「芸術は爆発だ!」の言葉で知られる世界的芸術家、岡本太郎。
その岡本が作った巨大なパブリックアート『夢の樹』が栃木県鹿沼市にある。
制作背景に迫った。(宇都宮放送局記者 川上寛尚)
東武鉄道日光線の新鹿沼駅。首都圏と鹿沼市を結ぶのどかな駅で、ひときわ大きな存在感を放っているのが、巨大なモニュメント『夢の樹』だ。
アルミでできた作品は高さ4メートル、重さは1.5トンにおよぶ。
銀色の樹の幹から、いくつもの球体が沸き立つように躍動する『夢の樹』は、「たわわに実った夢が、宇宙に向かって伸び、樹が、人間が、そして生命力が開くこと」を意味している。
制作したのは、1970年に開かれた大阪万博の『太陽の塔』で有名な、世界的芸術家の岡本太郎。
今からちょうど40年前、岡本が72歳のときにおよそ8000万円の制作費をかけて作られたと言う。
しかし鹿沼市と岡本には、ほとんどゆかりがない。
どうしてこの地で『夢の樹』を作ろうとしたのか、当時の関係者に話を聞いた。
鹿沼市の元職員 但木正弘さん
元鹿沼市職員の但木正弘さん (76)。
『夢の樹』の制作について岡本との交渉に立ち会い、作品誕生の瞬間までを目の当たりにしたひとりだ。
但木正弘さん
当時、市の大規模事業として市民文化センターの建設計画が進んでいて、なにかシンボル的なものが作れないかという話が持ち上がった。そこで、岡本さんと知り合いだった当時の県の職員を通して、モニュメントの制作を依頼してみたんです。
鹿沼市を訪れた岡本太郎(1980年)
但木さんによれば、依頼を受けた岡本は「現地を見たい」とすぐに視察に訪れたという。
但木さんたちの案内で市内のあちこちを探索したその夜。
岡本は当時の心境を「鹿沼の緑」と色紙に書いて、同行した職員たちに配った。
岡本太郎の直筆 「鹿沼の緑 岡本太郎」と書かれている
但木正弘さん
岡本さんは鹿沼の緑あふれる街並を、すごく気に入ったようでした。モニュメントどころか、鹿沼に記念館を作ろうという話が一時、持ち上がったくらいで。
その後も何度も取材に訪れたんですが、地元の我々が素通りするような場所でさえ、立ち止まって熱心に写真を撮っている姿が印象に残っています。
岡本は鹿沼市内を熱心に取材した
さらに、但木さんは岡本の人柄について、こう振り返る。
但木正弘さん
オーラがあって一見近寄りがたい感じなんですが、おちゃめな面もあって。取材中に突然スキップを始めたり、記念撮影でカメラを向けられるとキッとカメラのレンズを見てポーズを取ったり。考えことをしてるときに、フランス語でぶつぶつとつぶやいていたのも覚えていますね。
NHKとちぎ630で岡本太郎の『夢の樹』が2023年1月30日に放映されました。昨日新鹿沼から上京の機会に夢の樹を出発前後2枚撮影。学生時代岡本太郎の「今日の芸術」を読み耽った身としては、移住した鹿沼市に岡本太郎の巨大なパブリックアートが存在することに運命的な歓びを感じます。上野のマティス展や川崎市岡本太郎美術館は夜間や休館日は観れないが、わが鹿沼市では岡本太郎のモニュメントに365日24時間会えるのです!(2023/06/27 訪問)
栃ナビ クチコミ投稿2023.6森正之(ハンドルネーム「かそ人」)