笠間

① 佐白山

笠間駅周辺は盆地内に平坦な地形が広がっています。佐白山の標高は209m。…さほど大きくありません。しかし、周囲に大きな山が無く、非常に存在感があります。

鎌倉時代には、この地形を活かして笠間城が築かれました。このように山に築く城を「山城」と言いますが、関東地方では珍しい種類の城です。急峻な山にあるために、敵が攻めにくく、「防御」に特化している、という特徴があります。 最高峰には、安土桃山時代~江戸時代初期にかけて石垣が積まれ、その上に天守台が作られました。きっと天守台から見た眺めは絶景だったことでしょう。 笠間城は明治時代に廃城となり、現在は遷座した佐志能神社が旧天守部に存在します。しかし、石垣や堀等、笠間城の名残は今でも残っています。

ちなみにこの佐白山は、稲田地域と同様に、マグマが地下深くでゆっくり冷え固まった「花崗岩」で形成されています。また、天守台の石垣も花崗岩が使用されています。どこで採取したか明らかではありませんが、もしかしたら佐白山で切り出した花崗岩を利用しているかもしれないですね。

② 石切り場

花崗岩は火山活動によってできた火成岩の中の深成岩という種類に属します。ゆっくり冷えて固まってできたために花崗岩を構成する鉱物は大きく育つことができました。そのために粒は粗粒で、大きさもほぼそろっています。この組織は深成岩によく見られ、「等粒状組織」と呼ばれます。対して急に冷やされた火山岩は、石基という、おもに細粒の鉱物やガラス質でなる部分と、斑晶という、その中に含まれる比較的大きな結晶からなります。この組織は「斑晶組織」と呼ばれます。

花崗岩の主な構成鉱物は石英、カリ長石、斜長石、黒雲母、角閃石です。石英、カリ長石、斜長石は白い無色鉱物で、全体の80%以上を占めます。黒雲母、角閃石は黒っぽい有色鉱物で、花崗岩の黒い点々がこれにあたります。 地球の表層部には地殻、と呼ばれるものが存在し、さらに大陸地殻(私たちが暮らしているところ、山々)と海洋地殻(海底の部分)に分けられます。大陸地殻の大部分は花崗岩からなっています。花崗岩は地球を構成する大事な岩石なのです。

花崗岩には産地によって名称があります。有名なものは稲田石、御影石、真壁石などで、産地によって花崗岩を構成する鉱物組成の割合が微妙に異なります。

③ 笠間焼

笠間焼が誕生したのは、江戸時代中期の安永年間(1770年代)。箱田村(現在の笠間市箱田)の名主・久野半右衛門が、近江信楽の陶工・長右衛門の指導で焼物を始め、築窯したとされている。明治に入っても、笠間は19の窯元を数える厨房用粗陶器の産地として知られていました。

幕末から明治にかけては江戸に近い利点から、大量生産の機会を得て技術者や従事者も飛躍的に増えました。終戦後、生活様式の大きな変化によって需要が減り、存続の危機に直面しました。しかし、関係者の熱意と工芸陶器への転換によって、笠間焼は危機を脱出し、現在では300人に近い陶芸作家や窯元のいる窯業産地となっています。関東地方では、益子と並ぶ大きな窯業産地として知られています。

特徴

    1. 関東ローム層から出土する笠間粘土や花崗岩の風化によってできた鉄分を多く含む蛙目(がいろめ)粘土と呼ばれる陶土によって作られます。笠間粘土は粘りが強く粒子が細かいため焼き上がりが丈夫であり、当時の日常雑器としては理想的な土でした。

    2. 蛙目粘土…カオリナイト鉱物を主成分とする花崗岩、花崗斑岩などを母材としてできた風化残留粘土のこと。粘土に含まれる石英粒子が雨にぬれ、カエルの目のように光るので、この名前が付けられました。

    3. 「特徴がないのが特徴」と言われるほど多種多様な個性豊かな作品が生み出されるようになりました。戦後、伝統にこだわらない自由な作品が作れる笠間の気風を求めて各地から若い陶芸家たちが集まったためです。 現在では、安価で実用的な水瓶や徳利から芸術的で斬新なデザインのオブジェまで多種多様な焼き物が焼かれています。

・笠間陶芸美術館

・稲田駅

花崗岩がふんだんに使われています。

・笠間やきもの散歩道

・陶炎祭(ひまつり)

1982年から始まった、笠間焼の発展の鍵となるお祭りです。毎年4月29日から5月5日まで行われ、年々規模が拡大し、今では期間中県内では最も集客があるイベントとして定着しています。200名を超える作家や窯元が手作りの店で自らが作品を販売し、お客さんと一緒に楽しめるさまざまなアトラクションもあり、陶芸愛好家だけでなく多くのファンを獲得しています。