(答)それは極端すぎる解釈でしょう.場合によっては積極的に行った方がよい移殖放流もあります.
もちろん,上で述べたように,まったく別地域の魚を安易に放流し,在来の集団と交雑させることは避けなければなりません.しかし,人間が最近,そもそも1つの集団であったものを細かく分断してしまっているような場合,中・長期的には,分断された集団間の交流を進めなければ,集団の絶滅の可能性が高まると考えられています.
例えば,濃尾平野のハリヨは,今でこそわずかに残った湧水地に隔離されて生息しています.しかし,ハリヨのすむ地域は,「扇状地」,「輪中」,「水都」などといった言葉で象徴されるように,もともといたるところに湧水・自噴水やそれを集める細流があり,大小の川や水路が網の目のようなネットワークを作っていました.その結果,ハリヨは,他の淡水型イトヨと比べて大きな遺伝的多様性をその集団内に残してきました.しかし,近年,湧水の埋め立てや河川改修のために,ハリヨの生息場所は分断され,そのいくつかでは遺伝的多様性が低下しています.
農業用のため池などにわずかに残るニッポンバラタナゴも,同じような(むしろ,よりひどい)状況にあります.一部のため池では,ほとんど遺伝的多様性を失い,近親交配の悪影響が顕著に表れています.
最近になって分断された集団の間にも,いくらか遺伝的特徴に差異が見つかる場合があります.しかし,それは長い時間をかけて分化したものではなく,もともと共通していた特徴の一部を,それぞれ別々に失ってしまった結果です.
以上のような場合には,集団の本来の遺伝的交流を促進するような対策が必要になってきます.さらに,現在危険な状態にある種に関しては,優先的に,新たな生息地を人為的に復元するなどして,危険分散や遺伝的多様性の維持を図ることも必要でしょう.
別の場合として,もうその地域の集団が絶滅してしまっている場所ではどうでしょうか.一つの考えは,あきらめる,というものです.絶滅は取り返しのつかないことですから,安易に放流して埋め合わせることで,「良し」とするわけにはいきません.しかし,放流に自然保護上の意味がある場合もあります.沖縄島のリュウキュウアユは,開発の影響で1980年までに絶滅してしまいましたが,現在は,おそらく遺伝的にかなり分化した奄美大島のリュウキュウアユが沖縄島の一部に放流されています.この場合,放流された奄美のリュウキュウアユは,もともと沖縄のリュウキュウアユが担ってきた生態系での役割を取り戻すことのほか,河川環境保全のシンボルとなることも期待されています.このような目的の中で,本州のアユを放すより格段に良い方策であったことは確かでしょう.
では,移殖放流の是非はどのように決めればよいのでしょうか.まず,私的に無責任な放流を行うことは,たとえ保護の目的であっても,その影響の潜在的な大きさを考えると,危険な行為となり得ることを十分に認識しておくべきです.次に,ある目的のために,放流以外に手はないのかどうかを入念に検討する必要があります.そして,その地域の集団はすでに存在しないのか,あるいは近隣に遺伝的に近い集団は存在しないのか,など,できるだけしっかりとした根拠のもとで検討すべきでしょう.さらに,放流が別の生物に直接・間接的に大きな悪影響を与えないのか,周囲の群集や生態系を総体的に見ながら判断していくことも重要な点です.
このような検討の中で,遺伝的集団構造に関する情報や,それから推測されたその種の分布域形成の歴史に関する知見から,どのような集団単位が保全や管理の上で重要なのか,あるいは,どのような集団の状態(個体数や分布様式)が求められるのか,などについての手がかりが得られることがあります.
以上を踏まえ,専門家や学会,あるいは環境省などが中心となり,放流に関わるガイドラインを早急にまとめていく必要があります.
→ 2005/4/6に公開された日本魚類学会の「生物多様性の保全をめざした魚類の放流ガイドライン」を参照してください.