〈紙上セミナー 生活に生きる仏教〉 充実した有意義な老いのために
2016年7月26日
御聖訓「年は・わかうなり」 年齢を重ねても、より若々しく
力強い生命力で健康・長寿の人生を
神経内科医 伊佐文子
よい生活習慣は、①喫煙をしない、 ②飲酒をほどほどにする、
③毎日朝食を食べる、
④適度の睡眠をとる、
⑤適度に労働する、
⑥週1回以上の運動をする、
⑦栄養を考えた食事をとる、
⑧自覚的ストレスを少なくする、
⑨塩分を控えめにする、
⑩規則的な生活を送る、
⑪趣味を持つ などです。
こうした生活習慣を心掛け、脳血管障害の危険因子を一つ一つ減らすことが予防になります。
心と体とは密接に関係
日蓮大聖人は、病気を患う女性門下に、どうして病が癒えず、寿命が延びないことがあろうかと強い思いをもって、御身を大切にし、心の中であれこれ嘆かないことですと励まされています(御書975ページ)。
病状は病状として正確に知る必要があります。しかし、決して嘆いたり悲観したりせず、病気を前向きに捉えていくことも、病と闘う上で大切なことです。
心と体の相互作用の悪循環を断ち切る人体のメカニズムとして、「リラックス反応」を挙げることができます。
心身には、ストレスがない状態の時、疲労を回復させるために休息をし、新たなエネルギーを取り入れる仕組みがあります。これが、リラックス反応です。
リラックス反応は、深呼吸などによって、一層、増大するといわれています。こうしたことも、病気への予防・対処の観点の一つでしょう。
患った場合の予後についても、心がどういう状態にあるかが、回復を左右します。例えば、リハビリテーションの際、病気を隠さずに“自分”を表に出して、人の中に入っていくことが回復を早める場合があるのです。
社会への参加が高める“満足度”
さらに、患者さんが、どういう“環境”にいるかも、広い意味での健康の大きな要素です。
以前、生活満足度と睡眠の関係について、調査したことがあります。結果は、生活の不満度と、眠れないという“不眠度”が比例するというものでした。
また、生活の満足度は、その人の社会参加の度合いと比例していました。
能動的な社会参加が、生活の質を向上させ、ひいては“健康でいられる寿命”を延ばす要因となる可能性があると考えられるのです。
現在、最も注目されている疾患に認知症があります。代表的な認知症としてアルツハイマー病がありますが、糖尿病を患っている場合、通常の2倍の確率で発症するとのデータがあります。アルツハイマー病の予防としては、生活習慣病の改善が大切です。
医学的には、脳の機能が部分的に失われているのがアルツハイマー病ですが、それが原因で家族が最も困る症状に、幻視・幻聴、妄想、徘徊等があります。
例えば、自らの物を盗まれたと妄想する症状のある場合があります。実際は患者自身が、置いたこと自体を忘れていることによるのですが、一方的に叱るのではなく、相手に寄り添いながら一緒に捜してみることも必要です。
一個の人格として患者に向き合う
認知症も、相手に合わせた対応が求められます。誰かに愛されたい、誰かと一緒にいたいという欲求は、人間の基本的な精神的欲求だからです。
心身の関係性の上からも、アルツハイマー病の患者さんが、よりよい老いを過ごせるように、その心が満たされることが重要です。家族、周囲から、患者が一個の人格として認められる必要があるということです。
現代医学は、ともすると、病気が重く、苦しんでいる状態のままでも、単に寿命を延ばそうとする傾向があります。もちろん、寿命を延ばすことが悪いということではありません。
これに対し、仏法は、人間の内側に秘められた「生命力」を涌現させるものであり、豊かな生命力で健康と長寿を実現することを目指します。
池田SGI会長は、「高齢化が進む現代にあっては、ただ寿命を延ばすということより、いかにして心身ともの健康を回復し、有意義に生きていくかが、重要な課題」と指摘しています。
日蓮大聖人は「年は・わかうなり」(御書1135ページ)と仰せになり、年齢を重ねても、ますますの生命力で人生を歩んでいけることを教えられています。
何歳になっても、自他共の幸福を願い、前向きに生きていこうとする人は、人生の年輪を重ねても、若々しく、はつらつと生きていくことができます。
高齢者は、家族、周囲の支えも必要ですが、生き方次第で老いの人生をさらに有意義なものにできるのです。
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神経内科医 伊佐文子
いさ・ふみこ 神経内科専門医。医学博士。神戸大学医学部付属病院、東京都立神経病院、都立北療育医療センターに勤務した後、内科クリニックを開院。1967年(昭和42年)入会。婦人部副本部長。東京女性ドクター部長、北総区ドクター部長。
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〈コラム〉 価値ある一日一日に
日蓮大聖人は、120歳まで長生きして名を汚して死ぬよりは、生きて一日でも名をあげることこそ大切であると教えられています(御書1173ページ)。
ここで「名をあげる」とは、社会の中で、また人生で勝利することであり、そのことを通して人々からの信頼を広げることと拝されます。
もちろん、何歳まで生きたかは、誰にとっても自身の尊い人生の“軌跡”であるといえます。また、加齢とともに体が思うように動かなくなっていく現実に直面すれば、さらに信頼を広げていくといっても容易でない場合もあります。
大切なことは、限りある一生に何を残したか、どんな価値を生んだかです。たとえ、友人への一言の励ましであっても、その行為は永遠に、わが生命に刻まれることを仏法は教えています。
そして仏法は、自他共の幸福の実現が、その目的です。例えば、こうした“自他共の幸福のため”という目的観を持って、一日でも長く生き抜くことが、尊く価値ある人生を約束するのです。