日立鉱山の歴史と煙害

マップの表紙にも載っている大煙突。この大煙突が完成するまでに実は二つの煙害対策の煙突がありました。その外見からそれぞれ「百足煙道」、「ダルマ煙突」と呼ばれています。「ダルマ煙突」はマップの表紙の大煙突の手前の短く太い煙突です。「百足煙道」は現在取り壊されて残っていません。


<百足煙道>

1911年に神峰山の尾根伝いに作られた全長1.6kmにわたり続く煙道で、当時は途中数十ヶ所から排煙し、空気と混ぜながら放出していました。しかし、煙害を引き起こしていた亜硫酸ガスは空気より重いため、煙道から谷筋に沿って流れたため、かえって被害を大きくしました。


<ダルマ煙突>

百足煙道に続いて1913年に作られたのが、政府の命令による、高さ36m、直径が18mもあるこの「ダルマ煙突」でした。煙突の内部にガスと空気を混ぜる装置を設置することで、亜硫酸ガスの濃度を下げることには成功しましたが、煙の温度が下がり、地表に停滞してしまったために、さらなる被害を生みました。ダルマ煙突は、政府の命令により作られたことから「命令煙突」、被害を大きくしたことから 「阿呆煙突」とも呼ばれてしまいました。