石垣中学校訪問

港区立高輪台小学校同窓会鵜飼雅彦会長の石垣中学校訪問

2017.8.27 33年卒 久田 泰

5月の同窓会にて鵜飼会長から我が高輪台小学校校歌と石垣中学校歌との類似について経過報告がございました。その際、宮良校長からのお手紙の報告もございました。

この夏(8月23日24日)鵜飼会長を中心に石垣市を訪問し交流が開始されました。

港区、高輪台小学校からは篠原校長、鵜飼同窓会会長、青木教育長、小林統括指導主事4名、石垣市からは中山市長、市教育長、宮良石垣中学校長他石垣市並びに石垣中学関係者の方々から温かい歓迎を受け、両校が今まで通り校歌を歌い繋ぎ、両校の交流、港区石垣市の交流を深めてゆくこととなりました。

文、久田、写真、鵜飼雅彦会長FBより

http://ukaimasahiko.net/blog/?p=5649

・・・石垣中の初代校長で校歌の作詞者である糸数用著氏戦前に港区立高輪台小学校の教師であり、戦後に石垣に戻ったことが判明しました。これでどうやって終戦後の石垣へ高輪台の校歌が流れたのかが繋がったわけであります。・・・

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2018年11月8日(木) 本日の予報晴れ最高28℃最低24℃ 日の出06:55日の入18:00

2月17日はペスタロッチ祭である。こんな地味な催しが何十年も続いていることは誠に意義あることだと思う▼さてわたしは小学1年のころからペスタロッチの名前を知っていた。60年前のある朝、父が大声でわたしの名を呼び「この方は偉い先生なのでごあいさつしなさい」とある人を紹介し、わたしは深々と礼をした思い出があるのである▼実はその日が第1回ペスタロッチ祭で、その方は入伊泊清光先生といい西表・網取分教場で30年余も教えている方だった。祭りに際して父たちはまずこういう人を顕彰すべきだと考えたのだろう。そして「偉い人」とはこういう人だと父はわたしに本物教育をしたのだ▼わたしは今あのころの父(糸数用著)のメモを見ながら書いていて、先生の氏名や勤務校をはっきり確定できるのである▼敗戦直後、大人たちはいかに子供を育てるか思い悩み、いろいろなことを試みたに違いない。その時父は講演をして「エジソン祭というのはまだないが、なぜ今ペスタロッチ祭があるのかよく考えてほしい」と言ったそうである。これは若い女性教師だったM・T先生の思い出話▼あのころと社会事情は全く異なるが今も教育はさまざまな問題を抱えている。人間の普遍的基礎教育を探求し孤児教育にまい進したペスタロッチの思想とその情熱は現在さらにその意義をましているのではないか。(八重洋一郎)

実は昨日の記事シーミー(清明祭)の季節 を書きながら

思い出した事があった。

母校である石垣中学校の校歌に、

「清明海に臨む」と謳われていたのだ。

それで今日は、石垣中学校の校歌を紹介したい。

石垣中学校 校歌

作詞/糸数用著 作曲/亀川安兵衛

清明海に臨む 清き姿

ここぞわが校 友あり われあり

輝く中学

世紀を たたえん 松の緑に

石垣中 石垣中 石垣中みよや

豊じょう雪をみつぐ 真乙姥

ここぞわが丘 師あり 父母あり

輝く中学

慈雨と注がん 咲く白百合に

石垣中 石垣中 石垣中みよや

秀麗おもとを仰ぐ 高き心

ここぞわが窓 栄えあり 道あり

輝く中学

真理を求めん 若き命に

石垣中 石垣中 石垣中みよや

改めて読み返してみると、八重山らしい豊かな風土を

イメージさせる歌だと思う。

まず1番の「清明海に臨む」は、季語が清明だから

時期は4月の新学期や入学式(卒業式)、そこには未知の海に

船出するかの如く、希望にあふれた清々しい生徒たちがいる。独りじゃない。

見渡せば、友もいる。いっしょにがんばろう。という感じか?

4行目「世紀を たたえん 松の緑に」が謎である。

2番、「豊じょう雪をみつぐ 真乙姥」とあるので、豊年祭の情景と

両親や教師への感謝の心とを、重ねあわせているのだろう。

「雪をみつぐ」の雪という表現が面白い。南国石垣島に雪が降るわけは無く、

雪の様に純白なお米が穫れましたので、真乙姥お嶽に奉納いたします。

という事だと思う。

「慈雨と注がん 咲く白百合に」は、教師の教えは、

生徒(白百合)にとって恵みの雨の様に

栄養になっていくんだよ。という事なのだろうか。

3番、沖縄県最高峰の於茂登山の様に、高い志を持て。

2行目の「わが窓」については、クラスメートの事を

同窓と言う様に、なぜ「窓」という言葉を使う様になったのか

僕は知らない。同じ屋根の下と言う事で「屋」でも良かったのでは?

それとも、その昔寺子屋時代に、窓も無く吹きっさらしの中で

苦学した学生が、のちに窓のついた近代的な校舎を見て、

窓は良いな~、これからはやっぱり窓付きじゃないとな~。

とか言ったのだろうか?

疑問はつきないので、解りしだい報告したい。

以上、これは僕の勝手な解釈なので、人それぞれ

また違った見方があると思う。

校歌は入学式や卒業式など、様々な場面で歌われる。

その時々で歌い手の心持ちも変わってくるだろうから

それに応じて、解釈も様々だろう。

校歌の歌詞はそれゆえ、イメージの広がりがあるのかもしれない。

1番の「世紀を たたえん 松の緑に」については、誰かが面白い事を

おっしゃってたようなので解りしだい今度、お伝えします。

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