画家 中島健太さん

・・・・・・・〈スタートライン〉 画家 中島健太さん 2020年4月5日聖教新聞・・・・。・・・・・・・・・・・HOME

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・・・・・・・・美術を乾き切った心に・・・・・・・・・・・・・・・・⇒コメント

今回のスタートラインは、画家の中島健太さんの登場です。これまで手掛けた500点を超える油彩画等の作品が全て売れるなど、日本の美術界を牽引する若手画家の一人です。最近ではYouTubeで絵画の楽しさを伝えたり、朝の情報番組のコメンテーターを務めたりするなど活躍の幅を広げています。そんな中島さんの人物像に迫りました。

褒められた思い出

〈中島さんの洗練された技術と繊細で透明感のある作風には、高い評価が寄せられる。その才能は、どのようにして磨かれてきたのか〉

僕は小さい頃から、これといった特技はなく、平凡な少年でした。小学校低学年の時、学校で消防車を描く写生大会があって、その時に描いた絵が表彰されました。人に何かを褒められたのは初めてで、すごくうれしかった。ただ、美術にのめり込むことはなく、高校ではアメフト部に入ったりしましたが、褒められた喜びはずっと心の奥底に残っていた。今思えば、あの経験が画家としての目覚めだったかなと思います。

一浪して美術大学に進学しましたが、在学中に父を亡くします。このことが僕の自立を早めました。母には苦労をかけたし、弟も精神的に不安定になったので、親のすねをかじってばかりはいられなかった。だから早くプロの画家として稼ごうと思ったのです。

大学3年の時に初めて自分の作品を画商に買ってもらい、絵が売れることが強いモチベーションになると知りました。そして僕の中に、「売れる絵が良い作品」という、ある種、明確な基準ができた。僕の20代前半は「絵を売る」ことを相当、意識していたと思います。

僕はまだ感動できる

〈中島さんが最も影響を受けた画家は19世紀フランスの新古典派のウィリアム・ブグロー。学生時代にブグローの作品「ヴィーナスの誕生」を見た時、その温かみと精緻な描写力に魅了され、それまでの写実画への価値観が一変したという。以来、ブグローの作品は中島さんの人生で大きな役割を果たす〉

大学卒業後の2008年10月に、初めての個展が大手百貨店で開けることになりました。若手の画家にとっては異例のことで、半年間、死に物狂いで作品を用意しました。

ですが、開催直前の9月にリーマン・ショックが起きて、僕と百貨店の間に入っていた画商の経営が傾いた。新興の画商で、金遣いの派手な会社だなとは思っていましたが、僕も世間知らずでした。

個展では、不景気にもかかわらず、有り難いことに作品は完売。それなのに、いつまでたっても1円も振り込まれない。気付けば画商の消息が分からなくなった。後で知ったのですが、ほとんどの画家の方たちにも支払いがなかったそうです。

僕にとっては父の死を機にプロを志し、努力が認められ始めた矢先の出来事。自分のやってきたことが完全に否定された気持ちでした。展示会の後、作品の注文を頂けるのですが、心が抜け殻になり、絵筆を握っても力が込められない。一種のうつ状態だったと思います。

しばらくたったある時のことです。ニューヨークのメトロポリタン美術館を訪れる機会がありました。冬のニューヨークで、精神的にどん底の僕は身も心も凍えていました。

ですが、美術館に入って、それが払拭されたのです。

ブグローの「ブルトン人の姉弟」を見た瞬間、僕の時間は止まりました。目の前の絵の温もりに包まれ、乾き切った心の底から潤いが湧き上がってきたのです。

「ああ、描きたい。僕はまだ感動できる――」。ブグローによって、僕は僕自身を取り戻すことができた。その変化には、自分でも驚いたほどです。

帰国後、蘇生した絵筆で一心に描き上げた作品が、09年の白日会で受賞。さらに、同年の日展に出品した作品が「特選」に選ばれたのです。僕の20代におけるハイライトです。同時に、その陰には、打ちのめされた僕を支えてくれた、多くの方の存在があったことも、忘れることはできません。

素直な気持ちで

〈劇的な再起を遂げた中島さん。以来10年、日本の美術界で着実に実力を示してきた。常に自己を革新しつつ、育ててくれた業界を拡張し、もっと開かれた存在にしようと挑んでいる〉

よく、「私は絵が分からないから」とか「美術って難しい」と言われますが、僕は、そう言わせてしまう美術界に問題があると思っています。例えば、高級料理でも、自分がおいしく感じるかどうかが大事であって、料理人の思いをくみ取る必要はないですよね。何か「正解がある」と思わせているところに、一般の方と距離がある。「自分にはこう見える」と素直に言えるようになることが、距離を縮めることだと思います。

ライブペインティングをやっているのも「どうやって絵を描くんですか」と聞かれたことがきっかけです。画家にとっては普通のことが、一般の方には新鮮で面白いと言われました。僕にとっても人前での制作は刺激的です。YouTubeチャンネルを始めたのも、敷居を下げて、美術に親しんでもらうことが大事だと思うからです。業界の中だけにいると、世間とのずれが分からなくなってしまう。

美術などの芸術は、無くなっても困らないものの筆頭だと思われている。でも人間を人間たらしめているのもまた、芸術だと思うのです。食べて寝て生きているだけでは動物と同じ。人間と動物を分かつものの一つは、いかに豊かな感受性を持つかです。太古の昔、人は洞窟にすら絵を描いた。それは画材があったからではなく、描きたいという強い欲求があったからです。それが人間だと思うし、そのことを楽しめる感受性が人生を豊かにすると思う。だから僕は、多くの人に美術をもっと身近に感じてもらいたいのです。

なかじま・けんた 1984年、東京生まれ。武蔵野美術大学造形学部油絵学科卒。大学3年でプロデビューし、現在までの制作作品は500点を超え、全てが完売した。ベッキー新川優愛らをモデルにした作品も話題となり、メディアに多数出演。TBS系朝の情報番組「グッとラック!」では木曜日のコメンテーターを務める。主な受賞歴は2009年、白日会「A賞」。同年、第41回日展「特選」。14年、改組新第1回日展「特選」など。

YouTubeやってます!

中島さんがユーチューバーとして美術の魅力を発信しています。

https://www.youtube.com/channel/UCsxB15PlEegd8RWbVss7F0g

【中島さんの公式HP】

https://www.nakajimakenta.com

【問い合わせ】

GATE 03-6427-6221

●感想はこちらへ(聖教新聞社)

メール wakamono@seikyo-np.jp

ファクス 03-3353-0087

【編集】加藤幸一、歌橋智也

【写真】吉橋正勝

【レイアウト】小滝清

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