深谷 進司
資格
日本内科学会総合内科専門医
日本リウマチ学会指導医
日本消化器病学会専門医
日本肝臓学会専門医
職歴
1977年生まれ 千葉県流山市出身
2002年3月 北海道大学医学部卒業
2002年4月 勤医協中央病院
2004年4月 オホーツク勤医協北見病院
2005年6月 北海道大学第2内科入局 北海道大学病院
2006年4月 北海道大学大学院医学研究科入学
2011年3月 博士号取得
2011年4月 JA北海道厚生連帯広厚生病院 第3内科(消化器科・リウマチ膠原病科)
2018年4月 筑波学園病院リウマチ膠原病内科 現・部長
2019年5月~小美玉市医療センター非常勤(木曜日)
最近の講演
2022年2月 「関節リウマチとリウマチ性多発筋痛症の類似点・相違点とIL6抗体製剤のポジショニング 」
2022年3月 「RA治療選択肢が多くなった今、どう説明し意思決定するか」
2022年6月16日 「バイオ・JAK阻害薬4クラスそれぞれのわかりやすい特徴~個別化医療のために~ 」 県央リウマチ連携ミーティング
2023年6月11日 「まだまだ進化するリウマチ治療」 リウマチ友の会 牛久市 中央生涯学習センター
2023年7月28日「関節リウマチ治療の要点と副作用に配慮した治療の進め方」第19回茨城リウマチケア研究会 つくば市 国際会議場
2023年9月13日 「RAとGC誘発骨粗鬆症の管理と治療」水戸市
2023年11月25日「驚くべき抗体製剤の進化」 帯広市 北海道若手膠原病セミナー
2023年12月3日「関節リウマチ治療の要点と副作用に配慮した治療の進め方」茨城県薬剤師学術大会 国際会議場
どんな人?
1977年(昭和52年)生まれ、流山市で育つ。昔は自然豊かで虫とりをしたり森の中で秘密基地を作ったりした。8歳の時に’85つくば万博を訪れた。祖父母がひたちなか市平磯におり(知る人ぞ知る「くじらの大ちゃん」のすぐ近く)、夏は茨城にきて海で遊ぶのが恒例だった。磯での自然観察、海水浴場での砂遊びが大好きだった。生き物や自然を通じて好奇心が育てられた。
小学校5-6年は親の転勤で名古屋市昭和区に住んだ。鶴舞公園や八幡山古墳で遊びつつ、中学受験の塾に通った。塾長がアツい人で、厳しいが熱心な指導を受けて自己学習の基礎が身に付いた。
1996年 私立巣鴨中学校に入学。中高一貫、男子校で当時はかなり規律に厳しい学校。ふんどしで館山の海を泳ぐ水泳合宿や、あえて夜に峠を越える大菩薩峠競歩大会など、ユニークな行事があった。しかし厳しい教育をくぐりぬけたせいか同級生は道を外れず社会で大事な役割を果たしている。
小さいころは大工や建築士になりたいと思っていたが、理系の王道は医学だと思い医学部を目指した。祖母が関節リウマチを患っているのを近くでみていたことや、自分も小さい時に手術を受けて経過観察のために病院通いをしたことが影響したかもしれない。
中学~高校生の頃、映画「スタンドバイミー」をみてアメリカの大自然にワクワクしたり、「ビバリーヒルズ高校白書」をみてアメリカの広いキャンパスにあこがれた。高校2年時にオレゴン州ユージーンに1か月ホームスティさせてもらいのびのびした環境で生活したいと思うようになった。当時のキャンパスの大きい大学と言えば、北海道大学と筑波大学が1,2位でほぼ互角だった。北海道へのあこがれと一人暮らししてみたい気持ちから北海道大学を目指し、無事入学できた。
北海道大学では体操部に入った。体操の「技」はできる・できないが明確であり上達がはっきりして楽しかった。当時は私もキレキレの筋肉美が自慢だったが今では完全に脂肪に置き代わってしまった。
2002年研修医になり札幌と北見で初期研修した後、北海道大学の第2内科の膠原病グループに入局した。免疫という複雑だが精巧なしくみに興味があったのと研修医時代の指導医がリウマチの先生で、初めて受け持ちさせていただいたのが関節リウマチの患者さんで研修医にも温かい目で接してくださったことなども後押しした。先に書いたが祖母が関節リウマチで、克服したい病気だった事や、研修医2年目の時(2003年)にはじめての生物学的製剤レミケード®が発売され、劇的な治療効果を目の当たりにしたことも影響した。第2内科は膠原病、腎、代謝・内分泌、血液、消化器グループがあり横のつながりから内科全般の広い目を養うことができた。研究にも興味があり膠原病の動物モデルの研究をしたがなかなか成果が出なかった。
2011年に大学院を卒業してからは臨床でやっていこうと決めた。内科の中で重要な消化器分野を勉強しなおしたくて、消化器+リウマチ膠原病が同じ診療科になっている帯広厚生病院第3内科に勤務することになり、しばらくは専ら消化器診療に携わった。内視鏡の手技が楽しく「このまま消化器医でいくのもいいかな?」と思うこともあった。その後リウマチ膠原病を指導してくれた先生が退職し自分が引き継ぐことになりリウマチ膠原病診療に戻った。しばらくリウマチ診療から離れている間、生物学的製剤がたくさん追加されていて短期間で進んだリウマチ膠原病診療の最先端の知識を取り戻すのにしばらく苦労したが、免疫疾患の奥深さ治療の進歩に触れてまたやりがいを感じるようになった。臨床家としての生き方を考えるようになり、開業医になることも意識するようになった。帯広は「十勝」地区の中心部であり農業・畜産業が盛んな地域で、春は山菜取り、夏には畑を借りて菜園を楽しみ、秋はキノコ狩り、冬は氷上ワカサギ釣りに良く出かけた。
2018年長女が中学に上がるタイミングを機に関東に戻ることを決め、その地として筑波を選んだ。故郷の流山から近くて、ほどよく都会で教育レベルが高いことと程よく田舎感があり落ち着けることが、自分には合うと感じた。ふだんの余暇時間は自宅近くに借りた畑で土いじりを楽しんでいる。
2023年、臨床経験も20年を過ぎ、職業の形として開業医になることを決め準備を始めた。
2024年9月につくば市みどりので開業を計画している。
1階はウェルシア、2階はクリニックになります
〒305-0861 茨城県つくば市谷田部陣場E24 街区1,2,3画地2F
(仮住所)
連絡先:choovery@yahoo.co.jp