篠井地区には一里塚が二ヶ所存在した。 一ヶ所は日光街道より船生街道方面に分岐する所。
もう一ヶ所は上小池の新渡神社と隣り合わせに存在したが現在一対のうち一基は消滅し、もう一基の一部がかろうじて僅かではあるが往時をしのばせる。
六本本一里塚の北側の塚は昭和三十七年に整備され現在に至っているが、南側の塚は開田のため塚の一部を残すのみになっている。
六本木一里塚は江戸より三十里。江戸幕府の五街道整備に伴って整備され、榎などが植栽され旅人の道中里程の目安や休憩所に利用されたものと思われる。
六本木一里塚手前の二十九里に位置する塚は、上金井の高谷林一里塚である。
一里塚:
慶長九年(1609年)、江戸日本橋を起点として東海。東山・北陸の三道に整備し旅人に多くの便宜を与えたが、明治以後交通の発達、道路の拡張などにより大部分は取り除かれた。