フッサールの新資料を読む(3):『超越論的観念論』と『論理学研究補巻』第一分冊

    • 2014年3月13日(金)

    • 慶應義塾大学三田キャンパス 西校舎514番教室

    • 企画・司会:植村玄輝(立正大学/高知県立大学)

    • 報告者:松井隆明(東京大学)、佐藤駿(東北大学)

開催趣旨

今世紀に入ってからのフッサール研究に特有の事情の一つとして、全集『フッセリアーナ(Husserliana)』をはじめとした一次資料の刊行される勢いが明らかに増したということがあげられる。1950年の刊行開始から2000年までのちょうど50年では、(分冊も別々に数えるならば)合計32冊が全集として世に送り出されており、フッサールの一次資料が公になるペースは、平均すると一年に0.64冊でしかなかった(『フッセリアーナ記録集(Husserliana Dokmente)』第三巻として刊行された全10冊の書簡集のうち、索引を除く9冊をそこに加えたとしても、平均刊行ペースは一年に一冊に満たない0.82冊である)。それに対して2001年から2014年までの13年間では、『フッセリアーナ』として14冊、2001年に新設された『フッセリアーナ資料集(Husserliana Materialien)』として9冊が出版されている。つまり今世紀に入ってからは、一年に約1.77冊というそれまでの三倍弱(あるいは二倍以上)のペースで一次資料が新たに登場しているのである。もちろんこれらの資料には分量にも難度にもばらつきがあるため、単純な計算だけから結論を導くことはいささか安易ではある。だがそうはいっても、気づけば次の巻が出ているというここ十年あまりの状況を目の当たりにして途方に暮れたフッサール研究者は少なくないのではないだろうか。これでは全部を読むことはもちろん、読んだふりをすることさえできないよ、と。

以上のような事情によりよく対処することを目的した研究会の第三弾として、今回は『フッセリアーナ』からフッサールの観念論的主張に関わる二つの巻を取り上げる。まずは松井が『超越論的観念論』と題された全集第36巻(2003年刊)について報告する。1908年から1921年までの超越論的観念論に関わるテクストを集成したこの巻は、「レアルな現実世界の存在はそれを経験する顕在的な意識なしにはありえない」というフッサールの観念論的主張が練り上げられる過程のドキュメントとしてきわめて重要である。とりわけ特筆に値するのは、この巻に収められたテクストでフッサールは現象学的還元という方法に(少なくとも明示的に)訴えずに観念論的主張を擁護しているという点だろう。この事実をどうやって受け止めるべきなのかという問題は、ディスカッションの時間にじっくりと検討したい。次に佐藤が、『論理学研究』の補巻として2002年に公刊された第20巻代一分冊に関して報告する。フッサールが1913年の夏に着手しはじめた『論理学研究』第六研究の改訂――この試みは結局頓挫する――のための草稿を集めた本巻は、「フッサールの新資料を読む」研究会第一回でも取り上げられた『論理学研究補巻』第二分冊における新たな記号論のきっかけとなる考察に加え、フッサールの超越論的観念論において重要な役割を果たす二つの可能性概念(「イデア的可能性」と「レアルな可能性・動機づけられた可能性」)に関する詳細な議論を含む。佐藤の報告は、とりわけこの論点に着目することになる。

タイムテーブル

15:00~15:10 司会者による趣旨説明とイントロダクション

15:10~15:50 報告1:松井隆明

15:50~16:30 報告2:佐藤駿

16:30~16:45 休憩

16:45~18:00 ディスカッション