〈信仰体験〉ステンドグラスに命吹き込む 小さな工房から生まれる光の芸術 2016年10月23日
自分らしく輝こう!
夫 苦手だった営業は今、天職に
妻 突発性難聴の試練が心の滋養に
【長野県松本市】JR松本駅から車で15分。県道63号沿いに、ステンドグラス工房「SGO信州」はある。表に掛けられた小さな看板。初めて訪れる人は、通り過ぎてしまうことも。だが、ここから生まれる多彩なステンドグラスを求めて、全国から注文が寄せられる。「同じものは一つとしてない完全オーダーメードだからこそ、皆さんに喜んでいただいています」。笑顔で語るのは、新海長さん(57)=中山支部、支部長=と妻・芳子さん(59)=地区副婦人部長(白ゆり長兼任)。長さんが営業を担い、芳子さんが制作を一手に引き受ける。夫婦で力を合わせ、越えてきた人生の山谷が滋養となり、味わい深い作品を生み出し続けている。
桜梅桃李で
発注元は、個人宅をはじめ、病院や幼稚園、大規模商業施設に至るまでさまざま。作品が収められると、その空間が一瞬にして華やぐ。
ステンドグラスを目にした人たちから湧き上がる歓声や感嘆のため息。それを聞いた瞬間、制作の疲れや苦労は吹き飛ぶという。
「作品を収める場が“陽”であるとすれば、制作現場は“陰”」
そう語る芳子さんは、「顧客の要望に応えるには?」「ガラスの輝きが生きるデザインとは?」と悩んでは祈り、ひらめいては作業に向かう。忍耐と集中力が必要とされる日々の連続なのだ。
◇
工房にこもる芳子さんは、耳の聴こえづらさを感じている。
突然の病に襲われたのは1986年(昭和61年)、29歳の冬。目が覚めると何かが違う。違和感の正体に気付いたのはテレビを付けた時。右耳が聞こえなくなっていた。医師の診断は、「突発性難聴」。
幼い頃に入会し、鼓笛隊や白蓮グループでも活動してきた。だが、心の底から信心と向き合ったのは、この時が初めて。2カ月の治療期間。回復した聴力は、通常の半分程度だった。
“なんで私がこんなことに……”
不安に寄り添うように、女子部の先輩から何度も励ましをもらった。「つらいでしょう。つらいけれど、必ず意味があるよ」
真剣に題目を唱えるなか、浮かんできた言葉があった。
「桜梅桃李」――。桜は桜。梅は梅。それぞれふさわしい使命があるように、私もこの姿で果たす使命があるのでは――。そう思うと、広宣流布に生き抜こうと心から思えた。
89年(平成元年)に、男子部で活動に励んでいた長さんと結婚。
2年後、芳子さんの勤務先のサッシ会社が、ステンドグラス部門を立ち上げることになり設立されたのが、「SGO信州」だった。
2人で独立
芳子さんは、京都にある織物の専門学校の出身。染色を学び、機織りの腕を磨いた経験がここで生かされた。
多摩美術大学で工業デザインを専攻した長さんも同じ会社に入った。
しかし、任されたのは営業。長さんにとって、最も苦手な分野だった。
元来、口下手で、飛び込み営業などもってのほか。不特定多数の人がずらりと並ぶ場で、ステンドグラスの説明をすることもあった。声が出ない。出るのは、玉のような汗ばかり。“営業なんて、俺には無理だ”。頭を抱えた。
毎日のように、男子部の同志が、励ましてくれた。仕事から帰宅すると、池田SGI会長の指導を学ぶことが日課になった。
「妙法を根本とするならば、いかなる困難も必ず乗り越えていける。悩みも涙も労苦も、すべて成長と勝利への“こやし”に転じることができる」
苦闘は10年に及んだ。試作品を手に、県内各地の設計事務所をくまなく回る。200軒に1軒くらいの割合で、図面を見ながら検討してくれるところがあった。
しかし、2002年。母体となる会社の業績悪化により、社長からステンドグラス部門の閉鎖を促された。新海さん夫妻は、独立したいと訴えた。社長は快諾し、制作に必要な道具一式を譲ってくれることに。
同年6月。自宅に工房を建て増し、夫婦2人だけの会社をスタートさせた。
記念の作品
水色のガラスに日光が通ると、白い壁に波打つような光が漂い、黄色やオレンジのガラスからは、暖かみのある光が漏れる。
四季を通じて太陽の光が変われば、ステンドグラスの表情もさまざま――。
芳子さんは、内なる声に耳を傾け、制作に励み、長さんは営業に走った。
05年には、材料の輸入元が耐震偽装問題のあおりを受け倒産。辛うじてアメリカ本社から直接輸入できるようになった。が、その後のリーマン・ショックでそこも倒産。経営権がイギリスの会社に移った。
時代の荒波に翻弄されるように、会社を取り巻く状況はどんどん変わっていった。時に弱気がもたげる。
「うちは、いつまでもつかな」
夫婦で何度も語り合った。だが、最後にはいつも前を向いた。
「もう少し頑張ってみよう。今いるこの場で、信心の実証を示そう」
「やっぱり負けたくないよね!」
営業が苦手だった長さんは、今では「天職かもしれません」と。
口下手なのは、今も変わらない。だが、作品の取り付けに行く丁寧さと誠実さ。その姿を目にした施主や、住宅メーカーの社員から次の仕事を受注することも。
今も思い出に残る注文を受けたのは6年前。
創立110年を超す高校の校舎の改修工事。本館の階段踊り場にステンドグラスを設置してほしい、との依頼だった。大きさは、直径約1メートル80センチを超す。
北アルプスの山並みから薄川が流れ、松の木々の間に校舎が立つ。さらに7羽のハトが空を舞うデザインは、校歌をモチーフにしたもの。
校舎は、国の登録有形文化財に指定され、地域住民の誇りでもある。そうした場に、自身の作品を収められた喜びが胸にあふれた。
この道に携わり25年。これまで、1200を超える作品に命を吹き込んできた。
「作品の大小にかかわらず、込める思いは変わりません。私たちのような小さな工房は、お客さまの期待を常に上回るものを作り続けないといけない。プレッシャーもあるけど、やりがいは大きいんです」と芳子さん。デザインに悩んだ時には題目を唱え、「私は私らしくいこう」と再び作品に向き合う。
新海さん夫妻は、窓の外に広がる北アルプスの山並みを望む。
「お客さまに喜ばれる輝く作品を作り続けよう。優しい癒やしのひとときを届けられますように――」