フッサールの新資料を読む(5):『ベルナウ草稿』と『C草稿』

    • 日時:2016年3月10日(木)、16:00-19:00

    • 会場:立命館大学衣笠キャンパス 末川記念会館 第三会議室(http://www.ritsumei.ac.jp/campusmap/kinugasa/)

    • 報告者:村田憲郎(東海大学)、吉田聡(千葉工業大学)

    • 企画・司会:植村玄輝(立正大学/高知県立大学)

開催趣旨

今世紀に入ってからのフッサール研究に特有の事情の一つとして、全集『フッセリアーナ(Husserliana)』をはじめとした一次資料の刊行される勢いが明らかに増したということがあげられる。1950年の刊行開始から2000年までのちょうど50年では、(分冊も別々に数えるならば)合計32冊が全集として世に送り出されており、フッサールの一次資料が公になるペースは、平均すると一年に0.64冊でしかなかった(『フッセリアーナ記録集(Husserliana Dokmente)』第三巻として刊行された全10冊の書簡集のうち、索引を除く9冊をそこに加えたとしても、平均刊行ペースは一年に一冊に満たない0.82冊である)。それに対して2001年から2015年までの14年間では、『フッセリアーナ』として14冊、2001年に新設された『フッセリアーナ資料集(Husserliana Materialien)』として9冊が出版されている。つまり今世紀に入ってからは、一年に約1.71冊というそれまでの三倍弱(あるいは二倍以上)のペースで一次資料が新たに登場しているのである。もちろんこれらの資料には分量にも難度にもばらつきがあるため、単純な計算だけから結論を導くことはいささか安易ではある。だがそうはいっても、気づけば次の巻が出ているというここ十年あまりの状況を目の当たりにして途方に暮れたフッサール研究者は少なくないのではないだろうか。これでは全部を読むことはもちろん、読んだふりをすることさえできないよ、と。

以上のような事情によりよく対処することを目的した研究会の第五弾として、今回は『フッセリアーナ』第33巻『時間意識についてのベルナウ草稿(1917/18)』(2001年刊)と『フッセリアーナ資料集』第8巻『時間意識についての後期草稿(1929-1934):C草稿』(2006年刊)を取り上げる。『イデーンI』(1913年刊)において時間意識を現象学にとって避けることのできない最重要問題とみなしつつも、生前のフッサールは、この問題への取り組みの成果として、1904/05年の『時間講義』(1928年刊)だけを発表した。したがってフッサールの時間論を論じる場合、他の主題に比べてよりいっそう、草稿に依拠することが必要になる。ところが、『フッセリアーナ』第10巻(1966年刊)の附論として採録された初期の草稿群を除いては、時間意識に関連するフッサールの草稿は、今回取り上げる二つの巻が刊行されるまで断片的なかたちでしか公にされてこなかった。

もちろん、『C草稿』に採録されたテクストについても、フッサール文庫に保管された草稿およびそのトランスクリプトを用いた研究がそれ以前からなされており、その内容はフッサール研究者に知られていないわけではなかった。しかし、『ベルナウ草稿』に収められた草稿については、それらが1969年になってはじめてフィンクからルーヴァンのフッサール文庫に譲渡されたというやや特殊な事情がある(cf. Hua XXXIII, xxv)。これが意味するのは、フッサール後期の時間論に関する研究も、ある時代までは、中期の時間論へとアクセスできない状態でなされたということだ。(ブラントの『世界・自我・時間』およびヘルトの『生き生きした現在』という後期時間論に関する古典的な研究書がそれぞれ1955年と1966年に刊行されたという事実を、ここで指摘しておくべきだろう。)

こうした点を踏まえ、本企画では、遅れてきた者の特権を最大限に行使し、資料上の制約が劇的に少なくなった現在の観点から、フッサールの中期以降の時間論に迫りたい。『ベルナウ草稿』を村田が、『C草稿』を吉田がそれぞれ担当する。

タイムテーブル

16:00~16:10 司会者による趣旨説明とイントロダクション

16:10~16:50 報告1:村田憲郎『ベルナウ草稿』

16:50~17:30 報告2:吉田聡『C草稿』

17:30~17:45 休憩

17:45~19:00 ディスカッション