小部経典(クッダカ・ニカーヤ)

 

10. 3. テーリー・アパダーナ聖典(譬喩経)

 

【目次】

 

1. スメーダーの章

 

1. 1. スメーダー長老尼の行状

1. 2. メーカラーダーイカー長老尼の行状

1. 3. マンダパダーイカー長老尼の行状

1. 4. サンカマナー長老尼の行状

1. 5. ナラマーリカー長老尼の行状

1. 6. エーカピンダパータダーイカー長老尼の行状

1. 7. カタッチュビッカーダーイカー長老尼の行状

1. 8. サットゥッパラマーリカー長老尼の行状

1. 9. パンチャディーピカー長老尼の行状

1. 10. ウダカダーイカー長老尼の行状

 

2. エークーポーサティカーの章

 

2. 1. エークーポーサティカー長老尼の行状

2. 2. サララプッピカー長老尼の行状

2. 3. モーダカダーイカー長老尼の行状

2. 4. エーカーサナダーイカー長老尼の行状

2. 5. パンチャディーパダーイカー長老尼の行状

2. 6. ナラマーリカー長老尼の行状

2. 7. マハー・パジャーパティー・ゴータミー長老尼の行状

2. 8. ケーマー長老尼の行状

2. 9. ウッパラヴァンナー長老尼の行状

2. 10. パターチャーラー長老尼の行状

 

3. クンダラケーシーの章

 

3. 1. クンダラケーサー長老尼の行状

3. 2. キサー・ゴータミー長老尼の行状

3. 3. ダンマディンナー長老尼の行状

3. 4. サクラー長老尼の行状

3. 5. ナンダー長老尼の行状

3. 6. ソーナー長老尼の行状

3. 7. バッダー・カーピラーニー長老尼の行状

3. 8. ヤソーダラー長老尼の行状

3. 9. ヤソーダラーを筆頭とする一万の比丘尼たちの行状

3. 10. ヤソーダラーを筆頭とする一万八千の比丘尼たちの行状

 

4. カッティヤーの章

 

4. 1. ヤサヴァティーを筆頭とする一万八千の比丘尼たちの行状

4. 2. 八万四千の比丘尼たちの行状

4. 3. ウッパラダーイカー長老尼の行状

4. 4. シンガーラ・マーター長老尼の行状

4. 5. スッカー長老尼の行状

4. 6. アビルーパナンダー長老尼の行状

4. 7. アッダカーシー長老尼の行状

4. 8. プンニカー長老尼の行状

4. 9. アンバパーリー長老尼の行状

4. 10. ペーサラー長老尼の行状

 


 

 

10. 3. テーリー・アパダーナ聖典(譬喩経)

 

阿羅漢にして 正等覚者たる かの世尊に 礼拝し奉る

 

1. スメーダーの章

 

1. 1. スメーダー長老尼の行状

 

 そこで、長老尼の行状を聞きなさい。

 

1. コーナーガマナ世尊にたいし、僧団の林園の新しい住居地において、三者の友人たちは、女人である〔わたしたち〕は、精舎の布施を施した。

 

2. 十回、百回、千回、そして、一万回、〔わたしたちは〕諸天に再生した。人間の生存()については、何の論があるというのだろう。

 

3. 天において、〔わたしたちは〕大いなる神通ある者たちとして〔世に〕有った。人間の〔生存〕においては、何の論があるというのだろう。わたしは、七つの宝ある〔転輪王〕の王妃として、婦女の宝として、〔世に〕有った。

 

4. ここに(人間界において)、善なる〔功徳〕の蓄積ある〔わたしたち〕は、極めて富み栄える家の子女たちとして〔世に有った〕──かつまた、ダナンジャニーと、かつまた、ケーマーと、さらに、また、わたしの、三者の人たちは。

 

5. 林園を、美しく作られたものと為して、全ての箇所が装飾されたものと〔為して〕、覚者を筆頭とする僧団に引き渡して、〔わたしたちは〕等しく歓喜したのだった。

 

6. そこかしこにおいて、〔わたしが〕再生するなら、その行為()に由縁して、天〔の神々〕たちにおいては、至高性に至り得た者となり、そして、人間たちにおいても、まさしく、そのようになる。

 

7. まさしく、このカッパにおいて、梵の眷属にして偉大なる福徳ある方が、姓としては、カッサパという名の、説者たちのなかの優れた方が、〔世に〕生起した。

 

8. そのとき、偉大なる聖賢には、奉仕者として、人のイッサラ(国王)が存した──最上の都のバーラーナシーにおいて、カーシ王のキキンという名の者が。

 

9. 彼には、七者の娘たちが存した。安楽のうちに生長した王女たちは、覚者の奉仕を喜ぶ者たちであり、彼女たちは、梵行を歩んだ。

 

10. 〔わたしは〕彼女たちの道友と成って、諸戒において〔心が〕善く定められた者と〔成って〕、諸々の布施を恭しく施して、まさしく、家において、掟を歩んだ。

 

11. その善行の行為によって、さらに、諸々の思欲による誓願によって、人間の肉身を捨棄して〔そののち〕、わたしは、三十三〔天〕へと近しく赴く者となる。

 

12. そこから死滅し、夜魔〔天〕に赴いた。そののち、わたしは、兜率〔天〕に赴き、そして、そののち、化楽〔天〕に〔赴き〕、そののち、自在〔天〕の都に〔赴いた〕。

 

13. そこかしこにおいて、〔わたしが〕再生するなら、功徳の行為〔の果〕を結集した者として、まさしく、そこかしこにおいて、王たちの王妃として権を為した(常に王妃として再生した)。

 

14. そこから死滅し、人間たる〔境遇〕において、転輪王たちの、さらに、地方の王たちの、王妃として権を為した。

 

15. 天〔の神々〕たちにおいて、そして、人間たちにおいて、〔天と人の二つの〕得達を受領して、一切所において、安楽ある者と成って、無数の生において輪廻した。

 

16. それが、原因である。それが、起源である。それが、根元である。教えにおける受認である。それが、最初であり、帰結である。それが、法(教え)を喜ぶ者の涅槃である。

 

17. わたしの、諸々の〔心の〕汚れ(煩悩)は焼尽し、一切の〔迷いの〕生存は完破された。象のように結縛を断ち切って、煩悩()なき者となり、〔世に〕住む。

 

18. わたしにとって、まさに、善き訪問として存した──わたしにとって、覚者の現前にあることは。三つの明知(三明:宿命通・天眼通・漏尽通)は獲得され、覚者の教えは為された。

 

19. 四つの融通無礙(四無礙解:義・法・言語・応答の融通無礙)は〔実証され〕、そして、また、これらの八つの解脱(八解脱:色界の瞑想者として諸々の形態を見る解脱・内に形態の表象なき者として外に諸々の形態を見る解脱・「浄美である」とだけ信念した者と成る解脱・空無辺処への入定の解脱・識無辺処への入定の解脱・無所有処への入定の解脱・非想非非想処への入定の解脱・想受滅への入定の解脱)も〔実証された〕。六つの神知(六神通:神足通・天耳通・他心通・宿命通・天眼通・漏尽通)は実証され、覚者の教えは為された。

 

 かくのごとく、まさに、スメーダー比丘尼は、これらの詩偈を語った。ということで──

 

 スメーダー長老尼の行状が、第一となる。

 

1. 2. メーカラーダーイカー長老尼の行状

 

20. 〔わたしは〕シッダッタ世尊の塔の作成者として〔世に〕有った。新築行為のために、教師のために、帯が、わたしによって施された。

 

21. そして、偉大なる塔〔の工事〕が終了したとき、わたしは、ふたたび、帯を施した──世の主たる方に、牟尼に、清信した者となり、自らの〔両の〕手で。

 

22. すなわち、〔わたしが〕帯を施した、そのとき、これより、九十四カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇(悪趣)を証知しない。これは、塔の作ることの果である。

 

23. わたしの、諸々の〔心の〕汚れは焼尽し……略……煩悩なき者となり、〔世に〕住む。

 

24. わたしにとって、まさに、善き訪問として存した……略……覚者の教えは為された。

 

25. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。

 

 かくのごとく、まさに、メーカラーダーイカー比丘尼は、これらの詩偈を語った。ということで──

 

 メーカラーダーイカー長老尼の行状が、第二となる。

 

1. 3. マンダパダーイカー長老尼の行状

 

26. コーナーガマナ覚者のために、天幕が、わたしによって作成された。覚者のために、世の眷属たる方のために、常に、三つの衣料を施した。

 

27. 諸々の町に、諸々の王都に、その〔地方〕その地方に、〔わたしが〕行くなら、一切所において、供養される者と成る。これは、功徳の行為の果である。

 

28. わたしの、諸々の〔心の〕汚れは焼尽し……略……煩悩なき者となり、〔世に〕住む。

 

29. わたしにとって、まさに、善き訪問として存した……略……覚者の教えは為された。

 

30. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。

 

 かくのごとく、まさに、マンダパダーイカー比丘尼は、これらの詩偈を語った。ということで──

 

 マンダパダーイカー長老尼の行状が、第三となる。

 

1. 4. サンカマナー長老尼の行状

 

31. ヴィパッシン世尊が、世の最尊者にして如なる方が、道を行きながら、命ある者たちを超え渡しつつあると──

 

32. わたしは、家から出て、〔身を〕投げ出して、〔地に〕横たわった。慈しみ〔の思い〕ある方は、世の主たる方は、わたしの頭を踏みしめた。

 

33. 頭を踏みしめて、世の導き手たる方は赴いた。その心の清信によって、わたしは、兜率〔天〕に赴いた。

 

34. わたしの、諸々の〔心の〕汚れは焼尽し……略……煩悩なき者となり、〔世に〕住む。

 

35. わたしにとって、まさに、善き訪問として存した……略……覚者の教えは為された。

 

36. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。

 

 かくのごとく、まさに、サンカマナー比丘尼は、これらの詩偈を語った。ということで──

 

 サンカマナ長老尼の行状が、第四となる。

 

1. 5. ナラマーリカー長老尼の行状

 

37. チャンダバーガー川の岸辺において、そのとき、〔わたしは〕妖精として〔世に〕有った。〔わたしは〕見た──〔世俗の〕塵を離れる覚者を、〔他に依らず〕自ら成る方を、〔一切に〕敗れることなき方を。

 

38. 清信した心の者となり、悦意の者となり、感嘆〔の思い〕を生じ、合掌を為し、葦の花飾を収め取って、〔他に依らず〕自ら成る方を供養した。

 

39. その善行の行為によって、さらに、諸々の思欲による誓願によって、妖精の肉身を捨棄して〔そののち〕、三十三〔天〕の境遇に赴いた。

 

40. 三十六者の天の王の王妃として権を為した。十者の転輪〔王〕の王妃として権を為した。わたしの心を畏怖させて、〔家から〕家なきへと出家した。

 

41. わたしの、諸々の〔心の〕汚れは焼尽し、一切の〔迷いの〕生存は完破された。一切の煩悩は完全に滅尽し、今や、さらなる生存は存在しない。

 

42. すなわち、〔わたしが〕花を供養した、これより、九十四カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、花の供養の果である。

 

43. わたしの、諸々の〔心の〕汚れは焼尽し……略……煩悩なき者となり、〔世に〕住む。

 

44. わたしにとって、まさに、善き訪問として存した……略……覚者の教えは為された。

 

45. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。

 

 かくのごとく、まさに、ナラマーリカー比丘尼は、これらの詩偈を語った。ということで──

 

 ナラマーリカー長老尼の行状が、第五となる。

 

1. 6. エーカピンダパータダーイカー長老尼の行状

 

46. バンドゥマティーの城市において、バンドゥマントという名の士族が〔世に有った〕。〔わたしは〕その王の妻として〔世に〕有った。〔わたしは、王に隠れて〕密事をはたらく。

 

47. 静所に赴き、〔そこに〕坐って、そのとき、わたしは、このように思い考えた。「まさに、密夫を取って〔そののち〕、わたしによって為された善なる〔行為〕は、〔何も〕存在しない。

 

48. 大いなる熱苦にして辛辣なるところに、おぞましき形態にして極めて辛酸なるところに、〔すなわち〕地獄に、まちがいなく、〔わたしは〕赴く。ここにおいて、わたしに、疑念は存在しない」〔と〕。

 

49. 〔わたしは〕王のもとへと近づいて行って、この言葉を説いた。〔わたしは言った〕「士族よ、一者の沙門を、わたしに与えたまえ。〔わたしは、彼を〕受益させるのです(わたしに布施の機会を与えてください)」〔と〕。

 

50. 大いなる王は、〔感官の〕機能を修めた沙門を、わたしに与えた。〔わたしは〕彼の鉢を収め取って、最高の食べ物で満たした。

 

51. 〔鉢を〕満たして、最高の食べ物を、わたしが作り為した、香料の塗薬ともに、網で被覆して、ひと組の衣で覆い隠した(さらに衣服を施した)。

 

52. わたしのこの〔行為〕を対象として、わたしは、生あるかぎり思念する。そこにおいて、心を清信させて、わたしは、三十三〔天〕に赴いた。

 

53. 三十者の天の王の王妃として権を為した。意によって、わたしが切望したものは、求めたとおりに発現する。

 

54. 二十者の転輪〔王〕の王妃として権を為した。まさしく、〔善なる功徳を〕摘み集めたことから、〔そのような者と〕成って、わたしは、諸々の生存において輪廻する。

 

55. わたしは、一切の結縛から解き放たれた者となり、わたしの、諸々の〔生存の〕依り所は離れ去り、一切の煩悩は完全に滅尽し、今や、さらなる生存は存在しない。

 

56. すなわち、〔わたしが〕布施を施した、そのとき、これより、九十一カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、〔行乞の〕施食の果である。

 

57. わたしの、諸々の〔心の〕汚れは焼尽し……略……煩悩なき者となり、〔世に〕住む。

 

58. わたしにとって、まさに、善き訪問として存した……略……覚者の教えは為された。

 

59. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。

 

 かくのごとく、まさに、エーカピンダパータダーイカー比丘尼は、これらの詩偈を語った。ということで──

 

 エーカピンダパータダーイカー長老尼の行状が、第六となる。

 

1. 7. カタッチュビッカーダーイカー長老尼の行状

 

60. 〔行乞の〕食の行を歩んでいる、ティッサという名の教師のために、ひと匙の行乞〔の施食〕を差し出して、わたしは、最勝の覚者に施した。

 

61. 納受して〔そののち〕、正覚者は、ティッサ〔世尊〕は、世の至高の導き手たる方は、道に立った教師は、わたしに、随喜を為した。

 

62. 〔ティッサ世尊は言った〕「ひと匙の行乞〔の施食〕を施して、三十三〔天〕に赴くでしょう。三十六者の天の王の王妃として権を為すでしょう。

 

63. 五十者の転輪〔王〕の王妃として権を為すでしょう。意によって切望した全てのものを、一切時に獲得するでしょう。

 

64. 〔天と人の二つの〕得達を受領して、無一物の者となり、出家するでしょう。一切の煩悩を遍知して、煩悩なき者となり、涅槃に到達するでしょう」〔と〕。

 

65. この〔言葉〕を説いて、正覚者は、ティッサ〔世尊〕は、世の至高の導き手たる方は、勇者は、天空へと舞い上がった──鵞鳥の王が、宙に〔赴く〕ように。

 

66. わたしには、優れた布施たる善き施しものがあり、祭祀の成就たる善き供えものがある。ひと匙の行乞〔の施食〕を施して、わたしは、不動の境位に至り得た者として〔世に有る〕。

 

67. すなわち、〔わたしが〕布施を施した、そのとき、これより、九十二カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、行乞〔の施食〕の布施の果である。

 

68. わたしの、諸々の〔心の〕汚れは焼尽し……略……煩悩なき者となり、〔世に〕住む。

 

69. わたしにとって、まさに、善き訪問として存した……略……覚者の教えは為された。

 

70. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。

 

 かくのごとく、まさに、カタッチュビッカーダーイカー比丘尼は、これらの詩偈を語った。ということで──

 

 カタッチュビッカーダーイカー長老尼の行状が、第七となる。

 

1. 8. サットゥッパラマーリカー長老尼の行状

 

71. アルナヴァティーの城市において、アルナという名の士族が〔世に有った〕(※)。〔わたしは〕その王の妻として〔世に〕有った。わたしは、防護されたものを防護する。

 

※ テキストには ttiyo とあるが、PTS版により khattiyo と読む。

 

72. 天の香りある青蓮の七つの花飾を(※)収め取って、優美なる高楼のうちに坐って、まさしく、そのとき、このように思い考えた。

 

※ テキストには Sattamālaṃ とあるが、PTS版により Sattamālā と読む。

 

73. 「これらの花飾が、わたしの頭に掲揚されたとして、わたしにとって、何になるというのだろう。最勝の覚者の知恵にたいし掲揚されたなら、わたしにとって、〔これこそは〕優れている」〔と〕。

 

74. 正覚者を待ち望みながら、わたしは、門の近くに坐った。「正覚者が至り行く、そのときは、偉大なる牟尼を供養するのだ」〔と〕。

 

75. カクダ〔樹〕のように輝いている方は、獣の王たる獅子のような方は、勝者は、比丘の僧団を伴い、道をやってきた。

 

76. 覚者の光を見て、欣喜した者となり、畏怖の意図ある者となり、門を開いて、最勝の覚者を供養した。

 

77. 七つの青蓮の花が宙に降りまかれ、覚者のために覆いを作りながら、それらは、頭上に保持される。

 

78. 勇躍する心の者となり、悦意の者となり、感嘆〔の思い〕を生じ、合掌を為し、そこにおいて、心を清信させて、わたしは、三十三〔天〕に赴いた。

 

79. 〔人々は〕大いなる無欠の傘蓋を、わたしの頭上に保持する。〔わたしは〕天の香りを香らせる。これは、七つの青蓮の果である。

 

80. いつであれ、わたしが、親族の群れとともに招かれる、そのときは、およそ、わたしの衆としてあるかぎり、大いなる無欠〔の傘蓋〕が保持される。

 

81. 七十者の天の王の王妃として権を為した。一切所において、イッサラと成って、種々なる生存において輪廻する。

 

82. 六十三者の転輪〔王〕の王妃として権を為した。全ての者たちが、わたしに従い転じ行く。〔わたしは〕言葉が受容される者として〔世に〕有った。

 

83. わたしには、まさしく、青蓮の、色艶があり、まさしく、そして、香りがあり、〔芳香を〕香らせる。醜き色艶たることを、〔わたしは〕知らない。これは、覚者の供養の果である。

 

84. 〔四つの〕神通の足場(神足)に巧みな智ある者となり、〔七つの〕覚りの支分(覚支)の修行を喜ぶ者となり、〔六つの〕神知における完全態(波羅蜜・到彼岸)に至り得た者となる。これは、覚者の供養の果である。

 

85. 〔四つの〕気づきの確立(念住・念処)に巧みな智ある者となり、禅定(定・三昧)と瞑想を境涯とする者となり、〔四つの〕正しい精励(正勤)に専念する者となる。これは、覚者の供養の果である。

 

86. 精進は、わたしにとって、束縛からの平安(軛安穏)に運んでくれる荷駄牛である。一切の煩悩は完全に滅尽し、今や、さらなる生存は存在しない。

 

87. すなわち、〔わたしが〕花を供養した、これより、三十一カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、覚者の供養の果である。

 

88. わたしの、諸々の〔心の〕汚れは焼尽し……略……煩悩なき者となり、〔世に〕住む。

 

89. わたしにとって、まさに、善き訪問として存した……略……覚者の教えは為された。

 

90. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。

 

 かくのごとく、まさに、サットゥッパラマーリカー比丘尼は、これらの詩偈を語った。ということで──

 

 サットゥッパラマーリカー長老尼の行状が、第八となる。

 

1. 9. パンチャディーピカー長老尼の行状

 

91. ハンサヴァティーの城市において、そのとき、わたしは、遊行者として〔世に〕存した。そして、林園から林園へと、善なる〔功徳〕を義(目的)として、〔わたしは〕歩む。

 

92. 黒分(月が欠ける期間)の日に、〔わたしは〕最上の菩提〔樹〕を見た。そこにおいて、心を清信させて、わたしは、菩提〔樹〕の根元に坐った。

 

93. 尊重の心を現起して、頭に合掌を為して、悦意を感受して、まさしく、そのとき、このように思い考えた。

 

94. 「すなわち、覚者が、無量なる徳ある方であるなら、等しき者なく対する人なき方であるなら、神変を、わたしに見示したまえ。この菩提〔樹〕は光り輝くのだ」〔と〕。

 

95. 〔菩提樹に〕わたしが〔心を〕傾注したと共に、まさしく、ただちに、菩提〔樹〕は燃え盛った。〔菩提樹は〕全てが黄金で作られているものとして存し、一切の方角に遍照する。

 

96. 七つの夜と昼のあいだ、そこにおいて、菩提〔樹〕の根元において、わたしは坐った。第七の日が至り得たとき、わたしは、灯明の供養を為した。

 

97. 坐を取り囲んで、五つの灯明は燃え盛った。すなわち、太陽が昇り行くまで、そのとき、わたしの〔五つの〕灯明は燃え盛った。

 

98. その善行の行為によって、さらに、諸々の思欲による誓願によって、人間の肉身を捨棄して〔そののち〕、わたしは、三十三〔天〕に赴いた。

 

99. そこにおいて、わたしには、美しく作られた宮殿が〔発現する〕──「パンチャディーパ(五つの灯明)」と呼ばれる、六十ヨージャナの高さと三十〔ヨージャナ〕の幅ある〔宮殿〕が。

 

100. 数えようもない〔数〕の灯明が、わたしの周囲に燃え盛る。およそ、天の居所としてあるかぎり、灯明の光明によって光り輝く。

 

101. 背面して坐って、すなわち、見ることを求めるなら、上に、そして、下に、横に、一切を、眼によって見る。

 

102. 善き境遇と悪しき境遇を見るべく、およそ、〔わたしが〕望むかぎりにおいて、そこにおいて、妨げとなるものは存在しない──木々において、あるいは、山々において。

 

103. 八十者の天の王の王妃として権を為した。百者の転輪〔王〕の王妃として権を為した。

 

104. 天〔の神〕たる〔境遇〕に、さらに、人間に、その〔胎〕その胎に再生するなら、十万の灯明が、わたしの周囲に燃え盛る。

 

105. 天の世から死滅して、〔わたしは〕母の子宮に生起した。母の子宮に赴き、〔そこに〕存しつつも、わたしの眼は閉じない。

 

106. 功徳の行為〔の果〕の保有者たることから、十万の灯明が、産屋において燃え盛る。これは、五つの灯明の果である。

 

107. 最後の生存に達し得たとき、意図を退転させて、老と死なき清涼の状態を、〔すなわち〕涅槃を、わたしは体得した。

 

108. 生まれて七年で、わたしは、阿羅漢の資質に至り得た。覚者は、ゴータマ〔世尊〕は、〔わたしの〕徳を了知して、〔戒を〕成就させた。

 

109. 天幕において、あるいは、木の根元において、諸々の講堂において、あるいは、諸々の洞窟において、空家において、わたしが住していると、五つの灯明が燃え盛る。

 

110. わたしには、清浄なる天眼がある。わたしは、禅定に巧みな智ある者であり、神知における完全態に至り得た者である。これは、五つの灯明の果である。

 

111. 一切が完成された完成者として、為すべきことを為した煩悩なき者として、パンチャディーパーは、偉大なる勇者よ、眼ある方よ、〔あなたの両の〕足を敬拝する。

 

112. すなわち、〔わたしが〕灯明を施した、そのとき、これより、十万カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、五つの灯明の果である。

 

113. わたしの、諸々の〔心の〕汚れは焼尽し……略……煩悩なき者となり、〔世に〕住む。

 

114. わたしにとって、まさに、善き訪問として存した……略……覚者の教えは為された。

 

115. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。

 

 かくのごとく、まさに、パンチャディーピカー比丘尼は、これらの詩偈を語った。ということで──

 

 パンチャディーピカー長老尼の行状が、第九となる。

 

1. 10. ウダカダーイカー長老尼の行状

 

116. バンドゥマティーの城市において、〔わたしは〕水汲み女として〔世に〕有った。〔わたしは〕水汲みによって生き、それによって、幼児たちを養う。

 

117. そして、わたしに、施すべき法(施物)は存在しない──無上なる功徳の田畑にたいし。〔僧団の〕貯蔵庫へと近づいて行って、わたしは、水を補給した。

 

118. その善行の行為によって、わたしは、三十三〔天〕に赴いた。そこにおいて、わたしには、美しく作られた宮殿が〔発現する〕──水汲み〔の果〕によって化作された〔宮殿〕が。

 

119. そのとき、まさに、わたしは、千の仙女たちのなかの最も優れた者となる。わたしは、常に、十の状況によって、彼女たちの全てを圧倒する。

 

120. 五十者の天の王の王妃として権を為した。二十者の転輪〔王〕の王妃として権を為した。

 

121. 天〔の神〕たる〔境遇〕において、さらに、人間において、〔天と人の〕二つの生存において、〔わたしは〕輪廻する。悪しき境遇を、〔わたしは〕証知しない。これは、水の布施の果である。

 

122. 山頂において、あるいは、難所において、そして、空中において、地上において、水を求める、そのとき、わたしは、すみやかに獲得する。

 

123. 旱魃の地は、さらに、また、熱せられ煮えたぎる〔地〕も、〔わたしには〕存在しない。わたしの思惟を了知して、大いなる雨雲は雨を降らせる。

 

124. いつであれ、わたしが、親族の群れとともに招かれる、そのときは、そのとき、わたしが、雨を求めるなら、大いなる雨雲が生じた。

 

125. あるいは、暑熱は、あるいは、苦悶は、わたしの肉体において見出されない。そして、塵は、わたしの身体において存在しない。これは、水の布施の果である。

 

126. 今日、〔わたしは〕清浄なる意の者となり、悪しき意を離れた者となり、一切の煩悩は完全に滅尽し、今や、さらなる生存は存在しない。

 

127. すなわち、〔わたしが〕水を施した、そのとき、これより、九十一カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、水の布施の果である。

 

128. わたしの、諸々の〔心の〕汚れは焼尽し……略……煩悩なき者となり、〔世に〕住む。

 

129. わたしにとって、まさに、善き訪問として存した……略……覚者の教えは為された。

 

130. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。

 

 かくのごとく、まさに、ウダカダーイカー比丘尼は、これらの詩偈を語った。ということで──

 

 ウダカダーイカー長老尼の行状が、第十となる。

 

 スメーダーの章が、第一となる。

 

 その〔章〕のための摂頌となる。

 

 〔そこで、詩偈に言う〕「スメーダー、メーカラーダーイー、天幕、サンカマダダー、ナラマーリー、ピンダダダー、ひと匙、ウッパラッパダー──

 

 ディーパダー、まさしく、そして、ウダカダーがあり、まさしく、そして、一百の詩偈があり、さらに、それに加えて、三十〔の詩偈〕があり、〔それらの〕詩偈が、ここに数えられた」〔と〕。

 

2. エークーポーサティカーの章

 

2. 1. エークーポーサティカー長老尼の行状

 

1. バンドゥマティーの城市において、バンドゥマントという名の士族が〔世に有った〕。彼は、満月の日に、斎戒に入った。

 

2. その時点にあって、わたしは、水汲みの奴婢であるわたしは、そこにおいて、王を有する軍団を見て、そのとき、わたしは、このように思い考えた。

 

3. 「王もまた、王権を捨て放って、斎戒に入った。その行為は、まちがいなく、果を有するものである。人の身体ある者として、〔彼は〕歓喜したのだ」〔と〕。

 

4. そして、〔自らの〕悪しき境遇たることを、貧者たることを、根源のままに注視して、意図を奮い起こして、斎戒に入った。

 

5. 正等覚者の教えにおいて、わたしは、斎戒を為して、その善行の行為によって、わたしは、三十三〔天〕に赴いた。

 

6. そこにおいて、わたしには、美しく作られた宮殿が〔発現する〕──〔一〕ヨージャナの高さに屹立し、優れた楼閣を具し、美しく飾られた大いなる坐具ある〔宮殿〕が。

 

7. 十万の仙女たちが、常に、わたしに奉仕する。他の天〔の神々〕たちを超え行って、一切時に輝きまさる。

 

8. 六十四者の天の王の王妃として権を為した。六十三者の転輪〔王〕の王妃として権を為した。

 

9. 黄金の色艶ある者と成って、わたしは、諸々の生存において輪廻する。一切所において、最も優れた者と成る。これは、斎戒の果である。

 

10. 象の乗物を、馬の乗物を、さらに、車の乗物を、駕篭を、まさしく、この全てを、〔わたしは〕得る。これは、斎戒の果である。

 

11. 黄金で作られているものを、白銀で作られているものを、さらに、また、水晶で作られているものを、まさしく、そして、紅玉で作られているものを、〔この〕全てを、わたしは獲得する。

 

12. 諸々の絹や毛布を、さらに、諸々の亜麻や木綿を、そして、諸々の高価なる衣を、〔この〕全てを、わたしは獲得する。

 

13. 食べ物を、飲み物を、固形の食料を、さらに、諸々の衣と臥坐具を、この全てを、〔わたしは〕獲得する。これは、斎戒の果である。

 

14. そして、優れた香料を、そして、花飾を、そして、塗粉を、塗料を、この全てを、〔わたしは〕獲得する。これは、斎戒の果である。

 

15. そして、楼閣を、高楼を、天幕を、高閣を、洞窟を、この全てを、〔わたしは〕獲得する。これは、斎戒の果である。

 

16. わたしは、生まれて七年で、〔家から〕家なきへと出家した。半月に達し得ないうちに、阿羅漢の資質に至り得た。

 

17. わたしの、諸々の〔心の〕汚れは焼尽し、一切の〔迷いの〕生存は完破された。一切の煩悩は完全に滅尽し、今や、さらなる生存は存在しない。

 

18. すなわち、〔わたしが〕行為を為した、そのとき、これより、九十一カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、斎戒の果である。

 

19. わたしの、諸々の〔心の〕汚れは焼尽し……略……煩悩なき者となり、〔世に〕住む。

 

20. わたしにとって、まさに、善き訪問として存した……略……覚者の教えは為された。

 

21. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。

 

 かくのごとく、まさに、エークーポーサティカー比丘尼は、これらの詩偈を語った。ということで──

 

 エークーポーサティカー長老尼の行状が、第一となる。

 

2. 2. サララプッピカー長老尼の行状

 

22. チャンダバーガー川の岸辺において、そのとき、〔わたしは〕妖精として〔世に〕有った。〔わたしは〕見た──天の天たる方を、眼ある方を、人の雄牛たる方を。

 

23. サララ〔樹の花〕を摘み集めて、わたしは、最勝の覚者に施した。偉大なる勇者は、天の香りあるサララ〔樹の花〕を嗅いだ。

 

24. 納受して〔そののち〕、正覚者は、ヴィパッシン〔世尊〕は、世の導き手たる方は、偉大なる勇者は、〔花の香りを〕嗅いだ──わたしが見ていると、そのとき。

 

25. 合掌を差し出して、最上の二足者たる方を敬拝して、自らの心を清信させて、そののち、山に登った。

 

26. すなわち、〔わたしが〕花を施した、そのとき、これより、九十一カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、覚者の供養の果である。

 

27. わたしの、諸々の〔心の〕汚れは焼尽し……略……煩悩なき者となり、〔世に〕住む。

 

28. わたしにとって、まさに、善き訪問として存した……略……覚者の教えは為された。

 

29. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。

 

 かくのごとく、まさに、サララプッピカー比丘尼は、これらの詩偈を語った。ということで──

 

 サララプッピカー長老尼の行状が、第二となる。

 

2. 3. モーダカダーイカー長老尼の行状

 

30. バンドゥマティーの城市において、わたしは、水汲みの奴婢として〔世に〕有った。わたしの分を収め取って、〔道を〕赴き、水を運ぶ〔わたし〕は──

 

31. 道に、沙門を、心が寂静となった方を、〔心が〕定められた方を、見て、清信した心の者となり、悦意の者となり、わたしは、三つの菓子を施した。

 

32. その善行の行為によって、さらに、諸々の思欲による誓願によって、九十一カッパのあいだ、わたしは、堕所に赴かなかった。

 

33. その〔行為〕を為して、わたしは、一切の得達を(※)受領した。三つの菓子を施して、わたしは、不動の境位に至り得た者として〔世に有る〕。

 

※ テキストには Sampatti taṃ とあるが、PTS版により Sampattiṃtaṃ と読む。

 

34. わたしの、諸々の〔心の〕汚れは焼尽し……略……煩悩なき者となり、〔世に〕住む。

 

35. わたしにとって、まさに、善き訪問として存した……略……覚者の教えは為された。

 

36. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。

 

 かくのごとく、まさに、モーダカダーイカー比丘尼は、これらの詩偈を語った。ということで──

 

 モーダカダーイカー長老尼の行状が、第三となる。

 

2. 4. エーカーサナダーイカー長老尼の行状

 

37. ハンサヴァティーの城市において、そのとき、〔わたしは〕少女として〔世に〕有った。わたしの、そして、母は、まさしく、さらに、父は──彼らは、生業に赴いた。

 

38. 正午の太陽のもと、わたしは見た──沙門を、道に従い行く〔覚者〕を。わたしは、坐を設置した。

 

39. 諸々の毛織りの毛布で、大いなる坐を設置して、清信した心の者となり、悦意の者となり、この言葉を説いた。

 

40. 〔わたしは言った〕「地上は、熱せられ煮えたぎり、正午の太陽は、〔中天に〕止住し、そして、諸々の風も吹かず、まさしく、そして、ここにおいて、時は至り行くでしょう。

 

41. 偉大なる牟尼よ、あなたを義(目的)として、この坐は設置されました。慈しみ〔の思い〕を抱いて、わたしの坐に坐ってください」〔と〕。

 

42. そこにおいて、沙門は坐った──〔心身が〕善く調御された方は、清浄なる意図ある方は。彼の鉢を収め取って、わたしは、あるままの料理を施した。

 

43. その善行の行為によって、さらに、諸々の思欲による誓願によって、人間の肉身を捨棄して〔そののち〕、わたしは、三十三〔天〕に赴いた。

 

44. そこにおいて、わたしには、美しく作られた宮殿が〔発現する〕──坐によって美しく化作された〔宮殿〕が──六十ヨージャナの高さと三十〔ヨージャナ〕の幅ある〔宮殿〕が。

 

45. 黄金で作られているものが、さらに、また、水晶で作られているものが、まさしく、そして、紅玉で作られているものが、様々な種類の寝台が、わたしにはある。

 

46. 諸々の綿入りや毛織り〔の布団〕とともに、さらに、諸々の彩りあざやかな絹織り〔の布団〕とともに、そして、縁飾りされた毛の敷物が、諸々の美しく製作された寝台が、わたしにはある。

 

47. 笑喜と遊興を供与された〔わたし〕が、赴くことを求める、そのときは、最勝の寝台と共に、わたしの切望したところに、〔わたしは〕赴く。

 

48. 八十者の天の王の王妃として権を為した。七十者の転輪〔王〕の王妃として権を為した。

 

49. 種々なる生存において輪廻しながら、大いなる財物を、わたしは得る。わたしの財物に、不足は存在しない。これは、一なる坐の果である。

 

50. 天〔の神〕たる〔境遇〕において、さらに、人間において、〔天と人の〕二つの生存において、〔わたしは〕輪廻する。諸他の生存を、〔わたしは〕知らない。これは、一なる坐の果である。

 

51. 二つの家系において、〔わたしは〕生まれる──士族において、そして、また、婆羅門において。一切所において、高貴の家の者となる。これは、一なる坐の果である。

 

52. 失意を、〔わたしは〕知らない。わたしのものとして、心の熱苦を、醜い色艶を、〔わたしは〕知らない。これは、一なる坐の果である。

 

53. 乳母たちが、多くの、傴僂たちが、召使たちが、わたしに奉仕する。〔乳母の〕膝から膝へと、〔わたしは〕赴く。これは、一なる坐の果である。

 

54. 他者たちが、〔わたしを〕沐浴させ、〔わたしを〕食べさせる。他者たちが、常に、わたしを喜ばせる。他者たちが、〔わたしに〕香料を塗る。これは、一なる坐の果である。

 

55. 天幕において、あるいは、木の根元において、空家において、住していると、わたしの思惟を了知して、寝台が現起する。

 

56. これは、わたしにとって最後のものである。生存は、最後のものとして転起する。今日もまた、王権を捨て放って、〔家から〕家なきへと出家した。

 

57. すなわち、〔わたしが〕布施を施した、そのとき、これより、十万カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、一なる坐の果である。

 

58. わたしの、諸々の〔心の〕汚れは焼尽し……略……煩悩なき者となり、〔世に〕住む。

 

59. わたしにとって、まさに、善き訪問として存した……略……覚者の教えは為された。

 

60. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。

 

 かくのごとく、まさに、エーカーサナダーイカー比丘尼は、これらの詩偈を語った。ということで──

 

 エーカーサナダーイカー長老尼の行状が、第四となる。

 

2. 5. パンチャディーパダーイカー長老尼の行状

 

61. ハンサヴァティーの城市において、そのとき、わたしは、遊行者として〔世に〕存した。そして、林園から林園へと、善なる〔功徳〕を義(目的)として、〔わたしは〕歩む。

 

62. 黒分(月が欠ける期間)の日に、〔わたしは〕最上の菩提〔樹〕を見た。そこにおいて、心を清信させて、わたしは、菩提〔樹〕の根元に坐った。

 

63. 尊重の心を現起して、頭に合掌を為して、悦意を感受して、まさしく、そのとき、このように思い考えた。

 

64. 「すなわち、覚者が、無量なる徳ある方であるなら、等しき者なく対する人なき方であるなら、神変を、わたしに見示したまえ。この菩提〔樹〕は光り輝くのだ」〔と〕。

 

65. 〔菩提樹に〕わたしが〔心を〕傾注したと共に、まさしく、ただちに、菩提〔樹〕は燃え盛った。〔菩提樹は〕全てが黄金で作られているものとして存し、一切の方角に遍照する。

 

66. 七つの夜と昼のあいだ、そこにおいて、菩提〔樹〕の根元において、わたしは坐った。第七の日が至り得たとき、わたしは、灯明の供養を為した。

 

67. 坐を取り囲んで、五つの灯明は燃え盛った。すなわち、太陽が昇り行くまで、そのとき、わたしの〔五つの〕灯明は燃え盛った。

 

68. その善行の行為によって、さらに、諸々の思欲による誓願によって、人間の肉身を捨棄して〔そののち〕、わたしは、三十三〔天〕に赴いた。

 

69. そこにおいて、わたしには、美しく作られた宮殿が〔発現する〕──「パンチャディーパ(五つの灯明)」と呼ばれる、六十ヨージャナの高さと三十〔ヨージャナ〕の幅ある〔宮殿〕が。

 

70. 数えようもない〔数〕の灯明が、わたしの周囲に燃え盛った。およそ、天の居所としてあるかぎり、灯明の光明によって光り輝く。

 

71. 背面して坐って、すなわち、見ることを求めるなら、上に、そして、下に、横に、一切を、眼によって見る。

 

72. 善き境遇と悪しき境遇を見るべく、およそ、〔わたしが〕望むかぎりにおいて、そこにおいて、妨げとなるものは存在しない──木々において、あるいは、山々において。

 

73. 八十者の天の王の王妃として権を為した。百者の転輪〔王〕の王妃として権を為した。

 

74. 天〔の神〕たる〔境遇〕に、さらに、人間に、その〔胎〕その胎に再生するなら、十万の灯明が、わたしの周囲に燃え盛る。

 

75. 天の世から死滅して、〔わたしは〕母の子宮に生起した。母の子宮に赴き、〔そこに〕存しつつも、わたしの眼は閉じない。

 

76. 功徳の行為〔の果〕の保有者たることから、十万の灯明が、産屋において燃え盛る。これは、五つの灯明の果である。

 

77. 最後の生存に達し得たとき、意図を退転させて、老と死なき清涼の状態を、〔すなわち〕涅槃を、わたしは体得した。

 

78. 生まれて七年で、わたしは、阿羅漢の資質に至り得た。覚者は、ゴータマ〔世尊〕は、〔わたしの〕徳を了知して、〔戒を〕成就させた。

 

79. 天幕において、あるいは、木の根元において、空家において、〔わたしが〕住していると、常に、灯明が燃え盛る。これは、五つの灯明の果である。

 

80. わたしには、清浄なる天眼がある。わたしは、禅定に巧みな智ある者であり、神知における完全態に至り得た者である。これは、五つの灯明の果である。

 

81. 一切が完成された完成者として、為すべきことを為した煩悩なき者として、パンチャディーパーは、偉大なる勇者よ、眼ある方よ、〔あなたの両の〕足を敬拝する。

 

82. すなわち、〔わたしが〕灯明を施した、そのとき、これより、十万カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、五つの灯明の果である。

 

83. わたしの、諸々の〔心の〕汚れは焼尽し……略……煩悩なき者となり、〔世に〕住む。

 

84. わたしにとって、まさに、善き訪問として存した……略……覚者の教えは為された。

 

85. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。

 

 かくのごとく、まさに、パンチャディーパダーイカー比丘尼は、これらの詩偈を語った。ということで──

 

 パンチャディーパダーイカー長老尼の行状が、第五となる。

 

2. 6. ナラマーリカー長老尼の行状

 

86. チャンダバーガー川の岸辺において、そのとき、〔わたしは〕妖精として〔世に〕有った。〔わたしは〕見た──〔世俗の〕塵を離れる覚者を、〔他に依らず〕自ら成る方を、〔一切に〕敗れることなき方を。

 

87. 清信した心の者となり、悦意の者となり、感嘆〔の思い〕を生じ、合掌を為し、葦の花飾を収め取って、〔他に依らず〕自ら成る方を供養した。

 

88. その善行の行為によって、さらに、諸々の思欲による誓願によって、妖精の肉身を捨棄して〔そののち〕、わたしは、三十三〔天〕に赴いた。

 

89. 三十六者の天の王の王妃として権を為した。意によって、わたしが切望したものは、求めたとおりに発現する。

 

90. 十者の転輪〔王〕の王妃として権を為した。まさしく、〔善なる功徳を〕摘み集めたことから、〔そのような者と〕成って、わたしは、諸々の生存において輪廻する。

 

91. わたしには、善なる〔功徳〕が見出される。〔わたしは、家から〕家なきへと出家した。わたしは、今日、功徳に値する者となる──釈迦族の方の教えにおいて。

 

92. 今日、〔わたしは〕清浄なる意の者となり、悪しき意を離れた者となり、一切の煩悩は完全に滅尽し、今や、さらなる生存は存在しない。

 

93. すなわち、〔わたしが〕覚者を供養した、これより、九十四カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、葦の花飾の果である。

 

94. わたしの、諸々の〔心の〕汚れは焼尽し……略……煩悩なき者となり、〔世に〕住む。

 

95. わたしにとって、まさに、善き訪問として存した……略……覚者の教えは為された。

 

96. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。

 

 かくのごとく、まさに、ナラマーリカー比丘尼は、これらの詩偈を語った。ということで──

 

 ナラマーリカー長老尼の行状が、第六となる。

 

2. 7. マハー・パジャーパティー・ゴータミー長老尼の行状

 

97. 或る時のこと、世の灯火たる方は、ヴェーサーリーの大いなる林にあり、人の馭者たる方は、二階建ての善堂(重閣講堂)に住する。

 

98. そのとき、勝者の叔母であるマハー・ゴータミー比丘尼は、その喜ばしき都に作られた比丘尼の在所に住した。

 

99. 五百の解脱者の比丘尼たちと共に、静所に赴いた彼女の心には、このように、思考するところが存した。

 

100. 〔彼女は思い考えた〕「覚者の完全なる涅槃を、あるいは、組なる至高の弟子(サーリプッタとモッガッラーナ)の〔完全なる涅槃を〕、ラーフラとアーナンダとナンダの〔完全なる涅槃を〕、わたしは、見ることを得ないであろう。

 

101. 覚者の完全なる涅槃より、あるいは、組なる至高の弟子の〔完全なる涅槃より〕、マハー・カッサパとナンダの〔完全なる涅槃より〕、そして、アーナンダとラーフラの〔完全なる涅槃より〕──

 

102. 〔それより〕前に、寿命を形成する働きを捨て放って、寂滅〔の境処〕に赴くのだ──世の主たる方に、偉大なる聖賢に、許された者として」〔と〕。

 

103. そのように、五百の比丘尼たちにもまた、思考するところが〔存した〕。ケーマー等の者たちにもまた、まさしく、このことが、思考するところとして存した(同様に思い考えた)。

 

104. そのとき、地震が存した。天の雷鼓が咆哮し、〔比丘尼の〕在所に住している天神たちは、憂いに責め苛まれた者たちとなる。

 

105. 悲嘆した〔天神〕たちは、悲しみ極まり、そこにおいて、諸々の涙を転起させた。〔ゴータミーの〕朋友たる比丘尼たちは、それら〔の天神たち〕とともに、ゴータミーのもとへと近しく赴いて──

 

106. 〔彼女の〕足もとに、頭をもって平伏して、この言葉を説いた。〔彼女たちが言った〕「尊貴なる方よ、そこにおいて、水滴を注がれ、静所に赴いた、わたしたちです。

 

107. その揺れがあり、地が動揺し、天の雷鼓が咆哮し、そして、諸々の嘆き悲しみが聞こえます。ゴータミーよ、まちがいなく、何か、義(意味)あってのことです」〔と〕。

 

108. そのとき、彼女は、遍く思考するところを、そのとおりに、全てを言った。彼女たちの全てもまた、遍く思考するところを、そのとおりに言った。

 

109. 〔彼女たちが言った〕「尊貴なる方よ、すなわち、最高の至福たる涅槃が、あなたにとって好ましくあるなら、善き掟ある方よ、覚者の承認のもと、〔わたしたちの〕全てもまた、涅槃に到達しましょう。

 

110. わたしたちは、まさしく、共に、そして、また、家からも、さらに、また、生存からも、出た者たちとして、まさしく、道友たちとして、最上の境処たる涅槃に赴きましょう」〔と〕。

 

111. 〔ゴータミーは言った〕「涅槃に行きつつある者たちに、何を説きましょう」〔と〕。かくのごとく、彼女は説き、そのとき、全ての者たちと共に、比丘尼の住居から出て行った。

 

112. 〔ゴータミーは言った〕「すなわち、〔比丘尼の〕在所に住している者たちである、それらの天神たちは、わたしを許したまえ。比丘尼の住居を見るのは、わたしにとって、これが最後です。

 

113. そこにおいては、老はなく、あるいは、死魔も、愛しからざる者たちとの遭遇も、愛しき者たちとの別離も、ありません、〔まさに〕その、形成されたものではない〔涅槃〕に、〔わたしは〕行くのです」〔と〕。

 

114. 〔いまだ〕貪欲を離れていない、善き至達者たる方の正嫡たちは、その言葉を聞いて、憂いに苦悩し、嘆き悲しんだ。〔彼女たちが言った〕「ああ、わたしたちの功徳少なきことよ。

 

115. この比丘尼の住居は空にして、彼女たちとは別れ別れに成り、夜明けの星々のように、勝者の正嫡たちは、〔もはや〕見られない。

 

116. ゴータミーは、五百の者たちと共に、涅槃に行く。ガンガー〔川〕が、五百の川と共に、海洋に〔流れ行く〕ように」〔と〕。

 

117. 道を行く者たちを見て、信ある女性在俗信者たちは、家から出て、〔彼女たちの〕足もとに平伏して、この〔言葉〕を説いた。

 

118. 〔彼女たちが言った〕「大いなる財物にたいし清信したまえ。わたしたちは、衰退して、貧窮の者たちとなります。あなたにとって、涅槃に到達することは、相応しからず」〔と〕。かくのごとく、彼女たちは苦悩し、悲嘆した。

 

119. 〔ゴータミーは〕彼女たちの憂いの捨棄を義(目的)として、甘美なる言葉を言った。〔ゴータミーは言った〕「子たちよ、泣き叫ぶのは、〔もう〕十分です。あなたたちにとって、今日、これは、笑喜の時なのです。

 

120. わたしによって、苦は遍知され、苦の因は避けられました。わたしによって、止滅は実証され、さらに、また、道は善く修められました。

 

 〔以上が〕第一の朗読分となる。

 

121. わたしによって、教師は世話され、覚者の教えは為されました。重荷は置かれ、生存に導くものは完破されました。

 

122. それを義(目的)として、家から家なきへと出家した〔わたし〕ですが、わたしによって、その義(目的)は獲得されました──〔すなわち〕一切の束縛するものの滅尽は。

 

123. 覚者が、さらに、彼の正なる法(教え)が、欠くことなく〔世に〕止住する、それまでは、わたしにとっては、それまでが、涅槃に到達するべき時なのです。子供たちよ、わたしを憂い悲しんではいけません。

 

124. コンダンニャとアーナンダとナンダ等々が〔世に〕止住し、ラーフラが〔世に止住し〕、勝者が〔世に止住し〕、僧団が安楽にして益を有し、そして、異教の者たちが才覚を打ち砕かれ──

 

125. オッカーカの系譜の福徳が増長し悪魔を撃破する、今が、まちがいなく、わたしにとっての時なのです。子供たちよ、涅槃という義(目的)のための〔時なのです〕。

 

126. 長き〔過去〕より以降、〔まさに〕その、わたしの切望したものが、今日、実現するのです。これは、喜びの太鼓の時なのです。子供たちよ、諸々の涙が、あなたたちにとって、何になるというのでしょう。

 

127. それで、もし、わたしにたいし、憐憫〔の思い〕が存するなら、そして、もしくは、知恩〔の思い〕が存するなら、正なる法(教え)の止住のために、全ての者たちは、〔道心〕堅固に、精進を為しなさい。

 

128. わたしに乞い求められた正覚者は、婦女たちの出家を許しました。それゆえに、すなわち、わたしが喜ぶように、そのように、彼に従い行きなさい」〔と〕。

 

129. 彼女たちを、このように教示して、比丘尼たちに囲まれた〔ゴータミー〕は、〔覚者のもとへと〕近しく至って、覚者を敬拝して、この言葉を説いた。

 

130. 〔ゴータミーは言った〕「善き至達者たる方よ、わたしは、あなたの母です。勇者よ、かつまた、あなたは、わたしの父です。正なる法(教え)と安楽を与える方よ、〔世の〕主たる方よ、ゴータマよ、〔わたしは〕あなたによって生まれた者として〔世に〕存しています。

 

131. 善き至達者たる方よ、あなたの、形態ある身体(色身)は、これは、わたしによって等しく増大するところとなりました。わたしの、非難されることなき法(真理)の身体(法身)は、あなたによって等しく増大するところとなりました。

 

132. あなたは、寸時のあいだ、渇愛の沙門たる乳を、わたしによって飲まされました。わたしは、まさに、寂静にして究極なる法(真理)の乳を、あなたによって飲まされました。

 

133. 偉大なる牟尼よ、わたしの結縛の守護のもと、あなたは、借りなき者として〔世に有りました〕。子を欲する婦女たちは、乞うところとして、そのような息子を得ます。

 

134. すなわち、マンダータ等の人のインダたちの母として〔世に有るも〕、彼女は、〔迷いの〕生存の海に潜ったのです。子よ、わたしは、あなたによって生存の海洋を超え渡ったのです。

 

135. 婦女たちにとって、『王の母』『王妃』という名は、得るに易きものです。『覚者の母』という、その名は、これは、最高に得難きものです。

 

136. 偉大なる勇者よ、そして、わたしの、その誓願は、あなたによって得られました。あるいは、微細なるものも、あるいは、大いなるものも、その全てが、わたしによって満たされました。

 

137. 完全なる涅槃に到達することを、〔わたしは〕求めます。この死体(身体)は衰退するでしょう。勇者よ、苦しみの終極を為す方よ、〔世の〕導き手たる方よ、わたしを承認したまえ。

 

138. 輪と鉤と旗をちりばめた蓮の如き〔両の〕足を伸ばしたまえ。あなたへの拝礼を為しましょう──最上の子にたいし。

 

139. 山積みの黄金の似姿ある肉体を、明白なるものと為したまえ。〔世の〕導き手たる方よ、あなたの肉身を善く見られたものと為して〔そののち〕、〔わたしは〕寂静〔の境処〕に赴きます」〔と〕。

 

140. 三十二の特相を具し、美しい光を十分に作り為した体躯を、夕雲から〔漏れ差す〕瑞々しい〔光〕のように、勝者は、叔母(ゴータミー)に見示した。

 

141. 咲き誇るアーラヴィンダ〔の花〕に似た〔足の裏〕にたいし、若き太陽の光ある〔足の裏〕にたいし、〔特相の〕輪に装飾された足の裏にたいし、そののち、彼女は、頭をもって伏した。

 

142. 〔ゴータミーは言った〕「人の太陽たる方よ、太陽の家系の旗たる方を、〔わたしは〕拝します。わたしにとって、最後の死であるからには、わたしが、ふたたびあなたを見ることはないでしょう。

 

143. 世の至高者たる方よ、婦女たちは、まさに、一切の汚点の行相ある者たちとして、〔誰もが〕思い認めるところです。すなわち、そして、何か、わたしに、汚点が存するなら、慈悲〔の思い〕を作り為す方よ、許したまえ。

 

144. そして、婦女子たちのために、出家を、わたしは、繰り返し、あなたに乞い求めました。そこにおいて、もし、わたしに、汚点が存するなら、人の雄牛たる方よ、それを許したまえ。

 

145. 勇者よ、あなたの承認のもと、比丘尼たちは、わたしによって教えられました。そこで、もし、悪しき導きが存するなら、忍耐の君主たる方よ、それを許したまえ」〔と〕。

 

146. 〔世尊は言った〕「許されざるにおいても、まさに、許されるべきであるのに、徳の装飾ある生存において、どうして、〔許されないというのでしょう〕。涅槃に行きつつある、あなたに、さらなる何を、〔わたしが〕言示するというのでしょう。

 

147. 清浄にして、欠くことなき、わたしの比丘の僧団においては、この世から出離することを許しているのです──災厄に陥った者たちにとって、夜明けの時における〔ように〕──見て〔そののち〕、弦月が出脱するように」〔と〕。

 

148. そのとき、他の比丘尼たちは、月に従い行く星々がスメール(須弥山)を〔巡り行く〕ように、至高の勝者に、右回り〔の礼〕を為して、〔覚者の〕足もとに平伏して、〔そこに〕立ち、〔覚者の〕顔の方を等しく凝視している。

 

149. 〔ゴータミーは言った〕「あなたの見より前に、眼の満足なく、あなたの語より〔前に〕、耳〔の満足〕なく、わたしの心は、まさしく、全一にして一なるものとなり、それに至り得て〔そののち〕、法(真理)の味による満足があります。

 

150. 説くべき者を説き伏せる者として、衆において咆哮している、あなたの顔貌を、すなわち、それらの者たちが見るなら、人の雄牛たる方よ、彼らは、豊穣なる者たちとなります。

 

151. 長き指の、赤銅の爪の、長き踵の、浄美なる〔両の〕足を、すなわち、〔それらの者たちが〕拝するなら、徳の保持者たる方よ、彼らもまた、豊穣なる者たちとなります。

 

152. 甘美にして、欣喜なる、かつまた、憤怒を殲滅し、益ある、諸々の言葉を、すなわち、それらの者たちが聞くなら(※)、最上の人たる方よ、彼らもまた、豊穣なる者たちとなります。

 

※ テキストには suyyanti とあるが、PTS版により sussanti と読む。

 

153. 偉大なる勇者よ、豊穣なる者として、わたしは、あなたの〔両の〕足を供養することに専らとなり、吉祥なる〔あなた〕の善き言葉によって、輪廻の砂漠を超え渡ったのです」〔と〕。

 

154. そののち、彼女は、善き掟ある者は、比丘の僧団にもまた挨拶して、そして、ラーフラとアーナンダとナンダを敬拝して、この言葉を説いた。

 

155. 〔ゴータミーは言った〕「毒蛇の集まる所に等しく、病の居住所たる死体(身体)について厭離し、苦しみの群結にして、老と死の境涯たる〔死体〕について〔厭離し〕──

 

156. 種々なる汚垢に満ち溢れ、他者に依止し、〔老いて〕作動なき〔死体〕について〔厭離し〕、それによって、涅槃に到達することを、〔わたしは〕求めます。子供たちよ、許したまえ」〔と〕。

 

157. ナンダは、そして、幸いなるラーフラは、憂いを離れた煩悩なき者たちであり、安立し不動の止住ある強固なる者たちであり、法(真理)たることを弁別した。

 

158. 〔ナンダとラーフラが言った〕「厭わしきものとして存せ──形成されたものは、妄動あるものは、真髄なく芭蕉の如きものは、幻想にして陽炎と同等のものは、移り行くものは、確立されざるものは。

 

159. そこにおいて、まさに、この方が、勝者の叔母が、覚者の養育者が、ゴータミーが、財なきに至る(死に行く)。一切の形成されたものは、常住ならざるもの」〔と〕。

 

160. しかしながら、アーナンダは、そのとき、〔いまだ〕学びある者(有学)であり、憂いに苦悩する者として、勝者に愛慕ある者として、彼は、そこにおいて、諸々の涙をこぼしながら、悲しみのままに嘆き悲しんだ。

 

161. 〔アーナンダが言った〕「ああ、ゴータミーが、寂静〔の境処〕に行く。まちがいなく、覚者もまた、寂滅〔の境処〕に赴く──まさしく、長からずして、燃料なき火のように」〔と〕。

 

162. このように悲嘆している彼に、アーナンダに、ゴータミーは言った。「所聞の海洋の深遠なる者よ、覚者の奉仕に専らなる者よ──

 

163. 子よ、笑喜の時が現起したのに、憂い悲しむことは相応しからず。子よ、あなたによって、わたしの帰依所たる涅槃が、それが、近しく至り着いたのです。

 

164. 親愛なる者よ、あなたに要請された〔覚者〕は、わたしたちの出家を承認しました。子よ、意が離れる者と成ってはいけません。有する果として、あなたには、疲労があります。

 

165. すなわち、過去の者たちによって、異教の師匠たちによってもまた、見られたことなき、その境処が、〔生まれて〕七年の極めて年若き者たちによって感受されたのです。

 

166. 覚者の教えの番人よ、あなたと会うのは、最後です。子よ、そこにおいて、すなわち、赴いたなら、〔もはや〕見られないところに、わたしは赴きます。

 

167. 或る時のこと、世の至高の導き手たる方が、法(教え)を説示しつつ、くしゃみをしました。そのとき、わたしは言いました──慈しみ〔の思い〕ある者となり、願い求めの言葉を。

 

168. 〔すなわち〕『偉大なる勇者よ、長きにわたり生きたまえ。偉大なる牟尼よ、カッパ(:時間の単位・極めて長い時間)のあいだ止住したまえ。一切の世〔の人々〕の義(利益)のために、老と死なき者と成ってください』〔と〕。

 

169. 覚者は、彼は、そのように説く者に、〔まさに〕その、わたしに、この〔言葉〕を説きました。〔世尊は言いました〕『覚者たちは、まさに、このように敬拝されるべきではありません。ゴータミーよ、すなわち、〔あなたが〕敬拝するようには』〔と〕。

 

170. 〔わたしは尋ねました〕『一切を知る方よ、それでは、どのように、如来たちは、敬拝されるべきなのですか。どのように、覚者たちは、敬拝されるべきではないのですか。〔問いを〕尋ねられた者として、それを、わたしに告げ知らせてください』〔と〕。

 

171. 〔世尊は答えました〕『精進に励み、自己を精励し、常に断固たる勤勉〔努力〕ある、和合者たる弟子たちを見なさい。これは、覚者たちへの敬拝です』〔と〕。

 

172. そののち、〔比丘尼の〕在所に赴いて、独りある者となり、わたしは熟慮しました。『〔世の〕主たる方は、三つの生存の終極に至る方は、和合者の衆を止滅させました(涅槃に至らせた)。

 

173. さあ、わたしは、完全なる涅槃に到達するのだ。衰滅を見ることがあってはならない』〔と〕。わたしは、このように思い考えて、第七の聖賢たる方を見て──

 

174. わたしの完全なる涅槃に到達する時を、〔世の〕導き手たる方に告げました。そののち、彼は、正しく承認しました。『ゴータミーよ、〔その〕時と知りなさい』〔と〕。

 

175. わたしの、諸々の〔心の〕汚れは焼尽し……略……煩悩なき者となり、〔世に〕住みます。

 

176. わたしにとって、まさに、善き訪問として存しました……略……覚者の教えは為されました。

 

177. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為されました」〔と〕。

 

178. 〔世尊は言った〕「法(真理)の知悉(現観)において、〔心の〕沈滞に〔陥り〕、疑問に陥った、それらの愚者たちがいます。彼らの見解の捨棄を義(目的)として、ゴータミーよ、神通を見示しなさい」〔と〕。

 

179. そのとき、正覚者に平伏して、宙に飛び上がって、ゴータミーは、覚者の承認のもと、無数なる神通を見示した。

 

180. 一なる者であるも多種なる者として存し、そして、そのように、多種なる者であるも一なる者として〔存した〕。明現状態となり、超没状態となり、壁を超え、山を超え──

 

181. 〔何ら〕着することなく赴き、地にもまた潜った。破れることなき水のうえを、あたかも、大地のように赴いた。

 

182. 鳥のように、そのように、そのとき、虚空において、結跏で進み行った。梵〔天〕の住居地に至るまで、身体をもって自在に転起させた。

 

183. シネール(須弥山)を棒と為して、大いなる大地を傘と為して、根ごと遍く転起させて、保持しつつ、天空を歩行した。

 

184. 六つの太陽が昇る時のように、そして、世を煙と為した。時代の終極におけるように、彼女は、世を光炎の混乱と為した。

 

185. ムチャリンダ〔池〕を、大いなる巌を、ネールとムーラナとダンタラ〔の山々〕を、〔それらの〕全てを、芥子粒のように、一つの拳で掴み取った。

 

186. 夜の作り手(月)と共に、光の作り手(日)を、指の先端で覆い隠した。千の月と日を、頭飾のように保持した。

 

187. 四つの海洋の水を、一つの手のひらで保持した。時代の終極の雨雲の行相ある、大いなる雨を降らせた。

 

188. 衆と共に、転輪〔王〕を、彼女は、空域に造作した。吼え叫んでいる、金翅鳥を、象を、獅子を、見示した。

 

189. 一者〔の比丘尼〕が、数えようもない比丘尼たちの群れを化作して、ふたたび消没させて、一者〔の比丘尼〕が、牟尼に説いた。

 

190. 〔彼女が言った〕「偉大なる勇者よ、あなたの叔母は、あなたの教えの為し手として、自らの義(目的)を獲得した者です。眼ある方よ、〔あなたの両の〕足を敬拝します」〔と〕。

 

191. 様々な種類の神通を見示して、空域から降下して、世の灯火たる方を敬拝して、彼女は、一方に坐った。

 

192. 〔ゴータミーは言った〕「偉大なる牟尼よ、〔まさに〕その、わたしは、生まれて百二十年の者です。勇者よ、これでもう十分です。〔世の〕導き手たる方よ、〔わたしは〕涅槃に到達します」〔と〕。

 

193. そのとき、極めて驚愕した、その衆は、全てが合掌し、言った。〔彼らが尋ねた〕「尊貴なる方よ、どのように、〔あなたは〕存したのですか──無比なる神通のための勤勉〔努力〕ある者として(神通獲得の因縁を教えてほしい)」〔と〕。

 

194. 〔ゴータミーは答えた〕「パドゥムッタラという名の勝者が、一切の法(事象)に眼ある方が、〔世の〕導き手たる方が、これより、十万カッパ〔の過去〕において、〔世に〕生起しました。

 

195. ハンサヴァティーにおいて、そのとき、わたしは、〔王の〕家臣の家に生まれ、〔世に〕有りました──全ての資益を成就した〔家〕に、繁栄し、興隆する、大いなる財産ある〔家〕に。

 

196. 或る時のこと、父と共に、奴婢たちの群れに囲まれ、大いなる取り巻きとともに、彼のもとへと、人の雄牛たる方のもとへと、近しく至って──

 

197. ヴァーサヴァ(帝釈天)のように、法(教え)の雨雲を降らせている煩悩なき方を、秋の太陽と同等なる方を、光の網に等しく輝く方を──

 

198. 見て〔そののち〕、心を清信させて、そして、彼の見事に語られた〔言葉〕を聞いて、叔母の比丘尼を、至高〔の地位〕に据え置いている人の導き手たる方〔の言葉〕を──

 

199. 聞いて〔そののち〕、大いなる布施を施して、七日のあいだ、彼のために、如なる方のために、僧団を有する〔覚者〕のために、至高の人たる方のために、さらに、多くの日用品を〔施して〕──

 

200. 〔覚者の〕足元に平伏して、その地位を切望しました。そののち、大いなる衆のなかで、第七の聖賢たる方は言いました。

 

201. 〔パドゥムッタラ世尊は言いました〕『彼女は、教師を、世の導き手を、僧団を有する〔覚者〕を、受益させました。彼女を、わたしは賛じ称えましょう。〔それを〕語る、わたしの〔言葉を〕聞きなさい。

 

202. これより、十万カッパ〔の未来〕において、オッカーカの家系を発生とし、姓としては、ゴータマという名の教師が、世に有るでしょう。

 

203. 彼の、諸々の法(教え)における、相続者として、正嫡として、法(教え)によって化作された者として、名としては、ゴータミーという名の、教師の弟子として〔世に〕有るでしょう。

 

204. 彼の、覚者の、叔母として、生命の育成者となり、この者は、そして、経歴ある比丘尼たちのなかの至高者たる〔地位〕を得るでしょう』〔と〕。

 

205. その言葉を聞いて、歓喜して、そのとき、生あるかぎり、勝者を、諸々の日用品によって奉仕して、そののち、わたしは、命を終えたのでした。

 

206. 一切の欲望が等しく実現する三十三天に発現し、十の支分によって、わたしは、他の者たちを圧倒しました。

 

207. 諸々の形態と音声によって、諸々の香りによって、諸々の味によって、そして、諸々の感触によって、さらに、また、寿命によって、色艶によって、安楽によって、さらに、また、盛名によって──

 

208. まさしく、そのように、優位なることによって、わたしは、〔他の者たちを〕超えて遍照しました。そこにおいて、〔わたしは〕不死なるインダのお気に入りの王妃として〔世に〕有りました。

 

209. 輪廻のうちを輪廻しながら、わたしは、行為〔の報い〕の風に揺らぎただよい、カーシ〔国〕の王の境域にある奴隷の村に生まれました。

 

210. 欠くことなく五百の奴隷たちが、そのとき、そこにおいて居住しています。そこにおいて、すなわち、全ての者たちのなかの最尊者である、彼の妻として、わたしは〔世に〕有りました。

 

211. 五百の〔他に依らず〕自ら成る者たちが、村に、〔行乞の〕食のために入りました。彼らを見て、わたしは、満足した者となり、全ての婦女たちと共に──

 

212. 全ての者たちが集団と成って、四月のあいだ奉仕しました。諸々の三つの衣料を施して、〔わたしたちは〕輪廻しました──主人を共にする者たちとして。

 

213. そこから死滅した、〔まさに〕その、わたしたちは、全てもろともに、三十三〔天〕に赴いたのでした。そして、今や、最後の生存において、デーヴァダハの都に生まれたのでした。

 

214. わたしの父は、釈迦〔族〕のアンジャナであり、わたしの母は、スラッカナーであり、そこから、カピラヴァットゥにあるスッドーダナ〔王〕の家に赴いたのです。

 

215. 残りの者たちは、釈迦〔族〕の家系に生まれ、釈迦〔族〕の者たちの家にやってきました。わたしは、全ての者たちのなかの殊勝なる者として、勝者の育成者と成りました。

 

216. わたしの子は、〔家から〕出て、覚者として、〔世の〕導き手として、〔世に〕存しました。のちに、わたしは、出家して、五百の者たちと共に──

 

217. 釈迦〔族〕の慧者たちと共に、寂静と安楽を体得しました。そのとき、過去の生において、わたしたちの主人として存した、それらの者たちは──

 

218. 共なる功徳の作り手たちとして、大いなる教義の為し手たちとして、彼らは、善き至達者たる方によって慈しまれ、阿羅漢の資質を体得しました」〔と〕。

 

219. そのとき、他の比丘尼たちは、空域に登った。星々のように集いあつまり、大いなる神通ある者たちは遍照した。

 

220. 〔彼女たちは〕無数なる神通を見示した──あたかも、装飾品の品々を〔見示する〕ように──善き手練の鍛冶屋が、仕事に適する黄金の〔品々を加工し見示する〕ように。

 

221. そして、多くの種々様々な神変を見示して、そのとき、最も優れた説者たる方を、衆を有する牟尼を、満足させて──

 

222. 空から降りて、第七の聖賢たる方を敬拝して、至高の人たる方に承認された〔彼女たち〕は、その場に坐った。

 

223. 〔彼女たちは言った〕「慈しみ〔の思い〕ある方よ、ゴータミーよ、ああ、わたしたちの全てにとって、長きことかな。あなたの諸々の功徳によって残香させられ、わたしたちは、煩悩の滅尽に至り得たのでした。

 

224. わたしたちの、諸々の〔心の〕汚れは焼尽し、一切の〔迷いの〕生存は完破されました。象のように結縛を断ち切って、煩悩なき者たちとなり、〔世に〕住みます。

 

225. わたしたちにとって、まさに、善き訪問として存しました──わたしたちにとって、覚者の現前にあることは。三つの明知は獲得され、覚者の教えは為されました。

 

226. 四つの融通無礙は〔実証され〕、そして、また、これらの八つの解脱も〔実証されました〕。六つの神知は実証され、覚者の教えは為されました。

 

227. そして、〔わたしたちは〕諸々の神通における自在者たちとして〔世に〕有ります。天耳の界域における〔自在者たちとしてもまた〕。偉大なる牟尼よ、〔わたしたちは〕心を探知する知恵の自在者たちとして〔世に〕有ります。

 

228. 〔わたしたちは〕過去の居住(前世)を知ります。天眼は清められました。一切の煩悩は完全に滅尽し、今や、さらなる生存は存在しません。

 

229. 法(性質)において、義(意味)において、言語において、そして、応答において、〔融通無礙の智慧が〕見出されます。偉大なる勇者よ、わたしたちには、知恵があります──あなたの現前において生起した〔知恵〕が。

 

230. 〔世の〕導き手たる方よ、〔あなたは〕存しています──これらの慈愛の心ある者たちに世話された者として。偉大なる牟尼よ、全ての者たちの涅槃を承認してください」〔と〕。

 

231. 〔世尊は言った〕「『〔わたしたちは〕涅槃に到達します』〔と〕、かくのごとく、このように説いている者たちに、何を説くというのでしょう。そして、今や、そのための時と、あなたたちが思うのなら」〔と〕、かくのごとく、勝者は説いた。

 

232. そのとき、ゴータミーを最初とする、それらの比丘尼たちは、勝者を敬拝して、その坐から立ち上がって、彼女たちは去り行った。

 

233. 大勢の人の衆と共に、世の至高の導き手たる方は、門小屋に至るまで、彼は、勇者は、叔母に付き従った。

 

234. そのとき、ゴータミーは、世の眷属たる方の〔両の〕足もとに平伏した──まさしく、それらの全ての者たちと共に。〔ゴータミーは言った〕「足を敬拝するのは、最後です。

 

235. これは、わたしにとって、世の主たる方を見る最後のものとなります。不死の行相ある、あなたの顔を、ふたたび見ることはありません。

 

236. 勇者よ、そして、あなたの美しき蓮の足に、わたしの敬拝が触れることはありません。世の至高者たる方よ、今日、〔わたしは〕寂滅〔の境処〕に赴きます」〔と〕。

 

237. 〔世尊は言った〕「この形態が、あなたにとって、何になるというのでしょう──真実のとおりの、所見の法(現法:現世)において。これは、全てが、まさしく、形成されたものであり、安堵あるものではなく、移り行くものです」〔と〕。

 

238. 彼女は、彼女たちと共に、自らの比丘尼の在所に赴いて、半分の結跏を組んで、最高の坐に坐った。

 

239. そのとき、覚者の教えに愛慕ある者たちである、女性在俗信者たちは、そこにおいて、彼女の消息を聞いて、〔彼女のもとへと〕近しく至った。足を敬拝する者たちは──

 

240. 〔両の〕手で胸を打ちながら、あたかも、根を切断された蔓のように、憂いに苦悩し、地に倒れ落ち、泣き叫びながら、悲しみに絶叫した。

 

241. 〔彼女たちが言った〕「帰依所を与える方よ、主たる方よ、わたしたちを捨棄して、寂滅〔の境処〕に赴いてはいけません。わたしたちの全ては、頭をもって平伏して、乞い求めます」〔と〕。

 

242. すなわち、彼女たちのなかの信と智慧ある女性在俗信者も、〔その〕精励は闇となる。〔ゴータミーは〕彼女の頭を擦りながら、この言葉を説いた。

 

243. 〔ゴータミーは言った〕「子よ、悪魔の罠に従い行く憔悴は、〔もう〕十分です。一切は、常住ならざるものであり、形成されたものであり、別離を終極とするものであり、種々なる動揺あるものです」〔と〕。

 

244. そののち、彼女は、彼女たちを捨て放って、第一の最上の瞑想(初禅)に、そして、第二〔の瞑想〕(第二禅)に、そして、第三〔の瞑想〕(第三禅)に、第四〔の瞑想〕(第四禅)に、〔順々に〕入定した。

 

245. まさしく、そして、虚空〔無辺〕なる〔認識の〕場所(空無辺処)に、そのように、識知〔無辺〕なる〔認識の〕場所(識無辺処)に、無所有〔なる認識の場所〕(無所有処)に、そして、表象あるにもあらず〔表象なきにもあらざる認識の場所〕(非想非非想処)に、順々に入定した。

 

246. ゴータミーは、諸々の瞑想に、逆〔の順〕に入定し、第一の瞑想に至るまで、〔逆の順に入定した〕。そののち、〔ふたたび〕第四〔の瞑想〕に至るまで、〔順々に入定した〕。

 

247. そののち、〔瞑想から〕出起して、煩悩なき者は、灯明の炎のように、涅槃に到達した。大いなる地震が存し、天空から雷光が落ちた。

 

248. 諸々の雷鼓が咆哮し、天神たちは嘆き悲しんだ。そして、空から花の雨が地に降った。

 

249. メールの王(須弥山)もまた、舞台の中央で〔踊る〕舞踏家のように、揺れ動き、そして、海洋は、憂いによって極めて悲惨なる者のように、鳴動が存した。

 

250. 天〔の神々〕たちは、龍や阿修羅たちは、梵〔天〕たちは、畏怖し、その瞬間に言った。「諸々の形成〔作用〕(諸行:形成されたもの・現象世界)は、まさに、常住ならざるものである。すなわち、溶解に至った、この方のように。

 

251. そして、すなわち、この方を取り囲んでいた、教師の教えの為し手たちも、それらの執取なき者たちもまた、灯明の炎のように、涅槃に到達した者たちとなる。

 

252. ああ、結合は、別離を終極とするものである。ああ、一切の形成されたものは、常住ならざるものである。ああ、生命は、消失を終極とするものである」〔と〕。かくのごとく、嘆き悲しみが存した。

 

253. そののち、そして、天〔の神々〕たちは、さらに、梵〔天〕たちは、世の法(性質)に随転し時に適切なることを為す──第七の聖賢たる方のもとへと近しく至って。

 

254. そのとき、教師は、アーナンダに、所聞の海洋たる者に、語りかけた。〔世尊は言った〕「アーナンダよ、赴きなさい。比丘たちに知らせなさい──母の寂滅を」〔と〕。

 

255. そのとき、アーナンダは、涙に満ちた眼の喜びなき者は、がらがらの声で言った。〔アーナンダが言った〕「比丘たちよ、集いあつまりたまえ。

 

256. 東と南と西において、さらに、北において、現前において、比丘たちよ、善き至達者たる方の正嫡たちよ、わたしの語ることを聞きたまえ。

 

257. すなわち、専念〔努力〕によって、牟尼の最後の肉体を成長させた、彼女が、ゴータミーが、寂静〔の境処〕に赴いたのです──日の出のときの星のように。

 

258. 『覚者の母』という通称を据え置いて、平静〔の境処〕に赴いたのです。五つの眼ある方は、たとえ、そこにおいて、〔存在せ〕ずとも、〔世の〕導き手たる方は、〔彼女の〕赴く所()を見ます。

 

259. その者に、善き至達者たる方にたいする信が存するなら、かつまた、その者が、偉大なる牟尼にとって愛しき者であるなら、善き至達者たる方の正嫡として、覚者の母のために、尊敬〔の思い〕を為したまえ」〔と〕。

 

260. たとえ、極めて遠き国土の者たちなるも、比丘たちは、その〔言葉〕を聞いて、即座にやってきた──或る者たちは、覚者の威力によって、或る者たちは、諸々の神通における熟知者たちとして。

 

261. 全てが黄金で作られている浄美にして喜ばしき優れた楼閣のなか、そこにおいて、眠りについたゴータミーが存していた、〔その〕臥床に、〔天の神々たちは、彼女を〕等しく載せた。

 

262. 世の警護者たちである、それらの四者〔の神々たち〕(四天王)は、〔その臥床を、それぞれの〕肩で等しく保持した。残りの者たちである、帝釈〔天〕等の天〔の神々〕たちは、楼閣のなかで等しく迎え取った。

 

263. 全てもろともに、五百の楼閣が存した──まさに、ヴィッサカンマ(工芸神)によって作られた、秋の太陽の色艶ある〔五百の楼閣〕が。

 

264. それらの〔五百の〕比丘尼たちは、全てもろともに、臥床に臥した者たちとして存した。〔彼女たちも〕天〔の神々〕たちの肩に載せられ、順次に運ばれ行く。

 

265. 全てにわたり、天蓋に覆われた空域が存した──被膜され、黄金で作られている、そして、星々を含む、月と日が。

 

266. 無数の幟が掲揚され、諸々の花の外覆いが広げられ、虚空から諸々の蓮華が落ち行き、大地には伸び上がった花が〔存した〕。

 

267. 月と日が見られ、そして、星々が光り輝き、そして、正午に至るもまた、太陽は、あたかも、月であるかのように、熱を放たなかった。

 

268. 天〔の神々〕たちは、諸々の天の香りによって、そして、諸々の芳香ある花飾によって、そして、諸々の音楽によって、諸々の舞踏によって、そして、諸々の合唱によって、供養した。

 

269. そして、龍と阿修羅たちは、梵〔天〕たちは、能のままに、力のままに、そして、運ばれ行く涅槃に到達した覚者の母を供養した。

 

270. 涅槃に到達した善き至達者たる方の正嫡たちは、全ての者たちが、前に運び行かれ、覚者の育成者として尊敬されるゴータミーは、後に運び行かれる。

 

271. 龍と阿修羅と梵〔天〕を含む天〔の神々〕と人間たちは前に、弟子を有する覚者は後に、母の供養を義(目的)として行く。

 

272. 覚者の完全なる涅槃は、このようなものとして存することはなかった。すなわち、ゴータミーの完全なる涅槃が、あまりに極めて稀有なるものとして有ったようには。

 

273. 覚者の涅槃においては、覚者は〔存さず〕、ウパティヤ(サーリプッタ)等の比丘たちは〔存さ〕ず、ゴータミーの涅槃においては、覚者が〔存し〕、そのように、サーリプッタ等の者たちが〔存したからである〕。

 

274. 彼らは、全てが香料(香木)で作られている諸々の荼毘の薪山を作り為して、香料の細片を撒き散らし、そして、そこにおいて、彼女たちは燃やされた。

 

275. 諸々の骨を残し、残りの部分は、全てにわたり焼き尽くされた。そして、そのとき、アーナンダは、〔人々に〕畏怖〔の思い〕を生じさせる言葉を言った。

 

276. 〔アーナンダが言った〕「ゴータミーは、財なきに至り、そして、彼女の肉体は、焼かれています。〔わたしは〕危惧します。〔まさに〕その、覚者の涅槃が、長からずして有るでしょう」〔と〕。

 

277. そののち、彼女の鉢に盛られた、諸々のゴータミーの遺物を、彼は、覚者に促されたアーナンダは、〔世の〕導き手たる方に差し出した。

 

278. それらを手で収め取って、第七の聖賢たる方は言った。〔世尊は言った〕「たとえば、大いなる真髄ある木が立っているとして──

 

279. すなわち、その幹が、より大いなるものとしてあるも、常住ならざるがゆえに、〔いずれは〕崩壊するであろうように、そのように、比丘尼の僧団のゴータミーは、完全なる涅槃に到達したのです。

 

280. ああ、稀有なるかな。さてまた、涅槃に到達した、わたしの母にたいし、骨のみを残す〔母〕にたいし、憂いと嘆きが存在しないとは。

 

281. 彼女は、他者たちにとって、憂い悲しむべき者にあらず。輪廻の海洋を超え渡った者であり、熱苦を遍く避けた者であり、清涼と成った者であり、善く涅槃に到達した者であり──

 

282. 〔彼女は〕賢者として、大いなる智慧ある者として、さらに、まさしく、そのように、多々なる智慧ある者として〔世に〕存しました。彼女は、比丘尼たちのなかの〔至高の〕経歴ある者です。比丘たちよ、このように認めなさい。

 

283. そして、〔彼女は〕諸々の神通における自在者として〔世に〕存しました。天耳の界域における〔自在者としてもまた〕。かつまた、ゴータミーは、心を探知する知恵の自在者として〔世に〕存しました。

 

284. 〔彼女は〕過去の居住(前世)を了知しました。天眼は清められました。一切の煩悩は完全に滅尽し、彼女に、さらなる生存は存在しません。

 

285. 義(意味)と法(性質)と言語において、さらに、まさしく、そのように、応答において、完全なる清浄の知恵が有りました。それゆえに、彼女は、憂い悲しむべき者ではありません。

 

286. まさしく、鉄の棒で打たれた燃え盛る火が、順次に静まったなら、すなわち、〔その〕赴く所が知られないように──

 

287. このように、正しく解脱した者たちの、欲望の結縛と激流を超え渡る者たちの、不動の安楽に至り得た者たちの──〔彼らの〕赴く所は、〔他に〕知らしめようにも、〔もはや〕存在しないのです。

 

288. それゆえに、自己を灯明とする者たちと成りなさい。気づきの確立(念住・念処)を境涯とする者たちと〔成りなさい〕。七つの覚りの支分(七覚支)を修めて、〔あなたたちは〕苦しみの終極を為すでしょう」〔と〕。

 

 かくのごとく、まさに、マハー・パジャーパティー・ゴータミーは、これらの詩偈を語った。ということで──

 

 マハー・パジャーパティー・ゴータミー長老尼の行状が、第七となる。

 

2. 8. ケーマー長老尼の行状

 

289. パドゥムッタラという名の勝者が、一切の法(事象)に眼ある方が、〔世の〕導き手たる方が、これより、十万カッパ〔の過去〕において、〔世に〕生起した。

 

290. ハンサヴァティーにおいて、そのとき、わたしは、長者の家に生まれ、〔世に〕有った──種々なる宝玉の光ある〔家〕に、大いなる安楽を供与された者として。

 

291. 彼のもとへと、偉大なる勇者のもとへと、近しく至って、法(教え)の説示を聞いた。そののち、清信が生じたわたしは、帰依所として、勝者のもとへと近しく至った。

 

292. わたしは、母に、さらに、父に、導き手たる者に乞い求めて、弟子を有する〔覚者〕を招いて、七日のあいだ受益させた。

 

293. そして、七日が過ぎたとき、大いなる智慧ある者たちのなかの最上の比丘尼を、人の馭者たる方は、このことにおける至高〔の地位〕に据え置いた。

 

294. その〔言葉〕を聞いて、歓喜した者と成って、ふたたび、彼のために、偉大なる聖賢のために、為すことを為して、その地位を、平伏して誓願した。

 

295. そののち、彼は、勝者は、わたしに(※)言った。〔パドゥムッタラ世尊は言った〕「あなたの誓願は実現せよ。僧団を有するわたしのために為すこととして、あなたによって為されたことは、量るべくもなき果となります。

 

※ テキストには mama とあるが、PTS版により maṃ sa と読む。

 

296. これより、十万カッパ〔の未来〕において、オッカーカの家系を発生とし、姓としては、ゴータマという名の教師が、世に有るでしょう。

 

297. 彼の、諸々の法(教え)における、相続者として、正嫡として、法(教え)によって化作された者として、このことにおける至高〔の地位〕を獲得した者として、ケーマーという名の者として、〔世に〕有るでしょう」〔と〕。

 

298. その善行の行為によって、さらに、諸々の思欲による誓願によって、人間の肉身を捨棄して〔そののち〕、わたしは、三十三〔天〕へと近しく赴く者となる。

 

299. そこから死滅し、夜魔〔天〕に赴いた。そののち、わたしは、兜率〔天〕に赴き、そして、そののち、化楽〔天〕に〔赴き〕、そののち、自在〔天〕の都に〔赴いた〕。

 

300. そこかしこにおいて、〔わたしが〕再生するなら、その行為に由縁して、まさしく、そこかしこにおいて、王たちの王妃として権を為した。

 

301. そこから死滅し、人間たる〔境遇〕において、転輪王たちの、さらに、地方の王たちの、王妃として権を為した。

 

302. 天〔の神々〕たちにおいて、そして、人間たちにおいて、〔天と人の二つの〕得達を受領して、一切所において、安楽ある者と成って、幾多のカッパにおいて輪廻した。

 

303. これより、九十一カッパ〔の過去〕において、ヴィパッシンという名の、〔世の〕導き手たる方が、典雅なる見た目ある方が、一切の法(事象)の〔あるがままの〕観察者たる方が、〔世に〕生起した。

 

304. わたしは、彼のもとへと、世の導き手たる方のもとへと、人の馭者たる方のもとへと、近しく至って、話された法(教え)を聞いて、〔家から〕家なきへと出家した。

 

305. 一万年のあいだ、彼の、勇者の、教えにおいて、梵行を歩んで、〔心の〕制止に専念する者として、多聞の者として──

 

306. 縁の行相に巧みな智ある者として、四つの真理の熟達者として、様々な言説ある精緻なる者として、教師の教えの為し手として、〔世に有った〕。

 

307. そこから死滅し、わたしは、兜率〔天〕に再生したのだった──福徳ある者として。そこにおいて、わたしは、梵行の果によって、他の者たちを圧倒する。

 

308. そこかしこにおいて、わたしが再生したなら、大いなる財物ある者として、大いなる財産ある者として、思慮ある者として、戒ある者として、さらに、また、教導された衆ある者として──

 

309. 〔世に〕有る──その行為〔の果〕によって、勝者の教えにおける専念〔努力〕によって。わたしには、得るに易く、意に愛しき、一切の得達がある。

 

310. また、そこかしこにおいて、〔わたしが〕赴いたなら、わたしの夫と成る、その者もまた、誰であれ、わたしを軽侮しない──わたしの実践の力によって。

 

311. この幸いなるカッパにおいて、梵の眷属にして偉大なる福徳ある方が、名としては、コーナーガマナ〔という名〕の、説者たちのなかの優れた方が、〔世に〕生起した。

 

312. バーラーナシーにおいて、まさに、そのとき、〔わたしたちは〕極めて富み栄える家の子女たちとして〔世に有った〕──ダナンジャニーと、かつまた、スメーダーと、さらに、また、わたしの、三者の人たちは。

 

313. 布施の道友たちとして、かつて、〔わたしたちは〕僧団の林園を施した。そして、僧団のためにと指定して、精舎をもまた〔施した〕──〔教えの〕為し手たちとして、わたしたちは。

 

314. そこから死滅し、わたしたちは、全ての者たちが、三十三〔天〕へと近しく赴く者たちと成った──福徳によって、至高性に至り得た者たちとして、さらに、まさしく、そのように、人間たちにおいて。

 

315. まさしく、このカッパにおいて、梵の眷属にして偉大なる福徳ある方が、姓としては、カッサパという名の、説者たちのなかの優れた方が、〔世に〕生起した。

 

316. そのとき、偉大なる聖賢には、奉仕者として、人のイッサラ(国王)が存した──最上の都のバーラーナシーにおいて、カーシ王のキキンという名の者が。

 

317. 〔わたしは〕彼の長女として〔世に〕存した──サマニーという〔名で世に〕聞こえた者として。至高の勝者の法(教え)を聞いて、出家〔の道〕を正しく選んだ。

 

318. わたしたちの父は、〔出家を〕承認しなかった。そのとき、わたしたちは、まさしく、家において、二万年のあいだ、休むことなく、〔梵行を〕行じ歩んだ。

 

319. 処女の梵行を、安楽のうちに生長した王女たちとして──覚者の奉仕を喜び、歓喜した者たちとなり、七者の娘たちとして──〔わたしたちは行じ歩んだ〕。

 

320. 〔すなわち、長女の〕サマニー、そして、サマナグッター、ビックニー、ビックダーイカー、まさしく、そして、ダンマー、さらに、スダンマー、第七の者として、サンガダーイカーは──

 

321. 〔今世の〕わたしであり、そして、ウッパラヴァンナーであり、さらに、パターチャーラーであり、クンダラーであり、キサー・ゴータミーであり、ダンマディンナーであり、ヴィサーカーが、第七の者と成る。

 

322. 或る時のこと、彼は、人の太陽たる方は、未曾有の法(教え)を説示した。〔わたしは〕マハー・ニダーナ経典を聞いて、それを遍く学得した。

 

323. それらの善行の行為によって、さらに、諸々の思欲による誓願によって、人間の肉身を捨棄して〔そののち〕、わたしは、三十三〔天〕に赴いた。

 

324. そして、今や、最後の生存において、最上の都のサーカラーにおいて、〔わたしは〕マッダ王の娘として〔世に〕存している──意に適う、お気に入りの、愛しき者として。

 

325. わたしが生まれるやいなや、〔それと〕共に、平安(ケーマ)が、その都において有った。そののち、わたしには、〔その〕徳ゆえに、ケーマーという名が生まれた(※)。

 

※ テキストには upapajjatha とあるが、PTS版により udapajjatha と読む。

 

326. すなわち、若さ〔の盛り〕に至り得たわたしが、形姿ある者となり、飾り立てられたとき(※)、そのとき、父は、わたしを、ビンビサーラ王に与えた。

 

※ テキストには rūpalāvaññabhūsitā とあるが、PTS版により rūpavant' āvibhūsitā と読む。

 

327. わたしは、彼の極めて愛しき者として存した。形態への愛玩を(※)喜ぶ〔わたし〕は、〔覚者のことを〕「諸々の形態の汚点を説く者である」と〔思い考えて〕、偉大なる憐憫者たる方のもとへと近しく至らなかった。

 

※ テキストには rūpake lāyane とあるが、PTS版により rūpakeḷāyane と読む。

 

328. そのとき、ビンビサーラ王は、わたしへの資助と覚慧によって、竹林〔精舎〕を褒め称えて、歌い手たちを、わたしのもとに赴かせた。

 

329. 〔彼らが言った〕「その者が、喜ばしき竹林〔精舎〕を、善き至達者たる方の居る所を、見たことがないなら、その者は、〔天の〕ナンダナ〔林〕を見たことがないのです。かくのごとく、わたしたちは思います。

 

330. その者が、人の喜びの喜びたる竹林〔精舎〕を見たなら、その者は、不死なるインダの善き喜びたる〔天の〕ナンダナ〔林〕を見たのです。

 

331. 天〔の神々〕たちは、〔天の〕ナンダナ〔林〕を捨棄して、地面に降下して、喜ばしき竹林〔精舎〕を見て(※)、極めて驚愕し、満足します。

 

※ テキストには disvā, na とあるが、PTS版により disvāna と読む。

 

332. 王の功徳によって発現し、覚者の功徳によって飾られた〔林〕です。その林の徳の積量を残りなく説く者として、誰がいるというのでしょう」〔と〕。

 

333. わたしの耳と意を奪い去る、その富み栄える林のことを聞いて、そのとき、その庭園を見ることを欲し、王に告げた。

 

334. そして、そのとき、彼は、大地の長は、大いなる取り巻きとともに、わたしを、その庭園に送り出した──〔庭園を〕見ることに切なる思いある者を。

 

335. 〔王が言った〕「大いなる財物ある者よ、赴きなさい、見なさい──眼の霊薬たる林を。すなわち、常に吉祥によって輝く、善き至達者たる方の光輝に染められた〔庭園〕を」〔と〕。

 

336. そして、すなわち、牟尼が、〔行乞の〕食のために、最上の都のギリッバジャに入ったとき、まさしく、そのとき、わたしは、〔庭園を〕見るために、林へと近しく赴いた。

 

337. そのとき、〔まさに〕その、咲き誇る森を──種々なる蜜蜂が羽音を立て、郭公たちのさえずりを伴い、孔雀たちの群れが踊る〔森〕を──

 

338. 音声少なく〔人々は〕うろつかず、種々なる〔瞑想のための〕歩行場に飾られ、小屋や天幕が散在し、離貪した優れた〔心の〕制止者がいる〔森〕を──

 

339. 渡り歩きながら、〔わたしは〕思った。「わたしには、果を有する眼がある」〔と〕。そこにおいて、また、〔修行に〕専念する若き比丘を見て、〔わたしは〕熟慮した。

 

340. 「このような喜ばしき森において、この者は、新鮮なる若さ〔の盛り〕に止住し、かつまた、春のように愛らしい形姿を供え合わせていながら──

 

341. 木の根元に坐り、剃髪し大衣を着し、まさに、この比丘は、〔世俗の〕境域から生じる喜びを捨棄して、〔独り〕瞑想する。

 

342. いったい、まさに、〔わたしは〕在家として、安楽なるままに欲望〔の対象〕を受益して、そのあとに、〔わたしが〕老いたなら、極めて幸いなるこの法(教え)を歩むべきではないのか」〔と〕。

 

343. 「〔人影なく〕空である」〔と〕、かくのごとく見出して、勝者の居る所である香殿へと近しく至って、わたしは、勝者を見た──昇る太陽のような方を。

 

344. 独りある者となり、安楽に坐し、美女とともにあり、〔自らを〕扇いでいる〔覚者〕を見て、このように熟慮した。「この者は、人の雄牛は、粗野なる者ではないのか」〔と〕。

 

345. その少女は、黄金色の光輝があり、蓮華の口と眼があり、ビンバ〔の果の朱色〕の唇があり、クンダ〔の花〕の見があり、意と眼の霊薬たる者であり──

 

346. 金の揺れる光が流れ行き、鉢形の美しい乳房があり、まさしく、欄干の胴があり、美しい尻があり、ランバー(バナナ)の腿があり、典雅なる飾り立ての者であり──

 

347. 赤い肩掛けを羽織り、青く艶やかな着衣の者であり、満たすベからざる形姿によって、笑みの状態を供え合わせている。

 

348. 彼女を見て、このように思い考えた。「ああ、この者は、形姿麗しき者である。わたしによって、この眼によって、いついかなる時であれ、過去に見られたことなき者である」〔と〕。

 

349. そののち、彼女は、老に征服され、色艶は衰え、口は不潔になり、歯は抜け、頭は白くなり、唾を有し、説くことは不明となる。

 

350. 耳は退縮し、眼は白くなり、不浄なる汁の流れが垂れ、全ての肢体は皺が広がり、肉体は〔浮き出た〕血管が広がっている。

 

351. 肢体は傾き、杖を伴侶とし、肋骨は突き出て、痩せ細り、よろめきながら倒れ落ち、ムフンムフンとむせんでいる。

 

352. そののち、わたしに、未曾有にして身の毛のよだつ、畏怖〔の思い〕が存した。〔わたしは思い考えた〕「厭わしきものとして存せ──そこにおいて、愚者たちが喜び楽しむ、不浄なる形態は」〔と〕。

 

353. そのとき、偉大なる慈悲者たる方は、等しく畏怖の意図ある者を見て、勇躍する心の者となり、善き至達者たる方は、これらの詩偈を語った。

 

354. 〔世尊は言った〕「ケーマーよ、病んで腐った不浄なる積身を見よ。〔不浄物が常に〕滲み出ているものと、〔不浄物が常に〕流れ出ているものと、愚者たちが愉悦する〔この身体〕を〔見よ〕。

 

355. 不浄〔の表象〕(不浄想:身体を不浄と見る観察)によって、一境に善く定められた心を修めよ。あなたに、身体の在り方についての気づき(身至念:時々刻々の身体の状態についての気づき)が〔常に〕存せ。〔迷いの世について〕厭離〔の思い〕多き者と成れ。

 

356. 『すなわち、この〔身体〕のように、そのように、この〔死体〕は〔かつて存していた〕。すなわち、この〔死体〕のように、そのように、この〔身体〕は〔いずれ存するであろう〕』〔と〕、かつまた、内に、かつまた、外に、身体についての欲〔の思い〕を離貪させよ。

 

357. さらに、無相〔の表象〕を修めよ。思量の悪習(慢随眠)を廃棄せよ。そののち、思量の寂止あることから、〔あなたは〕寂静なる者となり、〔世を〕歩むであろう。

 

358. 彼ら、貪欲〔の思い〕に染まった者たちは、〔渇愛の〕流れに従い行く──蜘蛛が、自ら作った網に〔からまる〕ように。これをもまた断ち切って、〔慧者たちは〕遍歴遊行する──期待なき者たちとなり、欲望の安楽を捨棄して」〔と〕。

 

359. そののち、人の馭者たる方は、わたしを、健全なる心の者と知って、わたしを教導するために、マハー・ニダーナ経典を説示した。

 

360. その最勝の経典を聞いて、過去の表象を随念した。まさしく、その場に立ち、〔そのように〕存しつつ、わたしは、法(真理)の眼を清めた。

 

361. まさしく、ただちに、偉大なる聖賢の足元に平伏して、過誤の懺悔を義(目的)として、この言葉を説いた。

 

362. 〔わたしは言った〕「一切を見る方よ、あなたに、礼拝〔有れ〕。慈悲の鉱脈たる方よ、あなたに、礼拝〔有れ〕。輪廻を超え渡った方よ、あなたに、礼拝〔有れ〕。不死を与える方よ、あなたに、礼拝〔有れ〕。

 

363. 見解の茂みに跳入し、欲望〔の対象〕にたいする貪り〔の思い〕に迷わされた〔わたし〕は、正しい手段によって、あなたに教導されました──〔あなたの〕教導を喜ぶ者となり。

 

364. 如なる方たちと、偉大なる聖賢たちと、〔彼らと〕会見なくあることで、〔人々は〕受益を離れる者たちとなり、大いなる苦しみを受領します──輪廻の海洋において、有情たちは。

 

365. そのとき、わたしは、世の帰依所たる方を、相克なき方を、相克の終極に至る方を、見ませんでした──遠からざるところに立つ〔あなた〕を。その過誤を懺悔します。

 

366. 偉大なる益ある方を、優れたものを与える方を、『益なき者である』と疑い、近しく至りませんでした──形態を喜ぶ〔わたし〕は。その過誤を懺悔します」〔と〕。

 

367. そのとき、甘美なる話し声の方は、偉大なる慈悲者たる勝者は、不死〔の甘露〕を、わたしに注ぎながら、「ケーマーよ、立ちなさい」と言った。

 

368. そのとき、頭を傾けて、そして、彼に、右回り〔の礼〕を為して、〔王宮に〕赴いて、人の君主(ビンブサーラ王)を見て、この言葉を説いた。

 

369. 〔わたしは言った〕「ああ、敵を調御する者(王)よ、あなたの、この手段は、正しく思い考えられました。林を見ることを欲する〔わたし〕によって、牟尼は、涅槃〔の観点〕から見られました。

 

370. 王よ、すなわち、あなたにとって好ましくあるなら、如なる方の、彼の、教えにおいて、わたしは出家します──牟尼の言によって、形態について厭離した〔わたし〕は」〔と〕。

 

 〔以上が〕第二の朗読分となる。

 

371. 合掌を差し出して、そのとき、彼は、大地の長は、言った。「幸いなる者よ、あなたを承認する。あなたの出家は実現せよ」〔と〕。

 

372. そのとき、そして、わたしは、出家して、半月が現起したとき、そして、灯明の生成を〔見て〕、さらに、〔その〕破壊を見て、畏怖の意図ある者となり──

 

373. 一切の形成〔作用〕(諸行:形成されたもの・現象世界)について厭離した者となり、縁の行相における熟知者となり、四つの激流を超え行って、阿羅漢の資質に至り得た。

 

374. そして、〔わたしは〕諸々の神通における自在者として〔世に〕存した。天耳の界域における〔自在者としてもまた〕。そして、また、わたしは、心を探知する知恵の自在者として〔世に〕有る。

 

375. 〔わたしは〕過去の居住(前世)を知る。天眼は清められた。一切の煩悩は完全に滅尽し、今や、さらなる生存は存在しない。

 

376. 義(意味)と法(性質)と言語において、さらに、まさしく、そのように、応答において、わたしには、完全なる清浄の知恵がある──覚者の教えにおいて生起した〔知恵〕が。

 

377. わたしは、諸々の清浄〔の道〕に巧みな智ある者として、諸々の議論の事例(論事)における熟達者として、そして、高次の法理(阿毘達磨・対法・勝法)の方法を知る者として、教えにおける自在に至り得た者として、〔世に〕存している。

 

378. そののち、トーラナヴァットゥにおいて、コーサラ〔国〕の主たる王によって、諸々の精緻なる問いを尋ねられ、真実なるままに説き明かしていると──

 

379. そのとき、その王は、善き至達者たる方のもとへと近づいて行って、〔同じ問いを〕尋ねた。すなわち、わたしによって、それらが説き明かされたとおり、まさしく、そのとおりに、覚者は説き明かした。

 

380. 勝者は、その徳に満足し、わたしを、このことにおける至高〔の地位〕に据え置いた──「大いなる智慧ある比丘尼たちのなかの至高の者である」と、最上の人たる方は。

 

381. わたしの、諸々の〔心の〕汚れは焼尽し……略……煩悩なき者となり、〔世に〕住む。

 

382. わたしにとって、まさに、善き訪問として存した……略……覚者の教えは為された。

 

383. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。

 

 かくのごとく、まさに、ケーマー比丘尼は、これらの詩偈を語った。ということで──

 

 ケーマー長老尼の行状が、第八となる。

 

2. 9. ウッパラヴァンナー長老尼の行状

 

384. ウッパラヴァンナー比丘尼は、神通における完全態に至った者は、教師の〔両の〕足を敬拝して、この言葉を説いた。

 

385. 〔ウッパラヴァンナーは言った〕「生の輪廻を超え出た者として、不動の境処に至り得た者として、わたしは〔世に有ります〕。わたしによって、一切の苦しみは滅尽するところとなりました。偉大なる牟尼よ、〔わたしは〕告げます。

 

386. およそ、衆として存するかぎりの、勝者の教えにたいし清信した者たちは、そして、すなわち、わたしに、罪科が存するなら、勝者の面前にて、〔わたしを〕許したまえ。

 

387. 輪廻のうちを輪廻しながら、それで、もし、わたしに、躓きが有るなら、偉大なる勇者よ、〔わたしは〕告げます。その罪科を許したまえ」〔と〕。

 

388. 〔世尊は言った〕「わたしの教えの為し手よ、では、また、神通を実示しなさい。今日、四つの衆としてある、そのかぎりの、疑いを断ちなさい」〔と〕。

 

389. 〔ウッパラヴァンナーは言った〕「偉大なる勇者よ、智慧ある方よ、光輝を保持する方よ、〔わたしは〕あなたの娘です。そして、為し難き多くの行為が、極めて為し難き〔行為〕が、わたしによって為されました。

 

390. わたしには、まさしく、青蓮(ウッパラ)の色艶(ヴァンナ)があります。名としては、ウッパラを名とする者です。偉大なる勇者よ、〔わたしは〕あなたの弟子です。眼ある方よ、〔あなたの両の〕足を敬拝します。

 

391. そして、ラーフラは、まさしく、さらに、わたしは、多くの幾百の生において、一なる発生のうちに生まれました──等しき欲〔の思い〕と意図ある者たちとして。

 

392. 〔両者の〕発現は、一つのものとして有り、さらに、〔両者の〕生まれにおいてもまた、一つのものとして〔有るも〕、最後の生存に達し得たとき、両者ともども、種々なる発生ある者たちとして〔生まれました〕──

 

393. そして、ラーフラという名の子として、ウッパラという呼び名を有する娘として。勇者よ、わたしの神通を見てください。〔わたしの神通の〕力を、教師に見示します」〔と〕。

 

394. 〔彼女は〕四つの大いなる海を、手の鉢に盛った──あたかも、遊び戯れる童子が、まさしく、そして、入手した油を〔もてあそぶ〕かのように。

 

395. 〔彼女は〕地を取り上げて、手の鉢に盛った──あたかも、若者や童子が、彩りあざやかなムンジャ〔草〕を引き抜いたかのように。

 

396. チャッカ・ヴァーラ(輪囲山・鉄囲山:世界の周辺にあって世界を囲んでいる山)に等しき手のひらを、頭上に覆い隠して、種々なる色の水滴を、繰り返し雨降らせて──

 

397. 地上を臼と為して、砂礫を穀物と為して、シネール(須弥山)を杵と為して、あたかも、童子のように捏ね挽いた。

 

398. 〔ウッパラヴァンナーは言った〕「わたしは、最勝の覚者の娘です。名としては、ウッパラという呼び名を有する者です。諸々の神知における自在者と成った者であり、あなたの教えの為し手です。

 

399. 種々なる変異を為して、世の導き手たる方に見示して、そして、名と姓を告げ聞かせて、眼ある方よ、〔あなたの両の〕足を敬拝します。

 

400. そして、〔わたしは〕諸々の神通における自在者として〔世に〕有ります。天耳の界域における〔自在者としてもまた〕。偉大なる牟尼よ、〔わたしは〕心を探知する知恵の自在者として〔世に〕有ります。

 

401. 〔わたしは〕過去の居住(前世)を知ります。天眼は清められました。一切の煩悩は完全に滅尽し、今や、さらなる生存は存在しません。

 

402. 義(意味)と法(性質)と言語において、さらに、まさしく、そのように、応答において、わたしには、〔世俗の〕垢を離れる清浄の知恵があります──偉大なる聖賢の自ずからの状態(自性)によって。

 

403. 過去の至高の勝者たちとの出会いが、あなたによって実示されました。わたしには、多くの献身があります──偉大なる牟尼よ、あなたを義(目的)として。

 

404. 牟尼よ、わたしによって満たされた、〔まさに〕その、わたしの善なる行為を、思念したまえ──偉大なる勇者よ、あなたを義(目的)として、わたしによって蓄積された功徳〔の行為〕を。

 

405. 諸々の不能なる境位を避けて、習行ならざる〔行為〕を阻止しながら、偉大なる勇者よ、あなたを義(目的)として、わたしの最上の生命が施捨されました。

 

406. 一万コーティ(倶胝:数の単位・一千万)〔の財〕を、わたしの生命を、〔わたしは〕施しました。そして、〔わたしは〕わたしの〔生命を〕遍捨した者として〔世に〕有ります。偉大なる牟尼よ、あなたを義(目的)として」〔と〕。

 

407. そのとき、極めて驚愕した、全て〔の衆〕が、まさしく、頭に合掌し、言った。〔彼らが尋ねた〕「尊貴なる方よ、どのように、〔あなたは〕存したのですか──無比なる神通のための勤勉〔努力〕ある者として(神通獲得の因縁を教えてほしい)」〔と〕。

 

408. 〔ウッパラヴァンナーは答えた〕「これより、十万カッパ〔の過去〕において、そのとき、わたしは、龍の少女として〔世に有りました〕──名としては、ヴィマラーという名の、少女たちのなかの善き者と等しく思認された者として。

 

409. 大いなる蛇は、大いなる龍は、勝者の教えにたいし清信した者であり、パドゥムッタラ〔世尊〕を、偉大なる威光ある方を、弟子を有する〔覚者〕を、招きました。

 

410. 宝玉で作られている天幕を、宝玉で作られている長椅子を、宝玉の砂礫がちりばめられ、宝石で作られている受益物を──

 

411. さらに、宝玉の旗で飾られた道を、〔それらを〕設えました──正覚者を出迎えて、諸々の楽器によって奏でられながら、彼は。

 

412. そして、四つの衆に取り囲まれた、世の導き手たる方は、大いなる蛇の居所において、最高の坐に坐りました。

 

413. 食べ物を、飲み物を、固形の食料を、さらに、高価なる食料を、そして、優れたもの、優れたものを、龍の王は、偉大なる福徳ある方に施しました。

 

414. 正覚者が受益して、鉢をすっかり洗い清めて〔そののち〕、龍の少女は、大いなる神通ある者は、随喜を為しました。

 

415. 一切を知る方を、咲き誇る方を、偉大なる福徳ある方を、龍の少女は見て、教師のために、心は、清信したものと〔成り〕、そして、意図は、善き持続あるものと〔成りました〕。

 

416. そして、わたしの心を了知して、水に生じる最上のものを名とする方は、偉大なる勇者は、その瞬間に、神通によって、比丘尼を見示しました。

 

417. 比丘尼は、彼女は、熟達者として、無数の神通を見示しました。歓喜した〔わたし〕は、感嘆〔の思い〕を生じ、教師に、この〔言葉〕を説きました。

 

418. 〔わたしは尋ねました〕『わたしは、この神通を見ました──他によってもまた、悦意なるものを。勇者よ、彼女は、どのように、神通における善き熟達者と成ったのですか』〔と〕。

 

419. 〔パドゥムッタラ世尊は答えました〕『わたしの口から生まれた正嫡の娘として、大いなる神通ある者と〔成りました〕。わたしの教示を為す者として、神通における善き熟達者と〔成りました〕』〔と〕。

 

420. 覚者の言葉を聞いて、そのとき、わたしは、このように切望しました。〔わたしは言いました〕『わたしもまた、そのような者として、神通における善き熟達者と成ります。

 

421. 歓喜した者として、悦意の者として、最上の意図ある者として、わたしは切望します。〔世の〕導き手たる方よ、未来の時において、〔わたしは〕このような者として、〔大いなる神通ある者と〕成ります』〔と〕。

 

422. 宝玉で作られている長椅子において、光り輝く天幕において、食べ物と飲み物によって、僧団を有する世の導き手たる方を満足させて──

 

423. 龍たちにとって最も優れた花である、アルナという名の青蓮を〔施して〕、『わたしに、このようなものとして、色艶が有れ』〔と〕、世の導き手たる方を供養しました。

 

424. その善行の行為によって、さらに、諸々の思欲による誓願によって、人間の肉身を捨棄して〔そののち〕、わたしは、三十三〔天〕に赴きました。

 

425. そこから死滅し、わたしは、人間〔の世〕に再生し、〔他に依らず〕自ら成る方のために、諸々の青蓮に覆われた〔行乞の〕施食を、わたしは施しました。

 

426. これより、九十一カッパ〔の過去〕において、ヴィパッシンという名の、〔世の〕導き手たる方が、典雅なる見た目ある方が、一切の法(事象)に眼ある方が、〔世に〕生起しました。

 

427. 最上の都のバーラーナシーにおいて、そのとき、〔わたしは〕長者の娘として〔世に〕有って、正覚者を、僧団を有する世の導き手たる方を、招いて──

 

428. 大いなる布施を施して、諸々の青蓮によって、〔世の〕導き手たる方を供養して、まさしく、心によって、色艶の荘厳を切望しました。

 

429. この幸いなるカッパにおいて、梵の眷属にして偉大なる福徳ある方が、姓としては、カッサパという名の、説者たちのなかの優れた方が、〔世に〕生起しました。

 

430. そのとき、偉大なる聖賢には、奉仕者として、人のイッサラ(国王)が存しました──最上の都のバーラーナシーにおいて、カーシ王のキキンという名の者が。

 

431. 〔わたしは〕彼の次女として〔世に〕存しました──サマナグッターという呼び名を有する者として。至高の勝者の法(教え)を聞いて、出家〔の道〕を正しく選びました。

 

432. わたしたちの父は、〔出家を〕承認しませんでした。そのとき、わたしたちは、まさしく、家において、二万年のあいだ、休むことなく、〔梵行を〕行じ歩みました。

 

433. 処女の梵行を、安楽のうちに生長した王女たちとして──覚者の奉仕を喜び、歓喜した者たちとなり、七者の娘たちとして──〔わたしたちは行じ歩みました〕。

 

434. 〔すなわち、長女の〕サマニー、そして、サマナグッター、ビックニー、ビックダーイカー、まさしく、そして、ダンマー、さらに、スダンマー、第七の者として、サンガダーイカーは──

 

435. 智慧を有する者である、〔今世の〕ケーマーであり、そして、わたしであり、そして、パターチャーラーであり、クンダラーであり、キサー・ゴータミーであり、ダンマディンナーであり、ヴィサーカーが、第七の者と成ります。

 

436. それらの善行の行為によって、さらに、諸々の思欲による誓願によって、人間の肉身を捨棄して〔そののち〕、わたしは、三十三〔天〕に赴きました。

 

437. そこから死滅し、人間たちにおいて、大いなる家に再生したのでした。黄金色の艶やかで優れた布地を、わたしは、阿羅漢に施しました。

 

438. そこから死滅し、アリッタプラにおいて、わたしは、婆羅門の家に生まれたのでした。ティリティヴァッチャの娘として、意を奪い去るウンマーダンティーとして。

 

439. そこから死滅し、地方において、わたしは、或るどこかの家に〔生まれたのでした〕。そのとき、わたしは、さほど栄えていない〔家〕に生まれ、稲を守ります。

 

440. わたしは、独正覚者を見て、五百の炒り米を施して、わたしは、蓮華に覆われた五百の子たちを──

 

441. 切望しました。彼らもまた、切望しました──蜜を、〔他に依らず〕自ら成る方に施して。そこから死滅し、林において、わたしは、蓮華の腹に生まれました。

 

442. わたしは、カーシ王の王妃と成って、尊敬され供養され、欠くことなく五百の王子たちを生みました。

 

443. すなわち、彼らが、若さ〔の盛り〕に至り得たとき、水遊びに遊び戯れながら、蓮華が落ちたのを見て、〔彼らは〕存しました──〔世の〕導き手たる独者たちとして。

 

444. 彼らと、所聞の勇者たちと、別れ別れに成った、〔まさに〕その、わたしは、憂いある者となり、〔そこから〕死滅し、イシ山の麓において、わたしは、村の者〔の家〕に生まれました。

 

445. すなわち、覚者の所聞と思慧ある〔わたし〕が、息子たちのために、さらに、また、夫のために、粥を携えて赴きつつ、八者の〔世の〕導き手たる独者たちを〔見て〕──

 

446. 行乞のために村を赴きつつある〔彼ら〕を見て、〔かつての〕子たちを随念したとき、そのとき、牛乳を保持する〔わたし〕は、わたしの子への愛情によって、〔食を施すために〕出て行きました。

 

447. そののち、粥を、彼らに施しました──清信した者となり、自らの〔両の〕手で。そこから死滅し、わたしは、三十三〔天〕に〔赴きました〕。わたしは、〔天の〕ナンダナ〔林〕に再生しました。

 

448. 安楽を、苦痛を、〔両者を〕受領して、種々なる生存において輪廻して、偉大なる勇者よ、あなたを義(目的)として、そして、〔わたしの〕生命が遍捨されました。

 

449. このように、多くの種類の苦痛を〔受領して〕、そして、多くの種類の諸々の得達を〔受領して〕、最後の生存に達し得たとき、サーヴァッティーの都において、〔わたしは〕生まれたのでした──

 

450. 大いなる財産ある長者の家に、そのように、安楽にして、福楽なる、種々なる宝玉の光ある〔家〕に、一切の欲望が等しく実現する〔家〕に。

 

451. 尊敬され、まさしく、そして、供養される者として、そのように、思慕され、敬恭される者として、形姿の吉祥に至り得た者として、家々において極めて尊敬される者として──

 

452. そして、あまりに極めて切望される者として、〔わたしは〕存しました──さらに、形姿と財物と吉祥ある者たちである、幾百の長者の子たちにもまた切望される者として。

 

453. 〔わたしは〕家を捨棄して、家なきへと出家しました。半月に達し得ないうちに、四つの真理に至り得ました。

 

454. わたしは、神通によって、四頭立ての馬車を化作して、世の主にして如なる方の、覚者の、〔両の〕足を敬拝しました。

 

455. 〔悪魔が言いました〕『先端が見事に花ひらいた木へと近しく赴いて、あなたは、独り、サーラ〔樹〕の根元に立ちます。そして、また、あなたには、誰であれ、伴侶は存在しません。愚かな方よ、あなたは、質(たち)の悪い者たちを恐れないのですか』〔と〕。

 

456. 〔わたしは言いました〕『たとえ、質の悪い者たちの百千が集いあつまり、このように有るとして、毛〔の一本〕も動かないであろうし、動揺もまたしないであろう。悪魔よ、おまえは、独り、わたしのために、何を為すというのだろう。

 

457. この〔わたし〕は、消没もする。あるいは、おまえの腹に入りもする。眉の間にもまたあり、〔そこに〕立っているわたしを、〔おまえは〕見ない。

 

458. 〔わたしは〕心において自在と成った者として〔世に〕存している。〔四つの〕神通の足場(神足)は善く修められた。〔わたしは〕一切の結縛から解き放たれた者として〔世に〕存している。友よ、〔わたしは〕おまえを恐れない。

 

459. 諸々の欲望〔の対象〕は、刃と槍の如きもの。〔五つの心身を構成する〕範疇にとっての断頭台である。すなわち、欲望の歓楽を、おまえは説くが、それは、わたしにとって、今や、歓楽ならざるもの。

 

460. 一切所において、喜び〔の思い〕は打破され、闇の塊は破られた。パーピマント(悪魔)よ、このように知りなさい。死神よ、おまえは存している──打ち倒された者として』〔と〕。

 

461. 勝者は、その徳に満足し、わたしを、このことにおける至高〔の地位〕に据え置きました──『神通ある者たちのなかの至高の者である』と、諸衆のなかで、〔世の〕導き手たる方は。

 

462. わたしによって、教師は世話され、覚者の教えは為されました。重荷は置かれ、生存に導くものは完破されました。

 

463. それを義(目的)として、家から家なきへと出家した〔わたし〕ですが、わたしによって、その義(目的)は獲得されました──〔すなわち〕一切の束縛するものの滅尽は。

 

464. 衣料を、そして、〔行乞の〕施食を、日用品を、臥坐具を、遍きにわたり、千の者たちが瞬時に差し出します。

 

465. わたしの、諸々の〔心の〕汚れは焼尽し……略……煩悩なき者となり、〔世に〕住みます。

 

466. わたしにとって、まさに、善き訪問として存しました……略……覚者の教えは為されました。

 

467. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為されました」〔と〕。

 

 かくのごとく、まさに、ウッパラヴァンナー比丘尼は、これらの詩偈を語った。ということで──

 

 ウッパラヴァンナー長老尼の行状が、第九となる。

 

2. 10. パターチャーラー長老尼の行状

 

468. パドゥムッタラという名の勝者が、一切の法(事象)の彼岸に至る方が、〔世の〕導き手たる方が、これより、十万カッパ〔の過去〕において、〔世に〕生起した。

 

469. ハンサヴァティーにおいて、そのとき、わたしは、長者の家に生まれ、〔世に〕有った──種々なる宝玉の光ある〔家〕に、大いなる安楽を供与された者として。

 

470. 彼のもとへと、偉大なる勇者のもとへと、近しく至って、法(教え)の説示を聞いた。そののち、清信が生じたわたしは、帰依所として、勝者のもとへと近しく至った。

 

471. そののち、〔世の〕導き手たる方は、律の保持者たちのなかの至高の者を褒め称えた──恥〔の思い〕ある如なる比丘尼を、適確なることと適確ならざることにおける熟達者を。

 

472. そのとき、心が歓喜したわたしは、その地位を希求する者となり、十の力ある方を、僧団を有する世の導き手たる方を、招いて──

 

473. 七日のあいだ受益させて、三つの衣料を施して、〔覚者の〕足もとに、頭をもって平伏して、この言葉を説いた。

 

474. 〔わたしは言った〕「勇者よ、すなわち、これより〔以前〕、第八〔の日〕において、牟尼よ、あなたによって褒め称えられた方がいます。わたしは、そのような者と成るでしょう。〔世の〕導き手たる方よ、すなわち、〔それが〕実現するなら」〔と〕。

 

475. そのとき、教師は、わたしに言った。〔パドゥムッタラ世尊は言った〕「幸いなる者よ、恐れてはいけません。安堵しなさい。未来の時において、〔あなたは〕その意欲を得るでしょう。

 

476. これより、十万カッパ〔の未来〕において、オッカーカの家系を発生とし、姓としては、ゴータマという名の教師が、世に有るでしょう。

 

477. 彼の、諸々の法(教え)における、相続者として、正嫡として、法(教え)によって化作された者として、名としては、パターチャーラーという〔名の〕、教師の弟子として〔世に〕有るでしょう」〔と〕。

 

478. そのとき、わたしは、歓喜した者と成って、そのとき、〔わたしは〕生あるかぎり、勝者を世話した──慈愛の心ある者となり、僧団を有する世の導き手たる方を。

 

479. その善行の行為によって、さらに、諸々の思欲による誓願によって、人間の肉身を捨棄して〔そののち〕、わたしは、三十三〔天〕に赴いた。

 

480. この幸いなるカッパにおいて、梵の眷属にして偉大なる福徳ある方が、姓としては、カッサパという名の、説者たちのなかの優れた方が、〔世に〕生起した。

 

481. そのとき、偉大なる聖賢には、奉仕者として、人のイッサラが存した──最上の都のバーラーナシーにおいて、カーシ王のキキンという名の者が。

 

482. 〔わたしは〕彼の三女として〔世に〕存した──ビックニーという〔名で世に〕聞こえた者として。至高の勝者の法(教え)を聞いて、出家〔の道〕を正しく選んだ。

 

483. わたしたちの父は、〔出家を〕承認しなかった。そのとき、わたしたちは、まさしく、家において、二万年のあいだ、休むことなく、〔梵行を〕行じ歩んだ。

 

484. 処女の梵行を、安楽のうちに生長した王女たちとして──覚者の奉仕を喜び、歓喜した者たちとなり、七者の娘たちとして──〔わたしたちは行じ歩んだ〕。

 

485. 〔すなわち、長女の〕サマニー、そして、サマナグッター、ビックニー、ビックダーイカー、まさしく、そして、ダンマー、さらに、スダンマー、第七の者として、サンガダーイカーは──

 

486. 〔今世の〕ケーマーであり、そして、ウッパラヴァンナーであり、わたしであり、そして、バッダー比丘尼(クンダラケーサー)であり、キサー・ゴータミーであり、ダンマディンナーであり、ヴィサーカーが、第七の者と成る。

 

487. それらの善行の行為によって、さらに、諸々の思欲による誓願によって、人間の肉身を捨棄して〔そののち〕、わたしは、三十三〔天〕に赴いた。

 

488. そして、今や、最後の生存において、わたしは、長者の家に生まれたのだった──サーヴァッティーの優れた都において、繁栄し、興隆する、大いなる財産ある〔家〕に。

 

489. そして、すなわち、わたしが、若さ〔の盛り〕へと近しく至り、思考の支配に赴く者となるとき、わたしは、情夫にして亭主たる男を見て、彼と共に〔他所に〕赴いた。

 

490. わたしは、一子を生み、わたしの子宮には、第二〔の子〕がいる。そのとき、わたしは、「母と父に会うのだ」と、賢く判断したのだった。

 

491. そのとき、わたしの亭主に、その外在について告げなかった。サーヴァッティーの最上の〔都〕に赴くために、〔わたしは〕独り、家から出て行ったのだった。

 

492. そののち、わたしの主人がやってきて、道にあるわたしに追いついた。そのとき、わたしに、行為から生じる、極めて辛酸なる風〔の病〕が、生起したのだった。

 

493. そして、わたしの出産の時には、大いなる雨雲が、出起したのだった。そのとき、主人は、木材を義(目的)として〔林に〕赴いて、蛇に殺されたのだった。

 

494. そのとき、出産の苦痛によって、わたしは、孤独にして困窮の者となり、家を有する避難所へと赴きつつ、〔水に〕満ちた小川を見て──

 

495. そして、一者の幼童を抱えて、向こう岸に超え渡った。〔向こう岸に〕幼童を横たえて、他の子を超え渡すために、わたしは──

 

496. 引き返したのだった。鶚(みさご)は、泣き喚く幼者を奪い去った。そして、流れは、他の〔子〕を運び去った。〔まさに〕その、わたしは、憂いに引き渡され──

 

497. サーヴァッティーの城市に赴いて、親類たちが死んだことを聞いた。そのとき、大いなる憂いに引き渡され、憂いに苦悩し、〔わたしは〕言った。

 

498. 〔わたしは言った〕「二子は、命を終え、わたしの亭主は、道で死に、母が、そして、父が、さらに、兄弟が、一なる荼毘の薪山に焼かれる(同時に死んだ)」〔と〕。

 

499. そのとき、そして、〔わたしは〕痩せ細り、さらに、青ざめ、孤独となり、卑屈な意図ある者となり、こなたかなたと迷走しながら、わたしは、人の馭者たる方を見た。

 

500. そののち、教師は、わたしに言った。〔世尊は言った〕「子よ、憂い悲しんではいけません。安堵しなさい。あなたの自己を探し求めなさい。どうして、義(利益)なきことに、〔あなたは〕打ちのめされるのですか。

 

501. 子供たちは、〔わが身の〕救いのために存在するのではありません。親族たちも、さにあらず。眷属たちもまた、さにあらず。死神に囚われた者の救い手は、親族たちのなかには存在しません」〔と〕。

 

502. 牟尼の、その言葉を聞いて、〔わたしは〕第一の果(預流果)に到達した。出家して〔そののち〕、長からずして、阿羅漢の資質に至り得た。

 

503. そして、〔わたしは〕諸々の神通における自在者として〔世に〕有る。天耳の界域における〔自在者としてもまた〕。教師の教えの為し手として、〔わたしは〕他者たちの心を知る。

 

504. 〔わたしは〕過去の居住(前世)を知る。天眼は清められた。一切の煩悩を投げ捨てて、清浄なる者として、極めて無垢なる者として、〔世に〕存した。

 

505. そののち、わたしは、一切の律を、一切を見る方の現前において、〔その〕一切の詳細を把握し、そして、真実のとおりに言及した。

 

506. 勝者は、その徳に満足し、わたしを、このことにおける至高〔の地位〕に据え置いた。〔世尊は言った〕「まさしく、パターチャーラーは、独り、律の保持者たちのなかの至高の者である」〔と〕。

 

507. わたしによって、教師は世話され、覚者の教えは為された。重荷は置かれ、生存に導くものは完破された。

 

508. それを義(目的)として、家から家なきへと出家した〔わたし〕であるが、わたしによって、その義(目的)は獲得された──〔すなわち〕一切の束縛するものの滅尽は。

 

509. わたしの、諸々の〔心の〕汚れは焼尽し……略……煩悩なき者となり、〔世に〕住む。

 

510. わたしにとって、まさに、善き訪問として存した……略……覚者の教えは為された。

 

511. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。

 

 かくのごとく、まさに、パターチャーラー比丘尼は、これらの詩偈を語った。ということで──

 

 パターチャーラー長老尼の行状が、第十となる。

 

 エークーポーサティカーの章が、第二となる。

 

 その〔章〕のための摂頌となる。

 

 〔そこで、詩偈に言う〕「まさしく、そして、エークーポーサティカー、そして、サララー、さらに、モーダカー、エーカーサナー、パンチャディーパー、そして、ナラマーリー、ゴータミー──

 

 ケーマー、そして、ウッパラヴァンナー、そして、パターチャーラー比丘尼があり、まさしく、五百の詩偈があり、さらに、また、それに加えて、九つ〔の詩偈〕がある」〔と〕。


3. クンダラケーシーの章

 

3. 1. クンダラケーサー長老尼の行状

 

1. パドゥムッタラという名の勝者が、一切の法(事象)の彼岸に至る方が、〔世の〕導き手たる方が、これより、十万カッパ〔の過去〕において、〔世に〕生起した。

 

2. ハンサヴァティーにおいて、そのとき、わたしは、長者の家に生まれ、〔世に〕有った。種々なる宝玉の光ある〔家〕に、大いなる安楽を供与された者として。

 

3. 彼のもとへと、偉大なる勇者のもとへと、近しく至って、法(教え)の説示を聞いた。そののち、清信が生じたわたしは、帰依所として、勝者のもとへと近しく至った。

 

4. そのとき、偉大なる慈悲者たる方は、パドゥムッタラという名の〔覚者〕は、「迅速なる神知ある者たちのなかの至高の者である」と、浄美なる比丘尼を、〔このことにおける至高の地位に〕据え置いた。

 

5. その〔言葉〕を聞いて、歓喜した者と成って、偉大なる聖賢に、布施を施して、〔覚者の〕足もとに、頭をもって平伏して、その地位を切望した。

 

6. 偉大なる勇者は随喜した。〔パドゥムッタラ世尊は言った〕「幸いなる者よ、すなわち、あなたが切望したものは、〔その〕全てが等しく実現するでしょう。安楽にして寂滅なる者と成りなさい。

 

7. これより、十万カッパ〔の未来〕において、オッカーカの家系を発生とし、姓としては、ゴータマという名の教師が、世に有るでしょう。

 

8. 彼の、諸々の法(教え)における、相続者として、正嫡として、法(教え)によって化作された者として、名としては、バッダー・クンダラケーサーという〔名の〕、教師の弟子として〔世に〕有るでしょう」〔と〕。

 

9. その善行の行為によって、さらに、諸々の思欲による誓願によって、人間の肉身を捨棄して〔そののち〕、わたしは、三十三〔天〕に赴いた。

 

10. そこから死滅し、夜魔〔天〕に赴いた。そののち、わたしは、兜率〔天〕に赴き、そして、そののち、化楽〔天〕に〔赴き〕、そののち、自在〔天〕の都に〔赴いた〕。

 

11. そこかしこにおいて、〔わたしが〕再生するなら、その行為に由縁して、まさしく、そこかしこにおいて、王たちの王妃として権を為した。

 

12. そこから死滅し、人間たちにおいて、転輪王たちの、さらに、地方の王たちの、王妃として権を為した。

 

13. 天〔の神々〕たちにおいて、そして、人間たちにおいて、〔天と人の二つの〕得達を受領して、一切所において、安楽ある者と成って、幾多のカッパにおいて輪廻した。

 

14. この幸いなるカッパにおいて、梵の眷属にして偉大なる福徳ある方が、姓としては、カッサパという名の、説者たちのなかの優れた方が、〔世に〕生起した。

 

15. そのとき、偉大なる聖賢には、奉仕者として、人のイッサラが存した──最上の都のバーラーナシーにおいて、カーシ王のキキンという名の者が。

 

16. 〔わたしは〕彼の四女として〔世に〕存した。ビックダーイーという〔名で世に〕聞こえた者として。至高の勝者の法(教え)を聞いて、出家〔の道〕を正しく選んだ。

 

17. わたしたちの父は、〔出家を〕承認しなかった。そのとき、わたしたちは、まさしく、家において、二万年のあいだ、休むことなく、〔梵行を〕行じ歩んだ。

 

18. 処女の梵行を、安楽のうちに生長した王女たちとして──覚者の奉仕を喜び、歓喜した者たちとなり、七者の娘たちとして──〔わたしたちは行じ歩んだ〕。

 

19. 〔すなわち、長女の〕サマニー、そして、サマナグッター、ビックニー、ビックダーイカー、まさしく、そして、ダンマー、さらに、スダンマー、第七の者として、サンガダーイカーは──

 

20. 〔今世の〕ケーマーであり、そして、ウッパラヴァンナーであり、パターチャーラーであり、そのように(※)、わたしであり、キサー・ゴータミーであり、ダンマディンナーであり、ヴィサーカーが、第七の者と成る。

 

※ テキストには tadā とあるが、PTS版により tathā と読む。

 

21. それらの善行の行為によって、さらに、諸々の思欲による誓願によって、人間の肉身を捨棄して〔そののち〕、わたしは、三十三〔天〕に赴いた。

 

22. そして、今や、最後の生存において、最上の都のギリッバジャにおいて、わたしは、栄える長者の家に生まれたのだった。すなわち、わたしが、若さ〔の盛り〕に止住したとき──

 

23. 屠殺を義(目的)として連行される盗賊を見て、わたしは、彼にたいし、〔欲の思いに〕染まったのだった。わたしの父は、彼を、千〔金〕をもって、その屠殺から解き放って──

 

24. 父は、わたしを、彼に与えた──わたしの意を見出して。彼にとって、わたしは、あまりに極めて、可愛の者として、益ある者として、信頼ある者として、〔世に〕存した。

 

25. 彼は、わたしの装飾品への貪欲によって、供物を志欲する敵となり、〔わたしを〕盗賊の深淵に連れて行って、山での屠殺を思い考えた。

 

26. そのとき、わたしは、サットゥカ(盗賊)を拝して、善く合掌を為し、自己の命を守りつつ、この言葉を説いた。

 

27. 〔わたしは言った〕「この黄金の腕飾があります。多くの真珠と瑠璃があります。全てをもっていってください。あなたに、幸せ〔有れ〕。〔わたしを〕解き放ってください。『奴婢よ』と、〔わたしに〕告げ聞かせてください(あなたの奴婢となります)」〔と〕。

 

28. 〔サットゥカが言った〕「美しい者よ、取り外すのだ。激しく嘆いてはならない。さてまた、わたしは証知しない(記憶しない)──殺さずして、運び込んだ財を」〔と〕。

 

29. 〔わたしは言った〕「〔成長して〕自己のことを思念する、そののちは──知性に至り得た者として〔世に〕存する、そののちは──さてまた、わたしは証知しません──あなたより他に、より愛しき者を。

 

30. さあ、あなたを抱きましょう──あなたに、右回り〔の礼〕を為して。さてまた、今や、〔このような〕逢瀬は、わたしにとって、さらに、あなたにとっても、もはや存在しないのです」〔と〕。

 

31. まさに、一切の状況において、男が賢者と成るのではない。女もまた、賢者と成る──その場その場に明眼ある者として。

 

32. まさに、一切の状況において、男が賢者と成るのではない。女もまた、賢者と成る──軽々と義(道理)を熟慮する者として。

 

33. そして、軽々と、さらに、まさに、すみやかに、間近において、〔わたしは〕正しく思い考えた。一杯に引き伸ばされた〔弓矢〕で獣を〔倒す〕ように(※)、そのとき、わたしは、サットゥカを打ち殺した。

 

※ テキストには Migaṃ uṇṇā yathā evaṃ とあるが、PTS版により Migaṃ puṇṇāyaten' eva と読む。

 

34. そして、その者が、生起した義(事態)を、すみやかに随覚しないなら、彼は、打ち殺される──愚かな思慧の盗賊が、山窟で〔殺された〕ように。

 

35. そして、その者が、生起した義(事態)を、まさしく、すみやかに覚るなら、賊の煩いから解き放たれる──すなわち、そのとき、わたしが、サットゥカから〔逃れた〕ように。

 

36. そのとき、わたしは、サットゥカを、山の難所に落として、白き衣の者たちの現前へと近しく至って、わたしは出家した。

 

37. そして、そのとき、〔彼らは〕わたしの諸々の髪を、全てにわたり毛抜きで引き抜いて、〔わたしが〕出家して〔そののちは〕、間断なく、〔彼らの〕教義を、〔わたしに〕告げ知らせた。

 

38. そののち、その〔教義〕を把握して、わたしは、独り、坐って、その教義を熟慮した。犬が、人間の手を──

 

39. 切断された〔手〕を携えて、わたしの近くに落として、立ち去った。蛆虫が満ち溢れるその手を見て、〔わたしは〕形相を得た。

 

40. そののち、立ち上がって、畏怖する〔わたし〕は、法(教え)を共にする者たちに尋ねた。彼らは言った。「釈迦〔族〕の比丘たちが、その義(意味)を識知する」〔と〕。

 

41. 〔まさに〕その、わたしは、覚者の弟子たちのもとへと近しく至って、その義(意味)を尋ねた。彼らは、わたしを携えて、最勝の覚者の現前に赴いた。

 

42. 彼は、わたしに、法(教え)を説示した──「〔五つの〕範疇()と〔十二の認識の〕場所()と〔十八の認識の〕界域()は、浄美ならず、常住ならず、苦痛である」と、さらに、「自己ならず」と、〔世の〕導き手たる方は。

 

43. 彼の法(教え)を聞いて、わたしは、法(真理)の眼を清めた。そののち、正なる法(教え)を識知した〔わたし〕は、出家を、〔戒の〕成就を、〔覚者に懇願した〕。

 

44. そのとき、〔わたしに〕懇願された〔世の〕導き手たる方は、「幸いなる者よ、来たれ」と言った。そのとき、〔戒を〕成就したわたしは、僅かな水を見た。

 

45. 足を洗うことで、わたしは、生成と衰失を有するものを知って、そのとき、そのように、一切の形成〔作用〕(諸行:形成されたもの・現象世界)もまた、このようなものと思い考えた。

 

46. そののち、わたしの心は、全てにわたり、〔何も〕執取せずして、解脱した。そのとき、勝者は、わたしの〔神知を〕、迅速なる神知ある者たちのなかの至高のものと知らしめた。

 

47. そして、〔わたしは〕諸々の神通における自在者として〔世に〕有る。天耳の界域における〔自在者としてもまた〕。教師の教えの為し手として、〔わたしは〕他者たちの心を知る。

 

48. 〔わたしは〕過去の居住(前世)を知る。天眼は清められた。一切の煩悩を投げ捨てて、清浄なる者として、極めて無垢なる者として、〔世に〕存した。

 

49. わたしによって、教師は世話され、覚者の教えは為された。重荷は置かれ、生存に導くものは完破された。

 

50. それを義(目的)として、家から家なきへと出家した〔わたし〕であるが、わたしによって、その義(目的)は獲得された──〔すなわち〕一切の束縛するものの滅尽は。

 

51. 義(意味)と法(性質)と言語において、さらに、まさしく、そのように、応答において、わたしには、〔世俗の〕垢を離れる清浄の知恵がある──最勝の覚者の教えにおいて。

 

52. わたしの、諸々の〔心の〕汚れは焼尽し、一切の〔迷いの〕生存は完破された。象のように結縛を断ち切って、煩悩なき者となり、〔世に〕住む。

 

53. わたしにとって、まさに、善き訪問として存した──わたしにとって、覚者の現前にあることは。三つの明知は獲得され、覚者の教えは為された。

 

54. 四つの融通無礙は〔実証され〕、そして、また、これらの八つの解脱も〔実証された〕。六つの神知は実証され、覚者の教えは為された。

 

 かくのごとく、まさに、バッダー・クンダラケーサー比丘尼は、これらの詩偈を語った。ということで──

 

 クンダラケーサー長老尼の行状が、第一となる。

 

3. 2. キサー・ゴータミー長老尼の行状

 

55. パドゥムッタラという名の勝者が、一切の法(事象)の彼岸に至る方が、〔世の〕導き手たる方が、これより、十万カッパ〔の過去〕において、〔世に〕生起した。

 

56. ハンサヴァティーにおいて、そのとき、わたしは、或るどこかの家に生まれたのだった。彼のもとへと、優れた人たる方のもとへと、近しく至って、帰依所として正しく至り着いた。

 

57. そして、彼の、四つの真理を伴った法(教え)を聞いた──甘美にして最高の美味なる〔法〕を、寂静を転起し安楽をもたらす〔法〕を。

 

58. そして、そのとき、粗野な衣料を〔身に〕付ける比丘尼を、勇者は、最上の人士たる方は、このことにおける至高〔の地位〕に据え置きながら、褒め称えた。

 

59. 聞いて〔そののち〕、比丘尼の徳にたいし、少なからざる喜悦を生じさせて、能のままに、力のままに、覚者のために、為すことを為して──

 

60. 彼に、優れた牟尼に、平伏して、その地位を切望した。そのとき、正覚者は、〔世の〕導き手たる方は、地位を得ることに随喜した。

 

61. 〔パドゥムッタラ世尊は言った〕「これより、十万カッパ〔の未来〕において、オッカーカの家系を発生とし、姓としては、ゴータマという名の教師が、世に有るでしょう。

 

62. 彼の、諸々の法(教え)における、相続者として、正嫡として、法(教え)によって化作された者として、名としては、キサー・ゴータミー〔という名〕の、教師の弟子として〔世に〕有るでしょう」〔と〕。

 

63. その〔言葉〕を聞いて、歓喜した者と成って、そのとき、〔わたしは〕生あるかぎり、勝者を世話した──慈愛の心ある者となり、諸々の日用品によって、〔世の〕導き手たる方を。

 

64. その善行の行為によって、さらに、諸々の思欲による誓願によって、人間の肉身を捨棄して〔そののち〕、わたしは、三十三〔天〕に赴いた。

 

65. この幸いなるカッパにおいて、梵の眷属にして偉大なる福徳ある方が、姓としては、カッサパという名の、説者たちのなかの優れた方が、〔世に〕生起した。

 

66. そのとき、偉大なる聖賢には、奉仕者として、人のイッサラが存した──最上の都のバーラーナシーにおいて、カーシ王のキキンという名の者が。

 

67. 〔わたしは〕彼の五女として〔世に〕存した。ダンマーという名で〔世に〕聞こえた者として。至高の勝者の法(教え)を聞いて、出家〔の道〕を正しく選んだ。

 

68. わたしたちの父は、〔出家を〕承認しなかった。そのとき、わたしたちは、まさしく、家において、二万年のあいだ、休むことなく、〔梵行を〕行じ歩んだ。

 

69. 処女の梵行を、安楽のうちに生長した王女たちとして──覚者の奉仕を喜び、歓喜した者たちとなり、七者の娘たちとして──〔わたしたちは行じ歩んだ〕。

 

70. 〔すなわち、長女の〕サマニー、そして、サマナグッター、ビックニー、ビックダーイカー、まさしく、そして、ダンマー、さらに、スダンマー、第七の者として、サンガダーイカーは──

 

71. 〔今世の〕ケーマーであり、そして、ウッパラヴァンナーであり、そして、パターチャーラーであり、クンダラーであり、そして、わたしであり、さらに、ダンマディンナーであり、ヴィサーカーが、第七の者と成る。

 

72. それらの善行の行為によって、さらに、諸々の思欲による誓願によって、人間の肉身を捨棄して〔そののち〕、わたしは、三十三〔天〕に赴いた。

 

73. そして、今や、最後の生存において、わたしは、長者の家に生まれたのだった──悪しき境遇の、財なく、滅びの〔家〕に。そして、〔わたしは〕財を有する〔家〕に赴いたのだった(嫁に行った)。

 

74. 夫を除いて、残りの者たちは、「財なき者である」と、わたしを嫌悪する。しかしながら、すなわち、〔わたしが、子を〕生んだ者として存したとき、そのとき、〔わたしは〕全ての者たちに可愛がられたのだった。

 

75. すなわち、その〔子〕が、幼く幸いにして安楽のうちに生長した童子が、自らの命のように、わたしによって愛されているとき、そのとき、〔彼は〕夜魔の支配に赴いたのだった(落命した)。

 

76. 憂いに苦悩する〔わたし〕は、悲惨な顔貌の者となり、涙眼の者となり、泣顔の者となり、死んだ〔子〕の死骸を抱えて、泣き喚きながら、わたしは赴いた。

 

77. そのとき、或る者に指示され、最上の能力ある方のもとへと近しく至って、〔わたしは〕言った。「君よ、子を生かす薬を与えたまえ」と。

 

78. 勝者は、教導の手段における熟知者たる方は、言った。「その家において、死んだ者が見出されないなら、その〔家〕から、白芥子をもってきなさい」と。

 

79. そのとき、〔わたしは〕サーヴァッティーに赴いて〔家々を探すも〕、そのような家を、〔ついに〕得なかった──ましてや、白芥子を、その〔家〕から。そののち、わたしは、気づきを得たのだった。

 

80. 〔わたしは〕死骸を捨て放って、世の導き手たる方のもとへと近しく至った。はるか遠くから、わたしを見て、甘美なる声ある方は言った。

 

81. 〔世尊は言った〕「〔事物の〕生成と衰失(無常)を見ずにいる者であるなら、そして、彼が、百年のあいだ、生きるとして、〔事物の〕生成と衰失を〔常に〕見ている者の一日の生のほうが、より勝っている。

 

82. これは、村の法(真理)にあらず、町の法(真理)に〔あらず〕、さらに、また、一なる家にとっての法(真理)にあらず。これこそは、天を含む全ての世〔の人々〕にとっての法(真理)である。すなわち、この、〔事物の〕常住ならざることは」〔と〕。

 

83. 〔まさに〕その、わたしは、これらの詩偈を聞いて、法(真理)の眼を清めた。そののち、正なる法(教え)を識知した〔わたし〕は、〔家から〕家なきへと出家した。

 

84. そのように、〔わたしは〕出家者として存しつつ、勝者の教えに専念しながら、まさしく、長時ならずして、阿羅漢の資質に至り得た。

 

85. そして、〔わたしは〕諸々の神通における自在者として〔世に〕有る。天耳の界域における〔自在者としてもまた〕。教師の教えの為し手として、〔わたしは〕他者たちの心を知る。

 

86. 〔わたしは〕過去の居住(前世)を知る。天眼は清められた。一切の煩悩を投げ捨てて、清浄なる者として、極めて無垢なる者として、〔世に〕存した。

 

87. わたしによって、教師は世話され、覚者の教えは為された。重荷は置かれ、生存に導くものは完破された。

 

88. それを義(目的)として、家から家なきへと出家した〔わたし〕であるが、わたしによって、その義(目的)は獲得された──〔すなわち〕一切の束縛するものの滅尽は。

 

89. 義(意味)と法(性質)と言語において、さらに、まさしく、そのように、応答において、わたしには、〔世俗の〕垢を離れる清浄の知恵がある──最勝の覚者に由縁して。

 

90. 塵芥場から、墓場から、さらに、また、道端から、〔ぼろ切れを〕持ってきて、それから、大衣を作って、〔わたしは〕粗野な衣料を〔身に〕付ける。

 

91. 勝者は、粗野な衣料を〔身に〕付ける、その徳に満足し、〔わたしを〕このことにおける至高〔の地位〕に据え置いた──諸衆のなかで、〔世の〕導き手たる方は。

 

92. わたしの、諸々の〔心の〕汚れは焼尽し……略……煩悩なき者となり、〔世に〕住む。

 

93. わたしにとって、まさに、善き訪問として存した……略……覚者の教えは為された。

 

94. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。

 

 かくのごとく、まさに、キサー・ゴータミー比丘尼は、これらの詩偈を語った。ということで──

 

 キサー・ゴータミー長老尼の行状が、第二となる。

 

3. 3. ダンマディンナー長老尼の行状

 

95. パドゥムッタラという名の勝者が、一切の法(事象)の彼岸に至る方が、〔世の〕導き手たる方が、これより、十万カッパ〔の過去〕において、〔世に〕生起した。

 

96. ハンサヴァティーにおいて、そのとき、わたしは、或るどこかの家に〔生まれ〕、〔世に〕有った。〔わたしは〕他者の行為を為す者(雇われ人)として〔世に〕存した──戒によって統御された賢明なる者として。

 

97. パドゥムッタラ覚者の至高の弟子であるスジャータは、精舎から出て、〔行乞の〕施食のために赴く。

 

98. そのとき、水汲み女〔のわたし〕は、瓶を携えて赴きつつ、彼を見て、菓子を施した──清信した者となり、自らの〔両の〕手で。

 

99. 納受して〔そののち〕、彼は、まさしく、その場に坐り、〔施物を〕遍く受益した。そののち、彼を家に連れて行って、食料を、彼に施した。

 

100. そののち、わたしの主人は満足し、〔わたしを〕自らの養女と為した。〔わたしは〕姑と共に赴いて、正覚者を敬拝した。

 

101. そのとき、彼は、法(教え)の言説者たる比丘尼を遍く賛じ称えながら、このことにおける至高〔の地位〕に据え置いた。その〔言葉〕を聞いて、歓喜したわたしは──

 

102. 善き至達者たる方を、僧団を有する世の導き手たる方を、招いて、大いなる布施を施して、その地位を切望した。

 

103. そののち、善き至達者たる方は、重厚なる雷鳴の声ある方は、わたしに言った。〔パドゥムッタラ世尊は言った〕「わたしの奉仕を喜ぶ者よ、僧団を有する〔覚者〕に給仕する者よ──

 

104. 正なる法(教え)の聴聞に専念する者よ、徳の増大に意図ある者よ、幸いなる者よ、歓喜した者と成れ。〔あなたは〕誓願の果を得るでしょう。

 

105. これより、十万カッパ〔の未来〕において、オッカーカの家系を発生とし、姓としては、ゴータマという名の教師が、世に有るでしょう。

 

106. 彼の、諸々の法(教え)における、相続者として、正嫡として、法(教え)によって化作された者として、名としては、ダンマディンナーという〔名の〕、教師の弟子として〔世に〕有るでしょう」〔と〕。

 

107. その〔言葉〕を聞いて、歓喜した者と成って、〔わたしは〕生あるかぎり、偉大なる牟尼を世話した──慈愛の心ある者となり、諸々の日用品によって、〔世の〕導き手たる方を。

 

108. その善行の行為によって、さらに、諸々の思欲による誓願によって、人間の肉身を捨棄して〔そののち〕、わたしは、三十三〔天〕に赴いた。

 

109. この幸いなるカッパにおいて、梵の眷属にして偉大なる福徳ある方が、姓としては、カッサパという名の、説者たちのなかの優れた方が、〔世に〕生起した。

 

110. そのとき、偉大なる聖賢には、奉仕者として、人のイッサラが存した──最上の都のバーラーナシーにおいて、カーシ王のキキンという名の者が。

 

111. 〔わたしは〕彼の六女として〔世に〕存した。スダンマーという〔名で世に〕聞こえた者として。至高の勝者の法(教え)を聞いて、出家〔の道〕を正しく選んだ。

 

112. わたしたちの父は、〔出家を〕承認しなかった。そのとき、わたしたちは、まさしく、家において、二万年のあいだ、休むことなく、〔梵行を〕行じ歩んだ。

 

 〔以上が〕第三の朗読分となる。

 

113. 処女の梵行を、安楽のうちに生長した王女たちとして──覚者の奉仕を喜び、歓喜した者たちとなり、七者の娘たちとして──〔わたしたちは行じ歩んだ〕。

 

114. 〔すなわち、長女の〕サマニー、そして、サマナグッター、ビックニー、ビックダーイカー、まさしく、そして、ダンマー、さらに、スダンマー、第七の者として、サンガダーイカーは──

 

115. 〔今世の〕ケーマーであり、そして、ウッパラヴァンナーであり、そして、パターチャーラーであり、クンダラーであり、そして、ゴータミーであり、まさしく、そして、わたしであり、ヴィサーカーが、第七の者と成る。

 

116. それらの善行の行為によって、さらに、諸々の思欲による誓願によって、人間の肉身を捨棄して〔そののち〕、わたしは、三十三〔天〕に赴いた。

 

117. そして、今や、最後の生存において、最上の都のギリッバジャにおいて、栄える長者の家に生まれたのだった──一切の欲望が等しく実現する〔家〕に。

 

118. すなわち、〔わたしが〕形姿の徳を具し、最初の若さ〔の盛り〕に止住したとき、そのとき、〔わたしは〕他家に赴いて、安楽を供与された者として〔世に〕住した。

 

119. 世の帰依所たる方のもとへと近しく至って、法(教え)の説示を聞いて、善き覚慧ある、わたしの主人は、不還果に至り得たのだった。

 

120. そのとき、わたしは、〔彼に〕承認させて、〔家から〕家なきへと出家した。まさしく、長時ならずして、阿羅漢の資質に至り得た。

 

121. そのとき、〔或る〕在俗信者が、彼が、わたしのもとへと近しく赴いて、〔わたしに〕尋ねた──諸々の深遠にして精緻なる問いを。わたしは、それらの全てを説き明かした。

 

122. 勝者は、その徳に満足し、わたしを、このことにおける至高〔の地位〕に据え置いた。〔世尊は言った〕「法(教え)の言説者たる比丘尼として、このような者を、他に、〔わたしは〕見ません。

 

123. すなわち、慧者たるダンマディンナーのようには。比丘たちよ、このように認めなさい」〔と〕。このように、わたしは、〔世の〕導き手たる方によって慈しまれた賢者として〔世に〕有る。

 

124. わたしによって、教師は世話され、覚者の教えは為された。重荷は置かれ、生存に導くものは完破された。

 

125. それを義(目的)として、家から家なきへと出家した〔わたし〕であるが、わたしによって、その義(目的)は獲得された──〔すなわち〕一切の束縛するものの滅尽は。

 

126. そして、〔わたしは〕諸々の神通における自在者として〔世に〕有る。天耳の界域における〔自在者としてもまた〕。教師の教えの為し手として、〔わたしは〕他者たちの心を知る。

 

127. 〔わたしは〕過去の居住(前世)を知る。天眼は清められた。一切の煩悩を投げ捨てて、清浄なる者として、極めて無垢なる者として、〔世に〕存した。

 

128. わたしの、諸々の〔心の〕汚れは焼尽し……略……煩悩なき者となり、〔世に〕住む。

 

129. わたしにとって、まさに、善き訪問として存した……略……覚者の教えは為された。

 

130. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。

 

 かくのごとく、まさに、ダンマディンナー比丘尼は、これらの詩偈を語った。ということで──

 

 ダンマディンナー長老尼の行状が、第三となる。

 

3. 4. サクラー長老尼の行状

 

131. パドゥムッタラという名の勝者が、一切の法(事象)の彼岸に至る方が、〔世の〕導き手たる方が、これより、十万カッパ〔の過去〕において、〔世に〕生起した──

 

132. 一切の有情たちの、利益のために、安楽のために、義(利益)のために、説者たちのなかの優れた方が、善き生まれの人士たる方が、天を含む〔世〕における実践者たる方が──

 

133. 至高の福徳に至り得た吉祥なる方が、名誉と栄誉に至った勝者が、一切の世〔の人々〕に供養される方が、一切の方角において〔世に〕聞こえた方が。

 

134. 彼は、疑惑を超え行った方は、懐疑を超克した方は、意と思惟が等しく満ちた方は、最上の正覚に至り得た方は──

 

135. 〔いまだ〕生起していない道を生起させる最上の人たる方は、そして、〔いまだ〕告知されていないものを告知し、さらに、〔いまだ〕産出されていないものを産出した。

 

136. そして、道の知者たる方は、道を知る方は、道の告知者たる方は、人の雄牛たる方は、道の巧みな智ある方は、教師は、馭者たちのなかの最上の優れた方は──

 

137. 偉大なる慈悲者たる方は、教師は、〔世の〕導き手たる方は、法(教え)を説示し、欲望の汚泥に潜った命ある者たちを等しく引き上げる。

 

138. ハンサヴァティーにおいて、そのとき、わたしは、士族(王)の喜びとして生まれたのだった──形姿を有する者として、さらに、また、財を有する者として、そして、お気に入りの吉祥なる者として。

 

139. アーナンダ大王の、最高に美しく輝く娘として、さらに、また、パドゥムッタラという名ある方の、異母姉妹として。

 

140. 王女たちを伴い、一切の装飾品に飾られた〔わたし〕は、偉大なる勇者のもとへと近しく赴いて、法(教え)の説示を聞いた。

 

141. まさに、そのとき、彼は、世の導師たる方は、天眼者たる比丘尼を、衆の中央において賛じ称えつつ、彼女を、〔このことにおける〕至高の地位に据え置いた。

 

142. その〔言葉〕を聞いて、欣喜したわたしは、教師に、布施を施して、そして、正覚者を供養して、天眼を切望した。

 

143. そののち、教師は、わたしに言った。〔パドゥムッタラ世尊は言った〕「ナンダーよ、〔あなたは〕切望したものを得るでしょう。法(正義)の布施である諸々の灯明の、この果は、善く判別されました。

 

144. これより、十万カッパ〔の未来〕において、オッカーカの家系を発生とし、姓としては、ゴータマという名の教師が、世に有るでしょう。

 

145. 彼の、諸々の法(教え)における、相続者として、正嫡として、法(教え)によって化作された者として、名としては、サクラーという名の、教師の弟子として〔世に〕有るでしょう」〔と〕。

 

146. その善行の行為によって、さらに、諸々の思欲による誓願によって、人間の肉身を捨棄して〔そののち〕、わたしは、三十三〔天〕に赴いた。

 

147. この幸いなるカッパにおいて、梵の眷属にして偉大なる福徳ある方が、姓としては、カッサパという名の、説者たちのなかの優れた方が、〔世に〕生起した。

 

148. そのとき、わたしは、独り歩む女性遍歴遊行者として〔世に〕存した。行乞〔の施食〕のために渡り歩いて、油のみを得た。

 

149. それによって、灯明を灯して、一切の統御ある方に奉仕した──〔すなわち〕至高の二足者たる方の塔廟に、清信した心で。

 

150. その善行の行為によって、さらに、諸々の思欲による誓願によって、人間の肉身を捨棄して〔そののち〕、わたしは、三十三〔天〕に赴いた。

 

151. そこかしこにおいて、〔わたしが〕再生するなら、その行為に由縁して、諸々の大いなる灯明が光り輝く──そこかしこにおいて、赴いたわたしのために。

 

152. 壁越しに、岩越しに、山を超え去って、求めるままに、わたしは見る。これは、灯明の布施の果である。

 

153. 清浄なる眼の者と成る。そして、福徳によって、わたしは光り輝く。まさしく、そして、信と智慧ある者と〔成る〕。これは、灯明の布施の果である。

 

154. そして、今や、最後の生存において、わたしは、婆羅門の家に生まれたのだった──多大なる財産と穀物ある〔家〕に、王に供養される歓喜ある〔家〕に。

 

155. わたしは、一切の肢体が成就した者として、一切の装飾品に飾られた者として、〔世に有った〕。窓に立ち、わたしは、都の入り口において、善き至達者たる方を〔見た〕。

 

156. 福徳によって光り輝いている、天〔の神々〕と人間たちに尊敬される方を見て──〔八十の〕付随する特徴を成就し、〔三十二の〕特相に飾られた方を〔見て〕──

 

157. 勇躍する心の者となり、悦意の者となり、出家〔の道〕を正しく選んだ。まさしく、長時ならずして、阿羅漢の資質に至り得た。

 

158. そして、〔わたしは〕諸々の神通における自在者として〔世に〕有る。天耳の界域における〔自在者としてもまた〕。教師の教えの為し手として、〔わたしは〕他者たちの心を知る。

 

159. 〔わたしは〕過去の居住(前世)を知る。天眼は清められた。一切の煩悩を投げ捨てて、清浄なる者として、極めて無垢なる者として、〔世に〕存した。

 

160. わたしによって、教師は世話され、覚者の教えは為された。重荷は置かれ、生存に導くものは完破された。

 

161. それを義(目的)として、家から家なきへと出家した〔わたし〕であるが、わたしによって、その義(目的)は獲得された──〔すなわち〕一切の束縛するものの滅尽は。

 

162. そののち、偉大なる慈悲者たる方は、わたしを、このことにおける至高〔の地位〕に据え置いた──「サクラーは、天眼者たちのなかの至高の者である」と、最上の人たる方は。

 

163. わたしの、諸々の〔心の〕汚れは焼尽し……略……煩悩なき者となり、〔世に〕住む。

 

164. わたしにとって、まさに、善き訪問として存した……略……覚者の教えは為された。

 

165. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。

 

 かくのごとく、まさに、サクラー比丘尼は、これらの詩偈を語った。ということで──

 

 サクラー長老尼の行状が、第四となる。

 

3. 5. ナンダー長老尼の行状

 

166. パドゥムッタラという名の勝者が、一切の法(事象)の彼岸に至る方が、〔世の〕導き手たる方が、これより、十万カッパ〔の過去〕において、〔世に〕生起した。

 

167. 〔人々の〕教諭者たる方は、〔人々の〕教授者たる方は、全ての命ある者たちを超え渡す方は、説示に巧みな智ある方は、覚者は、多くの人民を〔彼岸へと〕超え渡した。

 

168. 慈しみ〔の思い〕ある方は、慈悲の者たる方は、全ての命ある者たちの益を探し求める方は、至り得た全ての異教の者たちを、五つの戒において確立させた。

 

169. このように、混乱なきものとして、さらに、異教の者たちから空無なるものとして、〔その僧団は〕存した──自在者と成った者たちによって、如なる者たちによって、阿羅漢たちによって、様々な彩りあるものとなり。

 

170. 偉大なる牟尼は、まさしく、五十八ラタナ(長さの単位・一ラタナは約五十センチ)の高さがあり、価値ある黄金の似姿ある方として、三十二の優れた特相ある方として、〔世に有った〕。

 

171. 十万年のあいだ、まさしく、そのあいだ、寿命が見出される。彼は、〔世に〕止住している、それまでのあいだに、多くの人民を〔彼岸へと〕超え渡した。

 

172. ハンサヴァティーにおいて、そのとき、わたしは、長者の家に生まれ、〔世に〕有った──種々なる宝玉の光ある〔家〕に、大いなる安楽を供与された者として。

 

173. 彼のもとへと、偉大なる勇者のもとへと、近しく至って、法(教え)の説示を聞いた──不死にして最高の美味なる〔法〕を、最高の義(勝義)を語り知らせる〔法〕を。

 

174. そのとき、僧団を有する世の導き手たる方を招いて、大いなる布施を、彼に施して──清信した者となり、自らの〔両の〕手で──

 

175. 瞑想者たる比丘尼たちのなかの至高の地位を切望した──頭をもって平伏して、慧者に、僧団を有する世の導き手たる方に。

 

176. そのとき、調御されてない者たちを調御する方は、三つの世〔の界域〕の帰依所たる方は、〔世の〕覇者たる方は、人の馭者たる方は、〔わたしのことを〕説き明かした(授記した)。〔パドゥムッタラ世尊は言った〕「〔あなたは〕その善く切望したものを得るでしょう。

 

177. これより、十万カッパ〔の未来〕において、オッカーカの家系を発生とし、姓としては、ゴータマという名の教師が、世に有るでしょう。

 

178. 彼の、諸々の法(教え)における、相続者として、正嫡として、法(教え)によって化作された者として、名としては、ナンダーという名の、教師の弟子として〔世に〕有るでしょう」〔と〕。

 

179. その〔言葉〕を聞いて、歓喜した者と成って、そのとき、〔わたしは〕生あるかぎり、勝者を世話した──慈愛の心ある者となり、諸々の日用品によって、〔世の〕導き手たる方を。

 

180. その善行の行為によって、さらに、諸々の思欲による誓願によって、人間の肉身を捨棄して〔そののち〕、わたしは、三十三〔天〕に赴いた。

 

181. そこから死滅し、夜魔〔天〕に赴いた。そののち、わたしは、兜率〔天〕に赴き、そして、そののち、化楽〔天〕に〔赴き〕、そののち、自在〔天〕の都に〔赴いた〕。

 

182. そこかしこにおいて、〔わたしが〕再生するなら、その行為に由縁して、まさしく、そこかしこにおいて、王たちの王妃として権を為した。

 

183. そこから死滅し、人間たる〔境遇〕において、転輪王たちの、さらに、地方の王たちの、王妃として権を為した。

 

184. 天〔の神々〕たちにおいて、そして、人間たちにおいて、〔天と人の二つの〕得達を受領して、一切所において、安楽ある者と成って、幾多のカッパにおいて輪廻した。

 

185. 最後の生存に達し得たとき、極めて喜ばしきカピラという呼び名ある〔都〕(カピラヴァットゥ)において、わたしは、スッドーダナ王の娘として、非難されることなき者として、〔世に〕存した。

 

186. 吉祥によって形姿ある〔わたし〕を見て、喜びあるもの(ナンディタ)となり、その家は存した。それによって、わたしの名は、ナンダーという、壮麗にして最も優れたものと成った。

 

187. さらに、若くある全ての者たちのなかの、そして、〔最も〕美しき者として〔世に〕聞こえたのだった──彼女を、〔すなわち〕ヤソーダラーを除いて、その喜ばしき城市においてもまた。

 

188. 長兄(ブッダ)は、三つの世〔の界域〕における至高者たる方として〔世に有る〕。そのように、末の〔兄〕(ナンダ)は、阿羅漢として〔世に有る〕。独りある者として、家に依って立つ者として、〔世に有る〕わたしは、母によって、〔出家を〕遍く促されたのだった。

 

189. 〔母が言った〕「子よ、釈迦〔族〕の家に生まれ、覚者に従い生まれた、あなたが、ナンダともまた別れ別れに成った〔あなた〕が、いったい、どうして、家に居るのですか。

 

190. 老の支配ある者たちにとって、若さは、形姿は、不浄なるものと等しく思認されました。病を終極とし、さらに、また、病むべきものであり、生命は、死を終極とするものです。

 

191. あなたの、意を奪い去り、月の愛らしさある、この浄美なる形姿をもまた──諸々の装飾のなかの十分なる作り為しあるものを、吉祥なる大衣の似姿あるものを──

 

192. まさしく、世の真髄として集積されたものを、〔両の〕眼にとっての霊薬たるものを、功徳ある者たちに名誉を生むものを、ウッカーカの家の喜びたるものを──

 

193. まさしく、長時ならずして、老は、等しく打ち倒すでしょう。慈悲ある者よ、非難されることなき者よ、家を捨棄して、法(正義)〔の道〕を歩みなさい」〔と〕。

 

194. 母の言葉を聞いて、わたしは、〔家から〕家なきへと出家した──肉身によって、ただし、心によってではなく、形姿と若さ〔を失うこと〕に焦慮する者として。

 

195. そして、わたしのために、大いなる専念によって、他にも、瞑想によって、為すべきことを、そして、母は説く。しかしながら、わたしは、そこにおいて、邁進することなく〔有った〕。

 

196. そののち、偉大なる慈悲者たる方は、欲望〔の対象〕に情熱あるわたしを見て、形姿について厭離することを義(目的)として、勝者は、わたしの眼の道(視界)において──

 

197. 自らの威力によって、美しく輝く婦女を造作した──美しく、極めて好ましく、わたしよりもまた、善き形姿ある者を。

 

198. 極めて驚愕させる肉身ある彼女を見て、驚愕したわたしは、〔このように〕思い考えた。「果を有するものとして、わたしに〔有れ〕。そして、この利得は、人間のものにあらず」と。

 

199. わたしは、彼女に〔言った〕。「善き福運ある方よ、さあ、何によって、義(利益)があるのか、それを、わたしに説いてください。あなたの、家を、さらに、名と姓を、わたしに説いてください。すなわち、あなたにとって、愛しくあるなら」〔と〕。

 

200. 〔彼女が言った〕「善き福運ある方よ、騙し事の時ではありません。〔あなたの〕膝のうえに、わたし〔の頭〕を置かせてください。まさしく、坐りながら、わたしの手足を、しばらく休ませてください」〔と〕。

 

201. そののち、彼女は、美しい眼の者は、わたしの膝のうえに、頭を為して、臥した。彼女の額において、諸々の残忍にして最高に凶悪なることが沸き起こったのだった。

 

202. 彼女が〔頭を〕落とすと共に、吹出物が生起した(※)。そして、破断した死骸(肉体)から、膿と血が流れ出た。

 

※ テキストには upapajjatha とあるが、PTS版により udapajjatha と読む。

 

203. さらに、また、顔貌も破断し、死骸は腐臭あるものとなる。さらに、また、以前の肉体は、盛り上がり、そして、青黒くなる。

 

204. 彼女は、全ての肢体が動揺し、ムフンムフンと出息している。自らの苦痛を感受しながら、悲しみのままに嘆き悲しんだ。

 

205. 〔彼女が言った〕「〔わたしは〕苦痛に苦しむ者として〔世に〕有ります。そして、諸々の〔苦痛の〕感受が襲います。大いなる苦痛のうちに潜り込んだなか、友よ、わたしの帰依所と成ってください」〔と〕。

 

206. 〔わたしは言った〕「あなたの美しく輝く顔貌は、どこにあるのですか。あなたの高き鼻は、どこにあるのですか。あなたのビンバ〔の果〕の赤銅の優れた唇は、あなたの顔貌は、どこに赴いたのですか。

 

207. 月に似た色艶は、どこにあるのですか。螺貝の首は、どこに赴いたのですか。あなたの揺れるぶらんこのような〔両の〕耳は、〔今は〕醜い色艶を等しく具しています。

 

208. 〔あなたは〕鋭い芽のような行相となり、水瓶のように(※)汁の流れがあり、破断し腐った死骸となり、汚れた臭いが至り来ます。

 

※ テキストには kalikāva とあるが、PTS版により kalasā va と読む。

 

209. まさしく、欄干の胴があり、美しい尻があり、まさしく、〔胸は〕膨らみ、〔男を〕罪障に導く者たる〔あなた〕は、不純物で充満する者として〔世に〕生まれたのですね。ああ、形姿は、常久ならざるもの。

 

210. 肉体が産出したものは、全てが、腐臭あるものであり、〔人を〕恐怖させるものです。墓場のように気味の悪いものであり、そこにおいて、愚者たちは喜び楽しむのです」〔と〕。

 

211. そのとき、偉大なる慈悲者たる方は、わたしの兄にして世の導き手たる方は、畏怖の心あるわたしを見て、これらの詩偈を語った。

 

212. 〔世尊は言った〕「ナンダーよ、病んで腐った不浄なる積身を見よ。不浄〔の表象〕(不浄想:身体を不浄と見る観察)によって、一境に善く定められた心を修めよ。

 

213. 『すなわち、この〔身体〕のように、そのように、この〔死体〕は〔かつて存していた〕。すなわち、この〔死体〕のように、そのように、この〔身体〕は〔いずれ存するであろう〕』〔と〕、悪臭を放つものと、あるいは、腐ったものと、かくのごとく、愚者たちが愉悦する〔この身体〕を〔見よ〕。

 

214. 夜に、昼に、休みなく、このように、この〔身体〕を注視していると、そののち、〔あなたは〕自らの智慧によって、〔身体について〕厭離して、〔そのあるがままを〕見るであろう」〔と〕。

 

215. そののち、わたしは、諸々の見事に語られた詩偈を聞いて、極めて畏怖する者となり、まさしく、その場に立ち、〔そのように〕存しつつ、わたしは、阿羅漢の資質に至り得た。

 

216. そこかしこにおいて、わたしが坐ったなら、常に、瞑想を行き着く所とする者となる。勝者は、その徳に満足し、わたしを、このことにおける至高〔の地位〕に据え置いた。

 

217. わたしの、諸々の〔心の〕汚れは焼尽し……略……煩悩なき者となり、〔世に〕住む。

 

218. わたしにとって、まさに、善き訪問として存した……略……覚者の教えは為された。

 

219. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。

 

 かくのごとく、まさに、ナンダー比丘尼は、これらの詩偈を語った。ということで──

 

 ナンダー長老尼の行状が、第五となる。

 

3. 6. ソーナー長老尼の行状

 

220. パドゥムッタラという名の勝者が、一切の法(事象)の彼岸に至る方が、〔世の〕導き手たる方が、これより、十万カッパ〔の過去〕において、〔世に〕生起した。

 

221. そのとき、〔わたしは〕長者の家に生まれたのだった──安楽にして供養される愛しき者として。彼のもとへと、偉大なる勇者のもとへと、近しく至って、甘美なる言葉を聞いた。

 

222. 勝者は、精進に励む者たちのなかの至高者たる比丘尼を褒め称えた。その〔言葉〕を聞いて、歓喜した者と成って、教師のために、為すことを為して──

 

223. 正覚者を敬拝して、そのとき、その地位を切望した。偉大なる勇者は随喜した。〔パドゥムッタラ世尊は言った〕「あなたの誓願は実現せよ。

 

224. これより、十万カッパ〔の未来〕において、オッカーカの家系を発生とし、姓としては、ゴータマという名の教師が、世に有るでしょう。

 

225. 彼の、諸々の法(教え)における、相続者として、正嫡として、法(教え)によって化作された者として、名としては、ソーナーという名の、教師の弟子として〔世に〕有るでしょう」〔と〕。

 

226. その〔言葉〕を聞いて、歓喜した者と成って、そのとき、〔わたしは〕生あるかぎり、勝者を世話した──慈愛の心ある者となり、諸々の日用品によって、〔世の〕導き手たる方を。

 

227. その善行の行為によって、さらに、諸々の思欲による誓願によって、人間の肉身を捨棄して〔そののち〕、わたしは、三十三〔天〕に赴いた。

 

228. そして、今や、最後の生存において、わたしは、長者の家に生まれたのだった──サーヴァッティーの優れた都において、繁栄し、興隆する、大いなる財産ある〔家〕に。

 

229. そして、すなわち、若さ〔の盛り〕に至り得たとき、わたしは、亭主の家に赴いて、十子を生んだ──特別に善き形姿の者たちを。

 

230. そして、彼らは、全ての者たちが、安楽に満ち栄え、人々の眼と意を奪い、朋友ならざる者たちにとってもまた好ましくあり、ましてや、わたしにとって、彼らは、愛しき者たちとしてある。

 

231. そののち、わたしが欲していないのに、十子に囲まれた、〔まさに〕その、わたしの夫は、出家してしまった──天の天たる方の教えにおいて。

 

232. そのとき、独りある者となり、〔わたしは〕熟慮した。「わたしにとって、生命は、〔もはや〕十分なるものとして存せ──亭主と子たちに捨てられた、そして、惨めな年寄りにとっては。

 

233. わたしもまた、そこにおいて、赴くのだ──すなわち、わたしの亭主が至り得たところに」〔と〕。このように、わたしは思い考えて、〔家から〕家なきへと出家した。

 

234. そして、そののち、比丘尼たちは、わたしを、独り、比丘尼の在所に残して去って行った──「水を沸かせなさい」と、教諭を〔為して〕。

 

235. そのとき、水を持ち運んで、瓶から振り注いで、小さな〔器〕に据え置いて、坐した〔わたし〕は、そののち、心を定めた。

 

236. 〔五つの心身を構成する〕範疇()を、「常住ならざるものである」と見て、そして、「苦痛である」と〔見て〕、「自己ならざるものである」と〔見て〕、一切の煩悩を投げ捨てて、阿羅漢の資質に至り得た。

 

237. そのとき、比丘尼たちは帰って来て、熱水のことを尋ねた。〔わたしは〕火の界域を〔心に〕確立して、すみやかに、水を熱し沸かせた。

 

238. 驚愕した彼女たちは、優れた勝者に、この義(事態)を告げ知らせた。それを聞いて、歓喜した〔世の〕主たる方は、この詩偈を語った。

 

239. 〔世尊は言った〕「怠惰で精進に劣る者であるなら、そして、彼が、百年のあいだ、生きるとして、断固として精進に励んでいる者の一日の生のほうが、より勝っている」〔と〕。

 

240. 偉大なる勇者は、わたしの善き実践を喜び、彼は、偉大なる牟尼は、わたしのことを、精進に励む者たちのなかの至高の者と言った。

 

241. わたしの、諸々の〔心の〕汚れは焼尽し……略……煩悩なき者となり、〔世に〕住む。

 

242. わたしにとって、まさに、善き訪問として存した……略……覚者の教えは為された。

 

243. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。

 

 かくのごとく、まさに、ソーナー比丘尼は、これらの詩偈を語った。ということで──

 

 ソーナー長老尼の行状が、第六となる。

 

3. 7. バッダー・カーピラーニー長老尼の行状

 

244. パドゥムッタラという名の勝者が、一切の法(事象)の彼岸に至る方が、〔世の〕導き手たる方が、これより、十万カッパ〔の過去〕において、〔世に〕生起した。

 

245. ハンサヴァティーにおいて、そのとき、名としては、ヴィデーハという名の者が〔世に〕有った──多大なる宝玉ある長者として。わたしは、彼の妻として〔世に〕有った。

 

246. 或る時のこと、彼は、従者と共に、人の太陽たる方のもとへと近しく至って、覚者の法(教え)を聞いた──〔すなわち〕一切の苦痛と恐怖を打破する〔法〕を。

 

247. 〔世の〕導き手たる方は、払拭〔行〕を説く者(頭陀行者)たちのなかの至高者たる弟子を賛じ称えた。聞いて〔そののち〕、七日のあいだ、覚者に、如なる方に、布施を施して──

 

248. 〔覚者の〕足もとに、頭をもって平伏して、その地位を切望した。彼は、衆を笑喜させながら、まさに、そのとき、人の雄牛たる方は──

 

249. 長者への慈しみ〔の思い〕によって、これらの詩偈を語った。〔パドゥムッタラ世尊は言った〕「〔あなたは〕切望した地位を得るでしょう。子よ、涅槃に到達した者と成れ。

 

250. これより、十万カッパ〔の未来〕において、オッカーカの家系を発生とし、姓としては、ゴータマという名の教師が、世に有るでしょう。

 

251. 彼の、諸々の法(教え)における、相続者として、正嫡として、法(教え)によって化作された者として、姓としては、カッサパという名の、教師の弟子として〔世に〕有るでしょう」〔と〕。

 

252. その〔言葉〕を聞いて、歓喜した者と成って、そのとき、〔長者は〕生あるかぎり、勝者を世話した──慈愛の心ある者となり、諸々の日用品によって、〔世の〕導き手たる方を。

 

253. 彼は、教えを輝き照らして、悪しき異教の者たちを撃破して、そして、教導されるべき者たちを教導して、彼は、弟子を有する〔覚者〕は、涅槃に到達した者となる。

 

254. 彼が、世の至高者たる方が、涅槃に到達したとき、〔長者は〕教師の供養を義(目的)として、親族や朋友たちを集めて、彼らと共に、〔塔を〕作らせた──

 

255. 高くそびえ、宝玉で作られている、七ヨージャナの塔を、光り輝いている百光〔の太陽〕のような〔塔〕を、咲き誇るサーラ〔樹〕の王のような〔塔〕を。

 

256. そこにおいて、七十万の鉢を作らせた──葦の火〔の色艶〕のように、まさしく、諸々の七つの宝玉によって輝いている〔七十万の鉢〕を。

 

257. そこにおいて、香油を満たして、灯明に火を灯した──偉大なる聖賢の、一切の生類に慈しみ〔の思い〕ある方の、供養を義(目的)として。

 

258. 七十万の満ちた瓶を作らせた──まさしく、諸々の宝玉に満たされた〔七十万の瓶〕を、偉大なる聖賢の供養を義(目的)として。

 

259. 中央にある六十四の瓶には、価値ある黄金が直立し、秋の太陽のように、色艶によって輝きまさる。

 

260. 四つの門においては、宝玉で作られている〔四つの〕楼門が美しく輝き、宝玉で作られている諸々の喜ばしき延べ板が直立し、美しく輝く。

 

261. 諸々の美しく化作された頭飾が遍く囲み、遍照する。諸々の宝玉の幟が直立し、遍照する。

 

262. 美しく染められ、美しく作られ、彩りあざやかで、宝玉で作られている塔廟は、夕方の太陽のように、色艶によって輝きまさる。

 

263. 塔の三つの欄干を、〔一つは〕黄〔の塗装〕で満たし、一つは赤の絵具を〔塗り〕、そして、一つは黒〔の塗装〕で〔満たした〕。

 

264. 優れた説者たる方のために、このような喜ばしき供養を作り為させて、僧団に、布施を施した──生あるかぎり、力のままに。

 

265. まさしく、その長者と共に、それらの功徳〔の行為〕を、全てにわたり、生あるかぎり作り為して、まさしく、〔彼と〕共に、善き境遇に赴いたのだった。

 

266. 天〔の神〕たる〔境遇〕において、さらに、人間において、〔天と人の二つの〕得達を受領して、影が、肉体と〔共に〕あるように、まさしく、彼と共に、輪廻した。

 

267. これより、九十一カッパ〔の過去〕において、ヴィパッシンという名の、〔世の〕導き手たる方が、典雅なる見た目ある方が、一切の法(事象)の〔あるがままの〕観察者たる方が、〔世に〕生起した。

 

268. バンドゥマティーにおいて、そのとき、この者(かつての長者)は、善き者と等しく思認された婆羅門として〔世に有った〕。徳をもってしては富者として存しつつもまた、しかしながら、財をもってしては極めて悪しき境遇の者として〔世に有った〕。

 

269. そのときもまた、わたしは、彼の婆羅門尼として、正しき心ある者として、〔世に〕存した。或る時のこと、彼は、優れた二生の者は、偉大なる牟尼と行き合った。

 

270. 人の衆のうちに坐り、不死の境処を説示している〔覚者〕を〔見て〕、法(教え)を聞いて、歓喜した〔彼〕は、一なる外衣を施した。

 

271. 一なる衣で家に赴いて、彼は、この〔言葉〕を説いた。〔彼が言った〕「大いなる功徳に随喜せよ。覚者のために、外衣が施されたのだ」〔と〕。

 

272. そのとき、わたしは、合掌を為して、極めて喜悦した者となり、〔彼に〕随喜した。〔わたしは言った〕「主よ、外衣は善く施されました──最勝の覚者のために、如なる方のために」〔と〕。

 

273. 〔彼は〕安楽にして福楽なる者と成って、種々なる生存において輪廻しながら、喜ばしきバーラーナシーの都において、王として、大地の長として、〔世に〕存した。

 

274. そのとき、わたしは、彼の王妃として、婦女たちの群れのなかの最上の者として、彼にとっての極めてお気に入りの者として、〔世に〕存した──夫の、過去の愛執によって。

 

275. 〔行乞の〕食のために渡り歩いている、それらの八者の、〔世の〕導き手たる独者たちを見て、〔彼は〕歓喜した者と成って、高価なる〔行乞の〕食を施して──

 

276. ふたたび招いて、宝玉の天幕を作って、鍛冶屋たちが作った、まさに、満足の行く、黄金の鉢を──

 

277. それらの全てを集めて、彼は、彼らに、布施を施した──黄金の坐において近しく坐した〔彼ら〕に、清信した者となり、自らの〔両の〕手で。

 

278. そのとき、カーシ王と共に、わたしもまた、その布施を施し、バーラーナシーにおいて、ふたたび、わたしは、カーシ〔国〕の村に生まれたのだった。

 

279. 彼は、栄える富豪の家に〔生まれ〕、安楽にして兄弟を有する者として〔世に有った〕。〔わたしは〕長兄の妻と成った──亭主に善き掟ある者として。

 

280. 独覚を見て、わたしの末の弟の分の食べ物を、彼に施して、彼(弟)がやってきたとき、教えてやった。

 

281. 彼は、布施を喜ばなかった──わたしが、彼(独覚)に施した、そのことから。彼は、覚者から、その食べ物を取り去って、まさしく、彼に、ふたたび施した。

 

※ テキストには Ukhā とあるが、PTS版により Buddhā と読む。

 

282. そのとき、わたしは、その食べ物を捨て放って、覚者に怒り、その鉢を泥で満たし、彼に、如なる方に、施した。

 

283. そして、布施にたいし、まさしく、さらに、収奪にたいし、敬いにたいし、さらに、また、怒りにたいし、等しき心と顔〔の彼〕を見て、そのとき、わたしは、激しく畏怖した。

 

284. ふたたび、鉢を収め取って、善き香り〔の水〕をもって清めて、清信した心の者となり、〔鉢を〕満たして、酪と共に、恭しく施した。

 

285. そこかしこにおいて、〔わたしが〕再生するなら、布施ゆえに、善き形姿の者と成る。しかしながら、覚者への流儀ならざる顔貌によって、悪しき臭いの者となる。

 

286. ふたたび、カッサパ勇者のために、塔廟が安置されたとき、歓喜したわたしは、黄金の優れた煉瓦を施した。

 

287. 四つの類の香料とともに、その煉瓦を積み上げて、悪しき臭いの汚点から解き放たれた〔わたし〕は、全ての肢体が善く備わった者となる。

 

288. まさしく、諸々の七つの宝玉によって、七千の鉢を作らせて、千ずつに、酪を満たし、そして、灯芯を──

 

289. 置いて、〔火を〕灯して、七列に据え置いた──〔世の〕主たる方の供養を義(目的)として、清信した者となり、自らの〔両の〕手で。

 

290. そのときもまた、わたしは、特別なることから、その功徳における分有者となり(※)、ふたたび、〔彼は〕カーシ〔国〕に生まれたのだった──スミッタという〔名で世に〕聞こえた者として。

 

※ テキストには bhāginīyi とあるが、PTS版により bhāginī 'haṃ と読む。

 

291. わたしは、彼の妻として〔世に〕存した──安楽にして、福楽なる、愛しき者として。そのとき、牟尼たる独者のために、〔わたしは〕重厚なる帯を施した。

 

292. またも、〔わたしは〕最上の布施に歓喜して、彼の〔功徳における〕分有者として〔世に〕存し、ふたたび、また、〔彼は〕カーシ〔国〕の国土に生まれたのだった──コーリヤ〔族〕の生まれとして。

 

293. そのとき、〔彼は〕五百の者たちと共に、コーリヤ族の五百の独覚たちに等しく奉仕した。

 

294. 三月のあいだ、〔彼らを〕満足させて、そして、三つの衣料を施した。そのとき、〔わたしは〕彼の妻として〔世に〕存した──功徳の行為の道に従い行く者として。

 

295. そこから死滅した〔彼〕は、ナンダという名の、大いなる福徳ある王として〔世に〕有った。またも、〔わたしは〕彼の王妃として、一切の欲望が等しく実現する者として、〔世に〕存した。

 

296. そのとき、〔彼は〕大地の長たるブラフマダッタ王と成って、そのとき、〔わたしは〕パドゥマヴァティー族の牟尼たる独者たちに──

 

297. 欠くことなく五百の者たちに、生あるかぎり奉仕した。王の庭園に居住させて、そして、涅槃に到達した者たちを供養した。

 

298. そして、塔廟を作らせて、わたしたちは、両者ともに出家して、〔四つの〕無量なる〔心〕を修めて、梵の世に赴いた。

 

299. そこから死滅した〔彼〕は、マハーティッタ〔村〕において、ピッパラーヤナ〔という名〕の善き生まれの者として〔世に有った〕。母は、スマナデーヴィーという〔名の者〕であり、父は、コーシ姓の二生の者である。

 

300. わたしは、マッダ地方において、最上の都のサーカラーにおいて、カッピラ〔族〕の二生の者の娘として〔世に〕存した。母は、スチーマティーである。

 

301. 父は、わたしの純金の像を化作して、わたしを、慧者たるカッサパ(ピッパラーヤナ)に、諸々の欲望の回避者に、施した。

 

302. 或る時のこと、慈悲の者にして行為の熟視者たる彼は、〔外に〕赴いて、烏等々〔の鳥〕たちに喰われている命あるものたちを見て、畏怖した。

 

303. わたしは、まさしく、家において、諸々の生じた胡麻を、熱光が焼くのを見て、虫や烏たちに喰われているのを〔見て〕、そのとき、畏怖〔の思い〕を得た。

 

304. そのとき、慧者たる彼は、出家した。わたしは、彼に従い出家した。わたしは、五年のあいだ、遍歴遊行者の掟において〔世に〕住した。

 

305. すなわち、ゴータミーが、勝者の養育者が、出家者として存したとき、そのとき、わたしは、彼女のもとへと近しく赴いて、覚者によって教示されたのだった。

 

306. まさしく、長時ならずして、阿羅漢の資質に至り得た。ああ、カッサパの、吉祥なる者の、善き朋友たることよ。

 

307. 覚者の息子にして相続者たるカッサパは、〔心が〕善く定められた者である。彼は、過去(前世)の居住を知った。かつまた、〔人々が死後に赴く〕天上と悪所を〔あるがままに〕見る。

 

308. さらに、生の滅尽に至り得た者であり、〔あるがままの〕証知が完成された牟尼である。これらの三つの明知によって、三つの明知ある婆羅門として〔世に〕有る。

 

309. まさしく、そのように、バッダー・カーピラーニーは、三つの明知ある者であり、死魔〔の領域〕を捨棄する者である。軍勢を有する悪魔に勝利して、最後の肉身を保つ(死後、涅槃に行く)。

 

310. 世における危険を見て、両者ともに出家した、わたしたちである。〔まさに〕その、〔わたしたちは〕煩悩が滅尽した者たちであり、〔自己が〕調御された者たちとして〔世に〕存している──〔心が〕清涼と成った者たちであり、涅槃に到達した者たちとして〔世に〕存している。

 

311. わたしの、諸々の〔心の〕汚れは焼尽し……略……煩悩なき者となり、〔世に〕住む。

 

312. わたしにとって、まさに、善き訪問として存した……略……覚者の教えは為された。

 

313. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。

 

 かくのごとく、まさに、バッダー・カーピラーニー比丘尼は、これらの詩偈を語った。ということで──

 

 バッダー・カーピラーニー長老尼の行状が、第七となる。

 

3. 8. ヤソーダラー長老尼の行状

 

314. 或る時のこと、喜ばしく富めるラージャガハの都において、或る優れた山窟において、人の導き手たる方が住していると──

 

315. その城市において、喜ばしき比丘尼の在所に住している、ヤソーダラー比丘尼に、このように思考するところが存した。

 

316. 〔すなわち〕「スッドーダナ大王は、さらに、ゴータミー夫人も──証知の者たる大いなる長老たちは、さらに、大いなる神通ある長老尼たちも──

 

317. まさしく、寂静に赴いた者たちとして、彼らは存した(涅槃に到達した)──灯明の炎のように、煩悩なき者たちとして。世の主たる方が、まさしく、〔身を〕保っているうちに、そして、わたしもまた、至福の境処(涅槃)に──

 

318. 赴くのだ」と思い考えて、自己の寿命を見つつ、まさしく、その日において、寿命を形成する働き()が滅尽に至ったのを見て──

 

319. 鉢と衣料を取って、自らの庵所から出て、十万の比丘尼たちに囲まれ、彼女は──

 

320. 大いなる神通ある者は、大いなる智慧ある者は、正覚者のもとへと近づいて行った。正覚者を、教師の〔両の足の〕輪の特相を、敬拝して、一方に坐り、この言葉を説いた。

 

321. 〔ヤソーダラーは言った〕「わたしは、〔生まれて〕七十八年の者であり、命数は、最後のものとして転起します。偉大なる牟尼よ、山窟に至り得た〔わたし〕は告げます。

 

322. わたしの命数は、完熟し、わたしの生命は、僅かです。〔それを〕捨棄して、まさに、〔わたしは〕赴きます。わたしによって、自己の帰依所は作られました。

 

323. 命数の最後の時において、死は〔一切を〕破却します。偉大なる勇者よ、今日の夜、〔わたしは〕寂滅〔の境処〕に至り得るでしょう。

 

324. 偉大なる牟尼よ、生は、老は、病は、さらに、死は、存在しません。老と死なき都に、形成されたものではない〔涅槃〕に、〔わたしは〕赴きます。

 

325. およそ、教師に等しく近侍する、まさに、衆としてあるかぎりの、罪科を知らずにいる者たちは、牟尼の面前にて、〔わたしを〕許したまえ。

 

326. そして、輪廻のうちに輪廻して、もし、わたしに、あなたにたいし、躓きがあるなら、偉大なる勇者よ、〔わたしは〕告げます。わたしの罪科を許したまえ」〔と〕。

 

327. 彼女の言葉を聞いて、牟尼のインダたる方は、この〔言葉〕を説いた。〔世尊は言った〕「涅槃に行きつつある、あなたに、さらなる何を、〔わたしが〕言示するというのでしょう。

 

328. わたしの教えの為し手よ、では、また、神通を実示しなさい。そして、全ての衆たちの、あるかぎりの疑いを断つのです」〔と〕。

 

329. 牟尼の、その言葉を聞いて、彼女は、ヤソーダラー比丘尼は、彼を、牟尼の王たる方を、敬拝して、この言葉を説いた。

 

330. 〔ヤソーダラーは言った〕「勇者よ、わたしは、ヤソーダラーは、あなたの家における夫人として〔世に有りました〕。釈迦〔族〕の家に生まれ、妃に立てられたのでした。

 

331. 九百万と、さらに六十〔万〕の、婦女たちがいるなかで、勇者よ、わたしは、あなたの家における筆頭の者として、全ての権力ある者として──

 

332. 形姿と習行を具した者として、若さ〔の盛り〕に止住する愛語の者として、〔世に有りました〕。全ての者たちが、わたしを敬います──人間たちが、天神たちを〔敬う〕ように。

 

333. 筆頭となる十万の少女たちは、釈迦族の住居地において、楽苦を等しくします──〔天の〕ナンダナ〔林〕における天神たちのように。

 

334. 欲望の界域(欲界)を超え行って、形態の界域(色界)において確立した者であれ、形態〔の観点〕によって、〔わたしと〕同等の者は存在しません──世の導き手たる方を除いて」〔と〕。

 

335. 〔彼女は〕正覚者を敬拝して、教師に、神通を見示した。無数にして種々なる種類の行相ある、大いなる神通をもまた見示した。

 

336. 身体をチャッカ・ヴァーラに等しきものと〔為して〕、頭は〔北の〕ウッタラクル〔洲〕、両脇は〔東と西の〕二つの洲、肉体は〔南の〕ジャンブ洲──

 

337. そして、南の流れは尾翼、さらに、種々なる支流は翼、そして、月を、さらに、日を、眼と〔為して〕、メールの山は冠毛──

 

338. チャッカ・ヴァーラの山を嘴と〔為して〕、根を有するジャンブ樹を〔扇と為して〕扇ぎながら、近しく赴いて、世の導き手たる方を敬拝しながら──

 

339. 象の姿を、まさしく、そのように、馬〔の姿〕を、そのように、山を、海を、月を、日を、メールを、さらに、帝釈〔天〕の姿を、見示した。

 

340. 〔ヤソーダラーは言った〕「勇者よ、眼ある方よ、わたしは、ヤソーダラーは、〔あなたの両の〕足を敬拝します」〔と〕。〔彼女は〕千の世の界域を、咲き誇る蓮華で覆い隠した。

 

341. そして、梵の姿を造作して、法(事象)の空なることを説示した。〔ヤソーダラーは言った〕「勇者よ、眼ある方よ、わたしは、ヤソーダラーは、〔あなたの両の〕足を敬拝します。

 

342. そして、〔わたしは〕諸々の神通における自在者として〔世に〕有ります。天耳の界域における〔自在者としてもまた〕。偉大なる牟尼よ、〔わたしは〕心を探知する知恵の自在者として〔世に〕有ります。

 

343. 〔わたしは〕過去の居住(前世)を知ります。天眼は清められました。一切の煩悩は完全に滅尽し、今や、さらなる生存は存在しません。

 

344. 義(意味)と法(性質)と言語において、さらに、まさしく、そのように、応答において、偉大なる勇者よ、わたしには、知恵があります──あなたの現前において生起した〔知恵〕が。

 

345. 過去の世の主たる方たちとの出会いが、あなたによって実示されました。わたしには、多くの献身があります──偉大なる牟尼よ、あなたを義(目的)として。

 

346. 牟尼よ、わたしの、〔まさに〕その、満たされた善なる行為を、〔あなたは〕思念します──偉大なる勇者よ、あなたを義(目的)として、わたしによって蓄積された功徳〔の行為〕を。

 

347. 諸々の不能なる境位を避けて、習行ならざる〔行為〕を阻止して、偉大なる勇者よ、あなたを義(目的)として、わたしによって、生命が等しく施捨されました。

 

348. 幾千コーティ(倶胝:数の単位・一千万)のあいだ、わたしを、〔あなたの〕妻たることを義(目的)として、〔あなたに〕施しました──そこにおいて、意が離れる者と成ることなく、偉大なる牟尼よ、あなたを義(目的)として。

 

349. 幾千コーティのあいだ、わたしを、〔あなたの〕資益のために、〔あなたに〕施しました──そこにおいて、意が離れる者と成ることなく、偉大なる牟尼よ、あなたを義(目的)として。

 

350. 幾千コーティのあいだ、わたしを、〔あなたの〕受益を義(目的)として、〔あなたに〕施しました──そこにおいて、意が離れる者と成ることなく、偉大なる牟尼よ、あなたを義(目的)として。

 

351. 幾千コーティのあいだ、諸々の生命を、〔わたしは〕遍捨しました。『恐怖からの解脱を、〔わたしは〕為すでしょう。わたしの生命を、〔あなたに〕施します』〔と〕。

 

352. 肢体に具した、〔装いを〕十分に作り為す、種々なる種類の多くの衣を、諸々の婦女の装飾を、秘密にすることはありません──偉大なる牟尼よ、あなたを義(目的)として。

 

353. 財産と穀物の遍捨を〔為し〕、諸々の村が、そして、諸々の町が、偉大なる牟尼よ、田畑が、そして、子たちが、さらに、娘たちが、遍捨されました。

 

354. 象たちが、馬たちが、さらに、また、牛たちが、奴婢たちが、侍者たちが、偉大なる牟尼よ、あなたを義(目的)として、数えようもないものが、遍捨されました。

 

355. それを、〔あなたが〕わたしに告げ促すなら、乞い求める者にたいし、布施を施します。最上の布施を施しながら、わたしの意が離れるのを、〔わたしは〕見ません。

 

356. 種々なる種類の多くの苦痛が、そして、多くの種類の輪廻において、偉大なる牟尼よ、あなたを義(目的)として、数えようもないものが、受益されました。

 

357. 安楽に至り得た者として、〔わたしは〕随喜します。そして、諸々の苦痛のうちにあるも、失意の者と〔成り〕ません。切所において、均等の者として、〔わたしは〕有ります──偉大なる牟尼よ、あなたを義(目的)として。

 

358. すなわち、法(教え)を導引した、〔その〕道のままに、正覚者として、安楽と苦痛を受領して、偉大なる牟尼よ、〔あなたは〕覚りに至り得たのです。

 

359. そして、梵天たる正覚者に、世の導き手たるゴータマ〔世尊〕に、〔わたしは至り得たのです〕──他の世の主たる方たちとの出会いは、わたしよりも、あなたに多くあるとして。

 

360. わたしには、多くの献身があります──偉大なる牟尼よ、あなたを義(目的)として。諸々の覚者の法(教え)を探し求めているあなたの、侍者として、わたしは〔世に有りました〕。

 

361. そして、十万カッパ〔の過去〕において、さらに、四つのアサンケイヤ(阿僧祇:不可算不可測の巨大数)〔の過去〕において、ディーパンカラ〔世尊〕が、偉大なる勇者が、世の導き手たる方が、〔世に〕生起しました。

 

362. 辺境の地の境域において、如来を招いて、〔人々は〕満足した意図ある者たちとなり、彼のやってくる道を清めます。

 

363. その時にあって、彼(菩薩)は、スメーダという名の婆羅門として〔世に〕存しました。そして、至り来つつある一切を見る方(ディーパンカラ世尊)のために、道を設えました。

 

364. その時にあって、わたしは、婆羅門〔の家系〕を発生とする少女として〔世に〕存しました。名としては、スミッターという名の者であり、〔その〕集いへと近しく赴きました。

 

365. 教師の供養を義(目的)として、八つの手にする青蓮を携えて、人々の真ん中において、気高き聖賢(菩薩)を、〔わたしは〕見ました。

 

366. 長きにわたり従い行き、可愛にして、極めて愛らしく、意を奪い去る者を見て、そのとき、わたしの生命を、〔未来に〕果を有するものと、〔わたしは〕思いました。

 

367. そのとき、聖賢の、果を有するその勤勉を、〔わたしは〕見ました。過去の行為〔の果〕によって、正覚者にたいし、そして、また、わたしの心は清信しました。

 

368. 気高き意図ある聖賢にたいし、〔わたしは〕より一層、心を清信させました。〔わたしは言いました〕『他に施すべき者を、〔わたしは〕見ません。聖賢よ、〔八つの〕花を、あなたに施します。

 

369. 手にする五つは、あなたのものと成れ。聖賢よ、三つは、わたしのものと成れ。それによって、共に等しき者たちと成れ。聖賢よ、あなたの覚りを義(目的)として』〔と〕。

 

 〔以上が〕第四の朗読分となる。

 

370. 聖賢は、〔八つの〕花を収め取って、偉大なる福徳ある方のところに帰りました。偉大なる聖賢は、覚りを義(目的)として、人々の真ん中において、〔ディーパンカラ世尊を〕供養しました。

 

371. 人々の真ん中において、〔聖賢を〕見て、ディーパンカラ〔世尊〕は、偉大なる牟尼は、偉大なる勇者は、気高き意図ある聖賢のことを説き明かしました(授記した)。

 

372. これより、量るべくもないカッパ〔の過去〕において、ディーパンカラ〔世尊〕は、偉大なる牟尼は、わたしの行為のことを説き明かしました──真っすぐな状態のものとして、偉大なる牟尼は。

 

373. 〔ディーパンカラ世尊は言いました〕『〔彼女は〕正しい心ある者として、正しい行為ある者として、正しい為し手として、〔世に〕有るでしょう。偉大なる聖賢(菩薩)よ、あなたを義(目的)として、〔その〕行為によって、〔あなたの〕愛しき者として〔世に〕有るでしょう。

 

374. 善き見た目ある者として、そして、極めて愛しき者として、意に適う者として、愛語の者として、〔世に有るでしょう〕。彼の、諸々の法(教え)における、相続者として、神通ある者として、〔世に〕住むでしょう。

 

375. あたかも、また、主人のために、物品の箱を守るように、このように、この者は、諸々の善なる法(教え)のために、〔あなたを〕守るでしょう。

 

376. 〔まさに〕その、あなたを、慈しみつつ、諸々の完全態(波羅蜜・到彼岸)を円満するでしょう。獅子のように、檻を破って、この者は、覚りに至り得るでしょう』〔と〕。

 

377. すなわち、覚者が、わたしのことを説き明かした、これより、量るべくもないカッパ〔の未来〕において、その言葉を随喜しつつ、このように為す者として、わたしは〔世に〕有りました。

 

378. その善行の行為のために、そこにおいて、心を清信させました。数えようもない天〔の神〕と人間の胎を受領して──

 

379. 天〔の神々〕たちにおいて、そして、人間たちにおいて、わたしは、諸々の安楽と苦痛を受領して、最後の生存に達し得たとき、〔わたしは〕釈迦〔族〕の家に生まれました。

 

380. そののち、〔わたしは〕形姿ある者として、財物ある者として、福徳と戒ある者として、一切の肢体の成就ある者として、家々において尊敬される者として、〔世に〕有ります。

 

381. 利得があり、名声があり、尊敬があり、世の法(性質)の具現ある、そして、〔わたしの〕心は、苦しんだことが存在しません。〔わたしは〕何も恐れない者として〔世に〕住します。

 

382. そのとき、王の内宮において、まさに、このことが、世尊によって説かれました。勇者よ、そして、〔あなたは〕資益〔の道〕を、かつて、士族たちに釈示しました。

 

383. そして、それらの女たちが、資益者たちであれ、そして、それらの女たちが、安楽のうちにあるも、苦痛のうちにあるも、そして、それらの女たちが、義(道理)を告げ知らせる者たちであれ、そして、それらの女たちが、慈しみ〔の思い〕ある者たちであれ、〔それらの女たちに釈示しました〕。

 

384. 〔世尊は言いました〕『五百コーティ(倶胝:数の単位・一千万)の覚者たちが〔世に有り〕、さらに、九百コーティ〔の覚者たち〕が〔世に有ります〕。これらの天の天たる方たちのために、〔わたしは〕大いなる布施を転起させました。

 

385. わたしの献身は、大いなるもの。法(正義)の王よ、わたしの〔言葉を〕聞きなさい。千百コーティ〔の覚者たち〕が〔世に有り〕、さらに、千二〔百〕コーティの覚者たちが〔世に有ります〕。

 

386. これらの天の天たる方たちのために、〔わたしは〕大いなる布施を転起させました。わたしの献身は、大いなるもの。法(正義)の王よ、わたしの〔言葉を〕聞きなさい。

 

387. 二千コーティの覚者たちが〔世に有り〕、さらに、三千コーティ〔の覚者たち〕が〔世に有ります〕。これらの天の天たる方たちのために、〔わたしは〕大いなる布施を転起させました。

 

388. わたしの献身は、大いなるもの。法(正義)の王よ、わたしの〔言葉を〕聞きなさい。四千コーティ〔の覚者たち〕が〔世に有り〕、さらに、五千コーティ〔の覚者たち〕が〔世に有ります〕。

 

389. これらの天の天たる方たちのために、〔わたしは〕大いなる布施を転起させました。わたしの献身は、大いなるもの。法(正義)の王よ、わたしの〔言葉を〕聞きなさい。

 

390. 六千コーティの覚者たちが〔世に有り〕、さらに、七千コーティ〔の覚者たち〕が〔世に有ります〕。これらの天の天たる方たちのために、〔わたしは〕大いなる布施を転起させました。

 

391. わたしの献身は、大いなるもの。法(正義)の王よ、わたしの〔言葉を〕聞きなさい。八千コーティの覚者たちが〔世に有り〕、さらに、九千コーティ〔の覚者たち〕が〔世に有ります〕。

 

392. これらの天の天たる方たちのために、〔わたしは〕大いなる布施を転起させました。わたしの献身は、大いなるもの。法(正義)の王よ、わたしの〔言葉を〕聞きなさい。

 

393. 十万コーティの世の至高の導き手たる方たちが〔世に〕有ります。これらの天の天たる方たちのために、〔わたしは〕大いなる布施を転起させました。

 

394. わたしの献身は、大いなるもの。法(正義)の王よ、わたしの〔言葉を〕聞きなさい。他に、九千コーティの世の導き手たる方たちが〔世に有ります〕。

 

395. これらの天の天たる方たちのために、〔わたしは〕大いなる布施を転起させました。わたしの献身は、大いなるもの。法(正義)の王よ、わたしの〔言葉を〕聞きなさい。

 

396. 八百五十万コーティの偉大なる聖賢たちが〔世に有り〕、八千五百コーティ〔の偉大なる聖賢たち〕が〔世に有り〕、さらに、三十七コーティ〔の偉大なる聖賢たち〕が〔世に有ります〕。

 

397. これらの天の天たる方たちのために、〔わたしは〕大いなる布施を転起させました。わたしの献身は、大いなるもの。法(正義)の王よ、わたしの〔言葉を〕聞きなさい。

 

398. 六十四コーティの貪欲を離れた独覚たちが〔世に有ります〕。わたしの献身は、大いなるもの。法(正義)の王よ、わたしの〔言葉を〕聞きなさい。

 

399. 煩悩の滅尽者たちであり、〔世俗の〕垢を離れた者たちである、数えようもない〔数〕の覚者の弟子たちが〔世に有ります〕。わたしの献身は、大いなるもの。法(正義)の王よ、わたしの〔言葉を〕聞きなさい。

 

400. このように、法(正義)における善き歩みある者たちのために、常に法(正義)のために歩む者たちのために、法(正義)〔の道〕を歩む者は、この世において、さらに、他〔の世〕においても、安楽に臥します。

 

401. 善き行ないの法(正義)〔の道〕を歩むなら、〔まさに〕その、悪しき行ない〔の道〕を歩まないなら、この世において、さらに、他〔の世〕においても、安楽に臥します』〔と〕。

 

402. 〔わたしは〕輪廻にたいし厭い離れて、〔家から〕家なきへと出家しました──千の従者たちとともに出家して、無一物の者となり。

 

403. 〔わたしは〕家を捨棄して、家なきへと出家しました。半月に達し得ないうちに、四つの真理に至り得ました。

 

404. 衣料を、そして、〔行乞の〕施食を、日用品を、臥坐具を、多くのものを、人々は進呈します──諸々の波が、海洋に〔打ち寄せる〕ように(※)。

 

※ テキストには sāgareyeva とあるが、PTS版により sāgarass' eva と読む。

 

405. わたしの、諸々の〔心の〕汚れは焼尽し……略……煩悩なき者となり、〔世に〕住みます。

 

406. わたしにとって、まさに、善き訪問として存しました……略……覚者の教えは為されました。

 

407. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為されました。

 

408. このように、多くの種類の苦痛があり、さらに、多くの種類の得達があり、清浄の状態に得達した〔わたし〕は、一切の成就を得ます。

 

409. すなわち、功徳を義(目的)として、自らの自己を、偉大なる聖賢に施すなら、諸々の道友の成就が有り、形成されたものではない涅槃の境処が〔有ります〕。

 

410. そして、過去と現在と未来は完全に滅尽し、わたしの一切の行為は滅尽したのです。眼ある方よ、〔あなたの両の〕足を敬拝します」〔と〕。

 

 かくのごとく、まさに、ヤソーダラー比丘尼は、世尊の面前にて、これらの詩偈を語った。ということで──

 

 ヤソーダラー長老尼の行状が、第八となる。

 

3. 9. ヤソーダラーを筆頭とする一万の比丘尼たちの行状

 

411. 〔比丘尼たちは言った〕「そして、十万カッパ〔の過去〕において、さらに、四つのアサンケイヤ(阿僧祇:不可算不可測の巨大数)〔の過去〕において、ディーパンカラという名の勝者が、世の導き手たる方が、〔世に〕生起しました。

 

412. ディーパンカラ〔世尊〕は、偉大なる勇者は、〔世の〕導き手たる方は、説き明かしました(授記した)──楽苦を等しくする、そして、スメーダ(菩薩)のことを、さらに、スミッター(ヤソーダー)のことを。

 

413. そして、天を含む〔世〕を見ながら、天を含む〔世〕を渡り歩きながら、〔その〕集いに近しく赴いて、彼らへの〔覚者の〕賛じ称えあるとき、わたしたちは〔言いました〕。

 

414. 〔スメーダに、わたしたちは言いました〕『未来の出会いにおいて、わたしたちの全ての亭主と成ってください。まさしく、全ての者たちが、あなたの妻たちとして、意に適う者たちとして、愛語の者たちとして、〔世に有るでしょう〕』〔と〕。

 

415. 布施が、戒が、そして、修行が、この全てが、見事に修められました。偉大なる牟尼よ、さらに、長夜にわたり、わたしたちによって、全てが遍捨されました。

 

416. 香料が、塗料が、花飾が、そして、宝玉で作られている灯明が、偉大なる牟尼よ、それが何であれ、切望されたものは、全てが遍捨されました。

 

417. あるいは、また、他にも、為された行為が、そして、人間のものとしての遍き受益が、偉大なる牟尼よ、まさに、長夜にわたり、わたしたちによって、全てが遍捨されました。

 

418. 無数なる生の輪廻を〔輪廻しながら〕、わたしたちによって、多くの功徳もまた作られました。権力を受領して、種々なる生存において輪廻して──

 

419. 最後の生存に達し得たとき、釈迦族の住居地において、欲する色艶ある仙女たちは、種々なる家に再生したのでした。

 

420. 至高の利得によって盛名に至り得た者たちであり、全てに尊敬され供養される者たちであり、諸々の食べ物と飲み物の得者たちであり、常に敬われる者たちである、わたしたちは──

 

421. 家を捨棄して、家なきへと出家しました。半月に達し得ないうちに、全ての者たちが、寂滅〔の境処〕に至り得た者たちとして〔世に〕存しています。

 

422. 諸々の食べ物と飲み物の得者たる〔わたしたち〕のもとへと、そして、諸々の衣と臥坐具が、全ての日用品が、近しく至ります──常に、尊敬され供養される〔わたしたち〕のもとへと。

 

423. わたしたちの、諸々の〔心の〕汚れは焼尽し……略……煩悩なき者たちとなり、〔世に〕住みます。

 

424. わたしたちにとって、まさに、善き訪問として存しました……略……覚者の教えは為されました。

 

425. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為されました」〔と〕。

 

 かくのごとく、まさに、ヤソーダラーを筆頭とする一万の比丘尼たちは、世尊の面前にて、これらの詩偈を語った。ということで──

 

 ヤソーダラーを筆頭とする一万の比丘尼たちの行状が、第九となる。

 

3. 10. ヤソーダラーを筆頭とする一万八千の比丘尼たちの行状

 

426. 釈迦〔族の家系〕を発生とする一万八千の比丘尼たちは、ヤソーダラーを筆頭として、正覚者のもとへと近づいて行った。

 

427. 一万八千〔の比丘尼たち〕は、全ての者たちが、大いなる神通ある者たちとして〔世に〕有る。〔比丘尼たちは〕牟尼の〔両の〕足を敬拝しながら、〔持てる〕力のままに告げる。

 

428. 〔比丘尼たちは言った〕「偉大なる牟尼よ、生は、老は、病は、さらに、死も、滅尽したのです。〔世の〕導き手たる方よ、煩悩なき境処に、寂静なる不死〔の境処〕に、〔わたしたちは〕行きます。

 

429. 偉大なる牟尼よ、もし、また、全ての者たちに、かつて、躓きが存するなら、〔世の〕導き手たる方よ、罪科を知らずにいる者たちよ、わたしたちを許したまえ」〔と〕。

 

430. 〔世尊は言った〕「わたしの教えの為し手たちよ、では、また、神通を実示しなさい。そして、全ての衆たちの、あるかぎりの疑いを断ちなさい」〔と〕。

 

431. 〔比丘尼たちは言った〕「偉大なる牟尼よ、ヤソーダラーは、意に適う者であり、愛しき見た目ある者であり、偉大なる勇者よ、全ての者たちが、あなたの家における夫人たちとして〔世に有りました〕。

 

432. 九百万と、さらに六十〔万〕の、婦女たちがいるなかで、勇者よ、わたしたちは、あなたの家における筆頭の者たちとして、全ての権力ある者たちとして──

 

433. 形姿と習行を具した者たちとして、若さ〔の盛り〕に止住する愛語の者たちとして、〔世に有りました〕。全ての者たちが、わたしたちを敬います──人間たちが、天神たちを〔敬う〕ように。

 

434. 一万八千の全ての者たちが、釈迦〔族の家系〕を発生とする者たちであり、そのとき、福徳を保持する千の者たちは、筆頭の者たちとして、権力ある者たちとして、〔世に有りました〕。

 

435. 欲望の界域(欲界)を超え行って、形態の界域(色界)において確立した者であれ、形態〔の観点〕によって、〔わたしたちと〕同等の者は存在しません──偉大なる牟尼よ、千の者たちであれ」〔と〕。

 

436. 〔彼女たちは〕正覚者を敬拝して、教師に、神通を見示した。無数にして種々なる種類の行相ある、大いなる神通をもまた見示した。

 

437. 身体をチャッカ・ヴァーラに等しきものと〔為して〕、頭は〔北の〕ウッタラクル〔洲〕、両脇は〔東と西の〕二つの洲、肉体は〔南の〕ジャンブ洲──

 

438. そして、南の流れは尾翼、さらに、種々なる支流は翼、そして、月を、さらに、日を、眼と〔為して〕、メールの山は冠毛──

 

439. チャッカ・ヴァーラの山を嘴と〔為して〕、根を有するジャンブ樹を〔扇と為して〕扇ぎながら、近しく赴いて、世の導き手たる方を敬拝しながら──

 

440. 象の姿を、まさしく、そのように、馬〔の姿〕を、そのように、山を、海を、そして、月を、日を、メールを、さらに、帝釈〔天〕の姿を、見示した。

 

441. 〔比丘尼たちは言った〕「勇者よ、眼ある方よ、ヤソーダラーは、わたしたちは、〔あなたの両の〕足を敬拝します。人の導き手たる方よ、あなたの長き威光によって、〔これらの神通は〕完遂されたのです。

 

442. そして、〔わたしたちは〕諸々の神通における自在者たちとして〔世に〕有ります。天耳の界域における〔自在者たちとしてもまた〕。偉大なる牟尼よ、〔わたしたちは〕心を探知する知恵の自在者たちとして〔世に〕有ります。

 

443. 〔わたしたちは〕過去の居住(前世)を知ります。天眼は清められました。一切の煩悩は完全に滅尽し、今や、さらなる生存は存在しません。

 

444. 義(意味)と法(性質)と言語において、さらに、まさしく、そのように、応答において、偉大なる勇者よ、わたしたちには、知恵があります──あなたの現前において生起した〔知恵〕が。

 

445. 過去の世の主たる方たちとの出会いが、わたしたちに実示されました。わたしたちには、多くの献身があります──偉大なる牟尼よ、あなたを義(目的)として。

 

446. 牟尼よ、わたしたちの、〔まさに〕その、満たされた善なる行為を、〔あなたは〕思念します──偉大なる勇者よ、あなたを義(目的)として、わたしたちによって蓄積された諸々の功徳〔の行為〕を。

 

447. 諸々の不能なる境位を避けて、習行ならざる〔行為〕を阻止して、偉大なる勇者よ、あなたを義(目的)として、わたしたちによって、諸々の生命が施捨されました。

 

448. 幾千コーティ(倶胝:数の単位・一千万)のあいだ、わたしたちを、〔あなたの〕妻たることを義(目的)として、〔あなたに〕施しました──そこにおいて、意が離れる者たちと成ることなく、偉大なる牟尼よ、あなたを義(目的)として。

 

449. 幾千コーティのあいだ、わたしたちを、〔あなたの〕資益のために、〔あなたに〕施しました──そこにおいて、意が離れる者たちと成ることなく、偉大なる牟尼よ、あなたを義(目的)として。

 

450. 幾千コーティのあいだ、わたしたちを、〔あなたの〕受益を義(目的)として、〔あなたに〕施しました──そこにおいて、意が離れる者たちと成ることなく、偉大なる牟尼よ、あなたを義(目的)として。

 

451. 幾千コーティのあいだ、諸々の生命を、〔わたしたちは〕施捨しました。恐怖からの解脱を、〔わたしたちは〕為すでしょう。諸々の生命を、〔わたしたちは〕施捨しました。

 

452. 肢体に具した、〔装いを〕十分に作り為す、種々なる種類の多くの衣を、諸々の婦女の装飾を、秘密にすることはありません──偉大なる牟尼よ、あなたを義(目的)として。

 

453. 財産と穀物の遍捨を〔為し〕、諸々の村が、そして、諸々の町が、偉大なる牟尼よ、田畑が、そして、子たちが、さらに、娘たちが、遍捨されました。

 

454. 象たちが、馬たちが、さらに、また、牛たちが、奴婢たちが、侍者たちが、偉大なる牟尼よ、あなたを義(目的)として、数えようもないものが、遍捨されました。

 

455. それを、〔あなたが〕わたしたちに告げ促すなら、乞い求める者にたいし、布施を施します。最上の布施を施しながら、わたしたちの意が離れるのを、〔わたしたちは〕見ません。

 

456. 種々なる種類の多くの苦痛が、そして、多くの種類の輪廻において、偉大なる牟尼よ、あなたを義(目的)として、数えようもないものが、受益されました。

 

457. 安楽に至り得た者たちとして、〔わたしたちは〕随喜します。そして、諸々の苦痛のうちにあるも、失意の者たちと〔成り〕ません。一切所において、均等の者たちとして、〔わたしたちは〕有ります──偉大なる牟尼よ、あなたを義(目的)として。

 

458. すなわち、法(教え)を導引した、〔その〕道のままに、正覚者として、安楽と苦痛を受領して、偉大なる牟尼よ、〔あなたは〕覚りに至り得たのです。

 

459. そして、梵天たる正覚者に、世の導き手たるゴータマ〔世尊〕に、〔わたしたちは至り得たのです〕──他の世の主たる方たちとの出会いは、〔まさに〕その、わたしたちよりも、〔あなたに〕多くあるとして。

 

460. わたしたちには、多くの献身があります──偉大なる牟尼よ、あなたを義(目的)として。諸々の覚者の法(教え)を探し求めているあなたの、侍者たちとして、わたしたちは〔世に有りました〕。

 

461. そして、十万カッパ〔の過去〕において、さらに、四つのアサンケイヤ〔の過去〕において、ディーパンカラ〔世尊〕が、偉大なる勇者が、世の導き手たる方が、〔世に〕生起しました。

 

462. 辺境の地の境域において、如来を招いて、〔人々は〕満足した意図ある者たちとなり、彼のやってくる道を清めます。

 

463. その時にあって、彼(菩薩)は、スメーダという名の婆羅門として〔世に〕存しました。そして、至り来つつある一切を見る方(ディーパンカラ世尊)のために、道を設えました。

 

464. その時にあって、〔わたしたちの〕全ての者たちが、婆羅門〔の家系〕を発生とする者たちとして〔世に〕有りました。〔わたしたちは〕陸と水に生じる花々を、〔その〕集いに持ち運びました。

 

465. その時点において、その覚者は、ディーパンカラ〔世尊〕は、偉大なる福徳ある方は、偉大なる勇者は、気高き意図ある聖賢のことを説き明かしました。

 

466. 天を含む〔世〕において、地は、揺れ動き、響き渡り、等しく動転します──彼の行為を、気高き意図ある聖賢を、〔ディーパンカラ世尊が〕賛じ称えているとき。

 

467. 天女たちは、そして、人間たちは、さらに、また、わたしたちは、天を含む〔世の人々〕は、種々なる供養の物品を供養して、〔ディーパンカラ世尊に〕切望しました。

 

468. 覚者は、ジョーティディーパ(光輝の灯明)という名を有する方は、彼らに説き明かしました。〔ディーパンカラ世尊は言いました〕『すなわち、今日、切望者たちとして存する者たちは、彼らは、〔覚者に〕面前する者たちと成るでしょう』〔と〕。

 

469. すなわち、覚者が、わたしたちのことを説き明かした、これより、量るべくもないカッパ〔の未来〕において、その言葉を随喜しながら、このように為す者たちとして、わたしたちは〔世に〕有りました。

 

470. その善行の行為のために、彼のために、心を清信させました。数えようもない天〔の神〕と人間の胎を受領して──

 

471. 天〔の神々〕たちにおいて、そして、人間たちにおいて、諸々の安楽と苦痛を受領して、最後の生存に達し得たとき、〔わたしたちは〕釈迦〔族〕の家に生まれ、〔世に〕存しています。

 

472. そののち、〔わたしたちは〕形姿ある者たちとして、財物ある者たちとして、福徳と戒ある者たちとして、一切の肢体が成就した者たちとして、家々において尊敬される者たちとして、〔世に〕有ります。

 

473. 利得があり、名声があり、尊敬があり、世の法(性質)の具現ある、そして、〔わたしたちの〕心は、苦しんだことが存在しません。〔わたしたちは〕何も恐れない者たちとして〔世に〕住します。

 

474. そのとき、王の内宮において、まさに、このことが、世尊によって説かれました。勇者よ、そして、〔あなたは〕資益〔の道〕を、かつて、士族たちに釈示しました。

 

475. そして、それらの女たちが、資益者たちであれ、そして、それらの女たちが、安楽においても、苦痛においても、そして、それらの女たちが、義(道理)を告げ知らせる者たちであれ、そして、それらの女たちが、慈しみ〔の思い〕ある者たちであれ、〔それらの女たちに釈示しました〕。

 

476. 〔世尊は言いました〕『善き行ないの法(正義)〔の道〕を歩むなら、〔まさに〕その、悪しき行ない〔の道〕を歩まないなら、この世において、さらに、他〔の世〕においても、安楽に臥します』〔と〕。

 

477. 〔わたしたちは〕家を捨棄して、家なきへと出家しました。半月に達し得ないうちに、わたしたちは、四つの真理を体得しました。

 

478. 衣料を、そして、〔行乞の〕施食を、日用品を、臥坐具を、多くのものを、わたしたちに、〔人々は〕進呈します──諸々の波が、海洋に〔打ち寄せる〕ように。

 

479. わたしたちの、諸々の〔心の〕汚れは焼尽し、一切の〔迷いの〕生存は完破されました。象のように結縛を断ち切って、煩悩なき者となり、〔世に〕住みます。

 

480. わたしたちにとって、まさに、善き訪問として存しました──わたしたちにとって、覚者の現前にあることは。三つの明知は獲得され、覚者の教えは為されました。

 

481. 四つの融通無礙は〔実証され〕、そして、また、これらの八つの解脱も〔実証されました〕。六つの神知は実証され、覚者の教えは為されました。

 

482. このように、多くの種類の苦痛があり、さらに、多くの種類の得達があり、清浄の状態に得達した〔わたしたち〕は、一切の成就を得ます。

 

483. すなわち、功徳を義(目的)として、自らの自己を、偉大なる聖賢に施すなら、諸々の道友の成就が有り、形成されたものではない涅槃の境処が〔有ります〕。

 

484. そして、過去と現在と未来は完全に滅尽し、わたしたちの一切の行為もまた滅尽したのです。眼ある方よ、〔あなたの両の〕足を敬拝します」〔と〕。

 

485. 〔世尊は言った〕「涅槃のために説いている、あなたたちに、さらなる何を、〔わたしたちが〕言示するというのでしょう。まさに、形成された汚点が寂静となった、不死の境処に、〔あなたたちは〕至り得るのです」〔と〕。

 

 かくのごとく、まさに、ヤソーダラーを筆頭とする一万八千の比丘尼たちは、世尊の面前にて、これらの詩偈を語った。ということで──

 

 ヤソーダラーを筆頭とする一万八千の比丘尼たちの行状が、第十となる。

 

 クンダラケーシーの章が、第三となる。

 

 その〔章〕のための摂頌となる。

 

 〔そこで、詩偈に言う〕「クンダラー、まさしく、そして、ゴータミー、そして、ダンマディンナー、サクラー、そして、優れたナンダー、そして、ソーナー、カーピラーニー、ヤソーダラー──

 

 一万の比丘尼たち、一万八千〔の比丘尼たち〕があり、四百の詩偈があり、まさしく、そして、七十〔の詩偈〕があり、さらに、六つ〔の詩偈〕がある」〔と〕。

 

4. カッティヤーの章

 

4. 1. ヤサヴァティーを筆頭とする一万八千の比丘尼たちの行状

 

1. 〔比丘尼たちは言った〕「一切の〔迷いの〕生存は完全に滅尽し、解き放たれたものとして、〔それらの〕生存は存しています。そして、わたしたちに、一切の煩悩は存在しません。偉大なる勇者よ、〔わたしたちは〕告げます。

 

2. 過去の善なる行為は、それが何であれ、善きものとして、〔わたしたちによって〕切望されたものであり、偉大なる牟尼よ、あなたを義(目的)として、この遍き財物は施されたのです。

 

3. 覚者と独覚たちのために、さらに、弟子たちのために、〔わたしたちによって〕切望されたものであり、偉大なる牟尼よ、あなたを義(目的)として、この遍き財物は施されたのです。

 

4. 高きも低きも、この行為は、比丘たちのために、善きものとして、〔わたしたちによって〕切望されたものであり、偉大なる牟尼よ、高貴の家における奉公として、この〔行為〕は為されたのです。

 

5. まさしく、その白根(善根)に促され、行為〔の果〕の成就ある〔わたしたち〕は、人間を超越した者たちとして、士族の家に生まれました。

 

6. そして、為した行為〔の果〕の生起において、あるいは、また、生まれにおいて、一緒になり、最後〔の生存〕において、〔士族の〕家系を発生とする士族の女たちとして、一緒に生まれたのでした。

 

7. 〔わたしたちは〕形姿ある者たちとして、財物ある者たちとして、利得と尊敬によって供養される者たちとして、〔世に有ります〕──偉大なる勇者よ、内宮において、天〔の神々〕たちのナンダナ〔林〕におけるように。

 

8. 〔わたしたちは〕厭離して、家から家なきへと出家しました。数日が経過して、全ての者たちが、寂滅〔の境処〕に至り得た者たちとして〔世に〕存しています。

 

9. 衣料を、そして、〔行乞の〕施食を、日用品を、臥坐具を、多くのものを、わたしたちに、〔人々は〕進呈します──常に、尊敬され供養される〔わたしたち〕に。

 

10. わたしたちの、諸々の〔心の〕汚れは焼尽し、一切の〔迷いの〕生存は完破されました。象のように結縛を断ち切って、煩悩なき者となり、〔世に〕住みます。

 

11. わたしたちにとって、まさに、善き訪問として存しました──わたしたちにとって、覚者の現前にあることは。三つの明知は獲得され、覚者の教えは為されました。

 

12. 四つの融通無礙は〔実証され〕、そして、また、これらの八つの解脱も〔実証された〕。六つの神知は実証され、覚者の教えは為されました」〔と〕。

 

 かくのごとく、まさに、ヤサヴァティーを筆頭とする一万八千の士族の少女の比丘尼たちは、世尊の面前にて、これらの詩偈を語った。ということで──

 

 ヤサヴァティーを筆頭とする一万八千の比丘尼たちの行状が、第一となる。

 

4. 2. 八万四千の比丘尼たちの行状

 

13. 〔比丘尼たちは言った〕「八万四千の婆羅門の家系を発生とする者たちが、繊細なる手足ある者たちが、偉大なる牟尼よ、あなたの都において──

 

14. 庶民や隷民の家に生まれた者たちが、天〔の神々〕たちが、そして、龍たちが、妖精たちが、四つの洲の多くの少女たちが、偉大なる牟尼よ、あなたの都において──

 

15. 或る者たちは、出家者たちとして存し、多くの者たちが、真理を見る者たちとなり、そして、天〔の神々〕たちが、妖精たちが、龍たちが、未来において、〔真理を〕体得します。

 

※ テキストには sabbadassāvino hū とあるが、PTS版により saccadassāvino bahū と読む。

 

16. 一切の福徳を受領して、一切の成就に至り得て、あなたへの清信を獲得し、未来において、〔真理を〕覚ります。

 

17. さてまた、わたしたちは、婆羅門の娘たちであり、婆羅門の家系を発生とする者たちであり、偉大なる勇者よ、眼ある方よ、わたしたちは、〔あるがままを〕見ている方の〔両の〕足を敬拝します。

 

18. 全ての、〔迷いの〕生存は打ち砕かれ、根元の渇愛は完破され、〔心の〕悪習は等しく断ち切られ、功徳を形成する働きは引き裂かれました。

 

19. 全ての者たちが、禅定を境涯とする者たちであり、入定の自在を為した者たちであり、わたしたちは、常に、瞑想によって、法(真理)の喜びによって、〔世に〕住むでしょう。

 

20. そして、〔迷いの〕生存に導く無明は、さらに、また、諸々の形成する働きは、投棄されました。〔わたしたちは〕極めて見難き境処に赴いて、〔涅槃に到達します〕──〔世の〕導き手たる方よ、承認してください」〔と〕。

 

21. 〔世尊は言った〕「あなたたちは、わたしのために、〔為すべきことを〕為した者のために、長夜にわたり、資益ある者たちとして〔世に有りました〕。四つ〔の衆〕の疑念を断ち切って、全ての者たちが、寂滅〔の境処〕に赴きなさい」〔と〕。

 

22. 牟尼の〔両の〕足を敬拝して、神通の変異を為して、〔彼女たちの〕誰もが、光明を見示し、そして、他にも、暗黒を〔見示する〕。

 

23. 月と日を見示し、そして、魚を有する海洋を〔見示し〕、さらに、シネール(須弥山)の連なりを〔見示し〕、パーリッチャッタカ〔樹〕を見示する。

 

24. そして、神通によって、三十三〔天〕の居所を〔見示し〕、夜魔〔天〕を見示し、兜率〔天〕を〔見示し〕、諸天を〔見示する〕──諸々の化作〔天〕を、諸々の自在〔天〕を、諸々の大いなるイッサラ〔天〕を。

 

25. 〔彼女たちの〕誰もが、諸々の梵〔天〕を見示し、そして、高価なる〔瞑想のための〕歩行場を〔見示する〕。そして、梵の姿を造作して、法(事象)の空なることを説示する。

 

26. 種々なる変異を為して、教師に神通を見示して、全ての者たちが、力を見示し、教師の〔両の〕足を敬拝した。

 

27. 〔比丘尼たちは言った〕「そして、〔わたしたちは〕諸々の神通における自在者たちとして〔世に〕有ります。天耳の界域における〔自在者たちとしてもまた〕。偉大なる牟尼よ、〔わたしたちは〕心を探知する知恵の自在者たちとして〔世に〕有ります。

 

28. 〔わたしたちは〕過去の居住(前世)を知ります。天眼は清められました。一切の煩悩は完全に滅尽し、今や、さらなる生存は存在しません。

 

29. 義(意味)と法(性質)と言語において、さらに、まさしく、そのように、応答において、偉大なる勇者よ、わたしたちには、知恵があります──あなたの現前において生起した〔知恵〕が。

 

30. 過去の世の主たる方たちとの出会いが、わたしたちに実示されました。わたしたちには、多くの献身があります──偉大なる牟尼よ、あなたを義(目的)として。

 

31. 牟尼よ、わたしたちによって為された、〔まさに〕その、善なる行為を、それを思念したまえ──偉大なる勇者よ、あなたを義(目的)として、わたしたちによって蓄積された功徳〔の行為〕を。

 

32. これより、十万カッパ〔の過去〕において、パドゥムッタラ〔世尊〕が、偉大なる牟尼が、〔世に生起しました〕。ハンサヴァティーという名の都が、正覚者の家の依拠するところです。

 

33. ハンサヴァティー〔の城市〕の門あるところを、ガンガー〔川〕が、一切時に流れ行きます。比丘たちは、川に悩まされ、彼らは、赴くことを得ません。

 

34. 二日、まさしく、そして、三〔日〕、七日、ひと月のあいだ、そののち、四月が等しく満ちるあいだでさえも、彼らは、赴くことを得ません。

 

35. そのとき、サッタサーラ・ジャティラという名の国人が〔世に〕有りました。閉じ込められた比丘たちを見て、ガンガー〔川〕に、橋を作らせました。

 

36. そのとき、十万〔金〕をもって、ガンガー〔川〕に、橋を作らせました。さらに、此岸に、僧団の精舎を作らせました。

 

37. 女たちは、まさしく、そして、男たちは、さらに、高下諸々の家々は、彼(パドゥムッタラ世尊)のために、橋を、さらに、精舎を、彼らは、一致団結して作りました。

 

38. わたしたちは、そして、他の人間たちは、清信した心で、城市において、さらに、諸々の地方において、彼の、諸々の法(教え)における相続者たちとして──

 

39. 女たちは、男たちは、そして、少年たちは、まさしく、さらに、多くの少女たちは──彼らは、諸々の砂礫を、そして、橋のために、精舎のために、振りまきました。

 

40. 道の掃除を為して、諸々のカダリー〔樹の果実〕に満ちた鉢を、諸々の旗を、薫香を、そして、塗粉を、さらに、花飾を、教師のために、為すことを為して──

 

41. 橋と精舎を作らせて、〔世の〕導き手たる方を招いて、大いなる布施を施して、正覚を切望しました。

 

42. パドゥムッタラ〔世尊〕は、偉大なる勇者は、全ての命ある者たちを超え渡す方は、偉大なる牟尼は、ジャティラに、随喜を為しました。

 

43. 〔パドゥムッタラ世尊は言いました〕『十万〔カッパ〕が過ぎ行ったとき、幸いなるカッパ(賢劫:今現在のカッパ)が有るでしょう。種々なる生存を受領して、この者は、覚りに至り得るでしょう。

 

44. 誰であれ、手作業を為した者たちは、男も女も、未来の時において、全ての者たちが、〔覚者に〕面前する者たちと成るでしょう』〔と〕。

 

45. その行為の報いによって、さらに、諸々の思欲による誓願によって、天の居所に再生したのでした──〔まさに〕その〔わたしたち〕は、あなたの侍者たちとして。

 

46. 数えようもない天の安楽があり、さらに、数えようもない人間の〔安楽〕があり、〔まさに〕その〔わたしたち〕は、あなたを世話し、種々なる生存において輪廻しました。

 

47. 行為の成就が見事に為された、これより、十万カッパ〔の未来〕において、〔わたしたちは〕人間たちのなかの繊細なる者たちとして〔世に有ります〕──さらに、優れた天の都においても。

 

48. まさしく、そして、諸々の形姿と財物と盛名を、そして、さらに、名誉を、尊敬を、〔その〕全てを、常に得ます──行為の成就が見事に為されたのです。

 

49. 最後の生存に達し得たとき、〔わたしたちは〕婆羅門の家に生まれ、〔世に〕存しています──繊細なる手足ある者たちとして、釈迦族の住居地において。

 

50. 全ての時であろうが、〔装いを〕十分に作り為した地を、〔わたしたちが〕見ないことはありません。偉大なる牟尼よ、不浄なる泥土の地を、〔わたしたちが〕見ることはありません。

 

51. 家に住しているわたしたちに、尊敬を、全ての時に、全てのものを、常に、〔人々は〕進呈します──わたしたちの、過去の行為の果によって。

 

52. 〔わたしたちは〕家を捨棄して、家なきへと出家して、輪廻の道を超出した者たちとして、貪欲を離れた者たちとして、〔世に〕有ります。

 

53. 衣料を、そして、〔行乞の〕施食を、日用品を、臥坐具を、わたしたちに、常に、〔人々は〕進呈します──そこかしこから、数千のものを。

 

54. わたしたちの、諸々の〔心の〕汚れは焼尽し……略……煩悩なき者たちとなり、〔世に〕住みます。

 

55. わたしたちにとって、まさに、善き訪問として存しました……略……覚者の教えは為されました。

 

56. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為されました」〔と〕。

 

 かくのごとく、まさに、八万四千の婆羅門の少女の比丘尼たちは、世尊の面前にて、これらの詩偈を語った。ということで──

 

 八万四千の比丘尼たちの行状が、第二となる。

 

4. 3. ウッパラダーイカー長老尼の行状

 

57. 〔比丘尼は言った〕「アルナヴァティーの城市において、アルナという名の士族が〔世に有りました〕。〔わたしは〕その王の妻として〔世に〕有りました。〔わたしは、王に隠れて〕密事をはたらきます。

 

58. 静所に赴き、〔そこに〕坐って、そのとき、わたしは、このように思い考えました。『わたしによって為された善なる〔行為〕は、〔何も〕存在しない──密夫を取って〔そののち〕、わたしには。

 

59. 大いなる熱苦にして辛辣なるところに、おぞましき形態にして極めて辛酸なるところに、〔すなわち〕地獄に、まちがいなく、〔わたしは〕赴く。ここにおいて、わたしに、疑念は存在しない』〔と〕。

 

60. このように思い考えて、意図を奮い起こして、〔わたしは〕王のもとへと近づいて行って、この言葉を説きました。

 

61. 〔わたしは言いました〕『陛下よ、女たちは、まさに、わたしたちは、男たちにとって些末の者たちとして〔世に〕有りました。士族よ、一者の沙門を、わたしに与えたまえ。〔わたしは、彼を〕受益させるのです(わたしに布施の機会を与えてください)』〔と〕。

 

62. そのとき、王は、〔感官の〕機能を修めた沙門を、わたしに与えました。〔わたしは〕彼の鉢を収め取って、最高の食べ物で満たしました。

 

63. 〔鉢を〕満たして、最高の食べ物を、芳香の塗薬と共に、大いなる布で覆い隠して、満足した意図ある者となり、〔彼に〕施しました。

 

64. その善行の行為によって、さらに、諸々の思欲による誓願によって、人間の肉身を捨棄して〔そののち〕、わたしは、三十三〔天〕に赴きました。

 

65. 千の天の王の王妃として権を為しました。千の転輪〔王〕の王妃として権を為しました。

 

66. 数〔の観点〕からは数えようもない、広大なる地域の王権を〔為しました〕。そののち、その〔行為〕の、行為の果として、他にも、種々なる種類の多くのものが〔有りました〕。

 

67. わたしには、まさしく、青蓮の色艶があります。〔わたしは〕形姿麗しき者として、善き見た目ある者として、婦女の全ての肢体が成就した者として、善き生まれの者として、光輝を保持する者として、〔世に有りました〕。

 

68. 最後の生存に達し得たとき、〔わたしは〕釈迦〔族〕の家に生まれました。わたしは、スッドーダナ〔王〕の息子の、千の女の筆頭の者として〔世に有りました〕。

 

69. わたしは、家にたいし厭い離れて、〔家から〕家なきへと出家しました。第七の夜に達し得た〔わたし〕は、四つの真理に至り得ました。

 

70. 衣料を、そして、〔行乞の〕施食を、日用品を、臥坐具を、量ることができません。これは、〔行乞の〕施食の果です。

 

71. 牟尼よ、わたしの、〔まさに〕その、満たされた善なる行為を、〔あなたは〕思念します──偉大なる勇者よ、あなたを義(目的)として、わたしによって遍捨された多くのものを。

 

72. すなわち、〔わたしが〕布施を施した、そのとき、これより、三十一カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しません。これは、〔行乞の〕施食の果です。

 

73. 天〔の神〕たる〔境遇〕を、さらに、人間を、〔天と人の〕二つの境遇を、〔わたしは〕覚知します。他の境遇を、〔わたしは〕知りません。これは、〔行乞の〕施食の果です。

 

74. 高貴の家において、大家にして大いなる財産ある〔家〕において、〔わたしは〕生まれます。他の家において、〔わたしは〕生まれません。これは、〔行乞の〕施食の果です。

 

75. 種々なる生存において輪廻して、白根に促され、意に適わないものを、〔わたしは〕見ません。悦意によって作られた果です。

 

76. そして、〔わたしは〕諸々の神通における自在者として〔世に〕有ります。天耳の界域における〔自在者としてもまた〕。偉大なる牟尼よ、〔わたしは〕心を探知する知恵の自在者として〔世に〕有ります。

 

77. 〔わたしは〕過去の居住(前世)を知ります。天眼は清められました。一切の煩悩は完全に滅尽し、今や、さらなる生存は存在しません。

 

78. 義(意味)と法(性質)と言語において、さらに、まさしく、そのように、応答において、偉大なる勇者よ、わたしには、知恵があります──あなたの現前において生起した〔知恵〕が。

 

79. わたしの、諸々の〔心の〕汚れは焼尽し……略……煩悩なき者となり、〔世に〕住みます。

 

80. わたしにとって、まさに、善き訪問として存しました……略……覚者の教えは為されました。

 

81. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為されました」〔と〕。

 

 かくのごとく、まさに、ウッパラダーイカー比丘尼は、世尊の面前にて、これらの詩偈を語った。ということで──

 

 ウッパラダーイカー長老尼の行状が、第三となる。

 

4. 4. シンガーラ・マーター長老尼の行状

 

82. パドゥムッタラという名の勝者が、一切の法(事象)の彼岸に至る方が、〔世の〕導き手たる方が、これより、十万カッパ〔の過去〕において、〔世に〕生起した。

 

83. ハンサヴァティーにおいて、そのとき、わたしは、〔王の〕家臣の家に生まれ、〔世に〕有った──種々なる宝玉の光ある〔家〕に、繁栄し、興隆する、大いなる財産ある〔家〕に。

 

84. 大勢の人に囲まれ、父と共に赴いて、覚者の法(教え)を聞いて、〔家から〕家なきへと出家した。

 

85. 出家して〔そののち〕、身体による悪しき行為を避けた。言葉による悪しき行ないを捨棄して、生き方を完全に清めた。

 

86. 覚者にたいし、そして、法(教え)にたいし、清信した者となり、さらに、僧団にたいし、強き尊重〔の思い〕ある者となり、正なる法(教え)の聴聞に専念する者となり、覚者と会見することに情熱ある者となり──

 

87. そのとき、信によって信念した者たちのなかの至高の比丘尼のことを聞いた。その地位を切望して、三つの学びを円満した。

 

88. そののち、善き至達者たる方は、慈悲に志欲が従い行く方は、わたしに言った。〔パドゥムッタラ世尊は言った〕「その者の、如来にたいする信が、不動にして、善く確立されたなら、そして、その者の、戒が、善きものであり、聖者たちの欲するところであり、賞賛するところであるなら──

 

89. その者に、僧団にたいする清信が存在し、そして、真っすぐと成った見が〔存在するなら〕、彼のことを、〔賢者たちは〕『貧ならざる者』と言います。彼の生は、無駄ならざるものです。

 

90. それゆえに、そして、〔覚者にたいする〕信に、さらに、〔聖者たちの〕戒に、〔僧団にたいする〕清信に、法(教え)の見に、専念するべきです──思慮ある者となり、覚者たちの教えを〔常に〕思念しながら」〔と〕。

 

91. その〔言葉〕を聞いて、歓喜した〔わたし〕は、わたしの誓願のことを尋ねた。そのとき、至上にして無量なる方は、〔世の〕導き手たる方は、〔わたしのことを〕説き明かした。〔パドゥムッタラ世尊は言った〕「覚者にたいし清信した善き者として、〔あなたは〕その善く切望したものを得るでしょう。

 

92. これより、十万カッパ〔の未来〕において、オッカーカの家系を発生とし、姓としては、ゴータマという名の教師が、世に有るでしょう。

 

93. 彼の、諸々の法(教え)における、相続者として、正嫡として、法(教え)によって化作された者として、シンガーラ・マーターという〔名の〕、教師の弟子として〔世に〕有るでしょう」〔と〕。

 

94. その〔言葉〕を聞いて、歓喜した者と成って、そのとき、〔わたしは〕生あるかぎり、勝者を世話した──慈愛の心ある者となり、諸々の実践によって、〔世の〕導き手たる方を。

 

95. その善行の行為によって、さらに、諸々の思欲による誓願によって、人間の肉身を捨棄して〔そののち〕、わたしは、三十三〔天〕に赴いた。

 

96. そして、今や、最後の生存において、最上の都のギリッバジャにおいて、栄える長者の家に生まれたのだった──大いなる宝の蓄積ある〔家〕に。

 

97. シンガーラカという名の、わたしの子は、邪道を喜ぶ者として〔世に〕存した──見解の茂みに跳入し、〔六つの〕方角を供養することに専らとなり。

 

98. 種々なる方角を礼拝している〔わたしの子〕を、〔行乞の〕食のために、城市に行きつつ、〔覚者は見た〕。彼を見て、覚者は、〔世の〕導き手たる方は、道に立って、〔彼に〕教諭した。

 

99. 法(教え)を説示している彼の咆哮は、驚くべきものと成った。二コーティ(倶胝:数の単位・一千万)の男と女に、法(真理)の知悉(現観)が有った。

 

100. そのとき、わたしは、衆に赴いて、善き至達者たる方の語るところを聞いて、預流果に至り得た者となり、〔家から〕家なきへと出家した。

 

101. まさしく、長時ならずして、覚者と会見することに情熱ある〔わたし〕は、その随念を修めて、阿羅漢の資質に至り得た。

 

102. 覚者と会見することを義(目的)として、そして、一切時に、わたしは行く。まさしく、〔見飽きず〕満足なき者として、眼を喜ばせる〔覚者の〕形姿を、〔わたしは〕見る。

 

103. 一切の完全態から発生した優れた幸運の青き眼に、一切の浄美に満ち溢れた〔覚者の〕形姿に、〔見飽きず〕満足なき者として、わたしは〔世に〕住む。

 

104. 勝者は、その徳に満足し、わたしを、このことにおける至高〔の地位〕に据え置いた。〔世尊は言った〕「すなわち、シンガーラカの母は、信によって信念した至高の者である」〔と〕。

 

105. そして、〔わたしは〕諸々の神通における自在者として〔世に〕有る。天耳の界域における〔自在者としてもまた〕。偉大なる牟尼よ、〔わたしは〕心を探知する知恵の自在者として〔世に〕有る。

 

106. 〔わたしは〕過去の居住(前世)を知る。天眼は清められた。一切の煩悩は完全に滅尽し、今や、さらなる生存は存在しない。

 

107. 義(意味)と法(性質)と言語において、さらに、まさしく、そのように、応答において、偉大なる勇者よ、わたしには、知恵がある──あなたの現前において生起した〔知恵〕が。

 

108. わたしの、諸々の〔心の〕汚れは焼尽し……略……煩悩なき者となり、〔世に〕住む。

 

109. わたしにとって、まさに、善き訪問として存した……略……覚者の教えは為された。

 

110. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。

 

 かくのごとく、まさに、シンガーラ・マーター比丘尼は、これらの詩偈を語った。ということで──

 

 シンガーラ・マーター長老尼の行状が、第四となる。

 

4. 5. スッカー長老尼の行状

 

111. これより、九十一カッパ〔の過去〕において、ヴィパッシンという名の、〔世の〕導き手たる方が、典雅なる見た目ある方が、一切の法(事象)の〔あるがままの〕観察者たる方が、〔世に〕生起した。

 

112. バンドゥマティーにおいて、そのとき、わたしは、或るどこかの家に生まれたのだった。〔わたしは〕牟尼の法(教え)を聞いて、〔家から〕家なきへと出家した。

 

113. 多聞にして法(教え)を保つ者となり、そのように、即応即答〔の智慧〕ある者となり、さらに、また、種々様々な言説ある者となり、勝者の教えの為し手となり──

 

114. そのとき、〔わたしは〕法(教え)の言説を為して、〔世の〕利益のために、多くの人民を〔教え導いた〕。そこから死滅し、わたしは、兜率〔天〕に再生したのだった──福徳ある者として。

 

115. これより、三十一カッパ〔の過去〕において、炎のようなシキン〔世尊〕が、勝者が、説者たちのなかの優れた方が、福徳によって輝き渡りながら、世に生起した。

 

116. そのときもまた、〔わたしは〕出家して、覚者の教えにおける熟知者となり、諸々の勝者の言葉を輝き照らして、そこからもまた、三十三〔天〕に赴いたのだった。

 

117. まさしく、三十一カッパ〔の過去〕において、ヴェッサブーという名の、〔世の〕導き手たる方が、偉大なる知恵ある方が、〔世に〕生起した。そして、そのときもまた、まさしく、そのように、わたしは──

 

118. 出家して、法(教え)を保つ者となり、勝者の教えを輝き照らした。喜ばしき神の都に赴いて、大いなる安楽を受領した。

 

119. この幸いなるカッパにおいて、カクサンダ〔世尊〕が、最上の勝者が、人の帰依所たる方が、〔世に〕生起した。そして、そのときもまた、まさしく、そのように、わたしは──

 

120. 出家して、寿命のままに、牟尼の思うところを輝き照らして、そこから死滅し、わたしは、あたかも、自らの居所に〔赴く〕かのように、三十三〔天〕に赴いた。

 

121. まさしく、このカッパにおいて、〔世の〕導き手たるコーナーガマナ〔世尊〕が、世の帰依所たる方が、相克なき方が、不死〔の境処〕に赴いた方が、〔世に〕生起した。

 

122. そのときもまた、彼の、如なる方の、教えにおいて出家して、多聞にして法(教え)を保つ者となり、勝者の教えを輝き照らした。

 

123. まさしく、このカッパにおいて、カッサパ〔という名〕の、最上の牟尼が、世の帰依所たる方が、相克なき方が、死の終極に至る方が、〔世に〕生起した。

 

124. 彼の、人の勇者の、教えにおいてもまた、出家して、正なる法(教え)の学得者となり、遍き問い尋ねにおける熟達者となり──

 

125. 善き戒ある者となり、まさしく、そして、恥〔の思い〕ある者となり、三つの学びにおける熟知者となり、偉大なる牟尼よ、生あるかぎり、多くの法(教え)の言説を為して──

 

126. その行為の報いによって、さらに、諸々の思欲による誓願によって、人間の肉身を捨棄して〔そののち〕、わたしは、三十三〔天〕に赴いた。

 

127. そして、今や、最後の生存において、最上の都のギリッバジャにおいて、栄える長者の家に生まれたのだった──大いなる宝の蓄積ある〔家〕に。

 

128. すなわち、世の導き手たる方が、千の比丘たちに取り囲まれ、千の眼によって褒め称えられ、ラージャガハへと近しく赴いたとき──

 

129. 調御者たる方が、結髪者の過去ある調御者たちと共に、解脱者たる方が、解脱者たちと〔共に〕、黄金の金貨の色艶ある方が、世尊が、ラージャガハに入ったとき──

 

130. 〔まさに〕その、覚者の威力を見て、まさしく、徳の蓄積を聞いて、覚者にたいし、心を清信させて、彼を、〔持てる〕力のままに供養した。

 

131. そして、他時にあって、ダンマディンナーの現前において、家から出て、家なきへと出家した。

 

132. 諸々の髪が切られているとき、わたしは、諸々の〔心の〕汚れを焼き尽くした。出家して〔そののち〕、長からずして、わたしは、全ての教えを把握した。

 

133. そののち、大勢の人の集いにおいて、法(教え)を説示した。法(教え)が説示されているとき、法(真理)の知悉が有った。

 

134. 幾千の命ある者たちの、その〔法の知悉〕を知って、驚愕した夜叉は、ギリッバジャへと迷走して、わたしに清信した者となる。

 

135. ラージャガハにおいて、人間たちが、わたしに、何を為したというのだ。蜜を飲んだかのように、〔彼らは〕坐している──すなわち、不死の境処を説示しているスッカーに近侍することなく。

 

136. しかしながら、遮るものなく、混ざりものなしの、〔まさに〕その、滋養ある〔覚者の教え〕を、思うに、智慧を有する者たちは飲む──〔待ち望んだ〕雷雲〔の水〕を、旅行く者(遊行者)たちが〔飲み干す〕ように。

 

137. そして、〔わたしは〕諸々の神通における自在者として〔世に〕有る。天耳の界域における〔自在者としてもまた〕。偉大なる牟尼よ、〔わたしは〕心を探知する知恵の自在者として〔世に〕有る。

 

138. 〔わたしは〕過去の居住(前世)を知る。天眼は清められた。一切の煩悩は完全に滅尽し、今や、さらなる生存は存在しない。

 

139. 義(意味)と法(性質)と言語において、さらに、まさしく、そのように、応答において、偉大なる勇者よ、わたしには、知恵がある──あなたの現前において生起した〔知恵〕が。

 

140. わたしの、諸々の〔心の〕汚れは焼尽し……略……煩悩なき者となり、〔世に〕住む。

 

141. わたしにとって、まさに、善き訪問として存した……略……覚者の教えは為された。

 

142. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。

 

 かくのごとく、まさに、スッカー比丘尼は、これらの詩偈を語った。ということで──

 

 スッカー長老尼の行状が、第五となる。

 

 〔以上が〕第五の朗読分となる。

 

4. 6. アビルーパナンダー長老尼の行状

 

143. これより、九十一カッパ〔の過去〕において、ヴィパッシンという名の、〔世の〕導き手たる方が、典雅なる見た目ある方が、一切の法(事象)に眼ある方が、〔世に〕生起した。

 

144. バンドゥマティーにおいて、そのとき、わたしは、繁栄し、興隆する、大いなる家に、善き形姿の可愛の者として生まれたのだった──そして、人々に供養されるべき者として。

 

145. ヴィパッシン〔世尊〕のもとへと、世の導き手たる方のもとへと、偉大なる勇者のもとへと、近しく赴いて、法(教え)を聞いて、帰依所として、人の導き手たる方のもとへと近しく至った。

 

146. 諸戒において統御された者と成って、そして、最上の人たる方が涅槃に到達したとき、遺物の塔の上に、黄金の傘蓋を供養した。

 

147. 生あるかぎり、施捨を解き放ち、戒ある者として〔世に有った〕。そこから死滅し、人間の肉身を捨棄して〔そののち〕、わたしは、三十三〔天〕へと近しく赴いた。

 

148. そのとき、十の状況によって、残りの者たちを圧倒して──諸々の形態と音声によって、諸々の香りによって、諸々の味によって、そして、諸々の感触によって──

 

149. さらに、また、寿命によって、色艶によって、安楽によって、さらに、また、盛名によって、まさしく、そのように、優位なることによって──わたしは、〔他の者たちを〕超えて遍照した。

 

150. そして、今や、最後の生存において、カピラという呼び名ある〔都〕において、わたしは生まれたのだった──釈迦〔族〕のケーマカの娘として、ナンダーという名で〔世に〕聞こえた者として。

 

151. またも、〔わたしのことを〕形姿の成就ある麗しき者とする、愛すべき評判が、わたしに有った。すなわち、わたしが、若さ〔の盛り〕に至り得た者となり、備わる形姿に飾られたとき──

 

152. そのとき、釈迦〔族〕の者たちに、わたしを義(目的)として、極めて大いなる論争が有った。そののち、父は、〔わたしを〕出家させた。「釈迦〔族〕の者たちが滅し去ることがあってはならない」と。

 

153. 出家して〔そののち〕、如来のもとへと、形姿を嫌う方のもとへと、最上の人たる方のもとへと、〔彼の法を〕聞いて〔そののちは〕、近しく赴くことがない──わたしの形姿によって尊大となっていた〔わたし〕は。

 

154. 教諭〔の場〕にさえも赴かない──覚者を見ることに恐怖した〔わたし〕は。そのとき、勝者は、〔或る〕手段によって、自らの現前へと〔わたしを〕導いて──

 

155. 道の熟知者たる方は、神通によって、三者の婦女たちを実示した──〔一者は〕仙女の形姿に等しき若き者を、〔一者は〕老いた者を、〔一者は〕死んだ者を。

 

156. 三者を見て、願い求めが離貪した〔三つの〕死体を〔見て〕、極めて畏怖する者となり、生存について厭離する者となり、〔わたしは、そこに〕立った。そのとき、〔世の〕導き手たる方は、わたしに言った。

 

157. 〔世尊は言った〕「ナンダーよ、病んで腐った不浄なる積身を見よ──〔不浄物が常に〕滲み出ているものと、〔不浄物が常に〕流れ出ているものと、愚者たちが愉悦する〔この身体〕を〔見よ〕。

 

158. 不浄〔の表象〕(不浄想:身体を不浄と見る観察)によって、一境に善く定められた心を修めよ。『すなわち、この〔身体〕のように、そのように、この〔死体〕は〔かつて存していた〕。すなわち、この〔死体〕のように、そのように、この〔身体〕は〔いずれ存するであろう〕』〔と〕──

 

159. 夜に、昼に、休みなく、このように、この〔身体〕を注視していると、そののち、〔あなたは〕自らの智慧によって、〔身体について〕厭離して、〔世に〕住するでしょう」〔と〕。

 

160. 〔まさに〕その、わたしが、〔気づきを〕怠らず、根源のままに行じ歩んでいると、この身体は、内外共に、事実のとおりに見られた。

 

161. そこで、わたしは、身体について厭離した。かつまた、わたしは、内に離貪した。〔気づきを〕怠らず、束縛を離れ、〔心が〕寂静となった〔わたし〕は、涅槃に到達した者として〔世に〕存している。

 

162. そして、〔わたしは〕諸々の神通における自在者として〔世に〕有る。天耳の界域における〔自在者としてもまた〕。偉大なる牟尼よ、〔わたしは〕心を探知する知恵の自在者として〔世に〕有る。

 

163. 〔わたしは〕過去の居住(前世)を知る。天眼は清められた。一切の煩悩は完全に滅尽し、今や、さらなる生存は存在しない。

 

164. 義(意味)と法(性質)と言語において、さらに、まさしく、そのように、応答において、偉大なる勇者よ、わたしには、知恵がある──あなたの現前において生起した〔知恵〕が。

 

165. わたしの、諸々の〔心の〕汚れは焼尽し……略……煩悩なき者となり、〔世に〕住む。

 

166. わたしにとって、まさに、善き訪問として存した……略……覚者の教えは為された。

 

167. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。

 

 かくのごとく、まさに、アビルーパナンダー比丘尼は、これらの詩偈を語った。ということで──

 

 アビルーパナンダー長老尼の行状が、第六となる。

 

4. 7. アッダカーシー長老尼の行状

 

168. この幸いなるカッパにおいて、梵の眷属にして偉大なる福徳ある方が、姓としては、カッサパという名の、説者たちのなかの優れた方が、〔世に〕生起した。

 

169. そのとき、わたしは、彼の、覚者の、教えにおいて出家して、戒条(波羅提木叉:戒律条項)において統御された者として、かつまた、五つの〔感官の〕機能において〔統御された者として、世に有った〕。

 

170. そして、食べることについて量を知る者として、さらに、また、〔眠らずに〕起きていることに専念する者として、〔心の〕制止に専念する者として、〔世に〕住しつつ、わたしは、煩悩を離れ去った比丘尼のことを──

 

171. そのとき、汚れた心のわたしは、「遊女よ」と話し、罵倒した。その悪しき行為〔の報い〕によって、〔わたしは〕地獄において煮られた。

 

172. その行為〔の報い〕の残りによって、〔わたしは〕遊女の家に生まれた──まさしく、幾度も、他者に依止する者として。そして、最後の生において──

 

173. 〔過去の〕梵行の力によって、わたしは、カーシ〔国〕の長者の家に生まれ、諸天における仙女のような形姿の成就ある者として〔世に〕有った。

 

174. 美しいわたしを見て、最上の都のギリッバジャにおいて、〔人々は、わたしを〕遊女たる〔境遇〕に住まわせた──わたしの、〔過去の〕罵倒の力によって。

 

175. 〔まさに〕その、わたしは、最勝の覚者によって説示された正なる法(教え)を聞いて、過去〔の行為〕の残香を成就し、〔家から〕家なきへと出家した。

 

176. そのとき、〔戒の〕成就を義(目的)として、勝者の現前に赴きつつあるも、〔質悪き者たちに邪魔されて、赴くことができない〕。道に立ちはだかる質悪き者たちのことを聞いて、〔覚者が派遣した〕使者による〔戒の〕成就を、〔わたしは〕得た。

 

177. 一切の行為は完全に滅尽し、そして、まさしく、そのように、悪しき功徳も〔滅尽し〕、〔わたしは〕一切の輪廻を超え渡り、そして、遊女たる〔境遇〕は投げ捨てられた。

 

178. そして、〔わたしは〕諸々の神通における自在者として〔世に〕有る。天耳の界域における〔自在者としてもまた〕。偉大なる牟尼よ、〔わたしは〕心を探知する知恵の自在者として〔世に〕有る。

 

179. 〔わたしは〕過去の居住(前世)を知る。天眼は清められた。一切の煩悩は完全に滅尽し、今や、さらなる生存は存在しない。

 

180. 義(意味)と法(性質)と言語において、さらに、まさしく、そのように、応答において、偉大なる勇者よ、わたしには、知恵がある──あなたの現前において生起した〔知恵〕が。

 

181. わたしの、諸々の〔心の〕汚れは焼尽し……略……煩悩なき者となり、〔世に〕住む。

 

182. わたしにとって、まさに、善き訪問として存した……略……覚者の教えは為された。

 

183. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。

 

 かくのごとく、まさに、アッダカーシー比丘尼は、これらの詩偈を語った。ということで──

 

 アッダカーシー長老尼の行状が、第七となる。

 

4. 8. プンニカー長老尼の行状

 

184. ヴィパッシン世尊の、シキン〔世尊〕の、そして、ヴェッサブー〔世尊〕の、カクサンダ牟尼の、如なる方たるコーナーガマナ〔世尊〕の──

 

185. さらに、カッサパ覚者の──〔彼らの〕教えにおいて出家して、戒を成就した比丘尼となり、〔感官の〕機能が統御された賢明なる者となり──

 

186. 多聞にして法(教え)を保つ者となり、法(真理)と義(道理)の質問者となり、そして、諸々の法(教え)の、把握者となり、聞者となり、奉侍者となり──

 

187. 人々の中で説示しながら、わたしは、勝者の教えにおいて、〔世に〕有った。その多聞によって、わたしは、〔他の〕博愛なる者たちを軽んじた。

 

188. そして、今や、最後の生存において、最上の都のサーヴァッティーにおいて、わたしは、アナータピンディンの家に生まれたのだった──水汲みの奴婢として。

 

189. 〔わたしは〕水汲みに赴き、聞経者たる二生の者を見た。水の中で寒さに苦悩する彼を見て、この〔言葉〕を説いた。

 

190. 〔わたしは尋ねた〕「水汲み女のわたしは、寒いなか、常に、水に入ってきました──貴婦たちの、棒(鞭)の恐怖を恐れる者として、憤怒の言葉の恐怖に苦悩する者として。

 

191. 婆羅門よ、あなたは、何を恐れ、常に、水に入ってきたのですか(何を因として沐浴するのか)。〔あなたは〕五体を震わせながら、激しい寒さを感受しています。

 

192. 〔婆羅門は答えた〕「尊女よ、プンニカーよ、〔あなたは〕知っていながら、まさに、わたしに遍く問い尋ねます──善なる行為を為している〔わたし〕に、為した悪しき〔行為〕を封じ込めている〔わたし〕に。

 

193. もし、その者が──年長であれ、あるいは、青年であれ──悪しき行為を作り為すとして、彼もまた、水による灌頂ゆえに、悪しき行為から解き放たれます」〔と〕。

 

194. 〔わたしは、水から〕出つつある〔彼〕に、法(真理)と義(道理)を伴った句を告げ知らせた。そして、その〔言葉〕を聞いて、彼は、畏怖する者となり、出家して、阿羅漢と成った。

 

195. すなわち、百の空の〔瓶〕を満たす者として、奴婢の家に生まれたことから、それゆえに、わたしには、プンナー(円満者)という名がある。〔その〕わたしを、彼らは自由と為した。

 

196. そののち、長者に承認されて、〔家から〕家なきへと出家した。まさしく、長時ならずして、阿羅漢の資質に至り得た。

 

197. そして、〔わたしは〕諸々の神通における自在者として〔世に〕有る。天耳の界域における〔自在者としてもまた〕。偉大なる牟尼よ、〔わたしは〕心を探知する知恵の自在者として〔世に〕有る。

 

198. 〔わたしは〕過去の居住(前世)を知る。天眼は清められた。一切の煩悩は完全に滅尽し、今や、さらなる生存は存在しない。

 

199. 義(意味)と法(性質)と言語において、さらに、まさしく、そのように、応答において、わたしには、〔世俗の〕垢を離れる清浄の知恵がある──最勝の覚者に由縁して。

 

200. 修行によって、大いなる智慧ある者となり、まさしく、聞によって、聞ある者となり、〔我想の〕思量(:自他を比較し価値づける心)によって、卑しき家に生まれる者となる。まさに、行為は消失せず。

 

201. わたしの、諸々の〔心の〕汚れは焼尽し……略……煩悩なき者となり、〔世に〕住む。

 

202. わたしにとって、まさに、善き訪問として存した……略……覚者の教えは為された。

 

203. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。

 

 かくのごとく、まさに、プンニカー比丘尼は、これらの詩偈を語った。ということで──

 

 プンニカー長老尼の行状が、第八となる。

 

4. 9. アンバパーリー長老尼の行状

 

204. すなわち、降り注ぐ光を放つ、プッサという名の偉大なる牟尼がいる。わたしは、彼の妹として、士族の家に生まれ、〔世に〕存した。

 

205. 彼の法(教え)を聞いて、清信した心で、大いなる布施を施して、形姿の成就を切望した。

 

206. これより、三十一カッパ〔の過去〕において、シキン〔世尊〕が、世の至高の導き手たる方が、〔世に〕生起したのだった──世の灯火たる方として、三つの世〔の界域〕の帰依所たる方として、勝者が。

 

207. 喜ばしきアルナの都において、そのとき、〔わたしは〕婆羅門の家系を発生とする者として〔世に有った〕。激怒した〔わたし〕は、心が解脱した比丘尼を呪詛した。

 

208. 〔わたしは言った〕「まさしく、娼婦だ、無行の者だ、勝者の教えを汚す者だ」〔と〕。このように罵倒して、その悪しき行為によって──

 

209. 辛酸なる地獄に赴いて、大いなる苦しみに引き渡されたのだった。そこから死滅し、人間たちにおいて、〔わたしは〕苦行者として再生したのだった。

 

210. 一万生のあいだ、遊女たる〔境遇〕を作り為した。その悪しき〔行為の報い〕から解き放たれなかった──あたかも、劇毒を食べて〔苦しむ〕かのように。

 

211. カッサパ〔世尊〕のもとで、勝者の教えにおいて、〔わたしは〕梵行を習修した。その行為の報いによって、〔わたしは〕三十三〔天〕の都に生まれた。

 

212. 最後の生存に達し得たとき、〔わたしは〕化生の者として〔世に〕有った。アンバ〔樹〕の枝の間に生まれ、それによって、わたしは、「アンバパーリー(アンバ林の番人の子)」と〔呼ばれる〕(捨て子としてアンバ林に捨てられ、アンバ林の番人に育てられた)。

 

213. 〔一〕コーティ(倶胝:数の単位・一千万)の命ある者たちに取り囲まれ、〔わたしは〕勝者の教えにおいて出家した。覚者の正嫡の娘たる、わたしは、不動の境位に至り得た者として〔世に有る〕。

 

214. そして、〔わたしは〕諸々の神通における自在者として〔世に〕有る。天耳の界域における〔自在者としてもまた〕。偉大なる牟尼よ、〔わたしは〕心を探知する知恵の自在者として〔世に〕有る。

 

215. 〔わたしは〕過去の居住(前世)を知る。天眼は清められた。一切の煩悩は完全に滅尽し、今や、さらなる生存は存在しない。

 

216. 義(意味)と法(性質)と言語において、さらに、まさしく、そのように、応答において、わたしには、〔世俗の〕垢を離れる清浄の知恵がある──最勝の覚者に由縁して。

 

217. わたしの、諸々の〔心の〕汚れは焼尽し……略……煩悩なき者となり、〔世に〕住む。

 

218. わたしにとって、まさに、善き訪問として存した……略……覚者の教えは為された。

 

219. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。

 

 かくのごとく、まさに、アンバパーリー比丘尼は、これらの詩偈を語った。ということで──

 

 アンバパーリー長老尼の行状が、第九となる。

 

4. 10. ペーサラー長老尼の行状

 

220. この幸いなるカッパにおいて、梵の眷属にして偉大なる福徳ある方が、姓としては、カッサパという名の、説者たちのなかの優れた方が、〔世に〕生起した。

 

221. サーヴァッティーの優れた都において、わたしは、在俗信者の家に生まれ、彼を、優れた勝者を、見て、そして、〔彼の〕説示を聞いて──

 

222. 彼を、勇者を、帰依所に赴いて、そして、諸戒を受持した。或る時のこと、彼は、偉大なる勇者は、大勢の人の集いにおいて──

 

223. 人の雄牛たる方は、自己の現正覚(現等覚)を明示した──そして、苦しみ〔の真理〕を最初とする、過去に聞かれたことなき諸々の法(教え)について。

 

224. 眼が、そして、知恵が、かつまた、智慧が、さらに、明知の光明が、わたしに存した。その〔教え〕を聞いて、把握して、そして、比丘たちに遍く問い尋ねた。

 

225. その善行の行為によって、さらに、諸々の思欲による誓願によって、人間の肉身を捨棄して〔そののち〕、わたしは、三十三〔天〕に赴いた。

 

226. そして、今や、最後の生存において、長者の大いなる家に生まれたのだった。〔わたしは〕覚者のもとへと近しく至って、真理を伴った正なる法(教え)を聞いて──

 

227. 出家して、まさしく、長からずして、〔四つの〕真理の義(意味)を熟慮しながら、一切の煩悩を投げ捨てて、阿羅漢の資質に至り得た。

 

228. そして、〔わたしは〕諸々の神通における自在者として〔世に〕有る。天耳の界域における〔自在者としてもまた〕。偉大なる牟尼よ、〔わたしは〕心を探知する知恵の自在者として〔世に〕有る。

 

229. 〔わたしは〕過去の居住(前世)を知る。天眼は清められた。一切の煩悩は完全に滅尽し、今や、さらなる生存は存在しない。

 

230. 義(意味)と法(性質)と言語において、さらに、まさしく、そのように、応答において、わたしには、〔世俗の〕垢を離れる清浄の知恵がある──最勝の覚者に由縁して。

 

231. わたしの、諸々の〔心の〕汚れは焼尽し、一切の〔迷いの〕生存は完破された。象のように結縛を断ち切って、煩悩なき者となり、〔世に〕住む。

 

232. わたしにとって、まさに、善き訪問として存した──わたしにとって、覚者の現前にあることは。三つの明知は獲得され、覚者の教えは為された。

 

233. 四つの融通無礙は〔実証され〕、そして、また、これらの八つの解脱も〔実証された〕。六つの神知は実証され、覚者の教えは為された。

 

 かくのごとく、まさに、ペーサラー比丘尼は、これらの詩偈を語った。ということで──

 

 ペーサラー長老尼の行状が、第十となる。

 

 カッティヤーの章が、第四となる。

 

 その〔章〕のための摂頌となる。

 

 〔そこで、詩偈に言う〕「カッティヤー、まさしく、そして、婆羅門尼たち、そのように、ウッパラダーイカー、シンガーラ・マーター、そして、スッカー、アビルーパー、アッダカーシカー──

 

 そして、プンナー、そして、アンバパーリー、そして、ペーサラーがあり、それらの十者があり、ここにおいて、二百〔の詩偈〕があり、さらに、くわえて、四十二〔の詩偈〕がある」〔と〕。

 

 そこで、章の摂頌となる。

 

 〔そこで、詩偈に言う〕「スメーダー、エークーポーサター、クンダラケーシー、カッティヤーがあり、千三百の詩偈が、四十七〔の詩偈〕が、集録された。

 

 諸々の摂頌の詩偈と共に、分明なる者たちによって数えられた、千三百の詩偈があり、まさしく、そして、五十七〔の詩偈〕がある」〔と〕。ということで──

 

 テーリー・アパダーナ〔聖典〕は〔以上で〕完結となる。

 

 アパダーナ〔聖典〕は〔以上で〕完結となる。