千波湖

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那珂川と千波湖を有し、古くから水の都として人々から愛されてきた水戸市。この歴史ある都市は、さらに長い年月をかけて育まれた大地の上に発展してきました。水戸市に高いところと低いところがあるのは何故でしょうか?千波湖のほとりに縄文時代の貝塚があるのは何故でしょうか?

①柳崎貝塚

柳崎貝塚は約6000年前の縄文時代に形成された貝塚です。しかし千波湖にのぞむ柳崎貝塚は現在の海岸線から約13km離れ、海抜約20mの位置で見つけられました。それは一体なぜでしょうか? 海水面が上昇し、陸地にまで広がっていくことを海進と言いますが、縄文時代早期末~前期前半(約6000~6500年前)に温暖化によって海水面が一番高く上昇しました(この海進を縄文海進といいます)。 現在の海岸線から直線距離で約13kmの位置にこの柳崎貝塚があるのですが、この場所に貝塚があるということはこの地域まで海進によって海が入ってきたことを示します。 このことは柳崎貝塚でヤマトシジミ、稀にタニシ、ハマグリ、カキといった海水と淡水の混じり合う汽水環境に生息する貝類が発見されていますことからも言えます。

水戸周辺では吉田貝塚・谷田貝塚・大串貝塚などが発見され、柳崎貝塚はこの中で一番陸側に位置します。

詳しくは→①柳崎貝塚

②水戸の台地

この場所から千波湖の向こう側を見てみましょう。向こう側がここより高くなっているのがわかりますね。この高くなっているのが台地です。実は今いる場所と向こう側の台地では地下構造が異なっているのです! 水戸は千波湖周辺から水戸駅の南、東側まで広がる低地と千波湖を取り囲むように分布する台地が存在します。そして水戸市の地下には水戸層という基盤の丈夫で固く、灰白色の泥の層があります。 現在の水戸市はこの水戸層の上に砂やレキ(2mmよりも大きな砂粒)、粘土や火山灰など様々な物質が堆積してできています。 まず千波湖を取り囲むようにある台地について、ここは水戸層の上に砂やレキ、シルトから成る見和層やレキ・砂から成る上市レキ層、火山灰からなる関東ローム層などが堆積してできています。一方、千波湖周辺や水戸駅南・東側に広がる低地は、水戸層の上に千波湖が昔まだ桜川の一部だった頃に堆積した泥や粘土などのとても新しく地層が堆積してできています。

③台地の構造

線路沿いに人類が誕生する前にできた5m程の泥岩(崖)があります。 さらにこの地層の上には、那珂川の堆積物であるれき層もみえます。 ではこれらの地層はどのように形成されたのでしょう? この場所で全面に見える灰白色の地層は、人類が誕生する前にできた地層です。この地層はとても小さな粒の泥の堆積物でできています。 約600万年前より昔 (第三紀中新世末)、氷河期が終わり温暖な気候になりました。そして氷が溶けて海水が増え、海面が上昇し海が陸にまで広がる海進が起こりました。その時堆積したのがこの泥の岩です。この地層は水戸層と呼ばれ、水戸の台地の基盤になってます。

さらに水戸層の上をよく観察すると、握りこぶしくらいの大きさの丸みを帯びた石がゴロゴロしています、このように2mmより大きな粒の石をレキと言い、レキを含む地層をレキ層と呼びます。ここでみられるこのレキをよく見ると河原に転がっている石に似ていませんか?実はこのレキ、昔の那珂川の河原の堆積物なのです。この層は年代がはっきりしませんが、水戸層ができてから何百万年も後にできたものです。といっても今から何万年も前の話ですが。

ここで観察できる灰白色の泥の層に水をぜひ流してみてください。水がなかなか吸収されないのが観察できます。実はこの層は水を通しにくい難透水層なのです。

このポイントから先の公園内でもこの層を観察できるので是非見てください。おそらくそこではこの層から水が湧き出してきているでしょう。。

この層が水を通しにくいということに注目した水戸光圀は、水戸下町の給水難を解消するべく、この泥岩も用いて笠原水道という約10kmに及ぶ当時としては巨大な水道を作りました。

④銀杏坂

この坂は台地と低地をつないでいる比較的ゆるやかな坂です。 今では考えられませんが、昔台地の下は水の中だったので、この坂の下は千波湖だったのです。 銀杏坂は水戸の台地と低地を結んでいる比較的ゆるやかな坂です。 銀杏坂を下るということは台地の上から再び低地に戻るということです。 大昔海がすぐそこまで入ってきていたこと、千波湖が大きかったこと,低地の堆積物は台地よりも新しくやわらかいことなどを想像しながら下ってみてください。