小部経典(クッダカ・ニカーヤ)

 

10. 2. テーラ・アパダーナ聖典(譬喩経・第二部)

 

【目次】

 

43. サキンサンマッジャカの章

 

43. 1. サキンサンマッジャカ長老の行状

43. 2. エーカドゥッサダーヤカ長老の行状

43. 3. エーカーサナダーヤカ長老の行状

43. 4. サッタカダンバプッピヤ長老の行状

43. 5. コーランダプッピヤ長老の行状

43. 6. ガタマンダダーヤカ長老の行状

43. 7. エーカダンマッサヴァニヤ長老の行状

43. 8. スチンティタ長老の行状

43. 9. ソーヴァンナキンカニヤ長老の行状

43. 10. ソーヴァンナカッタリカ長老の行状

 

44. エーカヴィハーリの章

 

44. 1. エーカヴィハーリカ長老の行状

44. 2. エーカサンキヤ長老の行状

44. 3. パーティヒーラサンニャカ長老の行状

44. 4. ニャーナッタヴィカ長老の行状

44. 5. ウッチュカンディカ長老の行状

44. 6. カランバダーヤカ長老の行状

44. 7. アンバータカダーヤカ長老の行状

44. 8. ハリータカダーヤカ長老の行状

44. 9. アンバピンディヤ長老の行状

44. 10. アンバパリヤ長老の行状

 

45. ヴィビータカの章

 

45. 1. ヴィビータカミンジヤ長老の行状

45. 2. コーラダーヤカ長老の行状

45. 3. ビッリヤ長老の行状

45. 4. バッラータダーヤカ長老の行状

45. 5. ウッタリプッピヤ長老の行状

45. 6. アンバータキヤ長老の行状

45. 7. シーハーサニカ長老の行状

45. 8. パーダピーティヤ長老の行状

45. 9. ヴェーディカーラカ長老の行状

45. 10. ボーディガラダーヤカ長老の行状

 

46. ジャガティダーヤカの章

 

46. 1. ジャガティダーヤカ長老の行状

46. 2. モーラハッティヤ長老の行状

46. 3. シーハーサナビージヤ長老の行状

46. 4. ティヌッカダーリヤ長老の行状

46. 5. アッカマナダーヤカ長老の行状

46. 6. ヴァナコーランディヤ長老の行状

46. 7. エーカチャッティヤ長老の行状

46. 8. ジャーティプッピヤ長老の行状

46. 9. パッティプッピヤ長老の行状

46. 10. ガンダプージャカ長老の行状

 

47. サーラクスミヤの章

 

47. 1. サーラクスミヤ長老の行状

47. 2. チタカプージャカ長老の行状

47. 3. チタカニッバーパカ長老の行状

47. 4. セートゥダーヤカ長老の行状

47. 5. スマナターラヴァンティヤ長老の行状

47. 6. アヴァタパリヤ長老の行状

47. 7. ラブジャパラダーヤカ長老の行状

47. 8. ピラッカパラダーヤカ長老の行状

47. 9. サヤンパティバーニヤ長老の行状

47. 10. ニミッタブヤーカラニヤ長老の行状

 

48. ナラマーリの章

 

48. 1. ナラマーリヤ長老の行状

48. 2. マニプージャカ長老の行状

48. 3. ウッカーサティカ長老の行状

48. 4. スマナビージャニヤ長老の行状

48. 5. クンマーサダーヤカ長老の行状

48. 6. クサッタカダーヤカ長老の行状

48. 7. ギリプンナーギヤ長老の行状

48. 8. ヴァッリカーラパラダーヤカ長老の行状

48. 9. パーナディダーヤカ長老の行状

48. 10. プリナチャンカミヤ長老の行状

 

49. パンスクーラの章

 

49. 1. パンスクーラサンニャカ長老の行状

49. 2. ブッダサンニャカ長老の行状

49. 3. ビサダーヤカ長老の行状

49. 4. ニャーナタヴィカ長老の行状

49. 5. チャンダナマーリヤ長老の行状

49. 6. ダートゥプージャカ長老の行状

49. 7. プリヌッパーダカ長老の行状

49. 8. タラニヤ長老の行状

49. 9. ダンマルチヤ長老の行状

49. 10. サーラマンダピヤ長老の行状

 

50. キンカニプッパの章

 

50. 1. ティキンカニプッピヤ長老の行状

50. 2. パンスクーラプージャカ長老の行状

50. 3. コーランダプッピヤ長老の行状

50. 4. キンスカプッピヤ長老の行状

50. 5. ウパッダドゥッサダーヤカ長老の行状

50. 6. ガタマンダダーヤカ長老の行状

50. 7. ウダカダーヤカ長老の行状

50. 8. プリナトゥーピヤ長老の行状

50. 9. ナラクティダーヤカ長老の行状

50. 10. ピヤーラパラダーヤカ長老の行状

 

51. カニカーラの章

 

51. 1. ティカニカーラプッピヤ長老の行状

51. 2. エーカパッタダーヤカ長老の行状

51. 3. カースマーラパリヤ長老の行状

51. 4. アヴァタパリヤ長老の行状

51. 5. パーダパリヤ長老の行状

51. 6. マートゥルンガパラ長老の行状

51. 7. アジェーリパラダーヤカ長老の行状

51. 8. アモーダパリヤ長老の行状

51. 9. ターラパラダーヤカ長老の行状

51. 10. ナーリケーラパラダーヤカ長老の行状

 

52. パラダーヤカの章

 

52. 1. クランチヤパラダーヤカ長老の行状

52. 2. カピッタパラダーヤカ長老の行状

52. 3. コーサンバパリヤ長老の行状

52. 4. ケータカプッピヤ長老の行状

52. 5. ナーガプッピヤ長老の行状

52. 6. アッジュナプッピヤ長老の行状

52. 7. クタジャプッピヤ長老の行状

52. 8. ゴーササンニャカ長老の行状

52. 9. サッバパラダーヤカ長老の行状

52. 10. パドゥマダーリカ長老の行状

 

53. ティナダーヤカの章

 

53. 1. ティナムッティダーヤカ長老の行状

53. 2. マンチャダーヤカ長老の行状

53. 3. サラナガマニヤ長老の行状

53. 4. アッバンジャナダーヤカ長老の行状

53. 5. スパタダーヤカ長老の行状

53. 6. ダンダダーヤカ長老の行状

53. 7. ギリネーラプージャカ長老の行状

53. 8. ボーディサンマッジャカ長老の行状

53. 9. アーマンダパラダーヤカ長老の行状

53. 10. スガンダ長老の行状

 

54. カッチャーヤナの章

 

54. 1. マハー・カッチャーヤナ長老の行状

54. 2. ヴァッカリ長老の行状

54. 3. マハー・カッピナ長老の行状

54. 4. ダッバマッラプッタ長老の行状

54. 5. クマーラ・カッサパ長老の行状

54. 6. バーヒヤ長老の行状

54. 7. マハー・コッティカ長老の行状

54. 8. ウルヴェーラ・カッサパ長老の行状

54. 9. ラーダ長老の行状

54. 10. モーガラージャン長老の行状

 

55. バッディヤの章

 

55. 1. ラクンダ・バッディヤ長老の行状

55. 2. カンカー・レーヴァタ長老の行状

55. 3. シーヴァリ長老の行状

55. 4. ヴァンギーサ長老の行状

55. 5. ナンダカ長老の行状

55. 6. カールダーイン長老の行状

55. 7. アバヤ長老の行状

55. 8. ローマサカンギヤ長老の行状

55. 9. ヴァナヴァッチャ長老の行状

55. 10. チューラ・スガンダ長老の行状

 

56. ヤサの章

 

56. 1. ヤサ長老の行状

56. 2. ナディー・カッサパ長老の行状

56. 3. ガヤー・カッサパ長老の行状

56. 4. キミラ長老の行状

56. 5. ヴァッジープッタ長老の行状

56. 6. ウッタラ長老の行状

56. 7. アパラ・ウッタラ長老の行状

56. 8. バッダジ長老の行状

56. 9. シヴァカ長老の行状

56. 10. ウパヴァーナ長老の行状

56. 11. ラッタパーラ長老の行状

 

 

 

 

阿羅漢にして 正等覚者たる かの世尊に 礼拝し奉る

 

10. 2. テーラ・アパダーナ聖典(譬喩経・第二部)

 

43. サキンサンマッジャカの章

 

43. 1. サキンサンマッジャカ長老の行状

 

1. ヴィパッシン世尊の、最上の菩提〔樹〕であるパータリー〔樹〕を、その至高の木を、見て、そこにおいて、心を浄信させた。

 

2. まさしく、ただちに、箒を掴んで、菩提〔樹〕を掃き清めた。その菩提〔樹〕を掃き清めて、わたしは、パータリー〔樹〕を敬拝した。

 

3. そこにおいて、心を浄信させて、頭に合掌を為して、その菩提〔樹〕を礼拝しながら、わたしは、〔前に〕赴き、〔身を〕屈めた。

 

4. そのような者として、〔わたしは〕道を赴く──最上の菩提〔樹〕を思念しながら。おぞましき形態にして、大いなる力ある、大蛇が、わたしを責め苛んだ。

 

5. 近しき〔過去〕において、わたしが為した行為は、〔その〕果によって、わたしを満足させた。〔大蛇は〕わたしの死体(身体)を飲み尽くす。わたしは、天の世において喜び楽しむ。

 

6. わたしの心は、混濁なく清浄にして、常に、白きものとしてある。わたしの心を熱苦させる憂いの矢を、〔わたしは〕知らない。

 

7. 癩、腫物、そして、疱瘡、癲癇、瘡蓋、肌荒、さらに、疥癬は、わたしには存在しない。これは、掃き清めの果である。

 

8. そして、憂いは、さらに、嘆きは、わたしの心臓において見出されない。迷走なく真っすぐな心がある。これは、掃き清めの果である。

 

9. 諸々の禅定において陶酔しない。清潔なる意図が有る。その〔禅定〕その禅定を、〔わたしが〕求めるなら、その〔禅定〕その〔禅定〕が、わたしに成就する。

 

10. 染まるべきものに染まらず、さらに、諸々の怒るべきものに〔怒らず〕、迷うべきものに迷わない。これは、掃き清めの果である。

 

11. すなわち、〔わたしが〕行為を為した、そのとき、これより、九十一カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、掃き清めの果である。

 

12. わたしの、諸々の〔心の〕汚れは焼尽し、一切の〔迷いの〕生存は完破された。象のように結縛を断ち切って、煩悩なき者となり、〔世に〕住む。

 

13. わたしにとって、まさに、善き訪問として存した──わたしにとって、覚者の現前にあることは。三つの明知は獲得され、覚者の教えは為された。

 

14. 四つの融通無礙は〔実証され〕、そして、また、これらの八つの解脱も〔実証された〕。六つの神知は実証され、覚者の教えは為された。

 

 かくのごとく、まさに、尊者サキンサンマッジャカ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──

 

 サキンサンマッジャカ長老の行状が、第一となる。

 

43. 2. エーカドゥッサダーヤカ長老の行状

 

15. ハンサヴァティーの城市において、〔わたしは〕草運びとして〔世に〕有った。草運びによって、〔わたしは〕生き、それによって、幼児たちを養う。

 

16. パドゥムッタラという名の勝者が、一切の法(事象)の彼岸に至る方が、世の導き手たる方が、闇の暗黒を滅ぼして、〔世に〕生起した。

 

17. 自らの家に坐って、まさしく、そのとき、このように思い考えた。「覚者が、世に生起したのだ。〔しかしながら、わたしに〕施すべき法(施物)は見出されない。

 

18. わたしには、この一なる布切れがある〔のみ〕。誰であれ、わたしに与えてくれる者は存在しない。地獄に触れることは苦しみである。〔苦しみから逃れる〕施物を育成するのだ」〔と〕。

 

19. わたしは、このように思い考えて、自らの心を浄信させた。一なる布地を収め取って、わたしは、最勝の覚者に施した。

 

20. 一なる布地を施して、叫喚〔の声〕を等しく転起させた。「勇者よ、すなわち、あなたが覚者であるなら、偉大なる牟尼よ、わたしを超え渡したまえ」〔と〕。

 

21. パドゥムッタラ〔世尊〕は、世〔の一切〕を知る方は、諸々の捧げものの納受者たる方は、わたしの布施を賛じ称えつつ、わたしに、随喜を為した。

 

22. 〔パドゥムッタラ世尊は言った〕「この一なる布地によって、さらに、諸々の思欲による誓願によって、十万カッパのあいだ、堕所に赴きません。

 

23. 三十六回、天のインダとして、天の王権を為すでしょう。そして、三十三回、転輪王と成るでしょう。

 

24. 数〔の観点〕からは数えようもない、広大なる地域の王権を〔為すでしょう〕。天の世において、あるいは、人間〔の世〕において、〔善き境遇の〕生存において輪廻しながら、あなたは──

 

25. 形姿ある者として、徳を成就した者として、入胎なき肉身ある者として、頑丈にして無量なる布地を、求めるままに得るでしょう」〔と〕。

 

26. この言葉を説いて、正覚者は、水に生じる最上のものを名とする方は、勇者は、天空へと舞い上がった──鵞鳥の王が、宙に〔赴く〕ように。

 

27. 天〔の神〕たる〔境遇〕に、さらに、人間に、その〔胎〕その胎に再生するなら、わたしの財物に、不足は存在しない。これは、一なる布地の果である。

 

28. 足を上げるとき、足を上げるとき、布地が、わたしに発現する。布地を下に、〔わたしは〕立つ。わたしには、〔常に〕天蓋がある。

 

29. チャッカ・ヴァーラ(輪囲山・鉄囲山:世界の周辺にあって世界を囲んでいる山)を加え含めて、森を含め、山を含め、そして、今日、わたしが求めつつあるなら、それを、諸々の布地をもって覆い隠すであろう。

 

30. まさしく、その一なる布地〔の功徳〕によって、種々なる生存において輪廻しつつも、黄金の色艶ある者と成って、種々なる生存において輪廻する。

 

31. 一なる布地の(※)報いの滅尽に、どこにおいてであれ、到達しなかった。これは、わたしの最後の生である。ここにもまた、わたしに、〔報いは〕成熟する。

 

※ テキストには viekadussassa とあるが、PTS版により ekadussassa と読む。

 

32. すなわち、〔わたしが〕布地を施した、そのとき、これより、十万カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、一なる布地の果である。

 

33. わたしの、諸々の〔心の〕汚れは焼尽し……略……煩悩なき者となり、〔世に〕住む。

 

34. わたしにとって、まさに、善き訪問として存した……略……覚者の教えは為された。

 

35. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。

 

 かくのごとく、まさに、尊者エーカドゥッサダーヤカ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──

 

 エーカドゥッサダーヤカ長老の行状が、第二となる。

 

43. 3. エーカーサナダーヤカ長老の行状

 

36. ヒマヴァントの遠からざるところ、ゴーシタという名の山がある。わたしには、美しく作られた庵所があり、見事に造作された草庵がある。

 

37. 名としては、ナーラダという名の者として〔世に有った〕。わたしのことを、〔人々は〕「カッサパ」と知る。清浄の道を探し求めながら、そのとき、〔わたしは〕ゴーシタ〔山〕に住する。

 

38. パドゥムッタラという名の勝者は、一切の法(事象)の彼岸に至る方は、遠離を欲する正覚者は、〔天高く〕曲がりなき風のなかを赴いた。

 

39. 林の先端を赴きつつある偉大なる聖賢の光を見て、薪の坐床を設置して、そして、鹿皮を広げた。

 

40. 坐を設置して、頭に合掌を為して、悦意を知らせて、この言葉を説いた。

 

41. 〔わたしは言った〕「偉大なる勇者よ、〔毒〕矢の治癒者として、諸々の痛苦の癒し手として、〔世の〕導き手たる方よ、病に打ち負かされたわたしに、癒しを与えたまえ。

 

42. 最勝の覚者よ、牟尼よ、すなわち、健全を義(目的)とする者たちが、あなたを見るなら、〔彼らは〕常恒なる義(利益)の成就に至り得ます。これらの者たちには、老なきが有るでしょう。

 

43. わたしに、施すべき法(施物)は存在しません。わたしは、〔自然に〕転起した〔野生の〕果実を食料とする者です。わたしには、この坐が存在します。薪の坐床に坐ってください」〔と〕。

 

44. そこにおいて、世尊は坐った──恐怖なき獅子のように。寸時のあいだ過ごして、この言葉を説いた。

 

45. 〔パドゥムッタラ世尊は言った〕「信頼ある者と成りなさい(安心しなさい)。恐れてはいけません。輝石が、あなたによって得られました。すなわち、あなたが切望したものは、〔その〕全てが、未来において、円満成就するでしょう。

 

46. 無上なる功徳の田畑にたいし、あなたが為したことは、それは、無駄ならざるものです。それに、心が誓願されたなら、自己は、〔それを〕引き寄せることができます。

 

47. この坐の布施によって、さらに、諸々の思欲による誓願によって、十万カッパのあいだ、〔あなたは〕堕所に赴きません。

 

48. 五十回、天のインダとして、天の王権を為すでしょう。そして、八十回、転輪王と成るでしょう。

 

49. 数〔の観点〕からは数えようもない、広大なる地域の王権を〔為すでしょう〕。一切所において、安楽ある者と成って、諸々の輪廻を輪廻するでしょう」〔と〕。

 

50. この言葉を説いて、正覚者は、水に生じる最上のものを名とする方は、勇者は、天空へと舞い上がった──鵞鳥の王が、宙に〔赴く〕ように。

 

51. 象の乗物を、馬の乗物を、車と共に、戦車を、まさしく、この全てを、〔わたしは〕得る。これは、一なる坐の果である。

 

52. 森に入ってもまた、すなわち、〔わたしが〕坐を求めるときは、わたしの思惟を了知して、長椅子が現起する。

 

53. 水の中を赴く者として存しつつ、すなわち、〔わたしが〕坐を求めるときは、わたしの思惟を了知して、長椅子が現起する。

 

54. 天〔の神〕たる〔境遇〕に、さらに、人間に、その〔胎〕その胎に再生するなら、十万の長椅子が、常に、わたしを取り囲む。

 

55. 天〔の神〕たる〔境遇〕において、さらに、人間において、〔天と人の〕二つの生存において、〔わたしは〕輪廻する(天界と人間界においてのみ輪廻する)。二つの家系において、〔わたしは〕生まれる──士族において、さらに、婆羅門において。

 

56. 無上なる功徳の田畑にたいし、一なる坐を施して、法(教え)の長椅子を取って、煩悩なき者となり、〔世に〕住む。

 

57. すなわち、〔わたしが〕布施を施した、そのとき、これより、十万カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、一なる坐の果である。

 

58. わたしの、諸々の〔心の〕汚れは焼尽し……略……煩悩なき者となり、〔世に〕住む。

 

59. わたしにとって、まさに、善き訪問として存した……略……覚者の教えは為された。

 

60. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。

 

 かくのごとく、まさに、尊者エーカーサナダーヤカ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──

 

 エーカーサナダーヤカ長老の行状が、第三となる。

 

43. 4. サッタカダンバプッピヤ長老の行状

 

61. ヒマヴァントの遠からざるところ、クックタという名の山がある。その山麓において、それらの七者の覚者たちが住した。

 

62. 花ひらいたカダンバ〔樹の花〕を見て、合掌を差し出して、七つの花飾を収め取って、功徳の心で振りまいた。

 

63. その善行の行為によって、さらに、諸々の思欲による誓願によって、人間の肉身を捨棄して〔そののち〕、わたしは、三十三〔天〕に赴いた。

 

64. すなわち、〔わたしが〕行為を為した、そのとき、これより、九十四カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、覚者の供養の果である。

 

65. わたしの、諸々の〔心の〕汚れは焼尽し……略……煩悩なき者となり、〔世に〕住む。

 

66. わたしにとって、まさに、善き訪問として存した……略……覚者の教えは為された。

 

67. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。

 

 かくのごとく、まさに、尊者サッタカダンバプッピヤ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──

 

 サッタカダンバプッピヤ長老の行状が、第四となる。

 

43. 5. コーランダプッピヤ長老の行状

 

68. かつて、わたしは、父母代々の木こりとして〔世に〕存した。家畜を殺すことで、〔わたしは〕生きる。わたしに、善なる〔行為〕は見出されない。

 

69. わたしの依拠するところの近隣にて、ティッサ〔世尊〕は、世の至高の導き手たる方は、三つの足跡を見示した──慈しみ〔の思い〕によって、眼ある方は。

 

70. そして、ティッサという名の教師の、踏みしめられた〔三つの〕足跡を見て、欣喜した者となり、欣喜した心で、足跡にたいし、心を浄信させた。

 

71. 花ひらいたコーランダ〔樹の花〕を見て、地に育つ植物を〔見て〕、鞘と共に収め取って、最勝の足跡を供養した。

 

72. その善行の行為によって、さらに、諸々の思欲による誓願によって、人間の肉身を捨棄して〔そののち〕、わたしは、三十三〔天〕に赴いた。

 

73. 天〔の神〕たる〔境遇〕に、さらに、人間に、その〔胎〕その胎に再生するなら、わたしは、まさしく、コーランダ〔樹の花〕の色艶ある、美しい光輝ある者と成る。

 

74. すなわち、〔わたしが〕行為を為した、そのとき、これより、九十二カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、足跡の供養の果である。

 

75. わたしの、諸々の〔心の〕汚れは焼尽し……略……煩悩なき者となり、〔世に〕住む。

 

76. わたしにとって、まさに、善き訪問として存した……略……覚者の教えは為された。

 

77. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。

 

 かくのごとく、まさに、尊者コーランダプッピヤ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──

 

 コーランダプッピヤ長老の行状が、第五となる。

 

43. 6. ガタマンダダーヤカ長老の行状

 

78. スチンティタ世尊が、世の最尊者にして人の雄牛たる方が、大いなる林に入り、風の病に責め苛まれているのを──

 

79. 見て、心を浄信させて、酪の精髄を進呈した。自己の為したことは、さらに、自己の蓄積したものは、〔まさに〕この、バーギーラティー〔という名〕のガンガー〔川の如きもの〕となる。

 

80. わたしのために、四つの大いなる海は、酪に満たされる。そして、この、量るべくもなく、数えようもない、おぞましき地は──

 

81. わたしの思惟を了知して、甘き砂糖と成る。四つの洲の、地に育つ植物である、これらの木々は──

 

82. わたしの思惟を了知して、それらは、カッパ樹(魔法の木)と成る。五十回、天のインダとして、天の王権を為した。

 

83. そして、五十一回、わたしは、転輪〔王〕と成った。数〔の観点〕からは数えようもない、広大なる地域の王権を〔為した〕。

 

84. すなわち、〔わたしが〕布施を施した、そのとき、これより、九十四カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、酪の精髄の果である。

 

85. わたしの、諸々の〔心の〕汚れは焼尽し……略……煩悩なき者となり、〔世に〕住む。

 

86. わたしにとって、まさに、善き訪問として存した……略……覚者の教えは為された。

 

87. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。

 

 かくのごとく、まさに、尊者ガタマンダダーヤカ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──

 

 ガタマンダダーヤカ長老の行状が、第六となる。

 

43. 7. エーカダンマッサヴァニヤ長老の行状

 

88. パドゥムッタラという名の勝者は、一切の法(事象)の彼岸に至る方は、四つの真理を明示しながら、多くの人々を等しく超え渡した。

 

89. その時点にあって、わたしは、激しい苦行の結髪者として〔世に有った〕。諸々の樹皮の衣を打ち震わせながら、そのとき、〔わたしは〕宙を赴く。

 

90. わたしは、最勝の覚者の上を赴くことができない。わたしは、岩に近づいて〔行く手を遮られた〕鳥のように、赴くことを得ない。

 

91. 〔わたしは思い考えた〕「水を離れて、このように、〔わたしは〕宙を赴く。〔このように〕振る舞いを動乱させることは、これは、わたしにとって、過去に事実なし。

 

92. さあ、この方を探し求めるのだ。まさしく、たぶん、わたしは、義(利益)を得るであろう」〔と〕。空中から降りつつ、〔わたしは〕教師の声を聞いた。

 

93. 〔欲の思いに〕染まるべき声によって、必聴にして麗美なる〔声〕によって、〔世の〕無常なることを言説している〔教師〕の、まさしく、その〔教え〕を、そのとき、〔わたしは〕把握した。無常の表象(無常想)を把握して、わたしの庵所へと去り行った。

 

94. 寿命のあるかぎり住して、そこにおいて、わたしは、命を終えたのだった。最後〔の心〕が転起しているとき、正なる法(教え)の聴聞を思念した。

 

95. その善行の行為によって、さらに、諸々の思欲による誓願によって、人間の肉身を捨棄して〔そののち〕、わたしは、三十三〔天〕に赴いた。

 

96. 三万カッパのあいだ、わたしは、天の世において喜び楽しんだ。そして、五十一回、天の王権を為した。

 

97. そして、二十一回、わたしは、転輪〔王〕と成った。数〔の観点〕からは数えようもない、広大なる地域の王権を〔為した〕。

 

98. 種々なる生存において、わたしは、安楽ある者となり、自らの功徳を受領する。〔わたしは〕種々なる生存において輪廻しながら、〔まさに〕その、〔無常の〕表象を随念するも、〔いまだ、輪廻の〕突端を理解しない──〔すなわち〕涅槃を、死滅なき境処を。

 

99. 父の家に坐って、〔五つの〕機能を修めた沙門は、言説において(※)遍く明らかにしながら、〔世の〕無常なることを、〔わたしに〕述べ伝えた。

 

※ テキストには Kathasa とあるが、PTS版により Kathāya と読む。

 

100. 〔ゴータマ世尊は言った〕「無常にして、生起と衰失の法(性質)あるのが、まさに、諸々の形成〔作用〕(諸行:形成されたもの・現象世界)である。〔それらは〕生起しては、止滅する。それらの寂止は、安楽である」〔と〕。

 

101. 詩偈を聞いて、〔それと〕共に、過去の表象を随念した。一なる坐において、坐って〔そののち〕、阿羅漢の資質に至り得た。

 

102. わたしは、生まれて七年で、阿羅漢の資質に至り得た。覚者は、〔戒を〕成就させた。これは、法(教え)の聴聞の果である。

 

103. すなわち、わたしが、法(教え)を聞いた、そのとき、これより、十万カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、法(教え)の聴聞の果である。

 

104. わたしの、諸々の〔心の〕汚れは焼尽し……略……煩悩なき者となり、〔世に〕住む。

 

105. わたしにとって、まさに、善き訪問として存した……略……覚者の教えは為された。

 

106. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。

 

 かくのごとく、まさに、尊者エーカダンマッサヴァニヤ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──

 

 エーカダンマッサヴァニヤ長老の行状が、第七となる。

 

43. 8. スチンティタ長老の行状

 

107. ハンサヴァティーの城市において、そのとき、〔わたしは〕耕作者として〔世に〕有った。耕作の行為によって、〔わたしは〕生き、それによって、幼児たちを養う。

 

108. そのとき、わたしの、田畑は、実りあるものと〔成り〕、穀物は、果あるものと成った。そして、成熟の時が至り得たとき、そのとき、わたしは、このように思い考えた。

 

109. 「徳と徳ならざることを知っている者にとって、〔これは〕適合ならず、適切ならず──〔まさに〕その、わたしが、僧団にたいし施さずして、もし、そのとき、〔作物を〕最初に食べるなら。

 

110. この方は、覚者である。〔過去と未来の〕同等の者なき者たちと同等なる方である。三十二の優れた特相ある方である。無上なる功徳の田畑である僧団は、彼より発生したのだ。

 

111. そこにおいて、わたしは、布施を施すのだ──先に、先にと、新しい作物を」〔と〕。わたしは、このように思い考えて、欣喜した者となり、喜悦の意図ある者となり──

 

112. 田畑から穀物を持ち運んで、正覚者のもとへと近づいて行った。近づいて行って、正覚者を、世の最尊者にして人の雄牛たる方を、教師の〔両の〕足を敬拝して、この言葉を説いた。

 

113. 〔わたしは言った〕「そして、新しい作物は、実りあるものとなり、牟尼よ、そして、あなたは、供物〔の受者〕たる方として〔世に〕存しています。眼ある方よ、慈しみ〔の思い〕を抱いて、〔わたしの申し出を〕承諾したまえ」〔と〕。

 

114. パドゥムッタラ〔世尊〕は、世〔の一切〕を知る方は、諸々の捧げものの納受者たる方は、わたしの思惟を了知して、この言葉を説いた。

 

115. 〔パドゥムッタラ世尊は言った〕「そして、〔道の〕実践者たる四者(四向:預流道・一来道・不還道・阿羅漢道)がいて、さらに、果における安立者たる四者(四果:預流果・一来果・不還果・阿羅漢果)がいます。この僧団は、〔心が〕真っすぐと成り、智慧と戒によって〔心が〕定められています。祭祀をしている人間たちにとって、功徳を期している命ある者たちにとって──

 

116. 依り所ある功徳を作り為している者たちにとって、僧団において、施されたものは、大いなる果となります。あなたの作物は、まさしく、その僧団にたいし施されるべきです──そのように、他のものも。

 

117. 〔期日を〕指定して〔そののち〕、僧団から、比丘たちを、自らの家に連れて行って、あなたは、家に存している準備されたものを、比丘の僧団に施しなさい」〔と〕。

 

118. 〔期日を〕指定して〔そののち〕、僧団から、比丘たちを、自らの家に連れて行って、すなわち、わたしの家において準備されたものを、わたしは、比丘の僧団に施した。

 

119. その善行の行為によって、さらに、諸々の思欲による誓願によって、人間の肉身を捨棄して〔そののち〕、わたしは、三十三〔天〕に赴いた。

 

120. そこにおいて、わたしには、美しく作られた宮殿が〔発現する〕──黄金にして、光輝を有する〔宮殿〕が、六十ヨージャナの高さと三十〔ヨージャナ〕の幅ある〔宮殿〕が。

 

 〔以上が〕第十九の朗読分となる。

 

121. わたしの居所は、〔人々で〕満ち溢れ、女たちの群れで溢れ満ち、そこにおいて、食べて、さらに、飲んで、わたしは、三十三〔天〕に住する。

 

122. そして、三百回、天の王権を為した。そして、五百回、わたしは、転輪〔王〕と成った。数〔の観点〕からは数えようもない、広大なる地域の王権を〔為した〕。

 

123. 種々なる生存において輪廻しながら、無量なる財産を得る。わたしの財物に、不足は存在しない。これは、新しい作物の果である。

 

124. 象の乗物を、馬の乗物を、駕篭を、戦車を、まさしく、この全てを、〔わたしは〕得る。これは、新しい作物の果である。

 

125. 新しい衣を、新しい果実を、新しく至高の味ある食料を、まさしく、この全てを、〔わたしは〕得る。これは、新しい作物の果である。

 

126. 諸々の絹や毛布を、さらに、諸々の亜麻や木綿を、まさしく、この全てを、〔わたしは〕得る。これは、新しい作物の果である。

 

127. 奴隷たちの衆を、奴婢たちの衆を、さらに、〔装いを〕十二分に作り為した女たちを、まさしく、この全てを、〔わたしは〕得る。これは、新しい作物の果である。

 

128. あるいは、寒さは、あるいは、暑さは、わたしに〔見出され〕ない。苦悶は、〔わたしに〕見出されない。さらに、心の苦しみは、わたしの心臓において見出されない。

 

129. 「これを咀嚼したまえ」「これを食べたまえ」「この臥具に臥したまえ」〔と〕、まさしく、この全てを、〔わたしは〕得る。これは、新しい作物の果である。

 

130. これは、今や、最後のものである。生存は、最後のものとして転起する。今日もまた、わたしには、施されるべき法(施物)があり、〔行為の〕果は、一切時に、〔わたしを〕満足させる。

 

131. 新しい作物を、最上の優れた衆徒である僧団にたいし施して、八つの福利を受領する──わたしの行為に至当なるものとして。

 

132. 色艶ある者として、福徳ある者として、大いなる財物ある者として、疾患なき者として、〔世に〕有る。常に大いなる徒党ある者として、常に不壊なる衆ある者として、〔世に〕有る。

 

133. 彼らが誰であれ、地に依拠する者たちであるなら、全ての者たちが、わたしを敬恭する。そして、それらが何であれ、施されるべき法(施物)であるなら、先に、先にと、わたしは得る。

 

134. あるいは、比丘の僧団の中において、最勝の覚者の面前にて、全ての者たちをもまた超え行って、まさしく、わたしに、施者たちは、〔施物を〕施す。

 

135. 最上の衆徒である僧団にたいし、まさに、最初に、新しい作物を施して、これらの福利を、〔わたしは〕受領する。これは、新しい作物の果である。

 

136. すなわち、〔わたしが〕布施を施した、そのとき、これより、十万カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、新しい作物の果である。

 

137. わたしの、諸々の〔心の〕汚れは焼尽し……略……煩悩なき者となり、〔世に〕住む。

 

138. わたしにとって、まさに、善き訪問として存した……略……覚者の教えは為された。

 

139. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。

 

 かくのごとく、まさに、尊者スチンティタ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──

 

 スチンティタ長老の行状が、第八となる。

 

43. 9. ソーヴァンナキンカニヤ長老の行状

 

140. 〔わたしは〕信によって、〔家から〕出て、家なきへと出家した。〔わたしは〕樹皮の衣を〔身に〕付ける者として、苦行の行為に〔身を〕依託する者として、〔世に〕存した。

 

141. さてまた、アッタダッシン世尊が、世の最尊者にして人の雄牛たる方が、その時点において、〔世に〕生起した。多くの人々を〔彼岸へと〕超え渡しながら。

 

142. そして、まさに、わたしの力は、それは、最高の病によって滅尽するところとなった。最勝の覚者を思念して、砂岸に最上の塔を──

 

143. 作って、欣喜した心の者となり、わたしは、自らの手で等しく振りまいた──金色のキンカニの花々を、勇躍する意の者となり、わたしは。

 

144. 面前の正覚者を〔世話する〕ように、わたしは、塔を世話した──その心の浄信によって、アッタダッシン〔世尊〕のために、如なる方のために。

 

145. 天の世に赴き、〔そこに〕存しつつ、広大なる安楽を得る。そこにおいて、黄金の色艶ある者として存した。これは、覚者の供養の果である。

 

146. わたしには、八十コーティの〔装いを〕十二分に作り為した女たちがあり、常に、わたしに奉仕する。これは、覚者の供養の果である。

 

147. 六万の楽器が、諸々の太鼓が、そして、諸々の銅鼓が、さらに、諸々の法螺貝が、諸々の小鼓が──そこにおいて、諸々の麗美なる鼓が奏でられる。

 

148. 八万四千の〔装いを〕十二分に作り為した象たちが、三種に〔発情し〕激情したマータンガ〔象〕たちが、六十歳のクンジャラ〔象〕たちが──

 

149. 金の網に等しく覆われた〔象〕たちが、わたしのために、奉仕を為す。軍隊の衆において、まさしく、そして、象において、わたしに、不足は見出されない。

 

150. わたしは、金色のキンカニの花々の報いを受領する。そして、五十八回、天の王権を為した。

 

151. そして、七十一回、わたしは、転輪〔王〕と成った。一百〔回〕、地の王権を、わたしは、大地において為した。

 

152. 〔まさに〕その〔わたし〕は、今や、不死〔の境処〕(涅槃)に至り得たのだ──形成されたものではないものに、極めて見難きものに。〔生存に〕束縛するものは完全に滅尽し、今や、さらなる生存は存在しない。

 

153. すなわち、〔わたしが〕花を献上した、千八百カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、覚者の供養の果である。

 

154. わたしの、諸々の〔心の〕汚れは焼尽し……略……煩悩なき者となり、〔世に〕住む。

 

155. わたしにとって、まさに、善き訪問として存した……略……覚者の教えは為された。

 

156. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。

 

 かくのごとく、まさに、尊者ソーヴァンナキンカニヤ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──

 

 ソーヴァンナキンカニヤ長老の行状が、第九となる。

 

43. 10. ソーヴァンナカッタリカ(※)長老の行状

 

※ テキストには Soṇṇakontarika とあるが、PTS版により Sovaṇṇakattarika と読む。後出の同一人名についても同様。

 

157. 意によって修められるべき方を、覚者を、自己が調御された方を、〔心が〕定められた方を、梵の道において振る舞う方を、心の寂止を喜ぶ方を──

 

158. 激流を超え渡った正覚者を、瞑想を喜ぶ瞑想者たる牟尼を、近しき岸辺たる方を、入定者たる方を、青蓮の花弁の光輝ある方を、〔わたしは見た〕。

 

159. 〔わたしは〕瓜と水を収め取って、最勝の覚者のもとへと近しく赴いた。覚者の〔両の〕足を洗い清めて、わたしは、瓜を施した。

 

160. そして、パドゥムッタラという名の正覚者は、〔わたしに〕命じた。「この〔瓜〕で水を持ち運んで、わたしの足元に据え置きなさい」〔と〕。

 

161. わたしは、「善きかな」と答えて、そして、教師への尊重〔の思い〕によって、瓜で水を持ち運んで、最勝の覚者のもとへと近しく赴いた。

 

162. 偉大なる勇者は、随喜し、わたしの心を寂滅させた。「この瓜の布施によって、あなたの思惟は、等しく実現せよ」〔と〕。

 

163. 十五カッパのあいだ、わたしは、天の世において喜び楽しんだ。そして、三十回、わたしは、転輪王と成った。

 

164. 昼であろうが、もしくは、夜であろうが、歩行し、立っている、わたしの前に、黄金の杖を(※)収め取って、〔人が〕立つ。

 

※ テキストには Sovaṇṇa kontara とあるが、PTS版により Sovaṇṇa kattara と読む。

 

165. 瓜を、覚者に施して、黄金の杖を(※)、〔わたしは〕得る。如なる者たちにたいし、たとえ、少なくとも、為すことが為されたなら、広大なる〔果〕と成る。

 

※ テキストには soṇṇakontara とあるが、PTS版により soṇṇakattara と読む。

 

166. すなわち、〔わたしが〕瓜を施した、そのとき、これより、十万カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、瓜の果である。

 

167. わたしの、諸々の〔心の〕汚れは焼尽し……略……煩悩なき者となり、〔世に〕住む。

 

168. わたしにとって、まさに、善き訪問として存した……略……覚者の教えは為された。

 

169. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。

 

 かくのごとく、まさに、尊者ソーヴァンナカッタリカ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──

 

 ソーヴァンナカッタリカ長老の行状が、第十となる。

 

 サキンサンマッジャカの章が、第四十三となる。

 

 その〔章〕のための摂頌となる。

 

 〔そこで、詩偈に言う〕「サキンサンマッジャカ長老、エーカドゥッシン、エーカーサニン、カダンバとコーランダカダ、そして、また、ガタとサヴァニカ──

 

 スッチンティカ、キンカニカ、そして、また、ソーヴァンナカッタリカがあり、そして、ここにおいて、一百の詩偈があり、さらに、まさしく、七十一〔の詩偈〕がある」〔と〕。

 

44. エーカヴィハーリの章

 

44. 1. エーカヴィハーリカ長老の行状

 

1. この幸いなるカッパ(賢劫:今現在のカッパ)において、梵の眷属にして偉大なる福徳ある方が、姓としては、カッサパという名の、説者たちのなかの優れた方が、〔世に〕生起した。

 

2. 〔妄想の〕戯論なく、〔他者を〕頼りとせず、虚空に等しき意図ある方は、空性を多く〔修めた〕如なる方は、無相を喜ぶ自在者たる方は──

 

3. 執着の心なく、〔心の〕汚れなく、家と衆に交わりなき方は、偉大なる慈悲者にして勇者たる方は、教導の手段における熟知者たる方は──

 

4. 〔教導における〕奮闘者たる方は、他者たちの為すべきことについて、天を含む〔世の人々〕を教導しながら、涅槃に至る道を、〔悪しき〕境遇の汚泥を干上がらせる〔道〕を──

 

5. 不死〔の境処〕を、最高の悦楽を、老と死魔の防護を、〔それらの法を説示する〕。大いなる衆の中に坐り、彼は、世〔の人々〕を超え渡す方は──

 

6. カラヴィーカ〔鳥〕の鳴き声ある〔世の〕主たる方は、梵音ある如来は、導き手なき遭難者たちを、大いなる難所から引き上げている。

 

7. 〔世俗の〕塵を離れる法(教え)を説示しながら、世の導き手たる方は、わたしの見るところとなった。〔わたしは〕彼の法(教え)を聞いて、〔家から〕家なきへと出家した。

 

8. 出家して、そのときもまた、わたしは、勝者の教えを思い考えながら、まさしく、独りある者となり、喜ばしき林に住した──〔他者との〕交わりに責め苛まれた者として。

 

9. 身体を有することの隠棲が、わたしにとって、〔善き〕因と成り、わたしに至り着いた(※)──意の隠棲のための〔因として〕、〔他者との〕交わりに恐怖を見る〔わたし〕にとって。

 

※ テキストには mamābhavī とあるが、PTS版により mam āgami と読む。

 

10. わたしの、諸々の〔心の〕汚れは焼尽し、一切の〔迷いの〕生存は完破された。象のように結縛を断ち切って、煩悩なき者となり、〔世に〕住む。

 

11. わたしにとって、まさに、善き訪問として存した──わたしにとって、覚者の現前にあることは。三つの明知は獲得され、覚者の教えは為された。

 

12. 四つの融通無礙は〔実証され〕、そして、また、これらの八つの解脱も〔実証された〕。六つの神知は実証され、覚者の教えは為された。

 

 かくのごとく、まさに、尊者エーカヴィハーリカ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──

 

 エーカヴィハーリカ長老の行状が、第一となる。

 

44. 2. エーカサンキヤ長老の行状

 

13. ヴィパッシン世尊のために、大いなる菩提〔樹〕祭が有った。大勢の人たちが集いあつまって、最上の菩提〔樹〕を供養する。

 

14. 〔わたしは思い考えた〕「思うに、まさに、それは、低劣なるものにあらず。最勝の覚者が、〔世に〕有るのだ。すなわち、〔その〕教師の、この菩提〔樹〕が、このようなものとして供養されるべきであるなら」〔と〕。

 

15. そののち、法螺貝を収め取って、菩提樹に奉仕した。終日にわたり、〔法螺貝を〕吹きながら、最上の菩提〔樹〕を敬拝した。

 

16. 近しき〔過去〕において、〔わたしが〕為した行為〔の果〕は、〔わたしを〕天の世に至り得させた。わたしの死体(身体)は、〔天に〕飛び立ち、わたしは、天の世において喜び楽しむ。

 

17. 六万の楽器をもち、満足し欣喜し歓喜した者たちが、常に、わたしに奉仕する。これは、覚者の供養の果である。

 

18. 七十一カッパ〔の過去〕において、〔わたしは〕スダッサナ〔という名〕の王として〔世に〕存した──四辺を征圧する、ジャンブ林のイッサラとして。

 

19. そののち、百の支分ある楽器が、常に、わたしを取り囲む。自らの行為〔の果〕を、〔わたしは〕受領する。これは、奉仕の果である。

 

20. 天〔の神〕たる〔境遇〕に、さらに、人間に、その〔胎〕その胎に再生するなら、母の子宮に赴いた〔わたし〕のためにもまた、常に、諸々の太鼓が奏でられる。

 

21. 正覚者に奉仕して、諸々の成就を受領して、至福に、善き平安に、不死に──〔わたしは〕不動の境処に至り得た者として〔世に〕存している。

 

22. すなわち、〔わたしが〕行為を為した、そのとき、これより、九十一カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、覚者の供養の果である。

 

23. わたしの、諸々の〔心の〕汚れは焼尽し……略……煩悩なき者となり、〔世に〕住む。

 

24. わたしにとって、まさに、善き訪問として存した……略……覚者の教えは為された。

 

25. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。

 

 かくのごとく、まさに、尊者エーカサンキヤ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──

 

 エーカサンキヤ長老の行状が、第二となる。

 

44. 3. パーティヒーラサンニャカ長老の行状

 

26. パドゥムッタラという名の勝者は、諸々の捧げものの納受者たる方は、十万の自在者たちとともに、そのとき、城市に入った。

 

27. 寂静者にして如なる方が、城市に入りつつあると、まさしく、ただちに、諸々の宝玉が光り輝き、轟音が存した。

 

28. 覚者の威力によって、諸々の太鼓は、〔自ら〕打たれ、〔音曲を〕奏でた。諸々の琵琶は、自ら奏でられる──覚者が、都に入りつつあると。

 

29. パドゥムッタラ〔世尊〕を、偉大なる牟尼を、最勝の覚者を、〔わたしは〕礼拝する。そして、神変を見て、そこにおいて、心を浄信させた。

 

30. ああ、覚者なのだ、ああ、法(真理)なのだ、ああ、わたしたちの教師の成就なのだ。諸々の心なき楽器でさえも、まさしく、自ら、奏でられる。

 

31. すなわち、〔わたしが〕表象を得た、そのとき、これより、十万カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、覚者の表象の果である。

 

32. わたしの、諸々の〔心の〕汚れは焼尽し……略……煩悩なき者となり、〔世に〕住む。

 

33. わたしにとって、まさに、善き訪問として存した……略……覚者の教えは為された。

 

34. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。

 

 かくのごとく、まさに、尊者パーティヒーラサンニャカ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──

 

 パーティヒーラサンニャカ長老の行状が、第三となる。

 

44. 4. ニャーナッタヴィカ長老の行状

 

35. カニカーラ〔樹の花〕のように輝いている〔覚者〕を、灯明台のように輝き照らす方を、黄金のように遍照している方を、最上の二足者たる方を、〔わたしは〕見た。

 

36. 長口の水瓶を、そして、樹皮の衣を、瓶を、〔地に〕据え置いて、一つの肩に皮衣を掛けて、わたしは、最勝の覚者を奉賛した。

 

37. 〔わたしは言った〕「闇の暗黒を、迷妄の網の混乱を、砕破しながら、知恵の光明を見示して、偉大なる牟尼よ、〔あなたは〕超脱者として〔世に〕存しています。

 

38. 〔あなたは〕この世〔の人々〕を、一切すべてのものを、無上なるものへと等しく引き上げます。あなたの知恵において、喩えは存在しません──およそ、地上の境遇としてあるかぎりのものは。

 

39. 一切を知る方よ、その知恵によって、かくのごとく、〔あなたは〕『覚者』と呼ばれます。〔わたしは〕敬拝します──あなたを、偉大なる勇者を、一切知者たる方を、妨げなき方を」〔と〕。

 

40. わたしが、最勝の覚者を奉賛した、これより、十万カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、知恵の奉賛の果である。

 

41. わたしの、諸々の〔心の〕汚れは焼尽し……略……煩悩なき者となり、〔世に〕住む。

 

42. わたしにとって、まさに、善き訪問として存した……略……覚者の教えは為された。

 

43. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。

 

 かくのごとく、まさに、尊者ニャーナッタヴィカ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──

 

 ニャーナッタヴィカ長老の行状が、第四となる。

 

44. 5. ウッチュカンディカ長老の行状

 

44. バンドゥマティーの城市において、わたしは、門番として〔世に〕有った。〔わたしは〕見た──〔世俗の〕塵を離れる覚者を、一切の法(事象)の彼岸に至る方を。

 

45. 甘蔗の切れ端を取って、わたしは、最勝の覚者に施した──浄信した心の者となり、悦意の者となり、ヴィパッシン〔世尊〕のために、偉大なる聖賢のために。

 

46. すなわち、〔わたしが〕甘蔗を施した、そのとき、これより、九十一カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、甘蔗の切れ端の果である。

 

47. わたしの、諸々の〔心の〕汚れは焼尽し……略……煩悩なき者となり、〔世に〕住む。

 

48. わたしにとって、まさに、善き訪問として存した……略……覚者の教えは為された。

 

49. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。

 

 かくのごとく、まさに、尊者ウッチュカンディカ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──

 

 ウッチュカンディカ長老の行状が、第五となる。

 

44. 6. カランバダーヤカ長老の行状

 

50. ローマサという名の正覚者は、山間に住する。カランバ〔の球根〕を、彼に施した──浄信した者となり、自らの〔両の〕手で。

 

51. すなわち、〔わたしが〕布施を施した、そのとき、これより、九十四カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、カランバ〔の球根〕の果である。

 

52. わたしの、諸々の〔心の〕汚れは焼尽し……略……煩悩なき者となり、〔世に〕住む。

 

53. わたしにとって、まさに、善き訪問として存した……略……覚者の教えは為された。

 

54. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。

 

 かくのごとく、まさに、尊者カランバダーヤカ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──

 

 カランバダーヤカ長老の行状が、第六となる。

 

44. 7. アンバータカダーヤカ長老の行状

 

55. 森において、覚者を、〔他に依らず〕自ら成る方を、〔一切に〕敗れることなき方を、見て、アンバータカ〔樹の果実〕を収め取って、わたしは、〔他に依らず〕自ら成る方に施した。

 

56. すなわち、〔わたしが〕果実を施した、そのとき、これより、三十一カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、果実の布施の果である。

 

57. わたしの、諸々の〔心の〕汚れは焼尽し……略……煩悩なき者となり、〔世に〕住む。

 

58. わたしにとって、まさに、善き訪問として存した……略……覚者の教えは為された。

 

59. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。

 

 かくのごとく、まさに、尊者アンバータカダーヤカ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──

 

 アンバータカダーヤカ長老の行状が、第七となる。

 

44. 8. ハリータカダーヤカ長老の行状

 

60. ハリータカ〔樹の果実〕を、アーマラカ〔樹の果実〕を、アンバ〔樹〕やジャンブ〔樹〕やヴィビータカ〔樹の果実〕を、棗を、胡桃を、ビッラ〔樹の果実〕を、わたしは、まさしく、自ら、持ち運ぶ。

 

61. 山窟に赴いた、瞑想を喜ぶ瞑想者たる牟尼を見て、病苦に責め苛まれている、伴侶なき偉大なる牟尼を〔見て〕──

 

62. ハリータカ〔樹の果実〕(薬果)を収め取って、わたしは、〔他に依らず〕自ら成る方に施した。薬の咀嚼あるやいなや、まさしく、ただちに、病は静息した。

 

63. 懊悩を捨棄した覚者は、わたしに、随喜を為した。「この薬の布施によって、さらに、病の寂止によって──

 

64. 天〔の神〕と成った者として、あるいは、人間として、あるいは、他の生に生まれたとして、一切所において、安楽ある者と成れ。そして、あなたに、病がやってきてはならない」〔と〕。

 

65. この〔言葉〕を説いて、正覚者は、〔他に依らず〕自ら成る方は、〔一切に〕敗れることなき方は、慧者は、天空へと舞い上がった──鵞鳥の王が、宙に〔赴く〕ように。

 

66. 〔他に依らず〕自ら成る方のために、偉大なる聖賢のために、ハリータカ〔樹の果実〕が施された、そののちは、この生を加え含めて、わたしに、病は生起しなかった。

 

67. これは、わたしにとって最後のものである。生存は、最後のものとして転起する。三つの明知は実証され、覚者の教えは為された。

 

68. 〔わたしが〕薬を施した、そのとき、これより、九十四カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、薬の果である。

 

69. わたしの、諸々の〔心の〕汚れは焼尽し……略……煩悩なき者となり、〔世に〕住む。

 

70. わたしにとって、まさに、善き訪問として存した……略……覚者の教えは為された。

 

71. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。

 

 かくのごとく、まさに、尊者ハリータカダーヤカ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──

 

 ハリータカダーヤカ長老の行状が、第八となる。

 

44. 9. アンバピンディヤ長老の行状

 

72. そのとき、〔わたしは〕象の王として、轅の牙ある巨大なる〔象〕として、〔世に〕存した。〔わたしは〕密林を渡り歩きつつ、世の導き手たる方を見た。

 

73. アンバ〔樹の果〕の塊を収め取って、わたしは、教師に施した。シッダッタ〔世尊〕は、世の導き手たる方は、偉大なる勇者は、〔それを〕納受した。

 

74. わたしが凝視していると、そのとき、勝者は、〔それを〕遍く受益した。そこにおいて、心を浄信させて、わたしは、兜率〔天〕に再生した。

 

75. わたしは、そこから死滅して、わたしは、転輪〔王〕と成った。まさしく、この手段によって、諸々の成就を受領して──

 

76. わたしは、〔刻苦〕精励をもって自己を精励し、寂静なる者となり、依り所なき者となり、一切の煩悩を遍知して、煩悩なき者となり、〔世に〕住む。

 

77. すなわち、〔わたしが〕果実を施した、そのとき、これより、九十四カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、果実の布施の果である。

 

78. わたしの、諸々の〔心の〕汚れは焼尽し……略……煩悩なき者となり、〔世に〕住む。

 

79. わたしにとって、まさに、善き訪問として存した……略……覚者の教えは為された。

 

80. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。

 

 かくのごとく、まさに、尊者アンバピンディヤ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──

 

 アンバピンディヤ長老の行状が、第九となる。

 

44. 10. アンバパリヤ長老の行状

 

81. パドゥムッタラ覚者のために、世の最尊者にして如なる方のために、〔行乞の〕食のために渡り歩いている方のために、最上の福徳を保持している方のために──

 

82. 至高の果実を収め取って、浄信した心で、施与されるべき方に、勇者に、教師に、わたしは施した。

 

83. 二足者のインダたる方よ、世の最尊者にして人の雄牛たる方よ、その行為〔の果〕によって、勝利と敗北を捨棄して、〔わたしは〕不動の境位に至り得た者として〔世に〕存している。

 

84. すなわち、〔わたしが〕布施を施した、そのとき、これより、十万カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、至高の布施の果である。

 

85. わたしの、諸々の〔心の〕汚れは焼尽し……略……煩悩なき者となり、〔世に〕住む。

 

86. わたしにとって、まさに、善き訪問として存した……略……覚者の教えは為された。

 

87. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。

 

 かくのごとく、まさに、尊者アンバパリヤ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──

 

 アンバパリヤ長老の行状が、第十となる。

 

 エーカヴィハーリの章が、第四十四となる。

 

 その〔章〕のための摂頌となる。

 

 〔そこで、詩偈に言う〕「そして、エーカヴィハーリン長老、サンキヤ、パーティヒーラカ、タヴィカ、そして、ウッチュカンディン、カランバとアンバータカダ──

 

 そして、ハリータカとアンバピンディン、第十の行者としてアンバダがあり、分明なる者たちによって、そして、八十六の詩偈が数えられた」〔と〕。

 

45. ヴィビータカの章

 

45. 1. ヴィビータカミンジヤ長老の行状

 

1. カクサンダ〔世尊〕は、偉大なる勇者は、一切の法(事象)の彼岸に至る方は、衆徒から隠棲し、彼は、林間に赴いた。

 

2. わたしは、種の核を収め取って、蔦に結び付けた。その時点において、世尊は、山間において瞑想する。

 

3. わたしは、天の天たる方を見て、浄信した心で、施与されるべき方に、勇者に、わたしは、種の核を施した。

 

4. すなわち、〔わたしが〕核を施した、そのとき、まさしく、このカッパにおいて、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、種の核の果である。

 

5. わたしの、諸々の〔心の〕汚れは焼尽し、一切の〔迷いの〕生存は完破された。象のように結縛を断ち切って、煩悩なき者となり、〔世に〕住む。

 

6. わたしにとって、まさに、善き訪問として存した──わたしにとって、覚者の現前にあることは。三つの明知は獲得され、覚者の教えは為された。

 

7. 四つの融通無礙は〔実証され〕、そして、また、これらの八つの解脱も〔実証された〕。六つの神知は実証され、覚者の教えは為された。

 

 かくのごとく、まさに、尊者ヴィビータカミンジヤ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──

 

 ヴィビータカミンジヤ長老の行状が、第一となる。

 

45. 2. コーラダーヤカ長老の行状

 

8. そのとき、わたしは、皮衣を着衣する者として、樹皮の衣を〔身に〕付ける者として、〔世に有った〕。天秤に棗を満たして、わたしの庵所に運んだ。

 

9. その時において、シキン覚者は、独り、伴侶なき者として〔世に〕有った。全ての時に、〔あるがままに〕知っている方は、わたしの庵所へと近しく赴いた。

 

10. 自らの心を浄信させて、そして、善き掟ある方を敬拝して、両の手を差し出して、わたしは、棗を、覚者に施した。

 

11. すなわち、〔わたしが〕果実を施した、そのとき、これより、三十一カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、棗の布施の果である。

 

12. わたしの、諸々の〔心の〕汚れは焼尽し……略……煩悩なき者となり、〔世に〕住む。

 

13. わたしにとって、まさに、善き訪問として存した……略……覚者の教えは為された。

 

14. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。

 

 かくのごとく、まさに、尊者コーラダーヤカ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──

 

 コーラダーヤカ長老の行状が、第二となる。

 

45. 3. ビッリヤ長老の行状

 

15. チャンダバーガー川の岸辺において、わたしには、美しく作られた庵所がある。諸々のビッラ樹に取り囲まれ、種々なる木々が定着している。

 

16. 善き香りのベールヴァ〔樹〕を見て、最勝の覚者を随念した。天秤に荷を満たして、満足し、畏怖の意図ある者となり──

 

17. カクサンダ〔世尊〕のもとへと近しく赴いて、わたしは、熟したビッラ〔樹の果実〕を施した──功徳の田畑たる勇者のために、浄信した心で。

 

18. すなわち、〔わたしが〕果実を施した、そのとき、まさしく、このカッパにおいて、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、果実の布施の果である。

 

19. わたしの、諸々の〔心の〕汚れは焼尽し……略……煩悩なき者となり、〔世に〕住む。

 

20. わたしにとって、まさに、善き訪問として存した……略……覚者の教えは為された。

 

21. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。

 

 かくのごとく、まさに、尊者ビッリヤ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──

 

 ビッリヤ長老の行状が、第三となる。

 

45. 4. バッラータダーヤカ長老の行状

 

22. 黄金の色艶ある正覚者を、三十二の優れた特相ある方を、森の先端を赴きつつある、咲き誇るサーラ〔樹〕の王のような方を、〔わたしは見た〕。

 

23. 草の敷物を設置して、わたしは、最勝の覚者に乞い求めた。〔わたしは言った〕「覚者は、わたしを慈しみたまえ。行乞〔の施食〕を施すべく、〔わたしは〕求めます」〔と〕。

 

24. 慈しみ〔の思い〕ある方は、慈悲の者たる方は、アッタダッシン〔世尊〕は、偉大なる福徳ある方は、わたしの思惟を了知して、わたしの庵所に降下した。

 

25. 降下して、正覚者は、葉の敷物のうえに坐った。胡桃を収め取って、わたしは、最勝の覚者に施した。

 

26. わたしが凝視していると、そのとき、勝者は、〔それを〕遍く受益した。そこにおいて、心を浄信させて、そのとき、勝者を敬拝した。

 

27. すなわち、〔わたしが〕果実を施した、そのとき、千八百カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、果実の布施の果である。

 

28. わたしの、諸々の〔心の〕汚れは焼尽し……略……煩悩なき者となり、〔世に〕住む。

 

29. わたしにとって、まさに、善き訪問として存した……略……覚者の教えは為された。

 

30. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。

 

 かくのごとく、まさに、尊者バッラータダーヤカ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──

 

 バッラータダーヤカ長老の行状が、第四となる。

 

45. 5. ウッタリプッピヤ長老の行状

 

31. ニグローダ〔樹〕のもと、緑あざやかにして光輝ある、立派に成長した木のもと、〔わたしは〕ウッタリの花飾を差し出して、菩提〔樹〕に献上した。

 

32. すなわち、〔わたしが〕菩提〔樹〕を供養した、まさしく、このカッパにおいて、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、菩提〔樹〕の供養の果である。

 

33. わたしの、諸々の〔心の〕汚れは焼尽し……略……煩悩なき者となり、〔世に〕住む。

 

34. わたしにとって、まさに、善き訪問として存した……略……覚者の教えは為された。

 

35. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。

 

 かくのごとく、まさに、尊者ウッタリプッピヤ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──

 

 ウッタリプッピヤ長老の行状が、第五となる。

 

45. 6. アンバータキヤ長老の行状

 

36. 美しく花ひらいたサーラ〔樹〕の林に入って行って、ヴェッサブー牟尼は、諸々の山の難所に坐った──善き生まれの獅子のように。

 

37. 浄信した心の者となり、悦意の者となり、アンバータカ〔樹の花〕を供養した──無上なる功徳の田畑たる方に、浄信した者となり、自らの〔両の〕手で。

 

38. すなわち、〔わたしが〕花を献上した、これより、三十一カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、覚者の供養の果である。

 

39. わたしの、諸々の〔心の〕汚れは焼尽し……略……煩悩なき者となり、〔世に〕住む。

 

40. わたしにとって、まさに、善き訪問として存した……略……覚者の教えは為された。

 

41. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。

 

 かくのごとく、まさに、尊者アンバータキヤ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──

 

 アンバータキヤ長老の行状が、第六となる。

 

45. 7. シーハーサニカ長老の行状

 

42. パドゥムッタラ世尊のために、一切の生類の益を探し求める方のために、浄信した心の者となり、悦意の者となり、わたしは、獅子の坐を施した。

 

43. 天の世において、あるいは、人間〔の世〕において、そこかしこにおいて、わたしが住するなら、広大なる宮殿を、〔わたしは〕得る。これは、獅子の坐の果である。

 

44. 多くの、黄金で作られているものが、白銀で作られているものが、紅玉で作られているものが、さらに、宝珠で作られているものが──諸々の長椅子が、常に、わたしに発現する。

 

45. 水に生じる最上のものを名とする方のために、菩提〔樹〕のもと、〔獅子の〕坐を作って、高貴の家に、〔わたしは〕生まれる。ああ、法(教え)が見事に法(教え)たることよ。

 

46. わたしが、獅子の坐を作った、これより、十万カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、獅子の坐の果である。

 

47. わたしの、諸々の〔心の〕汚れは焼尽し……略……煩悩なき者となり、〔世に〕住む。

 

48. わたしにとって、まさに、善き訪問として存した……略……覚者の教えは為された。

 

49. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。

 

 かくのごとく、まさに、尊者シーハーサニカ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──

 

 シーハーサニカ長老の行状が、第七となる。

 

45. 8. パーダピーティヤ長老の行状

 

50. スメーダという名の正覚者は、至高の者にして慈悲の者たる牟尼は、多くの有情たちを超え渡らせて、彼は、偉大なる福徳ある方は、完全なる涅槃に到達した者となる。

 

51. スメーダ〔世尊〕の、偉大なる聖賢の、獅子の坐の近隣にて、浄信した心の者となり、悦意の者となり、〔わたしは〕足台を作らせた。

 

52. 安楽の成熟があり、安楽の生成がある、善なる行為を為して、功徳の行為〔の果〕と結び付いた者として、わたしは、三十三〔天〕に赴いた。

 

53. そこにおいて、わたしが住しているなら、功徳の行為〔の果〕を保有する者のために──〔両の〕足を引き上げつつある、わたしのために──諸々の黄金の台が有る。

 

54. 彼らには、諸々の利得がある。まさに、善く得られたものがある。すなわち、〔彼らは、法の〕傾聴を得る。涅槃に到達した方にたいし、為すことを為して、広大なる安楽を得る。

 

55. わたしによってもまた、行為は善く為され、商いは善く従事された。足台を作って、わたしは、黄金の台を得る。

 

56. わたしが、何らかの用事によって、その〔方角〕その方角に、出発するなら、諸々の黄金の台を踏みしめる。これは、功徳の行為の果である。

 

57. すなわち、〔わたしが〕行為を為した、そのとき、三万カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、足台の果である。

 

58. わたしの、諸々の〔心の〕汚れは焼尽し……略……煩悩なき者となり、〔世に〕住む。

 

59. わたしにとって、まさに、善き訪問として存した……略……覚者の教えは為された。

 

60. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。

 

 かくのごとく、まさに、尊者パーダピーティヤ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──

 

 パーダピーティヤ長老の行状が、第八となる。

 

45. 9. ヴェーディカーラカ長老の行状

 

61. パドゥムッタラ世尊の、最上の木である菩提〔樹〕にたいし、見事に作られた欄干を作って、自らの心を浄信させた。

 

62. こののち、諸々の秀逸なる物品が──作られたものも、さらに、作られたものではないものも──空中から雨降ってくる。これは、欄干の果である。

 

63. 両側に軍勢がいる戦場に、〔人を〕恐怖させるところに、跳入しつつあるとして、恐怖と恐ろしさを見ない。これは、欄干の果である。

 

64. わたしの思惟を了知して、美しい宮殿が発現する。諸々の高価なる臥具が〔発現する〕。これは、欄干の果である。

 

65. すなわち、〔わたしが〕欄干を作った、これより、十万カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、欄干の果である。

 

66. わたしの、諸々の〔心の〕汚れは焼尽し……略……煩悩なき者となり、〔世に〕住む。

 

67. わたしにとって、まさに、善き訪問として存した……略……覚者の教えは為された。

 

68. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。

 

 かくのごとく、まさに、尊者ヴェーディカーラカ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──

 

 ヴェーディカーラカ長老の行状が、第九となる。

 

45. 10. ボーディガラダーヤカ長老の行状

 

69. シッダッタ世尊のために、二足者のインダたる如なる方のために、浄信した心の者となり、悦意の者となり、〔わたしは〕菩提〔樹〕の家を作らせた。

 

70. 〔わたしは〕兜率〔天〕に再生した者として〔世に〕存し、宝玉の家に住する。あるいは、寒さは、あるいは、暑さは、わたしに〔見出され〕ない。風は、五体に触れない。

 

71. これより、六十五カッパ〔の過去〕において、わたしは、転輪〔王〕として〔世に〕有った。カーシカという名の城市が、〔わたしに存した〕──ヴィッサカンマ(工芸神)によって造作されたものとして。

 

72. 十ヨージャナの長さと八ヨージャナの幅ある〔城市〕にして、その城市には、木片が、そして、蔓が、土が、存在しない。

 

73. 横に〔一〕ヨージャナとなり、半ヨージャナの幅ある、〔高楼が、わたしに〕存した──マンガラという名の高楼が、ヴィッサカンマによって造作されたものとして。

 

74. 八万四千の黄金で作られている柱が有った。さらに、諸々の宝珠で作られている尖塔が〔有り〕、白銀の天上が有った。

 

75. 全てが黄金で作られている家が、ヴィッサカンマによって造作され、これが、わたしによって居住するところとなった。これは、家の布施の果である。

 

76. 諸々の天と人間の生存を、それらの全てを受領して〔そののち〕、涅槃〔の境処〕に、無上なる寂静の境処に、至り得た者として、〔わたしは〕存している。

 

77. 〔わたしが〕菩提〔樹〕の家を作らせた、三万カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、家の布施の果である。

 

78. わたしの、諸々の〔心の〕汚れは焼尽し……略……煩悩なき者となり、〔世に〕住む。

 

79. わたしにとって、まさに、善き訪問として存した……略……覚者の教えは為された。

 

80. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。

 

 かくのごとく、まさに、尊者ボーディガラダーヤカ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──

 

 ボーディガラダーヤカ長老の行状が、第十となる。

 

 ヴィビータカの章が、第四十五となる。

 

 その〔章〕のための摂頌となる。

 

 〔そこで、詩偈に言う〕「ヴィビータキン、コーラパリン、ビッラとバッラータカッパダ、まさしく、そして、ウッタリとアンバータキン、アーサニン、パーダピータカ──

 

 ヴェーディカ、ボーディガリカがあり、そして、また、諸々の詩偈が数えられ、全てで七十九〔の詩偈〕が、この章において述べ伝えられた」〔と〕。

 

46. ジャガティダーヤカの章

 

46. 1. ジャガティダーヤカ長老の行状

 

1. ダンマダッシン牟尼の、最上の木である菩提〔樹〕にたいし、浄信した心の者となり、悦意の者となり、わたしは、基壇を作らせた。

 

2. わたしは、洞穴から、あるいは、山から、木から、落ち、死滅したとして、立脚するものを見出す。これは、基壇の果である。

 

3. 盗賊たちは、わたしを打ち負かさない。士族たちは、〔わたしを〕軽んじない。一切の朋友ならざる者たちを、〔わたしは〕超え行く。これは、基壇の果である。

 

4. 天〔の神〕たる〔境遇〕に、さらに、人間に、その〔胎〕その胎に再生するなら、一切所において、供養される者と成る。これは、基壇の果である。

 

5. わたしが、基壇を作らせた、千八百カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、基壇の果である。

 

6. わたしの、諸々の〔心の〕汚れは焼尽し、一切の〔迷いの〕生存は完破された。象のように結縛を断ち切って、煩悩なき者となり、〔世に〕住む。

 

7. わたしにとって、まさに、善き訪問として存した──わたしにとって、覚者の現前にあることは。三つの明知は獲得され、覚者の教えは為された。

 

8. 四つの融通無礙は〔実証され〕、そして、また、これらの八つの解脱も〔実証された〕。六つの神知は実証され、覚者の教えは為された。

 

 かくのごとく、まさに、尊者ジャガティダーヤカ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──

 

 ジャガティダーヤカ長老の行状が、第一となる。

 

46. 2. モーラハッティヤ長老の行状

 

9. 孔雀の団扇を収め取って、世の導き手たる方のもとに近しく至った。浄信した心の者となり、悦意の者となり、わたしは、孔雀の団扇を施した。

 

10. この孔雀の団扇によって、さらに、諸々の思欲による誓願によって、三つの火(貪・瞋・痴の三毒)は寂滅し、〔わたしは〕広大なる安楽を得る。

 

11. ああ、覚者なのだ、ああ、法(真理)なのだ、ああ、わたしたちの教師の成就なのだ。わたしは、孔雀の団扇を施して、広大なる安楽を得る。

 

12. わたしの三つの火は寂滅し、一切の〔迷いの〕生存は完破された。一切の煩悩は完全に滅尽し、今や、さらなる生存は存在しない。

 

13. すなわち、〔わたしが〕布施を施した、そのとき、これより、三十一カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、孔雀の団扇の果である。

 

14. わたしの、諸々の〔心の〕汚れは焼尽し……略……煩悩なき者となり、〔世に〕住む。

 

15. わたしにとって、まさに、善き訪問として存した……略……覚者の教えは為された。

 

16. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。

 

 かくのごとく、まさに、尊者モーラハッティヤ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──

 

 モーラハッティヤ長老の行状が、第二となる。

 

46. 3. シーハーサナビージヤ長老の行状

 

17. わたしは、ティッサ世尊の菩提樹を敬拝した。扇を差し出して、そこにおいて、わたしは、獅子の坐を扇いだ。

 

18. わたしが、獅子の坐を扇いだ、これより、九十二カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、扇風の果である。

 

19. わたしの、諸々の〔心の〕汚れは焼尽し……略……煩悩なき者となり、〔世に〕住む。

 

20. わたしにとって、まさに、善き訪問として存した……略……覚者の教えは為された。

 

21. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。

 

 かくのごとく、まさに、尊者シーハーサナビージヤ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──

 

 シーハーサナビージヤ長老の行状が、第三となる。

 

46. 4. ティヌッカダーリヤ長老の行状

 

22. パドゥムッタラ覚者の、最上の木である菩提〔樹〕にたいし、浄信した心の者となり、悦意の者となり、三つの松明を保持した。

 

23. 〔まさに〕その、わたしが、松明を保持した、これより、十万カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、松明の布施の果である。

 

24. わたしの、諸々の〔心の〕汚れは焼尽し……略……煩悩なき者となり、〔世に〕住む。

 

25. わたしにとって、まさに、善き訪問として存した……略……覚者の教えは為された。

 

26. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。

 

 かくのごとく、まさに、尊者ティヌッカダーリヤ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──

 

 ティヌッカダーリヤ長老の行状が、第四となる。

 

46. 5. アッカマナダーヤカ長老の行状

 

27. カクサンダ牟尼のために、〔真の〕婆羅門にして〔梵行の〕完成者たる方のために、昼の休息に行きつつある〔覚者〕のために、わたしは、履物を施した。

 

28. すなわち、〔わたしが〕布施を施した、そのとき、まさしく、このカッパにおいて、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、履物の果である。

 

29. わたしの、諸々の〔心の〕汚れは焼尽し……略……煩悩なき者となり、〔世に〕住む。

 

30. わたしにとって、まさに、善き訪問として存した……略……覚者の教えは為された。

 

31. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。

 

 かくのごとく、まさに、尊者アッカマナダーヤカ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──

 

 アッカマナダーヤカ長老の行状が、第五となる。

 

46. 6. ヴァナコーランディヤ長老の行状

 

32. シッダッタ世尊のために、世の最尊者にして如なる方のために、林のコーランダ〔樹の花〕を取って、覚者に献上した。

 

33. すなわち、〔わたしが〕花を献上した、これより、九十四カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、覚者の供養の果である。

 

34. わたしの、諸々の〔心の〕汚れは焼尽し……略……煩悩なき者となり、〔世に〕住む。

 

35. わたしにとって、まさに、善き訪問として存した……略……覚者の教えは為された。

 

36. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。

 

 かくのごとく、まさに、尊者ヴァナコーランディヤ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──

 

 ヴァナコーランディヤ長老の行状が、第六となる。

 

 〔以上が〕第二十の朗読分となる。

 

46. 7. エーカチャッティヤ長老の行状

 

37. 地は、炭火が生じ、大地は、熱灰が従い行くところとなる。パドゥムッタラ世尊は、野外において歩行〔瞑想〕をした。

 

38. わたしは、白の傘蓋を取って、旅〔の道〕を行った。そこにおいて、正覚者を見て、歓悦〔の思い〕が、わたしに生起した。

 

39. 地上は、陽炎に覆われ、この大地は、炭火のようである。諸々の大風が、〔覚者を〕打ち砕き、〔覚者の〕肉体には、諸々の動乱が存した。

 

40. 〔わたしは言った〕「寒さと暑さを打ち払いながら、熱風の防護となる、この傘蓋を納受したまえ。〔わたしは〕寂滅〔の境処〕を体得するでしょう」〔と〕。

 

41. 慈しみ〔の思い〕ある方は、慈悲の者たる方は、パドゥムッタラ〔世尊〕は、偉大なる福徳ある方は、わたしの思惟を了知して、そのとき、勝者は、〔それを〕納受した。

 

42. 三十カッパのあいだ、天のインダとして、天の王権を為した。そして、五百回、わたしは、転輪〔王〕と成った。

 

43. 数〔の観点〕からは数えようもない、広大なる地域の王権を〔為した〕。過去における自己の善行〔の果〕を、自らの行為〔の果〕を、〔わたしは〕受領する。

 

44. これは、わたしの最後の生である。生存は、最後のものとして転起する。今日もまた、わたしのために、白の傘蓋が、全ての時に保持される。

 

45. すなわち、〔わたしが〕傘蓋を施した、そのとき、これより、十万カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。傘蓋の布施の果である。

 

46. わたしの、諸々の〔心の〕汚れは焼尽し……略……煩悩なき者となり、〔世に〕住む。

 

47. わたしにとって、まさに、善き訪問として存した……略……覚者の教えは為された。

 

48. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。

 

 かくのごとく、まさに、尊者エーカチャッティヤ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──

 

 エーカチャッティヤ長老の行状が、第七となる。

 

46. 8. ジャーティプッピヤ長老の行状

 

49. パドゥムッタラ世尊が、偉大なる福徳ある方が、完全なる涅槃に到達したとき、諸々の花の頭飾を作って、〔覚者の〕肉体に献上した。

 

50. そこにおいて、心を浄信させて、わたしは、化作〔天〕に赴いた。天の世に赴き、〔そこに〕存しつつ、わたしは、功徳の行為を思念する。

 

51. 宙から花の雨が、わたしのために、全ての時に降る。もし、人間〔の世〕において輪廻するなら、大いなる福徳ある王と成る。

 

52. そこにおいて、花の雨が、わたしのために、一切時に降り注ぐ。一切を見る方のための、まさしく、かれのための、花の供養に由縁して。

 

53. これは、わたしにとって最後のものである。生存は、最後のものとして転起する。今日もまた、花の雨が、わたしのために、一切時に降り注ぐ。

 

54. すなわち、〔わたしが〕花を献上した、これより、十万カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、〔覚者の〕肉身の供養の果である。

 

55. わたしの、諸々の〔心の〕汚れは焼尽し……略……煩悩なき者となり、〔世に〕住む。

 

56. わたしにとって、まさに、善き訪問として存した……略……覚者の教えは為された。

 

57. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。

 

 かくのごとく、まさに、尊者ジャーティプッピヤ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──

 

 ジャーティプッピヤ長老の行状が、第八となる。

 

46. 9. パッティプッピヤ長老の行状

 

58. 〔覚者の〕肉体が運び出され、諸々の太鼓が奏でられるなか、浄信した心の者となり、悦意の者となり、パッティの花を供養した。

 

59. すなわち、〔わたしが〕花を供養した、これより、十万カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。〔覚者の〕肉身の供養の果である。

 

60. わたしの、諸々の〔心の〕汚れは焼尽し……略……煩悩なき者となり、〔世に〕住む。

 

61. わたしにとって、まさに、善き訪問として存した……略……覚者の教えは為された。

 

62. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。

 

 かくのごとく、まさに、尊者パッティプッピヤ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──

 

 パッティプッピヤ長老の行状が、第九となる。

 

46. 10. ガンダプージャカ長老の行状

 

63. 〔諸々の薪が〕積まれ、〔人々が荼毘の薪山を〕作りながら、種々なる香料が集められたとき、浄信した心の者となり、悦意の者となり、ひと握りの香料を供養した。

 

64. すなわち、〔わたしが〕荼毘の薪山を供養した、これより、十万カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、荼毘の薪山の供養の果である。

 

65. わたしの、諸々の〔心の〕汚れは焼尽し……略……煩悩なき者となり、〔世に〕住む。

 

66. わたしにとって、まさに、善き訪問として存した……略……覚者の教えは為された。

 

67. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。

 

 かくのごとく、まさに、尊者ガンダプージャカ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──

 

 ガンダプージャカ長老の行状が、第十となる。

 

 ジャガティダーヤカの章が、第四十六となる。

 

 その〔章〕のための摂頌となる。

 

 〔そこで、詩偈に言う〕「ジャガティン、そして、モーラハッティン、アーサニン、ウッカダーラカ、アッカミ、ヴァナコーランディ、チャッタダ、ジャーティプージャカ──

 

 そして、すなわち、パッティプッピン長老、第十のものとしてガンダプージャカがあり、そして、分明なる者たちによって、六十七の詩偈が数えられた」〔と〕。

 

47. サーラクスミヤの章

 

47. 1. サーラクスミヤ長老の行状

 

1. 〔パドゥムッタラ〕世尊が、水に生じる最上のものを名とする方が、完全なる涅槃に到達し、荼毘の薪山に載せられたとき、サーラ〔樹〕の花を供養した。

 

2. すなわち、〔わたしが〕花を献上した、これより、十万カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、荼毘の薪山の供養の果である。

 

3. わたしの、諸々の〔心の〕汚れは焼尽し、一切の〔迷いの〕生存は完破された。象のように結縛を断ち切って、煩悩なき者となり、〔世に〕住む。

 

4. わたしにとって、まさに、善き訪問として存した──わたしにとって、覚者の現前にあることは。三つの明知は獲得され、覚者の教えは為された。

 

5. 四つの融通無礙は〔実証され〕、そして、また、これらの八つの解脱も〔実証された〕。六つの神知は実証され、覚者の教えは為された。

 

 かくのごとく、まさに、尊者サーラクスミヤ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──

 

 サーラクスミヤ長老の行状が、第一となる。

 

47. 2. チタカプージャカ長老の行状

 

6. 燃やされている、シキン世尊のために、世の眷属たる方のために、八つのチャンパカの花を、荼毘の薪山に献上した。

 

7. すなわち、〔わたしが〕花を献上した、これより、三十一カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、荼毘の薪山の供養の果である。

 

8. わたしの、諸々の〔心の〕汚れは焼尽し……略……煩悩なき者となり、〔世に〕住む。

 

9. わたしにとって、まさに、善き訪問として存した……略……覚者の教えは為された。

 

10. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。

 

 かくのごとく、まさに、尊者チタカプージャカ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──

 

 チタカプージャカ長老の行状が、第二となる。

 

47. 3. チタカニッバーパカ長老の行状

 

11. ヴェッサブー〔世尊〕の、偉大なる聖賢の、肉体が焼かれているとき、香りある水を汲んで、わたしは、荼毘〔の薪山の火〕を消した。

 

12. わたしが、荼毘〔の薪山の火〕を消した、これより、三十一カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、香りある水の果である。

 

13. わたしの、諸々の〔心の〕汚れは焼尽し……略……煩悩なき者となり、〔世に〕住む。

 

14. わたしにとって、まさに、善き訪問として存した……略……覚者の教えは為された。

 

15. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。

 

 かくのごとく、まさに、尊者チタカニッバーパカ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──

 

 チタカニッバーパカ長老の行状が、第三となる。

 

47. 4. セートゥダーヤカ長老の行状

 

16. 歩行〔瞑想〕をしているヴィパッシン世尊の面前にて、浄信した心の者となり、悦意の者となり、わたしは、橋を作成した。

 

17. すなわち、わたしが、橋を作らせた、これより、九十一カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、橋の布施の果である。

 

18. わたしの、諸々の〔心の〕汚れは焼尽し……略……煩悩なき者となり、〔世に〕住む。

 

19. わたしにとって、まさに、善き訪問として存した……略……覚者の教えは為された。

 

20. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。

 

 かくのごとく、まさに、尊者セートゥダーヤカ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──

 

 セートゥダーヤカ長老の行状が、第四となる。

 

47. 5. スマナターラヴァンティヤ長老の行状

 

21. シッダッタ世尊のために、わたしは、ターラ〔樹〕の扇を施した。諸々のスマナ〔の花〕によって覆われた大いなる福徳ある〔扇〕を、〔覚者のために〕保持する。

 

22. わたしが、ターラ〔樹〕の扇を施した、これより、九十四カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、ターラ〔樹〕の扇の果である。

 

23. わたしの、諸々の〔心の〕汚れは焼尽し……略……煩悩なき者となり、〔世に〕住む。

 

24. わたしにとって、まさに、善き訪問として存した……略……覚者の教えは為された。

 

25. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。

 

 かくのごとく、まさに、尊者スマナターラヴァンティヤ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──

 

 スマナターラヴァンティヤ長老の行状が、第五となる。

 

47. 6. アヴァタパリヤ長老の行状

 

26. サタランシという名の世尊は、〔他に依らず〕自ら成る方は、〔一切に〕敗れることなき方は、遠離を欲する正覚者は、托鉢のために出た。

 

27. 〔覚者を〕見て、わたしは、果実を手に、人の雄牛たる方のもとへと近しく赴いた。浄信した心の者となり、悦意の者となり、アヴァタ〔樹〕の果実を施した。

 

28. すなわち、〔わたしが〕果実を施した、そのとき、これより、九十四カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、果実の布施の果である。

 

29. わたしの、諸々の〔心の〕汚れは焼尽し……略……煩悩なき者となり、〔世に〕住む。

 

30. わたしにとって、まさに、善き訪問として存した……略……覚者の教えは為された。

 

31. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。

 

 かくのごとく、まさに、尊者アヴァタパリヤ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──

 

 アヴァタパリヤ長老の行状が、第六となる。

 

47. 7. ラブジャパラダーヤカ長老の行状

 

32. バンドゥマティーの城市において、そのとき、わたしは、園丁として〔世に有った〕。〔わたしは〕見た──〔世俗の〕塵を離れる覚者を、〔天高く〕曲がりなき風のなかを赴きつつある〔覚者〕を。

 

33. ラブジャ〔樹〕の果実を取って、わたしは、最勝の覚者に施した。まさしく、虚空において止住し、〔そのように〕存しつつ、偉大なる福徳ある方は、〔それを〕納受した──

 

34. わたしに歓悦〔の思い〕を生み、所見の法(現世)における安楽をもたらす方として。〔ラブジャ樹の〕果実を、覚者に施して、浄信した心で──

 

35. そのとき、〔わたしは〕喜悦〔の思い〕に到達した──広大なる最上の安楽に。そこかしこにおいて、〔わたしが〕発現したなら、まさしく、宝玉が生起する。

 

36. すなわち、〔わたしが〕果実を施した、そのとき、これより、九十一カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、果実の布施の果である。

 

37. わたしの、諸々の〔心の〕汚れは焼尽し……略……煩悩なき者となり、〔世に〕住む。

 

38. わたしにとって、まさに、善き訪問として存した……略……覚者の教えは為された。

 

39. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。

 

 かくのごとく、まさに、尊者ラブジャパラダーヤカ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──

 

 ラブジャパラダーヤカ長老の行状が、第七となる。

 

47. 8. ピラッカパラダーヤカ長老の行状

 

40. 林の外れにおいて、アッタダッシン〔世尊〕を、偉大なる福徳ある方を、覚者を、見て、浄信した心の者となり、悦意の者となり、ピラッカ〔樹〕の果実を施した。

 

41. すなわち、〔わたしが〕果実を施した、そのとき、千八百カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、果実の布施の果である。

 

42. わたしの、諸々の〔心の〕汚れは焼尽し……略……煩悩なき者となり、〔世に〕住む。

 

43. わたしにとって、まさに、善き訪問として存した……略……覚者の教えは為された。

 

44. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。

 

 かくのごとく、まさに、尊者ピラッカパラダーヤカ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──

 

 ピラッカパラダーヤカ長老の行状が、第八となる。

 

47. 9. サヤンパティバーニヤ長老の行状

 

45. カクダ〔樹〕のように輝いている方を、天の天たる方を、人の雄牛たる方を、道を行きつつある〔覚者〕を、見て〔そののち〕、誰が、浄信しないというのだろう。

 

46. 闇の暗黒を滅ぼして、多くの人々を〔彼岸へと〕超え渡らせて、知恵の光明によって輝いている〔覚者〕を、見て〔そののち〕、誰が、浄信しないというのだろう。

 

47. 十万の自在者たちとともに招かれ行く世の導き手たる方を、多くの有情たちを引き上げている〔覚者〕を、見て〔そののち〕、誰が、浄信しないというのだろう。

 

48. 法(教え)の太鼓を打ちながら、異教の衆徒たちを撃破しつつ、獅子吼を吼え叫んでいる〔覚者〕を、見て〔そののち〕、誰が、浄信しないというのだろう。

 

49. 梵の世に至るまでの、梵〔天〕を含む〔天の神々〕たちがやってきて、諸々の精緻なる問いを、〔覚者に〕尋ねる。〔これを〕見て〔そののち〕、誰が、浄信しないというのだろう。

 

50. 彼のために、合掌を為して、天を含む〔世の人々〕が乞い求めるなら、それによって、〔彼らは〕功徳を受領する。〔これを〕見て〔そののち〕、誰が、浄信しないというのだろう。

 

51. 全ての人たちが集いあつまって、眼ある方を等しく取り囲む。要請された〔覚者〕は、〔何であれ〕動揺しない。〔これを〕見て〔そののち〕、誰が、浄信しないというのだろう。

 

52. 彼が、城市に入りつつあるなら、多くの太鼓が響き渡り、発情した象たちが吼え叫ぶ。〔これを〕見て〔そののち〕、誰が、浄信しないというのだろう。

 

53. 彼が、道を赴きつつあるなら、常に、全ての光が輝き、〔全ての窪みが〕隆起し、平坦と成る。〔これを〕見て〔そののち〕、誰が、浄信しないというのだろう。

 

54. 弁じている覚者の〔声は〕、チャッカ・ヴァーラ(輪囲山・鉄囲山:世界の周辺にあって世界を囲んでいる山)にまでも伝え聞かれ、全ての有情たちに〔その声を〕識知させる。〔これを〕見て〔そののち〕、誰が、浄信しないというのだろう。

 

55. すなわち、〔わたしが〕覚者を賛じ称えた、これより、十万カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、賛じ称えの果である。

 

56. わたしの、諸々の〔心の〕汚れは焼尽し……略……煩悩なき者となり、〔世に〕住む。

 

57. わたしにとって、まさに、善き訪問として存した……略……覚者の教えは為された。

 

58. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。

 

 かくのごとく、まさに、尊者サヤンパティバーニヤ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──

 

 サヤンパティバーニヤ長老の行状が、第九となる。

 

47. 10. ニミッタブヤーカラニヤ長老の行状

 

59. ヒマヴァントに深く分け入って、そのとき、諸々の呪文の言葉を敬する者として〔世に有った〕。五万四千の徒弟たちが、わたしに奉仕した。

 

60. 全ての者たちが、ヴェーダの奥義に至る学得者たちであり、六つの支分ある〔ヴェーダの補助学〕における完全態に至った者たちである。彼らは、自らの呪術に支えられ、ヒマヴァントに住する。

 

61. 天子として〔世に有った〕、偉大なる福徳ある方は、兜率〔天〕の衆から死滅して、母の子宮に生起した──正知と気づきの者として。

 

62. 正覚者が再生しつつあるとき、一万〔回〕、〔大地は〕揺れ動いた。〔世の〕導き手たる方が生起しつつあるとき、盲者たちは眼を得た。

 

63. この大地の全部が、一切の行相に揺れ動いた。〔その〕轟音の声を聞いて、大勢の人たちが戦慄した。

 

64. 全ての人たちが集いあつまって、わたしの現前にやってきた。〔彼らが言った〕「この大地が揺れ動きました。どのような報いが有るのでしょう」〔と〕。

 

65. そのとき、〔わたしは〕彼らに言った。〔わたしは言った〕「恐れてはいけない。あなたたちにとって、恐れることは存在しない。〔あなたたちは〕全てもろともに、信頼ある者たちと成りなさい(安心しなさい)。この天変は、安穏なるものである。

 

66. 八つの因との接触があると、この大地は揺れ動く。そのように、諸々の形相が見られ、広大にして大いなる光輝がある。

 

67. 疑念〔の余地〕なく、最勝の覚者が、眼ある方が、〔世に〕生起するであろう」〔と〕。わたしは、人民を説得して、五つの戒のことを言説した。

 

68. 五つの戒のことを聞いて、さらに、得難き覚者の生起のことを〔聞いて〕、彼らは、満足し欣喜し、〔心に〕戦慄を生じ、悦意の者たちと成った。

 

69. すなわち、〔わたしが〕形相を説き明かした、これより、九十二カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、説き明かしの果である。

 

70. わたしの、諸々の〔心の〕汚れは焼尽し……略……煩悩なき者となり、〔世に〕住む。

 

71. わたしにとって、まさに、善き訪問として存した……略……覚者の教えは為された。

 

72. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。

 

 かくのごとく、まさに、尊者ニミッタブヤーカラニヤ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──

 

 ニミッタブヤーカラニヤ長老の行状が、第十となる。

 

 サーラクスミヤの章が、第四十七となる。

 

 その〔章〕のための摂頌となる。

 

 〔そこで、詩偈に言う〕「サーラクスミヤ長老、供養、そして、また、ニッバーパカ、セートゥダ、そして、ターラヴァンティン、アヴァタとラブジャッパダ──

 

 そして、ピラッカとパティバーニン、二生の者(婆羅門)たるヴェイヤーカラニヤがあり、分明なる者たちによって、そして、七十二の詩偈が数えられた」〔と〕。

 

48. ナラマーリの章

 

48. 1. ナラマーリヤ長老の行状

 

1. 黄金の色艶ある正覚者を、諸々の捧げものの納受者たる方を、森の先端を赴きつつある、世の導き手たる方を、〔わたしは〕見た。

 

2. 葦の花飾を収め取って、そして、まさしく、ただちに、〔外に〕出つつ、そこにおいて、〔わたしは〕見た──正覚者を、激流を超え渡った煩悩なき方を。

 

3. 浄信した心の者となり、悦意の者となり、葦の花飾を供養した──施与されるべき方に、偉大なる勇者に、一切の世〔の人々〕に慈しみ〔の思い〕ある方に。

 

4. すなわち、〔わたしが〕花飾を献上した、これより、三十一カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、覚者の供養の果である。

 

5. わたしの、諸々の〔心の〕汚れは焼尽し、一切の〔迷いの〕生存は完破された。象のように結縛を断ち切って、煩悩なき者となり、〔世に〕住む。

 

6. わたしにとって、まさに、善き訪問として存した──わたしにとって、覚者の現前にあることは。三つの明知は獲得され、覚者の教えは為された。

 

7. 四つの融通無礙は〔実証され〕、そして、また、これらの八つの解脱も〔実証された〕。六つの神知は実証され、覚者の教えは為された。

 

 かくのごとく、まさに、尊者ナラマーリヤ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──

 

 ナラマーリヤ長老の行状が、第一となる。

 

48. 2. マニプージャカ長老の行状

 

8. パドゥムッタラという名の勝者は、一切の法(事象)の彼岸に至る方は、遠離を欲する正覚者は、〔天高く〕曲がりなき風のなかを赴く。

 

9. ヒマヴァントの遠からざるところ、大いなる天然の湖が有った。そこにおいて、わたしの居所が存した──功徳の行為〔の果〕と結び付いたものとして。

 

10. 居所から出て、〔わたしは〕見た──世の導き手たる方を、青蓮のように光り輝く方を、献火のように燃え盛る方を。

 

11. 「〔世の〕導き手たる方を供養するのだ」と、〔花を〕尋ね求めつつ、〔わたしは〕花を見なかった。自らの心を浄信させて、わたしは、教師を敬拝した。

 

12. わたしの頭にある宝珠を収め取って、世の導き手たる方を供養した。「この宝珠の供養によって、報いは、幸いなるものと成れ」〔と〕。

 

13. パドゥムッタラ〔世尊〕は、世〔の一切〕を知る方は、諸々の捧げものの納受者たる方は、教師は、空中に止住し、この詩偈を語った。

 

14. 〔パドゥムッタラ世尊は言った〕「〔まさに〕その、あなたの思惟は実現せよ。広大なる安楽を得よ。この宝珠の供養によって、大いなる福徳を受領せよ」〔と〕。

 

15. この〔言葉〕を説いて、世尊は、水に生じる最上のものを名とする方は、最勝の覚者は、去り行った──すなわち、心を向けたところに。

 

16. 六十カッパのあいだ、天のインダとして、天の王権を為した。そして、幾百回、わたしは、転輪〔王〕と成った。

 

17. 過去の行為を思念していると、天〔の神〕と成り、〔そのように〕存している、わたしのために、宝珠が、わたしに発現する──光明を作り為すものとして、わたしのために。

 

18. わたしの遍く収め取るところとして八万六千の女たちが、様々な彩りの衣装と装飾品をまとい、宝珠の耳飾を付けた者たちが──

 

19. 濃い睫毛ある、明朗なる者たちが、善き表象ある、体躯の均整なる者たちが、常に、わたしを取り囲む。これは、宝珠の供養の果である。

 

20. 黄金で作られているものが、宝珠で作られているものが、そのように、紅玉で作られているものが、諸々の美しく作られた物品が、わたしに有り、求めたとおりに、諸々の装飾品が〔発現する〕。

 

21. 諸々の楼閣が、諸々の喜ばしき家が、さらに、高価なる臥具が、わたしの思惟を了知して、求めるままに発現する。

 

22. 彼らには、諸々の利得がある。さらに、善く得られたものがある。すなわち、〔彼らは、法の〕傾聴を得る──人間たちにとっての功徳の田畑を、全ての命ある者たちにとっての薬を。

 

23. わたしにもまた、善行の行為〔の果〕がある。すなわち、わたしは、〔世の〕導き手たる方を見たのだ。〔わたしは〕堕所から解き放たれた者として〔世に〕存している。〔わたしは〕不動の境処に至り得た者として〔世に〕存している。

 

24. 天〔の神〕たる〔境遇〕に、さらに、人間に、その〔胎〕その胎に再生するなら、まさしく、そして、昼に、さらに、夜に、わたしには、常に、光明が有る。

 

25. まさしく、その宝珠の供養によって、諸々の成就を受領して〔そののち〕、わたしによって、知恵の光明が見られた。〔わたしは〕不動の境処に至り得た者として〔世に〕存している。

 

26. すなわち、〔わたしが〕宝珠を供養した、これより、十万カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、宝珠の供養の果である。

 

27. わたしの、諸々の〔心の〕汚れは焼尽し……略……煩悩なき者となり、〔世に〕住む。

 

28. わたしにとって、まさに、善き訪問として存した……略……覚者の教えは為された。

 

29. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。

 

 かくのごとく、まさに、尊者マニプージャカ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──

 

 マニプージャカ長老の行状が、第二となる。

 

48. 3. ウッカーサティカ長老の行状

 

30. コーシヤという名の世尊は、そのとき、チッタクータ〔山〕に住した。瞑想を喜ぶ瞑想者たる覚者として、遠離を喜ぶ牟尼として。

 

31. ヒマヴァントに深く分け入って、女たちの群れに囲まれ、〔わたしは〕見た──満月の月のようなコーシヤ覚者を。

 

32. 百の松明を収め取って、そのとき、わたしは、〔覚者を〕取り囲んだ。七つの夜と昼のあいだ、〔松明を〕据え置いて、第八〔日〕に、わたしは去り行った。

 

33. 〔禅定から〕出起したコーシヤ覚者を、〔他に依らず〕自ら成る方を、〔一切に〕敗れることなき方を、浄信した心の者となり、敬拝して〔そののち〕、わたしは、一なる行乞〔の施食〕を施した。

 

34. 二足者のインダたる方よ、世の最尊者にして人の雄牛たる方よ、その行為〔の果〕によって、〔わたしは〕兜率〔天〕の衆のうちに生起した。これは、一なる行乞〔の施食〕の果である。

 

35. まさしく、そして、昼に、さらに、夜に、わたしには、常に、光明が有る。百ヨージャナの遍きにわたり、わたしは、光輝によって充満する。

 

36. 五十五カッパ〔の過去〕において、わたしは、転輪〔王〕として〔世に〕有った──四辺を征圧する、ジャンブ林のイッサラとして。

 

37. そのとき、わたしには、繁栄し、興隆する、美しく化作された城市が存した──長さとして三十ヨージャナの、そして、幅として二十〔ヨージャナ〕の──

 

38. ソーバナという名の城市が、ヴィッサカンマ(工芸神)によって造作されたものとして。その〔城市〕は、十〔種〕の音声から遠離せず、遍きにわたり、ターラ〔樹〕が定植されている。

 

39. その城市においては、蔓が、そして、木片が、土が、存在しない。まさしく、全てが黄金で作られている〔城市〕は、常時に輝く。

 

40. 〔城市は〕四つの城壁に遍く囲まれ、そして、中央には、三つの宝珠で作られているターラ〔樹〕の並木が存した──ヴィッサカンマによって造作されたものとして。

 

41. 一万の蓮池があり、諸々の赤蓮や青蓮に覆い隠され、諸々の白蓮に等しく覆われ、種々なる香りが漂っている。

 

42. すなわち、わたしが、松明を保持した、これより、九十四カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、松明の保持の果である。

 

43. わたしの、諸々の〔心の〕汚れは焼尽し……略……煩悩なき者となり、〔世に〕住む。

 

44. わたしにとって、まさに、善き訪問として存した……略……覚者の教えは為された。

 

45. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。

 

 かくのごとく、まさに、尊者ウッカーサティカ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──

 

 ウッカーサティカ長老の行状が、第三となる。

 

48. 4. スマナビージャニヤ長老の行状

 

46. ヴィパッシン世尊の、最上の木である菩提〔樹〕にたいし、悦意の者となり、扇を掴んで、最上の菩提〔樹〕を扇いだ。

 

47. 〔わたしが〕最上の菩提〔樹〕を扇いだ、これより、九十一カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、扇の果である。

 

48. わたしの、諸々の〔心の〕汚れは焼尽し……略……煩悩なき者となり、〔世に〕住む。

 

49. わたしにとって、まさに、善き訪問として存した……略……覚者の教えは為された。

 

50. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。

 

 かくのごとく、まさに、尊者スマナビージャニヤ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──

 

 スマナビージャニヤ長老の行状が、第四となる。

 

48. 5. クンマーサダーヤカ長老の行状

 

51. 〔食を〕探し求めるために歩んでいる、ヴィパッシン〔世尊〕の、偉大なる聖賢の、空の鉢を見て、わたしは、粥を満たした。

 

52. すなわち、〔わたしが〕行乞〔の施食〕を施した、そのとき、これより、九十一カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、粥の果である。

 

53. わたしの、諸々の〔心の〕汚れは焼尽し……略……煩悩なき者となり、〔世に〕住む。

 

54. わたしにとって、まさに、善き訪問として存した……略……覚者の教えは為された。

 

55. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。

 

 かくのごとく、まさに、尊者クンマーサダーヤカ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──

 

 クンマーサダーヤカ長老の行状が、第五となる。

 

48. 6. クサッタカダーヤカ長老の行状

 

56. カッサパ〔世尊〕のために、〔真の〕婆羅門にして〔梵行の〕完成者たる方のために、浄信した心の者となり、悦意の者となり、わたしは、八なる草を施した。

 

57. わたしが、八なる草を施した、まさしく、このカッパにおいて、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、八なる草の果である。

 

58. わたしの、諸々の〔心の〕汚れは焼尽し……略……煩悩なき者となり、〔世に〕住む。

 

59. わたしにとって、まさに、善き訪問として存した……略……覚者の教えは為された。

 

60. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。

 

 かくのごとく、まさに、尊者クサッタカダーヤカ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──

 

 クサッタカダーヤカ長老の行状が、第六となる。

 

48. 7. ギリプンナーギヤ長老の行状

 

61. ソービタという名の正覚者は、そのとき、チッタクータ〔山〕に住した。ギリプンナーガ〔の花〕を収め取って、〔他に依らず〕自ら成る方を供養した。

 

62. すなわち、〔わたしが〕覚者を供養した、これより、九十四カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、覚者の供養の果である。

 

63. わたしの、諸々の〔心の〕汚れは焼尽し……略……煩悩なき者となり、〔世に〕住む。

 

64. わたしにとって、まさに、善き訪問として存した……略……覚者の教えは為された。

 

65. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。

 

 かくのごとく、まさに、尊者ギリプンナーギヤ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──

 

 ギリプンナーギヤ長老の行状が、第七となる。

 

48. 8. ヴァッリカーラパラダーヤカ長老の行状

 

66. スマナという名の正覚者は、そのとき、タッカラーに住した。ヴァッリカーラ〔樹〕の果実を収め取って、わたしは、〔他に依らず〕自ら成る方に施した。

 

67. すなわち、〔わたしが〕果実を施した、そのとき、これより、三十一カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、果実の布施の果である。

 

68. わたしの、諸々の〔心の〕汚れは焼尽し……略……煩悩なき者となり、〔世に〕住む。

 

69. わたしにとって、まさに、善き訪問として存した……略……覚者の教えは為された。

 

70. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。

 

 かくのごとく、まさに、尊者ヴァッリカーラパラダーヤカ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──

 

 ヴァッリカーラパラダーヤカ長老の行状が、第八となる。

 

48. 9. パーナディダーヤカ長老の行状

 

71. アノーマダッシン世尊は、世の最尊者にして人の雄牛たる方は、昼の休息から出て、眼ある方は、道を登った。

 

72. わたしは、見事に作られた履物を携えて、旅〔の道〕を行った。そこにおいて、〔わたしは〕見た──正覚者を、徒歩になり〔道を行く〕典雅なる見た目ある方を。

 

73. 自らの心を浄信させて、履物を取り出して、〔覚者の〕足元に据え置いて、この言葉を説いた。

 

74. 〔わたしは言った〕「偉大なる勇者よ、善き至達者にしてインダたる方よ、〔世の〕導き手たる方よ、履きたまえ。これより、〔わたしは〕果を得るでしょう。わたしの、その義(利益)は、等しく実現せよ」〔と〕。

 

75. アノーマダッシン世尊は、世の最尊者にして人の雄牛たる方は、履物を履いて、この言葉を説いた。

 

76. 〔アノーマダッシン世尊は言った〕「彼は、履物を、わたしに施しました──浄信した者となり、自らの〔両の〕手で。わたしは、彼を賛じ称えましょう。〔それを〕語る、わたしの〔言葉を〕聞きなさい」〔と〕。

 

77. 覚者の声を了知して、全ての天〔の神々〕たちが集いあつまり、勇躍する心の者たちとなり、悦意の者たちとなる──感嘆〔の思い〕を生じ、合掌を為し。

 

78. 〔アノーマダッシン世尊は言った〕「〔両の〕履物の布施によって、この者は、安楽ある者と成るでしょう。そして、五十五回、天の王権を為すでしょう。

 

79. そして、千回、転輪王と成るでしょう。数〔の観点〕からは数えようもない、広大なる地域の王権を〔為すでしょう〕。

 

80. これより、量るべくもないカッパ〔の未来〕において、オッカーカの家系を発生とし、姓としては、ゴータマという名の教師が、世に有るでしょう。

 

81. 彼の、諸々の法(教え)における、相続者として、正嫡として、法(教え)によって化作された者として、一切の煩悩を遍知して、煩悩なき者となり、涅槃に到達するでしょう。

 

82. 天の世において、あるいは、人間〔の世〕において、智慧ある者として発現するでしょう。天の乗物に相似する乗物を獲得するでしょう」〔と〕。

 

83. 諸々の高楼が、駕篭が、輿が、〔装いを〕十二分に作り為した象たちが、あるいは、諸々の良馬を繋いだ車が、常に、わたしに出現する。

 

84. 家から出つつあるもまた、わたしは、車によって出た。諸々の髪が切られているとき、〔わたしは〕阿羅漢の資質に至り得た。

 

85. わたしには、諸々の利得がある。わたしには、善く得られたものがある。〔わたしの〕商いは、善く従事された。一なる履物を施して、〔わたしは〕不動の境処に至り得た者として〔世に〕存している。

 

86. すなわち、わたしが、履物を施した、これより、量るべくもないカッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、履物の果である。

 

87. わたしの、諸々の〔心の〕汚れは焼尽し……略……煩悩なき者となり、〔世に〕住む。

 

88. わたしにとって、まさに、善き訪問として存した……略……覚者の教えは為された。

 

89. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。

 

 かくのごとく、まさに、尊者パーナディダーヤカ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──

 

 パーナディダーヤカ長老の行状が、第九となる。

 

48. 10. プリナチャンカミヤ長老の行状

 

90. かつて、鹿の猟師として〔世に〕存した──わたしは、林のなかにあり、森のなかにある。羚羊を探し求めながら、わたしは、〔瞑想のための〕歩行場を見た。

 

91. 腰〔の袋〕に砂粒を収め取って、わたしは、〔瞑想のための〕歩行場に振りまいた──浄信した心の者となり、悦意の者となり、善き至達者たる方のために、吉祥なる方のために。

 

92. わたしが、砂粒を振りまいた、これより、三十一カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、砂粒の供養の果である。

 

93. わたしの、諸々の〔心の〕汚れは焼尽し……略……煩悩なき者となり、〔世に〕住む。

 

94. わたしにとって、まさに、善き訪問として存した……略……覚者の教えは為された。

 

95. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。

 

 かくのごとく、まさに、尊者プリナチャンカミヤ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──

 

 プリナチャンカミヤ長老の行状が、第十となる。

 

 ナラマーリの章が、第四十八となる。

 

 その〔章〕のための摂頌となる。

 

 〔そこで、詩偈に言う〕「ナラマーリ、マニダダ、ウッカーサティカとビージャニン、そして、クンマーサ、そして、クサッタ、そして、また、ギリプンナーギヤ──

 

 ヴァッリカーラ、パーナディダ、そして、プリナチャンカマがあり、分明なる者たちによって、九十五の詩偈が数えられた」〔と〕。


49. パンスクーラの章

 

49. 1. パンスクーラサンニャカ長老の行状

 

1. ティッサという名の世尊が〔世に〕存した。〔他に依らず〕自ら成る方は、至高の人たる方は、勝者は、糞掃衣を据え置いて、精舎に入った。

 

2. 屈曲した弓を取って、食物を義(目的)として、わたしは、〔道を〕歩んだ。湾曲した刀を携えて、わたしは、森に入った。

 

3. そこにおいて、そのとき、〔わたしは〕見た──木の先端に掛けられた糞掃衣を。まさしく、その場において、弓を捨て置いて、頭に合掌を為して──

 

4. 浄信した心の者となり、悦意の者となり、そして、広大なる喜悦〔の思い〕によって、最勝の覚者を思念して、糞掃衣を敬拝した。

 

5. わたしが、糞掃衣を敬拝した、これより、九十二カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、敬拝の果である。

 

6. わたしの、諸々の〔心の〕汚れは焼尽し、一切の〔迷いの〕生存は完破された。象のように結縛を断ち切って、煩悩なき者となり、〔世に〕住む。

 

7. わたしにとって、まさに、善き訪問として存した──わたしにとって、覚者の現前にあることは。三つの明知は獲得され、覚者の教えは為された。

 

8. 四つの融通無礙は〔実証され〕、そして、また、これらの八つの解脱も〔実証された〕。六つの神知は実証され、覚者の教えは為された。

 

 かくのごとく、まさに、尊者パンスクーラサンニャカ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──

 

 パンスクーラサンニャカ長老の行状が、第一となる。

 

49. 2. ブッダサンニャカ長老の行状

 

9. 〔聖典の〕読誦者にして呪文の保持者として、三つのヴェーダの奥義に至る者として、〔わたしは世に有った〕──特相における、かつまた、古伝における、語彙を含み活用を含む〔熟知者として〕。

 

10. 川の流れに相似する徒弟たちが、そのとき、わたしのもとへと至り来る。わたしは、諸々の呪文を、彼らに教授する──夜に、昼に、休みなく。

 

11. シッダッタという名の正覚者が、まさしく、そのとき、世に生起した。闇の暗黒を滅ぼして、知恵の光明を転起させた。

 

12. わたしの或るひとりの徒弟が、彼が、わたしの徒弟たちに、〔このことを〕言説した。彼らは、この義(意味)を聞いて、そのとき、わたしに、〔このことを〕告げた。

 

13. 〔徒弟たちが言った〕「覚者が、一切を知る方が、世の導き手たる方が、世に生起したのです。人々は、彼に従い転じ行きます。わたしたちに、利得は見出されません。

 

14. 覚者たちは、眼ある方たちは、偉大なる福徳ある方たちは、〔他に依らず〕自発的に生起する者たちです。それなら、さあ、わたしは、最勝の覚者に、世の導き手たる方に、お会いするのです」〔と〕。

 

15. わたしの、皮衣を、樹皮の衣を、長口の水瓶を、〔それらを〕収め取って、庵所から出て、わたしは、徒弟たちに告げた。

 

16. 〔わたしは言った〕「ウドゥンバラ〔樹〕(優曇華・無花果)の花のように、月の兎のように、烏たちの乳のように、得難き方が、世の導き手たる方が──

 

17. 覚者が、世に生起したのだ。人間たる〔境遇〕もまた、得難きことである。両者が見出されているとして、さらに、〔法の〕聴聞は、極めて得難きことである。

 

18. 覚者が、世に生起したのだ。〔わたしたちは〕眼を得るのだ──〔迷いの〕生存ではなく。さあ、全ての者たちよ、〔わたしたちは〕赴くのだ──正等覚者の現前に」〔と〕。

 

19. 全ての者たちは、長口の水瓶を保持し、粗い鹿皮を着衣し、結髪を荷として蓄え、そのとき、彼らは、森から出た。

 

20. 〔一〕ユガ(:長さの単位・一ユガは約二メートル)ばかりを〔隙なく〕見ながら、最上の義(目的)を探し求めながら、執着と憤怒が絶無なる者たちは、恐怖なき獅子のような者たちは──

 

21. 為すべきこと少なく〔欲の〕妄動なき者たちは、寂静にして解脱者たる賢明なる者たちは、彼らは、落穂集めによって〔道を〕歩みながら、最勝の覚者のもとへと近しく赴いた。

 

22. 残りが〔一〕ヨージャナと半分のところで、わたしに、病が生起した(※)。最勝の覚者を思念して、そこにおいて、わたしは、命を終えたのだった。

 

※ テキストには upapajjatha とあるが、PTS版により udapajjatha と読む。

 

23. すなわち、〔わたしが〕表象を得た、そのとき、これより、九十四カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、覚者の表象の果である。

 

24. わたしの、諸々の〔心の〕汚れは焼尽し……略……煩悩なき者となり、〔世に〕住む。

 

25. わたしにとって、まさに、善き訪問として存した……略……覚者の教えは為された。

 

26. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。

 

 かくのごとく、まさに、尊者ブッダサンニャカ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──

 

 ブッダサンニャカ長老の行状が、第二となる。

 

49. 3. ビサダーヤカ長老の行状

 

27. 種々なるクンジャラ〔象〕が慣れ親しむ、〔まさに〕その、蓮池に入って行って、そこにおいて、蓮根を引き抜く──そのとき、わたしは、食糧を因として。

 

28. その時点において、世尊は、パドゥムッタラという呼び名を有する方は、染められた毛布を〔身に〕付ける覚者は、〔天高く〕曲がりなき風のなかを赴く──

 

29. 諸々の糞掃衣を打ち震わせながら。そのとき、わたしは、音声を聞いた。上を凝視しつつ、わたしは見た──世の導き手たる方を。

 

30. まさしく、その場に立ち、〔そのように〕存しつつ、世の導き手たる方に乞い求めた。〔わたしは言った〕「諸々の蓮根からは、蜜が流れ出ます。諸々の根茎からは、乳と酥が〔流れ出ます〕。

 

31. 覚者は、わたしのために納受したまえ──慈しみ〔の思い〕によって、眼ある方は」〔と〕。そののち、慈悲の者たる教師は、偉大なる福徳ある方は、〔空から〕降りて──

 

32. わたしのために、行乞〔の施食〕を納受した──慈しみ〔の思い〕によって、眼ある方は。納受して、正覚者は、わたしに、随喜を為した。

 

33. 〔パドゥムッタラ世尊は言った〕「大いなる功徳ある者よ、安楽ある者と成れ。あなたの境遇は、等しく実現せよ。この蓮根の布施によって、広大なる安楽を得よ」〔と〕。

 

34. この〔言葉〕を説いて、正覚者は、水に生じる最上のものを名とする方は、行乞〔の施食〕を取って、正覚者は、勝者は、宙に赴いた。

 

35. そののち、〔わたしは〕蓮根を収め取って、わたしの庵所に帰還した。蓮根を木に掛けて、わたしの布施を随念した。

 

36. そのとき、大風が起きて、林を揺れ動かした。雷光が炸裂するなか、虚空は咆哮した。

 

37. そののち、落雷があり、そのとき、わたしの頭頂に落ちた。〔まさに〕その、わたしは、〔そこに〕坐った者として、〔そのように〕存しつつ、そこにおいて、命を終えた者と成った。

 

38. 功徳の行為〔の果〕と結び付いた者として、わたしは、兜率〔天〕に再生した。わたしの死体(身体)は、〔天に〕飛び立ち、わたしは、天の世において喜び楽しんだ。

 

39. 八万六千の、〔装いを〕十二分に作り為した女たちが、夕に、朝に、奉仕する。これは、蓮根の布施の果である。

 

40. 人間の胎に至り着いて〔そののち〕、わたしは、常に、安楽ある者として〔世に〕有る。わたしの財物に、不足は存在しない。これは、蓮根の布施の果である。

 

41. 天の天たる方によって、如なる方によって──彼によって慈しまれた者として〔世に有る〕。一切の煩悩は完全に滅尽し、今や、さらなる生存は存在しない。

 

42. すなわち、〔わたしが〕蓮根を施した、そのとき、これより、十万カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、蓮根の布施の果である。

 

43. わたしの、諸々の〔心の〕汚れは焼尽し……略……煩悩なき者となり、〔世に〕住む。

 

44. わたしにとって、まさに、善き訪問として存した……略……覚者の教えは為された。

 

45. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。

 

 かくのごとく、まさに、尊者ビサダーヤカ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──

 

 ビサダーヤカ長老の行状が、第三となる。

 

49. 4. ニャーナタヴィカ長老の行状

 

46. ヒマヴァントの南において、わたしには、美しく作られた庵所がある。最上の義(目的)を探し求めながら、そのとき、〔わたしは〕森に住する。

 

47. そして、根によって、さらに、果によって、利得あるも利得なくも満足している者として、師匠を探し求めながら、独りある者となり、わたしは住する。

 

48. スメーダという名の正覚者が、まさしく、そのとき、世に生起した。〔覚者は〕四つの真理を明示する──大勢の人を引き上げながら。

 

49. わたしは、正覚者のことを聞かない。また、誰であれ、わたしに伝えもしない。八年が超え行ったとき、世の導き手たる方のことを聞いた。

 

50. 祭火の木を運び出して、庵所を掃き清めて、天秤を荷として収め取って、わたしは、森から出た。

 

51. わたしは、諸々の村において、そして、諸々の城市において、一夜を住しながら、そのとき、わたしは、順次に、チャンダヴァティー〔の城市〕へと近づいて行った。

 

52. その時点において、世尊は、スメーダ〔世尊〕は、世の導き手たる方は、多くの有情たちを引き上げながら、不死の境処を説示する。

 

53. 人の衆を超え行って、勝者にして海洋たる方を敬拝して、一つの肩に皮衣を掛けて、世の導き手たる方を奉賛した。

 

54. 〔わたしは言った〕「あなたは、命ある者たちの、そして、教師です、そして、幟(のぼり)です、旗です、そして、支柱です、行き着く所です、そして、立脚地です、そして、洲です、最上の二足者たる方です。

 

 〔以上が〕第二十一の朗読分となる。

 

55. 見示することに精緻なる勇者として、あなたは、人民を〔彼岸へと〕超え渡らせます。世において、他に、超え渡す者は存在しません──牟尼よ、あなたより、より上なる者は。

 

56. 最上の海洋のなかにある諸々のしずくを、茅の先端で量ることができるとして、一切を知る方よ、まさしく、しかし、あなたの知恵()は、量ることができません。

 

57. 大地を、秤棒に据え置いて保持することができるとして、眼ある方よ、まさしく、しかし、あなたの智慧(慧・般若)に、量ることは存在しません。

 

58. 虚空が、縄によって、あるいは、指によって、量ることができるとして、一切を知る方よ、まさしく、しかし、あなたの戒は、量ることができません。

 

59. 大海のなかの水が、さらに、虚空と大地が、これらのものが、量られるものであるとして、眼ある方よ、〔あなたは〕量るべくもなき方として〔世に〕存しています」〔と〕。

 

60. 六つの詩偈によって、一切を知る方を、偉大なる福徳ある方を、賛じ称えて、合掌を差し出して、そのとき、わたしは、沈黙の者となり、〔そこに〕立った。

 

61. すなわち、広き智慧ある方のことを、思慮深き方のことを、〔人々は〕「スメーダ(思慮深き者)」と説く。〔覚者は〕比丘の僧団のうちに坐って、これらの詩偈を語った。

 

62. 〔スメーダ世尊は言った〕「彼は、わたしに知恵を賛じ称えました──浄信した心で。わたしは、彼を賛じ称えましょう。〔それを〕語る、わたしの〔言葉を〕聞きなさい。

 

63. 七十七カッパのあいだ、天の世において喜び楽しむでしょう。千回、天のインダとして、天の王権を為すでしょう。

 

64. そして、幾百回、転輪〔王〕と成るでしょう。数〔の観点〕からは数えようもない、広大なる地域の王権を〔為すでしょう〕。

 

65. 天〔の神〕と成った者として、あるいは、人間として、功徳の行為〔の果〕に定められた〔彼〕は、欠くことなき意と思惟ある者として、鋭敏なる智慧ある者として、〔世に〕有るでしょう。

 

66. 三万カッパ〔の未来〕において、オッカーカの家系を発生とし、姓としては、ゴータマという名の教師が、世に有るでしょう。

 

67. 〔彼は〕家から出て、無一物の者となり、出家するでしょう。生まれて七年で、阿羅漢の資質を体得するでしょう」〔と〕。

 

68. 〔成長して〕自己のことを思念する、そののちは──〔わたしが〕教えに至り得た者として〔世に〕存する、そののちは──ここにおいて、〔その〕中途において、意が喜びとしない思欲を、〔わたしは〕知らない。

 

69. 全ての生存を輪廻して、わたしは、得達を受領した。わたしの財物に、不足は存在しない。知恵の賛嘆における果である。

 

70. わたしの三つの火は寂滅し、一切の〔迷いの〕生存は完破された。一切の煩悩は完全に滅尽し、今や、さらなる生存は存在しない。

 

71. すなわち、わたしが、知恵を奉賛した、三万カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。知恵の賛嘆における果である。

 

72. わたしの、諸々の〔心の〕汚れは焼尽し……略……煩悩なき者となり、〔世に〕住む。

 

73. わたしにとって、まさに、善き訪問として存した……略……覚者の教えは為された。

 

74. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。

 

 かくのごとく、まさに、尊者ニャーナタヴィカ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──

 

 ニャーナタヴィカ長老の行状が、第四となる。

 

49. 5. チャンダナマーリヤ長老の行状

 

75. 意が喜びとする愛しい形態である、五つの欲望の属性(五妙欲:色・声・香・味・触)を捨棄して、八十コーティ〔の財〕を捨棄して、〔家から〕家なきへと出家した。

 

76. 出家して〔そののち〕、身体による悪しき行為を避けた。言葉による悪しき行ないを捨棄して、わたしは、川の岸辺に住する。

 

77. 独りある者となり、〔世に〕住んでいるわたしのもとへと、最勝の覚者は近しく赴いた。わたしは、〔彼のことを〕「覚者である」と知らず、〔彼に〕挨拶を為した。

 

78. 挨拶を為して、わたしは、名と姓を尋ねた。〔わたしは尋ねた〕「いったい、〔あなたは〕天神として存しているのですか、音楽神として〔存しているのですか〕、それとも、プリンダダ(都の破壊者)たる帝釈〔天〕として〔存しているのですか〕。

 

79. 偉大なる梵よ、ここに到来したあなたは、あるいは、誰なのですか、あるいは、誰の子なのですか。あたかも、昇る太陽のように、〔あなたは〕全ての方角に遍照します。

 

80. 敬愛なる者よ、千の輻ある諸々の輪が、足のうちに見えます。あなたは、あるいは、誰なのですか、あるいは、誰の子なのですか。どのように、わたしどもは、あなたのことを知るべきですか。名と姓を知らせてください。わたしの疑念を取り去ってください」〔と〕。

 

81. 〔スメーダ世尊は答えた〕「〔わたしは〕天〔の神〕として存するにあらず、音楽神にあらず、また、プリンダダたる帝釈〔天〕にあらず。そして、わたしに、梵の状態は存在せず。わたしは、これらの者たちのなかの最上の者です。

 

82. 〔わたしは〕彼らの境域を超え行き、欲望の結縛を引き裂きました。一切の〔心の〕汚れを焼き尽くして、最上の正覚に至り得た者として〔世に存しています〕」〔と〕。

 

83. 彼の言葉を聞いて、わたしは、この言葉を説いた。〔わたしは言った〕「一切を知る方よ、すなわち、『覚者である』というのなら、偉大なる牟尼よ、あなたは、坐りたまえ。

 

84. あなたを、わたしは供養しましょう。あなたは、苦しみの終極を為す方です」〔と〕。鹿皮の衣を広げて、わたしは、教師に施した。

 

85. そこにおいて、世尊は坐った──山窟における獅子のように。すみやかに、山に登って、アンバ〔樹〕の果実を収め取った。

 

86. 美しいサーラ〔樹〕の花を、さらに、高価なる栴檀を、すみやかに、その全てを差し出して、世の導き手たる方のもとへと近しく赴いて──

 

87. 果実を、覚者に施して、サーラ〔樹〕の花を供養した。栴檀を、〔覚者に〕塗って、わたしは、教師を敬拝した──

 

88. 浄信した心の者となり、悦意の者となり、そして、広大なる喜悦〔の思い〕によって。スメーダ〔世尊〕は、世の導き手たる方は、皮衣のうえに坐って──

 

89. わたしの行為を賛じ称えた──わたしを笑喜させながら、そのとき。〔スメーダ世尊は言った〕「この果実の布施によって、さらに、同様に、香料と花飾〔の布施〕によって──

 

90. 二千五百カッパのあいだ、天の世において喜び楽しむでしょう。欠くことなき意と思惟ある者として、自在の転起ある者として、〔世に〕有るでしょう。

 

91. 二千六百カッパのあいだ、人間たる〔境遇〕に赴くでしょう。四辺を征圧する、大いなる神通ある転輪〔王〕として〔世に〕有るでしょう。

 

92. ヴェーバーラという名の城市が、ヴィッサカンマ(工芸神)によって造作され、種々なる宝玉に飾られ、全てが黄金のものと成るでしょう。

 

93. まさしく、この手段によって、〔二つの〕生存において、彼は輪廻するでしょう──天〔の神〕たる〔境遇〕において、さらに、人間において、一切所において、供養される者と成って。

 

94. 最後の生存に達し得たとき、梵の眷属(婆羅門)として〔世に〕有るでしょう。家から出て、家なき者と成るでしょ。神知の奥義に至る者と成って、煩悩なき者となり、涅槃に到達するでしょう」〔と〕。

 

95. この〔言葉〕を説いて、スメーダ〔世尊〕は、世の導き手たる方は、正覚者は、わたしが凝視していると、〔天高く〕曲がりなき風のなかに立ち去った。

 

96. その善行の行為によって、さらに、諸々の思欲による誓願によって、人間の肉身を捨棄して〔そののち〕、わたしは、三十三〔天〕に赴いた。

 

97. 兜率〔天〕から死滅して、母の子宮に発現した。わたしの財物に、不足は存在しない──その胎において、わたしが住するなら。

 

98. わたしが、母の子宮に赴いたとき、そして、食べ物と飲み物は、食料は、母〔の子宮〕において、わたしの欲〔の思い〕によって、求めるままに発現する。

 

99. 生まれて五年で、〔家から〕家なきへと出家した。髪が剃り下ろされたとき、〔わたしは〕阿羅漢の資質に至り得た。

 

100. 過去の行為を探し求めながら、わたしは、低きところを見なかった。三万カッパ〔の過去〕において〔為した〕、わたしの行為を随念した。

 

101. 善き生まれの人士たる方よ、あなたに、礼拝〔有れ〕。最上の人士たる方よ、あなたに、礼拝〔有れ〕。あなたの教えに由来して、〔わたしは〕不動の境処に至り得た者として〔世に〕存している。

 

102. すなわち、〔わたしが〕覚者を供養した、三万カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、覚者の供養の果である。

 

103. わたしの、諸々の〔心の〕汚れは焼尽し……略……煩悩なき者となり、〔世に〕住む。

 

104. わたしにとって、まさに、善き訪問として存した……略……覚者の教えは為された。

 

105. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。

 

 かくのごとく、まさに、尊者チャンダナマーリヤ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──

 

 チャンダナマーリヤ長老の行状が、第五となる。

 

49. 6. ダートゥプージャカ長老の行状

 

106. シッダッタ〔世尊〕が、世の導き手たる方が、世の主たる方が、涅槃に到達したとき、わたしの親族たちを集めて、わたしは、遺物(遺骨)の供養を為した。

 

107. すなわち、〔わたしが〕遺物を供養した、これより、九十四カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、遺物の供養の果である。

 

108. わたしの、諸々の〔心の〕汚れは焼尽し……略……煩悩なき者となり、〔世に〕住む。

 

109. わたしにとって、まさに、善き訪問として存した……略……覚者の教えは為された。

 

110. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。

 

 かくのごとく、まさに、尊者ダートゥプージャカ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──

 

 ダートゥプージャカ長老の行状が、第六となる。

 

49. 7. プリヌッパーダカ長老の行状

 

111. ヒマヴァントの山において、デーヴァラという名の苦行者として〔世に有った〕。そこにおいて、わたしには、〔瞑想のための〕歩行場が存した──人間ならざる者たちによって造作されたものとして。

 

112. 常に、結髪を荷として蓄え、長口の水瓶を保持する者として〔世に有った〕。そのとき、〔わたしは〕最上の義(目的)を探し求めながら、森から出た。

 

113. 八万四千の徒弟たちが、わたしに奉仕した。自らの行為〔の果〕を追い求める者たちであり、そのとき、森に住する。

 

114. 〔わたしは〕庵所から出て、砂の塔廟を作った。種々なる花を集めて、その塔廟を供養した。

 

115. そこにおいて、心を浄信させて、わたしは、庵所に入った。全ての徒弟たちが集いあつまって、この義(意味)を、わたしに尋ねた。

 

116. 〔徒弟たちが尋ねた〕「砂で塔が作られました。天たる方よ、あなたは、その〔塔〕を礼拝します。わたしたちもまた、知ることを求めます。あなたは、〔問いを〕尋ねられた者として、わたしたちに告げ知らせてください」〔と〕。

 

117. 〔わたしは答えた〕「まさに、呪文の句において釈示された、眼ある方たちが、偉大なる福徳ある方たちがいる。彼らを、最勝の覚者たちを、偉大なる福徳ある方たちを、まさに、わたしは礼拝する」〔と〕。

 

118. 〔徒弟たちが尋ねた〕「彼らは、偉大なる勇者たちは、一切を知る方たちは、世の導き手たる方たちは、どのような方たちなのですか。彼らは、偉大なる福徳ある方たちは、どのような方たちなのですか、どのような色艶ある方たちなのですか、どのような戒ある方たちなのですか」〔と〕。

 

119. 〔わたしは答えた〕「三十二の特相ある者たちとして、覚者たちはある──そして、また、四十の歯ある者たちとして。彼らの〔両の〕眼は、牛の睫毛(まつげ)があり、ジンジュカ〔樹〕の果実の似姿がある。

 

120. そして、赴きつつあるなら、彼らは、覚者たちは、かつまた、〔一〕ユガばかりを〔隙なく〕見る。彼らの、膝は鳴らず、関節の音は聞かれない。

 

121. そして、赴きつつあるなら、善き至達者たる方たちは、まさしく、最初に右の足を引き上げながら赴く。これは、覚者たちの法(性質)たることである。

 

122. そして、恐怖なき者たちとして、彼らは、覚者たちは、獣の王たる獅子のようにある。まさしく、自己を賞揚せず、かつまた、命ある者を蔑視しない。

 

123. 〔我想の〕思量()と卑下の思量(卑慢)から解き放たれ、全ての命ある者たちにたいし等しくあり、自己を賞揚しない者たちとして、覚者たちはある。これは、覚者たちの法(性質)たることである。

 

124. そして、正覚者たちが生起しつつあるなら、彼らは、光明を見示し、この大地の全部を、六つの流儀に揺れ動かす。

 

125. そして、これらの者たちが、地獄を見る、そのときは、地獄〔の火〕は消え、大いなる雨雲は雨を降らせる。これは、覚者たちの法(性質)たることである。

 

126. 彼らは、偉大なる龍たる方たちは、このような方たちである。そして、偉大なる福徳ある方たちは、無比なる方たちである。色艶〔の観点〕からは、超え行くことなき方たちである。如来たちは、量るべくもなき方たちである」〔と〕。

 

127. 〔彼らは〕わたしの言葉に随喜した。尊重〔の思い〕を有する全ての徒弟たちは、そして、そのように、〔道を〕実践した──能のままに、力のままに。

 

128. 〔彼らは〕砂〔の塔廟〕を供養する。自らの行為〔の果〕を願い求める者たちは、わたしの言葉に信を置きつつ、覚者に尊敬の意図ある者たちとなる。

 

129. そのとき、天子として〔世に有った〕、偉大なる福徳ある方は、兜率〔天〕から死滅して、母の子宮に生起した。〔大地は〕一万〔回〕揺れ動いた。

 

130. 庵所の遠からざるところ、わたしは、〔瞑想のための〕歩行場に立っていた。全ての徒弟たちが集いあつまって、わたしの現前にやってきた。

 

131. 〔徒弟たちが尋ねた〕「大地は、雄牛のように吼え叫び、獣の王のように鳴り響き、鮫のように跳ね動きます。どのような報いが有るのでしょう」〔と〕。

 

132. 〔わたしは答えた〕「すなわち、砂塵の塔の現前において、〔わたしが〕賛じ称える、正覚者であるが、今や、彼が、世尊が、教師が、母の子宮へと近しく赴いたのだ」〔と〕。

 

133. 彼らに、法(教え)の言説を説いて、偉大なる牟尼を賛じ称えて、自らの徒弟たちを送り出して、わたしは、結跏を組んだ。

 

134. そして、まさに、わたしの、その力は、最高の病によって滅尽するところとなった。最勝の覚者を思念して、そこにおいて、わたしは、命を終えたのだった。

 

135. 全ての徒弟たちが集いあつまって、そのとき、荼毘の薪山を作った。そして、わたしの死体を収め取って、荼毘の薪山に載せた。

 

136. 荼毘の薪山を取り囲んで、頭に合掌を為して、憂いの矢に打ち負かされた彼らは、集いあつまり、泣き叫んだ。

 

137. 喚き叫んでいる彼らのために、そのとき、〔わたしは、天の世から〕荼毘の薪山に赴いた。〔わたしは言った〕「わたしは、あなたたちの師匠である。思慮深き者たちよ、憂い悲しんではならない。

 

138. 自らの義(目的)において努め励むべきである──夜に、昼に、休みなく。あなたたちは、放逸の者たちと成ってはならない。〔努め励むべき〕時節が、あなたたちに与えられたのだ」〔と〕。

 

139. 自らの徒弟たちに教え示して、ふたたび、天の世に帰還した。そして、十八カッパのあいだ、わたしは、天の世において喜び楽しむ。

 

140. そして、五百回、わたしは、転輪〔王〕と成った。そして、幾百回、天の王権を為した。

 

141. 諸々の残りのカッパにおいては、〔天と人の世を〕混在のものとして、わたしは輪廻した。〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、天変〔の説き明かし〕の果である。

 

142. あたかも、コームディーの月において、多くの木々が花ひらくように、まさしく、そのように、偉大なる聖賢によって〔説示された〕教義において、わたしもまた、花ひらいた者として〔世に〕存している。

 

143. 精進は、わたしにとって、束縛からの平安に運んでくれる荷駄牛である。象のように結縛を断ち切って、煩悩なき者となり、〔世に〕住む。

 

144. すなわち、〔わたしが〕覚者を賛じ称えた、これより、十万カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、賛じ称えの果である。

 

145. わたしの、諸々の〔心の〕汚れは焼尽し……略……煩悩なき者となり、〔世に〕住む。

 

146. わたしにとって、まさに、善き訪問として存した……略……覚者の教えは為された。

 

147. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。

 

 かくのごとく、まさに、尊者プリヌッパーダカ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──

 

 プリヌッパーダカ長老の行状が、第七となる。

 

49. 8. タラニヤ長老の行状

 

148. さてまた、アッタダッシン世尊は、〔他に依らず〕自ら成る方は、世の導き手たる方は、如来は、ヴィナター川の岸辺へと近しく赴いた。

 

149. 水から出て、水を餌場とする亀として、わたしは、覚者を超え渡すことを欲し、世の導き手たる方のもとに近しく至った。

 

150. 〔わたしは言った〕「アッタダッシン〔世尊〕は、偉大なる牟尼は、覚者は、わたしに乗ってください。わたしが、あなたを超え渡しましょう。あなたは、苦しみの終極を為す方です」〔と〕。

 

151. わたしの思惟を了知して、アッタダッシン〔世尊〕は、偉大なる福徳ある方は、わたしの背に乗って、世の導き手たる方は立った。

 

152. 〔成長して〕自己のことを思念する、そののちは──知性に至り得た者として〔世に〕存する、そののちは──わたしに、そのような安楽は存在しない。すなわち、〔あなたの〕足の裏が触れたときのような〔安楽は〕。

 

153. アッタダッシン〔世尊〕は、偉大なる福徳ある方は、正覚者は、超え渡って〔そののち〕、川の岸辺に立って、これらの詩偈を語った。

 

154. 〔アッタダッシン世尊は言った〕「およそ、心が転起するかぎり、わたしは、ガンガー〔川〕の流れを超え渡ります。そして、この亀の王は、智慧ある者として、わたしを超え渡しました。

 

155. この覚者の超え渡しによって、さらに、慈愛の心あることによって、千八百カッパのあいだ、天の世において喜び楽しむでしょう。

 

156. 天の世から、ここに到来して、白根に促され、一なる坐において、坐って〔そののち〕、疑いの流れを超え渡るでしょう」〔と〕。

 

157. たとえば、また、善き田畑において、たとえ、少しの種であれ、〔耕作者によって〕育てられ、正しく、流水を授けているなら、果となり、耕作者を満足させるように──

 

158. まさしく、そのように、この覚者の田畑は、正等覚者によって説示されたものであり、正しく、流水を授けているなら、果となり、わたしを満足させるであろう。

 

159. 〔刻苦〕精励をもって自己を精励した者として、〔わたしは〕存している。寂静者となり、依り所なき者となり、一切の煩悩を遍知して、煩悩なき者となり、〔世に〕住む。

 

160. すなわち、〔わたしが〕行為を為した、そのとき、千八百カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、超え渡しの果である。

 

161. わたしの、諸々の〔心の〕汚れは焼尽し……略……煩悩なき者となり、〔世に〕住む。

 

162. わたしにとって、まさに、善き訪問として存した……略……覚者の教えは為された。

 

163. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。

 

 かくのごとく、まさに、尊者タラニヤ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──

 

 タラニヤ長老の行状が、第八となる。

 

49. 9. ダンマルチヤ長老の行状

 

164. そのとき、ディーパンカラ覚者は、勝者は、スメーダ〔菩薩〕のことを説き明かした(授記した)。〔ディーパンカラ世尊は言った〕「これより、量るべくもないカッパ〔の未来〕において、この者は、覚者と成るでしょう。

 

165. この者の生みの母は、マーヤーという名の者と成るでしょう。父は、スッドーダナという名の者と〔成るでしょう〕。この者〔の姓〕は、ゴータマと成るでしょう。

 

166. 〔刻苦〕精励をもって精励して、為すに為し難きことを為して、偉大なる福徳ある者は、正覚者となり、アッサッタ〔樹〕(菩提樹)の根元において覚るでしょう。

 

167. ウパティッサ(サーリプッタ)が、さらに、コーリタ(マハー・モッガッラーナ)が、至高の弟子たち(二大弟子)と成るでしょう。名としては、アーナンダという名の奉仕者(侍者)が、この勝者に奉仕するでしょう。

 

168. ケーマーが、さらに、ウッパラヴァンナーが、至高の女性の弟子たちと成るでしょう。チッタが、まさしく、そして、アーラヴァカが、至高の奉仕者たちと成るでしょう。

 

169. クッジュッタラーが、ナンダマータルが、至高の女性の奉仕者たちと成るでしょう。この勇者の菩提〔樹〕は、『アッサッタ』と呼ばれます」〔と〕。

 

170. 等しき者なき方の、偉大なる聖賢の、この言葉を聞いて、歓喜した人や神たちは、合掌を為し、礼拝する。

 

171. そのとき、わたしは、学徒として〔世に〕存した──メーガという名の、善き学びある者として。偉大なる牟尼よ、スメーダ〔菩薩〕のための最勝の説き明かし(授記)を聞いて──

 

172. スメーダ〔菩薩〕にたいし、慈悲に志欲ある者にたいし、交わりある者と成って、そして、出家しつつある、彼に、勇者に、従い出家した──まさしく、共に。

 

173. 戒条(波羅提木叉:戒律条項)において統御された者として、かつまた、五つの〔感官の〕機能において〔統御された者として〕、清浄なる生き方ある気づきの者として、勝者の教えを為す者として、勇者は〔世に有った〕。

 

174. わたしは、このように〔世に〕住みつつも、或る悪しき朋友によって、習行ならざる〔行為〕に駆り立てられ、善き道から完全に転落し──

 

175. 〔悪しき〕思考の支配ある者と成って、教えから立ち去った。のちに、その悪しき朋友とともに、母の殺害に専念し──

 

176. 直後〔に地獄に落ちる悪しき行為〕を為した。〔わたしは〕汚れた意図ある者となり、〔母を〕殺害した。そこから死滅し、〔わたしは〕極めて辛酸なる大いなる阿鼻〔地獄〕に再生したのだった。

 

177. 堕所に赴き、〔そこに〕存しつつ、長きにわたり、苦しみの者として輪廻した。ふたたび、勇者を、スメーダ〔菩薩〕を、人の雄牛たる方を、見ることはなかった。

 

178. このカッパにおいて、〔わたしは〕海にいる魚として、巨大魚として〔世に〕存した。わたしは、海洋において、船を見て、餌場を義(目的)として近しく赴いた。

 

179. わたしを見て、商人たちは恐怖し、最勝の覚者を随念した。彼らによって発せられた、「ゴータマ」という大いなる喚呼を聞いて──

 

180. 過去の表象を思念して、そののち、わたしは、命を終え、サーヴァッティーにおいて、繁栄する家に生まれたのだった──婆羅門の種族〔の家〕に。

 

181. 〔わたしは〕存した──ダンマルチという名の、一切の悪を避ける者として。わたしは、世の灯火たる方を見て、生まれて七年で──

 

182. 大いなるジェータ林に赴いて、〔家から〕家なきへと出家した。夜に、そして、昼に、三回、覚者のもとに近しく至る。

 

183. そのとき、わたしを見て、牟尼は、「ダンマルチよ、長きことかな」と言った。そののち、わたしは、覚者に言った──過去の行為から発生したものを。

 

184. 〔わたしは言った〕「極めて長きことです。百の功徳の特相を、過去の清浄なる縁〔の果〕を、わたしは、今日、善き眺めを、まさに、あなたの喩えなき姿形を、〔ここに〕見ます。

 

185. 極めて長きことです。わたしによって、闇は打破されました。極めて長きことです。眼によって、川は干上がりました。極めて長きことです。偉大なる牟尼よ、垢なく、清められた、知恵で作られている、導き〔の眼〕です。

 

186. あなたとともに、長き〔過去の〕時に〔行為を〕保有してのち、ふたたび、中途において、長きにわたり、消失することなく、ふたたび、今日、あなたと合流したのです。ゴータマよ、諸々の作り為された〔行為〕は、まさに、消失しません」〔と〕。

 

187. わたしの、諸々の〔心の〕汚れは焼尽し……略……煩悩なき者となり、〔世に〕住む。

 

188. わたしにとって、まさに、善き訪問として存した……略……覚者の教えは為された。

 

189. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。

 

 かくのごとく、まさに、尊者ダンマルチヤ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──

 

 ダンマルチヤ長老の行状が、第九となる。

 

49. 10. サーラマンダピヤ長老の行状

 

190. サーラ〔樹〕の林に深く分け入って、わたしには、美しく作られた庵所がある。サーラ〔樹〕の花々に等しく覆われ、そのとき、〔わたしは〕森に住する。

 

191. そして、ピヤダッシン世尊は、〔他に依らず〕自ら成る方は、至高の人たる方は、遠離を欲する正覚者は、サーラ〔樹〕の林へと近しく赴いた。

 

192. 庵所から出て、わたしは、山林に赴いた。そのとき、〔わたしは〕根や果を探し求めながら、林のなかを徘徊する。

 

193. そこにおいて、〔わたしは〕見た──正覚者を、ピヤダッシン〔世尊〕を、偉大なる福徳ある方を──美しく坐り、入定し、大いなる林において遍照している〔覚者〕を。

 

194. 四つの棒を据え置いて、わたしは、覚者の上に、天幕を、美しく作られたものと為して、サーラ〔樹〕の花々で覆い隠した。

 

195. 七日のあいだ、サーラ〔樹の花々〕で覆い隠された天幕を保持して、そこにおいて、心を浄信させて、わたしは、最勝の覚者を敬拝した。

 

196. その時点において、世尊は、禅定から出起して、〔一〕ユガばかりを〔隙なく〕見ながら、最上の人士たる方は、〔そこに〕坐った。

 

197. ヴァルナという名の、ピヤダッシン教師の弟子は、十万の自在者たちとともに、〔世の〕導き手たる方のもとへと近しく赴いた。

 

198. そして、ピヤダッシン世尊は、世の最尊者にして人の雄牛たる方は、比丘の僧団のうちに坐って、勝者は、笑みを浮かべた。

 

199. アヌルッダ〔という名〕の、ピヤダッシン教師の奉仕者は、一つの肩に衣料を掛けて、偉大なる牟尼に尋ねた。

 

200. 〔アヌルッダが尋ねた〕「世尊よ、いったい、まさに、どのような因が、教師の笑みの行為にあるのですか。動機が見出されているとき、教師は、笑みを浮かべます」〔と〕。

 

201. 〔ピヤダッシン世尊は答えた〕「その学徒は、わたしのために、七日のあいだ、サーラ〔樹の花〕の覆いを保持しました。彼の行為を思念して、わたしは、笑みを浮かべました。

 

202. そこにおいて、功徳が成熟する、〔そのような〕空間とならないところを、わたしは見ません。天の世において、あるいは、人間〔の世〕において、まさしく、空間が足りることはありません(どこにあっても、功徳が成熟する)。

 

203. 天の世に住しているなら、功徳の行為〔の果〕を保有する者のために、およそ、彼の衆としてあるかぎりが、サーラ〔樹の花〕の覆いあるものと成るでしょう。

 

204. そこにおいて、天の、諸々の舞踏によって、諸々の歌詠によって、そして、諸々の音楽によって、常に喜び楽しむでしょう──功徳の行為〔の果〕に定められた者として、〔そのように〕存しつつ。

 

205. およそ、彼の衆としてあるかぎりが、香料の香りあるものと成るでしょう。そして、まさしく、ただちに、サーラ〔樹〕の花の雨が降るでしょう。

 

206. そこから死滅した、この者は、人間となり、人間〔の世〕に至り着くでしょう。ここでもまた、サーラ〔樹の花〕の覆いを、全ての時に保持するでしょう。

 

207. ここに、そして、舞踏が、さらに、歌詠が、鐃(シンバル)や鉦が打ち鳴らされ、常に、この者を取り囲むでしょう。これは、覚者の供養の果です。

 

208. そして、太陽が昇り行くとき、サーラ〔樹の花〕の雨が降るでしょう。功徳の行為〔の果〕と結び付いたものとして、全ての時に降るでしょう。

 

209. 千八百カッパ〔の未来〕において、オッカーカの家系を発生とし、姓としては、ゴータマという名の教師が、世に有るでしょう。

 

210. 彼の、諸々の法(教え)における、相続者として、正嫡として、法(教え)によって化作された者として、一切の煩悩を遍知して、煩悩なき者となり、涅槃に到達するでしょう。

 

211. 法(教え)を知悉した者のために、サーラ〔樹の花〕の覆いが有るでしょう。荼毘の薪山において焼かれている者のために、そこにおいて、覆いが有るでしょう」〔と〕。

 

212. 〔行為の〕報いを賛じ称えて、ピヤダッシン〔世尊〕は、偉大なる牟尼は、法(真理)を、衆に説示した──法(真理)の雨によって満足させながら。

 

213. 三十カッパのあいだ、諸天において、天の王権を為した。そして、六十〔回〕、さらに、七回、わたしは、転輪〔王〕と成った。

 

214. 天の世から、ここに到来して、〔わたしは〕広大なる安楽を得る。ここでもまた、サーラ〔樹の花〕の覆いが〔有る〕。これは、天幕の果である。

 

215. これは、わたしにとって最後のものである。生存は、最後のものとして転起する。ここでもまた、サーラ〔樹の花〕の覆いが、全ての時に有るであろう。

 

216. ゴータマ〔世尊〕を、釈迦〔族〕の雄牛たる方を、偉大なる牟尼を、満足させて〔そののち〕、勝利と敗北を捨棄して、〔わたしは〕不動の境位に至り得た者として〔世に〕存している。

 

217. すなわち、〔わたしが〕覚者を供養した、千八百カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、覚者の供養の果である。

 

218. わたしの、諸々の〔心の〕汚れは焼尽し……略……煩悩なき者となり、〔世に〕住む。

 

219. わたしにとって、まさに、善き訪問として存した……略……覚者の教えは為された。

 

220. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。

 

 かくのごとく、まさに、尊者サーラマンダピヤ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──

 

 サーラマンダピヤ長老の行状が、第十となる。

 

 パンスクーラの章が、第四十九となる。

 

 その〔章〕のための摂頌となる。

 

 〔そこで、詩偈に言う〕「パンスクーラ、ブッダサンニン、ビサダ、ニャーナキッタカ、チャンダニン、そして、ダートゥプージン、そして、また、プリヌッパーダカ──

 

 タラナ、ダンマルチカ、そのように、サーラマンダピヤがあり、二百の詩偈が有り、さらに、まさしく、十九〔の詩偈〕が〔有る〕」〔と〕。

 

50. キンカニプッパの章

 

50. 1. ティキンカニプッピヤ長老の行状

 

1. カニカーラ〔樹の花〕のように輝いている〔覚者〕を、山間に坐っている〔覚者〕を、〔わたしは〕見た──〔世俗の〕塵を離れる覚者を、ヴィパッシン〔世尊〕を、世の導き手たる方を。

 

2. 三つのキンカニの花を差し出して、〔覚者に〕献上した。正覚者を供養して、南に向かい去り行く。

 

3. その善行の行為によって、さらに、諸々の思欲による誓願によって、人間の肉身を捨棄して〔そののち〕、わたしは、三十三〔天〕に赴いた。

 

4. すなわち、〔わたしが〕覚者を供養した、これより、九十一カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、覚者の供養の果である。

 

5. わたしの、諸々の〔心の〕汚れは焼尽し、一切の〔迷いの〕生存は完破された。象のように結縛を断ち切って、煩悩なき者となり、〔世に〕住む。

 

6. わたしにとって、まさに、善き訪問として存した──わたしにとって、覚者の現前にあることは。三つの明知は獲得され、覚者の教えは為された。

 

7. 四つの融通無礙は〔実証され〕、そして、また、これらの八つの解脱も〔実証された〕。六つの神知は実証され、覚者の教えは為された。

 

 かくのごとく、まさに、尊者ティキンカニプッピヤ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──

 

 ティキンカニプッピヤ長老の行状が、第一となる。

 

50. 2. パンスクーラプージャカ長老の行状

 

8. ヒマヴァントの遠からざるところ、ウダンガナという名の山がある。そこにおいて、〔わたしは〕見た──木の先端に掛けられた糞掃衣を。

 

9. 三つのキンカニの花を摘み集めて、そのとき、欣喜したわたしは、欣喜した心で、糞掃衣を供養した。

 

10. その善行の行為によって、さらに、諸々の思欲による誓願によって、人間の肉身を捨棄して〔そののち〕、わたしは、三十三〔天〕に赴いた。

 

11. すなわち、〔わたしが〕行為を為した、そのとき、これより、九十一カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない──阿羅漢の旗(糞掃衣)を供養して〔そののち〕。

 

12. わたしの、諸々の〔心の〕汚れは焼尽し……略……煩悩なき者となり、〔世に〕住む。

 

13. わたしにとって、まさに、善き訪問として存した……略……覚者の教えは為された。

 

14. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。

 

 かくのごとく、まさに、尊者パンスクーラプージャカ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──

 

 パンスクーラプージャカ長老の行状が、第二となる。

 

50. 3. コーランダプッピヤ長老の行状

 

15. かつて、わたしは、父母代々の木こりとして〔世に〕存した。家畜を殺すことで、〔わたしは〕生きる。わたしに、善なる〔行為〕は見出されない。

 

16. わたしの依拠するところの近隣にて、ティッサ〔世尊〕は、世の至高の導き手たる方は、三つの足跡を見示した──慈しみ〔の思い〕によって、眼ある方は。

 

17. そして、ティッサという名の教師の、踏みしめられた〔三つの〕足跡を見て、欣喜した者となり、欣喜した心で、足跡にたいし、心を浄信させた。

 

18. 花ひらいたコーランダ〔樹の花〕を見て、地に育つ植物を〔見て〕、鞘と共に収め取って、最勝の足跡を供養した。

 

19. その善行の行為によって、さらに、諸々の思欲による誓願によって、人間の肉身を捨棄して〔そののち〕、わたしは、三十三〔天〕に赴いた。

 

20. 天〔の神〕たる〔境遇〕に、さらに、人間に、その〔胎〕その胎に再生するなら、わたしは、コーランダ〔樹の花の色艶〕の表皮ある者と成り、美しい光輝ある者と成る。

 

21. すなわち、〔わたしが〕行為を為した、そのとき、これより、九十二カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、足跡の供養の果である。

 

22. わたしの、諸々の〔心の〕汚れは焼尽し……略……煩悩なき者となり、〔世に〕住む。

 

23. わたしにとって、まさに、善き訪問として存した……略……覚者の教えは為された。

 

24. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。

 

 かくのごとく、まさに、尊者コーランダプッピヤ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──

 

 コーランダプッピヤ長老の行状が、第三となる。

 

50. 4. キンスカプッピヤ長老の行状

 

25. 花ひらいたキンスカ〔樹の花〕を見て、合掌を差し出して、最勝の覚者を思念して、虚空にたいし供養した。

 

26. その善行の行為によって、さらに、諸々の思欲による誓願によって、人間の肉身を捨棄して〔そののち〕、わたしは、三十三〔天〕に赴いた。

 

27. すなわち、〔わたしが〕行為を為した、そのとき、これより、三十一カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、覚者の供養の果である。

 

28. わたしの、諸々の〔心の〕汚れは焼尽し……略……煩悩なき者となり、〔世に〕住む。

 

29. わたしにとって、まさに、善き訪問として存した……略……覚者の教えは為された。

 

30. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。

 

 かくのごとく、まさに、尊者キンスカプッピヤ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──

 

 キンスカプッピヤ長老の行状が、第四となる。

 

50. 5. ウパッダドゥッサダーヤカ長老の行状

 

31. スジャータという名の、パドゥムッタラ〔世尊〕の弟子は、糞掃衣を探し求めながら、そのとき、塵芥のなかを歩む。

 

32. ハンサヴァティーの城市において、わたしは、他者たちの雇われ人として〔世に有った〕。半分の布地を、〔比丘に〕施して、頭をもって敬拝した。

 

33. その善行の行為によって、さらに、諸々の思欲による誓願によって、人間の肉身を捨棄して〔そののち〕、わたしは、三十三〔天〕に赴いた。

 

34. 三十三回、天のインダとして、天の王権を為した。そして、七十七回、わたしは、転輪〔王〕と成った。

 

35. 数〔の観点〕からは数えようもない、広大なる地域の王権を〔為した〕。半分の布地の布施によって、何も恐れない者となり、〔わたしは〕歓喜する。

 

36. そして、今日、わたしが求めつつあるなら、森を含め、山を含め、諸々の亜麻の布地をもって覆い隠すであろう。これは、半分の布地の果である。

 

37. すなわち、〔わたしが〕布施を施した、そのとき、これより、十万カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、半分の布地の果である。

 

38. わたしの、諸々の〔心の〕汚れは焼尽し……略……煩悩なき者となり、〔世に〕住む。

 

39. わたしにとって、まさに、善き訪問として存した……略……覚者の教えは為された。

 

40. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。

 

 かくのごとく、まさに、尊者ウパッダドゥッサダーヤカ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──

 

 ウパッダドゥッサダーヤカ長老の行状が、第五となる。

 

50. 6. ガタマンダダーヤカ長老の行状

 

41. スチンティタ世尊が、世の最尊者にして人の雄牛たる方が、大いなる林に入り、風の病に責め苛まれているのを──

 

42. 見て、心を浄信させて、酪の精髄を進呈した。自己の為したことは、さらに、自己の蓄積したものは、〔まさに〕この、バーギーラティー〔という名〕のガンガー〔川の如きもの〕となる。

 

43. わたしのために、四つの大いなる海は、酪に満たされる。そして、この、量るべくもなく、数えようもない、おぞましき地は──

 

44. わたしの思惟を了知して、甘き砂糖と成る。四つの洲の、地に育つ植物である、これらの木々は──

 

45. わたしの思惟を了知して、それらは、カッパ樹(魔法の木)と成る。五十回、天のインダとして、天の王権を為した。

 

46. そして、五十一回、わたしは、転輪〔王〕と成った。数〔の観点〕からは数えようもない、広大なる地域の王権を〔為した〕。

 

47. すなわち、〔わたしが〕布施を施した、そのとき、これより、九十四カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、酪の精髄の果である。

 

48. わたしの、諸々の〔心の〕汚れは焼尽し……略……煩悩なき者となり、〔世に〕住む。

 

49. わたしにとって、まさに、善き訪問として存した……略……覚者の教えは為された。

 

50. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。

 

 かくのごとく、まさに、尊者ガタマンダダーヤカ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──

 

 ガタマンダダーヤカ長老の行状が、第六となる。

 

50. 7. ウダカダーヤカ長老の行状

 

51. パドゥムッタラ覚者のために、無上なる比丘の僧団にたいし、浄信した心の者となり、悦意の者となり、水鉢を満たした。

 

52. 山頂において、あるいは、難所において、あるいは、虚空において、さらに、地上において、〔わたしが〕飲み物を求める、そのときは、すみやかに、〔飲み物が〕わたしに発現する。

 

53. すなわち、〔わたしが〕布施を施した、そのとき、これより、十万カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、水の布施の果である。

 

54. わたしの、諸々の〔心の〕汚れは焼尽し……略……煩悩なき者となり、〔世に〕住む。

 

55. わたしにとって、まさに、善き訪問として存した……略……覚者の教えは為された。

 

56. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。

 

 かくのごとく、まさに、尊者ウダカダーヤカ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──

 

 ウダカダーヤカ長老の行状が、第七となる。

 

50. 8. プリナトゥーピヤ長老の行状

 

57. ヒマヴァントの遠からざるところ、ヤマカという名の山がある。わたしには、美しく作られた庵所があり、見事に造作された草庵がある。

 

58. 名としては、ナーラダという名の、激しい苦行の結髪者として〔世に有った〕。一万四千の弟子たちが、わたしを取り囲む。

 

59. 静坐者として存しつつ、そのとき、わたしは、このように思い考えた。「全ての人が、わたしを供養するが、わたしは、誰をも(※)供養しない。

 

※ テキストには kiñcana とあるが、PTS版により kañcana と読む。

 

60. わたしに、教諭者は存在しない。誰であれ、説者は見出されない。わたしは、師匠と師父なき者として、林のなかの住居へと近しく至る。

 

61. その方に、わたしが近侍していると、尊重の心が起きるであろう、〔まさに〕その、師匠は、わたしには存在しない。林の住居は、〔わたしにとって〕義(意味)なきもの。

 

62. 供物〔の受者〕たる方を、わたしにとって〔義あるものを〕探し求めるのだ──そのように、尊ぶべき導師を〔探し求めるのだ〕。援助〔の対象〕を有する者として、〔わたしは、世に〕住するのだ。誰であれ、〔わたしのことを〕非難しないであろう」〔と〕。

 

63. なだらかな斜面の小川があり、意が喜びとする美しい岸辺があり、極めて清浄なる砂粒に満ち溢れている──遠からざるところにおいて、わたしの庵所を〔美しく荘厳しながら〕。

 

64. そのとき、わたしは、アマリカーという名の川へと近しく赴いて、砂を等しく盛り上げて、砂の塔廟を作った。

 

65. すなわち、彼らは、正覚者たちとして〔世に〕有った──〔迷いの〕生存の終極を為す牟尼たちとして。彼らには、このようなものとして、塔があり、その形相〔のとおりの塔〕を、わたしは作る。

 

66. 砂の塔を作って、わたしは、金色に造作した。三千の、金色のキンカニの花を供養した。

 

67. 感嘆〔の思い〕を生じ、合掌を為し、夕に、朝に、礼拝する。面前の正覚者を〔敬拝する〕ように、砂の塔廟を敬拝した。

 

68. 諸々の〔心の〕汚れが、諸々の家〔の生活〕に依拠した思考が、〔それらが〕生じる、そのときは、まさしく、ただちに、美しく作られた塔を、思念し、綿密に注視する。

 

69. 「先導者たる方に、〔世の〕導き手たる方に、近しく依拠して、〔世に〕住んでいる〔わたし〕である。敬愛なる方よ、〔心の〕汚れのなかで、〔あなたが、わたしと〕共住するなら、あなたにとって、〔これは〕相応しからず」〔と〕。

 

70. 塔に〔心が〕傾注されたなら、〔それと〕共に、そのとき、わたしには、尊重〔の思い〕が有る。あたかも、刺し棒に苦悩する象のように、〔わたしは〕諸々の悪しき思考を除き去った。

 

71. このように〔世に〕住んでいるわたしを、死魔の王は打ち砕いた。そこにおいて、命を終えた者として存しつつ、わたしは、梵の世に赴いた。

 

72. 寿命のあるかぎり住して、わたしは、三十三〔天〕に再生した。八十回、天のインダとして、天の王権を為した。

 

73. そして、三百回、わたしは、転輪〔王〕と成った。数〔の観点〕からは数えようもない、広大なる地域の王権を〔為した〕。

 

74. 金色のキンカニの花々の報いを、わたしは受領する。生存において、十万の乳母が、わたしを取り囲む。

 

75. 塔を世話したことから、塵と埃が、〔わたしを〕汚さない。諸々の汗が、五体に出ない。わたしは、美しき光輝ある者と成る。

 

76. ああ、わたしによって、塔は、見事に作られ、アマリカー川は、善く見られた。砂の塔を作って、〔わたしは〕不動の境処に至り得た者として〔世に〕存している。

 

77. 善を為すことを欲し、真髄を収め取る人によるなら、田畑が、あるいは、田畑ならざるものが、存在せずとも、まさしく、実践の遂行がある。

 

78. たとえば、また、力ある人が、川を超え渡るべく邁進し、小さな木片を抱えて、大いなる流れに飛び込むように──

 

79. わたしは、この木片に依拠して、大海を超え渡るのだ。人は、邁進によって、精進によって、大海を超え渡るべきである。

 

80. まさしく、そのように、わたしによって為された、その行為は、小さく、かつまた、僅かなものであるが、その行為に近しく依拠して、〔わたしは〕輪廻を超越した。

 

81. 最後の生存に達し得たとき、白根に促された〔わたし〕は、サーヴァッティーの都において生まれたのだった──大家にして富豪〔の家〕に。

 

82. わたしの母と父は、信ある者たちであり、帰依所として、覚者のもとに赴いた者たちである。これらの者たちは、両者ともに、〔寂静の〕境処を見た者たちであり、〔覚者の〕教えに従い転じ行く。

 

83. 〔彼らは〕菩提〔樹〕の落木を収め取って、金色の塔を作らせた。夕に、朝に、釈迦族の方の面前に〔有るかのように〕礼拝する。

 

84. 斎戒の日には、金色の塔を取り出し、覚者の栄誉を賛じ称えながら、〔初夜と中夜と後夜の〕三夜を過ごした(徹夜した)。

 

85. わたしは、塔を見て、〔それと〕共に、〔過去の〕砂の塔廟を思念した。一なる坐において、坐って〔そののち〕、阿羅漢の資質に至り得た。

 

 〔以上が〕第二十二の朗読分となる。

 

86. 彼を、勇者を、探し求めながら、〔わたしは〕法(教え)の軍団長(サーリプッタ)を見た。〔わたしは〕家から出て、彼の現前において出家した。

 

87. 生まれて七年で、〔わたしは〕阿羅漢の資質に至り得た。覚者は、眼ある方は、〔わたしの〕徳を了知して、〔戒を〕成就させた。

 

88. まさしく、少年として存しながらも、わたしによって、〔為すべき〕所作は終了するところとなった。わたしによって、今日、為すべきことは為された──釈迦族の方の教えにおいて。

 

89. 〔わたしは〕一切の怨恨と恐怖を超え行った者として、一切の執着を超え行く聖賢として、偉大なる勇者よ、あなたの弟子として、〔世に有る〕。これは、金色の塔の果である。

 

90. わたしの、諸々の〔心の〕汚れは焼尽し……略……煩悩なき者となり、〔世に〕住む。

 

91. わたしにとって、まさに、善き訪問として存した……略……覚者の教えは為された。

 

92. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。

 

 かくのごとく、まさに、尊者プリナトゥーピヤ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──

 

 プリナトゥーピヤ長老の行状が、第八となる。

 

50. 9. ナラクティダーヤカ長老の行状

 

93. ヒマヴァントの遠からざるところ、ハーリタという名の山がある。ナーラダという名の、〔他に依らず〕自ら成る方は、そのとき、木の根元に住した。

 

94. わたしは、葦の家を作って、草で覆った。わたしは、〔瞑想のための〕歩行場を美しく荘厳して、〔他に依らず〕自ら成る方に施した。

 

95. その善行の行為によって、さらに、諸々の思欲による誓願によって、人間の肉身を捨棄して〔そののち〕、わたしは、三十三〔天〕に赴いた。

 

96. そこにおいて、わたしには、美しく作られた宮殿が〔発現する〕──葦の小屋の〔果として〕化作された〔宮殿〕が、六十ヨージャナの高さと三十〔ヨージャナ〕の幅ある〔宮殿〕が。

 

97. 十四カッパのあいだ、わたしは、天の世において喜び楽しんだ。そして、七十一回、天の王権を為した。

 

98. そして、三十四回、わたしは、転輪〔王〕と成った。数〔の観点〕からは数えようもない、広大なる地域の王権を〔為した〕。

 

99. 一切の優れた行相の喩えある、法(真理)の高楼に登って、求めるままに、わたしは住むであろう──釈迦族の方の教えにおいて。

 

100. すなわち、〔わたしが〕行為を為した、そのとき、これより、三十一カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、葦の小屋の果である。

 

101. わたしの、諸々の〔心の〕汚れは焼尽し……略……煩悩なき者となり、〔世に〕住む。

 

102. わたしにとって、まさに、善き訪問として存した……略……覚者の教えは為された。

 

103. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。

 

 かくのごとく、まさに、尊者ナラクティダーヤカ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──

 

 ナラクティダーヤカ長老の行状が、第九となる。

 

50. 10. ピヤーラパラダーヤカ長老の行状

 

104. かつて、鹿の猟師として〔世に〕存した──そのとき、〔獲物を求めて〕渡り歩きながら、森のなかにある。〔わたしは〕見た──〔世俗の〕塵を離れる覚者を、一切の法(事象)の彼岸に至る方を。

 

105. ピヤーラ〔樹〕の果実を取って、わたしは、最勝の覚者に施した──功徳の田畑たる方に、勇者に、浄信した者となり、自らの〔両の〕手で。

 

106. すなわち、〔わたしが〕果実を施した、そのとき、これより、三十一カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、果実の布施の果である。

 

107. わたしの、諸々の〔心の〕汚れは焼尽し……略……煩悩なき者となり、〔世に〕住む。

 

108. わたしにとって、まさに、善き訪問として存した……略……覚者の教えは為された。

 

109. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。

 

 かくのごとく、まさに、尊者ピヤーラパラダーヤカ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──

 

 ピヤーラパラダーヤカ長老の行状が、第十となる。

 

 キンカニプッパの章が、第五十となる。

 

 その〔章〕のための摂頌となる。

 

 〔そこで、詩偈に言う〕「キンカニン、そして、パンスクーラ、コーランダ、さらに、キンスカ、ウパッダドゥッシン、ガタダ、ウダカ、トゥーパカーラカ──

 

 そして、第九のものとしてナラカーリン、ピヤーラパラダーヤカがあり、諸々の詩偈があるなか、そして、一百〔の詩偈〕があり、さらに、それに加えて、九つ〔の詩偈〕がある」〔と〕。

 

 そこで、章の摂頌となる。

 

 〔そこで、詩偈に言う〕「メッテイヤの章、バッダーリ、そして、また、サキンサンマッジャカ、エーカヴィハーリン、ヴィビータキン、ジャガティ、サーラプッピヤ──

 

 ナラーガーラ、パンスクーラ、そのように、キンカニプッピヤがあり、そして、八十二の詩偈があり、さらに、千四百〔の詩偈〕がある」〔と〕。

 

 〔以上が〕メッテイヤの章の十なるものとなる。

 

 第五の百なるものは〔以上で〕完結となる。

 

51. カニカーラの章

 

51. 1. ティカニカーラプッピヤ長老の行状

 

1. スメーダという名の正覚者は、三十二の優れた特相ある方は、遠離を欲する正覚者は、ヒマヴァントへと近しく赴いた。

 

2. ヒマヴァントに深く分け入って、至高の者にして慈悲の者たる牟尼は、最上の人士たる方は、結跏を組んで坐った。

 

3. そのとき、わたしは、空中を歩む呪術師(婆羅門)として〔世に〕存した。そのとき、〔わたしは〕見事に作られた三つ又の杖を掴んで、宙を赴く。

 

4. 山頂の火のような方は、満月の月のような方は、咲き誇るサーラ〔樹〕の王のような方は、覚者は、林に光り輝く。

 

5. 諸々の覚者の光は、林の先端から出て、〔方々に〕走り行く。葦の火の色艶の似姿ある〔諸々の覚者の光〕を見て、〔わたしは〕心を浄信させた。

 

6. 天の香りあるカニカーラ〔樹〕の花を尋ね求めながら、〔それを〕見た。三つの花を取って、最勝の覚者を供養した。

 

7. そのとき、覚者の威力によって、わたしの三つの花は、茎を上に、花弁を下に、教師のために、影を作る。

 

8. その善行の行為によって、さらに、諸々の思欲による誓願によって、人間の肉身を捨棄して〔そののち〕、わたしは、三十三〔天〕に赴いた。

 

9. そこにおいて、わたしには、美しく作られた宮殿が〔発現する〕──「カニカーラ」という〔名で〕知られ、六十ヨージャナの高さと三十〔ヨージャナ〕の幅ある〔宮殿〕が。

 

10. 千の射程があり、百の階があり、旗で飾られ、黄金で作られている〔宮殿〕が〔発現する〕。宮殿において、わたしには、十万の尖塔が出現した。

 

11. 黄金で作られているものが、宝珠で作られているものが、さらに、また、紅玉で作られているものが──さらに、また、諸々の水晶の長椅子が、求めるとおりに、求めるままに〔発現する〕。

 

12. そして、高価なる臥具が〔発現する〕──綿入りのものや毛織りのものを設えたものが、上掛けが一方にあるものが、枕を備えたものが。

 

13. 居所から出て、天の巡行を歩んでいるときは、赴くことを求める、そのときに、天〔の神々〕たちの群れに囲まれた者となる。

 

14. 〔わたしが〕花の下に立つなら、わたしのために、上に、〔花の〕覆いが〔発現する〕──百ヨージャナの遍きにわたり、カニカーラ〔の花々〕で覆い隠された〔覆い〕が。

 

15. 六万の楽器が、夕に、朝に、奉仕し、常に、わたしを取り囲む──夜に、昼に、休みなく。

 

16. そこにおいて、諸々の舞踏によって、諸々の歌詠によって、諸々の鉦によって、そして、諸々の音楽によって、遊興と歓楽によって喜び楽しみ、わたしは、欲するままに欲する者となり、歓喜する。

 

17. そこにおいて、食べて、さらに、飲んで、そのとき、〔わたしは〕三十三〔天〕において歓喜する。女たちの群れを伴い、最上の宮殿において歓喜する。

 

18. そして、五百回、天の王権を為した。そして、三百回、わたしは、転輪〔王〕と成った。数〔の観点〕からは数えようもない、広大なる地域の王権を〔為した〕。

 

19. 種々なる生存において輪廻しながら、わたしは、大いなる財物を得る。わたしの財物に、不足は存在しない。これは、覚者の供養の果である。

 

20. 天〔の神〕たる〔境遇〕において、さらに、人間において、〔天と人の〕二つの生存において、〔わたしは〕輪廻する(天界と人間界においてのみ輪廻する)。他の境遇を、〔わたしは〕知らない。これは、覚者の供養の果である。

 

21. 二つの家系において、〔わたしは〕生まれる──士族において、そして、また、婆羅門において。低き家系において、〔わたしは〕生まれない。これは、覚者の供養の果である。

 

22. 象の乗物を、馬の乗物を、駕篭を、戦車を、まさしく、この全てを、〔わたしは〕得る。これは、覚者の供養の果である。

 

23. 奴隷たちの衆を、奴婢たちの衆を、〔装いを〕十二分に作り為した女たちを、まさしく、この全てを、〔わたしは〕得る。これは、覚者の供養の果である。

 

24. 諸々の絹や毛布を、さらに、諸々の亜麻や木綿を、まさしく、この全てを、〔わたしは〕得る。これは、覚者の供養の果である。

 

25. 新しい衣を、新しい果実を、新しく至高の味ある食料を、まさしく、この全てを、〔わたしは〕得る。これは、覚者の供養の果である。

 

26. 「これを咀嚼したまえ」「これを食べたまえ」「この臥具に臥したまえ」〔と〕、まさしく、この全てを、〔わたしは〕得る。これは、覚者の供養の果である。

 

27. 一切所において、供養される者と成る。盛り上がる盛名が、わたしにはある。常に大いなる徒党ある者として、常に不壊なる衆ある者として、〔世に〕有る。親族たちのなかの最上の者として〔世に〕有る。これは、覚者の供養の果である。

 

28. 寒さと暑さを、〔わたしは〕知らない。苦悶は、〔わたしに〕見出されない。さらに、心の苦しみは、わたしの心臓において見出されない。

 

29. 黄金の色艶ある者と成って、種々なる生存において輪廻する。醜い色艶を、〔わたしは〕知らない。これは、覚者の供養の果である。

 

30. 天の世から死滅して、白根に促された〔わたし〕は、サーヴァッティーの都において生まれたのだった──大家にして富豪〔の家〕に。

 

31. 五つの欲望の属性(五妙欲:色・声・香・味・触)を捨棄して、〔家から〕家なきへと出家した。わたしは、生まれて七年で、阿羅漢の資質に至り得た。

 

32. 覚者は、眼ある方は、〔わたしの〕徳を了知して、〔戒を〕成就させた。幼くあるも、わたしは、供養される者となる。これは、覚者の供養の果である。

 

33. わたしには、清浄なる天眼がある。わたしは、禅定に巧みな智ある者であり、神知における完全態に至り得た者である。これは、覚者の供養の果である。

 

34. 〔四つの〕融通無礙〔の智慧〕(無礙解)を獲得した者であり、〔四つの〕神通の足場(神足)における熟知者であり、諸々の法(教え)における完全態(波羅蜜・到彼岸)に至り得た者である。これは、覚者の供養の果である。

 

35. すなわち、〔わたしが〕覚者を供養した、三万カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、覚者の供養の果である。

 

36. わたしの、諸々の〔心の〕汚れは焼尽し、一切の〔迷いの〕生存は完破された。象のように結縛を断ち切って、煩悩なき者となり、〔世に〕住む。

 

37. わたしにとって、まさに、善き訪問として存した──わたしにとって、覚者の現前にあることは。三つの明知は獲得され、覚者の教えは為された。

 

38. 四つの融通無礙は〔実証され〕、そして、また、これらの八つの解脱も〔実証された〕。六つの神知は実証され、覚者の教えは為された。

 

 かくのごとく、まさに、尊者ティカニカーラプッピヤ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──

 

 ティカニカーラプッピヤ長老の行状が、第一となる。

 

51. 2. エーカパッタダーヤカ長老の行状

 

39. ハンサヴァティーの城市において、わたしは、陶工として〔世に〕有った。〔わたしは〕見た──〔世俗の〕塵を離れる覚者を、激流を超え渡った煩悩なき方を。

 

40. 見事に作られた陶器の鉢を、わたしは、最勝の覚者に施した。〔心が〕真っすぐと成った如なる方に、世尊に、鉢を施して〔そののち〕──

 

41. わたしが、生存において発現していると、わたしは、諸々の黄金の皿を得る──そして、諸々の白銀で作られている〔皿〕を、諸々の黄金の〔皿〕を、さらに、諸々の宝珠で作られている皿を。

 

42. 諸々の鉢を、〔わたしは〕遍く受益する。これは、功徳の行為の果である。そして、諸々の福徳の、さらに、諸々の財産の、至高の状態ある者として、そして、わたしは〔世に〕有る。

 

43. たとえば、また、善き田畑において、たとえ、少しの種であれ、〔耕作者によって〕育てられ、正しく、流水を授けているなら、果となり、耕作者を満足させるように──

 

44. まさしく、そのように、この鉢の布施は、覚者の田畑において育てられた。喜悦の流水が雨降るなか、果となり、わたしを満足させるであろう。

 

45. およそ、諸々の田畑が見出されるかぎりは、そして、また、僧団であれ、さらに、また、衆徒であれ、覚者の田畑に等しきものは存在しない──全ての命ある者たちに安楽を与えるものとして。

 

46. 善き生まれの人士たる方よ、あなたに、礼拝〔有れ〕。最上の人士たる方よ、あなたに、礼拝〔有れ〕。一なる鉢を施して、〔わたしは〕不動の境処に至り得た者として〔世に〕存している。

 

47. すなわち、〔わたしが〕鉢を施した、そのとき、これより、九十一カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、鉢の布施の果である。

 

48. わたしの、諸々の〔心の〕汚れは焼尽し……略……煩悩なき者となり、〔世に〕住む。

 

49. わたしにとって、まさに、善き訪問として存した……略……覚者の教えは為された。

 

50. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。

 

 かくのごとく、まさに、尊者エーカパッタダーヤカ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──

 

 エーカパッタダーヤカ長老の行状が、第二となる。

 

51. 3. カースマーラパリヤ長老の行状

 

51. カニカーラ〔樹の花〕のように輝いている〔覚者〕を、山間に坐っている〔覚者〕を、〔わたしは〕見た──〔世俗の〕塵を離れる覚者を、世の最尊者にして人の雄牛たる方を。

 

52. 浄信した心の者となり、悦意の者となり、頭に合掌を為して、カースマーリー〔樹の果実〕を取って、わたしは、最勝の覚者に施した。

 

53. すなわち、〔わたしが〕果実を施した、そのとき、これより、三十一カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、果実の布施の果である。

 

54. わたしの、諸々の〔心の〕汚れは焼尽し……略……煩悩なき者となり、〔世に〕住む。

 

55. わたしにとって、まさに、善き訪問として存した……略……覚者の教えは為された。

 

56. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。

 

 かくのごとく、まさに、尊者カースマーラパリヤ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──

 

 カースマーラパリヤ長老の行状が、第三となる。

 

51. 4. アヴァタパリヤ長老の行状

 

57. サハッサランシ世尊は、〔他に依らず〕自ら成る方は、〔一切に〕敗れることなき方は、遠離から出起して、托鉢のために出た。

 

58. 〔覚者を〕見て、わたしは、果実を手に、人の雄牛たる方のもとへと近しく赴いた。浄信した心の者となり、悦意の者となり、アヴァタ〔樹〕の果実を施した。

 

59. すなわち、〔わたしが〕果実を施した、そのとき、これより、九十四カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、果実の布施の果である。

 

60. わたしの、諸々の〔心の〕汚れは焼尽し……略……煩悩なき者となり、〔世に〕住む。

 

61. わたしにとって、まさに、善き訪問として存した……略……覚者の教えは為された。

 

62. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。

 

 かくのごとく、まさに、尊者アヴァタパリヤ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──

 

 アヴァタパリヤ長老の行状が、第四となる。

 

51. 5. パーダパリヤ長老の行状

 

63. 黄金の色艶ある正覚者が、諸々の捧げものの納受者たる方が、道を行きつつあるのを〔見て〕、パーダ〔樹〕の果実を、わたしは施した。

 

64. すなわち、〔わたしが〕果実を施した、そのとき、これより、九十一カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、果実の布施の果である。

 

65. わたしの、諸々の〔心の〕汚れは焼尽し……略……煩悩なき者となり、〔世に〕住む。

 

66. わたしにとって、まさに、善き訪問として存した……略……覚者の教えは為された。

 

67. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。

 

 かくのごとく、まさに、尊者パーダパリヤ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──

 

 パーダパリヤ長老の行状が、第五となる。

 

51. 6. マートゥルンガパラ長老の行状

 

68. カニカーラ〔樹の花〕のように輝いている〔覚者〕を、満月の月のような方を、光り輝いている灯明台のような方を、世の導き手たる方を、〔わたしは〕見た。

 

69. マートゥルンガ〔樹〕の果実を収め取って、わたしは、教師に施した──施与されるべき方に、勇者に、浄信した者となり、自らの〔両の〕手で。

 

70. すなわち、〔わたしが〕果実を施した、そのとき、これより、三十一カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、果実の布施の果である。

 

71. わたしの、諸々の〔心の〕汚れは焼尽し……略……煩悩なき者となり、〔世に〕住む。

 

72. わたしにとって、まさに、善き訪問として存した……略……覚者の教えは為された。

 

73. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。

 

 かくのごとく、まさに、尊者マートゥルンガパラ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──

 

 マートゥルンガパラ長老の行状が、第六となる。

 

51. 7. アジェーリパラダーヤカ長老の行状

 

74. アッジュナという名の正覚者は、そのとき、ヒマヴァントに住した──かつまた、行ないを成就し、禅定に巧みな智ある牟尼は。

 

75. 瓶ほどのアジェーリ〔樹の果実〕とジーヴァジーヴァカ〔樹の花〕を収め取って、傘の葉を収め取って、わたしは、教師に施した。

 

76. すなわち、〔わたしが〕果実を施した、そのとき、これより、九十四カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、果実の布施の果である。

 

77. わたしの、諸々の〔心の〕汚れは焼尽し……略……煩悩なき者となり、〔世に〕住む。

 

78. わたしにとって、まさに、善き訪問として存した……略……覚者の教えは為された。

 

79. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。

 

 かくのごとく、まさに、尊者アジェーリパラダーヤカ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──

 

 アジェーリパラダーヤカ長老の行状が、第七となる。

 

51. 8. アモーダパリヤ長老の行状

 

80. 黄金の色艶ある正覚者が、諸々の捧げものの納受者たる方が、道を行きつつあるのを〔見て〕、アモーダ〔樹〕の果実を施した。

 

81. すなわち、〔わたしが〕果実を施した、そのとき、これより、九十一カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、果実の布施の果である。

 

82. わたしの、諸々の〔心の〕汚れは焼尽し……略……煩悩なき者となり、〔世に〕住む。

 

83. わたしにとって、まさに、善き訪問として存した……略……覚者の教えは為された。

 

84. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。

 

 かくのごとく、まさに、尊者アモーダパリヤ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──

 

 アモーダパリヤ長老の行状が、第八となる。

 

51. 9. ターラパラダーヤカ長老の行状

 

85. サタランシという名の世尊は、〔他に依らず〕自ら成る方は、〔一切に〕敗れることなき方は、遠離から出起して、托鉢のために出た。

 

86. 〔覚者を〕見て、わたしは、果実を手に、人の雄牛たる方のもとへと近しく赴いた。浄信した心の者となり、悦意の者となり、わたしは、ターラ〔樹〕の果実を施した。

 

87. すなわち、〔わたしが〕果実を施した、そのとき、これより、九十四カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、果実の布施の果である。

 

88. わたしの、諸々の〔心の〕汚れは焼尽し……略……煩悩なき者となり、〔世に〕住む。

 

89. わたしにとって、まさに、善き訪問として存した……略……覚者の教えは為された。

 

90. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。

 

 かくのごとく、まさに、尊者ターラパラダーヤカ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──

 

 ターラパラダーヤカ長老の行状が、第九となる。

 

51. 10. ナーリケーラパラダーヤカ長老の行状

 

91. バンドゥマティーの城市において、そのとき、わたしは、園丁として〔世に有った〕。〔わたしは〕見た──〔世俗の〕塵を離れる覚者を、〔天高く〕曲がりなき風のなかを赴きつつある〔覚者〕を。

 

92. ナーリケーラ〔樹〕の果実を収め取って、わたしは、最勝の覚者に施した。虚空において止住し、〔そのように〕存しつつ、偉大なる福徳ある方は、〔それを〕納受した──

 

93. わたしに歓悦〔の思い〕を生み、所見の法(現世)における安楽をもたらす方として。〔ナーリケーラ樹の〕果実を、覚者に施して、浄信した心で──

 

94. そのとき、〔わたしは〕喜悦〔の思い〕に到達した──さらに、広大なる最上の安楽に。そこかしこにおいて、〔わたしが〕発現したなら、まさしく、宝玉が生起する。

 

95. すなわち、〔わたしが〕果実を施した、そのとき、これより、九十一カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、果実の布施の果である。

 

96. わたしには、清浄なる天眼がある。わたしは、禅定に巧みな智ある者であり、神知における完全態に至り得た者である。これは、果実の布施の果である。

 

97. わたしの、諸々の〔心の〕汚れは焼尽し……略……煩悩なき者となり、〔世に〕住む。

 

98. わたしにとって、まさに、善き訪問として存した……略……覚者の教えは為された。

 

99. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。

 

 かくのごとく、まさに、尊者ナーリケーラパラダーヤカ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──

 

 ナーリケーラパラダーヤカ長老の行状が、第十となる。

 

 カニカーラの章が、第五十一となる。

 

 その〔章〕のための摂頌となる。

 

 〔そこで、詩偈に言う〕「そして、カニカーラとエーカパッタ、そのように、クスマーリン、アヴァタ、そして、パーダ、そして、マートゥルンガ、アジェーリン、まさしく、そして、アモーダ──

 

 そのように、ターラ、ナーリケーラがあり、〔それらの〕詩偈が、ここに数えられ、欠くことも超えることも避けた、一百の詩偈が有る」〔と〕。

 

52. パラダーヤカの章

 

52. 1. クランチヤパラダーヤカ長老の行状

 

1. かつて、鹿の猟師として〔世に〕存した──わたしは、〔獲物を求めて〕渡り歩きながら、森のなかにある。〔わたしは〕見た──〔世俗の〕塵を離れる覚者を、一切の法(事象)の彼岸に至る方を。

 

2. クランチヤ〔樹〕の果実を収め取って、わたしは、最勝の覚者に施した──功徳の田畑たる方に、如なる方に、浄信した者となり、自らの〔両の〕手で。

 

3. すなわち、〔わたしが〕果実を施した、そのとき、これより、三十一カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、果実の布施の果である。

 

4. わたしの、諸々の〔心の〕汚れは焼尽し、一切の〔迷いの〕生存は完破された。象のように結縛を断ち切って、煩悩なき者となり、〔世に〕住む。

 

5. わたしにとって、まさに、善き訪問として存した──わたしにとって、覚者の現前にあることは。三つの明知は獲得され、覚者の教えは為された。

 

6. 四つの融通無礙は〔実証され〕、そして、また、これらの八つの解脱も〔実証された〕。六つの神知は実証され、覚者の教えは為された。

 

 かくのごとく、まさに、尊者クランチヤパラダーヤカ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──

 

 クランチヤパラダーヤカ長老の行状が、第一となる。

 

52. 2. カピッタパラダーヤカ長老の行状

 

7. 黄金の色艶ある正覚者が、諸々の捧げものの納受者たる方が、道を行きつつあるのを〔見て〕、カピッタ〔樹〕の果実を、わたしは施した。

 

8. すなわち、〔わたしが〕果実を施した、そのとき、これより、九十一カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、果実の布施の果である。

 

9. わたしの、諸々の〔心の〕汚れは焼尽し……略……煩悩なき者となり、〔世に〕住む。

 

10. わたしにとって、まさに、善き訪問として存した……略……覚者の教えは為された。

 

11. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。

 

 かくのごとく、まさに、尊者カピッタパラダーヤカ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──

 

 カピッタパラダーヤカ長老の行状が、第二となる。

 

52. 3. コーサンバパリヤ長老の行状

 

12. カクダ〔樹〕のように輝いている方が、天の天たる方が、人の雄牛たる方が、道を行きつつあるのを〔見て〕、そのとき、〔わたしは〕コーサンバ〔樹の果実〕を施した。

 

13. すなわち、〔わたしが〕果実を施した、そのとき、これより、三十一カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、果実の布施の果である。

 

14. わたしの、諸々の〔心の〕汚れは焼尽し……略……煩悩なき者となり、〔世に〕住む。

 

15. わたしにとって、まさに、善き訪問として存した……略……覚者の教えは為された。

 

16. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。

 

 かくのごとく、まさに、尊者コーサンバパリヤ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──

 

 コーサンバパリヤ長老の行状が、第三となる。

 

52. 4. ケータカプッピヤ長老の行状

 

17. ヴィナター川の岸辺において、最上の人士たる方は〔世に〕住んだ。〔わたしは〕見た──〔世俗の〕塵を離れる覚者を、〔心が〕一境に善く定められた〔覚者〕を。

 

18. 蜜の香りあるケータカ〔樹〕の花によって、そのとき、わたしは、浄信した心の者となり、悦意の者となり、最勝の覚者を供養した。

 

19. すなわち、〔わたしが〕花を供養した、これより、九十一カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、覚者の供養の果である。

 

20. わたしの、諸々の〔心の〕汚れは焼尽し……略……煩悩なき者となり、〔世に〕住む。

 

21. わたしにとって、まさに、善き訪問として存した……略……覚者の教えは為された。

 

22. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。

 

 かくのごとく、まさに、尊者ケータカプッピヤ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──

 

 ケータカプッピヤ長老の行状が、第四となる。

 

52. 5. ナーガプッピヤ長老の行状

 

23. 黄金の色艶ある正覚者が、諸々の捧げものの納受者たる方が、道を行きつつあるのを〔見て〕、ナーガ〔樹〕の花を、〔わたしは〕供養した。

 

24. すなわち、〔わたしが〕花を供養した、これより、九十一カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、覚者の供養の果である。

 

25. わたしの、諸々の〔心の〕汚れは焼尽し……略……煩悩なき者となり、〔世に〕住む。

 

26. わたしにとって、まさに、善き訪問として存した……略……覚者の教えは為された。

 

27. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。

 

 かくのごとく、まさに、尊者ナーガプッピヤ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──

 

 ナーガプッピヤ長老の行状が、第五となる。

 

52. 6. アッジュナプッピヤ長老の行状

 

28. チャンダバーガー川の岸辺において、そのとき、〔わたしは〕妖精として〔世に〕有った。〔わたしは〕見た──〔世俗の〕塵を離れる覚者を、〔他に依らず〕自ら成る方を、〔一切に〕敗れることなき方を。

 

29. 浄信した心の者となり、悦意の者となり、感嘆〔の思い〕を生じ、合掌を為し、アッジュナ〔樹〕の花を収め取って、〔他に依らず〕自ら成る方を供養した。

 

30. その善行の行為によって、さらに、諸々の思欲による誓願によって、妖精の肉身を捨棄して〔そののち〕、わたしは、三十三〔天〕に赴いた。

 

31. 三十六回、天のインダとして、天の王権を為した。十回、転輪〔王〕として、大いなる王権を為した。

 

32. 数〔の観点〕からは数えようもない、広大なる地域の王権を〔為した〕。ああ、わたしには、善き田畑において、〔他に依らず〕自ら成る方において、蒔かれた種がある。

 

33. わたしには、善なる〔行為の果〕が見出される。〔わたしは、家から〕家なきへと出家した。わたしは、今日、供養に値する者である──釈迦族の方の教えにおいて。

 

34. わたしの、諸々の〔心の〕汚れは焼尽し……略……煩悩なき者となり、〔世に〕住む。

 

35. わたしにとって、まさに、善き訪問として存した……略……覚者の教えは為された。

 

36. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。

 

 かくのごとく、まさに、尊者アッジュナプッピヤ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──

 

 アッジュナプッピヤ長老の行状が、第六となる。

 

52. 7. クタジャプッピヤ長老の行状

 

37. ヒマヴァントの遠からざるところ、ヴァサラという名の山がある。スダッサナという名の覚者は、山間に住する。

 

38. ヒマヴァントの花を収め取って、わたしは、宙空に赴いた。そこにおいて、〔わたしは〕見た──正覚者を、激流を超え渡った煩悩なき方を。

 

39. クタジャ〔樹〕の花を取って、頭に合掌を為して、〔他に依らず〕自ら成る方に、偉大なる聖賢に、覚者に、献上した。

 

40. すなわち、〔わたしが〕花を供養した、これより、三十一カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、覚者の供養の果である。

 

41. わたしの、諸々の〔心の〕汚れは焼尽し……略……煩悩なき者となり、〔世に〕住む。

 

42. わたしにとって、まさに、善き訪問として存した……略……覚者の教えは為された。

 

43. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。

 

 かくのごとく、まさに、尊者クタジャプッピヤ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──

 

 クタジャプッピヤ長老の行状が、第七となる。

 

52. 8. ゴーササンニャカ長老の行状

 

44. かつて、鹿の猟師として〔世に〕存した──わたしは、林のなかにあり、森のなかにある。〔わたしは〕見た──〔世俗の〕塵を離れる覚者を、天〔の神々〕たちの群れに囲まれた〔覚者〕を。

 

45. 四つの真理を明示しながら、不死の境処を説示している〔覚者〕を〔見て〕、〔わたしは〕聞いた──シキン〔世尊〕の、世の眷属たる方の、甘美なる法(教え)を。

 

46. 等しき者なく対する人なき方にたいし、〔彼の〕話し声にたいし、〔わたしは〕心を浄信させた。そこにおいて、心を浄信させて、超え難き〔迷いの〕生存を超え渡った。

 

47. すなわち、〔わたしが〕表象を得た、そのとき、これより、三十一カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、話し声の表象の果である。

 

48. わたしの、諸々の〔心の〕汚れは焼尽し……略……煩悩なき者となり、〔世に〕住む。

 

49. わたしにとって、まさに、善き訪問として存した……略……覚者の教えは為された。

 

50. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。

 

 かくのごとく、まさに、尊者ゴーササンニャカ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──

 

 ゴーササンニャカ長老の行状が、第八となる。

 

52. 9. サッバパラダーヤカ長老の行状

 

51. 名としては、ヴァルナという名の、呪文の奥義に至る婆羅門として〔世に有った〕。十子を捨て去って、そのとき、林に深く分け入った。

 

52. 庵所を、美しく作られたものと為して、意が喜びとする美しく区分されたものと〔為して〕、草庵を作って、わたしは、森に住する。

 

53. パドゥムッタラ〔世尊〕は、世〔の一切〕を知る方は、諸々の捧げものの納受者たる方は、彼は、わたしを引き上げることを欲し、わたしの現前にやってきた。

 

54. およそ、密林におけるかぎりに、広大なる光輝が有った。覚者の威力によって、そのとき、森は光り輝いた。

 

55. 最勝の覚者の、如なる方の、その神変を見て、鉢を器として収め取って、わたしは、果実によって、〔覚者を〕供養した。

 

56. 正覚者のもとへと近しく赴いて、わたしは、天秤と共に、〔果実を〕施した。慈しみ〔の思い〕によって、覚者は、わたしに、この言葉を説いた。

 

57. 〔パドゥムッタラ世尊は言った〕「天秤を荷として収め取って、あなたは、わたしの後から来たれ。そして、僧団が遍く受益したとき、あなたの功徳と成るでしょう」〔と〕。

 

58. 愛らしい器を収め取って、わたしは、比丘の僧団に施した。そこにおいて、心を浄信させて、わたしは、兜率〔天〕に再生した。

 

59. そこにおいて、天の、諸々の舞踏によって、諸々の歌詠によって、そして、諸々の音楽によって、功徳の行為〔の果〕と結び付いたものとして、常に、安楽を受領する。

 

60. 天〔の神〕たる〔境遇〕に、さらに、人間に、その〔胎〕その胎に再生するなら、わたしの財物に、不足は存在しない。これは、果実の布施の果である。

 

61. およそ、四つの洲にあるかぎり、海洋を含め、山を含め、わたしは、権力を執行する──果実を、覚者に施して〔そののち〕。

 

62. およそ、翼ある者たちの衆としてあるかぎりの、これらの者たちが、もし、虚空に飛び上がるなら、彼らもまた、わたしの支配に従い行く。これは、果実の布施の果である。

 

63. およそ、密林にあるかぎりの、夜叉たちが、そして、精霊たちが、羅刹たちが、魔族たちが、さらに、また、音楽神たちが、わたしの世話へと近しく至る。

 

64. 亀たちが、犬たちが、蜜蜂たちが、さらに、虻たちが、蚊たちが、両者ともに、彼らもまた、わたしの支配に従い行く。これは、果実の布施の果である。

 

65. 翼ある者として生じ、大いなる力ある、金翅鳥という名の鳥たちが、彼らもまた、帰依所として、わたしのもとに行く。これは、果実の布施の果である。

 

66. すなわち、また、神通者にして、大いなる福徳ある、長き寿命の龍たちも、彼らもまた、わたしの支配に従い行く。これは、果実の布施の果である。

 

67. 獅子たちが、そして、虎たちが、さらに、豹たちが、熊や狼や鬣狗(ハイエナ)たちが、彼らもまた、わたしの支配に従い行く。これは、果実の布施の果である。

 

68. そして、薬草の住者たちが、さらに、すなわち、虚空の住者たちも、全ての者たちが、帰依所として、わたしのもとに行く。これは、果実の布施の果である。

 

69. 極めて見難く、極めて精緻なるものを、深遠にして、見事に明示されたものを、〔わたしは〕体得して、〔世に〕住む。これは、果実の布施の果である。

 

70. 八つの解脱を体得して、煩悩なき者となり、〔世に〕住む。わたしは、熱情ある者であり、かつまた、賢明なる者である。これは、果実の布施の果である。

 

71. すなわち、果に依って立つ者たちである、覚者の子たちは、憤怒が滅尽した者たちであり、大いなる福徳ある者たちであるが、わたしは、彼らの一員として〔世に有る〕。これは、果実の布施の果である。

 

72. 神知における完全態に至って、白根に促され、一切の煩悩を遍知して、煩悩なき者となり、〔世に〕住む。

 

73. 三つの明知ある者たちであり、かつまた、神通に至り得た者たちである、覚者の子たちは、大いなる福徳ある者たちであり、天耳〔の界域〕に入定した者たちであるが、わたしは、彼らの一員として〔世に有る〕。

 

74. すなわち、〔わたしが〕果実を施した、そのとき、これより、十万カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、果実の布施の果である。

 

75. わたしの、諸々の〔心の〕汚れは焼尽し……略……煩悩なき者となり、〔世に〕住む。

 

76. わたしにとって、まさに、善き訪問として存した……略……覚者の教えは為された。

 

77. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。

 

 かくのごとく、まさに、尊者サッバパラダーヤカ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──

 

 サッバパラダーヤカ長老の行状が、第九となる。

 

52. 10. パドゥマダーリカ長老の行状

 

78. ヒマヴァントの遠からざるところ、ローマサという名の山がある。サンバヴァという名の覚者もまた、そのとき、野外に住した。

 

79. 居所から出て、わたしは、蓮華を保持した。一日のあいだ、〔蓮華を〕保持して、ふたたび、居所に帰還した。

 

80. すなわち、〔わたしが〕覚者を供養した、これより、三十一カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、覚者の供養の果である。

 

81. わたしの、諸々の〔心の〕汚れは焼尽し……略……煩悩なき者となり、〔世に〕住む。

 

82. わたしにとって、まさに、善き訪問として存した……略……覚者の教えは為された。

 

83. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。

 

 かくのごとく、まさに、尊者パドゥマダーリカ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──

 

 パドゥマダーリカ長老の行状が、第十となる。

 

 パラダーヤカの章が、第五十二となる。

 

 その〔章〕のための摂頌となる。

 

 〔そこで、詩偈に言う〕「クランチヤ、そして、カピッタ、コーサンバ、さらに、ケータカ、まさしく、そして、ナーガプッパとアッジュナ、クタジン、ゴーササンニャカ──

 

 そして、サッバパラダ長老、そのように、パドゥマダーリカがあり、そして、ここにおいて、八十の詩偈があり、それに加えて、三つの詩偈がある」〔と〕。

 

53. ティナダーヤカの章

 

53. 1. ティナムッティダーヤカ長老の行状

 

1. ヒマヴァントの遠からざるところ、ランバカという名の山がある。まさしく、そこにおいて、ティッサ正覚者は、野外において、歩行〔瞑想〕をした。

 

2. かつて、鹿の猟師として〔世に〕存した──わたしは、林のなかにあり、森のなかにある。彼を、天の天たる方を、見て、わたしは、ひと握りの草を施した。

 

3. 覚者が坐ることを義(目的)として、〔ひと握りの草を〕施して、心を浄信させた。〔わたしは〕正覚者を敬拝して、北に向かい立ち去った。

 

4. 赴くやいなや、長からずして、獣の王が、〔わたしを〕打ち倒した。獅子に打ち倒され、〔そのように〕存しつつ、そこにおいて、わたしは、命を終えたのだった。

 

5. 〔そこに〕坐った、最勝の覚者にたいし、煩悩なき方にたいし、わたしによって、〔善なる〕行為が為された。善く放たれた矢の勢いのように、わたしは、天の世に赴いた。

 

6. そこにおいて、浄美なる宮殿が、〔わたしに〕存した──功徳の行為によって化作されたものとして、千の射程があり、百の階があり、旗で飾られ、黄金で作られている〔宮殿〕が。

 

7. 昇り行く百光〔の太陽〕のように、その〔宮殿〕の光は放たれる。天の少女たちに取り囲まれ、わたしは、欲するままに欲する者となり、歓喜した。

 

8. 天の世から死滅して、白根に促され、人間たる〔境遇〕に至り着いて、煩悩の滅尽に至り得た者として〔世に〕存している。

 

9. わたしが、坐を施した、これより、九十四カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、ひと握りの草における果である。

 

10. わたしの、諸々の〔心の〕汚れは焼尽し、一切の〔迷いの〕生存は完破された。象のように結縛を断ち切って、煩悩なき者となり、〔世に〕住む。

 

11. わたしにとって、まさに、善き訪問として存した──わたしにとって、覚者の現前にあることは。三つの明知は獲得され、覚者の教えは為された。

 

12. 四つの融通無礙は〔実証され〕、そして、また、これらの八つの解脱も〔実証された〕。六つの神知は実証され、覚者の教えは為された。

 

 かくのごとく、まさに、尊者ティナムッティダーヤカ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──

 

 ティナムッティダーヤカ長老の行状が、第一となる。

 

53. 2. マンチャダーヤカ長老の行状

 

13. ヴィパッシン世尊のために、世の最尊者にして如なる方のために、一なる臥床が、わたしによって施された──浄信した、命を有する者によって。

 

14. 象の乗物に、馬の乗物に、天の乗物に、〔わたしは〕正しく到達した。その臥床の布施によって、煩悩の滅尽に至り得た者として〔世に〕存している。

 

15. すなわち、〔わたしが〕臥床を施した、そのとき、これより、九十一カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、臥床の布施の果である。

 

16. わたしの、諸々の〔心の〕汚れは焼尽し……略……煩悩なき者となり、〔世に〕住む。

 

17. わたしにとって、まさに、善き訪問として存した……略……覚者の教えは為された。

 

18. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。

 

 かくのごとく、まさに、尊者マンチャダーヤカ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──

 

 マンチャダーヤカ長老の行状が、第二となる。

 

53. 3. サラナガマニヤ長老の行状

 

19. そのとき、そして、比丘は、さらに、アージーヴィカ(活命者・邪命外道)のわたしは、舟に乗った。舟が壊れつつあるとき、比丘は、帰依所を、わたしに与えた。

 

20. すなわち、彼が、帰依所を、わたしに与えた、これより、三十一カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。帰依所に赴くことにおける果である。

 

21. わたしの、諸々の〔心の〕汚れは焼尽し……略……煩悩なき者となり、〔世に〕住む。

 

22. わたしにとって、まさに、善き訪問として存した……略……覚者の教えは為された。

 

23. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。

 

 かくのごとく、まさに、尊者サラナガマニヤ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──

 

 サラナガマニヤ長老の行状が、第三となる。

 

53. 4. アッバンジャナダーヤカ長老の行状

 

24. バンドゥマティーの城市において、わたしは、王の庭園に住する。そのとき、わたしは、皮〔の衣〕をまとい、長口の水瓶を保持する者として〔世に〕存した。

 

25. 〔わたしは〕見た──〔世俗の〕塵を離れる覚者を、〔他に依らず〕自ら成る方を、〔一切に〕敗れることなき方を。彼を、〔刻苦〕精励をもって自己を精励した方を、瞑想を喜ぶ瞑想者にして自在者たる方を──

 

26. そして、一切の欲望が等しく実現する方を、激流を超え渡った煩悩なき方を、見て、浄信した心の者となり、悦意の者となり、わたしは、塗油を施した。

 

27. すなわち、〔わたしが〕布施を施した、そのとき、これより、九十一カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、塗油の果である。

 

28. わたしの、諸々の〔心の〕汚れは焼尽し……略……煩悩なき者となり、〔世に〕住む。

 

29. わたしにとって、まさに、善き訪問として存した……略……覚者の教えは為された。

 

30. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。

 

 かくのごとく、まさに、尊者アッバンジャナダーヤカ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──

 

 アッバンジャナダーヤカ長老の行状が、第四となる。

 

53. 5. スパタダーヤカ長老の行状

 

31. ヴィパッシン〔世尊〕が、世の導き手たる方が、昼の休息から出たので、軽快なる善き綿布を施して、わたしは、カッパのあいだ、天上において歓喜した。

 

32. わたしが、善き綿布を施した、これより、九十一カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、善き綿布の果である。

 

33. わたしの、諸々の〔心の〕汚れは焼尽し……略……煩悩なき者となり、〔世に〕住む。

 

34. わたしにとって、まさに、善き訪問として存した……略……覚者の教えは為された。

 

35. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。

 

 かくのごとく、まさに、尊者スパタダーヤカ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──

 

 スパタダーヤカ長老の行状が、第五となる。

 

53. 6. ダンダダーヤカ長老の行状

 

36. 森に、林に、入って行って、そのとき、わたしは、竹を断ち切って、支えとなる〔杖〕を多く作って、僧団に施した。

 

37. その心の浄信によって、善き掟ある者たちを敬拝して、支えとなる杖を施して、北に向かい立ち去った。

 

38. すなわち、〔わたしが〕杖を施した、そのとき、これより、九十四カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、杖の布施の果である。

 

39. わたしの、諸々の〔心の〕汚れは焼尽し……略……煩悩なき者となり、〔世に〕住む。

 

40. わたしにとって、まさに、善き訪問として存した……略……覚者の教えは為された。

 

41. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。

 

 かくのごとく、まさに、尊者ダンダダーヤカ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──

 

 ダンダダーヤカ長老の行状が、第六となる。

 

 〔以上が〕第二十三の朗読分となる。

 

53. 7. ギリネーラプージャカ長老の行状

 

42. かつて、鹿の猟師として〔世に〕存した──わたしは、〔獲物を求めて〕渡り歩きながら、森のなかにある。〔わたしは〕見た──〔世俗の〕塵を離れる覚者を、一切の法(事象)の彼岸に至る方を。

 

43. 彼にたいし、偉大なる慈悲者たる方にたいし、一切の有情たちに益あることを喜ぶ〔覚者〕にたいし、浄信した心の者となり、悦意の者となり、ネーラの花を供養した。

 

44. すなわち、〔わたしが〕花を供養した、これより、三十一カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、覚者の供養の果である。

 

45. わたしの、諸々の〔心の〕汚れは焼尽し……略……煩悩なき者となり、〔世に〕住む。

 

46. わたしにとって、まさに、善き訪問として存した……略……覚者の教えは為された。

 

47. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。

 

 かくのごとく、まさに、尊者ギリネーラプージャカ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──

 

 ギリネーラプージャカ長老の行状が、第七となる。

 

53. 8. ボーディサンマッジャカ長老の行状

 

48. かつて、わたしは、塔廟の庭において、枯れ落ちた菩提〔樹〕の葉を──それを収め取って捨て放ち、二十の徳を得た。

 

49. その行為の威光によって、種々なる生存において輪廻しながらも、二つの生存において、〔わたしは〕輪廻する──天〔の神〕たる〔境遇〕において、そして、また、人間において(天界と人間界においてのみ輪廻する)。

 

50. 天の世から死滅して、人間の生存に至り着いて、二つの家系において、〔わたしは〕生まれる──士族において、そして、また、婆羅門において。

 

51. 手足と肢体が成就した者として、高さと広さある者として、形姿麗しく清らかなる者として、肢体が等しく満ち欠くことなき者として、〔世に〕有る。

 

52. 天の世において、あるいは、人間〔の世〕において、あるいは、すなわち、どこにおいてであれ、〔わたしが〕生まれたなら、〔その〕生存において、そして、黄金の色艶ある者として、精錬された黄金の如き者として、〔世に有る〕。

 

53. 柔和で温厚で円滑で繊細で上品なる肌が、わたしには、一切時に有る。菩提〔樹〕の葉を善く捨て放ったことにおける〔報いである〕。

 

54. すなわち、どこからであれ、諸々の境遇において、生まれ来た肉体にたいし、塵や埃が汚さない。葉を捨て放ったことにおける報いである。

 

55. 暑さのとき、熱風のとき、また、あるいは、熱火によっても、その〔身体〕の五体において、諸々の汗が出ない。葉を捨て放ったことにおける報いである。

 

56. 癩、腫物、そして、疱瘡、諸々の斑点、そのように、諸々の吹出物も、さらに、肌荒も、身体において有ることなくある。葉を捨て放ったことにおける報いである。

 

57. その〔身体〕には、他にもまた、徳が、種々なる生存において発現する。諸々の病は、身体において有ることなくある。葉を捨て放ったことにおける報いである。

 

58. その〔身体〕には、他にもまた、徳が、種々なる生存において発現する。心から生じる逼悩は、有ることなくある。葉を捨て放ったことにおける報いである。

 

59. その〔身体〕には、他にもまた、徳が、種々なる生存において発現する。その〔身体〕には、朋友ならざる者たちは、有ることなくある。葉を捨て放ったことにおける報いである。

 

60. その〔身体〕には、他にもまた、徳が、種々なる生存において発現する。財物に欠くことなき者として〔世に〕有る。葉を捨て放ったことにおける報いである。

 

61. その〔身体〕には、他にもまた、徳が、種々なる生存において発現する。火や王による〔恐怖は〕、盗賊たちによる〔恐怖は〕、水における恐怖は、有ることなくある。

 

62. その〔身体〕には、他にもまた、徳が、種々なる生存において発現する。奴婢や奴隷たちは、従者たちは、心に従い転じ行く者たちとして〔世に〕有る。

 

63. その寿命の量において、人間の生存において生まれるなら、寿命は、その〔量〕から退失せず、寿命のあるかぎり止住する。

 

64. そして、内の者たちと外の者たちは、さらに、国土の者たちを含む、町の者たちも、全てもろともに、専念〔努力〕する者たちと成り、繁栄を欲し安楽を求める者たちと〔成る〕。

 

65. 〔わたしは〕財物ある者として、福徳ある者として、吉祥なる者として、親族の徒ある者として、〔世に〕有る。わたしは、生存において、全てにわたり、恐怖と畏怖を離れ去った者として〔世に〕有る。

 

66. 天〔の神々〕たちが、人間たちが、阿修羅たちが、音楽神たちが、夜叉や羅刹たちが、彼らの全てが、〔わたしを〕遍く守護する──生存において輪廻しているなら、常に。

 

67. 天の世において、そして、人間〔の世〕において、両者の福徳を受領して〔そののち〕、そして、最後〔の生存〕においては、涅槃に、無上なる至福〔の境地〕に、至り得た者として〔世に有る〕。

 

68. 正覚者に、あるいは、彼の、教師の、菩提〔樹〕に、〔思いを〕定めて、その人が、功徳を生むなら、彼にとって、まさに、どのような得難きものがあるというのだろう。

 

69. 道において、果において、そして、聖教において、さらに、瞑想と神知の諸徳において、他の者たちにとって卓越の者と成って、煩悩なき者となり、涅槃に到達する。

 

70. かつて、わたしは、欣喜の意図ある者となり、菩提〔樹〕の葉を捨て放って、一切時に、これらの二十の徳の保有者として〔世に〕有る。

 

71. わたしの、諸々の〔心の〕汚れは焼尽し……略……煩悩なき者となり、〔世に〕住む。

 

72. わたしにとって、まさに、善き訪問として存した……略……覚者の教えは為された。

 

73. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。

 

 かくのごとく、まさに、尊者ボーディサンマッジャカ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──

 

 ボーディサンマッジャカ長老の行状が、第八となる。

 

53. 9. アーマンダパラダーヤカ長老の行状

 

74. パドゥムッタラという名の勝者は、一切の法(事象)の彼岸に至る方は、禅定から出起して、世の導き手たる方は、歩行〔瞑想〕をした。

 

75. 天秤を荷として収め取って、そのとき、果実を持ち運びつつ、〔わたしは〕見た──〔世俗の〕塵を離れる覚者を、歩行〔瞑想〕をしている偉大なる牟尼を。

 

76. 浄信した心の者となり、悦意の者となり、頭に合掌を為して、正覚者を敬拝して、アーマンダ〔樹〕の果実を施した。

 

77. すなわち、〔わたしが〕果実を施した、そのとき、これより、十万カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、アーマンダ〔樹の果実〕の果である。

 

78. わたしの、諸々の〔心の〕汚れは焼尽し……略……煩悩なき者となり、〔世に〕住む。

 

79. わたしにとって、まさに、善き訪問として存した……略……覚者の教えは為された。

 

80. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。

 

 かくのごとく、まさに、尊者アーマンダパラダーヤカ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──

 

 アーマンダパラダーヤカ長老の行状が、第九となる。

 

53. 10. スガンダ長老の行状

 

81. この幸いなるカッパ(賢劫)において、梵の眷属にして偉大なる福徳ある方が、姓としては、カッサパという名の、説者たちのなかの優れた方が、〔世に〕生起した。

 

82. 〔八十の〕付随する特徴を成就した方が、三十二の優れた特相ある方が、〔一〕ヴヤーマの光に取り囲まれた方が、光の網に等しく覆われた方が──

 

83. 月のように〔人々を〕安堵させる方が、太陽のように光の作り手たる方が、雨雲のように〔人々を〕寂滅させる方が、海洋のように徳の鉱脈たる方が──

 

84. 戒をもってしては大地のような方が、禅定をもってしてはヒマヴァントのような方が、智慧をもってしては虚空のような方が、風のように執着なき方が、〔世に生起した〕。

 

85. 彼は、偉大なる勇者は、諸衆のなかで、恐れおののきを離れた方は、いつであれ、諸々の真理を等しく明示する──大勢の人を引き上げながら。

 

86. バーラーナシーにおいて、まさに、そのとき、わたしは、長者の子として、大いなる福徳ある者として、〔世に〕存した。そのとき、多大なる財産と穀物の多くが、〔わたしに存した〕。

 

87. わたしは、ゆったりした歩調で渡り歩きながら、ミガダーヤ(鹿野苑)へと近しく至った。〔わたしは〕見た──〔世俗の〕塵を離れる覚者を、不死の境処を説示している〔覚者〕を。

 

88. 明瞭で愛らしい言葉ある方を、カラヴィーカ〔鳥〕に等しき声ある方を、諸々の鵞鳥と雷鼓の話し声ある方を(※)、〔教えを〕大勢の人に教授している〔覚者〕を──

 

※ テキストには Hasarutehi nigghosa とあるが、PTS版により Hasadundubhi-nigghosa と読む。

 

89. 天にして天を超える方を、彼を見て、〔彼の〕甘美なる言葉を聞いて、諸々の少なからざる財物を捨棄して、〔家から〕家なきへと出家した。

 

90. そして、このように出家したわたしは、長からずして、多聞の者として、法(教え)の言説者として、種々様々な即応即答〔の智慧〕ある者として、〔世に〕有った。

 

91. わたしは、大いなる衆の中央において、欣喜した心の者となり、繰り返し、黄金の色艶ある方の色艶を褒め称えた──色艶における熟達者として。

 

92. 〔わたしは言った〕「この方は、煩悩の滅尽者たる方です。覚者です。煩悶なき方です。疑念を断ち切った方です。一切の行為の滅尽に至り得た方です。依り所の消滅において解脱した方です。

 

93. この方は、彼は、世尊です。覚者です。この方は、獅子たる方です。無上なる方です。天を含む世〔の人々〕のために、梵の輪を転起させる方です。

 

94. 〔自己が〕調御された方です。〔他者を〕調御する方です。そして、〔心身が〕寂静となった方です。〔他者を〕寂静させる方です。涅槃に到達した方です。聖賢たる方です。そして、〔他者を〕涅槃に到達させる方です。安堵している方です。大勢の人を安堵させる方です。

 

95. 勇者です。そして、勇士です。勇猛なる方です。智慧ある方です。慈悲の者たる方です。自在者たる方です。そして、征圧者たる方です。彼は、勝者です。尊大ならざる方です。執着なき方です。

 

96. 動揺なき方です。不動なる方です。堅固なる方です。迷妄なき方です。等しき者なき方です。牟尼です。忍耐強き方です。雄牛たる方です。龍たる方です。獅子たる方です。また、導師たちのなかにおける有能なる方です。

 

97. 貪欲を離れる方です。〔世俗の〕垢を離れる方です。梵たる方です。〔真の〕論者です。勇士です。相克を捨棄する方です。そして、〔心に〕鬱積なき方です。そして、矢を抜く方です。等しき者なき方です。〔心身が〕自制された方です。清らかなる方です。

 

98. 〔真の〕婆羅門です。〔真の〕沙門です。〔世の〕主たる方です。〔世の〕医師たる方です。〔毒〕矢の治癒者たる方です。戦士です。覚者です。種々なる所聞ある方です。不動なる方です。歓喜者たる方です。依存なき方です。

 

99. 充足者たる方です。そして、保持者たる方です。そして、寂静者たる方です。為し手たる方です。導き手たる方です。明示者たる方です。感動者たる方です。そして、破壊者たる方です。切断者たる方です。耳ある方です。賞賛者たる方です。

 

100. そして、〔心に〕鬱積なき方です。そして、矢を抜く方です。煩悶なき方です。懐疑なき方です。動揺なき方です。〔世俗の〕塵を離れる方です。為し手たる方です。香りある方です。説者たる方です。賞賛者たる方です。

 

101. 〔他者を〕超え渡す方です。義(道理)を為さしめる方です。〔他者を〕為さしめる方です。成就させる方です。至り得させる方です。益を有する方です。断ち折る方です。打ち砕く方です。熱情ある方です。苦行者たる方です。

 

102. 等しき心ある方です。〔過去と未来の〕同等の者なき者たちと同等なる方です。道友なき方です。憐憫ある避難所たる方です。稀有なる有情たる方です。虚言なき方です。〔為すべきことを〕為した方です。第七の聖賢たる方です。

 

103. 疑いを超え出た方です。化作者たる方です。量るべくもなき方です。喩えなき方です。一切の言葉の道を超え行った方です。導かれるべき真理の終極に至る方です。勝者です。

 

104. 有情の真髄たる優れた方にたいする、彼にたいする、浄信は、不死をもたらすものとなります。それゆえに、そして、覚者にたいする、さらに、法(教え)にたいする、僧団にたいする、信は、大いなる義(利益)あるものとなります」〔と〕。

 

105. このように、等々の徳によって、三つの世〔の界域〕の最上の帰依所たる方を褒め称えながら、衆の中央において、わたしは、法(教え)の言説を為した。

 

106. そこから死滅し、わたしは、兜率〔天〕において、大いなる安楽を受領して〔そののち〕、そこから死滅し、人間たちのなかに生まれ、善き香りある者として〔世に〕有る。

 

107. そして、〔善き〕出息の香りある口があり、まさしく、そのように、わたしには、香りある肉身がある。そして、常に、香りある汗があり、わたしには、まさしく、全ての香りが有る。

 

108. わたしには、常に、赤蓮や青蓮やチャンパカ〔の花〕の香りある口があり、衆の内に、常に香りただよう。そして、まさしく、そのように、わたしの肉体はある。

 

109. 徳と義(道理)ある方の、全ての極を、さてまた、未曾有にして最高の果を、一境の意をもって、〔それらの〕全てを褒め称えるであろう。わたしの〔言葉を〕聞きたまえ。

 

110. そして、〔人々の〕利益のために、相同のものなき、覚者の徳を説いて、〔わたしは〕一切所において、安楽ある者と成る。僧団は、勇者たちが集結するところにして──

 

111. 福徳あり、安楽あり、〔人々に〕愛され、光輝あり、愛しき見た目にして、かつまた、説者として、〔他者に〕貶められず、汚点なく、そのように、智慧がある。

 

112. 寿命が滅尽したとき、覚者への信愛ある者にとって、涅槃は、得るに易きものとなる。それらの因を言示するであろう。真実のとおりに、その〔言葉〕を聞きたまえ。

 

113. 世尊の正しくある福徳を、手順をもって敬拝しながら、そこかしこにおいて再生するもまた、それによって、わたしは、福徳ある者として〔世に〕有る。

 

114. 苦しみの終極を為す覚者を、形成されたものではない正しくある法(教え)を、褒め称えながら、有情たちに安楽を与える者として〔世に〕存した。〔わたしは〕安楽ある者として、そののち──

 

115. 覚者への喜悦に満ち溢れ、覚者の徳を説きながら、自らの忍耐を、さらに、他者への忍耐を、〔有情たちに〕生じさせた。それによって、忍耐ある者として〔世に有る〕。

 

116. 勝者が、それらの満ち溢れる異教徒たちを、悪しき異教の者たちを、征服して〔そののち〕、〔わたしは、覚者の〕徳を説きながら、〔世の〕導き手たる方を輝き照らした。〔わたしは〕光輝ある者として、そののち──

 

117. 人々にとっての愛しき為し手としてもまた、正覚者の徳を説きながら、わたしは、秋の月のようにある。それによって、愛しき見た目ある者として〔世に〕存した。

 

118. 効能を所以に、そのとおりに、全ての言葉をもって、わたしは、善き至達者たる方を奉賛した。それによって、雄弁にして種々様々な即応即答〔の智慧〕ある者として〔世に有る〕。

 

119. すなわち、疑問に至り得た愚者たちが、偉大なる牟尼を貶めるなら、正なる法(教え)によって、彼らを糾弾した。それによって、わたしは、〔他者に〕貶められない者として〔世に有る〕。

 

120. わたしは、覚者の褒め称えによって、有情たちの諸々の〔心の〕汚れを取り去った。その行為に由縁して、〔心の〕汚れなき意ある者として〔世に〕有る。

 

121. 覚者の随念の説示者として、聞く者たちに増大を生じさせた。それによって、わたしは、智慧を有する者として、精緻なる義(意味)を観察する者として、〔世に〕存した。

 

122. 一切の煩悩の完全なる滅尽者となり、輪廻の海洋を超え渡った者となり、炎のように執取なき者となり、〔わたしは〕寂滅〔の境処〕に至り得るであろう。

 

123. すなわち、わたしが、勝者を奉賛した、まさしく、このカッパにおいて、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、覚者の褒め称えの果である。

 

124. わたしの、諸々の〔心の〕汚れは焼尽し……略……煩悩なき者となり、〔世に〕住む。

 

125. わたしにとって、まさに、善き訪問として存した……略……覚者の教えは為された。

 

126. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。

 

 かくのごとく、まさに、尊者スガンダ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──

 

 スガンダ長老の行状が、第十となる。

 

 ティナダーヤカの章が、第五十三となる。

 

 その〔章〕のための摂頌となる。

 

 〔そこで、詩偈に言う〕「ティナダ、まさしく、そして、マンチャダ、サラナとアッバンジャナッパダ、スパタ、そして、ダンダダーイン、そして、まさしく、そのように、ネーラプージン──

 

 ボーディサンマッジャカ、マンダ、第十のものとしてスガンダがあり、そして、ということで、百の詩偈が、二十三〔の詩偈〕と共に、そして、ここにおいて、全てにわたり数えられた」〔と〕。

 

54. カッチャーヤナの章

 

54. 1. マハー・カッチャーヤナ長老の行状

 

1. パドゥムッタラという名の勝者が、〔心に〕動揺なき方が、〔誰も〕勝てない者に勝利する方が、〔世の〕導き手たる方が、これより、十万カッパ〔の過去〕において、〔世に〕生起した。

 

2. 勇者が、蓮華の花弁の眼ある方が、無垢なる月の口ある方が、黄金の鉱脈の似姿ある方が、燃え盛る太陽に等しき光ある方が──

 

3. 有情たちの眼と意を奪い去る方が、諸々の優れた特相に飾られた方が、一切の言葉の道を超え行った方が、人間や神たちに尊敬される方が、〔世に生起した〕。

 

4. 正覚者は、有情たちを覚らせながら、雄弁にして甘美なる声ある方は、慈悲〔の心〕の持続と相続ある方は、諸衆のなかで、恐れおののきを離れた方は──

 

5. 四つの真理を伴った甘美なる法(教え)を説示し、迷妄の汚泥の非道のうちにある命ある者たちを等しく引き上げる。

 

6. そのとき、〔わたしは〕独り歩む者と成って、ヒマヴァーラヤ(ヒマラヤ)の苦行者として〔世に有った〕。天空から、人間の世に赴きつつ、〔わたしは〕勝者を見た。

 

7. 彼の現前へと近しく至って、法(教え)の説示を聞いた──弟子の大いなる徳を褒め称えている勇者の〔説示を〕。

 

8. 〔パドゥムッタラ世尊は言った〕「わたしによって簡略に説かれたことを、詳細に明示しながら、衆を、さらに、わたしを、すなわち、このカッチャーヤナが満足させるように──

 

9. このように〔満足させる〕、他の弟子を、ここに、一部の者であれ、わたしは見ません。それゆえに、この者は、至高の者として、このことにおける至高〔の地位〕にあります。比丘たちよ、このように認めなさい」〔と〕。

 

10. 意が喜びとする言葉を聞いて、そのとき、わたしは、驚愕した者と成って、ヒマヴァントに赴いて、多量の花を持ち運んで──

 

11. 世の帰依所たる方を供養して、その地位を切望した。そのとき、わたしの志欲を知って、彼は、相克を捨棄する方は、〔わたしのことを〕説き明かした(授記した)。

 

12. 〔パドゥムッタラ世尊は言った〕「見よ──この優れた聖賢を、〔汚れを〕取り払った黄金の皮膚ある者を、身の毛が立った豊満なる肩ある者を、不動の合掌者として立つ者を──

 

13. 笑みがあり美しく満たされた眼ある者を、覚者の色艶に志欲が赴いた者を、法(教え)から生じる気高き心臓ある者を、不死〔の甘露〕を注がれた者の似姿ある者を。

 

14. カッチャーナ(カッチャーヤナ)の徳を聞いて、その地位を切望しながら、〔ここに〕立つ〔この者〕は、未来の時において、ゴータマ〔世尊〕の、偉大なる牟尼の──

 

15. 彼の、諸々の法(教え)における、相続者として、正嫡として、法(教え)によって化作された者として──名としては、カッチャーナという名の、教師の弟子として〔世に〕有るでしょう。

 

16. 多聞にして大いなる知恵ある者として、〔覚者の〕志向を知る牟尼として、その地位に至り得るでしょう。すなわち、わたしによって説き明かされたとおりに、この者は」〔と〕。

 

17. すなわち、〔わたしが〕行為を為した、そのとき、これより、十万カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、覚者の供養の果である。

 

18. 天〔の神〕たる〔境遇〕において、さらに、人間において、〔天と人の〕二つの生存において、〔わたしは〕輪廻する。他の境遇に、〔わたしは〕赴かない。これは、覚者の供養の果である。

 

19. 二つの家系において、〔わたしは〕生まれる──士族において、さらに、婆羅門において。低き家系において、〔わたしは〕生まれない。これは、覚者の供養の果である。

 

20. そして、今や、最後の生存において、ウッジェーニーの都において生まれたのだった。そして、チャンダ・パッジョータ〔王〕の司祭である二生の者(婆羅門)の(※)〔子として〕──

 

※ テキストには purohitadijādhino とあるが、PTS版により purohitadijātino と読む。

 

21. ティリティヴァッチャ〔婆羅門〕の子として、ヴェーダの奥義に至る精緻なる者として、〔世に有った〕。そして、母は、チャンディマーという名の者であり、わたしは、カッチャーナ〔という名の者〕として、優れた皮膚ある者として、〔世に有った〕。

 

22. 覚者の審査を義(目的)として、地上の警護者(王)に命じられ、解脱の都の門ある方を、〔世の〕導き手たる方を、徳の蓄積ある方を、見て──

 

23. そして、〔世俗の〕塵を離れる言葉を聞いて、〔悪しき〕境遇の汚泥を干上がらせる〔言葉〕を〔聞いて〕、寂静なる不死〔の境処〕に至り得た──残りの七者と共に。

 

24. 善き至達者たる方の志向を知る大いなる思慧ある者として生まれ、意欲が見事に等しく実現した〔わたし〕は、そして、このことにおける至高〔の地位〕に据え置かれたのだった。

 

25. わたしの、諸々の〔心の〕汚れは焼尽し、一切の〔迷いの〕生存は完破された。象のように結縛を断ち切って、煩悩なき者となり、〔世に〕住む。

 

26. わたしにとって、まさに、善き訪問として存した──わたしにとって、覚者の現前にあることは。三つの明知は獲得され、覚者の教えは為された。

 

27. 四つの融通無礙は〔実証され〕、そして、また、これらの八つの解脱も〔実証された〕。六つの神知は実証され、覚者の教えは為された。

 

 かくのごとく、まさに、尊者マハー・カッチャーヤナ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──

 

 マハー・カッチャーヤナ長老の行状が、第一となる。

 

54. 2. ヴァッカリ長老の行状

 

28. 名としては、パドゥムッタラ〔という名の覚者〕が、至上の名ある無量なる方が、〔世の〕導き手たる方が、これより、十万カッパ〔の過去〕において、〔世に〕生起した。

 

29. 蓮華の行相の顔貌ある方が、垢なき蓮華の美しい肌ある方が、あたかも、水に〔汚れない〕蓮華のように、まさしく、世に汚されない方が──

 

30. 勇者が、蓮華の花弁の眼ある方が、そして、蓮華のように愛らしい方が、〔世に生起した〕。まさしく、最上の蓮華の香りある方であり、それゆえに、彼は、パドゥムッタラ(最上の蓮華)と〔呼ばれる〕。

 

31. そして、世の最尊者たる方は、〔我想の〕思量なき方は、盲者たちにとっての眼の如き方は、寂静の衣装ある方は、徳の財宝ある方は、慈悲と思慧の海洋たる方は──

 

32. 彼は、偉大なる勇者は、いつであれ、梵〔天〕や阿修羅や神に称えられたのだった。天〔の神〕や人間を含む〔人々〕で満ち溢れる、人々の中央において、最上の勝者は──

 

33. 顔貌によって、善き香りによって、さらに、甘美なる声によって、全ての衆を喜ばせながら、自らの弟子を褒めた。

 

34. 〔パドゥムッタラ世尊は言った〕「信によって信念した善き思慧ある者として、わたしを見ることに情熱ある者として、すなわち、このヴァッカリ比丘のような者は、このような者は、他に存在しません」〔と〕。

 

35. ハンサヴァティーの城市において、そのとき、わたしは、婆羅門の実子として〔世に〕有って、そして、その言葉を聞いて、その地位を乞い願った。

 

36. 彼を、弟子を有する〔覚者〕を、〔世俗の〕垢を離れる方を、如来を招いて、七日のあいだ受益させて、そのとき、諸々の布地でまとわせた。

 

37. 頭をもって平伏して、彼の無限の徳の海洋に潜り、喜悦〔の思い〕に等しく満ちた者となり、この言葉を説いた。

 

38. 〔わたしは言った〕「牟尼よ、すなわち、あなたによって褒められた、これより第七のところにいる、その〔比丘〕が、信ある者たちのなかの至高の比丘であるなら、牟尼よ、わたしは、そのような者と成ります」〔と〕。

 

39. このように説かれたとき、偉大なる勇者は、妨げなき見ある方は、偉大なる牟尼は、衆のなかで、この言葉を発した。

 

40. 〔パドゥムッタラ世尊は言った〕「見よ──この学生を、黄金色に磨かれた居住ある者を、金の供物が蓄積された肢体ある者を、人々の眼と意を奪い去る者を。

 

41. この者は、未来の時において、ゴータマ〔世尊〕の、偉大なる聖賢の、信によって信念した者たちのなかの至高の弟子として、この者は〔世に〕有るでしょう。

 

42. 天〔の神〕と成った者として、あるいは、人間として、一切の熱苦を避ける者となり、一切の財物に取り囲まれた安楽ある者となり、輪廻するでしょう。

 

43. これより、十万カッパ〔の未来〕において、オッカーカの家系を発生とし、姓としては、ゴータマという名の教師が、世に有るでしょう。

 

44. 彼の、諸々の法(教え)における、相続者として、正嫡として、法(教え)によって化作された者として──名としては、ヴァッカリという名の、教師の弟子として〔世に〕有るでしょう」〔と〕。

 

45. その殊勝なる行為によって、さらに、諸々の思欲による誓願によって、人間の肉身を捨棄して〔そののち〕、わたしは、三十三〔天〕に赴いた。

 

46. 一切所において、安楽ある者と成って、種々なる生存において輪廻しながら、サーヴァッティーの都において、わたしは、或るどこかの家に生まれたのだった。

 

47. 繊細なる生酥のわたしを、生じた若芽の童子を、臥具の上なる精髄を、魔物の恐怖に怯えた〔母と父〕は──

 

48. 卑屈な意図ある者たちとなり、偉大なる聖賢の足元に横たえた。〔彼らは言った〕「〔世の〕主たる方よ、この者を、あなたに施します。〔世の〕導き手たる方よ、帰依所と成ってください」〔と〕。

 

49. そのとき、彼は、わたしを納受した──恐怖ある者たちの帰依所たる牟尼は、輪で装飾された網ある〔手〕で、柔和なる蓮の手で。

 

50. そのとき以降、わたしは、彼によって、〔他に〕守護されざる方によって守護されたのだった。一切の怨恨から解き放たれた〔わたし〕は、安楽なるままに、遍く育て上げられたのだった。

 

51. 善き至達者たる方と別れ別れに成った〔わたし〕は、寸時を惜しむ。わたしは、生まれて七年で、〔家から〕家なきへと出家した。

 

52. 一切の完全態から発生した優れた青き導きの眼に、一切の浄美に満ち溢れた〔覚者の〕形態に、〔見飽きず〕満足なき者として、わたしは〔世に〕住む(世尊の美しい形姿を際限なく見たいと渇望する)。

 

53. 覚者の形態にたいする〔わたしの〕喜び〔の思い〕を知って、そのとき、勝者は、わたしに教諭した。〔世尊は言った〕「ヴァッカリよ、十分です。愚者が愉悦する形態にたいし、どうして、〔あなたは〕喜び楽しむのですか。

 

54. まさに、彼が、正なる法(教え)を見るなら、彼は、賢者であり、わたしを見ます。正なる法(教え)を見ずにいるなら、たとえ、〔眼で〕見ているとして、わたしを見ることはありません。

 

55. 身体は、無限の危険があり、毒の木に喩えられます。全ての病が居住するところです。全部が苦しみの塊です。

 

56. 形態にたいし厭い離れて、そののち、〔五つの〕範疇()の生成と衰失を見なさい。諸々の付随する〔心の〕汚れ(随煩悩)の終極に、安楽なるままに赴くでしょう」〔と〕。

 

57. 〔世の〕導き手たる方によって、〔世の〕益を探し求める方によって、彼によって、このように教示されたわたしは、ギッジャクータ〔山〕に登って、山の石窟において瞑想する。

 

58. 山麓に立ち、偉大なる牟尼は、〔わたしを〕安堵させた。「ヴァッカリよ」と、勝者は、言葉を〔発した〕。その〔言葉〕を聞いて、歓喜したわたしは──

 

59. 幾百ポーリサ(高さの単位・一ポーリサは人の身長に該当)〔の深さ〕ある岩の傾斜に跳入した。そのとき、覚者の威力によって、まさしく、安楽なるままに、大地に至ったのだった。

 

60. ふたたび、また、法(真理)を、〔五つの〕範疇の生成と衰失を、〔覚者は〕説示する。わたしは、その法(教え)を了知して、阿羅漢の資質に至り得た。

 

61. 極めて大いなる衆の中央において、そのとき、わたしのことを、行ないの終極に至る方は、偉大なる思慧ある方は、信によって信念した者たちのなかの至高の者と知らしめた。

 

62. すなわち、〔わたしが〕行為を為した、そのとき、これより、十万カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。覚者の供養の果である。

 

63. わたしの、諸々の〔心の〕汚れは焼尽し……略……煩悩なき者となり、〔世に〕住む。

 

64. わたしにとって、まさに、善き訪問として存した……略……覚者の教えは為された。

 

65. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。

 

 かくのごとく、まさに、尊者ヴァッカリ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──

 

 ヴァッカリ長老の行状が、第二となる。

 

54. 3. マハー・カッピナ長老の行状

 

66. パドゥムッタラという名の勝者は、一切の法(事象)の彼岸に至る方は、際なき虚空に上昇し、秋の太陽のように宙にある。

 

67. 彼は、言葉の輝きによって、教導されるべき蓮華たちを目覚めさせる。〔世の〕導き手たる方は、諸々の思慧の光によって、〔心の〕汚れの汚泥を干上がらせる。

 

68. たとえば、太陽が、蛍たちの諸々の光を〔圧倒する〕ように、異教の者たちの諸々の盛名を打破する。太陽が、宝玉を〔遍照する〕ように、真理と義(道理)の輝きを明示する。

 

69. 諸々の徳の長大なる状態は、諸々の宝玉の〔貯蔵所たる〕海洋のようである。雨雲が、生類たちを〔潤す〕ように、法(教え)の雲によって雨を降らせる。

 

70. ハンサという呼び名を有する城市(ハンサヴァティー)において、そのとき、〔わたしは〕司法官として〔世に〕存した。〔覚者のもとへと〕近しく至って、水に生じる最上のものを名とする方の法(教え)を聞いた。

 

71. 比丘たちの教諭者たる方の〔言葉を〕──〔為すべきことを〕為した弟子の徳を明示しながら、わたしの意を満足させている〔覚者〕の〔言葉を〕──

 

72. 聞いて、満足し、悦意の者となり、如来を招いて、徒弟を有する〔覚者〕を受益させて、その地位を切望した。

 

73. そのとき、鵞鳥〔の声〕を等しく分有する方は、鵞鳥と雷鼓の発声ある方は、〔わたしのことを説き明かした〕。〔パドゥムッタラ世尊は言った〕「見よ──この大臣を、判決における熟達者を──

 

74. わたしの足元に伏した者を、芽吹いた若木を、雲の色艶ある者を、豊満なる肩ある者を、澄浄なる眼と口の者を──

 

75. 大勢の取り巻きに〔囲まれた〕王の属吏を、大いなる福徳ある者を。この者は、〔為すべきことを〕為した者の地位を切望します──歓喜し志欲ある者として。

 

76. この平伏によって、施捨によって、さらに、諸々の誓願によって、十万カッパのあいだ、悪しき境遇に再生しません。

 

77. 天〔の神々〕たちにおいては、天の荘厳を、人間たちにおいては、大いなる者たることを、受領して〔そののち〕、残り〔の功徳〕によって、涅槃に至り得るでしょう。

 

78. これより、十万カッパ〔の未来〕において、オッカーカの家系を発生とし、姓としては、ゴータマという名の教師が、世に有るでしょう。

 

79. 彼の、諸々の法(教え)における、相続者として、正嫡として、法(教え)によって化作された者として──名としては、カッピナという名の、教師の弟子として〔世に〕有るでしょう」〔と〕。

 

80. そののち、わたしは、善行を〔為し〕、勝者の教えにおいて、為すことを為して、人間の肉身を捨棄して〔そののち〕、わたしは、兜率〔天〕に赴いた。

 

81. 諸々の天と人間の王権を、正なるままに統治して〔そののち〕、バーラーナシーの近くにおいて、ケーニヤ〔婆羅門〕の種族に生まれたのだった。

 

82. 千の取り巻きたちと〔共に〕、妻と共に、わたしは、五百の独覚たちに等しく奉仕した。

 

83. 三月のあいだ、〔彼らを〕受益させて、そのあとで、〔わたしたちは〕三つの衣料を施した。そこから死滅し、わたしたちは、全ての者たちが、三十三〔天〕へと近しく赴く者たちと成った。

 

84. そこから死滅し、全ての者たちが、ふたたび、人間たる〔境遇〕に赴いた。ヒマヴァントの山麓のクックタの都において、〔わたしたちは〕生まれたのだった。

 

85. わたしは、カッピナという名の、王子として、大いなる福徳ある者として、〔世に〕存した。残りの者たちは、家臣の家に生まれ、まさしく、わたしを取り囲んだ。

 

86. 大いなる王権の安楽に至り得た者であり、一切の欲望が等しく実現する者である。商人たちによって等しく告げ知らされた〔言葉〕として、覚者の生起を、わたしは聞いた。

 

87. 〔商人たちが言った〕「覚者が、世に生起したのです。等しき者なき方が、一なる人たる方が。彼は、正なる法(教え)を明示します──不死〔の境処〕を、最上の安楽を。

 

88. 彼の徒弟たちは、そして、善き専念者たちであり、さらに、善き解脱者たちであり、煩悩なき者たちです」〔と〕。彼らの善き言葉を聞いて、商人たちを敬して──

 

89. 王権を捨棄して、家臣と共に、覚者にならう者となり、〔家を〕出た。岸辺が等しく〔水に〕満ちたマハーチャンダー川を見て──

 

90. 岸辺少なく頼るものなく超え難き急流を〔見て〕、覚者の徳を思念して、安穏なるままに超え行った。

 

91. 〔わたしは思念した〕「それで、もし、覚者が、生存の流れを超え渡った方であり、世の終極に至る方であり、知者であるなら、この真理(真実)の言葉によって、わたしの道行きは、等しく実現せよ。

 

92. もしくは、〔覚者の〕道が、さらに、〔覚者の〕解脱が、寂静に至るものであり、〔解脱の〕安楽が、究極のものであるなら、この真理の言葉によって、わたしの道行きは、等しく実現せよ。

 

93. もし、僧団が、砂漠を超え渡った、無上なる功徳の田畑であるなら、この真理の言葉によって、わたしの道行きは、等しく実現せよ」〔と〕。

 

94. 真理〔の言葉〕による願いが為されたと共に、水は、道から離れ去り、そののち、意が喜びとする川岸において、安楽なるままに超え渡ったのだった。

 

95. 〔わたしは〕見た──坐っている覚者を、昇り行く太陽のような方を、燃え盛る金の巌のような方を、灯明台のように輝き照らす方を──

 

96. 星を伴った月のように、弟子たちに囲まれた方を、雨を降らせているヴァーサヴァ(帝釈天)のように、説示の水の調御者たる方を。

 

97. 〔覚者を〕敬拝して、家臣と共に、一方に近坐した。そののち、わたしたちの志欲を知って、覚者は、法(教え)を説示した。

 

98. 〔世俗の〕垢を離れる法(教え)を聞いて、わたしたちは、勝者に言った。「偉大なる勇者よ、〔わたしたちを〕出家させたまえ。わたしたちは、〔迷いの〕生存にたいし厭い離れました」〔と〕。

 

99. 〔世尊は言った〕「比丘たちよ、法(教え)は、見事に告げ知らされました。あなたたちは、苦しみの終わりを為すために、梵行を歩みなさい」〔と〕。かくのごとく、第七の聖賢たる方は言った。

 

100. 〔その〕言葉と共に、わたしたちは、全てもろともに、比丘の姿を保持する〔戒の〕成就者たちと成った。さらに、〔覚者の〕教えにおいて、預流たる者たちと〔成った〕。

 

101. そののち、ジェータ林に赴いて、〔世の〕導き手たる方は教示した。勝者によって教示されたわたしは、阿羅漢の資質に至り得た。

 

102. そののち、千の比丘たちを、そのとき、わたしは教示した。わたしの教示を為す者たちは、彼らもまた、煩悩なき者たちとなり、〔世に〕存した。

 

103. 勝者は、その徳に満足し、わたしを、このことにおける至高〔の地位〕に据え置いた──「比丘を教諭することにおける至高の者は、カッピナです」と、大勢の人のなかで。

 

104. 十万〔カッパの過去〕において、〔わたしが〕為した行為と〔その〕果を、ここに、わたしのために、〔覚者は〕見示した。善く放たれた矢の勢いのように、わたしの諸々の〔心の〕汚れを、〔わたしは〕焼き尽くした。

 

105. わたしの、諸々の〔心の〕汚れは焼尽し……略……煩悩なき者となり、〔世に〕住む。

 

106. わたしにとって、まさに、善き訪問として存した……略……覚者の教えは為された。

 

107. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。

 

 かくのごとく、まさに、尊者マハー・カッピナ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──

 

 マハー・カッピナ長老の行状が、第三となる。

 

54. 4. ダッバマッラプッタ長老の行状

 

108. パドゥムッタラという名の勝者が、世の一切を知る牟尼が、眼ある方が、これより、十万カッパ〔の過去〕において、〔世に〕生起した。

 

109. 〔人々の〕教諭者たる方は、〔人々の〕教授者たる方は、全ての命ある者たちを超え渡す方は、説示に巧みな智ある方は、覚者は、多くの人民を〔彼岸へと〕超え渡した。

 

110. 慈しみ〔の思い〕ある方は、慈悲の者たる方は、全ての命ある者たちの益を探し求める方は、至り得た全ての異教の者たちを、五つの戒において確立させた。

 

111. このように、混乱なきものとして、さらに、異教の者たちから空無なるものとして、〔その僧団は〕存した──自在者と成った者たちによって、如なる者たちによって、阿羅漢たちによって、様々な彩りあるものとなり。

 

112. 偉大なる牟尼は、彼は、五十八ラタナ(長さの単位・一ラタナは約五十センチ)の高さがあり、価値ある黄金の似姿ある方として、三十二の優れた特相ある方として、〔世に有った〕。

 

113. 十万年のあいだ、まさしく、そのあいだ、寿命が見出される。彼は、〔世に〕止住している、それまでのあいだに、多くの人民を〔彼岸へと〕超え渡した。

 

114. ハンサヴァティーにおいて、そのとき、わたしは、長者の子として、大いなる福徳ある者として、〔世に有った〕。世の灯火たる方のもとに近しく至って、法(教え)の説示を聞いた。

 

115. 比丘たちのために、諸々の臥坐具を設置している自らの弟子を、〔彼を〕賛じ称えている〔覚者〕の言葉を聞いて、歓喜したわたしは──

 

116. 彼に、偉大なる聖賢に、僧団を有する〔覚者〕に、献身を為して、〔覚者の〕足もとに、頭をもって平伏して、その地位を切望した。

 

117. そのとき、彼は、偉大なる勇者は、わたしの行為を賛じ称えながら言った。〔パドゥムッタラ世尊は言った〕「彼は、僧団を有する〔覚者〕を、教師を、世の導き手を、受益させました。

 

118. 〔まさに〕その、この者は、蓮華の花弁の眼ある者は、獅子の肩ある者は、黄金の皮膚ある者は、わたしの足元に平伏します──最上の地位を切望しながら。

 

119. これより、十万カッパ〔の未来〕において、オッカーカの家系を発生とし、姓としては、ゴータマという名の教師が、世に有るでしょう。

 

120. 彼の、覚者の、弟子として、ダッバという名で〔世に〕聞こえた者として、そのとき、この者は、臥坐具を設置する者の至高の者として、〔世に〕有るでしょう」〔と〕。

 

121. その善行の行為によって、さらに、諸々の思欲による誓願によって、人間の肉身を捨棄して〔そののち〕、わたしは、三十三〔天〕に赴いた。

 

122. そして、三百回、天の王権を為した。そして、五百回、わたしは、転輪〔王〕と成った。

 

123. 数〔の観点〕からは数えようもない、広大なる地域の王権を〔為した〕。その行為に由縁して、一切所において、安楽ある者として〔世に〕存した。

 

124. これより、九十一カッパ〔の過去〕において、ヴィパッシンという名の、〔世の〕導き手たる方が、典雅なる見た目ある方が、一切の法(事象)の〔あるがままの〕観察者たる方が、〔世に〕生起した。

 

125. 汚れた心の〔わたし〕は、彼の、如なる方の、弟子を批判した。一切の煩悩が完全に滅尽した方を、そして、「清浄なる方である」と識知して〔そののち〕──

 

126. まさしく、彼のために、人の勇者のために、弟子たちのために、大いなる聖賢たちのために、そして、くじの棒を掴み取って(くじを引いて)、わたしは、乳飯を施した。

 

127. この幸いなるカッパにおいて、梵の眷属にして偉大なる福徳ある方が、姓としては、カッサパという名の、説者たちのなかの優れた方が、〔世に〕生起した。

 

128. 教えを輝き照らして、悪しき異教の者たちを征服して、教導されるべき者たちを教導して、彼は、弟子を有する〔覚者〕は、涅槃に到達した者となる。

 

129. 〔世の〕主たる方が、徒弟を有する〔覚者〕が、涅槃に到達したとき、教えが滅至しつつあるとき、天〔の神々〕たちは、畏怖し、泣き叫んだ──髪を解き放ち、涙顔の者たちとなり。

 

130. 〔彼らが言った〕「法(真理)の眼ある方が、涅槃に到達するのだ。善き掟の者たちを、〔わたしたちは〕見ないのだ。正なる法(教え)を、〔わたしたちは〕聞かないのだ。ああ、わたしたちの功徳少なきことよ」〔と〕。

 

131. そのとき、この地の全てが、〔まさに〕その、不動なる〔地〕が、揺れに揺れ、そして、海洋は、憂いを有するかのように、悲しみの声を吼え叫んだ。

 

132. 四方では、人間ならざる者たちが、諸々の雷鼓を打ち響かせた。遍きにわたり、諸々の雷光が、そして、恐怖をもたらし、炸裂した。

 

133. 天空から、諸々の流星が落ち、そして、火炎が見える。煙を有し、そして、光が転起し、獣たちは、悲しみのままに鳴き叫んだ。

 

134. 教えの滅至を示唆する諸々の凶悪なる天変を見て、七者の畏怖する比丘たちは、そのとき、わたしたちは、思い考えた。

 

135. 〔わたしたちは言った〕「教えなくして、わたしたちに、生命など、〔もう〕十分だ。わたしたちは、大いなる林に入って、勝者の教えに専念するのだ」〔と〕。

 

136. そのとき、〔わたしたちは〕見た──林において、高くそびえる最上の巌を。その〔巌〕に、梯子で登って、〔わたしたちは〕梯子を落とした。

 

137. そのとき、わたしたちの長老は教諭した。〔長老が言った〕「覚者の生起は、極めて得難きことである。信は、極めて得難くも、〔わたしたちによって〕得られた。しかしながら、教えは、残るところ僅かである。

 

138. 〔この〕瞬間を〔虚しく〕過ごした者たちは、終極なき苦しみの海洋に落下する。それゆえに、専念〔努力〕が為されるべきである。牟尼への思いが止住する、それまでのあいだに」〔と〕。

 

139. 彼は、長老は、阿羅漢として存した。そのとき、〔彼に〕従い行く者は、不還たる者として〔存した〕。善き戒ある、他の専念者たちは、天の世に赴いた。

 

140. 〔すなわち、長老は〕涅槃に到達し輪廻を超え渡った者となり、そして、〔長老に従い行く者は〕浄居〔天〕に独りある者となる。そして、わたしは、かつまた、パックサーティは、そのように、サビヤは、バーヒヤは──

 

141. まさしく、そして、クマーラ・カッサパは──わたしたちは、そこかしこにおいて、〔輪廻の生存へと〕近しく赴いた──輪廻の結縛から解き放たれ、ゴータマ〔世尊〕によって慈しまれた者たちとして〔世に有る、それまでは〕。

 

142. マッラ〔国〕のクシナーラーに生じ、まさしく、胎のなかに、わたしが存していると、母が死に、荼毘の薪山に上げられたところ、わたしは、そこから落下したのだった。

 

143. 木材の堆積のうえに落ちた〔わたし〕は、そののち、ダッバという名で〔世に〕聞こえた者となり、梵行の力によって、わたしは、〔生まれて〕七年で、解脱したのだった。

 

144. 乳飯の力によって、わたしは、五つの支分を具した者となる。〔弟子への〕批判によって、諸々の悪しき〔行為〕よって、多く叱咤されたが、煩悩の滅尽者となる。

 

145. そして、善を、さらに、悪を、両者ともに超克した者として、今や、わたしは〔世に〕存している。最高の寂静に至り得て、煩悩なき者となり、〔世に〕住む。

 

146. 〔わたしは〕臥坐具を設置した──善き掟の者たちを笑喜させて。勝者は、その徳に満足し、わたしを、このことにおける至高〔の地位〕に据え置いた。

 

147. わたしの、諸々の〔心の〕汚れは焼尽し……略……煩悩なき者となり、〔世に〕住む。

 

148. わたしにとって、まさに、善き訪問として存した……略……覚者の教えは為された。

 

149. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。

 

 かくのごとく、まさに、尊者ダッバマッラプッタ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──

 

 ダッバマッラプッタ長老の行状が、第四となる。

 

54. 5. クマーラ・カッサパ長老の行状

 

150. パドゥムッタラという名の〔覚者〕が、一切の世〔の人々〕に益ある勇者が、〔世の〕導き手たる方が、これより、十万カッパ〔の過去〕において、〔世に〕生起した。

 

151. そのとき、わたしは、ヴェーダの奥義に至る者として〔世に〕聞こえた婆羅門と成って〔世に有った〕。昼の休息に渡り歩きつつ、〔わたしは〕見た──世の導き手たる方を。

 

152. 四つの真理を明示しながら、天を含む〔世の人々〕を覚らせている〔覚者〕を、大勢の人のなかで、種々様々な言説ある者たちのなかの至高の者を褒め称えている〔覚者〕を、〔彼を見て〕──

 

153. そのとき、心が歓喜したわたしは、如来を招いて、種々なる染めの衣によって、天幕を十分に作り為して──

 

154. そこにおいて、種々なる宝玉の光ある方を、僧団を有する〔覚者〕を、受益させた。七日のあいだ、種々なる至高の味の食料を受益させて──

 

155. 種々なる彩りある花々によって、弟子を有する〔覚者〕を供養して、〔覚者の〕足元に平伏して、わたしは、その地位を切望した。

 

156. そのとき、優れた牟尼は言った──慈しみ〔の思い〕に一なる味と志欲ある方は。〔パドゥムッタラ世尊は言った〕「見よ──この優れた二生の者を、蓮華の口と眼ある者を──

 

157. 喜悦と歓喜多き者を、芽吹いた若木を、敏速にして益ある大きな眼をした者を、わたしの教えに情熱ある者を──

 

158. わたしの足元に伏した者を、一なる衣の善き意図の者を。この者は、その地位を切望します──〔すなわち〕種々様々な言説ある者たることを。

 

159. これより、十万カッパ〔の未来〕において、オッカーカの家系を発生とし、姓としては、ゴータマという名の教師が、世に有るでしょう。

 

160. 彼の、諸々の法(教え)における、相続者として、正嫡として、法(教え)によって化作された者として──クマーラ・カッサパという名の、教師の弟子として〔世に〕有るでしょう。

 

161. 種々なる彩りある花々と諸々の布地に〔由縁して〕、さらに、諸々の宝玉に由縁して、彼は、種々様々な言説ある者たちのなかの至高性に至り得るでしょう」〔と〕。

 

162. その善行の行為によって、さらに、諸々の思欲による誓願によって、人間の肉身を捨棄して〔そののち〕、わたしは、三十三〔天〕に赴いた。

 

163. あたかも、舞台の中央で〔踊る〕舞踏家のように、種々なる生存において遍歴しながら、サーカ鹿の実子と成って、鹿の子宮に入った。

 

164. わたしが〔母の〕子宮に赴いたとき、屠殺の順番が回ってきた、そのとき、サーカ〔鹿〕に捨てられた、わたしの母は、帰依所として、ニグローダ〔鹿〕(菩薩)のもとに赴いたのだった(菩薩に助けを求めた)。

 

165. 彼によって、鹿の王(菩薩)によって、死から解き放たれた彼女は、〔サーカ鹿と〕命を共にすることを遍く捨て去って、そのとき、わたしに、このように教諭した。

 

166. 〔母が言った〕「まさしく、ニグローダ(菩薩)に、仕え親しむべきである。サーカとは、共に住むべきではない。もし、それが、サーカのもとでの生命であるなら、ニグローダのもとで死んだほうが、より勝っている」〔と〕。

 

167. 畜群の長(菩薩)によって、彼によって教示された、そして、わたしは、かつまた、母は、さらに、そのように、他の者たちは、喜ばしき兜率〔天〕の住居に到来して──まさしく、すなわち、外遊に赴いた者たちが、自らの家に〔帰還した〕ように──

 

168. ふたたび、カッサパ勇者の教えが滅至しつつあるとき、巌の頂きに登って、勝者の教えに専念して──

 

169. 今や、わたしは、ラージャガハ(王舎城)において、長者の家に生まれ、〔世に〕有った。妊娠した有情である、わたしの母は、〔家から〕家なきへと出家した。

 

170. 〔比丘尼たちは〕彼女が胎児を有することを知って、デーヴァダッタのもとに連れて行った。彼は言った。「この悪しき比丘尼を追い払え」〔と〕。

 

171. 今もまた、牟尼のインダたる方によって、勝者によって、慈しまれた、わたしの母は、安楽ある者となり、比丘尼たちの在所において、〔わたしを〕生んだ。

 

172. それを知って、大地の警護者は、コーサラ〔王〕は、わたしを養育した──王子の待遇をもって。そして、名としては、わたしは、カッサパと〔呼ばれる〕。

 

173. マハー・カッサパを縁として、わたしは、クマーラ・カッサパと〔呼ばれる〕。覚者によって説示された、身体を蟻塚と相同のものとする〔教え〕を聞いて──

 

174. そののち、わたしの心は、全てにわたり、〔何も〕執取せずして、解脱した。わたしは、パーヤーシを調御して、このことにおける至高〔の地位〕に至り得た。

 

175. わたしの、諸々の〔心の〕汚れは焼尽し……略……煩悩なき者となり、〔世に〕住む。

 

176. わたしにとって、まさに、善き訪問として存した……略……覚者の教えは為された。

 

177. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。

 

 かくのごとく、まさに、尊者クマーラ・カッサパ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──

 

 クマーラ・カッサパ長老の行状が、第五となる。

 

 〔以上が〕第二十四の朗読分となる。

 

54. 6. バーヒヤ長老の行状

 

178. 名としては、パドゥムッタラ〔という名の覚者〕が、偉大なる光ある方が、三つの世〔の界域〕における至高者たる方が、〔世の〕導き手たる方が、これより、十万カッパ〔の過去〕において、〔世に〕生起した。

 

179. 迅速なる神知ある比丘の徳を賛じ称えている牟尼の〔言葉を〕聞いて、勇躍する心の者となり、わたしは、偉大なる聖賢のために、為すことを為して──

 

180. わたしは、徒弟を有する牟尼に、七日間の布施を施して、そのとき、正覚者を敬拝して、その地位を切望した。

 

181. そののち、覚者は、わたしのことを説き明かした。〔パドゥムッタラ世尊は言った〕「見よ──この婆羅門を、わたしの足元に伏した者を、行ないを綿密に注視する者を──

 

182. 金の供物が蓄積された肢体ある者を、白き体躯の皮膚ある者を、垂れ下がるビンバ〔の果〕の赤銅の唇ある者を、白く鋭く正しき二生の者を──

 

183. より多くの強靭なる徳ある者を、芽吹いた若木を、徳の激流の依止する場と成った者を、喜悦に等しく咲き誇る口ある者を。

 

184. この者は、迅速なる神知ある比丘の地位を切望します。未来において、偉大なる勇者が、ゴータマという名の〔覚者〕が、〔世に〕有るでしょう。

 

185. 彼の、諸々の法(教え)における、相続者として、正嫡として、法(教え)によって化作された者として──名としては、バーヒヤという名の、教師の弟子として〔世に〕有るでしょう」〔と〕。

 

186. まさに、そのとき、満足した〔わたし〕は、立ち上がって、生あるかぎり、偉大なる牟尼のために、為すことを為して、死滅し、あたかも、自らの居所に〔赴く〕かのように、天上に赴いた。

 

187. 天〔の神〕と成った者として、あるいは、人間として、安楽ある者となり、その行為に由縁して輪廻して、わたしは、得達を受領する。

 

188. ふたたび、カッサパ勇者の教えが滅至しつつあるとき、巌の頂きに登って、勝者の教えに専念して──

 

189. 清浄なる戒ある者として、智慧を有する者として、勝者の教えを為す者として、〔世に有った〕。そこから死滅し、〔わたしを含む〕五者の人たちは、天の世に赴いた。

 

190. 最上の都のバールカッチャにおいて、そののち、わたしは、バーヒヤ〔という名の者〕として生まれたのだった。そののち、〔わたしは、危険に満ちた〕成就少なき海洋に船で乗り入れる者(船乗り)となる。

 

191. そののち、数日のあいだ赴いて、船は破壊した。そのとき、〔人を〕恐怖させる、おぞましき大魚の体内に、落ち行ったのだった。

 

192. そのとき、わたしは、努力して、大海を等しく超え渡って、善き彼岸ある優れた港に至り得たのだった。愚鈍なるままに動揺する〔わたし〕は──

 

193. 樹皮の衣を着衣して、〔行乞の〕食のために、村に入った。そのとき、その〔土地の〕人々は、満足した者となり、〔わたしに〕言った。〔人々が言った〕「阿羅漢が、すなわち、ここに到来したのだ。

 

194. この、食べ物と飲み物によって、そして、衣と臥具によって、さらに、薬によって、〔阿羅漢を〕尊敬して、わたしたちは、安楽ある者たちと成るのだ」〔と〕。

 

195. そのとき、諸々の日用品の得者として、彼らに尊敬され供養された〔わたし〕は、「阿羅漢として、わたしはある」という思惟を、理ならずに起こした。

 

196. そののち、わたしの心を了知して、過去の〔血縁の〕天神が、〔わたしを〕叱咤した。〔天神が言った〕「あなたは、手段と道を知る者ではありません。どうして、あなたが、阿羅漢として〔世に〕有るというのでしょう」〔と〕。

 

197. その〔天神〕に叱咤され、畏怖する者となり、そのとき、わたしは、その〔天神〕に遍く尋ねた。〔わたしは尋ねた〕「阿羅漢たちは、最上の人たちは、これらの者たちは、世において、あるいは、どのような者たちであり、どこにいるのですか」〔と〕。

 

198. 〔天神が答えた〕「コーサラ〔国〕の都のサーヴァッティーにおいて、勝者は、多大なる智慧ある方は、優れた広き思慮ある方は、彼は、釈迦族の方は、阿羅漢は、煩悩なき方は、阿羅漢の資質に至り得るための法(教え)を説示します」〔と〕。

 

199. その〔天神〕の、その言葉を聞いて、極めて喜悦した〔わたし〕は、財宝を得て極めて驚愕した貧者のように、勇躍する心の者となり、最上の阿羅漢たる方を、善き見た目ある方を、無限の境涯ある方を、見るべく──

 

200. そのとき、そこから出て、教師のもとへと〔赴いた〕。「勝者を、離垢の口ある方を、常に見るのだ」〔と〕。ヴィジタという呼び名ある喜ばしき林へと近しく至って、二生の者たちに尋ねた。〔わたしは尋ねた〕「世の喜びたる方は、どこにいるのですか」〔と〕。

 

201. そののち、〔彼らは〕言った。〔彼らが答えた〕「人と天〔の神々〕たちに敬拝される方は、彼は、食を探し求めるために都に入ったところです。それで、まさしく、それなら、すみやかに、〔彼のもとへと〕近しく至って、牟尼を見ることに切なる思いある者として、彼を、至高の人たる方を、敬拝しなさい」〔と〕。

 

202. そののち、わたしは、最上の都のサーヴァッティーに迅速に赴いて、渡り歩いている彼を見た──〔行乞の〕食を義(目的)とするも羨望と貪求〔の思い〕なき方を。

 

203. 鉢を手にするも眼の妄動なき方を、〔世の人々を〕黄金の鉱脈に追い立てる方を、〔世の人々に〕吉祥の住居を顕示する方を、〔世の人々に〕太陽の光をもたらす口ある方を、〔彼を見て〕──

 

204. 彼と行き合って、〔彼の足もとに〕平伏して、わたしは、〔この〕言葉を説いた。〔わたしは言った〕「悪しき道に迷った者のために、ゴータマよ、帰依所と成ってください」〔と〕。

 

205. 〔世尊は言った〕「命を等しく超え渡すことを義(目的)として、〔行乞の〕食のために、わたしは渡り歩きます。あなたのための法(教え)の言説の時ではありません」〔と〕。かくのごとく、第七の牟尼たる方は言った。

 

206. そのとき、法(教え)に情熱ある〔わたし〕は、繰り返し、覚者に懇願した。彼は、わたしに、法(教え)を説示した──深遠なる空性の境処を。

 

207. 彼の法(教え)を聞いて、煩悩の滅尽に至り得た──寿命が完全に滅尽した者として、〔そこに〕存しつつ。ああ、教師は、慈しみ〔の思い〕ある方である。

 

208. わたしの、諸々の〔心の〕汚れは焼尽し……略……煩悩なき者となり、〔世に〕住む。

 

209. わたしにとって、まさに、善き訪問として存した……略……覚者の教えは為された。

 

210. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。

 

211. このように、樹皮行者のバーヒヤ長老は説き明かした。〔そのとき、バーヒヤ長老は〕塵芥場に落ちたのだった──精霊が取り付いた雌牛によって〔突き倒され〕。

 

212. 大いなる思慧ある者は、自己の過去の行ないを述べ伝えて、その長老は、完全なる涅槃に到達した──最上の都のサーヴァッティーにおいて。

 

213. 城市から出つつ、第七の聖賢たる方は、彼を見て──樹皮の衣を〔身に〕付ける慧者を、外からやってきたバーヒヤを──

 

214. 落下したインダの幟のように地に落ちた調御者を、寿命に至り〔心の〕汚れが渇いた者を、勝者の教えを為す者を、〔彼を見て〕──

 

215. そののち、教師は、〔覚者の〕教えを喜ぶ弟子たちに語りかけた。〔世尊は言った〕「梵行を共にする者の体躯を収め取りなさい。連れて行って燃やしてあげなさい。

 

216. 塔を作り、供養しなさい。彼は、大いなる思慧ある者は、涅槃に到達したのです。この者は、迅速なる神知ある者たちのなかの至高の者であり、わたしの言葉を為す弟子です。

 

217. たとえ、もし、千の詩偈あるも、義(意味)なき句の呪文集であるなら、それを聞いて〔心が〕静まる、一つの詩偈の句のほうが、より勝っています。

 

218. そこにおいて、そして、水も、地も、火も、風も、依って立つことなく、そこにおいて、星々は光らず、日は現われず──

 

219. そこにおいて、月は輝かず、そこにおいて、闇は見出されません。そして、〔真の〕婆羅門たる牟尼(沈黙の聖者)が、寂黙〔の智慧〕によって、自己みずから知った、そのときは──

 

220. そこで、形態()から〔解き放たれ〕、かつまた、形態なきもの(無色)から〔解き放たれ〕、楽と苦から解き放たれます」〔と〕。かくのごとく、このように、〔世の〕主たる方は話した──三つの世〔の界域〕の帰依所たる牟尼は。

 

 かくのごとく、まさに、尊者バーヒヤ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──

 

 バーヒヤ長老の行状が、第六となる。

 

54. 7. マハー・コッティカ長老の行状

 

221. パドゥムッタラという名の勝者が、世の一切を知る牟尼が、眼ある方が、これより、十万カッパ〔の過去〕において、〔世に〕生起した。

 

222. 〔人々の〕教諭者たる方は、〔人々の〕教授者たる方は、全ての命ある者たちを超え渡す方は、説示に巧みな智ある方は、覚者は、多くの人民を〔彼岸へと〕超え渡した。

 

223. 慈しみ〔の思い〕ある方は、慈悲の者たる方は、全ての命ある者たちの益を探し求める方は、至り得た全ての異教の者たちを、五つの戒において確立させた。

 

224. このように、混乱なきものとして、さらに、異教の者たちから空無なるものとして、〔その僧団は〕存した──自在者と成った者たちによって、如なる者たちによって、阿羅漢たちによって、様々な彩りあるものとなり。

 

225. 偉大なる牟尼は、彼は、五十八ラタナ(長さの単位・一ラタナは約五十センチ)の高さがあり、価値ある黄金の似姿ある方として、三十二の優れた特相ある方として、〔世に有った〕。

 

226. 十万年のあいだ、まさしく、そのあいだ、寿命が見出される。彼は、〔世に〕止住している、それまでのあいだに、多くの人民を〔彼岸へと〕超え渡した。

 

227. ハンサヴァティーにおいて、そのとき、わたしは、ヴェーダの奥義に至る婆羅門として〔世に有った〕。一切の世の至高者たる方のもとに近しく至って、法(教え)の説示を聞いた。

 

228. そのとき、彼は、勇者は、思慧と境涯が開発された弟子を──義(意味)と法(性質)における、そして、言語における、さらに、応答における、熟知者を──

 

229. このことにおける至高〔の地位〕に据え置いた。その〔言葉〕を聞いて、歓喜したわたしは、そのとき、優れた勝者を、弟子を有する〔覚者〕を、七日のあいだ受益させた。

 

230. 菩提の海洋たる方を、徒弟を有する〔覚者〕を、諸々の布地でまとわせて、〔覚者の〕足元に平伏して、わたしは、その地位を切望した。

 

231. そののち、世の至高者たる方は言った。〔パドゥムッタラ世尊は言った〕「見よ──この最上の二生の者を、わたしの足元に屈んでいる者を、蓮華の内なる光を有する者を。

 

232. この者は、最勝の覚者の比丘の地位を切望します。その信によって、施捨によって、さらに、正なる法(教え)の聴聞によって──

 

233. 一切所において、安楽ある者と成って、種々なる生存において輪廻して、未来の時において、〔彼は〕その意欲を得るでしょう。

 

234. これより、十万カッパ〔の未来〕において、オッカーカの家系を発生とし、姓としては、ゴータマという名の教師が、世に有るでしょう。

 

235. 彼の、諸々の法(教え)における、相続者として、正嫡として、法(教え)によって化作された者として──名としては、コッティカという名の、教師の弟子として〔世に〕有るでしょう」〔と〕。

 

236. その〔言葉〕を聞いて、歓喜した者と成って、そのとき、〔わたしは〕生あるかぎり、勝者を世話した──慈愛の心ある者となり、気づきある者となり、智慧によって〔心が〕定められた者となり。

 

237. その行為の報いによって、さらに、諸々の思欲による誓願によって、人間の肉身を捨棄して〔そののち〕、わたしは、三十三〔天〕に赴いた。

 

238. そして、三百回、天の王権を為した。そして、五百回、わたしは、転輪〔王〕と成った。

 

239. 数〔の観点〕からは数えようもない、広大なる地域の王権を〔為した〕。その行為に由縁して、一切所において、安楽ある者として〔世に〕存した。

 

240. 天〔の神〕たる〔境遇〕において、さらに、人間において、〔天と人の〕二つの生存において、〔わたしは〕輪廻する。他の境遇に、〔わたしは〕赴かない。これは、善き行ないの果である。

 

241. 二つの家系において、〔わたしは〕生まれる──士族において、さらに、婆羅門において。諸々の低き家系に、〔わたしは〕生まれない。これは、善き行ないの果である。

 

242. 最後の生存に達し得たとき、わたしは、梵の眷属(婆羅門)として〔世に〕有った。サーヴァッティーにおいて、大いなる財産ある婆羅門の家に生まれ落ちたのだった。

 

243. わたしの、母は、チャンダヴァティーという名の者であり、父は、アッサラーヤナ〔という名の者〕である。すなわち、覚者が、わたしの父を、一切の清浄によって教え導いたとき──

 

244. そのとき、〔わたしは〕善き至達者たる方にたいし浄信した者となり、〔家から〕家なきへと出家した。師匠は、モッガッラーナ〔長老〕である。師父は、サーリサンバヴァ(サーリプッタ)〔長老〕である。

 

245. 諸々の髪が切られているとき、〔悪しき〕見解は、根ごと断たれ、そして、黄褐色〔の衣〕(袈裟)を着衣しつつ、〔わたしは〕阿羅漢の資質に至り得た。

 

246. 義(意味)と法(性質)と言語において、さらに、応答において、わたしの思慧は開発され、それによって、世の至高者たる方は、わたしを、このことにおける至高〔の地位〕に据え置いた。

 

247. ウパティッサ(サーリプッタ)〔長老〕に尋ねられた〔わたし〕は、自見なく説き明かした。それによって、わたしは、〔四つの〕融通無礙〔の智慧〕(無礙解)における至高の者となる──正覚者の教えにおいて。

 

248. わたしの、諸々の〔心の〕汚れは焼尽し……略……煩悩なき者となり、〔世に〕住む。

 

249. わたしにとって、まさに、善き訪問として存した……略……覚者の教えは為された。

 

250. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。

 

 かくのごとく、まさに、尊者マハー・コッティカ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──

 

 マハー・コッティカ長老の行状が、第七となる。

 

54. 8. ウルヴェーラ・カッサパ長老の行状

 

251. パドゥムッタラという名の勝者が、世の一切を知る牟尼が、眼ある方が、これより、十万カッパ〔の過去〕において、〔世に〕生起した。

 

252. 〔人々の〕教諭者たる方は、〔人々の〕教授者たる方は、全ての命ある者たちを超え渡す方は、説示に巧みな智ある方は、覚者は、多くの人民を〔彼岸へと〕超え渡した。

 

253. 慈しみ〔の思い〕ある方は、慈悲の者たる方は、全ての命ある者たちの益を探し求める方は、至り得た全ての異教の者たちを、五つの戒において確立させた。

 

254. このように、混乱なきものとして、さらに、異教の者たちから空無なるものとして、〔その僧団は〕存した──自在者と成った者たちによって、如なる者たちによって、阿羅漢たちによって、様々な彩りあるものとなり。

 

255. 偉大なる牟尼は、彼は、五十八ラタナの高さがあり、価値ある黄金の似姿ある方として、三十二の優れた特相ある方として、〔世に有った〕。

 

256. 十万年のあいだ、まさしく、そのあいだ、寿命が見出される。彼は、〔世に〕止住している、それまでのあいだに、多くの人民を〔彼岸へと〕超え渡した。

 

257. ハンサヴァティーにおいて、そのとき、わたしは、善き者と等しく思認された婆羅門として〔世に有った〕。世の灯火たる方のもとに近しく至って、法(教え)の説示を聞いた。

 

258. そのとき、大いなる衆のなかで、大いなる衆ある弟子を、このことにおける至高〔の地位〕に据え置いている〔覚者の言葉〕を聞いて、歓喜したわたしは──

 

259. 偉大なる勝者を招いて、大勢の取り巻きと〔共に〕、千の婆羅門たちと共に、わたしは、布施を施した。

 

260. 大いなる布施を施して、〔世の〕導き手たる方を敬拝して、一方に立ち、欣喜した者となり、この言葉を説いた。

 

261. 〔わたしは言った〕「勇者よ、あなたにたいする、わたしの、信によって、さらに、献身の徳によって、そこかしこにおいて、〔わたしが〕発現したなら、〔わたしの〕衆は、大いなるものと成れ」〔と〕。

 

262. そのとき、吼え叫ぶ象の善き声ある方は、カラヴィーカ〔鳥〕の鳴き声ある教師は、衆に言った。〔パドゥムッタラ世尊は言った〕「見よ──この婆羅門を──

 

263. 金の色艶ある者を、大いなる腕ある者を、蓮華の口と眼ある者を、欣喜し勇躍する痩躯の者を、わたしの徳に信ある者を。

 

264. この者は、獅子の喚呼ある比丘の地位を切望します。未来の時において、〔彼は〕その意欲を得るでしょう。

 

265. これより、十万カッパ〔の未来〕において、オッカーカの家系を発生とし、姓としては、ゴータマという名の教師が、世に有るでしょう。

 

266. 彼の、諸々の法(教え)における、相続者として、正嫡として、法(教え)によって化作された者として──姓としては、カッサパという名の、教師の弟子として〔世に〕有るでしょう」〔と〕。

 

267. これより、九十二カッパ〔の過去〕において、無上なる教師が〔世に〕有った──喩えなき方が、相同の者なき方が、プッサ〔世尊〕が、世の至高の導き手たる方が。

 

268. そして、彼は、一切の闇を打破して、大いなる結束を解きほぐして、不死の雨を降らせる──天を含む〔世の人々〕を満足させながら。

 

269. バーラーナシーにおいて、まさに、そのとき、〔わたしたちは〕王の後継者たちとして〔世に〕有った。〔わたしたちは〕王にとって、まさしく、等しく信頼ある兄弟たちとして、三者の全てが〔世に〕存している。

 

270. 〔わたしたちは〕勇者の肢体と形姿ある力ある者たちであり、戦場において敗れることなき者たちである。そのとき、辺境が動乱し、大地の長(王)は、わたしたちに言った。

 

271. 「さあ、辺境に赴いて、森の者の軍隊を掃討して、領土を平安と為して、ふたたび、差し出すのだ」と、〔彼は〕語った。

 

272. そののち、わたしたちは言った。「もしくは、〔世の〕導き手たる方を、わたしたちが奉仕するために、〔わたしたちに〕譲り渡すなら、そののち、わたしたちは、〔任務を〕遂行しましょう」〔と〕。

 

273. そののち、願いを得たわたしたちは、大地の警護者によって派遣され、辺境の武装解除を為して、ふたたび、彼のもとに近しく至って──

 

274. 教師の奉仕を、王に乞い求めて、〔世の〕導き手たる方を、牟尼の勇者を、〔奉仕の対象として〕得て、生あるかぎり、彼を祭祀した。

 

275. そして、諸々の高価なる衣を、かつまた、諸々の精妙なる味を、諸々の喜ばしき臥坐具を、さらに、諸々の益ある薬を──

 

276. 諸々の法(正義)によって生起させたものを、わたしたちは、僧団を有する〔覚者〕に、牟尼に、施して、戒ある者たちとして、慈悲の者たちとして、修行に専念する意図ある者たちとして──

 

277. 信ある者たちとして、〔世の〕導き手たる方を、慈愛の心で世話して、彼が、世の至高者たる方が、涅槃に到達したとき、〔持てる〕力のままに、供養を為して──

 

278. そこから死滅し、兜率〔天〕に赴き、そこにおいて、大いなる安楽を、わたしたちの全てが、受領したのだった。これは、覚者の供養の果である。

 

279. あたかも、舞台のうえの幻術師が、多くの品物を見示するように、そのように、〔迷いの〕生存において迷走しながら、わたしは、ヴィデーハ〔国〕の君主として〔世に〕有った。

 

280. 〔外道の〕グナ師匠の言葉によって、誤った見解に志欲が赴いた者となり、地獄の道に登ったのだった。わたしの娘のルチャーの──

 

281. 教諭を取らずして、梵〔天〕のナーラダ(菩薩)によって、わたしは、多種に指示され、寂静となり、悪しき見解を捨棄して──

 

282. わたしは、殊勝なる〔行為〕によって、十の行為の道を満たして、肉身を捨棄して〔そののち〕、あたかも、自らの居所に〔赴く〕かのように、天上に赴いた。

 

283. 最後の生存に達し得たとき、わたしは、梵の眷属(婆羅門)として〔世に〕有った。栄えるバーラーナシーにおいて、大いなる婆羅門の家に生まれたのだった。

 

284. 死魔と病と老に恐怖した〔わたし〕は、大いなる林に入って行って、涅槃の境処を探し求めながら、結髪者たちのなかで遍歴遊行した。

 

285. そのとき、わたしの二者の弟たちは、わたしと共に出家した。ウルヴェーラーにおいて、庵所を造作して、わたしは住した──

 

286. 姓としては、カッサパという名の者として、ウルヴェーラーの住者として。そののち、わたしには、「ウルヴェーラ・カッサパ」という通称が存した。

 

287. 川(ナディー)の現前に〔住する〕、わたしの弟は、ナディー・カッサパという呼び名を有し、ガヤー〔という名の川〕の現前に〔住する、他の弟には〕、名として、ガヤー・カッサパ〔という呼び名〕が存した。

 

288. 末〔の弟〕には、二百〔の徒弟たち〕があり、中の弟には、三〔百の徒弟たち〕があり、わたしには、欠くことなく五百の徒弟たちがあり、全ての者たちが、わたしに従い行く者たちである。

 

289. そのとき、覚者が、わたしのもとに近しく至って、わたしに、様々な種類の神変を為して、世の至高者たる方は、人の馭者たる方は、〔わたしを〕教え導いた。

 

290. 千の取り巻きたちとともに、〔わたしは〕「来たれ比丘よ」と呼ばれる者と成った(ブッダに帰依し戒を成就した)。まさしく、彼らの全てと共に、〔わたしは〕阿羅漢の資質に至り得た。

 

291. まさしく、そして、彼らが、さらに、他の多くの者たちが、徒弟たちとして、わたしを取り巻いた。そして、教えることができる者として、わたしは〔世に有った〕。そののち、わたしを、第七の聖賢たる方は──

 

292. 大いなる衆ある状態における〔至高の者として〕、わたしを、このことにおける至高〔の地位〕に据え置いた。ああ、覚者にたいし、為すことを為し、果を有するものが、わたしに生まれた。

 

293. わたしの、諸々の〔心の〕汚れは焼尽し……略……煩悩なき者となり、〔世に〕住む。

 

294. わたしにとって、まさに、善き訪問として存した……略……覚者の教えは為された。

 

295. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。

 

 かくのごとく、まさに、尊者ウルヴェーラ・カッサパ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──

 

 ウルヴェーラ・カッサパ長老の行状が、第八となる。

 

54. 9. ラーダ長老の行状

 

296. パドゥムッタラという名の勝者が、世の一切を知る牟尼が、眼ある方が、これより、十万カッパ〔の過去〕において、〔世に〕生起した。

 

297. 〔人々の〕教諭者たる方は、〔人々の〕教授者たる方は、全ての命ある者たちを超え渡す方は、説示に巧みな智ある方は、覚者は、多くの人民を〔彼岸へと〕超え渡した。

 

298. 慈しみ〔の思い〕ある方は、慈悲の者たる方は、全ての命ある者たちの益を探し求める方は、至り得た全ての異教の者たちを、五つの戒において確立させた。

 

299. このように、混乱なきものとして、さらに、異教の者たちから空無なるものとして、〔その僧団は〕存した──自在者と成った者たちによって、如なる者たちによって、阿羅漢たちによって、様々な彩りあるものとなり。

 

300. 偉大なる牟尼は、彼は、五十八ラタナの高さがあり、価値ある黄金の似姿ある方として、三十二の優れた特相ある方として、〔世に有った〕。

 

301. 十万年のあいだ、まさしく、そのあいだ、寿命が見出される。彼は、〔世に〕止住している、それまでのあいだに、多くの人民を〔彼岸へと〕超え渡した。

 

302. ハンサヴァティーにおいて、そのとき、わたしは、呪文の奥義に至る婆羅門として〔世に有った〕。彼のもとへと、優れた人たる方のもとに近しく至って、法(教え)の説示を聞いた。

 

303. 〔弟子のことを衆に〕知らしめている、偉大なる勇者〔の説示〕を──諸衆のなかで、恐れおののきを離れた方〔の説示〕を──即応即答の比丘を、このことにおける至高〔の地位〕に〔据え置いている〕、〔世の〕導き手たる方〔の説示〕を、〔わたしは聞いた〕。

 

304. そのとき、わたしは、僧団を有する〔覚者〕にたいし、世の導き手たる方にたいし、為すことを為して、〔覚者の〕足もとに、頭をもって平伏して、その地位を切望した。

 

305. そののち、黄金の首飾に等しき光ある方は、世尊は、わたしに言った──〔欲の思いに〕染まるべき声によって、〔心の〕汚れの垢を運び去る〔声〕によって。

 

306. 〔パドゥムッタラ世尊は言った〕「安楽ある長寿者と成れ。あなたの誓願は実現せよ。僧団を有するわたしのために為すこととして、あなたによって為されたことは、あまりに極めて広大なる〔果〕となります。

 

307. これより、十万カッパ〔の未来〕において、オッカーカの家系を発生とし、姓としては、ゴータマという名の教師が、世に有るでしょう。

 

308. 彼の、諸々の法(教え)における、相続者として、正嫡として、法(教え)によって化作された者として──命名としては、ラーダ〔という名〕の、教師の弟子として〔世に〕有るでしょう。

 

309. 彼は、あなたの因ある徳に満足し、釈迦族の者は、人の雄牛たる者は、〔世の〕導き手たる者は、即応即答の者たちのなかの至高の者と知らしめるでしょう」〔と〕。

 

310. その〔言葉〕を聞いて、歓喜した者と成って、そのとき、〔わたしは〕生あるかぎり、勝者を世話した──慈愛の心ある者となり、気づきある者となり、智慧によって〔心が〕定められた者となり。

 

311. その善行の行為によって、さらに、諸々の思欲による誓願によって、人間の肉身を捨棄して〔そののち〕、わたしは、三十三〔天〕に赴いた。

 

312. そして、三百回、天の王権を為した。そして、五百回、わたしは、転輪〔王〕と成った。

 

313. 数〔の観点〕からは数えようもない、広大なる地域の王権を〔為した〕。その行為に由縁して、一切所において、安楽ある者として〔世に〕存した。

 

314. 最後の生存に達し得たとき、最上の都のギリッバジャ(ラージャガハの別名)において、落ちぶれた婆羅門の家に生まれたのだった──ぼろぼろの覆いの坐具のうえに。

 

315. サーリプッタ〔長老〕に、如なる方に、ひと匙の行乞〔の施食〕を、〔わたしは〕施した。そして、〔わたしが〕老い朽ち、かつまた、年長となったとき、そのとき、〔わたしは〕林園へと近しく赴いた。

 

316. 力と強さに劣る老い朽ちた者であるわたしを、誰ひとりとして出家させず(※)、それによって、色艶と肢体に劣る哀れなわたしは、そして、そのとき、憂いの者として存した。

 

※ テキストには Pabbajati na ma koci とあるが、PTS版により Pabbājenti na ma keci と読む。

 

317. 〔それを〕見て、偉大なる慈悲者たる方は、偉大なる牟尼は、わたしに言った。〔世尊は尋ねた〕「子よ、何を義(目的)として、憂いに苦悩しているのですか。あなたの心から生じる病苦を、〔わたしに〕説きなさい」〔と〕。

 

318. 〔わたしは答えた〕「勇者よ、〔わたしは〕出家を得ません──見事に告げ知らされた、あなたの教えにおいて。その憂いによって、〔わたしは〕存しています──哀れな者として。〔世の〕導き手たる方よ、帰依所と成ってください」〔と〕。

 

319. そのとき、第七の牟尼たる方は、比丘たちを集めて尋ねた。〔世尊は尋ねた〕「この者の献身を思念する(記憶する)、それらの者たちがいるなら、彼らは、〔そのことを〕弁じ述べなさい(この者から施しを受けたことがある者は申し出よ)」〔と〕。

 

320. そのとき、サーリプッタ〔長老〕は言った。〔長老は答えた〕「彼の為すことを、わたしは思念します。わたしが〔行乞の〕食のために歩んでいると、ひと匙の行乞〔の施食〕を、〔彼は〕施しました」〔と〕。

 

321. 〔世尊は言った〕「善きかな、善きかな、〔あなたは〕存しています──知恩の者として。サーリプッタよ、あなたは、この者を、年長の二生の者を、出家させなさい。この者は、善き生まれの者と成るでしょう」〔と〕。

 

322. そののち、出家することを、〔比丘たる〕行為の〔規定〕文言(羯磨語:出家作法規定集)による〔戒の〕成就を、〔わたしは〕得た。まさしく、長時ならずして、煩悩の滅尽に至り得た。

 

323. 歓喜した〔わたし〕が、恭しく、牟尼の言葉を聞く、そののち、勝者は、わたしを、即応即答の者たちのなかの至高〔の地位〕に据え置いた。

 

324. わたしの、諸々の〔心の〕汚れは焼尽し……略……煩悩なき者となり、〔世に〕住む。

 

325. わたしにとって、まさに、善き訪問として存した……略……覚者の教えは為された。

 

326. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。

 

 かくのごとく、まさに、尊者ラーダ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──

 

 ラーダ長老の行状が、第九となる。

 

54. 10. モーガラージャン長老の行状

 

327. パドゥムッタラという名の勝者が、世の一切を知る牟尼が、眼ある方が、これより、十万カッパ〔の過去〕において、〔世に〕生起した。

 

328. 〔人々の〕教諭者たる方は、〔人々の〕教授者たる方は、全ての命ある者たちを超え渡す方は、説示に巧みな智ある方は、覚者は、多くの人民を〔彼岸へと〕超え渡した。

 

329. 慈しみ〔の思い〕ある方は、慈悲の者たる方は、全ての命ある者たちの益を探し求める方は、至り得た全ての異教の者たちを、五つの戒において確立させた。

 

330. このように、混乱なきものとして、さらに、異教の者たちから空無なるものとして、〔その僧団は〕存した──自在者と成った者たちによって、如なる者たちによって、阿羅漢たちによって、様々な彩りあるものとなり。

 

331. 偉大なる牟尼は、彼は、五十八ラタナの高さがあり、価値ある黄金の似姿ある方として、三十二の優れた特相ある方として、〔世に有った〕。

 

332. 十万年のあいだ、まさしく、そのあいだ、寿命が見出される。彼は、〔世に〕止住している、それまでのあいだに、多くの人民を〔彼岸へと〕超え渡した。

 

333. ハンサヴァティーにおいて、そのとき、わたしは、或るどこかの家に〔生まれ〕、〔世に〕有った──他者の行為の道に専念する者(雇われ人)として。わたしには、何であれ、自らの財産は存在しない。

 

334. 懺悔堂において、地べたに住している〔わたし〕は、そこにおいて、祭火を燃やした。その大地は(※)、堅く黒きものとして存した(変色し変質した)。

 

※ テキストには hī とあるが、PTS版により mahī と読む。

 

335. そのとき、衆のなかで、〔世の〕主たる方は、四つの真理の明示者たる方は、粗野な衣料を〔身に〕付ける弟子を賛じ称えた。

 

336. 彼の、その徳に満足した〔わたし〕は、如来に平伏して、粗野な衣料を〔身に〕付ける至高にして最上の地位を切望した。

 

337. そのとき、パドゥムッタラ世尊は、弟子たちに言った。〔パドゥムッタラ世尊は言った〕「見よ──この下僕を、悪しき衣の者を、細き肉身の者を──

 

338. 喜悦によって浄信した顔貌ある者を、信の財が等しく従い行く者を、欣喜し勇躍する痩躯の者を、不動なるサーラ〔樹〕の塊〔の如き者〕を。

 

339. この者は、真理の臥所たる比丘の、その地位を切望します──粗野な衣料を〔身に〕付ける者の、彼の、色艶に志欲が依拠した者として」〔と〕。

 

340. その〔言葉〕を聞いて、歓喜した者と成って、勝者に、頭をもって平伏して、生あるかぎり、勝者の教えにおいて、浄美なる行為を為して──

 

341. その善行の行為によって、さらに、諸々の思欲による誓願によって、人間の肉身を捨棄して〔そののち〕、わたしは、三十三〔天〕へと近しく赴く者となる。

 

342. 懺悔堂において、地を焼く行為によって、正味千〔カッパ〕のあいだ、地獄において、〔苦痛の〕感受に苦悩する者となり、〔わたしは〕焼かれた。

 

343. その行為の残り〔の報い〕によって、五百生のあいだ、わたしは、人間と〔成り〕、良家の生まれの者と成って〔輪廻するも〕、生まれながら〔悪しき〕特相に装飾された者として〔世に有った〕。

 

344. まさしく、五百生のあいだ、癩の病に引き渡され、大いなる苦痛を受領した──その行為に由縁して。

 

345. この幸いなるカッパにおいて、福徳ある〔独覚の〕ウパリッタを、〔行乞の〕施食によって満足させた──浄信した意図ある者となり、わたしは。

 

346. その殊勝なる行為によって、さらに、諸々の思欲による誓願によって、人間の肉身を捨棄して〔そののち〕、わたしは、三十三〔天〕に赴いた。

 

347. 最後の生存に達し得たとき、〔わたしは〕士族の家に生まれた。父の死後、わたしは、大いなる王権を引き渡された。

 

348. 癩の病に征服されたわたしは、歓楽を〔得ること〕なく、安楽を得ることなく、すなわち、王権の安楽の無駄なることから、そののち、わたしは、モーガラージャン(無駄なる王)と〔呼ばれた〕。

 

349. 〔わたしは〕身体の汚点を見て、〔家から〕家なきへと出家した。〔婆羅門の〕バーヴァリの、至高の二生の者の、徒弟たることに到達した。

 

350. 〔彼の〕大いなる取り巻きとともに、人の導き手たる方のもとに近しく至って、精緻なる問いを尋ねた──彼に、勇者に、〔悪しき〕論者を料理する方に。

 

351. 〔わたしは尋ねた〕「この世〔の人々〕も、他の世〔の人々〕も、天〔の世〕を含む梵の世〔の神々〕も、福徳あるゴータマの、あなたの、見解を証知しません。

 

352. このような崇高なる見者に、問い尋ねることを義(目的)として、〔わたしは〕やってまいりました。どのように、世〔のあり様〕を注視している者を、死魔の王は見ないのですか」〔と〕。

 

353. 〔世尊は答えた〕「モーガラージャンよ、常に気づきある者として、世〔のあり様〕を『空である』と注視しなさい。自己についての偏った見解を取り去って、このように、死魔〔の領域〕を超え渡る者として存するのです。

 

354. このように、世〔のあり様〕を注視している者を、死魔の王は見ません」〔と〕。かくのごとく、覚者は、わたしに話した──全ての病の癒し手たる方は。

 

355. 詩偈の最後と共に、諸々の髪と髭は抜け落ち、黄褐色の衣を着る比丘として、〔わたしは〕存した──そのように、阿羅漢として。

 

356. 病に責め苛まれる〔わたし〕は、諸々の僧団の精舎に住さなかった。「精舎が汚されてはならない」と、諸々の風の病に責め苛まれる〔わたし〕は。

 

357. 塵芥場から、墓場から、さらに、諸々の道端から、〔ぼろ切れを〕持ち運んで、それから、大衣を作って、粗野な衣料を〔身に〕付けた。

 

358. 偉大なる能力ある方は、〔世の〕導き手たる方は、わたしの、その徳に満足し、わたしを、粗野な衣料を〔身に〕付ける者たちのなかの、このことにおける至高〔の地位〕に据え置いた。

 

359. 〔わたしは〕善と悪〔の功徳〕の完全なる滅尽者として、一切の病が抜け落ちた者として、炎のように執取なき者として、煩悩なき者として、涅槃に到達するであろう。

 

360. わたしの、諸々の〔心の〕汚れは焼尽し……略……煩悩なき者となり、〔世に〕住む。

 

361. わたしにとって、まさに、善き訪問として存した……略……覚者の教えは為された。

 

362. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。

 

 かくのごとく、まさに、尊者モーガラージャン長老は、これらの詩偈を語った。ということで──

 

 モーガラージャン長老の行状が、第十となる。

 

 カッチャーヤナの章が、第五十四となる。

 

 その〔章〕のための摂頌となる。

 

 〔そこで、詩偈に言う〕「カッチャーヤナ、ヴァッカリ長老、マハー・カッピナという呼び名を有する者、ダッバ、そして、クマーラという名の者、バーヒヤ、コッティカ自在者──

 

 ウルヴェーラ・カッサパ、ラーダ、そして、モーガラージャン賢者があり、三百の詩偈が、まさしく、そして、六十二〔の詩偈〕が、ここにおいて集録された」〔と〕。

 

55. バッディヤの章

 

55. 1. ラクンダ・バッディヤ長老の行状

 

1. パドゥムッタラという名の勝者が、一切の法(事象)に眼ある方が、〔世の〕導き手たる方が、これより、十万カッパ〔の過去〕において、〔世に〕生起した。

 

2. ハンサヴァティーにおいて、そのとき、わたしは、長者の子として、大いなる財産ある者として、〔世に有った〕。わたしは、ゆったりした歩調で渡り歩きながら、僧団の林園に赴いた。

 

3. そのとき、彼は、世の灯火たる方は、〔世の〕導き手たる方は、法(教え)を説示し、美妙なる声ある者たちのなかの最も優れた弟子を賛じ称えた。

 

4. その〔言葉〕を聞いて、歓喜した者と成って、偉大なる牟尼のために、為すことを為して、教師の〔両の〕足を敬拝して、その地位を切望した。

 

5. そのとき、覚者は、〔世の〕導き手たる方は、僧団の中央において説き明かした。〔パドゥムッタラ世尊は言った〕「未来の時において、〔彼は〕その意欲を得るでしょう。

 

6. これより、十万カッパ〔の未来〕において、オッカーカの家系を発生とし、姓としては、ゴータマという名の教師が、世に有るでしょう。

 

7. 彼の、諸々の法(教え)における、相続者として、正嫡として、法(教え)によって化作された者として──名としては、バッディヤという名の、教師の弟子として〔世に〕有るでしょう」〔と〕。

 

8. その善行の行為によって、さらに、諸々の思欲による誓願によって、人間の肉身を捨棄して〔そののち〕、わたしは、三十三〔天〕に赴いた。

 

9. プッサ〔世尊〕が、〔世の〕導き手たる方が、これより、九十二カッパ〔の過去〕において、〔世に〕生起した。近づき難く打ち負かし難き方は、一切の世における最上の勝者は──

 

10. そして、行ないを成就した方は、偉丈夫にして〔心が〕真っすぐな苦行者たる方は、一切の有情たちの益を探し求める方は、多く〔の人々〕を、結縛から解き放った。

 

11. 彼のナンダ林園の林において、〔わたしは〕まだら郭公として〔世に〕有った。わたしは、香室の近くのアンバ樹に住する。

 

12. そのとき、〔行乞の〕食のために赴きつつある、施与されるべき方を、最上の勝者を、見て、心を浄信させて、わたしは、美妙なる〔声〕によって、さえずり鳴いた。

 

13. そのとき、王の庭園に赴いて、善く熟した黄金色の皮のアンバ〔樹の果〕の塊を収め取って、正覚者のもとに持っていった。

 

14. そのとき、わたしの心を了知して、偉大なる慈悲者たる勝者は、〔世の〕導き手たる方は、奉仕者の手から鉢を〔収め取って〕、〔わたしに〕差し出した。

 

15. 欣喜した心の者となり、わたしは、アンバ〔樹の果〕の塊を、偉大なる牟尼に施した。〔施物を〕鉢に置いて、〔両の〕翼で、合掌を為して、美妙なる〔声〕によって──

 

16. 〔欲の思いに〕染まるべき声によって、聞き惚れてしまう麗美なる〔声〕によって、覚者の供養を義(目的)として、鳴き声をあげつつ、わたしは、巣に赴いて横になった。

 

17. そのとき、心が歓喜したわたしを、覚者の愛情に志欲が赴いた〔わたし〕を、鷹が、近しく赴いて殺害した──汚れた意図ある者となり。

 

18. そこから死滅し、わたしは、兜率〔天〕において、大いなる安楽を受領して、人間の胎に至り着いた──その行為に由縁して。

 

19. この幸いなるカッパにおいて、梵の眷属にして偉大なる福徳ある方が、姓としては、カッサパという名の、説者たちのなかの優れた方が、〔世に〕生起した。

 

20. 彼は、教えを輝き照らして、悪しき異教の者たちを征服して、教導されるべき者たちを教導して、彼は、弟子を有する〔覚者〕は、涅槃に到達した者となる。

 

21. 彼が、世の至高者たる方が、涅槃に到達したとき、浄信ある、多くの人民たちは、供養を義(目的)として、覚者のために、教師のために、塔を作る。

 

22. 〔彼らは言った〕「七つの宝玉で飾られた、七ヨージャナの塔を、偉大なる聖賢のために、〔わたしたちは〕作るのだ」〔と〕、かくのごとく、このように、彼らは話し合う。

 

23. そのとき、カーシ王のキキンの軍団の導き手と成って〔世に有った〕わたしは、無量なる方の塔廟について、量を説いた(塔の高さに制限を加えた)。

 

24. そのとき、彼らは、わたしの言葉によって、塔廟を、〔一〕ヨージャナの高さに作り為した──人の勇者のために、種々なる宝玉に飾られた〔塔廟〕を。

 

25. その善行の行為によって、さらに、諸々の思欲による誓願によって、人間の肉身を捨棄して〔そののち〕、わたしは、三十三〔天〕に赴いた。

 

26. そして、今や、最後の生存において、わたしは、長者の家に生まれたのだった──サーヴァッティーの優れた都において、繁栄し、興隆する、大いなる財産ある〔家〕に。

 

27. 都の入り口において、善き至達者たる方を見て、驚愕した意図ある者となり、出家して〔そののち〕、長からずして、阿羅漢の資質に至り得た。

 

28. すなわち、塔廟に量を作り為した、その行為〔の報い〕によって、わたしは、小人の肉体ある者として、貶斥に値する者として、生まれたのだった。

 

29. わたしは、甘美なる声によって、第七の聖賢たる方を供養して、美妙なる声ある比丘たちのなかの至高者たる〔地位〕に至り得た。

 

30. 覚者のための果実の布施によって、さらに、徳の随念によって、沙門の果を成就した者となり、煩悩なき者となり、〔世に〕住む。

 

31. わたしの、諸々の〔心の〕汚れは焼尽し、一切の〔迷いの〕生存は完破された。象のように結縛を断ち切って、煩悩なき者となり、〔世に〕住む。

 

32. わたしにとって、まさに、善き訪問として存した──わたしにとって、覚者の現前にあることは。三つの明知は獲得され、覚者の教えは為された。

 

33. 四つの融通無礙は〔実証され〕、そして、また、これらの八つの解脱も〔実証された〕。六つの神知は実証され、覚者の教えは為された。

 

 かくのごとく、まさに、尊者ラクンダ・バッディヤ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──

 

 ラクンダ・バッディヤ長老の行状が、第一となる。

 

55. 2. カンカー・レーヴァタ長老の行状

 

34. パドゥムッタラという名の勝者が、一切の法(事象)に眼ある方が、〔世の〕導き手たる方が、これより、十万カッパ〔の過去〕において、〔世に〕生起した。

 

35. 獅子の顎ある方が、梵の声ある方が、鵞鳥と雷鼓の発声ある方が、勇猛なる象の道行きある方が、月や日等の光ある方が──

 

36. 偉大なる思慧ある方が、偉大なる勇者たる方が、偉大なる瞑想者たる方が、偉大なる勢力ある方が、偉大なる慈悲者たる方が、〔世の〕主たる方が、大いなる闇を除去する方が、〔世に生起した〕。

 

37. 彼は、三つの世〔の界域〕における至高者たる方は、いつであれ、多くの教導されるべき者を教導しながら、正覚者は、有情の志欲を知る牟尼は、法(教え)を説示した。

 

38. 瞑想を喜ぶ瞑想者たる勇者を、〔心が〕寂静で混濁なき〔比丘〕を、衆のなかで褒め称えながら、勝者は、人民を満足させた。

 

39. ハンサヴァティーにおいて、そのとき、わたしは、ヴェーダの奥義に至る婆羅門として〔世に有った〕。法(教え)を聞いて、歓喜した〔わたし〕は、その地位を切望した。

 

40. そのとき、勝者は、〔世の〕導き手たる方は、僧団の中央において説き明かした。〔パドゥムッタラ世尊は言った〕「梵(婆羅門)よ、あなたは、歓喜した者と成れ。〔あなたは〕その意欲を得るでしょう。

 

41. これより、十万カッパ〔の未来〕において、オッカーカの家系を発生とし、姓としては、ゴータマという名の教師が、世に有るでしょう。

 

42. 彼の、諸々の法(教え)における、相続者として、正嫡として、法(教え)によって化作された者として──名としては、レーヴァタという名の、教師の弟子として〔世に〕有るでしょう」〔と〕。

 

43. その善行の行為によって、さらに、諸々の思欲による誓願によって、人間の肉身を捨棄して〔そののち〕、わたしは、三十三〔天〕に赴いた。

 

44. そして、今や、最後の生存において、コーリヤ〔族〕の都において、わたしは生まれたのだった──家系を成就した士族の〔家〕に、繁栄し、興隆する、大いなる財産ある〔家〕に。

 

45. すなわち、カピラヴァットゥにおいて、覚者が、法(教え)を説示したとき、そのとき、〔わたしは〕善き至達者たる方にたいし浄信した者となり、〔家から〕家なきへと出家した。

 

46. わたしには、多くの疑いが存した──適確なることと適確ならざることについて、そこかしこにおいて。覚者は、その全てを取り除いた──最上の法(教え)を説示して。

 

47. そののち、わたしは、輪廻を超え渡り、常に、瞑想の安楽を喜ぶ者となり、〔世に〕住む。そのとき、覚者は、わたしを見て、この〔言葉〕を説いた。

 

48. 〔世尊は言った〕「この〔世〕であろうが、あの〔世〕であろうが、それらが何であれ、疑い〔の思い〕であるなら、自ら知られるべきものであろうが、他者によって知られるべきものであろうが、すなわち、瞑想者たちは、それらの全てを捨棄します──熱情ある者たちとなり、梵行を歩みながら」〔と〕。

 

49. 十万〔カッパの過去〕において、〔わたしが〕為した行為と〔その〕果を、ここに、わたしのために、〔覚者は〕見示した。善く放たれた矢の勢いのように、わたしの諸々の〔心の〕汚れを、〔わたしは〕焼き尽くした。

 

50. そののち、〔常に〕瞑想を喜ぶ〔わたし〕を見て、覚者は、世の終極に至る方は、牟尼は、偉大なる思慧ある方は、〔わたしのことを〕「瞑想者たる比丘たちのなかの至高の者である」〔と〕知らしめた。

 

51. わたしの、諸々の〔心の〕汚れは焼尽し……略……煩悩なき者となり、〔世に〕住む。

 

52. わたしにとって、まさに、善き訪問として存した……略……覚者の教えは為された。

 

53. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。

 

 かくのごとく、まさに、尊者カンカー・レーヴァタ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──

 

 カンカー・レーヴァタ長老の行状が、第二となる。

 

55. 3. シーヴァリ長老の行状

 

54. パドゥムッタラという名の勝者が、一切の法(事象)に眼ある方が、〔世の〕導き手たる方が、これより、十万カッパ〔の過去〕において、〔世に〕生起した。

 

55. 彼の、戒は、数えようもなく、禅定は、金剛の如くで、優れた知恵は、数えようもなく、そして、解脱は、喩えなくある。

 

56. 人や神や龍たちの、さらに、梵〔天〕たちの、集いにおいて、満ち溢れた沙門や婆羅門のなかで、〔世の〕導き手たる方は、法(教え)を説示した。

 

57. 自らの弟子で、大いなる利得ある者を、功徳ある者を、光輝を保持する者を、諸衆のなかで、恐れおののきを離れた方は、このことにおける至高〔の地位〕に据え置いた。

 

58. ハンサという呼び名を有する城市において、そのとき、〔わたしは〕士族として〔世に〕存した。勝者の、その言葉を聞いて、弟子の徳の多きを〔聞いて〕──

 

59. 弟子を有する〔覚者〕を招いて、七日のあいだ受益させて、大いなる布施を施して、その地位を切望した。

 

60. そのとき、足もとに屈んでいるわたしを見て、人士の雄牛たる方は、勇者は、偉大なる声によって、この言葉を説いた。

 

61. そののち、勝者の言葉を聞くことを欲する大勢の人たちは、天〔の神〕や魔神や音楽神たちは、さらに、大いなる神通ある梵〔天〕たちは──

 

62. まさしく、そして、沙門や婆羅門たちは、合掌を為し、礼拝した。〔彼らが言った〕「善き生まれの人士たる方よ、あなたに、礼拝〔有れ〕。最上の人士たる方よ、あなたに、礼拝〔有れ〕。

 

63. 大いなる布施が、士族によって施されました──あなたさまのために、七日のあいだでさえも。〔わたしたちは〕彼の果を聞くことを欲する者たちです。偉大なる牟尼よ、説き明かしてください」〔と〕。

 

64. そののち、世尊は言った。〔パドゥムッタラ世尊は言った〕「わたしの語る〔言葉〕を聞きなさい。量るべくもなき覚者において、僧団を有する〔覚者〕において、〔施物が〕確立されたのです。

 

65. 誰が、その〔施物〕の〔果を説く〕説者になるというのでしょう。なぜなら、その施物は、量るべくもなき果となるからです。もし、また、彼が、大いなる財物ある者が、最上の地位を切望するなら──

 

66. 『諸々の広大なる利得の得者として、すなわち、美しき見た目ある比丘があるように、そのように、わたしもまた成るのだ』と〔切望するなら〕、未来において、その〔地位〕を得るでしょう。

 

67. これより、十万カッパ〔の未来〕において、オッカーカの家系を発生とし、姓としては、ゴータマという名の教師が、世に有るでしょう。

 

68. 彼の、諸々の法(教え)における、相続者として、正嫡として、法(教え)によって化作された者として──名としては、シーヴァリという名の、教師の弟子として〔世に〕有るでしょう」〔と〕。

 

69. その善行の行為によって、さらに、諸々の思欲による誓願によって、人間の肉身を捨棄して〔そののち〕、わたしは、三十三〔天〕へと近しく赴く者となる。

 

70. これより、九十一カッパ〔の過去〕において、ヴィパッシン〔世尊〕が、世の導き手たる方が、典雅なる見た目ある方が、一切の法(事象)の〔あるがままの〕観察者たる方が、〔世に〕生起した。

 

71. バンドゥマティーにおいて、そのとき、わたしは、そして、或るどこかの家にあり、まさしく、さらに、お気に入りとして見込まれた、仕事に多忙なる者として〔世に〕存した。

 

72. そのとき、或る組合が、ヴィパッシン〔世尊〕のために、偉大なる聖賢のために、僧房を作らせた──大いなるものとして極めて〔世に〕聞こえたものとして。

 

73. そして、大いなる布施が終了したとき、〔彼らは〕固形の食料を伴った〔施物〕を施したが、新しい酪を、まさしく、さらに、蜜を、尋ね求めながら、ついに、見なかった。

 

74. そのとき、わたしは、新しい酪を、さらに、また、蜜を、それを収め取って、作業主の家に赴いた。それを探し求めている者たちは、わたしを見た。

 

75. 千〔金〕をもまた施して、しかしながら、〔彼らは〕その二つ(酪と蜜)を得なかった。そののち、わたしは、このように思い考えた。「この〔果〕は、低きものには成らないであろう。

 

76. すなわち、これらの人たちの全てが、如来を尊敬するように、わたしもまた、為すことを為すのだ──僧団を有する〔覚者〕にたいし、世の導き手たる方にたいし」〔と〕。

 

77. そのとき、わたしは、このように思い考えて、酪を、さらに、蜜を、一緒に混ぜて、世の主たる方に、僧団を有する〔覚者〕に、わたしは施した。

 

78. その善行の行為によって、さらに、諸々の思欲による誓願によって、人間の肉身を捨棄して〔そののち〕、わたしは、三十三〔天〕に赴いた。

 

79. バーラーナシーにおいて、ふたたび、わたしは、大いなる福徳ある王と成って、そのとき、賊に怒った〔わたし〕は、門塀を作らせた。

 

80. そのとき、苦行者たちは、一日のあいだ、拘束され監禁された者たちと成った。そののち、その報いによって、過酷なる地獄に落ちた。

 

81. そして、今や、最後の生存において、コーリヤ〔族〕の都において、わたしは生まれたのだった。そして、わたしの、母は、スッパヴァーサーであり、父は、リッチャヴィ〔族〕のマハーリである。

 

82. 士族のときの功徳の行為によって、門塀に由縁して、七年のあいだ、苦しみある者となり、母の子宮に居住した(生まれ出るのに七年かかった)。

 

83. 七日のあいだ、〔体外に至る〕門に迷い、わたしは、大いなる苦しみに引き渡されたのだった。母は、わたしの欲〔の思い〕の布施によって、このように、極めて苦しみある者として存した。

 

84. 〔家における〕安穏〔の生活〕から出たわたしは、覚者によって慈しまれ、まさしく、〔家から〕出た〔その〕日に、家なきへと出家した。

 

85. わたしの師父たちは、サーリプッタ〔長老〕であり、大いなる神通あるモッガッラーナ〔長老〕である。わたしの諸々の髪を剃り落としながら、偉大なる思慧ある方は、〔わたしに〕教示した。

 

86. 諸々の髪が切られているとき、〔わたしは〕阿羅漢の資質に至り得た。天〔の神々〕たちは、龍たちは、そして、人間たちは、諸々の日用品を、わたしに進呈する。

 

87. そして、〔世の〕主たるパドゥムッタラ〔世尊〕を、さらに、〔世の〕導き手たるヴィパッシン〔世尊〕を、すなわち、歓喜した者となり、殊勝なる〔思い〕から、諸々の日用品によって供養した──

 

88. そののち、それらの殊勝なる行為によって、広大にして最上の利得を、一切所において、〔わたしは〕得る──林において、村において、水において、陸において。

 

89. すなわち、〔世の〕導き手たる方が、レーヴァタと会うことを義(目的)として行くとき──世の至高の導き手たる方が、三万の比丘たちと共に〔行くとき〕──

 

90. そのとき、偉大なる思慧ある方は、わたしを義(目的)として〔施された〕諸々の天の精妙なる日用品によって、偉大なる勇者は、僧団を有する〔覚者〕は、世の導き手たる方は──

 

91. わたしによって奉仕されたのだった。覚者は、赴いて、レーヴァタと会い、そののち、ジェータ林に赴いて、わたしを、このことにおける至高〔の地位〕に据え置いた。

 

92. 〔世尊は言った〕「比丘たちよ、わたしの徒弟たちのなかで、シーヴァリは、利得ある者たちのなかの至高の者である」〔と〕。一切の世〔の人々〕に益ある教師は、諸衆のなかで、わたしを賛じ称えた。

 

93. わたしの、諸々の〔心の〕汚れは焼尽し……略……煩悩なき者となり、〔世に〕住む。

 

94. わたしにとって、まさに、善き訪問として存した……略……覚者の教えは為された。

 

95. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。

 

 かくのごとく、まさに、尊者シーヴァリ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──

 

 シーヴァリ長老の行状が、第三となる。

 

55. 4. ヴァンギーサ長老の行状

 

96. パドゥムッタラという名の勝者が、一切の法(事象)に眼ある方が、〔世の〕導き手たる方が、これより、十万カッパ〔の過去〕において、〔世に〕生起した。

 

97. たとえば、また、海洋における波のように、空における星のように、このように、彼の〔聖なる〕言葉は、阿羅漢たちによって彩られている。

 

98. 天〔の神〕や阿修羅や龍たちを含む人間たちに囲まれ、沙門や婆羅門で満ち溢れるなか、人々の中央において、最上の勝者は──

 

99. 諸々の光によって輝きながら、世において世の終極に至る方は、勝者は、彼は、言葉によって、教導されるべき蓮華たちを覚らせながら──

 

100. 四つの離怖(四無畏)を成就した、最上の人士たる方は、恐怖と恐れおののきを捨棄し〔心の〕平安に至り得た、恐れおののきを離れた方は──

 

101. 最も優れた雄牛たる境位を、さらに、全一なる覚者の境地を、世の至高者たる方は、〔衆に〕明言する。〔それを〕叱責する者は、誰であれ存在しない。

 

102. 恐怖なき獅子吼を吼え叫んでいる、彼に、如なる方に、言い返す者は、天〔の神〕も、あるいは、人も、あるいは、梵〔天〕も、〔誰であれ〕見出されない。

 

103. 最も優れた法(教え)を説示しつつ、天を含む〔世の人々〕を超え渡らせながら、諸衆のなかで、恐れおののきを離れた方は、法(真理)の輪を転起させる。

 

104. 即応即答の者たちのなかの至高にして善き者と等しく思認された弟子を、〔彼の〕徳の多きを褒め称えて、彼を、このことにおける至高〔の地位〕に据え置いた。

 

105. ハンサヴァティーにおいて、そのとき、わたしは、善き者と等しく思認された婆羅門として、全てのヴェーダを知る者として、雄弁にして〔悪しき〕論者を料理する者として、生まれたのだった。

 

106. 彼のもとに、偉大なる勇者のもとに、近しく至って、わたしは、法(教え)の説示を聞いて、優れた喜悦を獲得した──弟子の徳を喜ぶ者として。

 

107. 善き至達者たる方を招いて、僧団を有する〔覚者〕を、世の喜びたる方を、七日のあいだ受益させて、そのとき、わたしは、諸々の布地でまとわせた。

 

108. 〔覚者の〕足もとに、頭をもって平伏して、機会を作り、合掌を為し、一方に立ち、欣喜した者となり、最上の勝者を奉賛した。

 

109. 〔わたしは言った〕「〔悪しき〕論者を撃破する方よ、あなたに、礼拝〔有れ〕。第七の聖賢たる方よ、あなたに、礼拝〔有れ〕。一切の世の至高者たる方よ、あなたに、礼拝〔有れ〕。恐怖なき〔平安〕を作り為す方よ、あなたに、礼拝〔有れ〕。

 

110. 悪魔〔の心〕を掻き乱す方よ、あなたに、礼拝〔有れ〕。〔悪しき〕見解を料理する方よ、あなたに、礼拝〔有れ〕。寂静と安楽を与える方よ、あなたに、礼拝〔有れ〕。帰依所を作り為す方よ、あなたに、礼拝〔有れ〕。

 

111. 尊き方は、貧窮者たちの主たる方であり、恐怖者たちに恐怖なき〔平安〕を与える方であり、疲労者たちの休息地たる方であり、帰依所を探し求める者たちの帰依所たる方です」〔と〕。

 

112. このように、等々〔の言葉〕によって、正覚者を、偉大なる徳ある方を、奉賛して、〔わたしは〕言った。「〔悪しき〕論者を料理する比丘の境遇を、〔わたしは〕得るのです」〔と〕。

 

113. そのとき、世尊は、無間の即応即答〔の智慧〕ある方は、言った。〔パドゥムッタラ世尊は言った〕「すなわち、彼は、弟子を有する覚者を、七日のあいだ受益させました。

 

114. そして、わたしの徳を賛じ称えました──浄信した者となり、自らの〔両の〕手で。この者は、〔悪しき〕論者を料理する比丘の地位を切望します。

 

115. 未来の時において、その意欲を得るでしょう──少なからざる天〔の神〕と人間の得達を受領して。

 

116. これより、十万カッパ〔の未来〕において、オッカーカの家系を発生とし、姓としては、ゴータマという名の教師が、世に有るでしょう。

 

117. 彼の、諸々の法(教え)における、相続者として、正嫡として、法(教え)によって化作された者として──名としては、ヴァンギーサという名の、教師の弟子として〔世に〕有るでしょう」〔と〕。

 

118. その〔言葉〕を聞いて、歓喜した者と成って、そのとき、〔わたしは〕生あるかぎり、勝者に奉仕した──慈愛の心ある者となり、諸々の日用品によって、如来に。

 

119. その善行の行為によって、さらに、諸々の思欲による誓願によって、人間の肉身を捨棄して〔そののち〕、わたしは、三十三〔天〕に赴いた。

 

120. そして、今や、最後の生存において、わたしは、婆羅門の家に生まれたのだった。すなわち、生まれ落ちた〔わたし〕が、生まれて七年の者として〔世に〕存したとき──

 

121. 〔わたしは〕全てのヴェーダを知る者として、論と学問における熟達者として、生育したのだった──論者のイッサラ(イーシュヴァラ神・自在神)として、様々な言説ある者として、他者の論を撃破する者として。

 

122. 〔わたしは〕ヴァンガにおいて生まれた者、ということで、ヴァンギーサと〔呼ばれ〕、あるいは、言葉におけるイッサラ(自在者)、ということで、わたしには、「ヴァンギーサ」という、世に思認された名が有った。

 

123. すなわち、わたしが、知性に至り得た者となり、最初の若さ〔の盛り〕に止住したとき、そのとき、わたしは、喜ばしきラージャガハにおいて、サーリプッタ〔長老〕を見た。

 

 〔以上が〕第二十五の朗読分となる。

 

124. 〔行乞の〕食のために渡り歩いている彼を、鉢を手にする〔心身が〕善く統御された者を、眼の妄動なく節度をもって話す者を、〔一〕ユガ(:長さの単位・一ユガは約二メートル)ばかりを〔隙なく〕見る者を──

 

125. 彼を見て、驚愕した者と成って、わたしは言った──わたしにとって至当なる〔詩偈〕を、摘み集めたカニカーラ〔樹の花〕のように彩りあざやかな詩偈の句を。

 

126. 彼は、わたしに告げ知らせた──教師のことを、正覚者のことを、世の導き手たる方のことを。そのとき、彼は、賢者は、勇者は、わたしに、さらなる〔言葉〕を重ねて言った──

 

127. 離貪を伴った言葉を、見難きものを最上のものと為して。〔彼の〕種々様々な即応即答〔の智慧〕によって、彼によって、如なる者によって、満足した〔わたし〕は──

 

128. 〔長老の〕足もとに、頭をもって平伏して、「〔わたしを〕出家させたまえ」と、この〔言葉〕を説いた。そののち、彼は、大いなる智慧ある者は、わたしを、最勝の覚者のもとに連れて行った。

 

129. 〔覚者の〕足もとに、頭をもって平伏して、〔わたしは〕教師の現前に坐った。説者たちのなかの最勝者たる方は、わたしに言った。〔世尊は尋ねた〕「ヴァンギーサよ、どうでしょう、〔あなたは〕知っていますか」〔と〕。

 

130. わたしは、「何であれ、技芸であるなら」と、彼に〔答え〕、そして、「〔わたしは〕知っています」と、〔彼に〕説いた。〔世尊は尋ねた〕「死者の頭蓋のことを、林に捨てられたもので、それも、〔捨てられてから〕十二年のものを、あなたの殊勝なる学知によって、それで、もし、できるなら、教授してください」〔と〕。

 

131. 「わかりました」と、わたしが明言したとき、〔覚者は〕三つの頭蓋を、〔わたしに〕見示した。〔わたしは、死者たちが〕地獄と人と天に生起したことを、〔覚者に〕教授した。

 

132. そのとき、〔世の〕導き手たる方は、まさしく、煩悩の滅尽者の頭蓋を、〔わたしに〕見示した。そののち、〔わたしの〕勉励〔努力〕は打破され、わたしは、出家することを切に乞い求めた。

 

133. 〔わたしは〕出家して〔そののち〕、そこかしこにおいて、善き至達者たる方を奉賛する。そののち、ここに、比丘たちは、わたしを譴責する。「〔あなたは〕詩の歓悦者として存している」〔と〕。

 

134. そののち、わたしの審査を義(目的)に、覚者は、〔世の〕導き手たる方は、言った。〔世尊は尋ねた〕「さてまた、これらの詩偈は、考えられたものとしてあるのですか、あなたに、即座に明白となるのですか」〔と〕。

 

135. 〔わたしは答えた〕「勇者よ、わたしは、詩の歓悦者ではありません。わたしに、即座に明白となります」〔と〕。〔世尊は言った〕「ヴァンギーサよ、まさに、それなら、今、即座に、わたしを奉賛しなさい」〔と〕。

 

136. そのとき、わたしは、勇者を、第七の聖賢たる方を、諸々の詩偈によって奉賛した。そのとき、即座に、わたしに満足した者となり、勝者は、わたしを、〔このことにおける〕至高〔の地位〕に据え置いた。

 

137. 即応即答の心によって、わたしは、他者たちを軽んじた。それによって、〔わたしは〕博愛なる方にたいし畏怖する者となり、阿羅漢の資質に至り得た。

 

138. 〔世尊は言った〕「即応即答の者たちのなかの至高の者としては、他に、誰も見出されません──すなわち、この、ヴァンギーサ比丘のようには。比丘たちよ、このように認めなさい」〔と〕。

 

139. 十万〔カッパの過去〕において、〔わたしが〕為した行為と〔その〕果を、ここに、わたしのために、〔覚者は〕見示した。善く放たれた矢の勢いのように、わたしの諸々の〔心の〕汚れを、〔わたしは〕焼き尽くした。

 

140. わたしの、諸々の〔心の〕汚れは焼尽し……略……煩悩なき者となり、〔世に〕住む。

 

141. わたしにとって、まさに、善き訪問として存した……略……覚者の教えは為された。

 

142. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。

 

 かくのごとく、まさに、尊者ヴァンギーサ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──

 

 ヴァンギーサ長老の行状が、第四となる。

 

55. 5. ナンダカ長老の行状

 

143. パドゥムッタラという名の勝者が、一切の法(事象)に眼ある方が、〔世の〕導き手たる方が、これより、十万カッパ〔の過去〕において、〔世に〕生起した。

 

144. 一切の有情たちの、利益のために、安楽のために、義(利益)のために、説者たちのなかの優れた方が、善き生まれの人士たる方が、天を含む〔世〕における実践者たる方が──

 

145. 至高の福徳に至り得た吉祥なる方が、名誉と栄誉に培われた勝者が、一切の世〔の人々〕に供養される方が、全ての方角において〔世に〕聞こえた方が、〔世に生起した〕。

 

146. 彼は、疑惑を超え行った方は、懐疑を超克した方は、意と思惟が円満成就した方は、最上の正覚に至り得た方は──

 

147. 〔いまだ〕生起していない道を生起させる最上の人たる方は、そして、〔いまだ〕告知されていないものを告知し、さらに、〔いまだ〕産出されていないものを産出した。

 

148. そして、道の知者たる方は、道を知る方は、道の告知者たる方は、人の雄牛たる方は、道の巧みな智ある方は、教師は、馭者たちのなかの最上の優れた方は──

 

149. そのとき、偉大なる慈悲者たる方は、〔世の〕導き手たる方は、法(教え)を説示し、欲望の汚泥に潜った命ある者たちを等しく引き上げる。

 

150. 比丘尼たちの教諭において、最勝者と等しく思認された弟子を褒め称えながら、偉大なる牟尼は、このことにおける至高〔の地位〕と知らしめた。

 

151. その〔言葉〕を聞いて、歓喜したわたしは、如来を招いて、僧団を有する〔覚者〕を受益させて、その最上の地位を切望した。

 

152. そのとき、歓喜した、〔世の〕主たる方は、偉大なる聖賢は、わたしに言った。〔パドゥムッタラ世尊は言った〕「安楽ある長寿者と成れ。〔あなたは〕その意欲を得るでしょう。

 

153. これより、十万カッパ〔の未来〕において、オッカーカの家系を発生とし、姓としては、ゴータマという名の教師が、世に有るでしょう。

 

154. 彼の、諸々の法(教え)における、相続者として、正嫡として、法(教え)によって化作された者として──名としては、ナンダカという名の、教師の弟子として〔世に〕有るでしょう」〔と〕。

 

155. その善行の行為によって、さらに、諸々の思欲による誓願によって、人間の肉身を捨棄して〔そののち〕、わたしは、三十三〔天〕へと近しく赴く者となる。

 

156. そして、今や、最後の生存において、わたしは、長者の家に生まれたのだった──サーヴァッティーの優れた都において、繁栄し、興隆する、大いなる財産ある〔家〕に。

 

157. 都の入り口において、善き至達者たる方を見て、驚愕した意図ある者となり、ジェータ林園の納受のとき、〔家から〕家なきへと出家した。

 

158. まさしく、長時ならずして、阿羅漢の資質に至り得た。一切を見る方に教えられた者として、そののち、わたしは、輪廻を超え渡ったのだった。

 

159. 比丘尼たちに、法(教え)の言説を、質問を、わたしは為した。わたしに教えられた彼女たちは、全ての者たちが、煩悩なき者たちと成った。

 

160. 欠くことなく五百の者たちが〔煩悩なき者たちと成った〕、そのとき、偉大なる益ある方は、〔わたしの、その徳に〕満足し、わたしを、比丘尼たちを教諭する者たちのなかの至高の地位に据え置いた。

 

161. 十万〔カッパの過去〕において、〔わたしが〕為した行為と〔その〕果を、ここに、わたしのために、〔覚者は〕見示した。善く放たれた矢の勢いのように、わたしの諸々の〔心の〕汚れを、〔わたしは〕焼き尽くした。

 

162. わたしの、諸々の〔心の〕汚れは焼尽し……略……煩悩なき者となり、〔世に〕住む。

 

163. わたしにとって、まさに、善き訪問として存した……略……覚者の教えは為された。

 

164. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。

 

 かくのごとく、まさに、尊者ナンダカ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──

 

 ナンダカ長老の行状が、第五となる。

 

55. 6. カールダーイン長老の行状

 

165. パドゥムッタラという名の勝者が、一切の法(事象)に眼ある方が、〔世の〕導き手たる方が、これより、十万カッパ〔の過去〕において、〔世に〕生起した。

 

166. 導き手たちのなかの優れた方たる教師は、徳と徳ならざることを知る方たる勝者は、そして、知恩の方は、報恩の方は、命ある者たちを渡し場に駆り立てる。

 

167. 一切を知る知恵によって〔考量し〕比較して、憐憫と志欲ある方は、無限の徳の蓄積ある方は、最も優れた法(教え)を説示する。

 

168. 彼は、偉大なる勇者は、いつであれ、無限の人民に気づきある方は(※)、四つの真理を伴った甘美なる法(教え)を説示する。

 

※ テキストには anantajinasasari とあるが、PTS版により anantajanata-satī と読む。

 

169. 最初と中間と最後が美しく輝く、その優れた法(教え)を聞いて、十万の命ある者たちに、法(真理)の知悉(現観)が有った。

 

170. そのとき、地は咆哮し、そして、諸々の雷雲が鳴り響いた。天〔の神〕や梵〔天〕や阿修羅たちは、「善きかな」の歓呼を転起させた。

 

171. 〔彼らは言った〕「ああ、慈悲の者たる教師である。ああ、正なる法(教え)の説示である。ああ、勝者は、生存の海に潜った者たちを引き上げた」〔と〕。

 

172. このように感嘆を生じた、人や神や梵〔天〕を含む者たちのなかで、勝者は、家族を浄信させる者たちのなかの至高の弟子を褒め称えた。

 

173. ハンサヴァティーにおいて、そのとき、わたしは、〔王の〕家臣の家に生まれ、〔世に〕有った──澄浄で、美しく、多大なる財産と穀物ある者として。

 

174. ハンサ林園へと近しく至って、わたしは、彼を、如来を、敬拝して、甘美なる法(教え)を聞いて、そして、如なる方のために、為すことを為して──

 

175. 〔覚者の〕足元に平伏して、わたしは、この言葉を説いた。〔わたしは言った〕「牟尼よ、すなわち、あなたに褒められた、家族を浄信させる者たちのなかの至高の者ですが──

 

176. 勇者よ、わたしは、そのような者と成ります──最勝の覚者の教えにおいて」〔と〕。そのとき、偉大なる慈悲者たる方は、不死〔の甘露〕をもって、まさしく、わたしに注ぎながら──

 

177. わたしに言った。〔パドゥムッタラ世尊は言った〕「子よ、立ち上がりなさい。〔あなたは〕その意欲を得るでしょう。どうして、まさに、勝者にたいし、為すことを為して〔そののち〕、果を離れることが存するというのでしょう。

 

178. これより、十万カッパ〔の未来〕において、オッカーカの家系を発生とし、姓としては、ゴータマという名の教師が、世に有るでしょう。

 

179. 彼の、諸々の法(教え)における、相続者として、正嫡として、法(教え)によって化作された者として──名としては、ウダーインという名の、教師の弟子として〔世に〕有るでしょう」〔と〕。

 

180. その〔言葉〕を聞いて、歓喜した者と成って、そのとき、〔わたしは〕生あるかぎり、勝者を世話した──慈愛の心ある者となり、諸々の日用品によって、〔世の〕導き手たる方を。

 

181. その行為の報いによって、さらに、諸々の思欲による誓願によって、人間の肉身を捨棄して〔そののち〕、わたしは、三十三〔天〕に赴いた。

 

182. そして、今や、最後の生存において、喜ばしきカピラヴァットゥにおいて、大地の長たるスッドーダナ〔王〕の大臣の家に生まれたのだった。

 

183. そのとき、喜ばしきルンビニーの森において、シッダッタ〔王子〕が生まれた──人の雄牛たる方として、一切の世〔の人々〕の、利益のために、さらに、安楽のために。

 

184. まさしく、その日に、わたしは生まれ、まさしく、彼と共に、育て上げられたのだった──愛しき仲間の可愛の者として、信頼ある政治における熟知者として。

 

185. 〔彼は〕二十九の歳をもって家から出て、六年を過ごして、〔世の〕導き手たる覚者として存した。

 

186. 軍団を有する悪魔に勝利して、諸々の煩悩を投げ捨てて、生存の海を超え渡って、天を含む〔世〕における覚者として存した。

 

187. イシという呼び名ある〔鹿園〕に赴いて、五人組〔の比丘〕を教導して、そののち、世尊は、そこにかしこに赴いては赴いて、〔人々を〕教導した。

 

188. 彼は、教導されるべき者たちを教導しながら、天を含む〔世の人々〕を愛護しながら、マガダ〔国〕にある山へと近しく至って、そのとき、勝者は、〔そこに〕住んだ。

 

189. そのとき、わたしは、地上の警護者たるスッドーダナ〔王〕に命じられ、〔そこに〕赴いて、十の力ある方を見て、出家して、阿羅漢と成った。

 

190. そのとき、偉大なる聖賢に乞い求めて、カピラという呼び名ある〔都〕(カピラヴァットゥ)に至り得させた。そののち、わたしは、都に赴いて、大勢の家族を浄信させた。

 

191. 勝者は、その徳に満足し、大いなる衆のなかで、彼は、〔世の〕導き手たる方は、わたしのことを、家族を浄信させる者たちのなかの至高の者と知らしめた。

 

192. わたしの、諸々の〔心の〕汚れは焼尽し……略……煩悩なき者となり、〔世に〕住む。

 

193. わたしにとって、まさに、善き訪問として存した……略……覚者の教えは為された。

 

194. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。

 

 かくのごとく、まさに、尊者カールダーイン長老は、これらの詩偈を語った。ということで──

 

 カールダーイン長老の行状が、第六となる。

 

55. 7. アバヤ長老の行状

 

195. パドゥムッタラという名の勝者が、一切の法(事象)に眼ある方が、〔世の〕導き手たる方が、これより、十万カッパ〔の過去〕において、〔世に〕生起した。

 

196. 如来は、誰であれ、帰依所に赴くことにおいて確たるものとした。誰であれ、戒において、最上の十の行為の道において、確たるものとした。

 

197. 彼は、勇者は、誰にであれ、最上の沙門の果を与える。そのように、八つの入定を、三つの明知を、授ける。

 

198. 最上の人たる方は、誰であれ、有情を、六つの神知において専念させる。彼は、〔世の〕主たる方は、誰にであれ、四つの即応即答〔の智慧〕を与える。

 

199. 覚らせるべき人々を見て、たとえ、数えようもないヨージャナ〔の距離〕なるも、人の馭者たる方は、瞬時に近しく赴いて、〔人々を〕教導する。

 

200. ハンサヴァティーにおいて、そのとき、わたしは、婆羅門の実子として〔世に〕有った──全てのヴェーダの奥義に至る者として、文典の精通者と等しく思認された者として──

 

201. さらに、言語における巧みな智ある者として、語彙における熟達者として、詩句に通じる者として、活用を知る者として、種々様々な韻文における熟知者として。

 

202. ゆったりした歩調で渡り歩きながら、ハンサ林園へと近しく至って、わたしは見た──優れたものを与える最勝者たる方を、大勢の人に囲まれた〔覚者〕を。

 

203. 〔世俗の〕塵を離れる法(教え)を説示している〔覚者〕を〔見て〕、正反対の思想をもつわたしは、〔覚者のもとへと〕近しく至って、彼の善き〔言葉〕を聞いて、〔世俗の〕垢を離れる〔教え〕を〔聞いて〕、わたしは──

 

204. 排除するものを、あるいは、さらに上あるものを、あるいは、破棄するものを、義(道理)なきものを、彼に、牟尼に、見なかった。そののち、出家したわたしは──

 

205. まさしく、長時ならずして、一切の有情たちのなかの熟達者と〔成り〕、覚者の言葉に精緻なる者と〔成り〕、衆師と等しく思認された者と成った。

 

206. そのとき、四つの美文なる詩偈を編集して、三つの世〔の界域〕における至高者たる方を奉賛して、日々に見示した。

 

207. 〔そこで、詩偈に言う〕「〔あなたは〕離貪者として、偉大なる勇者として、〔世に〕存している。恐怖を有する輪廻のうちに住しているときも、慈悲によって、涅槃に到達しなかった。そののち、〔あなたは〕慈悲の者として、牟尼として、〔世に存している〕。

 

208. 凡夫として、衰失ある者として、〔世に〕存しているときも、〔心の〕汚れの支配ある者と成らなかった。正知の者であり、気づきに専念する者である。それゆえに、この方は、不可思議なる方である。

 

209. 〔まさに〕その、わたしの、志欲が赴いた、諸々の力弱き〔心の〕汚れは、知恵の火によって遍く焼かれたが、滅尽しなかった(再生の因として残った)。それは、未曾有のことである。

 

210. すなわち、一切の世〔の人々〕の導師であるなら、彼にとって、世〔の人々〕は、そのように、重きものとしてある。そのように、また、世〔の人々〕の師匠はあり、彼にとって、世〔の人々〕は、従い転じ行くものとしてある」〔と〕。

 

211. このように、等々〔の言葉〕によって、正覚者を、〔彼の〕法(教え)の説示を、賛じ称えながら、生あるかぎり、〔為すことを〕為して、天上に赴き、そこから死滅したのだった。

 

212. すなわち、〔わたしが〕覚者を賛じ称えた、これより、十万カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、賛じ称えの果である。

 

213. 天の世において、大いなる王権を〔為し〕、さらに、すなわち、地域の王権を〔為した〕(※)。転輪〔王〕となり、わたしは、大いなる王権を、幾度も受領した。

 

※ テキストには pādesi kañcanagghiya とあるが、PTS版により rajjapādesikañ ca ya と読む。

 

214. 天〔の神〕たる〔境遇〕において、さらに、人間において、〔天と人の〕二つの生存において、〔わたしは〕生まれる。他の境遇を、〔わたしは〕知らない。これは、賛じ称えの果である。

 

215. 二つの家系において、〔わたしは〕生まれる──士族において、さらに、婆羅門において。低き家系において、〔わたしは〕生まれない。これは、賛じ称えの果である。

 

216. そして、今や、最後の生存において、最上の都のギリッバジャにおいて、わたしは、ビンビサーラ王の子として、そして、名としては、アバヤ〔という名の者〕として、〔世に有った〕。

 

217. 悪しき朋友の支配に赴いて、ニガンタ・ナータプッタに迷わされ、〔彼に〕命じられ、わたしは、最勝の覚者のもとに近しく至って──

 

218. 精緻なる問いを尋ねて、最上の説き明かしを聞いて、出家して〔そののち〕、長からずして、阿羅漢の資質に至り得た。

 

219. 優れた勝者を賛じ称えて、〔わたしは〕一切時に賛じ称えられる者として〔世に〕有る。〔わたしは〕善き香りの肉身と顔貌ある者として、安楽を供与された者として、〔世に〕存した。

 

220. 鋭敏で敏速で軽快なる智慧ある者として、まさしく、そのように、わたしは、大いなる智慧ある者として、さらに、種々様々な即応即答〔の智慧〕ある者として、〔世に存した〕──その行為に由縁して。

 

221. わたしは、浄信した心の者となり、パドゥムッタラ〔世尊〕を、等しき者なき方を、〔他に依らず〕自ら成る方を、奉賛して〔そののち〕、彼の力によって、十万カッパのあいだ、悪所の地に赴かなかった。

 

222. わたしの、諸々の〔心の〕汚れは焼尽し……略……煩悩なき者となり、〔世に〕住む。

 

223. わたしにとって、まさに、善き訪問として存した……略……覚者の教えは為された。

 

224. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。

 

 かくのごとく、まさに、尊者アバヤ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──

 

 アバヤ長老の行状が、第七となる。

 

55. 8. ローマサカンギヤ長老の行状

 

225. この幸いなるカッパにおいて、梵の眷属にして偉大なる福徳ある方が、姓としては、カッサパという名の、説者たちのなかの優れた方が、〔世に〕生起した。

 

226. そのとき、わたしは、まさしく、そして、チャンダナは、〔覚者の〕教えにおいて出家して、〔両者ともに〕命の終わりまで、法(教え)を、〔覚者の〕教えにおいて満たして──

 

227. そこから死滅し、わたしたちは、両者ともに、兜率〔天〕に再生したのだった。そこにおいて、諸々の天の、舞踏によって、歌詠によって、さらに、音楽によって──

 

228. 形態等の十の支分によって、残りの者たちを圧倒して、寿命のあるかぎり、〔そこに〕住して、大いなる安楽を受領して──

 

229. そこから死滅して、チャンダナは、三十三〔天〕に再生した。わたしは、カピラヴァットゥにおいて、釈迦〔族の王〕の実子として生まれた。

 

230. すなわち、ウダーイン長老に要請された世の導き手たる方が、釈迦〔族〕の者たちを慈しんで、カピラという呼び名ある〔都〕へと近しく至ったとき──

 

231. そのとき、高慢なる釈迦〔族〕の者たちは、覚者の徳を知る者たちではなく、〔自らの〕生まれを強がり、慇懃ならずして、正覚者〔の求め〕に応じない。

 

232. 彼らの思惟を了知して、勝者は、虚空を歩行した。雨雲のように、雨を降らせた。火炎のように、光り輝いた。

 

233. 無比なる形態を見示して、ふたたび、消没した。一なる者ともまた成って、多種なる者と〔成って〕、ふたたび、一なる者と成った。

 

234. そして、暗黒を輝き照らしながら、幾種に見示して、神変を為して、牟尼は、親族たちを教導した。

 

235. 四つの洲は、大いなる雨雲が〔覆い尽くし〕、まさしく、ただちに、雨を降らせた。まさに、そのとき、覚者は、ヴェッサンタラ・ジャータカ(本生経)を説示した。

 

236. そのとき、それらの士族たちは、全ての者たちが、〔自らの〕生まれから生じる驕慢を打ち倒して、帰依所として、覚者のもとに近しく至った。そのとき、スッドーダナ〔王〕は言った。

 

237. 〔スッドーダナ王が言った〕「広き智慧ある方よ、一切に眼ある方よ、あなたの〔両の〕足を敬拝します。これは、第三のものです。すなわち、〔あなたが〕出生し、地が揺れ動いたときであり、さらに、すなわち、あなたを、ジャンブ〔樹〕の影が捨棄しなかったときであり、〔そして、いまです〕」〔と〕。

 

238. そのとき、〔まさに〕その、覚者の威力を見て、〔わたしは〕驚愕した意図ある者となり、出家して、まさしく、そこにおいて、母を供養する者として住した(母との同居を続けた)。

 

239. そのとき、チャンダナ天子は、わたしのもとへと近しく赴いて、バッデーカラッタ(賢善一夜経)の簡略と詳細なる教導を問い尋ねた。

 

240. そのとき、彼に促されたわたしは、人の導き手たる方のもとに近しく至って、バッデーカラッタ〔の教諭〕を聞いて、畏怖する者となり、林〔の住〕をわがものとする(林に住む決心をした)。

 

241. そのとき、〔わたしは〕母に尋ねた。「〔わたしは〕独りある者となり、林に住します」〔と〕。そのとき、わたしの母は、「繊細なる〔あなた〕が」と、その言葉を妨げた。

 

242. 〔わたしは言った〕「カーサ〔草〕を、クサ〔草〕を、ポータキラ〔草〕を、ウシーラ〔草〕を、ムンジャ〔草〕とパッバジャ〔草〕を、〔わたしは〕胸をもって除け行くでしょう──遠離〔の境地〕を増進しながら」〔と〕。

 

243. そのとき、林に入ったわたしは、勝者の教えを思念して、バッデーカラッタの教諭を〔思念して〕、阿羅漢の資質に至り得た。

 

244. 〔すなわち、その教諭に言う〕「過去を追い求めないように。未来を待ち望まないように。すなわち、過去なるものは、それは、〔すでに〕捨棄されたもの。そして、未来は、〔いまだ〕至り得ざるもの。

 

245. そして、彼が、現在の法(事象)を、〔時々刻々に〕その場その場において、〔あるがままに〕観察するなら(その時その時、その場その場において、自己と世界のあるがままをあるがままに知り見るなら)、翻弄されず激情しない〔心のあり方〕を、それを、知ある者は、〔時々刻々に〕増進するであろう。

 

246. まさしく、今日、為すべきことを、熱く〔為せ〕。誰が、明日の死を知るであろう。なぜなら、大いなる軍団ある死魔と、彼と、わたしたちとに、〔期日の〕約束はないからである(死に期日の指定はなく、いつ死ぬかわからない)。

 

247. 昼に、夜に、休みなく、このように〔世に〕住む熱情ある者を、彼のことを、まさに、『賢く幸いなる一夜ある者』と、寂静者たる牟尼は告げ知らせる」〔と〕。

 

248. わたしの、諸々の〔心の〕汚れは焼尽し……略……煩悩なき者となり、〔世に〕住む。

 

249. わたしにとって、まさに、善き訪問として存した……略……覚者の教えは為された。

 

250. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。

 

 かくのごとく、まさに、尊者ローマサカンギヤ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──

 

 ローマサカンギヤ長老の行状が、第八となる。

 

55. 9. ヴァナヴァッチャ長老の行状

 

251. この幸いなるカッパにおいて、梵の眷属にして偉大なる福徳ある方が、姓としては、カッサパという名の、説者たちのなかの優れた方が、〔世に〕生起した。

 

252. そのとき、わたしは、出家して、彼の、覚者の、教えにおいて、生あるかぎり、梵行を歩んで、そこから死滅したのだった。

 

253. その善行の行為によって、さらに、諸々の思欲による誓願によって、人間の肉身を捨棄して〔そののち〕、わたしは、三十三〔天〕に赴いた。

 

254. そこから死滅し、林において、そこにおいて、わたしは、鳩として存した。常に瞑想を喜ぶ比丘が、徳を成就した〔比丘〕が、〔そこに〕住する。

 

255. 慈愛の心ある者であり、慈悲の者であり、常に歓喜の口ある者である。放捨の者であり、大いなる勇者であり、〔四つの〕無量なる〔心〕における熟知者である。

 

256. 妨害の思惟を離れ、一切の有情たちの益に志欲ある、彼にたいし、善き至達者たる方の弟子にたいし、長からずして、信頼ある者となり、〔わたしは〕存した。

 

257. そのとき、庵所において、〔彼のもとへと〕近しく至って、〔彼の〕足元に坐った〔わたし〕に、いつであれ、〔彼は〕餌を与える。そして、或る時には、法(教え)を説示した。

 

258. そのとき、広大なる愛情をもって、勝者の実子に近侍して、そこから死滅し、〔わたしは〕天上に赴いたのだった──あたかも、外遊者が、自らの家に〔帰還した〕かのように。

 

259. 天上から死滅し、功徳の行為によって、〔わたしは〕人間たちのなかに発現したのだった。わたしは、幾度も、家を捨て去って、出家した。

 

260. 沙門として、苦行者として、婆羅門として、遍歴遊行者として、まさしく、そのように、わたしは。数百にも、〔そのような者と〕成って、わたしは、林に住した。

 

261. そして、今や、最後の生存において、喜ばしきカピラヴァットゥにおいて、ヴァッチャ姓の二生の者としてある、彼の妻のうちに、わたしは入胎した。

 

262. わたしの母には、〔妊婦の〕異常嗜好が存した。わたしが子宮から外に赴き、生まれが近づきつつあるとき、林に住する判断が〔為された〕。

 

263. そののち、わたしの母は、喜ばしき林の中で〔わたしを〕生んだ。胎から出つつあるわたしを、〔人々は〕黄褐色〔の衣〕で収め取った。

 

264. そののち、シッダッタ王子が、釈迦〔族〕の家系の旗たる方が、生まれたのだった。彼の愛しき朋友として、等しく信頼され好意ある者として、〔わたしは〕存した。

 

265. 広大なる福徳を捨棄して、有情の真髄たる方が〔家を〕出るとき、わたしもまた出家して、ヒマヴァントへと近しく赴いた。

 

266. 林を居所とする〔長老〕を、〔人々に〕尊ばれる〔長老〕を、払拭〔行〕を説くカッサパ〔長老〕(頭陀行者マハー・カッサパ長老)を、見て、勝者の生起を聞いて、人の馭者たる方のもとへと近しく赴いた。

 

267. 彼は、一切の義(道理)を等しく明示しながら、わたしに、法(教え)を説示した。そののち、わたしは出家して、まさしく、林に、ふたたび赴いた。

 

268. そこにおいて、怠ることなく住みながら、六つの神知を体得した。ああ、〔わたしは〕善く得られた利得ある者として、善き朋友によって慈しまれた者として、〔世に〕存している。

 

269. わたしの、諸々の〔心の〕汚れは焼尽し……略……煩悩なき者となり、〔世に〕住む。

 

270. わたしにとって、まさに、善き訪問として存した……略……覚者の教えは為された。

 

271. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。

 

 かくのごとく、まさに、尊者ヴァナヴァッチャ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──

 

 ヴァナヴァッチャ長老の行状が、第九となる。

 

55. 10. チューラ・スガンダ長老の行状

 

272. この幸いなるカッパにおいて、梵の眷属にして偉大なる福徳ある方が、姓としては、カッサパという名の、説者たちのなかの優れた方が、〔世に〕生起した。

 

273. 〔八十の〕付随する特徴を成就した方が、三十二の優れた特相ある方が、〔一〕ヴヤーマの光に取り囲まれた方が、光の網に等しく覆われた方が──

 

274. 月のように〔人々を〕安堵させる方が、太陽のように光の作り手たる方が、雨雲のように〔人々を〕寂滅させる方が、海洋のように徳の鉱脈たる方が──

 

275. 戒をもってしては大地のような方が、禅定をもってしてはヒマヴァントのような方が、智慧をもってしては虚空のような方が、風のように執着なき方が、〔世に生起した〕。

 

276. バーラーナシーにおいて、そのとき、わたしは、大いなる家に再生したのだった──多大なる財産と穀物ある〔家〕に、種々なる宝の蓄積ある〔家〕に。

 

277. 大勢の取り巻きとともに、坐っている〔世の〕導き手たる方のもとに近しく至って、法(教え)を聞いた──まさしく、不死〔の法〕を、意を奪い去る〔法〕を。

 

278. 三十二の特相を保持する方は、星宿を有する月のような方は、〔八十の〕付随する特徴を成就した方は、咲き誇るサーラ〔樹〕の王のような方は──

 

279. 光の網に遍く囲まれた方は、燃え盛る金の山のような方は、〔一〕ヴヤーマの光に取り囲まれた方は、百光の太陽たる方は──

 

280. 黄金の口ある優れた勝者は、巌の連なりのような沙門は、慈悲〔の心〕に満ちた心臓ある方は、徳をもってしては海洋のような方は──

 

281. そして、世に聞こえた名誉ある方は、最上の山たるシネール(須弥山)のような方は、盛名によって〔世に〕知られた勇者は、虚空と相同なる牟尼は──

 

282. 風のように一切所に執着なき心ある〔世の〕導き手たる方は、一切の生類たちが立脚する大地のような第七の牟尼たる方は──

 

283. あたかも、水に〔汚れない〕蓮華のように、世〔の人々〕に汚されない方は、悪しき論の薮を焼く方は、火の塊のように美しく輝いた。

 

284. 解毒薬のように、一切所において〔心の〕汚れを滅ぼす方は、〔香りある〕ガンダマーダナの岩〔山〕のように、徳の香りに飾られた方は──

 

285. 諸々の徳の鉱脈たる勇者は、諸々の宝玉の海洋のような方は、諸々の林が連なるシンドゥー〔川〕のように、〔心の〕汚れの垢を運び去る方は──

 

286. 〔戦場の〕征圧者のように、偉大なる戦士たる方は、悪魔の軍団を撃破する方は、彼は、転輪王のように、覚りの支分の宝玉あるイッサラたる方は──

 

287. 偉大なる能力の顕示ある方は、憤怒の病の癒し手たる方は、〔毒〕矢の治癒者たる方は、あたかも、医師のように、見解の腫物を引き裂く方は──

 

288. そのとき、彼は、世の灯火たる方は、人と神を含む者たちに尊敬される方は、人の太陽たる方は、勝者は、諸衆のなかで、法(教え)を説示する。

 

289. 〔パドゥムッタラ世尊は言った〕「布施を施して、大いなる財物ある者となり、戒によって善き境遇(善趣)へと近しく赴き、そして、修行によって涅槃に到達します」〔と〕、かくのごとく、このように、〔覚者は〕教示した。

 

290. 最初と中間と最後が美しく輝く、その大いなる美味の説示を、諸衆の全てが聞く──大いなる味ある、まさしく、不死〔の法〕を。

 

291. 極めて甘美なる法(教え)を聞いて、勝者の教えにたいし浄信した者となり、帰依所として、善き至達者たる方のもとに赴いて、わたしは、生あるかぎり、〔覚者を〕礼拝した。

 

292. そのとき、牟尼の香室の大地を掃き清めた──四つの類の香料をもって、月に八つの日において、わたしは。

 

293. 〔わたしが〕善き香りたることを切願して〔そののち〕、肉体に悪しき臭いある〔わたし〕のために、そのとき、勝者は、〔わたしが〕善き香りある体躯の得者たることを説き明かした(授記した)。

 

294. 〔パドゥムッタラ世尊は言った〕「彼は、すなわち、香室の地を、常に、香料をもって掃き清めます。その行為の報いによって、そこかしこにおいて、〔彼が〕再生したなら──

 

295. この人は、一切所において、善き香りある肉身の者と成るでしょう。徳の香りと結び付いた者と成って、煩悩なき者となり、涅槃に到達するでしょう」〔と〕。

 

296. その善行の行為によって、さらに、諸々の思欲による誓願によって、人間の肉身を捨棄して〔そののち〕、わたしは、三十三〔天〕に赴いた。

 

297. そして、今や、最後の生存において、わたしは、婆羅門の家に生まれたのだった。わたしが胎に住していると、母は、肉身に善き香りある者として〔世に〕存した。

 

298. そして、すなわち、〔わたしが〕母の子宮から出るとき、そのとき、都は、サーヴァッティーの全ての香料によって香らせたかのように香りただよった。

 

299. そして、花の雨の芳香が、意が喜びとする天の香りが、さらに、諸々の高価なる薫香が、まさしく、そのとき、近しく香りただよった。

 

300. そして、諸天は、全ての香料によって、薫香の花々によって、善き香りによって、その家を香らせた。わたしは、その家に生まれたのだった。

 

301. そして、すなわち、幼く幸いなる〔わたし〕が、最初の若さ〔の盛り〕に止住したとき、そのとき、人の馭者たる方は、セーラ〔婆羅門〕を、〔彼の〕衆と共に教導して──

 

302. 彼らの全てに取り囲まれ、サーヴァッティーの都に帰還したのだった。そのとき、〔まさに〕その、覚者の威力を見て、わたしは、出家したのだった。

 

303. 戒を、そして、禅定と智慧を、さらに、無上なる解脱を──〔これらの〕四つの法(性質)を修めて、煩悩の滅尽に至り得た。

 

304. そして、すなわち、わたしが出家したとき、そして、すなわち、阿羅漢と成ったとき、そして、すなわち、わたしが涅槃に到達したとき、そのとき、香りの雨が有った。

 

305. そして、わたしの肉体の香りは、常に、高価なる栴檀やチャンパカ〔樹の花〕や青蓮〔の香り〕に優れ勝る。まさしく、そのように、さらに、他の諸々の香りを、全てにわたり打ち負かして、そののち、そこかしこにおいて香りただよう。

 

306. わたしの、諸々の〔心の〕汚れは焼尽し……略……煩悩なき者となり、〔世に〕住む。

 

307. わたしにとって、まさに、善き訪問として存した……略……覚者の教えは為された。

 

308. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。

 

 かくのごとく、まさに、尊者スガンダ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──

 

 スガンダ長老の行状が、第十となる。

 

 バッディヤの章が、第五十五となる。

 

 その〔章〕のための摂頌となる。

 

 〔そこで、詩偈に言う〕「バッディヤ、レーヴァタ長老、そして、大いなる利得あるシーヴァリ、ヴァンギーサ、まさしく、そして、ナンダカ、カールダーイン、そのように、アバヤ──

 

 ローマサ、そして、ヴァナヴァッチャ、まさしく、そして、第十のものとしてスガンダがあり、そこにおいて、三百の詩偈があり、さらに、それに加えて、十六〔の詩偈〕がある」〔と〕。

 

 そこで、章の摂頌となる。

 

 〔そこで、詩偈に言う〕「カニカーラという呼び名ある章、パラダ、ティナダーヤカ、カッチャーナ、バッディヤの章があり、そして、これらの詩偈が数えられ──

 

 ここに、九百の詩偈があり、さらに、まさしく、八十四〔の詩偈〕がある。〔全てで〕五百と五十を有する行状が明示され──

 

 諸々の感興の詩偈と共に、これらの六千〔の詩偈〕が有り、さらに、二百の詩偈があり、それに加えて、十八〔の詩偈〕がある」〔と〕。

 

56. ヤサの章

 

56. 1. ヤサ長老の行状

 

1. 大いなる海に入って行って、わたしの、美しく化作された居所がある。美しく化作された蓮池があり、鴛鴦たちが鳴いている。

 

2. 諸々の水草に、そして、諸々の赤蓮や青蓮に、等しく覆われている。そして、川が流れ行き、そこにおいて、意が喜びとする美しい岸辺がある。

 

3. 魚や亀たちで等しく溢れ、種々なる鳥たちで等しく満ち、孔雀や白鷺たちが鳴き、麗美なる〔声〕の郭公たちで〔満ちている〕。

 

4. 鳩たちが、日輪の鵞鳥たちが、川を行く鴛鴦たちが、ティッティラ〔鳥〕たちが、九官鳥たちが、そして、ここにおいて、パーヴァカ〔鳥〕たちが、ジーヴァジーヴァカ〔鳥〕たちがいる。

 

5. 白鳥たちが〔鳴き〕、白鷺たちが鳴き、多くの褐色の梟たちがいる。七つの宝玉に満たされた、宝珠と真珠の砂礫がある。

 

6. 全てが黄金で作られている木々があり、種々なる幹が揺らぎただよい、昼に、夜に、全ての時に、居所を輝き照らす。

 

7. 六万の楽器が、夕に、朝に、奏でられる。一万六千の婦女たちが、常に、わたしを取り囲む。

 

8. 居所から出て、スメーダ〔世尊〕を、世の導き手たる方を、〔わたしは見た〕。浄信した心の者となり、悦意の者となり、彼を、偉大なる福徳ある方を、敬拝した。

 

9. 正覚者を敬拝して、彼を、僧団を有する〔覚者〕を、招いた。彼は、慧者は、スメーダ〔世尊〕は、世の導き手たる方は、〔わたしの申し出を〕承諾した。

 

10. 偉大なる牟尼は、わたしに、法(教え)の言説を為して、〔精励へと〕駆り立てた。〔わたしは〕正覚者を敬拝して、わたしの居所へと近しく赴いた。

 

11. そのとき、全ての者たちが集まるべく、〔わたしは〕従者に告げた。「早刻時に、覚者が、居所にやってくるのだ。

 

12. わたしたちには、諸々の利得がある。わたしたちには、善く得られたものがある。すなわち、〔覚者たる〕あなたの前において、〔わたしたちは、施者として〕住するのだ。わたしたちもまた、最勝の覚者の、教師の、供養を為すのだ」〔と〕。

 

13. 食べ物と飲み物を仕立てて、わたしは、時を告げた。世の導き手たる方は、十万の自在者たちとともに、〔わたしの居所へと〕近しく至った。

 

14. 五つの支分ある諸々の楽器によって、わたしは、出迎えを為した。全てが黄金で作られている椅子に、最上の人士たる方は坐った。

 

15. そのとき、全てが黄金で作られている天蓋が存した。諸々の扇は、無上なる比丘の僧団に風を送る。

 

16. 沢山の食べ物と飲み物によって、比丘の僧団を満足させた。各自のものとして諸々の組なる布地を、わたしは、比丘の僧団に施した。

 

17. すなわち、スメーダ〔世尊〕は説く。彼は、諸々の捧げものの納受者たる方は、比丘の僧団のうちに坐って、これらの詩偈を語った。

 

18. 〔スメーダ世尊は言った〕「彼は、わたしを、さらに、これらの全ての者たちを、食べ物と飲み物によって満足させました。わたしは、彼を賛じ称えましょう。〔それを〕語る、わたしの〔言葉を〕聞きなさい。

 

19. 千八百カッパのあいだ、天の世において喜び楽しむでしょう。この者は、千回、転輪王と成るでしょう。

 

20. 天〔の神〕たる〔境遇〕に、さらに、人間に、その胎に近しく赴くなら、彼のために、全てが黄金で作られている覆いが保持されるでしょう。

 

21. 三万カッパ〔の未来〕において、オッカーカの家系を発生とし、姓としては、ゴータマという名の教師が、世に有るでしょう。

 

22. 彼の、諸々の法(教え)における、相続者として、正嫡として、法(教え)によって化作された者として、一切の煩悩を遍知して、煩悩なき者となり、涅槃に到達するでしょう。

 

23. 〔彼は〕比丘の僧団のうちに坐って、獅子吼を吼え叫ぶでしょう。〔人々は〕荼毘の薪山のうえに傘蓋を保持し、〔彼は〕傘蓋の下で焼かれるでしょう」〔と〕。

 

24. わたしによって、沙門の資質は獲得された。わたしによって、諸々の〔心の〕汚れは焼尽された。天幕において、あるいは、木の根元において、わたしに、熱苦は見出されない。

 

25. すなわち、〔わたしが〕布施を施した、そのとき、三万カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、全てのものの布施の果である。

 

26. わたしの、諸々の〔心の〕汚れは焼尽し、一切の〔迷いの〕生存は完破された。象のように結縛を断ち切って、煩悩なき者となり、〔世に〕住む。

 

27. わたしにとって、まさに、善き訪問として存した──わたしにとって、覚者の現前にあることは。三つの明知は獲得され、覚者の教えは為された。

 

28. 四つの融通無礙は〔実証され〕、そして、また、これらの八つの解脱も〔実証された〕。六つの神知は実証され、覚者の教えは為された。

 

 かくのごとく、まさに、尊者ヤサ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──

 

 ヤサ長老の行状が、第一となる。

 

56. 2. ナディー・カッサパ長老の行状

 

29. パドゥムッタラ世尊のために、世の最尊者にして如なる方のために、〔行乞の〕食の行を歩んでいる方のために、最上の福徳を統御している方のために、至高の果実を収め取って、わたしは、教師に施した。

 

30. その行為〔の果〕によって、天のインダとなり、世の最尊者にして人の雄牛となり、勝利と敗北を捨棄して、〔わたしは〕不動の境位に至り得た者として〔世に〕存している。

 

31. すなわち、〔わたしが〕果実を施した、そのとき、これより、十万カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、至高の布施の果である。

 

32. わたしの、諸々の〔心の〕汚れは焼尽し……略……煩悩なき者となり、〔世に〕住む。

 

33. わたしにとって、まさに、善き訪問として存した……略……覚者の教えは為された。

 

34. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。

 

 かくのごとく、まさに、尊者ナディー・カッサパ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──

 

 ナディー・カッサパ長老の行状が、第二となる。

 

56. 3. ガヤー・カッサパ長老の行状

 

35. そのとき、わたしは、鹿皮の衣の者として、天秤を荷として保持する者として、〔世に有った〕。天秤を持ち運んで、棗を、庵所に運んだ。

 

36. その時点において、世尊は、独り、伴侶なき者として〔世に有った〕。勝者は、わたしの庵所へと近しく赴いた──全ての時に、〔遍きにわたり〕輝き照らしながら。

 

37. 自らの心を浄信させて、善き掟ある方を敬拝して、両の手を差し出して、わたしは、棗を、覚者に施した。

 

38. すなわち、〔わたしが〕果実を施した、そのとき、これより、三十一カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、棗の布施の果である。

 

39. わたしの、諸々の〔心の〕汚れは焼尽し……略……煩悩なき者となり、〔世に〕住む。

 

40. わたしにとって、まさに、善き訪問として存した……略……覚者の教えは為された。

 

41. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。

 

 かくのごとく、まさに、尊者ガヤー・カッサパ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──

 

 ガヤー・カッサパ長老の行状が、第三となる。

 

56. 4. キミラ長老の行状

 

42. カクサンダ〔世尊〕が、〔真の〕婆羅門にして〔梵行の〕完成者たる方が、涅槃に到達したとき、わたしは、サララの花飾を収め取って、天幕を作らせた。

 

43. 三十三〔天〕に赴き、〔そこに〕存しつつ、〔わたしたちは〕最上の宮殿を得た。〔わたしは〕他の天〔の神々〕たちに輝きまさる。これは、功徳の行為の果である。

 

44. 昼であろうが、もしくは、夜であろうが、歩いていても、そして、立っていても、わたしは、サララの花々に覆われている。これは、功徳の行為の果である。

 

45. すなわち、〔わたしが〕覚者を供養した、まさしく、このカッパにおいて、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、覚者の供養の果である。

 

46. わたしの、諸々の〔心の〕汚れは焼尽し……略……煩悩なき者となり、〔世に〕住む。

 

47. わたしにとって、まさに、善き訪問として存した……略……覚者の教えは為された。

 

48. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。

 

 かくのごとく、まさに、尊者キミラ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──

 

 キミラ長老の行状が、第四となる。

 

56. 5. ヴァッジープッタ長老の行状

 

49. サハッサランシ世尊は、〔他に依らず〕自ら成る方は、〔一切に〕敗れることなき方は、遠離から出起して、托鉢のために出た。

 

50. 〔覚者を〕見て、わたしは、果実を手に、人の雄牛たる方のもとへと近しく赴いた。浄信した心の者となり、悦意の者となり、サヴァンタ〔樹〕の果実を施した。

 

51. すなわち、〔わたしが〕果実を施した、そのとき、これより、九十四カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、果実の布施の果である。

 

52. わたしの、諸々の〔心の〕汚れは焼尽し……略……煩悩なき者となり、〔世に〕住む。

 

53. わたしにとって、まさに、善き訪問として存した……略……覚者の教えは為された。

 

54. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。

 

 かくのごとく、まさに、尊者ヴァッジープッタ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──

 

 ヴァッジープッタ長老の行状が、第五となる。

 

56. 6. ウッタラ長老の行状

 

55. スメーダという名の正覚者は、三十二の優れた特相ある方は、遠離を欲する世尊は、ヒマヴァントへと近しく赴いた。

 

56. ヒマヴァントに深く分け入って、至高の者にして慈悲の者たる牟尼は、最上の人士たる方は、結跏を組んで坐った。

 

57. そのとき、わたしは、空中を歩む呪術師(婆羅門)として〔世に〕存した。そのとき、〔わたしは〕善く赴く三つ又の杖を掴んで、宙を赴く。

 

58. 山頂の火のような方は、満月の月のような方は、咲き誇るサーラ〔樹〕の王のような方は、覚者は、林に光り輝く。

 

59. 諸々の覚者の光は、林の先端から出て、〔方々に〕走り行く。葦の火の色艶の似姿ある〔諸々の覚者の光〕を見て、〔わたしは〕心を浄信させた。

 

60. 天の香りあるカニカーラ〔樹〕の花を尋ね求めながら、〔それを〕見た。三つの花を取って、最勝の覚者を供養した。

 

61. そのとき、覚者の威力によって、わたしの三つの花は、茎を上に、花弁を下に、教師のために、影を作る。

 

62. その善行の行為によって、さらに、諸々の思欲による誓願によって、人間の肉身を捨棄して〔そののち〕、わたしは、三十三〔天〕に赴いた。

 

63. そこにおいて、わたしには、美しく作られた宮殿が〔発現する〕──「カニカーラ」という〔名で〕知られ、六十ヨージャナの高さと三十〔ヨージャナ〕の幅ある〔宮殿〕が。

 

64. 千の射程があり、百の階があり、旗で飾られ、黄金で作られている〔宮殿〕が〔発現する〕。宮殿において、わたしには、十万の尖塔が出現した。

 

65. 黄金で作られているものが、宝珠で作られているものが、さらに、また、紅玉で作られているものが──さらに、また、諸々の水晶の長椅子が、求めるとおりに、求めるままに〔発現する〕。

 

66. そして、高価なる臥具が〔発現する〕──綿入りのものや毛織りのものを設えたものが、さらに、上掛けが一方にあり、枕を備えたものが。

 

67. 居所から出て、天の巡行を歩んでいるときは、赴くことを求める、そのとおりに、天〔の神々〕たちの群れに囲まれた者となる。

 

68. 〔わたしが〕花の下に立つなら、わたしのために、上に、〔花の〕覆いが〔発現する〕──百ヨージャナの遍きにわたり、カニカーラ〔の花々〕で覆い隠された〔覆い〕が。

 

69. 六万の楽器が、夕に、朝に、奉仕し、常に、わたしを取り囲む──夜に、昼に、休みなく。

 

70. そこにおいて、諸々の舞踏によって、諸々の歌詠によって、諸々の鉦によって、そして、諸々の音楽によって、遊興と歓楽によって喜び楽しみ、わたしは、欲を欲するままに歓喜する。

 

71. そこにおいて、食べて、さらに、飲んで、そのとき、〔わたしは〕三十三〔天〕において歓喜する。女たちの群れを伴い、最上の宮殿において歓喜する。

 

72. そして、五百回、天の王権を為した。そして、三百回、わたしは、転輪〔王〕と成った。数〔の観点〕からは数えようもない、広大なる地域の王権を〔為した〕。

 

73. 種々なる生存において輪廻しながら、わたしは、大いなる財物を得る。わたしの財物に、不足は存在しない。これは、覚者の供養の果である。

 

74. 天〔の神〕たる〔境遇〕において、さらに、人間において、〔天と人の〕二つの生存において、〔わたしは〕輪廻する。他の境遇を、〔わたしは〕知らない。これは、覚者の供養の果である。

 

75. 二つの家系において、〔わたしは〕生まれる──士族において、そして、また、婆羅門において。諸々の低き家系を、〔わたしは〕知らない。これは、覚者の供養の果である。

 

76. 象の乗物を、馬の乗物を、駕篭を、戦車を、まさしく、この全てを、〔わたしは〕得る。これは、覚者の供養の果である。

 

77. 奴隷たちの衆を、奴婢たちの衆を、〔装いを〕十二分に作り為した女たちを、まさしく、この全てを、〔わたしは〕得る。これは、覚者の供養の果である。

 

78. 諸々の絹や毛布を、さらに、諸々の亜麻や木綿を、まさしく、この全てを、〔わたしは〕得る。これは、覚者の供養の果である。

 

79. 新しい衣を、新しい果実を、新しく至高の味ある食料を、まさしく、この全てを、〔わたしは〕得る。これは、覚者の供養の果である。

 

80. 「これを咀嚼したまえ」「これを食べたまえ」「この臥具に臥したまえ」〔と〕、まさしく、この全てを、〔わたしは〕得る。これは、覚者の供養の果である。

 

81. 一切所において、供養される者と成る。盛り上がる盛名が、わたしにはある。常に大いなる徒党ある者として、常に不壊なる衆ある者として、〔世に〕有る。親族たちのなかの最上の者として〔世に〕有る。これは、覚者の供養の果である。

 

82. 寒さと暑さを、〔わたしは〕知らない。苦悶は、〔わたしに〕見出されない。さらに、心の苦しみは、わたしの心臓において見出されない。

 

83. 黄金の色艶ある者と成って、種々なる生存において輪廻する。醜い色艶を、〔わたしは〕知らない。これは、覚者の供養の果である。

 

84. 天の世から死滅して、白根に促された〔わたし〕は、サーヴァッティーの都において生まれたのだった──大家にして富豪〔の家〕に。

 

85. 五つの欲望の属性(五妙欲:色・声・香・味・触)を捨棄して、〔家から〕家なきへと出家した。わたしは、生まれて七年で、阿羅漢の資質に至り得た。

 

86. 覚者は、眼ある方は、〔わたしの〕徳を了知して、〔戒を〕成就させた。幼くあるも、わたしは、供養される者となる。これは、覚者の供養の果である。

 

87. わたしには、清浄なる天眼がある。わたしは、禅定に巧みな智ある者であり、神知における完全態に至り得た者である。これは、覚者の供養の果である。

 

88. 〔四つの〕融通無礙〔の智慧〕(無礙解)を獲得した者であり、〔四つの〕神通の足場(神足)における熟知者であり、諸々の法(教え)における完全態に至り得た者である。これは、覚者の供養の果である。

 

89. すなわち、〔わたしが〕覚者を供養した、三万カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、覚者の供養の果である。

 

90. わたしの、諸々の〔心の〕汚れは焼尽し……略……煩悩なき者となり、〔世に〕住む。

 

91. わたしにとって、まさに、善き訪問として存した……略……覚者の教えは為された。

 

92. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。

 

 かくのごとく、まさに、尊者ウッタラ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──

 

 ウッタラ長老の行状が、第六となる。

 

56. 7. アパラ・ウッタラ長老の行状

 

93. シッダッタ〔世尊〕が、世の導き手たる方が、世の主たる方が、涅槃に到達したとき、わたしの親族たちを集めて、わたしは、遺物(遺骨)の供養を為した。

 

94. すなわち、〔わたしが〕遺物を供養した、これより、九十四カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、遺物の供養の果である。

 

95. わたしの、諸々の〔心の〕汚れは焼尽し……略……煩悩なき者となり、〔世に〕住む。

 

96. わたしにとって、まさに、善き訪問として存した……略……覚者の教えは為された。

 

97. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。

 

 かくのごとく、まさに、尊者アパラ・ウッタラ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──

 

 アパラ・ウッタラ長老の行状が、第七となる。

 

56. 8. バッダジ長老の行状

 

98. 種々なるクンジャラ〔象〕が慣れ親しむ、〔まさに〕その、蓮池に入って行って、そこにおいて、蓮根を引き抜く──そのとき、わたしは、食糧を因として。

 

99. その時点において、世尊は、パドゥムッタラという呼び名を有する方は、染められた毛布を〔身に〕付ける覚者は、〔天高く〕曲がりなき風のなかを赴く──

 

100. 諸々の糞掃衣を打ち震わせながら。そのとき、わたしは、音声を聞いた。上を凝視しつつ、わたしは見た──世の導き手たる方を。

 

101. まさしく、その場に立ち、〔そのように〕存しつつ、世の導き手たる方に乞い求めた。〔わたしは言った〕「益を有するものとして、諸々の蓮根から〔流れ出る〕蜜があり、根茎の乳と酥があります。

 

102. 覚者は、わたしのために納受したまえ──慈しみ〔の思い〕によって、眼ある方は」〔と〕。そののち、慈悲の者たる教師は、偉大なる福徳ある方は、〔空から〕降りて──

 

103. わたしのために、行乞〔の施食〕を納受した──慈しみ〔の思い〕によって、眼ある方は。納受して、正覚者は、わたしに、随喜を為した。

 

104. 〔パドゥムッタラ世尊は言った〕「大いなる功徳ある者よ、安楽ある者と成れ。あなたの境遇は、等しく実現せよ。この蓮根の布施によって、広大なる安楽を得よ」〔と〕。

 

105. この〔言葉〕を説いて、正覚者は、水に生じる最上のものを名とする方は、行乞〔の施食〕を取って、正覚者は、勝者は、宙に赴いた。

 

106. そののち、〔わたしは〕蓮根を収め取って、わたしの庵所に赴いた。蓮根を木に掛けて、わたしの布施を随念した。

 

107. そのとき、大風が起きて、林を揺れ動かした。そのとき、虚空は咆哮し、そして、雷光が炸裂した。

 

108. そののち、落雷があり、そのとき、わたしの頭頂に落ちた。〔まさに〕その、わたしは、〔そこに〕坐った者として、〔そのように〕存しつつ、そこにおいて、わたしは、命を終えたのだった。

 

109. 功徳の行為〔の果〕と結び付いた者として、わたしは、兜率〔天〕に再生した。わたしの死体(身体)は、〔天に〕飛び立ち、わたしは、天の世において喜び楽しむ。

 

110. 八万六千の、〔装いを〕十二分に作り為した女たちが、夕に、朝に、奉仕する。これは、蓮根の布施の果である。

 

111. 人間の胎に至り着いて、そのとき、わたしは、安楽ある者として〔世に〕有る。わたしの財物に、不足は存在しない。これは、蓮根の布施の果である。

 

112. 天の天たる方によって、如なる方によって──彼によって慈しまれた者として〔世に有る〕。一切の煩悩は完全に滅尽し、今や、さらなる生存は存在しない。

 

113. すなわち、〔わたしが〕蓮根を施した、そのとき、これより、十万カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、蓮根の布施の果である。

 

114. わたしの、諸々の〔心の〕汚れは焼尽し……略……煩悩なき者となり、〔世に〕住む。

 

115. わたしにとって、まさに、善き訪問として存した……略……覚者の教えは為された。

 

116. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。

 

 かくのごとく、まさに、尊者バッダジ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──

 

 バッダジ長老の行状が、第八となる。

 

56. 9. シヴァカ長老の行状

 

117. 〔食を〕探し求めるために歩んでいる、ヴィパッシン〔世尊〕の、偉大なる聖賢の、空の鉢を見て、わたしは、粥を満たした。

 

118. すなわち、〔わたしが〕行乞〔の施食〕を施した、そのとき、これより、九十一カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、粥の果である。

 

119. わたしの、諸々の〔心の〕汚れは焼尽し……略……煩悩なき者となり、〔世に〕住む。

 

120. わたしにとって、まさに、善き訪問として存した……略……覚者の教えは為された。

 

121. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。

 

 かくのごとく、まさに、尊者シヴァカ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──

 

 シヴァカ長老の行状が、第九となる。

 

56. 10. ウパヴァーナ長老の行状

 

122. パドゥムッタラという名の勝者は、一切の法(事象)の彼岸に至る方は、火の塊のように燃え盛って、正覚者は、完全なる涅槃に到達した者となる。

 

123. 大勢の人たちが集いあつまって、如来を供養して、荼毘の薪山を作って、善き至達者たる方の肉体を載せた。

 

124. 肉体に為すべきことを為して〔そののち〕、そこにおいて、遺物を集めた。天〔の神〕や人間を含む〔人々〕は、彼らの全てが、覚者の塔を作った。

 

125. 第一〔の階〕は、黄金で作られているものとして〔存した〕。そして、第二〔の階〕は、宝珠で作られているものとして〔存した〕。第三〔の階〕は、白銀で作られているものとして〔存した〕。第四〔の階〕は、水晶で作られているものとして〔存した〕。

 

126. そこにおいて、まさしく、そして、第五〔の階〕は、紅玉で作られているものと成った。第六〔の階〕は、瑪瑙からなり、上部は、全てが宝玉で作られているものとして〔存した〕。

 

127. 基壇は、宝珠で作られているものとして存した。欄干は、宝玉で作られているものとして〔存した〕。〔一〕ヨージャナの高さに盛り上がる塔は、全てが黄金で作られているものとして〔存した〕。

 

128. そのとき、そこにおいて、天〔の神々〕たちが集いあつまって、一緒に話し合った。「わたしたちもまた、塔を作るのだ──世の主たる如なる方のために。

 

129. 固有の遺物は存在しない。一塊の肉体も〔存在しない〕。わたしたちは、この覚者の塔のうえに、外覆いを作るのだ」〔と〕。

 

130. 天〔の神々〕たちは、諸々の七つの宝玉によって、他に、〔一〕ヨージャナを増大させた。その塔は、〔合わせて〕二ヨージャナの高さとなり、漆黒〔の闇〕を打ち砕く。

 

131. そのとき、そこにおいて、龍たちが集いあつまって、一緒に話し合った。「まさしく、そして、人間たちも、さらに、天〔の神々〕たちも、彼らは、覚者の塔を作った。

 

132. わたしたちは、放逸の者たちとして存してはならない。天〔の神々〕たちと共に、不放逸の者たちとなり、わたしたちもまた、塔を作るのだ──世の主たる如なる方のために」〔と〕。

 

133. インダの青玉を、大いなる青玉を、さらに、輝石を、宝珠を、一緒に集めて、覚者の塔を覆った。

 

134. そのことから、覚者の塔廟は、全てが宝珠で作られているものとして存した。そのとき、〔合わせて〕三ヨージャナの高さとなり、光明を作り為すものとなる。

 

135. そして、そのとき、金翅鳥たちが集いあつまって、一緒に話し合った。「人間たちは、さらに、天〔の神々〕たちと龍たちも、彼らは、覚者の塔を作った。

 

136. わたしたちは、放逸の者たちとして存してはならない。天〔の神々〕たちと共に、不放逸の者たちとなり、わたしたちもまた、塔を作るのだ──世の主たる如なる方のために」〔と〕。

 

137. そして、彼らは、全てが宝珠で作られている塔の外覆いを作った。彼らもまた、覚者の塔廟を拡大し、〔一〕ヨージャナを増大させた。

 

138. 〔合わせて〕四ヨージャナの高さとなり、覚者の塔は遍照する。昇り行く百光〔の太陽〕のように、全ての方角を照らす。

 

139. そして、そのとき、魔族たちが集いあつまって、一緒に話し合った。「まさしく、そして、人間たちも、さらに、天〔の神々〕たちも、さらに、龍たちも、そのように、金翅鳥たちも──

 

140. 各自に、最勝の覚者のために、最上の塔を作った。わたしたちは、放逸の者たちとして存してはならない。天〔の神々〕たちと共に、不放逸の者たちとなり──

 

141. わたしたちもまた、塔を作るのだ──世の主たる如なる方のために。覚者の塔廟を拡大し、諸々の宝玉によって覆い隠すのだ」〔と〕。

 

142. 彼らもまた、覚者の塔廟を拡大し、〔一〕ヨージャナを増大させた。そのとき、〔合わせて〕五ヨージャナの高さとなり、塔は光り輝く。

 

143. そのとき、そこにおいて、夜叉たちが集いあつまって、一緒に話し合った。「人間たちは、さらに、天〔の神々〕たちと龍たちも、さらに、金翅鳥たちも、魔族たちも──

 

144. 各自に、最勝の覚者のために、最上の塔を作った。わたしたちは、放逸の者たちとして存してはならない。天〔の神々〕たちと共に、不放逸の者たちとなり──

 

145. わたしたちもまた、塔を作るのだ──世の主たる如なる方のために。覚者の塔廟を拡大し、諸々の水晶を覆い隠すのだ」〔と〕。

 

146. 彼らもまた、覚者の塔廟を拡大し、〔一〕ヨージャナを増大させた。そのとき、〔合わせて〕六ヨージャナの高さとなり、塔は光り輝く。

 

147. そして、そのとき、音楽神たちが集いあつまって、一緒に話し合った。「人間たちも、天神たちも、龍たちも、魔族たちも、金翅鳥たちも、そのように、〔夜叉たちも〕──

 

148. 全ての者たちが、覚者の塔を作った。ここにおいて、わたしたちは、〔いまだ〕作り手ならず。わたしたちもまた、塔を作るのだ──世の主たる如なる方のために」〔と〕。

 

149. 七つの欄干を作って、彼らは、旗と傘蓋を作った。そのとき、音楽神たちは、全てが黄金で作られている塔を作らせた。

 

150. そのとき、〔合わせて〕七ヨージャナの高さとなり、塔は光り輝く。夜と昼は知られず、光明は、一切時に有る。

 

151. 星々を含む、月と日〔の光〕は、その〔塔〕の諸々の光を圧倒せず、百ヨージャナの遍きにわたり、灯明もまた光り輝かなかった。

 

152. その時にあって、人間たちは、彼らが誰であれ、塔を供養する。彼らは、塔に登らない。彼らは、宙に〔供物を〕投げ上げる。

 

153. 天〔の神々〕たちによって据え置かれた、アビサンマタという名の夜叉は、あるいは、〔投げ上げられた〕旗を、あるいは、〔投げ上げられた〕花の環を、〔受け止めて〕上に載せる。

 

154. 彼らは、その夜叉〔の姿〕を見ず、〔宙を〕赴く〔花〕の環を見る。このように、〔その神変を〕見て、〔他の世に〕赴く者たちは、全ての者たちが、善き境遇(善趣)に赴く。

 

155. すなわち、〔聖なる〕言葉にたいし反感した者たちも、さらに、すなわち、〔覚者の〕教えにたいし浄信した者たちも、神変を見ることを欲し、人間たちは、塔を供養する。

 

156. ハンサヴァティーの城市において、そのとき、〔わたしは〕雇われ人として〔世に〕有った。歓喜した人々を見て、そのとき、わたしは、このように思い考えた。

 

157. 「まさに、この方は、秀逸なる世尊である。彼の遺物の家が、このようなものであるとは。そして、これらの人民たちは満足し、為すことを為している──悩み苦しむことなく。

 

158. わたしもまた、為すことを為すのだ──世の主たる如なる方のために。未来において、彼の、諸々の法(教え)における相続者と成るのだ」〔と〕。

 

159. わたしは、洗濯師によって美しく洗い清められた、わたしの上衣を、竹の先端にくくりつけて、旗として、宙に投げ上げた。

 

160. 〔夜叉の〕アビサンマタは、わたしの旗を収め取って、宙に運び去った。風に揺らぐ旗を見て、わたしは、より一層、笑みを生じさせた。

 

161. そこにおいて、心を浄信させて、沙門のもとへと近づいて行った。その比丘を敬拝して、わたしは、旗における報いを尋ねた。

 

162. 彼は、歓嘆の者となり、わたしに言説した──わたしに喜悦を生むものを。〔彼は言った〕「〔あなたは〕その旗の報いを、一切時に受領するでしょう。

 

163. 象〔兵〕たちが、馬〔兵〕たちが、車〔兵〕たちが、歩〔兵〕たちが、そして、四つの支分ある軍団が、常に、あなたを取り囲むでしょう。これは、旗の布施の果です。

 

164. 六万の楽器が、〔装いを〕十二分に作り為した諸々の太鼓が、常に、あなたを取り囲むでしょう。これは、旗の布施の果です。

 

165. 八万六千の、〔装いを〕十二分に作り為した女たちが、様々な彩りの衣装と装飾品をまとい、宝珠の耳飾を付けた者たちが──

 

166. 濃い睫毛ある、明朗なる者たちが、善き表象ある、体躯の均整なる者たちが、常に、あなたを取り囲むでしょう。これは、旗の布施の果です。

 

167. 三万カッパのあいだ、天の世において喜び楽しむでしょう。八十回、天のインダとして、天の王権を為すでしょう。

 

168. そして、千回、転輪王と成るでしょう。数〔の観点〕からは数えようもない、広大なる地域の王権を〔為すでしょう〕。

 

169. これより、十万カッパ〔の未来〕において、オッカーカの家系を発生とし、姓としては、ゴータマという名の教師が、世に有るでしょう。

 

170. 天の世から死滅して、白根に促され、功徳の行為〔の果〕と結び付いた〔あなた〕は、梵の眷属として〔世に〕有るでしょう。

 

171. 〔あなたは〕八十コーティ〔の財〕を捨て放って、多くの奴隷たちと労夫たちを〔捨て放って〕、ゴータマ世尊の教えにおいて出家するでしょう。

 

172. ゴータマ〔世尊〕を、釈迦〔族〕の雄牛たる方を、正覚者を、喜ばせて、名としては、ウパヴァーナという〔名の〕、教師の弟子として〔世に〕有るでしょう」〔と〕。

 

173. 十万〔カッパの過去〕において、〔わたしが〕為した行為と〔その〕果を、ここに、わたしのために、〔比丘は〕見示した。善く放たれた矢の勢いのように、わたしの諸々の〔心の〕汚れを、〔わたしは〕焼き尽くした。

 

174. 転輪〔王〕として、四つの洲におけるイッサラとして、わたしが〔世に〕存していると、三ヨージャナの遍きにわたり、常に、諸々の旗が掲げられる。

 

175. すなわち、〔わたしが〕行為を為した、そのとき、これより、十万カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、旗の布施の果である。

 

176. わたしの、諸々の〔心の〕汚れは焼尽し……略……煩悩なき者となり、〔世に〕住む。

 

177. わたしにとって、まさに、善き訪問として存した……略……覚者の教えは為された。

 

178. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。

 

 かくのごとく、まさに、尊者ウパヴァーナ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──

 

 ウパヴァーナ長老の行状が、第十となる。

 

56. 11. ラッタパーラ長老の行状

 

179. パドゥムッタラ世尊のために、世の最尊者にして如なる方のために、轅の牙ある巨大なる〔象〕が、優れた象が、わたしによって施された。

 

180. 白の傘蓋が美しく荘厳され、鞍かけと共に、象守りと共に。その全てを評価させて、僧団の林園を作らせた。

 

181. わたしは、五万四千の高楼を作らせた。大いなる激流の布施を為して、偉大なる聖賢に引き渡した。

 

182. 偉大なる勇者は、〔他に依らず〕自ら成る方は、至高の人たる方は、随喜した。〔彼は〕全ての人たちを笑喜させながら、不死の境処を説示した。

 

183. 水に生じる最上のものを名とする方は、覚者は、その〔布施の果〕を、わたしに説き明かした。比丘の僧団のうちに坐って、これらの詩偈を語った。

 

184. 〔パドゥムッタラ世尊は言った〕「この者は、五万四千の高楼を作らせました。〔その行為の〕報いを言説しましょう。〔それを〕語る、わたしの〔言葉を〕聞きなさい。

 

185. 一万八千の楼閣が有るでしょう。そして、それらは、最上の宮殿のうちに発現し、全てが黄金で作られています。

 

186. 五十回、天のインダとして、天の王権を為すでしょう。そして、五十八回、転輪〔王〕と成るでしょう。

 

187. これより、十万カッパ〔の未来〕において、オッカーカの家系を発生とし、姓としては、ゴータマという名の教師が、世に有るでしょう。

 

188. 天の世から死滅して、白根に促され、まさしく、ただちに、大いなる財物ある富者の家に発現するでしょう。

 

189. 彼は、のちに出家して、白根に促され、名としては、ラッタパーラという〔名の〕、教師の弟子として〔世に〕有るでしょう。

 

190. 彼は、〔刻苦〕精励をもって自己を精励し、寂静なる者となり、依り所なき者となり、一切の煩悩を遍知して、煩悩なき者となり、涅槃に到達するでしょう」〔と〕。

 

191. 奮起して、〔家から〕出て、財物の成就は捨棄され、唾液の塊のような財物にたいし、わたしに、愛情は見出されない。

 

192. 精進は、わたしにとって、束縛からの平安に運んでくれる荷駄牛である。〔わたしは〕最後の肉身を保つ──正等覚者の教えにおいて。

 

193. わたしの、諸々の〔心の〕汚れは焼尽し……略……煩悩なき者となり、〔世に〕住む。

 

194. わたしにとって、まさに、善き訪問として存した……略……覚者の教えは為された。

 

195. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。

 

 かくのごとく、まさに、尊者ラッタパーラ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──

 

 ラッタパーラ長老の行状が、第十一となる。

 

 ヤサの章が、第五十六となる。

 

 その〔章〕のための摂頌となる。

 

 〔そこで、詩偈に言う〕「ヤサ、そして、ナディー・カッサパ、ガヤーとキミラとヴァッジナ、二つのウッタラ、バッダジ、シヴァカ、ウパヴァーハナ、ラッタパーラがあり、一百の詩偈があり、九十五〔の詩偈〕がある」〔と〕。

 

 テーラ・アパダーナ〔聖典〕は〔以上で〕完結となる。

 

 このことから、そして、覚者の行状は、かつまた、独覚の行状は、さらに、長老の行状は、〔以上で〕完結となる。