

15.(599) 彼の言葉を聞いて、また、より一層、心を清信させた。十の完全態の円満のために、より以上に、掟を〔心に〕確立した。

 

16.(600) 経典を、さらに、また、律を、九つの支分ある教師の教えを、〔その〕全てを、完全に学び取って、勝者の教えを荘厳した。

 

17.(601) 坐ることと立つことと歩行において、そこにおいて、〔気づきを〕怠ることなく〔世に〕住みながら、諸々の神知における完全態に至って、わたしは、梵の世へと赴いた(梵天界に再生した)。

 

18.(602) 〔スメーダ世尊が生を受けた〕城市は、スダッサナという名であり、スダッタという名の士族が〔父として〕、スダッターという名の生む者が〔母として有った〕──スメーダ〔世尊〕には、偉大なる聖賢には。

 

19.(603) 九の千年のあいだ、彼は、家の内に住した。スチャンダ、カンチャナ、シリヴァッダ〔という名〕の、三つの最上の高楼が〔有った〕。

 

20.(604) 三の十六の千(四万八千)の〔装いを〕十二分に作り為した女たちが〔有った〕。スマナーという名のその女が〔妻として〕、プナッバスという名の者が実子として〔有った〕。

 

21.(605) 四つの形相を見て、象を乗物に〔家から〕出た。欠くことなく半月のあいだ、勝者は、〔刻苦〕精励をもって〔自己を〕精励した。

 

22.(606) 梵〔天〕に乞い求められ、〔そのように〕存しつつ、スメーダ〔世尊〕は、世の導き手たる方は、偉大なる勇者は、〔法の〕輪を転起させた──最上のスダッサナ庭園において。

 

23.(607) サラナが、さらに、サッバカーマが、至高の弟子たちとして有った。サーガラという名の者が、奉仕者として〔有った〕──スメーダ〔世尊〕には、偉大なる聖賢には。

 

24.(608) まさしく、そして、ラーマーが、さらに、スラーマーが、至高の女性の弟子たちとして有った。その世尊の菩提〔樹〕は、「マハーニーパ」と呼ばれる。

 

25.(609) ウルヴェーラントが、さらに、ヤサヴァントが、至高の奉仕者たちとして有った。ヤソーダラーが、さらに、シリマーが、至高の女性の奉仕者たちとして有った。

 

26.(610) 偉大なる牟尼は、八十八ラタナを超える高さがあり、あたかも、星々の群れのなかの月のように、一切の方角を照らす。

 

27.(611) たとえば、転輪〔王〕の宝珠が、まさに、〔一〕ヨージャナに輝くように、まさしく、そのように、彼の宝玉は、遍きにわたり、〔一〕ヨージャナに充満する。

 

28.(612) 九十の千年のあいだ、まさしく、そのあいだ、寿命が見出される。彼は、〔世に〕止住している、それまでのあいだに、多くの人民を〔彼岸へと〕超え渡した。

 

29.(613) 三つの明知と六つの神知ある者たちによって、力に至り得た者たちによって、如なる者たちによって、阿羅漢たちによって、善き者たちによって、この〔帰依所〕は溢れ満ち、〔世に〕存した。

 

30.(614) 彼らもまた、全ての者たちが、無量なる福徳ある者たちであり、解脱者たちであり、依り所なき者たちであり、知恵の光明を見示して〔そののち〕、大いなる福徳ある者たちである、それら〔の弟子たち〕も、涅槃に到達した者たちとなる。

 

31.(615) スメーダ〔世尊〕は、優れた勝者は、覚者は、メーダ林園において、涅槃に到達した者となる。そこかしこの地域において、遺物(遺骨)は拡張し、〔世に〕存した。ということで──

 

 スメーダ世尊の伝統が第十一となる。

 

14. スジャータ覚者の伝統

 

1.(616) まさしく、そこにおいて、〔すなわち、同じその〕醍醐のカッパにおいて、スジャータという名の〔世の〕導き手たる方が、獅子の腕をもち雄牛の肩をもつ方が、量りようのない〔徳〕ある方が、〔獅子の如く〕近づき難き方が、〔世に生起した〕。

 

2.(617) 清浄にして離垢なる月のように、輝きある百光〔の太陽〕のように、このように、正覚者は美しく輝く──常に、吉祥によって燃え盛りながら。

 

3.(618) 正覚者は、全一なる最上の覚りに至り得て、スマンガラの城市において、法(教え)の輪を転起させた。

 

4.(619) スジャータ〔世尊〕が、〔世の〕導き手たる方が、最も優れた法(教え)を説示しているとき、第一の法(教え)の説示において、八十の千万の者たちが、〔法を〕知悉した。

 

5.(620) すなわち、スジャータ〔世尊〕が、無量なる福徳ある方が、天において、雨期を過ごしたとき、三十七の百千の者たちに、第二の〔法の〕知悉が有った。

 

6.(621) すなわち、スジャータ〔世尊〕が、〔過去と未来の〕同等の者なき者たちと同等なる方が、父の現前へと近しく赴いたとき、六十の百千の者たちに、第三の〔法の〕知悉が有った。

 

7.(622) スジャータ〔世尊〕には、偉大なる聖賢には、三つの集まりが存した──煩悩の滅尽者たちのために、〔世俗の〕垢を離れる者たちのために、心が寂静となった者たちのために、如なる者たちのために。

 

8.(623) 神知の力に至り得た者たちのための、種々なる生存において〔いまだ〕至り得ていない者たちのための、第一〔の集い〕には、それらの六十の百千の者たちが集まった。

 

9.(624) また、他にも、勝者が、三十三〔天〕から降り行くときの集まりにおいて、五十の百千の者たちに、第二の集いが存した。

 

10.(625) すなわち、彼の至高の弟子は、人の雄牛たる方のもとへと近づいて行きつつ、四の百千の者たちとともに、正覚者のもとへと近づいて行った(第三の集い)。

 

11.(626) その時点にあって、わたし(ゴータマ・ブッダ)は、四つの洲におけるイッサラ(自在者)として〔世に生起した〕。空中を歩む者として、大いなる勢力ある転輪〔王〕として、〔世に〕存した。

 

12.(627) 世における稀有なることを見て、未曾有にして身の毛のよだつことを〔見て〕、〔まさに〕その〔わたし〕は、スジャータ〔世尊〕のもとへと、〔世の〕導き手たる方のもとへと、近しく赴いて、〔彼を〕敬拝した。

 

13.(628) 四つの洲における大いなる王権を、七つの最上の宝を、覚者に引き渡して、彼の現前において出家した。

 

14.(629) 園丁たちは、地方において、産物を一まとめにして、比丘の僧団に運び込む──日用品として、臥坐具として。

 

15.(630) 一万〔の世の界域〕におけるイッサラたる方は、覚者は、彼もまた、わたしのことを説き明かした。〔スジャータ世尊は言った〕「三十の千カッパ〔の未来〕において、この者は、覚者と成るであろう。

 

16.(631) 〔刻苦〕精励をもって〔自己を〕精励して……略……。この方の面前に有るのだ」〔と〕。

 

17.(632) 彼の言葉を聞いて、また、わたしは、より一層、笑みを生じさせた。十の完全態の円満のために、激しく、掟を〔心に〕確立した。

 

18.(633) 経典を、さらに、また、律を、九つの支分ある教師の教えを、〔その〕全てを、完全に学び取って、勝者の教えを荘厳した。

 

19.(634) そこにおいて、〔気づきを〕怠ることなく〔世に〕住みながら、〔四つの〕梵の修行(慈・悲・喜・捨の四無量心)を修めて、神知における完全態に至って、わたしは、梵の世へと赴いた(梵天界に再生した)。

 

20.(635) 〔スジャータ世尊が生を受けた〕城市は、スマンガラという名であり、ウッガタという名の士族が〔父として〕、パバーヴァティーという名の者が母として〔有った〕──スジャータ〔世尊〕には、偉大なる聖賢には。

 

21.(636) 九の千年のあいだ、彼は、家の内に住した。シリ、ウパシリ、ナンダ〔という名〕の、三つの最上の高楼が〔有った〕。

 

22.(637) 二十三の千の〔装いを〕十二分に作り為した女たちが〔有った〕。シリナンダーという名の女が〔妻として〕、ウパセーナという名の者が実子として〔有った〕。

 

23.(638) 四つの形相を見て、馬を乗物に〔家から〕出た。欠くことなく九月のあいだ、勝者は、〔刻苦〕精励をもって〔自己を〕精励した。

 

24.(639) 梵〔天〕に乞い求められ、〔そのように〕存しつつ、スジャータ〔世尊〕は、世の導き手たる方は、偉大なる勇者は、〔法の〕輪を転起させた──最上のスマンガラ庭園において。

 

25.(640) スダッサナが、さらに、スデーヴァが、至高の弟子たちとして有った。ナーラダという名の者が、奉仕者として〔有った〕──スジャータ〔世尊〕には、偉大なる聖賢には。

 

26.(641) そして、ナーガーが、さらに、ナーガサマーラーが、至高の女性の弟子たちとして有った。その世尊の菩提〔樹〕は、「マハーヴェール」と呼ばれる。

 

27.(642) そして、その〔菩提〕樹は、幹が重厚で、穴がなく、葉のあるものと成り、真っすぐで、大きく、竹として、美しく、意が喜びとするものと成る。

 

28.(643) 幹が一つで、増大して、そののち、枝が分かれる。あたかも、美しく結び縛られた孔雀の団扇のように、このように、その木は、美しく輝く。

 

29.(644) その〔木〕には、諸々の棘が有ることなく、穴もまた、大きなものと成らなかった。枝が広がり、〔葉も〕まばらならず、影厚く、意が喜びとするものと〔成る〕。

 

30.(645) まさしく、そして、スダッタが、さらに、チッタが、至高の奉仕者たちとして有った。そして、スバッダーが、さらに、パドゥマーが、至高の女性の奉仕者たちとして有った。

 

31.(646) 勝者は、彼は、〔世に〕存した──高さにして、五十ラタナ〔の高さ〕があり、一切の優れた行相を具した方として、一切の徳を具した方として。

 

32.(647) 彼には、等しきものなきに等しき光があり、遍きにわたり放たれる。無量にして無比なる方として、諸々の喩えをもってしては喩えなき方として、〔世に存した〕。

 

33.(648) 九十の千年のあいだ、まさしく、そのあいだ、寿命が見出される。彼は、〔世に〕止住している、それまでのあいだに、多くの人民を〔彼岸へと〕超え渡した。

 

34.(649) たとえば、また、海洋における諸々の波のように、たとえば、空における諸々の星のように、このように、そのとき、〔聖なる〕言葉は、阿羅漢たちによって〔美しく〕彩られたものとなる。

 

35.(650) そして、〔過去と未来の〕同等の者なき者たちと同等なる方である、その覚者も、さらに、それらの無比なる徳も、その全てが、消没したものとなる。まさに、一切の形成〔作用〕は、空虚なるものではないか。

 

36.(651) スジャータ〔世尊〕は、優れた勝者は、覚者は、シラー林園において、涅槃に到達した者となる。まさしく、そこにおいて、彼の塔廟があり、三ガーヴタ(長さの単位・一ガーヴタは牛の鳴き声が届く距離)の高さとなる。ということで──

 

 スジャータ世尊の伝統が第十二となる。

 

15. ピヤダッシン覚者の伝統

 

1.(652) スジャータ〔世尊〕の後に、〔他に依らず〕自ら成る方が、〔世の〕導き手たる方が、〔獅子の如く〕近づき難き方が、〔過去と未来の〕同等の者なき者たちと同等なる方が、ピヤダッシン〔という名の覚者〕が、偉大なる福徳ある方が、〔世に生起した〕。

 

2.(653) 覚者は、無量なる福徳ある方は、彼もまた、太陽のように遍照する。一切の闇を打破して、法(教え)の輪を転起させた。

 

3.(654) 無比なる方には、彼にもまた、三つの〔法の〕知悉が有った。百千の千万者たちに、第一の〔法の〕知悉が有った。

 

4.(655) 天の王のスダッサナが、誤った見解を選び取った〔とき〕、〔世の〕教師たる方は、彼の〔誤った〕見解を除き去りながら、法(教え)を説示した。

 

5.(656) そのとき、人々の集まりは無比なるものとなり、大いなる〔衆〕が集まった。九十の千の千万の者たちに、第二の〔法の〕知悉が有った。

 

6.(657) すなわち、人の馭者たる方が、ドーナムカ象を教導したとき、八十の千の千万の者たちに、第三の〔法の〕知悉が有った。

 

7.(658) ピヤダッシン〔世尊〕には、彼にもまた、三つの集まりが存した。百千の千万の者たちのために、第一の集いが存した。

 

8.(659) そののち、他に、九十の千万の者たちが、一緒になり、共に赴いた──牟尼(沈黙の聖者)たちとして(第二の集い)。第三の集いにおいては、八十の千万の者たちが有った。

 

9.(660) その時点にあって、わたし(ゴータマ・ブッダ)は、カッサパという名の婆羅門として〔世に生起した〕──〔聖典の〕読誦者にして呪文の保持者として、三つのヴェーダの奥義に至る者として。

 

10.(661) 彼の法(教え)を聞いて、わたしは、清信を生じさせた。百千の千万〔金〕によって、僧団の林園を造作した。

 

11.(662) 林園を、彼に施して、欣喜した者となり、畏怖の意図ある者となる。〔三つの〕帰依所を、さらに、五つの戒を、〔道心〕堅固に為して、受持した。

 

12.(663) 僧団の中央に坐って、覚者は、彼もまた、わたしのことを説き明かした。〔ピヤダッシン世尊は言った〕「十八の百カッパ〔の未来〕において、この者は、覚者と成るであろう。

 

13.(664) 〔刻苦〕精励をもって〔自己を〕精励して……略……。この方の面前に有るのだ」〔と〕。

 

14.(665) 彼の言葉を聞いて、また、より一層、心を清信させた。十の完全態の円満のために、より以上に、掟を〔心に〕確立した。

 

15.(666) 〔ピヤダッシン世尊が生を受けた〕城市は、スダンニャという名であり、スダッタという名の士族が〔父として〕、チャンダーという名の生む者が〔母として〕存した──ピヤダッシン〔世尊〕には、〔世の〕教師たる方には。

 

16.(667) 九の千年のあいだ、彼は、家の内に住した。スニンマラ、ヴィマラ、ギリグハー〔という名〕の、三つの最上の高楼が〔有った〕。

 

17.(668) そして、三十三の千の〔装いを〕十二分に作り為した女たちが〔有った〕。そして、ヴィマラーという名の女が〔妻として〕、カンチャナーヴェーラという名の者が実子として〔有った〕。

 

18.(669) 四つの形相を見て、車を乗物に〔家から〕出た。六月のあいだ、最上の人士たる方は、〔刻苦〕精励の行を歩んだ。

 

19.(670) 梵〔天〕に乞い求められ、〔そのように〕存しつつ、ピヤダッシン〔世尊〕は、偉大なる牟尼は、偉大なる勇者は、〔法の〕輪を転起させた──意が喜びとするウサバ庭園において。

 

20.(671) パーリタが、さらに、サッバダッシンが、至高の弟子たちとして有った。ソービタという名の者が、奉仕者として〔有った〕──ピヤダッシン〔世尊〕には、〔世の〕教師たる方には。

 

21.(672) スジャーターが、さらに、ダンマディンナーが、至高の女性の弟子たちとして有った。その世尊の菩提〔樹〕は、「カクダ」と呼ばれる。

 

22.(673) サンダカが、まさしく、さらに、ダンマカが、至高の奉仕者たちとして有った。ヴィサーカーが、さらに、ダンマディンナーが、至高の女性の奉仕者たちとして有った。

 

23.(674) 覚者は、無量なる福徳ある方は、三十二の優れた特相ある方は、彼もまた、八十ハッタの高さがあり、サーラ〔樹〕の王のように見える。

 

24.(675) 火や月や日にも、そのような光は存在しない。すなわち、等しき者なき方の、偉大なる聖賢の、彼の、〔その〕光が有ったようには。

 

25.(676) 天の天たる方には、彼にもまた、それだけのものとして、寿命が有った。九十の千年のあいだ、眼ある方は、世に止住した。

 

26.(677) 〔過去と未来の〕同等の者なき者たちと同等なる方である、その覚者もまた──無比なる者たちである、それらの組となる者たち(二大弟子を筆頭とする聖弟子たち)も──その全てが、消没したものとなる。一切の形成〔作用〕は、まさに、空虚なるものではないか。

 

27.(678) ピヤダッシン〔世尊〕は、優れた牟尼は、アッサッタ林園において、涅槃に到達した者となる。まさしく、そこにおいて、彼の勝者の塔があり、三ヨージャナの高さとなる。ということで──

 

 ピヤダッシン世尊の伝統が、第十三となる。

 

16. アッタダッシン覚者の伝統

 

1.(679) まさしく、そこにおいて、〔すなわち、同じその〕醍醐のカッパにおいて、アッタダッシン〔という名の覚者〕が、偉大なる福徳ある方が、〔世に生起した〕。大いなる闇を打破して、最上の正覚に至り得た方となる。

 

2.(680) 梵〔天〕に乞い求められ、〔そのように〕存しつつ、法(教え)の輪を転起させた。不死〔の境処〕によって、一万〔の世の界域〕の天を含む世〔の人々〕を満足させた。

 

3.(681) 世の主たる方には、彼にもまた、三つの〔法の〕知悉が有った。百千の千万の者たちに、第一の〔法の〕知悉が有った。

 

4.(682) すなわち、アッタダッシン覚者が、天の巡行を歩むとき、百千の千万の者たちに、第二の〔法の〕知悉が有った。

 

5.(683) また、他にも、すなわち、覚者が、父の現前において説示したとき、百千の千万の者たちに、第三の〔法の〕知悉が有った。

 

6.(684) そして、偉大なる聖賢には、彼にもまた、三つの集まりが存した──煩悩の滅尽者たちのために、〔世俗の〕垢を離れる者たちのために、心が寂静となった者たちのために、如なる者たちのために。

 

7.(685) 九十八の千の者たちのために、第一の集いが存した。八十八の千の者たちのために、第二の集いが存した。

 

8.(686) 七十八の百千の者たちのために、第三の集いが存した──〔何も〕執取せずして解脱した者たちのために、〔世俗の〕垢を離れる者たちのために、大いなる聖賢たちのために。

 

9.(687) その時点にあって、わたし(ゴータマ・ブッダ)は、激しい苦行の結髪者として〔世に生起した〕──名としては、スシーマという名の、大地における最勝者と等しく思認された者として。

 

10.(688) 天の、曼陀羅花を、蓮華を、珊瑚樹を、天の世から持ち運んで、正覚者を供養した。

 

11.(689) アッタダッシン〔世尊〕は、偉大なる牟尼は、覚者は、彼もまた、わたしのことを説き明かした。〔アッタダッシン世尊は言った〕「十八の百カッパ〔の未来〕において、この者は、覚者と成るであろう。

 

12.(690) 〔刻苦〕精励をもって〔自己を〕精励して……略……。この方の面前に有るのだ」〔と〕。

 

13.(691) 彼の言葉を聞いて、また、欣喜した者となり、畏怖の意図ある者となり、十の完全態の円満のために、より以上に、掟を〔心に〕確立した。

 

14.(692) 〔アッタダッシン世尊が生を受けた〕城市は、ソーバナという名であり、サーガラという名の士族が〔父として〕、スダッサナーという名の生む者が〔母として有った〕──アッタダッシン〔世尊〕には、〔世の〕教師たる方には。

 

15.(693) 十の千年のあいだ、彼は、家の内に住した。アマラギリ、スギリ、ヴァーハナー〔という名〕の、三つの最上の高楼が〔有った〕。

 

16.(694) そして、三十三の千の〔装いを〕十二分に作り為した女たちが〔有った〕。そして、ヴィサーカーという名の女が〔妻として〕、セーラという名の者が実子として存した。

 

17.(695) 四つの形相を見て、馬を乗物に〔家から〕出た。欠くことなく八月のあいだ、勝者は、〔刻苦〕精励をもって〔自己を〕精励した。

 

18.(696) 梵〔天〕に乞い求められ、〔そのように〕存しつつ、アッタダッシン〔世尊〕は、偉大なる福徳ある方は、偉大なる勇者は、〔法の〕輪を転起させた──アノーマ庭園において、人の雄牛たる方は。

 

19.(697) そして、サンタが、さらに、ウパサンタが、至高の弟子たちとして有った。アバヤという名の者が、奉仕者として〔有った〕──アッタダッシン〔世尊〕には、〔世の〕教師たる方には。

 

20.(698) まさしく、そして、ダンマーが、さらに、スダンマーが、至高の女性の弟子たちとして有った。その世尊の菩提〔樹〕は、「チャンパカ」と呼ばれる。

 

21.(699) そして、ナクラが、さらに、ニサバが、至高の奉仕者たちとして有った。そして、マキラーが、さらに、スナンダーが、至高の女性の奉仕者たちとして有った。

 

22.(700) 覚者は、〔過去と未来の〕同等の者なき者たちと同等なる方は、彼もまた、八十ハッタの高さがあり、サーラ〔樹〕の王のように、満ちた星々の王(満月)のように、美しく輝く。

 

23.(701) 彼の、〔生来の〕性向としての、幾百の千万の光が、上に、下に、十方に、常に、〔一〕ヨージャナに充満する。

 

24.(702) 覚者は、人の雄牛たる方は、一切の有情たちの最上者たる牟尼は、彼もまた、百千年のあいだ、眼ある方は、世に止住した。

 

25.(703) 無比なる光を見示して、天を含む〔世の人々〕に遍照して、彼もまた、無常なることに至り得た方となる──あたかも、燃料の消滅ある祭火のように。

 

26.(704) アッタダッシン〔世尊〕は、優れた勝者は、アノーマ林園において、涅槃に到達した者となる。そこかしこの地域において、遺物(遺骨)は拡張し、〔世に〕存した。ということで──

 

 アッタダッシン世尊の伝統が、第十四となる。

 

17. ダンマダッシン覚者の伝統

 

1.(705) まさしく、そこにおいて、〔すなわち、同じその〕醍醐のカッパにおいて、ダンマダッシン〔という名の覚者〕が、偉大なる福徳ある方が、〔世に生起した〕。暗黒の闇を砕破して、天を含む〔世の人々〕に輝きまさる。

 

2.(706) 無比なる威光ある方には、彼にもまた、法(真理)の輪の転起において、百千の千万の者たちに、第一の〔法の〕知悉が有った。

 

3.(707) すなわち、ダンマダッシン覚者が、サンジャヤ聖賢を教導したとき、そのとき、九十の千万の者たちに、第二の〔法の〕知悉が有った。

 

4.(708) すなわち、帝釈〔天〕(インドラ神)が、衆と共に、〔世の〕導き手たる方のもとへと近しく赴いたとき、そのとき、八十の千万の者たちに、第三の〔法の〕知悉が有った。

 

5.(709) 天の天たる方には、彼にもまた、三つの集まりが存した──煩悩の滅尽者たちのために、〔世俗の〕垢を離れる者たちのために、心が寂静となった者たちのために、如なる者たちのために。

 

6.(710) すなわち、ダンマダッシン覚者が、サラナ〔の城市〕において、雨期を過ごしたとき、そのとき、百千の千万の者たちのために、第一の集いが存した。

 

7.(711) また、他にも、すなわち、覚者が、天〔の世〕から人間〔の世〕に至るとき、そのときもまた、百の千万の者たちのために、第二の集いが存した。

 

8.(712) また、他にも、すなわち、覚者が、払拭〔行〕(頭陀)の徳について明示したとき、そのとき、八十の千万の者たちのために、第三の集いが存した。

 

9.(713) その時点にあって、わたし(ゴータマ・ブッダ)は、プリンダダ(都の破壊者)たる帝釈〔天〕として〔世に〕存した。天の香料と花飾によって、〔天の〕楽器によって、〔覚者を〕供養した。

 

10.(714) 天〔の衆〕の中央に坐って、覚者は、彼もまた、わたしのことを説き明かした。〔ダンマダッシン世尊は言った〕「十八の百カッパ〔の未来〕において、この者は、覚者と成るであろう。

 

11.(715) 〔刻苦〕精励をもって〔自己を〕精励して……略……。この方の面前に有るのだ」〔と〕。

 

12.(716) 彼の言葉を聞いて、また、より一層、心を清信させた。十の完全態の円満のために、より以上に、掟を〔心に〕確立した。

 

13.(717) 〔ダンマダッシン世尊が生を受けた〕城市は、サラナという名であり、サラナという名の士族が〔父として〕、スナンダーという名の生む者が〔母として有った〕──ダンマダッシン〔世尊〕には、〔世の〕教師たる方には。

 

14.(718) 八の千年のあいだ、彼は、家の内に住した。アラジャ、ヴィラジャ、スダッサナ〔という名〕の、三つの最上の高楼が〔有った〕。

 

15.(719) 四十三の千の〔装いを〕十二分に作り為した女たちが〔有った〕。ヴィチコーリーという名の女が〔妻として〕、プンニャヴァッダナ〔という名の者〕が実子として〔有った〕。

 

16.(720) 四つの形相を見て、高楼をとおり〔家から〕出た。七日のあいだ、最上の人士たる方は、〔刻苦〕精励の行を歩んだ。

 

17.(721) 梵〔天〕に乞い求められ、〔そのように〕存しつつ、ダンマダッシン〔世尊〕は、人の雄牛たる方は、偉大なる勇者は、〔法の〕輪を転起させた──ミガダーヤ(鹿野苑)において、最上の人たる方は。

 

18.(722) パドゥマが、さらに、プッサデーヴァが、至高の弟子たちとして有った。スネッタという名の者が、奉仕者として〔有った〕──ダンマダッシン〔世尊〕には、〔世の〕教師たる方には。

 

19.(723) そして、ケーマーが、さらに、サッチャナーマーが、至高の女性の弟子たちとして有った。その世尊の菩提〔樹〕は、「ビンビジャーラ」と呼ばれる。

 

20.(724) スバッダが、まさしく、さらに、カティッサハが、至高の奉仕者たちとして有った。そして、サーリヤーが、さらに、カリヤーが、至高の女性の奉仕者たちとして有った。

 

21.(725) 覚者は、〔過去と未来の〕同等の者なき者たちと同等なる方は、彼もまた、八十ハッタの高さがあり、一万の〔世の〕界域において、威光によって輝きまさる。

 

22.(726) あたかも、美しく咲き誇るサーラ〔樹〕の王のように、空の雷光のように、正午の太陽のように、このように、彼は、美しく輝いた。

 

23.(727) 無比なる方には、彼にもまた、〔覚者たちと〕等しきものとして、生命が存した。百千年のあいだ、眼ある方は、世に止住した。

 

24.(728) 光輝を見示して、〔世俗の〕垢を離れる教えを作り為して、空の月のように死滅した。彼は、弟子と共に、涅槃に到達した者となる。

 

25.(729) ダンマダッシン〔世尊〕は、偉大なる勇者は、サーラ林園において、涅槃に到達した者となる。まさしく、そこにおいて、彼の優美なる塔があり、三ヨージャナの高さとなる。ということで──

 

 ダンマダッシン世尊の伝統が、第十五となる。

 

18. シッダッタ覚者の伝統

 

1.(730) ダンマダッシン〔世尊〕の後に、シッダッタという名の〔世の〕導き手たる方が、昇り行く太陽のように、一切の闇を打破して、〔世に生起した〕。

 

2.(731) 彼もまた、正覚に至り得て、天を含む〔世の人々〕を〔彼岸へと〕等しく超え渡しつつ、法(教え)の雨雲によって雨を降らせた──天を含む〔世の人々〕を涅槃に到達させながら。

 

3.(732) 無比なる方には、彼にもまた、三つの〔法の〕知悉が有った。百千の千万の者たちに、第一の〔法の〕知悉が有った。

 

4.(733) また、他にも、すなわち、ビーマラタにおいて雷鼓を打ったとき、そのとき、九十の千万の者たちに、第二の〔法の〕知悉が有った。

 

5.(734) すなわち、最上の都のヴェーバーラにおいて、覚者が、彼が、法(教え)を説示したとき、そのとき、九十の千万の者たちに、第三の〔法の〕知悉が有った。

 

6.(735) 最上の二足者たる方において、彼においてもまた、三つの集まりが存した──煩悩の滅尽者たちのために、〔世俗の〕垢を離れる者たちのために、心が寂静となった者たちのために、如なる者たちのために。

 

7.(736) 百の千万の者たちのために、九十〔の千万の者たち〕のために、さらに、八十の千万の者たちのためにもまた、これらの三つの場が存した──〔世俗の〕垢を離れる者たちのために、集いにおいて。

 

8.(737) その時点にあって、わたし(ゴータマ・ブッダ)は、マンガラという名の苦行者として〔世に生起した〕──気高き威光ある者として、打ち負かし難き者として、神知の力によって〔心が〕定められた者として。

 

9.(738) ジャンブ〔樹〕から果実をもってきて、わたしは、シッダッタ〔世尊〕に施した。納受して〔そののち〕、正覚者は、この言葉を説いた。

 

10.(739) 〔シッダッタ世尊は言った〕「見よ、この苦行者を、激しい苦行の結髪者を。これより、九十四カッパ〔の未来〕において、この者は、覚者と成るであろう。

 

11.(740) 〔刻苦〕精励をもって〔自己を〕精励して……略……。この方の面前に有るのだ」〔と〕。

 

12.(741) 彼の言葉を聞いて、また、より一層、心を清信させた。十の完全態の円満のために、より以上に、掟を〔心に〕確立した。

 

13.(742) 〔シッダッタ世尊が生を受けた〕城市は、ヴェーバーラという名であり、ウデーナという名の士族が〔父として〕、スパッサーという名の生む者が〔母として有った〕──シッダッタ〔世尊〕には、偉大なる聖賢には。

 

14.(743) 十の千年のあいだ、彼は、家の内に住した。コーカーサ、ウッパラ、コーカナダ〔という名〕の、三つの最上の高楼が〔有った〕。

 

15.(744) 三の十六の千(四万八千)の〔装いを〕十二分に作り為した女たちが〔有った〕。ソーマナッサーという名のその女が〔妻として〕、アヌーパマという名の者が実子として〔有った〕。

 

16.(745) 四つの形相を見て、駕篭〔を乗物〕に〔家から〕出た。欠くことなく十月のあいだ、勝者は、〔刻苦〕精励をもって〔自己を〕精励した。

 

17.(746) 梵〔天〕に乞い求められ、〔そのように〕存しつつ、シッダッタ〔世尊〕は、世の導き手たる方は、偉大なる勇者は、〔法の〕輪を転起させた──ミガダーヤ(鹿野苑)において、最上の人たる方は。

 

18.(747) そして、サンバラが、さらに、スミッタが、至高の弟子たちとして有った。レーヴァタという名の者が、奉仕者として〔有った〕──シッダッタ〔世尊〕には、偉大なる聖賢には。

 

19.(748) そして、シーヴァラーが、さらに、スラーマーが、至高の女性の弟子たちとして有った。その世尊の菩提〔樹〕は、「カニカーラ」と呼ばれる。

 

20.(749) そして、スッピヤが、さらに、サムッダが、至高の奉仕者たちとして有った。まさしく、そして、ランマーが、さらに、スランマーが、至高の女性の奉仕者たちとして有った。

 

21.(750) 覚者は、彼は、〔世に〕有った──六十ラタナ〔の高さ〕があり、天空に屹立する方として。価値ある黄金の似姿ある方は、一万〔の世の界域〕に遍照する。

 

22.(751) 覚者は、〔過去と未来の〕同等の者なき者たちと同等なる方は、彼もまた、無比にして対する人なき方として、百千年のあいだ、眼ある方は、世に止住した。

 

23.(752) 広大なる光を見示して、弟子たちを開花させて、入定によって麗飾して、彼は、弟子と共に、涅槃に到達した者となる。

 

24.(753) シッダッタ〔世尊〕は、優れた牟尼は、覚者は、アノーマ林園において、涅槃に到達した者となる。まさしく、そこにおいて、彼の優美なる塔があり、四ヨージャナの高さとなる。ということで──

 

 シッダッタ世尊の伝統が、第十六となる。

 

19. ティッサ覚者の伝統

 

1.(754) シッダッタ〔世尊〕の後に、等しき者なく対する人なき方が、無限なる威光ある方が、無量なる福徳ある方が、ティッサ〔という名〕の世の至高の導き手たる方が、〔世に生起した〕。

 

2.(755) 暗黒の闇を砕破して、天を含む〔世〕を照らして、慈しみ〔の思い〕ある方が、偉大なる勇者が、眼ある方が、世に生起した。

 

3.(756) 彼にもまた、無比なる神通があり、さらに、無比なる戒と禅定があり、一切所において完全態に至って、法(真理)の輪を転起させた。

 

4.(757) 覚者は、彼は、一万〔の世の界域〕において、清らかな言葉を伝えた。第一の法(教え)の説示において、百の千万の者たちが、〔法を〕知悉した。

 

5.(758) 第二〔の法の説示〕は、九十の千万の者たちのために。第三〔の法の説示〕は、六十の千万の者たちを、結縛から解き放った──そのとき、有情たちを、人や神たちを。

 

6.(759) ティッサ〔世尊〕において、世の至高の導き手たる方において、三つの集まりが存した──煩悩の滅尽者たちのために、〔世俗の〕垢を離れる者たちのために、心が寂静となった者たちのために、如なる者たちのために。

 

7.(760) 百千の煩悩の滅尽者たちのために、第一の集いが存した。九十の百千の者たちのために、第二の集いが存した。

 

8.(761) 八十の百千の者たちのために、第三の集いが存した──煩悩の滅尽者たちのために、〔世俗の〕垢を離れる者たちのために、解脱〔の境地〕において花ひらいた者たちのために。

 

9.(762) その時点にあって、わたし(ゴータマ・ブッダ)は、スジャータという名の士族として〔世に生起した〕。大いなる財物を捨て放って、聖賢の出家〔の道〕に出家した。

 

10.(763) わたしが、出家者として存しているとき、世の導き手たる方が生起した。「覚者である」という、〔人々の〕声を聞いて、わたしに、喜悦が生起した。

 

11.(764) 天の、曼陀羅花を、蓮華を、珊瑚樹を、両の手で差し出して、震えながら近しく赴いた──

 

12.(765) 四つの階級の者たちに取り囲まれた、ティッサ〔世尊〕のもとへと、世の至高の導き手たる方のもとへと。わたしは、その花を収め取って、頭上に保持した──勝者のもとへと。

 

13.(766) 人々の中央に坐って、覚者は、彼もまた、わたしのことを説き明かした。〔ティッサ世尊は言った〕「これより、九十二カッパ〔の未来〕において、この者は、覚者と成るであろう。

 

14.(767) 〔刻苦〕精励をもって〔自己を〕精励して……略……。この方の面前に有るのだ」〔と〕。

 

15.(768) 彼の言葉を聞いて、また、より一層、心を清信させた。十の完全態の円満のために、より以上に、掟を〔心に〕確立した。

 

16.(769) 〔ティッサ世尊が生を受けた〕城市は、ケーマカという名であり、ジャナサンダという名の士族が〔父として〕、パドゥマーという名の生む者が〔母として有った〕──そして、ティッサ〔世尊〕には、偉大なる聖賢には。

 

17.(770) 七の千年のあいだ、彼は、家の内に住した。グハーセーラ、ナーリサヤ、ニサバ〔という名〕の、三つの最上の高楼が〔有った〕。

 

18.(771) 正味三十の千の〔装いを〕十二分に作り為した女たちが〔有った〕。スバッダーという名の女が〔妻として〕、アーナンダという名の者が実子として〔有った〕。

 

19.(772) 四つの形相を見て、馬を乗物に〔家から〕出た。欠くことなく八月のあいだ、勝者は、〔刻苦〕精励をもって〔自己を〕精励した。

 

20.(773) 梵〔天〕に乞い求められ、〔そのように〕存しつつ、ティッサ〔世尊〕は、世の至高の導き手たる方は、偉大なる勇者は、〔法の〕輪を転起させた──ヤサヴァティーの最上の〔都〕において。

 

21.(774) ブラフマデーヴァが、さらに、ウダヤが、至高の弟子たちとして有った。サマンガという名の者が、奉仕者として〔有った〕──そして、ティッサ〔世尊〕には、偉大なる聖賢には。

 

22.(775) まさしく、そして、プッサーが、さらに、スダッターが、至高の女性の弟子たちとして有った。その世尊の菩提〔樹〕は、「アサナ」と呼ばれる。

 

23.(776) そして、サンバラが、さらに、まさしく、シリマントが、至高の奉仕者たちとして有った。キサー・ゴータミーが、ウパセーナーが、至高の女性の奉仕者たちとして有った。

 

24.(777) 覚者は、彼は、〔世に〕有った──高さにして、六十ラタナ〔の高さ〕があり、勝者は、喩えなき方は、同等の者なき方は、ヒマヴァント(ヒマラヤ)のように見える。

 

25.(778) 無比なる威光ある方には、彼にもまた、無上なる寿命が存した。百千年のあいだ、眼ある方は、世に止住した。

 

26.(779) 最上にして最も優れた最勝のものとして、偉大なる福徳を受領して、火の塊のように燃え盛って、彼は、弟子と共に、涅槃に到達した者となる。

 

27.(780) 雷雲が、風によって〔消滅する〕ように、露が、太陽によって〔消滅する〕ように、暗黒が、灯明によって〔消滅する〕ように、彼は、弟子と共に、涅槃に到達した者となる。

 

28.(781) ティッサ〔世尊〕は、優れた勝者は、覚者は、ナンダ林園において、涅槃に到達した者となる。まさしく、そこにおいて、彼の勝者の塔があり、三ヨージャナの高さとなる。ということで──

 

 ティッサ世尊の伝統が、第十七となる。

 

20. プッサ覚者の伝統

 

1.(782) まさしく、そこにおいて、〔すなわち、同じその〕醍醐のカッパにおいて、〔世の〕教師たる方が、無上なる方が、〔世に〕有った。プッサ〔という名の覚者〕が、世の至高の導き手たる方が、喩えなき方が、〔過去と未来の〕同等の者なき者たちと同等なる方が、〔世に生起した〕。

 

2.(783) 彼もまた、一切の闇を打ち砕いて、大いなる結束を解きほぐして、天を含む〔世の人々〕を満足させながら、不死の水によって雨を降らせた。

 

3.(784) プッサ〔世尊〕が、星祭りの祝事において、法(真理)の輪を転起させているとき、百千の千万の者たちに、第一の〔法の〕知悉が有った。

 

4.(785) 九十の百千の者たちに、第二の〔法の〕知悉が有った。八十の百千の者たちに、第三の〔法の〕知悉が有った。

 

5.(786) プッサ〔世尊〕には、偉大なる聖賢にもまた、三つの集まりが存した──煩悩の滅尽者たちのために、〔世俗の〕垢を離れる者たちのために、心が寂静となった者たちのために、如なる者たちのために。

 

6.(787) 六十の百千の者たちのために、第一の集いが存した。五十の百千の者たちのために、第二の集いが存した。

 

7.(788) 四十の百千の者たちのために、第三の集いが存した──〔何も〕執取せずして解脱した者たちのために、結生を分断した者たちのために。

 

8.(789) その時点にあって、わたし(ゴータマ・ブッダ)は、ヴィジターヴィンという名の士族として〔世に生起した〕。大いなる王権を捨て放って、彼の現前において出家した。

 

9.(790) プッサ〔世尊〕は、世の至高の導き手たる方は、覚者は、彼もまた、わたしのことを説き明かした。〔プッサ世尊は言った〕「これより、九十二カッパ〔の未来〕において、この者は、覚者と成るであろう。

 

10.(791) 〔刻苦〕精励をもって〔自己を〕精励して……略……。この方の面前に有るのだ」〔と〕。

 

11.(792) 彼の言葉を聞いて、また、より一層、心を清信させた。十の完全態の円満のために、より以上に、掟を〔心に〕確立した。

 

12.(793) 経典を、さらに、また、律を、九つの支分ある教師の教えを、〔その〕全てを、完全に学び取って、勝者の教えを荘厳した。

 

13.(794) そこにおいて、〔気づきを〕怠ることなく〔世に〕住みながら、〔四つの〕梵の修行(慈・悲・喜・捨の四無量心)を修めて、諸々の神知における完全態に至って、わたしは、梵の世へと赴いた(梵天界に再生した)。

 

14.(795) 〔プッサ世尊が生を受けた〕城市は、カーシカという名であり、ジャヤセーナという名の士族が〔父として〕、シリマーという名の生む者が〔母として有った〕──プッサ〔世尊〕には、偉大なる聖賢にもまた。

 

15.(796) 九の千年のあいだ、彼は、家の内に住した。ガルラパッカ、ハンサ、スヴァンナバーラ〔という名〕の、三つの最上の高楼が〔有った〕。

 

16.(797) 三十の千の婦女が、〔装いを〕十二分に作り為した女たちが〔有った〕。キサー・ゴータミーという名の女が〔妻として〕、アヌーパマという名の者が実子として〔有った〕。

 

17.(798) 四つの形相を見て、象を乗物に〔家から〕出た。六月のあいだ、最上の人士たる方は、〔刻苦〕精励の行を歩んだ。

 

18.(799) 梵〔天〕に乞い求められ、〔そのように〕存しつつ、プッサ〔世尊〕は、世の至高の導き手たる方は、偉大なる勇者は、〔法の〕輪を転起させた──ミガダーヤにおいて、最上の人たる方は。

 

19.(800) スラッキタが、ダンマセーナが、至高の弟子たちとして有った。サビヤという名の者が、奉仕者として〔有った〕──プッサ〔世尊〕には、偉大なる聖賢にもまた。

 

20.(801) そして、チャーラーが、さらに、ウパチャーラーが、至高の女性の弟子たちとして有った。その世尊の菩提〔樹〕は、「アーマンダ」と呼ばれる。

 

21.(802) ダナンチャヤが、さらに、ヴィサーカが、至高の奉仕者たちとして有った。まさしく、そして、パドゥマーが、さらに、ナーガーが、至高の女性の奉仕者たちとして有った。

 

22.(803) 牟尼は、彼もまた、五十八ラタナを超える高さがあり、百光〔の太陽〕のように、満ちた星々の王(満月)のように、美しく輝く。

 

23.(804) 九十の千年のあいだ、まさしく、そのあいだ、寿命が見出される。彼は、〔世に〕止住している、それまでのあいだに、多くの人民を〔彼岸へと〕超え渡した。

 

24.(805) 多くの有情たちを教え諭して、多くの人たちを等しく超え渡して、彼は、弟子と共に、涅槃に到達した者となる──〔世の〕教師たる方は、無比なる福徳ある方は、彼もまた。

 

25.(806) プッサ〔世尊〕は、優れた勝者は、〔世の〕教師たる方は、セーナ林園において、涅槃に到達した者となる。そこかしこの地域において、遺物(遺骨)は拡張し、〔世に〕存した。ということで──

 

 プッサ世尊の伝統が、第十八となる。

 

21. ヴィパッシン覚者の伝統

 

1.(807) さらに、プッサ〔世尊〕の後に、最上の二足者たる正覚者として、名としては、ヴィパッシンという名の、眼ある方が、世に生起した。

 

2.(808) 一切の無明を破って、最上の正覚に至り得た方は、法(真理)の輪を転起させるために、バンドゥマティーの都へと出発した。

 

3.(809) 法(真理)の輪を転起させて、〔世の〕導き手たる方は、〔出家と在家の〕両者を覚らせた。数をもっては説かれようのないものとして、第一の〔法の〕知悉が有った。

 

4.(810) また、他にも、無量なる福徳ある方は、そこにおいて、真理を明示した。八十四の千の者たちに、第二の〔法の〕知悉が有った。

 

5.(811) 八十四の千の者たちが、正覚者に従い出家した。林園に至り得た彼らのために、眼ある方は、法(教え)を説示した。

 

6.(812) 一切の行相をもって語っていると、聞いて〔そののち〕、機縁ある者たちは、彼らもまた、優れた法(真理)に至って、第三の〔法の〕知悉が有った。

 

7.(813) ヴィパッシン〔世尊〕には、偉大なる聖賢には、三つの集まりが存した──煩悩の滅尽者たちのために、〔世俗の〕垢を離れる者たちのために、心が寂静となった者たちのために、如なる者たちのために。

 

8.(814) 六十八の百千の者たちのために、第一の集いが存した。百千の比丘たちのために、第二の集いが存した。

 

9.(815) 八十の千の比丘たちのために、第三の集いが存した。そこにおいて、比丘の衆の中央において、正覚者は輝きまさる。

 

10.(816) その時点にあって、わたし(ゴータマ・ブッダ)は、大いなる神通ある龍の王として〔世に生起した〕──名としては、アトゥラという名の、功徳ある者として、光輝を保つ者として。

 

11.(817) そのとき、わたしは、幾千万の龍たちを取り巻きとして、諸々の天の楽器によって奏でられながら、世の最尊者たる方のもとへと近しく赴いた。

 

12.(818) ヴィパッシン〔世尊〕のもとへと、世の導き手たる方のもとへと、正覚者のもとへと、近づいて行って、宝珠と真珠の宝玉によってあしらわれ、一切の装飾品によって飾り立てられた、黄金の椅子を、〔覚者を〕招いて、わたしは、法(教え)の王たる方に施した。

 

13.(819) 僧団の中央に坐って、覚者は、彼もまた、わたしのことを説き明かした。〔ヴィパッシン世尊は言った〕「これより、九十一カッパ〔の未来〕において、この者は、覚者と成るであろう。

 

14.(820) ああ、カピラという呼び名ある喜ばしき〔都〕(カピラヴァットゥ)から出て、如来は、〔刻苦〕精励をもって〔自己を〕精励して、為すに為し難きことを為して──

 

15.(821) アジャパーラ樹の根元に坐って、如来は、そこにおいて、粥を受けて、ネーランジャラー〔川〕へと近づくであろう。

 

16.(822) ネーランジャラー〔川〕の岸辺において、粥を食し、その勝者は、〔見事に〕整備された優美なる道をとおり、菩提〔樹〕の根元へと近づくであろう。

 

17.(823) そののち、菩提道場に右回り〔の礼〕を為して、無上なる者は、偉大なる福徳ある者は、アッサッタ〔樹〕(菩提樹)の根元において、正覚を覚るであろう。

 

18.(824) この者の生みの母は、マーヤーという名の者と成るであろう。父は、スッドーダナという名の者と〔成るであろう〕。この者〔の姓〕は、ゴータマと成るであろう。

 

19.(825) 煩悩なく、貪欲を離れ、心が寂静となった者たちであり、〔心が〕定められた者たちである、コーリタ(モッガッラーナ)が、さらに、ウパティッサ(サーリプッタ)が、至高の弟子たち(二大弟子)と成るであろう。アーナンダという名の奉仕者(侍者)が、この勝者に奉仕するであろう。

 

20.(826) 煩悩なく、貪欲を離れ、心が寂静となった者たちであり、〔心が〕定められた者たちである、ケーマーが、さらに、ウッパラヴァンナーが、至高の女性の弟子たちと成るであろう。その世尊の菩提〔樹〕は、『アッサッタ』と呼ばれる。

 

21.(827) チッタが、さらに、ハッターラヴァカが、至高の奉仕者たちと成るであろう。そして、ナンダマータルが、ウッタラーが、至高の女性の奉仕者たちと成るであろう。福徳あるゴータマには、彼には、百年の寿命が〔有るであろう〕」〔と〕。

 

22.(828) 等しき者なき方(ヴィパッシン)の、偉大なる聖賢の、この言葉を聞いて……略(316-320参照)……。この方の面前に有るのだ」〔と〕。

 

23.(829) 彼の言葉を聞いて、わたしは、より一層、心を清信させた。十の完全態の円満のために、より以上に、掟を〔心に〕確立した。

 

24.(830) 〔ヴィパッシン世尊が生を受けた〕城市は、バンドゥマティーという名であり、バンドゥマントという名の士族が〔父として〕、バンドゥマティーという名の者が母として〔有った〕──ヴィパッシン〔世尊〕には、偉大なる聖賢には。

 

25.(831) 八の千年のあいだ、彼は、家の内に住した。ナンダ、スナンダ、シリマント〔という名〕の、三つの最上の高楼が〔有った〕。

 

26.(832) 四十三の千の〔装いを〕十二分に作り為した女たちが〔有った〕。スダッサナーという名のその女が〔妻として〕、サマヴァッタッカンダという名の者が実子として〔有った〕。

 

27.(833) 四つの形相を見て、車を乗物に〔家から〕出た。欠くことなく八月のあいだ、勝者は、〔刻苦〕精励をもって〔自己を〕精励した。

 

28.(834) 梵〔天〕に乞い求められ、〔そのように〕存しつつ、ヴィパッシン〔世尊〕は、世の導き手たる方は、偉大なる勇者は、〔法の〕輪を転起させた──ミガダーヤにおいて、最上の人たる方は。

 

29.(835) そして、カンダが、さらに、ティッサという名の者が、至高の弟子たちとして有った。アソーカという名の者が、奉仕者として〔有った〕──ヴィパッシン〔世尊〕には、偉大なる聖賢には。

 

30.(836) そして、チャンダーが、さらに、チャンダミッターが、至高の女性の弟子たちとして有った。その世尊の菩提〔樹〕は、「パータリー」と呼ばれる。

 

31.(837) プナッバスミッタが、さらに、ナーガが、至高の奉仕者たちとして有った。シリマーが、まさしく、さらに、ウッタラーが、至高の女性の奉仕者たちとして有った。

 

32.(838) ヴィパッシン〔世尊〕は、世の導き手たる方は、八十ハッタの高さがあり、彼の光が、遍きにわたり、七ヨージャナにおいて放たれる。

 

33.(839) 八十の千年のあいだ、まさしく、そのあいだ、覚者には、寿命が〔見出される〕。彼は、〔世に〕止住している、それまでのあいだに、多くの人民を〔彼岸へと〕超え渡した。

 

34.(840) 多くの天〔の神々〕と人間たちのために、〔彼らを〕結縛から完全に解き放った。さらに、残りの凡夫たちに、道と非道を告げ知らせた。

 

35.(841) 光明を見示して、不死の境処(涅槃)を説示して、火の塊のように燃え盛って、彼は、弟子と共に、涅槃に到達した者となる。

 

36.(842) 優れた神通も、優れた功徳も、さらに、花ひらいた特相も、その全てが、消没したものとなる。一切の形成〔作用〕は、まさに、空虚なるものではないか。

 

37.(843) ヴィパッシン〔世尊〕は、優れた勝者は、覚者は、スミッタ林園において、涅槃に到達した者となる。まさしく、そこにおいて、彼の優美なる塔があり、七ヨージャナの高さとなる。ということで──

 

 ヴィパッシン世尊の伝統が、第十九となる。

 

22. シキン覚者の伝統

 

1.(844) ヴィパッシン〔世尊〕の後に、最上の二足者たる正覚者として、シキンという呼び名の勝者が、等しき者なく対する人なき方が、〔世に〕存した。

 

2.(845) 悪魔の軍団を砕破して、最上の正覚に至り得た方は、法(真理)の輪を転起させた──命あるものたちへの慈しみ〔の思い〕によって。

 

3.(846) シキン〔世尊〕が、勝者にして〔人の〕雄牛たる方が、法(真理)の輪を転起させているとき、百千の千万の者たちに、第一の〔法の〕知悉が有った。

 

4.(847) 他にもまた、衆のなかの最勝者にして最上の人たる方が、法(教え)を説示しているとき、九十の千の千万の者たちに、第二の〔法の〕知悉が有った。

 

5.(848) さらに、対なる神変を、天を含む〔世の人々〕に見示しているとき、八十の千の千万の者たちに、第三の〔法の〕知悉が有った。

 

6.(849) シキン〔世尊〕には、偉大なる聖賢にもまた、三つの集まりが存した──煩悩の滅尽者たちのために、〔世俗の〕垢を離れる者たちのために、心が寂静となった者たちのために、如なる者たちのために。

 

7.(850) 百千の比丘たちのために、第一の集いが存した。八十の千の比丘たちのために、第二の集いが存した。

 

8.(851) 七十の千の比丘たちのために、第三の集いが存した──水のなかで等しく増大した蓮華のように、汚れなきものとして。

 

9.(852) その時点にあって、わたし(ゴータマ・ブッダ)は、アリンダマという名の士族として〔世に生起した〕。正覚者を筆頭とする僧団を、食べ物と飲み物によって満足させた。

 

10.(853) 多くの優れた布地を施して、少なからざる千万の布地を、〔装いを〕十分に作り為した象の乗物を、わたしは、正覚者に施した。

 

11.(854) 象の乗物を、適確なるものに化作して、〔正覚者に〕差し出した。常に断固たる現起あるものとして、わたしの意図を満たした。

 

12.(855) シキン〔世尊〕は、世の至高の導き手たる方は、覚者は、彼もまた、わたしのことを説き明かした。〔シキン世尊は言った〕「これより、三十一カッパ〔の未来〕において、この者は、覚者と成るであろう。

 

13.(856) ああ、カピラという呼び名ある喜ばしき〔都〕から……略(820-828参照)……。この方の面前に有るのだ」〔と〕。

 

14.(857) 彼の言葉を聞いて、わたしは、より一層、心を清信させた。十の完全態の円満のために、より以上に、掟を〔心に〕確立した。

 

15.(858) 〔シキン世尊が生を受けた〕城市は、アルナヴァティーという名であり、アルナという名の士族が〔父として〕、パバーヴァティーという名の生む者が〔母として有った〕──シキン〔世尊〕には、偉大なる聖賢にもまた。

 

16.(859) 七の千年のあいだ、彼は、家の内に住した。スチャンダカ、ギリ、ヴァサバ〔という名〕の、三つの最上の高楼が〔有った〕。

 

17.(860) 二十四の千の〔装いを〕十二分に作り為した女たちが〔有った〕。サッバカーマーという名の女が〔妻として〕、アトゥラという名の者が実子として〔有った〕。

 

18.(861) 四つの形相を見て、象を乗物に〔家から〕出た。八月のあいだ、最上の人士たる方は、〔刻苦〕精励の行を歩んだ。

 

19.(862) 梵〔天〕に乞い求められ、〔そのように〕存しつつ、シキン〔世尊〕は、世の至高の導き手たる方は、偉大なる勇者は、〔法の〕輪を転起させた──ミガダーヤにおいて、最上の人たる方は。

 

20.(863) アビブーが、まさしく、さらに、サンバヴァが、至高の弟子たちとして有った。ケーマンカラという名の者が、奉仕者として〔有った〕──シキン〔世尊〕には、偉大なる聖賢にもまた。

 

21.(864) そして、サキラーが、さらに、パドゥマーが、至高の女性の弟子たちとして有った。その世尊の菩提〔樹〕は、「プンダリーカ」と呼ばれる。

 

22.(865) そして、シリヴァッダが、さらに、ナンダが、至高の奉仕者たちとして有った。まさしく、そして、チッターが、さらに、スグッターが、至高の女性の奉仕者たちとして有った。

 

23.(866) 覚者は、彼は、高さにして、七十ハッタの高さがあり、価値ある黄金の似姿ある方として、三十二の優れた特相ある方として、〔世に有った〕。

 

24.(867) 彼の、〔一〕ヴヤーマの光ある身体からもまた、昼夜のあいだ、間断なく、諸々の光が、三ヨージャナにわたり、方々に放たれる。

 

25.(868) 七十の千年のあいだ、偉大なる聖賢には、彼には、寿命が〔見出される〕。彼は、〔世に〕止住している、それまでのあいだに、多くの人民を〔彼岸へと〕超え渡した。

 

26.(869) 法(教え)の雨雲を雨降らせて、天を含む〔世の人々〕を潤して、平安の終極へと至り得させて、彼は、弟子と共に、涅槃に到達した者となる。

 

27.(870) 〔八十の〕付随する特徴の成就も、三十二の優れた特相も、その全てが、消没したものとなる。一切の形成〔作用〕は、まさに、空虚なるものではないか。

 

28.(871) シキン〔世尊〕は、優れた牟尼は、覚者は、アッサ林園において、涅槃に到達した者となる。まさしく、そこにおいて、彼の優美なる塔があり、三ヨージャナの高さとなる。ということで──

 

 シキン世尊の伝統が、第二十となる。

 

23. ヴェッサブー覚者の伝統

 

1.(872) まさしく、そこにおいて、〔すなわち、同じその〕醍醐のカッパにおいて、等しき者なく対する人なき方が、名としては、ヴェッサブーという名の、〔世の〕導き手たる方が、世に生起した。

 

2.(873) そのとき、まさに、貪欲の火によって燃え盛る〔迷いの生存〕を、諸々の渇愛〔の思い〕の領土と〔知って〕、象のように結縛を断ち切って、最上の正覚に至り得た方となる。

 

3.(874) ヴェッサブー〔世尊〕が、世の導き手たる方が、法(真理)の輪を転起させているとき、八十の千の千万の者たちに、第一の〔法の〕知悉が有った。

 

4.(875) 世の最尊者たる方が、人の雄牛たる方が、国土において、遊行〔の旅〕に出たとき、七十の千の千万の者たちに、第二の〔法の〕知悉が有った。

 

5.(876) 〔人々の誤った〕大いなる見解を除き去りながら、彼は、神変を為す。天を含む〔世〕において、一万〔の世の界域〕の集いあつまった人や神たちが──

 

6.(877) 大いなる稀有なることを見て、未曾有にして身の毛のよだつことを〔見て〕、まさしく、そして、天〔の神々〕たちが、さらに、人間たちが、六十の千万の者たちが覚る。

 

7.(878) ヴェッサブー〔世尊〕には、偉大なる聖賢には、三つの集まりが存した──煩悩の滅尽者たちのために、〔世俗の〕垢を離れる者たちのために、心が寂静となった者たちのために、如なる者たちのために。

 

8.(879) 八十の千の比丘たちのために、第一の集いが存した。七十の千の比丘たちのために、第二の集いが存した。

 

9.(880) 六十の千の比丘たちのために、第三の集いが存した──老等の恐怖に恐怖した者たちのために、偉大なる聖賢の正嫡たちのために。

 

10.(881) その時点にあって、わたし(ゴータマ・ブッダ)は、スダッサナという名の士族として〔世に生起した〕。偉大なる勇者を招いて、高価なる布施を施して、食べ物と飲み物によって、衣によって、僧団を有する勝者を供養した。

 

11.(882) 覚者の、等しき者なき方の、彼の、最上の輪が転起され、精妙なる法(教え)を聞いて、出家を乞い願った。

 

12.(883) 大いなる布施を転起させて、夜に、昼に、休みなく、〔戒の〕徳を成就した出家を〔求めて〕、勝者の現前において出家した。

 

13.(884) 習行と徳を成就した者として、行持と戒によって〔心が〕定められた者として、一切知者たることを探し求めながら、勝者の教えにおいて喜び楽しむ。

 

14.(885) 信と喜悦ある方のもとへと近しく赴いて、覚者を、〔世の〕教師たる方を、敬拝する。わたしに、喜悦が生起する──まさしく、覚りのために、契機たることから。

 

15.(886) 〔わたしの〕退転なき意図を知って、正覚者は、この〔言葉〕を説いた。〔ヴェッサブー世尊は言った〕「これより、三十一カッパ〔の未来〕において、この者は、覚者と成るであろう。

 

16.(887) ああ、カピラという呼び名ある喜ばしき〔都〕から……略……。この方の面前に有るのだ」〔と〕。

 

17.(888) 彼の言葉を聞いて、わたしは、より一層、心を清信させた。十の完全態の円満のために、より以上に、掟を〔心に〕確立した。

 

18.(889) 〔ヴェッサブー世尊が生を受けた〕城市は、アノーマという名であり、スッパティータという名の士族が〔父として〕、ヤサヴァティーという名の者が母として〔有った〕──ヴェッサブー〔世尊〕には、偉大なる聖賢には。

 

19.(890) そして、六の千年のあいだ、彼は、家の内に住した。ルチ、スルチ、ラティヴァッダナ〔という名〕の、三つの最上の高楼が〔有った〕。

 

20.(891) 欠くことなく三十の千の〔装いを〕十二分に作り為した女たちが〔有った〕。スチッターという名のその女が〔妻として〕、スッパブッダという名の者が実子として〔有った〕。

 

21.(892) 四つの形相を見て、駕篭〔を乗物〕に〔家から〕出た。六月のあいだ、最上の人士たる方は、〔刻苦〕精励の行を歩んだ。

 

22.(893) 梵〔天〕に乞い求められ、〔そのように〕存しつつ、ヴェッサブー〔世尊〕は、世の導き手たる方は、偉大なる勇者は、〔法の〕輪を転起させた──アルナ林園において、最上の人たる方は。

 

23.(894) そして、ソーナが、まさしく、さらに、ウッタラが、至高の弟子たちとして有った。ウパサンタという名の者が、奉仕者として〔有った〕──ヴェッサブー〔世尊〕には、偉大なる聖賢には。

 

24.(895) まさしく、そして、ラーマーが、さらに、サマーラーが、至高の女性の弟子たちとして有った。その世尊の菩提〔樹〕は、「マハーサーラ」と呼ばれる。

 

25.(896) まさしく、そして、ソッティカが、さらに、ランバが、至高の奉仕者たちとして有った。ゴータミーが、まさしく、さらに、シリマーが、至高の女性の奉仕者たちとして有った。

 

26.(897) 金の祭柱に等しき喩えある方は、六十ラタナの高さがあり、夜に、炎が、山〔の頂き〕に〔煌めく〕ように、〔彼の〕身体から、光が放たれる。

 

27.(898) 六十の千年のあいだ、偉大なる聖賢には、彼には、寿命が〔見出される〕。彼は、〔世に〕止住している、それまでのあいだに、多くの人民を〔彼岸へと〕超え渡した。

 

28.(899) 法(真理)の拡張を為して、大勢の人を〔境涯のままに〕区分して、法(教え)の舟を〔確固たるものに〕据え置いて、彼は、弟子と共に、涅槃に到達した者となる。

 

29.(900) 美しき全ての人も、精舎も、振る舞いの道も、その全てが、消没したものとなる。一切の形成〔作用〕は、まさに、空虚なるものではないか。

 

30.(901) ヴェッサブー〔世尊〕は、優れた勝者は、〔世の〕教師たる方は、ケーマ林園において、涅槃に到達した者となる。そこかしこの地域において、遺物(遺骨)は拡張し、〔世に〕存した。ということで──

 

 ヴェッサブー世尊の伝統が、第二十一となる。

 

24. カクサンダ覚者の伝統

 

1.(902) ヴェッサブー〔世尊〕の後に、最上の二足者たる正覚者として、名としては、カクサンダという名の、量りようのない〔徳〕ある方が、〔獅子の如く〕近づき難き方が、〔世に生起した〕。

 

2.(903) 一切の生存を撤去して、性行における完全態に至り、獅子のように、檻を破って、最上の正覚に至り得た方となる。

 

3.(904) カクサンダ〔世尊〕が、世の導き手たる方が、法(真理)の輪を転起させているとき、四十の千の千万の者たちに、第一の〔法の〕知悉が有った。

 

4.(905) 空中において、虚空において、対なる変異を為して、三十の千の千万の天〔の神々〕と人間たちを覚らせた。

 

5.(906) 人と天〔の神〕のための、夜叉のための、四つの真理の明示においては、そのばあいの法(真理)の知悉は、数〔の観点〕からは数えようもない。

 

6.(907) カクサンダ世尊には、一つの集まりが存した──煩悩の滅尽者たちのために、〔世俗の〕垢を離れる者たちのために、心が寂静となった者たちのために、如なる者たちのために。

 

7.(908) そのとき、四十の千の者たちのために、集いが存した──煩悩の敵衆の滅尽あることから、調御の境地を獲得した者たちのために。

 

8.(909) その時点にあって、わたし(ゴータマ・ブッダ)は、ケーマという名の士族として〔世に〕存した。如来にたいし、勝者の子にたいし、少なからざる布施を施して──

 

9.(910) そして、鉢を、衣料を、施して、塗薬を、甘草を、これを、切望した、その全てを、優れに優れたものとして設える。

 

10.(911) カクサンダ〔世尊〕は、〔世の〕導き手たる方は、覚者は、彼もまた、わたしのことを説き明かした。〔カクサンダ世尊は言った〕「この幸いなるカッパ(賢劫)において、この者は、覚者と成るであろう。

 

11.(912) ああ、カピラという呼び名ある喜ばしき〔都〕から……略……。この方の面前に有るのだ」〔と〕。

 

12.(913) 彼の言葉を聞いて、また、より一層、心を清信させた。十の完全態の円満のために、より以上に、掟を〔心に〕確立した。

 

13.(914) 〔カクサンダ世尊が生を受けた〕城市は、ケーマーヴァティーという名であり、そのとき、わたしは、ケーマという名の者として〔世に〕存した。一切知者たることを探し求めながら、彼の現前において出家した。

 

14.(915) そして、アッギダッタ婆羅門が、彼が、覚者の父として存した。ヴィサーカーという名の生む者が〔母として有った〕──カクサンダ〔世尊〕には、〔世の〕教師たる方には。

 

15.(916) ケーマの都において、そこにおいて、正覚者の大いなる家系は住する──人たちのなかの、最も優れた最勝の〔家系〕として、出生よく大いなる福徳ある〔家系〕として。

 

16.(917) 四の千年のあいだ、彼は、家の内に住した。カーマ、カーマヴァンナ、カーマスッディという名の、三つの最上の高楼が〔有った〕。

 

17.(918) 正味三十の千の〔装いを〕十二分に作り為した女たちが〔有った〕。ローチニーという名のその女が〔妻として〕、ウッタラという名の者が実子として〔有った〕。

 

18.(919) 四つの形相を見て、車を乗物に〔家から〕出た。欠くことなく八月のあいだ、勝者は、〔刻苦〕精励をもって〔自己を〕精励した。

 

19.(920) 梵〔天〕に乞い求められ、〔そのように〕存しつつ、カクサンダ〔世尊〕は、〔世の〕導き手たる方は、偉大なる勇者は、〔法の〕輪を転起させた──ミガダーヤにおいて、最上の人たる方は。

 

20.(921) そして、ヴィドゥラが、さらに、サンジーヴァが、至高の弟子たちとして有った。ブッディジャという名の者が、奉仕者として〔有った〕──カクサンダ〔世尊〕には、〔世の〕教師たる方には。

 

21.(922) そして、サーマーが、さらに、チャンパーナーマーが、至高の女性の弟子たちとして有った。その世尊の菩提〔樹〕は、「シリーサ」と呼ばれる。

 

22.(923) そして、アッチュタが、さらに、スマナが、至高の奉仕者たちとして有った。まさしく、そして、ナンダーが、さらに、スナンダーが、至高の女性の奉仕者たちとして有った。

 

23.(924) 偉大なる牟尼は、四十ラタナを超える高さがあり、〔彼の〕黄金の光が、遍きにわたり、十ヨージャナに放たれる。

 

24.(925) 四十の千年のあいだ、偉大なる聖賢には、彼には、寿命が〔見出される〕。彼は、〔世に〕止住している、それまでのあいだに、多くの人民を〔彼岸へと〕超え渡した。

 

25.(926) 男と女のために、天を含む〔世〕において、法(教え)の店を拡げて、まさしく、獅子吼を吼え叫んで、彼は、弟子と共に、涅槃に到達した者となる。

 

26.(927) 八つの支分ある言葉を成就した〔覚者〕も、諸々の瑕疵なき〔戒〕も、間断なく、その全てが、消没したものとなる。一切の形成〔作用〕は、まさに、空虚なるものではないか。

 

27.(928) カクサンダ〔世尊〕は、優れた勝者は、ケーマ林園において、涅槃に到達した者となる。まさしく、そこにおいて、彼の優美なる塔があり、天空高く、〔一〕ガーヴタ(長さの単位・一ガーヴタは牛の鳴き声が届く距離)〔の高さ〕となる。ということで──

 

 カクサンダ世尊の伝統が、第二十二となる。

 

25. コーナーガマナ覚者の伝統

 

1.(929) カクサンダ〔世尊〕の後に、最上の二足者たる正覚者として、コーナーガマナという名の勝者が、世の最尊者たる方が、人の雄牛たる方が、〔世に生起した〕。

 

2.(930) 十の法(性質)を円満して、難所を超え行った。一切の垢を流し去って、最上の正覚に至り得た方となる。

 

3.(931) 〔世の〕導き手たるコーナーガマナ〔世尊〕が、法(真理)の輪を転起させているとき、三十の千の千万の者たちに、第一の〔法の〕知悉が有った。

 

4.(932) さらに、他論の撃破において、神変を為しているとき、二十の千の千万の者たちに、第二の〔法の〕知悉が有った。

 

5.(933) そののち、変異を為して、勝者は、天の都に赴き、そこにおいて、パンドゥカンバラの石床(帝釈坐)において、正覚者は住する。

 

6.(934) 七つの論書を説示しながら、牟尼は、彼は、雨期を住する。十の千の千万の者たちに、第三の〔法の〕知悉が有った。

 

7.(935) 天の天たる方には、彼にもまた、一つの集まりが存した──煩悩の滅尽者たちのために、〔世俗の〕垢を離れる者たちのために、心が寂静となった者たちのために、如なる者たちのために。

 

8.(936) そのとき、三十の千の比丘たちのために、集いが存した──激流を超え行った者たちのために、さらに、死魔を破り去った者たちのために。

 

9.(937) その時点にあって、わたし(ゴータマ・ブッダ)は、パッバタという名の士族として〔世に生起した〕──朋友や僚友たちを成就し、無限の力をもたらす者として。

 

10.(938) 正覚者と会見するために赴いて、無上なる法(教え)を聞いて、勝者と共に僧団を招いて、求めるままに、布施を施して──

 

11.(939) 毛織物を、そして、支那の布を、絹を、さらに、また、毛布を、まさしく、そして、黄金の履物を、〔世の〕教師たる方と弟子たちに施した。

 

12.(940) 僧団の中央に坐って、覚者は、彼もまた、わたしのことを説き明かした。〔コーナーガマナ世尊は言った〕「この幸いなるカッパにおいて、この者は、覚者と成るであろう。

 

13.(941) ああ、カピラという呼び名ある喜ばしき〔都〕から……略……。この方の面前に有るのだ」〔と〕。

 

14.(942) 彼の言葉を聞いて、また、より一層、心を清信させた。十の完全態の円満のために、より以上に、掟を〔心に〕確立した。

 

15.(943) 一切知者たることを探し求めながら、最上の人たる方にたいし、布施を施して、わたしは、大いなる王権を捨棄して、勝者の現前において出家した。

 

16.(944) 〔コーナーガマナ世尊が生を受けた〕城市は、ソーバヴァティーという名であり、ソーバという名の士族(王)が存した。〔その〕城市において、そこにおいて、正覚者の大いなる家系は住する。

 

17.(945) そして、ヤンニャダッタ婆羅門が、彼が、覚者の父として存した。ウッタラーという名の生む者が〔母として有った〕──コーナーガマナ〔世尊〕には、〔世の〕教師たる方には。

 

18.(946) 三の千年のあいだ、彼は、家の内に住した。トゥシタ、サントゥシタ、サントゥッタ〔という名〕の、三つの最上の高楼が〔有った〕。

 

19.(947) 欠くことなく十六の千の〔装いを〕十二分に作り為した女たちが〔有った〕。ルチガッターという名の女が〔妻として〕、サッタヴァーハという名の者が実子として〔有った〕。

 

20.(948) 四つの形相を見て、象を乗物に〔家から〕出た。六月のあいだ、最上の人士たる方は、〔刻苦〕精励の行を歩んだ。

 

21.(949) 梵〔天〕に乞い求められ、〔そのように〕存しつつ、〔世の〕導き手たるコーナーガマナ〔世尊〕は、偉大なる勇者は、〔法の〕輪を転起させた──ミガダーヤにおいて、最上の人たる方は。

 

22.(950) ビッヤサが、ウッタラという名の者が、至高の弟子たちとして有った。ソッティジャという名の者が、奉仕者として〔有った〕──コーナーガマナ〔世尊〕には、〔世の〕教師たる方には。

 

23.(951) サムッダーが、まさしく、さらに、ウッタラーが、至高の女性の弟子たちとして有った。その世尊の菩提〔樹〕は、「ウドゥンバラ」と呼ばれる。

 

24.(952) そして、ウッガが、さらに、ソーマデーヴァが、至高の奉仕者たちとして有った。まさしく、そして、シーヴァラーが、さらに、サーマーが、至高の女性の奉仕者たちとして有った。

 

25.(953) 覚者は、彼は、高さにして、三十ハッタの高さがあり、あたかも、溶炉の口のなかの〔黄金の〕円環のように、このように、諸々の光によって装飾された方として〔世に有った〕。

 

26.(954) 三十の千年のあいだ、まさしく、そのあいだ、覚者には、寿命が〔見出される〕。彼は、〔世に〕止住している、それまでのあいだに、多くの人民を〔彼岸へと〕超え渡した。

 

27.(955) 法(教え)の塔廟を積み上げて、法(教え)の布地で飾り立て、法(教え)の花環を作り為して、彼は、弟子と共に、涅槃に到達した者となる。

 

28.(956) 彼の、大いなる〔神通〕ある美麗の人々も、吉祥なる法(教え)の明示も、その全てが、消没したものとなる。一切の形成〔作用〕は、まさに、空虚なるものではないか。

 

29.(957) コーナーガマナ〔世尊〕は、正覚者は、パッバタ林園において、涅槃に到達した者となる。そこかしこの地域において、遺物(遺骨)は拡張し、〔世に〕存した。ということで──

 

 コーナーガマナ世尊の伝統が、第二十三となる。

 

26. カッサパ覚者の伝統

 

1.(958) コーナーガマナ〔世尊〕の後に、最上の二足者たる正覚者として、姓としてはカッサパという名の方が、法(教え)の王たる方が、光の作り手たる方が、〔世に生起した〕。

 

2.(959) 家の根元〔の財物〕を捨て放ち、多くの食べ物と飲み物と食料を〔捨て放ち〕、布施として、乞い求める者にたいし施して、意図を円満して、雄牛のように、杭を壊し去って、最上の正覚に至り得た方となる。

 

3.(960) カッサパ〔世尊〕が、〔世の〕導き手たる方が、法(真理)の輪を転起させているとき、二十の千の千万の者たちに、第一の〔法の〕知悉が有った。

 

4.(961) すなわち、覚者が、四月のあいだ、世において、遊行〔の旅〕を歩むとき、十の千の千万の者たちに、第二の〔法の〕知悉が有った。

 

5.(962) 対なる変異を為して、知恵の界域を述べ伝えた〔とき〕、五の千の千万の者たちに、第三の〔法の〕知悉が有った。

 

6.(963) 喜ばしき天の都のスダンマーにおいて、そこにおいて、法(教え)を述べ伝えた〔とき〕、勝者は、三の千の千万の天〔の神々〕たちを覚らせた。

 

7.(964) 人と天〔の神〕のための、夜叉のための、他の法(教え)の説示においては、これらの者たちの〔法の〕知悉は、数〔の観点〕からは数えようもない。

 

8.(965) 天の天たる方には、彼にもまた、一つの集まりが存した──煩悩の滅尽者たちのために、〔世俗の〕垢を離れる者たちのために、心が寂静となった者たちのために、如なる者たちのために。

 

9.(966) そのとき、二十の千の比丘たちのために、集いが存した──生存の終極を超え行った者たちのために、恥〔の思い〕と戒〔の力〕によって如なる者たちのために。

 

10.(967) そのとき、わたし(ゴータマ・ブッダ)は、「ジョーティパーラ」という〔名で世に〕聞こえた学徒として〔世に生起した〕──〔聖典の〕読誦者にして呪文の保持者として、三つのヴェーダの奥義に至る者として──

 

11.(968) 特相(占相術)における、かつまた、古伝における、自らの法(教え)における完全態に至った者として、地上と空中のことに巧みな智ある者として、学知を為した者として、衰失なき者として。

 

12.(969) カッサパ世尊には、ガティーカーラという名の奉仕者が〔有った〕。尊重〔の思い〕を有し敬虔〔の思い〕を有する者であり、第三の果(不還果)において、涅槃に到達した者である。

 

13.(970) ガティーカーラは、わたしを携えて、カッサパ〔世尊〕のもとへと、勝者のもとへと、近しく赴いた。彼の法(教え)を聞いて、〔わたしは〕彼の現前において出家した。

 

14.(971) 精進に励む者と成って、種々の行持における熟知者として、どこにおいても、遍く衰退することなく、勝者の教えを円満した。

 

15.(972) およそ、覚者が話したかぎりの、九つの支分ある勝者の教えを、〔その〕全てを、完全に学び取って、勝者の教えを荘厳した。

 

16.(973) わたしの稀有なる〔精進〕を見て、覚者は、彼もまた、〔わたしのことを〕説き明かした。〔カッサパ世尊は言った〕「この幸いなるカッパにおいて、この者は、覚者と成るであろう。

 

17.(974) ああ、カピラという呼び名ある喜ばしき〔都〕から出て、如来は、〔刻苦〕精励をもって〔自己を〕精励して、為すに為し難きことを為して──

 

18.(975) アジャパーラ樹の根元に坐って、如来は、そこにおいて、粥を受けて、ネーランジャラー〔川〕へと近づくであろう。

 

19.(976) ネーランジャラー〔川〕の岸辺において、粥を遍く受益して、〔見事に〕整備された優美なる道をとおり、菩提〔樹〕の根元へと近づくであろう。

 

20.(977) そののち、菩提道場に右回り〔の礼〕を為して、無上なる者は、〔一切に〕敗れることなき境位の最上の菩提結跏において、偉大なる福徳ある者は、結跏で坐って、覚るであろう。

 

21.(978) この者の生みの母は、マーヤーという名の者と成るであろう。父は、スッドーダナという名の者と〔成るであろう〕。この者〔の姓〕は、ゴータマと成るであろう。

 

22.(979) 煩悩なく、貪欲を離れ、心が寂静となった者たちであり、〔心が〕定められた者たちである、コーリタ(モッガッラーナ)が、さらに、ウパティッサ(サーリプッタ)が、至高の弟子たち(二大弟子)と成るであろう。アーナンダという名の奉仕者(侍者)が、この勝者に奉仕するであろう。

 

23.(980) 煩悩なく、貪欲を離れ、心が寂静となった者たちであり、〔心が〕定められた者たちである、ケーマーが、さらに、ウッパラヴァンナーが、至高の女性の弟子たちと成るであろう。その世尊の菩提〔樹〕は、『アッサッタ』と呼ばれる。

 

24.(981) チッタが、さらに、ハッターラヴァカが、至高の奉仕者たちと成るであろう。そして、ナンダマータルが、ウッタラーが、至高の女性の奉仕者たちと成るであろう」〔と〕。

 

25.(982) 等しき者なき方(カッサパ)の、偉大なる聖賢の、この言葉を聞いて、歓喜した人や神たちは〔言った〕。「覚者の種子です──まさに、この方(ジョーティパーラ)は」〔と〕。

 

26.(983) 諸々の叫喚の声が転起する。〔彼らは〕拍手し、かつまた、笑喜する。一万〔の世の界域〕の天を含む〔世の人々〕は、合掌を為し、礼拝する。

 

27.(984) 〔人々が言った〕「すなわち、世の主たるこの方(カッサパ)の教えを、〔わたしたちが〕亡失することになるなら、未来の時において、この方(正覚したジョーティパーラ)の面前に有るのだ。

 

28.(985) たとえば、川を超え渡っている人間たちが、対岸を亡失して〔そののち〕、下流の渡し場を収め取って、大河を超え渡るように(場を変えて渡河するように)──

 

29.(986) まさしく、このように、わたしたちの全てが、すなわち、この勝者を逸し去るなら、未来の時において、この方の面前に有るのだ」〔と〕。

 

30.(987) 彼の言葉を聞いて、また、より一層、心を清信させた。十の完全態の円満のために、より以上に、掟を〔心に〕確立した。

 

31.(988) わたしは、このように輪廻して、〔正しい〕習行ならざるものを遍く避けながら、そして、わたしにとって為し難きことが為された──まさしく、覚りのために、契機たることから。

 

32.(989) 〔カッサパ世尊が生を受けた〕城市は、バーラーナシーという名であり、キキンという名の士族(王)が存した。〔その〕城市において、そこにおいて、正覚者の大いなる家系は住する。

 

33.(990) まさしく、ブラフマダッタ婆羅門が、彼が、覚者の父として存した。ダナヴァティーという名の生む者が〔母として有った〕──カッサパ〔世尊〕には、偉大なる聖賢には。

 

34.(991) 二の千年のあいだ、彼は、家の内に住した。ハンサ、ヤサ、シリナンダ〔という名〕の、三つの最上の高楼が〔有った〕。

 

35.(992) 三の十六の千(四万八千)の〔装いを〕十二分に作り為した女たちが〔有った〕。スナンダーという名のその女が〔妻として〕、ヴィジタセーナという名の者が実子として〔有った〕。

 

36.(993) 四つの形相を見て、高楼をとおり〔家から〕出た。七日のあいだ、最上の人士たる方は、〔刻苦〕精励の行を歩んだ。

 

37.(994) 梵〔天〕に乞い求められ、〔そのように〕存しつつ、カッサパ〔世尊〕は、〔世の〕導き手たる方は、偉大なる勇者は、〔法の〕輪を転起させた──ミガダーヤにおいて、最上の人たる方は。

 

38.(995) そして、ティッサが、さらに、バーラドヴァージャが、至高の弟子たちとして有った。サッバミッタという名の者が、奉仕者として〔有った〕──カッサパ〔世尊〕には、偉大なる聖賢には。

 

39.(996) アヌラーが、さらに、ウルヴェーラーが、至高の女性の弟子たちとして有った。その世尊の菩提〔樹〕は、「ニグローダ」と呼ばれる。

 

40.(997) スマンガラが、さらに、ガティーカーラが、至高の奉仕者たちとして有った。ヴィチタセーナーが、さらに、バッダーが、至高の女性の奉仕者たちとして有った。

 

41.(998) 覚者は、彼は、高さにして、二十ラタナの高さがあり、虚空における雷杖のように、家の満ちた月のように、〔世に有った〕。

 

42.(999) 二十の千年のあいだ、偉大なる聖賢には、彼には、寿命が〔見出される〕。彼は、〔世に〕止住している、それまでのあいだに、多くの人民を〔彼岸へと〕超え渡した。

 

43.(1000) 法(教え)の池を造作して、戒の塗料を与えて、法(教え)の布地を着衣して、法(教え)の花飾を区分して──

 

44.(1001) 〔世俗の〕垢を離れる法(教え)の鏡を、大勢の人のうちに据え置いて、「誰であれ、涅槃を切望している者たちは、わたしが十分に作り為すものを見よ」〔と〕──

 

45.(1002) 戒の鎧を与えて、瞑想の鎧の武装を〔与えて〕、法(教え)の皮革を包着して、最上の甲冑を与えて──

 

46.(1003) 気づきの楯を与えて、この鋭敏なる知恵の鉾を〔与えて〕、法(教え)の優れた剣を与えて、戒によって〔世俗との〕交わりの撃破を〔為して〕──

 

47.(1004) 三つの明知の飾りを与えて、四つの果の頭飾を〔与えて〕、六つの神知の装飾品を与えて、法(教え)の花の飾りものを〔与えて〕──

 

48.(1005) 悪しきを防護する正なる法(教え)の白の傘蓋を与えて、恐怖なき〔平安〕の花を造作して、彼は、弟子と共に、涅槃に到達した者となる。

 

49.(1006) まさに、この正等覚者は、量りようのない〔徳〕ある方であり、〔獅子の如く〕近づき難き方である。まさに、この法(教え)の宝(法宝)は、見事に告げ知らされたものであり、〔現に〕来て見るものである。

 

50.(1007) まさに、この僧団の宝(僧宝)は、善き実践者であり、無上なるものである、その全てが、消没したものとなる。一切の形成〔作用〕は、まさに、空虚なるものではないか。

 

51.(1008) 偉大なるカッサパ〔世尊〕は、〔世の〕教師たる方は、勝者は、セータブヤ林園において、涅槃に到達した者となる。まさしく、そこにおいて、彼の勝者の塔があり、〔一〕ヨージャナの高さに盛り上がっている。ということで──

 

 カッサパ世尊の伝統が、第二十四となる。

 

27. ゴータマ覚者の伝統

 

1.(1009) わたしは、今現在、正覚者として、釈迦〔族〕を繁栄させるゴータマ〔世尊〕として、〔世に有る〕。〔刻苦〕精励をもって〔自己を〕精励して、最上の正覚に至り得た者となる。

 

2.(1010) 梵〔天〕に乞い求められ、〔そのように〕存しつつ、〔法の〕輪を転起させた。十八の千万の者たちに、第一の〔法の〕知悉が有った。

 

3.(1011) そののち、さらに、他に、人と天〔の神〕の集いにおいて、〔法を〕説示しているとき、数をもっては説かれようのないものとして、第二の〔法の〕知悉が有った。

 

4.(1012) まさしく、ここに、わたしが、今現在、わたしの実子を教え諭した〔とき〕、数をもっては説かれようのないものとして、第三の〔法の〕知悉が有った。

 

5.(1013) わたしには、一つの集まりが存した──大いなる聖賢たる弟子たちのために。十二箇半の百(千二百五十)の比丘たちのために、集いが存した。

 

6.(1014) 〔世俗の〕垢を離れる者として、〔一万の世の界域に〕遍照しながら、比丘の僧団の中央に赴き、一切の欲望〔の対象〕を与えてくれる宝珠のように、切望された全てのものを与える。

 

7.(1015) 果を望んでいる者たちのために、生存にたいする欲〔の思い〕の捨棄を探し求める者たちのために、四つの真理を明示する──命あるものたちへの慈しみ〔の思い〕によって。

 

8.(1016) 十の、二十の、千の者たちに、法(真理)の知悉が有った。一者の、二者の、〔法の〕知悉は、数〔の観点〕からは数えようもない。

 

9.(1017) 拡張し、多く知られ、繁栄し、興隆し、美しく咲き誇り、ここに、釈迦〔族〕の牟尼たるわたしの教えは、善く清められたものとなる。

 

10.(1018) 煩悩なき者たちが、貪欲を離れた者たちが、心が寂静となった者たちが、〔心が〕定められた者たちが、幾百の比丘たちが、〔彼らの〕全てが、常に、わたしを取り囲む。

 

11.(1019) 今や、それらの者たちが、今現在、人間の生存を捨棄するも、〔いまだ〕意図に至り得ていない、学びある者(有学)たちであるなら、それらの比丘たちは、識者たちに難詰される者たちと〔成る〕。

 

12.(1020) そして、聖なる〔真理〕を賛嘆しながら、常に、法(教え)を喜ぶ人たちは、気づきある者たちとしてあり、〔未来において〕覚るであろう──輪廻の流れに赴いたとして。

 

13.(1021) わたしが〔生を受けた〕城市は、カピラヴァットゥであり、父は、スッドーダナ〔という名〕の王であり、わたしの生みの母は、「マーヤーデーヴィー」と呼ばれる。

 

14.(1022) 二十九年のあいだ、わたしは、家の内に住した。ランマ、スランマ、スバカ〔という名〕の、三つの最上の高楼が〔有った〕。

 

15.(1023) 四十の千の〔装いを〕十二分に作り為した女たちが〔有った〕。バッダカンチャナー(ヤソーダラー)という名の女が〔妻として〕、ラーフラという名の者が実子として〔有った〕。

 

16.(1024) 四つの形相を見て、馬を乗物に〔家から〕出た。六年のあいだ、わたしは、為し難き〔刻苦〕精励の行を歩んだ。

 

17.(1025) バーラーナシーのイシパタナ(仙人堕処)において、わたしによって、〔法の〕輪が転起させられた。わたしは、ゴータマ正覚者として、全ての命あるものたちの帰依所となる。

 

18.(1026) コーリタ(モッガッラーナ)が、さらに、ウパティッサ(サーリプッタ)が、〔これらの〕二者の比丘たちが、至高の弟子たちである。アーナンダという名の者が、わたしの側近くある奉仕者である。ケーマーが、さらに、ウッパラヴァンナーが、〔これらの二者の〕比丘尼たちが、至高の女性の弟子たちである。

 

19.(1027) チッタが、さらに、ハッターラヴァカが、〔これらの二者の〕在俗信者たちが、至高の奉仕者たちである。そして、ナンダマータルが、ウッタラーが、〔これらの二者の〕女性在俗信者たちが、至高の女性の奉仕者たちである。

 

20.(1028) わたしは、アッサッタ〔樹〕の根元において、最上の正覚に至り得た者となる。わたしには、常に、〔一〕ヴヤーマの光があり、十六ハッタの高さとなる。

 

21.(1029) 僅か、百年の寿命が、今や、今現在、見出される。わたしは、〔世に〕止住している、それまでのあいだに、多くの人民を〔彼岸へと〕超え渡す。

 

22.(1030) 後の人々を覚らせるものとして、法(真理)の松明を据え置いて、わたしもまた、まさしく、長からずして、弟子の僧団と共に、まさしく、ここに、完全なる涅槃に到達するであろう──食(燃料)の消滅ある祭火のように。

 

23.(1031) そして、それらの無比なる威光も、かつまた、これらの十の力も、さらに、三十二の優れた特相を様々な彩りとし、〔優れた〕徳を保持する、この肉身も──

 

24.(1032) 六つの光ある百光〔の太陽〕のように、十方を照らして〔そののち〕、その全てが消没するであろう。一切の形成〔作用〕は、まさに、空虚なるものではないか。ということで──

 

 ゴータマ世尊の伝統が、第二十五となる。

 

28. 覚者たちについての雑駁なる〔言説〕の部

 

1.(1033) これより、量るべくもないカッパ〔の過去〕において、四者の〔世の〕導き手たる方たちが〔世に〕存した。タンハンカラ〔世尊〕が、メーダンカラ〔世尊〕が、さらに、また、サラナンカラ〔世尊〕が、そして、ディーパンカラ正覚者が、それらの勝者たちが、〔同じ〕一なるカッパにおいて、〔世に生起した〕。

 

2.(1034) ディーパンカラ〔世尊〕の後に、コンダンニャという名の〔世の〕導き手たる方が〔世に生起した〕。一なるカッパにおける、まさしく、一者〔の覚者〕として、多くの人民を〔彼岸へと〕超え渡した。

 

3.(1035) ディーパンカラ世尊の、そして、コンダンニャ教師の、これら〔の二者の覚者たち〕の中途における諸々のカッパは、数〔の観点〕からは数えようもない。

 

4.(1036) コンダンニャ〔世尊〕の後に、マンガラという名の〔世の〕導き手たる方が〔世に生起した〕。それら〔の二者の覚者たち〕の中途における諸々のカッパもまた、数〔の観点〕からは数えようもない。

 

5.(1037) そして、マンガラ〔世尊〕が、さらに、スマナ〔世尊〕が、レーヴァタ〔世尊〕が、ソービタ牟尼が、それらの覚者たちもまた、〔同じ〕一なるカッパにおいて、眼ある方たちとして、光の作り手たる方たちとして、〔世に生起した〕。

 

6.(1038) ソービタ〔世尊〕の後に、偉大なる福徳あるアノーマダッシン〔世尊〕が〔世に生起した〕。それら〔の二者の覚者たち〕の中途における諸々のカッパもまた、数〔の観点〕からは数えようもない。

 

7.(1039) アノーマダッシン〔世尊〕が、パドゥマ〔世尊〕が、さらに、また、ナーラダ〔という名〕の〔世の〕導き手たる方が、それらの覚者たちもまた、〔同じ〕一なるカッパにおいて、闇の終極を作り為す方たちとして、牟尼たちとして、〔世に生起した〕。

 

8.(1040) ナーラダ〔世尊〕の後に、パドゥムッタラという名の〔世の〕導き手たる方が〔世に生起した〕。一なるカッパにおいて生起した〔覚者〕として、多くの人民を〔彼岸へと〕超え渡した。

 

9.(1041) ナーラダ世尊の、パドゥムッタラ教師の、それら〔の二者の覚者たち〕の中途における諸々のカッパもまた、数〔の観点〕からは数えようもない。

 

10.(1042) 百千カッパ〔の過去〕において、一者の偉大なる牟尼が〔世に〕存した──パドゥムッタラ〔世尊〕が、世〔の一切〕を知る方として、諸々の捧げものの納受者たる方として。

 

11.(1043) 三十の千カッパ〔の過去〕において、二者の〔世の〕導き手たる方たちが〔世に〕存した──そして、スメーダ〔世尊〕が、さらに、スジャータ〔世尊〕が、パドゥムッタラ〔世尊〕の後に。

 

12.(1044) 十八の百カッパ〔の過去〕において、三者の〔世の〕導き手たる方たちが〔世に〕存した──ピヤダッシン〔世尊〕が、アッタダッシン〔世尊〕が、さらに、ダンマダッシン〔世尊〕が、〔世の〕導き手たる方たちとして。

 

13.(1045) そして、スジャータ〔世尊〕の後に、正覚者にして最上の二足者である、それらの〔三者の〕覚者たちが、〔同じ〕一なるカッパにおいて、世において対する人なき方たちとして〔世に生起した〕。

 

14.(1046) これより、九十四カッパ〔の過去〕において、一者の偉大なる牟尼が〔世に〕存した──シッダッタ〔世尊〕が、彼が、世〔の一切〕を知る方として、〔毒〕矢の治癒者たる方として、無上なる方として。

 

15.(1047) これより、九十二カッパ〔の過去〕において、二者の〔世の〕導き手たる方たちが〔世に〕存した──ティッサ〔世尊〕が、さらに、プッサ〔世尊〕が、正覚者たちとして、等しき者なく対する人なき方たちとして。

 

16.(1048) これより、九十一カッパ〔の過去〕において、ヴィパッシンという名の〔世の〕導き手たる方が〔世に存した〕。その覚者もまた、慈悲の者たる方として、有情たちを結縛から解き放った。

 

17.(1049) これより、三十一カッパ〔の過去〕において、二者の〔世の〕導き手たる方たちが〔世に〕存した──そして、シキン〔世尊〕が、まさしく、さらに、ヴェッサブー〔世尊〕が、等しき者なく対する人なき方たちとして。

 

18.(1050) この幸いなるカッパにおいて、三者の〔世の〕導き手たる方が〔世に〕存した──カクサンダ〔世尊〕が、コーナーガマナ〔世尊〕が、さらに、また、カッサパ〔という名〕の〔世の〕導き手たる方が。

 

19.(1051) わたし(ゴータマ・ブッダ)は、今現在、正覚者として〔世に有る〕。さらに、また、メッテイヤ〔世尊〕(弥勒)が、〔未来において、世に〕有るであろう。これらの五者の覚者たちは、慧者たちとして、世〔の人々〕を慈しむ者たちとして、これらの者たちもまた──

 

20.(1052) これらの法(教え)の王たる方たちの、他の幾千万の方たちの、その道を告げ知らせて、彼らは、弟子と共に、涅槃に到達した者たちとなる。ということで──

 

 覚者たちについての雑駁なる〔言説〕の部は〔以上で〕終了となる。

 

29. 遺物(遺骨)の細別についての言説

 

1.(1053) 偉大なるゴータマは、優れた勝者は、クシナーラにおいて、涅槃に到達した者となる。そこかしこの地域において、遺物(遺骨)は拡張し、〔世に〕存した。

 

2.(1054) 一つは、アジャータサットゥ(阿闍世)のために。一つは、ヴェーサーリーの都において。一つは、カピラヴァットゥにおいて。そして、一つは、アッラカッパカにおいて。

 

3.(1055) そして、一つは、ラーマ村において。そして、一つは、ヴェータディーパカにおいて。一つは、パーヴァーのマッラ〔族〕において。そして、一つは、コーシナーラカにおいて。

 

4.(1056) ドーナという呼び名を有する婆羅門は、〔遺物を収めた〕瓶のための塔を作らせた。モーリヤ〔族〕の者たちは、満足した意図ある者たちとなり、〔燃え残りの〕炭のための塔を作らせた。

 

5.(1057) 八つの舎利(遺骨)の塔が、第九のものとして、瓶の塔が、第十のものとして、炭の塔が、まさしく、そのとき、立てられた。

 

6.(1058) 肉髻があり、四つの歯があり、さらに、二つの鎖骨の遺物がある。混物なしのものとして、これらの七つ〔の遺物〕があり、まさしく、細別されたものとして、諸々の残りの遺物がある。

 

7.(1059) そして、諸々の大なるものとして、豆ほどのものがあり、諸々の中なるものとして、細別された米〔ほどのもの〕があり、そして、諸々の小なるものとして、芥子ほどのものがあり、そして、種々なる色艶の遺物がある。

 

8.(1060) そして、諸々の大なるものとして、黄金の色艶あるものがあり、そして、諸々の中なるものとして、真珠の色艶あるものがあり、そして、諸々の小なるものとして、蕾の色艶あるものがあり、十六ドーナ(容積の単位・一ドーナは枡桶の量)の泥土がある。

 

9.(1061) 諸々の大なるものとして、五ナーリ(容積の単位・一ナーリは一枡の量)のものがあり、諸々の中なるものとして、五ナーリのものがあり、まさしく、そして、諸々の小なるものとして、六ナーリのものがあり、これらのものは、全てもろともに、遺物となる。

 

10.(1062) 肉髻は、シーハラ島(スリランカ)において、そして、左の〔鎖骨〕は、梵の世において、そして、右の鎖骨は、シーハラ〔島〕において、これらのものは、全てもろともに、〔遺物として供養の塔が〕立てられた。

 

11.(1063) 一つの歯は、三十三〔天〕において、一つ〔の歯〕は、龍の都において、〔供養するところと〕成った。一つ〔の歯〕は、ガンダーラの境域において、一つ〔の歯〕は、カリンガ王の〔都において、供養するところと成った〕。

 

12.(1064) 四十の等しき歯は、諸々の髪は、さらに、諸々の毛は、全てにあまねく、天〔の神々〕たちが、一つ一つを持ち去った──チャッカ・ヴァーラ(輪囲山・鉄囲山:世界の周辺にあって世界を囲んでいる山)へと相次いで。

 

13.(1065) 世尊の、この金剛の鉢は、さらに、杖と衣料と下着は、家系の家において、敷物は、カピラという呼び名〔の都〕において──

 

14.(1066) 水瓶と身を縛る〔帯〕は、パータリプッタの都において、水浴衣は、チャンパー〔の都〕において、そして、白毫は、コーサラ〔国〕において──

 

15.(1067) そして、袈裟は、梵の世において、頭巾は、三十三〔天〕の都において、そのとき、坐具は、アヴァンティ〔国〕において、敷物は、〔同じ〕国土において──

 

16.(1068) そして、火起こしは、ミティラー〔の城市〕において、濾過器は、ヴィデーハ〔国〕において、そのとき、鉈は、さらに、また、針箱は、インダパッタの都において──

 

17.(1069) 残余の必需品は、アパランタの地方において、そのとき、牟尼によって遍く受益された〔それらのもの〕を、人間たちは、〔供養の対象と〕為した。

 

18.(1070) ゴータマ〔世尊〕の、偉大なる聖賢の、遺物の拡張(遺骨の分配)は、〔かくのごとく〕存した。命あるものたちへの慈しみ〔の思い〕によって、〔それは〕有った──過去のこととして、そのとき。ということで──

 

 遺物の細別についての言説は〔以上で〕終了となる。

 

 ブッダヴァンサ聖典は〔以上で〕終了となる。