要旨

鈴木崇志「フッサール『論理学研究』における「独白」概念の検討」

本発表の目的は、フッサールの『論理学研究』において「独白」という概念がはたした役割を明らかにすることである。この目的を設定する理由は、『論理学研究』が、考察の対象となる「表現 Ausdruck」を「独白 einsame Rede」に限定したことが、後年のフッサールの他者論を理解するうえで重要であると考えられるからである。そこで、この目的を達成するために、『論理学研究』(Husserliana, Bd. XVIII, XIX/1, XIX/2)およびその補巻(Bd. XX/1, XX/2)を参照して、1890年代から1921年にかけての『論理学研究』の書き換えの過程をたどりなおすという方法をとる。これにより、「独白」概念が、1913年の『イデーンI』出版の時期を境にして、役割を変えていることが明らかになるだろう。

「独白」概念の役割の変化は、次のようにまとめられる。まず一方で、『論理学研究』第一版(1900/01年)の執筆当時には、「独白」概念は、記号が指示する意味、特にカテゴリー的形式に注目するために、表現の伝達的側面と、外的対象との関係の充実化という側面を「抽象 abstrahieren」するという役割をもっていた。

しかし他方で、『イデーンI』(1913年)では、意識の外にある超越的対象(レアールな事物や他者の体験など)は単に「抽象」されるのではなく「遮断 ausschalten」され、超越論的意識の側から構成されるべきものとなった。そこで、1913年以降に書かれた『論理学研究』第二版のための草稿のなかでは、「独白」概念は、遮断されたレアールな事物や他者の体験へと再び接近するための場としての役割をもつことになる。

特に他者の体験に関していえば、草稿では、「表現」を「独白」に限定しつつも、他者の発話についての考察がなされている。そこでは、他者の発話は、独白を行う私の意識に移し入れられたあとで理解されることになる。ただしその場合には、他者の発話の論理的な意味は理解されるが、「嘘つきや役者」(Husserliana, Bd. XX/2, S.44)の発話や、発話に伴う感情などは理解されない。

このように、「独白」に依拠しつつ、他者の体験にいかに接近するかという問いには、『論理学研究』のなかでは十分に答えられていない。フッサールの後年の他者論は、『論理学研究』の枠組みを離れてこの問いに答えようとする試みであったといえる。しかし、そのような他者論は、「独白」という独自の概念を背景にして成立しているという点で、依然として『論理学研究』の問題圏から完全に抜け出てはいないのである。

金正旭「判断・真理・存在 ――リッカート‐ラスク論争を再考する―― 」

「バーデン学派」ないし「西南ドイツ学派」は、「価値Wert」概念を中心に据えた哲学を展開したことで知られている。とはいえこの学派はけっして一枚岩ではなく、リッカートとその弟子ラスクとのあいだに交わされた論争に目を向けるならば、むしろ彼らを一括りにするのは不当なのではないかとさえ思われるほどである。つまり、真理や認識といったトピックにおいてリッカートが従来の実在論的見方を捨てて「当為」や「実践性」を強調するに至ったのに対し、ラスクは逆にリッカートを批判しつつ実在論的見方へと回帰していくのである。

本発表の目標は、『認識の対象』第二版(1904年)ならびに「認識論の二途」(1909年)におけるリッカートの立場と、それに対するラスクの批判を取りあげ、両者がどのような仕方で対立していたのかを明らかにすることである。大まかに言えば、本発表は次の二点を示すことになるだろう。第一に、リッカートの実在論的見方に対する批判は、判断と直観についての彼の理解にもとづいている。すなわち彼は、判断は「である」を構成要素として含んでいるのに対し直観はそうではないがゆえに「当為」が要請される、と考えるのである。第二に、ラスクは「である」のようなカント的な意味での「カテゴリー」が直観「に対して」ではなく直観「において」働いていると主張する。彼によれば、リッカート的「当為」は直観において与えられる対象から派生するにすぎないのである。

リッカート‐ラスク論争に対する最終的な評価を下すことは、本発表の目指すところではない。それよりもむしろ、ブレンターノの判断論や『論理学研究』におけるフッサールの真理論、さらにはカントの真理論・認識論と関係づけることによってこの論争をよりよく理解することに努めたい。

村田憲郎「「実在概念」としての範疇:ブレンターノ『存在者の多義性』に見る存在論」

「最もよく引用される哲学者の一人だが、最も研究されることの少ない哲学者の一人」と言われるF.ブレンターノであるが、われわれフッサール研究者にしても、「志向性」を現代にもたらし現象学への道を開いたものの、「超越論的」次元に至ることのなかった「経験的」心理学者というイメージを抱きがちである。しかしこうした印象は、彼の処女作『アリストテレスによる存在者の多義性』(1862)におけるアリストテレスの範疇についての解釈を見る限り、修正を迫られよう。そこで探求されているのは「存在者としての存在者」とは何かという存在論の問題であるが、そこでの立場は経験主義的でもなければ心理主義的でもない。その後彼がどのように発展していったにせよ、出発点のこの立場を確認することは有益なことであろう。

本論ではこの著作におけるブレンターノ自身の立場を、異なる二つの立場と対比しながら際立たせたい。彼自身の整理によれば、当時「範疇」の地位をめぐって三つの立場があった。第一に、ツェラーに代表される、範疇とは実在的概念ではなく概念の「骨組み」であるとする立場。第二に、トレンデレンブルクに代表される、範疇とは言表における述語の概念であり、文法的形式の相違を反映して成立したものとする立場。第三に、ボーニッツに代表される、範疇とは存在するものそのものについての、実在的概念であるとする立場である。

第一の立場は、実在世界の手前または背後にあるいわば「英知界」にアプリオリな概念枠として範疇を位置づける点でカントやプラトンに近く、その意味で「観念論的」であると言える。第二の立場は、経験的な言語形式を徴表とするので明瞭ではあるが、アプリオリな基礎づけを失い経験主義に陥る危険がある。そしてブレンターノ自身は第三の立場に与しているが、この立場は実在世界そのもののうちにアプリオリな秩序が見出され、その支えとして範疇を位置づける立場であると言えよう。

またこの関連で、範疇と並んで存在者の多様な意味の一つとして挙げられる「真・偽としての存在者・非存在者」の位置づけについても扱う。

最後に戦後日本の議論(安藤孝行)にある、ブレンターノは三つの立場を「綜合」したとする、本発表の主張と一見異なるが実質的に融和不可能ではない見解についてもコメントしておきたい。

宮坂和男「解釈学としての現象学:ディルタイがフッサールに与えた影響」

本発表の内容は「現象学と解釈学との関係」に関する考察である。現象学は後期のフッサールにおいてすでにかなりの程度まで解釈学的であることを主張する。このことは、ディルタイからの影響をこれまで考えられていたよりもはるかに大きいものと見なしたときにとられる見方である。ディルタイの哲学は、自然科学的な探究によっては明らかにされない人間の「生(Leben)」の考察を課題としている。ディルタイによれば、ヨーロッパでは18世紀以降、自然科学とは異なる仕方で人間の生を探究しようとする動きが生まれ、そのことによって歴史考察が促されたという。このことを論じる中でディルタイは「地平」「目的論」「世界」といった言葉を用いている。これらの言葉は後期のフッサールが頻繁に用いたものでもあり、フッサールがこれらの言葉を用いるようになったのはディルタイからの影響によるものだと見ることも十分に可能である。『危機』の中でフッサールは、自然科学によって自然が理念化されて本来の経験が覆い隠されてしまったことを批判し、「生世界(Lebenswelt)」に還帰すべきことを主張している。また『幾何学の起源』の中では、テクスト理解に関する考察を展開している。これらのことは、ディルタイからの影響を受けてフッサールが解釈学的な考え方をとったことによると解釈することもできる。このように、解釈学な考えと重なるものと解釈することによって、後期のフッサールの考えにあらためて光を当てることを本発表は意図する。なおその際、「現象学と解釈学との関わり」に関するリクールの解釈に言及する。ただそれを援用するのではなく、不十分なものとして批判する。本発表は、リクールの解釈を反面教師にする形で「現象学と解釈学との関わり」について考えようとするものでもある。

第11回フッサール研究会シンポジウム「志向性の哲学と現象学」 開催趣旨

提題者:中畑正志氏(京都大学)、村田純一氏(立正大学)

特定質問者:佐藤駿氏(東北大学)、富山豊氏(日本学術振興会・北海道大学)

司会:浜渦辰二氏(大阪大学)

フッサールは、『イデーンI』において、志向性を「現象学全体を包括する問題の名称」と見なしている。志向性はフッサール現象学の根本概念であり、そのプログラムによれば、あらゆる哲学的問題は志向性としての意識体験を分析することで解決される。しかし、ハイデガー、メルロ=ポンティ、レヴィナス、アンリなどのフッサール以後の現象学は、志向性に何らかの欠陥(主知主義、心身二元論の残滓、身体や情感の軽視など)を見いだし、ときには志向性の現象学を批判的に解体することで、それぞれ独自の立場を築きあげている。志向性が、哲学的課題を担いうる概念(現象学の根本概念)であるかどうかは、あらためて問い直されるべきであろう。

志向性をめぐる議論は、現象学に特有のものではない。歴史的観点からも、この概念の豊かな鉱脈をたどることができる。アリストテレスは、感覚について「質料なき形相の受容」という見解を示していた。中世哲学においては、アリストテレスの「ノエーマ」というギリシア語の(アラビア語を経由した)翻訳として、intentioという語が用いられていた。デカルトは、「観念」を単なる思惟(=意識の様態)のみならず、それが表象するもの(現代風に言えば「内容」)の観点から考察している(観念のいわゆる「表象的実在性」)。ブレンターノはこうした背景を引き継ぎながら、「物的現象」から区別される「心的現象」のメルクマールとして「志向性」をとり上げることで、現代の哲学に通じる定式化をおこなった。志向性の概念は、現象学のみならず「心の哲学」においても重要な主題となっている。しかし、このような歴史のなかでも、ブレンターノを継承したフッサールほど、意識の根本特徴としての志向性に対して大きな可能性を見いだした者はいないように思われる。

志向性は、いかなる意味において哲学の課題でありうるのだろうか。そもそもそれは、現象学的哲学の根本概念でありうるのだろうか。『イデーンI』の公刊から100年を迎えるのをきっかけに、あらためて志向性の可能性や限界を考察することは、フッサール研究に携わる者にとって重要な課題となる。この課題に向き合うためには、フッサール研究にとらわれない視座にたって、志向性の思想史的背景や哲学的論点を考慮する必要もあるだろう。そこで本シンポジウムは、フッサール現象学の内外から、志向性に関連する研究に取り組んでいる方を招き、活発な議論の場を形成することを目指す。