それがぼくには楽しかったから 全世界を巻き込んだリナックス革命の真実
(小学館プロ・ブックス) (SHO-PRO BOOKS) 単行本 – 2001/5/10 Amazon
フィンランドに住む1人のコンピュータおたくの青年が、世界中にオープンソース運動を巻き起こし、一躍有名となった。
彼の名はリーナス・トーバルズ。ヘルシンキ大学在学中に「Linux」というコンピュータのOSを作り出し、インターネット上で無料でソースコードを公開した。OSといえば大企業が開発した商用のものだけで、かつソースコードを公開することはタブーといわれていた時代に、彼の試みは驚くほどの大反響を巻き起こした。
彼は決して野心を持ってLinuxの開発に臨んだわけではなかったが、結果的にLinuxは研究者や開発者、学生などで構成されるUNIXコミュニティで爆発的に広まり、今日ではマイクロソフトのウィンドウズを脅かすまでに成長した。
本書には、このリーナス・トーバルズのLinux開発物語から、彼自身の心温まるプライベートの話題までが、幅広く取り上げられている。技術的な話ももちろんあるが、コンピュータ関係の人物を取り上げた自伝としては、比較的一般向けにわかりやすく書かれている。
『それがぼくには楽しかったから』(『Just for Fun』)というのが本書のタイトルである。好きなことに一生懸命打ち込んだ結果、成功が訪れたという彼の「偶発的革命の物語」は、拝金主義や出世欲が見え隠れする本が多いなかで、好感が持てるものである。(土井英司)
それがぼくには楽しかったから 全世界を巻き込んだリナックス革命の真実
「Linux(リナックス)の創始者の本なら読まねば…」と半ば義務感で読み始めたが、題名は『JUST FOR FUN(それがぼくには楽しかったから)』で、副題も「The Story Of An Accidental Revolutionary(偶発的革命の物語)」ときている。てんで肩の力が抜けているのだ。ハイテク未来社会の到来を目一杯熱く説くことに忙しかったビル・ゲイツの本との差は鮮明だ。リーナス・トーバルズのこの本には、オープンな仕事の仕方に対する提案はあっても、未来社会への具体的提案はない。代わりに彼は言う。「リナックスは自分にとって必要で、楽しいから作った」と。
2人とも“コンピューターおたく”だが、価値観は違う。ゲイツは影響力と富を、トーバルズは評価と楽しみを求めた。もっと違うのは、2人のソフトウエアに関する考え方だ。前者は独占を狙い、後者は公開を実践。今、明らかに普及の勢いはオープンソースを売り物とするリナックスの側にある。
世界のサーバーの4分の1を押さえたばかりか、今後家電に入り込むことが確実な各種コンピューターの基本ソフト(OS)にリナックスが大量に採用されそうだからだ。オープンかそれとも潜行か。コンピューターのOSの世界だけで繰り広げられている衝突、論争ではない。政治の世界でも、企業経営でも同じような対立が生じ、オープン派の勝利が目立ちつつある。
オープンの方が知恵が集まり、疑念が消え、間違った行動が正される。確かに勢いも、そして正統性もあるように見える。しかしあらゆるものをオープンにした世界で、どうやって、そしてどの段階で各参加者に富を生み出すかの方程式は見えない。それは、トーバルズの仕事ではないだろう。今後の課題だ。
この本の著者は肩の力を抜いて書いているが、コンピューターの知識のない人間がすらすら読める本ではない。しかし、分からないところで立ち止まる必要はない。なぜなら、彼の言っていることは込み入ってはいない。「テクノロジーの未来について語るとき、本当に大事なのは、人々が何を望んでいるか、だ」(327ページ)と。確かにそれを忘れた情報技術(IT)社会論は行き詰まっている。
窓を開けることもまれだった混乱した自分の寝室でリナックスの核心部分(カーネル)を作り上げたトーバルズも、今は結婚して3人の子供と豪邸に住む。リナックスを凌駕するOSが出てくるのも間近いだろうが、彼が生んだオープンソースという考え方は、社会のあらゆるところで残る気がする。
(住信基礎研究所主席研究員 伊藤 洋一)
(日経ビジネス 2001/07/30 Copyright©2001 日経BP企画..All rights reserved.)
-- 日経BP企画
著者 デイビッド・ダイヤモンド
コンピュータの世界において、21世紀中最も重要な動きの一つについて書き留めることは、この上ない楽しみだった。この、「仕事が楽しみ」ということこそリーナス・トーバルズが持つ価値判断基準なのだ。リナックスOSのクリエーターである彼の考えは、「最良の仕事とはそれを楽しむことによって成し遂げられる」というものだ。彼は金のためにリナックスを作ったのではない。そのプロセスが楽しかったから作ったのだ。彼の生い立ちやリナックスの思いがけない成功を語る本を彼と一緒に制作しようとしたとき、彼が主張したのは、その制作の仕事自体がリナックスの制作と同じように楽しいこと、だった。事実、その作業はとても楽しいものになった。約1年の制作期間の間、数え切れないほどの楽しい経験をした。あるときは、ミニ・レーサーに乗ったり、両方の家族合同でキャンプに行ったり、スヌーカーをやったり、泥風呂につかったりした。そんなアクティビティの前に、適当なタイミングでテープレコーダーを取り出し、この本のためにリーナスにインタビューをしたのである。そんなとき、いつも私の頭の片隅を離れなかったのは、こいつは本当に皮肉でおもしろいということだった。ハイテク業界(そして今や世界の)最重要人物の一人である人物とは、自分がコントロールするOSの仕事だけでなくトランスメタ社の開発の仕事にも背を向けて午後のハイキングを楽しむ人物だったとは。リーナスは、何百万ものリナックスユーザーの要求に自分が応える責任があると思っている。自分こそがリナックスのカーネルに対して最終責任を持つと考えているのだ。その責任をまっとうするために、我々の“仕事の休憩”が恰好のエネルギー源となったようなのだ。
何回目かのインタビューで、リーナスに会うためにシリコン・バレーへ行く前、私はインターネットで調べものをした。そのとき、リナックスのバージョン2.4の延期が、リナックスをビジネスにしているレッドハット社のような会社に、大変つらい影響を与えているということを知った。いつ、その新バージョンがリリースに足る基準に達したかを知るのはただリーナスのみだということを、私はよく分かっていたので、彼の時間をインタビューのために1時間とは言え浪費させてしまうことに少し罪を感じていた。しかしその日の午後、私がリーナスのオフィスに着いてみると、彼が考えていることといえば、近くの遊園地でジェットコースターに乗ることばかりだった。そして、私は巨大なジェットコースターに乗りながら、彼にインタビューをした。だから、その時のインタビュー・テープの中には、ジェットコースターのノイズや他の乗客の叫び声などの周囲の音が入っている。
私たちの遊び心やリーナスのきままな行動が、リナックスの重要性をゆがめることはなかった。リナックスは今後もさらに重要性を増すだろう。ヘルシンキの彼の寝室の中で生まれたOS(オペレーティング・システム)は、インターネットコンテンツ配信用のサーバーを動かすどのOSよりも人気が高い。リナックスは、ある特定のニッチマーケット(すき間マーケット)にターゲットを絞ったわけではないので、逆にどのニッチにも流れ込むことができるのだ。一方、リーナスとリナックスによって広められたオープソース(変更を共有する限りだれであっても自由にOSを改良できるという考え方)により、ビジネスは姿を変え、革新のペースは早まっている。ただ、それがどんな事であっても言えることだが、最良の結果は、参加者が楽しむときに生まれるものなのだ。
北欧のコンピュータ・オタクの一学生が興味と自尊心の赴くままに世界のネットワーク仲間に投げ入れた小石は、広くビジネス社会全般の根幹を揺るがすに至った。小石の名は「リナックス」。生みの親が初めて語るリナックス哲学。