法悟空 内田健一郎 画 (5725)
“次は栃木の歌だ!”
山本伸一の激闘は間断なく続いていたが、時間をつくり出しては作詞にあたった。
十一月三日には、11・6「栃木の日」記念総会が足利市民体育館で開催されることになっていた。「11・6」は、一九七三年(昭和四十八年)のこの日、伸一が出席して栃木県体育館で行われた県幹部総会を記念し、創価学会として県の日に定めたものである。
三日の記念総会には、伸一も出席を要請されていた。しかし、創価大学での幾つもの重要行事が入っていたために、どうしても参加することができなかった。そこで、それまでに「栃木の歌」を作って贈り、共に新しい出発をしたかったのである。
また、彼は、年内には、栃木の足利に行って、皆を励ましたいと考えていた。
栃木というと、伸一の脳裏に浮かぶのは、恩師・戸田城聖が、戦後初の地方指導に那須方面へ足を運び、広布開拓の鍬を振るった地だということであった。
その栃木こそ、地域広布の先駆となってもらいたいというのが、彼の願いであり、心の底からの祈りであった。
日光の美しき自然や那須の山々、そして山間の道を征く恩師の姿を偲びながら、伸一は作詞を進めていった。
“戸田先生は、あの日、栃木の山河に、いつの日か、陸続と地涌の菩薩が出現することを祈り、願いながら、一歩一歩と、道を踏みしめていったにちがいない。栃木の同志は、その思いと誇りを、いつまでも受け継ぎ、多くの人材を育んでいってもらいたい。出でよ! 出でよ! 後継の師子たちよ!”
自分以上の人材を育てることができてこそ、真の指導者である。それには、後輩のために自ら命を削る覚悟と実践が求められる。自分のために後輩を利用しようとする人のもとからは、本当の人材は育たない。
「人材養成の教育が一切の社会的機構の根柢である」(注)とは、創価の先師・牧口常三郎初代会長の卓見である。
小説『新・人間革命』の引用文献
注 「創価教育学体系(下)」(『牧口常三郎全集6』所収)第三文明社
法悟空 内田健一郎 画 (5726)
山本伸一が作詞した栃木の歌「誓いの友」の作曲も終わり、歌が栃木県の幹部に伝えられたのは、県の日記念総会の前日、十一月二日の夜のことであった。
翌三日、合唱団のメンバーは、総会の会場である足利市民体育館へ向かうバスの中でも、喜びに目を潤ませながら、練習に励んだ。合唱団の名は「戸田合唱団」である。戸田城聖の戦後初の地方指導に思いを馳せ、この年の三月、伸一が命名したのである。
記念総会が始まり、歌が披露された。
一、ああ高原の 郷土に
立ちて誓わん わが友と
三世の道は ここにあり
栃木の凱歌に 幸の河
二、あの日誓いし 荘厳の
語りし歴史 つづらんと
ああ幾山河 凜々しくも
栃木の勝利に 涙あり
三、栃木の友は 恐れなし
広布の歩調は 朗らかに
いざいざ進まん 慈悲の剣
栃木の旗に 集い寄れ
君との誓い 忘れまじ
栃木の同志は、「誓いの友」という曲名、そして、何度も出てくる「誓」という言葉の意味を嚙み締めていた。
歌詞に「君との誓い 忘れまじ」とあるように、伸一にとっては、今回、県の歌を贈ったこと自体、皆との共戦の誓いを、断固、果たさんとする決意の証明であった。
また、栃木の同志は、それぞれが立ててきた、伸一との挑戦の誓いを思い起こし、胸に闘魂を燃え上がらせるのであった。
われらの誓いとは、広宣流布実現への、地涌の菩薩の誓願である。「在在諸仏土 常与師俱生」(法華経三一七ページ)とあるように、広布に生きる創価の師弟の誓いである。
小説『新・人間革命』語句の解説
◎在在諸仏土/ 常与師俱生/法華経化城喩品第七の文で「在在の諸仏の土に 常に師と俱に生ず」と読む。いたるところの仏の国土に、師と弟子が常に共に生まれ、仏法を行じるとの意。仏法の師弟の絆が、三世にわたることを示している。