フッサールの新資料を読む(2):『一般的認識論(1902/03)』と『倫理学入門(1920/24)』

    • 日時: 2014年11月28日(金)

    • 会場: 慶應義塾大学三田キャンパス472教室(http://www.keio.ac.jp/ja/access/mita.html)

    • 企画・司会:植村玄輝(立正大学/高知県立大学)

    • 報告: 植村玄輝・八重樫徹(成城大学/東京大学)

開催趣旨

今世紀に入ってからのフッサール研究に特有の事情の一つとして、全集『フッセリアーナ(Husserliana)』をはじめとした一次資料の刊行される勢いが明らかに増したということがあげられる。1950年の刊行開始から2000年までのちょうど50年では、(分冊も別々に数えるならば)合計32冊が全集として世に送り出されており、フッサールの一次資料が公になるペースは、平均すると一年に0.64冊でしかなかった(『フッセリアーナ記録集(Husserliana Dokmente)』第三巻として刊行された全10冊の書簡集のうち、索引を除く9冊をそこに加えたとしても、平均刊行ペースは一年に一冊に満たない0.82冊である)。それに対して2001年から2013年までの12年間では、『フッセリアーナ』として13冊、2001年に新設された『フッセリアーナ資料集(Husserliana Materialien)』として9冊が出版されている。つまり今世紀に入ってからは、一年に約1.83冊というそれまでの三倍弱(あるいは二倍以上)のペースで一次資料が新たに登場しているのである。もちろんこれらの資料には分量にも難度にもばらつきがあるため、単純な計算だけから結論を導くことはいささか安易ではある。だがそうはいっても、気づけば次の巻が出ているというここ十年あまりの状況を目の当たりにして途方に暮れたフッサール研究者は少なくないのではないだろうか。これでは全部を読むことはもちろん、読んだふりをすることさえできないよ、と。

以上のような事情によりよく対処することを目的した研究会の第二弾として、今回はフッサールの初期と後期の講義録を一つずつ取り上げる。今回はまず、植村が『フッセリアーナ資料集』第3巻『一般的認識論』(2001年)について報告を行う。1903年夏学期講義「一般的認識論」全体と、1898/99年冬学期「形而上学と、認識論の主要点」冒頭の抜粋からなるこの巻は、次の二点から注目に値する。第一に、これら二つの講義(とりわけ前者)は、大著『論理学研究』(1900/01年)の内容を概観するための格好の素材を提供している。第二に、これらの講義では、同書においてははっきりと語られなかった狙い(とりわけフッサールのプロジェクトにおける形而上学の位置づけ)や、同書の次の一歩に向けた試行錯誤の痕跡(たとえば、現象学と記述的心理学の関係)を見てとることができる。次に八重樫が、『フッセリアーナ』の第37巻『倫理学入門(1920/24)』(2004年)について報告を行う。この講義については、近年ますます注目を集めるフッサール倫理学に関するドキュメントとして注目している研究者も多いことだろう。八重樫の報告は、(1)この講義がなされたフライブルク時代のフッサール倫理学とゲッチンゲン時代のそれとの共通点・相違、(2)同講義においてフッサールが過去の倫理学説(とりわけ、スミス、ハチスン、シャフツベリーらに代表される、英国の道徳感情論)とどのように対決したのかという二点にとりわけ注目してなされる。なお、二つの巻の内容の隔たりを考慮して、今回はディスカッションの時間を報告ごとにわけて設けることにした。

タイムテーブル

17:00~17:10 司会者による趣旨説明とイントロダクション

17:10~17:50 報告1:植村玄輝(『一般的認識論(1903)』)

17:50~18:30 ディスカッション

18:30~18:40 休憩

18:40~19:20 報告2:八重樫徹(『倫理学入門(1920/24)』)

19:20~20:00 ディスカッション