日時:2025年1月26日(日)13:30~
場所:東京大学(本郷キャンパス)法文1号館 113教室
企画:橋詰 史晶
提題者:富山 豊(千葉工業大学)、千葉 清史(早稲田大学)、秋葉 剛史(千葉大学)
参加費:無料(懇親会には別途参加費がかかります。)
※懇親会への参加を希望される方は、1月19日(日)までに懇親会参加フォームからお申し込みください。
「志向性」という概念が、フッサールの思想を読み解くうえでの中心的な主題であることは論を俟たないだろう。しかしこの概念の重層的な含意を正確に読み解くことは、一見してそう思えるほど生易しくはない。ひとたびそれを試みようとした者はすぐさま、絡み合った複雑微妙な問題が眼前に山積していることに気づくだろう。実際、志向性というテーマは重要だがそれなりに手強い問題だからこそ、専門的な研究者たちにとっても、今日まで活発な議論の的であり続けているのである。
富山豊氏の近著『フッサール 志向性の哲学』(青土社、2023年)は、この「志向性」という古くて新しい、錯綜した問題に明瞭な見取り図を与える画期的な著作である。著者自身が述べているように、「本書の狙いはまさに「フッサールにたどりつくまで」をサポートすることにある」(23)。すなわち、「人口に膾炙した〔フッサールの〕様々な概念が導入されるに至る前に、そもそもフッサールが「志向性」というものをどのように考え、〔…〕どのような議論の筋道で分析していったのかということを明らかにする」ことを目指している(同所)。
著者も示唆しているように、フッサールのテクストは、字面の表現をなぞるだけではその内容を腑に落ちるまで理解することはできないように思う。そこで著者は、読者自身がフッサールのテクストを読みこなせるようになるために、テクストや既存の解説書の「手前」から、議論を解き明かしてゆく。入門書という体裁で書かれた本書の筆致は実際極めて明晰であり、哲学の専門的な訓練を受けていない一般読者であってもじっくり読めば議論を追えるよう、様々な工夫が凝らされている。その意味で、本書はフッサールの思想への優れた導入となる。とはいえ、テクストの「手前」にあるもの、つまり、テクストの表面的な字面には容易に表れてこない、フッサールの思索の根本的な枠組みを明らかにすることは、見方を変えれば、フッサールのテクストのさらに「先」を明らかにする作業でもあると言えよう。たとえば、「志向性にとって本質的なのは意味」であり、「意味」とは「対象を見つけ出すための手続き」のことである(163)という著者のテーゼは、初学者のみならず、フッサールのテクストをその表面的なレベルを越えてより深く理解しようとする者にとってこそ含蓄深いものだろう。また、「「志向的対象」、すなわち志向性の「それについて」のものであるところの対象とは、〔ダメットの言うところの〕意味論的値に他ならない」(104)といった本書の主張は、専門的な研究者にとっても刺激的なものであるはずだ。今日大きな影響力を持つ英米分析系哲学の文脈のなかにフッサールをどのように位置づけるべきかという一大問題は、その重要性に比してこれまで十分に論じられてきたとは言えない。著者は、こうした比較研究の先駆的試みとして著名なダメット『分析哲学の起源』を批判的に参照するなど、フッサールを理解するための補助線としてフレーゲやダメットら分析系の哲学者の議論をふんだんに取り入れており、この点も大いに注目されて然るべきだろう。
このように様々な観点から示唆に富む本書を題材として、このたび合評会を開催できる運びとなった。評者には、現代形而上学を中心に分析哲学を専門とする秋葉剛史氏と、カント研究を専門としながらダメットにも造詣が深い千葉清史氏をお招きする。いずれも、テクストの単なる内容理解に留まらずそこに内在する哲学的問題それ自体に対する鋭敏な感覚を持つ論者であり、両氏による提題は本書の意義と可能性に新たな角度から光を当てる実り多いものとなるだろう。
13:30-13:40 オーガナイザ(橋詰)からの趣旨説明
13:40-14:00 著者(富山氏)による自著紹介
14:00-14:40 千葉氏からの提題
休憩(10分)
14:50-15:30 秋葉氏からの提題
15:30-16:00 著者による応答
休憩(10分)
16:10-17:10 フロアを交えてのディスカッション
18:00- 懇親会