2016.03.19(土)聖教インタビュー崎陽軒取締役社長野並直文さん

インタビュー

〈スタートライン〉 育ててくれる地元と共に成長する “真のローカルブランド”を目指します 2016年3月19日

崎陽軒 取締役社長 野並直文さん

多くの人々に愛されている「崎陽軒のシウマイ」。工場見学は数カ月先まで予約待ちという人気ぶりだ。あえて全国展開はせず、地域に根差した経営を貫く取締役社長の野並直文さんに、“真のローカルブランド”について話を聞いた。

地元に愛される駅弁

――1908年(明治41年)、横浜駅構内の売店として創業した崎陽軒。初代社長・野並茂吉氏は、横浜駅の名物をつくろうと南京町(現在の中華街)で出されていた「焼売」に目を付けた。

初代は、ものすごく消費者思考の人でした。本来、シウマイは冷めるとまずい。すると“ないなら作ればいい”と、点心職人を雇って、駅で売れる、冷めてもおいしいシウマイを独自に開発したんです。サイズも、列車の中で食べやすいようにと一口サイズに。

また、根っからの商売人。当社では、ご飯を蒸して炊きます。これは、「捨てることになるおこげができない炊き方」を必死に考えて、思い付いた方法。おこわのように、もちもちした食感が喜ばれています。

――1954年(昭和29年)には、「シウマイ弁当」が誕生。現在、日本で一番売れているといわれる駅弁だ。

駅弁を食べるのは、普通、旅行者ですよね。ありがたいことにシウマイ弁当は、地元の人がお花見や卒業式の謝恩会、運動会などでも、食べてくれる。

「名物にうまいものなし」なんて言葉があります。観光客は買っていくが、地元の人たちは全然食べていないとの皮肉です。地元の人は珍しいだけでは買いません。そんな人たちが、日常的に買ってくれなければ、“本当の名物”とは言えません。

未来の成長目指す決断

――入社当初は、ご飯を炊く仕事に就き、その後もさまざまな現場を経験した。

現場がどんな思いで作っているのかを肌で感じ、知ることができたのは大きな財産です。おかげで、シウマイ弁当を眺めると、従業員の顔が浮かんでくる。一生懸命作ってくれているから、俺も一生懸命売らなければと、やる気をもらえるんです。

――41歳で取締役社長に就任。時代はバブル崩壊直後だった。思い切った改革を断行し、落ち込んだ業績も回復させた野並さん。だが、実は大きな決断を迫られていた。

2代目社長の父・豊から、今後、シウマイを全国的に拡販していくのか、横浜を中心とする食品サービス業を目指すのか、考えておけと言われていたんです。当時、大分県の平松守彦知事が「一村一品運動」を提唱し、話題になっていました。「真にローカルブランドなものがインターナショナルになりうる」との理念に、“よし、うちは横浜で真のローカルブランドを目指そう”と腹が決まったんです。

すでに、北海道から九州まで、全国のスーパーなどにも出店していたのを3年がかりで全て撤退させました。売り上げは下がりましたが、未来の新しい成長のためには、やっておかなくてはいけないんだと、3年間は“やせ我慢”でしたね(笑い)。

――そんな社長の決意を後押ししたのは、何より消費者の声だったという。

シウマイが一番売れるのは、お盆や年末などの帰省シーズン。お土産としても買ってくれる人が多い。ある時、「買って帰ったら、『こんなの近所のスーパーで売ってるよ』と言われてしまった」「あまり全国にばらまかないでほしい」と言うんです。消費者と気持ちが通じなくなってはいけないと、気付かせてもらいました。

「白雲自ずから去来す」

――シウマイ弁当のふたや容器には、昔ながらの経木(薄い木の板)が使われている。通気性がよく、湿気も吸収するためご飯の食感を保てるそうだ。

経営者にとって大事なのは、変えやすいものほど、“本当に変えていいのか”と悩むこと。例えば、経木をプラスチックの容器に変えようと思えば、すぐにでも変えられます。おそらくコストも抑えられるでしょう。でも、やはりおいしくご飯を食べてもらうには変えるわけにいきません。

――総務省統計局発表の家計調査によると、シウマイの消費量全国1位は横浜市だという。

当社は、根を張る地元に育ててもらっている会社です。ですから、その地元に対してどう感謝の気持ちを伝え、どう貢献していけるのか。地元と共に成長していくことが、変わることのない私たちのテーマなんです。

――座右の銘は「白雲自ずから去来す」。夏の畑仕事では、日差しを遮る雲が恋しくなるが、待っていても現れない。照りつける太陽のもと懸命に作業に取り組めば、不思議なことにどこからともなく雲が現れるとの意だ。

目の前にある自分のやらねばならないことを一生懸命やる。環境のせいにしていたら自分の使命を果たすことはできません。どんな状況でも“俺の仕事はこれなんだ”と一生懸命になって、汗を流していく。この思いで、これからも常に挑戦し、横浜の名物・名所を創り続けていきます。

のなみ・なおぶみ 1949年(昭和24年)生まれ。神奈川県出身。慶應義塾大学商学部卒。72年崎陽軒に入社。91年取締役社長に就任。一般社団法人日本鉄道構内営業中央会会長、公益社団法人横浜中法人会相談役など要職を務めている。

【編集】中村洋一郎 【写真】宮田孝一 【レイアウト】石塚哲也