とちぎ発!満足生活2008年3月 Home

栃木県発行

とちぎ暮らし体験記 鹿沼市上久我 森 正之 明子さんに聞く。
「経験を生かした活動編」

 東京から鹿沼に移住して「都会では考えられない幸せな生活」に。
(夫)パソコン教室、カメラマン、NPO法人、書道。
(妻)パッチワーク、お料理教室。


子供や孫の田舎になってあげたい

2人とも東京出身なので子供が小さい頃夏休みに連れて行く田舎がなかったんです。田舎に行ってくるとか田舎からお米が送られてきたという話を聞くと羨ましくて仕方なかった。それで以前から孫が出来る頃には田舎にで暮らしたいと、子供や孫たちの「田舎」になってあげようと心に決めていました。

田舎暮らしについて具体的に考えたのは会社を退職した年です。 60歳の一年早く辞めたんですが、不動産屋さんに紹介されたこの場所に来て家の前に広がる畑や山の風景が一目で気に入りました。この家もそれまで2人で描いていた間取りっどぴったり合った。もう即決です。それから12年嫌なことなんて一度もないですよ。年中子供や友人が遊びに来るし、希望どうりお米を送れる生活です。

経験を生かし地域活動や仕事に取り組む毎日

 鹿沼市のIT講師、宇都宮のITボランティアをまとめるNPO法人の事務局長、小中学校の特別非常勤講師等を務め、これまで仕事で培ってきた技術を存分に活かすことができています。また 2007年から鹿沼ホームページ工房(現・信頼ネットワーク)を立ち上げ鹿沼市の商工会議所とも協力しながら、地元の事業所のホームページを 作成しています。その他学生時代からやっている写真の技術を活かして 学校行事の写真を撮る仕事をしたり、書道市販師範を持っているので感謝状を書くことを頼まれたり、すぐ近くの小学校の広報誌づくりのボランティアをしたり、サラリーマン時代よりも忙しいくらいです。妻もパッチワークを教えたり、近所からいただく野菜のお礼にパンを焼いたり と、お互いに楽しくて多忙な毎日です。週に一回2人でコミュニティセンターで社交ダンスを踊っています。それぞれに忙しくてもこの時間だけは一緒です。

田舎は人が少ないけれど温かい

以前2人で 柿の木を植えていたら、近所の人が「何してんだ」って、「柿の木を植えてる」と言ったら、「そんなところに植えないであっちが良い」って言われて動かしたら、次に来た人は「こっちがいい」と いう。言われるたびに動かしていたらついに枯れちゃった(笑)。

ジャガイモの収穫の時は取れたのがあんまり小さなジャガイモだったから、近所の人たちに大笑いされてね。その後みんなが自分の家で採れた大きなジャガイモを持って来てくれて、家がジャガイモでいっぱいになった。料理を作ったりパンを焼いてお返しするのが大変だったんですよ(笑)。

東京では毎日家の前を何百人という人が行き来するけど、声をかける人すらいない。ここでは一日5人くらいしか通らないけれど、みんな 挨拶して声をかけていくんです。色々な人と言葉を交わして、都会にいた時より人と話します。東京に出て行った田舎の人は、逆に孤独を感じるんじゃないかな。ここで暮らす方が温かいと感じます。