下小池地区から飯山地区に通じる二六坂の手前、道の東側に墓地がある。
墓の片隅に自然石に刻まれた念仏講の碑がある。碑の高さ120cm、巾50cm厚さ30cmの立派な自然石には「□奉唱黄□念仏・・。」とあり、碑の側面には「享保十五年(1730年)十月吉日講中」の陰刻が見られる。
墓地の近くの阿久津秀雄氏宅には、戸室将監作(宝暦七年)の「二十三夜念仏供養の鉦」が今に伝えられている。
念仏講の起源は、平安末期と考えられている。死後極楽往生が叶えられるとする考えに基づいて念仏が唱えられたと言われている。
江戸時代には、念仏講が広く普及し、石仏や碑が多く建てられるようにもなった。
念仏は、葬式時出棺に伴って行われる。また、観音、薬師、地蔵等の縁日、さらには十九夜、二十三夜等に不浄の清めの為唱えられた。今に伝わる盆踊は、念仏踊が芸能化したものだとも言われている。