石那田一里塚の角から西に五十メートル程のところを南の方に300~400m程、山に入ったところに庚申塔が建っている。塔の前には立派な燈籠(とうろう)が一対建っており、燈籠には「安永己亥(あんえいつちのとい)年二月吉祥日」の陰刻が見られる。
火袋の台座には花。鳥。猿が刻まれている。残念ながら向かって右の燈籠の火袋は失われている。庚申塔は、台座から170cmもある立派なもので「明和九年十一月」の陰刻があり、仏は子どもを抱き、弓・矢を持って立っている。
頭上には太陽と月が足下には三猿、二鶏が見られる。屋根がしっかりしているので石像の保存が非常に良い。
篠井の公民館(昭和52年)の調査で、篠井地区の庚申塔は十二塔が確認
されており、その中でも六本本の庚申塔の保存状態は非常に良好であり、市内でも五本の指に入る程の立派なものである。
大正の始め頃までは、泊まり込みで夜はうどん。朝は小豆飯、魚を使わない料理で会食したと言う。
庚申の夜、徹夜をするわけは、三尸(さんし)というものが人間の腹中にいて、庚申の夜、人が眠ると体内から抜け出して、天帝にその人の日頃の罪過を告げに行く。すると天帝は、人を早死させてしまうので、長生きを願うなら眠らずに起きていよという道教の教えによるという。