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大芦地区の森正之です。貴重な機会を与えて下さり有難うございます。

昭和11年生まれ、昭和44年に33歳で入信しました。現在88歳です。60歳の時、東京から越してまいりました。現在の職業はホームページ制作業です。

 

創価学会に入る一年ほど前、池田先生の「音楽の喜び」を日経新聞で読みました。(昭和43年8月4日)

人生でこれほど魂の琴線に響く随筆はありませんでした。切り抜きはまだ取ってあります。

その後、妻の中学校時代の友人が人間革命第一巻と第二巻を持って折伏に来てくれました。

それを私は出勤途上の電車で読み、白金小学校校長の牧口先生(創価学会初代会長) の獄死、戸田先生の出獄と戦後の弘教活動を知り驚きました。私は白金小学校の隣の小学校(高輪台小)を卒業して中学校では一緒になっていたからです。昨年、その中学校の3年担任の名前をつけたホームページをつくりました。また集団疎開は塩原温泉だったので人間革命に終戦直後の栃木県が出てくると懐かしさが込み上げてきたのです。


 ある秋の夜、熱心な創価学会員の叔父(母の弟)宅に寄った時、何気なく「創価学会で何してるの?」と訊ねました。すると「家族全員で入信して選挙をうんと頑張ったらビジネス旅館が大繁盛して支店まで手に入ったんだよ」との返事でした。その叔父とは齢が近く我が家に同居していた事もあり慕っておりましたので私は素直に信じ、「明子が入ったら僕もやるよ」と言いました。そうしたら叔父の娘たちが大きな拍手をしてくれました。

その2ヶ月後、キリスト教だった妻は「運命は受け入れるもの」と信じていましたが「宿命は挑戦して転換できるものだ」と言われ、その強さが欲しくて12月20日に入信致しました。

妻は翌日から元気に勤行唱題を始め我が家の雰囲気はがらっと変わったのです。私はもう一度新鮮な気持ちで小説人間革命に取り組み第二巻「あとがき」まで読み切って年末の30日に入信しました。妻の10日後です。

すぐに叔父に電話したら「胸を張って堂々とやれ」と励まされ、正月挨拶の時、工場長・研究所長などに創価学会に入会したことを話しました。

そして、間もなく足立区の工場の生産課長に任用され現場を担当しました。初めての技術系課長の仕事は新鮮で、初信の功徳の凄さに驚きました。その10年後会社生活の後半で夢に見たコンピュータ部門を創設し、会社卒業まで大型・小型コンピュータの他パソコンまで手掛け社員教育にも励みました。

 

鹿沼生活は、間もなくあと2年で30年になります。もともと妻は田舎暮らしをして娘たちにお米と野菜を送るのが夢でした。今は範囲が広がって娘の友人や妻の親友、親戚、独立した孫たちにも送っています。私の住まいは上久我の旧久我小の麓の県道沿いで、百坪の野菜畑と近くにハーブ畑があります。

聖教新聞の配達も、前立腺がんが発見されるまで10年やりました。そのがんも放射線治療が効き、経過観察になって寛解しました。

 

私の健康法をふたつお話します。

ひとつは1年前から実践している北里大学糖尿病センターの食事法です。まず野菜やタンパク質脂肪分を最初に(主食の前に)腹一杯食べる。そして最後にご飯やパンの主食を、一食20gから40g食べる。間食は10gまたはミックスナッツ。これでHbA1cが下がりました。

ふたつ目は聖教新聞に載っていた甲府の漢方クリニックです。処方された漢方薬は八味丸Mといい、六種類の生薬が入っていて1日3回飲みます。これが元気の素です。新宿発午前8時の「あずさ5号」で今年2月と3月の2回通いました。4月からは鹿沼の医院を紹介され同じ漢方薬です。

朝昼晩の食事日記は12冊になりました。

 

 次に、私のボランティアでいちばん熱心に取り組んでいるのは「中学2年生の職業体験」です。東中・西中・北中や、板荷・加蘇・南摩・北押原・粟野中などです。今迄で一番多かったのは西中の7人です。内容はホームページづくりと2種類のOS(LinuxとTron) の学習です。生徒たちがあまりにも熱心なので辞められません。

情報センターのIT講師や、NPO-ITアットうつのみやの事務局長もやりました。

パソコンと書道の小中学校特別非常勤講師も経験しました。書道は師範号を持っています。

 

 また、いつも公明党を応援してくれる友人から俳句を勧められ始めました。季語の勉強にネットが役立ちます。「春の声クラリネットを吹く乙女」という句は今年の新年の本部幹部会の演奏風景です。我が家はVOD会場になっています。

 

私の屋号は「信頼ネットワーク」です。玄関に小さな看板を掛けました。毎朝8時に公明党衆議院議員の輿水恵一さんから「今日の決意」というメールが入ると、googleで英語に翻訳して、日本語と一緒に「信頼ネットワーク」のホームページに貼り付けます。

また、大学同期生のネット掲示板を作り、随時原稿を受付けています。長い文章や写真を編集するので手間がかかります。

 

以前朝日新聞出版の週刊AERA佐藤優(まさる)さんの「池田大作研究を一年間連載した際、編集部から取材を受け、鹿沼と東京を結ぶオンライン家族飲み会がAERAに載りました。それ以降「栃木県 森正之」で検索すると私の情報が沢山でてくるようになりました。フェイスブック、Youtube、私のホームページなどです。


先月、兵庫県の芦屋写真協会の写真家のホームページを制作。海外で個展を開くためのPR用です。


サロンド・トモコ孫さんたちの成長記録。感謝と愛情の写真とコメントでいっぱい。オーナーがサイトを使いこなしています。


鹿沼商工会議所支援のホームページ。なかでも四季おりおり目まぐるしく更新しているホームページは「鹿沼ひざつきフルーツプラザ」。昨日もサクランボの花と桃の花を一眼レフで撮影してアップしました。

 

先程の叔父のDNAで私もひたすら公明党員でがんばっています。妻も私も長年公明党員です。入信以来欠かさず公明新聞をとっています。

3・11の後、公明新聞に「党員さん紹介」で載りました。叔父の長女が千葉県市原市の市会議員を3期やったときは、臨海コンビナートに友人が多かったので泊りがけで応援しました。

昨年4月の統一地方選挙では次女からの依頼で東京国立市に通いました。初めて頼んだ友人とは3時間の対話になり、今年2月にも東京で会い、得難い友となっています。

 

折伏で一番嬉しかった思い出は、友人の一人だけが来ると思っていたのに、奥さんと成人した息子と娘さんを連れてきて、なんと一家4人が揃って入信してくれたことです。鹿沼に転入した時一番最初に夫婦で鹿沼へ来てくれました。

 

私の夢は、森図書館をつくることです。クルマ2台入る倉庫を改造して学会関係の書籍を中心にコンピュータ関係、小説など数百冊並べて自由に読めるようにしたいと考えています。

中学生の職業体験もここでやれます。

 

毎朝妻と1時間朗々と題目をあげています。

悩みはまだまだ尽きませんが、池田門下生として題目をあげぬき、世界広宣流布の一翼を担うべく前進してまいります。

以上、本当に有難うございました。  



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