篠井の山々には、石英斑岩が広く分布しており、その中には豊かな鉱物資源が埋蔵され、古くから篠井の山すそには金山が開かれた。
この碑は、金山に関わる碑と思われる。碑には「安政三年辰八月」(1856年)の陰刻が見られる。
安政三年の宇都宮藩主戸田氏「御家記」(日記)には、次のような記録が見られる。
「…下野国河内郡上篠井村ノ内字男山並二鳥ノ子卜申ス所 金山ニモ御座アルベキ場所有之候問 問掘仕度段 最寄村方ノ者願出候二付…云々」等が見られる。
これは、上篠井村で金山試掘を村方の者が企て、藩に願い出、藩は幕府に試掘を願い出、許されたとの記録である。今尚、篠井の山中には、当時の金山跡が所々に見られる。