「届けてきたのは心」 被災地へ物資157回、活動区切り
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支援活動のきっかけは、震災直後に桶田専務が釜石市の友人から受けた電話だった。「自転車が欲しい」。
同市内はがれきが道をふさぐため、避難所などを回って食料を配るには自転車が便利だったという。
第1便が出発したのは2011年3月30日。
自社農園で収穫した野菜や寄付などによる物資をワゴン車に積み込み、避難所に届けた。
涙して感謝する被災者の姿に「顔と顔の見える交流の大切さ」を深く感じた。
その後も週1回や月1回、避難所など約20カ所を巡り、支援を続けてきた。
いつしか現地に物資の仕分けや提供などを手伝うボランティアも組織され、桶田専務は「家族のような強い絆ができた」と力を込める。
12年4月に鹿沼市で釜石物産店をオープンし、18年には物産店の北側に「復興食堂ゆめ広場」を新たに開いた。被災地で仕入れたワカメやホタテ、カキなどの海産物を販売し、三陸のおいしさを発信している。
支援便は当初、10年間の予定だった。しかし被災地の復旧が進みつつある中で19年10月に台風19号が発生。本県の大きな被害を心配した東北の被災者から「支援してもらうのは心苦しい」と声が集まり、157便を最終便と決めた。
2月26、27日の両日に訪れた釜石市と大槌町。「ありがとう」「寂しいね」。被災者から歓迎され、桶田専務は「これまで届けてきたのは物資だけでなく、心だった」と実感したという。
支援活動に参加したボランティアは9年間で延べ約8千人を数え、物資は段ボール4万箱分に上る。
桶田専務は「これからも懸け橋として交流を続けたい」と強調。
物産展と食堂で東北の魅力を発信し続けながら、被災地のさらなる復興を願っている。
桶田博信facebook