次世代通信基盤「IOWN」でゲームチェンジを実現する――澤田 純(NTT代表取締役会長)【佐藤優の頂上対決】
2022年11月01日
通信インフラを一変させる新しい技術が日本で生まれつつある。電子で行われているデータ伝送を光信号で行うもので、将来は光で動く半導体を開発する。これにより大容量、低遅延、低電力のやりとりが可能となり、生活にも大きな変化をもたらすという。果たして“技術大国”日本は復活するか。
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佐藤 今年6月に会長に就任された澤田さんは、社長在任時の4年間に大々的なグループ再編を行われました。中でも4兆円強を投じたNTTドコモの完全子会社化は大きな話題になりました。
澤田 ドコモは携帯電話のシェアでは42%ほどでトップなのですが、収益は3番手、強化が必要だったんです。
佐藤 ドコモは分離してから大きく成長したわけですから、一緒になることに抵抗もあったでしょうね。
澤田 そうですね。ただドコモの方も非常に歪(いびつ)な形の会社になっていることはわかっていた。NTTとはファイヤーウォール(障壁)を作って、無線通信だけやる会社になっていましたから。一方、競争相手はソフト開発などさまざまな事業を展開して、どんどん大きくなっている。ドコモが関連企業を買収する方法もあったでしょうが、一番早いのはNTTグループの中で能力を組み合わせることだと考えました。
佐藤 澤田さんは1985年の日本電電公社の民営化の時も、1999年のNTT分割の時も、会社にいらっしゃいましたね。
澤田 どちらも、会社を移ったくらい環境が変わりましたね。さらにアメリカの子会社にもいましたから、私は都合四つの会社で仕事をしてきた気分です。
佐藤 時代によって、組織の形をこれほど大きく変えた企業も珍しいのではないですか。
澤田 もともと電電公社は、戦後復興のため、1952(昭和27)年に設立されました。通信網、特に電話網をどう整備していくか、それを考え、計画的に実行していくための会社でした。
佐藤 いまでは想像できませんが、昔は電話が引かれていることが富裕層の証みたいな感じでしたね。
澤田 ええ、ステータスでした。
佐藤 私が幼い頃は団地住まいで、最初の電話は隣家と共用する親子電話でした。隣が使っていると、使えなくなる。
澤田 電話線がない、端子がない、という時代でした。ですから日本中で電話をすぐにお使いになれるようにすることが目標でした。多い年には、年間400万から500万回線を敷設しましたね。
佐藤 電話が各戸に行き渡ったのはいつ頃ですか。
澤田 1979年で、私が入社した翌年のことです。いちいち交換手を通さずに電話できるようになったのもその頃ですね。
佐藤 資料を拝見すると、澤田さんは技術畑出身ですね。
澤田 大学は工学部で土木を専攻しました。それで社会資本、いまで言うインフラ作りに携わろうと思って入社したんです。最初は局外施設と呼ばれる部門に配属され、ケーブルを敷設したり電柱を立てたり、またお客様の家に行って故障の修理もしましたね。
佐藤 通信の動脈部分を作られた。
澤田 ええ、中身ではなく、“入れ物”の方です。1980年代には日米貿易摩擦が起きて、アメリカからもっと部品を輸入するよう要求され、社内で初めて国際仕様書を作ったこともあります。でも、だいたい通信の周辺というか、メインではない部署を歩いてきた感じです。
佐藤 民営化は入社されて10年も経たない時期です。
澤田 回線を敷設し終わったら、競争を入れてもっと値段を下げた方がいいという議論が沸き起こった。それで民営化されるのですが、一方、社内では当初の目標を達成してしまうと、やることが見つからないんですね。メディアの人から「これからは何をするの」と揶揄されたこともありました。その頃に始めたのがデータ通信です。それは後に分離されてNTTデータになります。
佐藤 同じ頃に携帯電話の前身であるショルダーフォンが出てきますね。私は1986年の東京サミットの際に初めて使いました。
澤田 ああ、外務省にいらしたからですね。それはずいぶん早いです。当時はまだ実験に近い段階で、始めは自動車に搭載して使うので「自動車電話」と呼んでいた。それを取り外して運べるようにしたのがショルダーフォンでした。
佐藤 私は中学時代にアマチュア無線をやっていましたが、大きさも重さもその機器と同じくらいで、これがどこまで普及するのかと思いました。そうしたら、あれよあれよという間に機器が小さくなり、普及していった。
澤田 NTTドコモの前身であるNTT移動通信企画ができるのが1991年です。
佐藤 携帯電話は1990年代に急成長を遂げますが、のちにガラケーと呼ばれるものも、iモードというサービスも、同時代においては極めて優れたものでした。
澤田 その通りだと思います。
佐藤 しかしデファクトスタンダード(事実上の標準)にはならなかった。2007年、iPhoneの登場ですっかり局面が変わってしまいましたね。
澤田 まったく正しいご指摘です。そこでもう一度、私どもが競争のスタートラインに立つためにドコモの子会社化が必要でした。先ほど国内の話を申しましたが、相手は国内だけでなく、世界にもいる。これからの戦略を考えるにあたり、ドコモはドコモのやり方で最適化し、NTTはNTTで別に考えるというのでは、太刀打ちできない。ドコモの子会社化はこれから始めようとすることの必要条件だともいえます。
新しい情報基盤を作る
佐藤 それが「IOWN(アイオン)(Innovative Optical and Wireless Network)」ですね。
澤田 そうです。最先端の光関連技術と情報処理技術を活用した新しい情報通信基盤を作ります。このIOWNは、ICT(情報通信技術)が抱えるさまざまな問題を解決できる技術なんですよ。
佐藤 まずそのさまざまな問題とは何でしょうか。
澤田 これからはデータ駆動社会になっていくとよくいわれます。いろいろなものをデータにして、それによって予測したり、最適な選択肢をリコメンド(推奨)したりする社会ですが、そのためには、膨大なデータ処理が必要になります。ですが処理量が多いと、半導体がもたなくなるんですね。具体的には熱を持ってしまう。これまで「ムーアの法則」と言って、半導体の集積密度は1年半から2年で2倍になるとされてきましたが、それが限界まで来ています。
佐藤 データセンターは、発生する熱との戦いだといいますね。
澤田 半導体チップにしても、シングル(1桁)ナノの単位で描線を引いて回路を作っていますから、物理的な限界が近い。ではどうするのか。電子の代わりに光を使おうというのが、IOWNの基本構想です。そうすると、大容量で遅延もなく、熱もあまり出ない。つまりエネルギー効率のいいシステムができます。
佐藤 半導体チップを光で動かすわけですね。これはNTT独自の技術なのですか。
澤田 はい。もともと通信では光ファイバーを使っています。その中継機で光信号を電気信号に変換する仕組みはあった。それをもっと小さくすれば、半導体の中にも入れられるのではないかということで、もう30年近く研究してきたんです。そしてその成果が2019年4月、イギリスの科学雑誌「Nature Photonics」に論文として掲載されました。そこで同年の5月にこの構想を打ち出すことにしたのです。
佐藤 実用化までどのくらい時間がかかりますか。
澤田 大きく分けると2ステップになっています。いきなりすべてを光にするのは無理なので、まず2030年までに電子素材と光素材を複合化した半導体を作ります。これを光電融合と言っています。半導体のLSI(大規模集積回路)とLSIの間をつなぐところを電子から光に変える。それが最初のステップになります。
佐藤 その段階でも大きく変わってくるのですか。
澤田 一つは、インターネットの映像がより高精密で遅延がなく、リアルタイムで動くようになります。ただ感覚的には、いままでよりキレイになった、速いねというくらいの印象かもしれません。もう一つは、端末の消費電力が減りますから、充電を頻繁にしなくてすむようになる。
佐藤 そこはカーボンニュートラルの問題に関わってきますね。
澤田 データ駆動社会となってデータ処理量が飛躍的に増えると、いままでの電力では追いつかなくなります。ですから、そこは大きな利点です。2025年の大阪・関西万博で使用するシステムとして準備していますが、それまでに電力使用量を8分の1にすることを目指しています。
佐藤 3年後ですから、すぐです。
澤田 そこはだいたいめどがついています。ただ、その半導体の方式を、メモリで使うのか、スイッチで使うのか、あるいは最終的な製品をルーターにするのか、サーバーか、端末か、そのあたりはまだ整理できていません。今後、各社と協業していきますから、どんどん面白い展開になっていくと思います
生活を変えるデジタルツイン
佐藤 それでは2030年以降はどうなるのですか。
澤田 電子の代わりに光で動く光半導体を作ります。これができると、100倍の電力効率、125倍の伝送容量、200分の1の低遅延が実現できます。
佐藤 それはすごいですね。局面が変わる。
澤田 ゲームチェンジが起きます。それを起こす側にいるのです。少し専門的になりますが、半導体のシリコン基板上に発光素子や受光器、光変調器といった素子を集積した回路を「シリコンフォトニクス」と言います。そのファーストランナーが弊社なのです。
佐藤 競争相手はいないのですか。
澤田 光伝送装置の研究を大々的に行っているのは弊社くらいで、メーカーでは日本の富士通、NEC、アメリカのシエナなどは研究をしています。シリコンフォトニクスは、アメリカでベンチャーが生まれつつありますが、インテルやブロードコムも含め、いま弊社が最先端を走っている感じです。
佐藤 ゲームチェンジを実現するには、一時期の日本の携帯電話がたどったガラパゴス化は避けなければなりません。
澤田 そのためにアメリカで2020年1月に「IOWN Global Forum」を発足させました。最初に話をしたのはインテルで、同社とソニー、弊社でコアメンバーを形成し、その後、マイクロソフトやデルなど100社近くが参加しています。そこでこの方式を標準化すべく引っ張っていきたい。
佐藤 これには経済安全保障も関わってきますね。
澤田 米中のデカップリング(非連動)を先読みしてやってきました。価値観の同じ自由主義国が開発母体となる形になっています。もっとも今後、アメリカが中国に接近するようなことがあったら浮いてしまいますので、自身も強化しながら連携する構造にしていきます。
佐藤 IOWNが現実のものとなった時、私たちの生活はどう変わるのでしょうか。
澤田 一番わかりやすいのは、「デジタルツインコンピューティング」が可能になることです。高速で大容量のデータがやりとりできますから、実世界から入手したデータでサイバー空間に双子のような世界を構築し、そこから現状を分析したり、未来を予測したりすることができるようになります。例えば、快適に住みたいなら、誰かがコントロールするのではなく、AIが自動的に空調やライティングの環境を調節して過ごしやすくしてくれる。
佐藤 サイバー空間の家で試してみて、それを実世界に反映させるわけですね。
澤田 住居に限らず、街でも人体でも、デジタルツインは可能です。
佐藤 そのままの生活だったら、どんな病気になるかがわかる。
澤田 ええ、デジタルツインの強みは、シミュレーションと未来予測になると思います。
佐藤 メタバースとは根本的に違いますね。
澤田 メタバースは参加者が自由に活動できる仮想空間で、そこに何の歯止めもありません。このまま法的ルールが整備されることなく、倫理性もないままに進んでいくのは、極めて危険です。
佐藤 メタバースの世界で自身の分身であるアバターを作って、別の人生を歩むことになると、人間とは何かという問題にもなってくる。
澤田 デジタルツインもどんどん進めば、人間の心や意識を形成するものをどこまでデジタル化できるだろうか、という問題が出てきます。それは究極的には人間とは何かという哲学的な問題に行きつく。また、富の格差が命の格差につながるようなことも生じてくるかもしれない。
佐藤 そこはユヴァル・ノア・ハラリが『ホモ・デウス』で描いたディストピアの社会ですね。一部の人間が技術を駆使して不死に近づき、神のような存在になる。彼が2018年と2020年のダボス会議でそれをもとに基調報告したのは一つの警告だと思います。
澤田 ハラリはそうした社会を肯定しているわけではありませんが、その未来像については断定的な書き方をしています。でも私はその未来を認めません。
佐藤 私も反対です。
パラコンシステント
澤田 IOWNは技術によって新しい社会基盤を作り出すわけですから、そこにはやはり新たな社会科学的な思想や共通概念が必要です。それによって社会を進歩させていかなくてはなりません。
佐藤 すでにネット空間の拡大に伴い、さまざまな齟齬が生じています。
澤田 その通りで、いまの情報通信やSNSによって、あまりにも社会が分断されてしまったという現実があります。エコー・チェンバーと言いますが、自分と似た興味や関心を持つ人とばかり交流するようになっている。
佐藤 だから対話が不能になってしまっていますね。ネット空間では意見が違うと、すぐに罵詈雑言が飛び交います。
澤田 これから情報通信はさらにパーソナル化の方向に進化します。その結果、多様な社会になってはいきますが、分断もさらに進んでいく可能性がある。だから個を重んじながら社会を維持するためのガバナンスの仕組みが必要になります。
佐藤 そこは非常に難しい。
澤田 先にお話ししたように、光半導体でネットワークができると、非常に高速で情報が処理できます。そうすると、もうデジタル化する必要がないんですね。得たものをそのままアナログで送ることができる。もちろんデジタルが必要な部分もありますから、IOWNはアナログとデジタルを併存させるモデルなんです。
佐藤 人間は本来、アナログですからね。
澤田 今後、そうした併存モデルが重要になります。アナログだと、より人間の実像に近い情報を送れますから、相互に個を尊重することはさらに大事になります。その一方で、インクルージョン(包摂)の仕組みを作って、バラバラにならないようにする。いまの日本は多様性ばかりがもてはやされますが、包摂も非常に大切です。私は多様性をそのまま受け止めるあり方を「パラコンシステント」(同時実現)と呼んでいます。
佐藤 両者を成り立たせる論理ですね。
澤田 はい。AかBかではなくて、AもBも、です。西田幾多郎の「絶対矛盾的自己同一」に近い概念です。
佐藤 澤田さんは京都学派の思想を受け継がれている。
澤田 弊社では現在の西田哲学をフォローしていらっしゃる哲学者で京都大学教授の出口康夫先生と、弊社で初めて文化系分野での共同研究も行っています。
佐藤 技術だけではなく、社会科学からもIOWNの探求をされている。
澤田 出口先生が提唱されているのは、「Self-as-We(われわれとしての自己)」という概念です。これはいま弊社のサステナビリティ憲章の基礎にもなっていますが、出口先生は人間を、ネットワークの中でしか生きられず、その中で支えられている非自律的存在、非自足的存在としてとらえ直しています。そしてITやICTの向かう先もその方向だとされている。つまり他者を必要とし、利他の精神で支え合うのが人間ということです。それを受けて、弊社は利他共存のもとで、ウェルビーイング(幸福)の最大化を目指しています。
佐藤 なるほど、利他の精神ですか。
澤田 その「われわれ」には、メタバースのアバターも入ります。今後はそうした概念を社会的に実装していかないと極めて危険です。
佐藤 澤田さんのお話を伺っていると、非常に強い公共性を感じます。
澤田 経営者として悩ましいのは、公共性と企業性の両立です。IOWNはビジネスでもあり、これによって日本が再度、競争のスタートラインに立てるようにすることも大事です。しかしこれからはそれだけではダメです。これからのサービスはコモンズ(共有地)としての役割を担い、そこで自己実現をしたり、特性を生かして仕事をする人々のつながりをサポートしていかなければならない。こうしたビジョンを持ってIOWNを進めています。
澤田 純(さわだじゅん) NTT代表取締役会長
1955年大阪府生まれ。京都大学工学部卒。78年日本電信電話公社(現NTT)入社。設備業務を担当後、96年からは再編成室でNTT再編に携わる。NTTアメリカ副社長、NTTコミュニケーションズ取締役、副社長を経て、2014年NTT副社長、18年に社長。22年から会長。著書に『パラコンシステント・ワールド』。
週刊新潮 2022年10月27日号掲載