水墨画家・作家 砥上 裕將さん 2020.2.1(土)聖教新聞第12面 スタートライン 若者たちの明日を開くヒント
墨の濃淡で、鮮やかに森羅万象を描き出す水墨画。話題の小説『線は、僕を描く』の著者であり水墨画家の砥上裕將さんに、水墨画を通して見る、心との向き合い方を語っていただきました。=============================================
――水墨画は、一般に短時間で作品を描き上げるものと伺いました。
水墨画は瞬間芸のような一面がありますので、自分の心が絵に表れます。
筆の穂先に薄墨を含んだ水を吸わせ、その中に墨を上らせる――。そして画仙紙に線を描く。その瞬間の葛藤が体から筆へと伝わり、そのまま筆致になる。技術だけで描けるわけではないのです。
水墨画を学んでいる人に、「なぜうまくいかないんでしょうか?」と質問されることがあります。作品を見ると、多くの場合、無駄な一手がある。“うまく描きたい”という欲望やさまざまな心境が線に表れ、それをごまかそうとして、いらない線を描き足してしまうんです。それで次第に絵が崩れていく。
“失敗したな”と思ったときに、ごまかすのではなく、その失敗も自分の一部なのだと、素直に認め、受け入れるべきなのです。
砥上さんによる水墨画「山葡萄」
自分で見つけたものだけ
――なぜ水墨画の道に?
水墨画との出合いは、学生時代です。大学で揮毫会があって、面白そうだなと思って参加しました。
初めて自分で描いてみたときは「駄目だ、できない」と思いましたよ。葉っぱ一枚もうまく描けませんでしたから。先生が描くところを見ながら、“どうしてあんな速度で描けるんだろう”と不思議に思って、その謎を解くのにハマってしまったんです。
よく観察して、考えて、ものすごい数の失敗を重ねていくなかで、「あ、そういうことか」って気付けたんです。その謎解きが快感になったんです。
【春蘭】
私は、何かに没頭しているときが一番幸せを感じます。結果は、どうでもいいんです。描いているときが楽しければ、それを超える幸せはありませんし、それこそが一番の報酬だと思っています。単純ですが、これが重要なことだと思います。
また、職人の世界ではよく「見て学べ」と言われますが、これはすごく大切だと感じます。最近は、すぐに答えを教えてしまったり、ネットで答えを調べたりできます。それが癖になってしまうと、「自ら探求する能力」が身に付かず、「物事を自分の人生に引き寄せて考える」ことができなくなります。
自分自身で発見したことこそが、人生の一部になるんじゃないかと思います。
一線を越えた瞬間の喜び
――自分の心が表れる絵画。悩みが多そうです。
今でも作品を描くたびに悩みます。描きたくないと思うことはありませんが、描くことが楽しくないときもあります。それでも描き続けるんです。「どうしてできないんだ」と悩みながら描き続けているうちに、その一線を越えている。きれいなグラデーションのように、徐々に変わるのではなくて、あるときに、急にできるようになる。自分の中にある一線を越えた瞬間の喜びは得がたい体験となっています。
作品に心が表れますから、自分を自然な状態に置かなければいけませんが、平常心を保つことは至難の業です。
例えば、人前でライブペインティングのように水墨画を描く機会があるのですが、会場の雰囲気や観客がどんな人なのかなどによって、縁に触れて自分の心が変わっていきます。それ自体はどうしようもないことで、重要なのは普段の練習をどれだけやったか。それが結果となって表れます。付け焼き刃では駄目なのです。
地道に努力を重ねた上で、無理に平常心を保とうとするのではなく、自然体で臨む。本番で駄目だったとしたら、そこに至るまでの準備が足りなかったと受け止めます。
純粋さと敬意を払うこと
――小説では、才能を開花させていく主人公の姿が魅力的です。
主人公は、画仙紙のように真っ白で、知らない世界にも敬意を持って接することができる、素直な人にしたいと思っていました。
“素直”というのは、疑いを知らないことでも、愚かなことでもなく、ありのままを理解しようとすることと捉えています。
水墨画の世界でいえば、「外的な事実」と「内的な事実」の結び付きを強められる力が素直さだと思います。自分の外側で起きている事象、それを繊細に受け止め、同時に自分の内面が感じていることも自覚する。そしてその二つが調和して感動できることが、私の考える「素直さ」です。
「敬意」というのは本当に大切だと思います。伝統文化にかぎらず、未知の文化、人、物を否定せずに敬意を払って接する。知らないものを先入観で否定しては、そこから学べることも見逃してしまいます。敬意を持って水墨画の世界に触れる。そんな主人公を書きたかったのです。
敬意に類することになりますが、人が成長するのに「師匠」の存在も不可欠だと思っています。最近では失われつつあるのかもしれませんが、間違いなく師匠というのは価値のある存在です。師と呼べる人に出会えたとしたら、それは大きな宝物です。
青春時代には恋愛も友情も大切だし、経験すべきことがたくさんあると思いますが、素直な気持ちで未知の世界に触れていただけたらなと思います。
プロフィル とがみ・ひろまさ 1984年、福岡県生まれ。大学時代に水墨画と出合う。著書『線は、僕を描く』(講談社)が第59回メフィスト賞、ブランチBOOK大賞2019を受賞。
Amazon・小説の向こうに絵が見える! 美しさに涙あふれる読書体験
両親を交通事故で失い、喪失感の中にあった大学生の青山霜介は、アルバイト先の展覧会場で水墨画の巨匠・篠田湖山と出会う。なぜか湖山に気に入られ、その場で内弟子にされてしまう霜介。それに反発した湖山の孫・千瑛は、翌年の「湖山賞」をかけて霜介と勝負すると宣言する。
水墨画とは、筆先から生みだされる「線」の芸術。描くのは「命」。はじめての水墨画に戸惑いながらも魅了されていく霜介は、線を描くことで次第に恢復していく。絶賛の声、続々!!!
自分の輪郭を掴む、というのは青春小説の王道たるテーマと言っていい。それを著者は、線が輪郭となり世界を構成する水墨画と見事に重ね合わせてみせた。こんな方法があったのか。
青春小説と芸術小説が最高の形で融合した一冊である。強く推す。
――大矢博子(書評家)
水墨画という非言語の芸術分野を題材にした小説で、架空の登場人物が手にした人生とアートの関係性、時空をも越えたコミュニケーションにまつわる真理を、反発心や違和感など一ミリも感じることなく、深い納得を抱いて受け取ることができた。それって、当たり前のことじゃない。一流の作家だけが成し遂げることのできる、奇跡の感触がここにある。
――吉田大助(ライター)