アメリカSGI グレイディー・テッシュさん Home

〈TOMORROW 明日へ向かって〉
うつ病を乗り越えジャズ界で奮闘
世界に挑むビブラフォン奏者2023年6月16日

 夜、ニューヨーク・マンハッタンの街のあちこちに、ジャズクラブのネオンがともる。

 イーストビレッジにある人気ジャズクラブはきょうも満席だ。薄暗い店内。ほのかに照らされた舞台に、グレイディー・テッシュが立った。4本のマレット(ばち)を手に、鉄琴の一種ビブラフォンをたたく。ペダルで音の長さを調節しながら、ビブラートの効いた、低音でふくよかな音色を醸し出すと、観客はうっとりと聞きほれる。
 
 「波を打つように変化する、ビブラフォンの優しい音色が大好きなんです」
 
 グレイディーは昨年、仲間と共にジャズバンド「モメンタム」を結成した。ジャズ発祥の地ニューオーリンズと並び、数多くのジャズクラブが軒を連ねるジャズの本場ニューヨーク。激しい競争が繰り広げられ、聴衆の心を打たなければ、淘汰されていく厳しい環境である。

 その中にあってもグレイディーのスケジュールは、ライブや打ち合わせの予定でいっぱいだ。
 
 明年には、ペルーでの海外公演も控えるなど、さらなる飛躍を期している。
 
 「まだまだ駆け出しです。さらなる実証を示すために、信心を根本に努力を続けているところなんです」
 
 ――地元ユタ州からニューヨークにやって来たのは、2012年。幼い頃から夢見ていたジャズミュージシャンになるため、ニューヨーク大学音楽学部に入学し、ジャズを専攻した。
 
 人のつながりが深く、なんでもみんなで助け合う、温かな地域で育ったグレイディーは、人間関係が希薄な都会での生活に面食らった。
 
 努力は続けていたものの、心が追い付かなかった。最初は“耐えればいい。この苦しみを乗り越えれば、弱い自分をたたき出せる”と思っていたが、最初の学期末で限界を迎え、うつ病と診断された。
 
 人と話すのが怖くなり、生きる意味が分からなくなった。

多くの人でにぎわう米ニューヨークのマンハッタン


手にした一枚のCD

 最悪の状況でも、ジャズだけは捨てなかった。不思議と、自分にとって何か意味があるものだと思えたから。
 
 そんな時に手に取った、一枚のCD。グラミー賞受賞12回、ジャズ界のレジェンドであるウェイン・ショーター氏のアルバムだった。
 
 「冒頭は即興演奏。混沌と不協和音と感情的な音色がぶつかり合うような印象でした。しかし、ウェインが演奏を始めた瞬間から、いきなり全体の雰囲気が変わったんです。彼のサックスから、闘争心を感じました。一音一音に、苦難を越えた力強い魂があり、人々を希望の方向へと導いていくように思えたんです」
 
 どんな人なのだろう――グレイディーは、ショーター氏の自叙伝を手に入れ、一気に読んだ。そこには、彼がSGIの一員として、困難に打ち勝ち、人生を開いた信仰体験がつづられていた。
 
 「この信心があったから、彼が生命の奥底から幸福を引き出し、不屈の心で演奏していることを知ったんです」
 
 グレイディーはすぐさまパソコンを開き、アメリカSGIのホームページにアクセスすると、題目の唱え方を検索。唱題に挑戦した。「元気な命が湧き上がってくるような感覚になりました。そして、自身の内側から“もう君は大丈夫だ。生命のより深いところに到達しているのだから、必ず幸福になるよ”と聞こえてきたように感じたんです」
 
 後日、ニューヨーク文化会館を訪れ、受付の役員に告げた。
 
 「どうやって入会すればいいですか?」
 
 その年、御本尊を受持。唱題と学会活動に懸命に励んだ。

切り替えられる力

 祈り続けると、さまざまな変化を感じた。まず、長年苦しんできたADHD(注意欠陥多動性障害)の捉え方が変化した。
 
 「それまでは、約束した日時を忘れたり、落とし物をしたりと、悩むことの方が多かったんです。でも、祈り始めてからは、自分の良い所を見られるようになりました。そして、自分にはすぐに切り替えられる力と、柔軟に物事を組み立てる力があることに気付いたんです」
 
 ジャズへの向き合い方も大きく変わった。
 
 「ウェインの信心根本の生き方を知り、“音楽は人間性の反映である”と気付きました。だからこそ、これまで多くの人を励まし続けてきた池田先生のように、目の前の一人を大切にする行動を起こそうと決意できたんです」
 
 グレイディーは、家族や友人に仏法を語り広げた。当初は信心に反対していた両親は、彼の変化に驚き、父は理解者となり、母は15年に入会。彼の紹介で、これまで50人の友がSGIの輪に加わった。
 
 「聴く人の魂に響く音色を奏でたい。そのために、学会活動を通し、心を磨いていきました」

団結固く前進するニューヨーク圏の男子部の友と(左から2人目がテッシュさん)

 努力を重ねていく中で、次々と功徳の実証が現れた。
 
 16年、アート・ブレイキーなどジャズ界の大物を輩出してきた屈指の名門レーベル「ブルーノート・レコード」のオーディションを突破し、ペルーでの海外ツアーへの参加を勝ち取った。
 
 21年には、公共放送「PBS」のドキュメンタリー番組の作曲の話が舞い込んだ。
 
 その他、スイス、イタリア、コスタリカなどの音楽フェスティバルにも出演するなど、活躍の場が大きく広がった。
 
 グレイディーは今、報恩感謝の思いで、ニューヨーク圏の男子部長として、アメリカ広布に走っている。
 
 「この信心のおかげで、ジャズの持つ高い価値と人間性の大切さを知ることができました。今後は、大きなコンサートへの出演など、池田先生の弟子として、さらなる勝利の結果を示していきます!」

“魂の音色”を奏でるテッシュさん(手前)

取材協力/アメリカ「Living Buddhism」誌

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