小部経典(クッダカ・ニカーヤ)
10. 1. テーラ・アパダーナ聖典(譬喩経・第一部)
【目次】
1. 覚者の章
1. 1. 覚者の行状
1. 2. 独覚の行状
1. 3. 1. サーリプッタ長老の行状
1. 3. 2. マハー・モッガッラーナ長老の行状
1. 3. 3. マハー・カッサパ長老の行状
1. 3. 4. アヌルッダ長老の行状
1. 3. 5. プンナ・マンターニプッタ長老の行状
1. 3. 6. ウパーリ長老の行状
1. 3. 7. アンニャーシ・コンダンニャ長老の行状
1. 3. 8. ピンドーラ・バーラドヴァージャ長老の行状
1. 3. 9. カディラヴァニヤ・レーヴァタ長老の行状
1. 3. 10. アーナンダ長老の行状
2. シーハーサニヤの章
2. 1. シーハーサナダーヤカ長老の行状
2. 2. エーカッタンビカ長老の行状
2. 3. ナンダ長老の行状
2. 4. チューラ・パンタカ長老の行状
2. 5. ピリンダヴァッチャ長老の行状
2. 6. ラーフラ長老の行状
2. 7. ウパセーナ・ヴァンガンタプッタ長老の行状
2. 8. ラッタパーラ長老の行状
2. 9. ソーパーカ長老の行状
2. 10. スマンガラ長老の行状
3. スブーティの章
3. 1. スブーティ長老の行状
3. 2. ウパヴァーナ長老の行状
3. 3. ティサラナガミヤ長老の行状
3. 4. パンチャシーラサマーダーニヤ長老の行状
3. 5. アンナサンサーヴァカ長老の行状
3. 6. ドゥーパダーヤカ長老の行状
3. 7. プリナプージャカ長老の行状
3. 8. ウッティヤ長老の行状
3. 9. エーカンジャリカ長老の行状
3. 10. コーマダーヤカ長老の行状
4. クンダダーナの章
4. 1. クンダダーナ長老の行状
4. 2. サーガタ長老の行状
4. 3. マハー・カッチャーナ長老の行状
4. 4. カールダーイン長老の行状
4. 5. モーガラージャン長老の行状
4. 6. アディムッタ長老の行状
4. 7. ラスナダーヤカ長老の行状
4. 8. アーヤーガダーヤカ長老の行状
4. 9. ダンマチャッキカ長老の行状
4. 10. カッパルッキヤ長老の行状
5. ウパーリの章
5. 1. バーギネイヤ・ウパーリ長老の行状
5. 2. ソーナ・コーリヴィサ長老の行状
5. 3. カーリ・ゴーダーの子のバッディヤ長老の行状
5. 4. サンニッターパカ長老の行状
5. 5. パンチャハッティヤ長老の行状
5. 6. パドゥマッチャダニヤ長老の行状
5. 7. サヤナダーヤカ長老の行状
5. 8. チャンカマナダーヤカ長老の行状
5. 9. スバッダ長老の行状
5. 10. チュンダ長老の行状
6. ビージャニの章
6. 1. ヴィドゥーパナダーヤカ長老の行状
6. 2. サタランシ長老の行状
6. 3. サヤナダーヤカ長老の行状
6. 4. ガンドーダキヤ長老の行状
6. 5. オーパヴァイハ長老の行状
6. 6. サパリヴァーラーサナ長老の行状
6. 7. パンチャディーパカ長老の行状
6. 8. ダジャダーヤカ長老の行状
6. 9. パドゥマ長老の行状
6. 10. アサナボーディヤ長老の行状
7. サカチンタニヤの章
7. 1. サカチンタニヤ長老の行状
7. 2. アヴォープッピヤ長老の行状
7. 3. パッチャーガマニヤ長老の行状
7. 4. パラッパサーダカ長老の行状
7. 5. ビサダーヤカ長老の行状
7. 6. スチンティタ長老の行状
7. 7. ヴァッタダーヤカ長老の行状
7. 8. アンバダーヤカ長老の行状
7. 9. スマナ長老の行状
7. 10. プッパチャンコーティヤ長老の行状
8. ナーガサマーラの章
8. 1. ナーガサマーラ長老の行状
8. 2. パダサンニャカ長老の行状
8. 3. ブッダサンニャカ長老の行状
8. 4. ビサールヴァダーヤカ長老の行状
8. 5. エーカサンニャカ長老の行状
8. 6. ティナサンタラダーヤカ長老の行状
8. 7. スーチダーヤカ長老の行状
8. 8. パータリプッピヤ長老の行状
8. 9. ティタンジャリヤ長老の行状
8. 10. ティパドゥミヤ長老の行状
9. ティミラの章
9. 1. ティミラプッピヤ長老の行状
9. 2. ガタサンニャカ長老の行状
9. 3. ニパンナンジャリカ長老の行状
9. 4. アドープッピヤ長老の行状
9. 5. ランシサンニャカ長老の行状
9. 6. ドゥティヤ・ランシサンニャカ長老の行状
9. 7. パラダーヤカ長老の行状
9. 8. サッダサンニャカ長老の行状
9. 9. ボーディシンチャカ長老の行状
9. 10. パドゥマプッピヤ長老の行状
10. スダーの章
10. 1. スダーピンディヤ長老の行状
10. 2. スチンティカ長老の行状
10. 3. アッダチェーラカ長老の行状
10. 4. スーチダーヤカ長老の行状
10. 5. ガンダマーリヤ長老の行状
10. 6. ティプッピヤ長老の行状
10. 7. マドゥピンディカ長老の行状
10. 8. セーナーサナダーヤカ長老の行状
10. 9. ヴェイヤーヴァッチャカ長老の行状
10. 10. ブッドゥパッターカ長老の行状
11. ビッカダーイの章
11. 1. ビッカダーヤカ長老の行状
11. 2. ニャーナサンニカ長老の行状
11. 3. ウッパラハッティヤ長老の行状
11. 4. パダプージャカ長老の行状
11. 5. ムッティプッピヤ長老の行状
11. 6. ウダカプージャカ長老の行状
11. 7. ナラマーリヤ長老の行状
11. 8. アーサヌパッターハカ長老の行状
11. 9. ビラーリダーヤカ長老の行状
11. 10. レーヌプージャカ長老の行状
12. マハー・パリヴァーラの章
12. 1. マハー・パリヴァーラカ長老の行状
12. 2. スマンガラ長老の行状
12. 3. サラナガマニヤ長老の行状
12. 4. エーカーサニヤ長老の行状
12. 5. スヴァンナプッピヤ長老の行状
12. 6. チタカプージャカ長老の行状
12. 7. ブッダサンニャカ長老の行状
12. 8. マッガサンニャカ長老の行状
12. 9. パッチュパッターナサンニャカ長老の行状
12. 10. ジャーティプージャカ長老の行状
13. セーレイヤの章
13. 1. セーレイヤカ長老の行状
13. 2. プッパトゥーピヤ長老の行状
13. 3. パーヤサダーヤカ長老の行状
13. 4. ガンドーダキヤ長老の行状
13. 5. サンムカータヴィカ長老の行状
13. 6. クスマーサニヤ長老の行状
13. 7. パラダーヤカ長老の行状
13. 8. ニャーナサンニカ長老の行状
13. 9. ガンティプッピヤ長老の行状
13. 10. パドゥマプージャカ長老の行状
14. ソービタの章
14. 1. ソービタ長老の行状
14. 2. スダッサナ長老の行状
14. 3. チャンダナプージャナカ長老の行状
14. 4. プッパッチャダニヤ長老の行状
14. 5. ラホーサンニャカ長老の行状
14. 6. チャンパカプッピヤ長老の行状
14. 7. アッタサンダッサカ長老の行状
14. 8. エーカパサーダニヤ長老の行状
14. 9. サーラプッパダーヤカ長老の行状
14. 10. ピヤーラパラダーヤカ長老の行状
15. チャッタの章
15. 1. アティチャッティヤ長老の行状
15. 2. タンバーローパカ長老の行状
15. 3. ヴェーディカーラカ長老の行状
15. 4. サパリヴァーリヤ長老の行状
15. 5. ウマープッピヤ長老の行状
15. 6. アヌレーパダーヤカ長老の行状
15. 7. マッガダーヤカ長老の行状
15. 8. パラカダーヤカ長老の行状
15. 9. ヴァタンサキヤ長老の行状
15. 10. パッランカダーヤカ長老の行状
16. バンドゥジーヴァカの章
16. 1. バンドゥジーヴァカ長老の行状
16. 2. タンバプッピヤ長老の行状
16. 3. ヴィーティサンマッジャカ長老の行状
16. 4. カッカールプッパプージャカ長老の行状
16. 5. マンダーラヴァプッパプージャカ長老の行状
16. 6. カダンバプッピヤ長老の行状
16. 7. ティナスーラカ長老の行状
16. 8. ナーガプッピヤ長老の行状
16. 9. プンナーガプッピヤ長老の行状
16. 10. クムダダーヤカ長老の行状
17. スパーリチャリヤの章
17. 1. スパーリチャリヤ長老の行状
17. 2. カナヴェーラプッピヤ長老の行状
17. 3. カッジャカダーヤカ長老の行状
17. 4. デーサプージャカ長老の行状
17. 5. カニカーラチャッティヤ長老の行状
17. 6. サッピダーヤカ長老の行状
17. 7. ユーティカプッピヤ長老の行状
17. 8. ドゥッサダーヤカ長老の行状
17. 9. サマーダパカ長老の行状
17. 10. パンチャングリヤ長老の行状
18. クムダの章
18. 1. クムダマーリヤ長老の行状
18. 2. ニッセーニダーヤカ長老の行状
18. 3. ラッティプッピヤ長老の行状
18. 4. ウダパーナダーヤカ長老の行状
18. 5. シーハーサナダーヤカ長老の行状
18. 6. マッガダッティカ長老の行状
18. 7. エーカディーピヤ長老の行状
18. 8. マニプージャカ長老の行状
18. 9. ティキッチャカ長老の行状
18. 10. サングパッターカ長老の行状
19. クタジャプッピヤの章
19. 1. クタジャプッピヤ長老の行状
19. 2. バンドゥジーヴァカ長老の行状
19. 3. コートゥンバリヤ長老の行状
19. 4. パンチャハッティヤ長老の行状
19. 5. イシムッガダーヤカ長老の行状
19. 6. ボーディウパッターカ長老の行状
19. 7. エーカチンティカ長老の行状
19. 8. ティカンニプッピヤ長老の行状
19. 9. エーカチャーリヤ長老の行状
19. 10. ティヴァンティプッピヤ長老の行状
20. タマーラプッピヤの章
20. 1. タマーラプッピヤ長老の行状
20. 2. ティナサンターラカ長老の行状
20. 3. カンダプッリヤ長老の行状
20. 4. アソーカプージャカ長老の行状
20. 5. アンコーラカ長老の行状
20. 6. キサラヤプージャカ長老の行状
20. 7. ティンドゥカダーヤカ長老の行状
20. 8. ムッティプージャカ長老の行状
20. 9. キンカニカプッピヤ長老の行状
20. 10. ユーティカプッピヤ長老の行状
21. カニカーラプッピヤの章
21. 1. カニカーラプッピヤ長老の行状
21. 2. ミネーラプッピヤ長老の行状
21. 3. キンカニプッピヤ長老の行状
21. 4. タラニヤ長老の行状
21. 5. ニッグンディプッピヤ長老の行状
21. 6. ウダカダーヤカ長老の行状
21. 7. サララマーリヤ長老の行状
21. 8. コーランダプッピヤ長老の行状
21. 9. アーダーラダーヤカ長老の行状
21. 10. パーパニヴァーリヤ長老の行状
22. ハッティの章
22. 1. ハッティダーヤカ長老の行状
22. 2. パーナディダーヤカ長老の行状
22. 3. サッチャサンニャカ長老の行状
22. 4. エーカサンニャカ長老の行状
22. 5. ランシサンニャカ長老の行状
22. 6. サンディタ長老の行状
22. 7. ターラヴァンタダーヤカ長老の行状
22. 8. アッカンタサンニャカ長老の行状
22. 9. サッピダーヤカ長老の行状
22. 10. パーパニヴァーリヤ長老の行状
23. アーランバナダーヤカの章
23. 1. アーランバナダーヤカ長老の行状
23. 2. アジナダーヤカ長老の行状
23. 3. ドヴェーラタニヤ長老の行状
23. 4. アーラッカダーヤカ長老の行状
23. 5. アブヤーディカ長老の行状
23. 6. アンコーラプッピヤ長老の行状
23. 7. ソーヴァンナヴァタンサキヤ長老の行状
23. 8. ミンジャヴァタンサキヤ長老の行状
23. 9. スカターヴェーリヤ長老の行状
23. 10. エーカヴァンダニヤ長老の行状
24. ウダカーサナの章
24. 1. ウダカーサナダーヤカ長老の行状
24. 2. バージャナパーラカ長老の行状
24. 3. サーラプッピヤ長老の行状
24. 4. キランジャダーヤカ長老の行状
24. 5. ヴェーディカーラカ長老の行状
24. 6. ヴァンナカーラ長老の行状
24. 7. ピヤーラプッピヤ長老の行状
24. 8. アンバヤーガダーヤカ長老の行状
24. 9. ジャガティカーラカ長老の行状
24. 10. ヴァーシダーヤカ長老の行状
25. トゥヴァラダーヤカの章
25. 1. トゥヴァラダーヤカ長老の行状
25. 2. ナーガケーサリヤ長老の行状
25. 3. ナリナケーサリヤ長老の行状
25. 4. ヴィラヴァプッピヤ長老の行状
25. 5. クティドゥーパカ長老の行状
25. 6. パッタダーヤカ長老の行状
25. 7. ダートゥプージャカ長老の行状
25. 8. サッタリプッパプージャカ長老の行状
25. 9. ビンビジャーリヤ長老の行状
25. 10. ウッダーラカダーヤカ長老の行状
26. トーマカの章
26. 1. トーマカ長老の行状
26. 2. エーカーサナダーヤカ長老の行状
26. 3. チタカプージャカ長老の行状
26. 4. ティチャンパカプッピヤ長老の行状
26. 5. サッタパータリヤ長老の行状
26. 6. ウパーハナダーヤカ長老の行状
26. 7 マンジャリプージャカ長老の行状
26. 8. パンナダーヤカ長老の行状
26. 9. クティダーヤカ長老の行状
26. 10. アッガプッピヤ長老の行状
27. パドゥムッキパの章
27. 1. アーカースッキピヤ長老の行状
27. 2. テーラマッキヤ長老の行状
27. 3. アッダチャンディヤ長老の行状
27. 4. パディーパダーヤカ長老の行状
27. 5. ビラーリダーヤカ長老の行状
27. 6. マッチャダーヤカ長老の行状
27. 7. ジャヴァハンサカ長老の行状
27. 8. サララプッピヤ長老の行状
27. 9. ウパーガターサヤ長老の行状
27. 10. タラニヤ長老の行状
28. スヴァンナビッボーハナの章
28. 1. スヴァンナビッボーハニヤ長老の行状
28. 2. ティラムッティダーヤカ長老の行状
28. 3. チャンコータキヤ長老の行状
28. 4. アッバンジャナダーヤカ長老の行状
28. 5. エーカンジャリカ長老の行状
28. 6. ポッタカダーヤカ長老の行状
28. 7. チタカプージャカ長老の行状
28. 8. アールヴァダーヤカ長老の行状
28. 9. エーカプンダリーカ長老の行状
28. 10. タラニーヤ長老の行状
29. パンナダーヤカの章
29. 1. パンナダーヤカ長老の行状
29. 2. パラダーヤカ長老の行状
29. 3. パッチュッガマニヤ長老の行状
29. 4. エーカプッピヤ長老の行状
29. 5. マガヴァプッピヤ長老の行状
29. 6. ウパッターカダーヤカ長老の行状
29. 7. アパダーニヤ長老の行状
29. 8. サッターハパッバジタ長老の行状
29. 9. ブッドゥパッターイカ長老の行状
29. 10. プッバンガミヤ長老の行状
30. チタカプージャカの章
30. 1. チタカプージャカ長老の行状
30. 2. プッパダーラカ長老の行状
30. 3. チャッタダーヤカ長老の行状
30. 4. サッダサンニャカ長老の行状
30. 5. ゴーシーサニッケーパカ長老の行状
30. 6. パーダプージャカ長老の行状
30. 7. デーサキッタカ長老の行状
30. 8. サラナガマニヤ長老の行状
30. 9. アンバピンディヤ長老の行状
30. 10. アヌサンサーヴァカ長老の行状
31. パドゥマケーサラの章
31. 1. パドゥマケーサリヤ長老の行状
31. 2. サッバガンディヤ長老の行状
31. 3. パラマンナダーヤカ長老の行状
31. 4. ダンマサンニャカ長老の行状
31. 5. パラダーヤカ長老の行状
31. 6. サンパサーダカ長老の行状
31. 7. アーラーマダーヤカ長老の行状
31. 8. アヌレーパダーヤカ長老の行状
31. 9. ブッダサンニャカ長老の行状
31. 10. パッバーラダーヤカ長老の行状
32. アーラッカダーヤカの章
32. 1. アーラッカダーヤカ長老の行状
32. 2. ボージャナダーヤカ長老の行状
32. 3. ガタサンニャカ長老の行状
32. 4. サッタパドゥミヤ長老の行状
32. 5. プッパーサナダーヤカ長老の行状
32. 6. アーサナサンタヴィカ長老の行状
32. 7. サッダサンニャカ長老の行状
32. 8. ティランシヤ長老の行状
32. 9. カンダリプッピヤ長老の行状
32. 10. クムダマーリヤ長老の行状
33. ウマープッピヤの章
33. 1. ウマープッピヤ長老の行状
33. 2. プリナプージャカ長老の行状
33. 3. ハーサジャナカ長老の行状
33. 4. ヤンニャサーミカ長老の行状
33. 5. ニミッタサンニャカ長老の行状
33. 6. アンナサンサーヴァカ長老の行状
33. 7. ニッグンディプッピヤ長老の行状
33. 8. スマナーヴェーリヤ長老の行状
33. 9. プッパッチャッティヤ長老の行状
33. 10. サパリヴァーラチャッタダーヤカ長老の行状
34. ガンドーダカの章
34. 1. ガンダドゥーピヤ長老の行状
34. 2. ウダカプージャカ長老の行状
34. 3. プンナーガプッピヤ長老の行状
34. 4. エーカドゥッサダーヤカ長老の行状
34. 5. プシタカンピヤ長老の行状
34. 6. パバンカラ長老の行状
34. 7. ティナクティダーヤカ長老の行状
34. 8. ウッタレイヤダーヤカ長老の行状
34. 9. ダンマサヴァニヤ長老の行状
34. 10. ウッキッタパドゥミヤ長老の行状
35. エーカパドゥミヤの章
35. 1. エーカパドゥミヤ長老の行状
35. 2. ティーヌッパラマーリヤ長老の行状
35. 3. ダジャダーヤカ長老の行状
35. 4. ティキンカニプージャカ長老の行状
35. 5. ナラーガーリカ長老の行状
35. 6. チャンパカプッピヤ長老の行状
35. 7. パドゥマプージャカ長老の行状
35. 8. ティナムッティダーヤカ長老の行状
35. 9. ティンドゥカパラダーヤカ長老の行状
35. 10. エーカンジャリヤ長老の行状
36. サッダサンニャカの章
36. 1. サッダサンニャカ長老の行状
36. 2. ヤヴァカラーピヤ長老の行状
36. 3. キンスカプージャカ長老の行状
36. 4. サコーサカコーランダダーヤカ長老の行状
36. 5. ダンダダーヤカ長老の行状
36. 6. アンバヤーグダーヤカ長老の行状
36. 7. スプタカプージャカ長老の行状
36. 8. マンチャダーヤカ長老の行状
36. 9. サラナガマニヤ長老の行状
36. 10. ピンダパーティカ長老の行状
37. マンダーラヴァプッピヤの章
37. 1. マンダーラヴァプッピヤ長老の行状
37. 2. カッカールプッピヤ長老の行状
37. 3. ビサムラーラダーヤカ長老の行状
37. 4. ケーサラプッピヤ長老の行状
37. 5. アンコーラプッピヤ長老の行状
37. 6. カダンバプッピヤ長老の行状
37. 7. ウッダーラカプッピヤ長老の行状
37. 8. エーカチャンパカプッピヤ長老の行状
37. 9. ティミラプッピヤ長老の行状
37. 10. サララプッピヤ長老の行状
38. ボーディヴァンダナの章
38. 1. ボーディヴァンダカ長老の行状
38. 2. パータリプッピヤ長老の行状
38. 3. ティーヌッパラマーリヤ長老の行状
38. 4. パッティプッピヤ長老の行状
38. 5. サッタパンニヤ長老の行状
38. 6. ガンダムッティヤ長老の行状
38. 7. チタカプージャカ長老の行状
38. 8. スマナターラヴァンティヤ長老の行状
38. 9. スマナダーミヤ長老の行状
38. 10. カースマーリパラダーヤカ長老の行状
39. アヴァタパラの章
39. 1. アヴァタパラダーヤカ長老の行状
39. 2. ラブジャダーヤカ長老の行状
39. 3. ウドゥンバラパラダーヤカ長老の行状
39. 4. ピラッカパラダーヤカ長老の行状
39. 5. パールサパラダーヤカ長老の行状
39. 6. ヴァッリパラダーヤカ長老の行状
39. 7. カダリパラダーヤカ長老の行状
39. 8. パナサパラダーヤカ長老の行状
39. 9. ソーナ・コーティヴィーサ長老の行状
39. 10. 過去の行為の切れ端〔という名〕の覚者の行状
40. ピリンダヴァッチャの章
40. 1. ピリンダヴァッチャ長老の行状
40. 2. セーラ長老の行状
40. 3. サッバキッティカ長老の行状
40. 4. マドゥダーヤカ長老の行状
40. 5. パドゥマクーターガーリヤ長老の行状
40. 6. バークラ長老の行状
40. 7. ギリマーナンダ長老の行状
40. 8. サララマンダピヤ長老の行状
40. 9. サッバダーヤカ長老の行状
40. 10. アジタ長老の行状
41. メッテイヤの章
41. 1. ティッサメッテイヤ長老の行状
41. 2. プンナカ長老の行状
41. 3. メッタグー長老の行状
41. 4. ドータカ長老の行状
41. 5. ウパシーヴァ長老の行状
41. 6. ナンダカ長老の行状
41. 7. ヘーマカ長老の行状
41. 8. トーデイヤ長老の行状
41. 9. ジャトゥカンニ長老の行状
41. 10. ウデーナ長老の行状
42. バッダーリの章
42. 1. バッダーリ長老の行状
42. 2. エーカチャッティヤ長老の行状
42. 3. ティナスーラカチャーダニヤ長老の行状
42. 4. マドゥマンサダーヤカ長老の行状
42. 5. ナーガパッラヴァ長老の行状
42. 6. エーカディーピヤ長老の行状
42. 7. ウッチャンガプッピヤ長老の行状
42. 8. ヤーグダーヤカ長老の行状
42. 9. パットーダナダーヤカ長老の行状
42. 10. マンチャダーヤカ長老の行状
阿羅漢にして 正等覚者たる かの世尊に 礼拝し奉る
10. 1. テーラ・アパダーナ聖典(譬喩経・第一部)
1. 覚者の章
1. 1. 覚者の行状
1. ジェータ林に住している如来に、ヴェーデーハ牟尼(アーナンダ)が、肢体を傾け、尋ねた。〔アーナンダが尋ねた〕「言うところの、一切を知る覚者たちは、まさに、〔世に〕有るのですか。勇者よ、彼らは、どのような諸々の因あることから、〔世に〕有るのですか」〔と〕。
2. そのとき、一切を知る優れた方は、偉大なる聖賢(ブッダ)は、幸いなるアーナンダに、甘美なる声で言った。〔世尊は答えた〕「すなわち、過去の覚者たちにたいし献身を為した者たちが、〔いまだ〕解脱を得ずにいるとして、諸々の勝者の教えにおいて──
3. まさしく、その正覚の門によって、慧者たちとなり、また、志欲によって、大いなる活力によって、智慧(慧・般若)によって、威光によって、極めて鋭敏なる智慧ある者たちとなり、一切を知る状態に至り得る。
4. わたしもまた、過去の覚者たちにたいし、覚者たることを切望した。まさしく、意によって、〔思うところと〕成って、法(教え)の王たる者たちは、数えようもない。
5. そこで、諸々の覚者たちの行状を、清浄なる意図ある者たちとなり、聞きなさい。三十の完全態(波羅蜜・到彼岸)を円満した者たちは、法(教え)の王たる者たちは、数えようもない。
6. 最勝の覚者たちの正覚に、僧団を有する〔覚者〕たちに、世の導き手たる方たちに、〔わたしは〕十指の者となり、礼拝して、頭をもって敬拝した。
7. およそ、諸々の覚者の田畑(仏国土)におけるかぎり、数えられるものとして見出される宝玉であるなら、そして、空に依拠するものも、地に依拠するものも、〔それらの〕全てを、意によって将来した。
8. そこにおいて、白銀の地において、わたしは、高楼を造作した──無数の階層があり、宝玉で作られている、高く天空に屹立する〔高楼〕を──
9. 様々な彩りの柱があり、美しく作られ、美しく区分された、高価なる〔高楼〕を──黄金で作られている戸柱があり、諸々の旗と傘で装飾された〔高楼〕を。
10. 最初の階は、瑠璃にして、垢と灰を離れ、浄美にして、池には蓮が満ち溢れ、純金の階においては──
11. 珊瑚の部分があり、珊瑚の色艶があり、何であれ、真紅にして、浄美にして、黄金虫の色艶と輝きがあり、〔その〕階は、方々に光り輝く。
12. 美しく区分され、家屋には玄関があり、尖塔があり、獅子の檻があり、四つの欄干には網があり、香りが巡りただよい、意が喜びとする。
13. 青のもの、黄のもの、真紅のもの、白のもの、漆黒のもの、諸々の優れた楼閣を具し、七つの宝玉で飾られている。
14. 光明で作られている諸々の蓮華があり、鳥の尾毛で美しく荘厳され、星宿や星座がちりばめられ、月と日で装飾されている。
15. 金の網に等しく覆われ、諸々の黄金の鈴が結び付けられ、風の勢いで鳴り響き、黄金の花飾があり、意が喜びとする。
16. 緋色のもの、真紅のもの、黄のもの、緑や黄褐色のもの、種々なる染料によって染められた〔旗〕があり、〔それらの〕旗や花飾が掲げられている。
17. 種々なる多くのものとして、幾百の(※)、水晶のものが、白銀で作られているものが、そのように、宝珠で作られているものが、紅玉のものが、瑪瑙で作られているものが──種々なる彩りの臥具があり、優雅なるカーシ産の敷物があり──
※ テキストには Na naṃ bahūnekasatā とあるが、PTS版により Nānābahū' nekasatā と読む。
18. 毛布があり、黄麻〔の布地〕があり、支那〔の布地〕があり、毛織物があり、黄の外掛けがある。種々様々な敷物の全てを、わたしは、意によって設置した。
19. まさしく、それら〔の階〕、それらの階において、諸々の〔装いを〕十分に作り為した宝玉の屋頂があり、諸々の宝珠の光り輝きある松明を保持しながら、美しく立つ。
20. 諸々の石柱があり、諸々の柱があり、美しく輝く。諸々の浄美なる金の楼門があり、ジャンブー川〔の金〕の真髄で作られ、そこで、さらに、また、白銀で作られている。
21. 美しく区分された無数の境目があり、〔美しく〕彩られた戸と閂があり、両側には、無数の満ちた鉢があり、諸々の赤蓮や青蓮を擁している。
22. そして、過去の正覚者たちを、僧団を有する〔覚者〕たちを、世の導き手たる方たちを、弟子を有する〔覚者〕たちを、元来の色艶と形姿をもって化作して──
23. 弟子を有する全ての覚者たちが、その門より入って、全てが黄金で作られている椅子に、聖者たちの集団は坐っている。
24. そして、すなわち、今現在、世に存在する、無上なる覚者たちは、さらに、過去において転起している者たちも、全ての者たちが、居所に等しく登った。
25. 〔他に依らず〕自ら成る者たちにして、〔一切に〕敗れることなき者たちである、幾百の独覚たちを〔化作して〕、さらに、過去において転起している者たちも〔化作して〕、全ての者たちが、居所に等しく登った。
26. 多くのカッパ樹(魔法の木)が存在する。それらが、天のものであれ、さらに、それらが、人間のものであれ、全ての布地を等しく集めて(※)、三つの衣料をまとわせた。
※ テキストには samāhantā とあるが、PTS版により samāhantvā と読む。
27. 美味なる固形の食料と軟らかい食料を、上出来なる飲み物と食料を、宝珠で作られている浄美なる鉢のうえに等しく満たして、わたしは施した。
28. 〔彼らは〕艶やかな衣料を等しく付け、天の衣を等しくする者たちと成って、まさしく、そして、諸々の甘味なる砂糖が〔施され〕、さらに、諸々の油が〔施され〕、諸々の蜜と糖が〔施され〕──
29. 聖者たちの集団は、彼らの全てが、最高の食べ物によって満足させられた。宝玉の部屋に入って、洞窟に臥す獅子たちのように──
30. 高価なる臥具のうえで、獅子の臥を営んだ(獅子の姿勢で横臥した)。正知の者たちは、等しく起き上がって、坐具のうえで結跏を組んだ。
31. 全ての覚者たちの境涯(瞑想対象)を〔縁として〕、瞑想(禅)の喜びを供与され、或る者たちは、諸々の法(教え)を説示し、或る者たちは、神通によって遊戯する。
32. 神知(神通)の自在を修めた或る者たちは、諸々の神知に専注し、幾千もの或る者たちは、諸々の変異を変異する。
33. 覚者たちはまた、〔認識の〕境域を、一切知を、〔認識の〕基底(阿頼耶)を、覚者たちに尋ね、深遠にして精緻なる境位を、智慧によって明確に覚る。
34. 弟子たちは、覚者たちに尋ね、覚者たちは、弟子たちに尋ねる。そして、彼らは、互いに他に尋ねて、互いに他に説き明かす。
35. 覚者たちは、さらに、独覚たちは、弟子たちと侍者たちは、このように、自らの喜びによって、彼らは、高楼において喜び楽しむ。
36. 諸々の宝玉の傘蓋が立ち並べ──金の飾物が列をなし、真珠の網に取り巻かれたものが。〔それらの〕全てを、頭上に保持せよ。
37. 諸々の布の天蓋が有れ──黄金の星に彩られ、様々な彩りの花環が広がっているものが。〔それらの〕全てを、頭上に保持せよ。
38. 諸々の花環の連なりが広がり、諸々の香料の連なりが美しく輝き、諸々の布地の連なりが取り囲み、諸々の宝玉の連なりに飾られ──
39. 花々が振りまかれ、美しく彩りあざやかで、芳しい香料に飾られ、五指印の香料が為され、金の覆いに覆われ──
40. 四方には蓮池があり、諸々の赤蓮や青蓮が広がり、諸々の蓮華の花粉が立ち昇る、黄金の景色が現出せよ。
41. 高楼の遍きにわたり、全ての木々が花ひらけ。そして、花々は、自ら、散華して、〔覚者たちの〕居所に至って、振りつもれ。
42. そこにおいて、孔雀たちが舞い踊れ。天の鵞鳥たちが鳴くなら、そして、カラヴィーカ〔鳥〕たちが、鳥たちの群れが、遍きにわたり歌え。
43. 全ての太鼓が奏でられよ。それらの全ての琵琶が鳴り響け。高楼の遍きにわたり、全ての合誦が転じ行け。
44. およそ、覚者の田畑におけるかぎり、それより他のチャッカ・ヴァーラ(輪囲山・鉄囲山:世界の周辺にあって世界を囲んでいる山)においても、大いなるものとして、光を伴うものとして、断絶なきものとして、宝玉で作られているものとして──
45. 諸々の黄金の寝台が立ち並べ。それらの灯明台が光り輝け。次から次へと一万の一なる灯火が有れ。
46. 芸妓たちが、まさしく、そして、舞妓たちが、仙女たちの群れが、舞い踊れ。高楼の遍きにわたり、種々なる舞台が見え渡れ。
47. 木の頂きに、あるいは、山の頂きに、シネール山(須弥山)の頭上に、〔わたしは〕全ての旗を掲げる──様々な彩りの五色のものを。
48. 人たちが、そして、龍たちが、音楽神たちが、天〔の神々〕たちが、彼らの全てが、近しく至れ。〔彼らは〕礼拝しながら、合掌の者たちとなり、高楼を取り囲んだ。
49. それが何であれ、善なる行為(業)であるなら、わたしの為すべき所作として、身体によって、言葉によって、意によって、三十三〔天〕において、善行が為された。
50. すなわち、〔世に〕存する、表象(想)ある有情たちは、さらに、すなわち、表象なき有情たちも、彼らの全てが、わたしが作り為した功徳の果を分け合う者たちと成れ。
51. 彼らのために、わたしによって、作り為され、善く見出され、施された、功徳の果を、そして、そこにおいて、彼らが知らずとも、天〔の神々〕たちが赴いて、〔彼らに〕知らせた。
52. すなわち、一切の世において、食を因として生きる、有情たちは、わたしの心によって、全ての快意なる食料を得よ。
53. 意によって、布施が、わたしによって施された。意によって、〔わたしは〕浄信をもたらした。全ての正覚者たちが、独者(独覚)たちが、勝者の弟子たちが、〔わたしによって〕供養された。
54. その善行の行為によって、さらに、諸々の思欲による誓願によって、人間の肉身を捨棄して〔そののち〕、わたしは、三十三〔天〕に赴いた。
55. 天〔の神〕たる〔境遇〕において、さらに、人間において、〔天と人の〕二つの生存(有)を、〔わたしは〕覚知する(天界と人間界においてのみ輪廻する)。意によって切望する果として、他の境遇(趣)を、〔わたしは〕知らない。
56. 〔わたしは〕天〔の神々〕たちにとって卓越の者と成る。〔わたしは〕人間の君主と成る。〔わたしは〕形姿の特相を成就した者と〔成り〕、智慧をもってしては、等しき者なき者と成るであろう。
57. 様々な種類の最勝の食料が、そして、少なからざる宝玉が、さらに、様々な種類の諸々の衣装が、天空から、すみやかに、わたしのもとへと近しく至る。
58. 地において、まさしく、そして、山において、空において、水において、林において、その〔手〕その手を差し伸ばすなら、諸々の天の食物が、わたしのもとへと近しく至る。
59. 地において、まさしく、そして、山において、空において、水において、林において、その〔手〕その手を差し伸ばすなら、全ての宝玉が、わたしのもとへと近しく至る。
60. 地において、まさしく、そして、山において、空において、水において、林において、その〔手〕その手を差し伸ばすなら、全ての香料が、わたしのもとへと近しく至る。
61. 地において、まさしく、そして、山において、空において、水において、林において、その〔手〕その手を差し伸ばすなら、全ての乗物が、わたしのもとへと近しく至る。
62. 地において、まさしく、そして、山において、空において、水において、林において、その〔手〕その手を差し伸ばすなら、全ての花飾が、わたしのもとへと近しく至る。
63. 地において、まさしく、そして、山において、空において、水において、林において、その〔手〕その手を差し伸ばすなら、諸々の〔装いを〕十分に作り為すものが、わたしのもとへと近しく至る。
64. 地において、まさしく、そして、山において、空において、水において、林において、その〔手〕その手を差し伸ばすなら、全ての少女が、わたしのもとへと近しく至る。
65. 地において、まさしく、そして、山において、空において、水において、林において、その〔手〕その手を差し伸ばすなら、諸々の蜜と砂糖が、わたしのもとへと近しく至る。
66. 地において、まさしく、そして、山において、空において、水において、林において、その〔手〕その手を差し伸ばすなら、全ての固形の食料が、わたしのもとへと近しく至る。
67. 財なき者たちに、旅の者たちに、そして、乞い求める者たちに、道行く者たちに、〔そのような〕人たちに、わたしは、優れた布施を施す──優れた正覚に至り得るために。
68. 山の巌(いわお)を咆哮させながら、厚い岩山を鳴動させながら、天を含む〔世の人々〕を笑喜させながら、わたしは、世において、覚者と成る。
69. 世において、十種の方角に行きつつあるも、終極は存在しない。そして、その方位において、覚者の田畑は、数えようもない。
70. わたしには、対なる光をもたらすと賛じ称えられた光輝がある。ここにおいて、〔その〕内において、光の網と〔成り〕、広大なる光明と成るであろう。
71. これなる世の界域において、人としてある全ての者たちが、わたしを見よ。梵〔天〕の住居地に至るまで、全ての者たちが、わたしに随転せよ。
72. 殊勝にして甘美なる響きをもって、不死の太鼓を、〔わたしは〕打った。ここにおいて、〔その〕内において、人としてある全ての者たちが、〔わたしの〕甘美なる言葉を聞け。
73. 法(教え)の雨雲によって雨降るなか、全ての者たちが、煩悩なき者たちと成れ。すなわち、ここにおいて、最低の有情たちとしてあるなら、彼らは、預流たる者たちと成れ。
74. 施すべき布施を施して(布施波羅蜜)、残りなく戒を満たして(戒波羅蜜)、離欲における完全態に至って(出離波羅蜜)、最上の正覚に至り得た者となる。
75. 賢者たちに遍く問い尋ねて(智慧波羅蜜)、最上の精進を為して(精進波羅蜜)、忍耐における完全態に至って(忍辱波羅蜜)、最上の正覚に至り得た者となる。
76. 〔心の〕確立を堅固に為して(加持波羅蜜)、真理における完全態を円満して(諦波羅蜜)、慈悲における完全態に至って(慈波羅蜜)、最上の正覚に至り得た者となる。
77. 利得と利得なきにたいし、安楽と苦痛にたいし、さらに、敬仰と軽蔑にたいし、一切所において等しくある者と成って(捨波羅蜜)、最上の正覚に至り得た者となる。
78. 怠惰を『恐怖である』と見て、さらに、また、精進を『平安である』と〔見て〕、精進に励む者たちと成れ。これは、覚者たちの教示である。
79. 論争を『恐怖である』と見て、さらに、不論争を『平安である』と〔見て〕、和合と友誼の者たちと成れ。これは、覚者たちの教示である。
80. 放逸を『恐怖である』と見て、さらに、不放逸を『平安である』と〔見て〕、〔聖なる〕八つの支分ある道を修めよ。これは、覚者たちの教示である。
81. 多くの覚者たちが、さらに、阿羅漢たちが、全てにわたり集いあつまったのだ。正覚者たちを、さらに、阿羅漢たちを、敬拝しながら、礼拝せよ。
82. このように、不可思議なるは、覚者たちであり、不可思議なるは、諸々の覚者の法(教え)である。不可思議なるものにたいし浄信した者たちの報い(異熟)は、不可思議なるものと成る」〔と〕。
かくのごとく、まさに、世尊は、自己の覚者の性行を尊びながら、覚者の行状という名の法(教え)の教相を語った。ということで──
覚者の行状は〔以上で〕完結となる。
1. 2. 独覚の行状
そこで、独覚の行状を聞きなさい。
83. ジェータ林に住している如来に、ヴェーデーハ牟尼(アーナンダ)が、肢体を傾け、尋ねた。〔アーナンダが尋ねた〕「言うところの、独覚たちは、まさに、〔世に〕有るのですか。勇者よ、彼らは、どのような諸々の因あることから、〔世に〕有るのですか」〔と〕。
84. そのとき、一切を知る優れた方は、偉大なる聖賢は、幸いなるアーナンダに、甘美なる声で言った。〔世尊は答えた〕「すなわち、過去の覚者たちにたいし献身を為した者たちが、〔いまだ〕解脱を得ずにいるとして、諸々の勝者の教えにおいて──
85. まさしく、その畏怖の門によって、慧者たちとなり、たとえ、覚者たちによる〔導き〕がなくても、極めて鋭敏なる智慧ある者たちとなり、たとえ、微小なる〔学びの〕対象(所縁)によっても、独者の覚り(菩提)に至り得る。
86. 一切の世において、わたしを除いて、独覚たちと等しき者は、まさしく、存在しない。善きかな、わたしは説くであろう──彼らの、偉大なる牟尼たちの、この栄誉を、一部のみ。
87. まさしく、自ら、覚者たる偉大なる聖賢たちの諸々の善き言葉を、僅かな蜜のように無上なる薬を、〔それらを〕切望している者たちは、〔彼らの〕全てにたいし浄信した心の者たちとなり、聞きなさい。
88. 集いあつまった独覚たちの、次から次なる、それらの説き明かしとして、〔貪欲の〕危険(患・過患)があり、さらに、すなわち、離貪の基盤がある──かつまた、〔彼らが〕菩提に至り得た、そのとおりに。
89. 貪欲を有する諸々の基盤にたいし、離貪の表象ある者たちとなり、〔欲に〕染まった世にたいし、心が離貪した者たちとなり、諸々の〔思考の〕虚構(戯論)を捨棄して、諸々の震えおののきに勝利して、まさしく、そのとおりに、〔彼らは〕菩提に至り得た。
90. 一切の生類にたいし、棒(武器)を置いて、彼らのなかの唯の一者でさえも害さずにいる者となり、慈愛の心によって、〔一切の生類に〕利益と慈しみ〔の思い〕ある者となり、犀の角のように、独り、歩むがよい。
91. 一切の生類にたいし、棒(武器)を置いて、彼らのなかの唯の一者でさえも害さずにいる者は、〔もはや〕子を求めぬもの。どうして、道友を〔求めよう〕。犀の角のように、独り、歩むがよい。
92. 交流が生じた者には、諸々の愛執〔の思い〕が有る。愛執〔の思い〕に従い、この苦しみは発生する。愛執〔の思い〕から生じる〔この〕危険を〔常に〕見ている者となり、犀の角のように、独り、歩むがよい。
93. 朋友たちや知人たちを慈しみながら(情をかけつつ)、〔その思いに〕心が縛られた者は、〔自他の〕義(利益)を失う。この恐怖を、親愛〔の情〕のうちに〔常に〕見ている者となり、犀の角のように、独り、歩むがよい。
94. あたかも、〔枝や根が〕広く絡みついた竹のように、子たちにたいし、さらに、妻たちにたいし、〔まさに〕その、期待〔の思い〕がある。〔まとわりつくものが何もない〕竹の子のように、〔何にたいしても〕執着せずにいる者となり、犀の角のように、独り、歩むがよい。
95. たとえば、縛られていない〔野生の〕鹿が、林のなか、求めるままに餌場へと赴くように、識者たる人は、独存〔の境地〕を〔常に〕見ている者となり、犀の角のように、独り、歩むがよい。
96. 道友たちの中にあるなら、〔余計な〕相談事が有る──住居において、立所において、出行において、遊行において。〔愚者の〕貪り求めるところならざる独存〔の境地〕を〔常に〕見ている者となり、犀の角のように、独り、歩むがよい。
97. 道友たちの中にあるなら、遊興と歓楽が有る。そして、子たちにたいしては、広大なる愛情が有る。愛しいものとの別離〔の苦しみ〕を忌避している者となり、犀の角のように、独り、歩むがよい。
98. 四方〔に慈しみの思い〕ある者は、そして、〔一切に〕敵対なき者と成る。いかなるものによっても満足している者となり、諸々の危難を打ち負かす驚愕なき者となり、犀の角のように、独り、歩むがよい。
99. 出家者たちでさえも、或る者たちは救い難く、さらに、家に居住している在家の者たちも〔救い難い〕。他者の子たちにたいする思い入れ少なき者と成って、犀の角のように、独り、歩むがよい。
100. あたかも、落葉した黒檀のように、諸々の在家の特徴を取り去って、勇者は、諸々の在家の結縛を断ち切って、犀の角のように、独り、歩むがよい。
101. それで、もし、賢明なる道友を得るなら、共に歩む善き住者たる慧者を〔得るなら〕、一切の危難を征服して、わが意を得た者となり、気づき(念)ある者として、彼とともに、歩むがよい。
102. もし、賢明なる道友を得ないなら、共に歩む善き住者たる慧者を〔得ないなら〕、征圧した国土を捨棄して〔出家する〕王のように、マータンガの林のなかの象のように、独り、歩むがよい。
103. たしかに、〔わたしたちは〕道友の成就(獲得)を賞賛する。最勝の者たちであるなら、同等の者たちであるなら、道友として慣れ親しむべきである。これらの者たちを得ずしては、罪過なき〔施物〕を受益する者となり、犀の角のように、独り、歩むがよい。
104. 細工師の子が見事に仕立てた、金の光り輝く〔二つの腕輪〕を見て、〔まさに、その〕二つ〔の腕輪〕が、腕にあって相打っているのを〔見て〕、犀の角のように、独り、歩むがよい。
105. このように、伴侶(連れの者)と共にあるなら、わたしには、虚論の言葉が、あるいは、執着が、存するであろう。この恐怖を、未来に見ている者となり、犀の角のように、独り、歩むがよい。
106. まさに、諸々の欲望〔の対象〕は様々で、〔蜜のように〕甘美で、意が喜びとするものである。種々様々な形態(色)で、〔人の〕心を掻き乱す。〔この〕危険を、諸々の欲望の属性(妙欲:色・声・香・味・触)のうちに見て、犀の角のように、独り、歩むがよい。
107. これは、わたしにとって、かつまた、疾患であり、かつまた、腫物であり、かつまた、禍であり、かつまた、病であり、かつまた、矢であり、かつまた、恐怖である。この恐怖を、諸々の欲望の属性のうちに見て、犀の角のように、独り、歩むがよい。
108. そして、寒さを、さらに、暑さを、飢えを、渇きを、諸々の風と熱を、かつまた、諸々の虻と蛇を──これらを、一切もろともに征服して、犀の角のように、独り、歩むがよい。
109. 肩が立派に生育した、蓮華〔の紋〕ある、巨大な象のように、諸々の群れを避けて、林のなかで喜びのままに住んでいる者となり、犀の角のように、独り、歩むがよい。
110. 〔他者との〕社交を喜ぶ者には、すなわち、〔彼が〕暫時の解脱に触れるであろう、その状況は〔見出され〕ない。太陽の眷属(ブッダ)の言葉をこころして聞いて、犀の角のように、独り、歩むがよい。
111. 諸々の見解の狂騒を超克し、〔正道の〕決定に至り得た、道の獲得者(預流道の成就者)となり、『〔わたしは〕知恵(智)が生起した者として〔世に〕存している。他によって導かれることはない』〔と〕、犀の角のように、独り、歩むがよい。
112. 妄動なく、虚言なく、涸渇なく、偽装なく、汚濁と迷妄を取り払い、一切の世にたいし依存なき者と成って、犀の角のように、独り、歩むがよい。
113. 悪しき道友を、義(道理)ならざるものを見る者を、〔世の〕不正に〔思いが〕固着した者を、遍く避けるがよい。〔欲望の対象を〕追い求める者には、〔気づきを〕怠る者には、自ら、慣れ親しまぬがよい。犀の角のように、独り、歩むがよい。
114. 多聞にして法(教え)を保つ者と、秀逸にして即応即答〔の智慧〕ある朋友と、親しくするがよい。諸々の義(利益)を了知して、疑いを取り除くがよい。犀の角のように、独り、歩むがよい。
115. 世における、遊興と歓楽を、さらに、欲望の安楽を、十分ならずと為して、〔何も〕期待せずにいる者となり、飾り立ての境位から離れた、真理を説く者となり、犀の角のように、独り、歩むがよい。
116. そして、子と妻、さらに、父と母、諸々の財産、諸々の穀物、かつまた、諸々の眷属──限りあるかぎりの諸々の欲望〔の対象〕を捨棄して、犀の角のように、独り、歩むがよい。
117. 『これは、執着〔の対象〕である。ここにおいて、福楽は小さく、悦楽は少なく、ここにおいて、苦痛は、より一層のものである。これは、〔人を誘惑する〕釣針である』と知って、思慧ある者となり、犀の角のように、独り、歩むがよい。
118. 水のなかの魚が網を破って〔解き放たれる〕ように、諸々の束縛するもの(結)を引き裂いて、炎が焼け跡に引き返さないように、犀の角のように、独り、歩むがよい。
119. 〔生類を殺さぬように注意深く〕眼を落とし、かつまた、足の妄動ある者(欲望の対象を求めて歩き回る者)ではなく、〔感官の〕機能(根)を守り、意を守護し、〔煩悩が〕漏れ出ず、〔貪欲の炎に〕焼かれず、犀の角のように、独り、歩むがよい。
120. 諸々の在家の特徴を取り払って、あたかも、葉に等しく覆われたパーリチャッタ〔樹〕のように、黄褐色の衣(袈裟)をまとい、〔家から〕出て、犀の角のように、独り、歩むがよい。
121. 諸々の味(味覚の喜び)にたいし、貪求を為すことなく、〔欲の〕妄動なき者となり、他者を扶養する〔義務〕なく、〔行乞のために〕歩々淡々と歩み、家々に心が縛られない者となり、犀の角のように、独り、歩むがよい。
122. 心の〔有する〕五つの〔修行の〕妨害(五蓋:欲の思い・憎悪の思い・心の沈滞と眠気・心の高揚と悔恨・疑惑の思い)を捨棄して、一切の付随する〔心の〕汚れ(随煩悩)を除き去って、依存なき者となり、愛執と憤怒を断ち切って、犀の角のように、独り、歩むがよい。
123. そして、楽と苦〔の両者〕に背を向けて、さらに、まさしく、過去における、悦意と失意〔の両者〕に〔背を向けて〕、放捨(捨:選択せず差別なき心)と止寂(奢摩他・止:専一不動の心)の清浄なる〔境地〕を得て、犀の角のように、独り、歩むがよい。
124. 最高の義(勝義:涅槃)に至り得るために、精進に励み、畏縮した心なく、怠惰な生活なく、断固たる勤勉〔努力〕ある者となり、強靭と活力を具有した者となり、犀の角のように、独り、歩むがよい。
125. 静坐と瞑想(禅・静慮:禅定の境地)を遠ざけずにいる者となり、諸々の法(教え)について常に法(教え)のままに行なう者となり、諸々の生存のうちに危険を触知する者となり(苦しみの生をあるがままに知り見る者となり)、犀の角のように、独り、歩むがよい。
126. 〔気づきを〕怠らず〔常に〕渇愛の滅尽を望み求めている者となり、聾唖ならざる聞ある気づきの者となり、法(真理)を究め〔正道を〕決定した〔刻苦〕精励の者となり、犀の角のように、独り、歩むがよい。
127. 諸々の音に動じない獅子のように、〔鳥捕りの〕網に着さない風のように、〔泥〕水に汚されない蓮華のように、犀の角のように、独り、歩むがよい。
128. たとえば、牙の力ある獅子が、〔敵を〕打ち負かして、獣たちの王となり、〔一切を〕征服して歩むように、諸々の辺地の臥坐所に慣れ親しみ、犀の角のように、独り、歩むがよい。
129. 慈愛〔の心〕(慈)を、放捨〔の心〕(捨)を、慈悲〔の心〕(悲)を、さらに、歓喜〔の心〕(喜)を、〔これらの四つの無量なる心による〕解脱を、〔正しい〕時に〔常に〕習修しながら、一切の世〔の人々〕に遮られずにいる者となり、犀の角のように、独り、歩むがよい。
130. そして、貪欲(貪)を、さらに、憤怒(瞋)を、迷妄(痴)を捨棄して、諸々の束縛するもの(結)を引き裂いて、生命の消滅に動じずにいる者となり、犀の角のように、独り、歩むがよい。
131. 〔人々は〕義(利益)を動機として、〔他者と〕親しくし、かつまた、慣れ親しむ。今日、動機なき〔真の〕朋友たちは、得難きもの。自己を義(利益)とする智慧(自己本位の断片的知識)ある人間たちは、不浄である。犀の角のように、独り、歩むがよい。
132. 清浄なる戒あり、極めて清浄なる智慧あり、〔心が〕定められ、〔眠らずに〕起きていることに専念し、〔あるがままの〕観察者たちにして、殊勝なる法(真理)を見る者たち──道の支分と覚りの支分に至った者たちを識知するがよい。
133. そして、空の誓願と如実の形相を、勝者の教えにおいて習修して〔そののち〕、弟子たることに行き着かない、それらの慧者たちは、独者たる勝者たちと〔成り〕、〔他に依らず〕自ら成る者たちと成る。
134. 大いなる法(真理)ある者たちとして、多くの法(真理)の身体ある者たちとして、心の権能ある者たちとして、一切の苦と激流を超え渡った者たちとして、勇躍する心の者たちとして、最高の義(勝義)を見る者たちとして──獅子の如く、犀の角のように、〔世に有る〕。
135. 〔感官の〕機能が寂静となった者たちとして、意が寂静となった者たちとして、禅定(定・三昧)ある者たちとして、辺境の有情たちにたいする行道者たちとして──他所において、この〔世において〕、燃え盛っている灯明たる、これらの独覚たちは、常に益ある者たちとして、〔世に有る〕。
136. 一切の妨げを捨棄した人のインダ(インドラ神・帝釈天)たちとして、世〔の人々〕の灯明にして重厚なる黄金の輝きある者たちとして──疑念〔の余地〕なく、世〔の人々〕によって善く施与されるべき、これらの独覚たちは、常に〔心を〕専注している者たちとして、〔世に有る〕。
137. 独覚たちの諸々の見事に語られた〔言葉〕を、天を含む世において行なうも、聞いて〔そののち〕、そのとおりに為さない、それらの愚者たちは、彼らは、繰り返し、諸々の苦しみのうちに歩む。
138. 独覚たちの諸々の見事に語られた〔言葉〕を、あたかも、僅かに流れ出ている蜜のように、聞いて〔そののち〕、そのとおりに実践に専念している、それらの者は、彼らは、真理を見る者たちと〔成り〕、智慧を有する者たちと成る」〔と〕。
139. 独覚たる勝者たちによって、諸々の秀逸なる言説が、離欲して〔そののち〕語られ、それらが、釈迦〔族〕の獅子たる最上の人によって、法(真理)を識知させることを義(目的)として、〔ここに〕明示された。
140. 世〔の人々〕への慈しみ〔の思い〕によって、それらの独覚たちのこれらの変異が、〔釈迦族の〕獅子たる〔他に依らず〕自ら成る方によって、畏怖〔の思い〕と無執着と思慧の増大を義(目的)として、〔ここに〕明示された。ということで──
独覚の行状は〔以上で〕完結となる。
1. 3. 1. サーリプッタ長老の行状
そこで、長老の行状を聞きなさい。
141. ヒマヴァント(ヒマラヤ)の遠からざるところ、ランバカという名の山がある。わたしには、美しく作られた庵所があり、見事に造作された草庵がある。
142. なだらかな斜面の小川があり、意が喜びとする美しい岸辺があり、極めて清浄なる砂粒に満ち溢れている──遠からざるところにおいて、わたしの庵所を〔美しく荘厳しながら〕。
143. 砂礫なく、傾斜なく、悪臭なく、心地よく、そこにおいて、小川は流れ行く──わたしの庵所を美しく荘厳しながら。
144. ここにおいて、鰐たちが、そして、大魚たちが、さらに、鮫たちが、亀たちがいる。そこにおいて、川にいるものたちは歩み行く──わたしの庵所を美しく荘厳しながら。
145. パーティーナ〔魚〕たちが、パーヴサ〔魚〕たちが、バラジャ〔魚〕たちが、ムンジャやローヒタ〔魚〕たちが、〔これらの〕魚たちがいる。ヴァッガラ〔魚〕たちも、〔川を〕行き交いながら、わたしの庵所を美しく荘厳する。
146. 川の両岸には、花をもち果実をもつ木々があり、両側から垂れ下がり、わたしの庵所を美しく荘厳する。
147. 諸々のアンバ〔樹〕が、そして、諸々のサーラ〔樹〕が、諸々のティラカ〔樹〕が、諸々のパータリー〔樹〕が、諸々のシンドゥヴァーラカ〔樹〕があり、諸々の天の香りが等しく香り、わたしの庵所において花ひらいている。
148. 諸々のチャンパカ〔樹〕が、諸々のサララ〔樹〕が、諸々のニーパ〔樹〕が、諸々のナーガ〔樹〕やプンナーガ〔樹〕やケータカ〔樹〕があり、諸々の天の香りが等しく香り、わたしの庵所において花ひらいている。
149. 諸々のアティムッタ〔樹〕が、そして、諸々のアソーカ〔樹〕が、さらに、諸々のバギニーマーラ〔樹〕が、花ひらいている。諸々のアンコーラ〔樹〕が、そして、諸々のビンビジャーラ〔樹〕が、わたしの庵所において花ひらいている。
150. 諸々のケータカ〔樹〕が、まさしく、そして、諸々のカンダリ〔樹〕が、諸々のゴードゥカ〔樹〕が、諸々のティナスーリカ〔樹〕が、天の香りを等しく香らせながら、わたしの庵所を美しく荘厳する。
151. 諸々のカニカーラ〔樹〕が、そして、諸々のカンニカ〔樹〕が、諸々のアサナ〔樹〕が、諸々のアッジュナ〔樹〕が、多くあり、天の香りを等しく香らせながら、わたしの庵所を美しく荘厳する。
152. 諸々のプンナーガ〔樹〕が、諸々のギリプンナーガ〔樹〕が、そして、諸々のコーヴィラーラ〔樹〕が、花ひらき、天の香りを等しく香らせながら、わたしの庵所を美しく荘厳する。
153. そして、諸々のウッダーラカ〔の花〕が、諸々のクタジャ〔の花〕が、諸々のカダンバ〔の花〕が、諸々のヴァクラ〔の花〕が、多くあり、天の香りを等しく香らせながら、わたしの庵所を美しく荘厳する。
154. 諸々のアーラカ〔樹〕が、そして、諸々のイシムッガ〔樹〕が、諸々のカダリー〔樹〕やマートゥルンギー〔樹〕が、香りある水によって立派に成長したそれら〔の木々〕が、諸々の果実を保持する。
155. 諸々の蓮華があり、或るものは花ひらき、或るものは花糸が生じている。諸々の蓮華があり、或るものは蕾なるも、そのとき、池において花ひらいている。
156. 諸々の蓮華があり、子房を抱き、諸々の芽を突き出し、諸々の水草の葉が取り囲み、そのとき、池において美しく輝く。
157. そして、諸々のアンバ〔樹〕の香りが行きただよい、諸々のウッタリ〔樹〕があり、諸々のバンドゥジーヴァカ〔樹〕があり、諸々の天の香りが等しく香り、そのとき、池において花ひらいている。
158. パーティーナ〔魚〕たちが、パーヴサ〔魚〕たちが、バラジャ〔魚〕たちが、ムンジャやローヒタ〔魚〕たちが、〔これらの〕魚たちがいる。サングラ〔魚〕たちが、まさしく、そして、マッグラ〔魚〕たちが、そのとき、池において住する。
159. 鰐たちが、そして、鮫たちが、さらに、タンティガーハ〔魚〕たちが、ラッカサ〔魚〕たちが、オーグハ〔魚〕たちが、そして、大蛇たちが、そのとき、池において住する。
160. 鳩たちが、日輪の鵞鳥たちが、川を行く鴛鴦(おしどり)たちが、郭公たちが、鸚鵡(おうむ)や九官鳥たちが、その池に依拠して生きる。
161. 野鶏たちが、川蝉たちが、林のなかの鶴たちが、ディンディバ〔鳥〕たちが、そして、若い鸚鵡たちが、その池に依拠して生きる。
162. 白鳥たちが、白鷺たちが、そして、孔雀たちが、郭公たちが、タンバチューラカ〔鳥〕たちが、パンマカ〔鳥〕たちが、そして、ジーヴァジーヴァ〔鳥〕たちが、その池に依拠して生きる。
163. 梟(ふくろう)たちが、そして、ポッタシーサ〔鳥〕たちが、鶚(みさご)たちが、鷹たちが、多くあり、そして、マハーカーラ鳥たちが、その池に依拠して生きる。
164. そして、パサダ〔鹿〕たちが、さらに、猪たちが、犁牛たちが、駱駝たちが、多くあり、ローヒッチャ〔鹿〕たちが、そして、若い鸚鵡たちが、その池に依拠して生きる。
165. そして、獅子や虎たちが、さらに、豹たちが、熊や狼や鬣狗(ハイエナ)たちが、三種に〔発情し〕激情したマータンガ〔象〕たちが、その池に依拠して生きる。
166. 妖精たちが、まさしく、そして、象たちが、さらに、また、林の労夫たちが、そして、山民たちが、まさしく、さらに、猟師たちが、その池に依拠して生きる。
167. 諸々のティンドゥカ〔樹の果実〕を、諸々のピヤーラ〔樹の果実〕を、諸々のマドゥカ〔樹の果実〕を、諸々のカースマーリー〔樹の果実〕を、常に、諸々の果実を保持する──遠からざるところにおいて、わたしの庵所を〔美しく荘厳しながら〕。
168. 諸々のコーサンバ〔樹〕が、諸々のサララ〔樹〕が、諸々のニンバ〔樹〕が、美味なる果実に等しく満ち溢れた〔それらの木々〕が、常に、諸々の果実を保持する──遠からざるところにおいて、わたしの庵所を〔美しく荘厳しながら〕。
169. 諸々のハリータカ〔樹〕が、諸々のアーマラカ〔樹〕が、諸々のアンバ〔樹〕やジャンブ〔樹〕やヴィビータカ〔樹〕が、諸々の棗(なつめ)が、諸々の胡桃(くるみ)が、諸々のビッラ〔樹〕が、それら〔の木々〕が、諸々の果実を保持する。
170. そして、諸々のアールヴァ〔の球根〕が、そして、諸々のカランバ〔の球根〕が、諸々のビラーリ〔の球根〕が、さらに、諸々のタッカラ〔の球根〕が、諸々のジーヴァカ〔の球根〕が、まさしく、さらに、諸々のスタカ〔の球根〕が、わたしの庵所において多くある。
171. 庵所の遠からざるところ、諸々の美しく化作された池が存した。澄んだ水をたたえ、水は冷たく、意が喜びとする美しい岸辺がある。
172. 諸々の赤蓮や青蓮に等しく覆われ、諸々の白蓮に等しく満ち溢れ、諸々の蓮に等しく覆われ、天の香りが香り行く。
173. このように一切の支分を成就した、花ひらき結果した林において、美しく作られた喜ばしき庵所において、そのとき、わたしは〔世に〕住む。
174. 掟を成就した戒ある者として、常に瞑想を喜ぶ瞑想者として、五つの神知(神足通・天耳通・他心通・宿命通・天眼通)の力に至り得た者として、スルチという名の苦行者として、〔世に有った〕。
175. 二万四千の徒弟たちが、わたしに奉仕した。これらの者たちは、まさしく、全ての者たちが、婆羅門たちであり、出生よく福徳ある者たちである。
176. 特相における、かつまた、古伝における、語彙を含み活用を含む〔熟知者たちである〕。詩句に通じ、文典に精通し、自らの法(教え)における完全態に至った者たちである。
177. 諸々の天変における、諸々の形相における、さらに、諸々の特相における、熟知者たちである。地における、地上と空中における、善き学びある者たちとして、わたしの徒弟たちはある。
178. これらの者たちは、少欲にして賢明なる者たちであり、少食にして〔味に〕妄動なき者たちであり、利得あるも利得なくも満足している者たちであり、常に、わたしを取り囲む。
179. 瞑想を喜ぶ瞑想者たちであり、慧者たちであり、心が寂静となった者たちであり、〔心が〕定められた者たちであり、無所有〔の境地〕を切望しながら、常に、わたしを取り囲む。
180. 神知における完全態に至り得た者たちであり、父祖の境涯を喜ぶ者たちであり、空中を歩む慧者たちであり、常に、わたしを取り囲む。
181. 六つの〔感官の〕門において統御された者たちであり、〔感官の〕機能が守られた〔心に〕動揺なき者たちであり、さらに、〔他者との〕交わりなき者たちであり、彼らは、慧者たちである。わたしの徒弟たちは、〔獅子の如く〕近づき難き者たちである。
182. 結跏の坐禅〔瞑想〕によって、さらに、立つ〔瞑想〕と歩く〔瞑想〕によって、彼らは、夜を過ごす。わたしの徒弟たちは、〔獅子の如く〕近づき難き者たちである。
183. 染まるべきものに染まらず、怒るべきものに怒らず、迷うべきものに迷わない。わたしの徒弟たちは、〔獅子の如く〕近づき難き者たちである。
184. 彼らは、常時に神通を考察しながら転起する。彼らは、地を揺れ動かし、激昂をもってしては、〔獅子の如く〕近づき難き者たちである。
185. そして、遊び戯れている、それらの徒弟たちは、瞑想の遊び戯れに遊び戯れ、ジャンブ〔洲〕から果実を取ってくる。わたしの徒弟たちは、〔獅子の如く〕近づき難き者たちである。
186. 或る者たちは、ゴーヤーナ〔洲〕に赴き、或る者たちは、プッパヴィデーハカ〔洲〕に〔赴き〕、そして、或る者たちは、ウッタラクル〔洲〕に〔赴き〕、探求をもってしては、〔獅子の如く〕近づき難き者たちである。
187. 前に、天秤を送り、そして、後に、彼らは行く。宙は、二万四千の者たちによって覆い隠されたものと成る。
188. 火で調理するもの〔を咀嚼する者たち〕、そして、火なきもの〔を咀嚼する者たち〕、さらに、また、歯や臼〔で割いたものを咀嚼する者たち〕、石で打ったもの〔を咀嚼する者たち〕──〔彼らの〕誰もが、〔自然に〕転起した〔野生の〕果実を食料とする者たちである。
189. 〔彼らの〕誰もが、水浴者たちであり、夕に、朝に、清廉を喜ぶ者たちであり、水による灌頂を為す者たちである。わたしの徒弟たちは、〔獅子の如く〕近づき難き者たちである。
190. 脇毛や爪や体毛を長くし、歯には泥、頭には塵の者たちである。戒の香りで香りあふれる者たちである。わたしの徒弟たちは、〔獅子の如く〕近づき難き者たちである。
191. ごく早朝に集まって、激しい苦行の結髪者たちは、そのとき、〔行乞の〕利得と利得なきを述べ伝えて、宙に赴く。
192. 立ち去りつつあるこれらの者たちの、大いなる音声が転起し、天神たちは、皮衣の音声によって、歓喜した者たちと成る。
193. 空中を歩む聖賢たちは、方々に立ち去る。自らの力に支えられ、彼らは、求めるままに赴く。
194. これらの者たちは、地を揺れ動かす者たちであり、まさしく、全ての者たちが、天空を歩む者たちである。気高き威光ある者たちであり、打ち負かし難き者たちであり、海洋のように動かざる者たちである。
195. 〔彼らの〕誰もが、立つ〔瞑想〕と歩く〔瞑想〕ある者たちである。〔彼らの〕誰もが、常坐〔にして不臥〕なる聖賢たちである。〔彼らの〕誰もが、〔自然に〕転起したものを食料とする者たちである。わたしの徒弟たちは、〔獅子の如く〕近づき難き者たちである。
196. これらの者たちは、慈愛の住者たちであり、全ての命ある者たちの益を探し求める者たちである。全ての者たちが、自己を賞揚しない者たちであり、彼らは、誰であろうが蔑視しない。
197. 獅子の王のように恐怖なき者たちであり、象の王のように強靭なる者たちであり、虎のように近づき難き者たちであり、わたしの前に帰り来る。
198. 呪術師(婆羅門)たちが、そして、天神たちが、龍や音楽神や羅刹たちが、魔族たちが、魔神たちが、金翅鳥たちが、その池に依拠して生きる。
199. 彼らは、結髪と天秤を荷とする者たちであり、皮衣を上衣とする者たちである。全ての者たちが、空中を歩む者たちであり、その池に依拠して生きる。
200. これらの者たちは、常に至当なる者たちであり、互いに他と尊重〔の思い〕を有する者たちである。二万四千の者たちに、くしゃみの音は見出されない。
201. 足に足を置きながら、音声少なく、善く統御された者たちである。まさしく、全ての者たちが、近づいて行って、わたしを、頭をもって敬拝する。
202. そして、寂静者にして苦行者たちである、それらの徒弟たちに取り囲まれ、庵所において、そこにおいて、わたしは、瞑想を喜ぶ瞑想者として住する。
203. 聖賢たちの戒の香りによって、さらに、同様に、花の香りによって、果のある〔木々〕の果の香りによって、庵所は、香りあふれるものと成る。
204. 夜と昼を知らず、わたしに、不満は見出されない。自らの徒弟たちを教諭しながら、わたしは、より一層、笑みを得る。
205. 花ひらいている花々の、さらに、熟している諸果の、諸々の天の香りが香り行き、わたしの庵所を美しく荘厳する。
206. 禅定から出起して、わたしは、熱情ある者として、賢明なる者として、天秤を荷として収め取って、わたしは、林に深く分け入った。
207. 天変に、さらに、また、夢に、諸々の特相に、善き学びある者として、そのとき、わたしは、転起する呪文の句を保持する。
208. アノーマダッシン世尊は、世の最尊者にして人の雄牛たる方は、遠離を欲する正覚者は、ヒマヴァント(ヒマラヤ)へと近しく赴いた。
209. ヒマヴァントに深く分け入って、至高の者にして慈悲の者たる牟尼は、最上の人士たる方は、結跏を組んで坐った。
210. わたしは見た──彼を、正覚者を、光を有する方を、意が喜びとする方を、青蓮のように光り輝く方を、献火のように燃え盛る方を。
211. 光り輝いている灯明台のような方を、空における雷光のような方を、美しく咲き誇るサーラ〔樹〕の王のような方を、世の導き手たる方を、〔わたしは〕見た。
212. この方は、龍たる方であり、偉大なる勇者であり、苦しみの終極を為す牟尼である。この方を見ることに由来して、〔人々は〕一切の苦しみから解き放たれる。
213. わたしは、天の天たる方を見て、〔如来の〕特相を察知した。「いったい、まさに、覚者であるのか、あるいは、覚者ではないのか、さあ、眼ある方〔の特相〕を見るのだ」〔と〕。
214. 最上の足裏において、千の輻ある諸々の輪が見える。彼の諸々の特相を見て、如来であるかについて、結論に至った。
215. そのとき、わたしは、箒(ほうき)を掴んで、〔地を〕掃き清めて、そこで、花々を集めて、最勝の覚者を供養した。
216. 彼を、覚者を、激流を超え渡った煩悩なき方を、供養して、一つの肩に皮衣を掛けて、世の導き手たる方を礼拝した。
217. 〔わたしは言った〕「その知恵(智)によって、正覚者となり、煩悩なき者となり、〔世に〕住む、〔まさに〕その知恵を、〔わたしは〕賛じ称えましょう。〔それを〕語る、わたしの〔言葉を〕聞きたまえ。
218. 〔他に依らず〕自ら成る方よ、無量なる生成ある方よ、〔あなたは〕この世〔の人々〕を等しく引き上げました。あなたを見ることに由来して、彼らは、疑いの流れを超え渡ります。
219. あなたは、命ある者たちにとっての、かつまた、教師であり、かつまた、幟(のぼり)であり、旗であり、かつまた、支柱であり、行き着く所であり、かつまた、立脚地であり、かつまた、洲であり、最上の二足者たる方です。
220. あるいは、升によって、海の水を量ることができるとして、一切を知る方よ、まさしく、しかし、あなたの知恵は、量ることができません。
221. 秤の皿のうえに据え置いて、地を保持することができるとして、一切を知る方よ、まさしく、しかし、あなたの知恵は、保持することができません。
222. 縄によって、あるいは、指によって、虚空を量ることができるとして、一切を知る方よ、まさしく、しかし、あなたの知恵は、量ることができません。
223. 大いなる海の水を、さらに、荒廃なき地を、捨棄するとして(※)、覚者の知恵と比較して、喩えとして適合しません。
※ テキストには pathavī cākhilā jaṭaṃ とあるが、PTS版により pathaviṃ cākhilañjahe と読む。
224. 天を含む世〔の人々〕の心が、それらのものへと転起するなら、眼ある方よ、これらのものは、網の内に掛かり、あなたの知恵のうちにあります。
225. その知恵によって、〔あなたが〕全一にして最上の覚りに至り得た者として存する、〔まさに〕その知恵によって、一切を知る方よ、〔あなたは〕他の異教の者たちを撃破します」〔と〕。
226. スルチという名の苦行者は、これらの詩偈を奉賛して、彼は、皮衣を広げて、地に坐った。
227. 〔わたしは言った〕「大海においては、八万四千の深さがあり、山の王の高さは、まさしく、そのかぎりと説かれます。
228. ネール(須弥山)は、そのかぎりの、高さがあり、長さがあり、そして、幅があり、それは、細片とし、細別するなら、十万コーティ(倶胝:数の単位・一千万)となります。
229. ラッカ(洛紗:数の単位・百分の一コーティ)に置き換えながら〔計量し〕、完全なる滅尽に至ったとして、一切を知る方よ、まさしく、しかし、あなたの知恵は、量ることができません。
230. すなわち、細い目の網で水を遍く囲むなら、彼らが誰であれ、水のなかにいる命ある者たちは、網の内に入った者たちとして存するでしょう。
231. 偉大なる勇者よ、まさしく、そのように、まさに、彼らが誰であれ、多々なる異教の者たちは、見解の茂みに跳入した者たちであり、〔見解の〕偏執によって迷わされた者たちです。
232. あなたの、清浄なる知恵によって、妨げなき見によって、これらの網の内に掛かった者たちは、あなたの知恵を超え行くことはありません」〔と〕。
233. その時点において、世尊は、アノーマダッシン〔世尊〕は、偉大なる福徳ある方は、禅定から出起して、勝者は、一方を眺めた。
234. ニサバという名の、アノーマダッシン牟尼の弟子は、十万の心が寂静となった如なる者たちに取り囲まれ──
235. 煩悩が滅尽し清浄となった六つの神知(六神通:神足通・天耳通・他心通・宿命通・天眼通・漏尽通)ある瞑想者たちに〔取り囲まれ〕──覚者の心を了知して、世の導き手たる方のもとに近しく至った。
236. 空中に止住し、そこにおいて、彼らは、右回り〔の礼〕を為した。礼拝しながら、合掌の者たちとなり、覚者の現前に降下した。
237. アノーマダッシン世尊は、世の最尊者にして人の雄牛たる方は、勝者は、比丘の僧団のうちに坐って、笑みを浮かべた。
238. ヴァルナという名の、アノーマダッシン教師の奉仕者は、一つの肩に衣料を掛けて、世の導き手たる方に尋ねた。
239. 〔ヴァルナが尋ねた〕「世尊よ、いったい、まさに、どのような因が、教師の笑みの行為にあるのですか。なぜなら、覚者たちは、彼らは、因なくして、笑みを浮かべないからです」〔と〕。
240. アノーマダッシン世尊は、世の最尊者にして人の雄牛たる方は、比丘の中央に坐って、この詩偈を語った。
241. 〔アノーマダッシン世尊は言った〕「彼は、わたしを、花によって供養し、さらに、また、〔わたしの〕知恵を奉賛しました。彼を、わたしは賛じ称えましょう。〔それを〕語る、わたしの〔言葉を〕聞きなさい」〔と〕。
242. 覚者の声を了知して、全ての天〔の神々〕たちが集いあつまり、正なる法(教え)を聞くことを欲し、彼らは、正覚者のもとへと近づいて行った。
243. 十の世の界域における、天の衆たる大いなる神通ある者たちが、正なる法(教え)を聞くことを欲し、彼らは、正覚者のもとへと近づいて行った。
244. 〔アノーマダッシン世尊は言った〕「象〔兵〕たちが、馬〔兵〕たちが、車〔兵〕たちが、歩〔兵〕たちが、そして、四つの支分ある軍団が、常に、この者を取り囲むでしょう。これは、覚者の供養の果です。
245. 六万の楽器が、〔装いを〕十二分に作り為した諸々の太鼓が、常に、この者に現起するでしょう。これは、覚者の供養の果です。
246. 一万六千の〔装いを〕十二分に作り為した女たちが、様々な彩りの衣装と装飾品をまとい、宝珠の耳飾を付けた者たちが──
247. 濃い睫毛ある、明朗なる者たちが、善き表象ある、体躯の均整なる者たちが、常に、この者を取り囲むでしょう。これは、覚者の供養の果です。
248. 十万カッパ(劫:時間の単位・極めて長い時間)のあいだ、天の世において喜び楽しむでしょう。千回、国土において、転輪王と成るでしょう。
249. 千回、天のインダ(インドラ神・帝釈天)として、天の王権を為すでしょう。数〔の観点〕からは数えようもない、広大なる地域の王権を〔為すでしょう〕。
250. 最後の生存に達し得たとき、人間たる〔境遇〕に赴くでしょう。サーリヤーという名の婆羅門尼が、子宮に保持するでしょう。
251. この人は、母の名と姓によって覚知されるでしょう。名としては、サーリプッタという〔名の〕、鋭敏なる智慧ある者として〔世に〕有るでしょう。
252. 八十コーティ(倶胝:数の単位・一千万)〔の財〕を捨て放って、無一物の者となり、出家するでしょう。寂静の境処を探し求めながら、この大地を歩むでしょう。
253. これより、量るべくもないカッパ〔の未来〕において、オッカーカ(甘蔗王)の家系を発生とし、姓としては、ゴータマという名の教師が、世に有るでしょう。
254. 彼の、諸々の法(教え)における、相続者として、正嫡として、法(教え)によって化作された者として──名としては、サーリプッタという〔名の〕、至高の弟子として〔世に〕有るでしょう。
255. この、バーギーラティー〔という名〕のガンガー〔川〕は、ヒマヴァントから発出し、大いなる海に注ぎ入り、大いなる水域を満たします。
256. まさしく、そのように、この者は、サーリプッタは、自ら〔の家〕においては、三つ〔のヴェーダ〕における熟達者としてあり、智慧における完全態に至って、命ある者たちを満足させるでしょう。
257. ヒマヴァントを、さらに、海洋の大いなる水域を、〔両者を〕加え含めて、ここにおいて、〔その〕内において、〔まさに〕その、砂粒は、数〔の観点〕からは数えようもないとして──
258. たとえ、それでも、数のとおりに、残りなく数えることができます。まさしく、しかし、サーリプッタの智慧に、終極は有りません。
259. ラッカ(洛紗:数の単位・百分の一コーティ)に置き換えながら〔計量し〕、ガンガー〔川〕の砂が滅尽するとして、まさしく、しかし、サーリプッタの智慧に、終極は有りません。
260. 大いなる海における諸々の波は、数〔の観点〕からは数えようもないとして、まさしく、そのように、サーリプッタの智慧に、終極は有りません。
261. ゴータマ〔世尊〕を、釈迦〔族〕の雄牛たる者を、正覚者を、喜ばせて、〔彼は〕智慧における完全態に至って、至高の弟子として〔世に〕有るでしょう。
262. 釈迦族の如なる者によって転起させられた法(真理)の輪を、正しく随転させるでしょう──諸々の法(真理)の雨を降らせながら。
263. この全てを証知して、ゴータマ〔世尊〕は、釈迦〔族〕の雄牛たる者は、比丘の僧団のうちに坐って、〔彼を、このことにおける〕至高の地位に据え置くでしょう」〔と〕。
264. ああ、わたしには、善行の行為〔の果〕がある。アノーマダッシン教師のために、彼のために、為すことを為して、わたしは、一切所において完全態に至ったのだ。
265. 量るべくもない〔カッパの過去〕において、〔わたしが〕為した行為と〔その〕果を、ここに、わたしのために、〔覚者は〕見示した。善く放たれた矢の勢いのように、諸々の〔心の〕汚れ(煩悩)を、わたしは焼き尽くした。
266. 形成されたものではないもの(無為)を、涅槃を、不動の境処を、探し求めながら、全ての異教の者たちを尋ね求めながら、〔まさに〕この、わたしは、〔種々なる〕生存において輪廻した。
267. たとえば、また、病んだ人が、薬草を遍く探し求めるとして、病からの遍き解き放ちのために、全ての林を尋ね求めるように──
268. 形成されたものではないものを、涅槃を、不死の境処を、探し求めながら、途切れなく、五百〔生〕のあいだ、聖賢の出家〔の道〕に出家した。
269. 結髪を荷として蓄え、皮衣を上衣とし、神知における完全態に至って、わたしは、梵の世に赴いた。
270. 勝者の教えを除いて、外に、清浄は存在しない。彼らが誰であれ、覚慧ある有情たちであるなら、勝者の教えにおいて清浄となる。
271. この、自己の為作によって作られるものを──この、伝え聞きのものではないものを──形成されたものではないものを探し求めながら、わたしは、悪しき異教のあいだを行き来した。
272. たとえば、硬材を義(目的)とする人が、芭蕉を切断して切り裂くも、そこにおいて、硬材を見出さず、まさに、彼が、硬材から遠ざかっているように──
273. まさしく、そのように、世における異教の者たちは、種々なる見解があり、多くの人たちがあり、形成されたものではないものから遠ざかっている者たちである──すなわち、硬材から〔遠ざかっている〕芭蕉のように。
274. 最後の生存に達し得たとき、わたしは、梵の眷属(婆羅門)として〔世に〕有った。大いなる財物を捨て放って、〔家から〕家なきへと出家した。
〔以上が〕第一の朗読分となる。
275. 〔ゴータマ世尊に、わたしは言った〕「〔聖典の〕読誦者にして大いなる財産ある者であり、三つのヴェーダの奥義に至る者である、サンチャヤという名の婆羅門がいます。彼の元に、わたしは住しています。
276. 偉大なる勇者よ、あなたの弟子で、アッサジという名の婆羅門がいます。〔獅子の如く〕近づき難き者は、気高き威光ある者は、そのとき、〔行乞の〕食のために歩みます。
277. 〔わたしは〕見ました──彼を、智慧を有する者を、寂黙のうちに〔心が〕定められた牟尼を、心が寂静となった大いなる龍を、あたかも、美しく咲き誇る蓮華のような者を。
278. 見て、わたしに、心が生起しました──〔心身が〕善く調御された者を、清浄なる意図ある者を、最も優れた雄牛たる勇者を、〔見て〕。〔わたしは思い考えました〕『この者は、阿羅漢として〔世に〕有るのだ。
279. 浄信ある者であり、形姿麗しき者であり、善く統御された者として振る舞う。最上の調御において調御された者であり、不死を見る者として〔世に〕有るのだ。
280. それなら、さあ、わたしは、最上の義(目的)を、満足した意図ある者に尋ねるのだ。彼は、〔問いを〕尋ねられた者として、わたしに話してくれるだろう。そのとき、わたしは問い返すのだ』〔と〕。
281. 〔行乞の〕施食を歩んでいる〔彼〕の、そのあとから、わたしは赴きました──不死の境処を尋ねる機会を待ち望みながら。
282. 道の中途に至り得た〔彼〕のもとへと近しく赴いて、わたしは尋ねました。『勇者よ、どのような姓の者として、あなたは存しているのですか。敬愛なる者よ、誰の徒弟として、〔あなたは〕存しているのですか』〔と〕。
283. 彼は、〔問いを〕尋ねられた者として、わたしに説き明かしました。恐怖なき獅子のように、『覚者が、世に生起したのです。友よ、彼の徒弟として、〔わたしは〕存しています』〔と〕。
284. 〔わたしは尋ねました〕『大いなる勇者よ、善き生まれの者よ、大いなる福徳ある者よ、どのようなものが、あなたにあるのですか。君よ、覚者の教えを、〔その〕法(真理)を、どうか、わたしに話してください』〔と〕。
285. 彼は、〔問いを〕尋ねられた者として、わたしに全てを話してくれました──渇愛の矢を打ち砕き、一切の苦しみを除き去る、深遠にして精緻なる境処を。
286. 〔彼は答えました〕『すなわち、因を起源として、諸々の法(事象)はあり、それらには因があることを、如来は言いました。そして、すなわち、それらには止滅があり、このように説く者として、偉大なる沙門は〔世に有ります〕』〔と〕。
287. 〔まさに〕その、わたしは、問いが答えられたとき、第一の果(預流果)に到達しました。〔世俗の〕塵を離れる者として、〔世俗の〕垢を離れる者として、〔わたしは〕存しました──勝者の教えを聞いて〔そののち〕。
288. 牟尼の言葉を聞いて、最上の法(真理)を見て、正なる法(教え)を深解し、わたしは、この詩偈を語りました。
289. 〔わたしは言いました〕『もしくは、まさしく、それだけのものであるとして、まさしく、これは、法(真理)です。〔あなたたちは〕憂いなき境処を理解したのです──多くのカッパ(劫:時間の単位・極めて長い時間)とナフタ(那由他:数の単位・巨大数)をもってして、見られることなく去り行った〔境処〕を』〔と〕。
290. 〔まさに〕その、わたしは、法(真理)を探し求めながら、わたしは、悪しき異教のあいだを行き来しました。わたしによって、その義(目的)は獲得されました。わたしに、怠るべき時はありません。
291. わたしは、アッサジによって満足させられ、不動の境処に至り得て〔そののち〕、道友(モッガッラーナ)を探し求めながら、わたしは、庵所に赴きました。
292. はるか遠くから、わたしを見て、わたしの道友は、善き学びある者は、振る舞いの道の成就者は、この言葉を説きました。
293. 〔モッガッラーナは尋ねました〕『澄浄なる顔と眼の者として、〔あなたは〕存しています。まさしく、牟尼の状態が見られます。どうでしょう、不死〔の境処〕が到達されたのですか──涅槃が、死滅なき境処が。
294. 美しくも朗らかに、〔あなたは〕やってきます。不動〔の境処〕に従事しているかのようです。まさしく、〔自己が〕調御された者であり、〔自己が〕調御された調御者です。婆羅門よ、寂静者として、〔あなたは〕存しています』〔と〕。
295. 〔わたしは答えました〕『わたしによって、不死〔の境処〕が到達されました──憂いの矢を除き去る〔不死の境処〕が。あなたもまた、それに到達するでしょう。〔わたしたちは〕覚者の現前に赴くのです』〔と〕。
296. 『善きかな』と、彼は答えて、わたしの道友は、善き学びある者は、手に手を掴んで、あなたの前へと近しく赴いて──
297. 〔わたしは言いました〕『釈迦族の方よ、あなたの前において、〔わたしたちは〕両者ともどもに出家するでしょう。あなたの教えに由来して、煩悩なき者たちとなり、〔世に〕住むでしょう』〔と〕。
298. コーリタ(モッガッラーナ)は、神通における最勝者であり、わたしは、智慧における奥義に至る者です。まさしく、〔わたしたちは〕両者ともに一つと成って、教えを美しく荘厳します。
299. 完成された思惟なき者として、わたしは、悪しき異教のあいだを行き来しました。あなたを見ることに由来して、わたしの思惟は満たされました。
300. 地に立脚して、木々は、時において花ひらき、諸々の天の香りが等しく香り、全ての命ある者たちを満足させます。
301. 偉大なる勇者よ、釈迦族の方よ、偉大なる福徳ある方よ、まさしく、そのように、わたしは、あなたの教えに立脚して、時において花ひらくことを探し求めます。
302. 解脱の花を探し求めながら、生存の輪廻を解き放つことを〔探し求めながら〕、解脱の花の利得によって、全ての命ある者たちを満足させます。
303. およそ、覚者の田畑におけるかぎり、偉大なる牟尼を除いて、眼ある方よ、智慧をもってして、あなたの子(サーリプッタ)と相同の者は存在しません。
304. そして、あなたの徒弟たちは、さらに、衆の者たちは、善き教導ある者たちであり、善き学びある者たちであり、最上の調御において調御された者たちであり、常に、あなたを取り囲みます。
305. 瞑想を喜ぶ瞑想者たちであり、慧者たちであり、心が寂静となった者たちであり、〔心が〕定められた者たちであり、牟尼の資質を成就した牟尼たちであり、常に、あなたを取り囲みます。
306. 少欲にして賢明なる者たちであり、慧者たちであり、少食にして〔味に〕妄動なき者たちであり、利得あるも利得なくも満足している者たちであり、常に、あなたを取り囲みます。
307. 林にある者たちであり、〔俗塵の〕払拭(頭陀)を喜ぶ者たちであり、瞑想者たちであり、粗野な衣料の者たちであり、遠離を喜ぶ者たちであり、慧者たちであり、常に、あなたを取り囲みます。
308. 〔道を〕実践する者たちであり、そして、果に依って立つ者たちであり、〔いまだ〕学びある者(有学)たちであり、〔すでに〕果を保有する者たちであり、最上の義(目的)を願い求める者たちであり、常に、あなたを取り囲みます。
309. そして、預流たる者たちであり、〔世俗の〕垢を離れる者たちであり、そして、すなわち、一来たる者たちであり、そして、不還たる者たちであり、阿羅漢たちであり、常に、あなたを取り囲みます。
310. 〔四つの〕気づきの確立(念処・念住)に巧みな智ある者たちであり、〔七つの〕覚りの支分(覚支)の修行を喜ぶ者たちであり、あなたの弟子たちは多く、全ての者たちが、常に、あなたを取り囲みます。
311. 〔四つの〕神通の足場(神足)に巧みな智ある者たちであり、禅定(定・三昧)の修行を喜ぶ者たちであり、〔四つの〕正しい精励(正勤)に専念する者たちであり、常に、あなたを取り囲みます。
312. 三つの明知(三明:宿命通・天眼通・漏尽通)ある者たちであり、そして、六つの神知(六神通:神足通・天耳通・他心通・宿命通・天眼通・漏尽通)ある者たちであり、神通における完全態に至った者たちであり、智慧における完全態に至り得た者たちであり、常に、あなたを取り囲みます。
313. 偉大なる勇者よ、これらの者たちは、彼らは、あなたの徒弟たちは、善き学びある者たちであり、〔獅子の如く〕近づき難き者たちであり、気高き威光ある者たちであり、常に、あなたを取り囲みます。
314. 自制者にして苦行者たちである、それらの徒弟たちに取り囲まれ、〔あなたは〕獣の王のように恐怖なく、星の王(月)のように美しく輝きます。
315. 地に立脚して、木々は成長し、広大さに至り得ます。そして、それらは、果を見示します。
316. 釈迦族の方よ、偉大なる福徳ある方よ、あなたは、地と相同の者として〔世に〕存しています。あなたの教えに立脚して、〔彼らは〕不死の果を得ます。
317. シンドゥ〔川〕も、まさしく、そして、サラッサティー〔川〕も、チャンダバーガー〔川〕の諸々の川も、そして、ガンガー〔川〕も、まさしく、そして、ヤムナー〔川〕も、そして、サラブー〔川〕も、さらに、マヒー〔川〕も──
318. 流れ行くこれら〔の川〕を、海洋が領受するなら、〔これらの川は〕以前の名を捨棄し、『海洋』という〔名〕だけが知られます。
319. まさしく、そのように、これらの四つの階級の者たち(婆羅門・士族・庶民・隷民)は、あなたの前において出家して、以前の名を捨棄し、『覚者の子』という〔名だけ〕が知られます。
320. たとえば、また、無垢なる月が、虚空の界域を赴きつつ、世における一切の星の群れに、光によって輝きまさるように──
321. 偉大なる勇者よ、まさしく、そのように、あなたは、〔弟子たちに〕取り囲まれ、天〔の神々〕と人間たちを、これらの全ての者たちを超え行って、あなたは、一切時に燃え盛ります。
322. 深遠において出起した諸々の波は、海岸を超え行かず、それらの全てが、まさしく、海岸に接触するも、粉砕され、離散します。
323. まさしく、そのように、世における異教の者たちは、種々なる見解があり、多くの人たちがあり、法(真理)を説くことを欲するも、彼らは、牟尼であるあなたを超え行きません。
324. 眼ある方よ、そして、それで、もし、あなたのもとに至り得るとして、諸々の反論によって、あなたの前へと近しく赴いて〔そののち〕、彼らは、諸々の粉砕された〔波〕のように成ります。
325. たとえば、また、水に生じた、多くの蓮や水草が、水に汚れ、かつまた、泥土に〔汚れる〕ように──
326. まさしく、そのように、多くの有情たちは、世に生じ、成長します──貪欲や憤怒〔の思い〕に苦悩する者たちとなり、あたかも、泥のなかの蓮のように。
327. たとえば、また、水に生じる蓮華が、水の中に成長するも、それは、水に汚れず、まさに、完全なる清浄のものとして、花糸ある〔蓮華〕があるように──
328. 偉大なる勇者よ、偉大なる牟尼よ、まさしく、そのように、あなたは、世に生じた者でありながら、世に汚れません──あたかも、水に〔汚れない〕蓮華のように。
329. たとえば、また、〔春の〕喜ばしき月に、多くの水蓮が花ひらき、その月を過ぎ行かず、それが、開花の時であるように──
330. 偉大なる勇者よ、まさしく、そのように、あなたはあり、それら〔の弟子たち〕は、解脱〔の境地〕において花ひらき(※)、教えを超え行きません。あたかも、水に生じる蓮華のように。
※ テキストには pupphito とあるが、PTS版により pupphitā と読む。
331. 美しく花ひらいたサーラ〔樹〕の王は、天の香りを香らせます。他のサーラ〔樹〕たちに取り囲まれ、サーラ〔樹〕の王が美しく輝くように──
332. 偉大なる勇者よ、まさしく、そのように、あなたは、覚者の知恵によって花ひらき、比丘の僧団に取り囲まれ、サーラ〔樹〕の王のように美しく輝きます。
333. たとえば、また、ヒマヴァントの岩地が、全ての命ある者たちにとっての薬となり、龍たちの、そして、阿修羅たちの、さらに、天〔の神々〕たちの、集まる所となるように──
334. 偉大なる勇者よ、まさしく、そのように、あなたは、〔全ての〕命ある者たちにとっての薬のような方です。〔彼らは〕三つの明知ある者たちとなり、そして、六つの神知ある者たちとなり、神通における完全態に至った者たちとなります。
335. 偉大なる勇者よ、彼らは、慈悲の者であるあなたによって教示され、法(真理)の喜びにおいて喜び楽しみ、あなたの教えにおいて住します。
336. たとえば、獣の王たる獅子が、巣から出て、四方を見回して、三度、吼え叫ぶと──
337. 全ての獣たちが、鳴動する獣の王に恐れわななきます。まさに、そのように、この出生よき〔獣の王〕は、家畜たちを、一切時に恐れさせます。
338. 偉大なる勇者よ、あなたが鳴動すると、大地は激動します。覚らされるべき者たちは覚り、悪魔の諸衆は恐れおののきます。
339. 偉大なる牟尼よ、あなたが咆哮すると、異教の者たちは、〔彼らの〕全てが恐れおののきます──鷹から逃げ惑う烏たちのように、獣の王から〔逃げ惑う〕獣たちのように。
340. 彼らが誰であれ、『教師』と呼ばれる、世における衆師たちは、彼らは、相伝のものとして伝えられた〔伝聞の〕法(教え)を、衆に説示します。
341. 偉大なる勇者よ、あなたは、まさに、このように、法(教え)を、衆に説示しません。自ら、〔四つの〕真理(諦)を覚って、全一なる覚りの項目(菩提分)を〔覚って〕──
342. 志欲の悪習(随眠:潜在煩悩)を知って、諸々の機能(根)の、力と非力を、可能と不可能を、〔あるがままに〕見出して、大いなる雨雲のように鳴動します(説法する)。
343. チャッカ・ヴァーラ(輪囲山・鉄囲山:世界の周辺にあって世界を囲んでいる山)を極限として、〔そこに〕坐っている衆が有り、種々なる見解の者たちが、疑問を断ち切るために、それを考査しているなら──
344. 全ての者たちの心を了知して、牟尼である〔あなた〕は、〔他を〕導くに巧みな智ある者として、まさしく、一つの問いに言説しながら、命ある者たちの〔全ての〕疑問を断ち切ります。
345. まさしく、ウパティッサ(サーリプッタ)と相同の者たちによって満ちている大地が有り、まさしく、彼らの全てが、合掌の者たちとなり、世の導き手たる方を賛じ称えるとして──
346. あるいは、カッパのあいだ、彼らが賛じ称えながら、種々なる褒め称え〔の言葉〕をもって、〔如来の徳を〕賛じ称えるとして、〔如来の徳を〕量ることはできません。如来は、無量なる方です。
347. たとえば、自らの強さによって、まさに、わたしが、勝者を賛じ称えたように、〔彼らは〕千万カッパのあいだでさえも賛じ称えながら、まさしく、このように、〔如来の徳を〕賛じ称えるでしょう。
348. まさに、それで、もし、誰であれ、あるいは、天〔の神〕が、あるいは、善き学びある人間が、〔如来の徳を〕量るべく、遍く想い描くとして、彼は、まさしく、悩苦を得るでしょう。
349. 釈迦族の方よ、偉大なる福徳ある方よ、あなたの教えに立脚して、〔わたしは〕智慧における完全態に至って、煩悩なき者となり、〔世に〕住みます。
350. 異教の者たちを等しく撃破し、勝者の教えを転起させます──法(教え)の軍団長として、今日、釈迦族の方の教えにおいて。
351. 量るべくもない〔カッパの過去〕において、〔わたしが〕為した行為と〔その〕果を、ここに、わたしのために、〔あなたは〕見示します。善く射られた矢の勢いのように、わたしの〔心の〕汚れ(煩悩)を、〔あなたは〕焼き尽くしました。
352. 彼が誰であれ、人間が、荷を、頭上に常に保持するなら、〔その〕荷によって、苦しみの者として存するでしょう。そのように、諸々の荷を担いだ者となり──
353. 三つの火(貪・瞋・痴の三毒)に焼かれながら、わたしは、諸々の生存(有)のうちに輪廻しました──生存の荷を担ぎ、あたかも、山を持ち上げる者であるかのように。
354. そして、わたしによって、荷は降ろされ、わたしによって、諸々の生存は撤去されました。為されるべきことは、全てが為されました──釈迦族の方の教えにおいて。
355. およそ、覚者の田畑におけるかぎり、釈迦〔族〕の雄牛たる方を除いて、わたしは、至高の者として〔世に〕存しています。智慧をもってして、わたしに、相同の者は見出されません。
356. 禅定における極めて巧みな智ある者として、神通における完全態に至った者として、そして、わたしは、今日、求めるままに、千なるものを化作するでしょう。
357. 偉大なる牟尼よ、〔あなたは〕順次の住(九次第定)に自在と成った者として、わたしに、教えを言説しました──止滅の者として、わたしに、依所を。
358. わたしには、清浄なる天眼があります。わたしは、禅定に巧みな智ある者であり、〔四つの〕正しい精励(正勤)に専念する者であり、〔七つの〕覚りの支分(覚支)の修行を喜ぶ者です。
359. まさに、弟子によって至り得られるべきものは、まさしく、全てが、わたしによって為されました。世の導き手たる方を除いて、わたしに、相同の者は見出されません。
360. 〔わたしは〕諸々の入定(等持)に巧みな智ある者として、諸々の瞑想と解脱をすみやかに獲得する者として、覚りの支分の修行を喜ぶ者として、弟子の徳における完全態に至った者として、〔世に〕存しています。
361. また、弟子の徳によって、体得によって、覚慧によって、最上の衆に重きを置く者であり、すなわち、心は、常に、梵行を有する者たちにたいする信によって愛護されています。
362. 毒を引き抜かれた蛇のように、角を断ち切られた雄牛のように、まさしく、〔我想の〕思量(慢:思い上がりの心)と倨傲〔の思い〕を捨て置いた者として、重き尊重〔の思い〕をもって、衆徒のもとに近しく至ります。
363. もしくは、〔それが〕形あるものとして有るなら、思慧に富む、わたしの智慧もまた、共に赴くでしょう。これは、アノーマダッシン世尊の知恵を奉賛することの果です。
364. 釈迦族の如なる方によって転起させられた法(真理)の輪を、わたしは、正しく随転させます。これは、知恵を奉賛することの果です」〔と〕。
365. いついかなる時も、わたしとともに〔有っては〕ならない──悪しき欲求ある者も、怠惰の者も、精進に劣る者も、少聞の者も、礼を欠く者も、どこにおいても、共に赴く者と成ってはならない。
366. そして、多聞の者は、思慮ある者は、諸戒において〔心が〕善く定められた者は、心の止寂に専念する者もまた、〔わたしの〕頭上に立て。
367. 〔わたしは〕それを、あなたたちに説く。あなたに、幸せ〔有れ〕──ここにおいて、集いあつまった、そのかぎりの者たちは。〔あなたたちは〕少なき欲求の者たちとして、〔常に〕満ち足りている者たちとして、常に瞑想を喜ぶ瞑想者たちとして、〔世に〕有れ。
368. わたしは、最初に、彼を見て、〔世俗の〕塵を離れる者と〔成り〕、〔世俗の〕垢を離れる者と成った。彼は、わたしの、師匠たる慧者にして、アッサジという名の、〔覚者の〕弟子である。
369. わたしは、彼に由縁して、今日、法(教え)の軍団長と成った。一切所において完全態に至り得て、煩悩なき者となり、〔世に〕住む。
370. 彼は、わたしの師匠として存した。アッサジという名の、〔覚者の〕弟子である。その方角に、〔彼が〕住するなら、わたしは、まさに、頭を、〔その方角に〕為す。
371. わたしの行為を思念して、ゴータマ〔世尊〕は、釈迦〔族〕の雄牛たる方は、比丘の僧団のうちに坐って、わたしを、〔このことにおける〕至高の地位に据え置いた。
372. わたしの、諸々の〔心の〕汚れは焼尽し、一切の〔迷いの〕生存は完破された。象のように結縛を断ち切って、煩悩なき者となり、〔世に〕住む。
373. わたしにとって、まさに、善き訪問として存した──最勝の覚者の現前にあることは。三つの明知は獲得され、覚者の教えは為された。
374. 四つの融通無礙(四無礙解:義・法・言語・応答の融通無礙)は〔実証され〕、そして、また、これらの八つの解脱(八解脱:色界の瞑想者として諸々の形態を見る解脱・内に形態の表象なき者として外に諸々の形態を見る解脱・「浄美である」とだけ信念した者と成る解脱・空無辺処への入定の解脱・識無辺処への入定の解脱・無所有処への入定の解脱・非想非非想処への入定の解脱・想受滅への入定の解脱)も〔実証された〕。六つの神知(六神通:神足通・天耳通・他心通・宿命通・天眼通・漏尽通)は実証され、覚者の教えは為された。
かくのごとく、まさに、尊者サーリプッタ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──
サーリプッタ長老の行状が、第一となる。
1. 3. 2. マハー・モッガッラーナ長老の行状
375. アノーマダッシン世尊は、世の最尊者にして人の雄牛たる方は、天〔の神々〕たちの群れに囲まれ、ヒマヴァント(ヒマラヤ)に住んでいた。
376. そのとき、わたしは、名としては、ヴァルナという名の、龍の王として〔世に有った〕。わたしは、大いなる水域に居住しながら、欲するままに形態ある者として、〔自らを種々に〕変異する。
377. 穢れを有する衆徒を捨棄して、わたしは、楽器を据え置いた。そのとき、仙女たちは、正覚者を取り囲んで、〔諸々の楽器を〕奏でた。
378. 〔それらの〕楽器が奏でられているなか、天〔の神々〕たちも、諸々の楽器を奏でた。両者の音を聞いて、覚者もまた目覚めた。
379. 〔わたしは〕正覚者を招いて、自らの居所へと近しく赴いた。坐を設置して、わたしは、時を告げた。
380. 千の煩悩の滅尽者たちに取り囲まれた、世の導き手たる方は、全ての方角を照らしながら、わたしの居所へと近しく赴いた。
381. 近しく坐した偉大なる勇者を、天の天たる方を、人の雄牛たる方を、そのとき、わたしは、食べ物と飲み物によって、比丘の僧団と共に満足させた。
382. 偉大なる勇者は、〔他に依らず〕自ら成る方は、至高の人たる方は、随喜した。〔彼は〕比丘の僧団のうちに坐って、これらの詩偈を語った。
383. 〔アノーマダッシン世尊は言った〕「すなわち、彼は、僧団を供養しました。そして、覚者を、世の導き手たる者を。〔まさに〕その、心の浄信によって、天の世に赴くでしょう。
384. そして、七十七回、天の王権を為すでしょう。地においては、八百の王権を〔為し〕、大地に居住するでしょう。
385. そして、五十五回、転輪〔王〕と成るでしょう。まさしく、そのあいだ、彼には、数えようもない財物が生起するでしょう。
386. これより、量るべくもないカッパ〔の未来〕において、オッカーカ(甘蔗王)の家系を発生とし、姓としては、ゴータマという名の教師が、世に有るでしょう。
387. 彼(モッガッラーナ)は、地獄から死滅して〔そののち〕、人間たる〔境遇〕に赴くでしょう。名としては、コーリタという名の、梵の眷属(婆羅門)として〔世に〕有るでしょう。
388. 彼は、のちに出家して、善根に促され、ゴータマ世尊の、第二〔の地位〕の弟子として〔世に〕有るでしょう。
389. 精進に励み、自己を精励し、神通における完全態に至り、一切の煩悩を遍知して、煩悩なき者となり、涅槃に到達するでしょう」〔と〕。
390. 〔そののち、わたしは〕悪しき朋友たちに近しく依拠して、欲望〔の対象〕にたいする貪り〔の思い〕の支配に赴き、汚れた意図ある者となり、母を、さらに、また、父を、殺害させたのだった。
391. 地獄に、さらに、人間に、その〔胎〕その胎に再生するも、悪しき行為〔の果〕を保有することから、〔常に〕頭を砕かれ、わたしは死ぬ。
392. これは、わたしにとって最後のものである。生存は、最後のものとして転起する。この〔世において〕もまた、死の時において、わたしには、このような〔境遇〕が有るであろう(同じ死に方をするであろう)。
393. 遠離に専念する者として、禅定の修行を喜ぶ者として、一切の煩悩を遍知して、煩悩なき者となり、〔世に〕住む。
394. 極めて深く、厚く、破却し難き大地でさえも、神通における完全態に至った者として、左の親指で動かすであろう。
395. 「〔わたしは〕存在する」という思量(我慢:自我意識)を、〔わたしは〕見ない。わたしに、〔我想の〕思量は見出されない。沙弥たちを加え含めて、わたしは、〔僧団にたいし〕尊重の心を作り為す。
396. すなわち、〔わたしが〕行為を導引した、これより、量るべくもないカッパ〔の未来〕において、わたしは、その境地を獲得し、煩悩の滅尽に至り得た者として〔世に〕存している。
397. 四つの融通無礙は〔実証され〕、そして、また、これらの八つの解脱も〔実証された〕。六つの神知は実証され、覚者の教えは為された。
かくのごとく、まさに、尊者マハー・モッガッラーナ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──
マハー・モッガッラーナ長老の行状が、第二となる。
1. 3. 3. マハー・カッサパ長老の行状
398. パドゥムッタラ世尊のために、世の最尊者にして如なる方のために、教師のために、世の主たる方が涅槃に到達したとき、〔人々は〕供養を為す。
399. 人民は、勇躍する心の者たちとなり、歓喜のうえにも歓喜した者たちとなる。彼らが畏怖〔の思い〕を生じたとき、喜悦〔の思い〕が、わたしに生起した。
400. 〔わたしは〕親族や朋友たちを集めて、この言葉を説いた。〔わたしは言った〕「偉大なる勇者が完全なる涅槃に到達したのです。さあ、〔わたしたちは〕供養を為すのです」〔と〕。
401. 彼らは、「善きかな」と答えて、わたしに、より一層、笑みを生じさせた。〔わたしは言った〕「覚者にたいし、世の主たる方にたいし、〔わたしたちは〕功徳の蓄積を為しましょう」〔と〕。
402. 見事に作られた供物を作り為して、百ハッタ(長さの単位・一ハッタは約五十センチ)の高さと百五十ハッタの幅ある、天空に屹立する宮殿を〔作り為して〕──
403. そこにおいて、ターラ〔樹〕の並木に彩られた楼房を作り為して、自らの心を浄信させて、最上の塔を供養した。
404. 燃え盛る火の塊のように、咲き誇るキンスカ〔樹〕のように、虚空におけるインダ(インドラ神)の杖のように、四方に光り輝く。
405. そこにおいて、心を浄信させて、多くの善なる〔功徳〕を作り為して、過去の行為を思念して、わたしは、三十三〔天〕に再生した。
406. 千〔の馬〕を設えた馬車に〔乗り〕、天の乗物に乗る〔わたし〕である。わたしには、七つの階に屹立する高き居所がある。
407. 全てが黄金で作られている千の楼閣が有った。〔それらは〕自らの威光によって燃え盛り、〔一つ一つが〕全ての方角を照らしている。
408. そのとき、他にもまた、紅玉で作られている諸々の尖塔が存在し、それらもまた、光輝によって、遍きにわたり、四方に輝く。
409. 功徳の行為〔の果〕が発現し、諸々の楼閣が美しく化作され、宝珠で作られている〔それら〕もまた、遍きにわたり、十方に輝く。
410. 輝き渡るそれらの、〔その〕光輝は、広大なるものと成った。〔わたしは〕全ての天〔の神々〕たちを圧倒する。これは、功徳の行為の果である。
411. 六万カッパ〔の過去〕において、ウッビッダという名の士族として〔世に存した〕。四辺を征圧する者となり、わたしは、地に居住した。
412. 三十回、幸いなるカッパ(賢劫:今現在のカッパ)において、わたしは、まさしく、そのように、〔世に〕有った。〔わたしは〕存する──自らの行為〔の果〕に満悦した者として、大いなる勢力ある転輪〔王〕として──
413. 七つの宝を成就した、四つの洲におけるイッサラ(イーシュヴァラ神・自在神)として(転輪王として、三十回、生を受けた)。また、そこにおいて、わたしには、インダの杖のように屹立する居所があり──
414. 長さとして二十四〔ヨージャナ〕の、そして、幅として十二〔ヨージャナ〕のものとなる。堅固なる城壁と楼門の、ランマナという名の城市があり──
415. 長さとして五百〔ヨージャナ〕の、幅としてその半分のものとなる。諸々の人の衆がそぞろ行き、三十三〔天〕の都のようである。
416. たとえば、針入れに二十五の針が入れられたなら、互いに他と相打ち、〔針入れは、それらで〕満ち溢れ、満杯と成るように──
417. このように、また、わたしの城市は、象と馬と車で群れ溢れ、常に、人間たちで満ち溢れている──最上の城市たるランマナは。
418. そこにおいて、食べて、さらに、飲んで、ふたたび、天〔の神〕たる〔境遇〕に赴いた〔わたし〕である。最後の生存において、わたしには、家系の成就が有った(良家に生を受けた)。
419. 婆羅門の家系に発生し、大いなる宝の蓄積ある〔わたし〕は、金貨にして八十コーティ〔の財〕をもまた捨棄して、出家した。
420. 四つの融通無礙は〔実証され〕、そして、また、これらの八つの解脱も〔実証された〕。六つの神知は実証され、覚者の教えは為された。
かくのごとく、まさに、尊者マハー・カッサパ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──
マハー・カッサパ長老の行状が、第三となる。
1. 3. 4. アヌルッダ長老の行状
421. わたしは、スメーダ世尊を、世の最尊者にして人の雄牛たる方を、遠離の者となり〔世に〕住んでいる世の導き手たる方を、見た。
422. スメーダ〔世尊〕のもとへと、世の導き手たる方のもとへと、正覚者のもとへと、近しく赴いて、合掌を差し出して、わたしは、最勝の覚者に乞い求めた。
423. 〔わたしは言った〕「慈しみ〔の思い〕ある方よ、偉大なる勇者よ、世の最尊者にして人の雄牛たる方よ、灯明を、あなたに施します──木の根元において瞑想している〔あなた〕に」〔と〕。
424. 彼は、慧者は、〔他に依らず〕自ら成る方は、説者たちのなかの優れた方は、〔わたしの申し出を〕承諾した。そのとき、わたしは、木々を刺し貫いて、機具を結び付けた。
425. 千の灯芯を、覚者に、世の眷属たる方に、〔わたしは〕施した。七日のあいだ燃え盛って、わたしの諸々の灯明は寂止した。
426. 〔まさに〕その、心の浄信によって、さらに、諸々の志欲と誓願によって、人間の肉身を捨棄して〔そののち〕、わたしは、天宮に再生した。
427. 天〔の神〕たる〔境遇〕に再生した〔わたし〕には、美しく化作された宮殿が存した。遍きにわたり、〔その宮殿は〕燃え盛る。これは、灯明の布施の果である。
428. 百ヨージャナの遍きにわたり、そのとき、わたしは遍照した。〔わたしは〕全ての天〔の神々〕たちを圧倒する。これは、灯明の布施の果である。
429. 三十カッパのあいだ、天のインダとして、天の王権を為した。どのような者たちであれ、わたしを軽んじない。これは、灯明の布施の果である。
430. そして、二十八回、わたしは、転輪〔王〕と成った。昼に、さらに、夜に、〔わたしは〕見る──〔一〕ヨージャナの遍きにわたり、そのとき。
431. 〔わたしは〕見る──千の世を、知恵によって──教師の教えにおいて、天眼を獲得した者として。これは、灯明の布施の果である。
432. これより、三万カッパ〔の過去〕において、スメーダという名の正覚者が〔世に有った〕。彼のために、灯明が、わたしによって施された──浄信した心で。
433. 四つの融通無礙は〔実証され〕、そして、また、これらの八つの解脱も〔実証された〕。六つの神知は実証され、覚者の教えは為された。
かくのごとく、まさに、尊者アヌルッダ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──
アヌルッダ長老の行状が、第四となる。
1. 3. 5. プンナ・マンターニプッタ長老の行状
434. 〔聖典の〕読誦者にして呪文の保持者として、三つのヴェーダの奥義に至る者として、徒弟たちに尊ばれる者として、〔わたしは〕存している。最上の人たる方(パドゥムッタラ世尊)のもとへと、〔わたしは〕近しく赴いた。
435. パドゥムッタラ〔世尊〕は、世〔の一切〕を知る方は、諸々の捧げものの納受者たる方は、偉大なる牟尼は、簡略に、わたしの行為を賛じ称えた。
436. わたしは、その法(教え)を聞いて、教師を敬拝して、合掌を差し出して、南に向かい立ち去った。
437. 〔わたしは〕簡略に聞いて、〔それを〕詳細に語った。語っているわたしの〔言葉を〕聞いて、全ての徒弟たちは、わが意を得た者たちとなり、自らの見解を除き去って、覚者にたいし、心を浄信させた。
438. わたしは、簡略にもまた説示し、まさしく、そのように、詳細に〔説示する〕。わたしは、高次の法理(阿毘達磨・対法・勝法)の方法を知る者として、言説の事例(論事)における清浄に〔知ある者として〕、全ての者たちを識知させて、煩悩なき者となり、〔世に〕住む。
439. これより、五百カッパ〔の過去〕において、四者のスッパカーサカ〔という名の者たち〕として〔世に存した〕──七つの宝を成就した、四つの洲におけるイッサラたちとして。
440. 四つの融通無礙は〔実証され〕、そして、また、これらの八つの解脱も〔実証された〕。六つの神知は実証され、覚者の教えは為された。
かくのごとく、まさに、尊者プンナ・マンターニプッタ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──
プンナ・マンターニプッタ長老の行状が、第五となる。
1. 3. 6. ウパーリ長老の行状
441. ハンサヴァティーの城市において、〔わたしは〕スジャータという名の婆羅門として〔世に有った〕──八十コーティ〔の財〕の蓄積ある者として、多大なる財産と穀物ある者として──
442. 〔聖典の〕読誦者にして呪文の保持者として、三つのヴェーダの奥義に至る者として、特相における、かつまた、古伝における、自らの法(教え)における完全態に至った者として。
443. 遍歴遊行者たちが、一なる頂髪の者たちが、ゴータマ覚者の弟子たちが、遊行者たちが、まさしく、そして、苦行者たちが、そのとき、大地を歩む。
444. 彼らもまた、わたしを取り囲む。「世に聞こえた婆羅門である」と。多くの人々が、わたしを供養するが、わたしは、誰をも(※)供養しない。
※ テキストには kiñcanaṃ とあるが、PTS版により kañcanaṃ と読む。
445. 供養に値する者を見ず、そのとき、わたしは、〔我想の〕思量と強情〔の思い〕ある者として〔世に有った〕(慢心していた)。「覚者」という言葉は存在せず、そのとき、勝者は〔世に〕生起していない。
446. 昼と夜が経過して、パドゥムッタラという名の〔覚者〕が、眼ある方が、一切の闇を除去して、世に生起した。
447. そして、〔覚者の〕教えが、広きものと成り、広く知られ、多く知られるとき、そのとき、覚者は、ハンサという呼び名を有する城市(ハンサヴァティー)へと近しく赴いた。
448. 彼は、覚者は、眼ある方は、父を義(目的)として、法(教え)を説示した。その時にあって、そのとき、衆は、遍きにわたり、〔一〕ヨージャナとなる。
449. 人間たちに敬われている、スナンダという名の苦行者は、彼は、そのとき、およそ、覚者の衆としてあるかぎり、〔全ての者たちを〕花々で覆い隠した。
450. そして、最勝〔の覚者〕が、花の天幕のなかで、四つの真理(四諦)を明示しているとき、十万コーティの者たちに、〔法の〕知悉(現観)が有った。
451. 七つの夜と昼のあいだ、覚者は、諸々の法(教え)の雨を降らせて、第八の昼が至り得たとき、勝者は、スナンダを賛じ称えた。
452. 〔パドゥムッタラ世尊は言った〕「天の世において、あるいは、人間〔の世〕において、〔善き境遇の〕生存において輪廻しながら、この者は、全ての者たちのなかの最も優れた者と成って、諸々の生存において輪廻するでしょう。
453. 十万カッパ〔の未来〕において、オッカーカの家系を発生とし、姓としては、ゴータマという名の教師が、世に有るでしょう。
454. 彼の、諸々の法(教え)における、相続者として、正嫡として、法(教え)によって化作された者として──プンナ・マンターニプッタという〔名の〕、教師の弟子として〔世に〕有るでしょう」〔と〕。
455. そのとき、正覚者は、このように、スナンダ苦行者を賛じ称えた。全ての人に笑みを浮かべさせ、自らの勢力を見示しながら。
456. 人たちは、合掌を為し、スナンダ苦行者を礼拝する。覚者にたいし、為すことを為して、〔スナンダ苦行者は〕自己の境遇(趣)を美しく荘厳した。
457. 牟尼の言葉を聞いて〔そののち〕、そこにおいて、わたしに、思惟が有った。「わたしもまた、為すことを為すのだ。すなわち、〔わたしも〕ゴータマ〔世尊〕を見るのだ」〔と〕。
458. わたしは、このように思い考えて、わたしの〔為すべき〕所作を思い考えた。「わたしは、どのような行為を習行するのだ──無上なる功徳の田畑にたいし。
459. そして、この、〔聖典の〕暗誦者たる比丘は、教えにおける一切の暗誦者として〔世に〕存している。律における至高〔の地位〕に置かれた者である。わたしは、その地位を切望するのだ。
460. わたしには、この、揺るぎなく海洋の如き、無量なる財物がある。その財物によって、覚者のために、わたしは、林園を造作するのだ」〔と〕。
461. ソーバナという名の林園を、城市の東に、十万〔金〕で買って、〔わたしは〕僧団の林園を造作した。
462. そして、諸々の楼閣を、諸々の高楼を、諸々の天幕を、諸々の高閣を、諸々の石窟を、諸々の美しく作られた歩行場を、〔それらを〕作り為して、〔わたしは〕僧団の林園を造作した。
463. 浴室を、火堂を、さらに、水の広場を、沐浴堂を、〔それらを〕造作して、わたしは、比丘の僧団に施した。
464. 諸々の坐床を、そして、諸々の椅子を、かつまた、諸々の遍き財物を、諸々の器を、さらに、園丁を、薬を、わたしは、この全てを施した。
465. 守衛を据え置いて、柵を堅固に作り為した。「誰であれ、彼を悩ましてはならない。心が寂静となった者たちのなかにいる如なる方を」〔と〕。
466. 居住所を、十万〔金〕をもって、僧団の林園のなかに造作した。広大なるものとして、それを造作して、正覚者に差し出した。
467. 〔わたしは言った〕「わたしによる林園〔の造作〕は、終了するところとなりました。牟尼よ、あなたは、〔それを〕領受したまえ。勇者よ、あなたに引き渡します。眼ある方よ、〔わたしの申し出を〕承諾してください」〔と〕。
468. パドゥムッタラ〔世尊〕は、世〔の一切〕を知る方は、諸々の捧げものの納受者たる方は、〔世の〕導き手たる方は、わたしの思惟を了知して、〔わたしの申し出を〕承諾した。
469. 一切を知る方の、偉大なる聖賢の、承諾を了知して、食料を準備して、わたしは、時を告げた。
470. 時が告げられたとき、〔世の〕導き手たるパドゥムッタラ〔世尊〕は、千の煩悩の滅尽者たちとともに、わたしの林園へと近しく赴いた。
471. 〔覚者が〕坐った時を了知して、〔わたしは〕食べ物と飲み物によって、〔覚者を〕満足させた。〔覚者が〕食事を終えた時を了知して、この言葉を説いた。
472. 〔わたしは言った〕「十万〔金〕で買われ、まさしく、それだけのものとして作り為された、ソーバナという名の林園です。牟尼よ、あなたは、〔それを〕領受したまえ。
473. この林園の布施によって、さらに、諸々の思欲による誓願によって、〔善き境遇の〕生存において発現しながら、わたしは、わたしが切望したものを得るのです」〔と〕。
474. 正覚者は、見事に造作された僧団の林園を納受して、比丘の僧団のうちに坐って、この言葉を説いた。
475. 〔パドゥムッタラ世尊は言った〕「すなわち、彼は、見事に造作された僧団の林園を、覚者に施しました。わたしは、彼を賛じ称えましょう。〔それを〕語る、わたしの〔言葉を〕聞きなさい。
476. 象〔兵〕たちが、馬〔兵〕たちが、車〔兵〕たちが、歩〔兵〕たちが、そして、四つの支分ある軍団が、常に、この者を取り囲むでしょう。これは、僧団の林園の果です。
477. 六万の楽器が、〔装いを〕十二分に作り為した諸々の太鼓が、常に、この者を取り囲むでしょう。これは、僧団の林園の果です。
478. 八万六千の、〔装いを〕十二分に作り為した女たちが、様々な彩りの衣装と装飾品をまとい、宝珠の耳飾を付けた者たちが──
479. 濃い睫毛ある、明朗なる者たちが、善き表象ある、体躯の均整なる者たちが、常に、この者を取り囲むでしょう。これは、僧団の林園の果です。
480. 三万カッパのあいだ、天の世において喜び楽しむでしょう。千回、天のインダとして、天の王権を為すでしょう。
481. 天の王権によって至り得られるべき全てのものを獲得するでしょう。財物に欠くことなき者と成って、天の王権を為すでしょう。
482. 千回、国土において、転輪王と成るでしょう。数〔の観点〕からは数えようもない、地における広大なる王権を〔為すでしょう〕。
483. 十万カッパ〔の未来〕において、オッカーカの家系を発生とし、姓としては、ゴータマという名の教師が、世に有るでしょう。
484. 彼の、諸々の法(教え)における、相続者として、正嫡として、法(教え)によって化作された者として──名としては、ウパーリという名の、教師の弟子として〔世に〕有るでしょう。
485. 律における完全態に至り得て、そして、状況あることと状況なきこと(是非善悪)における熟知者として、勝者の教えを保持しながら、煩悩なき者となり、〔世に〕住むでしょう。
486. この全てを証知して、ゴータマ〔世尊〕は、釈迦〔族〕の雄牛たる者は、比丘の僧団のうちに坐って、このことにおける至高〔の地位〕に据え置くでしょう」〔と〕。
487. 〔ゴータマ世尊に、わたしは言った〕「量るべくもない〔カッパの年月〕を積み重ねて、あなたの教えを切望する、〔わたしです〕。わたしによって、その義(目的)は獲得されました──〔すなわち〕一切の束縛するものの滅尽は。
488. たとえば、串に刺された人が、王の棒(刑罰)に怯え、串に快楽を見出さすことなく、完全なる解き放ちだけを求めるように──
489. 偉大なる勇者よ、まさしく、そのように、わたしは、生存の棒に怯え、行為の串に刺され、涸渇の感受に苦悩する者として〔世に〕存しています。
490. 生存に快楽を見出さず、三つの火(貪・瞋・痴の三毒)に焼かれながら、あたかも、また、王の棒ある者(受刑者)のように、完全なる解き放ちを、〔わたしは〕探し求めます。
491. たとえば、毒に遍く責め苛まれ、憔悴している人が、彼が、毒を殲滅するために、手段として(※)、解毒薬を探し求めるように──
※ テキストには visaghātāyupālanaṃ とあるが、PTS版により visaghātāy’upāyaso と読む。
492. 探し求めながら、毒を殲滅する解毒薬を見るなら、毒からの完全なる解き放ちのために、それを飲んで、安楽ある者として存するように──
493. 偉大なる勇者よ、まさしく、そのように、わたしはあり、あたかも、毒に打ちのめされた人のように、わたしは、無明に等しく責め苛まれ、正なる法(教え)という解毒薬を探しながら──
494. 法(教え)という解毒薬を探し求めながら、〔わたしは〕見ました──釈迦〔族〕の方の教えを、〔まさに〕その、全ての薬のなかの至高〔の教え〕を、一切の矢を除去する〔教え〕を。
495. 法(教え)の薬を飲んで、一切の毒を完破しました。老と死なく、清涼の状態である、涅槃を、わたしは体得しました。
496. たとえば、精霊の憑依に責め苛まれ、精霊に苦悩する人が、精霊からの完全なる解き放ちのために、精霊の呪文を探し求めるように──
497. 探し求めながら、諸々の精霊の呪文における熟知者を見るなら、その〔熟知者〕は、彼のために、精霊を打破し、かつまた、根ごと無きものとするように──
498. 偉大なる勇者よ、まさしく、そのように、わたしは、闇の憑依に責め苛まれ、闇からの完全なる解き放ちのために、知恵の光明を探し求めます。
499. そこで、〔わたしは〕見ました──釈迦〔族〕の牟尼を、〔心の〕汚れの闇を清める方を。彼は、わたしのために、闇を除去しました。精霊の祓い師が、精霊を〔追い払う〕ように。
500. 輪廻の流れを、〔わたしは〕等しく断ち切りました。渇愛の流れを、〔わたしは〕阻止しました。精霊の祓い師のように、根元から、一切の生存を、〔わたしは〕撤去しました。
501. たとえば、金翅鳥が、自己の食物である蛇のもとへと降下し、百ヨージャナの遍きにわたり、大いなる湖を掻き乱し──
502. すなわち、蛇を掴んで、頭を下に悩み苦しめながら、〔蛇を〕取って、その鳥が、欲するところに立ち去るように──
503. 偉大なる勇者よ、まさしく、そのように、わたしはあり、あたかも、また、力ある金翅鳥のように、形成されたものではないもの(涅槃)を探し求めながら、諸々の汚点を、わたしは洗い落としました。
504. 〔あるがままに〕見た者として、わたしは、優れた法(教え)を、無上なる寂静の境処を、これを取って、〔世に〕住みます──あたかも、金翅鳥が、蛇を〔取る〕ように。
505. アーサーヴァティーという名の蔓は、〔天の〕チッタラター林に生じ、その〔蔓〕には、千年をもって、一つの果実が発現します。
506. 悠久の果実が存している、それまでのあいだ、天〔の神々〕たちは、その〔蔓〕に奉侍します。天〔の神々〕たちにとって、その〔蔓〕は、愛しきものであり、このように、アーサーヴァティーは、最上の蔓なのです。
507. 十万〔カッパの年月〕を積み重ねて〔出会えたからには〕、牟尼よ、わたしは、あなたを世話します──夕に、朝に、〔あなたを〕礼拝します──あたかも、天〔の神々〕たちが、アーサーヴァティーに〔奉侍する〕ように。
508. 徒労ならざるは、〔覚者を〕世話することです。そして、無駄ならざるは、〔覚者を〕礼拝することです。たとえ、わたしが、遠くに赴いた者として〔世に〕存しつつも(長きにわたり輪廻してきたが)、この瞬間が、〔わたしを〕失なうことはありませんでした(覚者生起の瞬間を見て取った)。
509. 諸々の生存を弁別しながら、〔もはや〕わたしは、結生を見ません。依り所なき者として、解脱者として、寂静者として、わたしは、〔世を〕歩みます。
510. たとえば、また、蓮華が、まさに、太陽の光によって花ひらくように、偉大なる勇者よ、まさしく、そのように、わたしは、覚者の光によって花ひらいたのです。
511. たとえば、鶴の胎には、常に、男は見出されず、諸々の雨雲が鳴り響くとき、彼女たちは、常に、胎児を孕み──
512. 雨雲が鳴り響かない、そのあいだは、たとえ、長きにわたるも、胎児を宿し、雨雲が雨を降らせる、そのときは、荷から完全に解き放たれるように──
513. パドゥムッタラ覚者が、法(教え)の雨雲によって鳴り響くと、法(教え)の雨雲の音声によって、わたしは、法(教え)の胎児を孕みました。
514. 十万〔カッパの年月〕を積み重ねて、功徳の胎児を、わたしは宿します。〔わたしは〕荷から解き放たれず、法(教え)の雨雲は鳴り響きません。
515. 釈迦〔族〕の牟尼よ、そのとき、あなたが、喜ばしきカピラヴァットゥにおいて、法(教え)の雨雲によって鳴り響き、わたしは、荷から解き放たれました。
516. 空性を、そして、無相を、そのように、さらに、また、無願を、かつまた、四つの果(預流果・一来果・不還果・阿羅漢果)の全てを、このように、諸々の法(教え)を、わたしは識知しました。
〔以上が〕第二の朗読分となる。
517. 量るべくもない〔カッパの年月〕を積み重ねて、あなたの教えを、〔わたしは〕切望します。わたしによって、その義(目的)は獲得されました──〔すなわち〕無上なる寂静の境処は。
518. あたかも、また、〔聖典の〕暗誦者たる聖賢のように、〔わたしは〕律における完全態に至り得た者として〔世に存しています〕。わたしと等しく同等の者は存在しません。わたしは、〔あなたの〕教えを保持します。
519. 律において、そして、また、〔大と小の〕章立てにおいて(大品と小品の両部において)、さらに、断の三なるもの(僧残等の三なるもの)において、第五のもの(付随のもの)において(※)、ここにおいて、わたしに、疑問は存在しません──文字において、あるいは、語形において。
※ テキストには pañcake とあるが、注釈書により pañcame と読む。
520. 批判において、そして、反論において、さらに、状況あることと状況なきこと(是非善悪)における熟知者であり、朗唱において、受戒において、一切所において完全態に至った者であり──
521. 律において、あるいは、また、〔大と小の〕章立てにおいて、わたしは、句を提出して、両者〔の観点〕から解明して、わたしは、効用〔の観点〕から講説するでしょう。
522. 言語における極めて巧みな智ある者であり、そして、義(意味)あることと義(意味)なきことにおける熟知者であり、わたしによって了知されていないものは存在せず、教師の教えにおける一境なる者として──
523. 釈迦族の方の教えにおける形態に能ある者として、わたしは、今日、一切の疑いを除去し、一切の疑念を切断します。
524. 句であれ、そして、また、随句であれ、さらに、また、文字であれ、語形であれ、因縁において、結末において、わたしは、一切所における熟知者として〔世に存しています〕。
525. たとえば、また、力ある王が、他者を苦しめる者たちを制御して、戦場を征圧して、そこにおいて、城市を造作するなら──
526. 城壁を、そして、また、堀を、石柱を、門小屋を、さらに、様々な種類の見張塔を、多くのものを、城市において作らせるなら──
527. 十字路を、そして、四つ辻を、美しく区分された市場を、〔是非にわたる〕種々なる義(意味)を判別する集会場を、そこにおいて作らせるなら──
528. 朋友ならざる者(敵対者)たちの絶滅を義(目的)として、さらに、瑕疵と瑕疵なきを知るために、軍隊の衆を守るために、軍団長を、彼は据え置きます。
529. 物品の守護を義(目的)として、貯蔵に巧みな智ある人を、『わたしの物品が消失してはならない』と、物品の守護者を、彼は据え置きます。
530. その者が、王にとって愛顧の者として有り、彼の繁栄を求めるなら、その朋友に、〔国を〕治めるための権限を与えます。
531. 諸々の天変における、諸々の形相における、さらに、諸々の特相における、熟知者を、読誦者を、呪文の保持者を、司祭者たちを、彼は据え置きます。
532. これらの支分を成就した者は、『士族(王)』と呼ばれ、〔人々は〕常に王を守ります──鴛鴦が苦しんでいる〔同類〕を〔守る〕ように。
533. 偉大なる勇者よ、まさしく、そのように、あなたはあり、朋友ならざる者を打破した士族のように、天を含む世〔の人々〕にとって、『法(教え)の王』と説かれます。
534. 異教の者たちを打破して、さらに、また、軍団を有する悪魔を〔打破して〕、闇の暗黒を砕破して、法(教え)の城市を造作しました。
535. そこにおいて、戒は、城壁であり、あなたの知恵は、門小屋であり、勇者よ、あなたへの信は、石柱であり、そして、統御は、門番です。
536. 気づきの確立は、見張塔であり、牟尼よ、あなたの智慧は、四つ辻であり、そして、神通の足場は、十字路であり、諸々の法(教え)の街路は、見事に造作されました。
537. 経典(経蔵)は、そして、高次の法理(論蔵)は、さらに、また、律(律蔵)は、〔それらの〕全部は、九つの支分ある覚者の言葉は、あなたにとって、これは、法(教え)の集会場です。
538. 空性〔の住〕は、そして、無相〔の住〕は、さらに、無願の住は、そして、不動〔の住〕は、さらに、止滅(涅槃)は、あなたにとって、これは、法(教え)の小屋です。
539. 智慧における至高〔の地位〕に据え置かれた者であり、かつまた、即応即答〔の智慧〕における熟知者であり、名としては、サーリプッタという〔名の者は〕、あなたにとって、法(教え)の軍団長です。
540. 死滅と再生における熟知者であり、神通における完全態に至った者であり、名としては、コーリタという名の者(モッガッラーナ長老)は、牟尼よ、あなたにとって、司祭者です。
541. 過去からの伝統を保持する者であり、気高き威光ある近づき難き者であり、払拭〔行〕を説く者(頭陀行者)の徳として、至高の者(マハー・カッサパ長老)は、牟尼よ、あなたにとって、司法官です。
542. 多聞にして法(教え)を保つ者であり、そして、〔覚者の〕教えにおける一切の暗誦者であり、名としては、アーナンダという名の者は、牟尼よ、あなたにとって、法(教え)の守護者です。
543. これらの全ての者たちを超え行って、世尊は、わたしに思い至りました。律において、識者たちによって説示されたものの〔是非の〕判別を、わたしに委ねました。
544. 彼が誰であれ、覚者の弟子が、律において、問いを尋ねるとして、そこにおいて、わたしに、思弁は存在しません。まさしく、その義(意味)を、わたしは言説します。
545. 偉大なる牟尼よ、およそ、覚者の田畑におけるかぎり、あなたを除いて、律において、わたしのような者は存在しません。どうして、より一層の者が有るというのでしょう。
546. 比丘の僧団のうちに坐って、このように、ゴータマ〔世尊〕は鳴り響きます(獅子吼する)。〔世尊は言いました〕『律において、そして、〔大と小の〕章立てにおいて、ウパーリと等しき者は存在しません。
547. およそ、覚者が話したものとしてあるかぎり、九つの支分ある教師の教えは、その全てが、律への沈潜となります──律を根元と見る者にとっては』〔と〕。
548. わたしの行為を思念して、ゴータマ〔世尊〕は、釈迦〔族〕の雄牛たる方は、比丘の僧団のうちに坐って、わたしを、このことにおける至高〔の地位〕に据え置きました。
549. 十万〔カッパの年月〕を積み重ねて、この地位を、〔わたしは〕切望しました。わたしによって、その義(目的)は獲得されました。〔わたしは〕律における完全態に至った者として〔世に存しています〕。
550. 釈迦〔族〕の者たちに喜びを生む理髪師として、かつて、わたしは〔世に〕存しました。その出生を捨棄して、偉大なる聖賢の子として、〔わたしは〕生まれたのです(ブッダのもとで出家した)。
551. これより、第二のカッパ〔の過去〕において、アンジャサという名の士族が〔世に有りました〕──無限の威光があり、無量の盛名があり、大いなる財産ある、地上の警護者(王)として。
552. わたしは、その王の子の、チャンダナという名の士族として〔世に有りました〕──出生の驕りによって、さらに、盛名と財物の驕りによって、強情となった者として。
553. 全てが〔装いを〕十分に作り為し〔美しく〕飾られた十万の象が、三種に〔発情し〕激情したマータンガ〔象〕たちが、常に、わたしを取り囲みます。
554. わたしは、力を有する者たちに取り囲まれ、庭園に赴くことを欲し、そのとき、吉祥なる象に乗って、城市から出ました。
555. そして、行ないを成就し、〔感官の〕門が守られ、善く統御された、デーヴァラという名の正覚者(独覚)が、わたしの前にやってきました。
556. そのとき、〔わたしは〕吉祥なる象に命じて、覚者を襲わせました(停止せず前進させた)。そののち、その象は、苛立ちを生じ、足を引き上げません。
557. 悲泣の意ある象を見て、わたしは、覚者にたいし、忿激〔の思い〕を為しました。正覚者を悩ませて、わたしは、庭園に赴きました。
558. そこにおいて、〔わたしは〕快楽を見出しません──あたかも、頭が燃え盛っているかのように。〔わたしは〕苦悶に焼かれます──釣針を食べた魚のように。
559. 海洋を限りとして有する地は、わたしにとって、燃えているかのように有ります。〔わたしは〕父の現前へと近しく赴いて、この言葉を説きました。
560. 〔わたしは言いました〕『怒り狂った毒蛇に〔近づく〕ように、至り来た火の塊に〔近づく〕ように、逆上した牙ある象に〔近づく〕ように、彼を、〔他に依らず〕自ら成る方を、〔わたしは〕襲いました。
561. 襲われたのです──わたしによって、覚者が、恐るべき方にして激しい苦行者たる勝者が。都から、〔わたしたちの〕全てが無きものとなります。彼に、牟尼に、〔わたしたちは〕謝罪するのです。
562. もし、彼を、自己が調御された方を、〔心が〕定められた方を、〔わたしたちが〕納得させないなら、七日の内に、わたしの国土は砕破するでしょう。
563. スメーカラは、そして、コーシヤは、さらに、また、シッガヴァは、サッタカは、聖賢たちを襲って、彼らは、国人たちと共に、悪しき境遇(悪趣)の者たちと〔成りました〕。
564. すなわち、聖賢たちが、自制された梵行者たちが、激情するときは、天を含め、海洋を含め、山を含め、無きものとします』〔と〕。
565. 三千ヨージャナのうちにある人たちを、〔わたしは〕集めました。過誤を説示することを義(目的)として、〔他に依らず〕自ら成る方のもとへと、〔わたしは〕近づいて行きました。
566. 衣を洗い清め、頭を洗い清め、まさしく、全ての者たちが、合掌を為し、覚者の足もとに平伏して、この言葉を説きました。
567. 〔人々は言いました〕『偉大なる勇者よ、あなたは、お許しあれ』〔と〕。人々は、彼に乞い求めます。『苦悶を除去してください。わたしたちの国土を無きものとしないでください。
568. 天〔の神〕と人間を含め、魔人を含め、羅刹を含め、全ての者たちが、鉄で作られている槌で、常に、わたしの頭を破壊するがよい』〔と〕。
569. 〔正覚者は言いました〕『火は、水において止住せず、種は、岩において成長せず、虫は、薬において止住せず、苛立ちは、覚者において生じません。
570. たとえば、そして、大地が不動であるように、そして、海洋が無量であるように、そして、虚空が無辺であるように、このように、覚者たちは、〔心が〕動かない者たちなのです。
571. 常に、忍耐の者としてあるのが、偉大なる勇者たちであり、そして、〔常に〕忍耐しているのが、苦行者たちなのです。忍耐の者たちに、そして、〔常に〕忍耐している者たちに、〔心が〕赴くことは、それは見出されません』〔と〕。
572. この言葉を説いて、正覚者は、〔わたしたちの〕苦悶を除去しながら、大勢の人を前に、そのとき、天空へと舞い上がりました。
573. 勇者よ、その行為〔の報い〕によって、わたしは、下劣なる〔境遇〕に到達したのです。その出生を超え行って、恐怖なき都(涅槃)に、〔わたしは〕入りました。
574. 偉大なる勇者よ、そのときもまた、〔苦悶に〕焼かれ〔苦悶のうちに〕固く止住している、わたしを、〔その〕苦悶を、〔正覚者は〕除去しました。そして、〔他に依らず〕自ら成る方に、〔わたしは〕謝罪しました。
575. 偉大なる勇者よ、今日もまた、三つの火に焼かれている、わたしを、〔それらの〕三つの火を、〔あなたは〕寂滅させました。そして、清涼の状態に、〔わたしを〕至り得させました」〔と〕。
576. すなわち、〔あなたたちに〕耳を傾けることが存するなら、〔それを〕語る、わたしの〔言葉を〕聞きたまえ。義(道理)を、あなたたちに言示しよう──そのとおり、〔あるがままに〕見られた、わたしの境処を。
577. 心が寂静となった方を、〔心が〕定められた方を、〔他に依らず〕自ら成る方を、彼を軽侮して、その行為〔の報い〕によって、わたしは、今日、卑しき胎に生まれ、〔世に〕存している。
578. あなたたちが、〔この〕瞬間を失なうことがあってはならない(覚者生起の瞬間を逃してはならない)。なぜなら、〔この〕瞬間を〔虚しく〕過ごした者たちは、憂い悲しむからである。自らの義(目的)に努力するがよい。〔この〕瞬間は、あなたたちに与えられたのだ。
579. そして、一部の者たちには、吐剤となり、一部の者たちには、下剤となり、或る者たちは、猛毒を〔飲むこととなり〕、そして、一部の者たちには、薬となる。
580. 〔道を〕実践している者たちには、吐剤となり、果に依って立つ者たちには、下剤となり、果の得者たちには、薬となり、探し求めている者たちには、功徳の田畑となる。
581. 教えを遮る者たちには、あたかも、猛毒のように、蛇の毒や敵の毒のようにあり、このように、その人を焼き尽くす。
582. 一度飲んだ猛〔毒〕は、〔彼の〕生命を破却する。教えを遮って、千万カッパ〔の未来〕において、〔彼は〕焼かれる。
583. 忍耐によって、不害によって、さらに、慈愛の心あることによって、彼(覚者)は、天を含む〔世の人々〕を超え渡す。それゆえに、彼ら(覚者たち)は、〔他者に〕遮られないのだ。
584. 利得と利得なきにたいし〔執着せず〕、敬仰と軽侮にたいし執着せず、地と相同の者たちとして、覚者たちはある。それゆえに、彼らは、〔他者に〕遮られないのだ。
585. そして、殺戮者であるデーヴァダッタにたいし、盗賊であるアングリマーラにたいし、さらに、ラーフラにたいし、ダナパーラにたいし、全ての者たちに平等の者として、牟尼はある。
586. これらの者たちへの敵対〔の思い〕は存在せず、これらの者たちへの貪欲〔の思い〕は見出されない。殺戮者にも、そして、わが子にも、全ての者たちに平等の者として、覚者はある。
587. 捨てられた糞まみれの〔ぼろ布〕を道に見て、黄褐色〔の衣〕(袈裟)を〔作り為す〕。頭に合掌を為して敬拝するべきは、聖賢の旗(袈裟)である。
588. そして、すなわち、覚者たちであるなら、過去の者たちも、〔今現在〕行持している者たちも、未来の者たちも、この旗によって清浄となる。それゆえに、礼拝するべきは、これらの者たちである。
589. 教師の営為たる善き律を、わたしは、心臓をもって保持する。一切時に、律を礼拝しながら、〔世に〕住むであろう。
590. わたしにとって、律は、依拠である。律は、〔瞑想の〕拠点たる歩行場である。律において、〔わたしは〕住を営む。わたしにとって、律は、托鉢所である。
591. 律における完全態に至り得た者として、さらに、また、〔心の〕止寂における熟知者として、偉大なる勇者よ、ウパーリは、あなたを、教師の〔両の〕足を、敬拝する。
592. 〔まさに〕その、わたしは、村から村へと、都から都へと、渡り歩くであろう──正覚者を礼拝しながら、そして、法(教え)が見事に法(教え)たることを〔礼拝しながら〕。
593. わたしの、諸々の〔心の〕汚れは焼尽し、一切の〔迷いの〕生存は完破された。一切の煩悩は完全に滅尽し、今や、さらなる生存は存在しない。
594. わたしにとって、まさに、善き訪問として存した──最勝の覚者の現前にあることは。三つの明知は獲得され、覚者の教えは為された。
595. 四つの融通無礙は〔実証され〕、そして、また、これらの八つの解脱も〔実証された〕。六つの神知は実証され、覚者の教えは為された。
かくのごとく、まさに、尊者ウパーリ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──
ウパーリ長老の行状が、第六となる。
1. 3. 7. アンニャーシ・コンダンニャ長老の行状
596. パドゥムッタラ〔世尊〕が、正覚者が、世の最尊者にして導き手たる方が、覚者の境地を獲得したのを、わたしは、最初に見た。
597. およそ、菩提〔樹〕の根元において、集いあつまったかぎりの夜叉たちは、全ての者たちが、正覚者を取り囲んで、合掌を為し、敬拝する。
598. 全ての天〔の神々〕たちが、満足の意ある者たちとなり、彼らは、虚空を行き来する。〔彼らは言った〕「この方は、覚者です。〔菩提を〕獲得した方です。暗黒の闇を除去する方です」〔と〕。
599. 〔喜びの〕笑いに打ち負かされた彼らの、大いなる咆哮が転起した。〔彼らは言った〕「〔わたしたちは〕諸々の〔心の〕汚れを焼き尽くすであろう──正等覚者の教えにおいて」〔と〕。
600. 天〔の神々〕たちの声を了知して、わたしは、感激の言葉を発した。欣喜した者となり、欣喜した心で、わたしは、最初の行乞〔の施食〕を施した。
601. わたしの思惟を了知して、教師は、世における無上なる方は、天〔の神々〕たちの群れのうちに坐って、これらの詩偈を語った。
602. 〔パドゥムッタラ世尊は言った〕「〔家から〕出て、七日のあいだに、わたしは、覚り(菩提)に到達しました。これは、わたしにとって、梵行者にとって、〔身を〕保持するものとなる、最初の食事です。
603. まさに、兜率〔天〕から、ここに到来して、彼は、行乞〔の施食〕を、わたしに進呈しました。わたしは、彼を賛じ称えましょう。〔それを〕語る、わたしの〔言葉を〕聞きなさい。
604. 三万カッパのあいだ、〔彼は〕天の王権を為すでしょう。全ての天〔の神々〕たちを圧倒して、三十三〔天〕に居住するでしょう。
605. 天の世から死滅して、人間たる〔境遇〕に赴くでしょう。千度、転輪〔王〕となり、そこにおいて、王権を為すでしょう。
606. 十万カッパ〔の未来〕において、オッカーカの家系を発生とし、姓としては、ゴータマという名の教師が、世に有るでしょう。
607. 彼は、三十三〔天〕から死滅して、人間たる〔境遇〕に赴くでしょう。家から〔家なきへと〕出家して、六年のあいだ、〔苦行者として〕住するでしょう。
608. そののち、第七の年において、覚者が、真理を言説するでしょう。名としては、コンダンニャという名の者が、〔その教えを〕最初に実証するでしょう」〔と〕。
609. 〔わたしは、家を〕出た方に従い出家した。〔刻苦〕精励は、わたしによって善く為された。諸々の〔心の〕汚れを焼き尽くすことを義(目的)として、〔家から〕家なきへと出家した。
610. 一切を知る方は、天を含む世における覚者は、〔わたしのもとに〕至り来て、イシという名の鹿の林(鹿野苑)において、不死の太鼓を打った。
611. 〔まさに〕その〔わたし〕は、今や、不死〔の境処〕(涅槃)に、無上なる寂静の境処に、至り得た者となり、一切の煩悩を遍知して、煩悩なき者となり、〔世に〕住む。
612. 四つの融通無礙は〔実証され〕、そして、また、これらの八つの解脱も〔実証された〕。六つの神知は実証され、覚者の教えは為された。
かくのごとく、まさに、尊者アンニャーシ・コンダンニャ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──
アンニャーシ・コンダンニャ長老の行状が、第七となる。
1. 3. 8. ピンドーラ・バーラドヴァージャ長老の行状
613. パドゥムッタラという名の勝者は、〔他に依らず〕自ら成る方は、至高の人たる方は、そのとき、ヒマヴァントの前方、チッタクータ〔山〕に住した。
614. そこにおいて、〔わたしは〕恐怖する気色なき、四つ足の獣の王として存した。〔まさに〕その〔わたし〕の声を聞いて、多くの人たちは静まり返る。
615. 美しく咲き誇る蓮華を収め取って、人の雄牛たる方のもとへと近しく赴き、禅定から出起した覚者に献上した。
616. 最勝の覚者にして最上の人たる方を、四方に礼拝して、自らの心を浄信させて、わたしは、獅子吼を吼え叫んだ。
617. パドゥムッタラ〔世尊〕は、世〔の一切〕を知る方は、諸々の捧げものの納受者たる方は、自らの坐に坐って、これらの詩偈を語った。
618. 覚者の声を了知して、全ての天〔の神々〕たちが集いあつまり、「説者たちのなかの最勝者たる方が、〔ここに〕到来したのだ。わたしたちは、その法(教え)を聞くのだ」〔と言った〕。
619. 〔喜びの〕笑いに打ち負かされた彼らの前で、世の導き手たる方は、長き〔未来〕を見る方は、偉大なる牟尼は、わたしの声を賛じ称えた。
620. 〔パドゥムッタラ世尊は言った〕「この蓮華は、彼によって施され、さらに、獅子の咆哮が吼え叫ばれました。わたしは、彼を賛じ称えましょう。〔それを〕語る、わたしの〔言葉を〕聞きなさい。
621. これより、第八のカッパ〔の未来〕において、〔彼は〕転輪〔王〕と成るでしょう──七つの宝を成就した、四つの洲におけるイッサラとして。
622. 六十四〔の生〕において、大地において、権力を為すでしょう──名としては、パドゥマという名の、大いなる勢力ある転輪〔王〕として。
623. 十万カッパ〔の未来〕において、オッカーカの家系を発生とし、姓としては、ゴータマという名の教師が、世に有るでしょう。
624. 〔聖なる〕言葉が明示されたとき、〔彼は〕梵の眷属として〔世に〕有るでしょう。婆羅門たる〔境遇〕から出て、まさしく、ただちに、出家するでしょう。
625. 彼は、〔刻苦〕精励をもって自己を精励し、寂静なる者となり、依り所なき者となり、一切の煩悩を遍知して、煩悩なき者となり、涅槃に到達するでしょう。
626. 人のいるところを離れ、猛々しい獣たちが群れ溢れる、辺境の臥所において、一切の煩悩を遍知して、煩悩なき者となり、涅槃に到達するでしょう」〔と〕。
627. 四つの融通無礙は〔実証され〕、そして、また、これらの八つの解脱も〔実証された〕。六つの神知は実証され、覚者の教えは為された。
かくのごとく、まさに、尊者ピンドーラ・バーラドヴァージャ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──
ピンドーラ・バーラドヴァージャ長老の行状が、第八となる。
1. 3. 9. カディラヴァニヤ・レーヴァタ長老の行状
628. ガンガー〔川〕は、バーギーラティーという名にして、ヒマヴァントから発出している。〔わたしは〕渡し場の舟頭として〔世に〕存した。そして、此岸において、わたしは〔川を〕超え渡った(舟頭として人々を超え渡した)。
629. 〔世の〕導き手たるパドゥムッタラ〔世尊〕は、正覚者は、最上の二足者たる方は、ガンガー〔川〕の岸辺へと近しく赴き、十万の者たちとともに住した。
630. 多くの舟を集めて、大工たちによって頑丈に作られた覆いを舟に作り為して、人の雄牛たる方を、〔わたしは〕待ち望んだ。
631. そして、正覚者はやってきて、さらに、その舟に乗った。教師は、水の中に止住し、これらの詩偈を語った。
632. 〔パドゥムッタラ世尊は言った〕「すなわち、彼は、正覚者を超え渡しました──さらに、また、煩悩なき僧団をも。〔まさに〕その、心の浄信によって、天の世において喜び楽しむでしょう。
633. あなたのために、舟の外貌ある美しく作られた宮殿が発現し、虚空において、一切時に、花の覆いが保持されるでしょう。
634. 五十八カッパ〔の未来〕において、ターラカという名の士族として〔世に有るでしょう〕。四辺を征圧する転輪〔王〕と成るでしょう。
635. 五十七カッパ〔の未来〕において、チャンマカという名の士族として〔世に有るでしょう〕。大いなる勢力ある者となり、昇り行く太陽のように輝くでしょう。
636. 十万カッパ〔の未来〕において、オッカーカの家系を発生とし、姓としては、ゴータマという名の教師が、世に有るでしょう。
637. 彼は、三十三〔天〕から死滅して、人間たる〔境遇〕に赴くでしょう。名としては、レーヴァタという名の、梵の眷属として〔世に〕有るでしょう。
638. 家から出て、白根(善根)に促され、ゴータマ世尊の教えにおいて出家するでしょう。
639. 彼は、のちに出家して、〔心の〕制止(瑜伽)に専念する者として、〔あるがままの〕観察者として、一切の煩悩を遍知して、煩悩なき者となり、涅槃に到達するでしょう」〔と〕。
640. 精進は、わたしにとって、束縛からの平安(軛安穏)に運んでくれる荷駄牛である。〔わたしは〕最後の肉身を保つ──正等覚者の教えにおいて。
641. 十万〔カッパの過去〕において、〔わたしが〕為した行為と〔その〕果を、ここに、わたしのために、〔覚者は〕見示した。善く放たれた矢の勢いのように、わたしの諸々の〔心の〕汚れを、〔彼は〕焼き尽くした。
642. そののち、林〔の住〕を喜ぶわたしを見て、世の終極に至る方は、牟尼は、偉大なる思慧ある方は、林に住する比丘たちのなかの至高の者と知らしめた。
643. 四つの融通無礙は〔実証され〕、そして、また、これらの八つの解脱も〔実証された〕。六つの神知は実証され、覚者の教えは為された。
かくのごとく、まさに、尊者カディラヴァニヤ・レーヴァタ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──
カディラヴァニヤ・レーヴァタ長老の行状が、第九となる。
1. 3. 10. アーナンダ長老の行状
644. 林園の門から出て、パドゥムッタラ〔世尊〕は、偉大なる牟尼は、不死の雨を降らせつつ、大勢の人を涅槃に到達させた。
645. それらの、十万の慧者たちが、六つの神知ある者たちが、大いなる神通ある者たちが、正覚者を取り囲む──影が離れないように。
646. 〔わたしは〕最上の優れた白の傘蓋を〔保持し〕象の背に乗る〔王〕として〔世に〕存した。極めて典雅なる形姿ある方を見て、歓悦〔の思い〕が、わたしに生起した。
647. 〔わたしは〕象の背から降りて、人の雄牛たる方のもとへと近しく赴いた。わたしの、宝玉で作られている傘蓋を、最勝の覚者のために保持した。
648. わたしの思惟を了知して、パドゥムッタラ〔世尊〕は、偉大なる聖賢は、その話を中断して、これらの詩偈を語った。
649. 〔パドゥムッタラ世尊は言った〕「すなわち、彼は、黄金をもって〔装いを〕十分に作り為し〔美しく〕飾られた傘蓋を、〔わたしのために〕保持しました。わたしは、彼を賛じ称えましょう。〔それを〕語る、わたしの〔言葉を〕聞きなさい。
650. この人は、ここ(現世)から赴いて、兜率〔天〕に居住するでしょう。仙女たちに囲まれ、得達を受領するでしょう。
651. そして、三十四回、天の王権を為すでしょう。力ある君主となり、八百〔の王権〕を〔為し〕、大地に居住するでしょう。
652. そして、五十八回、転輪〔王〕と成るでしょう。広大なる地域の王権を、大地において為すでしょう。
653. 十万カッパ〔の未来〕において、オッカーカの家系を発生とし、姓としては、ゴータマという名の教師が、世に有るでしょう。
654. 釈迦〔族〕の者たちの家系の旗たる方の、親族たる眷属として〔世に〕有るでしょう。名としては、アーナンダという名の、偉大なる聖賢の奉仕者(侍者)として〔世に有るでしょう〕。
655. 熱情ある者として、さらに、また、賢明なる者として、多聞における善き熟知者として、謙譲の生活者として、強情ならざる者として、一切〔の聖典〕の暗誦者として、〔世に〕有るでしょう。
656. 彼は、〔刻苦〕精励をもって自己を精励し、寂静なる者となり、依り所なき者となり、一切の煩悩を遍知して、煩悩なき者となり、涅槃に到達するでしょう」〔と〕。
657. 林にいる象たちが存在する。六十歳のクンジャラ〔象〕たちであり、三種に〔発情し〕激情したマータンガ〔象〕たちであり、轅の牙ある巨大なる〔象〕たちである。
658. 幾十万の大いなる神通ある賢者たちもまた〔存在する〕。彼らの全てが、龍たる覚者に〔相応する弟子たちであり〕、〔万事に〕怯え驚くことなく〔世に〕有る(※)。
※ テキストには na hontu paṇidhimhi te とあるが、PTS版により na honti parivimhitā と読む。
659. 初夜において、中〔夜〕において、さらに、後〔夜〕において、〔わたしは〕礼拝する。浄信した心の者となり、悦意の者となり、最勝の覚者に奉仕した──
660. 熱情ある者として、さらに、また、賢明なる者として、正知と気づきの者として、預流果に至り得た者として、諸々の学びある境地における熟知者として。
661. すなわち、〔わたしが〕行為を導引した、これより、十万カッパ〔の未来〕において、わたしは、その境地を獲得し、わたしの信は安立し、不動である。
662. わたしにとって、まさに、善き訪問として存した──最勝の覚者の現前にあることは。三つの明知は獲得され、覚者の教えは為された。
663. 四つの融通無礙は〔実証され〕、そして、また、これらの八つの解脱も〔実証された〕。六つの神知は実証され、覚者の教えは為された。
かくのごとく、まさに、尊者アーナンダ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──
アーナンダ長老の行状が、第十となる。
その〔章〕のための摂頌となる。
〔そこで、詩偈に言う〕「覚者、そして、独覚、そして、サーリプッタ、コーリタ、カッサパ、そして、アヌルッダ、プンナ長老、そして、ウパーリ──
アンニャーシコンダンニャ、ピンドーラ、レーヴァタ、アーナンダ賢者があり、そして、六百五十の詩偈があり、集録された全てとなる」〔と〕。
アパダーナ〔聖典〕において、覚者の章が、第一となる。
2. シーハーサニヤの章
2. 1. シーハーサナダーヤカ長老の行状
1. シッダッタ〔世尊〕が、最上の二足者たる方が、世の導き手たる方が、涅槃に到達したとき──〔聖なる〕言葉が広く知られ、〔覚者の〕教えが多く知られるとき──
2. 浄信した心の者となり、悦意の者となり、わたしは、獅子の坐を作った。獅子の坐を作って〔そののち〕、わたしは、足台を作った。
3. そして、獅子の坐に雨が降っているとき、わたしは、そこにおいて、家を作った。〔まさに〕その、心の浄信によって、わたしは、兜率〔天〕に再生した。
4. まさしく、ただちに、存した──長さとして二十四ヨージャナの、幅として十四ヨージャナの、美しく作られた天宮が、わたしには。
5. 十万の少女たちが、常に、わたしを取り囲む。そして、黄金で作られている長椅子が、美しく化作され、宮殿のうちに存した。
6. 象の乗物が、馬の乗物が、天の乗物が、〔それぞれ〕仕立てられ、諸々の高楼が、まさしく、そして、諸々の駕篭が、求めるままに発現する。
7. そして、諸々の宝珠で作られている長椅子が、他にも、〔象牙の〕芯で作られている多くのものが、〔それらの〕全てが、わたしに発現する。これは、獅子の坐の果である。
8. 黄金で作られているものを、白銀で作られているものを、水晶や瑠璃で作られているものを──〔わたしは〕諸々の靴を履く。これは、足台の果である。
9. すなわち、〔わたしが〕行為を為した、そのとき、これより、九十四カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇(悪趣)を証知しない(記憶しない)。これは、功徳の行為の果である。
10. これより、七十三カッパ〔の過去〕において、三者のインダという名の人たちとして〔世に存した〕。これより、七十二カッパ〔の過去〕において、三者のスマナという名の者たちとして〔世に存した〕。
11. これより、正味七十カッパ〔の過去〕において、三者のヴァルナという名の者たちとして〔世に存した〕──七つの宝を成就した、四つの洲におけるイッサラ(国王)たちとして。
12. 四つの融通無礙は〔実証され〕、そして、また、これらの八つの解脱も〔実証された〕。六つの神知は実証され、覚者の教えは為された。
かくのごとく、まさに、尊者シーハーサナダーヤカ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──
シーハーサナダーヤカ長老の行状が、第一となる。
2. 2. エーカッタンビカ長老の行状
13. シッダッタ世尊の、大いなる衆徒の集団が〔世に〕有った。そして、彼らは、帰依所として、覚者のもとに赴いた者たちであり、如来に信を置く。
14. 全ての者たちが、集いあつまって、話し合って、花飾を、教師のために作り為す。〔彼らは、花飾を掲げるための〕一本柱を得ずに、密林のなかで尋ね求める。
15. わたしは、林のなかで彼らを見て、そのとき、衆徒のもとへと近しく赴いて、合掌を差し出して、わたしは、衆徒に遍く問い尋ねた。
16. わたしによって尋ねられた、それらの戒ある在俗信者(優婆塞)たちは説き明かした。〔彼らは言った〕「わたしたちは、花飾を作ることを欲しているのですが、一本柱が得られません」〔と〕。
17. 〔わたしは言った〕「一本柱〔の布施〕を、わたしに施してください。わたしが、教師に施しましょう。わたしが、柱を運びましょう。皆様は、思い入れ少なき者たちと成りたまえ」〔と〕。
18. 彼らは、浄信した者たちとなり、満足した意図ある者たちとなり、柱〔の布施〕を、わたしに授けた。そののち、〔彼らは〕引き返して、自らの家に赴いた。
19. 衆徒の集団が去り行き、長からずして、そのとき、わたしは、柱を運んだ。欣喜した者となり、欣喜した心で、わたしは、最初に〔柱を〕掲げた。
20. 〔まさに〕その、心の浄信によって、わたしは、天宮に再生した。わたしには、七つの階に屹立する高き居所がある。
21. 諸々の太鼓が奏でられるなか、わたしは、常に楽しむ。五十五カッパ〔の過去〕において、ヤソーダラ〔という名〕の王として〔世に〕存した。
22. そこにおいてもまた、わたしには、七つの階に屹立する居所がある。優れた楼閣を具し、意が喜びとする一本柱がある。
23. 二十一カッパ〔の過去〕において、ウデーナという名の士族として〔世に存した〕。そこでもまた、わたしには、七つの階に屹立する居所がある。
24. 天〔の神〕たる〔境遇〕に、さらに、人間に、その〔胎〕その胎に再生するなら、全ての安楽を、〔わたしは〕受領する。これは、一本柱の果である。
25. すなわち、〔わたしが〕柱を施した、そのとき、これより、九十四カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、一本柱の果である。
26. 四つの融通無礙は〔実証され〕、そして、また、これらの八つの解脱も〔実証された〕。六つの神知は実証され、覚者の教えは為された。
かくのごとく、まさに、尊者エーカッタンビカ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──
エーカッタンビカ長老の行状が、第二となる。
2. 3. ナンダ長老の行状
27. パドゥムッタラ世尊のために、世の最尊者にして如なる方のために、〔他に依らず〕自ら成る偉大なる聖賢のために、亜麻の衣が、わたしによって施された。
28. 水に生じる最上のものを名とする方は、覚者は、その〔布施の果〕を、わたしに説き明かした。〔パドゥムッタラ世尊は言った〕「この衣の布施によって、〔あなたは〕金の色艶ある者と成るでしょう。
29. 〔天と人の〕二つの得達を受領して、諸々の善根に促され、あなたは、ゴータマ世尊の弟として〔世に〕有るでしょう。
30. 貪欲に染まり、安楽を戒とし、諸々の欲望〔の対象〕にたいする貪求〔の思い〕に束縛されるも、覚者に促され、寂静となり、そのとき、あなたは出家するでしょう。
31. あなたは、そこにおいて、出家して〔そののち〕、善根に促され、一切の煩悩を遍知して、煩悩なき者となり、涅槃に到達するでしょう」〔と〕。
32. 七千カッパ〔の過去〕において、四者のチェーラという名の者たちとして〔世に存した〕。六万カッパ〔の過去〕において、四者のウパチェーラ〔という名〕の人たちとして〔世に存した〕。
33. 五千カッパ〔の過去〕において、まさしく、四者のチェーラ〔という名〕の人たちとして〔世に存した〕──七つの宝を成就した、四つの洲におけるイッサラたちとして。
34. 四つの融通無礙は〔実証され〕、そして、また、これらの八つの解脱も〔実証された〕。六つの神知は実証され、覚者の教えは為された。
かくのごとく、まさに、尊者ナンダ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──
ナンダ長老の行状が、第三となる。
2. 4. チューラ・パンタカ長老の行状
35. パドゥムッタラという名の勝者は、諸々の捧げものの納受者たる方は、彼は、衆徒から隠棲し、そのとき、ヒマヴァントに住した。
36. わたしもまた、ヒマヴァントにおいて、そのとき、庵所に住する。偉大なる勇者が到来し、長からずして、世の導き手たる方のもとへと近しく赴いた。
37. 花の傘蓋を携えて、人の雄牛たる方のもとへと近しく赴いた。禅定(定・三昧)に入定している方に、わたしは、障りを為した。
38. 両の手で差し出して、わたしは、花の傘蓋を施した。パドゥムッタラ世尊は、偉大なる牟尼は、〔花の傘蓋を〕納受した。
39. 全ての天〔の神々〕たちが、わが意を得た者たちとなり、彼らは、ヒマヴァントへと近しく至る。〔彼らは〕「善きかな」の歓呼を転起させた。〔彼らは言った〕「眼ある方は随喜するでしょう」〔と〕。
40. この〔言葉〕を説いて、それらの天〔の神々〕たちは、最上の人たる方のもとへと近しく赴いた。虚空において、彼のために、最上の蓮華の傘蓋を保持する。
41. 〔パドゥムッタラ世尊は言った〕「百の花弁ある〔蓮華〕の傘蓋を差し出して、苦行者は、わたしに施しました。わたしは、彼を賛じ称えましょう。〔それを〕語る、わたしの〔言葉を〕聞きなさい。
42. 二十五カッパのあいだ、天の王権を為すでしょう。そして、三十四回、転輪〔王〕と成るでしょう。
43. 天〔の神〕たる〔境遇〕に、さらに、人間に、その〔胎〕その胎に輪廻するなら、野外に止住している〔彼〕に、蓮華〔の傘蓋〕を保持するでしょう。
44. 十万カッパ〔の未来〕において、オッカーカの家系を発生とし、姓としては、ゴータマという名の教師が、世に有るでしょう。
45. 〔聖なる〕言葉が明示されたとき、人間たる〔境遇〕を得るでしょう。彼は、意によって作られる身体における最上の者として〔世に〕有るでしょう。
46. 二者の兄弟たちが〔世に〕有るでしょう。両者ともどもに、パンタカを呼び名として、最上の義(目的)を受領して、教えを照らすでしょう」〔と〕。
47. 〔まさに〕その、わたしは、十八の年となり、〔家から〕家なきへと出家した。わたしは、釈迦族の方の教えにおける殊勝〔の境地〕を見出さない。
48. わたしにとって、〔物事の〕赴く所は、〔常に〕遅きものとして存していた(何をやるにも時間がかかった)。かつて、わたしは(※)、〔人々に〕貶められていた。そして、兄は、わたしを、〔林園から〕追い出した。「今や、おまえは、家に去れ(還俗せよ)」〔と〕。
※ テキストには ahuṃ とあるが、PTS版により ahaṃ と読む。
49. 〔まさに〕その、わたしは、〔林園から〕追い出され、〔そのように〕存しつつ、僧団の林園の門小屋において、そこにおいて、〔わたしは〕立った──失意の者なるも、〔覚者の〕教えに〔いまだ〕期待ある者として。
50. そこにおいて、世尊がやってきた。わたしの頭を撫で、わたしの腕を掴んで、僧団の林園へと導き入れた。
51. 教師は、慈しみ〔の思い〕によって、わたしに、足を拭く〔布〕を与えた。〔世尊は言った〕「この〔不浄なる布〕を、清浄なるものとして、一面に確立されたものとして、〔心に〕確立しなさい」〔と〕。
52. わたしが、それを〔両の〕手で掴んで〔そののち〕、わたしは、〔過去の〕赤蓮〔の布施〕を思念した。そこにおいて、わたしの心は解脱した。〔わたしは〕阿羅漢の資質に至り得た。
53. 諸々の意によって作られる身体においては、一切所において完全態に至り、一切の煩悩を遍知して、煩悩なき者となり、〔世に〕住む。
54. 四つの融通無礙は〔実証され〕、そして、また、これらの八つの解脱も〔実証された〕。六つの神知は実証され、覚者の教えは為された。
かくのごとく、まさに、尊者チューラ・パンタカ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──
チューラ・パンタカ長老の行状が、第四となる。
2. 5. ピリンダヴァッチャ長老の行状
55. スメーダ〔世尊〕が、至高の人たる方が、世の導き手たる方が、涅槃に到達したとき、浄信した心の者となり、悦意の者となり、わたしは、塔の供養を為した。
56. そして、そこにおいて、彼らが、煩悩の滅尽者たちであり、六つの神知ある者たちであり、大いなる神通ある者たちであるなら、そこにおいて、わたしは、彼らを集めて〔供養した〕。わたしは、僧団の食事を作った。
57. そのとき、スメーダ世尊の奉仕者として〔世に〕有った、名としては、スメーダという名の者が、彼が、そのとき、〔わたしに〕随喜した。
58. 〔まさに〕その、心の浄信によって、わたしは、天宮に再生した。八万六千の仙女たちが、わたしとともに喜び楽しんだ。
59. まさしく、わたしのために、彼女たちは、一切の欲望〔の対象〕をもって、常に従い転じ行く。〔わたしは〕他の天〔の神々〕たちを圧倒する。これは、供養の行為の果である。
60. 二十五カッパ〔の過去〕において、ヴァルナという名の士族として、清浄なるものを食料とする転輪〔王〕として、そのとき、わたしは〔世に〕存した。
61. 彼らは、種を蒔かない。諸々の鋤もまた、使われない。耕さずに成熟する、この米を、人間たちは遍く受益する。
62. そこにおいて、王権を為して、ふたたび、わたしは、天〔の神〕たる〔境遇〕に赴いた。そのときもまた、わたしには、このようなものとして、財物の成就が発現したのだった。
63. 朋友たちも、あるいは、朋友ならざる者たちも、全ての命ある者たちが、わたしを害さない。全てもろともの者たちにとって、〔わたしは〕愛しき者と成る。これは、供養の行為の果である。
64. すなわち、〔わたしが〕布施を施した、そのとき、三万カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、香料の塗装の果である。
65. この幸いなるカッパ(賢劫)において、わたしは、一者の人の君主として〔世に〕存した──大いなる威力ある王として、大いなる勢力ある転輪〔王〕として。
66. 〔まさに〕その、わたしは、五つの戒(五戒:不殺生戒・不偸盗戒・不邪淫戒・不妄語戒・不飲酒戒)のうちに、多くの人民を据え置いて、まさしく、善き境遇(善趣)に至り得させて、天神たちにとって、愛しき者と成った。
67. 四つの融通無礙は〔実証され〕、そして、また、これらの八つの解脱も〔実証された〕。六つの神知は実証され、覚者の教えは為された。
かくのごとく、まさに、尊者ピリンダヴァッチャ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──
ピリンダヴァッチャ長老の行状が、第五となる。
2. 6. ラーフラ長老の行状
68. パドゥムッタラ世尊のために、世の最尊者にして如なる方のために、七つの階ある高楼のうちに、わたしは、鏡を取り付けた。
69. 千の煩悩の滅尽者たちに取り囲まれた、偉大なる牟尼は、二足者のインダたる方は、人の雄牛たる方は、香室へと近しく赴いた。
70. 香室に遍照しながら、天の天たる方は、人の雄牛たる方は、教師は、比丘の僧団のうちに立ち、これらの詩偈を語った。
71. 〔パドゥムッタラ世尊は言った〕「彼によって、この臥所が照らされ、まさしく、鏡が、美しく取り付けられました。わたしは、彼を賛じ称えましょう。〔それを〕語る、わたしの〔言葉を〕聞きなさい。
72. 黄金で作られているものが、白銀で作られているものが、さらに、瑠璃で作られているものが、諸々の高楼が発現するでしょう──それらが何であれ、意に愛しくあるものとして。
73. 六十四回、天のインダとして、天の王権を為すでしょう。千回、間断なく、転輪〔王〕と成るでしょう。
74. 二十一カッパ〔の未来〕において、ヴィマラという名の士族として〔世に有るでしょう〕。四辺を征圧する転輪〔王〕と成るでしょう。
75. レーヌヴァティーという名の城市が、諸々の煉瓦によって見事に造作され、長さとして三百〔ヨージャナ〕があり、四角に整備され──
76. スダッサナという名の高楼が、ヴィッサカンマ(工芸神)によって造作され、優れた楼閣を具し、七つの宝玉で飾られ──
77. その〔城市〕は、十〔種〕の音声から遠離せず、呪術師(婆羅門)たちで溢れ満ち、天神たちのスダッサナの城市のように成るでしょう。
78. その〔城市〕の光は、昇り行く太陽のように輝き出ます。その〔城市〕は、八ヨージャナの遍きにわたり、常に遍照するでしょう。
79. 十万カッパ〔の未来〕において、オッカーカの家系を発生とし、姓としては、ゴータマという名の教師が、世に有るでしょう。
80. 彼は、兜率〔天〕から死滅して、白根(善根)に促され、彼は、ゴータマ世尊の実子として〔世に〕有るでしょう。
81. それで、もし、家に住するなら、彼は、転輪〔王〕と成るのでしょうが、このことは、状況なきことです。すなわち、そのような者として家にあり、喜びに到達した、〔という、このことは〕。
82. 家から出て、善き掟の者となり、出家するでしょう。彼は、名としては、ラーフラという名の、阿羅漢として〔世に〕有るでしょう」〔と〕。
83. 雌鳥が卵を守るように、払子をもつ者が刷毛を〔守る〕ように、賢明なる方は、戒を成就した方は、偉大なる牟尼は、このように、〔わたしを〕守った。
84. わたしは、彼の法(教え)を了知して、教えを喜ぶ者となり、〔世に〕住んだ。一切の煩悩を遍知して、煩悩なき者となり、〔世に〕住む。
85. 四つの融通無礙は〔実証され〕、そして、また、これらの八つの解脱も〔実証された〕。六つの神知は実証され、覚者の教えは為された。
かくのごとく、まさに、尊者ラーフラ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──
ラーフラ長老の行状が、第六となる。
2. 7. ウパセーナ・ヴァンガンタプッタ長老の行状
86. パドゥムッタラ世尊のもとへと、世の最尊者にして人の雄牛たる方のもとへと、山窟に坐っている最上の人たる方のもとへと、〔わたしは〕近しく赴いた。
87. そのとき、わたしは、カニカーラ〔樹〕の花を見て、茎のところで断ち切って、傘蓋のうえに〔装いを〕十分に作り為して、覚者に献上した。
88. そして、〔行乞の〕施食として、最高の食べ物を、善き食料を、〔わたしは〕施した。そこにおいて、覚者を第九とする八者の沙門たちを、〔わたしは〕受益させた。
89. 偉大なる勇者は、〔他に依らず〕自ら成る方は、至高の人たる方は、随喜した。〔パドゥムッタラ世尊は言った〕「この傘蓋の布施によって、最高の食べ物を献じることから──
90. 〔まさに〕その、心の浄信によって、〔あなたは〕得達を受領するでしょう。三十六回、天のインダとして、天の王権を為すでしょう。
91. そして、二十一回、転輪〔王〕と成るでしょう。数〔の観点〕からは数えようもない、広大なる地域の王権を〔為すでしょう〕。
92. 十万カッパ〔の未来〕において、オッカーカの家系を発生とし、姓としては、ゴータマという名の教師が、世に有るでしょう。
93. 教えが行き渡るとき、人間たる〔境遇〕に赴くでしょう。彼の、諸々の法(教え)における、相続者として、正嫡として、法(教え)によって化作された者として──
94. 名としては、ウパセーナという〔名の〕、教師の弟子として〔世に〕有るでしょう。遍きにわたり浄信あることから、〔彼を、このことにおける〕至高の地位に据え置くでしょう」〔と〕。
95. わたしにとって最後のものが転起する。一切の〔迷いの〕生存は完破された。〔わたしは〕最後の肉身を保つ──軍勢を有する悪魔に勝利して。
96. 四つの融通無礙は〔実証され〕、そして、また、これらの八つの解脱も〔実証された〕。六つの神知は実証され、覚者の教えは為された。
かくのごとく、まさに、尊者ウパセーナ・ヴァンガンタプッタ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──
ウパセーナ・ヴァンガンタプッタ長老の行状が、第七となる。
〔以上が〕第三の朗読分となる。
2. 8. ラッタパーラ長老の行状
97. パドゥムッタラ世尊のために、世の最尊者にして如なる方のために、轅の牙ある巨大なる〔象〕が、優れた象が、わたしによって施された。
98. 白の傘蓋が美しく荘厳され、鞍かけと共に、象守りと共に。その全てを評価させて、僧団の林園を作らせた。
99. わたしは、五万四千の高楼を作らせた。大いなる激流の布施を為して、偉大なる聖賢に引き渡した。
100. 偉大なる勇者は、〔他に依らず〕自ら成る方は、至高の人たる方は、随喜した。〔彼は〕全ての人たちを笑喜させながら、不死の境処を説示した。
101. 水に生じる最上のものを名とする方は、覚者は、その〔布施の果〕を、わたしに説き明かした。比丘の僧団のうちに坐って、これらの詩偈を語った。
102. 〔パドゥムッタラ世尊は言った〕「この者は、五万四千の高楼を作らせました。〔その行為の〕報い(異熟)を言説しましょう。〔それを〕語る、わたしの〔言葉を〕聞きなさい。
103. 一万八千の楼閣が有るでしょう。そして、それらは、最上の宮殿のうちに発現し、全てが黄金で作られています。
104. 五十回、天のインダとして、天の王権を為すでしょう。そして、五十八回、転輪〔王〕と成るでしょう。
105. 十万カッパ〔の未来〕において、オッカーカの家系を発生とし、姓としては、ゴータマという名の教師が、世に有るでしょう。
106. 天の世から死滅して、白根に促され、まさしく、ただちに、大いなる財物ある富者の家に発現するでしょう。
107. 彼は、のちに出家して、白根に促され、名としては、ラッタパーラという〔名の〕、教師の弟子として〔世に〕有るでしょう。
108. 彼は、〔刻苦〕精励をもって自己を精励し、寂静なる者となり、依り所なき者となり、一切の煩悩を遍知して、煩悩なき者となり、涅槃に到達するでしょう」〔と〕。
109. 奮起して、〔家から〕出て、財物の成就は捨棄され、唾液の塊のような財物にたいし、わたしに、愛情は見出されない。
110. 精進は、わたしにとって、束縛からの平安に運んでくれる荷駄牛である。〔わたしは〕最後の肉身を保つ──正等覚者の教えにおいて。
111. 四つの融通無礙は〔実証され〕、そして、また、これらの八つの解脱も〔実証された〕。六つの神知は実証され、覚者の教えは為された。
かくのごとく、まさに、尊者ラッタパーラ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──
ラッタパーラ長老の行状が、第八となる。
2. 9. ソーパーカ長老の行状
112. 森のなか、最上の山において、〔わたしが〕山窟を清めていると、シッダッタという名の世尊が、わたしの現前にやってきた。
113. 覚者が近しく赴いたのを見て、世の最尊者にして如なる方のために、敷物を設置して、わたしは、花の坐を施した。
114. 花の坐に坐って、シッダッタ〔世尊〕は、世の導き手たる方は、そして、わたしの境遇(趣)を了知して、〔世の〕無常なることを、〔わたしに〕述べ伝えた。
115. 〔シッダッタ世尊は言った〕「無常にして、生起と衰失の法(性質)あるのが、まさに、諸々の形成〔作用〕(諸行:形成されたもの・現象世界)である。〔それらは〕生起しては、止滅する。それらの寂止は、安楽である」〔と〕。
116. この〔言葉〕を説いて、一切を知る方は、世の最尊者にして人の雄牛たる方は、勇者は、天空へと舞い上がった──鵞鳥の王が、宙に〔赴く〕ように。
117. 自らの見解を捨棄して、わたしは、無常の表象(無常想)を修めた。一日のあいだ修めて、そこにおいて、わたしは、命を終えたのだった。
118. 〔天と人の〕二つの得達を受領して、諸々の白根に促され、最後の生存に達し得たとき、卑賎の者の胎へと近しく赴いた(卑賎の家に生まれた)。
119. 家から出て、家なきへと出家した。わたしは、生まれて七年で、阿羅漢の資質に至り得た。
120. 精進に励み、自己を精励し、諸戒において〔心が〕善く定められた者となり、偉大なる龍たる方を満足させて、〔戒の〕成就を得た(受戒した)。
121. すなわち、〔わたしが〕行為を為した、そのとき、これより、九十四カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、花の布施の果である。
122. すなわち、〔わたしが〕表象を修めた、そのとき、これより、九十四カッパ〔の未来〕において、その表象を修めていると、煩悩の滅尽は、わたしの至り得るところとなった。
123. 四つの融通無礙は〔実証され〕、そして、また、これらの八つの解脱も〔実証された〕。六つの神知は実証され、覚者の教えは為された。
かくのごとく、まさに、尊者ソーパーカ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──
ソーパーカ長老の行状が、第九となる。
2. 10. スマンガラ長老の行状
124. わたしは、供犠を執り行なうことを欲し、食料を準備して、婆羅門たちを待ちつつ、広場に立っていた。
125. そこで、〔わたしは〕見た──正覚者を、ピヤダッシン〔世尊〕を、偉大なる福徳ある方を、一切の世の教導者たる方を、〔他に依らず〕自ら成る方を、至高の人たる方を──
126. 世尊を、光輝ある方を、弟子たちに囲まれ、太陽のように輝きながら道を行く方を。
127. 〔わたしは〕合掌を差し出して、自らの心を浄信させた。まさしく、意によって、〔世尊を〕招いた。「偉大なる牟尼よ、お越しください」〔と〕。
128. わたしの思惟を了知して、教師は、世における無上なる方は、千の煩悩の滅尽者たちとともに、わたしの門へと近しく赴いた。
129. 〔わたしは言った〕「善き生まれの人士たる方よ、あなたに、礼拝〔有れ〕。最上の人士たる方よ、あなたに、礼拝〔有れ〕。高楼に登って、獅子の坐に坐りたまえ」〔と〕。
130. 〔自己が〕調御された方は、〔自己が〕調御された者たちを従者とする方は、〔激流を〕超え渡った方は、〔他者を〕超え渡す者たちのなかの優れた方は、高楼に登って、最も優れた坐に坐った。
131. それが、自らの家において、現起した財貨として、わたしに存するなら、わたしは、それを、覚者に施した──浄信した者となり、自らの〔両の〕手で。
132. 浄信した心の者となり、悦意の者となり、感嘆〔の思い〕を生じ、合掌を為し、最勝の覚者を礼拝する。〔わたしは言った〕「ああ、覚者の秀逸なることよ。
133. 八者〔の聖者たち〕が奉侍しているなか、〔施物を〕受益なされます。煩悩の滅尽者たちの多きことよ。これは、まさしく、あなたの威力です。わたしは、帰依所として、あなたのもとに近しく至ります」〔と〕。
134. そして、ピヤダッシン世尊は、世の最尊者にして人の雄牛たる方は、比丘の僧団のうちに坐って、これらの詩偈を語った。
135. 〔ピヤダッシン世尊は言った〕「すなわち、彼は、僧団を受益させました──〔心が〕真っすぐと成り、〔心が〕定められた〔僧団〕を、さらに、如来を、正覚者を。〔それを〕語る、わたしの〔言葉を〕聞きなさい。
136. 二十七回、彼は、天の王権を為すでしょう。彼は、自らの行為〔の果〕に満悦した者となり、天の世において喜び楽しむでしょう。
137. そして、十八回、彼は、転輪〔王〕と成るでしょう。地においては、五百の王権を〔為し〕、大地に居住するでしょう」〔と〕。
138. 林地や林野に、虎が慣れ親しむ森に、入って行って、〔刻苦〕精励をもって〔自己を〕精励して、わたしによって、諸々の〔心の〕汚れは焼尽された。
139. すなわち、〔わたしが〕布施を施した、そのとき、千八百カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、食事の布施の果である。
140. 四つの融通無礙は〔実証され〕、そして、また、これらの八つの解脱も〔実証された〕。六つの神知は実証され、覚者の教えは為された。
かくのごとく、まさに、尊者スマンガラ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──
スマンガラ長老の行状が、第十となる。
その〔章〕のための摂頌となる。
〔そこで、詩偈に言う〕「シーハーサニン、エーカタンビン、そして、ナンダ、チューラ・パンタカ、まさしく、そして、ピリンダとラーフラ、ヴァンガンタ、ラッタパーラ──
ソーパーカ、まさしく、そして、マンガラがあり、第二の章において、まさしく、〔それらの〕十者があり、そして、百〔の詩偈〕が、さらに、三十八の詩偈が、そして、ここにおいて明示された」〔と〕。
シーハーサニヤの章が、第二となる。
3. スブーティの章
3. 1. スブーティ長老の行状
1. ヒマヴァント(ヒマラヤ)の遠からざるところ、ニサバという名の山がある。わたしには、美しく作られた庵所があり、見事に造作された草庵がある。
2. 名としては、コーシヤという名の、激しい苦行の結髪者として〔世に有った〕。独一者として、伴侶なき者として、そのとき、〔わたしは〕ニサバ〔山〕に住する。
3. 果を、そして、根を、さらに、葉を、そのとき、わたしは食べない。まさしく、そのあいだ、わたしは、〔自然に〕転起し自然に落ちたものだけに依拠して生きる。
4. たとえ、生命を捨てつつあるも、わたしは、生き方を乱さない。自らの心を喜ばせ、不当な探し求めを避ける。
5. 貪欲を伴った心が、わたしに生起する、そのときは、まさしく、自ら、〔その心を〕綿密に注視する。〔心が〕一境の者となり、わたしは、その〔心〕を調御する。
6. 「そして、〔おまえは〕染まるべきものに染まり、かつまた、怒るべきものに怒り、さらに、迷うべきものに迷う。おまえは、林から出て行け。
7. この住居は、清浄なる者たちのものであり、無垢なる苦行者たちのものである。まさに、清浄を汚してはならない。おまえは、林から出て行け。
8. 家ある者と成って、子を得るであろう、そのとき、〔在家と出家の義を〕両者ともどもに失ってはならない。おまえは、林から出て行け。
9. あたかも、火葬の薪の木片が、どこにおいても、用途を為さないように──なぜなら、それは、木片として認められていないからであり、村においても、あるいは、林においても、まさしく、〔用途を為さ〕ないように──
10. おまえは、火葬の薪の如き者として存している──在家者でもなく、自制者でもまたなく、両者から除外された者として、今日。おまえは、林から出て行け。
11. いったい、まさに、おまえに、この〔思い〕が存するとして、誰が、おまえのこの〔言葉〕を覚知するというのだろう。『わたしの信の荷を、〔あなたが〕運ぶのです──さてまた、怠惰多き〔わたし〕のために』〔と〕。
12. 識者たちは、おまえを忌避するであろう──あたかも、城市の者が、不浄の者を〔忌避する〕ように。聖賢たちは、おまえを引き寄せて、常に叱責するであろう。
13. 識者たちは、おまえのことを、教えを超え行った者と説くであろう。まさに、〔彼らとの〕共住を得ずにいるおまえが、どのように、〔世を〕生きるというのだろう。
14. 三種に〔発情し〕激情したマータンガ〔象〕を、六十歳のクンジャラ〔象〕を──〔その〕力ある象が近しく赴いても──群れは、〔その〕象を追い出してしまう。
15. 群れから出離した〔象〕は、〔そのように〕存しつつ、安楽と快楽を見出さず、苦しみの者と〔成り〕、意が離れる者と成り、思い惑いながら激しく動揺する。
16. まさしく、そのように、結髪者たちは、おまえをもまた、思慧に劣る者として、追い出すであろう。彼らから出離したおまえは、〔そのように〕存しつつ、安楽と快楽を得ないであろう。
17. 昼であろうが、もしくは、夜であろうが、憂いの矢に射抜かれた者となり、苦悶によって、〔おまえは〕焼かれる──群れから出離した象のように。
18. たとえば、山頂の黄金が、どこにおいても、まさしく、瞑想しないように、そのように、戒を捨棄したおまえは、どこにおいても瞑想しないであろう。
19. たとえ、家に住しているとして、おまえは、どのように生きるというのだろう。母方のものも、さらに、また、父方のものも、おまえに、安置された財は存在しない。
20. 自ら、行為を為して、五体に汗を出しながら、家において、このように生きるであろうが、その善きことは、おまえにとって好ましからず」〔と〕。
21. このように、わたしは、そこにおいて、〔心の〕汚染に赴いた意を防護する。種々なる法(教え)の言説を為して、心を悪から防護する。
22. このように、わたしが、不放逸の住者として〔世に〕住んでいると、三万年が、森にあるわたしを超え行った。
23. 不放逸を喜ぶ者を見て、最上の義(目的)を探し求める者を〔見て〕、正覚者は、パドゥムッタラ〔世尊〕は、わたしの現前にやってきた。
24. ティンバル〔樹の果〕の色艶と輝きある方は、量るべくもなく喩えなき方は、形姿をもってしては相同の者なき方は、覚者は、そのとき、虚空を歩行した。
25. 美しく咲き誇るサーラ〔樹〕の王のように、層雲の間に〔輝く〕雷光のように、知恵をもってしては相同の者なき方は、覚者は、そのとき、虚空を歩行した。
26. 恐怖なき獅子の王のように、倨傲なる象の王のように、美麗なる虎の王のように、そのとき、虚空を歩行した。
27. 黄金の貨幣の色艶と輝きある方は、カディラ〔樹〕の炭火の似姿ある方は、あたかも、宝珠や輝石のように、そのとき、虚空を歩行した。
28. 清浄なるケーラーサ〔山〕の輝きある方は、満月の月のように、日中の太陽のように、そのとき、虚空を歩行した。
29. 天空を歩行している〔覚者〕を見て、そのとき、わたしは、このように思い考えた。「いったい、まさに、この有情は、天〔の神〕なのか、それとも、この〔有情〕は、人間なのか。
30. あるいは、聞いたことも、あるいは、見たことも、わたしはない──大地において、このような人は。〔聞いたことのない〕呪文の句もまた存在する。この方は、教師として〔世に〕有るのだ」〔と〕。
31. わたしは、このように思い考えて、自らの心を浄信させた。そして、種々なる花を、さらに、香料を、そのとき、わたしは集めた。
32. 心が善きとし、意が喜びとする、花の坐を設置して、人の馭者たる者たちのなかの至高者たる方に、この言葉を説いた。
33. 〔わたしは言った〕「勇者よ、わたしによって、この坐は、あなたに至当なるものとして設置されました。わたしの心を笑いつつ、花の坐に坐ってください」〔と〕。
34. そこにおいて、世尊は坐った──恐怖なき獅子のように。七つの夜と昼のあいだ、覚者は、最も優れた花の坐に〔坐った〕。
35. 七つの夜と昼のあいだ、わたしは、礼拝しながら、〔そこに〕止住した。禅定から出起して、教師は、世における無上なる方は、わたしの行為を賛じ称えながら、この言葉を説いた。
36. 〔パドゥムッタラ世尊は言った〕「覚者の随念を修めなさい──諸々の修行のなかの無上なるものを。この気づき(念)を修めて、〔あなたは〕意図を満たすでしょう。
37. 三万カッパのあいだ、天の世において喜び楽しむでしょう。八十回、天のインダとして、天の王権を為すでしょう。千回、国土において、転輪王と成るでしょう。
38. 数〔の観点〕からは数えようもない、広大なる地域の王権を〔為すでしょう〕。その全てを、〔あなたは〕受領するでしょう。覚者の随念の果です。
39. 種々なる生存において輪廻しながら、大いなる財物を得るでしょう。あなたの財物に、不足は存在しません。覚者の随念の果です。
40. 十万カッパ〔の未来〕において、オッカーカの家系を発生とし、姓としては、ゴータマという名の教師が、世に有るでしょう。
41. 〔あなたは〕八十コーティ〔の財〕を捨て放って、多くの奴隷たちと労夫たちを〔捨て放って〕、ゴータマ世尊の教えにおいて出家するでしょう。
42. ゴータマ〔世尊〕を、釈迦〔族〕の雄牛たる者を、正覚者を、喜ばせて、名としては、スブーティという名の、教師の弟子として〔世に〕有るでしょう。
43. 〔ゴータマ世尊は〕比丘の僧団のうちに坐って、あなたを、施与されるべき者たる徳において、さらに、そのように、相克なき住において、二つにおいて、至高〔の地位〕に据え置くでしょう」〔と〕。
44. この〔言葉〕を説いて、正覚者は、水に生じる最上のものを名とする方は、勇者は、天空へと舞い上がった──鵞鳥の王が、宙に〔赴く〕ように。
45. 世の導き手たる方に教えられた〔わたし〕は、如来を礼拝して、歓喜した者となり、覚者の随念を、最上のものとして、常に修める。
46. その善行の行為によって、さらに、諸々の思欲による誓願によって、人間の肉身を捨棄して〔そののち〕、わたしは、三十三〔天〕に赴いた。
47. 八十回、天のインダとして、天の王権を為した。そして、千回、わたしは、転輪王と成った。
48. 数〔の観点〕からは数えようもない、広大なる地域の王権を〔為した〕。善き得達を、〔わたしは〕受領する。覚者の随念の果である。
49. 種々なる生存において輪廻しながら、わたしは、大いなる財物を得る。わたしの財物に、不足は存在しない。覚者の随念の果である。
50. すなわち、〔わたしが〕行為を為した、そのとき、これより、十万カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。覚者の随念の果である。
51. 四つの融通無礙は〔実証され〕、そして、また、これらの八つの解脱も〔実証された〕。六つの神知は実証され、覚者の教えは為された。
かくのごとく、まさに、尊者スブーティ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──
スブーティ長老の行状が、第一となる。
3. 2. ウパヴァーナ長老の行状
52. パドゥムッタラという名の勝者は、一切の法(事象)の彼岸に至る方は、火の塊のように燃え盛って、正覚者は、完全なる涅槃に到達した者となる。
53. 大勢の人たちが集いあつまって、如来を供養して、荼毘の薪山を、美しく作られたものと為して、〔覚者の〕肉体を載せた。
54. 肉体に為すべきことを為して〔そののち〕、そこにおいて、遺物を集めた。天〔の神〕や人間を含む〔人々〕は、彼らの全てが、覚者の塔を作った。
55. 第一〔の階〕は、黄金で作られているものとして〔存した〕。第二〔の階〕は、宝珠で作られているものとして存した。第三〔の階〕は、白銀で作られているものとして〔存した〕。第四〔の階〕は、水晶で作られているものとして〔存した〕。
56. そのように、第五の階は、紅玉で作られているものと成った。第六〔の階〕は、瑪瑙からなり、上部は、全てが宝玉で作られているものとして〔存した〕。
57. 基壇は、宝珠で作られているものとして存した。欄干は、宝玉で作られているものとして〔存した〕。〔一〕ヨージャナの高さに盛り上がる塔は、全てが黄金で作られているものとして〔存した〕。
58. そのとき、そこにおいて、天〔の神々〕たちが集いあつまって、一緒に話し合った。「わたしたちもまた、塔を作るのだ──世の主たる如なる方のために。
59. 固有の遺物は存在しない。一塊の肉体も〔存在しない〕。わたしたちは、この覚者の塔のうえに、外覆いを作るのだ」〔と〕。
60. 天〔の神々〕たちは、諸々の七つの宝玉によって、他に、〔一〕ヨージャナを増大させた。その塔は、〔合わせて〕二ヨージャナの高さとなり、漆黒〔の闇〕を打ち砕く。
61. そのとき、そこにおいて、龍たちが集いあつまって、一緒に話し合った。「まさしく、そして、人間たちも、さらに、天〔の神々〕たちも、彼らは、覚者の塔を作った。
62. わたしたちは、放逸の者たちとして存してはならない。天〔の神々〕たちと共に、不放逸の者たちとなり、わたしたちもまた、塔を作るのだ──世の主たる如なる方のために」〔と〕。
63. インダの青玉を、大いなる青玉を、さらに、輝石を、宝珠を、一緒に集めて、覚者の塔を覆った。
64. そのことから、覚者の塔廟は、全てが宝珠で作られているものとして存した。そのとき、〔合わせて〕三ヨージャナの高さとなり、光明を作り為すものとなる。
65. そして、そのとき、金翅鳥たちが集いあつまって、一緒に話し合った。「人間たちは、さらに、天〔の神々〕たちと龍たちも、彼らは、覚者の塔を作った。
66. わたしたちは、放逸の者たちとして存してはならない。天〔の神々〕たちと共に、不放逸の者たちとなり、わたしたちもまた、塔を作るのだ──世の主たる如なる方のために」〔と〕。
67. そして、彼らは、全てが宝珠で作られている塔の外覆いを作った。彼らもまた、覚者の塔廟を拡大し、〔一〕ヨージャナを増大させた。
68. 〔合わせて〕四ヨージャナの高さとなり、覚者の塔は遍照する。昇り行く百光〔の太陽〕のように、全ての方角を照らす。
69. そして、そのとき、魔族たちが集いあつまって、一緒に話し合った。「まさしく、そして、人間たちも、さらに、天〔の神々〕たちも、さらに、龍たちも、そのように、金翅鳥たちも、各自に、最勝の覚者のために、最上の塔を作った。
70. わたしたちは、放逸の者たちとして存してはならない。天〔の神々〕たちと共に、不放逸の者たちとなり、わたしたちもまた、塔を作るのだ──世の主たる如なる方のために。覚者の塔廟を拡大し、諸々の宝玉によって覆い隠すのだ」〔と〕。
71. 彼らもまた、覚者の塔廟を拡大し、〔一〕ヨージャナを増大させた。そのとき、〔合わせて〕五ヨージャナの高さとなり、塔は光り輝く。
72. そのとき、そこにおいて、夜叉たちが集いあつまって、一緒に話し合った。「人間たちは、さらに、天〔の神々〕たちと龍たちも、金翅鳥たちも、魔族たちも──
73. 各自に、最勝の覚者のために、最上の塔を作った。わたしたちは、放逸の者たちとして存してはならない。天〔の神々〕たちと共に、不放逸の者たちとなり──
74. わたしたちもまた、塔を作るのだ──世の主たる如なる方のために。覚者の塔廟を拡大し、諸々の水晶によって覆い隠すのだ」〔と〕。
75. 彼らもまた、覚者の塔廟を拡大し、〔一〕ヨージャナを増大させた。そのとき、〔合わせて〕六ヨージャナの高さとなり、塔は光り輝く。
76. そして、そのとき、音楽神たちが集いあつまって、一緒に話し合った。「人間たちも、天神たちも、龍たちも、金翅鳥たちも、魔族と夜叉たちも──
77. 全ての者たちが、覚者の塔を作った。ここにおいて、わたしたちは、〔いまだ〕作り手ならず。わたしたちもまた、塔を作るのだ──世の主たる如なる方のために」〔と〕。
78. 七つの欄干を作って、彼らは、傘蓋を掲揚した。そのとき、音楽神たちは、全てが黄金で作られている塔を作らせた。
79. そのとき、〔合わせて〕七ヨージャナの高さとなり、塔は光り輝く。夜と昼は知られず、光明は、一切時に有る。
80. 星々を含む、月と日〔の光〕は、その〔塔〕の諸々の光を圧倒せず、灯明もまた、百ヨージャナの遍きにわたり、光り輝かなかった。
81. その時にあって、人間たちは、彼らが誰であれ、塔を供養する。彼らは、塔に登らない。彼らは、宙に〔供物を〕投げ上げる。
82. 天〔の神々〕たちによって据え置かれた、アビサンマタという名の夜叉は、あるいは、〔投げ上げられた〕旗を、あるいは、〔投げ上げられた〕花の環を、〔受け止めて〕上に載せる。
83. 彼らは、その夜叉〔の姿〕を見ず、〔宙を〕赴く〔花〕の環を見る。このように、〔その神変を〕見て、〔他の世に〕赴く者たちは、全ての者たちが、善き境遇(善趣)に赴く。
84. すなわち、〔聖なる〕言葉にたいし反感した者たちも、さらに、すなわち、〔覚者の〕教えにたいし浄信した者たちも、神変を見ることを欲し、人間たちは、塔を供養する。
85. ハンサヴァティーの城市において、そのとき、〔わたしは〕雇われ人として〔世に〕有った。歓喜した人々を見て、そのとき、わたしは、このように思い考えた。
86. 「まさに、この方は、秀逸なる世尊である。彼の遺物の保持が、このようなものであるとは。そして、これらの人民たちは満足し、為すことを為している──悩み苦しむことなく。
87. わたしもまた、為すことを為すのだ──世の主たる如なる方のために。未来において、彼の、諸々の法(教え)における相続者と成るのだ」〔と〕。
88. わたしは、洗濯師によって美しく洗い清められた、わたしの上衣を、竹の先端にくくりつけて、旗として、宙に投げ上げた。
89. 〔夜叉の〕アビサンマタは、わたしの旗を収め取って、宙に運び去った。風に揺らぐ旗を見て、わたしは、より一層、笑みを生じさせた。
90. そこにおいて、心を浄信させて、沙門のもとへと近づいて行った。その比丘を敬拝して、わたしは、旗における報いを尋ねた。
91. 彼は、わたしに言説した──わたしに歓嘆と喜悦を生むものを。〔彼は言った〕「〔あなたは〕その旗の報いを、一切時に受領するでしょう。
92. 象〔兵〕たちが、馬〔兵〕たちが、車〔兵〕たちが、歩〔兵〕たちが、そして、四つの支分ある軍団が、常に、あなたを取り囲むでしょう。これは、旗の布施の果です。
93. 六万の楽器が、〔装いを〕十二分に作り為した諸々の太鼓が、常に、あなたを取り囲むでしょう。これは、旗の布施の果です。
94. 八万六千の、〔装いを〕十二分に作り為した女たちが、様々な彩りの衣装と装飾品をまとい、宝珠の耳飾を付けた者たちが──
95. 濃い睫毛ある、明朗なる者たちが、善き表象ある、体躯の均整なる者たちが、常に、あなたを取り囲むでしょう。これは、旗の布施の果です。
96. 三万カッパのあいだ、天の世において喜び楽しむでしょう。八十回、天のインダとして、天の王権を為すでしょう。
97. そして、千回、転輪王と成るでしょう。数〔の観点〕からは数えようもない、広大なる地域の王権を〔為すでしょう〕。
98. 十万カッパ〔の未来〕において、オッカーカの家系を発生とし、姓としては、ゴータマという名の教師が、世に有るでしょう。
99. 天の世から死滅して、白根に促され、功徳の行為〔の果〕と結び付いた〔あなた〕は、梵の眷属として〔世に〕有るでしょう。
100. 〔あなたは〕八十コーティ〔の財〕を捨て放って、多くの奴隷たちと労夫たちを〔捨て放って〕、ゴータマ世尊の教えにおいて出家するでしょう。
101. ゴータマ〔世尊〕を、釈迦〔族〕の雄牛たる方を、正覚者を、喜ばせて、名としては、ウパヴァーナという〔名の〕、教師の弟子として〔世に〕有るでしょう」〔と〕。
102. 十万〔カッパの過去〕において、〔わたしが〕為した行為と〔その〕果を、ここに、わたしのために、〔比丘は〕見示した。善く放たれた矢の勢いのように、わたしの諸々の〔心の〕汚れを、〔彼は〕焼き尽くした。
103. 転輪〔王〕として、四つの洲におけるイッサラとして、わたしが〔世に〕存していると、三ヨージャナの遍きにわたり、常に、諸々の旗が掲げられる。
104. すなわち、〔わたしが〕行為を為した、そのとき、これより、十万カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、旗の布施の果である。
105. 四つの融通無礙は〔実証され〕、そして、また、これらの八つの解脱も〔実証された〕。六つの神知は実証され、覚者の教えは為された。
かくのごとく、まさに、尊者ウパヴァーナ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──
ウパヴァーナ長老の行状が、第二となる。
3. 3. ティサラナガミヤ長老の行状
106. チャンダヴァティーの城市において、〔わたしは〕母の奉仕者として〔世に〕有った。わたしの母と父は盲者にして、そのとき、わたしは、彼らを養う。
107. 静所に赴き、〔そこに〕坐って、そのとき、わたしは、このように思い考えた。「母と父を養っているわたしは、出家を得ない。
108. 大いなる暗黒に塞がれた者たちは、三種の火(貪・瞋・痴の三毒)によって焼かれる。このような〔迷いの〕生存に生まれたとき、導き手は、誰も存在しない。
109. 覚者が、世に生起したのだ。今や、教えは火を灯す。自己は、〔自己を〕引き抜くことができるのだ。功徳を欲する人であるなら。
110. 三つの帰依所(仏法僧の三宝)を収め取って、円満成就のものとして守ったなら、その善行の行為によって、悪しき境遇を解き放つであろう」〔と〕。
111. ニサバという名の沙門が、覚者の至高の弟子として〔世に有った〕。わたしは、彼のもとへと近しく赴いて、帰依所に赴くことを収め取った。
112. 十万年のあいだ、寿命が見出される、まさしく、そのかぎり、それまでのあいだ、帰依所に赴くことの円満成就を守った。
113. 最後〔の心〕が転起しているとき、その帰依所を随念した。その善行の行為によって、わたしは、三十三〔天〕に赴いた。
114. 天の世に赴き、〔そのように〕存しつつ、功徳の行為〔の果〕に定められた者として、その地域に再生するなら、わたしは、八つの因を得る。
115. 方々において供養される者と成る。わたしは、鋭敏なる智慧ある者と成る。全ての天〔の神々〕たちが、〔わたしに〕従い転じ行く。わたしは、無量なる財物を得る。
116. 一切所において、黄金の色艶ある者と〔成る〕。わたしは、〔誰からも〕愛される者と成る。朋友たちにとって、不動の者と成る。わたしには、沸き上がる盛名がある。
117. 八十回、天のインダとして、天の王権を為した。仙女たちに囲まれ、天の安楽を受領した。
118. そして、七十五回、わたしは、転輪〔王〕と成った。数〔の観点〕からは数えようもない、広大なる地域の王権を〔為した〕。
119. 最後の生存に達し得たとき、功徳の行為〔の果〕に定められた〔わたし〕は、サーヴァッティー(舎衛城)の都において生まれたのだった──大家にして富豪〔の家〕に。
120. 城市から出て、少年たちに囲まれ、笑いと遊びの保有者として、わたしは、僧団の林園へと近しく赴いた。
121. そこにおいて、〔わたしは〕見た──沙門を、解脱者を、依り所なき者を。彼は、わたしに、法(教え)を見示した。そして、帰依所を、わたしに与えた。
122. 〔まさに〕その、わたしは、帰依所を聞いて、わたしの帰依所を随念した。一なる坐において、坐って〔そののち〕、阿羅漢の資質に至り得た。
123. 生まれて第七の年に、阿羅漢の資質に至り得た。覚者は、眼ある方は、〔わたしの〕徳を了知して、〔戒を〕成就させた(受戒させた)。
124. これより、量るべくもないカッパ〔の過去〕において、わたしは、〔三つの〕帰依所に赴いた。そののち、わたしの善行の行為を、〔その〕果を、ここに、わたしのために、〔覚者は〕見示した。
125. わたしの、帰依所は善く守られ、意図は善く志向された。一切の福徳を受領して、〔わたしは〕不動の境処に至り得た者として〔世に〕存している。
126. すなわち、〔あなたたちに〕耳を傾けることが存するなら、〔それを〕語る、わたしの〔言葉を〕聞きたまえ。わたしは、あなたたちに言示しよう──自ら、〔あるがままに〕見られた、わたしの境処を。
127. 覚者が、世に生起したのだ。勝者の教えが転起する。憂いの矢を除き去る、諸々の不死の太鼓が、奏でられたのだ。
128. すなわち、自らの強さによって、無上なる功徳の田畑にたいし、献身を為すなら、〔あなたたちは〕寂滅〔の境処〕を見るであろう。
129. 三つの帰依所を収め取って、五つの戒(五戒:不殺生戒・不偸盗戒・不邪淫戒・不妄語戒・不飲酒戒)を守って、覚者にたいし、心を浄信させて、〔あなたたちは〕苦しみの終極を為すであろう。
130. 正しく法(教え)を修めて、諸々の戒を遍く守って、あなたたちは、全てもろともに、長からずして、阿羅漢の資質に至り得るであろう。
131. 三つの明知ある者として、神通に至り得た者として、〔他者の〕心を探知する〔知恵〕における熟知者として、〔わたしは〕存している。偉大なる勇者よ、あなたの弟子は、帰依所ある者は、教師を敬拝する。
132. わたしが、帰依所として、覚者のもとに赴いた、これより、量るべくもないカッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。帰依所に赴くことにおける果である。
133. 四つの融通無礙は〔実証され〕、そして、また、これらの八つの解脱も〔実証された〕。六つの神知は実証され、覚者の教えは為された。
かくのごとく、まさに、尊者ティサラナガミヤ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──
ティサラナガミヤ長老の行状が、第三となる。
3. 4. パンチャシーラサマーダーニヤ長老の行状
134. チャンダヴァティーの城市において、そのとき、〔わたしは〕雇われ人として〔世に〕存した。他者の事業に束縛されたわたしは、出家を得ない。
135. 〔わたしは思い考えた〕「大いなる暗黒に塞がれた者たちは、三種の火によって焼かれる。いったい、まさに、どのような手段によって、わたしは、束縛を離れた者と成るのであろう。
136. そして、わたしに、施すべき法(施物)は存在しない。わたしは、惨めな雇われ人である。それなら、さあ、わたしは、五つの戒を、〔常に〕円満成就させつつ守るのだ」〔と〕。
137. ニサバという名の、アノーマダッシン牟尼の弟子が〔世に存した〕。わたしは、彼のもとへと近づいて行って、五つの学びの境処(五戒)を収め取った。
138. 十万年のあいだ、寿命が見出される、まさしく、そのかぎり、それまでのあいだ、五つの戒の円満成就を守った。
139. そして、死魔の時に達し得たとき、天〔の神々〕たちは、わたしを安堵させる。「敬愛なる方よ、〔まさに〕この、千〔の馬〕を設えた車が、あなたのために仕立てられました」〔と〕。
140. 最後の心が転起しているとき、わたしの戒を随念した。その善行の行為によって、わたしは、三十三〔天〕に赴いた。
141. そして、三十回、天のインダとして、天の王権を為した。仙女たちに囲まれ、天の安楽を受領した。
142. そして、七十五回、わたしは、転輪〔王〕と成った。数〔の観点〕からは数えようもない、広大なる地域の王権を〔為した〕。
143. 天の世から死滅して、白根に促された〔わたし〕は、ヴェーサーリーの都において生まれたのだった──大家にして富豪〔の家〕に。
144. 雨期の近づく時となり、聖者の教えが火を灯しているなか、そして、わたしの、母は、まさしく、さらに、父も、五つの学びの境処を収め取った。
145. 戒を聞いて、〔それと〕共に、わたしは、わたしの戒を随念した。一なる坐において、坐って〔そののち〕、阿羅漢の資質に至り得た。
146. 生まれて五年で、阿羅漢の資質に至り得た。覚者は、眼ある方は、〔わたしの〕徳を了知して、〔戒を〕成就させた(受戒させた)。
147. わたしが、五つの学びの境処の円満成就を守って〔そののち〕、これより、量るべくもないカッパ〔の未来〕において、わたしは、堕所に赴かなかった。
148. 〔まさに〕その、わたしは、それらの戒に由来する福徳を受領した。千万カッパのあいだでさえも賛じ称えながら、〔戒についての〕一なる説示を賛じ称えるであろう。
149. 五つの戒を守って、わたしは、三つの因を得る。長き寿命ある者として、大いなる財物ある者として、鋭敏なる智慧ある者として、わたしは〔世に〕有る。
150. そして、全ての者たちに、〔戒の徳を〕等しく賛じ称えながら、かつまた、旺盛に、人に〔伝えながら〕、種々なる生存において輪廻して〔そののち〕、これらの境位を、わたしは得る。
151. 量るべくもない戒において、行持している勝者の弟子たちが、諸々の生存において、もしくは、〔欲に〕染まるとして、どのような報いが有るというのだろう。
152. 雇われ人によって、苦行者によって、わたしによって、五つの戒は善く行われた。その戒によって、わたしは、今日、一切の結縛から〔自己を〕解き放った。
153. 〔わたしが〕五つの戒を守った、これより、量るべくもないカッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、五つの戒の果である。
154. 四つの融通無礙は〔実証され〕、そして、また、これらの八つの解脱も〔実証された〕。六つの神知は実証され、覚者の教えは為された。
かくのごとく、まさに、尊者パンチャシーラサマーダーニヤ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──
パンチャシーラサマーダーニヤ長老の行状が、第四となる。
3. 5. アンナサンサーヴァカ長老の行状
155. 市場を赴きつつある、黄金の色艶ある正覚者を、価値ある黄金の似姿ある方を、三十二の優れた特相ある方を──
156. シッダッタ〔世尊〕を、世の灯火たる方を、量るべくもなく喩えなき方を、〔自己が〕調御された方を、光輝を保持する方を、見て、〔わたしは〕最高の喜悦〔の思い〕を得た。
157. 正覚者を礼拝して、彼を、偉大なる牟尼を、受益させた(食を施した)。世における偉大なる慈悲者たる方は、そのとき、わたしに随喜した。
158. 彼にたいし、偉大なる慈悲者たる方にたいし、最高の安堵〔の思い〕を作り為す方にたいし、覚者にたいし、心を浄信させて、わたしは、カッパのあいだ、天上において歓喜した。
159. すなわち、〔わたしが〕布施を施した、そのとき、これより、九十四カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、行乞〔の施食〕の布施の果である。
160. 四つの融通無礙は〔実証され〕、そして、また、これらの八つの解脱も〔実証された〕。六つの神知は実証され、覚者の教えは為された。
かくのごとく、まさに、尊者アンナサンサーヴァカ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──
アンナサンサーヴァカ長老の行状が、第五となる。
3. 6. ドゥーパダーヤカ長老の行状
161. シッダッタ世尊のために、世の最尊者にして如なる方のために、小屋の薫香が、わたしによって施された──浄信した心で。
162. 天〔の神〕たる〔境遇〕に、さらに、人間に、その〔胎〕その胎に再生するなら、全てもろともの者たちにとって、〔わたしは〕愛しき者と成る。これは、薫香の布施の果である。
163. すなわち、〔わたしが〕薫香を施した、そのとき、これより、九十四カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、薫香の布施の果である。
164. 四つの融通無礙は〔実証され〕、そして、また、これらの八つの解脱も〔実証された〕。六つの神知は実証され、覚者の教えは為された。
かくのごとく、まさに、尊者ドゥーパダーヤカ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──
ドゥーパダーヤカ長老の行状が、第六となる。
3. 7. プリナプージャカ長老の行状
165. ヴィパッシン世尊の、最上の木である菩提〔樹〕にたいし、古き砂粒を捨棄して、清浄なる砂粒を振り注いだ。
166. すなわち、わたしが、砂粒を施した、これより、九十一カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、砂粒の布施の果である。
167. これより、三十カッパ〔の過去〕において、人の征服者たる王として〔世に〕存した──名としては、マハープリナ〔という名〕の、大いなる勢力ある転輪〔王〕として。
168. 四つの融通無礙は〔実証され〕、そして、また、これらの八つの解脱も〔実証された〕。六つの神知は実証され、覚者の教えは為された。
かくのごとく、まさに、尊者プリナプージャカ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──
プリナプージャカ長老の行状が、第七となる。
3. 8. ウッティヤ長老の行状
169. チャンダバーガー川の岸辺において、そのとき、わたしは、鮫として〔世に有った〕。わたしは、自らの餌場で〔食料を〕追い求める者として〔世に有った〕。わたしは、川の渡し場に赴いた。
170. その時点において、シッダッタ〔世尊〕は、〔他に依らず〕自ら成る方は、至高の人たる方は、彼は、川を超え渡ることを欲し、川の渡し場へと近しく赴いた。
171. そして、正覚者が近しく赴いたとき、そこにおいて、わたしもまた近しく赴いた。正覚者のもとへと近しく赴いて、この言葉を発した。
172. 〔わたしは言った〕「偉大なる勇者よ、乗ってください。わたしが、あなたを超え渡しましょう。偉大なる牟尼よ、慈しみください──わたしの、父祖の境域を」〔と〕。
173. わたしの叫喚を聞いて、偉大なる牟尼は、〔わたしに〕乗った。欣喜した者となり、欣喜した心で、〔わたしは〕世の導き手たる方を超え渡した。
174. 川の彼岸において、シッダッタ〔世尊〕は、世の導き手たる方は、そこにおいて、わたしを安堵させた。「〔あなたは〕不死〔の境処〕に至り得るでしょう」〔と〕。
175. その身体から死滅して、わたしは、天の世に至り着いた。仙女たちに囲まれ、天の安楽を受領した。
176. そして、七回、わたしは、天のインダとして、天の王権を為した。三回、大地におけるイッサラたる転輪〔王〕と成った。
177. わたしは、遠離に専念する者として、そして、賢明なる者として、善く統御された者として、最後の肉身を保つ──正等覚者の教えにおいて。
178. すなわち、〔わたしが〕人の雄牛たる方を超え渡した、これより、九十四カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、超え渡しの果である。
179. 四つの融通無礙は〔実証され〕、そして、また、これらの八つの解脱も〔実証された〕。六つの神知は実証され、覚者の教えは為された。
かくのごとく、まさに、尊者ウッティヤ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──
ウッティヤ長老の行状が、第八となる。
3. 9. エーカンジャリカ長老の行状
180. 市場を赴きつつある、黄金の色艶ある正覚者を、至高の先導者たるヴィパッシン〔世尊〕を、優れた人にして〔世の〕導き手たる方を──
181. 調御されざる者を調御する如なる方を、偉大なる論者たる方を、偉大なる思慧ある方を、見て、浄信した者となり、悦意の者となり、わたしは、一なる合掌を為した。
182. すなわち、〔わたしが〕合掌を為した、そのとき、これより、九十一カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、合掌の果である。
183. 四つの融通無礙は〔実証され〕、そして、また、これらの八つの解脱も〔実証された〕。六つの神知は実証され、覚者の教えは為された。
かくのごとく、まさに、尊者エーカンジャリカ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──
エーカンジャリカ長老の行状が、第九となる。
3. 10. コーマダーヤカ長老の行状
184. バンドゥマティーの城市において、そのとき、〔わたしは〕商人として〔世に〕有った。まさしく、それによって、妻を養い、成就の種を育てる(功徳を積む)。
185. 道を行く、ヴィパッシン〔世尊〕のために、偉大なる聖賢のために、一なる亜麻が、わたしによって施された──善なる〔功徳〕を義(目的)として、教師のために。
186. すなわち、〔わたしが〕亜麻を施した、そのとき、これより、九十一カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、亜麻の布施の果である。
187. これより、十七カッパ〔の過去〕において、一者のシンダヴァサンダナ〔という名の者〕として〔世に存した〕──七つの宝を成就した、四つの洲におけるイッサラとして。
188. 四つの融通無礙は〔実証され〕、そして、また、これらの八つの解脱も〔実証された〕。六つの神知は実証され、覚者の教えは為された。
かくのごとく、まさに、尊者コーマダーヤカ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──
コーマダーヤカ長老の行状が、第十となる。
その〔章〕のための摂頌となる。
〔そこで、詩偈に言う〕「スブーティ(※)、そして、ウパヴァーナ、サラナ、シーラガーハカ、アンナサンサーヴァカ、ドゥーパ、プリナがあり、そして、ウッティヤとともに(※※)──
※ テキストには Susūti とあるが、PTS版により Subūti と読む。
※※ テキストには khomadāyī ca, daseva tatiye gaṇe とあるが、PTS版により Dhūpo Puḷino Uttiyena ca と読む。
アンジャリ、そして、コーマダーインがあり、第三の集まりにおいて、まさしく、〔それらの〕十者があり、百八十五の詩偈が説かれ、集録された全てとなる」〔と〕。
スブーティの章が、第三となる。
〔以上が〕第四の朗読分となる。
4. クンダダーナの章
4. 1. クンダダーナ長老の行状
1. 七日のあいだ、静坐している、〔他に依らず〕自ら成る方に、至高の人たる方に、最勝の覚者に、浄信した心の者となり、悦意の者となり、〔わたしは〕奉仕した。
2. 〔静坐から〕出起した時を了知して、パドゥムッタラ〔世尊〕のもとへと、偉大なる牟尼のもとへと、わたしは、大いなる芭蕉の果皮を収め取って、近しく赴いた。
3. 世尊は、一切を知る方は、世の導き手たる方は、〔それを〕納受して、わたしの心を浄信させながら、偉大なる牟尼は、〔それを〕遍く受益した。
4. 正覚者は、先導者たる方は、無上なる方は、〔それを〕遍く受益して、現前に坐って、これらの詩偈を語った。
5. 〔パドゥムッタラ世尊は言った〕「そして、すなわち、〔ここに〕存する、行き合った者たちは、この山にいる夜叉たちも、林にいる生類と生類たるべきものたちも、わたしの言葉を聞きなさい。
6. すなわち、彼は、獣の王たる獅子に〔奉仕する〕ように、覚者に奉仕しました。わたしは、彼を賛じ称えましょう。〔それを〕語る、わたしの〔言葉を〕聞きなさい。
7. そして、十一回、彼は、天の王と成るでしょう。そして、三十四回、転輪〔王〕と成るでしょう。
8. 十万カッパ〔の未来〕において、オッカーカの家系を発生とし、姓としては、ゴータマという名の教師が、世に有るでしょう。
9. 沙門たちを、戒ある者たちを、煩悩なき者たちを、罵倒して、悪しき行為の報いによって、〔それに見合う〕命名を、〔この者は〕得るでしょう。
10. 彼の、諸々の法(教え)における、相続者として、正嫡として、法(教え)によって化作された者として──名としては、クンダダーナという〔名の、教師の〕弟子として、彼は〔世に〕有るでしょう」〔と〕。
11. わたしは、遠離に専念する者として、瞑想を喜ぶ瞑想者として、教師を満足させて、煩悩なき者となり、〔世に〕住む。
12. 弟子たちに取り囲まれ、比丘の僧団に囲まれ、勝者は、比丘の僧団のうちに坐って、くじの棒を掴み取らせた(くじを引かせた)。
13. 一つの肩に衣料を掛けて、世の導き手たる方を敬拝して、説者たちのなかの優れた方を前に、わたしは、第一〔のくじ〕を掴み取った。
14. 〔わたしの〕その行為によって、世尊は、一万〔の世〕を揺れ動かす方は、比丘の僧団のうちに坐って、わたしを、〔このことにおける〕至高の地位に据え置いた。
15. 精進は、わたしにとって、束縛からの平安に運んでくれる荷駄牛である。〔わたしは〕最後の肉身を保つ──正等覚者の教えにおいて。
16. 四つの融通無礙は〔実証され〕、そして、また、これらの八つの解脱も〔実証された〕。六つの神知は実証され、覚者の教えは為された。
かくのごとく、まさに、尊者クンダダーナ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──
クンダダーナ長老の行状が、第一となる。
4. 2. サーガタ長老の行状
17. 名としては、ソービタという名の、婆羅門として、そのとき、〔わたしは、世に〕有った。徒弟たちに囲まれ、わたしは、〔覚者の〕林園に赴いた。
18. その時点において、世尊は、比丘の僧団に囲まれ、林園の門から出て、最上の人士たる方は、〔そこに〕立った。
19. 〔わたしは〕見た──彼を、正覚者を、〔自己が〕調御された方を、〔自己が〕調御された者たちに囲まれた方を。〔わたしは〕自らの心を浄信させて、世の導き手たる方を奉賛した。
20. 〔わたしは言った〕「それらが何であれ、全ての木々は、それらは、大地において育ちます。そのように、覚慧ある有情たちは、勝者の教えにおいて成長します。
21. 〔あなたは〕先導者たる方として、智慧を有する方として、〔世に〕存しています。偉大なる聖賢として、多くの人たちを、邪道から引き上げて、あなたは、道を告げ知らせます。
22. 〔自己が〕調御された方であり、〔自己が〕調御された者たちに取り囲まれた方であり、そして、瞑想者たる方であり、瞑想を喜ぶ者たちに〔取り囲まれた方であり〕、熱情ある方であり、自己を精励する者たちに〔取り囲まれた方であり〕、寂静者たちに〔取り囲まれた方であり〕、如なる者たちに〔取り囲まれた方です〕。
23. 〔その威光は〕諸々の衆によって十分に作り為され、諸々の功徳と知恵によって美しく輝きます。あなたの光輝は、あたかも、日の出のときのように放たれます」〔と〕。
24. 〔わたしの〕浄信した心を見て、偉大なる聖賢は、パドゥムッタラ〔世尊〕は、教師は、比丘の僧団のうちに立ち、これらの詩偈を語った。
25. 〔パドゥムッタラ世尊は言った〕「すなわち、その婆羅門は、笑みを生じさせて、わたしを賛じ称えました。十万カッパのあいだ、天の世において喜び楽しむでしょう。
26. まさに、兜率〔天〕から死滅して、白根に促され、ゴータマ世尊の教えにおいて出家するでしょう。
27. その善行の行為によって、阿羅漢の資質を得るでしょう。名としては、サーガタという〔名の〕、教師の弟子として〔世に〕有るでしょう」〔と〕。
28. 〔わたしは〕出家して〔そののち〕、身体による悪しき行為を避けた。言葉による悪しき行ないを捨棄して、生き方を完全に清めた。
29. このように〔世に〕住みつつ、わたしは、諸々の火の界域(火界)〔の禅定〕における熟知者となり、一切の煩悩を遍知して、煩悩なき者となり、〔世に〕住む。
30. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。
かくのごとく、まさに、尊者サーガタ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──
サーガタ長老の行状が、第二となる。
4. 3. マハー・カッチャーナ長老の行状
31. 〔世の〕主たるパドゥムッタラ〔世尊〕には、パドゥマという名の塔廟が〔存した〕。〔わたしは〕獅子の坐を作らせて、黄金によって塗装した。
32. そして、宝玉で作られている傘蓋を、毛扇を、差し出して、覚者に、世の眷属たる方に、如なる方に、献上した。
33. およそ、地上にあるかぎりの天神たちは、そのとき、全ての者たちが集まった。〔彼らは言った〕「諸々の宝玉で作られている〔それらの〕傘蓋の報いを、〔覚者は〕言説するであろう。
34. そして、言説している教師の〔言葉を〕、その全てを、〔わたしたちは〕聞くのだ。より一層、笑みを生じさせるのだ──正等覚者の教えにおいて」〔と〕。
35. 金の坐に坐って、〔他に依らず〕自ら成る方は、至高の人たる方は、比丘の僧団に取り囲まれ、これらの詩偈を語った。
36. 〔パドゥムッタラ世尊は言った〕「彼によって、この坐が、宝玉で作られている黄金〔の坐〕が、施されました。わたしは、彼を賛じ称えましょう。〔それを〕語る、わたしの〔言葉を〕聞きなさい。
37. 三十カッパのあいだ、天のインダとして、天の王権を為すでしょう。百ヨージャナの遍きにわたり、光輝によって〔他を〕圧倒するでしょう。
38. 人間の世に至り着いて、転輪〔王〕と成るでしょう。名としては、パバッサラという〔名の〕、気高き威光ある者として〔世に〕有るでしょう。
39. 昼であろうが、もしくは、夜であろうが、昇り行く百光〔の太陽〕のように、八ラタナ(長さの単位・一ラタナは約五十センチ)の遍きにわたり、士族は輝き渡るでしょう。
40. 十万カッパ〔の未来〕において、オッカーカの家系を発生とし、姓としては、ゴータマという名の教師が、世に有るでしょう。
41. まさに、兜率〔天〕から死滅して、白根に促され、名としては、カッチャーナという名の、梵の眷属として〔世に〕有るでしょう。
42. 彼は、のちに出家して、煩悩なき者たる阿羅漢と成るでしょう。ゴータマ〔世尊〕は、世の灯火たる者は、〔彼を、このことにおける〕至高の地位に据え置くでしょう。
43. 〔すなわち〕簡略に尋ねられた問いを、〔彼は〕詳細に言説するでしょう。そして、その問いを言説しながら、〔問い手の〕志欲を満たすでしょう」〔と〕。
44. 富者の家に生まれた〔わたし〕は、呪文の奥義に至る婆羅門として〔世に有るも〕、諸々の財産と穀物を捨棄して、〔家から〕家なきへと出家した。
45. たとえ、簡略に尋ねているとして、わたしは、詳細に言説する。彼らの志欲を満たし、最上の二足者たる方を満足させる。
46. わたしによって満足させられた偉大なる勇者は、〔他に依らず〕自ら成る方は、至高の人たる方は、比丘の僧団のうちに坐って、わたしを、このことにおける至高〔の地位〕に据え置いた。
47. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。
かくのごとく、まさに、尊者マハー・カッチャーナ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──
マハー・カッチャーナ長老の行状が、第三となる。
4. 4. カールダーイン長老の行状
48. パドゥムッタラ覚者のために、世の最尊者にして如なる方のために、そのとき、旅を行き、遊行〔の道〕を歩んでいる方のために──
49. わたしは、美しく咲き誇る赤蓮を収め取って、さらに、青蓮とマッリカー〔の花〕を〔収め取って〕、最高の食べ物を収め取って、わたしは、教師に施した。
50. 偉大なる勇者は遍く受益した──最高の食べ物を、美味なる食料を。そして、その花を収め取って、人々に等しく見示した。
51. 〔パドゥムッタラ世尊は言った〕「世における、好ましく愛らしく愛しきものにして、水に生じる最上の花です。極めて為し難きことが、彼によって為されました。彼は、この花を、わたしに施しました。
52. 彼は、花を献上しました。かつまた、最高の食べ物を、わたしに施しました。わたしは、彼を賛じ称えましょう。〔それを〕語る、わたしの〔言葉を〕聞きなさい。
53. そして、十八回、彼は、天の王権を為すでしょう。青蓮が、そして、また、赤蓮が、さらに、マッリカー〔の花〕が、その上にあるでしょう。
54. 彼の功徳の報いによって、天の香りが等しく満ち溢れた〔花〕を、虚空において、覆いと為して、まさしく、ただちに、保持するでしょう。
55. そして、二十五回、転輪〔王〕と成るでしょう。地においては、五百の王権を〔為し〕、大地に居住するでしょう。
56. 十万カッパ〔の未来〕において、オッカーカの家系を発生とし、姓としては、ゴータマという名の教師が、世に有るでしょう。
57. 彼は、自らの行為〔の果〕に満悦した者となり、白根に促され、釈迦〔族〕の者たちに喜びを生む、親族たる眷属として〔世に〕有るでしょう。
58. 彼は、のちに出家して、白根に促され、一切の煩悩を遍知して、煩悩なき者となり、涅槃に到達するでしょう。
59. 融通無礙〔の智慧〕(無礙解)を獲得し、為すべきことを為した煩悩なき者を、彼を、ゴータマ〔世尊〕は、世の眷属たる者は、このことにおける至高〔の地位〕に据え置くでしょう。
60. 彼は、〔刻苦〕精励をもって自己を精励し、寂静なる者となり、依り所なき者となり、名としては、ウダーインという名の、教師の弟子として〔世に〕有るでしょう」〔と〕。
61. 貪欲(貪)は、そして、憤怒(瞋)は、かつまた、迷妄(痴)は、さらに、〔我想の〕思量(慢)も、〔虚栄の〕偽装(覆)も、〔全てが〕砕破され、一切の煩悩を遍知して、煩悩なき者となり、〔世に〕住む。
62. わたしは、熱情ある者として、賢明なる者として、そして、また、正覚者を満足させた。そして、歓喜した(※)正覚者は、わたしを、このことにおける至高〔の地位〕に据え置いた。
※ テキストには Pasādito とあるが、PTS版により Pamodito と読む。
63. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。
かくのごとく、まさに、尊者カールダーイン長老は、これらの詩偈を語った。ということで──
カールダーイン長老の行状が、第四となる。
4. 5. モーガラージャン長老の行状
64. さてまた、アッタダッシン世尊は、〔他に依らず〕自ら成る方は、〔一切に〕敗れることなき方は、比丘の僧団に取り囲まれ、道を行った。
65. 〔わたしは〕徒弟たちに等しく取り囲まれ、家から出た。〔家から〕出て、わたしは、そこにおいて、世の導き手たる方を見た。
66. 正覚者を敬拝して、頭に合掌を為して、自らの心を浄信させて、世の導き手たる方を奉賛した。
67. 〔わたしは言った〕「およそ、形態ある有情たちとしてあるかぎり、あるいは、形態なきものたちも、表象なきものたちも、彼らの全てが、あなたの知恵において、内に等しく沈潜した者たちとして〔世に〕有ります。
68. すなわち、細い目の網で水を遍く囲むなら、彼らが誰であれ、水のなかにいる命ある者たちは、彼ら〔の全て〕が、網の内に有ります。
69. さらに、それらの者たちに、思欲が存在するなら(心を有する者たちであるなら)、そして、形態あるものたちも、形態なきものたちも、彼らの全てが、あなたの知恵において、内に等しく沈潜した者たちとして〔世に〕有ります。
70. 〔あなたは〕暗黒にして混乱きわまるこの世〔の人々〕を等しく引き上げます。あなたの法(教え)を聞いて、彼らは、疑いの流れを超え渡ります。
71. 無明に覆われた世において、暗黒に覆われた〔世〕において、あなたの知恵が輝いているとき、〔無明の〕暗黒は砕破されたものとなります。
72. あなたは、全ての者たちの眼たる方として、大いなる闇を除去する方として、〔世に〕存しています。あなたの法(教え)を聞いて、多くの人々は涅槃に到達します」〔と〕。
73. 希少にして純粋なる蜜を、器に満たして、両の手で差し出して、〔わたしは〕偉大なる聖賢に進呈した。
74. 偉大なる勇者は、偉大なる聖賢は、自らの手で納受した。そして、それを受益して、一切を知る方は、宙空に、天空に、昇り行った。
75. アッタダッシン〔世尊〕は、人の雄牛たる方は、教師は、空中に止住し、わたしの心を浄信させながら、これらの詩偈を語った。
76. 〔アッタダッシン世尊は言った〕「彼によって、この知恵が奉賛され、そして、最勝の覚者が賛嘆されました。その心の浄信によって、彼は、悪しき境遇に赴きません。
77. そして、十四回、彼は、天の王権を為すでしょう。地においては、八百の王権を〔為し〕、大地に居住するでしょう。
78. そして、まさしく、五百回、転輪〔王〕と成るでしょう。大地においては、数えようもない地域の王権を為すでしょう。
79. 〔聖典の〕読誦者にして呪文の保持者として、三つのヴェーダの奥義に至る者として、〔世に有るでしょう〕。ゴータマ世尊の教えにおいて出家するでしょう。
80. 深遠にして精緻なる義(道理)を、知恵によって弁別するでしょう。名としては、モーガラージャンという〔名の〕、教師の弟子として〔世に〕有るでしょう。
81. 三つの明知を成就し、為すべきことを為した煩悩なき者を、ゴータマ〔世尊〕は、至高の先導者たる者は、このことにおける至高〔の地位〕に据え置くでしょう」〔と〕。
82. 〔わたしは〕人間の胎を捨棄して、生存の結縛を切断して、一切の煩悩を遍知して、煩悩なき者となり、〔世に〕住む。
83. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。
かくのごとく、まさに、尊者モーガラージャン長老は、これらの詩偈を語った。ということで──
モーガラージャン長老の行状が、第五となる。
4. 6. アディムッタ長老の行状
84. アッタダッシン〔世尊〕が、最上の人たる方が、世の主たる方が、涅槃に到達したとき、〔わたしは〕比丘の僧団に奉仕した──浄信した心で。
85. 〔心が〕真っすぐと成り、〔心が〕定められた、比丘の僧団を招いて、天幕を作って、甘蔗によって、最上の僧団を受益させた。
86. 天〔の神〕たる〔境遇〕に、さらに、人間に、その〔胎〕その胎に再生するなら、一切の有情たちを圧倒する。これは、功徳の行為の果である。
87. すなわち、〔わたしが〕布施を施した、そのとき、千八百カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、甘蔗の布施の果である。
88. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。
かくのごとく、まさに、尊者アディムッタ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──
アディムッタ長老の行状が、第六となる。
4. 7. ラスナダーヤカ長老の行状
89. ヒマヴァントの遠からざるところに、そのとき、わたしは、苦行者として〔世に〕存した。〔わたしは〕蒜(ひる)に依拠して生きる。蒜は、わたしの食料である。
90. わたしは、天秤〔の両の桶〕を〔蒜で〕満たして、僧団の林園に赴いた。欣喜した者となり、欣喜した心で、蒜を、僧団に施した。
91. わたしは、ヴィパッシン〔世尊〕の、至高の人たる方の、教えを喜ぶ僧団に、蒜を施して、わたしは、カッパのあいだ、天上において歓喜した。
92. すなわち、〔わたしが〕蒜を施した、そのとき、これより、九十一カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、蒜の果である。
93. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。
かくのごとく、まさに、尊者ラスナダーヤカ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──
ラスナダーヤカ長老の行状が、第七となる。
4. 8. アーヤーガダーヤカ長老の行状
94. シキン〔世尊〕が、説者たちのなかの優れた方が、世の主たる方が、涅槃に到達したとき、欣喜した者となり、欣喜した心で、最上の塔を敬拝した。
95. そのとき、わたしは、大工たちに見積もらせて、〔彼らに〕元手を与えて、欣喜した者となり、欣喜した心で、わたしは、〔彼らに〕供物を作らせた。
96. 八カッパのあいだ、諸々の天において、途切れなく、わたしは住した。諸々の残りのカッパにおいては、〔天と人の世を〕混在のものとして、わたしは輪廻した。
97. 毒は、身体において効果なく、そして、諸々の刃は、わたしを打破せず、水において、わたしは溺死しない。これは、供物の果である。
98. すなわち、わたしが、雨を求めると、大いなる雨雲は雨を降らせる。天〔の神々〕たちもまた、わたしの支配に至り行く。これは、功徳の行為の果である。
99. 三十回、わたしは、七つの宝を成就した者として〔世に〕有った。誰であれ、わたしを見下さない。これは、功徳の行為の果である。
100. すなわち、〔わたしが〕供物を作らせた、これより、三十一カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、供物の果である。
101. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。
かくのごとく、まさに、尊者アーヤーガダーヤカ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──
アーヤーガダーヤカ長老の行状が、第八となる。
4. 9. ダンマチャッキカ長老の行状
102. シッダッタ世尊の、獅子の坐に面前し、法(真理)の輪が、わたしによって据え置かれた──見事に作られ、識者に褒め称えられた〔法の輪〕が。
103. 車馬と軍隊の旅団を有し、まさしく、典雅なる色艶ある者として、〔わたしは〕美しく輝く。従い行く多くの人たちは、常に、わたしを取り囲む。
104. 六万の楽器によって、常に、わたしは楽しむ。従者によって、〔わたしは〕美しく輝く。これは、功徳の行為の果である。
105. すなわち、わたしが、輪を据え置いた、これより、九十四カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、法(真理)の輪の果である。
106. これより、十一カッパ〔の過去〕において、八者の人の君主たちとして〔世に〕存した──名としては、サハッサラージャン〔という名〕の、大いなる勢力ある転輪〔王〕たちとして。
107. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。
かくのごとく、まさに、尊者ダンマチャッキカ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──
ダンマチャッキカ長老の行状が、第九となる。
4. 10. カッパルッキヤ長老の行状
108. シッダッタ世尊の、最勝の塔に面前し、わたしは、様々な彩りの布地を張り付けて、カッパ樹(魔法の木)を据え置いた。
109. 天〔の神〕たる〔境遇〕に、さらに、人間に、その〔胎〕その胎に再生するなら、わたしの門を美しく荘厳しながら、カッパ樹が立つ。
110. そして、わたしは、まさしく、さらに、衆の者たちも、彼らが誰であれ、わたしに依託する者たちは、その〔カッパ樹〕から、布地を収め取って、常に、わたしたちは着衣する。
111. すなわち、わたしが、〔カッパ〕樹を据え置いた、これより、九十四カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、カッパ樹の果である。
112. そして、これより、第七のカッパ〔の過去〕において、八者のスチェーラ〔という名〕の士族たちとして〔世に存した〕──七つの宝を成就した、四つの洲におけるイッサラたちとして。
113. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。
かくのごとく、まさに、尊者カッパルッキヤ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──
カッパルッキヤ長老の行状が、第十となる。
クンダダーナの章が、第四となる。
その〔章〕のための摂頌となる。
〔そこで、詩偈に言う〕「クンダとサーガタとカッチャーナ、ウダーイン、モーガラージャカ、アディムッタ、ラスナダ、アーヤーギン、ダンマチャッキカ、そして、第十のものとしてカッパルッキンがあり、百十二の詩偈がある」〔と〕。
5. ウパーリの章
5. 1. バーギネイヤ・ウパーリ長老の行状
1. 千の煩悩の滅尽者たちに取り囲まれ、世の導き手たる方は、彼は、遠離に専念する者となり、静坐するべく赴く。
2. わたしは、皮衣を着衣する者として、三つの棒を遍く保持する者として、〔世に有った〕。〔わたしは〕見た──比丘の僧団に取り囲まれた、世の導き手たる方を。
3. 一つの肩に皮衣を掛けて、頭に合掌を為して、正覚者を敬拝して、世の導き手たる方を奉賛した。
4. 〔わたしは言った〕「すなわち、卵生のものたちも、湿生のものたちも、化生のものたちも、胎生のものたちも、烏等の翼あるものたちの全てが、常に空中を歩む者たちであるように──
5. 彼らが誰であれ、命ある生類たちとして存するなら、あるいは、表象あるものたちも、表象なきものたちも、彼らの全てが、あなたの知恵において、内に等しく沈潜した者たちとして〔世に〕有ります。
6. そして、最上の山であるヒマヴァントにおける、それらの山の香りも、それらの全てが、あなたの戒〔の香り〕にたいし、小片ほども結び付きません。
7. 迷妄の暗黒に跳入したのが、天を含む、この世〔の人々〕であるとして、あなたの知恵が輝いているとき、〔無明の〕暗黒は砕破されたものとなります。
8. すなわち、太陽が滅却に至ったとき、有情たちが闇に至った者たちと成るように、このように、覚者が生起していないとき、世〔の人々〕は、闇に至った者たちと成ります。
9. すなわち、太陽が昇るとき、常に闇を除去するように、最勝の覚者よ、まさしく、そのように、あなたは、常に闇を砕破します。
10. 〔刻苦〕精励をもって自己を精励した者として、天を含む世における覚者として、〔あなたは〕存しています。あなたの行為〔の果〕が満悦したことで、〔あなたは〕多くの人民を満足させます」〔と〕。
11. その全てを随喜して、パドゥムッタラ〔世尊〕は、偉大なる牟尼は、慧者は、天空へと舞い上がった──鵞鳥の王が、宙に〔赴く〕ように。
12. 舞い上がって〔そののち〕、正覚者は、偉大なる聖賢は、パドゥムッタラ〔世尊〕は、教師は、空中に止住し、これらの詩偈を語った。
13. 〔パドゥムッタラ世尊は言った〕「彼によって、この知恵が奉賛され、諸々の喩えと結び付けられました。わたしは、彼を賛じ称えましょう。〔それを〕語る、わたしの〔言葉を〕聞きなさい。
14. そして、十八回、彼は、天の王権を為すでしょう。地においては、三百の王権を〔為し〕、大地に居住するでしょう。
15. そして、二十五回、転輪〔王〕と成るでしょう。数〔の観点〕からは数えようもない、広大なる地域の王権を〔為すでしょう〕。
16. 十万カッパ〔の未来〕において、オッカーカの家系を発生とし、姓としては、ゴータマという名の教師が、世に有るでしょう。
17. まさに、兜率〔天〕から死滅して、白根に促され、出生としては、まさしく、劣った者(理髪師)として存しつつ、ウパーリという名の者として〔世に〕有るでしょう。
18. 彼は、のちに出家して、悪しきものを離貪させて、一切の煩悩を遍知して、煩悩なき者となり、涅槃に到達するでしょう。
19. そして、満足した、ゴータマ覚者は、釈迦族の者は、偉大なる福徳ある者は、彼の律における到達者として、〔彼を〕このことにおける至高〔の地位〕に据え置くでしょう」〔と〕。
20. わたしは、信によって出家し、為すべきことを為した煩悩なき者となり、一切の煩悩を遍知して、煩悩なき者となり、〔世に〕住む。
21. そして、世尊は、わたしを慈しんだ。わたしは、律における熟達者となり、さらに、自らの行為〔の果〕に満悦した者となり、煩悩なき者となり、〔世に〕住む。
22. 戒条(波羅提木叉:戒律条項)において統御された者として、かつまた、五つの〔感官の〕機能において〔統御された者として〕、一切の律を、全一なる宝の鉱脈を、〔わたしは〕保持する。
23. そして、わたしの徳を了知して、教師は、世における無上なる方は、比丘の僧団のうちに坐って、わたしを、このことにおける至高〔の地位〕に据え置いた。
24. 四つの融通無礙は〔実証され〕、そして、また、これらの八つの解脱も〔実証された〕。六つの神知は実証され、覚者の教えは為された。
かくのごとく、まさに、尊者バーギネイヤ・ウパーリ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──
バーギネイヤ・ウパーリ長老の行状が、第一となる。
5. 2. ソーナ・コーリヴィサ長老の行状
25. アノーマダッシン牟尼のために、世の最尊者にして如なる方のために、わたしは、石膏で塗装を為して、〔瞑想のための〕歩行場を作らせた。
26. わたしは、種々なる色の花々で、歩行場を敷き詰めた。虚空において、天蓋を作り為して、最上の覚者を受益させた。
27. 合掌を差し出して、善き掟ある方を敬拝して、そのとき、わたしは、長き堂舎を、世尊に引き渡した。
28. わたしの思惟を了知して、教師は、世における無上なる方は、世尊は、〔それを〕納受した──慈しみ〔の思い〕によって、眼ある方は。
29. 納受して〔そののち〕、正覚者は、天を含む〔世〕における施与されるべき方は、比丘の僧団のうちに坐って、これらの詩偈を語った。
30. 〔アノーマダッシン世尊は言った〕「すなわち、彼は、欣喜した心で、長き堂舎を、わたしに施しました。わたしは、彼を賛じ称えましょう。〔それを〕語る、わたしの〔言葉を〕聞きなさい。
31. 功徳の行為〔の果〕を保有する者である、この者のために、死魔の時において、千〔の馬〕を設えた車が、まさしく、ただちに、現起するでしょう。
32. その乗物によって、この人は、天の世に赴くでしょう。〔彼が〕善なる生存に達し得たとき、天〔の神々〕たちは随喜するでしょう。
33. 高価にして最勝の宮殿に、宝玉の塗料を塗装する、優れた楼閣を具した宮殿に、居住するでしょう。
34. 三万カッパのあいだ、天の世において喜び楽しむでしょう。二十五カッパのあいだ、天の王と成るでしょう。
35. そして、七十七回、転輪〔王〕と成るでしょう──ヤソーダラという名を有する、それらの、全てもろともに一なる名の者たちとして。
36. 〔天と人の〕二つの得達を受領して、功徳の蓄積を増大させて、二十八カッパ〔の未来〕において、転輪〔王〕と成るでしょう。
37. そこでもまた、最も優れた宮殿に、ヴィッサカンマ(工芸神)によって造作され、十〔種〕の音声から遠離しない、その都に居住するでしょう。
38. これより、量るべくもないカッパ〔の未来〕において、オッカーカの家系を発生とし、姓としては、ゴータマという名の教師が、世に有るでしょう。
39. 全てで一万六千の婦女たちのなかの、そして、最も優れた者である、彼女は、善き生まれの士族の女は、〔オッカーカ王の〕九者の子たちを生むでしょう。
40. 九者の子たちを生んで、士族の女は死ぬでしょう。そして、幼く愛しき少女が、王妃の権を為すでしょう。
41. オッカーカを満足させて、少女は、願い事を得るでしょう。願い事を得て、その少女は、〔他の〕子たちを追放するでしょう。
42. そして、追放された者たちは、彼らの全てが、最上の山に赴くでしょう。出生(血統)の破断への恐怖から、全ての者たちが、姉妹たちと住するでしょう。
43. そして、一者の少女が、諸々の病に罹患した者と成るでしょう。『わたしたちの出生が破断してはいけない』〔と〕、士族たちは、〔彼女を〕埋めるでしょう。
44. 〔一者の〕士族が、〔彼女を〕運び出して、彼女と共に住するでしょう。そのとき、オッカーカの家系の発生は、破断あるものと成るでしょう。
45. それら者たちの子孫は、出生としては、コーリヤという名の者たちと成るでしょう。そこにおいて、少なからざる人間のものとしての財物を、〔彼は〕受領するでしょう。
46. その身体から死滅して、天の世に赴くでしょう。そこでもまた、意が喜びとする最も優れた宮殿を得るでしょう。
47. 天の世から死滅して、白根に促され、人間たる〔境遇〕に至り着いて、ソーナという名の者と成るでしょう。
48. 精進に励み、自己を精励し、教師の教えにおいて精励しながら、一切の煩悩を遍知して、煩悩なき者となり、涅槃に到達するでしょう。
49. 終極なきを見る者は、ゴータマ世尊は、釈迦〔族〕の雄牛たる者は、殊勝〔の境地〕を知る者は、偉大なる牟尼は、〔彼を、このことにおける〕至高の地位に据え置くでしょう」〔と〕。
50. 天が雨降り、草が四指〔の高さ〕になり、風に揺らぐ庭において、〔そこに〕立って、〔心の〕制止(瑜伽)に専念する如なる者には、それより上に完全態(波羅蜜・到彼岸)は見出されない。
51. 最上の調御において調御された者となり、わたしの心は善く志向された。わたしの、全ての荷は置かれ、煩悩なき者となり、涅槃に到達した者として、〔わたしは〕存している。
52. アンギーラサ(放光者・ブッダの尊称の一つ)は、偉大なる龍たる方は、まさしく、善き生まれの獅子たる方は、比丘の僧団のうちに坐って、わたしを、このことにおける至高〔の地位〕に据え置いた。
53. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。
かくのごとく、まさに、尊者ソーナ・コーリヴィサ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──
ソーナ・コーリヴィサ長老の行状が、第二となる。
5. 3. カーリ・ゴーダーの子のバッディヤ長老の行状
54. パドゥムッタラ正覚者のもとへと、慈愛の心ある偉大なる牟尼のもとへと、一切の世の至高の導き手たる方のもとへと、全ての人民は近しく至る。
55. そして、粉菓子を、さらに、棗菓子を、美食を、飲み物と食料を、全ての者たちが、教師に施す──無上なる功徳の田畑にたいし。
56. わたしもまた、天の天たる方に、如なる方に、布施を施す──最勝の覚者を招いて、さらに、無上なる僧団をもまた〔招いて〕。
57. そして、わたしによって送り出されたこれらの者たちは、如来を招いた──さらに、比丘の僧団の全部を、無上なる功徳の田畑を。
58. 毛布が広げられた、十万の黄金の長椅子を、綿入れの裏打ちが〔為され〕、さらに、諸々の亜麻と木綿〔の布〕が〔広げられた〕、高価なる坐具を、〔わたしは〕設置した──覚者に相応しいものとして。
59. パドゥムッタラ〔世尊〕は、世〔の一切〕を知る方は、天の天たる方は、人の雄牛たる方は、比丘の僧団に取り囲まれ、わたしの門へと近しく赴いた。
60. 世の導き手たる方を、福徳ある方を、正覚者を、出迎えて、浄信した心の者となり、悦意の者となり、自らの家に迎え入れた。
61. 十万の比丘たちを、そして、覚者を、世の導き手たる方を、浄信した心の者となり、悦意の者となり、最高の食べ物によって満足させた。
62. パドゥムッタラ〔世尊〕は、世〔の一切〕を知る方は、諸々の捧げものの納受者たる方は、比丘の僧団のうちに坐って、これらの詩偈を語った。
63. 〔パドゥムッタラ世尊は言った〕「彼によって、この坐具が施されました──毛布が広げられた、黄金のものが。わたしは、彼を賛じ称えましょう。〔それを〕語る、わたしの〔言葉を〕聞きなさい。
64. 七十四回、彼は、天の王権を為すでしょう。仙女たちに囲まれ、得達を受領するでしょう。
65. 千の地域の王権を〔為し〕、大地に居住するでしょう。そして、五十一回、転輪〔王〕と成るでしょう。
66. 全ての生存の胎において、高貴の家の者と成るでしょう。そして、彼は、のちに出家して、白根に促され、名としては、バッディヤという名の、教師の弟子として〔世に〕有るでしょう」〔と〕。
67. 遠離に専念する者として、辺境の臥所に居住する者として、わたしは〔世に〕存している。そして、全ての果は到達するところとなり、〔心の〕汚れ(煩悩)を捨て去った者として、わたしは、今日、〔世に〕存している。
68. わたしの全てを了知して、一切を知る方は、世の導き手たる方は、比丘の僧団のうちに坐って、わたしを、このことにおける至高〔の地位〕に据え置いた。
69. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。
かくのごとく、まさに、尊者カーリ・ゴーダーの子のバッディヤ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──
カーリ・ゴーダーの子のバッディヤ長老の行状が、第三となる。
5. 4. サンニッターパカ長老の行状
70. 林のなかに小屋を作って、〔わたしは〕山間に住する──利得あるも利得なくも満足している者として、そして、盛名あるも盛名なくも〔満足している者として〕。
71. パドゥムッタラ〔世尊〕は、世〔の一切〕を知る方は、諸々の捧げものの納受者たる方は、十万の自在者たちとともに、わたしの現前にやってきた。
72. 〔わたしのもとへと〕近しく赴いた偉大なる龍たる方に、水に生じる最上のものを名とする方に、草の敷物を設置して、わたしは、教師に施した。
73. 浄信した心の者となり、悦意の者となり、わたしは、アーマンダ〔樹の果実〕を、さらに、飲み物を、〔心が〕真っすぐと成った方に施した──浄信した心で。
74. すなわち、〔わたしが〕布施を施した、そのとき、これより、十万カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、アーマンダ〔樹の果実〕の果である。
75. 四十一カッパ〔の過去〕において、一者のアリンダマ〔という名の者〕として〔世に〕存した──七つの宝を成就した、大いなる勢力ある転輪〔王〕として。
76. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。
かくのごとく、まさに、尊者サンニッターパカ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──
サンニッターパカ長老の行状が、第四となる。
5. 5. パンチャハッティヤ長老の行状
77. スメーダという名の正覚者が、市場を赴く──〔生類を殺さぬように注意深く〕眼を落とし、節度をもって話し、〔感官の〕機能が統御された、気づきある者となり。
78. 五つの手にする青蓮が、頭飾を義(目的)として、わたしにもたらされた。それによって、〔わたしは〕覚者を供養した──浄信した者となり、自らの〔両の〕手で。
79. 「そして、献上された、それらの花は、教師のための覆いとして存するのだ」〔と〕。〔それらの花は〕偉大なる龍たる方のもとに定まった──あたかも、徒弟たちが、師匠に〔付き従う〕ように。
80. すなわち、〔わたしが〕花を献上した、三万カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、覚者の供養の果である。
81. これより、二千カッパ〔の過去〕において、五者の士族たちとして〔世に〕有った──名としては、ハッティヤという名の、大いなる勢力ある転輪〔王〕たちとして。
82. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。
かくのごとく、まさに、尊者パンチャハッティヤ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──
パンチャハッティヤ長老の行状が、第五となる。
5. 6. パドゥマッチャダニヤ長老の行状
83. ヴィパッシン〔世尊〕が、至高の人たる方が、世の主たる方が、涅槃に到達したとき、わたしは、美しく咲き誇る蓮華を収め取って、荼毘の薪山に献上した。
84. そして、〔覚者が〕荼毘の薪山に載せられたとき、〔わたしは〕宙空に、天空に、昇り行った。虚空において、覆いを作り為して、荼毘の薪山のうえに保持した。
85. すなわち、〔わたしが〕花を献上した、これより、九十一カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、覚者の供養の果である。
86. これより、四十七カッパ〔の過去〕において、パドゥミッサラという名の者として〔世に存した〕──四辺を征圧する、大いなる勢力ある転輪〔王〕として。
87. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。
かくのごとく、まさに、尊者パドゥマッチャダニヤ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──
パドゥマッチャダニヤ長老の行状が、第六となる。
5. 7. サヤナダーヤカ長老の行状
88. シッダッタ世尊のために、慈愛の心ある如なる方のために、諸々の布地と物品が敷かれた至高の臥具が、わたしによって施された。
89. 世尊は、臥坐具を、適確なるものとして納受した。その臥具から出起して、勝者は、宙空に昇り行った。
90. すなわち、わたしが、臥具を施した、これより、九十四カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、臥具の果である。
91. これより、五十一カッパ〔の過去〕において、ヴァラカという天の呼び名を有する者として〔世に存した〕──七つの宝を成就した、大いなる勢力ある転輪〔王〕として。
92. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。
かくのごとく、まさに、尊者サヤナダーヤカ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──
サヤナダーヤカ長老の行状が、第七となる。
5. 8. チャンカマナダーヤカ長老の行状
93. アッタダッシン牟尼のために、世の最尊者にして如なる方のために、わたしは、諸々の煉瓦を積み上げて、〔瞑想のための〕歩行場を作らせた。
94. 歩行場は、善きものに造作され、高さとして五ラタナ(長さの単位・一ラタナは約五十センチ)の、幅として百ハッタ(長さの単位・一ハッタは約五十センチ)の、修行するにふさわしく、意が喜びとするものである。
95. 世尊は、〔それを〕納受した。アッタダッシン〔世尊〕は、最上の人たる方は、手で砂粒を収め取って、これらの詩偈を語った。
96. 〔アッタダッシン世尊は言った〕「この砂粒の布施によって、さらに、美しく作られた歩行場によって、七つの宝玉に満たされた砂粒を、〔彼は〕受領するでしょう。
97. 三カッパのあいだ、諸天において、天の王権を為すでしょう。仙女たちに囲まれ、得達を受領するでしょう。
98. 人間の世に至り着いて、国土において、王と成るでしょう。そして、三回、彼は、大地において、転輪〔王〕と成るでしょう」〔と〕。
99. すなわち、〔わたしが〕行為を為した、そのとき、千八百カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、歩行場の果である。
100. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。
かくのごとく、まさに、尊者チャンカマナダーヤカ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──
チャンカマナダーヤカ長老の行状が、第八となる。
5. 9. スバッダ長老の行状
101. パドゥムッタラ〔世尊〕は、世〔の一切〕を知る方は、諸々の捧げものの納受者たる方は、偉大なる福徳ある方は、人民を引き上げて、涅槃に到達した。
102. そして、正覚者が涅槃に到達しつつあるとき、一万〔の世の界域〕が揺れ動いた。そのとき、大勢の人の衆が存し、天〔の神々〕たちが集まった。
103. そして、〔わたしは〕諸々のタガラ(伽羅)やマッリカー(ジャスミン)とともに、栴檀を満たして、欣喜した者となり、欣喜した心で、最上の人たる方に献上した。
104. わたしの思惟を了知して、教師は、世における無上なる方は、まさしく、横になっている正覚者は、これらの詩偈を語った。
105. 〔パドゥムッタラ世尊は言った〕「彼は、わたしの最後の時において、香料の花飾で覆い隠しました。わたしは、彼を賛じ称えましょう。〔それを〕語る、わたしの〔言葉を〕聞きなさい。
106. ここから死滅し、この人は、兜率〔天〕の衆に赴くでしょう。そこにおいて、王権を為して、彼は、化作〔天〕に赴くでしょう。
107. まさしく、この手段によって、最上の優れた花飾を施して、彼は、自らの行為〔の果〕に満悦した者となり、得達を受領するでしょう。
108. この人は、ふたたび、また、兜率〔天〕の衆のうちに発現するでしょう。その衆から死滅して、人間たる〔境遇〕に赴くでしょう。
109. 釈迦族の者は、偉大なる龍たる者は、天を含む世の至高者たる者は、多くの有情たちを覚らせて、眼ある者は、涅槃に到達するでしょう。
110. そのとき、〔覚者のもとへと〕近しく赴いた彼は、〔そのように〕存しつつ、白根に促され、正覚者のもとへと近づいて行って、そのとき、問いを尋ねるでしょう。
111. 笑みを浮かべて、正覚者は、一切を知る者は、世の導き手たる者は、功徳の行為〔の果〕を遍知して、諸々の真理を開顕するでしょう。
112. そして、この問いは勉励され、〔彼は〕満足し、一境の意図ある者となり、教師を敬拝して、出家を乞い求めるでしょう。
113. 浄信した意図ある者を見て、自らの行為〔の果〕に満足した者を〔見て〕、彼は、覚者は、至高の道における熟知者たる者は、〔彼を〕出家させるでしょう。
114. この人は、正等覚者の教えにおいて努力して、一切の煩悩を遍知して、煩悩なき者となり、涅槃に到達するでしょう」〔と〕。
〔以上が〕第五の朗読分となる。
115. 過去の行為〔の果〕と結び付き、〔心が〕一境に善く定められた〔わたし〕は、覚者の嫡子として、法(教え)から生まれる者として、美しく化作された者として、〔世に〕存している。
116. 法(教え)の王たる方のもとへと近しく赴いて、〔わたしは〕最上の問いを尋ねた。そして、わたしに、問いを言説しながら、〔覚者は〕法(教え)の流れへと近しく導いた。
117. わたしは、彼の法(教え)を了知して、教えを喜ぶ者となり、〔世に〕住んだ。一切の煩悩を遍知して、煩悩なき者となり、〔世に〕住む。
118. これより、十万カッパ〔の過去〕において、水に生じる最上の導き手たる方(パドゥムッタラ世尊)は、執取なき方は、油が尽きたあとの灯明のように涅槃に到達した。
119. そして、宝玉で作られている塔は、七ヨージャナのものとして存した。そこにおいて、〔わたしは〕旗を供養した──全てが幸いにして、意が喜びとする〔旗〕を。
120. そして、カッサパ覚者の、ティッサという名の至高の弟子は、わたしの嫡子として、勝者の教えにおける相続者として、〔世に〕存した。
121. 彼に、下劣なる意によって、〔わたしは〕幸いならざる言葉を語った。その行為の報いによって、わたしには、幸いなるものが最後に存した。
122. ウパヴァッタナのサーラ〔樹〕の林において、最後の臥所にある牟尼は、偉大なる勇者は、益ある者にして慈悲の者たる勝者は、〔わたしを〕出家させた。
123. まさしく、今日、今や、出家がある。まさしく、今日、戒の成就がある。まさしく、今日、完全なる涅槃がある。最上の二足者たる方に面前し。
124. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。
かくのごとく、まさに、尊者スバッダ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──
スバッダ長老の行状が、第九となる。
5. 10. チュンダ長老の行状
125. シッダッタ世尊のために、世の最尊者にして如なる方のために、供物を作らせて、野の花々で覆い隠した。
126. 〔作業を〕終了させて、その花〔の供物〕を、覚者に進呈した。花の残りを差し出して、覚者に献上した。
127. 価値ある黄金の似姿ある方に、覚者に、世の至高の導き手たる方に、浄信した心の者となり、悦意の者となり、花の供物を進呈した。
128. 疑いを超え渡った正覚者は、激流を超え渡った者たちに囲まれ、比丘の僧団のうちに坐って、これらの詩偈を語った。
129. 〔シッダッタ世尊は言った〕「彼は、天の香りが香り行く花の供物を、わたしに施しました。わたしは、彼を賛じ称えましょう。〔それを〕語る、わたしの〔言葉を〕聞きなさい。
130. ここから死滅し、この人は、天〔の神々〕たちの群れに囲まれ、野の花々に取り囲まれ、天の世に赴くでしょう。
131. 彼の居所は、高きものにして、かつまた、黄金にして、宝珠で作られています。宮殿は、功徳の行為から発生したものとして出現するでしょう。
132. 七十四回、彼は、天の王権を為すでしょう。仙女たちに囲まれ、得達を受領するでしょう。
133. 地においては、三百の王権を〔為し〕、大地に居住するでしょう。そして、七十五回、転輪〔王〕と成るでしょう。
134. 名としては、ドゥッジャヤという名の、人間の君主として〔世に〕有るでしょう。その功徳を受領して〔そののち〕、自らの行為〔の果〕に依託した者として──
135. 堕所に赴かずして、人間たる〔境遇〕に赴くでしょう。彼に蓄積された〔財〕は、金貨にして百コーティの少なからざるものとなります。
136. 彼は、婆羅門の胎に発現し、〔世に〕有るでしょう──ヴァンガンタの息子たる慧者として、サーリーの愛しき正嫡として。
137. そして、彼は、のちに出家して、アンギーラサ(放光者・ブッダの尊称の一つ)の教えにおいて、名としては、チューラ・チャンダという〔名の〕、教師の弟子として〔世に〕有るでしょう。
138. 彼は、まさしく、沙弥として存しつつも、煩悩の滅尽者として〔世に〕有るでしょう。一切の煩悩を遍知して、煩悩なき者となり、涅槃に到達するでしょう」〔と〕。
139. 偉大なる勇者に、さらに、他の多くの博愛なる者たちに、〔わたしは〕奉仕した。そして、わたしの兄(サーリプッタ長老)に奉仕した──最上の義(目的)に至り得るために。
140. わたしの兄に奉仕して、〔彼の〕遺物(遺骨)を鉢に収めて、正覚者に、世の最尊者にして人の雄牛たる方に、進呈した。
141. 両の手で収め取って、天を含む世における覚者は、その遺物を等しく見示しながら、至高の弟子を賛じ称えた。
142. そして、わたしの心は、善く解脱し、わたしの信は、確立し、一切の煩悩を遍知して、煩悩なき者となり、〔世に〕住む。
143. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。
かくのごとく、まさに、尊者チュンダ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──
チュンダ長老の行状が、第十となる。
ウパーリの章が、第五となる。
その〔章〕のための摂頌となる。
〔そこで、詩偈に言う〕「ウパーリ、ソーナ、バッディヤ、サンニッターパカとハッティヤ、覆い、臥具と歩行場、スバッダ、チュンダという呼び名を有する者があり、百と四十を有する詩偈があり、さらに、それに加えて、四つ〔の詩偈〕がある」〔と〕。
6. ビージャニの章
6. 1. ヴィドゥーパナダーヤカ長老の行状
1. パドゥムッタラ覚者のために、世の最尊者にして如なる方のために、二足者のインダたる如なる方のために、扇が、わたしによって施された。
2. 〔わたしは〕自らの心を浄信させて、合掌を差し出して、正覚者を敬拝して、北に向かい立ち去った。
3. 扇を納受して、教師は、世の至高の導き手たる方は、比丘の僧団のうちに立ち、〔そのように〕存しつつ、これらの詩偈を語った。
4. 〔パドゥムッタラ世尊は言った〕「この扇の布施によって、さらに、諸々の心の誓願によって、十万カッパのあいだ、〔彼は〕堕所に赴きません」〔と〕。
5. 精進に励み、自己を精励し、心の徳によって〔心が〕定められた者として、わたしは、生まれて七年で、阿羅漢の資質に至り得た。
6. 六万カッパ〔の過去〕において、ビージャマーナという名を有する、十六者の王たちとして〔世に〕存した──大いなる勢力ある転輪〔王〕たちとして。
7. 四つの融通無礙は〔実証され〕、そして、また、これらの八つの解脱も〔実証された〕。六つの神知は実証され、覚者の教えは為された。
かくのごとく、まさに、尊者ヴィドゥーパナダーヤカ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──
ヴィドゥーパナダーヤカ長老の行状が、第一となる。
6. 2. サタランシ長老の行状
8. 高き巌(いわお)に登って、最上の人士たる方は坐った。山の遠からざるところ、〔わたしは〕呪文の奥義に至る婆羅門として〔世に有った〕。
9. 近しく坐した偉大なる勇者に、天の天たる方に、人の雄牛たる方に、合掌を差し出して、世の導き手たる方を奉賛した。
10. 〔わたしは言った〕「この方は、覚者です。偉大なる勇者です。優れた法(教え)を明示する方です。比丘の僧団に囲まれ、火の塊のように燃え盛ります。
11. 大いなる海のように揺るぎなく、〔大いなる〕川のように超え難く、獣の王のように恐怖なく、眼ある方は、法(教え)を説示します」〔と〕。
12. わたしの思惟を了知して、〔世の〕導き手たるパドゥムッタラ〔世尊〕は、教師は、比丘の僧団のうちに立ち、これらの詩偈を語った。
13. 〔パドゥムッタラ世尊は言った〕「彼によって、この合掌が施され、そして、最勝の覚者が賛嘆されました。三万カッパのあいだ、〔彼は〕天の王権を為すでしょう。
14. 十万カッパ〔の未来〕において、アンギーラサ(放光者・ブッダの尊称の一つ)の名を有する〔覚者〕が、〔迷妄の〕覆いが開かれた正覚者が、まさしく、そのとき、〔世に〕生起するでしょう。
15. 彼の、諸々の法(教え)における、相続者として、正嫡として、法(教え)によって化作された者として──名としては、サタランシという〔名の〕、阿羅漢として、彼は〔世に〕有るでしょう」〔と〕。
16. わたしは、生まれて七年で、〔家から〕家なきへと出家した。名としては、サタランシ〔という名の者〕として〔世に〕存している。わたしの光は、〔太陽のように〕放たれる。
17. 天幕のなかで、あるいは、木の根元において、わたしは、瞑想を喜ぶ瞑想者として、最後の肉身を保つ──正等覚者の教えにおいて。
18. 六万カッパ〔の過去〕において、四者のラーマ〔という名の者たち〕として〔世に存した〕──七つの宝を成就した、大いなる勢力ある転輪〔王〕たちとして。
19. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。
かくのごとく、まさに、尊者サタランシ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──
サタランシ長老の行状が、第二となる。
6. 3. サヤナダーヤカ長老の行状
20. パドゥムッタラ覚者のために、一切の世〔の人々〕に慈しみ〔の思い〕ある方のために、彼のために、〔わたしは〕臥具を施した──浄信した心で。
21. その臥具の布施によって、善き田畑において、種の成就があり、〔まさに〕その〔わたし〕に、諸々の財物が発現する。これは、臥具の果である。
22. 〔わたしは〕虚空において臥所を営み、この地を保持する。わたしには、命ある者たちにおける権力がある。これは、臥具の果である。
23. 五千カッパ〔の過去〕において、八者の大いなる威光ある者たちとして〔世に〕存した。三千四百カッパ〔の過去〕において、そして、四者の大いなる勢力ある者たちとして〔世に存した〕。
24. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。
かくのごとく、まさに、尊者サヤナダーヤカ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──
サヤナダーヤカ長老の行状が、第三となる。
6. 4. ガンドーダキヤ長老の行状
25. パドゥムッタラ覚者のために、大いなる菩提〔樹〕祭が有った。様々な彩りある瓶を携えて、わたしは、香りある水を施した。
26. そして、菩提〔樹〕を洗う時に、大いなる雨雲が雨を降らせた。雷光が炸裂するなか、そして、大いなる雷鳴が存した。
27. まさしく、その雷光の衝撃によって、そこにおいて、わたしは、命を終えたのだった。〔わたしは〕天の世に立ち、〔そのように〕存しつつ、これらの詩偈を語った。
28. ああ、覚者なのだ、ああ、法(真理)なのだ、ああ、わたしたちの教師の成就なのだ。わたしの死体(身体)は、〔地に〕落ち、わたしは、天の世において喜び楽しむ。
29. わたしの居所は、高く、百の階に屹立している。十万の少女たちが、常に、わたしを取り囲む。
30. わたしに、病苦は見出されない。わたしに、憂いは見出されない。〔わたしは〕苦悶を見ない。これは、功徳の行為の果である。
31. 二千八百カッパ〔の過去〕において、サンバシタ〔という名〕の王として〔世に〕有った──七つの宝を成就した、大いなる勢力ある転輪〔王〕として。
32. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。
かくのごとく、まさに、尊者ガンドーダキヤ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──
ガンドーダキヤ長老の行状が、第四となる。
6. 5. オーパヴァイハ長老の行状
33. パドゥムッタラ覚者のために、わたしは、良馬を施した。正覚者にたいし、〔良馬を〕引き渡して、自らの家に赴いた。
34. 名としては、デーヴァラという名の、教師の至高の弟子は、優れた法(教え)の相続者は、わたしの現前にやってきた。
35. 〔彼は言った〕「世尊は、自らの鉢を荷とする方です。良馬は、適確ではありません。眼ある方は、あなたの思惟を了知して、〔あなたの申し出を〕承諾しました」〔と〕。
36. 風の速さの、シンダヴァの駿馬(シンドゥ産の良馬)と評価させて、わたしは、〔適確で〕受認あるものを、パドゥムッタラ覚者に施した。
37. 天〔の神〕たる〔境遇〕に、さらに、人間に、その〔胎〕その胎に再生するなら、風の速さの、受認あるものとして、わたしの心は発現する。
38. 彼らが、〔戒の〕成就を得るなら、彼らにとって、利得は、まさしく、得るに易きものとなる。それで、もし、覚者が、世に有るなら、ふたたび、また、〔わたしは〕奉侍するであろう。
39. 二十八回、わたしは、大いなる勢力ある王として〔世に〕存した──四辺を征圧する、ジャンブ林のイッサラとして。
40. これは、わたしにとって最後のものである。生存は、最後のものとして転起する。勝利と敗北を捨棄して、〔わたしは〕不動の境位に至り得た者として〔世に〕存している。
41. 三万四千〔カッパの過去〕において、大いなる威光ある士族として〔世に〕存した──七つの宝を成就した、大いなる勢力ある転輪〔王〕として。
42. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。
かくのごとく、まさに、尊者オーパヴァイハ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──
オーパヴァイハ長老の行状が、第五となる。
6. 6. サパリヴァーラーサナ長老の行状
43. パドゥムッタラ覚者のために、わたしは、〔行乞の〕施食を施した。赴いて〔そののち〕、汚れている地を、マッリカー〔の花々〕で遍く囲まれたものと〔為した〕。
44. その坐に坐した、覚者は、世の至高の導き手たる方は、〔心が〕真っすぐと成った方は、〔心が〕定められた方は、〔行乞の〕施食を賛じ称えた。
45. 〔パドゥムッタラ世尊は言った〕「たとえば、また、善き田畑において、たとえ、少しの種であれ、〔耕作者によって〕育てられ、正しく、流水を授けているなら、果となり、耕作者を満足させるように──
46. まさしく、そのように、この〔行乞の〕施食は、善き田畑において、あなたによって育てられたのであり、生存が発現しているときは、果となり、あなたを満足させるでしょう」〔と〕。
47. この言葉を説いて、正覚者は、水に生じる最上のものを名とする方は、〔行乞の〕施食を収め取って、北に向かい立ち去った。
48. 〔わたしは〕戒条において統御された者として、かつまた、五つの〔感官の〕機能において〔統御された者として〕、遠離に専念する者として、煩悩なき者となり、〔世に〕住む。
49. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。
かくのごとく、まさに、尊者サパリヴァーラーサナ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──
サパリヴァーラーサナ長老の行状が、第六となる。
6. 7. パンチャディーパカ長老の行状
50. パドゥムッタラ覚者の、一切の生類に慈しみ〔の思い〕ある方の、正なる法(教え)に信を置いて、わたしは、真っすぐな見解の者として〔世に〕有った。
51. 灯明の布施を、〔わたしは〕施した。菩提〔樹〕を取り囲んで、信を置きながら、まさしく、ただちに、わたしは、諸々の灯明を作った。
52. 天〔の神〕たる〔境遇〕に、さらに、人間に、その〔胎〕その胎に再生するなら、〔人々は〕虚空において松明を保持する。これは、灯明の布施の果である。
53. 壁越しに、岩越しに、山を超え去って、百ヨージャナの遍きにわたり、わたしは、見を受領する。
54. その行為の残り〔の果〕によって、〔わたしは〕煩悩の滅尽に至り得た者として〔世に〕存している。〔わたしは〕最後の肉身を保つ──二足者のインダたる方の教えにおいて。
55. 三千四百カッパ〔の過去〕において、サタチャックという名を有する、大いなる威光ある王たちとして〔世に〕有った──大いなる勢力ある転輪〔王〕たちとして。
56. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。
かくのごとく、まさに、尊者パンチャディーパカ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──
パンチャディーパカ長老の行状が、第七となる。
6. 8. ダジャダーヤカ長老の行状
57. パドゥムッタラ覚者の、最上の木である菩提〔樹〕にたいし、欣喜した者となり、欣喜した心で、わたしは、旗を献上した。
58. わたしは、諸々の落ち葉を収め取って、外に捨て放った。内に清浄にして外に清浄なる方を、卓越の解脱者にして煩悩なき方を──
59. 面前の正覚者を〔敬拝する〕ように、最上の菩提〔樹〕を敬拝した。パドゥムッタラ〔世尊〕は、世〔の一切〕を知る方は、諸々の捧げものの納受者たる方は──
60. 教師は、比丘の僧団のうちに立ち、これらの詩偈を語った。〔パドゥムッタラ世尊は言った〕「この旗の布施によって、さらに、同様に、奉仕によって──
61. 十万カッパのあいだ、彼は、悪しき境遇に赴きません。諸天において、少なからざる天の荘厳を受領するでしょう。
62. そして、幾百回、国土において、王と成るでしょう。名としては、ウッガタという名の、転輪〔王〕と成るでしょう。
63. 〔天と人の二つの〕得達を受領して、白根に促され、ゴータマ世尊の教えにおいて喜び楽しむでしょう」〔と〕。
64. 〔刻苦〕精励をもって自己を精励した者として、〔わたしは〕存している。寂静者となり、依り所なき者となり、〔わたしは〕最後の肉身を保つ──正等覚者の教えにおいて。
65. 五万一千カッパ〔の過去〕において、ウッガタという呼び名を有する者として〔世に存した〕。五万〔カッパの過去〕において、メーガという呼び名を有する士族として〔世に存した〕。
66. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。
かくのごとく、まさに、尊者ダジャダーヤカ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──
ダジャダーヤカ長老の行状が、第八となる。
6. 9. パドゥマ長老の行状
67. 四つの真理(四諦)を明示しながら、優れた法(真理)を転起させる方は、不死の雨を降らせる──大勢の人を涅槃に到達させながら。
68. わたしは、旗と共に、蓮華を収め取って、半コーサ(長さの単位・四分の一ヨージャナ)のところに立ち、欣喜した者となり、パドゥムッタラ牟尼のもとへと、宙に投げ上げた。
69. そして、〔牟尼のもとへと〕蓮華が到来しつつあると、まさしく、ただちに、未曾有のことが存した。わたしの思惟を了知して、説者たちのなかの優れた方は、〔蓮華を〕納受した。
70. 水に生じる最上の花を、最勝の手で収め取って、教師は、比丘の僧団のうちに立ち、これらの詩偈を語った。
71. 〔パドゥムッタラ世尊は言った〕「彼によって、この蓮華が、一切を知る者にたいし、〔世の〕導き手たる者にたいし、投げられました。わたしは、彼を賛じ称えましょう。〔それを〕語る、わたしの〔言葉を〕聞きなさい。
72. 三万カッパのあいだ、天のインダとして、天の王権を為すでしょう。地においては、七百の王権を〔為し〕、大地に居住するでしょう。
73. そこにおいて、鉢を収め取って、転輪〔王〕と成るでしょう。そのとき、虚空から、花の雨が降るでしょう。
74. 十万カッパ〔の未来〕において、オッカーカの家系を発生とし、姓としては、ゴータマという名の教師が、世に有るでしょう。
75. 彼の、諸々の法(教え)における、相続者として、正嫡として、法(教え)によって化作された者として、一切の煩悩を遍知して、煩悩なき者となり、涅槃に到達するでしょう」〔と〕。
76. 子宮から出て、正知と気づきの者として、わたしは、生まれて五年で、阿羅漢の資質に至り得た。
77. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。
かくのごとく、まさに、尊者パドゥマ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──
パドゥマ長老の行状が、第九となる。
6. 10. アサナボーディヤ長老の行状
78. わたしは、生まれて七年で、世の導き手たる方を見た。浄信した心の者となり、悦意の者となり、最上の人たる方のもとへと、〔わたしは〕近しく赴いた。
79. わたしは、ティッサ世尊のために、世の最尊者にして如なる方のために、欣喜した者となり、欣喜した心で、最上の菩提〔樹〕を育成した。
80. 命名としては、アサナ〔という名〕の、地に育つ〔聖なる〕植物であり、五年のあいだ、アサナ〔樹〕を、最上の菩提〔樹〕を、〔わたしは〕世話した。
81. 花ひらいた木を見て、未曾有にして身の毛のよだつことを〔見て〕、自らの行為〔の果〕を述べ伝えながら、最勝の覚者のもとへと、〔わたしは〕近しく赴いた。
82. そのとき、ティッサ〔世尊〕は、正覚者は、〔他に依らず〕自ら成る方は、至高の人たる方は、彼は、比丘の僧団のうちに坐って、これらの詩偈を語った。
83. 〔ティッサ世尊は言った〕「彼によって、この菩提〔樹〕が育成され、さらに、覚者の供養が恭しく為されました。わたしは、彼を賛じ称えましょう。〔それを〕語る、わたしの〔言葉を〕聞きなさい。
84. 三十カッパのあいだ、諸天において、天の王権を為すでしょう。六十四回、彼は、転輪〔王〕と成るでしょう。
85. まさに、兜率〔天〕から死滅して、白根に促され、〔天と人の〕二つの得達を受領して、人間たる〔境遇〕を喜び楽しむでしょう。
86. 彼は、〔刻苦〕精励をもって自己を精励し、寂静なる者となり、依り所なき者となり、一切の煩悩を遍知して、煩悩なき者となり、涅槃に到達するでしょう」〔と〕。
87. わたしは、遠離に専念する者となり、寂静者となり、依り所なき者となり、象のように結縛を断ち切って、煩悩なき者となり、〔世に〕住む。
88. わたしが、菩提〔樹〕を育成した、そのとき、これより、九十二カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、菩提〔樹〕の育成の果である。
89. これより、七十四カッパ〔の過去〕において、ダンダセーナという〔名で世に〕聞こえた者として、そのとき、〔世に〕有った──七つの宝を成就した転輪〔王〕として。
90. これより、七十三カッパ〔の過去〕において、七者の大地の長たちとして〔世に〕有った──名としては、サマンタネーミ〔という名〕の転輪王たちとして。
91. これより、二十五カッパ〔の過去〕において、プンナカという名の士族として〔世に存した〕──七つの宝を成就した、大いなる勢力ある転輪〔王〕として。
92. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。
かくのごとく、まさに、尊者アサナボーディヤ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──
アサナボーディヤ長老の行状が、第十となる。
ビージャニの章が、第六となる。
その〔章〕のための摂頌となる。
〔そこで、詩偈に言う〕「ビージャニ、そして、サタランシ、サヤナと水と馬、パリヴァーラ、そして、灯明、旗、蓮華の供養者があり、そして、第十のものとして菩提が説かれ、そのように、九十二の詩偈がある」〔と〕。
7. サカチンタニヤの章
7. 1. サカチンタニヤ長老の行状
1. 音声少なく混濁なき、林を、森を、見て──まさしく、聖賢たちが付き従う方にして、諸々の捧げものの納受者たる方を〔見て〕──
2. 砂粒の塔を作って、種々なる花を等しく振りまいた。面前の正覚者を〔敬拝する〕ように、わたしは、化作した〔塔〕を敬拝した。
3. 七つの宝を成就した王として、国土におけるイッサラ(イーシュヴァラ神・自在神)として、自らの行為〔の果〕に満悦した者として、わたしは〔存している〕。これは、花の供養の果である。
4. すなわち、〔わたしが〕花を献上した、これより、九十一カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、花の供養の果である。
5. 八十カッパ〔の過去〕において、わたしは、無限の盛名ある転輪〔王〕として〔世に〕有った──七つの宝を成就した、四つの洲におけるイッサラとして。
6. 四つの融通無礙は〔実証され〕、そして、また、これらの八つの解脱も〔実証された〕。六つの神知は実証され、覚者の教えは為された。
かくのごとく、まさに、尊者サカチンタニヤ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──
サカチンタニヤ長老の行状が、第一となる。
7. 2. アヴォープッピヤ長老の行状
7. 〔覚者は〕精舎から出て、〔瞑想のための〕歩行場に上がって、四つの真理を明示しながら、不死の境処を説示する。
8. シキン〔世尊〕の声を了知して、最勝の覚者のために、如なる方のために、種々なる花を収め取って、虚空に等しく振りまいた。
9. 二足者のインダたる方よ、世の最尊者にして人の雄牛たる方よ、その行為〔の果〕によって、勝利と敗北を捨棄して、〔わたしは〕不動の境位に至り得た者として〔世に〕存している。
10. すなわち、〔わたしが〕花を献上した、これより、三十一カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、花の供養の果である。
11. これより、二十カッパ〔の過去〕において、スメーダという名の士族として〔世に存した〕──七つの宝を成就した、大いなる勢力ある転輪〔王〕として。
12. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。
かくのごとく、まさに、尊者アヴォープッピヤ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──
アヴォープッピヤ長老の行状が、第二となる。
7. 3. パッチャーガマニヤ長老の行状
13. シンドゥー川の岸辺において、そのとき、わたしは、鴛鴦として〔世に有った〕。清浄なる藻を食物とする者であり、わたしは、そして、諸々の悪にたいし善く自制された者として〔世に有った〕。
14. 〔わたしは〕見た──〔世俗の〕塵を離れる覚者を、〔天高く〕曲がりなき風のなかを赴きつつある〔覚者〕を。サーラ〔樹の花〕を、嘴で収め取って、ヴィパッシン〔世尊〕に献上した。
15. 〔ヴィパッシン世尊は言った〕「彼の、如来にたいする信は、不動にして、善く確立されています。その心の浄信によって、彼は、悪しき境遇に赴きません」〔と〕。
16. わたしにとって、まさに、善き訪問として存した──最勝の覚者の現前にあることは。鳥として〔世に〕存している、わたしによって、善き種が育てられたのだ。
17. すなわち、〔わたしが〕花を献上した、これより、九十一カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、覚者の供養の果である。
18. スチャールダッサナという名の、これらの八者の、一なる名の者たちとして、十七カッパ〔の過去〕において、〔世に〕存した──大いなる勢力ある転輪〔王〕たちとして。
19. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。
かくのごとく、まさに、尊者パッチャーガマニヤ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──
パッチャーガマニヤ長老の行状が、第三となる。
7. 4. パラッパサーダカ長老の行状
20. 最も優れた雄牛たる勇者を、偉大なる聖賢を、征圧者たる方を、黄金の色艶ある正覚者を、見て〔そののち〕、誰が、浄信しないというのだろう。
21. 量るべくもなきヒマヴァントのように、超え難き海洋のように、まさしく、そのような、覚者の瞑想を、見て〔そののち〕、誰が、浄信しないというのだろう。
22. すなわち、彩りあざやかな林を頭飾とする大地が量るべくもないように、まさしく、そのような、覚者の戒を、見て〔そののち〕、誰が、浄信しないというのだろう。
23. すなわち、曲がりなき風に掻き乱されない虚空が数えようもないように、まさしく、そのような、覚者の知恵を、見て〔そののち〕、誰が、浄信しないというのだろう。
24. これらの四つの詩偈によって、セーナという呼び名を有する婆羅門〔のわたし〕は、シッダッタ〔世尊〕を、〔一切に〕敗れることなき方を、最勝の覚者を、奉賛して〔そののち〕──
25. 九十四カッパのあいだ、悪しき境遇に再生せず、善き境遇に〔再生し〕、少なからざる安楽と得達を受領した。
26. 世の導き手たる方を奉賛して〔そののち〕、これより、九十四カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、賛嘆の果である。
27. 十四カッパ〔の過去〕において、四者のウッガタ〔という名の者たち〕として〔世に〕存した──七つの宝を成就した、大いなる勢力ある転輪〔王〕たちとして。
28. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。
かくのごとく、まさに、尊者パラッパサーダカ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──
パラッパサーダカ長老の行状が、第四となる。
7. 5. ビサダーヤカ長老の行状
29. 名としては、ヴェッサブーという名の、〔七者の〕聖賢たちのなかの第三の方が〔世に〕有った。最上の人士たる方は、森に、林に、入って行って、〔そこに〕住んだ。
30. 〔象のわたしは〕蓮の根茎を掴み取って、覚者の現前に赴いた。そして、それを、覚者に施した──浄信した者となり、自らの〔両の〕手で。
31. そして、〔わたしは〕手ずから撫でられた──優れた覚慧あるヴェッサブー〔世尊〕によって。わたしは、それに等しき安楽を証知しない。どうして、より上なるものを〔証知するというのだろう〕。
32. わたしにとって最後のものが転起する。一切の〔迷いの〕生存は完破された。巨象として〔世に〕存している、わたしによって、善〔根〕が育てられたのだ。
33. すなわち、〔わたしが〕行為を為した、そのとき、これより、三十一カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、蓮根の布施の果である。
34. そして、サモーダーナ〔という名〕の王たちとして、十六者の人間の君主たちとして、十四カッパ〔の過去〕において、〔世に〕存した──大いなる勢力ある転輪〔王〕たちとして。
35. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。
かくのごとく、まさに、尊者ビサダーヤカ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──
ビサダーヤカ長老の行状が、第五となる。
7. 6. スチンティタ長老の行状
36. 〔わたしは〕山の難所を歩む、まさしく、善き生まれの獅子として、〔世に〕存した。山間において、鹿たちの群れを打ち殺して、〔わたしは〕生きる。
37. さてまた、アッタダッシン世尊は、一切を知る方は、説者たちのなかの優れた方は、彼は、わたしを引き上げることを欲し、最上の山にやってきた。
38. そして、〔わたしは〕まだらの鹿を殺して、食するために近しく赴いた。その時点において、世尊は、行乞しながら近づいてきた。
39. 諸々の優れた肉を差し出して、彼に、教師に、施した。偉大なる勇者は随喜した──わたし〔の心〕を寂滅させながら、そのとき。
40. 〔まさに〕その、心の浄信によって、わたしは、山の難所に入った。喜悦〔の思い〕を生起させて、そこにおいて、わたしは、命を終えたのだった。
41. この肉の布施によって、さらに、諸々の心の誓願によって、千五百カッパのあいだ、わたしは、天の世において喜び楽しんだ。
42. 諸々の残りのカッパにおいては、わたしによって、善なる〔行為〕が思い考えられた──まさしく、その肉の布施によって、そして、覚者を随念することによって。
43. 三十八カッパ〔の過去〕において、八者のディーガーユという名の者たちとして〔世に存した〕。これより、六千カッパ〔の過去〕において、二者のヴァルナという名の者たちとして〔世に存した〕。
44. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。
かくのごとく、まさに、尊者スチンティタ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──
スチンティタ長老の行状が、第六となる。
7. 7. ヴァッタダーヤカ長老の行状
45. そのとき、〔わたしは〕鳥類として〔世に〕存した──金翅鳥として、金翅鳥の君主として。〔わたしは〕見た──〔世俗の〕塵を離れる覚者を、ガンダマーダナ〔山〕を赴きつつある〔覚者〕を。
46. 〔わたしは〕金翅鳥の姿を捨棄して、少年〔の姿〕を保持した。二足者のインダたる如なる方のために、一なる衣が、わたしによって施された。
47. そして、その布地を納受して、覚者は、世の至高の導き手たる方は、教師は、空中に止住し、これらの詩偈を語った。
48. 〔アッタダッシン世尊は言った〕「この衣の布施によって、さらに、諸々の心の誓願によって、金翅鳥の胎を捨棄して、天の世において喜び楽しむでしょう」〔と〕。
49. さてまた、アッタダッシン世尊は、世の最尊者にして人の雄牛たる方は、衣の布施を賞賛して、北に向かい立ち去った。
50. 生存が発現しているときは、わたしに、諸々の衣の成就が有る。虚空においては、〔常に〕覆いが有る。これは、衣の布施の果である。
51. 三十六カッパ〔の過去〕において、アルナヴァント〔という名〕の七者の人たちとして〔世に〕存した──人間の君主たる、大いなる勢力ある転輪〔王〕たちとして。
52. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。
かくのごとく、まさに、尊者ヴァッタダーヤカ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──
ヴァッタダーヤカ長老の行状が、第七となる。
7. 8. アンバダーヤカ長老の行状
53. アノーマダッシン世尊は、山間に坐っている〔覚者〕は、〔生存の〕依り所なき方は、慈愛〔の心〕をもって、世における無量なる者たちを充満した。
54. ヒマヴァントにおいて、最上の山において、そのとき、わたしは、猿として〔世に〕存した。アノーマダッシン〔世尊〕を、彼を見て、覚者にたいし、心を浄信させた。
55. ヒマヴァントの遠からざるところに、そのとき、果をもつ諸々のアンバ〔樹〕が存した。そこから、熟したものを収め取って、蜜と共に、アンバ〔樹の果〕を、〔覚者に〕施した。
56. アノーマダッシン〔世尊〕は、偉大なる牟尼は、覚者は、その〔布施の果〕を、わたしに説き明かした。〔アノーマダッシン世尊は言った〕「この蜜の布施によって、さらに、同様に、アンバ〔樹の果〕の布施によって──
57. 五十七カッパのあいだ、天の世において喜び楽しむでしょう。諸々の残りのカッパにおいては、〔天と人の世を〕混在のものとして輪廻するでしょう。
58. 悪しき行為を投げ捨てて、完熟した覚慧あることから、堕所に赴かずして、諸々の〔心の〕汚れを焼き尽くすでしょう」〔と〕。
59. わたしは、最上の調御によって、偉大なる聖賢によって、調御された者として〔世に〕存している。勝利と敗北を捨棄して、〔わたしは〕不動の境位に至り得た者として〔世に〕存している。
60. 七千七百カッパ〔の過去〕において、アンバッタジャという名を有する、それらの十四者の王たちとして〔世に存した〕──大いなる勢力ある転輪〔王〕たちとして。
61. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。
かくのごとく、まさに、尊者アンバダーヤカ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──
アンバダーヤカ長老の行状が、第八となる。
7. 9. スマナ長老の行状
62. そのとき、わたしは、名としては、スマナという名の、花飾師として〔世に〕有った。〔わたしは〕見た──〔世俗の〕塵を離れる覚者を、世における諸々の捧げものの納受者たる方を。
63. 悦意なる最上の花を、両の手で差し出して、シキン〔世尊〕に、世の眷属たる方に、覚者に、献上した。
64. この花の供養によって、さらに、諸々の思欲による誓願によって、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、覚者の供養の果である。
65. すなわち、〔わたしが〕花を献上した、これより、三十一カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、覚者の供養の果である。
66. 二十六カッパ〔の過去〕において、四者の大いなる盛名ある者たちとして〔世に〕存した──七つの宝を成就した、転輪王たちとして。
67. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。
かくのごとく、まさに、尊者スマナ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──
スマナ長老の行状が、第九となる。
7. 10. プッパチャンコーティヤ長老の行状
68. 恐怖する気色なき獅子のような方に、至高の鳥たる金翅鳥のような方に、最も優れた虎や雄牛のような方に、善き生まれの獅子のような方に──
69. シキン〔世尊〕に、三つの世(三界)の帰依所たる方に、〔心に〕動揺なき方に、〔一切に〕敗れることなき方に、比丘の僧団に囲まれ、〔そこに〕坐っている、沙門たちのなかの至高者たる方に──
70. 最上の花であるアノージャー〔の花〕を、花籠に据え置いて、まさしく、花籠と共に、最勝の覚者に等しく振りまいた。
71. 二足者のインダたる方よ、人の雄牛たる方よ、〔まさに〕その、心の浄信によって、勝利と敗北を捨棄して、〔わたしは〕不動の境位に至り得た者として〔世に〕存している。
72. すなわち、〔わたしが〕行為を為した、そのとき、これより、三十一カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、覚者の供養の果である。
73. 満三十カッパ〔の過去〕において、デーヴァブーティという名を有する者たちとして、七つの宝を成就した、五者の転輪〔王〕たちとして、〔世に〕存した。
74. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。
かくのごとく、まさに、尊者プッパチャンコーティヤ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──
プッパチャンコーティヤ長老の行状が、第十となる。
サカチンタニヤの章が、第七となる。
その〔章〕のための摂頌となる。
〔そこで、詩偈に言う〕「サカチンティン、アヴォープッピン、そして、パッチャーガマナと共に、パラッパサーディン、ビサダ、スチンティン、ヴァッタダーヤカ──
そして、アンバダーイン、スマナ、そして、また、プッパチャンコータキンがあり、義(道理)を見る者たちによって説かれた、七十一の詩偈が数えられた」〔と〕。
8. ナーガサマーラの章
8. 1. ナーガサマーラ長老の行状
1. わたしは、美しき大道に散り落ちたアーパータリー〔樹〕の花を、シキン〔世尊〕の、世の眷属たる方の、塔にたいし献上した。
2. すなわち、〔わたしが〕行為を為した、そのとき、これより、三十一カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、塔の供養の果である。
3. これより、十五カッパ〔の過去〕において、ブーミヤという名の士族として〔世に存した〕──七つの宝を成就した、大いなる勢力ある転輪〔王〕として。
4. 四つの融通無礙は〔実証され〕、そして、また、これらの八つの解脱も〔実証された〕。六つの神知は実証され、覚者の教えは為された。
かくのごとく、まさに、尊者ナーガサマーラ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──
ナーガサマーラ長老の行状が、第一となる。
8. 2. パダサンニャカ長老の行状
5. そして、ティッサ〔世尊〕の、太陽の眷属たる方の、踏みしめられた足跡を見て、欣喜した者となり、欣喜した心で、足跡にたいし、心を浄信させた。
6. すなわち、〔わたしが〕表象を得た、そのとき、これより、九十二カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、足跡の表象(想:概念・心象)の果である。
7. これより、第七のカッパ〔の過去〕において、スメーダという名の士族として〔世に存した〕──七つの宝を成就した、大いなる勢力ある転輪〔王〕として。
8. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。
かくのごとく、まさに、尊者パダサンニャカ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──
パダサンニャカ長老の行状が、第二となる。
8. 3. ブッダサンニャカ長老の行状
9. 木の先端に掛けられた、教師の糞掃衣を見て、そののち、それに合掌を為して、わたしは、糞掃衣を敬拝した。
10. すなわち、〔わたしが〕行為を為した、そのとき、これより、九十二カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、覚者の表象の果である。
11. これより、第四のカッパ〔の過去〕において、ドゥマサーラ〔という名〕の士族として〔世に〕存した──四辺を征圧する、大いなる勢力ある転輪〔王〕として。
12. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。
かくのごとく、まさに、尊者ブッダサンニャカ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──
ブッダサンニャカ長老の行状が、第三となる。
8. 4. ビサールヴァダーヤカ長老の行状
13. 森に、林に、入って行って、わたしは、森に住する。〔わたしは〕見た──ヴィパッシン覚者を、諸々の捧げものの納受者たる方を。
14. そして、蓮の根茎を、手を洗い清める水を、〔わたしは〕施した。〔両の〕足を、頭をもって敬拝して、北に向かい立ち去った。
15. 〔わたしが〕蓮の根茎を施した、そのとき、これより、九十一カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、功徳の行為の果である。
16. これより、第三のカッパ〔の過去〕において、ビササンマタ〔という名〕の士族として〔世に存した〕──七つの宝を成就した、大いなる勢力ある転輪〔王〕として。
17. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。
かくのごとく、まさに、尊者ビサールヴァダーヤカ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──
ビサールヴァダーヤカ長老の行状が、第四となる。
〔以上が〕第六の朗読分となる。
8. 5. エーカサンニャカ長老の行状
18. 名としては、カンダという名の、ヴィパッシン〔世尊〕の至高の弟子が〔世に〕存した。世における諸々の捧げものの納受者たる方にたいし、一なる行乞〔の施食〕が、わたしによって施された。
19. 二足者のインダたる方よ、人の雄牛たる方よ、〔まさに〕その、心の浄信によって、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、一なる行乞〔の施食〕の果である。
20. これより、四十カッパ〔の過去〕において、ヴァルナという名の士族として〔世に存した〕──七つの宝を成就した、大いなる勢力ある転輪〔王〕として。
21. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。
かくのごとく、まさに、尊者エーカサンニャカ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──
エーカサンニャカ長老の行状が、第五となる。
8. 6. ティナサンタラダーヤカ長老の行状
22. ヒマヴァントの遠からざるところ、大いなる天然の湖が有った──百の花弁ある〔蓮華の花々〕に等しく覆われた、種々なる鳥の集まる所として。
23. その〔湖〕において、そして、沐浴して、さらに、〔水を〕飲んで、遠からざるところに、わたしは住する。〔わたしは〕見た──〔天高く〕曲がりなき風のなかを赴きつつある、沙門たちのなかの至高者たる方を。
24. わたしの思惟を了知して、教師は、世における無上なる方は、まさしく、ただちに、雲から降りて、地に立った。
25. 角で草を収め取って、わたしは、坐を施した。そこにおいて、ティッサ世尊は坐った──世の至高の導き手たる方は。
26. 〔わたしは〕自らの心を浄信させて、世の導き手たる方を敬拝した。偉大なる牟尼を凝視しつつ、〔身を〕かがめ、〔わたしは〕立ち去った。
27. その心の浄信によって、わたしは、化作〔天〕に再生した。〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、敷物の果である。
28. これより、第二のカッパ〔の過去〕において、ミガサンマタ〔という名〕の士族として〔世に存した〕──七つの宝を成就した、大いなる勢力ある転輪〔王〕として。
29. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。
かくのごとく、まさに、尊者ティナサンタラダーヤカ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──
ティナサンタラダーヤカ長老の行状が、第六となる。
8. 7. スーチダーヤカ長老の行状
30. 三万カッパ〔の過去〕において、正覚者にして世の導き手たる方が〔世に有った〕──名としては、スメーダという名の、三十二の優れた特相ある方が。
31. 彼のために、黄金の色艶ある方のために、二足者のインダたる如なる方のために、五つの針が、わたしによって施された──衣料の縫合を義(目的)として。
32. まさしく、その針の布施によって、精緻なる義(道理)を観察する〔知恵〕が、鋭敏にして、かつまた、軽快にして、そして、平穏なる知恵が、わたしに生起した。
33. わたしの、諸々の〔心の〕汚れは焼尽し、一切の〔迷いの〕生存は完破された。〔わたしは〕最後の肉身を保つ──正等覚者の教えにおいて。
34. ドヴィパダーディパティという名の、四者の王たちとして〔世に〕有った──七つの宝を成就した、大いなる勢力ある転輪〔王〕たちとして。
35. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。
かくのごとく、まさに、尊者スーチダーヤカ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──
スーチダーヤカ長老の行状が、第七となる。
8. 8. パータリプッピヤ長老の行状
36. 市場を赴きつつある、黄金の色艶ある正覚者を、価値ある黄金の似姿ある方を、三十二の優れた特相ある方を、〔わたしは見た〕。
37. そのとき、〔わたしは〕長者の子として、繊細で安楽のうちに生長した者として、〔世に〕存した。〔わたしは〕パータリー〔樹〕の花を、腰〔の袋〕に掛けて持参した。
38. 欣喜した者となり、欣喜した心で、花々をもって供養した。ティッサ〔世尊〕を、世〔の一切〕を知る方を、〔世の〕主たる方を、人の天たる方を、わたしは礼拝した。
39. すなわち、〔わたしが〕行為を為した、そのとき、これより、九十二カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、花の供養の果である。
40. これより、六十三カッパ〔の過去〕において、アビサンマタという名の者として〔世に存した〕──七つの宝を成就した、大いなる勢力ある転輪〔王〕として。
41. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。
かくのごとく、まさに、尊者パータリプッピヤ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──
パータリプッピヤ長老の行状が、第八となる。
8. 9. ティタンジャリヤ長老の行状
42. かつて、鹿の猟師として〔世に〕存した──わたしは、林のなかにあり、森のなかにある。そこにおいて、〔わたしは〕見た──正覚者を、三十二の優れた特相ある方を。
43. そこにおいて、わたしは、合掌を為して、東に向かい立ち去った──遠からざるところ、自分の葉の敷物のうえに坐っている方のために。
44. そののち、落雷があり、そのとき、わたしの頭頂に落ちた。〔まさに〕その、わたしは、死の時において、ふたたび合掌を為した。
45. 〔わたしが〕合掌を為した、そのとき、これより、九十二カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、合掌の果である。
46. 五十四カッパ〔の過去〕において、ミガケートゥという名を有する者として〔世に存した〕──七つの宝を成就した、大いなる勢力ある転輪〔王〕として。
47. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。
かくのごとく、まさに、尊者ティタンジャリヤ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──
ティタンジャリヤ長老の行状が、第九となる。
8. 10. ティパドゥミヤ長老の行状
48. パドゥムッタラという名の勝者は、一切の法(事象)の彼岸に至る方は、〔自己が〕調御された方は、〔自己が〕調御された者たちに取り囲まれ、そのとき、城市から出た。
49. ハンサヴァティーの城市において、そのとき、わたしは、花飾師として〔世に〕有った。すなわち、そこにおいて、最上の花としてある、三つの〔蓮華の〕花を(※)収め取った。
※ テキストには uttamaṃ toṇi, padmapupphāni とあるが、PTS版により uttamaṃ pupphaṃ, tīṇi pupphāni と読む。
50. 〔わたしは〕見た──〔世俗の〕塵を離れる覚者を、道の向こうの市場において。正覚者を見て、〔それと〕共に、そのとき、わたしは、このように思い考えた。
51. 「わたしによって、これらの花が、王に進呈されたとして、わたしにとって、何になるというのだろう──あるいは、村を、あるいは、村の田畑を、あるいは、千〔金〕を、わたしが得るとして。
52. 調御されざる者たちを調御する勇者を、一切の有情たちに安楽をもたらす世の主たる方を、〔彼を〕供養して、〔わたしは〕不死の財を得るのだ」〔と〕。
53. わたしは、このように思い考えて、自らの心を浄信させた。三つの真紅の〔蓮華〕を収め取って、そのとき、虚空に投げ上げた。
54. わたしによって投げ上げられるやいなや、それらは、虚空に広がり、そこにおいて、茎を上に、〔花の〕面を下に、〔覚者の〕頭上に保持された。
55. 彼らが誰であれ、人間たちは、〔それを〕見て、叫喚〔の声〕を等しく転起させ、天神たちは、空中において、「善きかな」の喚呼を転起させた。
56. 〔人々が言った〕「稀有なることが、世に生起したのだ──最勝の覚者に由縁して。わたしたちは、全ての者たちが、法(教え)を聞くのだ──〔三つの〕花に由縁して」〔と〕。
57. パドゥムッタラ〔世尊〕は、世〔の一切〕を知る方は、諸々の捧げものの納受者たる方は、道に立ち、〔そのように〕存しつつ、これらの詩偈を語った。
58. 〔パドゥムッタラ世尊は言った〕「すなわち、その若者は、〔三つの〕赤い蓮華によって、覚者を供養しました。わたしは、彼を賛じ称えましょう。〔それを〕語る、わたしの〔言葉を〕聞きなさい。
59. 三万カッパのあいだ、天の世において喜び楽しむでしょう。三十カッパのあいだ、天のインダとして、天の王権を為すでしょう。
60. まさしく、そのあいだ、マハーヴィッターリカという名の宮殿が有るでしょう──三百ヨージャナの高さと二百五十〔ヨージャナ〕の幅ある〔宮殿〕が。
61. 四十万〔カッパ〕のあいだ、そして、諸々の見事に造作された尖塔が〔有るでしょう〕──諸々の優れた楼閣を具し、諸々の大いなる臥具に装飾されたものとして。
62. 十万コーティ(倶胝:数の単位・一千万)の仙女たちが、〔あなたを〕取り囲むでしょう──舞踏と歌詠に巧みな者たちであり、音楽においてもまた才ある者たちが。
63. 女たちの群れで溢れ満ちる、このような優れた宮殿において、常に、天の真紅の花の雨が降るでしょう。
64. 壁の杭において、象の牙において、門の両脇において、楼門において、まさしく、そのあいだ、車輪ほど〔の大きさ〕の諸々の真紅の〔蓮華〕が降り注ぐでしょう。
65. 〔蓮華の〕花弁に等しく覆われた優れた宮殿の内において、これを敷き詰めて、包み込んで、まさしく、ただちに、〔女たちが〕横たわるでしょう。
66. 居所を取り囲んで、百ヨージャナの遍きにわたり、それらの真紅の蓮華もまた、天の香りを香らせます。
67. そして、七十五回、転輪〔王〕と成るでしょう。数〔の観点〕からは数えようもない、広大なる地域の王権を〔為すでしょう〕。
68. 〔天と人の〕二つの得達を受益して、疾患なく、禍なく、〔生存の〕終了に達し得たとき、涅槃に至り得るでしょう」〔と〕。
69. まさに、わたしによって、覚者は、善く見られ、〔わたしの〕商いは、善く従事された。三つの蓮華を供養して、三つの成就を受領した。
70. 今日、法(真理)に至り得たわたしのために、全てにあまねく解脱した〔わたし〕のために、美しく花ひらいた真紅の〔蓮華〕が、頭上に保持されるであろう。
71. わたしの行為〔の果〕を、パドゥムッタラ教師が言説していると、十万の命ある者たちに、法(真理)の知悉(現観)が有った。
72. すなわち、〔わたしが〕覚者を供養した、これより、十万カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、三つの蓮華の果である。
73. わたしの、諸々の〔心の〕汚れは焼尽し、一切の〔迷いの〕生存は完破された。一切の煩悩は完全に滅尽し、今や、さらなる生存は存在しない。
74. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。
かくのごとく、まさに、尊者ティパドゥミヤ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──
ティパドゥミヤ長老の行状が、第十となる。
ナーガサマーラの章が、第八となる。
その〔章〕のための摂頌となる。
〔そこで、詩偈に言う〕「ナーガサマーラ、パダサンニン、サンニャカとアールヴァダーヤカ、エーカサンニン、ティナサンターラ、針とパータリプッピヤ、ティタンジャリン、ティパドゥミンがあり、七十五の詩偈がある」〔と〕。
9. ティミラの章
9. 1. ティミラプッピヤ長老の行状
1. チャンダバーガー川の岸辺において、わたしは、流れ沿いに行く。〔そこに〕坐っている沙門を、〔心が〕澄浄で混濁なき方を、見て──
2. そこにおいて、心を浄信させて、そのとき、わたしは、このように思い考えた。「この方は、〔激流を〕超え渡った方であり、〔他者を〕超え渡すであろう。この方は、〔自己が〕調御された方であり、〔他者を〕調御するであろう。
3. 安堵している方であり、〔他者を〕安堵させるであろう。そして、寂静となった方であり、〔他者を〕寂静させるであろう。解き放たれた方であり、〔他者を〕解き放つであろう。涅槃に到達した方であり、〔他者を〕涅槃に到達させるであろう」〔と〕。
4. わたしは、このように思い考えて、シッダッタ〔世尊〕のために、偉大なる聖賢のために、ティミラ〔樹〕の花を収め取って、わたしは、〔覚者の〕頭上に振りまいた。
5. 合掌を差し出して、そして、彼に、右回り〔の礼〕を為して、教師の〔両の〕足を敬拝して、西の方角に立ち去った。
6. 長からずして、去り行ったばかりのわたしを、獣の王が悩み苦しめた。深淵に沿い行きながら、まさしく、そこにおいて、わたしは落ちた。
7. すなわち、〔わたしが〕花を献上した、これより、九十四カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、花の供養の果である。
8. 五十六カッパ〔の過去〕において、まさしく、七者の大いなる盛名ある者たちとして〔世に〕存した──七つの宝を成就した、大いなる勢力ある転輪〔王〕たちとして。
9. 四つの融通無礙は〔実証され〕、そして、また、これらの八つの解脱も〔実証された〕。六つの神知は実証され、覚者の教えは為された。
かくのごとく、まさに、尊者ティミラプッピヤ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──
ティミラプッピヤ長老の行状が、第一となる。
9. 2. ガタサンニャカ長老の行状
10. わたしは、生まれて七年で、〔家から〕家なきへと出家した。〔わたしは〕教師の〔両の〕足を敬拝した──浄信した心で。
11. 七つのナンガラキの花を、わたしは、虚空に投げ上げた──ティッサ覚者を、無限の徳の海洋たる方を、正しく目指して。
12. 善き至達者たる方の従い行く道を供養して、欣喜の意図ある者となり、そして、そのとき、〔わたしは〕合掌を為した──浄信した者となり、自らの〔両の〕手で。
13. すなわち、〔わたしが〕行為を為した、そのとき、これより、九十二カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、覚者の供養の果である。
14. これより、第八のカッパ〔の過去〕において、三者のアッギシカ〔という名の者たち〕として〔世に〕有った──七つの宝を成就した、大いなる勢力ある転輪〔王〕たちとして。
15. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。
かくのごとく、まさに、尊者ガタサンニャカ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──
ガタサンニャカ長老の行状が、第二となる。
9. 3. ニパンナンジャリカ長老の行状
16. 木の根元に坐ったわたしは、そして、最高の病者として〔世に存している〕。わたしは、林のなかにあり、森のなかにある、最高の悲しみに至り得た者として〔世に〕存している。
17. 慈しみ〔の思い〕を抱いて、ティッサ教師は、わたしのもとに近しく至った。〔まさに〕その、わたしは、〔そこに〕横になった者として、〔そのように〕存しつつ、頭に合掌を為して──
18. 浄信した心の者となり、悦意の者となり、一切の有情たちのなかの最上なる方を、正覚者を、敬拝して、そこにおいて、わたしは、命を終えたのだった。
19. すなわち、〔わたしが〕最上の人士たる方を敬拝した、これより、九十二カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、敬拝の果である。
20. これより、第五のカッパ〔の過去〕において、まさしく、五者のマハーシカ〔という名の者たち〕として〔世に〕存した──七つの宝を成就した、大いなる勢力ある転輪〔王〕たちとして。
21. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。
かくのごとく、まさに、尊者ニパンナンジャリカ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──
ニパンナンジャリカ長老の行状が、第三となる。
9. 4. アドープッピヤ長老の行状
22. アビブーという名の、その比丘は、シキン〔世尊〕の至高の弟子は、大いなる威力ある方は、三つの明知ある方は、ヒマヴァントへと近しく赴いた。
23. わたしもまた、ヒマヴァントにおいて、喜ばしき庵所において、聖賢として、諸々の無量なる〔心〕における〔自在者として〕、かつまた、諸々の神通における自在者として、そのとき、住する。
24. 鳥類のように虚空にあり、山を転起させた。わたしは、下から花を収め取って、山に帰り来た。
25. 七つの花を収め取って、わたしは、〔覚者の〕頭上に振りまいた。そして、勇者によって眺め見られたとき、東に向かい立ち去った。
26. 居住所に至り着き、庵所に至り得て、わたしは、天秤を荷として収め取って、山間へと出発した。
27. おぞましき形態にして、大いなる力ある、大蛇が、わたしを責め苛んだ。過去の行為を思念して、そこにおいて、わたしは、命を終えたのだった。
28. すなわち、〔わたしが〕花を献上した、これより、三十一カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、花の供養の果である。
29. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。
かくのごとく、まさに、尊者アドープッピヤ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──
アドープッピヤ長老の行状が、第四となる。
9. 5. ランシサンニャカ長老の行状
30. ヒマヴァントの山において、かつて、わたしは、住を営んだ。皮衣を上衣とする者として、わたしは、山間に住する。
31. 黄金の色艶ある正覚者が、百光の太陽のような方が、花ひらいたサーラ〔樹〕の王のような方が、林間を赴くのを見て──
32. 光にたいし、心を浄信させて、ヴィパッシン〔世尊〕に、偉大なる聖賢に、合掌を差し出して、わたしはうずくまり、頭をもって、〔覚者を〕敬拝した。
33. すなわち、〔わたしが〕行為を為した、そのとき、これより、九十一カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、光の表象の果である。
34. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。
かくのごとく、まさに、尊者ランシサンニャカ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──
ランシサンニャカ長老の行状が、第五となる。
9. 6. ドゥティヤ・ランシサンニャカ長老の行状
35. ヒマヴァントの山において、わたしは、樹皮の衣を〔身に〕付ける者として〔世に有った〕。そして、〔瞑想のための〕歩行場に登り、東に向かい坐った。
36. そのとき、山において、善き至達者たる方を、プッサ〔世尊〕を、瞑想を喜ぶ方を、見て、合掌を差し出して、光にたいし、心を浄信させた。
37. すなわち、〔わたしが〕表象を得た、そのとき、これより、九十二カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、光の表象の果である。
38. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。
かくのごとく、まさに、尊者ドゥティヤ・ランシサンニャカ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──
ドゥティヤ・ランシサンニャカ長老の行状が、第六となる。
9. 7. パラダーヤカ長老の行状
39. ヒマヴァントの山において、わたしは、粗い鹿皮を〔身に〕付ける者として〔世に有った〕。プッサ〔世尊〕を、優れた勝者を、見て、果実を手にする〔わたし〕は、果実を施した。
40. すなわち、わたしが、浄信した心で、果実を施した、〔その功徳として〕、生存が発現しているときは、わたしに、果実が発現する。
41. すなわち、わたしが、果実を施した、これより、九十二カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、果実の布施の果である。
42. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。
かくのごとく、まさに、尊者パラダーヤカ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──
パラダーヤカ長老の行状が、第七となる。
9. 8. サッダサンニャカ長老の行状
43. ヒマヴァントの山において、〔わたしは〕葉の敷物のうえに住する。法(教え)を話しているプッサ〔世尊〕の声にたいし、心を浄信させた。
44. すなわち、〔わたしが〕行為を為した、そのとき、これより、九十二カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、功徳の行為の果である。
45. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。
かくのごとく、まさに、尊者サッダサンニャカ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──
サッダサンニャカ長老の行状が、第八となる。
9. 9. ボーディシンチャカ長老の行状
46. ヴィパッシン世尊のために、大いなる菩提〔樹〕祭が有った。そのとき、出家〔の身〕を具し、〔世に〕存している、わたしは、〔菩提樹へと〕近しく赴いた。
47. 花と水を携えて、わたしは、菩提〔樹〕に振りまいた。「解き放たれた者は、わたしたちを解き放つであろう。涅槃に到達した者は、〔わたしたちを〕涅槃に到達させるであろう」〔と〕。
48. すなわち、〔わたしが〕菩提〔樹〕に〔水を〕注いだ、これより、九十一カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、菩提〔樹〕に〔水を〕注ぐことの果である。
49. 転起すること、三十三カッパ〔の過去〕において、人の君主たちとして〔世に〕存した──ウダカセーチャナという名の、これらの八者の転輪〔王〕たちとして。
50. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。
かくのごとく、まさに、尊者ボーディシンチャカ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──
ボーディシンチャカ長老の行状が、第九となる。
9. 10. パドゥマプッピヤ長老の行状
51. 蓮の林に入り、わたしが、諸々の蓮華を折っていると、そこにおいて、〔わたしは〕見た──プッサ覚者を、三十二の優れた特相ある方を。
52. 蓮華の花を収め取って、わたしは、虚空に投げ上げた。〔過去の〕悪しき行為を思念して、〔家から〕家なきへと出家した。
53. 出家して、〔統御された〕身体によって、さらに、統御された意によって、言葉による悪しき行ないを捨棄して、生き方を完全に清めた。
54. すなわち、〔わたしが〕花を献上した、これより、九十二カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、覚者の供養の果である。
55. そして、パドゥマーバーサという名の十八者の大地の長たちとして〔世に存した〕。十八カッパ〔の過去〕において、四十八者〔の王たち〕として〔世に〕存した。
56. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。
かくのごとく、まさに、尊者パドゥマプッピヤ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──
パドゥマプッピヤ長老の行状が、第十となる。
ティミラの章が、第九となる。
その〔章〕のための摂頌となる。
〔そこで、詩偈に言う〕「ティミラとナンガリープッパとニッパンナンジャリカ、アドー〔プッピヤ〕、二つのランシサンニン、パラダ、そして、サッダサンニン、セーチャカ、そして、パドゥマプッピンがあり、五十六の詩偈が述べ伝えられた」〔と〕。
10. スダーの章
10. 1. スダーピンディヤ長老の行状
1. 覚者たちを、もしくは、弟子たちであろうが、供養に値する者たちを供養しているなら──戯論(分別妄想)を超え行き、憂いと嘆きを超え渡った者たちを〔供養しているなら〕──
2. 涅槃に到達し、何も恐れない、彼らを、そのような者たちを供養しているなら──この功徳〔の量〕を、これなるものと計測するのは、たとえ、何をもってしても、できないであろう(その功徳の量は計り知れない)。
3. すなわち、ここに、たとえ、四つの洲の権力を執行するとして、これは、一なる供養の、十六分の一にも値しない。
4. シッダッタ〔世尊〕のために、至高の人たる方のために、塔の裂けた隙間に、石膏の塊が、わたしによって施された──浄信した心で。
5. すなわち、〔わたしが〕行為を為した、そのとき、これより、九十四カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、〔塔の〕修復の果である。
6. これより、三十カッパ〔の過去〕において、パティサンカーラという呼び名を有する者たちとして〔世に存した〕──七つの宝を成就した、十三者の転輪〔王〕たちとして。
7. 四つの融通無礙は〔実証され〕、そして、また、これらの八つの解脱も〔実証された〕。六つの神知は実証され、覚者の教えは為された。
かくのごとく、まさに、尊者スダーピンディヤ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──
スダーピンディヤ長老の行状が、第一となる。
10. 2. スチンティカ長老の行状
8. ティッサ〔世尊〕のために、世の主たる方のために、わたしは、清浄なる椅子を施した──欣喜した者となり、欣喜した心で、覚者のために、太陽の眷属たる方のために。
9. これより、十八カッパ〔の過去〕において、マハールチ〔という名〕の王として〔世に〕存した。そして、広大なる財物が、さらに、少なからざる臥具が、〔わたしに〕存した。
10. 浄信した心で、椅子を、覚者に施して、過去における自己の善行〔の果〕を、自らの行為〔の果〕を、〔わたしは〕受領する。
11. すなわち、〔わたしが〕椅子を施した、そのとき、これより、九十二カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、椅子の布施の果である。
12. これより、三十八カッパ〔の過去〕において、それらの三者の転輪〔王〕たちとして〔世に存した〕──ルチとして、まさしく、そして、ウパルチとして、第三の者たるマハールチとして。
13. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。
かくのごとく、まさに、尊者スチンティカ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──
スチンティカ長老の行状が、第二となる。
10. 3. アッダチェーラカ長老の行状
14. わたしは、半分の布地を、ティッサ世尊に施した──悪しき境遇に引き渡され、最高の悪しき智慧に至り得た者として〔世に〕存する、わたしであるが。
15. 半分の布地を施して、わたしは、カッパのあいだ、天上において歓喜した。諸々の残りのカッパにおいては、わたしによって、善なる〔行為〕が執行された。
16. すなわち、〔わたしが〕布地を施した、そのとき、これより、九十二カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、布地の布施の果である。
17. 四十九カッパ〔の過去〕において、転輪王たちとして〔世に存した〕。サマンタッチャダナという名の、三十二者の人の君主たちとして〔世に〕存した。
18. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。
かくのごとく、まさに、尊者アッダチェーラカ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──
アッダチェーラカ長老の行状が、第三となる。
10. 4. スーチダーヤカ長老の行状
19. 最上の都のバンドゥマーにおいて、かつて、わたしは、鍛冶屋として〔世に〕存した。ヴィパッシン〔世尊〕のために、偉大なる聖賢のために、針の布施が、わたしによって施された。
20. 〔その〕行為〔の果〕によって、至高の金剛に等しき、そのような知恵が有る。〔わたしは〕離貪者として〔世に〕存している。〔わたしは〕解脱者として〔世に〕存している。〔わたしは〕煩悩の滅尽に至り得た者として〔世に〕存している。
21. そして、過去の一切の生存を、さらに、〔今現在〕転起している〔一切の生存〕を、未来の〔一切の生存〕を、〔その〕全てを、知恵によって弁別した。これは、針の布施の果である。
22. これより、九十一カッパ〔の過去〕において、七者のヴァジラという呼び名ある者たちとして〔世に〕存した──七つの宝を成就した、大いなる勢力ある転輪〔王〕たちとして。
23. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。
かくのごとく、まさに、尊者スーチダーヤカ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──
スーチダーヤカ長老の行状が、第四となる。
10. 5. ガンダマーリヤ長老の行状
24. シッダッタ世尊のために、わたしは、香料の塔を作った。スマナ〔の花々〕に覆われたものにして、覚者に至当なるものが作られた。
25. 価値ある黄金の似姿ある方を、覚者を、世の至高の導き手たる方を、青蓮のように光り輝く方を、献火のように燃え盛る方を──
26. 最も優れた虎や雄牛のような方を、善き生まれの獅子のような方を──比丘の僧団に囲まれ、〔そこに〕坐っている、沙門たちのなかの至高者たる方を〔見て〕──
27. 教師の〔両の〕足を敬拝して、北に向かい立ち去った。〔わたしが〕香料と花飾を施した、そののち、これより、九十四カッパ〔の未来〕において──
28. 覚者にたいし為すことが為された、〔その〕果によって、特に、わたしは、悪しき境遇を証知しない。これは、覚者の供養の果である。
29. 三十九カッパ〔の過去〕において、十六者〔の王たち〕として〔世に〕存した──デーヴァガンダという名を有する、それらの〔十六者の〕転輪王たちとして。
30. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。
かくのごとく、まさに、尊者ガンダマーリヤ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──
ガンダマーリヤ長老の行状が、第五となる。
10. 6. ティプッピヤ長老の行状
31. かつて、鹿の猟師として〔世に〕存した──わたしは、林のなかにあり、森のなかにある。緑あざやかなパータリー〔樹〕(ヴィパッシン覚者の菩提樹)を見て、三つの花を振りまいた。
32. そのとき、わたしは、諸々の落葉を収め取って、外に捨て放った。内に清浄にして外に清浄なる方を、善き解脱者にして煩悩なき方を──
33. ヴィパッシン〔世尊〕を、世の導き手たる方を──面前の正覚者を〔敬拝する〕ように、パータリー〔樹〕を敬拝して、そこにおいて、わたしは、命を終えたのだった。
34. すなわち、〔わたしが〕菩提〔樹〕を供養した、これより、九十一カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、菩提〔樹〕の供養の果である。
35. サマンタパーサーディカという名の、十三者の王たちとして〔世に〕存した──これより、三十三カッパ〔の過去〕において、大いなる勢力ある転輪〔王〕たちとして。
36. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。
かくのごとく、まさに、尊者ティプッピヤ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──
ティプッピヤ長老の行状が、第六となる。
10. 7. マドゥピンディカ長老の行状
37. 音声少なく混乱なき、林において、森において、〔彼を〕見て──シッダッタ〔世尊〕を、聖賢たちのなかの最勝者たる方を、諸々の捧げものの納受者たる方を──
38. 自己が涅槃に到達した偉大なる龍たる方を、善き生まれの雄牛のような方を、遍照する明星のような方を、天〔の神々〕たちの群れに礼拝される方を、〔彼を〕見て──
39. まさしく、ただちに、歓悦〔の思い〕が、わたしに有った。まさしく、ただちに、知恵が生起した。蜜を、禅定から出起した教師に施して──
40. 教師の〔両の〕足を敬拝して、東に向かい立ち去った。三十四カッパ〔の過去〕において、スダッサナ〔という名〕の王として〔世に〕存した。
41. 諸々の蓮根から、蜜が流れ出る。そして、食においては、まさしく、ただちに、蜜の雨が降った。これは、過去の行為の果である。
42. すなわち、〔わたしが〕蜜を施した、そのとき、これより、九十四カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、蜜の布施の果である。
43. これより、三十四カッパ〔の過去〕において、それらの四者のスダッサナ〔という名の者たち〕として〔世に存した〕──七つの宝を成就した、大いなる勢力ある転輪〔王〕たちとして。
44. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。
かくのごとく、まさに、尊者マドゥピンディカ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──
マドゥピンディカ長老の行状が、第七となる。
10. 8. セーナーサナダーヤカ長老の行状
45. 葉の敷物を、シッダッタ世尊に施した。そして、持参した花を、遍きにわたり、わたしは振りまいた。
46. まさしく、高楼において、喜ばしき徳ある高価なるものを、〔わたしは〕受領する。そして、諸々の高価なる花々が、わたしの臥所において溢れ出る。
47. 様々な彩りの花々が広げられた臥所において、わたしは横たわる。そして、臥所において、まさしく、ただちに、花の雨が降る。
48. 〔わたしが〕葉の敷物を施した、これより、九十四カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、敷物の果である。
49. ティナサンタラカという名の、これらの七者の転輪〔王〕たちとして、これより、第五のカッパ〔の過去〕において、それらの〔七者の〕人の君主たちとして、〔世に〕生起した。
50. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。
かくのごとく、まさに、尊者セーナーサナダーヤカ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──
セーナーサナダーヤカ長老の行状が、第八となる。
10. 9. ヴェイヤーヴァッチャカ長老の行状
51. ヴィパッシン世尊には、膨大にして大いなる衆徒が有った。〔わたしは〕全ての義務に多忙なる勤め人として〔世に〕存した。
52. そして、わたしに、施すべき法(施物)は存在しない──善き至達者たる方のために、偉大なる聖賢のために。〔わたしは〕教師の〔両の〕足を敬拝した──浄信した心で。
53. わたしが、〔弟子の〕勤めを為した、これより、九十一カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、〔弟子の〕勤めの果である。
54. そして、これより、第八のカッパ〔の過去〕において、スティンティタ〔という名〕の王として〔世に〕存した──七つの宝を成就した、大いなる勢力ある転輪〔王〕として。
55. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。
かくのごとく、まさに、尊者ヴェイヤーヴァッチャカ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──
ヴェイヤーヴァッチャカ長老の行状が、第九となる。
10. 10. ブッドゥパッターカ長老の行状
56. ヴィパッシン世尊のために、法螺貝を吹く者として〔世に〕有った。善き至達者たる方のために、偉大なる聖賢のために、常に奉仕に専念する者として〔世に〕存した。
57. 見よ──世の主たる方への、如なる方への、奉仕の果を。六万の楽器が、常に、わたしを取り囲む。
58. 〔わたしが〕偉大なる聖賢に奉仕した、これより、九十一カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、奉仕の果である。
59. これより、二十四カッパ〔の過去〕において、マハーニッゴーサという名の、十六者の王たちとして〔世に〕存した──大いなる勢力ある転輪〔王〕たちとして。
60. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。
かくのごとく、まさに、尊者ブッドゥパッターカ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──
ブッドゥパッターカ長老の行状が、第十となる。
スダーの章が、第十となる。
その〔章〕のための摂頌となる。
〔そこで、詩偈に言う〕「スダー、スチンティン、そして、布、そして、針、ガンダマーリヤ、ティプッピヤ、蜜と臥具、そして、ヴェイヤーヴァッチャ、ウパッタカがあり、そして、正味六十の詩偈が、この章において述べ伝えられた」〔と〕。
そこで、章の摂頌となる。
〔そこで、詩偈に言う〕「まさに、覚者の章が、第一となり、シーハーサニン、そして、スブーティ、クンダダーナ、そして、ウパーリ、ビージャニ、そして、サカチンティン──
ナーガサマーラ、ティミラがあり、スダーの章とともに、それらの十〔の章〕があり、千四百の詩偈があり、さらに、まさしく、五十五〔の詩偈〕がある」〔と〕。
〔以上が〕覚者の章の十なるものとなる。
第一の百なるものは〔以上で〕完結となる。
11. ビッカダーインの章
11. 1. ビッカダーヤカ長老の行状
1. 黄金の色艶ある正覚者を、諸々の捧げものの納受者たる方を、最も優れたものから離欲した方を、〔欲の〕林から〔欲の〕林なきへと至り着いた方を、〔わたしは見た〕。
2. 〔わたしは〕ひと匙の行乞〔の施食〕を施した──シッダッタ〔世尊〕のために、偉大なる聖賢のために、智慧によって寂静となった方のために、偉大なる勇者のために、如なる方のために。
3. 逐次順々にやってくる大勢の人を、〔覚者が〕涅槃に到達させていると、巨大なる歓悦〔の思い〕が、わたしに生まれた──覚者にたいし、太陽の眷属たる方にたいし。
4. すなわち、〔わたしが〕布施を施した、そのとき、これより、九十四カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、行乞〔の施食〕の布施の果である。
5. これより、八十七カッパ〔の過去〕において、マハーレーヌという名を有する者たちとして〔世に存した〕──七つの宝を成就した、これらの七者の転輪〔王〕たちとして。
6. 四つの融通無礙は〔実証され〕、そして、また、これらの八つの解脱も〔実証された〕。六つの神知は実証され、覚者の教えは為された。
かくのごとく、まさに、尊者ビッカダーヤカ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──
ビッカダーヤカ長老の行状が、第一となる。
11. 2. ニャーナサンニカ長老の行状
7. 黄金の色艶ある正覚者を、善き生まれの雄牛のような方を、三種に〔発情し〕激情したマータンガ〔象〕やクンジャラ〔象〕のような偉大なる聖賢を──
8. 全ての方角を照らしている方を、星々の王(月)のように円満している方を、道を行きつつある世の最尊者たる方を、わたしは見た。
9. 〔覚者の〕知恵にたいし、心を浄信させて、合掌を差し出して、浄信した心の者となり、悦意の者となり、シッダッタ〔世尊〕を敬拝した。
10. すなわち、〔わたしが〕行為を為した、そのとき、これより、九十四カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、知恵の表象の果である。
11. これより、七十三カッパ〔の過去〕において、十六者の最上の人たちとして〔世に〕存した──七つの宝を成就した、大いなる勢力ある転輪〔王〕たちとして。
12. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。
かくのごとく、まさに、尊者ニャーナサンニカ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──
ニャーナサンニカ長老の行状が、第二となる。
11. 3. ウッパラハッティヤ長老の行状
13. そのとき、わたしは、ティヴァラーに居住する花飾師として〔世に〕有った。〔わたしは〕見た──〔世俗の〕塵を離れる覚者を、シッダッタ〔世尊〕を、世〔の人々〕に供養される方を。
14. 浄信した心の者となり、悦意の者となり、わたしは、手にする花を施した。そこかしこにおいて、〔わたしが〕再生するなら、その行為に由縁して──
15. 過去における自己の善行〔の果〕を、好ましき果を、〔わたしは〕受領する──美しい花々に遍く囲まれた者となり。これは、花の布施の果である。
16. すなわち、〔わたしが〕花を献上した、これより、九十四カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、花の布施の果である。
17. 〔今現在〕転起している〔生存〕を除いて、九十四〔カッパ〕を加え含めて、そこにおいて、ナッジャサマという名を有する、五百の王たちとして〔世に存した〕。
18. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。
かくのごとく、まさに、尊者ウッパラハッティヤ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──
ウッパラハッティヤ長老の行状が、第三となる。
11. 4. パダプージャカ長老の行状
19. 野の花を、わたしは、シッダッタ世尊に施した。〔覚者の両の〕足もとに、七つの花が、わたしによって、笑みとともに振りまかれた。
20. その行為〔の果〕によって、わたしは、今日、人と神たちを圧倒する。〔わたしは〕最後の肉身を保つ──正等覚者の教えにおいて。
21. すなわち、〔わたしが〕花を献上した、これより、九十四カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、花の供養の果である。
22. サマンタガンダという名の、十三者の転輪〔王〕たちとして〔世に〕存した──これより、第五のカッパ〔の過去〕において、四辺の人の君主たちとして。
23. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。
かくのごとく、まさに、尊者パダプージャカ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──
パダプージャカ長老の行状が、第四となる。
11. 5. ムッティプッピヤ長老の行状
24. そのとき、わたしは、名としては、スダッサナという〔名の〕、花飾師として〔世に有った〕。〔わたしは〕見た──〔世俗の〕塵を離れる覚者を、世の最尊者にして人の雄牛たる方を。
25. 野の花を収め取って、パドゥムッタラ〔世尊〕を供養した。清浄なる眼の者となり、悦意の者となり、天眼に到達した。
26. この花の供養によって、さらに、諸々の心の誓願によって、十万カッパのあいだ、わたしは、悪しき境遇に再生しなかった。
27. デーヴッタラという名を有する、十六者の王たちとして〔世に〕存した──これより、三十六カッパ〔の過去〕において、大いなる勢力ある転輪〔王〕たちとして。
28. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。
かくのごとく、まさに、尊者ムッティプッピヤ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──
ムッティプッピヤ長老の行状が、第五となる。
11. 6. ウダカプージャカ長老の行状
29. 〔天高く〕曲がりなき風のなかを赴きつつある、黄金の色艶ある正覚者を、酪火のように燃え盛る方を、献火のように燃え盛る方を、〔わたしは見た〕。
30. 手で水を収め取って、わたしは、虚空に投げ上げた。覚者は、慈悲の者たる聖賢は、偉大なる勇者は、〔それを〕領受した。
31. パドゥムッタラという名の教師は、空中に止住し、わたしの思惟を了知して、この詩偈を語った。
32. 〔パドゥムッタラ世尊は言った〕「この水の布施によって、さらに、喜悦〔の思い〕の生起によって、十万カッパのあいだでさえも、悪しき境遇に再生しません」〔と〕。
33. 二足者のインダたる方よ、世の最尊者にして人の雄牛たる方よ、その行為〔の果〕によって、勝利と敗北を捨棄して、〔わたしは〕不動の境位に至り得た者として〔世に〕存している。
34. 名としては、サハッサラージャン〔という名〕の、それらの三者の転輪〔王〕たちとして〔世に存した〕──六千五百カッパ〔の過去〕において、四辺の人の君主たちとして。
35. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。
かくのごとく、まさに、尊者ウダカプージャカ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──
ウダカプージャカ長老の行状が、第六となる。
11. 7. ナラマーリヤ長老の行状
36. パドゥムッタラ覚者のために、世の最尊者にして如なる方のために、葉の敷物のうえに坐っている、〔心が〕寂静となった如なる方のために──
37. 葦の花飾を収め取って、扇に結び縛って、わたしは、覚者に差し出した──二足者のインダたる如なる方に。
38. 一切を知る方は、世の導き手たる方は、扇を納受して、わたしの思惟を了知して、この詩偈を語った。
39. 〔パドゥムッタラ世尊は言った〕「すなわち、わたしの身体が寂滅し、苦悶が見出されないように、まさしく、そのように、三種類の火(貪・瞋・痴の三毒)から、あなたの心は解脱せよ」〔と〕。
40. 彼らが誰であれ、林に依拠する、全ての天〔の神々〕たちが集いあつまった。〔彼らは言った〕「覚者の言葉を、〔わたしたちは〕聞くのだ。さらに、笑みを浮かべている施者を〔見るのだ〕」〔と〕。
41. そこにおいて、世尊は坐り、天〔の神々〕たちの群れに囲まれ、施者を感動させながら、これらの詩偈を語った。
42. 〔パドゥムッタラ世尊は言った〕「この扇の布施によって、さらに、諸々の心の誓願によって、名としては、スッバタという名の、転輪〔王〕と成るでしょう。
43. その行為の残り〔の果〕によって、白根に促され、名としては、マールタという名の、転輪〔王〕と成るでしょう。
44. この扇の布施によって、さらに、広大なる敬仰によって、十万カッパのあいだでさえも、悪しき境遇に再生しません」〔と〕。
45. 三万カッパ〔の過去〕において、それらの三十八者のスバッタ〔という名の者たち〕として〔世に存した〕。二万九千カッパ〔の過去〕において、八者のマールタという名の者たちとして〔世に存した〕。
46. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。
かくのごとく、まさに、尊者ナラマーリヤ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──
ナラマーリヤ長老の行状が、第七となる。
〔以上が〕第七の朗読分となる。
11. 8. アーサヌパッターハカ長老の行状
47. 音声少なく混乱なき、森に、林に、入って行って、アッタダッシン〔世尊〕のために、如なる方のために、獅子の坐が、わたしによって施された。
48. 手に花飾を携えて、そして、彼に、右回り〔の礼〕を為して、教師に奉侍して、北に向かい立ち去った。
49. 二足者のインダたる方よ、世の最尊者にして人の雄牛たる方よ、その行為〔の果〕によって、〔わたしは〕自己を等しく寂滅させる。一切の〔迷いの〕生存は完破された。
50. すなわち、〔わたしが〕布施を施した、そのとき、千八百カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、獅子の坐の果である。
51. これより、七百カッパ〔の過去〕において、サンニッバーパカ〔という名〕の士族として〔世に存した〕──七つの宝を成就した、大いなる勢力ある転輪〔王〕として。
52. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。
かくのごとく、まさに、尊者アーサヌパッターハカ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──
アーサヌパッターハカ長老の行状が、第八となる。
11. 9. ビラーリダーヤカ長老の行状
53. ヒマヴァントの遠からざるところ、〔わたしは〕葉の敷物のうえに住する。諸々の食糧にたいする貪求〔の思い〕を起こした者として、そして、〔それを〕より勝る戒とする者として、そのとき、わたしは〔世に有った〕。
54. 諸々のアールやカランバ〔の球根〕を掘り、さらに、諸々のビラーリやタッカラ〔の球根〕を〔掘り〕、棗を、胡桃を、ビッラ〔樹の果実〕を、持ち運んで〔食として〕設えたのだった。
55. パドゥムッタラ〔世尊〕は、世〔の一切〕を知る方は、諸々の捧げものの納受者たる方は、わたしの思惟を了知して、わたしの現前にやってきた。
56. 近しく赴いた偉大なる龍たる方に、天の天たる方に、人の雄牛たる方に、ビラーリ〔の球根〕を差し出して、わたしは、鉢のなかに振りまいた。
57. そのとき、わたしを満足させながら、偉大なる勇者は、〔それを〕遍く受益した。遍く受益して〔そののち〕、一切を知る方は、この詩偈を語った。
58. 〔パドゥムッタラ世尊は言った〕「自らの心を浄信させて、あなたは、ビラーリ〔の球根〕を、わたしに施しました。十万カッパのあいだ、〔あなたは〕悪しき境遇に再生しません」〔と〕。
59. わたしにとって最後のものが転起する。一切の〔迷いの〕生存は完破された。〔わたしは〕最後の肉身を保つ──正等覚者の教えにおいて。
60. これより、五十四カッパ〔の過去〕において、スメーカリヤという呼び名を有する者として〔世に存した〕──七つの宝を成就した、大いなる勢力ある転輪〔王〕として。
61. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。
かくのごとく、まさに、尊者ビラーリダーヤカ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──
ビラーリダーヤカ長老の行状が、第九となる。
11. 10. レーヌプージャカ長老の行状
62. 黄金の色艶ある正覚者を、百光の太陽のような方を、全ての方角を照らしている方を、星々の王(月)のように円満している方を──
63. 諸々の海洋に〔囲まれている〕地のように、弟子たちに囲まれた方を〔見て〕、ナーガ〔の花〕を、諸々の花粉とともに差し出して、ヴィパッシン〔世尊〕に献上した。
64. すなわち、〔わたしが〕花粉を献上した、これより、九十一カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、覚者の供養の果である。
65. これより、四十五カッパ〔の過去〕において、レーヌという名の士族として〔世に〕存した──七つの宝を成就した、大いなる勢力ある転輪〔王〕として。
66. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。
かくのごとく、まさに、尊者レーヌプージャカ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──
レーヌプージャカ長老の行状が、第十となる。
ビッカダーインの章が、第十一となる。
その〔章〕のための摂頌となる。
〔そこで、詩偈に言う〕「ビッカダーイン、ニャーナサンニン、ハッティヤ、パダプージャカ、ムッティプッピン、ウダカダ、ナラマーリン、ウパッタカ、ビラーリダーイン、そして、レーヌがあり、そして、六十の詩偈があり、さらに、六つ〔の詩偈〕がある」〔と〕。
12. マハー・パリヴァーラの章
12. 1. マハー・パリヴァーラカ長老の行状
1. ヴィパッシンという名の世尊は、世の最尊者にして人の雄牛たる方は、六万八千の者たちとともに、そのとき、バンドゥマー〔の城市〕に入った。
2. 〔わたしは〕城市から出て、灯明の塔廟に赴いた。〔わたしは〕見た──〔世俗の〕塵を離れる覚者を、諸々の捧げものの納受者たる方を。
3. 八万四千の夜叉たちは、わたしの近前にあり、恭しく奉仕する──三十三〔天〕の衆たちが、インダに〔奉仕する〕ように。
4. 居所から出て、そのとき、わたしは、布地を、〔覚者に〕差し出して、頭をもって敬拝した。そして、それを、偉大なる聖賢に施した。
5. ああ、覚者なのだ、ああ、法(真理)なのだ、ああ、わたしたちの教師の成就なのだ。覚者の威力によって、この大地は揺れ動いた。
6. そして、その稀有なることを見て、未曾有にして身の毛のよだつことを〔見て〕、二足者のインダたる如なる方にたいし、覚者にたいし、〔わたしは〕心を浄信させる。
7. 〔まさに〕その、わたしは、心を浄信させて、布地を、教師に施して、幕僚と共に、従者と共に、そして、帰依所として、〔覚者のもとに〕近しく赴いた。
8. すなわち、〔わたしが〕行為を為した、そのとき、これより、九十一カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、覚者の供養の果である。
9. これより、十五カッパ〔の過去〕において、十六者のスヴァーハナ〔という名の者たち〕として〔世に〕存した──七つの宝を成就した、大いなる勢力ある転輪〔王〕たちとして。
10. 四つの融通無礙は〔実証され〕、そして、また、これらの八つの解脱も〔実証された〕。六つの神知は実証され、覚者の教えは為された。
かくのごとく、まさに、尊者マハー・パリヴァーラカ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──
マハー・パリヴァーラカ長老の行状が、第一となる。
12. 2. スマンガラ長老の行状
11. アッタダッシン〔世尊〕は、優れた勝者は、世の最尊者にして人の雄牛たる方は、精舎から出て、池に近づいて行った。
12. 沐浴して、かつまた、〔水を〕飲んで、正覚者は、〔池から〕出て、一衣の者となり、方々を顧みながら、そこにおいて、世尊は立った。
13. 居所において近しく坐し、わたしは、世の導き手たる方を見た。欣喜した者となり、欣喜した心で、そのとき、わたしは拍手した。
14. 百光のように光り輝いている方を〔見て〕、黄金のように照り輝いている方を〔見て〕、わたしは、舞踏と歌詠に、さらに、五つの支分ある楽器に、専念する者となる。
15. 天〔の神〕たる〔境遇〕に、さらに、人間に、その〔胎〕その胎に再生するなら、一切の有情たちを圧倒する。わたしの盛名は、広大なるものと成る。
16. 〔わたしは言った〕「善き生まれの人士たる方よ、あなたに、礼拝〔有れ〕。最上の人士たる方よ、あなたに、礼拝〔有れ〕。牟尼よ、あなたは、自己を満足させて、他者たちを満足させます」〔と〕。
17. 納受者のもとに坐って、善き掟ある方にたいし笑みを為して、正覚者に奉仕して、わたしは、兜率〔天〕に再生した。
18. これより、千六百カッパ〔の過去〕において、九十二者のエーカチンティタ〔という名の者たち〕として〔世に存した〕──七つの宝を成就した、大いなる勢力ある転輪〔王〕たちとして。
19. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。
かくのごとく、まさに、尊者スマンガラ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──
スマンガラ長老の行状が、第二となる。
12. 3. サラナガマニヤ長老の行状
20. 二者の天の王たちに、戦いが現起し、合戦が有った。大いなる喚呼が転起した。
21. パドゥムッタラ〔世尊〕は、世〔の一切〕を知る方は、諸々の捧げものの納受者たる方は、教師は、空中に止住し、大勢の人を畏怖させた。
22. 全ての天〔の神々〕たちが、わが意を得た者たちとなり、鎧と武器を捨て置き、正覚者を敬拝して、まさしく、ただちに、〔心が〕一境の者たちとして存した。
23. 〔覚者は〕わたしの思惟を了知して、言葉を発した。慈しみ〔の思い〕ある方は、世〔の一切〕を知る方は、大勢の人を寂滅させた(安心させ騒ぎを静めた)。
24. 〔パドゥムッタラ世尊は言った〕「汚れた心の人間は、一者の命ある者を悩ましながら、その心の汚れによって、悪所に再生します。
25. 戦場の先頭にいる象のように、多くの命ある者を悩ましている者は、自らの心を寂滅させるのです。繰り返し、打ちのめされてはいけません」〔と〕。
26. 二者の夜叉の王たちのその軍団もまた、驚愕するところと成った。そして、帰依所として、世の最尊者のもとに、真に如なる方のもとに、〔彼らは〕近しく赴いた。
27. 人民を説得して、眼ある方は、足を引き上げた。まさしく、〔わたしは〕注視しながら、天〔の神々〕たちとともに、北に向かい立ち去った。
28. 〔わたしは〕最初に、帰依所として、〔覚者のもとに〕赴いた──二足者のインダたる如なる方に。十万カッパのあいだ、わたしは、悪しき境遇に再生しなかった。
29. そして、マハードゥンドゥビという名の、十六者の車上の雄牛(国王)たちとして〔世に〕存した──三万カッパ〔の過去〕において、転輪王たちとして。
30. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。
かくのごとく、まさに、尊者サラナガマニヤ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──
サラナガマニヤ長老の行状が、第三となる。
12. 4. エーカーサニヤ長老の行状
31. そのとき、わたしは、名としては、ヴァルナという名の、天の王として〔世に有った〕。〔わたしは〕正覚者に奉仕した──車馬と軍隊の旅団と共に。
32. アッタダッシン〔世尊〕が、最上の人たる方が、世の導き手たる方が、涅槃に到達したとき、〔わたしは〕全ての楽器を携えて、最上の菩提〔樹〕に赴いた。
33. 鐃(シンバル)や鉦を打ち鳴らし、そして、音楽と舞踏によって、面前の正覚者に〔奉仕する〕ように、最上の菩提〔樹〕に奉仕した。
34. 地に育つ〔聖なる〕植物である、その菩提〔樹〕に奉仕して、結跏を組んで、そこにおいて、わたしは、命を終えたのだった。
35. わたしは、自らの行為〔の果〕に満悦した者となり、最上の菩提〔樹〕にたいし浄信した者となり、その心の浄信によって、わたしは、化作〔天〕に再生した。
36. 六万の楽器が、常に、わたしを取り囲む──そして、人間たちと天〔の神々〕たちにおいて、種々なる生存において転起しながら。
37. わたしの三種類の火は寂滅し、一切の〔迷いの〕生存は完破された。〔わたしは〕最後の肉身を保つ──正等覚者の教えにおいて。
38. 名としては、スバーフという名の、三十四者の士族たちとして〔世に〕存した──これより、五百カッパ〔の過去〕において、七つの宝を成就した者たちとして。
39. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。
かくのごとく、まさに、尊者エーカーサニヤ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──
エーカーサニヤ長老の行状が、第四となる。
12. 5. スヴァンナプッピヤ長老の行状
40. ヴィパッシンという名の世尊は、世の最尊者にして人の雄牛たる方は、人の衆のうちに坐り、不死の境処を説示した。
41. わたしは、二足者のインダたる如なる方の、彼の、法(教え)を聞いて、四つの黄金の花を、覚者に献上した。
42. そのとき、およそ、衆のあるかぎり、黄金の覆いが存した。そして、覚者の輝きがあり、黄金の輝きがあり、〔その〕光明は、広大なるものと成った。
43. 〔わたしは〕勇躍する心の者となり、悦意の者となり、感嘆〔の思い〕を生じ、合掌を為し、彼らに歓悦〔の思い〕を生み、所見の法(現法:現世)における安楽をもたらす者として──
44. 正覚者に懇願して、そして、正覚者を敬拝して、歓喜〔の思い〕を生じさせて、自らの居所へと近しく赴いた。
45. 居所において近しく坐し、わたしは、最勝の覚者を随念した。その心の浄信によって、わたしは、兜率〔天〕に再生した。
46. すなわち、〔わたしが〕花を献上した、これより、九十一カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、覚者の供養の果である。
47. ネーミサンマタという名の、十六者の王たちとして〔世に〕存した──これより、四十三カッパ〔の過去〕において、大いなる勢力ある転輪〔王〕たちとして。
48. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。
かくのごとく、まさに、尊者スヴァンナプッピヤ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──
スヴァンナプッピヤ長老の行状が、第五となる。
12. 6. チタカプージャカ長老の行状
49. ラージャーヤタナ〔樹〕のもと、幕僚と共に、従者と共に、〔わたしは〕住する。世尊が完全なる涅槃に到達したとき、シキン〔世尊〕の、世の眷属たる方の──
50. 荼毘の薪山に、わたしは赴いた──浄信した心の者となり、悦意の者となり。そこにおいて、〔わたしは〕楽器を奏でて、香料と花飾を等しく振りまいた。
51. 荼毘の薪山にたいし供養を為して、荼毘の薪山を敬拝して、わたしは、浄信した心の者となり、悦意の者となり、自らの居所へと近しく赴いた。
52. 居所において近しく坐し、わたしは、荼毘の薪山の供養を随念した。二足者のインダたる方よ、世の最尊者にして人の雄牛たる方よ、その行為〔の果〕によって──
53. 天〔の神々〕たちにおいて、そして、人間たちにおいて、〔天と人の二つの〕得達を受領して、勝利と敗北を捨棄して、〔わたしは〕不動の境位に至り得た者として〔世に〕存している。
54. すなわち、〔わたしが〕花を献上した、これより、三十一カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、荼毘の薪山の供養の果である。
55. これより、二十九カッパ〔の過去〕において、十六者の王たちとして〔世に存した〕──名としては、ウッガタという名の、大いなる勢力ある転輪〔王〕たちとして。
56. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。
かくのごとく、まさに、尊者チタカプージャカ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──
チタカプージャカ長老の行状が、第六となる。
12. 7. ブッダサンニャカ長老の行状
57. ヴィパッシン〔世尊〕が、世の至高者たる方が、寿命を形成する働き(行:生の輪廻を施設し造作する働き)を放棄した、そのとき、地は激動した──水を帯とする大地は。
58. 幅広く加工された、わたしの美しく様々な彩りある耳飾も、居所もまた、揺れ動いた──覚者に、寿命の消滅あるとき。
59. 居所が激動したとき、わたしに、恐れが生起したのだった。「いったい、何を義(目的)として、天変があり、広大なる光明が有ったのか」〔と〕。
60. ここに、ヴェッサヴァナ(毘沙門天)がやってきて、大勢の人を寂滅させた(安心させ騒ぎを静めた)。「命ある生類においては、恐怖は存在せず。〔心が〕一境となり統御された者たちと成れ」〔と〕。
61. ああ、覚者なのだ、ああ、法(真理)なのだ、ああ、わたしたちの教師の成就なのだ。それが生起しつつあるとき、地は激動する。
62. 覚者の威力を賛じ称えて、わたしは、カッパのあいだ、天上において歓喜した。諸々の残りのカッパにおいては、わたしによって、善なる〔行為〕が行なわれた。
63. すなわち、〔わたしが〕表象を得た、そのとき、これより、九十一カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、覚者の表象の果である。
64. これより、十四カッパ〔の過去〕において、輝きある王として〔世に〕存した──名としては、サミタという名の、大いなる勢力ある転輪〔王〕として。
65. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。
かくのごとく、まさに、尊者ブッダサンニャカ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──
ブッダサンニャカ長老の行状が、第七となる。
12. 8. マッガサンニャカ長老の行状
66. パドゥムッタラ覚者の、森を歩む弟子たちが、密林のなかで遭難し、盲者たちのように進めずにいる。
67. 〔世の〕導き手たるパドゥムッタラ〔世尊〕を、正覚者を、思念して、「彼の、牟尼の、子である彼らが、大いなる林のなかで遭難したのだ」〔と〕──
68. 居所から降り行って、比丘たちの現前に赴いた。わたしは、彼らに、そして、道を告げ知らせ、さらに、食料を施した。
69. 二足者のインダたる方よ、世の最尊者にして人の雄牛たる方よ、その行為〔の果〕によって、わたしは、生まれて七年で、阿羅漢の資質に至り得た。
70. 名としては、サチャックという名の、十二者の転輪王たちとして〔世に存した〕──これより、五百カッパ〔の過去〕において、七つの宝を成就した者たちとして。
71. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。
かくのごとく、まさに、尊者マッガサンニャカ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──
マッガサンニャカ長老の行状が、第八となる。
12. 9. パッチュパッターナサンニャカ長老の行状
72. アッタダッシン〔世尊〕が、善き至達者たる方が、涅槃に到達したとき、等しく直後に、そして、そのとき、わたしは、福徳に至り得た者として、夜叉の胎に再生した。
73. 光輝は薄れ、出起し難く、悪しく得られたものが、まさに、わたしに存した。すなわち、わたしに、財物は見出されるも、眼ある方が、完全なる涅槃に到達したのだ。
74. わたしの思惟を了知して、サーガラという名の弟子が、わたしを引き上げることを欲し、彼が、わたしの現前にやってきた。
75. 〔彼は言った〕「いったい、どうして、〔あなたは〕憂い悲しむのですか。恐れてはいけません。思慮深き者よ、法(正義)〔の道〕を歩みなさい。覚者によって与えられたものは、全ての者たちにとって、種の成就となります。
76. もし、彼が、〔世に〕止住しつつ、〔まさに〕その、世の導き手たる方を、正覚者を供養するなら、たとえ、〔覚者が〕涅槃に到達したとして、芥子粒ほどの遺物をもまた、供養するべきです。
77. 正しきものとして、心の浄信があるなら、正しきものとして、功徳は、高価なるものとなります。それゆえに、塔を作って、勝者の諸々の遺物を供養しなさい」〔と〕。
78. サーガラの言葉を聞いて、わたしは、覚者の塔を作った。五年のあいだ、牟尼の最上の塔を世話した。
79. 二足者のインダたる方よ、世の最尊者にして人の雄牛たる方よ、その行為〔の果〕によって、〔天と人の二つの〕得達を受領して、阿羅漢の資質に至り得た。
80. これより、七百カッパ〔の過去〕において、そして、四者のブーリパンニャ〔という名の者たち〕として〔世に存した〕──七つの宝を成就した、大いなる勢力ある転輪〔王〕たちとして。
81. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。
かくのごとく、まさに、尊者パッチュパッターナサンニャカ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──
パッチュパッターナサンニャカ長老の行状が、第九となる。
12. 10. ジャーティプージャカ長老の行状
82. ヴィパッシン〔世尊〕が、〔世に〕生まれつつあると、広大なる光明が有った。海洋を含め、山を含め、そして、地は揺れ動いた。
83. そして、占い師たちは説き明かした。「覚者が、世に有るであろう。そして、一切の有情たちのなかの至高者たる方として、人民を引き上げるであろう」〔と〕。
84. 占い師たちの〔言葉を〕聞いて、わたしは、出生の供養を為した──そのような出生の供養なるものは、このような供養は、〔世に〕存在しないとして。
85. 善なる〔功徳〕を形成して、〔わたしは〕自らの心を浄信させた。出生の供養を為して、そこにおいて、わたしは、命を終えたのだった。
86. 天〔の神〕たる〔境遇〕に、さらに、人間に、その〔胎〕その胎に再生するなら、一切の有情たちを圧倒する。これは、出生の供養の果である。
87. 乳母たちは、わたしに奉仕する──わたしの心の支配に従い行く者たちとなり。彼女たちは、わたしを怒らせることができない。これは、出生の供養の果である。
88. すなわち、〔わたしが〕供養を為した、そのとき、これより、九十一カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、出生の供養の果である。
89. スパーリチャリヤという名の、三十四者の人の君主たちとして〔世に存した〕──これより、第三のカッパ〔の過去〕において、大いなる勢力ある転輪〔王〕たちとして。
90. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。
かくのごとく、まさに、尊者ジャーティプージャカ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──
ジャーティプージャカ長老の行状が、第十となる。
マハー・パリヴァーラの章が、第十二となる。
その〔章〕のための摂頌となる。
〔そこで、詩偈に言う〕「パリヴァーラとスマンガラ、サラナとアーサナとプッピヤ、チタプージン、ブッダサンニンがあり、マッガとウパッターナとジャーティとともに、分明なる者たちによって説かれた、九十の詩偈が数えられた」〔と〕。
13. セーレイヤの章
13. 1. セーレイヤカ長老の行状
1. 〔聖典の〕読誦者にして呪文の保持者として、三つのヴェーダの奥義に至る者として、野外に立つ〔わたし〕は、〔そのように〕存しつつ、世の導き手たる方を見た。
2. 林を歩む獅子のような方を、恐れなき虎の王のような方を、三種に〔発情し〕激情したマータンガ〔象〕やクンジャラ〔象〕のような偉大なる聖賢を〔見て〕──
3. セーレイヤカ〔の花〕を収め取って、わたしは、虚空に投げ上げた。覚者の威力によって、〔それらの花は〕全てにわたり、〔覚者を〕取り囲む。
4. 一切を知る方は、世の導き手たる方は、偉大なる勇者は、〔心を〕確立した。〔人々は〕遍きにわたり、花々の覆いを、人の雄牛たる方に振りまいた。
5. そののち、その花の外覆いは、茎を内に、〔花の〕面を外に、七日のあいだ、覆いを作り為して、そののち、消没した。
6. そして、その稀有なることを見て、未曾有にして身の毛のよだつことを〔見て〕、善き至達者たる方にたいし、世の導き手たる方にたいし、覚者にたいし、〔わたしは〕心を浄信させた。
7. その心の浄信によって、白根に促され、十万カッパのあいだ、わたしは、悪しき境遇に再生しなかった。
8. 一万五千カッパ〔の過去〕において、二十五者〔の王たち〕として〔世に存した〕──そして、ヴィータマラという等しき〔名の〕、大いなる勢力ある転輪〔王〕たちとして。
9. 四つの融通無礙は〔実証され〕、そして、また、これらの八つの解脱も〔実証された〕。六つの神知は実証され、覚者の教えは為された。
かくのごとく、まさに、尊者セーレイヤカ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──
セーレイヤカ長老の行状が、第一となる。
13. 2. プッパトゥーピヤ長老の行状
10. ヒマヴァントの遠からざるところ、クックラという名の山がある。その〔山〕の中に、呪文の奥義に至る婆羅門が住する。
11. 五千の徒弟たちが、常に、わたしを取り囲む。そして、われ先に奮起する者たちとして、さらに、諸々の呪文における熟達者たちとして、彼らは存した。
12. 〔徒弟たちは言った〕「覚者が、世に生起したのだ。彼を識知するのだ。わたしたちの尊き方は、彼には、八十の特徴も、三十二の優れた特相も、〔存在し〕ない。
13. 優れた勝者は、〔一〕ヴヤーマ(尋:長さの単位・一ヴヤーマは約二メートル)の光があり、太陽のように遍照する」〔と〕。徒弟たちの言葉を聞いて、呪文の奥義に至る婆羅門は──
14. 庵所から出て、方角を、徒弟たちに尋ねる。偉大なる勇者が、世の導き手たる方が、その地域に住するなら──
15. その方角を、わたしは礼拝するでろう──勝者を、対する人なき方を。〔わたしは〕勇躍する心の者となり、悦意の者となり、彼を、如来を、供養した。
16. 〔わたしは言った〕「徒弟たちよ、さあ、〔わたしたちは〕赴くのだ。如来にお会いするのだ。教師の〔両の〕足を敬拝して、勝者の教えを聞くのだ」〔と〕。
17. 〔庵所から〕出て、一日のあいだに、わたしは、病苦を得た。病苦に責め苛まれ、〔そのように〕存しつつ、滞在するべく、堂舎に赴いた。
18. 全ての徒弟たちを集めて、彼らに、如来のことを尋ねた。世の導き手たる方には、最高の覚慧ある方には、どのような徳があるのかを。
19. 尋ねられた彼らは、わたしに説き明かした──すなわち、見ある者たちとして、そのとおりに。〔彼らは〕恭しく、最勝の覚者のことを、彼のことを、わたしの面前にて説示した。
20. わたしは、彼らの言葉を聞いて、自らの心を浄信させた。花々によって塔を作って、そこにおいて、わたしは、命を終えたのだった。
21. 彼らは、わたしの肉体を燃やして、覚者の現前に赴いた。合掌を差し出して、教師を敬拝した。
22. 善き至達者たる方のために、偉大なる聖賢のために、花々によって塔を作って〔そののち〕、十万カッパのあいだ、わたしは、悪しき境遇に再生しなかった。
23. 四万カッパ〔の過去〕において、十六者の士族たちとして〔世に存した〕──名としては、アッギサマという名の、大いなる勢力ある転輪〔王〕たちとして。
24. 二万カッパ〔の過去〕において、転輪王たちとして〔世に存した〕──まさしく、ガターサナという名を有する、三十八者の大地の長たちとして。
25. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。
かくのごとく、まさに、尊者プッパトゥーピヤ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──
プッパトゥーピヤ長老の行状が、第二となる。
13. 3. パーヤサダーヤカ長老の行状
26. 黄金の色艶ある正覚者は、三十二の優れた特相ある方は、比丘の僧団に囲まれ、山林から出たのだった。
27. わたしは、大いなる銅の鉢に、粥を盛り付けて──捧げものを供えることを欲する、〔まさに〕その、わたしは──供物を運び込んだ。
28. その時点において、世尊は、世の最尊者にして人の雄牛たる方は、〔瞑想のための〕歩行場に登り行き、風の道なる宙に〔止住する〕。
29. そして、その稀有なることを見て、未曾有にして身の毛のよだつことを〔見て〕、銅の鉢を据え置いて、ヴィパッシン〔世尊〕を敬拝した。
30. 〔わたしは言った〕「あなたは、天たる方として、一切を知る方として、〔世に〕存しておられます──天を含む〔世〕において、人間を含む〔世〕において。偉大なる牟尼よ、慈しみ〔の思い〕を抱いて、〔わたしの施物を〕納受したまえ」〔と〕。
31. 一切を知る方は、世の導き手たる方は、世尊は、〔それを〕納受した──わたしの思惟を了知して、教師は、世における偉大なる牟尼は。
32. すなわち、〔わたしが〕布施を施した、そのとき、これより、九十一カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、粥の果である。
33. これより、四十一カッパ〔の過去〕において、ブッダという名の士族として〔世に〕存した──七つの宝を成就した、大いなる勢力ある転輪〔王〕として。
34. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。
かくのごとく、まさに、尊者パーヤサダーヤカ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──
パーヤサダーヤカ長老の行状が、第三となる。
13. 4. ガンドーダキヤ長老の行状
35. 優美なる高楼のうちに坐って、〔わたしは〕見た──ヴィパッシン〔世尊〕を、勝者を、カクダ〔樹〕のように輝いている方を、一切を知る方を、闇を滅ぼす方を。
36. そして、高楼の遠からざるところ、世の導き手たる方は赴く。そして、あたかも、百光〔の太陽〕のように、彼の光は放たれる。
37. そして、香りある水を差し出して、最勝の覚者に等しく振りまいた。その心の浄信によって、そこにおいて、わたしは、命を終えたのだった。
38. すなわち、〔わたしが〕香りある水を振りまいた、これより、九十一カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、覚者の供養の果である。
39. これより、三十一カッパ〔の過去〕において、スガンダという名の士族として〔世に〕存した──七つの宝を成就した、大いなる勢力ある転輪〔王〕として。
40. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。
かくのごとく、まさに、尊者ガンドーダキヤ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──
ガンドーダキヤ長老の行状が、第四となる。
13. 5. サンムカータヴィカ長老の行状
41. ヴィパッシン〔世尊〕が、〔世に〕生まれつつあるとき、わたしは、形相を説き明かし、そして、人民を寂滅させた(安心させ騒ぎを静めた)。〔わたしは言った〕「覚者が、世に有るであろう。
42. そして、彼が、〔世に〕生まれつつあるとき、一万〔の世の界域〕が揺れ動くなら、彼は、今や、世尊として、教師として、眼ある方として、法(教え)を説示する。
43. そして、彼が、〔世に〕生まれつつあるとき、広大なる光明が有ったなら、彼は、今や、世尊として、教師として、眼ある方として、法(教え)を説示する。
44. そして、彼が、〔世に〕生まれつつあるとき、諸々の川が流れなかったなら、彼は、今や、世尊として、教師として、眼ある方として、法(教え)を説示する。
45. そして、彼が、〔世に〕生まれつつあるとき、阿鼻〔地獄〕の火が燃えなかったなら、彼は、今や、世尊として、教師として、眼ある方として、法(教え)を説示する。
46. そして、彼が、〔世に〕生まれつつあるとき、鳥たちの群れが飛び交わなかったなら、彼は、今や、世尊として、教師として、眼ある方として、法(教え)を説示する。
47. そして、彼が、〔世に〕生まれつつあるとき、風の塊が吹かないなら、彼は、今や、世尊として、教師として、眼ある方として、法(教え)を説示する。
48. そして、彼が、〔世に〕生まれつつあるとき、一切の宝玉が輝き照らしたなら、彼は、今や、世尊として、教師として、眼ある方として、法(教え)を説示する。
49. そして、彼が、〔世に〕生まれつつあるとき、七歩の勇猛なる歩みが存したなら、彼は、今や、世尊として、教師として、眼ある方として、法(教え)を説示する。
50. そして、生まれたばかりの正覚者が、全ての方角を眺め、言葉を発したなら、これは、覚者たちの法(性質)たることである」〔と〕。
51. 〔わたしは〕人民を畏怖させて、世の導き手たる方を奉賛して、正覚者を敬拝して、東に向かい立ち去った。
52. すなわち、〔わたしが〕覚者を賛嘆した、これより、九十一カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、賛嘆の果である。
53. これより、九十カッパ〔の過去〕において、サンムカータヴィカという呼び名ある者として〔世に存した〕──七つの宝を成就した、大いなる勢力ある転輪〔王〕として。
54. これより、八十九〔カッパの過去〕において、パタヴィードゥンドゥビという名の者として〔世に存した〕──七つの宝を成就した、大いなる勢力ある転輪〔王〕として。
55. これより、八十八カッパ〔の過去〕において、オーバーサという名の士族として〔世に存した〕──七つの宝を成就した、大いなる勢力ある転輪〔王〕として。
56. これより、八十七カッパ〔の過去〕において、サリタッチエーダナという呼び名ある者として〔世に存した〕──七つの宝を成就した、大いなる勢力ある転輪〔王〕として。
57. 八十六カッパ〔の過去〕において、アッギニッバーパナという名の者として〔世に存した〕──七つの宝を成就した、大いなる勢力ある転輪〔王〕として。
58. 八十五カッパ〔の過去〕において、ガティパッチェーダナという名の者として〔世に存した〕──七つの宝を成就した、大いなる勢力ある転輪〔王〕として。
59. 八十四カッパ〔の過去〕において、ヴァータサマという名の王として〔世に存した〕──七つの宝を成就した、大いなる勢力ある転輪〔王〕として。
60. 八十三カッパ〔の過去〕において、ラタナパッジャラという名の者として〔世に存した〕──七つの宝を成就した、大いなる勢力ある転輪〔王〕として。
61. 八十二カッパ〔の過去〕において、パダヴィッカマナという名の者として〔世に存した〕──七つの宝を成就した、大いなる勢力ある転輪〔王〕として。
62. 八十一カッパ〔の過去〕において、ヴィローカナという名の王として〔世に存した〕──七つの宝を成就した、大いなる勢力ある転輪〔王〕として。
63. 八十カッパ〔の過去〕において、名としては、ギラサーラという〔名の〕士族として〔世に存した〕──七つの宝を成就した、大いなる勢力ある転輪〔王〕として。
64. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。
かくのごとく、まさに、尊者サンムカータヴィカ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──
サンムカータヴィカ長老の行状が、第五となる。
13. 6. クスマーサニヤ長老の行状
65. ダンニャヴァティーの城市において、そのとき、〔わたしは〕婆羅門として〔世に〕有った。特相における、かつまた、古伝における、語彙を含み活用を含む〔熟知者として〕──
66. 詩句に通じ、文典に精通し、形相における熟知者として、わたしは、そして、諸々の呪文を、徒弟たちに教授した──三つのヴェーダの奥義に至る者として。
67. 五つの手にする青蓮が、わたしの背に据え置かれた。捧げものとして供えることを欲し、わたしは、父と母の集うところに〔赴いた〕。
68. そのとき、ヴィパッシン世尊は、比丘の僧団に囲まれ、人の雄牛たる方は、全ての方角を照らしながらやってくる。
69. 坐を設置して、偉大なる牟尼を招いて、その花を広げて、〔覚者を〕自らの家に迎え入れた。
70. それが、わたしのものとして、自らの家に存するなら、美食として仕立て上げ、わたしは、それを、覚者に施した──浄信した者となり、自らの〔両の〕手で。
71. 〔覚者が〕食事を終えた時を了知して、わたしは、手にする花を、〔覚者に〕施した。一切を知る方は、随喜して、北に向かい立ち去った。
72. すなわち、〔わたしが〕花を施した、そのとき、これより、九十一カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、花の布施の果である。
73. これより、直前のカッパ〔の過去〕において、ヴァラダッサナ〔という名〕の王として〔世に〕有った──七つの宝を成就した、大いなる勢力ある転輪〔王〕として。
74. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。
かくのごとく、まさに、尊者クスマーサニヤ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──
クスマーサニヤ長老の行状が、第六となる。
13. 7. パラダーヤカ長老の行状
75. 〔聖典の〕読誦者にして呪文の保持者として、三つのヴェーダの奥義に至る者として、ヒマヴァントの遠からざるところ、わたしは、庵所に住する。
76. そして、わたしには、祭火への捧げものが存在し、さらに、諸々の白蓮の果実が〔存在する〕──袋に詰めて、わたしが木の先端に掛けておいたものが。
77. パドゥムッタラ〔世尊〕は、世〔の一切〕を知る方は、諸々の捧げものの納受者たる方は、彼は、わたしを引き上げることを欲し、行乞しながら、わたしのもとへと近しく赴いた。
78. 浄信した心の者となり、悦意の者となり、わたしは、果実を、覚者に施した。わたしに歓悦〔の思い〕を生み、所見の法(現世)における安楽をもたらす方は──
79. 黄金の色艶ある正覚者は、諸々の捧げものの納受者たる方は、教師は、空中に止住し、この詩偈を語った。
80. 〔パドゥムッタラ世尊は言った〕「この果実の布施によって、さらに、諸々の思欲による誓願によって、十万カッパのあいだ、悪しき境遇に再生しません」〔と〕。
81. まさしく、その白根(善根)によって、諸々の成就を受領して〔そののち〕、勝利と敗北を捨棄して、〔わたしは〕不動の境位に至り得た者として〔世に〕存している。
82. これより、七百カッパ〔の過去〕において、スマンガラ〔という名〕の王として〔世に〕存した──七つの宝を成就した、大いなる勢力ある転輪〔王〕として。
83. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。
かくのごとく、まさに、尊者パラダーヤカ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──
パラダーヤカ長老の行状が、第七となる。
13. 8. ニャーナサンニカ長老の行状
84. ヒマヴァントの山において、〔わたしは〕山間に住する。美しく輝く砂粒を見て、最勝の覚者を随念した。
85. 「知恵において、比較するものは存在しない。教師に、形成〔作用〕(行)は存在しない。一切の法(事象)を〔あるがままに〕証知して、知恵によって信念する。
86. 善き生まれの人士たる方よ、あなたに、礼拝〔有れ〕。最上の人士たる方よ、あなたに、礼拝〔有れ〕。およそ、最上の知恵としてあるかぎり、知恵をもってして、あなたと等しき者は存在しない」〔と〕。
87. 知恵にたいし、心を浄信させて、わたしは、カッパのあいだ、天上において歓喜した。諸々の残りのカッパにおいては、わたしによって、善なる〔行為〕が行なわれた。
88. すなわち、〔わたしが〕表象を得た、そのとき、これより、九十一カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、知恵の表象の果である。
89. これより、七十カッパ〔の過去〕において、一者のプリナプッピヤ〔という名の者〕として〔世に存した〕──七つの宝を成就した、大いなる勢力ある転輪〔王〕として。
90. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。
かくのごとく、まさに、尊者ニャーナサンニカ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──
ニャーナサンニカ長老の行状が、第八となる。
13. 9. ガンティプッピヤ長老の行状
91. 黄金の色艶ある正覚者は、ヴィパッシン〔世尊〕は、施物に値する方は、弟子たちに囲まれ、林園から出た。
92. わたしは、最勝の覚者を、一切を知る方を、闇を滅ぼす方を、見て、浄信した心の者となり、悦意の者となり、ガンティの花を供養した。
93. その心の浄信によって、二足者のインダたる如なる方のために、欣喜した者となり、欣喜した心で、ふたたび、如来を敬拝した。
94. すなわち、〔わたしが〕花を献上した、これより、九十一カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、覚者の供養の果である。
95. これより、四十一カッパ〔の過去〕において、チャラナという名の士族として〔世に存した〕──七つの宝を成就した、大いなる勢力ある転輪〔王〕として。
96. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。
かくのごとく、まさに、尊者ガンティプッピヤ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──
ガンティプッピヤ長老の行状が、第九となる。
13. 10. パドゥマプージャカ長老の行状
97. ヒマヴァントの遠からざるところ、ゴータマという名の山がある。種々なる木々に等しく覆われ、大いなる精霊たちの群れの集まる所である。
98. そして、その〔山〕の中に、化作された庵所が存した。徒弟たちに囲まれ、わたしは、庵所に住する。
99. 〔わたしは言った〕「わたしの徒弟衆よ、行くのだ。わたしのもとに、蓮華を持ち運ぶのだ。〔わたしは〕覚者の供養を為すであろう──二足者のインダたる如なる方のために」〔と〕。
100. 「わかりました」と、彼らは答えて、わたしのもとに、蓮華を持ち運んだ。わたしは、そのとおりに形相を作り為して、覚者に献上した。
101. そのとき、わたしは、徒弟たちを集めて、善くしっかりと教示した。〔わたしは言った〕「まさに、あなたたちは、〔気づきを〕怠ってはならない。〔気づきを〕怠らないこと(不放逸)は、安楽をもたらすものとなる」〔と〕。
102. 言葉を受認する者たちである、それらの徒弟たちを、このように正しく教示して、〔気づきを〕怠らないことの徳に専念する者として、そのとき、わたしは、命を終えたのだった。
103. すなわち、〔わたしが〕花を献上した、これより、九十一カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、覚者の供養の果である。
104. 五十一カッパ〔の過去〕において、ジャルッタマ〔という名〕の王として〔世に〕存した──七つの宝を成就した、大いなる勢力ある転輪〔王〕として。
105. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。
かくのごとく、まさに、尊者パドゥマプージャカ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──
パドゥマプージャカ長老の行状が、第十となる。
セーレイヤの章が、第十三となる。
その〔章〕のための摂頌となる。
〔そこで、詩偈に言う〕「セーレイヤカ、プッパトゥーピン、粥、香りと賛嘆者、アーサニン、そして、果実とサンニン、ガンティと蓮華の花があり、義(道理)を見る者たちによって、百を超えること五つの詩偈が数えられた」〔と〕。
14. ソービタの章
14. 1. ソービタ長老の行状
1. パドゥムッタラという名の勝者は、世の最尊者にして人の雄牛たる方は、大勢の人の衆に、不死の境処を説示する。
2. わたしは、彼の言葉を聞いて、発せられた威厳ある言葉を〔聞いて〕、合掌を差し出して、そのとき、わたしは、〔心が〕一境の者として存した。
3. 〔わたしは言った〕「すなわち、諸々の水域のなかでは、海が、至高のものであり、山々のなかでは、ネール(須弥山)の連山が、最も優れたものであるように、まさしく、そのように、〔自らの〕心の支配によって転起する、それらの者たちも、すなわち、覚者の知恵の〔十六分の〕一にも及ばない」〔と〕。
4. 法(教え)の手順を据え置いて、覚者は、慈悲の者たる聖賢は、比丘の僧団のうちに坐って、これらの詩偈を語った。
5. 〔パドゥムッタラ世尊は言った〕「すなわち、彼は、知恵を賛じ称えました──覚者にたいし、世の導き手にたいし。十万カッパのあいだ、〔彼は〕悪しき境遇に赴かないでしょう。
6. 諸々の〔心の〕汚れを焼き尽くして、〔心が〕一境に善く定められた者となり、名としては、ソービタという名の、教師の弟子として〔世に〕有るでしょう」〔と〕。
7. 五万カッパ〔の過去〕において、まさしく、七者のヤスッガタ〔という名の者たち〕として〔世に〕存した──七つの宝を成就した、大いなる勢力ある転輪〔王〕たちとして。
8. わたしの、諸々の〔心の〕汚れは焼尽し、一切の〔迷いの〕生存は完破された。三つの明知は獲得され、覚者の教えは為された。
9. 四つの融通無礙は〔実証され〕、そして、また、これらの八つの解脱も〔実証された〕。六つの神知は実証され、覚者の教えは為された。
かくのごとく、まさに、尊者ソービタ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──
ソービタ長老の行状が、第一となる。
14. 2. スダッサナ長老の行状
10. ヴィナター川の岸辺において、結果したピラック〔樹〕が有った。わたしは、その木を探し求めながら、世の導き手たる方を見た。
11. そのとき、わたしは、花ひらいたケータカ〔樹の花〕を見て、茎のところで断ち切って、シキン〔世尊〕に、世の眷属たる方に、覚者に、献上した。
12. 〔わたしは言った〕「その知恵によって、〔あなたが〕死滅なき不死の境処に至り得た者として〔世に〕存する、〔まさに〕その知恵を、最勝の覚者よ、偉大なる牟尼よ、〔わたしは〕供養します」〔と〕。
13. 知恵にたいし供養を為して、わたしは、ピラック〔樹の果実〕を施した。〔わたしは〕その表象を(※)獲得した者として〔世に〕存している。これは、知恵の供養の果である。
※ テキストには paññaṃ とあるが、PTS版により spaññaṃ と読む。
14. すなわち、〔わたしが〕花を献上した、これより、三十一カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、知恵の供養の果である。
15. これより、十三カッパ〔の過去〕において、十二者のパルッガタ〔という名の者たち〕として〔世に〕存した──七つの宝を成就した、大いなる勢力ある転輪〔王〕たちとして。
16. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。
かくのごとく、まさに、尊者スダッサナ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──
スダッサナ長老の行状が、第二となる。
14. 3. チャンダナプージャナカ長老の行状
17. チャンダバーガー川の岸辺において、そのとき、〔わたしは〕妖精として〔世に〕有った。そして、わたしは、花を食物とする者として、そのように、諸々の花を衣とする者として、〔世に〕存した。
18. さてまた、アッタダッシン世尊は、世の最尊者にして人の雄牛たる方は、森の頂きから出てきた。〔彼は〕鵞鳥の王のように、宙にある。
19. 〔わたしは言った〕「善き生まれの人士たる方よ、あなたに、礼拝〔有れ〕。あなたの心は、善く清められています。〔あなたは〕澄浄なる顔の色艶ある方として、澄浄なる顔と〔感官の〕機能ある方として、〔世に〕存しておられます」〔と〕。
20. 虚空から降りて、広き智慧ある方は、思慮深き方は、大衣を広げて、結跏で近しく坐した。
21. 〔わたしは〕精製した栴檀を携えて、勝者の前に赴いた。浄信した心の者となり、悦意の者となり、覚者に献上した。
22. 正覚者を、世の最尊者にして人の雄牛たる方を、敬拝して、歓喜〔の思い〕を生じさせて、北に向かい立ち去った。
23. すなわち、〔わたしが〕栴檀を供養した、千八百カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、覚者の供養の果である。
24. これより、千四百カッパ〔の過去〕において、それらの三者〔の王たち〕として〔世に〕存した──名としては、ローハニという名の、大いなる勢力ある転輪〔王〕たちとして。
25. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。
かくのごとく、まさに、尊者チャンダナプージャナカ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──
チャンダナプージャナカ長老の行状が、第三となる。
〔以上が〕第八の朗読分となる。
14. 4. プッパッチャダニヤ長老の行状
26. 名としては、スナンダという名の、呪文の奥義に至る婆羅門として〔世に有った〕。読誦者は、乞いに応じる者として、ヴァージャペイヤ〔祭〕を執り行なった。
27. パドゥムッタラ〔世尊〕は、世〔の一切〕を知る方は、至高の者にして慈悲の者たる聖賢は、そのとき、人民を慈しみながら、宙を歩行した。
28. 歩行して〔そののち〕、正覚者は、一切を知る方は、世の導き手たる方は、〔生存の〕依り所なき方は、慈愛〔の心〕をもって、無量なる有情たちを充満した。
29. 花々を茎のところで断ち切って、呪文の奥義に至る婆羅門は、全ての徒弟たちを集めて、虚空に投げ上げさせた。
30. およそ、城市のあるかぎり、そのとき、花々の覆いが存した。覚者の威力によって、七日のあいだ、〔覆いは〕離れ去らなかった。
31. まさしく、その白根によって、諸々の成就を受領して〔そののち〕、一切の煩悩を遍知して、世における執着を超え渡った者となる。
32. 千百カッパ〔の過去〕において、三十五者の士族たちとして〔世に〕存した──アンバランサという名を有する、それらの大いなる勢力ある転輪〔王〕たちとして。
33. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。
かくのごとく、まさに、尊者プッパッチャダニヤ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──
プッパッチャダニヤ長老の行状が、第四となる。
14. 5. ラホーサンニャカ長老の行状
34. ヒマヴァントの遠からざるところ、ヴァサバという名の山がある。その山麓において、造作された庵所が存した。
35. そのとき、婆羅門〔のわたし〕は、三千の徒弟たちに教授した。それらの徒弟を集めて、〔わたしは〕一方に近坐した。
36. 一方に坐って、呪文の奥義に至る婆羅門は、覚者の知を探し求めながら、知恵にたいし、心を浄信させた。
37. そこにおいて、心を浄信させて、葉の敷物のうえに坐った。結跏を組んで、そこにおいて、わたしは、命を終えたのだった。
38. すなわち、〔わたしが〕表象を得た、そのとき、これより、三十一カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、知恵の表象の果である。
39. 二十七カッパ〔の過去〕において、シリダラ〔という名〕の王として〔世に〕有った──七つの宝を成就した、大いなる勢力ある転輪〔王〕として。
40. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。
かくのごとく、まさに、尊者ラホーサンニャカ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──
ラホーサンニャカ長老の行状が、第五となる。
14. 6. チャンパカプッピヤ長老の行状
41. カニカーラ〔樹の花〕のように輝いている〔覚者〕を、山間に坐っている〔覚者〕を、明けの明星のように全ての方角を照らしている〔覚者〕を、〔わたしは見た〕。
42. 〔わたしには〕三者の学生たちが存した。自らの技芸において善き学びある者たちである。天秤を荷として収め取って、わたしの、そのあとから従い行く。
43. 袋のなかには、苦行者によって詰められた七つの花がある。それらを収め取って、知恵にたいし〔供養して〕、ヴェッサブー〔世尊〕に献上した。
44. すなわち、〔わたしが〕花を献上した、これより、三十一カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、知恵の供養の果である。
45. 二十九カッパ〔の過去〕において、ヴィプラーバという名を有する者として〔世に存した〕──七つの宝を成就した、大いなる勢力ある転輪〔王〕として。
46. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。
かくのごとく、まさに、尊者チャンパカプッピヤ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──
チャンパカプッピヤ長老の行状が、第六となる。
14. 7. アッタサンダッサカ長老の行状
47. 広き花畑に坐した〔わたし〕は、世の導き手たる方を見た──比丘の僧団に囲まれた、煩悩の滅尽者にして力に至り得た方を。
48. 十万の、三つの明知ある者たちが、六つの神知ある者たちが、大いなる神通ある者たちが、正覚者を取り囲む──〔彼を〕見て〔そののち〕、誰が、浄信しないというのだろう。
49. 彼の知恵においては、比較になるものが天を含む〔世〕において見出されない、〔そのような〕無限の知恵ある正覚者を──〔彼を〕見て〔そののち〕、誰が、浄信しないというのだろう。
50. そして、法(真理)の身体(法身)を明らかにする方を、全一なる宝の鉱脈たる方を、〔世の人々が〕想い描くことができない、〔そのような正覚者を〕──〔彼を〕見て〔そののち〕、誰が、浄信しないというのだろう。
51. これらの三つの詩偈によって、ナーラダという呼び名ある牛飼いは、パドゥムッタラ〔世尊〕を、正覚者を、〔一切に〕敗れることなき方を、奉賛して──
52. その心の浄信によって、さらに、覚者を奉賛することによって、十万カッパのあいだ、わたしは、悪しき境遇に再生しなかった。
53. これより、三千カッパ〔の過去〕において、スミッタという名の士族として〔世に存した〕──七つの宝を成就した、大いなる勢力ある転輪〔王〕として。
54. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。
かくのごとく、まさに、尊者アッタサンダッサカ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──
アッタサンダッサカ長老の行状が、第七となる。
14. 8. エーカパサーダニヤ長老の行状
55. わたしには、「ナーラダ」という名がある。わたしのことを、〔人々は〕「ケーサヴァ」と知る。善なるものと善ならざるものを探し求めながら、覚者の現前に赴いた。
56. 慈愛の心ある方は、慈悲の者たる方は、アッタダッシン〔世尊〕は、偉大なる牟尼は、彼は、有情たちを安堵させながら、眼ある方は、法(教え)を説示する。
57. 〔わたしは〕自らの心を浄信させて、頭に合掌を為して、教師を敬拝して、東に向かい立ち去った。
58. 千七百カッパ〔の過去〕において、大地の長たる王として〔世に〕存した──アミッタターパナという名の、大いなる勢力ある転輪〔王〕として。
59. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。
かくのごとく、まさに、尊者エーカパサーダニヤ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──
エーカパサーダニヤ長老の行状が、第八となる。
14. 9. サーラプッパダーヤカ長老の行状
60. そのとき、〔わたしは〕獣の王として、善き生まれの獅子として、〔世に〕存した。山の難所〔の道〕を探し求めながら、世の導き手たる方を見た。
61. いったい、まさに、この方は、偉大なる勇者なのか、大勢の人を涅槃に到達させる。それなら、さあ、わたしは、天の天たる方に、人の雄牛たる方に、近侍するのだ。
62. サーラ〔樹〕の枝を折って、梢と共に、花を持ち運んだ。正覚者のもとへと近しく赴いて、最上の花を施した。
63. すなわち、〔わたしが〕花を献上した、これより、九十一カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、花の布施の果である。
64. そして、これより、第九のカッパ〔の過去〕において、ヴィローチャナという名を有する、三者の王たちとして〔世に〕存した──大いなる勢力ある転輪〔王〕たちとして。
65. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。
かくのごとく、まさに、尊者サーラプッパダーヤカ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──
サーラプッパダーヤカ長老の行状が、第九となる。
14. 10. ピヤーラパラダーヤカ長老の行状
66. そのとき、〔わたしは〕他者を遮ることなき鳩として〔世に〕存した。〔わたしは〕山窟に臥所を営む──シキン教師の遠からざるところにおいて。
67. 夕に、そして、朝に、覚者を、世の至高の導き手たる方を、〔わたしは〕見る。そして、わたしに、施すべき法(施物)は存在しない──二足者のインダたる如なる方のために。
68. 〔わたしは〕ピヤーラ〔樹〕の果実を取って、覚者の現前に赴いた。世の最尊者にして人の雄牛たる方は、世尊は、〔それを〕納受した。
69. そののち、他〔の果実〕を取って、〔世の〕導き手たる方を世話した。その心の浄信によって、そこにおいて、わたしは、命を終えたのだった。
70. すなわち、わたしが、果実を施した、これより、三十一カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、果実の布施の果である。
71. これより、十五カッパ〔の過去〕において、三者のピヤーリン〔という名の者たち〕として〔世に〕存した──七つの宝を成就した、大いなる勢力ある転輪〔王〕たちとして。
72. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。
かくのごとく、まさに、尊者ピヤーラパラダーヤカ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──
ピヤーラパラダーヤカ長老の行状が、第十となる。
ソービタの章が、第十四となる。
その〔章〕のための摂頌となる。
〔そこで、詩偈に言う〕「そして、ソービタとスダッサナ、チャンダナ、プッパチャダナ、ラホー、そして、チャンパカプッピン、そして、アッタサンダッサカとともに──
エーカパサーディン、サーラダダ、第十のものとしてパラダーヤカがあり、分明なる者たちによって、そして、七十二の詩偈が数えられた」〔と〕。
15. チャッタの章
15. 1. アティチャッティヤ長老の行状
1. アッタダッシン世尊が、最上の人たる方が、完全なる涅槃に到達したとき、傘蓋の上に傘蓋を作って、塔にたいし献上した。
2. 〔その〕時〔その〕時に、〔塔に〕やってきては、世の導き手たる方を礼拝した。花々の覆いを作り為して、傘蓋にたいし献上した。
3. 千七百カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕天の王権を為した。〔わたしは〕人間たる〔境遇〕に赴かない。これは、塔の供養の果である。
4. 四つの融通無礙は〔実証され〕、そして、また、これらの八つの解脱も〔実証された〕。六つの神知は実証され、覚者の教えは為された。
かくのごとく、まさに、尊者アティチャッティヤ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──
アティチャッティヤ長老の行状が、第一となる。
15. 2. タンバーローパカ長老の行状
5. ダンマダッシン〔世尊〕が、人の雄牛たる方が、世の主たる方が、涅槃に到達したとき、旗と柱を、最勝の覚者の塔廟にたいし献上した。
6. 梯子を造作して、最勝の塔に登った。野の花を収め取って、塔にたいし献上した。
7. ああ、覚者なのだ、ああ、法(真理)なのだ、ああ、わたしたちの教師の成就なのだ。〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、塔の供養の果である。
8. これより、九十四カッパ〔の過去〕において、トゥーパシーカという名を有する、十六者の王たちとして〔世に〕存した──大いなる勢力ある転輪〔王〕たちとして。
9. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。
かくのごとく、まさに、尊者タンバーローパカ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──
タンバーローパカ長老の行状が、第二となる。
15. 3. ヴェーディカーラカ長老の行状
10. ピヤダッシン〔世尊〕が、最上の人たる方が、世の主たる方が、涅槃に到達したとき、浄信した心の者となり、悦意の者となり、わたしは、真珠の欄干を作った。
11. 諸々の宝珠で取り囲んで、最上の欄干を作った。欄干のための祭を為して、そこにおいて、わたしは、命を終えたのだった。
12. 天〔の神〕たる〔境遇〕に、さらに、人間に、その〔胎〕その胎に再生するなら、〔人々は〕虚空において諸々の宝珠を保持する。これは、功徳の行為の果である。
13. これより、千六百カッパ〔の過去〕において、マニッパバという名を有する、三十六者の王たちとして〔世に〕存した──大いなる勢力ある転輪〔王〕たちとして。
14. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。
かくのごとく、まさに、尊者ヴェーディカーラカ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──
ヴェーディカーラカ長老の行状が、第三となる。
15. 4. サパリヴァーリヤ長老の行状
15. パドゥムッタラという名の勝者は、世の最尊者にして人の雄牛たる方は、火の塊のように燃え盛って、正覚者は、完全なる涅槃に到達した者となる。
16. そして、偉大なる勇者が涅槃に到達したとき、塔の拡張が有った。〔人々は〕はるか遠くから〔やってきて〕奉仕する──最上の優れた遺物の家にたいし。
17. 浄信した心の者となり、悦意の者となり、栴檀の欄干を作った。そして、塔の肩が見える、そのとき、塔は、至当なるものとなる。
18. 天〔の神〕たる〔境遇〕において、さらに、人間において、〔天と人の二つの〕生存において発現しているとき、〔他の〕下等なる〔境遇〕を見ない(天界と人間界においてのみ輪廻する)。わたしにとって、これは、過去の行為の果である。
19. これより、千五百カッパ〔の過去〕において、八者の人たちとして〔世に〕有った──全てがサマッタという名の、それらの大いなる勢力ある転輪〔王〕たちとして。
20. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。
かくのごとく、まさに、尊者サパリヴァーリヤ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──
サパリヴァーリヤ長老の行状が、第四となる。
15. 5. ウマープッピヤ長老の行状
21. シッダッタ世尊が、世〔の人々〕に敬される方が、諸々の捧げものの納受者たる方が、涅槃に到達したとき、大いなる塔の祭が有った。
22. 祭が転起しているとき、シッダッタ〔世尊〕のために、偉大なる聖賢のために、亜麻の花を収め取って、塔にたいし献上した。
23. すなわち、〔わたしが〕花を献上した、これより、九十四カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、塔の供養の果である。
24. そして、これより、第九のカッパ〔の過去〕において、ソーマデーヴァという名を有する、八十五者の王たちとして〔世に〕存した──大いなる勢力ある転輪〔王〕たちとして。
25. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。
かくのごとく、まさに、尊者ウマープッピヤ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──
ウマープッピヤ長老の行状が、第五となる。
15. 6. アヌレーパダーヤカ長老の行状
26. アノーマダッシン牟尼のために、わたしは、菩提〔樹〕の欄干を作った。石膏の塊を施して、わたしは、手の行為(作業)を為した。
27. その善行の行為を見て、アノーマダッシン〔世尊〕は、最上の人たる方は、教師は、比丘の僧団のうちに立ち、この詩偈を語った。
28. 〔アノーマダッシン世尊は言った〕「この善き行為によって、さらに、諸々の思欲による誓願によって、〔天と人の二つの〕得達を受領して、苦しみの終極を為すでしょう」〔と〕。
29. 〔わたしは〕澄浄なる顔の色艶ある者として、〔心が〕一境に善く定められた者として、〔世に〕存している。〔わたしは〕最後の肉身を保つ──正等覚者の教えにおいて。
30. これより、欠くことなく遍く満ちた百カッパ〔の過去〕において、〔わたしは〕存した──サッバガナという名の者の王として、大いなる勢力ある転輪〔王〕として。
31. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。
かくのごとく、まさに、尊者アヌレーパダーヤカ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──
アヌレーパダーヤカ長老の行状が、第六となる。
15. 7. マッガダーヤカ長老の行状
32. 川を超え渡って、眼ある方は、林を赴く。〔わたしは〕見た──彼を、正覚者を、シッダッタ〔世尊〕を、優れた特相ある方を。
33. 鋤と籠を取って、その道を平坦に為して、教師を敬拝して、自らの心を浄信させた。
34. すなわち、〔わたしが〕行為を為した、そのとき、これより、九十四カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、道の布施の果である。
35. 五十七カッパ〔の過去〕において、一者の人の君主として〔世に〕存した──名としては、スッパブッダという〔名の〕、導き手として、〔まさに〕その、人のイッサラ(国王)として。
36. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。
かくのごとく、まさに、尊者マッガダーヤカ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──
マッガダーヤカ長老の行状が、第七となる。
15. 8. パラカダーヤカ長老の行状
37. かつて、〔わたしは〕車工として、木の行為(作業)における善き手練の者として、〔世に〕存した。栴檀の延べ板を作って、世の眷属たる方に施した。
38. 黄金の、美しく化作された、この宮殿が光り輝く。象の乗物が、馬の乗物が、天の乗物が、〔それぞれ〕仕立てられ──
39. 諸々の高楼が、まさしく、そして、諸々の駕篭が、求めるままに発現する。わたしには、揺るぎない宝がある。これは、延べ板の果である。
40. すなわち、わたしが、延べ板を施した、これより、九十一カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、延べ板の果である。
41. 五十七カッパ〔の過去〕において、四者のニンミタという呼び名ある者たちとして〔世に存した〕──七つの宝を成就した、大いなる勢力ある転輪〔王〕たちとして。
42. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。
かくのごとく、まさに、尊者パラカダーヤカ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──
パラカダーヤカ長老の行状が、第八となる。
15. 9. ヴァタンサキヤ長老の行状
43. 名としては、スメーダという名の、〔他に依らず〕自ら成る方は、〔一切に〕敗れることなき方は、遠離〔の境地〕を増進しながら、大いなる林に深く分け入った。
44. 〔わたしは〕花ひらいたサララ〔樹の花〕を見て、頭飾として結び束ねて、覚者に献上した──面前の世の導き手たる方に。
45. すなわち、〔わたしは〕花を献上した、三万カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、覚者の供養の果である。
46. 千九百カッパ〔の過去〕において、十六者のスニンミタ〔という名の者たち〕として〔世に〕存した──七つの宝を成就した、大いなる勢力ある転輪〔王〕たちとして。
47. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。
かくのごとく、まさに、尊者ヴァタンサキヤ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──
ヴァタンサキヤ長老の行状が、第九となる。
15. 10. パッランカダーヤカ長老の行状
48. スメーダ世尊のために、世の最尊者にして如なる方のために、まさに、長椅子が、天蓋と共に、わたしによって施された。
49. そのとき、七つの宝を成就したものとして、その長椅子が存した。わたしの思惟を了知して、わたしに、常に発現する。
50. 〔わたしが〕長椅子を施した、そのとき、三万カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、長椅子の果である。
51. 二万カッパ〔の過去〕において、三者のスヴァンナーバ〔という名〕の人たちとして〔世に存した〕──七つの宝を成就した、大いなる勢力ある転輪〔王〕たちとして。
52. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。
かくのごとく、まさに、尊者パッランカダーヤカ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──
パッランカダーヤカ長老の行状が、第十となる。
チャッタの章が、第十五となる。
その〔章〕のための摂頌となる。
〔そこで、詩偈に言う〕「チャッタ、そして、タンバ、そして、ヴェーディ、パリヴァーラとウマプッピヤ、そして、アヌレーパ、そして、マッガ、そして、パラカ、ヴァタンサカ、そして、パッランカダーインがあり、五十六の詩偈が述べ伝えられた」〔と〕。
16. バンドゥジーヴァカの章
16. 1. バンドゥジーヴァカ長老の行状
1. 月のように垢(汚れ)を離れ、〔心が〕清浄で澄浄で混濁なき方を、愉悦〔の思い〕と〔迷いの〕生存が完全に滅尽した方を、世における執着を超え渡った方を──
2. 人民を涅槃に到達させる方を、超え渡す者たちのなかの優れた超え渡った方を、林のなかで瞑想する牟尼を、〔心が〕一境に善く定められた〔覚者〕を、〔わたしは見た〕。
3. バンドゥジーヴァカの花々を、糸で張り付けて、わたしは、シキン〔世尊〕に、世の眷属たる方に、覚者に、献上した。
4. すなわち、〔わたしが〕行為を為した、そのとき、これより、三十一カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、覚者の供養の果である。
5. これより、第七のカッパ〔の過去〕において、人のインダとして、大いなる福徳ある者として、サマンタチャックという名の者として、〔世に〕存した──大いなる勢力ある転輪〔王〕として。
6. 四つの融通無礙は〔実証され〕、そして、また、これらの八つの解脱も〔実証された〕。六つの神知は実証され、覚者の教えは為された。
かくのごとく、まさに、尊者バンドゥジーヴァカ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──
バンドゥジーヴァカ長老の行状が、第一となる。
16. 2. タンバプッピヤ長老の行状
7. 他者の行為の道に専念する者(雇われ人)として、わたしは、罪科を作り為した。恐怖と怨恨〔の思い〕に引き渡された〔わたし〕は、林の外れに走り行った。
8. 団塊となり美しく化作された、花ひらいた木を見て、赤い花を収め取って、わたしは、菩提〔樹〕に振りまいた。
9. その菩提〔樹〕を、最上の木であるパータリー〔樹〕(ヴィパッシン覚者の菩提樹)を、掃き清めて〔そののち〕、結跏を組んで、菩提〔樹〕の根元において近しく坐した。
10. 〔わたしが〕赴いた道を探し求めながら、〔人々が〕わたしの現前にやってきた。そして、彼らを見て、わたしは、そこにおいて、最上の菩提〔樹〕に〔心を〕傾注した。
11. わたしは、浄信した心で、菩提〔樹〕を敬拝して、幾数ターラ(高さの単位)の、〔人を〕恐怖させる山の難所に落ちた。
12. すなわち、わたしが、花を献上した、九十一カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、覚者の供養の果である。
13. そして、これより、第三のカッパ〔の過去〕において、わたしは、スサンニャタ〔という名〕の王として〔世に存した〕──七つの宝を成就した、大いなる勢力ある転輪〔王〕として。
14. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。
かくのごとく、まさに、尊者タンバプッピヤ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──
タンバプッピヤ長老の行状が、第二となる。
16. 3. ヴィーティサンマッジャカ長老の行状
15. 昇り行く百光〔の太陽〕のような方を、黄金色の光の太陽のような方を、十五〔夜〕の月のような方を、〔今や〕出発しつつある世の導き手たる方を、〔わたしは見た〕。
16. 全てが煩悩の滅尽者たちとして有った、六万八千の者たちが、正覚者を、二足者のインダたる方を、人の雄牛たる方を、取り囲んだ。
17. 世の導き手たる方が出発するとき、その道を掃き清めて、そこにおいて、旗を掲げさせた──浄信した心で。
18. すなわち、〔わたしが〕旗を献上した、これより、九十一カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、旗の布施の果である。
19. これより、第四のカッパ〔の過去〕において、大いなる勢力ある王として〔世に〕有った──一切の行相を成就した、スダジャという〔名で世に〕聞こえた者として。
20. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。
かくのごとく、まさに、尊者ヴィーティサンマッジャカ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──
ヴィーティサンマッジャカ長老の行状が、第三となる。
16. 4. カッカールプッパプージャカ長老の行状
21. 天子として〔世に〕存している、わたしは、〔世の〕導き手たるシキン〔世尊〕を供養した。カッカールの花を差し出して、覚者に献上した。
22. すなわち、〔わたしが〕花を献上した、これより、三十一カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、覚者の供養の果である。
23. そして、これより、第九のカッパ〔の過去〕において、最上の有情たる王として〔世に〕有った──七つの宝を成就した、大いなる勢力ある転輪〔王〕として。
24. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。
かくのごとく、まさに、尊者カッカールプッパプージャカ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──
カッカールプッパプージャカ長老の行状が、第四となる。
16. 5. マンダーラヴァプッパプージャカ長老の行状
25. 天子として〔世に〕存している、わたしは、〔世の〕導き手たるシキン〔世尊〕を供養した──マンダーラヴァの花によって、覚者に献上した。
26. 七日のあいだ、天の花飾の覆いは、如来のうえに存した。全ての人たちが集いあつまって、如来を礼拝した。
27. すなわち、〔わたしが〕花を供養した、これより、三十一カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、覚者の供養の果である。
28. そして、これより、第十のカッパ〔の過去〕において、光輝を保持する王として〔世に〕有った──七つの宝を成就した、大いなる勢力ある転輪〔王〕として。
29. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。
かくのごとく、まさに、尊者マンダーラヴァプッパプージャカ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──
マンダーラヴァプッパプージャカ長老の行状が、第五となる。
16. 6. カダンバプッピヤ長老の行状
30. ヒマヴァントの遠からざるところ、クックタという名の山がある。その山麓において、それらの七者の覚者たち(独覚たち)が住する。
31. 昇り行く灯明の王(月)のように花ひらいたカダンバ〔樹の花〕を見て、両の手で差し出して、七者の覚者たちに等しく振りまいた。
32. すなわち、〔わたしが〕花を献上した、これより、九十四カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、覚者の供養の果である。
33. これより、九十二カッパ〔の過去〕において、七者のプッパという名の者たちとして〔世に〕存した──七つの宝を成就した、大いなる勢力ある転輪〔王〕たちとして。
34. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。
かくのごとく、まさに、尊者カダンバプッピヤ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──
カダンバプッピヤ長老の行状が、第六となる。
16. 7. ティナスーラカ長老の行状
35. ヒマヴァントの遠からざるところ、ブータガナという名の山がある。そこにおいて、勝者は、〔他に依らず〕自ら成る方は、世から出離した方は、独り、住する。
36. 〔わたしは〕ティナスーラ〔の花〕を収め取って、覚者に献上した。九万九千カッパのあいだ、堕所にある者ではなく〔世に有った〕。
37. これより、十一カッパ〔の過去〕において、一者のダラニールハ〔という名の者〕として〔世に〕存した──七つの宝を成就した、大いなる勢力ある転輪〔王〕として。
38. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。
かくのごとく、まさに、尊者ティナスーラカ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──
ティナスーラカ長老の行状が、第七となる。
16. 8. ナーガプッピヤ長老の行状
39. 名としては、スヴァッチャという名の、呪文の奥義に至る婆羅門は、徒弟たちに囲まれ、山間に住する。
40. パドゥムッタラという名の勝者は、諸々の捧げものの納受者たる方は、彼は、わたしを引き上げることを欲し、わたしの現前にやってきた。
41. 〔覚者は〕宙空を歩行し、そこにおいて、煙を出し、燃え盛る。〔覚者は〕わたしの笑みを見出して、東に向かい立ち去った。
42. そして、その稀有なることを見て、未曾有にして身の毛のよだつことを〔見て〕、ナーガの花を収め取って、去り行った道に振りまいた。
43. すなわち、わたしが、花を振りまいた、これより、十万カッパ〔の未来〕において、その心の浄信によって、わたしは、悪しき境遇に再生しなかった。
44. 三千百カッパ〔の過去〕において、マハーラハ〔という名〕の王として〔世に〕存した──七つの宝を成就した、大いなる勢力ある転輪〔王〕として。
45. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。
かくのごとく、まさに、尊者ナーガプッピヤ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──
ナーガプッピヤ長老の行状が、第八となる。
16. 9. プンナーガプッピヤ長老の行状
46. 森に、林に、入って行って、わたしは、猟師として〔世に〕住する。花ひらいたプンナーガ〔樹の花〕を見て、最勝の覚者を随念した。
47. 善き香りに香る浄美なるその花を摘み集めて、砂岸に塔を作って、覚者に献上した。
48. すなわち、〔わたしが〕花を供養した、これより、九十二カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、覚者の供養の果である。
49. 九十一カッパ〔の過去〕において、一者のタモーヌダ〔という名の者〕として〔世に〕存した──七つの宝を成就した、大いなる勢力ある転輪〔王〕として。
50. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。
かくのごとく、まさに、尊者プンナーガプッピヤ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──
プンナーガプッピヤ長老の行状が、第九となる。
16. 10. クムダダーヤカ長老の行状
51. ヒマヴァントの遠からざるところ、大いなる天然の湖が有った。諸々の赤蓮や青蓮に等しく覆われ、諸々の白蓮が等しく覆い被さっている。
52. そこにおいて、そのとき、〔わたしは〕存した──名としては、ククッタという名の、鳥として、覚慧を成就した戒ある者として、功徳と功徳なきについての熟知者として。
53. パドゥムッタラ〔世尊〕は、世〔の一切〕を知る方は、諸々の捧げものの納受者たる方は、偉大なる牟尼は、天然の湖の遠からざるところを通り過ぎた。
54. 〔わたしは〕水に生じる蓮華を断ち切って、偉大なる聖賢に進呈した。わたしの思惟を了知して、偉大なる牟尼は、〔それを〕納受した。
55. そして、その布施を施して、白根に促され、十万カッパのあいだ、わたしは、悪しき境遇に再生しなかった。
56. これより、千六百カッパ〔の過去〕において、ヴァルナという名の者たちとして〔世に〕存した──これらの八者の人の君主たちとして、大いなる勢力ある転輪〔王〕たちとして。
57. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。
かくのごとく、まさに、尊者クムダダーヤカ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──
クムダダーヤカ長老の行状が、第十となる。
バンドゥジーヴァカの章が、第十六となる。
その〔章〕のための摂頌となる。
〔そこで、詩偈に言う〕「バンドゥジーヴァ、タンバプッピン、ヴィーティとカッカールプッピヤ、マンダーラヴァ、そして、カダンビン、スーラカ、ナーガプッピヤ、プンナーガ、コームディンがあり、五十六の詩偈が述べ伝えられた」〔と〕。
17. スパーリチャリヤの章
17. 1. スパーリチャリヤ長老の行状
1. 名としては、パドゥマという名の、二足者のインダたる方は、人の雄牛たる方は、山林から出て、眼ある方は、法(教え)を説示する。
2. 偉大なる聖賢の遠からざるところ、夜叉たちの集いが存した。すなわち、義務によって達し得た者たちは、まさしく、ただちに、〔覚者を〕注視した。
3. 覚者の声を了知して、さらに、不死の説示を〔了知して〕、浄信した心の者となり、悦意の者となり、拍手して、〔覚者に〕奉仕した。
4. 見よ──善き行ないの果を、教師への奉仕の〔果を〕。三万カッパのあいだ、わたしは、悪しき境遇に再生しなかった。
5. 二千九百カッパ〔の過去〕において、サマランカタという名の者として〔世に存した〕──七つの宝を成就した、大いなる勢力ある転輪〔王〕として。
6. 四つの融通無礙は〔実証され〕、そして、また、これらの八つの解脱も〔実証された〕。六つの神知は実証され、覚者の教えは為された。
かくのごとく、まさに、尊者スパーリチャリヤ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──
スパーリチャリヤ長老の行状が、第一となる。
17. 2. カナヴェーラプッピヤ長老の行状
7. シッダッタという名の世尊は、世の最尊者にして人の雄牛たる方は、弟子たちに囲まれ、城市〔の道〕を行った。
8. 内宮において、〔わたしは〕王の護衛として敬われ、〔世に〕存した。高楼において近しく坐し、わたしは、世の導き手たる方を見た。
9. カナヴェーラ〔の花〕を収め取って、比丘の僧団に等しく振りまいた。覚者のために別のものを作って、それよりも、より一層に、等しく振りまいた。
10. すなわち、〔わたしが〕花を供養した、これより、九十四カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、覚者の供養の果である。
11. これより、八十七カッパ〔の過去〕において、四者の大いなる神通ある者たちとして〔世に〕存した──七つの宝を成就した、大いなる勢力ある転輪〔王〕たちとして。
12. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。
かくのごとく、まさに、尊者カナヴェーラプッピヤ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──
カナヴェーラプッピヤ長老の行状が、第二となる。
17. 3. カッジャカダーヤカ長老の行状
13. まさに、ティッサ世尊に、過去において、わたしは、果実を施した。そして、固形の食料として珍重されるナーリケーラ〔樹の果実〕を施した。
14. さてまた、ティッサ〔世尊〕に、偉大なる聖賢に──わたしが、覚者に、その〔果実〕を施して〔そののち〕、わたしは、欲するままに欲する者となり、歓喜する。すなわち、求めるままに、〔わたしは〕再生した。
15. すなわち、〔わたしが〕布施を施した、そのとき、これより、九十二カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、果実の布施の果である。
16. これより、十三カッパ〔の過去〕において、インダサマ〔という名〕の王として〔世に〕有った──七つの宝を成就した、大いなる勢力ある転輪〔王〕として。
17. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。
かくのごとく、まさに、尊者カッジャカダーヤカ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──
カッジャカダーヤカ長老の行状が、第三となる。
17. 4. デーサプージャカ長老の行状
18. さてまた、アッタダッシン世尊は、世の最尊者にして人の雄牛たる方は、宙空へと舞い上がって、〔天高く〕曲がりなき風のなかを赴く。
19. 教師が、偉大なる牟尼が、その地に立ち、〔宙空へと〕舞い上がった、〔まさに〕その地を、わたしは供養した──浄信した者となり、自らの〔両の〕手で。
20. すなわち、〔わたしが〕偉大なる牟尼を見た、千八百カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、地の供養の果である。
21. 千百カッパ〔の過去〕において、ゴースジャータという名を有する者として〔世に存した〕──七つの宝を成就した、大いなる勢力ある転輪〔王〕として。
22. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。
かくのごとく、まさに、尊者デーサプージャカ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──
デーサプージャカ長老の行状が、第四となる。
17. 5. カニカーラチャッティヤ長老の行状
23. ヴェッサブーという名の正覚者は、世の最尊者にして人の雄牛たる方は、牟尼は、昼の休息のために、大いなる林に入って行った。
24. カニカーラ〔樹の花〕を摘み集めて、そのとき、わたしは、傘蓋を作って、花の覆いを作って、覚者に献上した。
25. すなわち、〔わたしが〕花を献上した、これより、三十一カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、覚者の供養の果である。
26. これより、二十カッパ〔の過去〕において、八者のソンナーバ〔という名〕の士族たちとして〔世に存した〕──七つの宝を成就した、大いなる勢力ある転輪〔王〕たちとして。
27. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。
かくのごとく、まさに、尊者カニカーラチャッティヤ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──
カニカーラチャッティヤ長老の行状が、第五となる。
17. 6. サッピダーヤカ長老の行状
28. プッサという名の世尊が、諸々の捧げものの納受者たる方が、〔世に〕存した。勇者は、道を赴く──大勢の人を涅槃に到達させながら。
29. 順次に、世尊は、わたしの現前にやってきた。彼から、その鉢を収め取って、わたしは、酥と油を施した。
30. すなわち、〔わたしが〕酥と油を施した、そのとき、これより、九十二カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、酥と油の果である。
31. これより、五十六カッパ〔の過去〕において、一者のサモーダカ〔という名の者〕として〔世に〕存した──七つの宝を成就した、大いなる勢力ある転輪〔王〕として。
32. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。
かくのごとく、まさに、尊者サッピダーヤカ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──
サッピダーヤカ長老の行状が、第六となる。
17. 7. ユーティカプッピヤ長老の行状
33. チャンダバーガー川の岸辺において、わたしは、流れ沿いに行く。そこにおいて、〔わたしは〕見た──〔他に依らず〕自ら成る方を、咲き誇るサーラ〔樹〕の王のような方を。
34. ユーティカの花を携えて、偉大なる牟尼のもとへと近しく赴いた。浄信した心の者となり、悦意の者となり、覚者に献上した。
35. すなわち、〔わたしが〕花を献上した、これより、九十四カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、覚者の供養の果である。
36. これより、六十七カッパ〔の過去〕において、一者のサームッダラ〔という名の者〕として〔世に〕有った──七つの宝を成就した、大いなる勢力ある転輪〔王〕として。
37. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。
かくのごとく、まさに、尊者ユーティカプッピヤ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──
ユーティカプッピヤ長老の行状が、第七となる。
17. 8. ドゥッサダーヤカ長老の行状
38. ティヴァラーの喜ばしき都において、そのとき、わたしは、王子として〔世に〕存した。〔地方からの〕貢物を得て、わたしは、寂静者たる方に、〔衣を〕施した。
39. 世尊は、〔布施の申し出を〕承諾し、衣を手で撫でた。〔布施の申し出を〕承諾して、シッダッタ〔世尊〕は、宙空に、天空に、昇り行った。
40. 覚者が赴きつつあると、諸々の布地は、そのあとから走り行く。そこにおいて、〔わたしは〕心を浄信させた。「覚者である、まさに、至高の人たる方である」〔と〕。
41. すなわち、〔わたしが〕布地を施した、そのとき、これより、九十四カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、布地の布施の果である。
42. これより、六十七カッパ〔の過去〕において、そのとき、転輪〔王〕として〔世に〕有った──名としては、パリスッダという〔名の〕、大いなる勢力ある人のインダとして。
43. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。
かくのごとく、まさに、尊者ドゥッサダーヤカ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──
ドゥッサダーヤカ長老の行状が、第八となる。
17. 9. サマーダパカ長老の行状
44. バンドゥマティーの城市において、大いなる組合の衆徒が有った。わたしは、彼らのなかの最も優れた者として存した。そして、彼らは、わたしに仕える者たちとして〔存した〕。
45. 彼らの全てを集めて、諸々の功徳の行為を勧めた。〔わたしは言った〕「僧団のために、〔わたしたちは〕花飾を作るのだ──無上なる功徳の田畑として」〔と〕。
46. わたしの欲〔の思い〕(意欲)の支配に従い行く者たちは、彼らは、「善きかな」と答えて、そして、〔作業を〕終了させて、その花飾を、ヴィパッシン〔世尊〕に施した。
47. すなわち、〔わたしが〕花飾を施した、そのとき、これより、九十一カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、花飾の布施の果である。
48. 六十九カッパ〔の過去〕において、そのとき、一者の人の君主として〔世に〕存した──名としては、アーデイヤという名の、大いなる勢力ある転輪〔王〕として。
49. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。
かくのごとく、まさに、尊者サマーダパカ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──
サマーダパカ長老の行状が、第九となる。
17. 10. パンチャングリヤ長老の行状
50. ティッサという名の世尊が、世の最尊者にして人の雄牛たる方が、〔世に〕存した。精舎に巧みな智ある牟尼は、香室に入る。
51. 〔わたしは〕善き香りの花飾を携えて、勝者の前に赴いた。そして、わたしは、〔いまだ〕浄信なくも(※)、正覚者にたいし、五指印〔の香料〕を施した。
※ テキストには Apasaddo とあるが、PTS版により Appasādo と読む。
52. すなわち、〔わたしが〕香料を献上した、これより、九十二カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、五指印〔の香料〕の果である。
53. これより、七十二カッパ〔の過去〕において、サヤンパバ〔という名〕の王として〔世に〕存した──七つの宝を成就した、大いなる勢力ある転輪〔王〕として。
54. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。
かくのごとく、まさに、尊者パンチャングリヤ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──
パンチャングリヤ長老の行状が、第十となる。
スパーリチャリヤの章が、第十七となる。
その〔章〕のための摂頌となる。
〔そこで、詩偈に言う〕「スパーリチャリ、カナヴェーリン、カッジャカ、デーサプージャカ、カニカーラ、サッピダダ、ユーティカ、ドゥッサダーヤカ、そして、花飾、パンチャングリカがあり、五十四の詩偈がある」〔と〕。
18. クムダの章
18. 1. クムダマーリヤ長老の行状
1. ヒマヴァントの山において、大いなる天然の湖が有った。〔わたしは〕そこにおいて生じる羅刹として〔世に〕存した──おぞましき形態の、大いなる勢力ある者として。
2. そこにおいて、蓮華が花ひらき、車輪ほど〔の大きさの花々〕が生じる。そして、〔わたしは〕その花を摘み集める。そのとき、軍人たちが戦闘を〔起こした〕。
3. さてまた、アッタダッシン世尊は、二足者のインダたる方は、人の雄牛たる方は、踏みつぶされた花を見て、わたしの現前にやってきた。
4. そして、近しく赴いた正覚者を、天の天たる方を、人の雄牛たる方を、〔わたしは見た〕。そして、全ての花を差し出して、覚者に献上した。
5. そのとき、およそ、ヒマヴァントの内なる衆として、それが有った、そのかぎりにおいて、〔花の〕覆いを伴い、如来は赴いた。
6. すなわち、〔わたしが〕花を献上した、千八百カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、覚者の供養の果である。
7. これより、十五カッパ〔の過去〕において、七者の人の君主たちとして〔世に〕有った──サハッサラタという名の、それらの大いなる勢力ある転輪〔王〕たちとして。
8. 四つの融通無礙は〔実証され〕、そして、また、これらの八つの解脱も〔実証された〕。六つの神知は実証され、覚者の教えは為された。
かくのごとく、まさに、尊者クムダマーリヤ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──
クムダマーリヤ長老の行状が、第一となる。
18. 2. ニッセーニダーヤカ長老の行状
9. コンダンニャ世尊のために、世の最尊者にして如なる方のために、高楼に登り行くことを義(目的)として、梯子が、わたしによって作成された。
10. その心の浄信によって、諸々の成就を受領して〔そののち〕、〔わたしは〕最後の肉身を保つ──正等覚者の教えにおいて。
11. 三万一千カッパ〔の過去〕において、三者〔の王たち〕として〔世に〕有った──サンバフラという名の、大いなる勢力ある転輪王たちとして。
12. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。
かくのごとく、まさに、尊者ニッセーニダーヤカ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──
ニッセーニダーヤカ長老の行状が、第二となる。
18. 3. ラッティプッピヤ長老の行状
13. かつて、鹿の猟師として〔世に〕存した──わたしは、林のなかにあり、森のなかにある。〔わたしは〕見た──ヴィパッシン覚者を、天の天たる方を、人の雄牛たる方を。
14. 〔覚者を〕見て──花ひらいた、ラッティカ〔の花〕を、クタジャ〔の花〕を、ダラニールハ〔の花〕を、根ごと差し出して、偉大なる聖賢に進呈した。
15. すなわち、〔わたしが〕花を献上した、これより、九十一カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、花の布施の果である。
16. そして、これより、第八のカッパ〔の過去〕において、スッパサンナという名を有する者として〔世に〕有った──七つの宝を成就した、大いなる勢力ある王として。
17. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。
かくのごとく、まさに、尊者ラッティプッピヤ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──
ラッティプッピヤ長老の行状が、第三となる。
18. 4. ウダパーナダーヤカ長老の行状
18. ヴィパッシン世尊のために、井戸が、わたしによって作られた。そして、〔行乞の〕施食を施して、そのとき、わたしは、〔井戸を、覚者に〕引き渡した。
19. すなわち、〔わたしが〕行為を為した、そのとき、これより、九十一カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、井戸の果である。
20. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。
かくのごとく、まさに、尊者ウダパーナダーヤカ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──
ウダパーナダーヤカ長老の行状が、第四となる。
18. 5. シーハーサナダーヤカ長老の行状
21. 〔世の〕導き手たるパドゥムッタラ〔世尊〕が、世の主たる方が、涅槃に到達したとき、浄信した心の者となり、悦意の者となり、わたしは、獅子の坐を施した。
22. 多くの香料と花飾によって、所見の法(現世)における安楽をもたらす方にたいし、そこにおいて、そして、供養を為して、多くの人々は涅槃に到達する。
23. 浄信した心の者となり、悦意の者となり、最上の菩提〔樹〕を敬拝して〔そののち〕、十万カッパのあいだ、わたしは、悪しき境遇に再生しなかった。
24. 一万五千カッパ〔の過去〕において、それらの八者〔の王たち〕として〔世に〕存した──そして、シールッチャヤという名を有する、転輪王たちとして。
25. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。
かくのごとく、まさに、尊者シーハーサナダーヤカ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──
シーハーサナダーヤカ長老の行状が、第五となる。
18. 6. マッガダッティカ長老の行状
26. アノーマダッシン世尊は、二足者のインダたる方は、人の雄牛たる方は、所見の法(現世)における安楽を義(目的)として、野外において歩行〔瞑想〕をした。
27. 足が引き上げられたとき、花々が、美しく輝き、頭上において止住する。浄信した心の者となり、悦意の者となり、〔覚者を〕敬拝して、花を振りまいた。
28. これより、二万カッパ〔の過去〕において、五者の人たちとして〔世に〕有った──プッパッチャダニヤという名の、大いなる勢力ある転輪〔王〕たちとして。
29. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。
かくのごとく、まさに、尊者マッガダッティカ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──
マッガダッティカ長老の行状が、第六となる。
18. 7. エーカディーピヤ長老の行状
30. パドゥムッタラ牟尼の、最上の菩提〔樹〕である、サララ〔樹〕にたいし、浄信した心の者となり、悦意の者となり、わたしは、一なる灯明を施した。
31. 生存が発現しているとき、発現した功徳の蓄積があるとき、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、灯明の布施の果である。
32. これより、一万六千カッパ〔の過去〕において、それらの四者の人たちとして〔世に存した〕──名としては、チャンダーバという名の、大いなる勢力ある転輪〔王〕たちとして。
33. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。
かくのごとく、まさに、尊者エーカディーピヤ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──
エーカディーピヤ長老の行状が、第七となる。
〔以上が〕第九の朗読分となる。
18. 8. マニプージャカ長老の行状
34. ヒマヴァントの下手から、川は転起し、そして、その〔川〕の湿潤なる田畑あるところに、〔他に依らず〕自ら成る方は、そのとき、住する。
35. 美しく彩りあざやかで、意が喜びとする、宝珠の長椅子を差し出して、浄信した心の者となり、悦意の者となり、覚者に献上した。
36. すなわち、〔わたしが〕宝珠を献上した、これより、九十四カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、覚者の供養の果である。
37. そして、これより、十二カッパ〔の過去〕において、サタランシという名を有する、それらの八者の王たちとして〔世に〕存した──大いなる勢力ある転輪〔王〕たちとして。
38. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。
かくのごとく、まさに、尊者マニプージャカ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──
マニプージャカ長老の行状が、第八となる。
18. 9. ティキッチャカ長老の行状
39. バンドゥマティーの城市において、〔わたしは〕善き手練の医師として〔世に〕存した──病んだ者たちのために、苦痛を有する者たちのために、大勢の人に安楽をもたらす者として。
40. 大いなる光輝ある戒ある沙門が病んでいるのを見て、浄信した心の者となり、悦意の者となり、そのとき、薬を施した。
41. まさしく、それによって、〔感官の〕機能が統御された沙門は、無病の者として存した──名としては、アソーカという名の、ヴィパッシン〔世尊〕の奉仕者は。
42. すなわち、わたしが、薬草を施した、これより、九十一カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、薬の果である。
43. そして、これより、第八のカッパ〔の過去〕において、サッボーサダという名を有する者として〔世に存した〕──七つの宝を成就した、大いなる勢力ある転輪〔王〕として。
44. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。
かくのごとく、まさに、尊者ティキッチャカ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──
ティキッチャカ長老の行状が、第九となる。
18. 10. サングパッターカ長老の行状
45. ヴェッサブー世尊のもと、わたしは、園丁として〔世に〕有った。浄信した心の者となり、悦意の者となり、最上の僧団に奉仕した。
46. すなわち、〔わたしが〕行為を為した、そのとき、これより、三十一カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、奉仕の果である。
47. これより、第七のカッパ〔の過去〕において、それらの、まさしく、七者のサモーダカ〔という名の者たち〕として〔世に〕存した──七つの宝を成就した、大いなる勢力ある転輪〔王〕たちとして。
48. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。
かくのごとく、まさに、尊者サングパッターカ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──
サングパッターカ長老の行状が、第十となる。
クムダの章が、第十八となる。
その〔章〕のための摂頌となる。
〔そこで、詩偈に言う〕「クムダ、さらに、ニッセーニン、ラッティカ、ウダパーナダ、シーハーサニン、マッガダダ、エーカディーピン、マニッパダ、ティキッチャカ、ウパッターカがあり、五十一の詩偈がある」〔と〕。
19. クタジャプッピヤの章
19. 1. クタジャプッピヤ長老の行状
1. 黄金の色艶ある正覚者を、昇り行く百光〔の太陽〕のような方を、〔しかるべき〕方角を見回しながら、〔天高く〕曲がりなき風のなかを赴く〔覚者〕を、〔わたしは見た〕。
2. 等しく広がり行き、等しく覆い被さっている、花ひらいたクタジャ〔樹の花〕を見て、木から摘み集めて、プッサ〔世尊〕に献上した。
3. すなわち、〔わたしが〕花を献上した、これより、九十二カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、覚者の供養の果である。
4. これより、十七カッパ〔の過去〕において、三者のスプッピタ〔という名の者たち〕として〔世に〕存した──七つの宝を成就した、大いなる勢力ある転輪〔王〕たちとして。
5. 四つの融通無礙は〔実証され〕、そして、また、これらの八つの解脱も〔実証された〕。六つの神知は実証され、覚者の教えは為された。
かくのごとく、まさに、尊者クタジャプッピヤ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──
クタジャプッピヤ長老の行状が、第一となる。
19. 2. バンドゥジーヴァカ長老の行状
6. シッダッタという名の正覚者は、〔他に依らず〕自ら成る方は、正しくある者たちに褒め称えられる方は、彼は、禅定に入定し、山間に坐った。
7. 〔わたしは〕天然の湖において、水に生じる最上の花を探し求めながら、等しく直後に、バンドゥジーヴァカの花々を見た。
8. 〔それらを〕両の手で収め取って、偉大なる牟尼のもとへと近しく赴いた──浄信した心の者となり、悦意の者となり、シッダッタ〔世尊〕に献上した。
9. すなわち、〔わたしが〕花を献上した、これより、九十四カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、覚者の供養の果である。
10. これより、十四カッパ〔の過去〕において、一者の人の君主として〔世に〕存した──名としては、サムッダカッパ〔という名〕の、大いなる勢力ある転輪〔王〕として。
11. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。
かくのごとく、まさに、尊者バンドゥジーヴァカ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──
バンドゥジーヴァカ長老の行状が、第二となる。
19. 3. コートゥンバリヤ長老の行状
12. カニカーラ〔樹の花〕のように輝いている〔覚者〕を、山間に坐っている〔覚者〕を、大洋のように無量なる方を、大地のように幅広き方を──
13. 天〔の神々〕たちの群れに供養される方を、善き生まれの雄牛のような方を、〔わたしは見た〕。欣喜した者となり、欣喜した心で、最上の人たる方のもとへと近しく赴いた。
14. 七つの花を収め取って、布地に溢れ満たし、シキン〔世尊〕に、世の眷属たる方に、覚者に、献上した。
15. すなわち、〔わたしが〕花を献上した、これより、三十一カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、覚者の供養の果である。
16. これより、二十カッパ〔の過去〕において、マハーネーラという名を有する、一者の大いなる威光ある者として〔世に〕存した──大いなる勢力ある転輪〔王〕として。
17. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。
かくのごとく、まさに、尊者コートゥンバリヤ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──
コートゥンバリヤ長老の行状が、第三となる。
19. 4. パンチャハッティヤ長老の行状
18. ティッサという名の世尊が、世の最尊者にして人の雄牛たる方が、〔世に〕存した。〔覚者は〕弟子たちに囲まれ、道を行った。
19. そして、五つの手にする青蓮があり、四つは、わたしによって据え置かれた。わたしは、捧げものを施すことを欲し、掟の実現のために〔一つを〕収め取った。
20. 市場を赴きつつある、黄金の色艶ある正覚者を〔見て〕、覚者の諸々の光に触れた者として、〔わたしは〕存し、最上の二足者たる方を供養した。
21. すなわち、〔わたしが〕花を供養した、これより、九十二カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、覚者の供養の果である。
22. これより、十三カッパ〔の過去〕において、五者のスサバサンマタ〔という名の者たち〕として〔世に存した〕──七つの宝を成就した、大いなる勢力ある転輪〔王〕たちとして。
23. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。
かくのごとく、まさに、尊者パンチャハッティヤ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──
パンチャハッティヤ長老の行状が、第四となる。
19. 5. イシムッガダーヤカ長老の行状
24. 昇り行く百光〔の太陽〕のような方を、黄金色の光の太陽のような方を、カクダ〔樹〕のように輝いている方を、〔世の〕導き手たるパドゥムッタラ〔世尊〕を、〔わたしは見た〕。
25. 〔わたしは〕諸々のイシムッガ〔の豆〕を粉砕して、蜜少なく青からずあるも、世の眷属たる方に施した──まさしく、高楼に立ち、〔そのように〕存しつつ。
26. 八十万の者たちが、覚者の弟子たちとして、〔そこに〕有った。〔彼らの〕全ての鉢を満たしながら、さらに、また、それよりもより多くのものを〔施した〕。
27. その心の浄信によって、白根に促され、十万カッパのあいだ、わたしは、悪しき境遇に再生しなかった。
28. 四万カッパ〔の過去〕において、それらの三十八者〔の王たち〕として〔世に存した〕──イシムッガという名を有する、それらの大いなる勢力ある転輪〔王〕たちとして。
29. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。
かくのごとく、まさに、尊者イシムッガダーヤカ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──
イシムッガダーヤカ長老の行状が、第五となる。
19. 6. ボーディウパッターカ長老の行状
30. ランマヴァティーの城市において、〔わたしは〕鼓の奏者として〔世に〕存した。常に奉仕に専念する者として存し、最上の菩提〔樹〕のもとに、わたしは赴いたのだった。
31. 夕に、朝に、奉仕して、白根に促され、千八百カッパのあいだ、わたしは、悪しき境遇に再生しなかった。
32. これより、千五百カッパ〔の過去〕において、人の君主として〔世に〕存した──名としては、ムラジャという名の、大いなる勢力ある転輪〔王〕として。
33. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。
かくのごとく、まさに、尊者ボーディウパッターカ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──
ボーディウパッターカ長老の行状が、第六となる。
19. 7. エーカチンティカ長老の行状
34. すなわち、天〔の神〕が、寿命の消滅あることから、天の身体から死滅するとき、随喜する天〔の神々〕たちの、三つの声が放たれる。
35. 〔第一に〕「君よ、この〔天の世〕から、善き境遇に赴け。人間たちとの共住〔という善き境遇〕に」〔と〕。〔第二に〕「人間と成り、正なる法(教え)において、無上なる信を得よ」〔と〕。
36. 〔第三に〕「あなたの、その信は、固着し、根元から生じ、確立し、〔世に〕存するであろう──〔覚者によって〕見事に知らされた正なる法(教え)において、生あるかぎり、動かしようのないものとなり。
37. 身体による善なる〔行為〕を為して、言葉による多くの善なる〔行為〕を〔為して〕、意による善なる〔行為〕を為して、憎悪〔の思い〕なく依り所なき〔行為〕を〔為して〕──
38. そののち、〔身体という〕依り所ある〔人間としての〕功徳を、それを、布施によって、多く作り為して、他の死すべき者(人間)たちをもまた、正なる法(教え)と梵行において、確たるものとせよ」〔と〕。
39. すなわち、天〔の神々〕たちが、〔死滅する〕天〔の神のこと〕を知るとき、この慈しみ〔の思い〕によって、「天〔の神〕よ、〔善き境遇に〕至り行け」〔と〕、繰り返し、死滅しつつある〔天の神〕に随喜する。
40. そのとき、わたしに、畏怖〔の思い〕が存した──集いあつまった天〔の神々〕たちの群れにおいて。「いったい、まさに、わたしは、どのような胎に、ここから死滅し、赴くのだろう」〔と〕。
41. わたしの畏怖〔の思い〕を了知して、〔五つの〕機能(五根:信根・精進根・念根・定根・慧根)を修めた沙門は、彼は、わたしを引き上げることを欲し、わたしの現前にやってきた。
42. 名としては、スマナという名の、パドゥムッタラ〔世尊〕の弟子は、義(道理)と法(真理)を教え示して、そのとき、わたしを畏怖させた。
43. わたしは、彼の言葉を聞いて、覚者にたいし、心を浄信させた。彼を、慧者を、敬拝して、そこにおいて、わたしは、命を終えたのだった。
44. 〔まさに〕その〔わたし〕は、まさしく、その場において、再生した。白根に促され、十万カッパのあいだ、わたしは、悪しき境遇に再生しなかった。
45. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。
かくのごとく、まさに、尊者エーカチンティカ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──
エーカチンティカ長老の行状が、第七となる。
19. 8. ティカンニプッピヤ長老の行状
46. 天〔の神〕と成り、〔そのように〕存している、わたしは、仙女たちに囲まれ、過去の行為を思念して、最勝の覚者を随念した。
47. ティカンニの花を差し出して、自らの心を浄信させ、ヴィパッシン〔世尊〕にたいし、人の雄牛たる方にたいし、覚者にたいし、献上した。
48. すなわち、〔わたしが〕花を供養した、これより、九十一カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、花の布施の果である。
49. これより、七十三カッパ〔の過去〕において、四者のラムッタマ〔という名の者たち〕として〔世に〕存した──七つの宝を成就した、大いなる勢力ある転輪〔王〕たちとして。
50. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。
かくのごとく、まさに、尊者ティカンニプッピヤ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──
ティカンニプッピヤ長老の行状が、第八となる。
19. 9. エーカチャーリヤ長老の行状
51. 三十三天において、そのとき、大いなる喚呼が有った。「さてまた、世において、覚者が涅槃に到達する。しかしながら、わたしたちは、貪欲を有する者たちとして存している」〔と〕。
52. 畏怖〔の思い〕を生じ、憂いの矢を保有する、彼らのために、自らの力に支えられた〔宙を行く者〕となり、覚者の現前に赴いた。
53. ひとまとめに化作されたマンダーラヴァ〔の花〕を収め取って、完全なる涅槃に到達した時に、覚者に献上した。
54. そのとき、天〔の神々〕たちは、さらに、仙女たちは、全ての者たちが、わたしに随喜した。十万カッパのあいだ、わたしは、悪しき境遇に再生しなかった。
55. これより、六万カッパ〔の過去〕において、それらの十六者の人たちとして〔世に存した〕──マハーマッラジャナという名の、大いなる勢力ある転輪〔王〕たちとして。
56. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。
かくのごとく、まさに、尊者エーカチャーリヤ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──
エーカチャーリヤ長老の行状が、第九となる。
19. 10. ティヴァンティプッピヤ長老の行状
57. 彼らの全てが集いあつまって、征服者であるわたしのことを洞察する。尋思している彼らに、苦悶は生じなかった。
58. そのとき、名としては、スナンダという名の、覚者の弟子が、ダンマダッシン牟尼の〔弟子が〕、わたしの現前にやってきた。
59. すなわち、わたしに仕える者たちとして存した、それらの者たちは、そのとき、わたしに、花を与えた。わたしは、その花を収め取って、〔覚者の〕弟子にたいし献上した。
60. そこにおいて、〔まさに〕その、わたしは、命を終えたのだった。ふたたび、また、わたしは、再生したが、千八百カッパのあいだ、わたしは、堕所に赴かなかった。
61. これより、千三百カッパ〔の過去〕において、八者のドゥーマケートゥ〔という名の者たち〕として〔世に〕存した──七つの宝を成就した、大いなる勢力ある転輪〔王〕たちとして。
62. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。
かくのごとく、まさに、尊者ティヴァンティプッピヤ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──
ティヴァンティプッピヤ長老の行状が、第十となる。
クタジャプッピヤの章が、第十九となる。
その〔章〕のための摂頌となる。
〔そこで、詩偈に言う〕「クタジャ、そして、バンドゥジーヴィン、コートゥンバリカとハッティヤ、そして、イシムッガ、そして、ボーディ、エーカチンティン、ティカンニカ、エーカチャーリン、そして、ティヴァンティがあり、六十二の詩偈が述べ伝えられた」〔と〕。
20. タマーラプッピヤの章
20. 1. タマーラプッピヤ長老の行状
1. 八万四千の黄金の柱が有った。わたしには、天の杖に相似する美しく化作された天宮が〔有った〕。
2. タマーラの花を差し出して、浄信した心で、シキン〔世尊〕に、世の眷属たる方に、覚者に、献上した。
3. すなわち、〔わたしが〕行為を為した、そのとき、これより、三十一カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、覚者の供養の果である。
4. これより、第二十のカッパ〔の過去〕において、一者のチャンダティッタという〔名の者〕として〔世に存した〕──七つの宝を成就した、大いなる勢力ある転輪〔王〕として。
5. 四つの融通無礙は〔実証され〕、そして、また、これらの八つの解脱も〔実証された〕。六つの神知は実証され、覚者の教えは為された。
かくのごとく、まさに、尊者タマーラプッピヤ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──
タマーラプッピヤ長老の行状が、第一となる。
20. 2. ティナサンターラカ長老の行状
6. すなわち、林の住者たる聖賢が、教師のために、草を刈るとき、全ての者たちが、右回り〔の礼〕を転起し、彼らは、地に平伏した。
7. その草を携えて、わたしは、最上の大地のうえに広げた。そのとき、わたしは、まさしく、草のあるところに、諸々のターラ〔樹〕の葉を持ち運んで──
8. 草で覆いを作って、わたしは、シッダッタ〔世尊〕に施した。天〔の神々〕と人間たちの教師のために、彼のために、七日のあいだ、〔人々は〕保持した。
9. すなわち、〔わたしが〕草を施した、そのとき、これより、九十四カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、草の布施の果である。
10. これより、六十五カッパ〔の過去〕において、四者のマハッダナ〔という名の者たち〕として〔世に〕存した──七つの宝を成就した、大いなる勢力ある転輪〔王〕たちとして。
11. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。
かくのごとく、まさに、尊者ティナサンターラカ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──
ティナサンターラカ長老の行状が、第二となる。
20. 3. カンダプッリヤ長老の行状
12. まさに、プッサ世尊の塔が、大いなる林に存した。そのとき、〔塔は〕象たちによって破壊され、そこには、生い茂った木が〔存した〕。
13. そして、平坦ならざるところを平坦と為して、わたしは、石膏の塊を施した──三つの世の導師たる方の、彼の、諸々の徳によって遍く満足した者として。
14. すなわち、〔わたしが〕行為を為した、そのとき、これより、九十二カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、石膏の塊の果である。
15. 七十七カッパ〔の過去〕において、十六者のジタセーナ〔という名の者たち〕として〔世に〕存した──七つの宝を成就した、大いなる勢力ある転輪〔王〕たちとして。
16. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。
かくのごとく、まさに、尊者カンダプッリヤ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──
カンダプッリヤ長老の行状が、第三となる。
20. 4. アソーカプージャカ長老の行状
17. ティヴァラーの喜ばしき都において、そのとき、王の庭園が有った。そこにおいて、わたしは、王に仕える庭番として〔世に〕存した。
18. 名としては、パドゥマという名の、〔他に依らず〕自ら成る方が、光輝を有する方が、〔世に〕有った。プンダリーカ〔樹〕のもとに坐った、その牟尼を、影は捨棄しなかった。
19. 花ひらいたアソーカ〔樹の花〕を見て、重々しき団塊の見た目美しきものを〔見て〕、水に生じる最上のものを名とする方に、覚者に、献上した。
20. すなわち、〔わたしが〕花を献上した、これより、九十四カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、覚者の供養の果である。
21. これより、三十七カッパ〔の過去〕において、十六者のアラナンジャハ〔という名の者たち〕として〔世に存した〕──七つの宝を成就した、大いなる勢力ある転輪〔王〕たちとして。
22. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。
かくのごとく、まさに、尊者アソーカプージャカ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──
アソーカプージャカ長老の行状が、第四となる。
20. 5. アンコーラカ長老の行状
23. 花ひらいたアンコーラ〔樹の花〕を見て、各自に優れた花飾あるものを〔見て〕、その花を摘み集めて、覚者の現前に赴いた。
24. その時点において、シッダッタ〔世尊〕は、偉大なる牟尼は、退去の者として〔世に有った〕。〔わたしは〕寸時のあいだ待って、洞窟のなかに花を振りまいた。
25. すなわち、〔わたしが〕花を供養した、これより、九十四カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、花の布施の果である。
26. これより、三十六カッパ〔の過去〕において、一者のデーヴァガッジタ〔という名の者〕として〔世に〕存した──七つの宝を成就した、大いなる勢力ある転輪〔王〕として。
27. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。
かくのごとく、まさに、尊者アンコーラカ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──
アンコーラカ長老の行状が、第五となる。
20. 6. キサラヤプージャカ長老の行状
28. ドヴァーラヴァティーの城市において、わたしには、花畑の群叢が有った。まさしく、そこにおいて、さらに、井戸が〔有り〕、木々の茂みが〔有った〕。
29. 自らの力に支えられたシッダッタ〔世尊〕は、〔一切に〕敗れることなき方は、彼は、わたしを慈しみつつ、〔天高く〕曲がりなき風のなかを赴く。
30. 偉大なる聖賢のための供養に相応しいものとして、他に何であれ、〔わたしは〕見ない。〔すなわち〕アソーカ〔樹〕の若芽を見て、わたしは、虚空に投げ上げた。
31. それらの芽は、赴きつつある覚者の、そのあとを行く。それを見て、わたしは畏怖した。「ああ、覚者の秀逸なることよ」〔と〕。
32. 若芽を献上した、これより、九十四カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、覚者の供養の果である。
33. これより、三十七カッパ〔の過去〕において、一者のエーキッサラ〔という名の者〕として〔世に〕有った──七つの宝を成就した、大いなる勢力ある転輪〔王〕として。
34. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。
かくのごとく、まさに、尊者キサラヤプージャカ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──
キサラヤプージャカ長老の行状が、第六となる。
20. 7. ティンドゥカダーヤカ長老の行状
35. 〔わたしは〕山の難所を歩む、強さと勢いある猿として〔世に〕存した。果実をもつティンドゥカ〔樹〕を見て、最勝の覚者を随念した。
36. 〔山から〕出て、何日ものあいだ、世の導き手たる方を尋ね求めた──浄信した心の者となり、悦意の者となり、シッダッタ〔世尊〕を、三つの生存の終極に至る方を。
37. わたしの思惟を了知して、教師は、世における無上なる方は、千の煩悩の滅尽者たちとともに、わたしの現前にやってきた。
38. 〔わたしは〕歓喜〔の思い〕を生じさせて、果実を手に、〔覚者のもとへと〕近しく赴いた。世尊は、一切を知る方は、説者たちのなかの優れた方は、〔それを〕納受した。
39. すなわち、〔わたしが〕果実を施した、そのとき、これより、九十四カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、果実の布施の果である。
40. 五十七カッパ〔の過去〕において、ウパナンダという名を有する者として〔世に存した〕──七つの宝を成就した、大いなる勢力ある転輪〔王〕として。
41. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。
かくのごとく、まさに、尊者ティンドゥカダーヤカ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──
ティンドゥカダーヤカ長老の行状が、第七となる。
20. 8. ムッティプージャカ長老の行状
42. スメーダという名の世尊は、世の最尊者にして人の雄牛たる方は、最下の者にたいする慈しみ〔の思い〕によって、勝者は、〔刻苦〕精励をもって〔自己を〕精励した。
43. 歩行〔瞑想〕をしている彼のために、二足者のインダたる如なる方のために──ひと握りのギリネーラの花々を、覚者に献上した。
44. その心の浄信によって、白根に促され、三万カッパのあいだ、わたしは、悪しき境遇に再生しなかった。
45. 二千三百カッパ〔の過去〕において、スネーラという名の士族として〔世に〕存した──七つの宝を成就した、一者の大いなる勢力ある者として。
46. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。
かくのごとく、まさに、尊者ムッティプージャカ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──
ムッティプージャカ長老の行状が、第八となる。
20. 9. キンカニカプッピヤ長老の行状
47. 名としては、スマンガラという〔名の〕、〔他に依らず〕自ら成る方は、〔一切に〕敗れることなき方は、山林から出て、勝者は、城市に入った。
48. 〔行乞の〕食のために歩んで、牟尼は、城市から出て、まさしく、為すべきことを為した正覚者(独覚)は、彼は、林間に住した。
49. 〔わたしは〕キンカニの花を差し出して、覚者に献上した──浄信した心の者となり、悦意の者となり、〔他に依らず〕自ら成る方に、偉大なる聖賢に。
50. すなわち、〔わたしが〕花を献上した、これより、九十四カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、覚者の供養の果である。
51. これより、八十六カッパ〔の過去〕において、アピラーシンという名を有する者として〔世に存した〕──七つの宝を成就した、大いなる勢力ある転輪〔王〕として。
52. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。
かくのごとく、まさに、尊者キンカニカプッピヤ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──
キンカニカプッピヤ長老の行状が、第九となる。
20. 10. ユーティカプッピヤ長老の行状
53. パドゥムッタラという名の勝者は、諸々の捧げものの納受者たる方は、山林から出て、眼ある方は、精舎に行く。
54. 両の手で差し出して、〔わたしは〕ユーティカの最上の花を、覚者に献上した──浄信した心の者となり、悦意の者となり、慈愛の心ある如なる方に。
55. その心の浄信によって、諸々の成就を受領して〔そののち〕、十万カッパのあいだ、わたしは、悪しき境遇に再生しなかった。
56. これより、五十カッパ〔の過去〕において、一者の人の君主として〔世に〕存した──サミッタナンダナという名の、大いなる勢力ある転輪〔王〕として。
57. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。
かくのごとく、まさに、尊者ユーティカプッピヤ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──
ユーティカプッピヤ長老の行状が、第十となる。
タマーラプッピヤの章が、第二十となる。
その〔章〕のための摂頌となる。
〔そこで、詩偈に言う〕「タマーラとティナサンターラ、カンダプッリン、アソーキヤ、アンコーラキン、キサラヤ、ティンドゥカ、ネーラプッピヤ、キンカニカ、そして、ユーティカがあり、そして、五十八の詩偈がある」〔と〕。
そこで、章の摂頌となる。
〔そこで、詩偈に言う〕「ビッカーダーイン、パリヴァーラ、セーレイヤ、ソービタ、そのように、そして、チャッタ、そして、バンドゥジーヴィン、そして、また、スパーリチャリヤ──
クムダ、まさしく、そして、クタジャがあり、第十のものとして、タマーリンが作り為され、そして、六百の詩偈があり、さらに、それを超えること六十六〔の詩偈〕がある」〔と〕。
〔以上が〕ビッカーの章の十なるものとなる。
第二の百なるものは〔以上で〕完結となる。
21. カニカーラプッピヤの章
21. 1. カニカーラプッピヤ長老の行状
1. 花ひらいたカニーカーラ〔樹の花〕を見て、そのとき、わたしは、〔それらを〕摘み集めて、ティッサ〔世尊〕に、激流を超え渡った如なる方に、献上した。
2. すなわち、〔わたしが〕花を献上した、これより、九十二カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、覚者の供養の果である。
3. これより、三十五カッパ〔の過去〕において、アルナパーニンという〔名で世に〕聞こえた者として〔世に存した〕──七つの宝を成就した、大いなる勢力ある転輪〔王〕として。
4. 四つの融通無礙は〔実証され〕、そして、また、これらの八つの解脱も〔実証された〕。六つの神知は実証され、覚者の教えは為された。
かくのごとく、まさに、尊者カニーカーラプッピヤ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──
カニーカーラプッピヤ長老の行状が、第一となる。
21. 2. ミネーラプッピヤ長老の行状
5. 黄金の色艶ある世尊は、百光の輝きある方は、〔瞑想のための〕歩行場に登ったのだった──慈愛の心ある方であり、〔人の〕雄牛たる方である、シキン〔世尊〕は。
6. 浄信した心の者となり、悦意の者となり、最上の知恵ある方を敬拝して、ミネーラの花を差し出して、覚者に献上した。
7. すなわち、〔わたしが〕花を供養した、これより、三十一カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、覚者の供養の果である。
8. 二十九カッパ〔の過去〕において、スメーガガナという名の者として〔世に存した〕──七つの宝を成就した、大いなる勢力ある転輪〔王〕として。
9. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。
かくのごとく、まさに、尊者ミネーラプッピヤ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──
ミネーラプッピヤ長老の行状が、第二となる。
21. 3. キンカニプッピヤ長老の行状
10. 価値ある黄金の似姿ある方は、一切を知る方は、世の導き手たる方は、池の水に入って行って沐浴した──世の導き手たる方は。
11. 〔わたしは〕キンカニの花を差し出して、ヴィパッシン〔世尊〕に献上した──勇躍する心の者となり、悦意の者となり、二足者のインダたる如なる方に。
12. すなわち、〔わたしが〕花を献上した、これより、九十一カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、覚者の供養の果である。
13. 二十七カッパ〔の過去〕において、ビーマラタ〔という名〕の王として〔世に〕有った──七つの宝を成就した、大いなる勢力ある転輪〔王〕として。
14. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。
かくのごとく、まさに、尊者キンカニプッピヤ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──
キンカニプッピヤ長老の行状が、第三となる。
21. 4. タラニヤ長老の行状
15. さてまた、アッタダッシン世尊は、二足者のインダたる方は、人の雄牛たる方は、弟子たちに囲まれ、ガンガー〔川〕の岸辺へと近しく赴いた。
16. 岸まで一杯となり、烏が飲めるほど、ガンガー〔川〕は、超え難きものとして存した。比丘の僧団を、そして、覚者を、最上の二足者たる方を、〔わたしは〕超え渡した。
17. すなわち、〔わたしが〕行為を為した、そのとき、千八百カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、超え渡しの果である。
18. これより、千三百カッパ〔の過去〕において、五者のサッボーバヴァ〔という名の者たち〕として〔世に〕有った──七つの宝を成就した、大いなる勢力ある転輪〔王〕たちとして。
19. そして、最後の生存において、わたしは、婆羅門の家系に生まれ、〔世に〕存した。三者の道友たちとともに、〔覚者の教えに〕信を置き、教師の教えにおいて出家した。
20. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。
かくのごとく、まさに、尊者タラニヤ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──
タラニヤ長老の行状が、第四となる。
21. 5. ニッグンディプッピヤ長老の行状
21. わたしは、ヴィパッシン世尊の園丁として〔世に〕存した。ニッグンディの花を差し出して、覚者に献上した。
22. すなわち、〔わたしが〕花を供養した、これより、九十一カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、覚者の供養の果である。
23. これより、二十五カッパ〔の過去〕において、一者の人の君主として〔世に〕存した──名としては、マハーパターパ〔という名〕の、大いなる勢力ある転輪〔王〕として。
24. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。
かくのごとく、まさに、尊者ニッグンディプッピヤ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──
ニッグンディプッピヤ長老の行状が、第五となる。
21. 6. ウダカダーヤカ長老の行状
25. 〔食を〕受益している沙門を、〔心が〕澄浄で混濁なき方を、見て、瓶で水を汲んで、わたしは、シッダッタ〔世尊〕に施した。
26. わたしは、今日、無垢の者として、〔世俗の〕垢を離れる者として、疑念の滅尽者として、〔世に〕有る。生存が発現しているときは、わたしに、果実が発現する。
27. すなわち、わたしが、水を施した、これより、九十四カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、水の布施の果である。
28. これより、六十一カッパ〔の過去〕において、まさしく、一者のヴィマラ〔という名の者〕として〔世に〕有った──七つの宝を成就した、大いなる勢力ある転輪〔王〕として。
29. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。
かくのごとく、まさに、尊者ウダカダーヤカ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──
ウダカダーヤカ長老の行状が、第六となる。
21. 7. サララマーリヤ長老の行状
30. カニカーラ〔樹の花〕のように輝いている〔覚者〕を、山間に坐っている〔覚者〕を、全ての方角を照らしている方を、シッダッタ〔世尊〕を、人の馭者たる方を、〔わたしは見た〕。
31. 弓を確たるものと為して、矢を装着した、わたしであるが、そのとき、花を、茎と共に断ち切って、覚者に献上した。
32. すなわち、〔わたしが〕花を献上した、これより、九十四カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、覚者の供養の果である。
33. これより、五十一カッパ〔の過去〕において、一者のジュティンダラ〔という名の者〕として〔世に〕存した──七つの宝を成就した、大いなる勢力ある転輪〔王〕として。
34. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。
かくのごとく、まさに、尊者サララマーリヤ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──
サララマーリヤ長老の行状が、第七となる。
21. 8. コーランダプッピヤ長老の行状
35. そして、踏みしめられた足跡を見て、十分に作り為し飾られた輪のある〔足跡〕を〔見て〕、ヴィパッシン〔世尊〕の、偉大なる聖賢の、足跡によって、足跡に従い、〔道を〕行きつつあると──
36. 花ひらいたコーランダ〔樹の花〕を見て、根ごと、わたしによって供養された。欣喜した者となり、欣喜した心で、〔わたしは〕最上の足跡を敬拝した。
37. すなわち、〔わたしが〕花を供養した、これより、九十一カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、覚者の供養の果である。
38. 五十七カッパ〔の過去〕において、一者のヴィータマラ〔という名の者〕として〔世に〕有った──七つの宝を成就した、大いなる勢力ある転輪〔王〕として。
39. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。
かくのごとく、まさに、尊者コーランダプッピヤ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──
コーランダプッピヤ長老の行状が、第八となる。
21. 9. アーダーラダーヤカ長老の行状
40. シキン〔世尊〕のために、世の眷属たる方のために、置き台が、わたしによって施された。地の全てを、この大地の全部を、〔わたしは〕保持する。
41. わたしの、諸々の〔心の〕汚れは焼尽し、一切の〔迷いの〕生存は完破された。〔わたしは〕最後の肉身を保つ──正等覚者の教えにおいて。
42. これより、二十七カッパ〔の過去〕において、四者の人たちとして〔世に〕有った──サマンタヴァラナという名の、大いなる勢力ある転輪〔王〕たちとして。
43. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。
かくのごとく、まさに、尊者アーダーラダーヤカ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──
アーダーラダーヤカ長老の行状が、第九となる。
21. 10. パーパニヴァーリヤ長老の行状
44. さてまた、ティッサ世尊のために、天の天たる方のために、如なる方のために、一なる傘蓋が、わたしによって施された──浄信した心で。
45. わたしにとって、悪は覆われたものと成り、善の成就がある。〔人々は〕虚空において傘蓋を保持する。これは、過去の行為の果である。
46. わたしにとって最後のものが転起する。一切の〔迷いの〕生存は完破された。〔わたしは〕最後の肉身を保つ──正等覚者の教えにおいて。
47. すなわち、〔わたしが〕傘蓋を施した、そのとき、これより、九十二カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、傘蓋の布施の果である。
48. これより、七十二カッパ〔の過去〕において、八者の人の君主たちとして〔世に〕存した──名としては、マハーニダーナ〔という名〕の、転輪王たちとして。
49. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。
かくのごとく、まさに、尊者パーパニヴァーリヤ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──
パーパニヴァーリヤ長老の行状が、第十となる。
カニカーラプッピヤの章が、第二十一となる。
その〔章〕のための摂頌となる。
〔そこで、詩偈に言う〕「カニカーラ、そして、ミネーラ、キンカニがあり、そして、タラナとともに、ニッグンディプッピン、ダカダ、そして、サララ、クランダカ、アーダーラカ、パーパヴァーリンがあり、四十八の詩偈がある」〔と〕。
22. ハッティの章
22. 1. ハッティダーヤカ長老の行状
1. シッダッタ世尊のために、二足者のインダたる如なる方のために、轅の牙ある巨大なる〔象〕が、最勝の象が、わたしによって施された。
2. 最上の義(目的)を、無上なる寂静の境処を、〔わたしは〕受領する。一切の世〔の人々〕の益を探し求める方のために、象の布施が、わたしによって施された。
3. すなわち、〔わたしが〕象を施した、そのとき、これより、九十四カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、象の布施の果である。
4. 七十八カッパ〔の過去〕において、十六者の士族たちとして〔世に〕存した──サマンタパーサーディカという名の、大いなる勢力ある転輪〔王〕たちとして。
5. 四つの融通無礙は〔実証され〕、そして、また、これらの八つの解脱も〔実証された〕。六つの神知は実証され、覚者の教えは為された。
かくのごとく、まさに、尊者ハッティダーヤカ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──
ハッティダーヤカ長老の行状が、第一となる。
22. 2. パーナディダーヤカ長老の行状
6. 林にある聖賢たる方に、長夜にわたる苦行者たる方に、自己を修めた覚者に、わたしは、履物を施した。
7. 二足者のインダたる方よ、世の最尊者にして人の雄牛たる方よ、その行為〔の果〕によって、天の乗物を、〔わたしは〕受領する。これは、過去の行為の果である。
8. すなわち、〔わたしが〕行為を為した、そのとき、これより、九十四カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、履物の果である。
9. これより、七十七カッパ〔の過去〕において、八者の士族たちとして〔世に〕存した──名としては、スヤーナという名の、大いなる勢力ある転輪〔王〕たちとして。
10. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。
かくのごとく、まさに、尊者パーナディダーヤカ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──
パーナディダーヤカ長老の行状が、第二となる。
22. 3. サッチャサンニャカ長老の行状
11. その時点において、ヴェッサブー〔世尊〕は、比丘の僧団に囲まれ、〔四つの〕聖なる真理(聖諦)を説示する──大勢の人を涅槃に到達させながら。
12. 最高の悲しみに至り得た者として〔世に〕存している、わたしは、〔その〕集まりに赴いた。〔まさに〕その、わたしは、〔そこに〕坐り、〔そのように〕存しつつ、教師の法(教え)を聞いた。
13. わたしは、彼の法(教え)を聞いて、わたしは、天の世に赴いた。わたしは、三十カッパのあいだ、諸天において、そこにおいて、かつて住した。
14. すなわち、〔わたしが〕表象を得た、そのとき、これより、三十一カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、真理の表象の果である。
15. これより、二十六カッパ〔の過去〕において、一者の人の君主として〔世に〕存した──名としては、エーカプシタ〔という名〕の、大いなる勢力ある転輪〔王〕として。
16. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。
かくのごとく、まさに、尊者サッチャサンニャカ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──
サッチャサンニャカ長老の行状が、第三となる。
22. 4. エーカサンニャカ長老の行状
17. 木の先端に掛けられた、教師の糞掃衣を見て、合掌を差し出して、わたしは、糞掃衣を敬拝した。
18. すなわち、〔わたしが〕表象を得た、そのとき、これより、三十一カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、覚者の供養の果である。
19. これより、二十五カッパ〔の過去〕において、一者の人の君主として〔世に〕存した──名としては、アミターバという〔名の〕、大いなる勢力ある転輪〔王〕として。
20. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。
かくのごとく、まさに、尊者エーカサンニャカ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──
エーカサンニャカ長老の行状が、第四となる。
22. 5. ランシサンニャカ長老の行状
21. 昇り行く百光〔の太陽〕のような方を、黄金色の光の太陽のような方を、山間にいる善き生まれの最も優れた虎や雄牛のような方を、〔わたしは見た〕。
22. 覚者のその威力は、山間において燃え盛る。光にたいし、心を浄信させて、わたしは、カッパのあいだ、天上において歓喜した。
23. 諸々の残りのカッパにおいては、わたしによって、善なる〔行為〕が行なわれた──その心の浄信によって、さらに、また、覚者の随念によって。
24. すなわち、〔わたしが〕表象を得た、そのとき、これより、三万カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、覚者の表象の果である。
25. 五十七カッパ〔の過去〕において、一者の人の君主として〔世に〕存した──名としては、スジャータという名の、大いなる勢力ある転輪〔王〕として。
26. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。
かくのごとく、まさに、尊者ランシサンニャカ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──
ランシサンニャカ長老の行状が、第五となる。
22. 6. サンディタ長老の行状
27. アッサッタ〔樹〕のもと、緑あざやかにして光輝ある、立派に成長した木のもと、覚者の在り方の一なる表象を、気づきの者となり、わたしは得た。
28. すなわち、〔わたしが〕表象を得た、そのとき、これより、三十一カッパ〔の未来〕において、その表象に由縁して、煩悩の滅尽は、わたしの至り得るところとなった。
29. これより、十三カッパ〔の過去〕において、ダニッタという名の士族として〔世に存した〕──七つの宝を成就した、大いなる勢力ある転輪〔王〕として。
30. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。
かくのごとく、まさに、尊者サンディタ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──
サンディタ長老の行状が、第六となる。
22. 7. ターラヴァンタダーヤカ長老の行状
31. ティッサ〔世尊〕のために、太陽の眷属たる方のために、ターラ〔樹〕の扇が、わたしによって施された──暑熱の寂滅を義(目的)として、苦悶の寂静のために。
32. 貪欲の火を、〔わたしは〕等しく寂滅させる。そして、それにくわえて、憤怒の火を、さらに、迷妄の火を、〔わたしは〕寂滅させる。これは、ターラ〔樹〕の扇の果である。
33. わたしの、諸々の〔心の〕汚れは焼尽し、一切の〔迷いの〕生存は完破された。〔わたしは〕最後の肉身を保つ──正等覚者の教えにおいて。
34. すなわち、〔わたしが〕行為を為した、そのとき、これより、九十二カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、ターラ〔樹〕の扇の果である。
35. これより、六十三カッパ〔の過去〕において、マハーナーマという名を有する者として〔世に存した〕──七つの宝を成就した、大いなる勢力ある転輪〔王〕として。
36. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。
かくのごとく、まさに、尊者ターラヴァンタダーヤカ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──
ターラヴァンタダーヤカ長老の行状が、第七となる。
22. 8. アッカンタサンニャカ長老の行状
37. かつて、わたしは、師父の粗衣を収め取って、そして、呪文を随学する──書物の汚点なき〔読誦〕に至り得るために。
38. 〔わたしは〕見た──〔世俗の〕塵を離れる覚者を、諸々の捧げものの納受者たる方を、最も優れた雄牛にして至高者たる方を、衆のなかの最上の者たるティッサ覚者を。
39. 粗衣を広げ前進する最上の人たる方を、屹立する偉大なる勇者を、世の最尊者にして人の雄牛たる方を──
40. 彼を、世の灯火たる方を、離垢なる月の似姿ある方を、見て、教師の〔両の〕足を敬拝した──浄信した心で。
41. すなわち、〔わたしが〕粗衣を施した、これより、九十四カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、粗衣の果である。
42. これより、三十七カッパ〔の過去〕において、一者の人の君主として〔世に〕存した──名としては、スナンダという名の、大いなる勢力ある転輪〔王〕として。
43. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。
かくのごとく、まさに、尊者アッカンタサンニャカ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──
アッカンタサンニャカ長老の行状が、第八となる。
22. 9. サッピダーヤカ長老の行状
44. 優美なる高楼のうちに坐り、女たちの群れに囲まれながら、わたしは、病んだ沙門を見て、家に迎え入れた。
45. 近しく坐した偉大なる勇者を、天の天たる方を、人の雄牛たる方を、〔家に迎え入れて〕、酥と油が、わたしによって施された──シッダッタ〔世尊〕のために、偉大なる聖賢のために。
46. 懊悩が静息した方を、澄浄なる顔と〔感官の〕機能ある方を、見て、かつて、〔わたしは〕教師の〔両の〕足を敬拝して、〔自己の信を〕告げ聞かせた。
47. わたしのことを、自己が善く浄信した者と見て、神通における完全態に至った方は、慧者は、天空へと舞い上がった──鵞鳥の王が、宙に〔赴く〕ように。
48. すなわち、〔わたしが〕布施を施した、そのとき、これより、九十四カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、酥と油の果である。
49. これより、十七カッパ〔の過去〕において、ジュティデーヴァという名を有する者として〔世に存した〕──七つの宝を成就した、大いなる勢力ある転輪〔王〕として。
50. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。
かくのごとく、まさに、尊者サッピダーヤカ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──
サッピダーヤカ長老の行状が、第九となる。
22. 10. パーパニヴァーリヤ長老の行状
51. ピヤダッシン世尊のために、〔瞑想のための〕歩行場が、わたしによって清められた──諸々の葦で覆い、熱風を防護するものとして。
52. 悪を避けることを義(目的)として、善の成就がある。諸々の〔心の〕汚れを捨棄するために、教師の教えにおいて精励した。
53. これより、十一カッパ〔の過去〕において、アッギデーヴァという〔名で世に〕聞こえた者として〔世に存した〕──七つの宝を成就した、大いなる勢力ある転輪〔王〕として。
54. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。
かくのごとく、まさに、尊者パーパニヴァーリヤ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──
パーパニヴァーリヤ長老の行状が、第十となる。
ハッティの章が、第二十二となる。
その〔章〕のための摂頌となる。
〔そこで、詩偈に言う〕「ハッティ、パーナディ、そして、サッチャ、そして、エーカサンニン、ランシカ、サンディタ、そして、ターラヴァンタ、そのように、アッカンタサンニャカ、サッピ、そして、パーパニヴァーリンがあり、五十四の詩偈がある」〔と〕。
23. アーランバナダーヤカの章
23. 1. アーランバナダーヤカ長老の行状
1. アッタダッシン世尊のために、世の最尊者にして如なる方のために、支えるものが、わたしによって施された。
2. 海洋を彼方とする広大なる地を、〔わたしは〕治める。さらに、命ある者たちにたいする権力を、そして、大地において転起させる。
3. わたしの、諸々の〔心の〕汚れは焼尽し、一切の〔迷いの〕生存は完破された。三つの明知は獲得され、覚者の教えは為された。
4. これより、六十二カッパ〔の過去〕において、三者の士族たちとして〔世に〕存した──エーカーパッシタという名の、それらの大いなる勢力ある転輪〔王〕たちとして。
5. 四つの融通無礙は〔実証され〕、そして、また、これらの八つの解脱も〔実証された〕。六つの神知は実証され、覚者の教えは為された。
かくのごとく、まさに、尊者アーランバナダーヤカ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──
アーランバナダーヤカ長老の行状が、第一となる。
23. 2. アジナダーヤカ長老の行状
6. これより、三十一カッパ〔の過去〕において、わたしは、衆の教師として〔世に有った〕。〔わたしは〕見た──〔世俗の〕塵を離れる覚者を、諸々の捧げものの納受者たる方を。
7. シキン〔世尊〕のために、世の眷属たる方のために、皮革が、わたしによって施された。二足者のインダたる方よ、世の最尊者にして人の雄牛たる方よ、その行為〔の果〕によって──
8. 〔天と人の二つの〕得達を受領して、わたしは、諸々の〔心の〕汚れを焼き尽くした。〔わたしは〕最後の肉身を保つ──正等覚者の教えにおいて。
9. すなわち、わたしが、皮衣を施した、これより、三十一カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、皮衣の果である。
10. これより、第五のカッパ〔の過去〕において、スダーヤカ〔という名〕の王として〔世に〕存した──七つの宝を成就した、大いなる勢力ある転輪〔王〕として。
11. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。
かくのごとく、まさに、尊者アジナダーヤカ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──
アジナダーヤカ長老の行状が、第二となる。
23. 3. ドヴェーラタニヤ長老の行状
12. かつて、鹿の猟師として〔世に〕存した──わたしは、林のなかにあり、森のなかにある。〔わたしは〕見た──〔世俗の〕塵を離れる覚者を、諸々の捧げものの納受者たる方を。
13. ヴィパッシン〔世尊〕のために、偉大なる聖賢のために、肉片が、わたしによって施された。天を含む世において、わたしは、権力を執行する。
14. この肉の布施によって、わたしに、宝が発現する──世において、これらの二つの宝が、所見の法(真理)に至り得るために。
15. わたしは、それらの全てを受領する──肉の布施の効能ゆえに。そして、わたしの、五体は、柔和なるものとなり、智慧は、精緻なる感受あるものとなる。
16. すなわち、〔わたしが〕肉を施した、そのとき、これより、九十一カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、肉の布施の果である。
17. これより、第四のカッパ〔の過去〕において、一者の人の君主として〔世に〕存した──マハーローヒタという名の、〔まさに〕その、大いなる勢力ある転輪〔王〕として。
18. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。
かくのごとく、まさに、尊者ドヴェーラタニヤ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──
ドヴェーラタニヤ長老の行状が、第三となる。
〔以上が〕第十の朗読分となる。
23. 4. アーラッカダーヤカ長老の行状
19. シッダッタ世尊のために、欄干が、わたしによって作成された。さらに、守衛が、わたしによって施された──善き至達者たる方のために、偉大なる聖賢のために。
20. その殊勝なる行為によって、〔わたしは〕恐怖と恐ろしさを見なかった。どこであろうが、再生したわたしに、恐れは見出されない。
21. すなわち、かつて、〔わたしが〕欄干を作らせた、これより、九十四カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは欄干の果である。
22. これより、第六のカッパ〔の過去〕において、アパッセーナという名を有する者として〔世に存した〕──七つの宝を成就した、大いなる勢力ある転輪〔王〕として。
23. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。
かくのごとく、まさに、尊者アーラッカダーヤカ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──
アーラッカダーヤカ長老の行状が、第四となる。
23. 5. アブヤーディカ長老の行状
24. わたしは、火堂を、ヴィパッシン世尊に施した。さらに、病者たちのために、温水を納受できる居住所を〔施した〕。
25. その行為〔の果〕によって、わたしには、美しく化作された、この自己状態(個我的あり方・身体)がある。わたしは、病を証知しない。これは、功徳の行為の果である。
26. すなわち、〔わたしが〕堂を施した、そのとき、これより、九十一カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、火堂の果である。
27. そして、これより、第七のカッパ〔の過去〕において、一者のアパラージタ〔という名の者〕として〔世に〕存した──七つの宝を成就した、大いなる勢力ある転輪〔王〕として。
28. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。
かくのごとく、まさに、尊者アブヤーディカ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──
アブヤーディカ長老の行状が、第五となる。
23. 6. アンコーラプッピヤ長老の行状
29. わたしには、「ナーラダ」という名がある。わたしのことを、〔人々は〕「カッサパ」と知る。〔わたしは〕見た──沙門たちのなかの至高者たる方を、ヴィパッシン〔世尊〕を、天〔の神々〕たちに尊敬される方を──
30. 〔八十の〕付随する特徴を保持する覚者を、諸々の捧げものの納受者たる方を。〔わたしは〕アンコーラの花を差し出して、覚者に献上した。
31. すなわち、〔わたしが〕花を供養した、これより、九十一カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、覚者の供養の果である。
32. これより、七十四カッパ〔の過去〕において、ローマサという名の士族として〔世に存した〕──花飾と装飾品を付けた、車馬と軍隊の旅団を有する者として。
33. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。
かくのごとく、まさに、尊者アンコーラプッピヤ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──
アンコーラプッピヤ長老の行状が、第六となる。
23. 7. ソーヴァンナヴァタンサキヤ長老の行状
34. 庭園の地へと出発しつつ、世の導き手たる方を、〔わたしは〕見た。美しく化作された黄金の〔花の〕頭飾を収め取って──
35. 即座に、そこから登って、象の背に至り、わたしは、シキン〔世尊〕に、世の眷属たる方に、覚者に、献上した。
36. すなわち、〔わたしが〕花を献上した、これより、三十一カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、花の供養の果である。
37. これより、二十七カッパ〔の過去〕において、一者の人の君主として〔世に〕存した──名としては、マハーパターパ〔という名〕の、大いなる勢力ある転輪〔王〕として。
38. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。
かくのごとく、まさに、尊者ソーヴァンナヴァタンサキヤ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──
ソーヴァンナヴァタンサキヤ長老の行状が、第七となる。
23. 8. ミンジャヴァタンサキヤ長老の行状
39. シキン〔世尊〕が、説者たちのなかの優れた方が、世の主たる方が、涅槃に到達したとき、諸々の〔花の〕頭飾を振りまく菩提〔樹〕の供養を、わたしは為した。
40. すなわち、〔わたしが〕供養を為した、そのとき、これより、三十一カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、菩提〔樹〕の供養の果である。
41. これより、二十六カッパ〔の過去〕において、メーガッバという名の者として〔世に〕有った──七つの宝を成就した、大いなる勢力ある転輪〔王〕として。
42. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。
かくのごとく、まさに、尊者ミンジャヴァタンサキヤ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──
ミンジャヴァタンサキヤ長老の行状が、第八となる。
23. 9. スカターヴェーリヤ長老の行状
43. そのとき、わたしは、名としては、アシタという名の、花飾師として〔世に有った〕。花飾を収め取って、王に与えるために、わたしは、〔道を〕行く。
44. 〔わたしは〕存している──王のもとに〔いまだ〕達し得ていない者として。〔わたしは〕見た──〔世の〕導き手たるシキン〔世尊〕を。欣喜した者となり、欣喜した心で、〔花飾を〕覚者に献上した。
45. すなわち、〔わたしが〕花を供養した、これより、三十一カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、覚者の供養の果である。
46. これより、二十五カッパ〔の過去〕において、大いなる勢力ある王として〔世に〕有った──名としては、ヴェーバーラという名の、大いなる勢力ある転輪〔王〕として。
47. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。
かくのごとく、まさに、尊者スカターヴェーリヤ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──
スカターヴェーリヤ長老の行状が、第九となる。
23. 10. エーカヴァンダニヤ長老の行状
48. 最も優れた雄牛たる勇者を、ヴェッサブー〔世尊〕を、征圧者たる方を、〔わたしは見た〕。浄信した心の者となり、悦意の者となり、わたしは、最勝の覚者を敬拝した。
49. すなわち、〔わたしが〕行為を為した、そのとき、これより、三十一カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、敬拝の果である。
50. 二十四カッパ〔の過去〕において、ヴィカターナンダという名の者として〔世に存した〕──七つの宝を成就した、大いなる勢力ある転輪〔王〕として。
51. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。
かくのごとく、まさに、尊者エーカヴァンダニヤ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──
エーカヴァンダニヤ長老の行状が、第十となる。
アーランバナダーヤカの章が、第二十三となる。
その〔章〕のための摂頌となる。
〔そこで、詩偈に言う〕「そして、アーランバナ、アジナ、マンサダとアーラッカダーヤカ、アブヤーディ、アンコーラ、ソンナ、ミンジャと花飾と敬拝があり、義(道理)を見る者たちによって、五十五の詩偈が数えられた」〔と〕。
24. ウダカーサナの章
24. 1. ウダカーサナダーヤカ長老の行状
1. 林園の門から出て、わたしは、延べ板を敷き、そして、水を奉仕した──最上の義(目的)に至り得るために。
2. すなわち、〔わたしが〕行為を為した、そのとき、これより、三十一カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。さてまた、坐と水における果である。
3. これより、十五カッパ〔の過去〕において、アビサーマという呼び名を有する者として〔世に存した〕──七つの宝を成就した、大いなる勢力ある転輪〔王〕として。
4. 四つの融通無礙は〔実証され〕、そして、また、これらの八つの解脱も〔実証された〕。六つの神知は実証され、覚者の教えは為された。
かくのごとく、まさに、尊者ウダカーサナダーヤカ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──
ウダカーサナダーヤカ長老の行状が、第一となる。
24. 2. バージャナパーラカ長老の行状
5. バンドゥマティーの城市において、そのとき、わたしは、陶工として〔世に有った〕。まさしく、そのあいだ、比丘の僧団の器物を、〔わたしは〕保全した。
6. 〔わたしが〕器物を保全した、これより、九十一カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、器物の果である。
7. これより、五十三カッパ〔の過去〕において、アナンタジャーリという名の者として〔世に存した〕──七つの宝を成就した、大いなる勢力ある転輪〔王〕として。
8. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。
かくのごとく、まさに、尊者バージャナパーラカ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──
バージャナパーラカ長老の行状が、第二となる。
24. 3. サーラプッピヤ長老の行状
9. アルナヴァティーの城市において、そのとき、菓子屋として〔世に〕有った。わたしの〔家の〕門を赴きつつある、シキン〔世尊〕を、勝者を、〔わたしは〕見た。
10. 覚者の鉢を収め取って、サーラ〔樹〕の花を、わたしは施した──正しき至達者たる方のために、覚者のために、浄信した心で。
11. すなわち、わたしが、花を施した、これより、三十一カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、サーラ〔樹〕の花の果である。
12. これより、十四カッパ〔の過去〕において、アミタンジャラ〔という名の者〕として〔世に〕有った──七つの宝を成就した、大いなる勢力ある転輪〔王〕として。
13. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。
かくのごとく、まさに、尊者サーラプッピヤ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──
サーラプッピヤ長老の行状が、第三となる。
24. 4. キランジャダーヤカ長老の行状
14. ティヴァラーの喜ばしき都において、そのとき、わたしは、籠作りとして〔世に有った〕。そこにおいて、人民は、シッダッタ〔世尊〕にたいし、世の灯火たる方にたいし、浄信した者たちとして〔有った〕。
15. 世の主たる方の供養を義(目的)として、筵(むしろ)を、〔人々は〕遍く探し求める。覚者の供養を為している者たちのために、筵を、わたしは施した。
16. すなわち、〔わたしが〕行為を為した、そのとき、これより、九十四カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、筵の果である。
17. 七十七カッパ〔の過去〕において、ジャラッダラ〔という名〕の王として〔世に〕存した──七つの宝を成就した、大いなる勢力ある転輪〔王〕として。
18. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。
かくのごとく、まさに、尊者キランジャダーヤカ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──
キランジャダーヤカ長老の行状が、第四となる。
24. 5. ヴェーディカーラカ長老の行状
19. ヴィパッシン世尊の、最上の木である菩提〔樹〕にたいし、浄信した心の者となり、悦意の者となり、わたしは、欄干を作らせた。
20. わたしが、欄干を作らせた、これより、九十一カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、欄干の果である。
21. これより、十一カッパ〔の過去〕において、スーリヤッサマ〔という名の者〕として〔世に〕有った──七つの宝を成就した、大いなる勢力ある転輪〔王〕として。
22. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。
かくのごとく、まさに、尊者ヴェーディカーラカ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──
ヴェーディカーラカ長老の行状が、第五となる。
24. 6. ヴァンナカーラ長老の行状
23. アルナヴァティーの城市において、そのとき、わたしは、色具師として〔世に有った〕。塔廟において、諸々の布地や物品に、わたしは、種々なる色を染めた。
24. すなわち、わたしが、色を染めた、そのとき、これより、三十一カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、色の布施の果である。
25. これより、二十三カッパ〔の過去〕において、ヴァンナサマという名を有する者として〔世に存した〕──七つの宝を成就した、大いなる勢力ある転輪〔王〕として。
26. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。
かくのごとく、まさに、尊者ヴァンナカーラ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──
ヴァンナカーラ長老の行状が、第六となる。
24. 7. ピヤーラプッピヤ長老の行状
27. かつて、鹿の猟師として〔世に〕存した──わたしは、林のなかにあり、森のなかにある。花ひらいたピヤーラ〔樹の花〕を見て、わたしは、〔覚者が〕赴く道に投げ放った。
28. すなわち、〔わたしが〕花を供養した、これより、九十一カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、覚者の供養の果である。
29. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。
かくのごとく、まさに、尊者ピヤーラプッピヤ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──
ピヤーラプッピヤ長老の行状が、第七となる。
24. 8. アンバヤーガダーヤカ長老の行状
30. 自らの技能に強情なることなく、わたしは、森に赴いた。正覚者が行きつつあるのを見て、アンバ〔樹の果〕を供物として施した。
31. すなわち、〔わたしが〕布施を施した、そのとき、これより、九十一カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、アンバ〔樹の果〕の供物の果である。
32. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。
かくのごとく、まさに、尊者アンバヤーガダーヤカ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──
アンバヤーガダーヤカ長老の行状が、第八となる。
24. 9. ジャガティカーラカ長老の行状
33. アッタダッシン〔世尊〕が、最上の人たる方が、世の主たる方が、涅槃に到達したとき、覚者の最上の塔において、基壇が、わたしによって作成された。
34. すなわち、〔わたしが〕行為を為した、そのとき、千八百カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、基壇の果である。
35. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。
かくのごとく、まさに、尊者ジャガティカーラカ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──
ジャガティカーラカ長老の行状が、第九となる。
24. 10. ヴァーシダーヤカ長老の行状
36. 最上の都のティヴァラーにおいて、かつて、わたしは、鍛冶屋として〔世に〕存した。一なる剃刀が、わたしによって施された──〔他に依らず〕自ら成る方を、〔一切に〕敗れることなき方を、〔見て〕。
37. すなわち、〔わたしが〕剃刀を施した、そのとき、九十四カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、剃刀の布施の果である。
38. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。
かくのごとく、まさに、尊者ヴァーシダーヤカ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──
ヴァーシダーヤカ長老の行状が、第十となる。
ウダカーサナの章が、第二十四となる。
その〔章〕のための摂頌となる。
〔そこで、詩偈に言う〕「ウダカーサナとバージャナ、サーラプッピン、キランジャカ、欄干、そして、ヴァンナカーラ、ピヤーラとアンバヤーガダ、ジャガティン、そして、ヴァーシダータルがあり、そして、三十の詩偈があり、さらに、八つ〔の詩偈〕がある」〔と〕。
25. トゥヴァラダーヤカの章
25. 1. トゥヴァラダーヤカ長老の行状
1. かつて、鹿の猟師として〔世に〕存した──わたしは、林のなかにあり、森のなかにある。トゥヴァラ〔の種〕を炒って、〔器に〕携えて、わたしは、僧団に施した。
2. すなわち、〔わたしが〕布施を施した、そのとき、これより、九十一カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、トゥヴァラの果である。
3. 四つの融通無礙は〔実証され〕、そして、また、これらの八つの解脱も〔実証された〕。六つの神知は実証され、覚者の教えは為された。
かくのごとく、まさに、尊者トゥヴァラダーヤカ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──
トゥヴァラダーヤカ長老の行状が、第一となる。
25. 2. ナーガケーサリヤ長老の行状
4. 弓を確たるものと為して、わたしは、林に深く分け入った。垂れ下がった〔ナーガ樹の〕花糸を見て、全てが艶やかで美しく花ひらいた〔ナーガ樹の花〕を(※)──
※ テキストには patapattaṃ samuṭṭhitaṃ とあるが、PTS版により sabbamaṭṭaṃ supupphitaṃ と読む。
5. 両の手で収め取って、頭に合掌を為して、ティッサ〔世尊〕に、世の眷属たる方に、覚者に、献上した。
6. すなわち、〔わたしが〕花を供養した、これより、九十二カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、覚者の供養の果である。
7. 七十三カッパ〔の過去〕において、七者のケーサラという名の者たちとして〔世に存した〕──七つの宝を成就した、大いなる勢力ある転輪〔王〕たちとして。
8. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。
かくのごとく、まさに、尊者ナーガケーサリヤ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──
ナーガケーサリヤ長老の行状が、第二となる。
25. 3. ナリナケーサリヤ長老の行状
9. 天然の湖の中において、〔わたしは〕水鳥として〔世に〕住する。わたしは見た──〔天高く〕曲がりなき風のなかを赴きつつある、天の天たる方を。
10. 〔ナリナ草の〕花糸を嘴で収め取って、浄信した心で、ティッサ〔世尊〕に、世の眷属たる方に、覚者に、献上した。
11. すなわち、〔わたしが〕花を供養した、これより、九十二カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、覚者の供養の果である。
12. 七十三カッパ〔の過去〕において、七者のケーサラという名の者たちとして〔世に存した〕──七つの宝を成就した、大いなる勢力ある転輪〔王〕たちとして。
13. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。
かくのごとく、まさに、尊者ナリナケーサリヤ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──
ナリナケーサリヤ長老の行状が、第三となる。
25. 4. ヴィラヴァプッピヤ長老の行状
14. 千の煩悩の滅尽者たちとともに、世の導き手たる方は出発する。ヴィラヴァの花を携えて、覚者に献上した。
15. すなわち、〔わたしが〕花を供養した、これより、九十一カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、覚者の供養の果である。
16. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。
かくのごとく、まさに、尊者ヴィラヴァプッピヤ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──
ヴィラヴァプッピヤ長老の行状が、第四となる。
25. 5. クティドゥーパカ長老の行状
17. 〔わたしは〕シッダッタ世尊の小屋番として〔世に〕有った。〔その〕時〔その〕時に、〔香をもって小屋を〕薫じた──浄信した者となり、自らの〔両の〕手で。
18. すなわち、〔わたしが〕行為を為した、そのとき、これより、九十四カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、薫香の布施の果である。
19. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。
かくのごとく、まさに、尊者クティドゥーパカ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──
クティドゥーパカ長老の行状が、第五となる。
25. 6. パッタダーヤカ長老の行状
20. 最高の調御をもって、シッダッタ〔世尊〕のために、偉大なる聖賢のために、〔心が〕真っすぐと成った如なる方のために、鉢の布施が、わたしによって施された。
21. すなわち、〔わたしが〕布施を施した、そのとき、これより、九十四カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、鉢の布施の果である。
22. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。
かくのごとく、まさに、尊者パッタダーヤカ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──
パッタダーヤカ長老の行状が、第六となる。
25. 7. ダートゥプージャカ長老の行状
23. シッダッタ〔世尊〕が、最上の人たる方が、世の主たる方が、涅槃に到達したとき、二足者のインダたる如なる方の、一つの遺物が、わたしに得られた。
24. わたしは、覚者の、太陽の眷属たる方の、その遺物を収め取って、五年のあいだ世話した──〔世に〕止住している、最上の人たる方を〔世話する〕ように。
25. すなわち、〔わたしが〕遺物を供養した、そのとき、これより、九十四カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、遺物の奉仕の果である。
26. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。
かくのごとく、まさに、尊者ダートゥプージャカ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──
ダートゥプージャカ長老の行状が、第七となる。
25. 8. サッタリプッパプージャカ長老の行状
27. そのとき、わたしは、七つのサッタリの花を、頭に為して、覚者に献上した──ヴェッサブー〔世尊〕にたいし、最上の人たる方にたいし。
28. すなわち、〔わたしが〕花を供養した、これより、三十一カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、覚者の供養の果である。
29. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。
かくのごとく、まさに、尊者サッタリプッパプージャカ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──
サッタリプッパプージャカ長老の行状が、第八となる。
25. 9. ビンビジャーリヤ長老の行状
30. パドゥムッタラという名の勝者は、〔他に依らず〕自ら成る方は、至高の人たる方は、四つの真理を明示し、不死の境処(涅槃)を明らかにする。
31. そのとき、わたしは、ビンビジャーラカの花々を多々に作り為して、覚者に、二足者のインダたる如なる方に、献上した。
32. これより、六十八カッパ〔の過去〕において、四者のキンジャケーサラ〔という名の者たち〕として〔世に存した〕──七つの宝を成就した、大いなる勢力ある転輪〔王〕たちとして。
33. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。
かくのごとく、まさに、尊者ビンビジャーリヤ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──
ビンビジャーリヤ長老の行状が、第九となる。
25. 10. ウッダーラカダーヤカ長老の行状
34. 名としては、カクダという名の、〔他に依らず〕自ら成る方は、〔一切に〕敗れることなき方は、山林から出て、大いなる川に至り得たのだった。
35. ウッダーラカ〔の花〕を収め取って、〔他に依らず〕自ら成る方に、わたしは施した──〔心身が〕自制された方に、〔心が〕真っすぐと成った方に、浄信した意図ある者となり、わたしは。
36. すなわち、〔わたしが〕花を供養した、これより、三十一カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、花の布施の果である。
37. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。
かくのごとく、まさに、尊者ウッダーラカダーヤカ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──
ウッダーラカダーヤカ長老の行状が、第十となる。
トゥヴァラダーヤカの章が、第二十五となる。
その〔章〕のための摂頌となる。
〔そこで、詩偈に言う〕「トゥヴァラとナーガとナリナ、ヴィラヴィン、クティドゥーパカ、パッタ、ダートゥとサッタリヤ、ビンビがあり、そして、ウッダーラカとともに、分明なる者たちによって、三十七の詩偈が数えられた」〔と〕。
26. トーマカの章
26. 1. トーマカ長老の行状
1. 天の世に立ち、〔そのように〕存しつつ、ヴィパッシン〔世尊〕の、偉大なる聖賢の、法(教え)を聞いて、歓喜した者となり、わたしは、この言葉を語った。
2. 〔わたしは言った〕「善き生まれの人士たる方よ、あなたに、礼拝〔有れ〕。最上の人士たる方よ、あなたに、礼拝〔有れ〕。〔あなたは〕多くの人々を〔彼岸へと〕超え渡します──不死の境処を説示しながら」〔と〕。
3. すなわち、〔わたしが〕言葉を話した、そのとき、これより、九十一カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、賛嘆の果である。
4. 四つの融通無礙は〔実証され〕、そして、また、これらの八つの解脱も〔実証された〕。六つの神知は実証され、覚者の教えは為された。
かくのごとく、まさに、尊者トーマカ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──
トーマカ長老の行状が、第一となる。
26. 2. エーカーサナダーヤカ長老の行状
5. 天〔の神〕の姿を捨棄して、妻と共に、〔わたしは〕ここに到来した──最勝の覚者の教えにおいて、献身を為すことを欲する者として。
6. 名としては、デーヴァラという名の、パドゥムッタラ〔世尊〕の弟子が〔世に存した〕。彼のために、行乞〔の施食〕が、わたしによって施された──浄信した心で。
7. すなわち、〔わたしが〕行為を為した、そのとき、これより、十万カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、〔行乞の〕施食の果である。
8. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。
かくのごとく、まさに、尊者エーカーサナダーヤカ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──
エーカーサナダーヤカ長老の行状が、第二となる。
26. 3. チタカプージャカ長老の行状
9. アーナンダという名の正覚者(独覚)は、〔他に依らず〕自ら成る方は、〔一切に〕敗れることなき方は、林のなかで涅槃に到達した──人間のいない森のなかで。
10. そのとき、わたしは、天の世から、ここに到来して、心を為して、そこにおいて、〔覚者の〕肉体を燃やした。そして、わたしは、尊敬〔の思い〕を為した。
11. すなわち、〔わたしが〕行為を為した、そのとき、これより、九十一カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、覚者の供養の果である。
12. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。
かくのごとく、まさに、尊者チタカプージャカ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──
チタカプージャカ長老の行状が、第三となる。
26. 4. ティチャンパカプッピヤ長老の行状
13. ヒマヴァントの遠からざるところ、ヴィカタという名の山がある。その〔山〕の中に、〔五つの〕機能を修めた沙門が住する。
14. 彼の寂止〔の境地〕を見て、浄信した心で、三つのチャンパカの花を収め取って、等しく振りまいた。
15. すなわち、〔わたしが〕花を供養した、これより、九十一カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、覚者の供養の果である。
16. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。
かくのごとく、まさに、尊者ティチャンパカプッピヤ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──
ティチャンパカプッピヤ長老の行状が、第四となる。
26. 5. サッタパータリヤ長老の行状
17. カニカーラ〔樹の花〕のように輝いている〔覚者〕を、山間に坐っている〔覚者〕を、〔わたしは見た〕。〔わたしは〕七つのパータリー〔樹〕の花を、覚者に献上した。
18. すなわち、〔わたしが〕花を献上した、これより、九十四カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、覚者の供養の果である。
19. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。
かくのごとく、まさに、尊者サッタパータリヤ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──
サッタパータリヤ長老の行状が、第五となる。
26. 6. ウパーハナダーヤカ長老の行状
20. そのとき、〔わたしは〕チャンダという名の、正覚者の実子として〔世に〕有った。一なる履物が、わたしによって施された。「あなたは、わたしの覚りを成就したまえ」〔と〕。
21. すなわち、〔わたしが〕履物を施した、そのとき、これより、九十一カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、履物の果である。
22. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。
かくのごとく、まさに、尊者ウパーハナダーヤカ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──
ウパーハナダーヤカ長老の行状が、第六となる。
26. 7 マンジャリプージャカ長老の行状
23. マンジャリカ〔の花〕を〔施物と〕為して、わたしは、道を行った。〔わたしは〕見た──比丘の僧団に囲まれた、沙門たちのなかの至高者たる方を。
24. 浄信した心の者となり、悦意の者となり、そして、最高の喜悦〔の思い〕によって、両の手で差し出して、覚者に献上した。
25. すなわち、〔わたしが〕花を供養した、これより、九十二カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、花の供養の果である。
26. これより、七十三カッパ〔の過去〕において、一者の大地の長として〔世に〕存した──名としては、ジョーティヤという名の、大いなる勢力ある転輪〔王〕として。
27. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。
かくのごとく、まさに、尊者マンジャリプージャカ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──
マンジャリプージャカ長老の行状が、第七となる。
26. 8. パンナダーヤカ長老の行状
28. ヒマヴァントの山において、わたしは、樹皮の衣を〔身に〕付ける者として、塩気なき葉を食物とする者として、さらに、諸々の決まり事において統御された者として、〔世に〕存した。
29. 朝食〔の時〕が至り得たとき、シッダッタ〔世尊〕は、わたしのもとへと近しく赴いた。わたしは、それを、覚者に施した──浄信した者となり、自らの〔両の〕手で。
30. すなわち、〔わたしが〕葉を施した、そのとき、これより、九十四カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、葉の布施の果である。
31. 二十七カッパ〔の過去〕において、サダッティヤ〔という名〕の王として〔世に〕存した──七つの宝を成就した、大いなる勢力ある転輪〔王〕として。
32. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。
かくのごとく、まさに、尊者パンナダーヤカ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──
パンナダーヤカ長老の行状が、第八となる。
26. 9. クティダーヤカ長老の行状
33. そのとき、森を歩む正覚者は、木の根元に住した。〔わたしは〕草庵を作って、〔一切に〕敗れることなき方にたいし施した。
34. すなわち、〔わたしが〕葉小屋を施した、これより、九十一カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、小屋の布施の果である。
35. これより、二十八カッパ〔の過去〕において、十六者の王たちとして〔世に〕存した──「一切所において雨降らす者」と呼ばれる、転輪〔王〕たちとして。
36. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。
かくのごとく、まさに、尊者クティダーヤカ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──
クティダーヤカ長老の行状が、第九となる。
26. 10. アッガプッピヤ長老の行状
37. 黄金の色艶ある正覚者を、山間に坐り、あたかも、炎のように、光をもって〔四方を〕照らしているシキン〔世尊〕を、〔わたしは見た〕。
38. 〔わたしは〕アッガジャの花を携えて、最上の人たる方のもとへと近しく赴いた。浄信した心の者となり、悦意の者となり、覚者に献上した。
39. すなわち、〔わたしが〕花を供養した、これより、三十一カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、覚者の供養の果である。
40. 二十五カッパ〔の過去〕において、アミトーガタ〔という名の者〕として〔世に〕有った──七つの宝を成就した、大いなる勢力ある転輪〔王〕として。
41. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。
かくのごとく、まさに、尊者アッガプッピヤ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──
アッガプッピヤ長老の行状が、第十となる。
トーマカの章が、第二十六となる。
その〔章〕のための摂頌となる。
〔そこで、詩偈に言う〕「トーマカとエーカーサナとチタカ、チャンパカ、サッタパータリ、履物、マンジャリン、パンナ、クティダ、アッガプッピヤがあり、そして、まさしく、四十一の詩偈が、そして、ここにおいて数えられた」〔と〕。
27. パドゥムッキパの章
27. 1. アーカースッキピヤ長老の行状
1. 市場を赴きつつある、黄金の色艶あるシッダッタ〔世尊〕を、〔わたしは見た〕。〔わたしは〕二つの水に生じる至高の〔花〕(蓮華)を収め取って、人の雄牛たる方のもとへと近しく赴いた。
2. そして、一つの花を最勝の覚者の〔両の〕足に置き、そして、一つの花を差し出して、わたしは、虚空に投げ上げた。
3. すなわち、〔わたしが〕花を献上した、これより、九十四カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、花の布施の果である。
4. これより、三十六カッパ〔の過去〕において、一者の大地の長として〔世に〕存した──アンタリッカカラという名の、大いなる勢力ある転輪〔王〕として。
5. 四つの融通無礙は〔実証され〕、そして、また、これらの八つの解脱も〔実証された〕。六つの神知は実証され、覚者の教えは為された。
かくのごとく、まさに、尊者アーカースッキピヤ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──
アーカースッキピヤ長老の行状が、第一となる。
27. 2. テーラマッキヤ長老の行状
6. シッダッタ世尊が、人の雄牛たる方が、涅槃に到達したとき、まさしく、ただちに、わたしは、菩提〔樹〕の欄干に油を塗布した。
7. すなわち、〔わたしが〕油を塗布した、そのとき、これより、九十四カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、塗布の果である。
8. これより、二十四カッパ〔の過去〕において、スッチャヴィという名の士族として〔世に存した〕──七つの宝を成就した、大いなる勢力ある転輪〔王〕として。
9. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。
かくのごとく、まさに、尊者テーラマッキヤ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──
テーラマッキヤ長老の行状が、第二となる。
27. 3. アッダチャンディヤ長老の行状
10. まさに、ティッサ世尊の、最上の木である菩提〔樹〕にたいし、地に育つ〔聖なる〕植物にたいし、半月〔の形をした花〕が、わたしによって施された。
11. すなわち、〔わたしが〕月〔の形をした花〕を献上した、これより、九十二カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、覚者の供養の果である。
12. これより、二十五カッパ〔の過去〕において、デーヴァラという名の士族として〔世に存した〕──七つの宝を成就した、大いなる勢力ある転輪〔王〕として。
13. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。
かくのごとく、まさに、尊者アッダチャンディヤ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──
アッダチャンディヤ長老の行状が、第三となる。
27. 4. パディーパダーヤカ長老の行状
14. 天〔の神〕と成り、〔そのように〕存している、わたしは、そのとき、地に降りて、五つの灯明を施した──浄信した者となり、自らの〔両の〕手で。
15. すなわち、〔わたしが〕灯明を施した、そのとき、これより、九十四カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、灯明の布施の果である。
16. 五十五カッパ〔の過去〕において、一者の大地の長として〔世に〕存した──名としては、サマンタチャック〔という名〕の、大いなる勢力ある転輪〔王〕として。
17. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。
かくのごとく、まさに、尊者パディーパダーヤカ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──
パディーパダーヤカ長老の行状が、第四となる。
27. 5. ビラーリダーヤカ長老の行状
18. ヒマヴァントの遠からざるところ、ローマサという名の山がある。その山麓において、〔五つの〕機能を修めた沙門が〔住する〕。
19. わたしは、諸々のビラーリ〔の球根〕を収め取って、沙門に施した。〔他に依らず〕自ら成る方は、〔一切に〕敗れることなき方は、偉大なる勇者は、随喜した。
20. 〔沙門は言った〕「それらのビラーリ〔の球根〕が、あなたによって施されました──浄信した心で。生存が発現しているときは、あなたに、果実が発現せよ」〔と〕。
21. すなわち、わたしが、ビラーリ〔の球根〕を施した、これより、九十四カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、ビラーリ〔の球根〕の果である。
22. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。
かくのごとく、まさに、尊者ビラーリダーヤカ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──
ビラーリダーヤカ長老の行状が、第五となる。
27. 6. マッチャダーヤカ長老の行状
23. チャンダバーガー川の岸辺において、そのとき、わたしは、鶚(みさご)として〔世に〕存した。大いなる魚を差し出して、シッダッタ牟尼に施した。
24. すなわち、〔わたしが〕魚を施した、そのとき、これより、九十四カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、魚の布施の果である。
25. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。
かくのごとく、まさに、尊者マッチャダーヤカ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──
マッチャダーヤカ長老の行状が、第六となる。
27. 7. ジャヴァハンサカ長老の行状
26. チャンダバーガー川の岸辺において、そのとき、〔わたしは〕林を歩む者として〔世に〕存した。〔わたしは〕見た──〔天高く〕曲がりなき風のなかを赴きつつある、シッダッタ覚者を。
27. 合掌を差し出して、偉大なる牟尼を見上げつつ、自らの心を浄信させて、わたしは、〔世の〕導き手たる方を敬拝した。
28. すなわち、〔わたしが〕人の雄牛たる方を敬拝した、これより、九十四カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、敬拝の果である。
29. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。
かくのごとく、まさに、尊者ジャヴァハンサカ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──
ジャヴァハンサカ長老の行状が、第七となる。
27. 8. サララプッピヤ長老の行状
30. チャンダバーガー川の岸辺において、そのとき、〔わたしは〕妖精として〔世に〕有った。〔わたしは〕見た──光の網で溢れ満ちる、ヴィパッシン覚者を。
31. 浄信した心の者となり、悦意の者となり、そして、最高の喜悦〔の思い〕によって、サララの花を差し出して、わたしは、ヴィパッシン〔世尊〕に振りまいた。
32. すなわち、〔わたしが〕花を供養した、これより、九十一カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、覚者の供養の果である。
33. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。
かくのごとく、まさに、尊者サララプッピヤ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──
サララプッピヤ長老の行状が、第八となる。
27. 9. ウパーガターサヤ長老の行状
34. ヒマヴァントの中において、美しく化作された湖が存した。そこにおいて、わたしは、頭を下に、〔人を〕恐怖させる、羅刹として〔世に〕存した。
35. 慈しみ〔の思い〕ある方は、慈悲の者たる方は、〔世の〕導き手たるヴィパッシン〔世尊〕は、彼は、わたしを引き上げることを欲し、わたしの現前にやってきた。
36. 近しく赴いた偉大なる勇者を、天の天たる方を、人の雄牛たる方を、〔わたしは見た〕。巣から出て、わたしは、教師を敬拝した。
37. すなわち、〔わたしが〕最上の人士たる方を敬拝した、これより、九十一カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、敬拝の果である。
38. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。
かくのごとく、まさに、尊者ウパーガターサヤ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──
ウパーガターサヤ長老の行状が、第九となる。
27. 10. タラニヤ長老の行状
39. 黄金の色艶ある正覚者は、ヴィパッシン〔世尊〕は、施物に値する方は、教師は、比丘の僧団に囲まれ、川の岸辺に立っていた。
40. そこにおいて、舟は見出されない──大河において、〔人々を〕超え渡す〔舟〕は。〔わたしは〕川から出て、〔世の〕導き手たる方を超え渡した。
41. すなわち、〔わたしが〕最上の人たる方を超え渡した、これより、九十一カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、超え渡しの果である。
42. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。
かくのごとく、まさに、尊者タラニヤ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──
タラニヤ長老の行状が、第十となる。
パドゥムッキパの章が、第二十七となる。
その〔章〕のための摂頌となる。
〔そこで、詩偈に言う〕「ウッキピン、そして、テーラとチャンディン、そして、ディーパダ、ビラーリダ、マッチャ、ジャヴァ、サララダ、羅刹、タラナがあり、〔それらの〕十者があり、そして、四十〔の詩偈〕が、さらに、まさしく、一つの詩偈が、そして、ここにおいて数えられた」〔と〕。
28. スヴァンナビッボーハナの章
28. 1. スヴァンナビッボーハニヤ長老の行状
1. わたしは、一なる坐具を施した──浄信した者となり、自らの〔両の〕手で。さらに、枕を施した──最上の義(目的)に至り得るために。
2. わたしが、枕を施した、これより、九十一カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、枕の果である。
3. これより、六十三カッパ〔の過去〕において、アサマという名の士族として〔世に存した〕──七つの宝を成就した、大いなる勢力ある転輪〔王〕として。
4. 四つの融通無礙は〔実証され〕、そして、また、これらの八つの解脱も〔実証された〕。六つの神知は実証され、覚者の教えは為された。
かくのごとく、まさに、尊者スヴァンナビッボーハニヤ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──
スヴァンナビッボーハニヤ長老の行状が、第一となる。
28. 2. ティラムッティダーヤカ長老の行状
5. わたしの思惟を了知して、教師は、世の至高の導き手たる方は、意によって作られる神通の身体をもって、〔わたしのもとへと〕近づいて行った。
6. 近づいて行った教師を〔見て〕、最上の人士たる方を敬拝して、浄信した心の者となり、悦意の者となり、わたしは、ひと握りの胡麻を施した。
7. すなわち、〔わたしが〕布施を施した、そのとき、これより、九十一カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、ひと握りの胡麻の果である。
8. これより、十六カッパ〔の過去〕において、タンティサという名の士族として〔世に存した〕──七つの宝を成就した、大いなる勢力ある転輪〔王〕として。
9. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。
かくのごとく、まさに、尊者ティラムッティダーヤカ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──
ティラムッティダーヤカ長老の行状が、第二となる。
28. 3. チャンコータキヤ長老の行状
10. 大いなる海に依拠して、〔覚者は〕山間に住する。〔彼を〕出迎えて、〔合掌を〕為して、わたしは、籠を施した。
11. シッダッタ〔世尊〕に、偉大なる聖賢に、一切の有情たちに慈しみ〔の思い〕ある方に、花籠を施して、わたしは、カッパのあいだ、天上において歓喜した。
12. 〔わたしが〕籠を施した、そのとき、これより、九十四カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、籠の果である。
13. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。
かくのごとく、まさに、尊者チャンコータキヤ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──
チャンコータキヤ長老の行状が、第三となる。
28. 4. アッバンジャナダーヤカ長老の行状
14. コンダンニャ世尊のために、貪欲を離れた如なる方のために、虚空に等しき心ある方ために、戯論なき瞑想者たる方のために──
15. 一切の迷妄を超克した方のために、一切の世〔の人々〕の益を探し求める方のために、二足者のインダたる如なる方のために、塗油が、わたしによって施された。
16. 〔わたしが〕塗油を施した、そのとき、これより、量るべくもないカッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、塗油の果である。
17. これより、十五カッパ〔の過去〕において、チラッパという名の士族として〔世に存した〕──七つの宝を成就した、大いなる勢力ある転輪〔王〕として。
18. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。
かくのごとく、まさに、尊者アッバンジャナダーヤカ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──
アッバンジャナダーヤカ長老の行状が、第四となる。
28. 5. エーカンジャリカ長老の行状
19. ウドゥンバラ〔樹〕のもとに設置された葉の敷物のうえに住している、沙門のために、偉大なる聖賢のために、住する場所が、わたしによって施された。
20. ティッサ〔世尊〕に、二足者のインダたる方に、世の導き手たる如なる方に、合掌を差し出して、花の敷物を広げた。
21. すなわち、〔わたしが〕花の敷物を作り為した、これより、九十二カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、敷物の果である。
22. これより、十四カッパ〔の過去〕において、人間の君主として〔世に〕有った──エーカアンジャリカという名の、大いなる勢力ある転輪〔王〕として。
23. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。
かくのごとく、まさに、尊者エーカンジャリカ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──
エーカンジャリカ長老の行状が、第五となる。
28. 6. ポッタカダーヤカ長老の行状
24. 教師を〔対象として〕、法(教え)を対象として、さらに、また、大いなる聖賢たちの僧団を〔対象として〕、塗料の布施が、わたしによって施された──施与されるべき方にたいし、無上なる方にたいし。
25. すなわち、〔わたしが〕行為を為した、そのとき、これより、九十一カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、塗料の布施の果である。
26. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。
かくのごとく、まさに、尊者ポッタカダーヤカ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──
ポッタカダーヤカ長老の行状が、第六となる。
28. 7. チタカプージャカ長老の行状
27. チャンダバーガー川の岸辺において、わたしは、流れ沿いに行く。七つのマールヴァの花を、わたしは、〔覚者の〕荼毘の薪山に献上した。
28. すなわち、〔わたしが〕荼毘の薪山を供養した、これより、九十四カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、荼毘の薪山の供養の果である。
29. これより、六十七カッパ〔の過去〕において、パティジャッガという名を有する、七つの宝を成就した、七者の転輪〔王〕たちとして、〔世に〕存した。
30. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。
かくのごとく、まさに、尊者チタカプージャカ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──
チタカプージャカ長老の行状が、第七となる。
28. 8. アールヴァダーヤカ長老の行状
31. ヒマヴァントの山において、マハーシンドゥ〔という名〕の、見た目美しき〔地〕がある。そこにおいて、〔わたしは〕見た──貪欲を離れた方を、美しき光輝ある方を、美しき見た目ある方を。
32. 最高の寂止に専念する方を見て、驚愕した意図ある者となり、アールヴァ〔樹の果実〕を、彼に施した──浄信した者となり、自らの〔両の〕手で。
33. すなわち、〔わたしが〕果実を施した、そのとき、これより、三十一カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、アールヴァ〔樹の果実〕の果である。
34. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。
かくのごとく、まさに、尊者アールヴァダーヤカ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──
アールヴァダーヤカ長老の行状が、第八となる。
28. 9. エーカプンダリーカ長老の行状
35. そのとき、名としては、ローマサという名の、〔他に依らず〕自ら成る方が、善き掟ある方が、〔世に有った〕。白蓮が、わたしによって施された──浄信した心で。
36. 〔わたしが〕白蓮を施した、そのとき、これより、九十四カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、白蓮の果である。
37. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。
かくのごとく、まさに、尊者エーカプンダリーカ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──
エーカプンダリーカ長老の行状が、第九となる。
28. 10. タラニーヤ長老の行状
38. 大いなる道の平坦ならざるところに、橋が、わたしによって作成された。世〔の人々〕を超え渡すことを義(目的)として、浄信した者となり、自らの〔両の〕手で。
39. すなわち、橋が、わたしによって作成された、これより、九十一カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、橋の布施の果である。
40. これより、五十五カッパ〔の過去〕において、一者のサモーガダ〔という名の者〕として〔世に〕存した──七つの宝を成就した、大いなる勢力ある転輪〔王〕として。
41. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。
かくのごとく、まさに、尊者タラニーヤ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──
タラニーヤ長老の行状が、第十となる。
スヴァンナビッボーハナの章が、第二十八となる。
その〔章〕のための摂頌となる。
〔そこで、詩偈に言う〕「スヴァンナ、そして、ティラムッティ、チャンコータとアッバンジャナとアンジャリ、ポッタカ、チタとアールヴァ、エーカプンダリがあり、橋とともに、分明なる者たちによって、四十二の詩偈が数えられた」〔と〕。
〔以上が〕第十一の朗読分となる。
29. パンナダーヤカの章
29. 1. パンナダーヤカ長老の行状
1. 草庵に坐っている〔わたし〕は、葉の食料を受益する者として〔世に〕存している。そして、近在の者として存している、わたしのもとへと、偉大なる聖賢は近しく赴いた。
2. シッダッタ〔世尊〕は、世の灯火たる方であり、一切の世〔の人々〕の医師たる方である。彼のために、葉〔の食料〕が、わたしによって施された──葉の敷物のうえに坐っている方のために(※)。
※ テキストには nisinnaṃ とあるが、PTS版により nisinnassa と読む。
3. すなわち、〔わたしが〕葉を施した、そのとき、これより、九十四カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、葉の布施の果である。
4. 四つの融通無礙は〔実証され〕、そして、また、これらの八つの解脱も〔実証された〕。六つの神知は実証され、覚者の教えは為された。
かくのごとく、まさに、尊者パンナダーヤカ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──
パンナダーヤカ長老の行状が、第一となる。
29. 2. パラダーヤカ長老の行状
5. シネール(須弥山)に等しく自若なる方は、大地に同等にして相同なる方は、禅定から出起して、行乞〔の施食〕のために、わたしのもとに近しく立ったのだった。
6. ハリータカ〔樹の果実〕が、アーマラカ〔樹の果実〕が、アンバ〔樹〕やジャンブ〔樹〕やヴィビータカ〔樹の果実〕が、棗が、胡桃が、ビッラ〔樹の果実〕が、さらに、諸々のパールサカ〔樹〕の果実が──
7. シッダッタ〔世尊〕のために、偉大なる聖賢のために、一切の世〔の人々〕に慈しみ〔の思い〕ある方のために、そして、その全てが、わたしによって施された──浄信した心で。
8. すなわち、〔わたしが〕果実を施した、そのとき、これより、九十四カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、果実の布施の果である。
9. これより、五十七カッパ〔の過去〕において、エーカッジャという名の士族として〔世に存した〕──七つの宝を成就した、大いなる勢力ある転輪〔王〕として。
10. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。
かくのごとく、まさに、尊者パラダーヤカ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──
パラダーヤカ長老の行状が、第二となる。
29. 3. パッチュッガマニヤ長老の行状
11. 林を歩む獅子のような方を、善き生まれの雄牛のような方を、カクダ〔樹〕のように輝いている方を、やってくる人の雄牛たる方を──
12. シッダッタ〔世尊〕を、世の灯火たる方を、一切の世〔の人々〕の医師たる方を、〔わたしは見た〕。〔わたしは〕出迎えを為した──浄信した心で。
13. 〔わたしが〕人の雄牛たる方を出迎えた、これより、九十四カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、出迎えにおける果である。
14. これより、三十七カッパ〔の過去〕において、一者の人の君主として〔世に〕存した──名としては、サパリヴァーラという〔名の〕、大いなる勢力ある転輪〔王〕として。
15. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。
かくのごとく、まさに、尊者パッチュッガマニヤ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──
パッチュッガマニヤ長老の行状が、第三となる。
29. 4. エーカプッピヤ長老の行状
16. そのとき、わたしは、南の門において、魔物として〔世に〕存した。〔わたしは〕見た──〔世俗の〕塵を離れる覚者を、黄金色の光の太陽のような方を。
17. ヴィパッシン〔世尊〕のために、至高の人たる方のために、一切の世〔の人々〕の益を探し求める方のために、二足者のインダたる如なる方のために、一なる花が、わたしによって施された。
18. すなわち、〔わたしが〕花を施した、そのとき、これより、九十一カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、覚者の供養の果である。
19. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。
かくのごとく、まさに、尊者エーカプッピヤ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──
エーカプッピヤ長老の行状が、第四となる。
29. 5. マガヴァプッピヤ長老の行状
20. ナンマダー川の岸辺において、〔他に依らず〕自ら成る方は、〔一切に〕敗れることなき方は、〔心が〕澄浄で混濁なき方は、彼は、禅定に入定していた。
21. 正覚者を、〔一切に〕敗れることなき方を、見て、浄信した悦意の者となり、そのとき、わたしは、彼を、〔他に依らず〕自ら成る方を、マガヴァの花によって供養した。
22. すなわち、〔わたしが〕花を供養した、これより、九十一カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、覚者の供養の果である。
23. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。
かくのごとく、まさに、尊者マガヴァプッピヤ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──
マガヴァプッピヤ長老の行状が、第五となる。
29. 6. ウパッターカダーヤカ長老の行状
24. 道を行きつつある、諸々の捧げものの納受者たる方を、二足者のインダにして偉大なる龍たる方を、世の最尊者にして人の雄牛たる方を──
25. わたしは呼び寄せて、彼のために、一切の世〔の人々〕の益を探し求める方のために、奉仕者が、わたしによって施された──シッダッタ〔世尊〕のために、偉大なる聖賢のために。
26. 納受して〔そののち〕、正覚者は、偉大なる牟尼は、〔彼を〕引き渡し、その坐から立ち上がって、東に向かい立ち去った。
27. 〔わたしが〕奉仕者を施した、そのとき、これより、九十四カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、奉仕の果である。
28. これより、五十七カッパ〔の過去〕において、バラセーナという名を有する者として〔世に存した〕──七つの宝を成就した、大いなる勢力ある転輪〔王〕として。
29. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。
かくのごとく、まさに、尊者ウパッターカダーヤカ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──
ウパッターカダーヤカ長老の行状が、第六となる。
29. 7. アパダーニヤ長老の行状
30. わたしは、善き至達者たちの、偉大なる聖賢たちの、行状を賛じ称えた。そして、〔両の〕足を、頭をもって敬拝した──浄信した者となり、自らの〔両の〕手で。
31. 〔わたしが〕行状を賛じ称えた、これより、九十二カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、賛じ称えの果である。
32. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。
かくのごとく、まさに、尊者アパダーニヤ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──
アパダーニヤ長老の行状が、第七となる。
29. 8. サッターハパッバジタ長老の行状
33. ヴィパッシン世尊には、〔人々に〕尊敬され思慕される僧団がある。かつて、わたしに、災厄が至り得るところとなり、親族の分裂が有った。
34. わたしは、災厄の寂止のために、〔僧団へと〕近しく赴いて出家した。そこにおいて、七日のあいだ、喜びある者として〔存した〕──教師の教えを欲するがゆえに。
35. すなわち、わたしが出家した、そのとき、これより、九十一カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、出家の果である。
36. これより、六十七カッパ〔の過去〕において、七者の大地の長たちとして〔世に〕存した──スニッカマという〔名で〕知られる、大いなる勢力ある転輪〔王〕たちとして。
37. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。
かくのごとく、まさに、尊者サッターハパッバジタ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──
サッターハパッバジタ長老の行状が、第八となる。
29. 9. ブッドゥパッターイカ長老の行状
38. わたしには、「ヴェータンビニン」という名がある。父方のものとして、そのとき、わたしには。〔父は〕わたしの手を掴んで、偉大なる牟尼のもとに連れて行った。
39. これらの覚者たちは、世の至高の導き手たる方たちは、わたしを、〔奉仕者として〕指定するであろう。わたしは、彼らに、恭しく奉仕した──浄信した者となり、自らの〔両の〕手で。
40. 〔わたしが〕覚者たちに奉仕した、そのとき、これより、三十一カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、奉仕の果である。
41. これより、二十三カッパ〔の過去〕において、四者の士族たちとして〔世に〕存した──サマヌパッターカという名の、大いなる勢力ある転輪〔王〕たちとして。
42. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。
かくのごとく、まさに、尊者ブッドゥパッターイカ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──
ブッドゥパッターイカ長老の行状が、第九となる。
29. 10. プッバンガミヤ長老の行状
43. 八万四千の無一物の者たちが出家した。〔わたしは〕彼らの先行者として〔世に〕存した──最上の義(目的)に至り得るために。
44. そして、貪欲〔の思い〕を有し、〔迷いの〕生存を有する、これらの者たちは、〔心が〕澄浄で混濁なき者たちとなり、恭しく奉仕した──浄信した者たちとなり、自らの〔両の〕手で。
45. 憤怒〔の思い〕を吐き捨てた煩悩の滅尽者たちは、為すべきことを為した煩悩なき者たちは、〔他に依らず〕自ら成る者たちは、〔一切に〕敗れることなき者たちは、慈愛〔の心〕をもって充満した。
46. 〔わたしは〕気づきある者として、それらの正覚者たちに奉仕して、そして、死に至り得たのだった。そして、〔わたしたちは〕天〔の神〕たる〔境遇〕に赴いた。
47. すなわち、〔わたしが〕戒を守った、これより、九十四カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、自制の果である。
48. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。
かくのごとく、まさに、尊者プッバンガミヤ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──
プッバンガミヤ長老の行状が、第十となる。
パンナダーヤカの章が、第二十九となる。
その〔章〕のための摂頌となる。
〔そこで、詩偈に言う〕「パンナ、パラ、パッチュッガマ、そして、エーカプッピン、マガヴァント、そして、ウパッターカとアパダーナ、出家、ブッドゥパッターカ、そして、プッバンガマがあり、四十八の詩偈が述べ伝えられた」〔と〕。
30. チタカプージャカの章
30. 1. チタカプージャカ長老の行状
1. そのとき、名としては、アジタという名の、婆羅門として〔世に〕有った。捧げものを供えることを欲し、わたしは、種々なる花を集めた。
2. シキン〔世尊〕の、世の眷属たる方の、燃え盛っている荼毘の薪山を見て、そして、その花を集めて、わたしは、荼毘の薪山に振りまいた。
3. すなわち、〔わたしが〕花を供養した、これより、三十一カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、覚者の供養の果である。
4. これより、二十七カッパ〔の過去〕において、七者の人間の君主たちとして〔世に〕存した──スパッジャリタという名の、それらの大いなる勢力ある転輪〔王〕たちとして。
5. 四つの融通無礙は〔実証され〕、そして、また、これらの八つの解脱も〔実証された〕。六つの神知は実証され、覚者の教えは為された。
かくのごとく、まさに、尊者チタカプージャカ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──
チタカプージャカ長老の行状が、第一となる。
30. 2. プッパダーラカ長老の行状
6. 〔わたしは〕皮衣を上衣とし、樹皮の衣を〔身に〕付ける者として〔世に〕存した──五つの神知(神足通・天耳通・他心通・宿命通・天眼通)が発現し、月を撫でまわす者として。
7. ヴィパッシン〔世尊〕が、世の灯火たる方が、わたしのもとに赴くの見て、わたしは、パーリッチャッタカの花々を、教師のために保持した。
8. すなわち、〔わたしが〕花を供養した、これより、九十一カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、保持の果である。
9. これより、八十七カッパ〔の過去〕において、一者の大地の長として〔世に〕存した──サマンタダーラナという名の、大いなる勢力ある転輪〔王〕として。
10. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。
かくのごとく、まさに、尊者プッパダーラカ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──
プッパダーラカ長老の行状が、第二となる。
30. 3. チャッタダーヤカ長老の行状
11. そのとき、わたしの子は、黄褐色の衣(袈裟)をまとう出家者として〔世に有った〕。そして、彼は、覚者たることに得達し、世〔の人々〕に供養される者となり、涅槃に到達した者となる。
12. わたしは、自らの子を尋ね求めながら、そのあとから赴いた。わたしは、涅槃に到達した大いなる者の荼毘の薪山に赴いた。
13. そこにおいて、わたしは、合掌を差し出して、荼毘の薪山を敬拝して、そして、そのとき、わたしは、白の傘蓋を差し出して、献上した。
14. すなわち、〔わたしが〕傘蓋を献上した、これより、九十四カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、傘蓋の布施の果である。
15. これより、二十五カッパ〔の過去〕において、七者の人の君主たちとして〔世に〕存した──マハーラハという名を有する、それらの大いなる勢力ある転輪〔王〕たちとして。
16. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。
かくのごとく、まさに、尊者チャッタダーヤカ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──
チャッタダーヤカ長老の行状が、第三となる。
30. 4. サッダサンニャカ長老の行状
17. 太陽が昇り行くとき、広大なる咆哮が有った──最勝の覚者の、偉大なる聖賢の、世における出現として。
18. わたしは、〔その〕轟音を聞いたが、しかしながら、そこにおいて、彼を、勝者を、〔わたしは〕見ない。そして、死に至り得た〔わたし〕は、覚者の表象を随念した。
19. すなわち、〔わたしが〕表象を得た、そのとき、これより、九十四カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、覚者の供養の果である。
20. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。
かくのごとく、まさに、尊者サッダサンニャカ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──
サッダサンニャカ長老の行状が、第四となる。
30. 5. ゴーシーサニッケーパカ長老の行状
21. 林園の門から出て、牛の頭〔の栴檀〕が、わたしによって敷き詰められた。自らの行為〔の果〕を、〔わたしは〕受領する。これは、過去の行為の果である。
22. 風の速さの良馬たち、シンダヴァの駿馬(シンドゥ産の良馬)たち──この全てを、〔わたしは〕受領する。これは、牛の頭〔の栴檀〕の果である。
23. ああ、為すこととして最高の為すことが、善き田畑において、わたしによって見事に為された。他〔の行為〕は、僧団にたいし為された為すことの〔十六分の〕一にも値しない。
24. すなわち、わたしが、〔牛の〕頭〔の栴檀〕を敷き詰めた、これより、九十四カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、敷物の果である。
25. 七十五カッパ〔の過去〕において、スッパティッティタという名の、一者の大いなる威光ある者として〔世に〕存した──大いなる勢力ある転輪〔王〕として。
26. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。
かくのごとく、まさに、尊者ゴーシーサニッケーパカ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──
ゴーシーサニッケーパカ長老の行状が、第五となる。
30. 6. パーダプージャカ長老の行状
27. ヒマヴァントの山において、そのとき、〔わたしは〕妖精として〔世に〕有った。〔わたしは〕見た──〔世俗の〕塵を離れる覚者を、黄金色の光の太陽のような方を。
28. わたしは、近しく赴いた彼を、覚者を、ヴィパッシン〔世尊〕を、〔世の〕導き手たる方を、見て、そのとき、わたしは、栴檀を、さらに、また、伽羅を、〔覚者の〕足もとに振り注いだ。
29. すなわち、〔わたしが〕足を供養した、これより、九十一カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、足の供養の果である。
30. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。
かくのごとく、まさに、尊者パーダプージャカ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──
パーダプージャカ長老の行状が、第六となる。
30. 7. デーサキッタカ長老の行状
31. そのとき、わたしは、ウパサーラカという名の婆羅門として〔世に〕有った。森に、林に、入って行った、世の最尊者にして人の雄牛たる方を、〔わたしは見た〕。
32. 見て、〔覚者の両の〕足もとにおいて、世〔の人々〕の諸々の捧げものの納受者たる方を敬拝した。覚者は、わたしのことを、浄信した心の者と知って消没した。
33. 森から出て、〔わたしは〕最勝の覚者を随念した。その地を賛じ称えて、わたしは、カッパのあいだ、天上において歓喜した。
34. すなわち、〔わたしが〕地を賛じ称えた、これより、九十二カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、賛じ称えの果である。
35. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。
かくのごとく、まさに、尊者デーサキッタカ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──
デーサキッタカ長老の行状が、第七となる。
30. 8. サラナガマニヤ長老の行状
36. ヒマヴァントの山において、そのとき、〔わたしは〕猟師として〔世に〕有った。〔わたしは〕見た──ヴィパッシン覚者を、世の最尊者にして人の雄牛たる方を。
37. わたしは、正覚者に近侍して、務めを為した。そして、帰依所として、〔覚者のもとに〕近しく赴いた──二足者のインダたる如なる方のもとに。
38. わたしが、帰依所として、〔覚者のもとに〕近しく赴いた、これより、九十一カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。帰依所に赴くことの果である。
39. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。
かくのごとく、まさに、尊者サラナガマニヤ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──
サラナガマニヤ長老の行状が、第八となる。
30. 9. アンバピンディヤ長老の行状
40. 名としては、ローマサという名の者として、ダーナヴァという〔姓で、世に〕聞こえた者として、〔世に有った〕。ヴィパッシン〔世尊〕のために、偉大なる聖賢のために、アンバ〔樹の果〕の塊が、わたしによって施された。
41. すなわち、〔わたしが〕アンバ〔樹の果〕を施した、そのとき、これより、九十一カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。アンバ〔樹の果〕の布施の果である。
42. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。
かくのごとく、まさに、尊者アンバピンディヤ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──
アンバピンディヤ長老の行状が、第九となる。
30. 10. アヌサンサーヴァカ長老の行状
43. わたしは見た──〔行乞の〕食のために歩んでいる、ヴィパッシン〔世尊〕を、勝者を。〔わたしは〕ひと匙の行乞〔の施食〕を、二足者のインダたる如なる方に施した。
44. 浄信した心の者となり、悦意の者となり、そのとき、わたしは、〔覚者を〕敬拝し、覚者に随聞した──最上の義(目的)に至り得るために。
45. わたしが随聞した、これより、九十一カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。随聞の果である。
46. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。
かくのごとく、まさに、尊者アヌサンサーヴァカ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──
アヌサンサーヴァカ長老の行状が、第十となる。
チタカプージャカの章が、第三十となる。
その〔章〕のための摂頌となる。
〔そこで、詩偈に言う〕「チタカ、そして、パーリとチャッタ、サッダとゴーシーササンタラ、パーダ、パデーサ、サラナ、アンバ、そして、また、サンサーヴァカがあり、分明なる者たちによって、四十八の詩偈が数えられた」〔と〕。
そこで、章の摂頌となる。
〔そこで、詩偈に言う〕「カニカーラ、ハッティダダ、アーランバナとウダカーサナ、トゥヴァラ、まさしく、そして、トーマカ、ウッケーパ、シースパダーナ──
パンナダ、そして、チタプージンがあり、まさしく、そして、全てにわたり、そして、ここに、四百の詩偈があり、さらに、まさしく、五十一〔の詩偈〕がある。
全て〔の詩偈〕として、二千五百〔の詩偈〕があり、それにくわえて、七十二〔の詩偈〕があり、義(道理)を見る者たちによって、三百の行状が数えられた」〔と〕。
〔以上が〕カニカーラの章の十なるものとなる。
第三の百なるものは〔以上で〕完結となる。
31. パドゥマケーサラの章
31. 1. パドゥマケーサリヤ長老の行状
1. 過去に、わたしは、聖賢の僧団において、マータンガ象として〔世に〕存した。偉大なる聖賢たちへの浄信によって、蓮華の花糸を振りまいた。
2. 最勝の独者たる勝者たちにたいし、貪欲を払拭した如なる方たちにたいし、彼らにたいし、心を浄信させて、わたしは、カッパのあいだ、天上において歓喜した。
3. 〔わたしが〕花糸を振りまいた、そのとき、これより、九十一カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、覚者の供養の果である。
4. 四つの融通無礙は〔実証され〕、そして、また、これらの八つの解脱も〔実証された〕。六つの神知は実証され、覚者の教えは為された。
かくのごとく、まさに、尊者パドゥマケーサリヤ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──
パドゥマケーサリヤ長老の行状が、第一となる。
31. 2. サッバガンディヤ長老の行状
5. ヴィパッシン〔世尊〕のために、偉大なる聖賢のために、香料と花飾が、わたしによって施された。〔わたしは〕最上の絹の衣を、〔心が〕真っすぐと成った方に施した。
6. すなわち、かつて、〔わたしが〕衣を施した、これより、九十一カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、香料の布施の果である。
7. これより、十五カッパ〔の過去〕において、スチェーラという名の士族として〔世に存した〕──七つの宝を成就した、大いなる勢力ある転輪〔王〕として。
8. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。
かくのごとく、まさに、尊者サッバガンディヤ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──
サッバガンディヤ長老の行状が、第二となる。
31. 3. パラマンナダーヤカ長老の行状
9. カニカーラ〔樹の花〕のように輝いている〔覚者〕を、昇り行く太陽のような方を、ヴィパッシン覚者を、世の最尊者にして人の雄牛たる方を、〔わたしは〕見た。
10. 〔わたしは〕合掌を差し出して、自らの家に迎え入れた。正覚者を迎え入れて、わたしは、最高の食べ物を施した。
11. 〔わたしが〕最高の食べ物を施した、そのとき、これより、九十一カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、最高の食べ物の果である。
12. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。
かくのごとく、まさに、尊者パラマンナダーヤカ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──
パラマンナダーヤカ長老の行状が、第三となる。
31. 4. ダンマサンニャカ長老の行状
13. ヴィパッシン世尊の、大いなる菩提〔樹〕祭が有った。まさしく、その〔菩提樹祭〕のために、木に依って立つ者となり、正覚者は、世の最尊者にして人の雄牛たる方は──
14. その時点において、世尊は、比丘の僧団に囲まれ、威厳ある言葉を発しながら、四つの真理を明示する。
15. そして、簡略に説示しながら、さらに、詳細に説示しながら、〔迷妄の〕覆いが開かれた正覚者は、大勢の人を涅槃に到達させた。
16. わたしは、彼の、世の最尊者にして如なる方の、法(教え)を聞いて、教師の〔両の〕足を敬拝して、北に向かい立ち去った。
17. すなわち、〔わたしが〕法(教え)を聞いた、そのとき、これより、九十一カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、法(教え)の聴聞の果である。
18. これより、三十三カッパ〔の過去〕において、一者の大地の長として〔世に〕存した──名としては、スタヴァントという名の、大いなる勢力ある転輪〔王〕として。
19. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。
かくのごとく、まさに、尊者ダンマサンニャカ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──
ダンマサンニャカ長老の行状が、第四となる。
31. 5. パラダーヤカ長老の行状
20. バーギーラティー川の岸辺において、そのとき、庵所が有った。わたしは、その庵所に赴いた──果実を手に、期待ある者として。
21. そこにおいて、〔わたしは〕見た──ヴィパッシン〔世尊〕を、黄金色の光の太陽のような方を。すなわち、わたしに存する、全ての果実を、わたしは、教師に施した。
22. すなわち、〔わたしが〕果実を施した、そのとき、これより、九十一カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、果実の布施の果である。
23. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。
かくのごとく、まさに、尊者パラダーヤカ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──
パラダーヤカ長老の行状が、第五となる。
31. 6. サンパサーダカ長老の行状
24. 〔わたしは言った〕「覚者よ、勇者よ、あなたに、礼拝が存せ。〔あなたは〕一切時に解脱者として存しています。まさに、災厄に至り得た者としてある、〔まさに〕その、わたしの、帰依所と成ってください」〔と〕。
25. 世において対する人なき方は、シッダッタ〔世尊〕は、〔まさに〕その〔わたし〕に説き明かした。〔シッダッタ世尊は言った〕「大海に等しき僧団は、無量にして無上なるもの。
26. そこにおいて、あなたは、〔世俗の〕塵を離れる〔功徳の〕田畑にたいし、無辺の果を施す僧団にたいし、心を浄信させて、善き種を蒔き、〔功徳を〕育てなさい」〔と〕。
27. この〔言葉〕を説いて、一切を知る方は、世の最尊者にして人の雄牛たる方は、まさしく、わたしに教示して、宙空に、天空に、昇り行った。
28. 一切を知る方が、人の雄牛たる方が、赴くやいなや、長からずして、死に至り得たわたしは、兜率〔天〕に再生した。
29. そのとき、わたしは、〔世俗の〕塵を離れる〔功徳の〕田畑にたいし、無辺の果を施す僧団にたいし、心を浄信させて、わたしは、カッパのあいだ、天上において歓喜した。
30. 〔わたしが〕浄信を得た、そのとき、これより、九十四カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、浄信の果である。
31. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。
かくのごとく、まさに、尊者サンパサーダカ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──
サンパサーダカ長老の行状が、第六となる。
31. 7. アーラーマダーヤカ長老の行状
32. シッダッタ世尊のために、林園が、わたしによって育成された。濃い影の木々となり、鳥たちが憩うとき──
33. 〔わたしは〕見た──〔世俗の〕塵を離れる覚者を、諸々の捧げものの納受者たる方を。〔わたしは〕世の最尊者にして人の雄牛たる方を、林園に迎え入れた。
34. 欣喜した者となり、欣喜した心で、わたしは、果実と花を施した。そののち、まさしく、浄信が生じた〔わたし〕は、その林を回向した(譲渡した)。
35. すなわち、この〔林〕を、浄信した心で、覚者に施した、〔その功徳として〕、生存が発現しているときは、わたしに、果実が発現する。
36. すなわち、〔わたしが〕林園を施した、そのとき、これより、九十四カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、林園の果である。
37. これより、三十七カッパ〔の過去〕において、七者のムドゥシータラ〔という名の者たち〕として〔世に〕存した──七つの宝を成就した、大いなる勢力ある転輪〔王〕たちとして。
38. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。
かくのごとく、まさに、尊者アーラーマダーヤカ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──
アーラーマダーヤカ長老の行状が、第七となる。
31. 8. アヌレーパダーヤカ長老の行状
39. アッタダッシン牟尼の弟子を、わたしは見た。〔精舎の〕新築行為を為している、〔その〕境界(結界)へと、わたしは近しく赴いた。
40. そして、新築行為が終了したとき、わたしは、塗料を施した──浄信した心の者となり、悦意の者となり、無上なる功徳の田畑にたいし。
41. すなわち、〔わたしが〕行為を為した、そのとき、千八百カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、塗料の果である。
42. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。
かくのごとく、まさに、尊者アヌレーパダーヤカ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──
アヌレーパダーヤカ長老の行状が、第八となる。
31. 9. ブッダサンニャカ長老の行状
43. 昇り行く百光〔の太陽〕のような方を、黄金色の光の太陽のような方を、林間を赴く寂静者たる方を、世の最尊者にして人の雄牛たる方を──
44. シッダッタ〔世尊〕を、世の導き手たる方を、〔わたしは〕夢の中に見た。そこにおいて、心を浄信させて、わたしは、善き境遇(善趣)に再生した。
45. すなわち、〔わたしが〕表象を得た、そのとき、これより、九十四カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、覚者の表象の果である。
46. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。
かくのごとく、まさに、尊者ブッダサンニャカ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──
ブッダサンニャカ長老の行状が、第九となる。
31. 10. パッバーラダーヤカ長老の行状
47. ピヤダッシン世尊のために、山窟が、わたしによって荘厳された。そして、〔わたしは〕瓶を奉仕した──如なる方の受益のために。
48. ピヤダッシン〔世尊〕は、偉大なる牟尼は、覚者は、〔まさに〕その、わたしに、説き明かした。〔ピヤダッシン世尊は言った〕「千の射程があり、百の階があり、旗で飾られ、黄金で作られている──
49. 〔まさに〕その、宮殿が、〔あなたに〕発現するでしょう──さらに、少なからざる宝玉が」〔と〕。山窟の布施を施して、わたしは、カッパのあいだ、天上において歓喜した。
50. これより、三十二カッパ〔の過去〕において、ススッダという名の士族として〔世に存した〕──七つの宝を成就した、大いなる勢力ある転輪〔王〕として。
51. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。
かくのごとく、まさに、尊者パッバーラダーヤカ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──
パッバーラダーヤカ長老の行状が、第十となる。
パドゥマケーサラの章が、第三十一となる。
その〔章〕のための摂頌となる。
〔そこで、詩偈に言う〕「ケーサラ、香料、そして、食べ物、ダンマサンニンがあり、そして、パラとともに、そして、パサーダとアーラーマダーイン、レーパカ、ブッダサンニャカ、そして、パッバーラダがあり、五十一の詩偈が述べ伝えられた」〔と〕。
32. アーラッカダーヤカの章
32. 1. アーラッカダーヤカ長老の行状
1. ダンマダッシン牟尼のために、垣根が、わたしによって作成された。さらに、守衛が、わたしによって施された──二足者のインダたる如なる方のために。
2. すなわち、〔わたしが〕行為を為した、そのとき、千八百カッパ〔の未来〕において、その殊勝なる行為によって、煩悩の滅尽は、わたしの至り得るところとなった。
3. 四つの融通無礙は〔実証され〕、そして、また、これらの八つの解脱も〔実証された〕。六つの神知は実証され、覚者の教えは為された。
かくのごとく、まさに、尊者アーラッカダーヤカ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──
アーラッカダーヤカ長老の行状が、第一となる。
32. 2. ボージャナダーヤカ長老の行状
4. 善き生まれのサーラ〔樹〕の新芽のように、屹立するソーバンジャナ〔樹〕のように、虚空におけるインダの杖のように、勝者は、常に遍照する。
5. 彼のために、天にして天を超える方のために、ヴェッサブー〔世尊〕のために、偉大なる聖賢のために、わたしは、食料を施した──浄信した心で。
6. 〔他に依らず〕自ら成る方は、〔一切に〕敗れることなき方は、覚者は、それを〔納受して〕、わたしに随喜した。〔ヴェッサブー世尊は言った〕「生存が発現しているときは、あなたに、果実が発現せよ」〔と〕。
7. すなわち、〔わたしが〕布施を施した、そのとき、これより、三十一カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、食料の果である。
8. これより、二十五カッパ〔の過去〕において、一者のアミッタカ〔という名の者〕として〔世に〕存した──七つの宝を成就した、大いなる勢力ある転輪〔王〕として。
9. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。
かくのごとく、まさに、尊者ボージャナダーヤカ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──
ボージャナダーヤカ長老の行状が、第二となる。
32. 3. ガタサンニャカ長老の行状
10. 〔天高く〕曲がりなき風のなか、宙に、まさしく、虚空に、足跡は存在しない。三十三〔天〕の衆のうちにあり、〔宙空を〕赴きつつある、シッダッタ〔世尊〕を、勝者を、〔わたしは〕見た。
11. 風に揺らぐ正等覚者の衣料を見て、〔宙空を〕赴く牟尼を見て、まさしく、ただちに、歓悦〔の思い〕が、わたしに有った。
12. すなわち、〔わたしが〕表象を得た、そのとき、これより、九十四カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、覚者の表象の果である。
13. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。
かくのごとく、まさに、尊者ガタサンニャカ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──
ガタサンニャカ長老の行状が、第三となる。
32. 4. サッタパドゥミヤ長老の行状
14. 川の岸辺において、わたしは住する──ネーサダという名の婆羅門として。百の花弁ある〔蓮華〕の花々をもって〔荘厳して〕、庵所を掃き清めて──
15. 黄金の色艶ある正覚者を、シッダッタ〔世尊〕を、世の導き手たる方を、天空を赴きつつある〔覚者〕を、見て、わたしに、笑みが生起した。
16. 世の最尊者にして人の雄牛たる方を、正覚者を、出迎えて、庵所に迎え入れて、水に生じる至高の〔花々〕を振りまいた。
17. すなわち、〔わたしが〕花を献上した、これより、九十四カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、覚者の供養の果である。
18. これより、第七のカッパ〔の過去〕において、それらの四者のパーダパーヴァラ〔という名の者たち〕として〔世に存した〕──七つの宝を成就した、大いなる勢力ある転輪〔王〕たちとして。
19. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。
かくのごとく、まさに、尊者サッタパドゥミヤ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──
サッタパドゥミヤ長老の行状が、第四となる。
32. 5. プッパーサナダーヤカ長老の行状
20. 黄金の色艶ある正覚者を、黄金色の光の太陽のような方を、遠からざるところを赴きつつある、シッダッタ〔世尊〕を、〔一切に〕敗れることなき方を、〔わたしは見た〕。
21. 彼を出迎えて、庵所に導き入れて、花の坐が、わたしによって施された──浄信した心で。
22. そのとき、わたしは、感嘆〔の思い〕を生じ、合掌を差し出して、覚者にたいし、心を浄信させて、その行為を回向した。
23. すなわち、〔他に依らず〕自ら成る方にたいし、〔一切に〕敗れることなき方にたいし、〔過去に〕作り為した功徳が、わたしに存在する。その善なる〔功徳〕の全てによって、〔わたしは、世俗の〕垢を離れる者として〔世に〕有る──〔覚者の〕教えにおいて。
24. 〔わたしが〕花の坐を施した、そのとき、これより、九十四カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、花の坐の果である。
25. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。
かくのごとく、まさに、尊者プッパーサナダーヤカ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──
プッパーサナダーヤカ長老の行状が、第五となる。
32. 6. アーサナサンタヴィカ長老の行状
26. シキン〔世尊〕の、世の眷属たる方の、塔廟は、まさに、最上のものにして、そのとき、盲者のわたしは、林地のなか、荒地のなか、林のなか、徘徊しさまよう。
27. 山林から出つつある、わたしによって、獅子の坐が見られた。一つの肩に〔衣料を掛けて〕、合掌を為して、世の導き手たる方を奉賛した。
28. 覚者を、世の至高の導き手たる方を、日中のあいだ奉賛して、欣喜した者となり、欣喜した心で、この言葉を発した。
29. 〔わたしは言った〕「善き生まれの人士たる方よ、あなたに、礼拝〔有れ〕。最上の人士たる方よ、あなたに、礼拝〔有れ〕。世の最尊者にして人の雄牛たる方よ、偉大なる勇者よ、〔あなたは〕一切を知る方として〔世に〕存しておられます」〔と〕。
30. わたしは、〔覚者の〕形相を契機として、シキン〔世尊〕を奉賛して、坐を敬拝して、北に向かい立ち去った。
31. すなわち、〔わたしが〕説者たちのなかの優れた方を奉賛した、これより、三十一カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、賛嘆の果である。
32. これより、二十七カッパ〔の過去〕において、それらの七者のアトゥラ〔という名の者たち〕として〔世に〕存した──七つの宝を成就した、大いなる勢力ある転輪〔王〕たちとして。
33. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。
かくのごとく、まさに、尊者アーサナサンタヴィカ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──
アーサナサンタヴィカ長老の行状が、第六となる。
32. 7. サッダサンニャカ長老の行状
34. 善き見た目ある方は、偉大なる勇者は、不死の境処を説示する。弟子たちに取り囲まれ、最上の家に住する。
35. その甘美なる言葉によって、大勢の人を愛護する。そして、天〔の神〕と人間において、〔覚者への〕願い求めの喚呼は、広大なるものとして存した。
36. シッダッタ〔世尊〕の、偉大なる聖賢の、評判の声を聞いて、〔その評判の〕声にたいし、心を浄信させて、世の導き手たる方を敬拝した。
37. すなわち、〔わたしが〕表象を得た、そのとき、これより、九十四カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、覚者の表象の果である。
38. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。
かくのごとく、まさに、尊者サッダサンニャカ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──
サッダサンニャカ長老の行状が、第七となる。
32. 8. ティランシヤ長老の行状
39. 善き生まれの獅子のような方を、山にある火の塊のような方を、全ての方角を照らしている方を、山間にあるシッダッタ〔世尊〕を、〔わたしは見た〕。
40. そして、日の光明を、さらに、まさしく、そのように、月の光明を、かつまた、覚者の光明を、〔それらの三つの光明を〕見て、歓悦〔の思い〕が、わたしに生起した。
41. 正覚者を、〔対なる〕最上の弟子を、〔それらの〕三つの光明を見て、一つの肩に皮衣を掛けて、世の導き手たる方を奉賛した。
42. 世において、世の闇を除去する、まさに、三者の光明の作り手たちがいる──そして、月が、さらに、また、日が、そして、世の導き手たる覚者が。
43. 喩えを示して、偉大なる牟尼が、わたしによって賛じ称えられた。覚者の色艶を賛じ称えて、わたしは、カッパのあいだ、天上において歓喜した。
44. すなわち、〔わたしが〕覚者を賛じ称えた、これより、九十四カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、賛じ称えの果である。
45. これより、六十一カッパ〔の過去〕において、一者のニャーナダラ〔という名の者〕として〔世に〕有った──七つの宝を成就した、大いなる勢力ある転輪〔王〕として。
46. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。
かくのごとく、まさに、尊者ティランシヤ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──
ティランシヤ長老の行状が、第八となる。
32. 9. カンダリプッピヤ長老の行状
47. シンドゥー川の岸辺において、そのとき、〔わたしは〕耕作者として〔世に〕有った──他者の行為の道に専念する者(雇われ人)として、他者の食事に依託する者として。
48. わたしは、シンドゥー〔川〕を歩み行きつつ、シッダッタ〔世尊〕を、勝者を、見た──まさしく、禅定によって坐っている方を、花ひらいた百の花弁ある〔蓮華〕のような方を。
49. そのとき、わたしは、七つのカンダリの花を、茎のところで断ち切って、頭上に献上した──覚者のために、太陽の眷属たる方のために。
50. 黄金の色艶ある正覚者のもとへと、〔真理に〕随従するものにおいて〔心が〕定められた方のもとへと、三種に〔発情し〕激情したマータンガ〔象〕やクンジャラ〔象〕のように近づき難き方のもとへと──
51. 〔五つの〕機能を修めた賢明なる方のもとへと、彼のもとへと、わたしは近しく赴いて、合掌を差し出して、わたしは、教師を敬拝した。
52. すなわち、〔わたしが〕花を献上した、これより、九十四カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、覚者の供養の果である。
53. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。
かくのごとく、まさに、尊者カンダリプッピヤ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──
カンダリプッピヤ長老の行状が、第九となる。
32. 10. クムダマーリヤ長老の行状
54. 最も優れた雄牛たる勇者に、偉大なる聖賢に、征圧者たる方に、ヴィパッシン〔世尊〕に、偉大なる勇者に、善き生まれの獅子のような方に──
55. 道を行きつつある、諸々の捧げものの納受者たる方に、最勝の覚者に、蓮華の花飾を収め取って、等しく振りまいた。
56. すなわち、〔わたしが〕花を供養した、これより、九十一カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、覚者の供養の果である。
57. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。
かくのごとく、まさに、尊者クムダマーリヤ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──
クムダマーリヤ長老の行状が、第十となる。
アーラッカダーヤカの章が、第三十二となる。
その〔章〕のための摂頌となる。
〔そこで、詩偈に言う〕「アーラッカダ、ボージャナダ、ガタサンニン、パドゥミヤ、プッパーサニン、サンタヴィカ、サッダサンニン、ティランシヤ、カンダリカ、そして、クムディンがあり、五十七の詩偈がある」〔と〕。
33. ウマープッピヤの章
33. 1. ウマープッピヤ長老の行状
1. 〔心が〕定められた入定者たる方を、シッダッタ〔世尊〕を、〔一切に〕敗れることなき方を、禅定によって近しく坐している方を、最上の人たる方を、わたしは見た。
2. ウマーの花を収め取って、覚者に献上した。茎を上に、〔花の〕面を下に、全ての花が、頭を一つにしている。
3. 虚空において、諸々の花の敷物は、様々な彩りあるかのように止住する。その心の浄信によって、わたしは、兜率〔天〕に再生した。
4. すなわち、〔わたしが〕花を供養した、これより、九十四カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、覚者の供養の果である。
5. これより、五十五カッパ〔の過去〕において、一者の大地の長として〔世に〕存した──サマンタチャダナという名の、大いなる勢力ある転輪〔王〕として。
6. 四つの融通無礙は〔実証され〕、そして、また、これらの八つの解脱も〔実証された〕。六つの神知は実証され、覚者の教えは為された。
かくのごとく、まさに、尊者ウマープッピヤ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──
ウマープッピヤ長老の行状が、第一となる。
33. 2. プリナプージャカ長老の行状
7. カクダ〔樹〕のように輝いている方を、善き生まれの雄牛のような方を、遍照する明星のような方を、光り輝いている人の雄牛たる方を、〔わたしは見た〕。
8. 合掌を差し出して、わたしは、教師を敬拝した。教師を遍く褒め称え、自らの行為〔の果〕に満足した。
9. 極めて清浄なる砂粒を収め取って、〔覚者が〕赴く道に等しく振りまいた──腰〔の袋〕に携えて、ヴィパッシン〔世尊〕のために、偉大なる聖賢のために。
10. そののち、半分の砂粒を、浄信した心で、昼の休息〔の場〕に振り注いだ──二足者のインダたる如なる方のために。
11. すなわち、わたしが、砂粒を振り注いだ、これより、九十一カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、砂粒の果である。
12. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。
かくのごとく、まさに、尊者プリナプージャカ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──
プリナプージャカ長老の行状が、第二となる。
33. 3. ハーサジャナカ長老の行状
13. 木の先端に掛けられた、教師の糞掃衣を見て、合掌を差し出して、より一層、〔心は〕わたしによって高められた。
14. また、遠くから見て、わたしに、笑みが生起した。合掌を差し出して、より一層、心を浄信させた。
15. すなわち、〔わたしが〕表象を得た、そのとき、これより、九十一カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、覚者の表象の果である。
16. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。
かくのごとく、まさに、尊者ハーサジャナカ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──
ハーサジャナカ長老の行状が、第三となる。
33. 4. ヤンニャサーミカ長老の行状
17. わたしは、生まれて七年で、呪文の奥義に至る者として〔世に〕有った。〔わたしは〕家の行持を保持した。祭祀が、わたしによって敢行された。
18. そのとき、八万四千の家畜たちが、わたしによって殺された──芯柱に連れて行かれ、祭祀を義(目的)に仕立てられた〔家畜〕たちが。
19. 溶炉の口のなかで精錬された〔黄金〕のような方は、カディラ〔樹〕の炭火の似姿ある方は、昇り行く太陽のような方は、満月の月のような方は──
20. シッダッタ〔世尊〕は、一切の義(目的)の実現者たる方は、三つの世〔の界域〕に敬され益ある方は、正覚者は、〔わたしのもとへと〕近しく赴いて、この言葉を説いた。
21. 〔シッダッタ世尊は言った〕「少年よ、一切の命ある者を殺さないことは、わたしにとって好ましくあります。そして、窃盗から、かつまた、姦通から、さらに、飲酒から、離れることも。
22. そして、正行の喜びは、多聞と知恩は、これらの法(性質)は、所見の法(現世)において、さらに、他所においても、賞賛されるべきものです。
23. これらの法(性質)を修めて、一切の有情たちに益あることを喜び、覚者にたいし、心を浄信させて、最上の道を修めなさい」〔と〕。
24. この〔言葉〕を説いて、一切を知る方は、世の最尊者にして人の雄牛たる方は、このように、わたしに教示して、宙空に昇り行き、去り行ったのだった。
25. 前に、心を清めて、後に、心を浄信させた。その心の浄信によって、わたしは、兜率〔天〕に再生した。
26. 〔わたしが〕心を浄信させた、そのとき、これより、九十四カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、覚者の表象の果である。
27. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。
かくのごとく、まさに、尊者ヤンニャサーミカ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──
ヤンニャサーミカ長老の行状が、第四となる。
33. 5. ニミッタサンニャカ長老の行状
28. チャンダバーガー川の岸辺において、わたしは、庵所に住する。わたしは、森を歩んでいる黄金の鹿を見た。
29. 鹿にたいし、心を浄信させて、世の最尊者たる方を随念した。その心の浄信によって、他の覚者たちを随念した。
30. そして、すなわち、覚者たちは、過去の〔覚者〕たちも、〔今現在〕転起している〔覚者〕たちも、未来の〔覚者〕たちも──それらの三者〔の覚者たち〕は、獣の王たちのように、まさしく、このように、〔一切の世に〕遍照する。
31. すなわち、〔わたしが〕表象を得た、そのとき、これより、九十四カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、覚者の表象の果である。
32. これより、二十七カッパ〔の過去〕において、一者の大地の長として〔世に〕存した──名としては、アランニャサッタ〔という名〕の、大いなる勢力ある転輪〔王〕として。
33. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。
かくのごとく、まさに、尊者ニミッタサンニャカ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──
ニミッタサンニャカ長老の行状が、第五となる。
33. 6. アンナサンサーヴァカ長老の行状
34. 市場を赴きつつある、黄金の色艶ある正覚者を、価値ある黄金の似姿ある方を、三十二の優れた特相ある方を──
35. シッダッタ〔世尊〕を、一切の義(目的)の実現者たる方を、〔心に〕動揺なき方を、〔一切に〕敗れることなき方を、〔わたしは見た〕。正覚者を、〔家に〕迎え入れて、彼に、偉大なる牟尼に、〔施食を〕受益させた。
36. 牟尼は、世における慈悲の者たる方は、そのとき、わたしを輝き照らした。覚者にたいし、心を浄信させて、わたしは、カッパのあいだ、天上において歓喜した。
37. すなわち、〔わたしが〕布施を施した、そのとき、これより、九十四カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、行乞〔の施食〕の布施の果である。
38. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。
かくのごとく、まさに、尊者アンナサンサーヴァカ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──
アンナサンサーヴァカ長老の行状が、第六となる。
33. 7. ニッグンディプッピヤ長老の行状
39. すなわち、天〔の神〕が、寿命の消滅あることから、天の身体から死滅するとき、随喜する天〔の神々〕たちの、三つの声が放たれる。
40. 〔第一に〕「君よ、この〔天の世〕から、善き境遇に赴け。人間たちとの共住〔という善き境遇〕に」〔と〕。〔第二に〕「人間と成り、正なる法(教え)において、無上なる信を得よ」〔と〕。
41. 〔第三に〕「あなたの、その信は、固着し、根元から生じ、確立し、〔世に〕存するであろう──〔覚者によって〕見事に知らされた正なる法(教え)において、生あるかぎり、動かしようのないものとなり。
42. 身体による善なる〔行為〕を為して、言葉による多くの善なる〔行為〕を〔為して〕、意による善なる〔行為〕を為して、憎悪〔の思い〕なく依り所なき〔行為〕を〔為して〕──
43. そののち、〔身体という〕依り所ある〔人間としての〕功徳を、それを、布施によって、多く作り為して、他の死すべき者(人間)たちをもまた、正なる法(教え)と梵行において、確たるものとせよ」〔と〕。
44. すなわち、天〔の神々〕たちが、〔死滅する〕天〔の神のこと〕を知るとき、この慈しみ〔の思い〕によって、「天〔の神〕よ、〔善き境遇に〕至り行け」〔と〕、繰り返し、死滅しつつある〔天の神〕に随喜する。
45. そのとき、わたしに、畏怖〔の思い〕が存した──集いあつまった天〔の神々〕たちの群れにおいて。「いったい、まさに、わたしは、どのような胎に、ここから死滅し、赴くのだろう」〔と〕。
46. わたしの畏怖〔の思い〕を了知して、〔五つの〕機能(五根:信根・精進根・念根・定根・慧根)を修めた沙門は、彼は、わたしを引き上げることを欲し、わたしの現前にやってきた。
47. 名としては、スマナという名の、パドゥムッタラ〔世尊〕の弟子は、義(道理)と法(真理)を教え示して、そのとき、わたしを畏怖させた。
〔以上が〕第十二の朗読分となる。
48. わたしは、彼の言葉を聞いて、覚者にたいし、心を浄信させた。彼を、慧者を、敬拝して、そこにおいて、わたしは、命を終えたのだった。
49. 〔まさに〕その〔わたし〕は、まさしく、その場において、再生した。白根に促され、母の子宮に住する者となり、ふたたび、〔わたしは〕母のうちに〔身を〕保つ。
50. その身体から死滅して、わたしは、三十三〔天〕に再生した。ここにおいて、〔その〕中途において、そのとき、わたしは、失意を見ない。
51. 三十三〔天〕から死滅して、母の子宮に入った。子宮から出て、わたしは、黒白を知った。
52. わたしは、生まれて、まさしく、七年で、〔僧団の〕林園に入った──ゴータマ世尊の〔林園に〕、釈迦族の如なる方の〔林園に〕。
53. 〔聖なる〕言葉が広く知られ、〔覚者の〕教えが多く知られるとき、そこにおいて、〔わたしは〕見た──教師の教えを為す比丘たちを。
54. サーヴァッティーという名の城市があり、そこにおいて、コーサラ王が存した。〔彼は〕象を設えた車で、最上の菩提〔樹〕へと近しく至った。
55. わたしは、彼の象を見て、過去の行為を随念した。わたしは、合掌を差し出して、集いのあるところに赴いた。
56. 生まれて、まさしく、七年で、〔家から〕家なきへと出家した。すなわち、覚者に奉仕した、アーナンダという名の弟子は、彼は──
57. 〔善き〕境遇の者であり、まさしく、そして、〔道心〕堅固の者であり、さらに、気づきある者であり、多聞の者である。大いなる光輝ある者は、王の心を浄信させつつ、〔浄信に〕引き渡した。
58. わたしは、彼の法(教え)を聞いて、過去の行為を随念した。まさしく、その場に立ち、〔そのように〕存しつつ、阿羅漢の資質に至り得た。
59. 一つの肩に衣料を掛けて、頭に合掌を為して、正覚者を敬拝して、この言葉を発した。
60. 〔わたしは言った〕「パドゥムッタラ覚者に、二足者のインダたる方に、教師に、ニッグンディの花を差し出して、わたしは、獅子の坐に据え置きました。
61. 二足者のインダたる方よ、世の最尊者にして人の雄牛たる方よ、その行為〔の果〕によって、勝利と敗北を捨棄して、〔わたしは〕不動の境位に至り得た者として〔世に〕存しています」〔と〕。
62. 二万五千カッパ〔の過去〕において、人間の君主たちとして〔世に〕存した──アッブダ(地獄の名・巨大数)とニラッブダ(地獄の名・巨大数)のあいだ(想像を絶する長期のあいだ)、六十四者の士族たちとして。
63. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。
かくのごとく、まさに、尊者ニッグンディプッピヤ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──
ニッグンディプッピヤ長老の行状が、第七となる。
33. 8. スマナーヴェーリヤ長老の行状
64. ヴェッサブー世尊のために、世の最尊者にして如なる方のために、全ての人たちが集いあつまって、彼らは、大いなる供養を為す。
65. わたしは、石膏の塊(漆喰)を作って、スマナー〔の花〕の頭飾を、そのとき、わたしは、獅子の坐の前に献上した。
66. 全ての人たちが集いあつまって、最上の花を注視する。「誰によって、この花は供養されたのだ──最勝の覚者のために、如なる方のために」〔と〕。
67. その心の浄信によって、わたしは、化作〔天〕に再生した。過去における自己の善行〔の果〕を、自らの行為〔の果〕を、〔わたしは〕受領する。
68. 天〔の神〕たる〔境遇〕に、さらに、人間に、その〔胎〕その胎に再生するなら、全ての者たちにとって、愛しき者と成る。これは、花の供養の果である。
69. 〔わたしは〕証知しない──身体によって、言葉によって、あるいは、心によって、自制者たちや苦行者たちへの罵りが、わたしによって為されたのを。
70. わたしは、その善き行ないによって、さらに、諸々の心の誓願によって、全ての者たちにとって、供養される者と成る。これは、罵らないことの果である。
71. これより、十一カッパ〔の過去〕において、サハッサーラ〔という名〕の士族として〔世に〕存した──七つの宝を成就した、大いなる勢力ある転輪〔王〕として。
72. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。
かくのごとく、まさに、尊者スマナーヴェーリヤ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──
スマナーヴェーリヤ長老の行状が、第八となる。
33. 9. プッパッチャッティヤ長老の行状
73. シッダッタ世尊のために、世の最尊者にして如なる方のために、真理を明示している方のために、命ある者たちを涅槃に到達させている方のために──
74. 水に生じ、意が喜びとする、百の花弁ある〔蓮華〕を持ち運んで、花の傘蓋を作って、覚者に献上した。
75. そして、シッダッタ〔世尊〕は、世〔の一切〕を知る方は、諸々の捧げものの納受者たる方は、教師は、比丘の僧団のうちに立ち、この詩偈を語った。
76. 〔シッダッタ世尊は言った〕「彼は、わたしのために、心を浄信させて、花の傘蓋を保持しました。その心の浄信によって、彼は、悪しき境遇に赴きません」〔と〕。
77. この〔言葉〕を説いて、正覚者は、シッダッタ〔世尊〕は、世の導き手たる方は、衆を送り出して、宙空に、天空に、昇り行った。
78. 人の天たる方が出起したとき、白の傘蓋もまた出起した。最勝の覚者の前に、最上の傘蓋は赴く。
79. すなわち、〔わたしが〕傘蓋を献上した、これより、九十四カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、花の傘蓋の果である。
80. 七十四カッパ〔の過去〕において、八者のジャラシカ〔という名の者たち〕として〔世に〕有った──七つの宝を成就した、大いなる勢力ある転輪〔王〕たちとして。
81. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。
かくのごとく、まさに、尊者プッパッチャッティヤ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──
プッパッチャッティヤ長老の行状が、第九となる。
33. 10. サパリヴァーラチャッタダーヤカ長老の行状
82. パドゥムッタラ〔世尊〕は、世〔の一切〕を知る方は、諸々の捧げものの納受者たる方は、虚空において雨水が降るように、法(教え)の雨によって〔教えを説く〕。
83. 〔わたしは〕見た──不死の境処を説示している、彼を、正覚者を。〔わたしは〕自らの心を浄信させて、自らの家に赴いた。
84. 〔装いを〕十分に作り為した傘蓋を携えて、最上の人たる方のもとへと近しく赴いた。欣喜した者となり、欣喜した心で、わたしは、〔傘蓋を〕虚空に投げ上げた。
85. 〔傘蓋は〕善く制御された乗物のように、調御された最上の弟子のように、正覚者のもとへと近しく赴いて、頭上に正しく確立した。
86. 慈しみ〔の思い〕ある方は、慈悲の者たる方は、覚者は、世の至高の導き手たる方は、比丘の僧団のうちに坐って、これらの詩偈を語った。
87. 〔パドゥムッタラ世尊は言った〕「彼によって、この傘蓋が施されました──〔装いを〕十分に作り為し、意が喜びとする〔傘蓋〕が。その心の浄信によって、彼は、悪しき境遇に赴きません。
88. そして、七回、諸天において、天の王権を為すでしょう。そして、三十二回、転輪王と成るでしょう。
89. 十万カッパ〔の未来〕において、オッカーカの家系を発生とし、姓としては、ゴータマという名の教師が、世に有るでしょう。
90. 彼の、諸々の法(教え)における、相続者として、正嫡として、法(教え)によって化作された者として、一切の煩悩を遍知して、煩悩なき者となり、涅槃に到達するでしょう」〔と〕。
91. 覚者の声を了知して、発せられた威厳ある言葉を〔聞いて〕、浄信した心の者となり、悦意の者となり、わたしは、より一層、笑みを生じさせた。
92. 人間の胎を捨棄して〔そののち〕、天の胎に正しく到達した(※)。わたしには、最上の天宮がある──屹立し、意が喜びとする〔宮殿〕が。
※ テキストには majjhagaṃ とあるが、PTS版により samajjhagaṃ と読む。
93. 〔わたしが〕天宮から出つつあると、白の傘蓋が保持される。そのとき、〔わたしは〕表象を獲得した。これは、過去の行為の果である。
94. 天の世から死滅して、そして、人間たる〔境遇〕に赴いた。これより、七百カッパ〔の過去〕において、三十六回、転輪〔王〕と〔成った〕。
95. その身体から死滅して、三十三〔天〕の都に到来した。順次に輪廻して、ふたたび、人間〔の胎〕に到来した。
96. 母の子宮に入ったわたしに、〔人々は〕白の傘蓋を保持した。わたしは、生まれて七年で、〔家から〕家なきへと出家した。
97. 名としては、スナンダという名の、呪文の奥義に至る婆羅門は、水晶の傘蓋を携えて、そのとき、彼は、至高の弟子に〔施した〕。
98. サーリプッタ〔長老〕は、大いなる言説者は、大いなる勇者は、随喜した。彼の随喜〔の言葉〕を聞いて、〔わたしは〕過去の行為を随念した。
99. 合掌を差し出して、自らの心を浄信させた。以前の行為を思念して、阿羅漢の資質に至り得た。
100. その坐から立ち上がって、頭に合掌を為して、正覚者を敬拝して、この言葉を発した。
101. 〔わたしは言った〕「これより、十万カッパ〔の過去〕において、覚者が、世における無上なる方が、パドゥムッタラ〔世尊〕が、世〔の一切〕を知る方が、諸々の捧げものの納受者たる方が、〔世に有りました〕。
102. 彼のために、傘蓋が、わたしによって施されました──様々な彩りある、〔装いを〕十二分に作り為した〔傘蓋〕が。〔他に依らず〕自ら成る方は、至高の人たる方は、両の手で納受されました」〔と〕。
103. ああ、覚者なのだ、ああ、法(真理)なのだ、ああ、わたしたちの教師の成就なのだ。一なる傘蓋の布施によって、わたしは、悪しき境遇に再生しなかった。
104. わたしの、諸々の〔心の〕汚れは焼尽し、一切の〔迷いの〕生存は完破された。一切の煩悩を遍知して、煩悩なき者となり、〔世に〕住む。
105. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。
かくのごとく、まさに、尊者サパリヴァーラチャッタダーヤカ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──
サパリヴァーラチャッタダーヤカ長老の行状が、第十となる。
ウマープッピヤの章が、第三十三となる。
その〔章〕のための摂頌となる。
〔そこで、詩偈に言う〕「そして、ウマープッパ、プリナ、ハーサ、ヤンニャ、ニミッタカ、サンサーヴァカ、そして、ニッグンディン、スマナ、プッパチャッタカ、そして、サパリヴァーラチャッタがあり、百を超えること七つの詩偈がある」〔と〕。
34. ガンドーダカの章
34. 1. ガンダドゥーピヤ長老の行状
1. シッダッタ世尊のために、わたしは、香料の薫香を施した──スマナ〔の花々〕に覆われ、かつまた、覚者に至当なるものとして、その〔香料〕を。
2. 価値ある黄金の似姿ある方を、覚者を、世の至高の導き手たる方を、青蓮のように光り輝く方を、献火のように燃え盛る方を──
3. 最も優れた虎や雄牛のような方を、善き生まれの獅子のような方を、比丘の僧団に囲まれ、〔そこに〕坐っている、沙門たちのなかの至高者たる方を──
4. 見て、心を浄信させて、合掌を差し出して、教師の〔両の〕足を敬拝して、北に向かい立ち去った。
5. すなわち、〔わたしが〕香料を施した、そのとき、これより、九十四カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、香料の供養の果である。
6. 四つの融通無礙は〔実証され〕、そして、また、これらの八つの解脱も〔実証された〕。六つの神知は実証され、覚者の教えは為された。
かくのごとく、まさに、尊者ガンダドゥーピヤ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──
ガンダドゥーピヤ長老の行状が、第一となる。
34. 2. ウダカプージャカ長老の行状
7. 〔天高く〕曲がりなき風のなかを赴きつつある、黄金の色艶ある正覚者を、酪火のように燃え盛る方を、献火のように燃え盛る方を、〔わたしは見た〕。
8. 手で水を収め取って、わたしは、虚空に投げ上げた。覚者は、慈悲の者たる聖賢は、偉大なる勇者は、〔それを〕領受した。
9. パドゥムッタラという名の教師は、空中に止住し、わたしの思惟を了知して、この詩偈を語った。
10. 〔パドゥムッタラ世尊は言った〕「この水の布施によって、さらに、喜悦〔の思い〕の生起によって、十万カッパのあいだでさえも、悪しき境遇に再生しません」〔と〕。
11. 二足者のインダたる方よ、世の最尊者にして人の雄牛たる方よ、その行為〔の果〕によって、勝利と敗北を捨棄して、〔わたしは〕不動の境位に至り得た者として〔世に〕存している。
12. 名としては、サハッサラージャン〔という名〕の、そして、三者の転輪〔王〕たちとして〔世に存した〕──六千五百カッパ〔の過去〕において、四辺の人の君主たちとして。
13. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。
かくのごとく、まさに、尊者ウダカプージャカ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──
ウダカプージャカ長老の行状が、第二となる。
34. 3. プンナーガプッピヤ長老の行状
14. 森に、林に、入って行って、わたしは、猟師として〔世に〕住する。花ひらいたプンナーガ〔樹の花〕を見て、最勝の覚者を随念した。
15. 善き香りに香る浄美なるその花を摘み集めて、砂岸に塔を作って、覚者に献上した。
16. すなわち、〔わたしが〕花を供養した、これより、九十二カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、覚者の供養の果である。
17. 九十一カッパ〔の過去〕において、一者のタモーヌダ〔という名の者〕として〔世に〕存した──七つの宝を成就した、大いなる勢力ある転輪〔王〕として。
18. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。
かくのごとく、まさに、尊者プンナーガプッピヤ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──
プンナーガプッピヤ長老の行状が、第三となる。
34. 4. エーカドゥッサダーヤカ長老の行状
19. ハンサヴァティーの城市において、〔わたしは〕草運びとして〔世に〕有った。草運びによって、〔わたしは〕生き、それによって、幼児たちを養う。
20. パドゥムッタラという名の勝者が、一切の法(事象)の彼岸に至る方が、世の導き手たる方が、闇の暗黒を滅ぼして、〔世に〕生起した。
21. 自らの家に坐って、そのとき、わたしは、このように思い考えた。「覚者が、世に生起したのだ。しかしながら、わたしに、施すべき法(施物)は存在しない。
22. わたしには、この一なる布切れがある〔のみ〕。誰であれ、わたしに与えてくれる者は存在しない。地獄に触れることは苦しみである。〔苦しみから逃れる〕施物を育成するのだ」〔と〕。
23. わたしは、このように思い考えて、自らの心を浄信させた。一なる布地を収め取って、わたしは、最勝の覚者に施した。
24. 一なる布地を施して、叫喚〔の声〕を等しく転起させた。「勇者よ、すなわち、あなたが覚者であるなら、偉大なる牟尼よ、わたしを超え渡したまえ」〔と〕。
25. パドゥムッタラ〔世尊〕は、世〔の一切〕を知る方は、諸々の捧げものの納受者たる方は、わたしの布施を賛じ称えつつ、わたしに、随喜を為した。
26. 〔パドゥムッタラ世尊は言った〕「この一なる布地によって、さらに、諸々の思欲による誓願によって、十万カッパのあいだ、堕所に赴きません。
27. 三十六回、天のインダとして、天の王権を為すでしょう。そして、三十三回、転輪王と成るでしょう。数〔の観点〕からは数えようもない、広大なる地域の王権を〔為すでしょう〕。
28. 天の世において、あるいは、人間〔の世〕において、〔善き境遇の〕生存において輪廻しながら、あなたは、形姿ある者として、徳を成就した者として、入胎なき肉身ある者として、頑丈にして無量なる布地を、求めるままに得るでしょう」〔と〕。
29. この言葉を説いて、正覚者は、水に生じる最上のものを名とする方は、慧者は、天空へと舞い上がった──鵞鳥の王が、宙に〔赴く〕ように。
30. 天〔の神〕たる〔境遇〕に、さらに、人間に、その〔胎〕その胎に再生するなら、わたしの財物に、不足は存在しない。これは、一なる布地の果である。
31. 足を上げるとき、足を上げるとき、布地が、わたしに発現する。布地を下に、〔わたしは〕立つ。わたしには、〔常に〕天蓋がある。
32. チャッカ・ヴァーラ(輪囲山・鉄囲山:世界の周辺にあって世界を囲んでいる山)を加え含めて、森を含め、山を含め、そして、今日、わたしが求めつつあるなら、わたしは、諸々の布地をもって覆い隠すであろう。
33. まさしく、その一なる布地〔の功徳〕によって、種々なる生存において輪廻しつつも、黄金の色艶ある者と成って、種々なる生存において輪廻する。
34. 一なる布地の報いの滅尽に、どこにおいてであれ、到達しなかった。これは、わたしの最後の生である。ここにもまた、わたしに、〔報いは〕成熟する。
35. すなわち、〔わたしが〕布地を施した、そのとき、これより、十万カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、一なる布地の果である。
36. わたしの、諸々の〔心の〕汚れは焼尽し、一切の〔迷いの〕生存は完破された。象のように結縛を断ち切って、煩悩なき者となり、〔世に〕住む。
37. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。
かくのごとく、まさに、尊者エーカドゥッサダーヤカ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──
エーカドゥッサダーヤカ長老の行状が、第四となる。
34. 5. プシタカンピヤ長老の行状
38. ヴィパッシンという名の正覚者は、世の最尊者にして人の雄牛たる方は、煩悩の滅尽者たちを伴い、そのとき、僧団の林園に住した。
39. 林園の門から出て、ヴィパッシン〔世尊〕は、世の導き手たる方は、彼は、八十万の煩悩の滅尽者たちと共にある。
40. わたしは、皮衣を着衣する者として〔世に有った〕──そして、樹皮の衣を〔身に〕付ける者としてもまた。〔わたしは〕花と水を携えて、正覚者のもとへと近づいて行った。
41. 自らの心を浄信させて、感嘆〔の思い〕を生じ、合掌を為し、花と水を携えて、わたしは、覚者に振りまいた。
42. 〔わたしの〕その行為によって、正覚者は、水に生じる最上のものを名とする方は、わたしの行為を賛じ称えて、望み求めるままに去り行った。
43. 五千の水滴があり、それらによって、わたしは、勝者を供養した。二千五百〔の水滴の果〕によって、天の王権を為した。
44. 二千五百〔の水滴の果〕によって、わたしは、転輪〔王〕と成った。残りの行為〔の果〕によって、阿羅漢の資質に至り得た。
45. 天の王として〔世に〕有る、そのときは──人間の君主として〔世に有る〕、そのときは──わたしは、プシタという名の者として〔世に〕有り、まさしく、それが、わたしの命名となる。
46. 天〔の神〕と成った者として〔世に〕存しているなら──さらに、また、あるいは、人間として〔世に存しているなら〕──わたしには、〔一〕ヴヤーマ(尋:長さの単位・一ヴヤーマは約二メートル)の遍きにわたり、まさしく、水滴が降り注ぐ。
47. わたしの諸々の〔迷いの〕生存は撤去され、わたしの諸々の〔心の〕汚れは焼尽され、〔わたしは〕一切の煩悩が完全に滅尽した者として〔世に有る〕。これは、水滴の果である。
48. そのように、わたしの身体から、まさしく、栴檀の香りが香り行く。わたしの肉体から、香りが、半コーサ(長さの単位・四分の一ヨージャナ)において香り行く。
49. 等しく香る天の香りを〔嗅いで〕、功徳の行為〔の果〕を保有する香りを嗅いで、〔人々は〕知る。「プシタが、ここにやってきたのだ」〔と〕。
50. 諸々の枝や葉や小枝は、さらに、また、諸々の草も、全てにわたり、わたしの思惟を了知して、瞬時に香りが成就する。
51. 〔わたしが〕栴檀を供養した、これより、十万カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、水滴の果である。
52. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。
かくのごとく、まさに、尊者プシタカンピヤ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──
プシタカンピヤ長老の行状が、第五となる。
34. 6. パバンカラ長老の行状
53. パドゥムッタラ世尊の、世の最尊者にして如なる方の、塔廟は、猛々しい獣たちが群れ溢れる森のなかに存した。
54. 塔廟を敬拝するべくも、誰であれ、赴くことができなかった。塔廟は、草や小枝や蔓に覆われ、崩壊し、〔森のなかに〕存した。
55. そのとき、わたしは、父母代々の木こりとして〔世に〕存した。〔わたしは〕見た──草や蔓に満ち溢れ、倒壊した、森のなかの塔を。
56. 覚者の塔を見て、わたしは、尊重の心を現起した。「最勝の覚者の、この塔は倒壊し、林のなかに鎮座する。
57. 徳と徳ならざることを知っている者にとって、〔これは〕適合ならず、適切ならず──〔すなわち〕覚者の塔を清めずして、他の行為に従事するのは」〔と〕。
58. そして、草や小枝を、さらに、蔓を、〔それらを〕清めて、塔廟にたいし、八回、敬拝して、わたしは、〔身を〕屈め、去り行った。
59. その善行の行為によって、さらに、諸々の思欲による誓願によって、人間の肉身を捨棄して〔そののち〕、わたしは、三十三〔天〕に赴いた。
60. そこにおいて、わたしには、美しく作られた宮殿が〔発現する〕──黄金にして、光輝を有する〔宮殿〕が、六十ヨージャナの高さと三十〔ヨージャナ〕の幅ある〔宮殿〕が。
61. そして、三百回、天の王権を為した。そして、二十五回、わたしは、転輪〔王〕と成った。
62. 種々なる生存において輪廻しながら、わたしは、大いなる財物を得る。わたしの財物に、不足は存在しない。これは、清めの果である。
63. 駕篭や象の背によって、わたしが森を赴きつつあるとして、その〔方角〕その方角に、わたしが赴くなら、林の宿所に行き当たる。
64. あるいは、切り株を、あるいは、また、棘を、わたしは、眼で見ない。功徳の行為〔の果〕と結び付いた者として、まさしく、自ら、〔身を〕保ち行く。
65. 癩、腫物、そして、疱瘡、癲癇、瘡蓋、肌荒、さらに、疥癬は、わたしには存在しない。これは、清めの果である。
66. 他にもまた、わたしには稀有なることがある──覚者の塔を清める〔その生〕において。わたしの身体に吹出物や斑点が生じたのを、〔わたしは〕証知しない。
67. 他にもまた、わたしには稀有なることがある──覚者の塔が清められた〔未来〕において。天〔の神〕たる〔境遇〕において、さらに、人間において、〔天と人の〕二つの生存において、〔わたしは〕輪廻する(天界と人間界においてのみ輪廻する)。
68. 他にもまた、わたしには稀有なることがある──覚者の塔が清められた〔未来〕において。わたしは、一切所において、黄金の色艶ある者と〔成り〕、光輝を有する者と成る。
69. 他にもまた、わたしには稀有なることがある──覚者の塔が清められた〔未来〕において。意に適わないものは、〔わたしを〕避け、意に適うものは、〔わたしに〕近しく立つ。
70. 他にもまた、わたしには稀有なることがある──覚者の塔が清められた〔未来〕において。わたしの心は、清浄と成り、一境に善く定められたものと〔成る〕。
71. 他にもまた、わたしには稀有なることがある──覚者の塔が清められた〔未来〕において。一なる坐において、坐って〔そののち〕、阿羅漢の資質に至り得た。
72. すなわち、〔わたしが〕行為を為した、そのとき、これより、十万カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、清めの果である。
73. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。
かくのごとく、まさに、尊者パバンカラ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──
パバンカラ長老の行状が、第六となる。
34. 7. ティナクティダーヤカ長老の行状
74. バンドゥマティーの城市において、〔わたしは〕他者の雇用人として〔世に〕有った──他者の行為の道に専念する者として、他者の食事に依託する者として。
75. 静所に赴き、〔そこに〕坐って、そのとき、わたしは、このように思い考えた。「覚者が、世に生起したのだ。しかしながら、わたしに、献身は存在しない。
76. わたしの境遇を清めるべき時である。わたしに与えられた時節である。地獄に触れることは苦しみである──まさに、功徳なき命ある者たちにとっては」〔と〕。
77. わたしは、このように思い考えて、雇用主のもとへと帰り着いた。一日のあいだ、作業を乞い求めて、わたしは、森に入った。
78. そのとき、わたしは、そして、草や小枝を、さらに、蔓を、持ち運んで、三つの棒を据え置いて、わたしは、草の小屋を作った。
79. 僧団の義(利益)のために、その小屋を引き渡して、わたしは、まさしく、その日のうちに帰り来て、雇用主のもとへと帰り着いた。
80. その善行の行為によって、わたしは、三十三〔天〕に赴いた。そこにおいて、わたしには、美しく作られた宮殿が〔発現する〕──小屋の〔果として〕、美しく化作された〔宮殿〕が。
81. 千の射程があり、百の階があり、旗で飾られ、黄金で作られている〔宮殿〕が〔発現する〕。宮殿において、わたしには、十万の尖塔が出現した。
82. 天〔の神〕たる〔境遇〕に、さらに、人間に、その〔胎〕その胎に再生するなら、わたしの思惟を了知して、高楼が近しく立つ。
83. あるいは、恐怖は、あるいは、驚愕は、身の毛のよだつことは、〔わたしには〕見出されない。わたしの恐れを、〔わたしは〕知らない。これは、草の小屋の果である。
84. そして、獅子や虎たちが、さらに、豹たちが、熊や狼や鬣狗(ハイエナ)たちが、〔それらの〕全てが、わたしを遍く避ける。これは、草の小屋の果である。
85. そして、蛇行するものたちは、さらに、精霊たちは、蛇たちは、魔族や羅刹たちは、彼らもまた、わたしを遍く避ける。これは、草の小屋の果である。
86. わたしのばあい、悪夢を見ることもまた、思い浮かばない。わたしには、気づきが現起している。これは、草の小屋の果である。
87. まさしく、その草の小屋によって、諸々の成就を受領して〔そののち〕、わたしは、ゴータマ世尊の法(教え)を実証した。
88. すなわち、〔わたしが〕行為を為した、そのとき、これより、九十一カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、草の小屋の果である。
89. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。
かくのごとく、まさに、尊者ティナクティダーヤカ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──
ティナクティダーヤカ長老の行状が、第七となる。
34. 8. ウッタレイヤダーヤカ長老の行状
90. ハンサヴァティーの城市において、そのとき、〔わたしは〕婆羅門として〔世に〕有った──〔聖典の〕読誦者にして呪文の保持者として、三つのヴェーダの奥義に至る者として──
91. 徒弟たちに囲まれ、そして、出生よく善き学びある者として。そのとき、〔わたしは〕水の灌頂を義(目的)として、城市から出た。
92. パドゥムッタラという名の勝者は、一切の法(事象)の彼岸に至る方は、千の煩悩の滅尽者たちとともに、勝者は、城市に入った。
93. 不動のものとして作り為されたかのような、極めて典雅なる形姿ある方を見て、阿羅漢たちに取り囲まれた方を見て、〔わたしは〕心を浄信させた。
94. 頭に合掌を為して、善き掟ある方に礼拝して、浄信した心の者となり、悦意の者となり、わたしは、上衣を施した。
95. 両の手で差し出して、わたしは、衣を持ち上げた。およそ、覚者の衆としてあるかぎり、そのかぎりを、衣は覆い隠した。
96. 〔行乞の〕食の歩みを歩んでいる方のために、大いなる比丘の衆の最初にある方のために、影を作りながら、〔衣は〕止住した──そのとき、わたしに、笑みを浮かべさせながら。
97. 〔他に依らず〕自ら成る方は、至高の人たる方は、〔わたしが〕家から出つつあると、教師は、まさしく、道に立ち、わたしに、随喜を為した。
98. 〔パドゥムッタラ世尊は言った〕「浄信した心の者となり、悦意の者となり、彼は、衣を、わたしに施しました。わたしは、彼を賛じ称えましょう。〔それを〕語る、わたしの〔言葉を〕聞きなさい。
99. 三万カッパのあいだ、天の世において喜び楽しむでしょう。五十回、天のインダとして、天の王権を為すでしょう。
100. 天の世に住しているなら、功徳の行為〔の果〕を保有する者のために、百ヨージャナの遍きにわたり、布地の覆いが有るでしょう。
101. そして、三十六回、転輪王と成るでしょう。数〔の観点〕からは数えようもない、広大なる地域の王権を〔為すでしょう〕。
102. 〔善き境遇の〕生存において輪廻しながら、功徳の行為〔の果〕を保有する者のために、意に確立したものの全てが、まさしく、ただちに、発現するでしょう。
103. 諸々の絹や毛布を、さらに、諸々の亜麻や木綿を、そして、諸々の高価なる布地を、この人は獲得するでしょう。
104. 意に確立したものの全てを、この人は獲得するでしょう。一切時に、一なる布地の報いを、〔彼は〕受領するでしょう。
105. 彼は、のちに出家して、白根に促され、ゴータマ世尊の法(教え)を実証するでしょう」〔と〕。
106. ああ、わたしには、善行の行為〔の果〕がある。一切を知る方のために、偉大なる聖賢のために、一なる衣を施して、不死の境処に至り得た者として〔世に〕存している。
107. 天幕のなかで、あるいは、木の根元において、空家において、〔わたしが〕住していると、〔一〕ヴヤーマの遍きにわたり、わたしのために、布地の覆いが保持される。
108. 識知することなく、わたしは、衣料を着衣し、さらに、日用品を〔獲得し〕、〔常に〕食べ物と飲み物の得者となる。これは、上衣の果である。
109. すなわち、〔わたしが〕行為を為した、そのとき、これより、十万カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、衣の布施の果である。
110. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。
かくのごとく、まさに、尊者ウッタレイヤダーヤカ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──
ウッタレイヤダーヤカ長老の行状が、第八となる。
34. 9. ダンマサヴァニヤ長老の行状
111. パドゥムッタラという名の勝者は、一切の法(事象)の彼岸に至る方は、四つの真理を明示しながら、多くの人々を等しく超え渡した。
112. その時点にあって、わたしは、激しい苦行の結髪者として〔世に有った〕。諸々の樹皮の衣を打ち震わせながら、そのとき、〔わたしは〕宙を赴く。
113. わたしは、最勝の覚者の上を赴くことができない。わたしは、岩に近づいて〔先に進めない〕鳥のように、赴くことを得ない。
114. 〔わたしは思い考えた〕「これは、わたしにとって、過去に事実なきこと──〔わたしの〕振る舞いを〔このように〕動乱させるとは。あたかも、水に浮かんで〔進み行く〕ように、このように、〔わたしは〕宙を赴く。
115. 人間にして秀逸なる生類が、下に坐し、〔そこに〕有るのだ。さあ、この方を探し求めるのだ。ともあれ、わたしは、義(利益)を得るであろう」〔と〕。
116. 空中から降りつつ、〔わたしは〕教師の声を聞いた。〔世の〕無常なることを言説している〔教師〕の、その〔教え〕を、そのとき、わたしは把握した。
117. 無常の表象(無常想)を把握して、わたしの庵所へと去り行った。寿命のあるかぎり〔世に〕住して、そこにおいて、わたしは、命を終えたのだった。
118. 最後〔の心〕が転起しているとき、その法(教え)の聴聞を思念した。その善行の行為によって、わたしは、三十三〔天〕に赴いた。
119. 三万カッパのあいだ、わたしは、天の世において喜び楽しんだ。そして、五十一回、天の王権を為した。
120. そして、七十一回、わたしは、転輪〔王〕と成った。数〔の観点〕からは数えようもない、広大なる地域の王権を〔為した〕。
121. 父の家に坐って、〔五つの〕機能を修めた沙門は、詩偈によって遍く明らかにしながら、〔世の〕無常なることを、〔わたしに〕述べ伝えた。
122. 〔わたしは〕種々なる生存において輪廻しながら、〔まさに〕その、〔無常の〕表象を随念するも、〔いまだ、輪廻の〕突端を理解しない──〔すなわち〕涅槃を、死滅なき境処を。
123. 〔ゴータマ世尊は言った〕「無常にして、生起と衰失の法(性質)あるのが、まさに、諸々の形成〔作用〕(諸行:形成されたもの・現象世界)である。〔それらは〕生起しては、止滅する。それらの寂止は、安楽である」〔と〕。
124. 詩偈を聞いて、〔それと〕共に、過去の行為を随念した。一なる坐において、坐って〔そののち〕、阿羅漢の資質に至り得た。
125. わたしは、生まれて七年で、阿羅漢の資質に至り得た。覚者は、眼ある方は、〔わたしの〕徳を了知して、〔戒を〕成就させた。
126. まさしく、少年として存しながらも、わたしは、為すべきことを完了した。わたしに、今日、どのような為すべきことがあるというのだろう──釈迦族の方の教えにおいて。
127. すなわち、〔わたしが〕行為を為した、そのとき、これより、十万カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。正なる法(教え)の聴聞における果である。
128. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。
かくのごとく、まさに、尊者ダンマサヴァニヤ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──
ダンマサヴァニヤ長老の行状が、第九となる。
34. 10. ウッキッタパドゥミヤ長老の行状
129. ハンサヴァティーの城市において、そのとき、〔わたしは〕花飾師として〔世に〕有った。蓮池に入って行って、わたしは、百の花弁ある〔蓮華〕を摘み集めた。
130. パドゥムッタラという名の勝者は、一切の法(事象)の彼岸に至る方は、十万の心が寂静となった如なる者たちと共に──
131. 煩悩の滅尽者にして清浄なる者たちとともに、六つの神知ある瞑想者たちとともに、わたしの増大を正しく調べながら、わたしの現前にやってきた。
132. わたしは、天の天たる方を、〔他に依らず〕自ら成る方を、世の導き手たる方を、見て、そのとき、百の花弁ある〔蓮華〕を、茎のところで断ち切って、宙に投げ上げた。
133. 〔わたしは言った〕「勇者よ、すなわち、あなたが、覚者であるなら、世の最尊者にして人の雄牛たる方であるなら、それらの百の花弁ある〔蓮華〕は、自ら赴いて、頭上に保持されよ」〔と〕。
134. 偉大なる勇者は、世の最尊者にして人の雄牛たる方は、〔心を〕確立した。覚者の威力によって、それらは、頭上に保持された。
135. その善行の行為によって、さらに、諸々の思欲による誓願によって、人間の肉身を捨棄して〔そののち〕、わたしは、三十三〔天〕に赴いた。
136. そこにおいて、わたしには、美しく作られた宮殿が〔発現する〕──「サタパッタ(百の花弁)」と呼ばれる、六十ヨージャナの高さと三十〔ヨージャナ〕の幅ある〔宮殿〕が。
137. 千回、天のインダとして、天の王権を為した。そして、七十五回、わたしは、転輪〔王〕と成った。
138. 数〔の観点〕からは数えようもない、広大なる地域の王権を〔為した〕。過去における自己の善行〔の果〕を、自らの行為〔の果〕を、〔わたしは〕受領する。
139. まさしく、その一なる蓮華によって、諸々の成就を受領して〔そののち〕、わたしは、ゴータマ世尊の法(教え)を実証した。
140. わたしの、諸々の〔心の〕汚れは焼尽し、一切の〔迷いの〕生存は完破された。象のように結縛を断ち切って、煩悩なき者となり、〔世に〕住む。
141. すなわち、〔わたしが〕花を供養した、これより、十万カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、一なる蓮華の果である。
142. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。
かくのごとく、まさに、尊者ウッキッタパドゥミヤ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──
ウッキッタパドゥミヤ長老の行状が、第十となる。
ガンドーダカの章が、第三十四となる。
その〔章〕のための摂頌となる。
〔そこで、詩偈に言う〕「ガンダドゥーパ、そして、ウダカ、プンナーガとエーカドゥッサカ、そして、プシタ、パバンカラ、クティダ、ウッタリーヤカ──
サヴァニン、エーカパドゥミンがあり、集録された全ての詩偈として、まさしく、そして、一百〔の詩偈〕があり、まさしく、さらに、四十〔の詩偈〕がある」〔と〕。
35. エーカパドゥミヤの章
35. 1. エーカパドゥミヤ長老の行状
1. パドゥムッタラという名の勝者は、一切の法(事象)の彼岸に至る方は、種々なる生存を分明しながら、多くの人民を〔彼岸へと〕超え渡した。
2. そのとき、わたしは、鳥たちのなかの最も優れた鵞鳥の王として〔世に〕有る。天然の湖に入って行って、鵞鳥の遊びを遊び戯れる。
3. パドゥムッタラ〔世尊〕は、世〔の一切〕を知る方は、諸々の捧げものの納受者たる方は、勝者は、まさしく、ただちに、湖の上にやってきた。
4. わたしは、天の天たる方を、〔他に依らず〕自ら成る方を、世の導き手たる方を、見て、意が喜びとする百の花弁ある蓮華を、茎のところで断ち切って──
5. 顔の嘴で収め取って、世の導き手たる方にたいし、浄信した者となり、空に投げ上げて、最勝の覚者を供養した。
6. パドゥムッタラ〔世尊〕は、世〔の一切〕を知る方は、諸々の捧げものの納受者たる方は、教師は、空中に止住し、わたしに、随喜を為した。
7. 〔パドゥムッタラ世尊は言った〕「この一なる蓮華によって、さらに、諸々の思欲による誓願によって、十万カッパのあいだ、〔あなたは〕堕所に赴きません」〔と〕。
8. この〔言葉〕を説いて、正覚者は、水に生じる最上のものを名とする方は、わたしの行為を賛じ称えて、望み求めるままに去り行った。
9. すなわち、〔わたしが〕行為を為した、そのとき、これより、十万カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、覚者の供養の果である。
10. 四つの融通無礙は〔実証され〕、そして、また、これらの八つの解脱も〔実証された〕。六つの神知は実証され、覚者の教えは為された。
かくのごとく、まさに、尊者エーカパドゥミヤ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──
エーカパドゥミヤ長老の行状が、第一となる。
35. 2. ティーヌッパラマーリヤ長老の行状
11. チャンダバーガー川の岸辺において、そのとき、〔わたしは〕猿として〔世に〕有った。〔わたしは〕見た──〔世俗の〕塵を離れる覚者を、山間に坐っている〔覚者〕を。
12. 全ての方角を照らしている方を、咲き誇るサーラ〔樹〕の王のような方を、〔三十二の〕特相と〔八十の〕特徴を具した方を、見て、わが意を得た者と成った。
13. 勇躍する心の者となり、悦意の者となり、喜悦〔の思い〕によって、欣喜の意図ある者となり、三つの青蓮の花を、〔覚者の〕頭上に献上した。
14. ヴィパッシン〔世尊〕に、偉大なる聖賢に、〔三つの青蓮の〕花を献上して、尊重〔の思い〕を有する者と成って、北に向かい立ち去った。
15. 浄信した心で、〔身を〕屈め、去り行きつつ、岩の間に落ちて、生命の滅尽に至り得た。
16. その善行の行為によって、さらに、諸々の思欲による誓願によって、人間の肉身を捨棄して〔そののち〕、わたしは、三十三〔天〕に赴いた。
17. そして、三百回、天の王権を為した。そして、五百回、わたしは、転輪〔王〕と成った。
18. すなわち、〔わたしが〕花を供養した、これより、九十一カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、覚者の供養の果である。
19. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。
かくのごとく、まさに、尊者ティーヌッパラマーリヤ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──
ティーヌッパラマーリヤ長老の行状が、第二となる。
35. 3. ダジャダーヤカ長老の行状
20. ティッサという名の教師が、世の最尊者にして人の雄牛たる方が、〔世に〕有った。三つの依り所の滅尽ある方たちを見て、わたしによって、旗が掲揚された。
21. その善行の行為によって、さらに、諸々の思欲による誓願によって、人間の肉身を捨棄して〔そののち〕、わたしは、三十三〔天〕に赴いた。
22. そして、三百回、天の王権を為した。そして、五百回、わたしは、転輪〔王〕と成った。
23. 数〔の観点〕からは数えようもない、広大なる地域の王権を〔為した〕。過去における自己の善行〔の果〕を、自らの行為〔の果〕を、〔わたしは〕受領する。
24. すなわち、〔わたしが〕行為を為した、そのとき、これより、九十二カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、旗の布施の果である。
25. そして、今日、わたしが求めつつあるなら、森を含め、山を含め、亜麻の布地をもって覆い隠すであろう──わたしが為した〔行為〕における果として、そのとき。
26. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。
かくのごとく、まさに、尊者ダジャダーヤカ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──
ダジャダーヤカ長老の行状が、第三となる。
35. 4. ティキンカニプージャカ長老の行状
27. ヒマヴァントの遠からざるところ、ブータガナという名の山がある。そこにおいて、〔わたしは〕見た──木の先端に掛けられた糞掃衣を。
28. そのとき、わたしは、三つのキンカニの花を摘み集めて、欣喜した者となり、欣喜した心で、糞掃衣を供養した。
29. すなわち、〔わたしが〕行為を為した、そのとき、これより、三十一カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、三つの花の果である。
30. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。
かくのごとく、まさに、尊者ティキンカニプージャカ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──
ティキンカニプージャカ長老の行状が、第四となる。
35. 5. ナラーガーリカ長老の行状
31. ヒマヴァントの遠からざるところ、ハーリタという名の山がある。ナーラダという名の、〔他に依らず〕自ら成る方は、そのとき、木の根元に住した。
32. わたしは、葦の家を作って、草で覆った。わたしは、〔瞑想のための〕歩行場を美しく荘厳して、〔他に依らず〕自ら成る方に施した。
33. 十四カッパのあいだ、わたしは、天の世において喜び楽しんだ。そして、七十四回、天の王権を為した。
34. そして、七十四回、わたしは、転輪〔王〕と成った。数〔の観点〕からは数えようもない、広大なる地域の王権を〔為した〕。
35. わたしには、高く、インダの杖のように屹立する居所がある。千の柱があり、無比にして、光輝を有する天宮がある。
36. 〔天と人の〕二つの得達を受領して、白根に促され、わたしは、ゴータマ世尊の教えにおいて出家した。
37. 〔刻苦〕精励をもって自己を精励した者として、〔わたしは〕存している。寂静者となり、依り所なき者となり、象のように結縛を断ち切って、煩悩なき者となり、〔世に〕住む。
38. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。
かくのごとく、まさに、尊者ナラーガーリカ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──
ナラーガーリカ長老の行状が、第五となる。
35. 6. チャンパカプッピヤ長老の行状
39. ヒマヴァントの遠からざるところ、ジャーパラという名の山がある。スダッサナという名の覚者は、〔その〕山間に住んだ。
40. ヒマヴァントの花を収め取って、宙空を赴きつつ、わたしは見た──〔世俗の〕塵を離れる覚者を、激流を超え渡った煩悩なき方を。
41. そのとき、わたしは、七つのチャンパカの花を頭に為して、〔他に依らず〕自ら成る方に、偉大なる聖賢に、覚者に、献上した。
42. すなわち、〔わたしが〕花を献上した、これより、三十一カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、覚者の供養の果である。
43. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。
かくのごとく、まさに、尊者チャンパカプッピヤ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──
チャンパカプッピヤ長老の行状が、第六となる。
35. 7. パドゥマプージャカ長老の行状
44. ヒマヴァントの遠からざるところ、ローマサという名の山がある。サンバヴァという名の覚者もまた、そのとき、野外に住した。
45. 居所から出て、わたしは、蓮華を保持した。一日のあいだ、〔蓮華を〕保持して、ふたたび、居所に帰還した。
46. すなわち、〔わたしが〕花を献上した、これより、九十一カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、覚者の供養の果である。
47. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。
かくのごとく、まさに、尊者パドゥマプージャカ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──
パドゥマプージャカ長老の行状が、第七となる。
〔以上が〕第十三の朗読分となる。
35. 8. ティナムッティダーヤカ長老の行状
48. ヒマヴァントの遠からざるところ、ランバカという名の山がある。ウパティッサという名の正覚者は、野外において、歩行〔瞑想〕をした。
49. そのとき、鹿の猟師として〔世に〕存した──わたしは、林のなかにあり、森のなかにある。彼を、天の天たる方を、〔他に依らず〕自ら成る方を、〔一切に〕敗れることなき方を、見て──
50. 浄信した心で、そのとき、彼に、偉大なる聖賢に、覚者が坐ることを義(目的)として、わたしは、ひと握りの草を施した。
51. 天の天たる方を見て、より一層、心を浄信させた。正覚者を敬拝して、北に向かい立ち去った。
52. 赴くやいなや、長からずして、わたしを、獣の王が打ち倒した。獅子に打ち倒され、〔そのように〕存しつつ、そこにおいて、わたしは、命を終えたのだった。
53. 〔そこに〕坐った、最勝の覚者にたいし、煩悩なき方にたいし、わたしによって、〔善なる〕行為が為された。善く放たれた矢の勢いのように、わたしは、天の世に赴いた。
54. そこにおいて、浄美なる宮殿が、〔わたしに〕存した──功徳の行為によって化作されたものとして、千の射程があり、百の階があり、旗で飾られ、黄金で作られている〔宮殿〕が。
55. 昇り行く百光〔の太陽〕のように、その〔宮殿〕の光は放たれる。天の少女たちに取り囲まれ、わたしは、欲するままに欲する者となり、歓喜した。
56. 天の世から死滅して、白根に促され、人間たる〔境遇〕に至り着いて、煩悩の滅尽に至り得た者として〔世に〕存している。
57. わたしが、坐を施した、これより、九十四カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、ひと握りの草の果である。
58. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。
かくのごとく、まさに、尊者ティナムッティダーヤカ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──
ティナムッティダーヤカ長老の行状が、第八となる。
35. 9. ティンドゥカパラダーヤカ長老の行状
59. カニカーラ〔樹の花〕のように輝いている〔覚者〕を、山間に坐っている〔覚者〕を、〔わたしは〕見た──〔世俗の〕塵を離れる覚者を、激流を超え渡った煩悩なき方を。
60. 果実を有するティンドゥカ〔樹〕を見て、葉鞘と共に断ち切って、浄信した心の者となり、悦意の者となり、わたしは、〔他に依らず〕自ら成る方に施した。
61. すなわち、〔わたしが〕果実を施した、そのとき、これより、九十一カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、果実の布施の果である。
62. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。
かくのごとく、まさに、尊者ティンドゥカパラダーヤカ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──
ティンドゥカパラダーヤカ長老の行状が、第九となる。
35. 10. エーカンジャリヤ長老の行状
63. ローマサという名の正覚者は、そのとき、岸辺に住した。〔わたしは〕見た──〔世俗の〕塵を離れる覚者を、黄金色の光の太陽のような方を。
64. 溶炉の口のなかで精錬された〔黄金〕のような方に、カディラ〔樹〕の炭火の似姿ある方に、遍照する明星のような方に、わたしは、一なる合掌を為した。
65. すなわち、わたしが、合掌を為した、これより、九十四カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、合掌の果である。
66. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。
かくのごとく、まさに、尊者エーカンジャリヤ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──
エーカンジャリヤ長老の行状が、第十となる。
エーカパドゥミヤの章が、第三十五となる。
その〔章〕のための摂頌となる。
〔そこで、詩偈に言う〕「パドゥミン、ウッパラマーリン、ダジャ、キンカニカ、ナラ、チャンパカ、パドゥマ、ムッティ、そのように、ティンドゥカとエーカンジャリンがあり、分明なる者たちによって、そして、六十の詩偈が、さらに、六つ〔の詩偈〕が、数えられた」〔と〕。
36. サッダサンニャカの章
36. 1. サッダサンニャカ長老の行状
1. かつて、鹿の猟師として〔世に〕存した──わたしは、林のなかにあり、森のなかにある。そこにおいて、〔わたしは〕見た──天〔の神々〕たちの群れに囲まれた正覚者を。
2. 四つの真理を明示しながら、多くの人々を引き上げている〔覚者〕を〔見て〕、〔わたしは〕聞いた──カラヴィーカ〔鳥〕の鳴き声の如き、甘美なる言葉を。
3. 梵の声ある牟尼の、シキン〔世尊〕の、世の眷属たる方の、話し声にたいし、心を浄信させて、煩悩の滅尽に至り得た者として〔世に〕存している。
4. すなわち、〔わたしが〕行為を為した、そのとき、これより、三十一カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、浄信の果である。
5. 四つの融通無礙は〔実証され〕、そして、また、これらの八つの解脱も〔実証された〕。六つの神知は実証され、覚者の教えは為された。
かくのごとく、まさに、尊者サッダサンニャカ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──
サッダサンニャカ長老の行状が、第一となる。
36. 2. ヤヴァカラーピヤ長老の行状
6. アルナヴァティーの城市において、そのとき、〔わたしは〕麦刈りとして〔世に〕存した。道に、正覚者を見て、麦の束を敷き詰めた。
7. 慈しみ〔の思い〕ある方は、慈悲の者たる方は、シキン〔世尊〕は、世の至高の導き手たる方は、わたしの思惟を了知して、麦の敷物のうえに坐った。
8. 〔敷物のうえに〕坐った、〔世俗の〕垢を離れ清浄なる方を見て、偉大なる瞑想者にして導き手たる方を〔見て〕、歓喜〔の思い〕を生じさせて、そこにおいて、わたしは、命を終えたのだった。
9. すなわち、〔わたしが〕行為を為した、そのとき、これより、三十一カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、麦の敷物における果である。
10. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。
かくのごとく、まさに、尊者ヤヴァカラーピヤ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──
ヤヴァカラーピヤ長老の行状が、第二となる。
36. 3. キンスカプージャカ長老の行状
11. 花ひらいたキンスカ〔樹の花〕を見て、合掌を差し出して、シッダッタ覚者を思念して、虚空にたいし供養した。
12. すなわち、〔わたしが〕花を供養した、これより、九十四カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、覚者の供養の果である。
13. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。
かくのごとく、まさに、尊者キンスカプージャカ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──
キンスカプージャカ長老の行状が、第三となる。
36. 4. サコーサカコーランダダーヤカ長老の行状
14. そして、シキン〔世尊〕の、世の眷属たる方の、踏みしめられた足跡を見て、一つの肩に皮衣を掛けて、わたしは、最勝の足跡を敬拝した。
15. 花ひらいたコーランダ〔樹の花〕を見て、地に育つ植物を〔見て〕、葉鞘と共に収め取って、足跡の輪を供養した。
16. すなわち、〔わたしが〕行為を為した、そのとき、これより、三十一カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、足跡の供養の果である。
17. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。
かくのごとく、まさに、尊者サコーサカコーランダダーヤカ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──
サコーサカコーランダダーヤカ長老の行状が、第四となる。
36. 5. ダンダダーヤカ長老の行状
18. 森に、林に、入って行って、そのとき、わたしは、竹を断ち切って、支えとなる〔杖〕を作って、わたしは、僧団に施した。
19. その心の浄信によって、善き掟ある者たちを敬拝して、支えとなる〔杖〕をもまた施して、北に向かい立ち去った。
20. すなわち、〔わたしが〕杖を施した、そのとき、これより、九十四カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、杖の布施の果である。
21. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。
かくのごとく、まさに、尊者ダンダダーヤカ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──
ダンダダーヤカ長老の行状が、第五となる。
36. 6. アンバヤーグダーヤカ長老の行状
22. サタランシという名の正覚者は、〔他に依らず〕自ら成る方は、〔一切に〕敗れることなき方は、禅定から出起して、行乞〔の施食〕のために、わたしのもとへと近しく赴いた。
23. 独覚たる方を見て、わたしは、アンバ〔樹の果〕の粥を施した。浄信した意あるものを、彼のために、浄信した心で。
24. すなわち、〔わたしが〕行為を為した、そのとき、これより、九十四カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、アンバ〔樹の果〕の粥の果である。
25. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。
かくのごとく、まさに、尊者アンバヤーグダーヤカ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──
アンバヤーグダーヤカ長老の行状が、第六となる。
36. 7. スプタカプージャカ長老の行状
26. 昼の休息から出た、ヴィパッシン〔世尊〕は、世の導き手たる方は、彼は、行乞〔の施食〕のために渡り歩きつつ、わたしの現前へと近しく赴いた。
27. そののち、〔わたしは〕満足し、悦意の者となり、最勝の覚者のために、如なる方のために、善き袋詰めの塩を施して、わたしは、カッパのあいだ、天上において歓喜した。
28. すなわち、わたしが、袋を施した、これより、九十一カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、袋の果である。
29. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。
かくのごとく、まさに、尊者スプタカプージャカ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──
スプタカプージャカ長老の行状が、第七となる。
36. 8. マンチャダーヤカ長老の行状
30. ヴィパッシン世尊のために、世の最尊者にして如なる方のために、一なる臥床が、わたしによって施された──浄信した、命を有する者によって。
31. 象の乗物に、馬の乗物に、天の乗物に、〔わたしは〕正しく到達した。その臥床の布施によって、煩悩の滅尽に至り得た者として〔世に〕存している。
32. すなわち、〔わたしが〕臥床を施した、そのとき、これより、九十一カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、臥床の布施の果である。
33. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。
かくのごとく、まさに、尊者マンチャダーヤカ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──
マンチャダーヤカ長老の行状が、第八となる。
36. 9. サラナガマニヤ長老の行状
34. そのとき、そして、比丘は、さらに、アージーヴィカ(活命者・邪命外道)のわたしは、舟に乗った。舟が壊れつつあるとき、比丘は、帰依所を、わたしに与えた。
35. そして、すなわち、帰依所を、〔比丘が〕わたしに与えた、これより、三十一カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。帰依所に赴くことにおける果である。
36. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。
かくのごとく、まさに、尊者サラナガマニヤ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──
サラナガマニヤ長老の行状が、第九となる。
36. 10. ピンダパーティカ長老の行状
37. ティッサという名の正覚者が〔世に〕存した。そのとき、〔彼は〕森に住んだ。まさに、兜率〔天〕から、ここに到来して、わたしは、〔行乞の〕施食を施した。
38. ティッサという名の偉大なる福徳ある方を、正覚者を、敬拝して、自らの心を浄信させて、わたしは、兜率〔天〕に赴いた。
39. すなわち、〔わたしが〕布施を施した、そのとき、これより、九十二カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、〔行乞の〕施食の果である。
40. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。
かくのごとく、まさに、尊者ピンダパーティカ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──
ピンダパーティカ長老の行状が、第十となる。
サッダサンニャカの章が、第三十六となる。
その〔章〕のための摂頌となる。
〔そこで、詩偈に言う〕「サッダサンニン、ヤヴァシカ、キンスとコーランダプッピヤ、支えるもの、アンバヤーグ、スプティン、マンチャダーヤカ、サラナ、そして、ピンダパータがあり、そして、まさしく、四十の詩偈がある」〔と〕。
37. マンダーラヴァプッピヤの章
37. 1. マンダーラヴァプッピヤ長老の行状
1. 三十三〔天〕から、ここに到来して、マンガラという名の学徒として〔世に有った〕。マンダーラヴァ〔の花〕を収め取って、ヴィパッシン〔世尊〕の、偉大なる聖賢の──
2. 禅定によって坐っている方の、頭上に、わたしは保持した。七日のあいだ、〔花を〕保持して、天の世に、ふたたび赴いた。
3. すなわち、〔わたしが〕花を供養した、これより、九十一カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、覚者の供養の果である。
4. 四つの融通無礙は〔実証され〕、そして、また、これらの八つの解脱も〔実証された〕。六つの神知は実証され、覚者の教えは為された。
かくのごとく、まさに、尊者マンダーラヴァプッピヤ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──
マンダーラヴァプッピヤ長老の行状が、第一となる。
37. 2. カッカールプッピヤ長老の行状
5. 夜魔天から、ここに到来して、ゴータマ〔という名〕の至福の子牛たる方(独覚)に、カッカールの花飾を差し出して、覚者に献上した。
6. すなわち、〔わたしが〕花を供養した、これより、九十二カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、覚者の供養の果である。
7. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。
かくのごとく、まさに、尊者カッカールプッピヤ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──
カッカールプッピヤ長老の行状が、第二となる。
37. 3. ビサムラーラダーヤカ長老の行状
8. プッサという名の正覚者が、一切の法(事象)の彼岸に至る方が、〔世に〕存した。遠離を欲する方は、一切を知る方は、わたしの現前にやってきた。
9. 偉大なる慈悲者たる勝者にたいし、彼にたいし、心を浄信させて、蓮の根茎を差し出して、わたしは、最勝の覚者に施した。
10. すなわち、〔わたしが〕蓮根を施した、そのとき、これより、九十二カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、蓮根の布施の果である。
11. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。
かくのごとく、まさに、尊者ビサムラーラダーヤカ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──
ビサムラーラダーヤカ長老の行状が、第三となる。
37. 4. ケーサラプッピヤ長老の行状
12. ヒマヴァントの山において、そのとき、〔わたしは〕呪術師(婆羅門)として〔世に〕存した。〔わたしは〕見た──〔世俗の〕塵を離れる覚者を、歩行〔瞑想〕をしている偉大なる福徳ある方を。
13. そのとき、わたしは、三つのケーサラの花を、頭に為して、正覚者のもとへと近づいて行って、ヴェッサブー〔世尊〕を供養した。
14. すなわち、〔わたしが〕行為を為した、そのとき、これより、三十一カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、覚者の供養の果である。
15. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。
かくのごとく、まさに、尊者ケーサラプッピヤ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──
ケーサラプッピヤ長老の行状が、第四となる。
37. 5. アンコーラプッピヤ長老の行状
16. パドゥマという名の正覚者は、そのとき、チッタクータ〔山〕に住した。わたしは、彼を、覚者を、〔他に依らず〕自ら成る方を、〔一切に〕敗れることなき方を、見て──
17. そのとき、わたしは、花ひらいたアンコーラ〔樹の花〕を見て、摘み集めて、正覚者のもとへと近しく赴いて、パドゥマ〔世尊〕を、勝者を、供養した。
18. すなわち、〔わたしが〕花を供養した、これより、三十一カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、覚者の供養の果である。
19. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。
かくのごとく、まさに、尊者アンコーラプッピヤ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──
アンコーラプッピヤ長老の行状が、第五となる。
37. 6. カダンバプッピヤ長老の行状
20. 市場を赴きつつある、黄金の色艶ある正覚者を、価値ある黄金の似姿ある方を、三十二の優れた特相ある方を──
21. 優美なる高楼のうちに坐って、〔わたしは〕見た──世の導き手たる方を。カダンバの花を差し出して、ヴィパッシン〔世尊〕を供養した。
22. すなわち、〔わたしが〕覚者を供養した、これより、九十一カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、覚者の供養の果である。
23. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。
かくのごとく、まさに、尊者カダンバプッピヤ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──
カダンバプッピヤ長老の行状が、第六となる。
37. 7. ウッダーラカプッピヤ長老の行状
24. アノーマという名の正覚者は、そのとき、ガンガー〔川〕の岸辺に住した。ウッダーラカ〔の花〕を収め取って、〔一切に〕敗れることなき方を供養した。
25. すなわち、〔わたしが〕花を供養した、これより、三十一カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、覚者の供養の果である。
26. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。
かくのごとく、まさに、尊者ウッダーラカプッピヤ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──
ウッダーラカプッピヤ長老の行状が、第七となる。
37. 8. エーカチャンパカプッピヤ長老の行状
27. そして、寂静なる方は、正覚者は、山間に住する。一なるチャンパカ〔の花〕を携えて、最上の人たる方のもとへと近しく赴いた。
28. 浄信した心の者となり、悦意の者となり、最上の牟尼たる独者(独覚)のもとへと〔近しく赴いて〕、両の手で差し出して、〔一切に〕敗れることなき方を供養した。
29. すなわち、〔わたしが〕花を供養した、これより、六十五カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、覚者の供養の果である。
30. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。
かくのごとく、まさに、尊者エーカチャンパカプッピヤ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──
エーカチャンパカプッピヤ長老の行状が、第八となる。
37. 9. ティミラプッピヤ長老の行状
31. チャンダバーガー川の岸辺において、わたしは、流れ沿いに行く。〔わたしは〕見た──〔世俗の〕塵を離れる覚者を、咲き誇るサーラ〔樹〕の王のような方を。
32. 浄信した心の者となり、悦意の者となり、最上の牟尼たる独者のもとへと〔近しく赴いて〕、ティミラ〔樹〕の花を収め取って、わたしは、〔覚者の〕頭上に振りまいた。
33. すなわち、〔わたしが〕花を供養した、これより、九十一カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、覚者の供養の果である。
34. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。
かくのごとく、まさに、尊者ティミラプッピヤ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──
ティミラプッピヤ長老の行状が、第九となる。
37. 10. サララプッピヤ長老の行状
35. チャンダバーガー川の岸辺において、そのとき、〔わたしは〕妖精として〔世に〕有った。そこにおいて、〔わたしは〕見た──歩行〔瞑想〕をしている、人の雄牛たる方を、天の天たる方を。
36. サララの花を摘み集めて、わたしは、覚者に施した。偉大なる勇者は、天の香りあるサララ〔の花〕を近しく嗅いだ。
37. 納受して〔そののち〕、正覚者は、ヴィパッシン〔世尊〕は、世の導き手たる方は、偉大なる勇者は、〔サララの花を〕近しく嗅いだ──〔覚者を〕注視しながら、〔そのように〕存している、わたしのために。
38. 浄信した心の者となり、悦意の者となり、最上の二足者たる方を敬拝して、合掌を差し出して、ふたたび、山に登った。
39. すなわち、〔わたしが〕花を供養した、これより、九十一カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、覚者の供養の果である。
40. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。
かくのごとく、まさに、尊者サララプッピヤ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──
サララプッピヤ長老の行状が、第十となる。
マンダーラヴァプッピヤの章が、第三十七となる。
その〔章〕のための摂頌となる。
〔そこで、詩偈に言う〕「そして、マンダーラヴァ、カッカール、ビサとケーサラプッピヤ、アンコーラカ、そして、カダンビン、ウッダーリン、エーカチャンパカ、ティミラ、まさしく、そして、サララがあり、そして、まさしく、四十の詩偈がある」〔と〕。
38. ボーディヴァンダナの章
38. 1. ボーディヴァンダカ長老の行状
1. 緑あざやかなパータリー〔樹〕を見て、地に育つ植物を〔見て〕、一つの肩に〔衣料を掛けて〕、合掌を為して、わたしは、パータリー〔樹〕を敬拝した。
2. 合掌を差し出して、意を重きものと為して、内に清浄にして外に清浄なる方を、善き解脱者にして煩悩なき方を──
3. ヴィパッシン〔世尊〕を、世〔の人々〕に敬される方を、慈悲と知恵の海洋たる方を──面前の正覚者を〔敬拝する〕ように、わたしは、パータリー〔樹〕を敬拝した。
4. すなわち、わたしが、菩提〔樹〕を敬拝した、これより、九十一カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、敬拝の果である。
5. 四つの融通無礙は〔実証され〕、そして、また、これらの八つの解脱も〔実証された〕。六つの神知は実証され、覚者の教えは為された。
かくのごとく、まさに、尊者ボーディヴァンダカ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──
ボーディヴァンダカ長老の行状が、第一となる。
38. 2. パータリプッピヤ長老の行状
6. ヴィパッシンという名の世尊は、〔他に依らず〕自ら成る方は、至高の人たる方は、徒弟たちに囲まれ、勝者は、バンドゥマー(バンドゥマティー)に入った。
7. 三つのパータリー〔樹〕の花が、わたしの腰〔の袋〕に据え置かれた。わたしは、まさしく、頭を洗うことを欲し、川の水浴場に赴いた。
8. バンドゥマティーから出て、〔わたしは〕見た──世の導き手たる方を、青蓮のように光り輝く方を、献火のように燃え盛る方を──
9. 最も優れた虎や雄牛のような方を、善き生まれの獅子のような方を、比丘の僧団に囲まれ、赴きつつある、沙門たちのなかの至高者たる方を。
10. 彼にたいし、善き至達者たる方にたいし、〔心の〕汚れと〔世俗の〕垢を洗い清める方にたいし、浄信した者となり、三つの花を収め取って、最勝の覚者を供養した。
11. すなわち、〔わたしが〕花を供養した、これより、九十一カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、覚者の供養の果である。
12. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。
かくのごとく、まさに、尊者パータリプッピヤ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──
パータリプッピヤ長老の行状が、第二となる。
38. 3. ティーヌッパラマーリヤ長老の行状
13. チャンダバーガー川の岸辺において、そのとき、〔わたしは〕猿として〔世に〕有った。〔わたしは〕見た──〔世俗の〕塵を離れる覚者を、山間に坐っている〔覚者〕を。
14. 全ての方角を照らしている方を、咲き誇るサーラ〔樹〕の王のような方を、〔三十二の〕特相と〔八十の〕特徴を具した方を、見て、わたしは、わが意を得た者となり──
15. 勇躍する心の者となり、悦意の者となり、喜悦〔の思い〕によって、欣喜の意図ある者となり、三つの青蓮の花を、〔覚者の〕頭上に献上した。
16. わたしは、プッサ〔世尊〕に、偉大なる聖賢に、〔三つの青蓮の〕花を供養して、尊重〔の思い〕を有する者と成って、北に向かい立ち去った。
17. 浄信した心で、〔身を〕屈め、去り行きつつ、岩の間に落ちて、生命の滅尽に至り得た。
18. その善行の行為によって、さらに、諸々の思欲による誓願によって、以前の生を捨棄して〔そののち〕、わたしは、三十三〔天〕に赴いた。
19. そして、三百回、天の王権を為した。そして、五百回、わたしは、転輪〔王〕と成った。
20. すなわち、〔わたしが〕花を供養した、これより、九十二カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、覚者の供養の果である。
21. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。
かくのごとく、まさに、尊者ティーヌッパラマーリヤ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──
ティーヌッパラマーリヤ長老の行状が、第三となる。
38. 4. パッティプッピヤ長老の行状
22. すなわち、正覚者が、偉大なる聖賢が、パドゥムッタラ〔世尊〕が、涅槃に到達したとき、全ての人たちが集いあつまって、彼らは、〔覚者の〕肉体を運び出す。
23. 〔覚者の〕肉体が運び出され、諸々の太鼓が奏でられるなか、浄信した心の者となり、悦意の者となり、パッティの花を供養した。
24. すなわち、〔わたしが〕花を供養した、これより、十万カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。〔覚者の〕供養された肉体における果である。
25. わたしの、諸々の〔心の〕汚れは焼尽し、一切の〔迷いの〕生存は完破された。象のように結縛を断ち切って、煩悩なき者となり、〔世に〕住む。
26. わたしにとって、まさに、善き訪問として存した──わたしにとって、覚者の現前にあることは。三つの明知は獲得され、覚者の教えは為された。
27. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。
かくのごとく、まさに、尊者パッティプッピヤ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──
パッティプッピヤ長老の行状が、第四となる。
38. 5. サッタパンニヤ長老の行状
28. スマナという名の正覚者が、世の導き手たる方が、〔世に〕生起した。浄信した心の者となり、悦意の者となり、サッタパンニ〔樹〕を供養した。
29. 〔わたしが〕サッタパンニ〔樹〕を供養した、これより、十万カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、サッタパンニ〔樹〕の供養の果である。
30. わたしの、諸々の〔心の〕汚れは焼尽し……略……煩悩なき者となり、〔世に〕住む。
31. わたしにとって、まさに、善き訪問として存した……略……覚者の教えは為された。
32. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。
かくのごとく、まさに、尊者サッタパンニヤ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──
サッタパンニヤ長老の行状が、第五となる。
38. 6. ガンダムッティヤ長老の行状
33. 〔覚者の〕荼毘の薪山が作られているなか、種々なる香料が集められたとき、浄信した心の者となり、悦意の者となり、ひと握りの香料を供養した。
34. すなわち、〔わたしが〕荼毘の薪山を供養した、これより、十万カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、荼毘の薪山の供養の果である。
35. わたしの、諸々の〔心の〕汚れは焼尽し……略……煩悩なき者となり、〔世に〕住む。
36. わたしにとって、まさに、善き訪問として存した……略……覚者の教えは為された。
37. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。
かくのごとく、まさに、尊者ガンダムッティヤ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──
ガンダムッティヤ長老の行状が、第六となる。
38. 7. チタカプージャカ長老の行状
38. 水に生じる最上のものを名とする方が、〔パドゥムッタラ〕世尊が、完全なる涅槃に到達し、荼毘の薪山に載せられたとき、サーラ〔樹〕の花を供養した。
39. すなわち、〔わたしが〕花を供養した、これより、十万カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、荼毘の薪山の供養の果である。
40. わたしの、諸々の〔心の〕汚れは焼尽し……略……煩悩なき者となり、〔世に〕住む。
41. わたしにとって、まさに、善き訪問として存した……略……覚者の教えは為された。
42. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。
かくのごとく、まさに、尊者チタカプージャカ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──
チタカプージャカ長老の行状が、第七となる。
38. 8. スマナターラヴァンティヤ長老の行状
43. シッダッタ世尊のために、わたしは、ターラ〔樹〕の扇を施した。スマナ〔の花々〕によって覆われた高価なる〔扇〕を、〔覚者のために〕保持する。
44. わたしが、ターラ〔樹〕の扇を施した、これより、九十四カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、ターラ〔樹〕の扇の果である。
45. わたしの、諸々の〔心の〕汚れは焼尽し……略……煩悩なき者となり、〔世に〕住む。
46. わたしにとって、まさに、善き訪問として存した……略……覚者の教えは為された。
47. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。
かくのごとく、まさに、尊者スマナターラヴァンティヤ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──
スマナターラヴァンティヤ長老の行状が、第八となる。
38. 9. スマナダーミヤ長老の行状
48. シッダッタ世尊のために、沐浴者にして苦行者たる方のために、スマナの花環を作って、〔覚者の〕前に立ち、〔覚者のために〕保持した。
49. すなわち、〔わたしが〕花環を保持した、そのとき、これより、九十四カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、スマナ〔の花環〕の保持における果である。
50. わたしの、諸々の〔心の〕汚れは焼尽し……略……煩悩なき者となり、〔世に〕住む。
51. わたしにとって、まさに、善き訪問として存した……略……覚者の教えは為された。
52. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。
かくのごとく、まさに、尊者スマナダーミヤ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──
スマナダーミヤ長老の行状が、第九となる。
38. 10. カースマーリパラダーヤカ長老の行状
53. カニカーラ〔樹の花〕のように輝いている〔覚者〕を、山間に坐っている〔覚者〕を、〔わたしは〕見た──〔世俗の〕塵を離れる覚者を、世の最尊者にして人の雄牛たる方を。
54. 浄信した心の者となり、悦意の者となり、頭に合掌を為して、カースマーリー〔樹〕の果実を収め取って、わたしは、最勝の覚者に施した。
55. すなわち、わたしが、果実を施した、これより、三十一カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、果実の布施の果である。
56. わたしの、諸々の〔心の〕汚れは焼尽し……略……煩悩なき者となり、〔世に〕住む。
57. わたしにとって、まさに、善き訪問として存した……略……覚者の教えは為された。
58. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。
かくのごとく、まさに、尊者カースマーリパラダーヤカ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──
カースマーリパラダーヤカ長老の行状が、第十となる。
ボーディヴァンダナの章が、第三十八となる。
その〔章〕のための摂頌となる。
〔そこで、詩偈に言う〕「ボーディ、パータリ、ウッパリン、そして、パッティ、サッタパンニヤ、そして、ガンダムッティ、チタカ、ターラ、スマナダーマカ、まさしく、そして、カースマーリパリンがあり、五十九の詩偈がある」〔と〕。
39. アヴァタパラの章
39. 1. アヴァタパラダーヤカ長老の行状
1. サタランシという名の世尊は、〔他に依らず〕自ら成る方は、〔一切に〕敗れることなき方は、遠離を欲する正覚者は、托鉢のために出た。
2. 〔覚者を〕見て、わたしは、果実を手に、人の雄牛たる方のもとへと近しく赴いた。浄信した心の者となり、悦意の者となり、アヴァタ〔樹〕の果実を施した。
3. すなわち、わたしが、果実を施した、これより、九十四カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、果実の布施の果である。
4. わたしの、諸々の〔心の〕汚れは焼尽し、一切の〔迷いの〕生存は完破された。象のように結縛を断ち切って、煩悩なき者となり、〔世に〕住む。
5. わたしにとって、まさに、善き訪問として存した──わたしにとって、覚者の現前にあることは。三つの明知は獲得され、覚者の教えは為された。
6. 四つの融通無礙は〔実証され〕、そして、また、これらの八つの解脱も〔実証された〕。六つの神知は実証され、覚者の教えは為された。
かくのごとく、まさに、尊者アヴァタパラダーヤカ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──
アヴァタパラダーヤカ長老の行状が、第一となる。
39. 2. ラブジャダーヤカ長老の行状
7. バンドゥマティーの城市において、そのとき、〔わたしは〕園丁として〔世に〕存した。〔わたしは〕見た──〔世俗の〕塵を離れる覚者を、〔天高く〕曲がりなき風のなかを赴きつつある〔覚者〕を。
8. ラブジャ〔樹〕の果実を収め取って、わたしは、最勝の覚者に施した。虚空において止住し、〔そのように〕存しつつ、偉大なる福徳ある方は、〔それを〕納受した。
9. わたしに歓悦〔の思い〕を生み、所見の法(現世)における安楽をもたらす、〔ラブジャ樹の〕果実を、覚者に施して、浄信した心で──
10. そのとき、〔わたしは〕喜悦〔の思い〕に到達した──さらに、広大なる最上の安楽に。そこかしこにおいて、〔わたしが〕発現したなら、まさしく、宝玉が生起する。
11. すなわち、〔わたしが〕果実を施した、そのとき、これより、九十一カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、果実の布施の果である。
12. わたしの、諸々の〔心の〕汚れは焼尽し……略……煩悩なき者となり、〔世に〕住む。
13. わたしにとって、まさに、善き訪問として存した……略……覚者の教えは為された。
14. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。
かくのごとく、まさに、尊者ラブジャダーヤカ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──
ラブジャダーヤカ長老の行状が、第二となる。
39. 3. ウドゥンバラパラダーヤカ長老の行状
15. ヴィナター川の岸辺において、最上の人士たる方は〔世に〕住んだ。〔わたしは〕見た──〔世俗の〕塵を離れる覚者を、〔心が〕一境に善く定められた〔覚者〕を。
16. 彼にたいし、〔心の〕汚れと〔世俗の〕垢を洗い清める方にたいし、浄信した意図ある者となり、ウドゥンバラ〔樹〕の果実を収め取って、わたしは、最勝の覚者に施した。
17. すなわち、〔わたしが〕果実を施した、そのとき、これより、九十一カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、果実の布施の果である。
18. わたしの、諸々の〔心の〕汚れは焼尽し……略……煩悩なき者となり、〔世に〕住む。
19. わたしにとって、まさに、善き訪問として存した……略……覚者の教えは為された。
20. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。
かくのごとく、まさに、尊者ウドゥンバラパラダーヤカ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──
ウドゥンバラパラダーヤカ長老の行状が、第三となる。
39. 4. ピラッカパラダーヤカ長老の行状
21. 林の外れにおいて、アッタダッシン〔世尊〕を、偉大なる福徳ある方を、覚者を、見て、浄信した心の者となり、悦意の者となり、ピラッカ〔樹〕の果実を施した。
22. すなわち、〔わたしが〕果実を施した、そのとき、千八百カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、果実の布施の果である。
23. わたしの、諸々の〔心の〕汚れは焼尽し……略……煩悩なき者となり、〔世に〕住む。
24. わたしにとって、まさに、善き訪問として存した……略……覚者の教えは為された。
25. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。
かくのごとく、まさに、尊者ピラッカパラダーヤカ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──
ピラッカパラダーヤカ長老の行状が、第四となる。
39. 5. パールサパラダーヤカ長老の行状
26. 黄金の色艶ある正覚者が、諸々の捧げものの納受者たる方が、道を行きつつあるのを〔見て〕、パールサ〔樹〕の果実を、わたしは施した。
27. すなわち、わたしが、果実を施した、これより、九十一カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、果実の布施の果である。
28. わたしの、諸々の〔心の〕汚れは焼尽し……略……煩悩なき者となり、〔世に〕住む。
29. わたしにとって、まさに、善き訪問として存した……略……覚者の教えは為された。
30. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。
かくのごとく、まさに、尊者パールサパラダーヤカ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──
パールサパラダーヤカ長老の行状が、第五となる。
39. 6. ヴァッリパラダーヤカ長老の行状
31. そのとき、全ての人たちが集いあつまって、林に赴いた。そのとき、彼らは、果実を探し求めながら、果実を得た。
32. そこにおいて、〔わたしは〕見た──正覚者を、〔他に依らず〕自ら成る方を、〔一切に〕敗れることなき方を。浄信した心の者となり、悦意の者となり、わたしは、ヴァッリ〔樹〕の果実を施した。
33. すなわち、〔わたしが〕果実を施した、そのとき、これより、三十一カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、果実の布施の果である。
34. わたしの、諸々の〔心の〕汚れは焼尽し……略……煩悩なき者となり、〔世に〕住む。
35. わたしにとって、まさに、善き訪問として存した……略……覚者の教えは為された。
36. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。
かくのごとく、まさに、尊者ヴァッリパラダーヤカ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──
ヴァッリパラダーヤカ長老の行状が、第六となる。
39. 7. カダリパラダーヤカ長老の行状
37. カニカーラ〔樹の花〕のように輝いている〔覚者〕を、満月の月のような方を、光り輝いている灯明台のような方を、世の導き手たる方を、〔わたしは〕見た。
38. カダリー〔樹〕の果実を差し出して、わたしは、教師に施した。浄信した心の者となり、悦意の者となり、〔覚者を〕敬拝して、立ち去った。
39. すなわち、〔わたしが〕果実を施した、そのとき、これより、三十一カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、果実の布施の果である。
40. わたしの、諸々の〔心の〕汚れは焼尽し……略……煩悩なき者となり、〔世に〕住む。
41. わたしにとって、まさに、善き訪問として存した……略……覚者の教えは為された。
42. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。
かくのごとく、まさに、尊者カダリパラダーヤカ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──
カダリパラダーヤカ長老の行状が、第七となる。
39. 8. パナサパラダーヤカ長老の行状
43. アッジュナという名の正覚者は、そのとき、ヒマヴァントに住した──かつまた、行ないを成就し、禅定に巧みな智ある牟尼は。
44. 瓶ほどのパナサ〔樹の果実〕とジーヴァジーヴァカ〔樹の花〕を収め取って、傘の葉に据え置いて、わたしは、教師に施した。
45. すなわち、〔わたしが〕果実を施した、そのとき、これより、三十一カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、果実の布施の果である。
46. わたしの、諸々の〔心の〕汚れは焼尽し……略……煩悩なき者となり、〔世に〕住む。
47. わたしにとって、まさに、善き訪問として存した……略……覚者の教えは為された。
48. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。
かくのごとく、まさに、尊者パナサパラダーヤカ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──
パナサパラダーヤカ長老の行状が、第八となる。
39. 9. ソーナ・コーティヴィーサ長老の行状
49. ヴィパッシン〔世尊〕の〔聖なる〕言葉あるとき、わたしによって、一なる住房が作られた──四方の僧団のために、バンドゥマーの王都において。
50. 住房の地を、諸々の布地をもって敷き詰めて、〔僧団に〕遍捨した。勇躍する心の者となり、悦意の者となり、そのとき、誓願を為した。
51. 「正覚者を喜ばすのだ。そして、わたしは、出家を得るのだ。そして、無上なる涅槃を、最上の寂静を、体得するのだ」〔と〕。
52. まさしく、その白根によって、九十カッパのあいだ、〔わたしは〕輪廻した。天〔の神〕と成った者として、さらに、人間として、〔過去に〕作り為した功徳ある者として、わたしは遍照した。
53. そののち、残りの行為〔の果〕によって、ここに、最後の生存において、チャンパーにおける至高の長者の独り子として生まれ、〔わたしは〕存している。
54. 生まれたばかりのわたしの〔声を〕聞いて、父に、この欲〔の思い〕が有った。「わたしは、童子に、欠くことなく二十コーティ(倶胝:数の単位・一千万)〔の財〕を与えるのだ」〔と〕。
55. さらに、四指〔の長さ〕ある諸々の毛が、わたしの両の足の裏に生じたのだった──繊細にして柔和なる感触の、木綿に等しき浄美なる〔諸々の毛〕が。
56. 過去の九十カッパも、そして、この、さらなる一〔カッパ〕も、敷物なき地のうえに〔両の〕足が置かれたことを、〔わたしは〕証知しない。
57. 正覚者は、わたしによって喜ばされ、〔わたしは、家から〕家なきへと出家した。そして、阿羅漢の資質は、わたしの至り得るところとなり、〔心が〕清涼と成った者として、涅槃に到達した者として、〔わたしは〕存している。
58. 精進に励む者たちのなかの至高の者と、一切を見る方によって釈示され、煩悩の滅尽者たる阿羅漢として、六つの神知ある者として、大いなる神通ある者として、〔わたしは〕存している。
59. すなわち、〔わたしが〕布施を施した、そのとき、これより、九十一カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、住房の布施の果である。
60. わたしの、諸々の〔心の〕汚れは焼尽し……略……煩悩なき者となり、〔世に〕住む。
61. わたしにとって、まさに、善き訪問として存した……略……覚者の教えは為された。
62. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。
63. ソーナ・コーティヴィーサ長老は、比丘の僧団を前にして、問いを尋ねられた者として説き明かした──アノータッタの大池において。ということで──
かくのごとく、まさに、尊者ソーナ・コーティヴィーサ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──
ソーナ・コーティヴィーサ長老の行状が、第九となる。
39. 10. 過去の行為の切れ端〔という名〕の覚者の行状
64. アノータッタの池の近く、喜ばしき岩床において──種々なる宝玉の光のなか、種々なる香りある林間において──
65. 大いなる比丘の僧団に取り囲まれた、世の導き手たる方は、そこにおいて、坐り、自己の諸々の過去の行為を説き明かした。
66. 〔ゴータマ世尊は言った〕「比丘たちよ、わたしの〔言葉を〕聞きなさい──すなわち、わたしによって作り為された〔過去の〕行為〔の報い〕を。覚者たることにおいてもまた、切れ端の行為であれ、〔その報いは〕成熟する。
39. 10. 1.
67. 過去における諸他の生において、わたしは、ムナーリという名の質の悪い者として〔世に有った〕。スラビ〔という名〕の汚れなき独覚を誹謗した。
68. その行為の報いによって、地獄において、長きにわたり輪廻した。幾千年のあいだ、苦痛の感受を感受した。
69. その行為の残り〔の報い〕によって、ここに、最後の生存において、誹謗が、わたしによって得られた──〔女性遍歴遊行者の〕スンダリーの身体を契機として。
39. 10. 2.
70. ナンダという名の、一切を征服する覚者の弟子が〔世に〕存した。彼を誹謗して、地獄において、長きにわたり、わたしによって輪廻するところとなった。
71. 一万年のあいだ、地獄において、長きにわたり輪廻した。人間の状態を得て〔そののち〕、わたしは、多くの誹謗を得た。
72. その行為の残り〔の報い〕によって、女学生のチンチャーは、わたしを、人の衆を前にして、事実ならざることによって誹謗した。
39. 10. 3.
73. わたしは、〔他者に〕尊敬され供養される、聞ある婆羅門として〔世に〕存した。大いなる林において、諸々の呪文を、五百の学徒たちに教授する。
74. そこにやってきたのが、恐ろしき聖賢である。五つの神知ある者にして大いなる神通ある者である。そして、わたしは、彼がやってきたのを見て、汚れなき者を誹謗した。
75. そののち、わたしは、徒弟たちに説いた。『この聖賢は、欲望の享受者である』〔と〕。語っているわたしにまた、学徒たちは随喜した。
76. そののち、学生たちは、全ての者たちが、家々を行乞しながら、大勢の人に言った。『この聖賢は、欲望の享受者である』〔と〕。
77. その行為の報いによって、これらの五百の比丘たちは、全ての者たちが、誹謗を得た──〔女性遍歴遊行者の〕スンダリーの身体を契機として。
39. 10. 4.
78. 過去において、わたしは、異母の兄弟を、財を因として殺した。山の難所に放り投げ、そして、石で砕いた。
79. その行為の報いによって、デーヴァダッタは、岩を投げ、石粒が、わたしの足の指を傷つけた。
39. 10. 5.
80. かつて、わたしは、少年として〔世に〕有って、大道で遊びながら、独覚を見て、道に木片を投げた。
81. その行為の報いによって、ここに、最後の生存において、デーヴァダッタは、わたしの殺戮を義(目的)として、悪漢たちを使用した。
39. 10. 6.
82. かつて、〔わたしは〕象兵として〔世に〕存した。最上の牟尼たる独者を、〔行乞の〕食のために渡り歩いている彼を、わたしは、象で攻撃した。
83. その行為の報いによって、迷走する象のナーラーギリは、ギリッバジャ(ラージャガハの別名)の優れた都において、凶悪となり、〔わたしのもとへと〕正しく至り着いた。
39. 10. 7.
84. わたしは、パッティヴァ王として〔世に〕存し、刃で人を殺した。その行為の報いによって、地獄において、激しく煮られた。
85. その行為の残り〔の報い〕によって、今や、わたしの足の表皮全体が固くなった。まさに、行為〔の報い〕は消失しない。
39. 10. 8.
86. わたしは、漁師の村において、若輩の漁師として〔世に〕有った。殺された魚たちを見て、〔心に〕悦意を生じさせた。
87. その行為の報いによって、わたしに、頭痛が有った──ヴィタトゥーバ〔王〕が、〔釈迦族の者たちを〕殺し、そして、全ての釈迦〔族〕の者たちが殺された、そのとき。
39. 10. 9.
88. プッサ〔世尊〕の、諸々の〔聖なる〕言葉を、弟子たちを、わたしは誹謗した。『麦を喰え、食べよ。そして、諸々の米を食べてはならない』〔と〕。
89. その行為の報いによって、三月のあいだ、麦が、〔わたしの〕喰うところとなった──婆羅門に招かれ、異境に住した、そのとき。
39. 10. 10.
90. 相撲の競技において、〔わたしは〕マッラ族の者を傷つけた。その行為の報いによって、わたしに、背の苦痛が有った。
39. 10. 11.
91. わたしは、医師として〔世に〕存し、長者の子を下痢させた。その行為の報いによって、わたしに、下痢が有る。
39. 10. 12.
92. そのとき、ジョーティパーラ〔という名〕のわたしは、善き至達者たるカッサパ〔世尊〕に説いた。『いったい、どうして、覚りが、最高に得難い覚り〔の境地〕が、剃髪者にあるというのだ』〔と〕。
93. その行為の報いによって、多くの為し難き〔道〕を歩んだ──六年のあいだ、ウルヴェーラーにおいて。そののち、〔わたしは〕覚りに至り得たが──
94. わたしは、この〔苦行の〕道によって、最上の覚りに至り得なかった。過去の行為〔の報い〕によって妨げられ、邪道によって、〔覚りを〕探し求めた。
95. 善と悪〔の行為の果〕は完全に滅尽し、一切の熱苦は回避された。憂いなく、葛藤なく、煩悩なき者として、涅槃に到達するであろう」〔と〕。
96. このように、勝者は説き明かした──比丘の僧団を前にして、一切の神知の力に至り得た方は、アノータッタの大池において。
かくのごとく、まさに、世尊は、自己の過去の行ないを、行為の切れ端という名の覚者の行状を、法(教え)の教相として語った。ということで──
過去の行為の切れ端という名の覚者の行状が、第十となる。
アヴァタパラの章が、第三十九となる。
その〔章〕のための摂頌となる。
〔そこで、詩偈に言う〕「アヴァタ、まさしく、そして、ラブジャ、そして、ウドゥンバラとピラック、パール、そして、ヴァッリン、カダリン、パナサ、コーティヴィーサカ──
そして、過去の行為の切れ端〔という名〕の、偉大なる聖賢の行状があり、分明なる者たちによって、九十一の詩偈が数えられた」〔と〕。
以上が第十四の朗読分となる。
40. ピリンダヴァッチャの章
40. 1. ピリンダヴァッチャ長老の行状
1. ハンサヴァティーの城市において、わたしは、門番として〔世に〕存した。揺るぎなく無量なる財物が、わたしの家に蓄積された。
2. 静所に赴き、〔そこに〕坐って、〔自己の〕意図に欣喜して、優美なる高楼のうちに坐って、そのとき、わたしは、このように思い考えた。
40. 1. 1. 思弁の行相
3. 「多くの財物が、わたしによって到達するところとなった。わたしには、栄える内宮がある。地のイッサラたるアーナンダ王もまた、〔覚者を〕招請した。
4. そして、この方が、覚者として、〔世に〕生起したのだ──〔他に依らず〕自発的に生起する者として、牟尼たる方が。そして、わたしには、諸々の財物が等しく見出される。教師に、布施を施すのだ。
5. パドゥマ王子によって、勝者にたいし、優れた布施が施された──そして、巨象のうえに、さらに、長椅子のうえに、〔僧団が〕依拠するものとして、少なからざる〔布施〕が。
6. わたしもまた、布施を施すのだ──最上の優れた衆徒である僧団にたいし。過去に施されたことなき〔布施〕を〔施し〕、他者たちのなかの最初の行為者と成るのだ」〔と〕。
7. 〔まさに〕その〔わたし〕にとって安楽の果となる、供物について、わたしは、多くの種類のことを思い考えて、必需品の布施を、わたしの思惟を満たすものと見た。
8. 〔わたしは思い考えた〕「諸々の必需品を施すのだ──最上の優れた衆徒である僧団にたいし。過去に施されたことなき〔布施〕を〔施し〕、他者たちのなかの最初の行為者と成るのだ」〔と〕。
40. 1. 2. 布施の事物の成就
9. 葦職人たちのもとへと近しく赴いて、まさしく、ただちに、傘蓋を作らせた。十万の傘蓋を一つに集めた。
10. 十万の布地を一つに集めた。十万の鉢を一つに集めた。
11. 諸々の剃刀を、そして、また、諸々の小刀を、諸々の針を、諸々の爪切りを、それに至当なるものとして作らせて、傘蓋の下に据え置いた。
12. 諸々の扇ぐものとしてターラ〔樹〕の扇を、そして、諸々の孔雀の団扇の払子(ほっす)を、諸々の濾過器を、諸々の油容器を、それに至当なるものとして作らせた。
13. 諸々の針箱を、諸々の肩紐を、さらに、また、諸々の腰帯を、そして、諸々の見事に作られた置き台を、それに至当なるものとして作らせた。
14. そして、諸々の食器を、さらに、また、諸々の銅の小皿を、諸々の医薬品を満たして、わたしは、傘蓋の下に据え置いた。
15. 菖蒲を、香根を、甘草を、諸々の胡椒を、そして、諸々の黒胡椒を、薬果を、生姜を──全てを、器に満たした。
16. 諸々の履物を、諸々の靴を、さらに、諸々の手拭いを、諸々の見事に作られた歩杖を、それに至当なるものとして作らせた。
17. そして、諸々の薬草と塗薬の筒を、諸々の法(規則)にかなう上等の短筒を、諸々の鍵を、五色〔の糸〕で縫われた諸々の鍵袋を──
18. 諸々の結び付けるものを、そして、諸々の煙筒を、さらに、また、諸々の灯明台を、そして、諸々の桶を、そして、諸々の箱を、それに至当なるものとして作らせた。
19. 諸々の毛抜きを、まさしく、そして、諸々の鋏を、さらに、また、諸々の垢取りを、まさしく、そして、諸々の医薬品袋を、それに至当なるものとして作らせた。
20. 諸々の坐床を、そして、諸々の椅子を、諸々の精巧に作られている長椅子を、それに至当なるものとして作らせて、わたしは、傘蓋の下に据え置いた。
21. 諸々の羊毛の敷布を、諸々の綿毛の敷布を、さらに、また、諸々の椅子の敷布を、そして、諸々の見事に作られた枕を、それに至当なるものとして作らせた。
22. 諸々の粉石鹸を、諸々の蜜蝋を、油を、手焙りを、諸々の清らかなる果皮と木板を、そして、敷物とともに臥床を──
23. 諸々の臥坐具を、諸々の足拭きを、諸々の臥坐の棒を、そして、諸々の楊枝を、諸々の匙を、諸々の頭に塗る香料を──
24. 諸々の火起こしを、そして、諸々の藁台を、諸々の鉢と蓋と小皿を、そして、諸々の水碗を、傷に付ける塗粉を──
25. 箒(ほうき)を、水鉢を、そのように、雨具を、坐具を、疥癬を覆う衣を、さらに、内衣を──
26. 諸々の上衣たる大衣を、鼻拭きを、顔拭きを、そして、沢山の酸粥の塩を、そして、蜜を、乳酪の飲み物を──
27. 薫香を、蝋を、そして、布切れを、顔を拭う糸を、それが、まさに、施すべきものとして存するなら、かつまた、それが、教師に適確であるなら──
28. この全てを集めて、〔わたしは〕アーナンダ〔王〕のもとへと近づいて行った。王のもとへと近づいて行って、偉大なる聖賢の父(アーナンダ王)を、頭をもって敬拝して、この言葉を説いた。
40. 1. 3. 布施の機会の乞い求め
29. 〔わたしは言った〕「一緒に生まれ育ち、両者の意は一緒にあり、相通じる者たちであり、そして、楽苦においては、両者ともに従い転じ行く者たちです。
30. 敵を調御する者よ、あなたに、貯め置かれるべきものとして心の苦しみが存し、士族よ、すなわち、その苦しみを除去できるなら──
31. 『あなたの苦しみは、わたしの苦しみであり、両者の意は一緒にあり、〔苦しみは〕終わったのだ』と識知したまえ。それで、もし、わたしに、貯め置かれるべきものとして〔心の苦しみが〕あるなら、あなたは──
32. 大王よ、まさに、知りたまえ──わたしの苦しみは、除去し難きものと。叫びたまえ──多くある者として、〔そのように〕存しつつも、あなたには、施捨し難きものとして、一つの優れたものがあります。
33. 〔あなたは言いました〕『領土に存する、そのかぎり──わたしに生命がある、そのかぎり──すなわち、これらのものによって、あなたに義(利益)があるなら、動揺することなく、〔あなたに〕施すであろう』〔と〕。
34. 陛下よ、まさに、あなたによって叫ばれた〔言葉〕です。その多くが、誤って叫ばれたのです。今日、〔わたしは〕知るでしょう──あなたのことを、一切の法(正義)において確立した者と」〔と〕。
35. 〔王が言った〕「〔あなたは〕極めて甚だしく責め苛む──〔常に〕施している者として存している、わたしを。あなたにとって、わたしを責め苛むことに、どのような義(利益)があるというのだ。あなたの切望するところを、わたしに言説せよ」〔と〕。
36. 〔わたしは言った〕「大王よ、わたしは求めます──最勝の覚者を、無上なる方を。〔わたしは〕正覚者を受益させるでありましょう。わたしの生命が、罪過あるものと成ってはいけません」〔と〕。
37. 〔王が言った〕「わたしは、他の優れたものを、あなたに施そう。如来を、乞い求めてはならない。覚者は、誰にであれ施すべきにあらず──すなわち、宝珠の輝石のような方なのだ」〔と〕。
38. 〔わたしは言った〕「陛下よ、まさに、あなたによって叫ばれた〔言葉〕ではないですか──『自己の生命に至るまで』〔と〕。生命を施すなら、如来を施すは相応しきこと」〔と〕。
39. 〔王が言った〕「偉大なる勇者は、除外されるべきである。勝者は、誰にであれ施すべきにあらず。覚者は、わたしの承諾するところにあらず。無量なる財を願うのだ」〔と〕。
40. 〔わたしは言った〕「判決〔の場〕に、〔わたしたちは〕至り得るのです。判決〔の場〕において尋ねましょう。確たるままに、〔司法官たちは〕言説するでしょう。それを、そのとおりに、〔わたしたちは〕問い尋ねるのです」〔と〕。
41. 王の手を収め取って、〔わたしは〕判決〔の場〕に赴いた。司法官たちの前にして、この言葉を説いた。
42. 〔わたしは言った〕「司法官たちよ、わたしの〔言葉を〕聞きたまえ。王は、願い事を、わたしに施しました。何であれ除外せずして、生命をもまた申し出ました。
43. 〔まさに〕その、わたしに、願い事が施されたので、わたしは、最勝の覚者を願いました。わたしにとって、覚者は、善き施しものとして有ります。わたしの疑念を断ち切ってください」〔と〕。
44. 〔司法官たちが言った〕「地上の警護者たる王の、あなたの、〔言葉を〕聞きましょう。両者の言葉を聞いて、ここにおいて、疑念を断ち切りましょう。
45. 陛下よ、あなたによって、全てのものが、収め取るものの全てが、この者に施されたのですか。何であれ除外せずして、生命をもまた申し出たのですか」〔と〕。
46. 〔王が言った〕「まさしく、難渋に至り得た者と成って、〔この者が〕最上の優れたものを乞い求めた。〔わたしは〕この者のことを、極めて苦しむ者と知って、収め取るものの全てを、〔この者に〕施した」〔と〕。
47. 〔司法官たちが言った〕「陛下よ、あなたは敗者です。如来は、施されるべきものとして存しています。両者の疑念は断ち切られました。まさに、確たるままに、〔あなたたちは〕立ちたまえ」〔と〕。
48. 王は、まさしく、その場に立って、司法官たちに、この〔言葉〕を説いた。〔王が言った〕「正しく、わたしにもまた、〔覚者を〕施すべきである。わたしは、ふたたび、覚者を得るのだ」〔と〕。
49. 〔司法官たちが言った〕「あなたの思惟を満たして、如来を受益させて〔そののち〕、正覚者を、ふたたび、福徳あるアーナンダ〔王〕に施すがよい」〔と〕。
40. 1. 4. 招請の物語
50. 司法官たちを敬拝して、さらに、また、士族のアーナンダ〔王〕を〔敬拝して〕、満足し歓喜した者と成って、正覚者のもとへと近づいて行った。
51. 近づいて行って、正覚者を、激流を超え渡った煩悩なき方を、頭をもって敬拝して、この言葉を説いた。
52. 〔わたしは言った〕「眼ある方よ、十万の自在者たちとともに、〔わたしの申し出を〕承諾したまえ。わたしの心を笑喜させながら、わたしの住居地へと近しく至りたまえ」〔と〕。
53. パドゥムッタラ〔世尊〕は、世〔の一切〕を知る方は、諸々の捧げものの納受者たる方は、眼ある方は、わたしの思惟を了知して、〔わたしの申し出を〕承諾した。
54. 〔覚者の〕承諾を了知して、教師を敬拝して、欣喜した者となり、勇躍する心の者となり、わたしは、住居地に近しく赴いた。
40. 1. 5. 布施の準備
55. 朋友や僚友たちを集めて、この言葉を説いた。〔わたしは言った〕「極めて得難き方が、わたしによって得られた──すなわち、宝珠の輝石のような方である。
56. 何をもってして、彼を供養しよう。量るべくもなく喩えなき方である。無比にして等しき者なき慧者である。対する人なき勝者である。
57. そのように、まさしく、そして、〔過去と未来の〕同等の者なき者たちと同等なる方であり、第二の者なく人の雄牛たる方である。まさに、覚者に至当なる献身は、わたしによっては為し難きもの。
58. 〔わたしたちは〕種々なる花を集めて、花の天幕を作るのだ。これは、覚者に至当なるもの。全ての者たちの供養と成るであろう」〔と〕。
59. 青蓮を、あるいは、また、赤蓮を〔集めて〕──ヴァッシカ〔の花〕を、アディムッタカ〔の花〕を、チャンパカ〔の花〕を、さらに、ナーガの花を〔集めて〕──わたしは、天幕を作らせた。
60. 十万の坐を、傘蓋の影に設置した。最後の坐は、わたしにとって、百〔金〕を超える価値あるものとなる。
61. 十万の坐を、傘蓋の影に設置した。食べ物と飲み物を準備して、わたしは、時を告げた。
62. 時が告げられたとき、パドゥムッタラ〔世尊〕は、偉大なる牟尼は、十万の自在者たちとともに、わたしの住居地へと近しく至った。
63. 上に傘蓋を保持しているところに、美しく咲き誇る花の天幕のもと、十万の自在者たちとともに、最上の人士たる方は坐った。
64. 〔わたしは言った〕「十万の傘蓋を、十万の坐を、適確にして、かつまた、罪過なきものを、眼ある方よ、納受したまえ」〔と〕。
65. パドゥムッタラ〔世尊〕は、世〔の一切〕を知る方は、諸々の捧げものの納受者たる方は、わたしを超え渡すことを欲し、彼は、偉大なる牟尼は、領受した。
40. 1. 6. 布施の物語
66. 比丘の一者一者のために、各自の鉢を、わたしは施した。〔彼らは〕毀損している鉢を捨棄し、銅の鉢を保持した。
67. 七つの夜と昼のあいだ、覚者は、花の天幕に坐った。多くの有情たちを覚らせながら、法(真理)の輪を転起させた。
68. 花の天幕の下にて、法(真理)の輪を転起させながら、八万四千の者たちに、法(真理)の知悉(現観)が有った。
69. 第七の昼が至り得たとき、パドゥムッタラ〔世尊〕は、偉大なる牟尼は、傘蓋の影に坐し、これらの詩偈を語った。
40. 1. 7. 説き明かし(授記)
70. 〔パドゥムッタラ世尊は言った〕「その学徒は、わたしに、欠くことなき優れた布施を施しました。わたしは、彼を賛じ称えましょう。〔それを〕語る、わたしの〔言葉を〕聞きなさい。
71. 象〔兵〕たちが、馬〔兵〕たちが、車〔兵〕たちが、歩〔兵〕たちが、そして、四つの支分ある軍団が、常に、この者を取り囲むでしょう。これは、〔欠くことなき〕全てのものの布施の果です。
72. 象の乗物が、馬の乗物が、諸々の駕篭が、諸々の戦車が、常に、この者に現起するでしょう。これは、〔欠くことなき〕全てのものの布施の果です。
73. 全てが〔装いを〕十分に作り為し〔美しく〕飾られた六万の車が、常に、この者を取り囲むでしょう。これは、〔欠くことなき〕全てのものの布施の果です。
74. 六万の楽器が、〔装いを〕十二分に作り為した諸々の太鼓が、常に、この者に奏でるでしょう。これは、〔欠くことなき〕全てのものの布施の果です。
75. 八万六千の、〔装いを〕十二分に作り為した女たちが、様々な彩りの衣装と装飾品をまとい、宝珠の耳飾を付けた者たちが──
76. 濃い睫毛ある、明朗なる者たちが、善き表象ある、体躯の均整なる者たちが、常に、この者を取り囲むでしょう。これは、〔欠くことなき〕全てのものの布施の果です。
77. 三万カッパのあいだ、天の世において喜び楽しむでしょう。千回、天のインダとして、天の王権を為すでしょう。
78. そして、千回、転輪王と成るでしょう。数〔の観点〕からは数えようもない、広大なる地域の王権を〔為すでしょう〕。
79. 天の世に住しているなら、功徳の行為〔の果〕を保有する者のために、天の世を極限とする宝玉の傘蓋を保持するでしょう。
80. 布地と花から生じる覆いの影を求める、そのときは、この者の心を了知して、持続して覆い隠すでしょう。
81. 天の世から死滅して、白根に促され、功徳の行為〔の果〕と結び付いた〔この者〕は、梵の眷属として〔世に〕有るでしょう。
82. 十万カッパ〔の未来〕において、オッカーカの家系を発生とし、姓としては、ゴータマという名の教師が、世に有るでしょう。
83. この全てを証知して、ゴータマ〔世尊〕は、釈迦〔族〕の雄牛たる者は、比丘の僧団のうちに坐って、〔彼を〕このことにおける至高〔の地位〕に据え置くでしょう。
84. 名としては、ピリンダヴァッチャ〔という名〕の、教師の弟子として〔世に〕有るでしょう。天〔の神々〕たちに、そして、阿修羅たちに、さらに、音楽神たちに、尊敬される者として〔世に有るでしょう〕。
85. 比丘たちにとって、そして、比丘尼たちにとって、まさしく、そのように、さらに、在家者たちにとって、彼は、全ての者たちにとって、愛しき者と成って、煩悩なき者となり、〔世に〕住むでしょう」〔と〕。
40. 1. 8. 布施の福利の物語
86. 十万〔カッパの過去〕において、〔わたしが〕為した行為と〔その〕果を、ここに、わたしのために、〔覚者は〕見示した。善く放たれた矢の勢いのように、わたしの諸々の〔心の〕汚れを、〔彼は〕焼き尽くした。
87. ああ、わたしには、善行の行為〔の果〕がある──無上なる功徳の田畑において。そこにおいて、為すことを為して、〔わたしは〕不動の境処に至り得た者として〔世に〕存している。
88. まさに、その学徒は、欠くことなき優れた布施を施した、最初の先行者として〔世に〕存したのだ。これは、その布施の果である。
40. 1. 8. 1. 傘蓋の福利
89. そして、諸々の傘蓋を、善き至達者たる方にたいし施して、最上の優れた衆徒である僧団にたいし〔施して〕、八つの福利を受領する──わたしの行為に至当なるものとして。
90. 寒さと暑さを、〔わたしは〕知らない。塵と埃は、〔わたしを〕汚さない。禍なく、そして、疾患なく、常に敬恭される者として〔世に〕有る。
91. 繊細なる肌の者として〔世に〕有る。清潔なる意図が有る。十万の傘蓋が、〔善き境遇の〕生存において輪廻しているわたしにある。
92. 全てが〔装いを〕十分に作り為し設えられた〔十万の傘蓋〕が、その行為に由縁して、この生を除いて、わたしの頭上に保持される。
93. 何ゆえに、この生において、わたしに、傘蓋の保持が存在しないのか。わたしの、〔過去において〕為した行為〔の果〕は、〔その〕全てが、解脱の傘蓋に至り得るためにあるからである。
40. 1. 8. 2. 布地の福利
94. 諸々の布地を、善き至達者たる方にたいし施して、最上の優れた衆徒である僧団にたいし〔施して〕、八つの福利を受領する──わたしの行為に至当なるものとして。
95. 黄金の色艶ある者として、塵を離れる者として、光を有する者として、輝きある者として、〔世に有る〕。わたしには、円滑なる五体が有る──〔善き境遇の〕生存において輪廻している、わたしには。
96. 十万の布地が、白のものも、そして、黄のものも、赤のものも、わたしの頭上に保持される。これは、布地の布施の果である。
97. 諸々の絹や毛布を、さらに、諸々の亜麻や木綿を、一切所において獲得する──それら〔の布施〕の成果として、わたしは。
40. 1. 8. 3. 鉢の福利
98. 諸々の鉢を、善き至達者たる方にたいし施して、最上の優れた衆徒である僧団にたいし〔施して〕、十の福利を受領する──わたしの行為に至当なるものとして。
99. 諸々の黄金の皿を、諸々の宝珠の皿を、そして、諸々の白銀の皿を、諸々の紅玉で作られている皿を、一切時に遍く受益する。
100. 禍なく、そして、疾患なく、常に敬恭される者として〔世に〕有る。食べ物を、飲み物を、衣を、そして、臥所を、得る者として〔世に有る〕。
101. わたしの、諸々の財物は消失しない。わたしは、安立した心の者として〔世に〕有る。常に法(真理)を欲する者として〔世に〕有る。〔心の〕汚れ少なく、煩悩なき者として〔世に有る〕。
102. 天の世において、あるいは、人間〔の世〕において、〔わたしに〕付き従うものとして、これらの徳があり、あたかも、また、木の影のように、一切所において、わたしを捨棄しない。
40. 1. 8. 4. 剃刀の福利
103. 彩りあざやかな縛り〔紐〕で等しく結び縛られ見事に作られた多くの剃刀を、最勝の覚者に施して、まさしく、そのように、そして、僧団に〔施して〕、わたしは──
104. 八つの福利を受領する──わたしの行為に至当なるものとして。勇敢にして、かつまた、〔心の〕拡散なき者として〔世に〕有る。〔四つの〕離怖(無畏)における完全態の者として〔世に有る〕。
105. 〔道心〕堅固と精進〔努力〕の者として〔世に〕有る。常に意が励起している者として〔世に有る〕。〔心の〕汚れを断ち切る知恵を、繊細かつ無比にして清き〔知恵〕を、一切所において獲得する──その〔布施〕の成果として、わたしは。
40. 1. 8. 5. 小刀の福利
106. 粗野ならず、粗暴ならず、善く研がれた、多くの小刀を、浄信した心の者となり、覚者にたいし施して、まさしく、そのように、そして、僧団にたいし〔施して〕──
107. 五つの福利を受領する──わたしの行為に至当なるものとして。善き朋友を、精進を、そして、忍耐と慈愛の小刀を──
108. 渇愛の矢を断ち切るものとして、無上なる智慧の刃を、金剛に等しき知恵を、それら〔の布施〕の成果として、〔わたしは〕得る。
40. 1. 8. 6. 針の福利
109. 諸々の針を、善き至達者たる方にたいし施して、最上の優れた衆徒である僧団にたいし〔施して〕、五つの福利を受領する──わたしの行為に至当なるものとして。
110. 疑念ある者ならず、疑いを断ち切る者として〔世に有る〕。そして、形姿麗しく、財物ある者として〔世に有る〕。種々なる生存において輪廻しながら、常に鋭敏なる智慧ある者として〔世に〕有る。
111. 深遠にして精緻なる境位の義(道理)を、知恵によって見た。至高の金剛に等しき知恵が、闇を殲滅する〔知恵〕が、わたしに有る。
40. 1. 8. 7. 爪切りの福利
112. 諸々の爪切りを、善き至達者たる方にたいし施して、最上の衆徒である僧団にたいし〔施して〕、五つの福利を受領する──わたしの行為に至当なるものとして。
113. 多くの、奴隷と奴婢たちを、そして、牛と馬たちを、雇い人たちを、親族たちを、雇い人として理髪師と料理人たちを、まさしく、一切所において、わたしは得る。
40. 1. 8. 8. 扇ぐものとしてターラ〔樹〕の扇の福利
114. そして、諸々の扇ぐものとして美しく輝くターラ〔樹〕の扇を、善き至達者たる方にたいし施して、八つの福利を受領する──わたしの行為に至当なるものとして。
115. 寒さと暑さを、〔わたしは〕知らない。苦悶は、〔わたしに〕見出されない。わたしの心を熱苦させる懊悩を、〔わたしは〕識知しない。
116. 貪欲(貪)の火が、憤怒(瞋)と迷妄(痴)の火が、思量(慢)の火が、そして、見解(見)の火が、わたしの全ての火が、寂滅している──その〔布施〕の成果として、わたしには。
40. 1. 8. 9. 孔雀の団扇の払子
117. 諸々の孔雀の団扇の払子を、最上の衆徒である僧団にたいし施して、わたしは、〔心の〕汚れが寂止した穢れなき者となり、〔世に〕住む。
40. 1. 8. 10. 濾過器と水瓶
118. 諸々の濾過器と最上の水瓶を、善き至達者にたいし施して、五つの福利を受領する──わたしの行為に至当なるものとして。
119. 全ての者たちを超え行って、天の寿命を、わたしは得る。あるいは、盗賊や義(利益)に反する者たちに、常に打ち負かされない者として〔世に〕有る。
120. あるいは、刃によって、あるいは、毒によって、害することもまた、〔誰であれ〕為さない。中途の死は存在しない──それら〔の布施〕の成果として、わたしには。
40. 1. 8. 11. 油容器の福利
121. 諸々の油容器を、善き至達者たる方にたいし施して、最上の優れた衆徒である僧団にたいし〔施して〕、五つの福利を受領する──わたしの行為に至当なるものとして。
122. 極めて典雅なる形姿ある者として〔世に有る〕。極めて幸いなる者として〔世に有る〕。極めて傑出した意図ある者として〔世に有る〕。散乱なき意ある者として〔世に〕有る。全ての守護者たちに守られた者として〔世に有る〕。
40. 1. 8. 12. 針箱の福利
123. 諸々の針箱を、善き至達者たる方にたいし施して、最上の優れた衆徒である僧団にたいし〔施して〕、三つの福利を受領する──わたしの行為に至当なるものとして。
124. 心の安楽を、身体の安楽を、振る舞いの道(行住坐臥)から生じる安楽を、これらの徳を獲得する──その〔布施〕の成果として、わたしは。
40. 1. 8. 13. 肩紐の福利
125. 諸々の肩紐を、勝者にたいし施して、最上の優れた衆徒である僧団にたいし〔施して〕、三つの福利を受領する──わたしの行為に至当なるものとして。
126. 正なる法(教え)において依って立つ所を見出す。第二の生存を思念する。一切所において、美しき肌の者として〔世に〕有る──その〔布施〕の成果として、わたしは。
40. 1. 8. 14. 腰帯の福利
127. 諸々の腰帯を、勝者にたいし施して、最上の優れた衆徒である僧団にたいし〔施して〕、六つの福利を受領する──わたしの行為に至当なるものとして。
128. 諸々の禅定において揺れ動かない。諸々の禅定において自在なる者として〔世に〕有る。衆を壊さない者として〔世に〕有る。常に言葉が受容される者として〔世に有る〕。
129. 気づきが現起している者として〔世に〕有る。わたしに、恐れは見出されない。天の世において、あるいは、人間〔の世〕において、〔わたしに〕付き従うものとして、これらの徳がある。
40. 1. 8. 15. 置き台の福利
130. 諸々の置き台を、勝者にたいし施して、最上の優れた衆徒である僧団にたいし〔施して〕、五つの種別による相続者として〔世に有る〕。何によってであれ、動揺なき者として〔世に〕有る。
131. それらが何であれ、わたしによって聞かれた法(教え)であるなら、気づきと知恵を目覚めさせるものとして、わたしによって保持され、消失せず、善く判別されたものとして有る。
40. 1. 8. 16. 器の福利
132. そして、諸々の食器を、覚者にたいし施して、最上の衆徒にたいし〔施して〕、三つの福利を受領する──わたしの行為に至当なるものとして。
133. 諸々の黄金で作られているものを、諸々の宝珠で作られているものを、さらに、また、諸々の水晶で作られているものを、まさしく、そして、諸々の紅玉で作られているものを──〔それらの〕器を、わたしは得る。
134. 侍女たちを、さらに、奴隷や奴婢たちを、象や馬や車や歩者たちを、まさしく、そして、亭主に掟ある婦女たちを、〔わたしは得る〕。一切時に、諸々の遍き受益がある。
135. 諸々の呪術に、まさしく、そして、諸々の呪文の句に、様々な種類の多くの聖教に、一切の技芸に、〔わたしは〕通じる。一切時に、諸々の遍き受益がある。
40. 1. 8. 17. 小皿の福利
136. 諸々の小皿を、善き至達者たる方にたいし施して、最上の優れた衆徒である僧団にたいし〔施して〕、三つの福利を受領する──わたしの行為に至当なるものとして。
137. 諸々の黄金で作られているものを、諸々の宝珠で作られているものを、さらに、また、諸々の水晶で作られているものを、まさしく、そして、諸々の紅玉で作られているものを──〔それらの〕小皿を、わたしは得る。
138. 諸々のアサッタカ〔樹〕のものを、諸々の水晶で作られているものを、さらに、諸々の蓮の葉のものを、そして、諸々のマドゥパーナカ法螺貝のものを──〔それらの〕小皿を、わたしは得る。
139. 行持において、徳において、さらに、諸々の習行や作業において、実践がある。これらの徳を獲得する──その〔布施〕の成果として、わたしは。
40. 1. 8. 18. 医薬品の福利
140. 諸々の医薬品を、善き至達者たる方にたいし施して、最上の優れた衆徒である僧団にたいし〔施して〕、十の福利を受領する──わたしの行為に至当なるものとして。
141. 長寿者として、活力ある者として、慧者として、色艶ある者として、福徳ある者として、安楽ある者として、〔世に有る〕。禍なく、そして、疾患なく、常に敬恭される者として〔世に〕有る。わたしに、愛しいものとの別離は存在しない──その〔布施〕の成果として、わたしには。
40. 1. 8. 19. 履物の福利
142. 諸々の履物を、勝者にたいし施して、最上の優れた衆徒である僧団にたいし〔施して〕、三つの福利を受領する──わたしの行為に至当なるものとして。
143. 象の乗物が、馬の乗物が、諸々の駕篭が、諸々の戦車が、六万〔の車〕が、常に、わたしを取り囲む。
144. 諸々の宝珠で作られている〔履物〕が、諸々の赤銅で作られている〔履物〕が、諸々の黄金と白銀の履物が、足を引き上げるとき、発現する──〔善き境遇の〕生存において輪廻している、わたしには。
145. 罪悪の習行を清めるものとして、〔解脱に至る〕決定〔の道〕を、諸々の気づきが走り行く。これらの徳を獲得する──その〔布施〕の成果として、わたしは。
40. 1. 8. 20. 靴の福利
146. 諸々の靴を、善き至達者たる方にたいし施して、最上の優れた衆徒である僧団にたいし〔施して〕、神通の靴に乗って、求めるままに〔世に〕住む。
40. 1. 8. 21. 手拭いの福利
147. 諸々の手拭いの布切れを、覚者にたいし施して、最上の衆徒にたいし〔施して〕、五つの福利を受領する──わたしの行為に至当なるものとして。
148. 黄金の色艶ある者として、塵を離れる者として、光を有する者として、輝きある者として、〔世に有る〕。わたしには、円滑なる五体があり、塵と埃は、〔わたしを〕汚さない。これらの徳を獲得する──その〔布施〕の成果として、わたしは。
40. 1. 8. 22. 歩杖の福利
149. 諸々の歩杖を、善き至達者たる方にたいし施して、最上の優れた衆徒である僧団にたいし〔施して〕、六つの福利を受領する──わたしの行為に至当なるものとして。
150. わたしには、多くの子が有る。わたしに、恐れは見出されない。常に打ち負かされない者として〔世に〕有る。全ての守護者たちに守られた者として〔世に有る〕。惑乱した〔心〕をもまた、〔わたしは〕知らない。わたしには、迷走なき意図がある。
40. 1. 8. 23. 薬草と塗薬の福利
151. 薬草を、塗薬を、覚者にたいし施して、最上の衆徒である僧団にたいし〔施して〕、八つの福利を受領する──わたしの行為に至当なるものとして。
152. 広き眼の者として〔世に〕有る。さらに、白と黄と赤〔の眼の者〕として〔世に有る〕。混濁なく澄浄なる眼の者として〔世に有る〕。一切の貪欲を避ける者として〔世に有る〕。
153. 天眼を得る。無上なる智慧の眼を〔得る〕。これらの徳を獲得する──その〔布施〕の成果として、わたしは。
40. 1. 8. 24. 鍵の福利
154. 諸々の鍵を、善き至達者たる方にたいし施して、最上の優れた衆徒である僧団にたいし〔施して〕、法(真理)の門を開く知恵の鍵を、〔わたしは〕得る。
40. 1. 8. 25. 鍵袋の福利
155. 諸々の鍵のための袋を、覚者にたいし施して、最上の衆徒である僧団にたいし〔施して〕、二つの福利を受領する──わたしの行為に至当なるものとして。忿激少なき者として、苦労なき者として、〔世に有る〕──〔善き境遇の〕生存において輪廻している、わたしは。
40. 1. 8. 26. 結び付けるものの福利
156. 諸々の結び付けるものを、善き至達者たる方にたいし施して、最上の優れた衆徒である僧団にたいし〔施して〕、五つの福利を受領する──わたしの行為に至当なるものとして。
157. 諸々の禅定において揺れ動かない。諸々の禅定において自在なる者として〔世に〕有る。衆を壊さない者として〔世に〕有る。常に言葉が受容される者として〔世に有る〕。財物の得達が生じる──〔善き境遇の〕生存において輪廻している、わたしには。
40. 1. 8. 27. 煙筒の福利
158. 諸々の煙筒を、勝者にたいし施して、最上の優れた衆徒である僧団にたいし〔施して〕、三つの福利を受領する──わたしの行為に至当なるものとして。
159. わたしには、真っすぐな気づきが有る。さらに、諸々の善き連結の腱が〔有る〕。天眼を得る──その〔布施〕の成果として、わたしは。
40. 1. 8. 28. 灯明台の福利
160. 諸々の灯明台を、勝者にたいし施して、最上の優れた衆徒である僧団にたいし〔施して〕、三つの福利を受領する──わたしの行為に至当なるものとして。
161. 出生よき者として、肢体を成就した者として、覚者に等しく思認された智慧ある者として、〔世に有る〕。これらの徳を獲得する──その〔布施〕の成果として、わたしは。
40. 1. 8. 29. 桶と箱の福利
162. そして、諸々の桶を、さらに、諸々の箱を、覚者にたいし施して、最上の衆徒にたいし〔施して〕、十の福利を受領する──わたしの行為に至当なるものとして。
163. 善く守られ、安楽を保有する者として〔世に有る〕。大いなる福徳ある、そのような境遇ある者として〔世に有る〕。衰滅を離れ去った、繊細なる者として〔世に有る〕。一切の疾患を遍く避ける者として〔世に有る〕。
164. そして、諸々の広大なる徳を得る者として〔世に有る〕。わたしには、まさしく、諸々の平静なる動作がある。激情を善く避ける者として〔世に有る〕。そして、諸々の桶を、諸々の箱を──
165. 〔それらを〕四つの色艶あるものとして、〔わたしは〕得る。さらに、諸々の象や馬や宝があり、わたしの、それら〔の財物〕は消失しない。これは、桶の布施における果である。
40. 1. 8. 30. 垢取りの福利
166. 諸々の垢取りを、覚者にたいし施して、最上の衆徒である僧団にたいし〔施して〕、五つの福利を受領する──わたしの行為に至当なるものとして。
167. 一切の特相を成就した者として〔世に有る〕。寿命と智慧が定められた者として〔世に有る〕。一切の苦労から解き放たれた者として〔世に有る〕。わたしには、一切時に、身体が有る。
40. 1. 8. 31. 鋏の福利
168. 細さを保ち、善く研がれた、諸々の鋏(はさみ)を、僧団にたいし施して、〔心の〕汚れを折りひしぐ、無比にして清き知恵を、〔わたしは〕得る。
40. 1. 8. 32. 毛抜きの福利
169. 諸々の毛抜きを、善き至達者たる方にたいし施して、最上の優れた衆徒である僧団にたいし〔施して〕、〔心の〕汚れを打ち砕く、無比にして清き知恵を、〔わたしは〕得る。
40. 1. 8. 33. 鼻拭きの福利
170. 諸々の鼻拭きを、善き至達者たる方にたいし施して、最上の優れた衆徒である僧団にたいし〔施して〕、八つの福利を受領する──わたしの行為に至当なるものとして。
171. 徳として、信が、戒が、そして、また、恥〔の思い〕が、さらに、〔良心の〕咎めが、所聞が、そして、施捨が、そして、忍耐があり、第八の徳として、わたしには、智慧がある。
40. 1. 8. 34. 椅子の福利
172. 諸々の椅子を、善き至達者たる方にたいし施して、最上の優れた衆徒である僧団にたいし〔施して〕、五つの福利を受領する──わたしの行為に至当なるものとして。
173. 高貴の家に、〔わたしは〕生まれる。大いなる財物ある者として、わたしは〔世に〕有る。全ての者たちが、わたしを敬う。わたしには、盛り上がる名誉がある。
174. 十万カッパのあいだ、諸々の四角の椅子が、常に、わたしを取り囲む。分与を喜ぶ者として、わたしは〔世に有る〕。
40. 1. 8. 35. 敷布の福利
175. 諸々の敷布を、善き至達者たる方にたいし施して、最上の優れた衆徒である僧団にたいし〔施して〕、六つの福利を受領する──わたしの行為に至当なるものとして。
176. 〔他者に〕敬われる、平静にして美しき五体ある者として〔世に有る〕。柔和で、典雅なる見た目ある者として〔世に有る〕。付属するものとして知恵を得る。これは、敷布の布施の果である。
177. 綿入りのものを、毛織りのものを、絹織りのものを──彩りあざやかな多く〔の敷布〕を、諸々の優れた織物を、さらに、諸々の毛布を、様々な種類のものを、わたしは得る。
178. そして、諸々の柔和なる外衣を、諸々の柔和なる鹿皮の外套を、様々な種類の外掛けを、わたしは得る。これは、敷布の布施の果である。
179. 〔成長して〕自己のことを思念する、そののちは──知性に至り得た者として〔世に〕存する、そののちは──〔わたしは〕瞑想の坐床に事欠かない者として〔世に〕存している。これは、敷布の布施の果である。
40. 1. 8. 36. 枕の福利
180. 諸々の枕を、勝者にたいし施して、最上の優れた衆徒である僧団にたいし〔施して〕、六つの福利を受領する──わたしの行為に至当なるものとして。
181. 羊毛〔の枕〕のうえに、そして、蓮華〔の枕〕のうえに、さらに、赤の栴檀〔の枕〕のうえに──常に、枕のうえに、わたしの頭を置く。
182. 〔聖なる〕八つの支分ある優れた道において、四つの沙門の果において、それらにおいて、知恵を生起させて、常時に住む。
183. 布施において、調御において、そして、自制において、〔四つの〕無量なる〔心〕において、〔四つの〕形態ある〔瞑想〕において、それらにおいて、知恵を生起させて、全ての時に住む。
184. 行持において、徳において、そして、諸々の習行や作業において、実践があり、それらにおいて、知恵を生起させて、わたしは、一切時に住む。
185. あるいは、歩行〔瞑想〕において、あるいは、精励において、精進において、覚りの項目において、それらにおいて、知恵を生起させて、求めるままに住む。
186. 戒があり、禅定があり、そして、智慧があり、さらに、無上なる解脱があり、それらにおいて、知恵を生起させて、わたしは、安楽に住む。
40. 1. 8. 37. 藁台の福利
187. 諸々の藁台を、勝者にたいし施して、最上の優れた衆徒である僧団にたいし〔施して〕、四つの福利を(※)受領する──わたしの行為に至当なるものとして。
※ テキストには Dvānisaṃse とあるが、PTS版により Caturānisaṃse と読む。
188. 諸々の黄金で作られているものを、諸々の宝珠で作られているものを、象牙の芯で作られているものを──多くの最勝の長椅子を、〔わたしは〕見出す。これは、藁台の果である。
40. 1. 8. 38. 足台の福利
189. 諸々の足台を、勝者にたいし施して、最上の優れた衆徒である僧団にたいし〔施して〕、二つの福利を受領する──わたしの行為に至当なるものとして。多くの乗物を、〔わたしは〕得る。これは、足台の果である。
190. そして、奴婢たちと奴隷たちは、侍女たちは、さらに、すなわち、他の従僕たちも、わたしを正しく世話する。これは、足台の果である。
40. 1. 8. 39. 塗り油の福利
191. 塗り油を、勝者にたいし施して、最上の優れた衆徒である僧団にたいし〔施して〕、五つの福利を受領する──わたしの行為に至当なるものとして。
192. 病なきこと、形姿あること、すみやかに法(正義)に反応すること、食べ物と飲み物の得者たること、第五のものとして寿命が、わたしにはある。
40. 1. 8. 40. 酥と油の福利
193. そして、酥と油を、最上の優れた衆徒である僧団にたいし施して、五つの福利を受領する──わたしの行為に至当なるものとして。
194. 強靭なる者として、形姿を成就した者として、常に欣喜する痩躯の者として、病なき者として、清潔なる者として、〔世に〕有る。これは、酥と油の果である。
40. 1. 8. 41. 顔拭きの福利
195. 顔拭きを、覚者にたいし施して、最上の衆徒である僧団にたいし〔施して〕、五つの福利を受領する──わたしの行為に至当なるものとして。
196. 清浄なる首ある者として、甘美なる声ある者として、咳と喘息を避ける者として、〔世に有る〕。青蓮の香りが、わたしの顔から、常に香り行く。
40. 1. 8. 42. 乳酪の福利
197. 上出来なる乳酪を、覚者にたいし施して、最上の衆徒である僧団にたいし〔施して〕、優れた不死なる食事を、身体の在り方についての気づき(身至念:時々刻々の身体の状態についての気づき)を、〔わたしは〕受益する。
40. 1. 8. 43. 蜜の福利
198. 色と香りと味を具した蜜を、勝者にたいし施して、衆徒にたいし〔施して〕、喩えなく、無比なる、解き放ちの味を、〔わたしは〕飲む。
40. 1. 8. 44. 味の福利
199. 事実のとおりの味を、覚者にたいし施して、最上の衆徒である僧団にたいし〔施して〕、四つの〔沙門の〕果を受領する──わたしの行為に至当なるものとして。
40. 1. 8. 45. 食べ物と飲み物の福利
200. 食べ物を、さらに、飲み物を、覚者にたいし施して、最上の衆徒である僧団にたいし〔施して〕、十の福利を受領する──わたしの行為に至当なるものとして。
201. 長寿者として、活力ある者として、慧者として、色艶ある者として、福徳ある者として、安楽ある者として、食べ物と飲み物の得者として、勇敢なる者として、常に智慧ある者として、〔世に有る〕。これらの徳を獲得する──〔善き境遇の〕生存において輪廻している、わたしは。
40. 1. 8. 46. 薫香の福利
202. 薫香を、善き至達者たる方にたいし施して、最上の優れた衆徒である僧団にたいし〔施して〕、十の福利を受領する──わたしの行為に至当なるものとして。
203. 善き香りの肉身ある者として、盛名ある者として、そして、即座の智慧ある者として、名誉ある者として、鋭敏なる智慧ある者として、広き智慧ある者として、敏速にして深遠なる智慧ある者として──
204. 広大にして疾走する智慧ある者として、種々なる生存において輪廻しながら、まさしく、その〔行為〕に由縁して、今や、寂静の安楽に、至福〔の境地〕に、至り得た者として〔世に有る〕。
40. 1. 9. 共通の福利
205. わたしの、諸々の〔心の〕汚れは焼尽し、一切の〔迷いの〕生存は完破された。象のように結縛を断ち切って、煩悩なき者となり、〔世に〕住む。
206. わたしにとって、まさに、善き訪問として存した──わたしにとって、覚者の現前にあることは。三つの明知は獲得され、覚者の教えは為された。
207. 四つの融通無礙は〔実証され〕、そして、また、これらの八つの解脱も〔実証された〕。六つの神知は実証され、覚者の教えは為された。
かくのごとく、まさに、尊者ピリンダヴァッチャ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──
ピリンダヴァッチャ長老の行状が、第一となる。
40. 2. セーラ長老の行状
208. ハンサヴァティーの城市において、わたしは、道の主として〔世に〕有った。わたしの親族たちを集めて、この言葉を説いた。
209. 〔わたしは言った〕「覚者が、世に生起したのだ。無上なる功徳の田畑たる方が。彼は、一切の世〔の人々〕にとって、保持者たる方であり(※)、諸々の捧げものの納受者たる方である。
※ テキストには Āsi so とあるが、PTS版により Ādhāro と読む。
210. 士族たちは、まさしく、そして、町の者たちは、さらに、大家の婆羅門たちも、浄信した心の者たちとなり、悦意の者たちとなり、彼らは、膨大なる法(教え)を為した。
211. 象兵たちは、親兵たちは、車兵たちは、歩兵たちは、浄信した心の者たちとなり、悦意の者たちとなり、彼らは、膨大なる法(教え)を為した。
212. そして、高貴の者たちは、かつまた、王子たちは、さらに、庶民たちは、婆羅門たちは、浄信した心の者たちとなり、悦意の者たちとなり、彼らは、膨大なる法(教え)を為した。
213. 調理師たちは、そして、理髪師たちは、沐浴師たちは、花飾師たちは、浄信した心の者たちとなり、悦意の者たちとなり、彼らは、膨大なる法(教え)を為した。
214. 染色師たちは、そして、織物師たちは、さらに、皮革師たちは、沐浴師たちは、浄信した心の者たちとなり、悦意の者たちとなり、彼らは、膨大なる法(教え)を為した。
215. 矢作りたちは、轆轤工たちは、そして、皮革師たちは、大工たちは、浄信した心の者たちとなり、悦意の者たちとなり、彼らは、膨大なる法(教え)を為した。
216. 鍛冶屋たちは、そして、金の細工師たちは、そのように、錫と銅の細工師たちは、浄信した心の者たちとなり、悦意の者たちとなり、彼らは、膨大なる法(教え)を為した。
217. 雇われ人たちは、まさしく、そして、下僕たちは、多くの奴隷や労夫たちは、すなわち、自らの強さのままに、彼らは、膨大なる法(教え)を為した。
218. 水汲みたちは、薪運びたちは、耕作者たちは、草運びたちは、すなわち、自らの強さのままに、彼らは、膨大なる法(教え)を為した。
219. 花屋たちは、まさしく、そして、花飾師たちは、八百屋たちは、果物屋たちは、すなわち、自らの強さのままに、彼らは、膨大なる法(教え)を為した。
220. 遊女たちは、そして、水汲みの奴婢たちは、菓子屋たちは、さらに、魚屋たちもまた、すなわち、自らの強さのままに、彼らは、膨大なる法(教え)を為した。
221. さあ、全ての者たちが集いあつまって、一つになり、衆徒として団結するのだ、献身を為すのだ──無上なる功徳の田畑にたいし」〔と〕。
222. 彼らは、わたしの言葉を聞いて、まさしく、ただちに、衆徒として団結し、見事に作られた奉仕堂を、比丘の僧団のために作らせた。
223. その堂〔の造作〕を終了させて、勇躍する者となり、満足した意図ある者となり、彼らの全てに取り囲まれ、正覚者のもとへと近づいて行った。
224. 近づいて行って、正覚者を、世の導き手たる方を、人の雄牛たる方を、教師の〔両の〕足を敬拝して、この言葉を説いた。
225. 〔わたしは言った〕「勇者よ、これらの三百の人士の衆徒は、一つになり、見事に作られた奉仕堂を、牟尼よ、あなたに引き渡します」〔と〕。
226. 比丘の僧団を前にして、〔奉仕堂を〕領受して、眼ある方は、三百の者たちを前にして、これらの詩偈を語った。
227. 〔パドゥムッタラ世尊は言った〕「そして、また、三百の者たちは、さらに、最尊者は、一つになり、従い転じ行きました。まさに、得達を作り為して、全ての者たちが受領するでしょう。
228. 最後の生存に達し得たとき、無上なる清涼の状態を、不老にして不死なる寂静を、涅槃〔の境処〕を、体得するでしょう」〔と〕。
229. このように、覚者は、一切を知る方は、沙門たちのなかの上者たる方は、説き明かした。覚者の言葉を聞いて、〔わたしは、覚者に〕悦意を知らせた。
230. 三万カッパのあいだ、わたしは、天の世において喜び楽しんだ。五百〔回〕、天の君主として、天の王権を為した。
231. そして、千回、わたしは、転輪王と成った。天の王権を為している〔わたし〕に、大いなる天〔の神々〕たちは敬拝した。
232. ここに、人間〔の世〕においては、王権を〔為した〕。諸衆が有り、眷属たちが〔有る〕。最後の生存に達し得たとき、ヴァーセッタという名の婆羅門が〔世に有った〕。
233. 八十コーティ(倶胝:数の単位・一千万)〔の財〕の蓄積があり、彼の子として、わたしは〔世に〕有った。わたしには、「セーラ」という名がある。六つの支分ある〔ヴェーダの補助学〕における完全態に至った者である。
234. 徒弟たちに囲まれ、ゆったりした歩調で渡り歩いている〔わたし〕は、重き結髪を蓄えたケーニヤという名の苦行者を〔見た〕。
235. 捧げものを準備している〔ケーニヤ〕を見て、この言葉を説いた。〔わたしは尋ねた〕「あるいは、嫁とりがあるのですか、あるいは、嫁やりがあるのですか、あるいは、王が、あなたによって招かれたのですか」〔と〕。
236. 〔ケーニヤが答えた〕「わたしは、天〔の神〕に敬われる〔真の〕婆羅門にたいし、捧げものの祭祀を欲する者です。王を招くのではありません。わたしに、〔王への〕捧げものは見出されません。
237. そして、わたしに、嫁とりは存在しません。わたしに、嫁やりは見出されません。釈迦〔族〕の者たちに喜びを生む方が、天を含む世における最勝者たる方が──
238. 一切の世〔の人々〕の利益と義(目的)のために一切の有情たちに安楽をもたらす方が、彼が、今日、わたしによって招かれたのです。これは、彼のための準備です。
239. ティンバル〔樹〕の果の色艶と輝きある方が、量るべくもなく喩えなき方が、形姿をもってしては相同の者なき方が、覚者が、翌日〔の食事〕に招かれたのです。
240. 溶炉の口のなかで精錬された〔黄金〕のような方が、カディラ〔樹〕の炭火の似姿ある方が、雷光の如き偉大なる勇者が、彼が、覚者が、わたしによって招かれたのです。
241. 山頂の火のような方が、満月の月のような方が、葦の火の色艶の似姿ある方が、彼が、覚者が、わたしによって招かれたのです。
242. 恐怖なき方が、恐怖を超え行った方が、生存の終極を作り為す牟尼が、獅子の如き偉大なる勇者が、彼が、覚者が、わたしによって招かれたのです。
243. 諸々の覚者の法(教え)によって巧みな智ある方が、他者たちに打ち負かされない方が、彼が、象の如き偉大なる勇者が、彼が、覚者が、わたしによって招かれたのです。
244. 正なる法(教え)の習行に巧みな智ある方が、覚者にして龍たる方が、相同の者なき方が、雄牛の如き偉大なる勇者が、彼が、覚者が、わたしによって招かれたのです。
245. 無限の色艶ある方が、無量の福徳ある方が、様々な彩りの一切の特相ある方が、帝釈〔天〕の如き偉大なる勇者が、彼が、覚者が、わたしによって招かれたのです。
246. 自在者たる方が、衆師たる方が、そして、輝きある方が、そして、威光ある方が、近づき難き方が、梵〔天〕の如き偉大なる勇者が、彼が、覚者が、わたしによって招かれたのです。
247. 法(真理)に至り得た方が、十の力ある方が、種々なる力の奥義に至る方が、大地の如き偉大なる勇者が、彼が、覚者が、わたしによって招かれたのです。
248. 戒の波濤に取り囲まれた方が、法(真理)の識知に揺るぎなき方が、大洋の如き偉大なる勇者が、彼が、覚者が、わたしによって招かれたのです。
249. 近づき難き方が、打ち負かし方が、不動なる方が、気高き方が、偉丈夫たる方が、ネール(須弥山)の如き偉大なる勇者が、彼が、覚者が、わたしによって招かれたのです。
250. 無限の知恵ある方が、〔過去と未来の〕同等の者なき者たちと同等なる方が、無比なる方が、至高性に至った方が、ガンガーの如き偉大なる勇者が、彼が、覚者が、わたしによって招かれたのです。
〔以上が〕第十五の朗読分となる。
251. 恐怖に恐怖する者たちの立脚地たる方が、帰依所に赴く者たちの救護所たる方が、安堵者たる偉大なる勇者が、彼が、覚者が、わたしによって招かれたのです。
252. 覚慧ある者たちの依拠たる方が、安楽を探し求める者たちの功徳の田畑たる方が、宝の鉱脈たる偉大なる勇者が、彼が、覚者が、わたしによって招かれたのです。
253. 安堵者たる方が、知の作り手たる方が、沙門の果を与える方が、雨雲の如き偉大なる勇者が、彼が、覚者が、わたしによって招かれたのです。
254. 世の眼たる方が、偉大なる威光ある方が、一切の闇を除去する方が、太陽の如き偉大なる勇者が、彼が、覚者が、わたしによって招かれたのです。
255. 諸々の対象(所縁)からの解脱において自ずからの状態(自性)を見る牟尼が、月の如き偉大なる勇者が、彼が、覚者が、わたしによって招かれたのです。
256. 覚者が、世に直立する方が、諸々の特相によって十分に作り為された方が、量るべくもなき偉大なる勇者が、彼が、覚者が、わたしによって招かれたのです。
257. 彼の知恵は量るベくもなく、彼の戒は喩えなく、彼の解脱は相同のものなく、彼が、覚者が、わたしによって招かれたのです。
258. 彼の〔道心〕堅固は相同のものなく、彼の強さは不可思議にして、彼の勤勉は最尊なる、彼が、覚者が、わたしによって招かれたのです。
259. 貪欲が、そして、憤怒が、さらに、迷妄が、一切の毒が完破された、解毒薬の如き偉大なる勇者が、彼が、覚者が、わたしによって招かれたのです。
260. 〔心の〕汚れの病と多くの苦しみと一切の闇を除去する方が、医師の如き偉大なる勇者が、彼が、覚者が、わたしによって招かれたのです」〔と〕。
261. 〔わたしは言った〕「君よ、すなわち、〔あなたは〕『〔彼は〕覚者である』と説きます。これは、評判でさえも、極めて得難きものです」〔と〕。「覚者である」「覚者である」と聞いて、喜悦〔の思い〕が、わたしに生起した。
262. 内々に収め取ることなく、外に、わたしの喜悦は放たれる。〔まさに〕その、わたしは、悦意の意ある者として存しつつ、この言葉を説いた。
263. 〔わたしは尋ねた〕「いったい、まさに、どこにおられるのですか──彼は、世尊は、世の最尊者にして人の雄牛たる方は。そこにおいて、赴いて〔そののち〕、礼拝するのです──沙門の果を与える方を」〔と〕。
264. 〔ケーニヤは〕右腕を差し出して、感嘆〔の思い〕を生じ、合掌を為し、法(教え)の王たる方のことを、憂いの矢を除き去る方のことを、わたしに告げ知らせた。
265. 〔ケーニヤが答えた〕「立ち昇る大いなる雨雲のようであり、〔黒の〕塗料に似て青黒く、海洋のように見えている、この大いなる林を、〔あなたは〕見ます。
266. ここにおいて、彼は、覚者は、住します──調御されてない者たちを調御する方である牟尼は、そして、教導されるべき者たちを教導しながら、諸々の覚りの項目(菩提分)を覚らせながら」〔と〕。
267. 渇いている者が水を〔求める〕ように、飢えている者が食を〔求める〕ように、あたかも、子牛を貪り求める母牛のように、このように、わたしは、勝者を尋ね求めた。
268. 〔わたしは、正しい〕習行と行境を知る者として、法(教え)に至当なる統御を、自らの徒弟たちに学ばせる──勝者の現前に赴きつつある〔彼ら〕に。
269. 〔わたしは言った〕「世尊たちは、近づき難く、獅子のように〔常に〕独り歩む者たちである。学徒たちよ、歩に歩を置きつつ(静かな歩調で)、到来するべきである。
270. 恐るべき毒蛇のように、獣の王たる獅子のように、発情した牙あるクンジャラ〔象〕のように、このように、覚者たちは、近づき難き方たちである。
271. 学徒たちよ、そして、咳払いやくしゃみに気をつけて、歩に歩を置きつつ、覚者の現前へと接近しなさい。
272. 静坐を尊重し、音声少なく、近づき難く、近寄り難く、覚者たちは、天を含む〔世〕における導師たちとして〔世に〕有る。
273. すなわち、わたしが、問いを尋ねるとき、あるいは、共に挨拶するとき、そのときは、音声少なき者たちと成りなさい。まさしく、沈黙の状態となり、止住しなさい。
274. すなわち、彼が、正覚者が、涅槃に至り得るための平安〔の境地〕を説示するなら、まさしく、その義(意味)を、傾聴しなさい。正なる法(教え)の聴聞は、安楽である」〔と〕。
275. 正覚者のもとへと近づいて行って、わたしは、牟尼と共に挨拶し、それなる話を交わして、諸々の特相を察知した。
276. そして、二つの特相を疑い、三十の特相を見る。覆蔵された衣の陰部(陰馬蔵)を、牟尼は、神通によって見示した。
277. 舌を出して、そして、〔両の〕耳孔に〔触れ〕、〔両の〕鼻〔孔〕に触れ、額の際の全部を、勝者は覆い隠した。
278. わたしは、彼の、〔八十の〕特徴を有し円満成就した〔三十二の〕特相を見て、「覚者である」と、結論に至って、徒弟たちと共に出家した。
279. 三百の者たちを伴い、〔家から〕家なきへと出家した。半月に達し得ないうちに、全ての者たちが、寂滅〔の境処〕に至り得た者たちとなり、〔世に〕存している。
280. 無上なる功徳の田畑にたいし、一緒に行為を為して、一緒に輪廻して、一緒に転変した。
281. 〔八つの〕垂木を施して、わたしは、膨大なる法(教え)のうちに住した。その善行の行為によって、わたしは、八つの因を得る。
282. 方々において供養される者と成る。そして、わたしには、諸々の財物と朋友たちがある。全ての者たちの立脚地と成る。わたしに、恐れは見出されない。
283. わたしに、諸々の病は見出されない。そして、長き寿命を守る。繊細なる肌の者として〔世に〕有る。切望する居住所に住する。
284. 八つの垂木を施して、わたしは、膨大なる法(教え)のうちに住した。そして、融通無礙〔の智慧〕(無礙解)と阿羅漢の資質が、これが、わたしには、他の第八のものとしてある。
285. 一切が完成された完成者として、為すべきことを為した煩悩なき者として、偉大なる牟尼よ、まさに、八つの垂木を〔施して〕、あなたの子として〔世に有る〕。
286. 五つの柱を施して、わたしは、膨大なる法(教え)のうちに住した。その善行の行為によって、わたしは、五つの因を得る。
287. 慈愛において不動の者として〔世に〕有る。わたしは、欠くことなき肢体の者として〔世に〕有る。言葉が受容される者として〔世に〕有る──わたしが、〔他者を〕排斥しない、そのとおりに。
288. わたしには、迷走なき心が有る。誰にであれ、鬱積〔の思い〕なき者として〔世に〕有る。その善行の行為によって、〔覚者の〕教えにおいて、〔世俗の〕垢を離れる者として〔世に〕有る。
289. 尊重〔の思い〕を有する者として、敬虔〔の思い〕を有する者として、為すべきことを為した阿羅漢として、偉大なる勇者よ、牟尼よ、あなたの弟子として、比丘として、あなたを敬拝する。
290. 見事に作られた長椅子を作って、わたしは、堂のなかに設置した。その善行の行為によって、わたしは、五つの因を得る。
291. 高貴の家に生まれて、わたしは、大いなる財物ある者として〔世に〕有る。一切の得達ある者として〔世に〕有る。わたしに、物惜〔の思い〕は見出されない。
292. わたしが切望し赴くところ、長椅子が現起する。最勝の長椅子と共に、〔わたしは〕赴く──わたしが切望したところへと。
293. その長椅子の布施によって、一切の闇を除去した。牟尼よ、一切の神知の力に至り得た者として、長老として、あなたを敬拝する。
294. 他者の為すべきことと自己の為すべきことを、全ての為すべきことを、〔わたしは〕遂行した。その善行の行為によって、恐怖なき都(涅槃)に入った。
295. まさに、完工した堂を、遍き財物を、わたしは施した。その善行の行為によって、最勝なる〔境遇〕に到達した者として〔世に有る〕。
296. 彼らが誰であれ、世における調御者たちは、彼らが、象や馬たちを調御するなら、種々に懲罰を為して、凶悪なる〔手段〕によって、それら〔の象や馬たち〕を調御する。
297. 偉大なる勇者よ、まさに、このように〔為すこと〕なく、あなたは、男や女たちを調御する。棒によらず、刃によらず、最上の調御において調御する。
298. 牟尼よ、布施の諸々の栄誉を賛じ称えながら、説示に巧みな智ある者として、牟尼よ、まさしく、一なる問いを言説しつつ、三百の者たちを覚らせた。
299. 馭者によって調御されたわたしたちは、善き解脱者にして煩悩なき者たちとして、一切の神知の力に至り得た者たちとして、依り所の滅尽において涅槃に到達した者たちとして、〔世に有る〕。
300. すなわち、〔わたしが〕布施を施した、そのとき、これより、十万カッパ〔の未来〕において、一切の恐怖は超越された。これは、堂の布施の果である。
301. わたしの、諸々の〔心の〕汚れは焼尽し……略……煩悩なき者となり、〔世に〕住む。
302. わたしにとって、まさに、善き訪問として存した……略……覚者の教えは為された。
303. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。
かくのごとく、まさに、尊者セーラ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──
セーラ長老の行状が、第二となる。
40. 3. サッバキッティカ長老の行状
304. カニカーラ〔樹の花〕のように輝いている〔覚者〕を、燃えている灯明台のような方を、遍照する明星のような方を、空における雷光のような方を──
305. 恐怖なく恐懼なき方を、獣の王たる獅子のような方を、知恵の光明を明示しながら異教の衆徒たちを撃破する方を──
306. この世〔の人々〕を引き上げながら一切の疑念を切断する方を、獣の王のように鳴動する方を、世の導き手たる方を、〔わたしは〕見た。
307. 〔わたしは〕結髪と皮衣を〔身に〕付ける者として、偉丈夫にして〔心が〕真っすぐな苦行者として、〔世に〕存した。樹皮の衣を収め取って、〔覚者の〕足元に広げた。
308. 黒の栴檀を収め取って、如来に塗った。正覚者に塗って、世の導き手たる方を奉賛した。
309. 〔わたしは言った〕「激流を超え渡った偉大なる牟尼よ、〔あなたは〕この世〔の人々〕を等しく引き上げます。知恵の光明によって輝き照らします。覆いなき最上の知恵があります。
310. 〔あなたは〕法(真理)の眼を転起させます。他の異教の者たちを撃破します。雄牛たる方です。戦場の勝利者たる方です。〔あなたは〕地を激動させます。
311. 大いなる海のなかの諸々の波は、海岸線において打ち砕かれます。まさしく、そのように、一切の見解は、あなたの知恵において打ち砕かれます。
312. 細い目の網で池が掬われたなら、網の内に入った命ある者たちは、まさしく、ただちに、責め苛まれる者たちと成ります。
313. まさしく、そのように、世における異教の者たちは、多々なる宗派に依拠する者たちは、敬愛なる方よ、あなたの優れた知恵の内において遍く転起します。
314. 激流に運ばれている者たちの立脚地であり、まさに、あなたは、眷属なき者たちの主であり、恐怖に苦悩する者たちの帰依所であり、解き放ちを義(目的)とする者たちの行き着く所です。
315. 独りある勇者です。相同の者なき方です。慈愛と慈悲の積み重ねたる方です。等しき者なき方です。極めて平静なる方です。寂静者たる方です。自在者たる方です。如なる方です。勝利を勝ち得た方です。
316. 慧者です。迷妄を離れ去った方です。〔心に〕動揺なき方です。〔心に〕懐疑なき方です。〔常に〕満ち足りている方です。〔あなたは〕憤怒を吐き捨てた方として〔世に〕存しています。無垢なる方です。自制ある方です。清廉なる方です。
317. 執着を超え行く方です。驕慢を打破した方です。三つの明知ある方です。三つの生存の終極に至る方です。境界を超え行く方です。法(真理)の導師たる方です。義(目的)に至った方です。未曾有の益ある方です。
318. あなたは、舟のように〔人々を〕超え渡す方です。財宝のように安堵を作り為す方です。獅子のように恐怖なき方です。象の王のように倨傲なる方です」〔と〕。
319. パドゥムッタラ〔世尊〕を、偉大なる福徳ある方を、十の詩偈によって賛嘆して、教師の〔両の〕足を敬拝して、そのとき、わたしは、沈黙の者となり、〔そこに〕立った。
320. パドゥムッタラ〔世尊〕は、世〔の一切〕を知る方は、諸々の捧げものの納受者たる方は、教師は、比丘の僧団のうちに立ち、これらの詩偈を語った。
321. 〔パドゥムッタラ世尊は言った〕「彼は、わたしの、そして、戒を、かつまた、知恵を、さらに、また、正なる法(教え)を、褒め称えました。わたしは、彼を賛じ称えましょう。〔それを〕語る、わたしの〔言葉を〕聞きなさい。
322. 六万カッパのあいだ、天の世において喜び楽しむでしょう。他の諸天を征服して、権力を為すでしょう。
323. 彼は、のちに出家して、白根に促され、ゴータマ世尊の教えにおいて出家するでしょう。
324. 出家して〔そののち〕、身体による悪しき行為を避けて、一切の煩悩を遍知して、煩悩なき者となり、涅槃に到達するでしょう」〔と〕。
325. すなわち、また、雨雲が、〔雷鳴を〕鳴り響かせながら、この地を満足させるように、偉大なる勇者よ、まさしく、そのように、あなたは、法(教え)によって、わたしを満足させた。
326. 戒を、そして、智慧を、さらに、法(教え)を、世の導き手たる方を、〔それらを〕奉賛して、〔わたしは〕最高の寂静にして死滅なき涅槃の境処に至り得た者として〔世に〕存している。
327. ああ、まちがいなく、彼は、世尊は、眼ある方は、長きにわたり〔世に〕止住するであろう。そして、〔いまだ〕知られていないものを、〔人々は〕識知するであろう。不死の境処を、〔人々は〕体得するであろう。
328. これは、わたしの最後の生である。一切の〔迷いの〕生存は完破された。一切の煩悩を遍知して、煩悩なき者となり、〔世に〕住む。
329. すなわち、〔わたしが〕覚者を賛嘆した、これより、十万カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、賛じ称えの果である。
330. わたしの、諸々の〔心の〕汚れは焼尽し、一切の〔迷いの〕生存は完破された。一切の煩悩は完全に滅尽し、今や、さらなる生存は存在しない。
331. わたしにとって、まさに、善き訪問として存した……略……覚者の教えは為された。
332. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。
かくのごとく、まさに、尊者サッバキッティカ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──
サッバキッティカ長老の行状が、第三となる。
40. 4. マドゥダーヤカ長老の行状
333. シンドゥー川の岸辺において、わたしには、美しく作られた庵所があり、そこにおいて、わたしは、古伝を、特相と共に、徒弟たちに教授する。
334. それら〔の徒弟たち〕は、法(真理)を欲する者たちであり、善き教えを聞くことを欲する者たちであり、〔わたしによって〕教導され、六つの支分ある〔ヴェーダの補助学〕における完全態に至り得た者たちとなり、彼らは、シンドゥー〔川〕の岸辺に住する。
335. まさしく、そして、天変の帰趨における、さらに、諸々の特相における、熟知者たちであり、最上の義(目的)を探し求めながら、そのとき、森に住する。
336. スメーダという名の正覚者が、まさしく、そのとき、世に生起した。〔世の〕導き手たる方は、わたしたちを慈しみつつ、近しく赴いた。
337. 近しく赴いた偉大なる勇者を、スメーダ〔世尊〕を、世の導き手たる方を、〔わたしは見た〕。草の敷物を作り為して、わたしは、世の最尊者たる方に施した。
338. 森から蜜を収め取って、わたしは、最勝の覚者に施した。正覚者は、遍く受益して、この言葉を説いた。
339. 〔スメーダ世尊は言った〕「彼は、その蜜を、わたしに施しました──浄信した者となり、自らの〔両の〕手で。わたしは、彼を賛じ称えましょう。〔それを〕語る、わたしの〔言葉を〕聞きなさい。
340. この蜜の布施によって、さらに、草の敷物によって、三万カッパのあいだ、天の世において喜び楽しむでしょう。
341. 三万カッパ〔の未来〕において、オッカーカの家系を発生とし、姓としては、ゴータマという名の教師が、世に有るでしょう。
342. 彼の、諸々の法(教え)における、相続者として、正嫡として、法(教え)によって化作された者として、一切の煩悩を遍知して、煩悩なき者となり、涅槃に到達するでしょう」〔と〕。
343. 天の世から、ここに到来して、母の子宮に至り着いたとき、蜜の雨が降り、大地を蜜で覆い隠した。
344. そして、わたしが、極めて超え難き子宮から出たばかりのとき、そこでもまた、わたしのために、蜜の雨が、常時に降る。
345. 家から出て、家なきへと出家したが、〔常に〕食べ物と飲み物の得者となる。これは、蜜の布施の果である。
346. 天〔の神〕と人間において、わたしは、一切の欲望が等しく実現する者と成って、まさしく、その蜜の布施によって、煩悩の滅尽に至り得た者として〔世に〕存している。
347. 天が雨降り、草が四指〔の高さ〕になり、木が等しく花ひらき等しく覆われたとき、空家において、天幕や木の根元において、〔わたしは〕住する──常に、安楽ある者として、煩悩なき者として。
348. 中等なるものも、大いなるものも、さらに、下劣なるものも、一切の〔迷いの〕生存を超越した。今日、わたしの諸々の煩悩は滅尽し、今や、さらなる生存は存在しない。
349. すなわち、〔わたしが〕布施を施した、そのとき、三万カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、蜜の布施の果である。
350. わたしの、諸々の〔心の〕汚れは焼尽し、一切の〔迷いの〕生存は完破された。一切の煩悩は完全に滅尽し、今や、さらなる生存は存在しない。
351. わたしにとって、まさに、善き訪問として存した……略……覚者の教えは為された。
352. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。
かくのごとく、まさに、尊者マドゥダーヤカ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──
マドゥダーヤカ長老の行状が、第四となる。
40. 5. パドゥマクーターガーリヤ長老の行状
353. ピヤダッシンという名の世尊は、〔他に依らず〕自ら成る方は、世の導き手たる方は、遠離を欲する正覚者は、禅定に巧みな智ある牟尼は──
354. 密林に入って行って、ピヤダッシン〔世尊〕は、偉大なる牟尼は、糞掃衣を広げて、最上の人士たる方は、〔そこに〕坐った。
355. かつて、鹿の猟師として〔世に〕存した──わたしは、林のなかにあり、森のなかにある。パサダ鹿を探し求めながら、そのとき、わたしは、〔森のなかを〕徘徊する。
356. そこにおいて、〔わたしは〕見た──正覚者を、激流を超え渡った煩悩なき方を、花ひらいたサーラ〔樹〕の王のような方を、昇り行く百光〔の太陽〕のような方を。
357. わたしは、ピヤダッシン〔世尊〕を、偉大なる福徳ある方を、天の天たる方を、見て、そのとき、天然の湖に入って行って、蓮華を持ち運んだ。
358. 意が喜びとする百の花弁ある蓮華を持ち運んで、楼閣を作って、わたしは、蓮華で覆い隠した。
359. 慈しみ〔の思い〕ある方は、慈悲の者たる方は、ピヤダッシン〔世尊〕は、偉大なる牟尼は、覚者は、勝者は、七つの夜と昼のあいだ、楼閣に住した。
360. わたしは、古い〔蓮華〕を捨て放って、新しい〔蓮華〕で覆い隠した。合掌を差し出して、まさしく、ただちに、わたしは、〔そこに〕立った。
361. 禅定から出起して、ピヤダッシン〔世尊〕は、偉大なる牟尼は、世の導き手たる方は、〔しかるべき〕方角を見回しながら、〔そこに〕坐った。
362. そのとき、スダッサナという名の、奉仕者にして大いなる神通ある者は、ピヤダッシン〔世尊〕の、教師の、覚者の、心を了知して──
363. 八万の比丘たちに取り囲まれ、世の導き手たる方のもとに近しく至った──林の外れにおいて、安楽に坐す〔覚者〕のもとに。
364. およそ、密林におけるかぎり、そして、〔そこに〕住している天神たちであるなら、覚者の心を了知して、そのとき、全ての者たちが集まった。
365. 夜叉たちが集いあつまったとき、羅刹を含む魔族が、そして、比丘の僧団が、至り得たとき、勝者は、諸々の詩偈を発した。
366. 〔ピヤダッシン世尊は言った〕「彼は、わたしを、七日のあいだ、供養しました。そして、わたしのために、居住所を作りました。わたしは、彼を賛じ称えましょう。〔それを〕語る、わたしの〔言葉を〕聞きなさい。
367. 極めて見難く、極めて精緻なるものとして、深遠にして、見事に明示されたものとして、知恵によって賛じ称えましょう。〔それを〕語る、わたしの〔言葉を〕聞きなさい。
368. 十四カッパのあいだ、天の王権を為すでしょう。彼には、蓮華の花々で覆い隠された、大いなる楼閣があり──
369. 虚空において保持されるでしょう。これは、花の行為の果です。二千四百カッパのあいだ、〔天と人の世を〕混在のものとして輪廻するでしょう。
370. そこにおいて、花で作られている宮殿が、虚空において保持されるでしょう。あたかも、蓮華の葉において、水が汚すことなきように──
371. まさしく、そのように、この者の知恵において、諸々の〔心の〕汚れは汚すことなくあります。この者は、五つの〔修行の〕妨害(五蓋:欲の思い・憎悪の思い・心の沈滞と眠気・心の高揚と悔恨・疑惑の思い)を、意によって退転させて──
372. 離欲にたいし、心を生じさせて、家から〔家なきへと〕出家するでしょう。花で作られている宮殿が保持されつつあるなか、そこから出るでしょう。
373. 木の根元に住している、賢明にして気づきある者のために、そこにおいて、花で作られている宮殿が、頭上に保持されるでしょう。
374. 衣料を、そして、〔行乞の〕施食を、日用品を、臥坐具を、比丘の僧団に施して、煩悩なき者となり、涅槃に到達するでしょう」〔と〕。
375. 楼閣とともに歩むも、出家〔の道〕へと、〔わたしは〕出た。木の根元に住しつつもまた、楼閣は保持される。
376. 衣料にたいし、そして、〔行乞の〕施食にたいし、わたしに、思欲は見出されない。功徳の行為〔の果〕と結び付いた〔わたし〕は、完全に仕立てられたものを得る。
377. 数〔の観点〕からは数えようもない、多くのものとして千万のカッパが、わたしには、空虚なるものとしてあり、それらは、〔虚しく〕過ぎ行くところとなった──世の導き手たる方から解き放たれてからのち。
378. 千八百カッパ〔の過去〕において、ピヤダッシン〔世尊〕が、〔世の〕導き手たる方が、〔世に有った〕。わたしは、彼に奉侍して、この胎に至り着いたのだった。
379. ここに、〔わたしは〕見る──正覚者を、至上の名ある方を、眼ある方を。わたしは、彼のもとへと近しく赴いて、家から〔家なきへと〕出家した。
380. 苦しみの終極を為す覚者は、勝者は、わたしに、道を説示した。彼の法(教え)を聞いて、〔わたしは〕不動の境処に至り得た者として〔世に〕存している。
381. ゴータマ〔世尊〕を、釈迦〔族〕の雄牛たる方を、正覚者を、満足させて、一切の煩悩を遍知して、煩悩なき者となり、〔世に〕住む。
382. すなわち、〔わたしが〕覚者を供養した、千八百カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、覚者の供養の果である。
383. わたしの、諸々の〔心の〕汚れは焼尽し、一切の〔迷いの〕生存は完破された。一切の煩悩は完全に滅尽し、今や、さらなる生存は存在しない。
384. わたしにとって、まさに、善き訪問として存した……略……覚者の教えは為された。
385. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。
かくのごとく、まさに、尊者パドゥマクーターガーリヤ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──
パドゥマクーターガーリヤ長老の行状が、第五となる。
40. 6. バークラ長老の行状
386. ヒマヴァントの遠からざるところ、ソービタという名の山がある。わたしには、美しく作られた庵所があり、自らの徒弟たちによって造作された〔草庵〕がある。
387. そして、そこにおいて、多くの、天幕があり、花ひらいたシンドゥヴァーラカ〔樹〕がある。そして、そこにおいて、多くの、カピッタ〔樹〕があり、花ひらいたジーヴァジーヴァカ〔樹〕がある。
388. そして、そこにおいて、多くの、ニッグンディー〔樹〕があり、そして、棗があり、アーマラカ〔樹〕があり、パールサカ〔樹〕があり、かつまた、瓜があり、さらに、花ひらいた白蓮がある。
389. そこにおいて、多くの、アーラカ〔樹〕があり、ベールヴァ〔樹〕があり、カダリー〔樹〕があり、マートゥルンガ〔樹〕がある。そこにおいて、多くの、マハーナーマ〔樹〕があり、そして、アッジュナ〔樹〕があり、ピヤング〔樹〕があり──
390. コーサンバ〔樹〕があり、サララ〔樹〕があり、ニンバ〔樹〕があり、そして、ニグローダ〔樹〕があり、カピッタナ〔樹〕がある。わたしには、このようなものとして庵所があり、わたしは、徒弟と共に、そこに住した。
391. アノーマダッシン世尊は、〔他に依らず〕自ら成る方は、世の導き手たる方は、静坐〔の地〕を探し求めながら、わたしの庵所へと近しく赴いた。
392. アノーマダッシン〔世尊〕が、偉大なる福徳ある方が、偉大なる勇者が、近しく至ったとき、即座に、世の主たる方に、風の病が現起した。
393. 〔わたしは〕林を渡り歩きつつ、世の導き手たる方を見た。眼ある方のもとへと、偉大なる福徳ある方のもとへと、正覚者のもとへと、近しく赴いて──
394. そして、また、〔覚者の〕振る舞いを見て、そのとき、わたしは、〔覚者の様相を〕近しく観た。「まさに、疑念〔の余地〕なく、覚者に、まさに、病が生起した」〔と〕。
395. すみやかに、〔わたしは〕庵所に帰還した。わたしの徒弟たちの現前において、そのとき、わたしは、薬を作り為すことを欲し、徒弟たちに告げた。
396. わたしの言葉に答えて、全ての徒弟たちが、尊重〔の思い〕を有する者たちが、一所に集まった──わたしの教師に尊重〔の思い〕ある者たちとなり。
397. すみやかに、山に登って、わたしは、全ての薬草を持ち運んだ。飲むに適するものに作り為して、わたしは、最勝の覚者に施した。
398. 一切を知る方が、世の導き手たる方が、偉大なる勇者が、遍く受益したとき、すみやかに、善き至達者たる方の、偉大なる聖賢の、風〔の病〕は寂止した。
399. 懊悩の静息を見て、アノーマダッシン〔世尊〕は、偉大なる福徳ある方は、自らの坐具のうえに坐って、これらの詩偈を語った。
400. 〔アノーマダッシン世尊は言った〕「彼は、薬を、わたしに施しました。そして、わたしの病は静まりました。わたしは、彼を賛じ称えましょう。〔それを〕語る、わたしの〔言葉を〕聞きなさい。
401. 十万カッパのあいだ、天の世において喜び楽しむでしょう。楽器が奏でられるなか、そこにおいて、この者は、常に歓喜するでしょう。
402. 人間の世に至り着いて、白根に促され、そして、千回、転輪王と成るでしょう。
403. 五十五カッパ〔の未来〕において、アノーマという名の士族として〔世に有るでしょう〕──四辺を征圧する、ジャンブ林のイッサラとして。
404. 七つの宝を成就した、大いなる勢力ある転輪〔王〕として、三十三〔天〕をもまた振動させて、権力を為すでしょう。
405. 天〔の神〕と成った者として、あるいは、人間として、病苦少なき者として〔世に〕有るでしょう。執持〔の対象〕(所有物)を避けて、世において、病を超え渡るでしょう。
406. これより、量るべくもないカッパ〔の未来〕において、オッカーカの家系を発生とし、姓としては、ゴータマという名の教師が、世に有るでしょう。
407. 彼の、諸々の法(教え)における、相続者として、正嫡として、法(教え)によって化作された者として、一切の煩悩を遍知して、煩悩なき者となり、涅槃に到達するでしょう。
408. 諸々の〔心の〕汚れを焼尽させて、渇愛の流れを超え渡るでしょう。名としては、バークラという名の、教師の弟子として〔世に〕有るでしょう。
409. この全てを証知して、ゴータマ〔世尊〕は、釈迦〔族〕の雄牛たる者は、比丘の僧団のうちに坐って、〔彼を〕このことにおける至高〔の地位〕に据え置くでしょう」〔と〕。
410. アノーマダッシン世尊は、〔他に依らず〕自ら成る方は、世の導き手たる方は、遠離〔の地〕を見回しながら、わたしの庵所へと近しく赴いた。
411. 近しく赴いた偉大なる勇者を、一切を知る方を、世の導き手たる方を、全ての薬草によって満足させた──浄信した者となり、自らの〔両の〕手で。
412. 〔まさに〕その、わたしには、善行の行為〔の果〕があり、善き田畑における、種の成就がある。まさに、そのとき、わたしの善行は、投げ捨てることが、まさしく、できない。
413. わたしには、諸々の利得がある。わたしには、善く得られたものがある。すなわち、わたしが、〔世の〕導き手たる方を見た、その行為の残り〔の報い〕によって、〔わたしは〕不動の境処に至り得た者として〔世に〕存している。
414. この全てを証知して、ゴータマ〔世尊〕は、釈迦〔族〕の雄牛たる方は、比丘の僧団のうちに坐って、〔わたしを〕このことにおける至高〔の地位〕に据え置いた。
415. すなわち、〔わたしが〕行為を為した、そのとき、これより、量るべくもないカッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、薬の果である。
416. わたしの、諸々の〔心の〕汚れは焼尽し、一切の〔迷いの〕生存は完破された。一切の煩悩は完全に滅尽し、今や、さらなる生存は存在しない。
417. わたしにとって、まさに、善き訪問として存した……略……覚者の教えは為された。
418. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。
かくのごとく、まさに、尊者バークラ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──
バークラ長老の行状が、第六となる。
40. 7. ギリマーナンダ長老の行状
419. わたしの、妻は命を終え、子は墓所に赴き、母と父と兄弟は死に、一なる荼毘の薪山において焼かれる。
420. その憂いに悩み苦しみ、痩せ細り、青ざめ、わたしは〔世に〕有った。そして、わたしには、心の散乱が存した──その憂いに苦悩する者となり。
421. 憂いの矢に打ち負かされたわたしは、林の外れへと近づいて行った。〔自然に〕転起した〔野生の〕果実を食べて、わたしは、木の根元に住する。
422. スメーダという名の正覚者は、苦しみの終極を為す勝者は、彼は、わたしを引き上げることを欲し、わたしの現前にやってきた。
423. スメーダ〔世尊〕の、偉大なる聖賢の、足音を聞いて、わたしは、頭をもたげて、偉大なる牟尼を見上げた。
424. 近しく赴いた偉大なる勇者にたいし、喜悦〔の思い〕が、わたしに生起した。そのとき、〔わたしは〕一境の意ある者として存した(正気に戻った)──彼を、世の導き手たる方を、見て。
425. 気づきを得て、わたしは、ひと握りの葉を施した。そこにおいて、世尊は坐った──慈しみ〔の思い〕によって、眼ある方は。
426. そこにおいて、世尊は、坐って──スメーダ〔世尊〕は、世の導き手たる方は、覚者は、憂いの矢を除き去る法(教え)を、わたしに言説した。
427. 〔スメーダ世尊は言った〕「〔彼らは〕呼ばれることなく、そこからやってきました。〔彼らは〕許されることなく、ここから去って行ったのです。すなわち、やってきたように、そのように、去って行ったのです。そこにおいて、何の嘆き悲しみがあるというのでしょう。
428. たとえば、また、道の者たる有情たちが、雨が降っているなら、物品を有する彼らは、雨の落ちていないところへと近しく赴き──
429. そして、雨が止んだなら、彼らは、求めるままに進み行くように、このように、あなたの母と父は〔去って行ったのです〕。そこにおいて、何の嘆き悲しみがあるというのでしょう。
430. やってきた客たちが、動き行き、移り行き、揺れ動くように、このように、あなたの母と父は〔去って行ったのです〕。そこにおいて、何の嘆き悲しみがあるというのでしょう。
431. たとえば、また、蛇が、古くなった自らの皮を捨棄して、去って行くように、このように、あなたの母と父は、自らの体躯を〔捨棄して〕、ここに、衰え滅びるのです」〔と〕。
432. 覚者の声を了知して、憂いの矢を避けた。歓喜〔の思い〕を生じさせて、わたしは、最勝の覚者を敬拝した。
433. 偉大なる龍たる方を敬拝して、供養した──山の若枝〔の花〕にして、天の香りが等しく香り行く、スメーダ〔世尊〕を、世の導き手たる方を。
434. 正覚者を供養して、頭に合掌を為して、諸々の至高の徳を随念しながら、世の導き手たる方を奉賛した。
435. 〔わたしは言った〕「偉大なる勇者よ、一切を知る方よ、世の導き手たる方よ、〔あなたは〕超脱者として〔世に〕存しています。偉大なる牟尼よ、あなたは、知恵によって、一切の有情たちを引き上げます。
436. 偉大なる牟尼よ、疑問を、あるいは、また、二様のものを、〔あなたは〕断ち切ります。眼ある方よ、あなたは、知恵によって、わたしに、道を与えます。
437. 阿羅漢たちは、そして、自在に至り得た者たちは、六つの神知ある者たちは、大いなる神通ある者たちは、空中を歩む慧者たちは、まさしく、ただちに、〔あなたを〕取り囲みます。
438. そして、〔道を〕実践する者たちである〔いまだ〕学びある者(有学)たちが、さらに、果に依って立つ者たちが、弟子たちとして存します。日の出のときの諸々の蓮華のように、あなたの弟子たちは花ひらきます。
439. 大いなる海のように、揺るぎなく、また、無比にして、超え難く、眼ある方よ、このように、知恵を成就した方として、量るべくもなき方として、〔あなたは〕存しています」〔と〕。
440. わたしは、眼ある方を、偉大なる福徳ある方を、世の勝者を、敬拝して、多々なる方角を礼拝しながら、わたしは、〔身を〕屈め、去り行った。
441. 天の世から死滅して、正知と気づきの者として、母の子宮に入った──種々なる生存において流転しながら。
442. 家から出て、家なきへと出家した──熱情ある者として、賢明なる者として、瞑想者として、静坐を境涯とする者として。
443. 〔刻苦〕精励をもって〔自己を〕精励して、偉大なる牟尼を満足させて、層雲から解き放たれた月のように、わたしは、常に遍照する。
444. 〔わたしは〕遠離に専念する者として〔世に〕存している。寂静者となり、依り所なき者となり、一切の煩悩を遍知して、煩悩なき者となり、〔世に〕住む。
445. すなわち、〔わたしが〕覚者を供養した、三万カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、覚者の供養の果である。
446. わたしの、諸々の〔心の〕汚れは焼尽し、一切の〔迷いの〕生存は完破された。一切の煩悩は完全に滅尽し、今や、さらなる生存は存在しない。
447. わたしにとって、まさに、善き訪問として存した……略……覚者の教えは為された。
448. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。
かくのごとく、まさに、尊者ギリマーナンダ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──
ギリマーナンダ長老の行状が、第七となる。
40. 8. サララマンダピヤ長老の行状
449. カクサンダ〔世尊〕が、〔真の〕婆羅門にして〔梵行の〕完成者たる方が、涅槃に到達したとき、わたしは、サララの花飾を収め取って、天幕を作らせた。
450. 三十三〔天〕に赴き、〔そこに〕存しつつ、〔わたしは〕最上の宮殿を得る。〔わたしは〕他の天〔の神々〕たちに輝きまさる。これは、功徳の行為の果である。
451. 昼であろうが、もしくは、夜であろうが、歩いていても、そして、立っていても、わたしは、サララの花々に覆われている。これは、功徳の行為の果である。
452. すなわち、〔わたしが〕覚者を供養した、まさしく、このカッパにおいて、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、覚者の供養の果である。
453. わたしの、諸々の〔心の〕汚れは焼尽し……略……煩悩なき者となり、〔世に〕住む。
454. わたしにとって、まさに、善き訪問として存した……略……覚者の教えは為された。
455. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。
かくのごとく、まさに、尊者サララマンダピヤ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──
サララマンダピヤ長老の行状が、第八となる。
40. 9. サッバダーヤカ長老の行状
456. 大いなる海に入って行って、わたしの、美しく化作された居所がある。美しく化作された蓮池があり、鴛鴦たちが鳴いている。
457. 諸々の水草に、そして、諸々の赤蓮や青蓮に、等しく覆われている。そして、川が流れ行き、そこにおいて、意が喜びとする美しい岸辺がある。
458. 魚や亀たちで等しく溢れ、種々なる鳥たちで等しく満ち、孔雀や白鷺たちが鳴き、麗美なる〔声〕の郭公たちで〔満ちている〕。
459. 鳩たちが、そして、日輪の鵞鳥たちが、川を行く鴛鴦たちが、ディンディバ〔鳥〕たちが、九官鳥たちが、そして、ここにおいて、パンマカ〔鳥〕たちが、ジーヴァジーヴァカ〔鳥〕たちがいる。
460. 白鳥たちが〔鳴き〕、白鷺たちもまた鳴き、多くの褐色の梟たちがいる。七つの宝玉に満たされた、宝珠と真珠の砂礫がある。
461. 全てが黄金で作られている木々があり、種々なる香りが揺らぎただよい、昼に、夜に、全ての時に、居所を輝き照らす。
462. 六万の楽器が、夕に、朝に、奏でられる。一万六千の婦女たちが、常に、わたしを取り囲む。
463. 居所から出て、スメーダ〔世尊〕を、世の導き手たる方を、〔わたしは見た〕。浄信した心の者となり、悦意の者となり、彼を、偉大なる福徳ある方を、敬拝した。
464. 正覚者を敬拝して、彼を、僧団を有する〔覚者〕を、招いた。彼は、慧者は、スメーダ〔世尊〕は、世の導き手たる方は、〔わたしの申し出を〕承諾した。
465. 偉大なる牟尼は、わたしに、法(教え)の言説を為して、〔精励へと〕駆り立てた。〔わたしは〕正覚者を敬拝して、わたしの居所へと近しく赴いた。
466. 〔わたしは〕従者に告げた。「全ての者たちよ、おまえたちは集まるのだ。早刻時に、覚者が、居所にやってくるのだ。
467. わたしたちには、諸々の利得がある。わたしたちには、善く得られたものがある。すなわち、〔覚者たる〕あなたの前において、〔わたしたちは、施者として〕住するのだ。わたしたちもまた、最勝の覚者の、教師の、供養を為すのだ」〔と〕。
468. 食べ物と飲み物を(※)仕立てて、わたしは、時を告げた。世の導き手たる方は、十万の自在者たちとともに、〔わたしの居所へと〕近しく至った。
※ テキストには Annapanaṃ とあるが、PTS版により Annaṃ pānaṃ と読む。
469. 五つの支分ある諸々の楽器によって、わたしは、出迎えを為した。全てが黄金で作られている椅子に、最上の人士たる方は坐った。
470. そのとき、全てが黄金で作られている天蓋が存した。諸々の扇は、比丘の僧団の間に風を送る。
471. 沢山の食べ物と飲み物によって、比丘の僧団を満足させた。各自のものとして諸々の組なる布地を、わたしは、比丘の僧団に施した。
472. すなわち、世における捧げものの納受者たる方のことを、〔人々は〕「スメーダ(思慮深き者)」と説く。〔覚者は〕比丘の僧団のうちに坐って、これらの詩偈を語った。
473. 〔スメーダ世尊は言った〕「彼は、わたしのために、食べ物と飲み物によって、そして、これらの全ての者たちを満足させました。わたしは、彼を賛じ称えましょう。〔それを〕語る、わたしの〔言葉を〕聞きなさい。
474. 千八百カッパのあいだ、天の世において喜び楽しむでしょう。そして、千回、転輪王と成るでしょう。
475. 天〔の神〕たる〔境遇〕に、さらに、人間に、その胎に生起するなら、一切時に、全てが黄金の覆いが保持されるでしょう。
476. 三万カッパ〔の未来〕において、オッカーカの家系を発生とし、姓としては、ゴータマという名の教師が、世に有るでしょう。
477. 彼の、諸々の法(教え)における、相続者として、正嫡として、法(教え)によって化作された者として、一切の煩悩を遍知して、煩悩なき者となり、涅槃に到達するでしょう。
478. 〔彼は〕比丘の僧団のうちに坐って、獅子吼を吼え叫ぶでしょう。〔人々は〕荼毘の薪山のうえに傘蓋を保持し、〔彼は〕傘蓋の下で焼かれるでしょう」〔と〕。
479. わたしによって、沙門の資質は獲得された。わたしによって、諸々の〔心の〕汚れは焼尽された。天幕において、あるいは、木の根元において、わたしに、熱苦は見出されない。
480. すなわち、〔わたしが〕布施を施した、そのとき、三万カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、全てのものの布施の果である。
481. わたしの、諸々の〔心の〕汚れは焼尽し……略……煩悩なき者となり、〔世に〕住む。
482. わたしにとって、まさに、善き訪問として存した……略……覚者の教えは為された。
483. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。
かくのごとく、まさに、尊者サッバダーヤカ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──
サッバダーヤカ長老の行状が、第九となる。
40. 10. アジタ長老の行状
484. パドゥムッタラという名の勝者は、一切の法(事象)の彼岸に至る方は、ヒマヴァントに深く分け入って、世の導き手たる方は、〔そこに〕坐った。
485. わたしは、正覚者を見たことがなかった。わたしは、声もまた聞いたことがなかった。わたしの食物となるものを探し求めながら、わたしは、林のなかを徘徊する。
486. そこにおいて、〔わたしは〕見た──正覚者を、三十二の優れた特相ある方を。見て、歓悦〔の思い〕を惹起した。「この方は、まさに、どのような有情として〔世に〕有るのだろう」〔と〕。
487. 諸々の特相を眺め見て、わたしの〔保有する〕学知を随念した。年長の賢者たちが見事に語った〔学知〕は、これは、まさに、わたしの聞くところである。
488. 〔わたしは思い考えた〕「すなわち、彼らのその言葉のとおりに、この方は、覚者として〔世に〕有るのだ。それなら、さあ、わたしは、〔この方を〕尊敬するのだ。わたしの境遇を清めてくれるであろう」〔と〕。
489. すみやかに、庵所に帰還して、わたしは、蜜と油を収め取った。棗とアンバ〔樹の果〕を収め取って、〔世の〕導き手たる方のもとへと近しく赴いた。
490. 三つの棒を収め取って、わたしは、野外に据え置いた。灯明に火を灯して、八回、わたしは敬拝した。
491. 七つの夜と昼のあいだ、覚者は、最上の人士たる方は、〔そこに〕坐った。そののち、夜の明け方に、世の導き手たる方は、〔静坐から〕出起した。
492. 浄信した心の者となり、悦意の者となり、わたしは、全ての夜と昼のあいだ、灯明を、覚者に施した──浄信した者となり、自らの〔両の〕手で。
493. ガンダマーダナ山において、香りで作られているものは、〔それらの〕全てが、林から、覚者の威力によって、覚者の現前にやってきた。
494. それらが何であれ、花の香りであるなら、花ひらいた木々であるなら、覚者の威力によって、そのとき、〔それらの〕全てが、〔覚者の現前に〕集まった。
495. およそ、ヒマヴァントにおけるかぎりの、かつまた、龍たちも、金翅鳥たちも、両者ともに、法(教え)を聞くことを欲する者たちとなり、そして、彼らは、覚者の現前にやってきた。
496. デーヴァラという名の沙門は、覚者の至高の弟子にして、十万の自在者たちとともに、覚者の現前へと近しく赴いた。
497. パドゥムッタラ〔世尊〕は、世〔の一切〕を知る方は、諸々の捧げものの納受者たる方は、比丘の僧団のうちに坐って、これらの詩偈を語った。
498. 〔パドゥムッタラ世尊は言った〕「彼は、灯明を、わたしに施しました──浄信した者となり、自らの〔両の〕手で。わたしは、彼を賛じ称えましょう。〔それを〕語る、わたしの〔言葉を〕聞きなさい。
499. 六万カッパのあいだ、天の世において喜び楽しむでしょう。そして、千回、転輪王と成るでしょう。
〔以上が〕第十六の朗読分となる。
500. 三十六回、天のインダとして、天の王権を為すでしょう。七百〔回〕、地における広大なる王権を〔為すでしょう〕。
501. 数〔の観点〕からは数えようもない、広大なる地域の王権を〔為すでしょう〕。この灯明の布施によって、天眼の者として〔世に〕有るでしょう。
502. 遍きにわたり、半コーサ(長さの単位・四分の一ヨージャナ)を、常に、この者は見るでしょう。天の世から死滅しつつ、人として発現するなら──
503. 昼であろうが、もしくは、夜であろうが、〔彼のために〕灯明が保持されるでしょう。有情として〔世に〕生まれるなら、功徳の行為〔の果〕を保有する者のために──
504. およそ、城市として存する、そのかぎり、〔灯明が〕輝き照らすでしょう。天〔の神〕たる〔境遇〕に、さらに、人間に、その胎に再生するなら──
505. まさしく、彼には、灯明の布施の〔果があり〕、まさに、八つの灯明の果によって、〔世の〕人たちが、この者に勝利することはないでしょう。これは、灯明の布施の果です。
506. 十万カッパ〔の未来〕において、オッカーカの家系を発生とし、姓としては、ゴータマという名の教師が、世に有るでしょう。
507. 彼の、諸々の法(教え)における、相続者として、正嫡として、法(教え)によって化作された者として、一切の煩悩を遍知して、煩悩なき者となり、涅槃に到達するでしょう。
508. ゴータマ〔世尊〕を、釈迦〔族〕の雄牛たる者を、正覚者を、満足させて、名としては、アジタという名の、教師の弟子として〔世に〕有るでしょう」〔と〕。
509. 六万カッパのあいだ、わたしは、天の世において喜び楽しんだ。そこでもまた、わたしのために、百の灯明が、常時に輝く。
510. 天の世において、あるいは、人間〔の世〕において、わたしのために、諸々の光が放たれる。最勝の覚者を思念して、わたしは、より一層、笑みを生じさせた。
511. わたしは、兜率〔天〕から死滅して、母の子宮に入った。〔世に〕生まれつつあると、〔そのように〕存している〔わたし〕のために、広大なる光明が有った。
512. 〔わたしは〕家から出て、家なきへと出家した。〔婆羅門の〕バーヴァリのもとへと近づいて行って、徒弟たる〔境遇〕に到達した。
513. ヒマヴァントに住しつつ、わたしは、世の導き手たる方のことを聞いた。最上の義(目的)を探し求めながら、〔世の〕導き手たる方のもとへと近しく赴いた。
514. 〔自己が〕調御された方は、覚者は、調御者たる方は、激流を超え渡った方は、〔生存の〕依り所なき方は、涅槃〔の境処〕を言説した──覚者として、一切の苦しみを解き放つものを。
515. わたしの、その到来は成就し、わたしは、偉大なる牟尼を満足させたのだった。三つの明知は獲得され、覚者の教えは為された。
516. すなわち、〔わたしが〕灯明を施した、そのとき、これより、十万カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、灯明の布施の果である。
517. わたしの、諸々の〔心の〕汚れは焼尽し……略……煩悩なき者となり、〔世に〕住む。
518. わたしにとって、まさに、善き訪問として存した……略……覚者の教えは為された。
519. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。
かくのごとく、まさに、尊者アジタ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──
アジタ長老の行状が、第十となる。
ピリンダヴァッチャの章が、第四十となる。
その〔章〕のための摂頌となる。
〔そこで、詩偈に言う〕「ピリンダヴァッチャ、そして、セーラ、サッバキッティ、マドゥンダダ、クーターガーリン、そして、バークラ、ギリ、サララという呼び名を有する者──
サッバダ、まさしく、そして、アジタがあり、諸々の詩偈があるなか、五百〔の詩偈〕が、さらに、それに加えて、二十〔の詩偈〕があり、〔それらの〕詩偈が、ここに数えられた」〔と〕。
そこで、章の摂頌となる。
〔そこで、詩偈に言う〕「まさしく、そして、パドゥマとアーラッカダ、ウマーがあり、そして、ガンドーダカとともに、エーカパドゥマとサッダサンニン、マンダーラ、ボーディヴァンダカ──
そして、アヴァタ、そして、ピリンディンがあり、七十四の詩偈が、さらに、千百〔の詩偈〕があり、〔それらの〕詩偈が、ここに数えられた」〔と〕。
〔以上が〕パドゥマの章の十なるものとなる。
第四の百なるものは〔以上で〕完結となる。
41. メッテイヤの章
41. 1. ティッサメッテイヤ長老の行状
1. 山腹の峰に依拠して、ソービタという名の苦行者は、〔自然に〕転起した〔野生の〕果実を食べて、山間に住する。
2. そのとき、わたしは、木を持ち運んで、祭火を燃やした──最上の義(目的)を探し求めながら、梵の世に再生するために。
3. パドゥムッタラ〔世尊〕は、世〔の一切〕を知る方は、諸々の捧げものの納受者たる方は、彼は、わたしを引き上げることを欲し、わたしの現前にやってきた。
4. 〔パドゥムッタラ世尊は言った〕「大いなる功徳ある者よ、〔あなたは〕何を為すのですか。祭火の木を、わたしに施したまえ。わたしが、祭火を世話しましょう。そののち、わたしに、清浄が有るでしょう」〔と〕。
5. 〔わたしは言った〕「あなたは、人間における極めて幸いなる方です。天神たる方よ、あなたは覚知します。あなたは、祭火を世話したまえ。さあ、祭火の木を、あなたに〔施しましょう〕」〔と〕。
6. そののち、薪を収め取って、勝者は、祭火を燃やした。そこにおいて、偉大なる聖賢の神変の薪は、焼かれなかった。
7. 〔パドゥムッタラ世尊は言った〕「あなたの祭火は燃えません。あなたに、捧げものは見出されません。あなたの掟は、義(意味)なきものです。わたしの祭火を世話するのです」〔と〕。
8. 〔わたしは尋ねた〕「偉大なる勇者よ、それは、どのようなものなのですか──あなたにとって、祭火と説かれるものは。わたしにもまた、このことを言説してください。〔わたしたちは〕両者ともに、〔その祭火を〕世話するのです」〔と〕。
9. 〔パドゥムッタラ世尊は答えた〕「因の法(性質)の止滅のために、そして、〔心の〕汚れを焼尽するために(※)、嫉妬と物惜〔の思い〕を捨棄して、これらの三つの、わたしの捧げものがあります」〔と〕。
※ テキストには kilesasamaṇāya とあるが、PTS版により kilesājhāpanāya と読む。
10. 〔わたしは尋ねた〕「偉大なる勇者よ、あなたは、どのような方なのですか。敬愛なる方よ、どのような種姓の者として存しているのですか。あなたの習行と実践は、甚だしく、まさに、わたしにとって好ましくあります」〔と〕。
11. 〔パドゥムッタラ世尊は答えた〕「士族の家系に生まれた者であり、神知における完全態に至った者であり、一切の煩悩の完全なる滅尽者であり、今や、さらなる生存は存在しません」〔と〕。
12. 〔わたしは言った〕「光の作り手たる方よ、闇を除去する方よ、もしくは、覚者として、一切を知る方として、〔あなたは〕存しています。天たる方よ、あなたを礼拝します。あなたは、苦しみの終極を為す方です」〔と〕。
13. 鹿皮の衣を広げて、わたしは、坐を施した。〔わたしは言った〕「〔世の〕主たる方よ、一切を知る方よ、坐ってください。わたしは、あなたに奉仕します」〔と〕。
14. そこにおいて、世尊は坐った──美しく広げられた鹿皮のうえに。正覚者を招いて〔そののち〕、わたしは、山に赴いた。
15. そして、天秤に荷を満たして、ティンドゥカ〔樹〕の果実を持ち運んだ。蜜を調合して、わたしは、果実を、覚者に施した。
16. わたしが凝視していると、そのとき、勝者は、〔それを〕遍く受益した。そこにおいて、〔わたしは〕心を浄信させた──世の導き手たる方を眺め見ながら。
17. パドゥムッタラ〔世尊〕は、世〔の一切〕を知る方は、諸々の捧げものの納受者たる方は、わたしの庵所のうちに坐って、これらの詩偈を語った。
18. 〔パドゥムッタラ世尊は言った〕「彼は、果実によって、わたしを満足させました──浄信した者となり、自らの〔両の〕手で。わたしは、彼を賛じ称えましょう。〔それを〕語る、わたしの〔言葉を〕聞きなさい。
19. 二十五回、彼は、天の王権を為すでしょう。そして、千回、転輪王と成るでしょう。
20. 彼の思惟を了知して、過去の行為〔の果〕を保有する者のために、食べ物が、そして、飲み物が、そして、衣が、そして、臥具が、大いなる車が──
21. 功徳の行為〔の果〕と結び付いたものとして、まさしく、ただちに、発現するでしょう。そして、この者は、常に歓喜し、悩みなき者として〔世に〕有るでしょう。
22. 天〔の神〕たる〔境遇〕に、さらに、人間に、その胎に再生するなら、一切所において、安楽ある者と成って、人間たる〔境遇〕に赴くでしょう。
23. 〔聖典の〕読誦者にして呪文の保持者として、三つのヴェーダの奥義に至る者として、〔世に有るでしょう〕。正覚者のもとへと近しく赴いて、彼は、阿羅漢と成るでしょう」〔と〕。
24. 〔成長して〕自己のことを思念する、そののちは──知性に至り得た者として〔世に〕存する、そののちは──わたしの財物に、不足は存在しない。これは、果実の布施の果である。
25. 優れた法(真理)を獲得した〔わたし〕は、貪欲と憤怒を完破した。一切の煩悩の完全なる滅尽者であり、今や、さらなる生存は存在しない。
26. わたしの、諸々の〔心の〕汚れは焼尽し、一切の〔迷いの〕生存は完破された。象のように結縛を断ち切って、煩悩なき者となり、〔世に〕住む。
27. わたしにとって、まさに、善き訪問として存した──わたしにとって、覚者の現前にあることは。三つの明知は獲得され、覚者の教えは為された。
28. 四つの融通無礙は〔実証され〕、そして、また、これらの八つの解脱も〔実証された〕。六つの神知は実証され、覚者の教えは為された。
かくのごとく、まさに、尊者ティッサメッテイヤ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──
ティッサメッテイヤ長老の行状が、第一となる。
41. 2. プンナカ長老の行状
29. 山腹の峰に依拠して、〔他に依らず〕自ら成る方は、〔一切に〕敗れることなき方は、そして、病苦の者として、彼は、覚者は、山間に住する。
30. わたしの庵所の近隣から、まさしく、そのとき、咆哮が存した。覚者が涅槃に到達しつつあるとき、光明が生起した。
31. およそ、密林におけるかぎりの、熊や狼や鬣狗(ハイエナ)たちは、さらに、猛獣たちも、獅子たちも、全ての者たちが、まさしく、そのとき、雄叫びをあげた。
32. わたしは、その天変を見て、わたしは、山腹に赴いた。そこにおいて、〔わたしは〕見た──正覚者を、涅槃に到達した〔一切に〕敗れることなき方を──
33. 美しく咲き誇るサーラ〔樹〕の王のような方を、昇り行く百光〔の太陽〕のような方を、無炎の炭火のような方を、涅槃に到達した〔一切に〕敗れることなき方を。
34. 草を、さらに、薪を、満たして、そこにおいて、わたしは、荼毘の薪山を作った。荼毘の薪山を、美しく作られたものと為して、わたしは、〔覚者の〕肉体を燃やした。
35. 〔覚者の〕肉体を燃やして、香りある水を等しく振りまいた。空中に止住する夜叉は、まさしく、そのとき、〔わたしの未来の〕名を収め取った。
36. 〔夜叉が言った〕「すなわち、〔他に依らず〕自ら成る方のために、偉大なる聖賢のために、為すべきことが、あなたによって満たされました。名としては、プンナカという名の者として、牟尼よ、あなたは、常に〔世に〕有るでしょう」〔と〕。
37. その身体から死滅して、わたしは、天の世に赴いた。そこにおいて、天のもので作られている香りが、空中から降ってくる。
38. そこでもまた、そのとき、わたしには、「プンナカ」という命名が有った。天〔の神〕と成った者として、あるいは、人間として、わたしは、思惟を満たす。
39. これは、わたしにとって最後のものである。生存は、最後のものとして転起する。ここでもまた、プンナカという名の者として、命名が顕現する。
40. 正覚者を、ゴータマ〔世尊〕を、釈迦〔族〕の雄牛たる方を、満足させて、一切の煩悩を遍知して、煩悩なき者となり、〔世に〕住む。
41. すなわち、〔わたしが〕行為を為した、そのとき、これより、九十一カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、些細なる為すべきことの果である。
42. わたしの、諸々の〔心の〕汚れは焼尽し……略……煩悩なき者となり、〔世に〕住む。
43. わたしにとって、まさに、善き訪問として存した……略……覚者の教えは為された。
44. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。
かくのごとく、まさに、尊者プンナカ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──
プンナカ長老の行状が、第二となる。
41. 3. メッタグー長老の行状
45. ヒマヴァントの遠からざるところ、アソーカという名の山がある。そこにおいて、ヴィッサカンマ(工芸神)によって造作された、わたしの庵所がある。
46. スメーダという名の正覚者は、至高の者にして慈悲の者たる牟尼は、早刻に、着衣して、〔行乞の〕食のために、わたしの〔庵所へと〕近しく赴いた。
47. 近しく赴いた偉大なる勇者を、スメーダ〔世尊〕を、世の導き手たる方を、〔わたしは見た〕。〔わたしは〕善き至達者たる方の鉢を収め取って、酥と油を満たした。
48. 施して〔そののち〕、わたしは、最勝の覚者にたいし、スメーダ〔世尊〕にたいし、世の導き手たる方にたいし、合掌を差し出して、わたしは、より一層、笑みを生じさせた。
49. この酥の布施によって、さらに、諸々の思欲による誓願によって、天〔の神〕と成った者として、あるいは、人間として、広大なる安楽を得る。
50. 堕所を避けて、種々なる生存において輪廻する。そこにおいて、心を誓願して、不動の境処を得る。
51. 〔スメーダ世尊は言った〕「あなたには、諸々の利得があります。あなたには、善く得られたものがあります。婆羅門よ、すなわち、わたしを見たのです。わたしを見ることに由来して、阿羅漢の資質が有るでしょう。
52. 信頼ある者と成りなさい(安心しなさい)。恐れてはいけません。大いなる福徳に到達して、まさに、わたしのために、〔あなたは〕酥を施して、生まれることから完全に解脱するでしょう。
53. この酥の布施によって、さらに、諸々の思欲による誓願によって、天〔の神〕と成った者として、あるいは、人間として、広大なる安楽を得るでしょう。
54. この酥の布施によって、さらに、慈愛の心あることによって、千八百カッパのあいだ、天の世において喜び楽しむでしょう。
55. そして、三十八回、天の王と成るでしょう。数〔の観点〕からは数えようもない、広大なる地域の王権を〔為すでしょう〕。
56. そして、五十一回、転輪〔王〕と成るでしょう──四辺を征圧する、ジャンブ林のイッサラとして。
57. 大いなる海のように、揺るぎなく、引き上げ難く、あたかも、地のようなものとして、まさしく、このように、そして、あなたには、諸々の財物が、量るべくもなきものとして有るでしょう」〔と〕。
58. 金貨にして六十コーティ〔の財〕を捨て放って、わたしは出家した。何が善なるものかを探し求めながら、〔婆羅門の〕バーヴァリのもとへと近づいて行った。
59. そこにおいて、諸々の呪文を、六つの支分ある〔ヴェーダの補助学〕を、まさに、〔天変の〕特相を、〔わたしは〕学得する。偉大なる牟尼よ、闇の暗黒を砕破しながら、あなたは〔世に〕生起した。
60. 偉大なる牟尼よ、わたしは存している──あなたを見ることを欲し、〔ここに〕到来した者として。あなたの法(教え)を聞いて、〔わたしは〕不動の境処に至り得た者として〔世に〕存している。
61. 三万カッパ〔の過去〕において、わたしは、酥を、覚者に施した。ここにおいて、〔その〕中途において、酥が、わたしによって請求されたことを、〔わたしは〕証知しない。
62. わたしの思惟を了知して、求めるままに生起する。心を了知して、発現したなら、わたしは、全ての者たちを満足させる。
63. ああ、覚者たちなのだ、ああ、諸々の法(真理)なのだ、ああ、わたしたちの教師の成就なのだ。まさに、僅かな酥を施して、わたしは、量るべくもなきものを得る。
64. およそ、ネール(須弥山)の山麓から、大いなる海におけるかぎりの水も、わたしの酥と比較して、十六分の一にも成らないであろう。
65. およそ、チャッカ・ヴァーラ(輪囲山・鉄囲山:世界の周辺にあって世界を囲んでいる山)を作り為しているかぎりの集積物も、わたしに発現した諸々の衣にとって、それは、空間として収まらない。
66. 山の王たるヒマヴァント(ヒマラヤ)の最も優れた連山でさえも、わたしに塗られた香料にとっては、比較に成らないであろう。
67. 衣が、そして、香料が、そして、酥が、そして、食べ物が、所見の法(現法:現世)のものとしてあり、さらに、形成されたものではないもの(無為)が、涅槃がある。これは、酥の布施の果である。
68. 気づきの確立の依所があり、禅定の瞑想の境涯があり、今日、覚りの支分の受益がある。これは、酥の布施の果である。
69. わたしの、諸々の〔心の〕汚れは焼尽し……略……煩悩なき者となり、〔世に〕住む。
70. わたしにとって、まさに、善き訪問として存した……略……覚者の教えは為された。
71. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。
かくのごとく、まさに、尊者メッタグー長老は、これらの詩偈を語った。ということで──
メッタグー長老の行状が、第三となる。
41. 4. ドータカ長老の行状
72. バーギーラティーという名のガンガー〔川〕は、ヒマヴァントから発出し、ハンサヴァティー〔の城市〕の門あるところを、まさしく、そのとき、流れ行く。
73. ガンガー〔川〕の岸辺において、見事に造作された、ソービタという名の林園がある。そこにおいて、パドゥムッタラ覚者は、世の導き手たる方は、住する。
74. すなわち、三十三〔天の神々〕たちに〔囲まれた〕インダのように、人間たちに囲まれ、そこにおいて、世尊は坐った──恐怖なき獅子のように。
75. ハンサヴァティーの城市において、わたしは、婆羅門として住する──名としては、チャランガという名の、このような名の大いなる牟尼として。
76. 千八百の徒弟たちが、そのとき、わたしを取り囲む。それらの徒弟たちと共に赴き、〔わたしは〕ガンガー〔川〕の岸辺へと近しく赴いた。
77. そこにおいて、〔わたしは〕見た──沙門たちを、虚言なき者たちを、悪しきを洗い清めた者たちを、バーギーラティー〔川〕を超え渡っている者たちを。わたしは、まさしく、そのとき、このように思い考えた。
78. 「夕に、朝に、〔川を〕超え渡っている、これらの者たちは、覚者の子たちであり、大いなる福徳ある者たちである。〔彼らは〕自己を害する。彼らの自己は打ちのめされる。
79. 天〔の神々〕を含む世〔の人々〕にとって、覚者は、至高の者と呼ばれる。わたしに、能ある方にたいし為すことは、境遇と道を清めることは、存在しない。
80. それなら、さあ、最勝の覚者のために、ガンガー〔川〕に橋を作成するのだ。〔橋を〕作らせて、この行為を〔為して〕、この〔迷いの〕生存を超え渡るのだ。
81. 十万〔金〕を与えて、わたしは、橋を作らせた──為すことが為されたことに信を置きながら、「わたしにとって、広大なるものと成るであろう」〔と〕。
82. その橋を作らせて、世の導き手たる方のもとに近しく至った。頭に合掌を為して、この言葉を説いた。
83. 〔わたしは言った〕「まさしく、十万〔金〕を与えて、この〔橋〕が、わたしによって作成されました──あなたの義(利益)のために、大いなる橋が。偉大なる牟尼よ、納受したまえ」〔と〕。
84. パドゥムッタラ〔世尊〕は、世〔の一切〕を知る方は、諸々の捧げものの納受者たる方は、比丘の僧団のうちに坐って、これらの詩偈を語った。
85. 〔パドゥムッタラ世尊は言った〕「彼は、わたしのために、橋を作成しました──浄信した者となり、自らの〔両の〕手で。わたしは、彼を賛じ称えましょう。〔それを〕語る、わたしの〔言葉を〕聞きなさい。
41. 4. 1. 橋の布施の福利
86. この者は、洞穴から、あるいは、山から、木から、たとえ、落ちたとして、たとえ、死滅したとして、立脚するものを得るでしょう。これは、橋の布施の果です。
87. 成長し根が広がったニグローダ〔樹〕を、風が〔倒さない〕ように、朋友ならざる者(敵対者)たちが、〔彼を〕打ち負かすことはありません。これは、橋の布施の果です。
88. 盗賊たちは、彼を打ち負かしません。士族たちは、〔彼を〕軽んじません。一切の朋友ならざる者たちを、〔彼は〕超え行くでしょう。これは、橋の布施の果です。
89. 野外に赴き、〔そこに〕存しつつ、厳しい熱苦に熱せられたとして、功徳の行為〔の果〕と結び付いた〔彼〕を〔悩まさず〕、感受と成らないでしょう。
90. 天の世において、あるいは、人間〔の世〕において、美しく化作された象の乗物が、彼の思惟を了知して、まさしく、ただちに、発現するでしょう。
91. 風の速さの、千のシンダヴァの駿馬(シンドゥ産の良馬)たちが、夕に、朝に、〔彼のもとへと〕近しく至るでしょう。これは、橋の布施の果です。
92. 人間たる〔境遇〕に至り着いて、この者は、安楽ある者と成るでしょう。宙空に、まさしく、人間のための、象の乗物が有るでしょう。
93. 十万カッパ〔の未来〕において、オッカーカの家系を発生とし、姓としては、ゴータマという名の教師が、世に有るでしょう。
94. 彼の、諸々の法(教え)における、相続者として、正嫡として、法(教え)によって化作された者として、一切の煩悩を遍知して、煩悩なき者となり、涅槃に到達するでしょう」〔と〕。
95. ああ、わたしには、善行の行為〔の果〕がある。水に生じる最上のものを名とする方において、そこにおいて、為すことを為して、わたしは、煩悩の滅尽に至り得た者として〔世に存している〕。
96. 〔刻苦〕精励をもって自己を精励した者として、〔わたしは〕存している。寂静者となり、依り所なき者となり、象のように結縛を断ち切って、煩悩なき者となり、〔世に〕住む。
97. わたしの、諸々の〔心の〕汚れは焼尽し……略……煩悩なき者となり、〔世に〕住む。
98. わたしにとって、まさに、善き訪問として存した……略……覚者の教えは為された。
99. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。
かくのごとく、まさに、尊者ドータカ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──
ドータカ長老の行状が、第四となる。
41. 5. ウパシーヴァ長老の行状
100. ヒマヴァントの遠からざるところ、アノーマという名の山がある。わたしには、美しく作られた庵所があり、見事に造作された草庵がある。
101. そして、川が流れ行き、そこにおいて、意が喜びとする美しい岸辺がある。湿潤なる岸辺において、多くの赤蓮や青蓮が生じる。
102. パーティーナ〔魚〕たちが、パーヴサ〔魚〕たちが、バラジャ〔魚〕たちが、ムンジャやローヒタ〔魚〕たちが、〔これらの〕魚たちがいる。そのとき、小川は、魚や亀たちで等しく溢れ、流れ行く。
103. そこにおいて、諸々のティミラ〔樹〕が花ひらき、諸々のアソーカ〔樹〕が、諸々のクッダマーラカ〔樹〕が、諸々のプンナーガ〔樹〕が、諸々のギリプンナーガ〔樹〕が、わたしの庵所に等しく香り行く。
104. そこにおいて、諸々のクタジャ〔樹〕が花ひらき、そして、諸々のティナスーラ〔樹〕の林がある。そして、そこにおいて、多くの、サーラ〔樹〕が、サララ〔樹〕が、チャンパカ〔樹〕が、花ひらいている。
105. 諸々のアッジュナ〔樹〕が、そして、諸々のアティムッタ〔樹〕が、そして、諸々のマハーナーマ〔樹〕が、花ひらいている。諸々のアサナ〔樹〕が、そして、諸々のマドゥガンディ〔樹〕が、それら〔の木々〕が、わたしの庵所において花ひらいている。
106. 諸々のウッダーラカ〔の花〕が、諸々のパータリカ〔の花〕が、そして、諸々のユーティカ〔の花〕が、諸々のピヤングカ〔の花〕があり、半ヨージャナの遍きにわたり、諸々のビンビジャーラカ〔の花〕が等しく覆っている。
107. 諸々のマータッガーラ〔樹〕が、諸々のサッタリ〔樹〕が、諸々のパータリー〔樹〕が、諸々のシンドゥヴァーラカ〔樹〕がある。そこにおいて、多くの、アンコーラカ〔樹〕が、さらに、ターラ〔樹〕とクッタ〔樹〕が(※)、花ひらいている。そこにおいて、多くのセーレイヤカ〔樹〕が、わたしの庵所において花ひらいている。
※ テキストには tālakuṭṭhi とあるが、PTS版により tāla-kuṭṭhā と読む。
108. これらの花が生じたとき、多くの木々は美しく輝き、その香りによって、遍きにわたり、わたしの庵所は香りただよう。
109. 諸々のハリータカ〔樹の果実〕が、諸々のアーマラカ〔樹の果実〕が、諸々のアンバ〔樹〕やジャンブ〔樹〕やヴィビータカ〔樹の果実〕が、諸々の棗が、諸々の胡桃が、諸々のビッラ〔樹の果実〕が、さらに、諸々のパールサカ〔樹〕の果実がある。
110. そして、諸々のティンドゥカ〔樹の果実〕が、さらに、諸々のピヤーラ〔樹の果実〕が、諸々のマドゥカ〔樹の果実〕が、諸々のカースマーリー〔樹の果実〕がある。そこにおいて、諸々のラブジャ〔樹の果実〕が、諸々のパナサ〔樹の果実〕が、諸々のカダリー〔樹の果実〕が、諸々のバダリー〔樹〕の果実がある。
111. そこにおいて、多くの、アンバータカ〔樹の果実〕が、さらに、ヴァッリカーラ〔樹〕の果実がある。諸々の種に満ちたサパーリ〔樹〕が、わたしの庵所において結果している。
112. 諸々のアーラカ〔樹の果実〕が、そして、諸々のイシムッガ〔樹の果実〕が、それよりも多くのモーダ〔樹〕の果実がある。諸々のアヴァタ〔樹の果実〕が、諸々のパッカバリタ〔樹の果実〕が、そして、諸々のピラッカ〔樹〕やウドゥンバラ〔樹の果実〕がある。
113. そこにおいて、諸々の胡椒が、諸々の黒胡椒が、そして、諸々のニグローダ〔樹〕が、諸々のカピッタナ〔樹〕がある。多くの、ウドゥンバラ〔樹〕が、さらに、カンドゥパンナ〔樹〕が、ハリ〔樹〕がある。
114. そして、これらのものが、さらに、他の多くのものが、わたしの庵所において結果している。多くの花ある木々もまた、わたしの庵所において花ひらいている。
115. そして、諸々のアールヴァ〔の球根〕が、そして、諸々のカランバ〔の球根〕が、諸々のビラーリ〔の球根〕が、さらに、諸々のタッカラ〔の球根〕が、諸々のアーラカ〔の球根〕が、まさしく、さらに、諸々のターラカ〔の球根〕が、わたしの庵所において見出される。
116. わたしの庵所の遠からざるところ、大いなる天然の湖が有った。澄んだ水をたたえ、水は冷たく、意が喜びとする美しい岸辺がある。
117. そこにおいて、多くの赤蓮や青蓮があり、諸々の白蓮が満ち溢れ、諸々の水草に等しく覆われ、種々なる香りが揺らぎただよっている。
118. 諸々の蓮華があり、子房を抱き、或るものは、花糸が花ひらき、諸々の蕾と花弁が立ち、多くの蓮華の果皮がある。
119. 蜜が、蓮根から流れ出る。乳と酥が、諸々の蓮芽から〔流れ出る〕。その香りによって、遍きにわたり、種々なる香りが揺らぎただよっている。
120. 諸々の蓮があり、そして、諸々のアンバガンディン〔樹〕があり、多くのナイタ〔樹〕が見られる。天然の湖の岸沿いには、多くのケータカ〔樹〕が花ひらいている。
121. そして、バンドゥジーヴァ〔の花々〕が、善き香りのセータヴァーリ〔の花々〕が、美しく咲き誇っている。そこにおいて、鰐たちが、そして、鮫たちが、〔これらの〕捕捉者たちが生まれる。
122. そこにおいて、天然の湖において、多くの獰猛な大蛇たちがいる。パーティーナ〔魚〕たちが、パーヴサ〔魚〕たちが、バラジャ〔魚〕たちが、ムンジャやローヒタ〔魚〕たちが、〔これらの〕魚たちがいる。
123. そして、魚や亀たちで等しく溢れ、さらに、諸々のパパタカ〔草〕に〔等しく覆われている〕。鳩たちが、日輪の鵞鳥たちが、さらに、川を行くククッタ〔鳥〕たちたちがいる。
124. ディンディバ〔鳥〕たちが、そして、鴛鴦(おしどり)たちが、パンパカ〔鳥〕たちが、ジーヴァジーヴァカ〔鳥〕たちがいる。多くの、カランダカ〔鳥〕たちが、そして、鶚たちが、鷹たちが、ウッダラ〔鳥〕たちがいる。
125. 多くの、コッタカ〔鳥〕たちが、そして、鸚鵡(おうむ)の雛たちが、蟹たちが(※)、犁牛たちがいる。さらに、カーレーニたちが、ティラカたちが、その湖に依拠して生きる。
※ テキストには tuliyā とあるが、PTS版により kuḷīrā と読む。
126. 獅子たちが、そして、虎たちが、さらに、豹たちが、熊や狼や鬣狗(ハイエナ)たちが、猿たちが、まさしく、そして、妖精たちが、わたしの庵所において見られる。
127. わたしは、それらの香りを嗅ぎながら、諸々の果実を食しながら、そして、香りある水を飲みながら、わたしの庵所に住する。
128. 羚羊(カモシカ)たちが、そして、野猪たちが、形姿小さきパサダ〔鹿〕たちが、祭火者たちが、まさしく、そして、拝火者たちが、わたしの庵所に住する。
129. 白鳥たちが、白鷺たちが、そして、孔雀たちが、さらに、九官鳥たちが、郭公たちがいる。そこにおいて、多くの、マッジャリーカ〔鳥〕たちが、梟たちが、ポッタシーサカ〔鳥〕たちがいる。
130. 多くの、魔物たちが、まさしく、そして、魔神たちが、魔族たちが、羅刹たちが、金翅鳥たちが、まさしく、そして、蛇たちが、わたしの庵所に住する。
131. 心が寂静となった者たちであり、〔心が〕定められた者たちである、大いなる威力ある聖賢たちが、全ての者たちが、長口の水瓶を保持し、皮衣を上衣とし、まさしく、結髪を荷として蓄え、わたしの庵所に住する。
132. そして、〔一〕ユガ(尋:長さの単位・一ユガは約二メートル)ばかりを〔隙なく〕見ながら、寂静にして解脱者たる賢明なる者たちとして、利得あるも利得なくも満足している者たちとして、わたしの庵所に住する。
133. 樹皮の衣を打ち震わせながら、鹿皮の衣を翻しながら、彼らは、自らの力に支えられ、そのとき、宙を赴く。
134. 彼らは、水を持ち運ばない──あるいは、薪を、祭火の木を。そして、自ら、成就するところとなる。これは、神変の果である。
135. 彼らは、銅の桶を携えて、林の中に住する──クンジャラの大いなる象たちのように、恐怖なき獅子たちのように。
136. 或る者たちは、ゴーヤーナ〔洲〕に赴き、或る者たちは、プッパヴィデーハカ〔洲〕に〔赴き〕、そして、或る者たちは、ウッタラクル〔洲〕に〔赴く〕──自らの力に依託した者たちとして。
137. そののち、〔行乞の〕食を持ち運んで、一緒になって遍く受益する。気高き威光ある如なる者たちが、〔彼らの〕全てが、飛び立ちつつあるなら──
138. 鹿皮の衣の音声によって、そのとき、林は声をあげる。偉大なる勇者よ、彼らは、このような者たちである。わたしの徒弟たちは、激しい苦行者たちである。
139. わたしは、彼らに取り囲まれ、わたしの庵所に住する。自らの行為〔の果〕に、満足し、また、教え導かれ、集いあつまった者たちである。
140. これらの者たちは、わたしを喜ばせた。自らの行為〔の果〕を願い求める者たちであり、そして、戒ある者たちであり、賢明なる者たちであり、〔四つの〕無量なる〔心〕における熟知者たちである。
141. パドゥムッタラ〔世尊〕は、世〔の一切〕を知る方は、諸々の捧げものの納受者たる方は、時を正しく見出して、〔世の〕導き手たる方は、〔庵所へと〕近しく赴いた。
142. 〔庵所へと〕近しく赴いて、正覚者は、苦行者にして賢明なる牟尼は、鉢を差し出して、正覚者は、行乞のために、わたしのもとへと近しく赴いた。
143. 近しく赴いた偉大なる勇者を、水に生じる最上の導き手たる方を、〔わたしは見た〕。〔わたしは〕草の敷物を設置して、サーラの花々を振りまいた。
144. 正覚者を坐らせて、欣喜した者となり、畏怖の意図ある者となり、すみやかに、山に登って、わたしは、沈香を収め取った。
145. 瓶ほどのパナサ〔樹の果実〕を、天の香りあるものを、〔それらを〕収め取って、肩に載せて、〔世の〕導き手たる方のもとへと近しく赴いた。
146. 果実を、覚者に施して、わたしは、沈香を、〔覚者に〕塗った。浄信した心の者となり、悦意の者となり、わたしは、最勝の覚者を敬拝した。
147. パドゥムッタラ〔世尊〕は、世〔の一切〕を知る方は、諸々の捧げものの納受者たる方は、聖賢たちの中に坐って、これらの詩偈を語った。
148. 〔パドゥムッタラ世尊は言った〕「彼は、わたしのために、そして、果実を、沈香を、さらに、坐具を、わたしに施しました。わたしは、彼を賛じ称えましょう。〔それを〕語る、わたしの〔言葉を〕聞きなさい。
149. あるいは、村において、もしくは、あるいは、林において、あるいは、諸々の山窟において、この者の心を了知して、食料が発現するでしょう。
150. 天の世において、あるいは、人間〔の世〕において、この人は生起し、そして、諸々の食料と諸々の衣によって、衆を満足させるでしょう。
151. 天〔の神〕たる〔境遇〕に、さらに、人間に、その胎に再生するなら、揺るぎない財物ある者と成って、この人は輪廻するでしょう。
152. 三万カッパのあいだ、天の世において喜び楽しむでしょう。そして、千回、転輪王と成るでしょう。
153. そして、七十一回、天の王権を為すでしょう。数〔の観点〕からは数えようもない、広大なる地域の王権を〔為すでしょう〕。
154. 十万カッパ〔の未来〕において、オッカーカの家系を発生とし、姓としては、ゴータマという名の教師が、世に有るでしょう。
155. 彼の、諸々の法(教え)における、相続者として、正嫡として、法(教え)によって化作された者として、一切の煩悩を遍知して、煩悩なき者となり、〔世に〕住むでしょう」〔と〕。
156. 善く得られた利得が、わたしによって得られた。すなわち、わたしは、〔世の〕導き手たる方を見たのだ。三つの明知は獲得され、覚者の教えは為された。
157. あるいは、村において、もしくは、あるいは、林において、あるいは、諸々の山窟において、わたしの者の心を了知して、わたしには、常に、食料が有る。
158. わたしの、諸々の〔心の〕汚れは焼尽し……略……煩悩なき者となり、〔世に〕住む。
159. わたしにとって、まさに、善き訪問として存した……略……覚者の教えは為された。
160. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。
かくのごとく、まさに、尊者ウパシーヴァ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──
ウパシーヴァ長老の行状が、第五となる。
41. 6. ナンダカ長老の行状
161. かつて、鹿の猟師として〔世に〕存した──わたしは、林のなかにあり、森のなかにある。パサダ鹿を探し求めながら、わたしは、〔他に依らず〕自ら成る方を見た。
162. アヌルッダという名の正覚者は、〔他に依らず〕自ら成る方は、〔一切に〕敗れることなき方は、遠離を欲する慧者は、彼は、そのとき、林に深く分け入った。
163. 四つの棒を収め取って、わたしは、四つの箇所に据え置いた。天幕を、美しく作られたものと為して、蓮華の花々で覆い隠した。
164. 天幕を覆い隠して、〔他に依らず〕自ら成る方を敬拝した。弓を、まさしく、その場に捨て置いて、〔家から〕家なきへと出家した。
165. 出家したわたしに、長からずして、病が生起した。過去の行為を思念して、そこにおいて、わたしは、命を終えたのだった。
166. 過去の行為〔の果〕と結び付いた者として、わたしは、兜率〔天〕に赴いた。そこにおいて、黄金で作られている宮殿が、求めるままに発現する。
167. 千〔の馬〕を設えた馬車を、天の乗物を、〔心に〕確立し、その乗物に乗って、わたしは、求めるままに赴く。
168. そののち、わたしが出発しつつあると、天〔の神〕と成り、〔そのように〕存している、わたしの、百ヨージャナの遍きにわたり、わたしのために、天幕が保持される。
169. わたしは、〔花々に〕覆われ花々が広げられた臥具に横たわる。そして、空中から、諸々の蓮華が、常時に降る。
170. 陽炎が揺れ、そして、熱光が輝くなか、熱光は、わたしを苦しめない。これは、天幕の果である。
171. 悪しき境遇を超え行き、わたしにとって、諸々の悪所は、塞がれたものとしてある。天幕において、あるいは、木の根元において、わたしに、熱苦は見出されない。
172. 大地の表象を〔心に〕確立して、わたしは、海水を超え渡る。〔まさに〕その、わたしには、善行の行為〔の果〕がある。これは、覚者の供養の果である。
173. たとえ、道なくも道と為して、〔天高く〕曲がりなき風のなかを赴く。ああ、わたしには、善行の行為〔の果〕がある。これは、覚者の供養の果である。
174. 〔わたしは〕過去(前世)の居住を知る。天眼は清められた。わたしの諸々の煩悩は完全に滅尽するところとなった。これは、覚者の供養の果である。
175. 以前の生は捨棄された。わたしは、覚者の正嫡として、かつまた、正なる法(教え)における相続者として、〔世に〕存している。これは、覚者の供養の果である。
176. ゴータマ〔世尊〕を、釈迦〔族〕の雄牛たる方を、善き至達者たる方を、喜ばせた者として〔世に〕存している──法(教え)の旗ある者として、法(教え)の相続者として。これは、覚者の供養の果である。
177. ゴータマ〔世尊〕に、釈迦〔族〕の雄牛たる方に、正覚者に、奉仕して、彼岸に至るべき道を、世の導き手たる方に尋ねた。
178. 要請された覚者は、深遠にして精緻なる境処を言説した。わたしは、彼の法(教え)を聞いて、煩悩の滅尽に至り得た者として〔世に〕存している。
179. ああ、わたしには、善行の行為〔の果〕がある。生から完全に解き放たれた者として〔世に〕存している。一切の煩悩は完全に滅尽し、今や、さらなる生存は存在しない。
180. わたしの、諸々の〔心の〕汚れは焼尽し……略……煩悩なき者となり、〔世に〕住む。
181. わたしにとって、まさに、善き訪問として存した……略……覚者の教えは為された。
182. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。
かくのごとく、まさに、尊者ナンダカ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──
ナンダカ長老の行状が、第六となる。
41. 7. ヘーマカ長老の行状
183. 山腹の峰に依拠して、アノーマという名の苦行者は、庵所を、美しく作られたものと為して、そのとき、草庵に住した。
184. 彼の、苦行の行為は成就され、〔彼は〕自らの力において神通に至り得た者として、自らの沙門の資質において勇猛なる者として、苦行者にして賢明なる牟尼として、〔世に存した〕。
185. 自らの教義における熟達者として、そして、他の論における熟知者として、地上と空中における権威者として、そして、天変における熟知者として、〔世に存した〕。
186. 憂いを離れた勉励〔努力〕なき者として、少食にして〔味に〕妄動なき者として、利得あるも利得なくも満足している者として、瞑想を喜ぶ瞑想者たる牟尼として、〔世に存した〕。
187. ピヤダッシンという名の正覚者は、至高の者にして慈悲の者たる牟尼は、そのとき、彼は、有情たちを超え渡すことを欲し、慈悲〔の心〕をもって充満した。
188. 覚らせるべき人を見ては、ピヤダッシン覚者は、偉大なる牟尼は、千のチャッカ・ヴァーラをもまた赴いて、牟尼は、〔覚らせるべき人を〕教諭する。
189. 彼は、わたしを引き上げることを欲し、わたしの庵所へと近しく赴いた。過去において、わたしは、勝者を見たことがなかった。そして、誰にであれ、聞いたこともまたなかった。
190. わたしにとって、諸々の天変と諸々の夢と諸々の特相は、見事に明示されたものとしてあり、〔わたしは〕地上と空中における権威者として、星宿の境処における熟知者として、〔世に存している〕。
191. 〔まさに〕その、わたしは、覚者の〔言葉を〕聞いて、そこにおいて、心を浄信させた。あるいは、立っているも、あるいは、坐っているも、常時に、〔覚者を〕思念する。
192. わたしが、このように思念しているとき、世尊もまた、〔わたしのことを〕随念する。覚者を随念していると、わたしには、まさしく、ただちに、喜悦〔の思い〕が有る。
193. そして、〔しかるべき〕時に、偉大なる牟尼は、ふたたびやってきて、わたしのもとに近しく至った。〔覚者が〕至り得たときもまた、〔わたしは〕知らない。「この方は、覚者である、偉大なる牟尼である」〔と〕。
194. ピヤダッシン〔世尊〕は、偉大なる牟尼は、慈しみ〔の思い〕ある方は、慈悲の者たる方は、自己のことを表象させた。「わたしは、天を含む〔世〕における覚者である」〔と〕。
195. ピヤダッシン〔世尊〕を、偉大なる牟尼を、正覚者のことを表象して、自らの心を浄信させて、この言葉を説いた。
196. 〔わたしは言った〕「他の者たちは、そして、椅子に、長椅子に、諸々の坐床に、坐ります。一切を見る方よ、あなたもまた、宝玉の坐具に坐りたまえ」〔と〕。
197. まさしく、ただちに、全てが宝玉で作られている椅子を化作して、ピヤダッシン〔世尊〕に、牟尼に、神通によって化作された〔椅子〕を施した。
198. そして、神通によって化作された宝玉の椅子に坐った方に、瓶ほどのジャンブ〔樹〕の果実を、まさしく、ただちに、わたしは施した。
199. わたしに、笑みを生じさせて、偉大なる牟尼は遍く受益した。そのとき、心を浄信させて、教師を敬拝した。
200. さてまた、ピヤダッシン世尊は、世の最尊者にして人の雄牛たる方は、宝玉の坐具に坐した方は、これらの詩偈を語った。
201. 〔ピヤダッシン世尊は言った〕「彼は、宝玉で作られている椅子を、さらに、不死の果実を、わたしに施しました。わたしは、彼を賛じ称えましょう。〔それを〕語る、わたしの〔言葉を〕聞きなさい。
202. 七十七カッパのあいだ、天の世において喜び楽しむでしょう。そして、七十五回、転輪王と成るでしょう。
203. 三十二回、天のインダとして、天の王権を為すでしょう。数〔の観点〕からは数えようもない、広大なる地域の王権を〔為すでしょう〕。
204. 多くの見事に作られた長椅子を、黄金で作られているものを、白銀で作られているものを、まさしく、そして、紅玉で作られているものを、宝玉で作られているものを、得るでしょう。
205. 人間として歩行しつつもまた、功徳の行為〔の果〕を保有する者を、そのとき、無数の長椅子が取り囲むでしょう。
206. そして、諸々の楼閣が、諸々の高楼が、さらに、高価なる臥具が、この者の心を了知して、まさしく、ただちに、発現するでしょう。
207. 全てが〔装いを〕十分に作り為し〔美しく〕飾られた六万の象が、金の飾紐をつけ金の鞍かけを装着する象たちが──
208. 槍と鉤を手にする将校たちの乗るところとなり、この者を世話するでしょう。これは、宝玉の椅子の果です。
209. 全てが〔装いを〕十分に作り為し〔美しく〕飾られた六万の馬が、まさしく、生まれながらの良馬たる、シンダヴァの駿馬(シンドゥ産の良馬)たちが──
210. 短剣と弓を保持する将校たちの乗るところとなり、彼らもまた、この者を世話するでしょう。これは、宝玉の椅子の果です。
211. 全てが〔装いを〕十分に作り為し〔美しく〕飾られた六万の車が、豹〔の皮〕が〔飾られ〕、さらに、また、虎〔の皮〕が〔飾られ〕、武装し旗を掲げた〔六万の車〕が──
212. 弓を手にし武装する将校たちの乗るところとなり、常に、この者を取り囲むでしょう。これは、宝玉の椅子の果です。
213. 乳の出る六万の乳牛が、牛主たる雄牛となる子牛たちを生むでしょう。これは、宝玉の椅子の果です。
214. 全てが〔装いを〕十分に作り為し〔美しく〕飾られた一万六千の婦女たちが、様々な彩りの衣装と装飾品の者たちが、宝珠の耳飾を付けた者たちが──
215. 濃い睫毛ある、明朗なる者たちが、善き表象ある、体躯の均整なる者たちが、常に、この者を取り囲むでしょう。これは、宝玉の椅子の果です。
216. 千八百カッパ〔の未来〕において、ゴータマという名の眼ある者が、闇の暗黒を砕破して、覚者として〔世に〕有るでしょう。
217. 彼を見ることに由来して、無一物の者となり、出家するでしょう。教師を満足させて、教えにおいて喜び楽しむでしょう。
218. 彼の法(教え)を聞いて、諸々の〔心の〕汚れを殲滅するでしょう。一切の煩悩を遍知して、煩悩なき者となり、涅槃に到達するでしょう」〔と〕。
219. 精進は、わたしにとって、束縛からの平安に運んでくれる荷駄牛である。最上の義(目的)を切望しながら、教えにおいて、わたしは住む。
220. これは、わたしにとって最後のものである。生存は、最後のものとして転起する。一切の煩悩は完全に滅尽し、今や、さらなる生存は存在しない。
221. わたしの、諸々の〔心の〕汚れは焼尽し……略……煩悩なき者となり、〔世に〕住む。
222. わたしにとって、まさに、善き訪問として存した……略……覚者の教えは為された。
223. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。
かくのごとく、まさに、尊者ヘーマカ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──
ヘーマカ長老の行状が、第七となる。
〔以上が〕第十七の朗読分となる。
41. 8. トーデイヤ長老の行状
224. 最上の都のケートゥマティーにおいて、アジタンジャヤという名の王が、勇士にして勇猛に満ちた者としてあり、そのとき、都の中央に住した。
225. その王が怠っていると、森の者たちが蜂起した。侵入者たちが、まさしく、そして、潜入者たちが、そのとき、国土を砕破した。
226. 辺境が動乱するにおいて、すみやかに、敵の調御者(王)は集めた──まさしく、そして、傭兵たちを、さらに、軍人たちを──敵を鎮圧した、そのとき。
227. 象兵たちが、親兵たちが、そして、盾もつ戦士たる勇士たちが、そして、弓の使い手たちが、さらに、高貴の者たちが、そのとき、全ての者たちが集まった。
228. そして、調理師たちが、理髪師たちが、沐浴師たちが、花飾師たちが、戦場を征圧した勇士たちが、そのとき、全ての者たちが集まった。
229. そして、剣を手にする家来たちが、さらに、弓を手にし武装する者たちが、戦場を征圧した残忍な者たちが、そのとき、全ての者たちが集まった。
230. 三種に〔発情し〕激情したマータンガ〔象〕たちが、六十歳のクンジャラ〔象〕たちが、金の飾紐をつけ〔装いを〕十分に作り為した〔象〕たちが、そのとき、全ての者たちが集まった。
231. 寒さと暑さに忍耐ある者たちが、そして、火の手の上がる戦闘に〔忍耐ある者たちが〕、戦士として生きる者たちが、職務を為した者たちが、そのとき、全ての者たちが集まった。
232. 法螺貝の声を〔響かせ〕、太鼓の声を〔響かせ〕、さらに、季節に見合う音声を〔鳴り響かせ〕、これら〔の音声〕によって〔人々を〕笑わせる、それらの者たちが、そのとき、全ての者たちが集まった。
233. 三つ又の槍と皮具足によって、さらに、鎧と槍によって(※)、打ち掛かる者たちを打ち倒す者たちが、そのとき、全ての者たちが集まった。
※ PTS版により kavacatomarehi を補う。
234. アジタンジャヤは、王自ら、諸々の鎧を着て(※)、そのとき、六万の命あるものたちを串に突き刺した。
※ テキストには Kimevātinisāmetvā とあるが、PTS版により Kavacāni nivāsetvā と読む。
235. 人間たちは声を為した。「ああ、王は、法(正義)ならざる者である。地獄で煮られている者に、いつ、終極が有るというのだろう」〔と〕。
236. 臥所に横たわりながら、わたし(アジタンジャヤ王)は、そのとき、諸々の地獄を見る。昼に、夜に、〔わたしは〕眠らず、〔獄卒たちは〕串でわたしを脅かす。
237. 放逸(安逸)が、王権が、旅団が、さらに、軍隊が、何になるというのだろう。それらは、保持することができない。常に、わたしを苦しめる。
238. 子たちが、妻たちが、さらに、王権の全体が、わたしにとって、何になるというのだろう。それなら、さあ、わたしは、出家するのだ、境遇と道を清めるのだ。
239. 全てが〔装いを〕十分に作り為し〔美しく〕飾られた六万の象を、金の飾紐をつけ金の鞍かけを装着する象たちを──
240. 槍と鉤を手にする将校たちの乗る〔象〕たちを、戦場を行境とする諸々の境位を、期すことなく、わたしは捨棄した。自らの行為〔の果〕によって悩み苦しみ、〔家から〕出た──家なきへと〔出家するために〕。
241. 全てが〔装いを〕十分に作り為し〔美しく〕飾られた六万の馬を、まさしく、生まれながらの良馬たる、シンダヴァの駿馬たちを──
242. 弓を手にし武装する将校たちの乗る〔馬〕たちを、それらの全てを運び去らせて、〔家から〕出た──家なきへと〔出家するために〕。
243. 全てが〔装いを〕十分に作り為し〔美しく〕飾られた六万の車を、豹〔の皮〕が〔飾られ〕、さらに、また、虎〔の皮〕が〔飾られ〕、武装し旗を掲げた〔六万の車〕を、それらの全てを運び去らせて、〔家から〕家なきへと出家した。
244. 全てが赤銅の容器をもつ六万の乳牛を、それらをもまた捨て放って、〔家から〕家なきへと出家した。
245. 全てが〔装いを〕十分に作り為し〔美しく〕飾られた六万の婦女を、様々な彩りの衣装と装飾品をまとい、宝珠の耳飾を付けた者たちを──
246. 濃い睫毛ある、明朗なる者たちを、善き表象ある、体躯の均整なる者たちを、泣き叫んでいる彼女たちを捨棄して、〔家から〕家なきへと出家した。
247. 全てにわたり円満成就した六万の村を、その王権を捨て放って、〔家から〕家なきへと出家した。
248. 城市から出て、ヒマヴァントへと近しく赴いた。バーギーラティー川の岸辺において、わたしは、庵所を造作した。
249. 草庵を作って、わたしは、祭火堂を作った。精進に励み、自己を精励し、わたしは、庵所に住する。
250. 天幕において、あるいは、木の根元において、さらに、空家において、瞑想していると、さてまた、わたしに、恐れは見出されない。恐怖と恐ろしさを見ない。
251. スメーダという名の正覚者は、至高の者にして慈悲の者たる牟尼は、知恵の光明によって輝きながら、まさしく、そのとき、世に生起した。
252. わたしの庵所の近隣に、大いなる神通ある夜叉が存した。最勝の覚者が〔世に〕生起したとき、そのとき、〔彼は〕わたしに告げた。
253. 〔夜叉が言った〕「覚者が、世に生起したのだ。スメーダという名の眼ある方が。全ての人民を〔彼岸へと〕超え渡す。彼は、あなたをもまた超え渡すであろう」〔と〕。
254. 夜叉の言葉を聞いて、まさしく、ただちに、畏怖する者として存した。「覚者である」「覚者である」と思い考えながら、〔わたしは〕庵所を処理した。
255. そして、祭火の木を捨て放って、敷物をたたんで、庵所を敬拝して、わたしは、森から出た。
256. そののち、栴檀を携えて、村から村へと、都から都へと、天の天たる方を探し求めながら、〔世の〕導き手たる方のもとへと近しく赴いた。
257. その時点において、世尊は、スメーダ〔世尊〕は、世の導き手たる方は、四つの真理を明示しながら、多くの人民を覚らせた。
258. 合掌を差し出して、頭に栴檀を為して、正覚者を敬拝して、わたしは、これらの詩偈を語った。
259. 〔わたしは言った〕「ヴァッシカ〔の花〕が花ひらいているとき、現前に近しく香り行きます。勇者よ、あなたは、徳の香りによって、全ての方角に香り行きます。
260. チャンパカ〔の花〕が、ナーガ〔の花〕やヴァニカ〔の花〕が、アティムッタカ〔の花〕やケータカ〔の花〕が──諸々のサーラ〔樹の花〕が花ひらいているとき、風に従い香り行きます。
261. あなたの香りを聞いて、ヒマヴァントから、ここに到来しました。世の最尊者たる方よ、偉大なる福徳ある方よ、偉大なる勇者よ、あなたを供養します」〔と〕。
262. スメーダ〔世尊〕を、世の導き手たる方を、優れた栴檀をもって塗り上げた。自らの心を浄信させて、まさしく、そのとき、沈黙の者となり、〔そこに〕立った。
263. スメーダという名の世尊は、世の最尊者にして人の雄牛たる方は、比丘の僧団のうちに坐って、これらの詩偈を語った。
264. 〔スメーダ世尊は言った〕「彼は、わたしの諸々の徳を賛じ称えました。さらに、栴檀を供養しました。わたしは、彼を賛じ称えましょう。〔それを〕語る、わたしの〔言葉を〕聞きなさい。
265. 言葉が受容される者として、偉丈夫にして〔心が〕真っすぐな苦行者として、二十五カッパのあいだ、光を有する者として、〔世に〕有るでしょう。
266. 二千六百カッパのあいだ、天の世において喜び楽しむでしょう。そして、千回、転輪王と成るでしょう。
267. 三十三回、天のインダとして、天の王権を為すでしょう。数〔の観点〕からは数えようもない、広大なる地域の王権を〔為すでしょう〕。
268. そこから死滅した、この者は、人間として、人間たる〔境遇〕に赴くでしょう。功徳の行為〔の果〕と結び付いた者として、梵の眷属として、〔世に〕有るでしょう。
269. 〔聖典の〕読誦者にして呪文の保持者として、三つのヴェーダの奥義に至る者として、三つの特相を成就した者として、バーヴァリという名の婆羅門が〔世に有るでしょう〕。
270. 彼の徒弟と成って、呪文の奥義に至る者と成るでしょう。正覚者のもとへと近しく赴いて、ゴータマ〔世尊〕に、釈迦〔族〕の雄牛たる者に──
271. 諸々の精緻なる問いを尋ねて、曲がりなき〔道〕を修めて、一切の煩悩を遍知して、煩悩なき者となり、〔世に〕住むでしょう」〔と〕。
272. わたしの三種類の火(貪・瞋・痴の三毒)は寂滅し、一切の〔迷いの〕生存は完破された。一切の煩悩を遍知して、煩悩なき者となり、〔世に〕住む。
273. わたしの、諸々の〔心の〕汚れは焼尽し……略……煩悩なき者となり、〔世に〕住む。
274. わたしにとって、まさに、善き訪問として存した……略……覚者の教えは為された。
275. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。
かくのごとく、まさに、尊者トーデイヤ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──
トーデイヤ長老の行状が、第八となる。
41. 9. ジャトゥカンニ長老の行状
276. ハンサヴァティーの城市において、わたしは、長者の子として〔世に〕有った。欲望の属性(妙欲:色・声・香・味・触)のうちに引き渡され、そのとき、わたしは楽しむ。
277. そののち、高楼に登って、大いなる財物を費やす者となり、そこにおいて、諸々の舞踏によって、諸々の歌詠によって、そのとき、わたしは楽しむ。
278. わたしのために、諸々の楽器が打ち叩かれ、鐃(シンバル)や鉦が打ち鳴らされ、舞っている婦女たちの全てが、わたしの意を、まさしく、奪い去る。
279. 召使たちが、小人たちが、あるいは、傴僂(せむし)たちが、猛獣使いたちが(※)、軽業師たちが、さらに、道化師たちが、常に、わたしを取り囲む。
※ テキストには kuñjavāsī timajjhikā とあるが、PTS版により kujjā vā sīhi-majjhikā と読む。
280. 多くの、呪術師たちが、銅鑼師たちが、さらに、芸人たちが、舞踏家たちが、役者たちが、まさしく、そして、俳優たちが、常に、わたしを取り囲む。
281. 理髪師たちが、沐浴師たちが、料理人たちが、花飾師たちが、仕立師たちが、曲芸師たちが、さらに、力士たちが、彼らの全てが、常に、わたしを取り囲む。
282. これらの者たちが遊び戯れているなか、弓術を為し学ぶなら、夜と昼を、〔わたしは〕知らない──三十三〔天〕の衆におけるインダのように。
283. 旅の者たちが、道行く者たちが、〔彼らの〕全てが──乞い求める者たちが、願い求める者たちが、〔彼らの〕多くが──行乞しながら、それらの者たちが、常に、わたしの家へと近しく赴く。
284. 沙門たちが、まさしく、そして、婆羅門たちが、無上なる功徳の田畑たちが、わたしの功徳を増大させながら、わたしの家にやってくる。
285. パタガたちが、ラトゥカたちが、〔彼らの〕全てが、ニガンタ(離繋者・ジャイナ教徒)たちが、花を衣とする者たちが、三つの杖ある者たちが、一なる冠毛ある者たちが、わたしの家にやってくる。
286. アージーヴィカ(活命者・邪命外道)たちが、強奪者たちが、牛〔の行為〕を法(規則)とする者たちが、天の法(規則)にかなう者たちが、塵と埃を〔身に〕保つ者たちが、これらの者たちが、わたしの家にやってくる。
287. 多くの、護呪者たちが、寂静に至り得た者たちが、コーダプッガニカたちが、苦行者たちが、さらに、林行者たちが、わたしの家にやってくる。
288. オッダカの者たちが、まさしく、そして、ダミラの者たちが、サークラの者たちが、マラヴァーラの者たちが、サヴァラの者たちが、まさしく、そして、ヨーナカ(ギリシャ)の者たちが、わたしの家にやってくる。
289. 盲者たちが、剃髪者たちが、〔彼らの〕全てが、コータラの者たちが、ハヌヴィンダカの者たちが、さらに、遠く支那の国土の者たちが、わたしの家にやってくる。
290. アラサンダの者たちが、パッラヴァの者たちが、ダンマラの者たちが、ニッガマーヌサの者たちが、ゲーヒカの者たちが、さらに、チェータ族の者たちが、わたしの家にやってくる。
291. マドゥラ〔国〕の者たちが、コーサラ〔国〕の者たちが、カリンガ〔国〕の者たちが、ハッティプラの者たちが、イシンダの者たちが、まさしく、そして、マッカラの者たちが、わたしの家にやってくる。
292. チェーラーヴァカの者たちが、さらに、アーラッバの者たちが、オーグルハの者たちが、メーガラの者たちが、〔彼らの〕多くが、小人たちが、まさしく、そして、隷民たちが、わたしの家にやってくる。
293. ローハナの者たちが、まさしく、そして、シンダヴァの者たちが、チタカの者たちが、エーカカンニカの者たちが、スラッタ〔国〕の者たちが、さらに、アパランタ〔国〕の者たちが、わたしの家にやってくる。
294. スッパーラカの者たちが、さらに、クマーラの者たちが、マッラやソーヴァンナブーミの者たちが、さらに、ヴァッジータンガの者たちが、彼らの全てが、わたしの家にやってくる。
295. 葦職人たちが、織物師たちが、さらに、皮革師たちが、大工たちが、鍛冶屋たちが、さらに、陶工たちが、わたしの家にやってくる。
296. 宝珠職人たちが、銅職人たちが、さらに、金職人たちが、衣服商たちが、さらに、錫職人たちが、彼らの全てが、わたしの家にやってくる。
297. 矢作りたちが、轆轤(ろくろ)師たちが、さらに、織物師たちが、調香師たちが、染色師たちが、さらに、仕立師たちが、わたしの家にやってくる。
298. 油商人たちが、さらに、薪運びたちが、さらに、水運びたちが、下僕たちが、料理人たちが、さらに、料理番たちが、わたしの家にやってくる。
299. 門番たちが、親兵たちが、伝令たちが、花を捨てる者(汚物の清掃者)たちが、調象師たちが、象番たちが、わたしの家にやってくる。
300. アーナンダ大王に、わたしにとって義(利益)ある者に、わたしは施した。わたしは、七色の宝玉によって、〔彼の〕不足の義(事物)を満たす。
301. すなわち、わたしが述べ伝えた全ての者たちは、種々なる階級の多くの人たちであり、わたしは、彼らの心を了知して、わたしは、〔彼らを〕宝玉によって満足させた。
302. 諸々の音曲が演じられ、諸々の太鼓が奏でられ、諸々の法螺貝が吹かれるなか、わたしは、自らの家において喜び楽しむ。
303. その時点において、世尊は、〔世の〕導き手たるパドゥムッタラ〔世尊〕は、十万の自在者たちとともに、完全なる滅尽者たちとともに、彼は──
304. 眼ある方は、比丘たちを伴い、道を行った。全ての方角を照らしながら、灯明台のように輝く。
305. 世の導き手たる方が赴きつつあるなか、全ての太鼓が奏でられる。昇り行く百光〔の太陽〕のように、彼の光は放たれる。
306. そして、戸の間から入った光によってもまた、まさしく、ただちに、家々の内には、広大なる光明が存した。
307. 覚者の光を見て、会衆にたいし、わたしは言った。「疑念〔の余地〕なく、最勝の覚者は、この道へと近しく赴いたのだ」〔と〕。
308. すみやかに、高楼から降りて、市場に赴いた。正覚者を敬拝して、この言葉を説いた。
309. 〔わたしは言った〕「水に生じる最上の導き手たる方は、覚者は、わたしのために慈しみたまえ」〔と〕。十万の自在者たちとともに、彼は、牟尼は、〔わたしの申し出を〕承諾した。
310. 正覚者を招いて、自らの家に導き入れた。そこにおいて、食べ物と飲み物によって、偉大なる牟尼を満足させた。
311. 〔覚者が〕食事を終えた時を了知して、最勝の覚者のために、如なる方のために、百の支分ある楽器によって、最勝の覚者に奉仕した。
312. パドゥムッタラ〔世尊〕は、世〔の一切〕を知る方は、諸々の捧げものの納受者たる方は、屋内に坐って、これらの詩偈を語った。
313. 〔パドゥムッタラ世尊は言った〕「彼は、諸々の楽器によって、わたしに奉仕しました。そして、食べ物と飲み物を、わたしに施しました。わたしは、彼を賛じ称えましょう。〔それを〕語る、わたしの〔言葉を〕聞きなさい。
314. 多大なる食物ある者と成って、金貨を有し食料を有する者と〔成って〕、この人は、四つの洲において、一なる王権を為すでしょう。
315. 五つの戒を受持して、そののち、十の〔善なる〕行為の道を受持して、転起させつつ、衆を学ばせるでしょう。
316. 十万の楽器が、〔装いを〕十二分に作り為した諸々の太鼓が、常に、この者に奏でられるでしょう。これは、奉仕の果です。
317. 三万カッパのあいだ、天の世において喜び楽しむでしょう。六十四回、天のインダとして、天の王権を為すでしょう。
318. 六十四回、転輪王と成るでしょう。数〔の観点〕からは数えようもない、地における広大なる王権を〔為すでしょう〕。
319. 十万カッパ〔の未来〕において、オッカーカの家系を発生とし、姓としては、ゴータマという名の教師が、世に有るでしょう。
320. 天〔の神〕たる〔境遇〕に、さらに、人間に、その胎に再生するなら、財物に欠くことなき者と成って、人間たる〔境遇〕に赴くでしょう。
321. 〔聖典の〕読誦者と成って、三つのヴェーダの奥義に至る者と〔成って〕、最上の義(目的)を探し求めながら、この大地を歩むでしょう。
322. 彼は、のちに出家して、白根に促され、ゴータマ世尊の教えにおいて喜び楽しむでしょう。
323. ゴータマ〔世尊〕を、釈迦〔族〕の雄牛たる者を、正覚者を、喜ばせて、諸々の〔心の〕汚れを焼き尽くして、この者は、阿羅漢と成るでしょう」〔と〕。
324. 森における虎の王のように、獣の王たる獅子のように、〔わたしは〕恐怖なき者として、今日、〔世に〕住む──釈迦族の方の教えにおいて。
325. 天の世において、あるいは、人間〔の世〕において、貧者〔の境遇〕における、あるいは、悪しき境遇における、わたしの発現を、〔わたしは〕見ない。これは、奉仕の果である。
326. 〔わたしは〕遠離に専念する者として〔世に〕存している。寂静者となり、依り所なき者となり、象のように結縛を断ち切って、煩悩なき者となり、〔世に〕住む。
327. わたしの、諸々の〔心の〕汚れは焼尽し……略……煩悩なき者となり、〔世に〕住む。
328. わたしにとって、まさに、善き訪問として存した……略……覚者の教えは為された。
329. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。
かくのごとく、まさに、尊者ジャトゥカンニ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──
ジャトゥカンニ長老の行状が、第九となる。
41. 10. ウデーナ長老の行状
330. ヒマヴァントの遠からざるところ、パドゥマという名の山がある。わたしには、美しく作られた庵所があり、見事に造作された草庵がある。
331. 諸々の川が流れ行き、そこにおいて、意が喜びとする美しい岸辺がある。澄んだ水をたたえ、水は冷たく、常に、諸々の川が流れ行く。
332. パーティーナ〔魚〕たちが、パーヴサ〔魚〕たちが、バラジャ〔魚〕たちが、ムンジャやローヒタ〔魚〕たちが、これら〔の魚たち〕が、諸々の川を美しく荘厳しながら、常に、川に住する。
333. 諸々のアンバ〔樹〕やジャンブ〔樹〕に等しく覆われ、そのように、諸々のカレーリ〔樹〕やティラカ〔樹〕が、諸々のウッダーラカ〔樹〕が、諸々のパータリー〔樹〕が、わたしの庵所を美しく荘厳する。
334. 諸々のアンコーラ〔樹〕が、諸々のビンビジャーラ〔樹〕が、そして、諸々のマーヤーカーリー〔樹〕が、花ひらき、香りによって近しく香り行きながら、わたしの庵所を美しく荘厳する。
335. 諸々のアティムッタ〔樹〕が、諸々のサッタリカ〔樹〕が、諸々のナーガ〔樹〕が、そして、諸々のサーラ〔樹〕が、花ひらき、天の香りを等しく香らせながら、わたしの庵所を美しく荘厳する。
336. 諸々のコーサンバ〔樹〕が、諸々のサララ〔樹〕が、諸々のニーパ〔樹〕が、そして、諸々のアッタンガ〔樹〕もまた、花ひらき、天の香りを等しく香らせながら、わたしの庵所を美しく荘厳する。
337. 諸々のハリータカ〔樹〕が、諸々のアーマラカ〔樹〕が、諸々のアンバ〔樹〕やジャンブ〔樹〕やヴィビータカ〔樹〕が、諸々の棗が、諸々の胡桃が、諸々のビッラ〔樹〕があり、庵所には、多くの果実がある。
338. 諸々のカランバ〔樹〕が、諸々のカンダリ〔樹〕が、そこにおいて、わたしの庵所において、花ひらき、天の香りを等しく香らせながら、わたしの庵所を美しく荘厳する。
339. そして、諸々のアソーカ〔樹〕やピンディヴァーリ〔樹〕が、さらに、諸々のニンバ樹が、花ひらき、天の香りを等しく香らせながら、わたしの庵所を美しく荘厳する。
340. 諸々のプンナーガ〔樹〕が、諸々のギリプンナーガ〔樹〕が、諸々のティミラ〔樹〕が、そこにおいて、花ひらき、天の香りを等しく香らせながら、わたしの庵所を美しく荘厳する。
341. 諸々のニッグンディー〔樹〕が、諸々のシリニッグンディー〔樹〕が、諸々のチャンパ樹が、ここにおいて、花ひらき、天の香りを等しく香らせながら、わたしの庵所を美しく荘厳する。
342. 遠からざるところには、諸々の蓮池があり、鴛鴦(おしどり)たちが鳴き、諸々の水草に、そして、諸々の赤蓮や青蓮に、等しく覆われている。
343. 澄んだ水をたたえ、水は冷たく、意が喜びとする美しい岸辺があり、水晶に等しく澄みわたり、わたしの庵所を美しく荘厳する。
344. 諸々の赤蓮が、さらに、諸々の白蓮が、諸々の青蓮が、そこにおいて、花ひらき、諸々の水草に等しく覆われ、わたしの庵所を美しく荘厳する。
345. パーティーナ〔魚〕たちが、パーヴサ〔魚〕たちが、バラジャ〔魚〕たちが、ムンジャやローヒタ〔魚〕たちが、〔これらの〕魚たちがいる。そこにおいて、それら〔の魚〕が、まさしく、泳ぎ行きながら、わたしの庵所を美しく荘厳する。
346. 多くの、鰐たちが、そして、鮫たちが、さらに、亀たちが、〔これらの〕捕捉者たちが、かつまた、沈潜する大蛇たちが、わたしの庵所を美しく荘厳する。
347. 鳩たちが、そして、日輪の鵞鳥たちが、川を行く鴛鴦たちが、ディンディバ〔鳥〕たちが、九官鳥たちが、そして、ここにおいて、わたしの庵所を美しく荘厳する。
348. 諸々のナイタ〔樹〕が、そして、諸々のアンバガンディン〔樹〕が、諸々のケータカ〔樹〕が、そこにおいて、花ひらき、天の香りを等しく香らせながら、わたしの庵所を美しく荘厳する。
349. 獅子たちが、そして、虎たちが、さらに、豹たちが、熊や狼や鬣狗(ハイエナ)たちが、山林を巡り歩みながら、わたしの庵所を美しく荘厳する。
350. 結髪を荷として蓄え、皮衣を上衣とする者たちが、山林を巡り歩みながら、わたしの庵所を美しく荘厳する。
351. 鹿皮を〔身に〕付ける、これらの、寂静にして解脱者たる賢明なる者たちが、彼らの全てが、まさしく、少食の者たちであり、わたしの庵所を美しく荘厳する。
352. 〔彼らは〕天秤を荷として収め取って、そのとき、林に深く分け入って、諸々の根や果を食べながら、そのとき、庵所に住する。
353. 彼らは、木を、足を洗い清める水を、持ち運ばない。全ての者たちの〔神通の〕威力によって、まさしく、自ら、運び込まれる。
354. 八万四千の聖賢たちが、ここにおいて、集いあつまり、これらの者たちは、まさしく、全ての者たちが、瞑想者たちであり、最上の義(目的)を探し求める者たちである。
355. 彼らは、まさしく、苦行者たちであり、梵行者たちであり、叱咤者たちであり、専注者たちであり、全ての者たちが、宙を行境とする者たちであり、そのとき、庵所に住する。
356. 〔心が〕一境にして寂静なる解脱者たちは、五日ごとに集まり、互いに他を敬拝して、方々に向かい立ち去る。
357. パドゥムッタラという名の勝者が、一切の法(事象)の彼岸に至る方が、闇の暗黒を砕破しながら、まさしく、そのとき、勝者として〔世に〕生起した。
358. わたしの庵所の近隣に、大いなる神通ある夜叉が存した。彼は、わたしに伝えた──正覚者のことを、水に生じる最上の導き手たる方のことを。
359. 〔夜叉が言った〕「彼が、覚者が、〔世に〕生起したのだ。パドゥムッタラ〔世尊〕が、偉大なる牟尼が。敬愛なる者よ、すみやかに赴いて、正覚者に奉侍せよ」〔と〕。
360. 夜叉の言葉を聞いて、浄信した心で、庵所を始末して、そのとき、森から出た。
361. まさしく、衣類が焼かれているなか、庵所から出て、一夜のうちに、着衣して、〔世の〕導き手たる方のもとへと近しく赴いた。
362. パドゥムッタラ〔世尊〕は、世〔の一切〕を知る方は、諸々の捧げものの納受者たる方は、四つの真理を明示しながら、不死の境処を説示した。
363. 〔わたしは〕咲き誇る蓮華を収め取って、偉大なる聖賢のもとへと近しく赴いて、浄信した心の者となり、悦意の者となり、覚者に献上した。
364. 水に生じる最上の導き手たる方を、正覚者を、供養して、一つの肩に皮衣を掛けて、世の導き手たる方を奉賛した。
365. 〔わたしは言った〕「その知恵によって、正覚者となり、ここに、煩悩なき者として〔世に〕住する、〔まさに〕その知恵を、〔わたしは〕賛じ称えましょう。〔それを〕語る、わたしの〔言葉を〕聞きたまえ。
366. 〔あなたは〕輪廻の流れを断ち切って、全ての命ある者たちを超え渡します。あなたの法(教え)を聞いて、彼らは、渇愛の流れを超え渡ります。
367. あなたは、命ある者たちの、そして、教師です、そして、幟です、旗です、そして、支柱です、行き着く所です、そして、立脚地です、そして、洲です──最上の二足者たる方よ。
368. およそ、世における衆師たちとしてあるかぎり、〔彼らは〕『先導者』と呼ばれるも、一切を知る方よ、あなたは、〔彼らのなかの〕至高の者として存しています。彼らは、まさしく、あなたの内に沈潜します。
369. 一切を知る方よ、あなたの知恵によって、〔あなたは〕多くの人民を〔彼岸へと〕超え渡します。あなたを見ることに由来して、〔彼らは〕苦しみの終極を為すでしょう。
370. 眼ある方よ、それらが何であれ、世において、これらの香料の類が香り行くも、偉大なる牟尼よ、功徳の田畑において、あなたの香りに等しきものは存在しません。
371. 眼ある方よ、畜生の胎を、地獄を、〔あなたは〕完全に解き放ちます。偉大なる牟尼よ、形成されたものではない寂静の境処(涅槃)を、あなたは説示します」〔と〕。
372. パドゥムッタラ〔世尊〕は、世〔の一切〕を知る方は、諸々の捧げものの納受者たる方は、比丘の僧団のうちに坐って、これらの詩偈を語った。
373. 〔パドゥムッタラ世尊は言った〕「彼は、わたしの知恵を供養しました──浄信した者となり、自らの〔両の〕手で。わたしは、彼を賛じ称えましょう。〔それを〕語る、わたしの〔言葉を〕聞きなさい。
374. 三万カッパのあいだ、天の世において喜び楽しむでしょう。そして、千回、転輪王と成るでしょう」〔と〕。
375. 〔わたしは〕善く得られた利得を得た者として〔世に〕存している。善き掟ある方を満足させて、一切の煩悩を遍知して、煩悩なき者となり、〔世に〕住む。
376. わたしの、諸々の〔心の〕汚れは焼尽し……略……煩悩なき者となり、〔世に〕住む。
377. わたしにとって、まさに、善き訪問として存した……略……覚者の教えは為された。
378. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。
かくのごとく、まさに、尊者ウデーナ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──
ウデーナ長老の行状が、第十となる。
メッテイヤの章が、第四十一となる。
その〔章〕のための摂頌となる。
〔そこで、詩偈に言う〕「メッテイヤ、プンナカ長老、メッタグー、そして、また、ドータカ、そして、ウパシーヴァ、そして、ナンダ、そこにおいて、第七のものとしてヘーマカ──
トーデイヤ、そして、ジャトゥカンニ、そして、大いなる福徳あるウデーナがあり、ここにおいて、三百の詩偈があり、八十〔の詩偈〕があり、さらに、くわえて、三つ〔の詩偈〕がある」〔と〕。
42. バッダーリの章
42. 1. バッダーリ長老の行状
1. スメーダという名の正覚者は、至高の者にして慈悲の者たる牟尼は、遠離を欲する世の至高者たる方は、ヒマヴァントへと近しく赴いた。
2. ヒマヴァントに深く分け入って、スメーダ〔世尊〕は、世の導き手たる方は、最上の人士たる方は、結跏を組んで坐った。
3. 彼は、禅定に入定し、スメーダ〔世尊〕は、世の導き手たる方は、七つの夜と昼のあいだ、覚者は、最上の人士たる方は、〔そこに〕坐った。
4. 天秤を荷として収め取って、わたしは、林に深く分け入った。そこにおいて、〔わたしは〕見た──正覚者を、激流を超え渡った煩悩なき方を。
5. 箒を掴んで、庵所を掃き清めて、四つの棒を据え置いて、そのとき、天幕を作った。
6. サーラ〔樹〕の花を持ち運んで、わたしは、天幕を覆い隠した。浄信した心の者となり、悦意の者となり、如来を敬拝した。
7. すなわち、広き智慧ある方のことを、思慮深き方のことを、〔人々は〕「スメーダ(思慮深き者)」と説く。〔覚者は〕比丘の僧団のうちに坐って、これらの詩偈を語った。
8. 覚者の声を了知して、全ての天〔の神々〕たちが集いあつまった。〔彼らは言った〕「疑念〔の余地〕なく、最勝の覚者は、眼ある方は、法(教え)を説示する」〔と〕。
9. スメーダという名の正覚者は、諸々の捧げものの納受者たる方は、天〔の神々〕たちの群れのうちに坐って、これらの詩偈を語った。
10. 〔スメーダ世尊は言った〕「彼は、わたしのために、七日のあいだ、サーラ〔樹の花々〕で覆い隠された天幕を保持しました。わたしは、彼を賛じ称えましょう。〔それを〕語る、わたしの〔言葉を〕聞きなさい。
11. 天〔の神〕と成った者として、あるいは、人間として、黄金の色艶ある者として〔世に〕有るでしょう。多大なる財物ある者と成って、欲望の享受者として〔世に〕有るでしょう。
12. 全てが〔装いを〕十分に作り為し〔美しく〕飾られた六万の象が、金の飾紐をつけ金の鞍かけを装着する象たちが──
13. 槍と鉤を手にする将校たちの乗るところとなり、夕に、朝に、この人のもとに、奉仕にやってくるでしょう。それらの象に取り囲まれ、この人は喜び楽しむでしょう。
14. 全てが〔装いを〕十分に作り為し〔美しく〕飾られた六万の馬が、まさしく、生まれながらの良馬たる、シンダヴァの駿馬たちが──
15. 短剣と弓を保持する将校たちの乗るところとなり、常に、この者を取り囲むでしょう。これは、覚者の供養の果です。
16. 全てが〔装いを〕十分に作り為し〔美しく〕飾られた六万の車が、豹〔の皮〕が〔飾られ〕、さらに、また、虎〔の皮〕が〔飾られ〕、武装し旗を掲げた〔六万の車〕が──
17. 弓を手にし武装する将校たちの乗るところとなり、常に、この者を取り囲むでしょう。これは、覚者の供養の果です。
18. 全てにわたり円満成就した六万の村が、多大なる財産と穀物ある〔六万の村〕が、全てにわたり極めて富み栄える〔六万の村〕が、常に出現するでしょう。これは、覚者の供養の果です。
19. 象〔兵〕たちが、馬〔兵〕たちが、車〔兵〕たちが、歩〔兵〕たちが、そして、四つの支分ある軍団が、常に、この者を取り囲むでしょう。これは、覚者の供養の果です。
20. 千八百カッパのあいだ、天の世において喜び楽しむでしょう。そして、千回、転輪王と成るでしょう。
21. そして、三百回、天の王権を為すでしょう。数〔の観点〕からは数えようもない、広大なる地域の王権を〔為すでしょう〕。
22. 三万カッパ〔の未来〕において、オッカーカの家系を発生とし、姓としては、ゴータマという名の教師が、世に有るでしょう。
23. 彼の、諸々の法(教え)における、相続者として、正嫡として、法(教え)によって化作された者として、一切の煩悩を遍知して、煩悩なき者となり、〔世に〕住むでしょう」〔と〕。
24. 三万カッパ〔の過去〕において、世の導き手たる方を見た。ここにおいて、中途のあいだも加え含めて、不死の境処を探し求めた。
25. わたしには、諸々の利得がある。わたしには、善く得られたものがある。すなわち、わたしは、教えを了知したのだ。三つの明知は獲得され、覚者の教えは為された。
26. 善き生まれの人士たる方よ、あなたに、礼拝〔有れ〕。最上の人士たる方よ、あなたに、礼拝〔有れ〕。あなたの知恵を賛じ称えて、〔わたしは〕不動の境処に至り得た者として〔世に〕存している。
27. 天〔の神〕たる〔境遇〕に、さらに、人間に、その〔胎〕その胎に再生するなら、一切所において、安楽ある者と成る。知恵の賛じ称えにおける、わたしの果である。
28. これは、わたしにとって最後のものである。生存は、最後のものとして転起する。象のように結縛を断ち切って、煩悩なき者となり、〔世に〕住む。
29. わたしの、諸々の〔心の〕汚れは焼尽し、一切の〔迷いの〕生存は完破された。象のように結縛を断ち切って、煩悩なき者となり、〔世に〕住む。
30. わたしにとって、まさに、善き訪問として存した──わたしにとって、覚者の現前にあることは。三つの明知は獲得され、覚者の教えは為された。
31. 四つの融通無礙は〔実証され〕、そして、また、これらの八つの解脱も〔実証された〕。六つの神知は実証され、覚者の教えは為された。
かくのごとく、まさに、尊者バッダーリ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──
バッダーリ長老の行状が、第一となる。
42. 2. エーカチャッティヤ長老の行状
32. チャンダバーガー川の岸辺において、わたしには、美しく作られた庵所があり、極めて清浄なる砂粒に満ち溢れ、見事に造作された草庵がある。
33. なだらかな斜面の小川があり、意が喜びとする美しい岸辺があり、魚や亀たちで等しく溢れ、鮫たちが慣れ親しむところである。
34. 熊たちが、そして、豹たちが、孔雀たちが、さらに、カラヴィーカ〔鳥〕たちが、九官鳥たちが、これらの者たちが、一切時に鳴く──わたしの庵所を美しく荘厳しながら。
35. そして、美妙なる鳴き手の郭公たちが、さらに、甘美なる声の鵞鳥たちが、それらの者たちが、そこにおいて、さえずり鳴く──わたしの庵所を美しく荘厳しながら。
36. 獅子たちが、虎たちが、そして、猪たちが、熊や狼や鬣狗(ハイエナ)たちが、山の難所において、咆哮する──わたしの庵所を美しく荘厳しながら。
37. 多くの、そして、羚羊たちが、鹿たちが、山犬たちが、豚たちが、山の難所において、咆哮する──わたしの庵所を美しく荘厳しながら。
38. 諸々のウッダーラカ〔樹〕が、そして、諸々のチャンパカ〔樹〕が、諸々のパータリー〔樹〕が、諸々のシンドゥヴァーラカ〔樹〕が、諸々のアティムッタ〔樹〕が、そして、諸々のアソーカ〔樹〕が、わたしの庵所を美しく荘厳する。
39. 諸々のアンコーラ〔樹〕が、まさしく、そして、諸々のユーティカ〔樹〕が、諸々のサッタリ〔樹〕が、諸々のビンビジャーリカ〔樹〕が、そして、諸々のカニカーラ〔樹〕が、花ひらく──わたしの庵所を美しく荘厳しながら。
40. 諸々のナーガ〔樹〕が、そして、諸々のサーラ〔樹〕が、諸々のサララ〔樹〕が、諸々の白蓮が、ここにおいて、花ひらき、天の香りを等しく香らせながら、わたしの庵所を美しく荘厳する。
41. 諸々のアッジュナ〔樹〕が、そして、ここにおいて、諸々のアサナ〔樹〕が、さらに、諸々のマハーナーマ〔樹〕が、花ひらき、そして、サーラ〔樹の花々〕が、さらに、稗の花々が、わたしの庵所を美しく荘厳する。
42. 諸々のアンバ〔樹〕が、そして、諸々のジャンブ〔樹〕が、諸々のティラカ〔樹〕が、さらに、諸々のニンバ〔樹〕が、諸々の美しきサーラ〔樹〕が、天の香りを等しく香らせながら、わたしの庵所を美しく荘厳する。
43. そして、諸々のアソーカ〔樹〕が、さらに、諸々のカピッタ〔樹〕が、諸々のギリマーラ〔樹〕が、ここにおいて、花ひらき、天の香りを等しく香らせながら、わたしの庵所を美しく荘厳する。
44. 諸々のカダンバ〔樹〕が、まさしく、そして、諸々のカダリー〔樹〕が、さらに、諸々のイシムッガ〔樹〕が、生育し、常に、諸々の果実を保持する──わたしの庵所を美しく荘厳しながら。
45. 諸々のハリータカ〔樹〕が、諸々のアーマラカ〔樹〕が、諸々のアンバ〔樹〕やジャンブ〔樹〕やヴィビータカ〔樹〕が、諸々の棗が、諸々の胡桃が、諸々のビッラ〔樹〕が、わたしの庵所において結果している。
46. 遠からざるところには、諸々の蓮池があり、意が喜びとする美しい岸辺があり、諸々の水草に、そして、諸々の赤蓮や青蓮に、等しく覆われている。
47. 諸々の蓮華があり、子房を抱き、或るものは、花糸が花ひらき、まさしく、そして、落葉した果皮のものもあり、わたしの庵所において花ひらく。
48. パーティーナ〔魚〕たちが、パーヴサ〔魚〕たちが、バラジャ〔魚〕たちが、ムンジャやローヒタ〔魚〕たちが、〔これらの〕魚たちが、澄んだ水のなかを泳ぎ行き、わたしの庵所を美しく荘厳する。
49. 諸々のナイタ〔樹〕が、そして、諸々のアンバガンディン〔樹〕が、さらに、岸沿いには、諸々のケータカ〔樹〕が、天の香りを等しく香らせながら、わたしの庵所を美しく荘厳する。
50. 蜜が、蓮根から流れ出る。乳と酥が、諸々の蓮芽から〔流れ出る〕。〔それらが〕天の香りを等しく香らせながら、わたしの庵所を美しく荘厳する。
51. 諸々の美しく荘厳する砂粒が、そこにおいて、満ち溢れ、水が慣れ親しみ、諸々の蕾のものが、諸々の花ひらいたものが、繁茂する──わたしの庵所を美しく荘厳しながら。
52. 結髪を荷として蓄え、皮衣を上衣とし、樹皮の衣を〔身に〕付ける者たちが、全ての者たちが、わたしの庵所を美しく荘厳する。
53. 〔一〕ユガ(尋:長さの単位・一ユガは約二メートル)ばかりを〔隙なく〕見ながら、寂静にして解脱者たる賢明なる者たちが、欲望の享受に期待なき者たちが、わたしの庵所に住する。
54. 脇毛や爪や体毛を長くし、歯には泥、頭には塵の者たちが、塵と埃を〔身に〕保つ者たちが、全ての者たちが、わたしの庵所に住する。
55. 神知における完全態に至り得た者たちが、そして、それらの空中を歩む者たちが、これらの者たちが、天空に昇り行きながら、わたしの庵所を美しく荘厳する。
56. そのとき、〔わたしは〕それらの徒弟たちに取り囲まれ、森に住する。夜と昼を、〔わたしは〕知らない──常に、瞑想〔の喜び〕を供与された〔わたし〕は。
57. その時点において、世尊が、アッタダッシン〔世尊〕が、偉大なる牟尼が、世の導き手たる方が、闇の暗黒を滅ぼしながら、〔世に〕生起した。
58. そこで、或るひとりの徒弟が、わたしの現前にやってきた。彼は、諸々の呪文を、六つの支分ある〔ヴェーダの補助学〕を、まさに、〔天変の〕特相を、読誦することを欲する者である。
59. 〔徒弟が言った〕「覚者が、世に生起したのです。アッタダッシン〔世尊〕が、偉大なる牟尼が。四つの真理を明示しながら、不死の境処を説示します」〔と〕。
60. 〔わたしは〕満足し欣喜し歓喜した者となり、法(真理)への貫入に志欲ある者となり、庵所から出て、この言葉を説いた。
61. 〔わたしは言った〕「覚者が、世に生起したのだ。三十二の優れた特相ある方が。さあ、全ての者たちよ、〔わたしたちは〕赴くのだ──正等覚者の現前に」〔と〕。
62. 教諭に即応する者たちであり、正なる法(教え)における完全態に至った者たちである、それら〔の徒弟たち〕は、「善きかな」と領受した──最上の義(目的)を探し求める者たちは。
63. 結髪を荷として蓄え、皮衣を上衣とする者たちは、彼らは、最上の義(目的)を探し求めながら、そのとき、林から出た。
64. その時点において、世尊は、アッタダッシン〔世尊〕は、偉大なる福徳ある方は、四つの真理を明示しながら、不死の境処を説示する。
65. 〔わたしは〕白の傘蓋を収め取って、最勝の覚者のために保持した。一日のあいだ、〔傘蓋を〕保持して、わたしは、最勝の覚者を敬拝した。
66. さてまた、アッタダッシン世尊は、世の最尊者にして人の雄牛たる方は、比丘の僧団のうちに坐って、これらの詩偈を語った。
67. 〔アッタダッシン世尊は言った〕「彼は、わたしのために、傘蓋を保持しました──浄信した者となり、自らの〔両の〕手で。わたしは、彼を賛じ称えましょう。〔それを〕語る、わたしの〔言葉を〕聞きなさい。
68. 天〔の神〕たる〔境遇〕において、さらに、人間において、この者が、〔世に〕生まれているなら、常に、傘蓋が保持されるでしょう。これは、傘蓋の布施の果です。
69. 七十七カッパのあいだ、天の世において喜び楽しむでしょう。そして、千回、転輪王と成るでしょう。
70. そして、七十七回、天の王権を為すでしょう。数〔の観点〕からは数えようもない、広大なる地域の王権を〔為すでしょう〕。
71. 千八百カッパ〔の未来〕において、ゴータマ〔世尊〕が、釈迦〔族〕の雄牛たる者が、眼ある者が、闇の暗黒を滅ぼしながら、〔世に〕生起するでしょう。
72. 彼の、諸々の法(教え)における、相続者として、正嫡として、法(教え)によって化作された者として、一切の煩悩を遍知して、煩悩なき者となり、〔世に〕住むでしょう」〔と〕。
73. すなわち、わたしが、行為を為したのち、覚者のために、傘蓋を保持したのち、ここにおいて、〔その〕中途において、白の傘蓋が保持されなかったことを、〔わたしは〕知らない。
74. これは、わたしにとって最後のものである。生存は、最後のものとして転起する。傘蓋の保持は、今日もまた、常時に転起ずる。
75. ああ、わたしには、善行の行為〔の果〕がある。アッタダッシン〔世尊〕のために、如なる方のために、〔善行の行為を為したがゆえに〕。一切の煩悩は完全に滅尽し、今や、さらなる生存は存在しない。
76. わたしの、諸々の〔心の〕汚れは焼尽し……略……煩悩なき者となり、〔世に〕住む。
77. わたしにとって、まさに、善き訪問として存した……略……覚者の教えは為された。
78. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。
かくのごとく、まさに、尊者エーカチャッティヤ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──
エーカチャッティヤ長老の行状が、第二となる。
42. 3. ティナスーラカチャーダニヤ長老の行状
79. 生を、そして、老を、死を、そのとき、わたしは綿密に注視した。独りある者となり、〔家から〕出て、家なきへと出家した。
80. 順次に歩みながら、ガンガー〔川〕の岸辺へと近しく赴いた。そこにおいて、ガンガー〔川〕の岸辺において、平らで高き地を見た。
81. そこにおいて、庵所を造作して、わたしは、庵所に住する。わたしには、種々なる鳥たちの群れが満ち溢れる、美しく作られた歩行場がある。
82. そして、〔わたしを〕信頼する〔鳥〕たちは、わたしのもとに近しく至る。そして、意を奪い去るべく、〔彼らは〕鳴く。彼らと共に喜び楽しみながら、わたしは、庵所に住する。
83. わたしの庵所の近隣にて、四つ足の獣の王が、巣から出て、彼が、雷のように吼え叫んだ。
84. そして、獣の王が咆哮したとき、わたしに、笑みが生起した。獣の王を探し求めながら、世の導き手たる方を見た。
85. ティッサ〔世尊〕を、世の至高の導き手たる方を、天の天たる方を、見て、欣喜したわたしは、欣喜した心で、ナーガケーサラ〔の花〕を供養した。
86. 昇り行く太陽のような方を、花ひらいたサーラ〔樹〕の王のような方を、遍照する明星のような方を、世の導き手たる方を、奉賛した。
87. 〔わたしは言った〕「一切を知る方よ、あなたの知恵によって、天を含む、この〔世の人々〕を、〔あなたは〕解き放ちます。あなたを喜ばせて、〔人々は〕生から完全に解き放たれます。
88. 一切を知る方よ、覚者たちを、一切を見る方たちを、見ないことで、〔人々は〕貪欲と憤怒に覆い被され、阿鼻地獄に落ちます。
89. 一切を知る方よ、世の導き手たる方よ、あなたを見ることに由来して、〔人々は〕全ての生存から解き放たれ、不死の境処を体得します。
90. すなわち、覚者たちが、眼ある方たちが、光の作り手たる方たちが、〔世に〕生起するとき、彼らは、諸々の〔心の〕汚れを焼き尽くして、光明を見示します」〔と〕。
91. ティッサ〔世尊〕を、世の至高の導き手たる方を、正覚者を、賛じ称えて、欣喜した者となり、欣喜した心で、ティナスーラ〔の花〕を供養した。
92. わたしの思惟を了知して、ティッサ〔世尊〕は、世の至高の導き手たる方は、自らの坐に坐って、これらの詩偈を語った。
93. 〔ティッサ世尊は言った〕「彼は、わたしを、花々で覆い隠しました──浄信した者となり、自らの〔両の〕手で。わたしは、彼を賛じ称えましょう。〔それを〕語る、わたしの〔言葉を〕聞きなさい。
94. 二十五回、彼は、天の王権を為すでしょう。そして、七十五回、転輪〔王〕と成るでしょう。
95. 数〔の観点〕からは数えようもない、広大なる地域の王権を〔為すでしょう〕──彼の行為の成果によって、さらに、花々の供養によって。
96. そして、この人は、〔常に〕頭を洗い清めた者として〔世に有り〕、すなわち、〔彼が〕花を望むなら、功徳の行為〔の果〕と結び付いたものが、〔彼の〕前に出現するでしょう。
97. 諸々の欲望〔の対象〕から、その〔対象〕その〔対象〕を求めるなら、その〔対象〕その〔対象〕が出現するでしょう。思惟を円満成就させて、煩悩なき者となり、涅槃に到達するでしょう」〔と〕。
〔以上が〕第十八の朗読分となる。
98. 諸々の〔心の〕汚れを焼き尽くして、正知と気づきの者として、一なる坐において、坐って〔そののち〕、阿羅漢の資質に至り得た。
99. 歩行しているも、横になっているも、もしくは、あるいは、坐っているも、立っているも、最勝の覚者を思念して、常に、わたしは〔世に〕住む。
100. 衣料において、そして、〔行乞の〕施食において、日用品において、臥坐具において、そこにおいて、わたしに、不足は存在しない。これは、覚者の供養の果である。
101. 〔まさに〕その〔わたし〕は、今や、不死〔の境処〕(涅槃)に、無上なる寂静の境処に、至り得た者となり、一切の煩悩を遍知して、煩悩なき者となり、〔世に〕住む。
102. すなわち、〔わたしが〕花を供養した、これより、九十二カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、覚者の供養の果である。
103. わたしの、諸々の〔心の〕汚れは焼尽し……略……煩悩なき者となり、〔世に〕住む。
104. わたしにとって、まさに、善き訪問として存した……略……覚者の教えは為された。
105. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。
かくのごとく、まさに、尊者ティナスーラカチャーダニヤ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──
ティナスーラカチャーダニヤ長老の行状が、第三となる。
42. 4. マドゥマンサダーヤカ長老の行状
106. バンドゥマティーの城市において、わたしは、屠豚者として〔世に〕有った。肉の切り身を料理して、肉に蜜を振りまいた。
107. わたしは、集まりに赴いて、わたしは、一なる鉢を収め取った。その鉢を〔施物で〕満たして、わたしは、比丘の僧団に施した。
108. ここにおいて、すなわち、より長老の比丘が、そのとき、わたしに返答した。〔比丘が言った〕「鉢に満ちた、この〔施物〕によって、広大なる安楽を得よ。
109. 〔天と人の〕二つの得達を受益して〔そののち〕、白根に促され、〔生存が〕最後のものとして転起しているとき、〔彼は〕諸々の〔心の〕汚れを焼き尽くすでしょう」〔と〕。
110. そこにおいて、心を浄信させて、わたしは、三十三〔天〕に赴いた。そこにおいて、食べて、さらに、飲んで、広大なる安楽を得る。
111. 天幕において、あるいは、木の根元において、過去の行為を随念した。まさしく、ただちに、わたしのために、食べ物と飲み物の雨が降る。
112. これは、わたしにとって最後のものである。生存は、最後のものとして転起する。ここ(現世)にもまた、わたしのために、全ての時に、食べ物と飲み物〔の雨〕が降る。
113. まさしく、その蜜の布施によって、わたしは、諸々の生存を流転して、一切の煩悩を遍知して、煩悩なき者となり、〔世に〕住む。
114. すなわち、〔わたしが〕布施を施した、そのとき、これより、九十一カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、蜜の布施の果である。
115. わたしの、諸々の〔心の〕汚れは焼尽し……略……煩悩なき者となり、〔世に〕住む。
116. わたしにとって、まさに、善き訪問として存した……略……覚者の教えは為された。
117. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。
かくのごとく、まさに、尊者マドゥマンサダーヤカ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──
マドゥマンサダーヤカ長老の行状が、第四となる。
42. 5. ナーガパッラヴァ長老の行状
118. バンドゥマティーの城市において、わたしは、王の庭園に住する。わたしの庵所の近隣に、世の導き手たる方は坐った。
119. ナーガ〔樹〕の若芽を取って、覚者に献上した。浄信した心の者となり、悦意の者となり、善き至達者たる方を敬拝した。
120. すなわち、〔わたしが〕若芽を供養した、これより、九十一カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、覚者の供養の果である。
121. わたしの、諸々の〔心の〕汚れは焼尽し……略……煩悩なき者となり、〔世に〕住む。
122. わたしにとって、まさに、善き訪問として存した……略……覚者の教えは為された。
123. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。
かくのごとく、まさに、尊者ナーガパッラヴァ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──
ナーガパッラヴァ長老の行状が、第五となる。
42. 6. エーカディーピヤ長老の行状
124. シッダッタ〔世尊〕が、世の導き手たる方が、善き至達者たる方が、完全なる涅槃に到達したとき、天〔の神〕や人間を含む〔人々〕は、全ての者たちが、最上の二足者たる方を供養する。
125. シッダッタ〔世尊〕が、世の導き手たる方が、そして、荼毘の薪山に載せられたとき、すなわち、自らの強さのままに、〔人々は〕教師の荼毘の薪山を供養する。
126. 荼毘の薪山の遠からざるところ、わたしは、灯明を燃やした。すなわち、太陽が昇り行くまで、それまでのあいだ、わたしの灯明は燃えた。
127. その善行の行為によって、さらに、諸々の思欲による誓願によって、人間の肉身を捨棄して〔そののち〕、わたしは、三十三〔天〕に赴いた。
128. そこにおいて、わたしには、美しく作られた宮殿が〔発現する〕──「エーカディーパ(一なる灯明)」という〔名で〕知られ、わたしの宮殿において、十万の灯明が燃え盛る。
129. 昇り行く太陽のように、常に、わたしの肉身は輝く。諸々の光を有するものとともに、わたしの肉体には、常に、光明が有る。
130. 壁越しに、岩越しに、山を超え去って、百ヨージャナの遍きにわたり、わたしは、眼によって見る。
131. そして、七十七回、わたしは、天の世において喜び楽しんだ。そして、三十一回、天の王権を為した。
132. そして、二十八回、わたしは、転輪〔王〕と成った。数〔の観点〕からは数えようもない、広大なる地域の王権を〔為した〕。
133. 天の世から死滅して、母の子宮に発現した。たとえ、母の子宮に赴いたとして、わたしの眼は閉じない。
134. わたしは、生まれて四年で、〔家から〕家なきへと出家した。半月に達し得ないうちに、阿羅漢の資質に至り得た。
135. 〔わたしは〕天眼を清めた。一切の〔迷いの〕生存は完破された。一切の〔心の〕汚れは断絶された。これは、一なる灯明の果である。
136. 壁越しに、岩越しに、さらに、また、山の全部をも超え行って、〔わたしは〕見る。これは、一なる灯明の果である。
137. 諸々の平坦ならざるところと諸々の平坦なるところが有るとして、わたしに、暗黒は見出されない。わたしは、漆黒を見ない。これは、一なる灯明の果である。
138. すなわち、〔わたしが〕灯明を施した、そのとき、これより、九十四カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、一なる灯明の果である。
139. わたしの、諸々の〔心の〕汚れは焼尽し……略……煩悩なき者となり、〔世に〕住む。
140. わたしにとって、まさに、善き訪問として存した……略……覚者の教えは為された。
141. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。
かくのごとく、まさに、尊者エーカディーピヤ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──
エーカディーピヤ長老の行状が、第六となる。
42. 7. ウッチャンガプッピヤ長老の行状
142. バンドゥマティーの城市において、そのとき、わたしは、花飾師として〔世に〕有った。腰〔の袋〕に〔花を〕満たして、市場に赴いた。
143. その時点において、世尊は、比丘の僧団に囲まれ、偉大なる威力をもって、世の導き手たる方は、〔城市へと〕出発する。
144. ヴィパッシン〔世尊〕を、世〔の人々〕を超え渡す方を、世の灯火たる方を、見て、腰〔の袋〕から花を差し出して、最勝の覚者を供養した。
145. すなわち、〔わたしが〕花を供養した、これより、九十一カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、覚者の供養の果である。
146. わたしの、諸々の〔心の〕汚れは焼尽し……略……煩悩なき者となり、〔世に〕住む。
147. わたしにとって、まさに、善き訪問として存した……略……覚者の教えは為された。
148. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。
かくのごとく、まさに、尊者ウッチャンガプッピヤ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──
ウッチャンガプッピヤ長老の行状が、第七となる。
42. 8. ヤーグダーヤカ長老の行状
149. そのとき、わたしの客を携えて、〔わたしは〕村に赴いた。等しく満ちた川を見て、〔わたしは〕僧団の林園へと近しく赴いた。
150. 林にある者たちであり、払拭〔の行〕(頭陀行)を保つ者たちであり、瞑想者たちであり、粗野な衣料の者たちであり、遠離を喜ぶ者たちであり、慧者たちである、彼らは、僧団の林園に住する。
151. 善き解脱者たちであり、如なる者たちである、彼らにとって、〔未来の〕境遇は、〔すでに〕断絶されたものとしてある。彼らは、行乞〔の施食〕のために赴かない──まさに、川に遮られたがゆえに。
152. 浄信した心の者となり、悦意の者となり、感嘆〔の思い〕を生じ、合掌を為し、わたしの米を携えて、わたしは、粥の布施を施した。
153. 粥を、五者〔の比丘たち〕に施して──浄信した者となり、自らの〔両の〕手で──わたしは、自らの行為〔の果〕に満悦した者となり、わたしは、三十三〔天〕に赴いた。
154. そして、わたしには、宝珠で作られている宮殿が、三十三〔天〕の衆のうちに発現する。女たちの群れを伴い、最上の宮殿において歓喜する。
155. 三十三回、天のインダとして、天の王権を為した。三十三回、転輪〔王〕として、大いなる王権を為した。
156. 数〔の観点〕からは数えようもない、広大なる地域の王権を〔為した〕。天の世において、あるいは、人間〔の世〕において、わたしは、自ら、〔得達を〕受領して〔そののち〕──
157. 最後の生存に達し得たとき、〔家から〕家なきへと出家した。髪を剃り下ろすと共に、わたしは、一切を理解した。
158. 滅尽〔の観点〕から、さらに、また、衰失〔の観点〕から、死体(身体)を触知しながら、学びの境処(戒律)を取るより前に、阿羅漢の資質に至り得た。
159. わたしには、善く施された優れた布施がある。〔わたしの〕商いは、正しく従事された。まさしく、その粥の布施によって、〔わたしは〕不動の境処に至り得た者として〔世に〕存している。
160. 憂いが、嘆きが、病が、懊悩が、心を苦しめるものが、〔それらが〕生起したのを、〔わたしは〕証知しない。これは、粥の布施の果である。
161. 粥を、僧団に施して、無上なる功徳の田畑において、五つの福利を受領する。ああ、粥の善き供えものたることよ。
162. 病なきことが、形姿あることが、すみやかに法(教え)に反応することが、食べ物と飲み物の得者たることが、第五のものとして寿命が、わたしにはある。
163. すなわち、誰であれ、感嘆〔の思い〕を生じつつ、僧団にたいし、粥を布施するなら、彼は、〔その〕賢者は、これらの五つの境位を納受するであろう。
164. 為すべきことは、〔その〕全てが為された。諸々の〔迷いの〕生存は、わたしによって根絶された。一切の煩悩は完全に滅尽し、今や、さらなる生存は存在しない。
165. 〔まさに〕その、わたしは、村から村へと、都から都へと、渡り歩くであろう──正覚者を礼拝しながら、そして、法(教え)が見事に法(教え)たることを〔礼拝しながら〕。
166. すなわち、〔わたしが〕布施を施した、そのとき、三万カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、粥の布施の果である。
167. わたしの、諸々の〔心の〕汚れは焼尽し……略……煩悩なき者となり、〔世に〕住む。
168. わたしにとって、まさに、善き訪問として存した……略……覚者の教えは為された。
169. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。
かくのごとく、まさに、尊者ヤーグダーヤカ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──
ヤーグダーヤカ長老の行状が、第八となる。
42. 9. パットーダナダーヤカ長老の行状
170. かつて、〔わたしは〕林行者として〔世に〕存した。木こりとして、常に、わたしは、ひと鉢の飯を携えて、仕事に赴いた。
171. そこにおいて、〔わたしは〕見た──正覚者を、〔他に依らず〕自ら成る方を、〔一切に〕敗れることなき方を。〔行乞の〕食のために、林から出つつある方を見て、〔わたしは〕心を浄信させた。
172. 〔わたしは思い考えた〕「〔わたしは〕他者の行為の道に専念する者(雇われ人)として〔世に存している〕。そして、わたしに、功徳は見出されない。このひと鉢の飯が存在する。わたしは、牟尼を受益させるのだ」〔と〕。
173. ひと鉢の飯を携えて、わたしは、〔他に依らず〕自ら成る方に施した。わたしが凝視していると、そのとき、牟尼は、〔それを〕遍く受益した。
174. その善行の行為によって、さらに、諸々の思欲による誓願によって、人間の肉身を捨棄して〔そののち〕、わたしは、三十三〔天〕に赴いた。
175. 三十六回、天のインダとして、天の王権を為した。そして、三十三回、わたしは、転輪王と成った。
176. 数〔の観点〕からは数えようもない、広大なる地域の王権を〔為した〕。安楽ある者として、福徳ある者として、〔世に〕有る。これは、ひと鉢の飯の果である。
177. 種々なる生存において輪廻しながら、無量なる財産を得る。わたしの財物に、不足は存在しない。これは、ひと鉢の飯の果である。
178. 川の流れに相似する諸々の財物が、わたしに発現する。〔わたしは、それを〕量ることができない。これは、ひと鉢の飯の果である。
179. 「これを咀嚼したまえ」「これを食べたまえ」「この臥具に臥したまえ」〔と〕、それによって、わたしは、安楽ある者と成る。これは、ひと鉢の飯の果である。
180. すなわち、〔わたしが〕布施を施した、そのとき、これより、九十四カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、ひと鉢の飯の果である。
181. わたしの、諸々の〔心の〕汚れは焼尽し……略……煩悩なき者となり、〔世に〕住む。
182. わたしにとって、まさに、善き訪問として存した……略……覚者の教えは為された。
183. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。
かくのごとく、まさに、尊者パットーダナダーヤカ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──
パットーダナダーヤカ長老の行状が、第九となる。
42. 10. マンチャダーヤカ長老の行状
184. シッダッタ〔世尊〕が、世の導き手たる方が、慈悲の者たる方が、完全なる涅槃に到達したとき、〔聖なる〕言葉が広く知られ、天〔の神々〕と人間たちによって恭しく為されたとき──
185. そこにおいて、わたしは、坐床や椅子を作るチャンダーラ(賎民)として〔世に〕存した。その行為によって、〔わたしは〕生き、それによって、幼児たちを養う。
186. 見事に作られた坐床を作り為して──浄信した者となり、自らの〔両の〕手で──まさしく、自ら、近しく赴いて、わたしは、比丘の僧団に施した。
187. その善行の行為によって、さらに、諸々の思欲による誓願によって、人間の肉身を捨棄して〔そののち〕、わたしは、三十三〔天〕に赴いた。
188. 天の世に赴き、〔そこに〕存しつつ、三十三〔天〕の衆において歓喜する。諸々の高価なる臥具が、求めるままに発現する。
189. 五十回、天のインダとして、天の王権を為した。そして、八十回、わたしは、転輪王と成った。
190. 数〔の観点〕からは数えようもない、広大なる地域の王権を〔為した〕。安楽ある者として、福徳ある者として、〔世に〕有る。これは、臥床の布施の果である。
191. 天の世から死滅して、もし、人間の生存に至るなら、諸々の高価にして見事なる臥具が、まさしく、自ら、わたしのものとして有る。
192. これは、わたしにとって最後のものである。生存は、最後のものとして転起する。今日もまた、臥時において、臥具が現起する。
193. すなわち、〔わたしが〕布施を施した、そのとき、これより、九十四カッパ〔の未来〕において、〔わたしは〕悪しき境遇を証知しない。これは、臥床の布施の果である。
194. わたしの、諸々の〔心の〕汚れは焼尽し……略……煩悩なき者となり、〔世に〕住む。
195. わたしにとって、まさに、善き訪問として存した……略……覚者の教えは為された。
196. 四つの融通無礙は〔実証され〕……略……覚者の教えは為された。
かくのごとく、まさに、尊者マンチャダーヤカ長老は、これらの詩偈を語った。ということで──
マンチャダーヤカ長老の行状が、第十となる。
バッダーリの章が、第四十二となる。
その〔章〕のための摂頌となる。
〔そこで、詩偈に言う〕「バッダーリ、そして、エーカチャッタ、そして、ティナスーラ、マンサダ、ナーガパッラヴィカ、ディーピン、ウッチャンギン、ヤーグダーヤカ──
パットーダニン、マンチャダダがあり、諸々の詩偈があるなか、そして、二百〔の詩偈〕があり、さらに、それに加えて、一つの詩偈があり、そして、〔それらの〕詩偈が、ここに数えられた」〔と〕。