日本サルトル学会会報 第17 2007年 8

Bulletin de l'Association Japonaise d'Etudes Sartriennes no.17 aout. 2007


日 本 サ ル ト ル 学 会 会 報 第17号 2007年 8月


研究例会の報告

 第20回研究例会が下記のように開催されましたので、ご報告申し上げます。

日時 : 7月7日(土曜日) 14:00~17:00

会場 : 青山学院大学10会議室 (総研ビル3F)


1. 研究発表

「前期サルトル現象学における距離の概念について」

発表者: 森功次(東京大学大学院)

司会者: 永野潤

森氏の発表は、「距離」というテーマで前期サルトル現象学を捉えなおそうとするものである。緻密なテクストの分析に基づいた刺激的な考察が展開され、質疑応答においても活発な議論が行われた。3節に分かれた発表の第1節では、『存在と無』における「距離を繰り広げる」という言葉を手がかりに、初期サルトル哲学の基本的考え方が確認された。「距離を繰り広げる」とは、対自が距離という関係性を作り出すこと、つまり対自が「私の世界」を構成することである。しかし、それは同時に、「~mの距離」というかたちの客観的な距離が消失し、私が対象に「距離なしに」現前するということでもある。つまり、「距離を繰り広げる」ことには「距離の消失」が含まれる。しかし、それとは違う意味での「距離の消失」、すなわち、距離を繰り広げることの崩壊としての「距離の喪失」を、サルトルは論じている。森氏は第2節において、そうした「世界性の崩壊」としての「距離の喪失」という問題を扱う。事例として①恐怖、②想像、③美的体験、があげられる。①「恐怖」については、『情動論素描』における、窓の向こうに突如顔が現れるという事例が問題にされる。このとき、顔は、距離を否定し、我々の側に入り込んでくるといわれるが、ここでの「距離の消失」とは、世界の秩序・道具性の崩壊を意味する。②「想像」における「距離の消失」については、森氏は、意識が完全にイマジネールの領域に向かっている「夢」における距離の喪失の問題に着目する。③次に氏は、「夢」における距離の消失と、同じくイマジネールなものに関わる「美的体験」における距離の消失を対比し、それらの違いについて詳細に論じる。美的意識は、夢における幻惑的状態とは異なった、美的観賞のために必要な心理的「距離」を構造的に含んでいる。森氏は、サルトルが「美的な隔たりrecul esthetique」と呼ぶこの「距離」を問題にする。第3節では、サルトルの反省論が、「距離」の問題を通して考察される。森氏は、幻惑的意識、美的意識から「ふと我に返る瞬間」に着目する。それは、距離の喪失から、再び距離が発生する瞬間であるが、ただし、それは冷静に体験を考察する反省的意識とも違ったものである。森氏はそれを、距離の喪失としての幻惑体験と、過去に対して距離を取る行為としての反省との「間にある」ものとしての「純粋反省」の契機としてとらえ、この契機と、本来性、道徳性との関係を示唆する。森氏による、「距離」を手がかりにした前期サルトル哲学の分析は、刺激的なアイデアを多く含んでいた。とくに、第2節における「美的隔たり」の問題と、第3節における、純粋反省と距離の問題については、質疑応答においても質問が集中した。今回素描された各論点は、さらに深めていく余地は十分あると思われる。今後の発展に大いに期待したい大変興味深い発表であった。(永野潤)


2. ワークショップ

「ambivalence de l'histoire 『倫理学ノート』を読む 第一回」

対象箇所Cahiers pour une morale, Gallimard, 1985, p.26~53の部分

問題提起: 水野浩二(札幌国際大学)

司 会 者: 谷口佳津宏(南山大学)

1983年に公刊されながらも,いまだ全訳本のないサルトルの遺稿『倫理学ノート』をめぐって,その特定の箇所をとりあげて集中的に検討を加えるという趣旨で設けられたワークショップの第一回目。今回は,原書の26頁から53頁の通し番号を付された箇所を中心に活発な議論が行なわれた。今回議論の対象となった箇所は,提題者の水野氏自身によって選択されたものであるが,氏は,当該箇所をとりあげた理由として,①『倫理学ノート』全体のなかで比較的まとまりのある箇所であること(『倫理学ノート』は,索引こそあるものの,本文は,章立ても見出しもない,2つの大部の「ノート」と短い2つの付論から成っており,「ノート」のうちには,数頁にわたって段落なしに書き綴られた箇所も珍しくない。そのため,現行の英訳,独訳などは,訳者の判断で適宜段落を新たに設けている。),②『倫理学ノート』の公刊に先立って,1979年にOblique誌18-19号で初めて公表され,鈴木道彦氏による抄訳(『中央公論』1979年9月)もすでにある箇所であること(邦訳は原書56頁まで),そして,今後は,そうした先行研究をふまえた研究がなされるべきであるということ,③1965年に予定されていたコーネル大学での講演のための準備草稿「道徳と歴史」と内容的に関連していること,④同じく遺稿の『弁証法的理性批判』第2巻(副題,歴史の可知性)と内容的に関連していること,を挙げられた。実際の議論は,水野氏によって用意された当該箇所の試訳を元に,氏自身が,そこに見られるいくつかの論点を指摘した後で,出席者からの意見,質問を交えるという形で行なわれた。議論のなかでは,即自‐対自の追求における対自の挫折と疎外による挫折との関係をめぐって,挫折をスプリング・ボードとしてとらえるべきということ,疎外にも,克服可能な疎外と克服不可能な疎外があるということが指摘され,さらには,コミュニケーションを前提とした挫折と歴史を作る際の挫折との関係をどうとらえるべきか,一口に歴史,モラルといっても,サルトルの場合,きわめて多義的であるということなどが指摘された。また,これとの関連で,BNに保管されているサルトルの原稿では,大文字のHistoireがGeschichteに,小文字のhistoireがHistorieに対応しているといった貴重な証言も寄せられた。さらには,テキストの細部をめぐって,たとえば,l'echec en tant que tel(p.51)を「挫折そのもの」と解すべきか「挫折を挫折として」と解すべきかいったような,今回のワークショップならではの議論も見られたが,限られた時間のなかで検討すべき箇所としてはいささか広範囲であったこともあって,またそれ以上に司会者自身による議論の捌き方が未熟な点もあって,議論が煮詰まるというところまでは至らなかった。しかし,別の面から言えば,今回登場した論点の多様さは,サルトルに対して各自が抱いている関心の多様さに応ずるものでもあり,その意味で,今回のワークショップに参加した人々に,多少なりとも,今後の研究に際して,何らかの示唆を提供するものとなりえたと思われる。(谷口佳津宏)


3. 総会

研究発表の後、総会が開かれました。

1) 『倫理学ノート』を読むワークショップを今後も継続していくことが確認されました。

2) 鈴木道彦氏から、鈴木氏を訳者の一人として先日第三巻が出版された『家の馬鹿息子』の翻訳について、提案がありました。現在中断されている同書の翻訳作業ですが、翻訳が再開されれば今後出版が継続される可能性があるということで、翻訳作業に対する会員の協力が要請されました。

3) 生方淳子氏から、『存在と無』の翻訳の改訂作業に関する提案がありました。松浪信三郎氏による『存在と無』の翻訳はすばらしいものであるが、その後の研究の成果を踏まえた新たな翻訳がそろそろなされてもいい、ということです。しかし、諸事情により新訳の出版は難しい状況にあるということで、生方氏からは、新たな注釈の作成、出版(が無理であればweb上での発表)という計画が示され、それに対する会員の協力が要請されました。

4) 会計担当の黒川学氏より以下のとおり2006年度の会計報告ならびに2007年度予算案が提出され、承認されました。


2006年度会計報告

(2006年4月1日-2007年3月31日)


1.収入の部

会費  31,000

雑収入  3

前年度繰越金  102,904

────────────────

合計  133,907


2.支出の部

例会費  1,134

通信費  20,640

物品費  2,887

印刷費  2,200

事務局費  10,000

────────────────

合計  36,861


収支決算:収入-支出=  97,046 (次年度繰越金)

会計担当  黒川学  

会計監査  澤田直



2007年度会計予算案


1.収入の部

予算

前年度繰越金  97,046

会費  50,000

────────────────

合計  147,046


2.支出の部

例会費  10,000

通信費  50,000

物品費  20,000

印刷費  10,000

事務局費  10,000

雑費  10,000

────────────────

合計  110,000