袋田の滝

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1500万年ほど昔、袋田の滝周辺は海の底にあり、そこでは海底火山が噴火していました。日本三大名瀑の一つ袋田の滝は、実は海底火山の断面なのです。

袋田周辺はもともとは陸でした。そこには植物が生い茂り動物たちや鳥たちが暮らしていました。それが、急に海になり海底火山ができたのです。

袋田駅から袋田の滝を歩くと、この地域が陸から海に変わる様子を観察することができます。おいしい蕎麦や鮎の塩焼きを食べながら、かつての大地の姿を想像してみてください。

①暴れ川の落し物:レキ岩

ここでは様々な石で構成された岩石が見られます。このような石ころで構成された岩をレキ岩といいます。また、石ころをレキといいます。現在の久慈川の川原を見てみましょう。様々な石ころが転がっています。それらがまとまって固まるとレキ岩が出来上がります。ここで見られるレキ岩はレキがとても大きいのが特徴です。このように大きなレキは大雨のときなどの強い流れによって運ばれます。 ここで見られるレキ岩の特徴をよく観察してみてください。久慈川の川原で見られるような石ころと様子が違っていませんか?

レキの形はあまり丸くなく、大きさはばらばらです。レキの周りは不均質な砂で埋められています。またレキは砂の中に浮いているように見えます。このようなレキ岩はどのようなところでできるのでしょうか?

皆さんは岩手・宮城内陸地震のとき宮城県栗原市栗駒の旅館「駒の湯温泉」を土石流が襲ったのを覚えているでしょうか? 土石流とは、土砂が水(雨水や地下水)と混合して、河川・渓流などを流下する現象のことです。岩手・宮城内陸地震のとき、地震によって水分を含んだ地層がいっきに崩落し土石流となり、下流の駒の湯温泉を一瞬で飲み込みました。

この時、駒の湯温泉の周りにたまった土砂は、砂や泥の中に大小さまざまなレキがごろごろしているという特徴を持っていました。このような特徴は土石流によってもたらされた堆積物にしばしば見られるものです。

ここで見られるレキ岩は同じような特徴を持ちます。つまり、土石流によって運ばれた土砂がここにたまり、固まったものと考えられます。

土石流は、地震のときだけでなく、大雨が降ったときや、火山が噴火して雪が急激に溶けたときなどにも起こります。

②河童の休み岩?

道路から川を眺めて見てください。川の中に大きな岩があるのがわかると思います。この岩、川に転がっているのではありません。実は地面から生えているのです。この岩はレキ岩を構成するレキの一つで、周りよりも硬かったので削られず残ったものです。 皆さんは「浸食」「運搬」「堆積」と言う言葉を知っていますか? 大地は、雨や風、川の流れや海の波などによって常に削られています。これを「浸食」と言います。削られて、大地から離れたレキや砂などの粒子は、水の力や風の力などで運ばれます。これを「運搬」と言います。運ばれた粒子は、水や風の力によって支えきれなくなると落ち、たまっていきます。これを「堆積」と言います。堆積した粒子は、あるものはすぐにまた浸食されて流され、あるものはそのまま静かに固まり硬い岩石「堆積岩」になっていきます。この、固まっていくことを、「続成作用」と言います。

固まった岩石ですが、その硬さは一様ではありません。固まる前、堆積した当時から硬かった火山岩などは、堆積してから固まった部分よりずっと硬いのです。一方、堆積した当時から柔らかかった軽石などは、固まった後も周囲より柔らかいままです。

さて、硬くなった岩石も、地表に現れればまた水や風にさらされ、その力で浸食されます。このとき、柔らかい部分はすぐに削られてしまいます。一方、硬い部分はなかなか削られません。すると、柔らかい部分はへこみ、硬い部分は飛び出ることになるのです。ポイント②で見られる突き出したレキは火山岩です。周りを埋めている砂よりも硬かったためそれだけ飛び出しているのです。

さて、ではこのレキ岩はどのようにしてできたのでしょうか?実は、このレキ岩もポイント①と同様、土石流で運ばれた土砂が堆積してできたものと思われます。土石流の強い力は、こんな大きな岩石をも遠くまで運搬することができるのです。

③河川の作った芸術:斜交層理

対岸を眺めると縞模様のついた地層が見られます。この地層、東に傾いているのがわかるでしょうか?もともと水平だった地層が大地の動きに応じて傾いてしまったのです。さらによく観察してみてください。縞模様が平行でなく斜交しているのが分かるでしょうか?このような地層を斜交層理と言い、河川などでよく形成されます。 この場所で見られる斜交層理はどのようにしてできたのでしょうか? 川の水の流れは一定ではありません。水の流れが強くなったり、流路が変わったときなどに一度たまった砂などが削られ、水の流れに沿った溝ができることがあります。その溝は舟のような形で、流れの方向に縦長、横に切った断面はゆるいU字のような形をしています。その後、砂などの粒子が舟の形に沿うようにたまっていきます。すると下にゆるく曲線を描く地層が出来上がります。その後、また流れが乱れ、先に堆積した砂などが削られ、舟のような形の溝が別のところにできます。その上に砂などがたまると、先にたまった層とは斜交する層が形成します。こうしてできた斜交層理は、層の形が舟に似ているのでトラフ(舟)型斜交層理と言います。斜交層理は水や風の流れがあるときにしばしば発達します。その形状は流れのメカニズムに応じて様々です。

④海底火山の断面、袋田の滝

まずは下の観瀑台から袋田の滝を見てみましょう。滝を構成する岩石が黒っぽく、ゴツゴツして角ばったレキがたくさん集まってできているのがわかるでしょうか?これは昔、ここが海底だったころ、海底に噴いたマグマが海水で急に冷やされることでバリバリに割れてできた岩石です。このように水中で噴出した火山岩を水中火山岩と言います。この岩石が海底火山を作っていました。 日本列島には火山がたくさんあります。現在、これらの火山は海溝(図の青い線。日本列島の主に東側に位置する海が深い部分。日本海溝など。)から一定の距離の場所に並んでいます。火山の並びのうち一番海溝に近い列を火山フロント、あるいは火山前線と言います。茨城周辺では、栃木県の西部(那須や日光など)や群馬県の西部(浅間や赤城など)が火山フロントです。日本列島のうち、本州にある活火山の多くは陸上の火山です。一方、伊豆諸島-小笠原諸島-マリアナ諸島に沿っては火山島を作っている火山だけでなく海底火山がたくさん存在します。これらの海底火山もちゃんと並んでいます。一方、現在の茨城県には活火山はありません。何故当時こんなところに火山ができたのでしょうか?

皆さんは地球の表面がいくつものプレートで覆われているのをご存知でしょうか?プレートは硬い岩石で、その下の柔らかい岩石の動きに乗ってたえず動いています。その動きによってプレート同士でぶつかったり一方がもう一方の下にもぐりこんだりします。日本列島は、プレートがもぐり込んでいる場所になります。海溝はちょうどプレートの境界です。茨城県は北アメリカプレートと言うプレートに乗っており、東からは太平洋プレートがその下にもぐりこんでいます。

さて、もぐりこんだプレートですが、ある一定の深さまでもぐると、岩石が溶けてマグマになります。その後マグマは上昇し、火山が噴火します。

ここで重要なのが、岩石が溶け始める場所が一定(深さ200km前後)と言うことです。そのため、火山フロントは規則正しく列になります。

一方で、この火山フロントは沈み込むプレートの角度によって場所が変わると考えられています。岩石が溶け始める深さが一定ならば、プレートのもぐりこむ角度が緩やかなときほど火山フロントは海溝から遠くなり、急なほど海溝に近くなります。

下の図を見てください。もぐりこむ角度が緩やかなのが現在だと考えてください。赤い破線が火山フロントです。一定の深さで岩石が溶け始めるのでその上に位置する火山フロントも一列です。次に、もぐりこむ角度が急になったとします。岩石が溶け始める深さは同じなので、火山フロントは黄色い破線のところになります。

もしかしたら、袋田の滝をつくる海底火山が噴火していた当時、プレートのもぐりこむ角度が急で、火山フロントが今よりずっと東側に移動していたのかもしれません。しかし、本当の原因はまだわかっていません。あなたもぜひ考えてみてください。